サイト達と合流した私達は、いっしょに目的地へ向かうことになった。
目指す場所は、白の国アルビオン――空に浮かぶ大陸だ。
たしかアルビオンは現在、内乱状態にあり、観光なんかで行けるような場所ではないはず。
何故そんな国へ向かっているのか、と私達が尋ねると、初めは「極秘任務だから……」と渋っていたルイズ。
けど、何度断られても引き下がらない私達の様子に諦めたのか、ワルド卿に許可をもらってから、小声で話し始めた。
アンリエッタ王女様からの依頼で、アルビオン皇太子であるウェールズ殿下にお会いし、2人の恋仲を証明する手紙を処分することになったらしい。
近々ゲルマニアとの政略結婚を控えたトリステインにとって、その手紙を他国の者に奪われることは非常にまずいそうだ。
ゲルマニアとの婚約が破棄されれば、アルビオンで暴れているレコン・キスタという反乱軍が、今度は軍力の衰えているトリステインを襲う可能性が高い。
だからなんとかその手紙を回収しなければ、トリステインは最悪の場合、滅びてしまう――それを防ぐのが、ルイズ達に託された使命だった。
一介の学生にこんな極秘任務を頼むのは、とても無謀な気もする。
だが、ルイズから伝え聞いた話だと、アンリエッタ様は『王宮内は、誰が味方で敵なのか。それも分からない』ような、きなくさい状況らしい。
心から信頼できる数少ない味方が、ルイズとワルド子爵だったそうだ。
「私達がやるしかない」ルイズはそう、決意に満ちた顔で話していた。
浮遊大陸アルビオンに向かうためには、風石の力で空を飛ぶフネに乗らなければならない。
私達は夜になってようやく、そのフネの港がある街、ラ・ロシェールに辿り着いた。
サイト達と合流した時には既に日が傾きかけていたので、ぎりぎり野宿せずに済んだ、といった感じだ。
『女神の杵』亭に部屋を取り、みんなで旅と戦闘の疲れを癒すために休息を取る。
ルイズとワルド子爵がアルビオン行きのフネを探しに行ったが、どうやら出航は翌々日の予定で、今すぐには出発できないそうだ。
そのため、私達は宿屋で出航の日を待ちながら、鋭気を養うことになっている。
私は、割り振られた部屋のバルコニーで夜空を見上げながら、考えに耽っていた。
(イメージの中で、襲撃は夜に行われた。場所はこの宿で間違いないと思う)
出発前に垣間見えたイメージ。
それを必死に思い出しながら、私は自分がすべきことを考えていた。
(問題はその襲撃が“いつ”行われるのか。今日、明日、明後日……機会は3回もある)
どの日に襲撃があるのか分かっていれば、その日だけ警戒していればいい。
だがイメージからは日にちまで割り出すことはできなかった。
(みんなで別の宿屋に移動する? ……いや。下手に行動すると、こちらを偵察しているはずの賊達を刺激してしまって、襲撃計画を早めてしまうかもしれない)
そもそも、その選択肢を選んだ場合、みんなに『何故宿屋を変えなければいけないのか』を説明する必要がある。
だが、私が時折見えるイメージは、実際にそれが起こってからでなければ、他人に証明できないものだ。
(襲撃前に動くべきか、否か。
たったそれだけのことでも、どちらの選択が正しいのか分からない……)
はあ、と思わず溜め息が漏れた。
勝手にルイズ達を追いかけて、人殺しになって。
それなのに……何も変えられない、何を変えてもいいのかも、分からないなんて。
(私は、何がしたいんだろう)
そうやって、自分自身に、返事のない問いかけをしている時だった。
「よお、リース。邪魔するぜ」
サイトがバルコニーに飛び込んできた。外から。
宿の向かい側には建物は立っていない。
だから、隣の建物から飛び移ったわけではない。
つまりは、宿の外壁を伝うように降りてきたことになる。
「な、何故そんなところから……危ないよ?」
「まあ、色々あってな。……なあ、リース。あの、ワルドっておっさんのこと、どう思う?」
疲れているのだろうか。サイトは、バルコニーの床に座り込んで、そんなことを聞いてきた。
「どうって……」呟きながら少し考えて、素直な気持ちで答える。
「立派な人だと思うよ。あの若さで女王陛下直属の親衛隊の隊長なんて、すごいことだと思う」
「若いって、あのおっさんいくつだよ?」
「あの、サイト。貴族相手におっさんとか言ってると、最悪不敬罪で首刎ねられちゃうよ?」
「貴族が怖くて使い魔ができるかっての」
「まったく、心配して言ってるのに……。
ワルド卿の年齢は、ええと、今年でたしか26歳だって噂で聞いたことがあったかな」
「……ま、まじかよ。30代後半ぐらいだと思ってた」
サイトは心底驚いた様子だった。
たしかにワルド卿は実年齢より老けて見えるけど、そこまで驚くことだろうか。
「若くて、才能あって、権力も実績もばっちり? なんだそりゃ……」
俯きながら呟くサイトは、なんだかひどく落ち込んでいるように見えた。
そのことを尋ねてみると、彼はぽりぽりと頬を掻きながら、言いにくそうに小声で、答えた。
「あいつ、ルイズの婚約者なんだろ? それ聞いてから、なんかこう、上手く言えねえんだけど……もやもやっとしてさ」
「ん……もしかして」
彼の言葉を聞いて思うことがあり、バルコニーの端まで近寄り、手すりから身を乗り出すようにして上の階を見てみる。
姿は見えないが、時折ルイズとワルド卿のものらしき声が、風に乗って聞こえてきた。
何を話しているのかまでは聞き取れないが、どうやら2人きりで話しているらしい。
手すりから身を乗り出すのを止めて、サイトと向き合う。
「さっき外から現れたのは、壁をよじ登って盗み聞きしてたから?」
「う……ば、ばれたか。なんか、気になっちまって」
気まずそうに視線を逸らすサイト。
彼の姿を見て、その行いを咎めようとは、思えなかった。
それはたぶん私自身が、自分がどう思われるのか気にして、みんなを騙し続けているからだ。
みんなを騙している私が誰かに説教なんて、できるはずがない。
「そっか。気になったなら、仕方ないかな」
サイトにそう言いながら、私はテーブルに載っているグラスを持つ。
その中に注いだワインを一口飲んで、星空を見上げた。
「そういうリースは、気になることないのか? なんか、暗い顔してるけど」
「……顔に出てるかな、私」
「ああ。なんか、すげえ辛そうに見える。ルイズも気にしてたけど、ワルド……卿、に話があるって連れてかれてよ」
そっか、と短く答えて、私は夜空を見ながら、どう答えるか考える。
イメージのことは、うかつに話せない。
未来が分かる、なんて言っても、見える範囲はひどく断片的なもので、正確な時間さえ分からないことがほとんどだ。
だから、他に悩んでいることを、打ち明けてみることにした。
「初めて、人を殺したんだ」
「……っ」
サイトは息を呑んだのが、なんとなく分かった。
けど、一度悩みを話し始めると、言葉は止まらなくなった。
「あの魔法は、牽制のつもりだった。けど、当たって……簡単に、人の命を奪った。
直接手を触れたわけじゃなくても、嫌な感触を感じて、それがまだ抜けない」
自分の両手を見てみる。
汚れのない手。小さな手。見慣れた手。
だけどその手には、私が殺した賊の返り血がついているような……そんな、錯覚を覚えた。
「この先、また誰かを殺すかもしれないと思うと……魔法を使うのが怖い。
だけど戦わないと、守れないものがある。自分の命、友達の命。
それに今回は、トリステインの未来もかかってる。退けるわけがない。
やらなきゃいけない。それは分かってるけど、やっぱり考えちゃうんだ。
私は、このまま戦っていいのかなって」
サイトは黙って聞いてくれた。
どう答えるべきか分からなかっただけかもしれない。
けど、逃げずに、投げ出さずに、聞いていてくれる。
それだけでも、なんだか少しだけ、気持ちが軽くなった気がした。
「……聞いてくれてありがとう。話してみると、少しだけ楽になった」
「い、いや。おれ……何もできてねえよ」
「私だって、サイトの話を聞いただけで、何もできてないよ」
「けど俺、リースがちゃんと話を聞いてくれただけで、なんか嬉しかったよ」
「ならいっしょだね、私達」
お互い、気になることを引き摺って、上手く笑えずにいる。
そして胸の内に抱えたものを話すことで、お互いに気持ちを紛らわせている。
私は、全てを話さずに隠して騙して誤魔化しているから、何もかもいっしょとは言えないけれど。
「なんか、ちょっとすっきりしたよ。ありがと。
突然お邪魔してごめん。そろそろ帰るよ」
少しだけ元気の戻った顔で、サイトは「おやすみ」と言って立ち去ろうとした。
私は、その後ろ姿に……隠し事をしている後ろめたさ、だろうか。思わず声をかけていた。
「……サイト。今日の襲撃みたいなこと、またあるかもしれない。気をつけて」
「ん、分かった。リースも気をつけろよ……って、言うまでもないかもしれないけどさ」
それじゃな、と言ってサイトはバルコニーから飛び降りる。
器用に片手にデルフリンガーを握ったまま壁を伝って降りていき、彼の部屋のバルコニーに難なく着地した。
……普通に、廊下から帰ればいいのに。
サイトが去ったバルコニーで、ワインを少しずつ飲みながら、私はまた1人で悩み始める。
どうすべきか。どうしたいのか。何ができるのか。何をしてはいけないのか。
考えることは多すぎて、中々考えは纏まらなかった。
○
結局、昨夜は襲撃はなかった。
警戒してずっと起きていたが、日が昇っても襲撃はなく、緊張が切れた途端眠りについていた。
起きたら既に夕方で、そこで初めて、サイトがワルド卿と腕試しの試合をしたと聞いた。
サイトの怪我は軽症で、すぐに魔法で治癒することができた。
だけど、サイトの心は、初めての完敗に傷ついているようだった。
なんでこのタイミングでワルド卿が、そんなことをしたのか分からない。
けど、そのことを問い詰めている時間はなさそうだった。
私は、間抜けにも寝すぎてしまい、既に夜は近づいている。
対策を考える時間は少なく、もしかしたら今夜、何の策もないまま襲撃者と戦わなければならないかもしれない。
(私1人の浅知恵では、限界がある……誰かに相談するべきだろうか)
誰に相談したらいいか、考えてみる。
こういった荒事に慣れていそうなのは、タバサとワルド卿の2人。
あの2人なら大丈夫だろうか……そう考えながら宿の廊下を歩いている時、ちょうどワルド卿と出会った。
そのまま正直に『私、未来が見えます』と伝えたところで信じてもらえるとは思えない。
だが、なんとかうまく誤魔化して、どうするべきか意見を求めることはできるだろうか。
「あ……ワルド様」
「君はたしか、ミス・リロワーズ。何やら顔色が優れないが、休んでいなくて大丈夫かい?」
「お気遣いありがとうございます。……あの、ワルド様。少し相談したいことがあるのですが」
「何かね? 私に答えられることならいいのだが」
どうやら話を聞いてくれるようだ。
タバサには後で相談するとして、とりあえず今はワルド卿に話してみるとしよう。
親衛隊として経験を積んでいるワルド卿なら、私では思いつかないような良案もあっさり導き出せるかもしれない。
信じてもらえるか分からないが、できるだけ曖昧に、未来のビジョンについて話すことにした。
「……この宿が襲撃される夢を見たんです」
ワルド卿の身体が、ぴくりと反応した気がした。
自分達が襲われる夢を見た、なんて言うのは不謹慎だ……とか、思われたのだろうか。
けど、特に止められる様子もなかったので、そのまま話を続ける。
「最近、時々ですが、嫌な夢を見るんです。
その嫌な夢の出来事が、現実に起こることがあって……」
我ながら嘘くさい話だと思ったが、言ってしまった以上、取り消せない。
「……ふむ」
ワルド卿は真偽を探るようにしばらく私の顔を見つめていた。
そして、少し考える仕草をして、真剣な表情に変わった。
「嘘をついている顔ではなさそうだね。
それで、具体的な内容は覚えているかい?」
「は、はい。えっと……正確な時間や日にちまでは分からないのですが……」
私は、イメージの中で得た情報を、できるだけまとめながら、ワルド卿に話した。
ひどく曖昧な情報で、私の話し方が下手なせいで伝わりづらいかもしれなかったが、ワルド卿は黙って聞いてくれた。
だが、フーケのことを話そうとした辺りで、話を遮られる。
「……ここで話すには、なんだね。場所を変えよう」
そう言われて、ここが宿屋であり、他の宿泊客の存在を失念していたことに気付く。
その宿泊客達の中に混じって、襲撃者達の密偵がいるかもしれない。
話はできるだけ、周囲に聞かれないように秘密にしておくべきだった。
「す、すいません。考えが至らず……」
「構わないさ。さて、ではついてきてくれるかい? こういう時にもってこいの場所があるんだ……」
ワルド卿がこちらに背を向けて、歩き出す。
私は慌てて、後について歩き始めた。
先に進むワルド卿の顔は、私からでは見えない。
だから、この時の私は、ワルド卿の瞳が殺意を帯びていたことに、気付かなかった。
○
「……あ、あの。どこまで行くのですか?」
途中で“フライ”を使って一気に移動して、私達は今、街の外れにある森の中を歩いていた。
宿からはだいぶ距離が離れている。まだ夜までには時間があるとはいえ、そろそろ戻らないと辺りが暗くなってしまう。
だから何度か、どこまでいくつもりか尋ねたけど、「もう少しだ」としか答えてもらえなかった。
「……待たせたね。ついたよ」
ぴたり、と。ワルド卿が足を止める。
木々に囲まれた森の中。人の影は見えず、確かにここなら秘密の会話にはうってつけかもしれない。
周囲に草木が多い分、気配を消して忍んでいる密偵がいるかもしれないが、この場所にはワルド卿しか知らない対策法も施されているのだろうか。
「ええと、では話の続きを、」
そう、話を切り出そうとして。
ザシュ、と。肉を切り裂く音が聞こえた。
そして、左胸に広がる鋭い痛みと、熱さ。
ワルド卿の持つレイピアが、私の胸に突き刺さっていた。
「……ぇ」
何が起こったのか、一瞬分からなかった。
事態を把握するより早く、もう一度私の左胸――人間の急所である心臓が、冷たい刃に貫かれる。
後ろによろめき、倒れて、ワルド卿を見る。
彼の顔は、悪魔のように険しく……そして狂ったように、微笑みすら浮かべていた。
「わる、ど、さま……?」
声を搾り出す。いっしょに、血を吐いた。
ワルド卿の返事はなく。
代わりに、魔法の風の槍“エア・スピアー”が、私の頭を貫いて――。
○
地面に倒れた少女の身体が、しばらくビクビクと痙攣する。
やがて、動かなくなった。
ワルドは、自分が遺体へと変えた少女、リース・ド・リロワーズの身体を視認して、完全に死んでいることを確認した。
脈を測る、などの細かい確認はしていないが見るだけで充分だった。
心臓と脳髄を貫かれて生きていられる人間など、いない。
(もしいたとしたら、それはもう人間ではない。化け物だ)
自分の身体に返り血がついていないことを確かめた後、ワルドは『女神の杵』亭へ戻り始めた。
そろそろ襲撃の決行時間だ。“偏在”で生み出した別の自分に命令して、劇を始めなければいけない。
(リース・ド・リロワーズ。フーケから要注意人物だと聞いてはいた。
だが……まさか、こんなに早く片付けることになるとはな)
彼女の話が真であったのかは、今となっては永遠に謎だ。
だが、自分の裏切りを知っているかもしれない者の存在は、これからの計画に邪魔となる。
仕留められる時に仕留めておくべきだ。ワルドは、そう判断して行動を起こした。
たとえ計画の妨げとなる可能性がどんなに僅かでも、放置するわけにはいかなかった。
(ミス・リロワーズは、ルイズが大切な友達だと言っていたな。
ルイズがこの事実を知ったら、どう思うだろうか……まあ、どう思われようと、構わんのだが)
己の進む先が悪鬼の道であることを感じながら、ワルドは立ち止まることなく突き進んでいく。
その道を妨げる者は、誰であろうと排除する覚悟で。
(あの遺体は、森の住む狼共が“処分”してくれるだろう。
例え発見されたとしても……仮に、私が殺したと判明しようがしまいが構わない。
その頃には、私は既にトリステインから消えている)
彼はこのまま、レコン・キスタへと合流し、国外逃亡する。
祖国であるトリステインを捨てて、己が願いを果たすために。
(トリステインは、腐り果てている。
この、終わりかけた国の貧弱な力では、“聖地”に辿り着けるはずがない)
ワルドは、力を求めていた。
圧倒的な力を。全てに負けない力を。何もかもに打ち勝てる力を。
そのために、修羅となる覚悟は、既に決まっていた。
(……さらばだ、トリステインよ。私は、私の道を行く)
力を求める狂者は、少女の亡骸を残して帰路につく。
彼が振り返ることは、なかった。
○
森の中に、朝日が射し込む。
穏やかな光景の中に、異質な空気を放つ一角があった。
森の一部であるその場所は今、規格外の巨躯を持つドラゴンにでも薙ぎ払われたかのように、木々と地面が豪快に抉り取られている。
強大な力の爪痕が残る周辺には、野生の狼や動物達“だった”と思われる肉片と毛皮と骨が散らばり、夥しい量の血液がぶちまけられている。
その、当時の惨状を思わせる痕跡の中心には、1人の少女がいた。
肩まで伸びた、美しい金色の髪。
少し小柄だが、均整のとれた身体。
いつも細められている碧眼は――今は見開かれて、大人びた冷静さなんて窺えない。
リース・ド・リロワーズは、生きて、そこに立っていた。
砕かれた脳髄も、引き裂かれた心臓も、何事もなかったかのように元通りとなっていた。
ただ、その身を赤黒く染める大量の血痕だけが、いつもとは違っていた。
「……わた、し」
少女は呆然と、自分の両手を見ながら、呟く。
今度は錯覚などではなく、確かに、その小さな両手は血で染まり、赤く汚れていた。
「ほんとに、なんなんだろう……」
その問いに答えられる者は、この世界には、いない。