フリッグの舞踏会から、数日が過ぎた。
フーケとの戦いで負った傷もすっかり良くなった。
最近は例の頭痛は起こらず、未来のビジョンも見えない。
フーケ捜索隊の面々も、戦闘時の私のことについて秘密にしてくれている。
おかげで、とても穏やかな時間を満喫できていた。
そんなある日のことだった。
アンリエッタ王女様が、魔法学院へ来訪することになった。
授業は中止となり、生徒、教師共に王女様のお出迎えに行くことになった。
「アンリエッタ様、万歳ー!」
そこかしこで叫ばれる、王女様への声援。
若く、美しい姫君の人気はとても高く、男女問わず好意的に思っているものが多い。
アンリエッタ王女様を一歩でも近くで見ようとする生徒達ですごい人ごみとなり、出遅れた私は遠目に、少ししか見ることができなかった。
けど、遠くから見ただけでも、美しいということが分かるぐらい、王女様は宝石のように輝く美貌を持っていた。
「なによ、私の方が美人じゃない」
「キュルケ。そういうことは、あまり大きな声で言わない方がいいよ?」
たまたま傍にいたキュルケの呟きが聞こえて、私は思わず指摘する。
ゲルマニアからの留学生であるキュルケが、トリステイン国の王女を下に見るような発言をすると、色々とうるさく言ってくる連中がいるかもしれない。
アンリエッタ様がどう思うかよりも、王女様を支持する周囲の人達が、そういうことにうるさそうだった。
ちなみに私個人としては、キュルケもアンリエッタ様も、どちらも美人だと思う。私なんかと違って。
「それと、キュルケ。さっきの授業、大丈夫だった?」
「……ああ、ミスタ・ギトーに吹き飛ばされたこと? 別に平気よ。
ただ、ああも好き勝手に言われると腹が立つわね。負けちゃったから、強く言い返せないけど」
中止になる前の授業で、キュルケはギトー先生の実演の相手役に指名された。
指示されてキュルケが放った、ファイアボールの魔法。
それを、風が最強であると声高に主張するギトー先生は、風の魔法で苦もなく打ち消した。
その魔法の余波を受けてキュルケが吹き飛ばされてしまった。
王女様の来訪を告げにコルベール先生が飛び込んできたことで有耶無耶にされてしまったが、怪我がないか心配だった。
どうやら何もなかったようで、安心した。
「ねえ、リース。あなたならギトー先生のあれ、どうやったら対抗できると思う?」
「え? ……うーん、そうだね」
キュルケに聞かれて、考える。
ギトー先生は風のスクウェアクラス。その実力者が放つ風は、大抵の物は吹き飛ばしてしまう。
先程の授業でキュルケの魔法を掻き消した際の様子を思い出しながら、私はひとつの推測を口にした。
「あの時のギトー先生は、自分を中心にして風を展開していた。
たぶん、風の強さを象徴するために、どんな方向からの攻撃でも対応できるぞってところを見せたかったんだと思う」
「ふんふん、それで?」
懐からメモを取り出して、何やら書き込み始めるキュルケ。
……どうやら、ギトー先生にリベンジするつもりらしい。
あまり参考にされても自信ないよ、と前置きしてから、私は続きを話す。
「もし同じ条件で挑む場合、実践とは違って背後などの死角から狙うのは無理だと思う。
仮に死角から狙えたとしても、周囲全体を覆えるような強風を扱えるギトー先生には、生半可な攻撃では届かない。
だから、私に思いつく方法はふたつ。
あの風を貫けるぐらい強烈な一撃を放つか、相手の警戒していない場所から攻めるか」
「強烈な一撃はともかく……警戒していない場所?」
「足元か頭上、それにギトー先生自体の懐、かな。
相手は自分に近づけない、と信じきっているギトー先生は、自分の周囲さえ守れば安全だと考えている。
だから、足元に魔法で穴を開けたり、風では吹き飛ばせないような重い物を“錬金”とかで用意して、頭上から落とす。
もしくは、“フライ”でギトー先生の持ち物や身近な物を動かして攻撃。ナイフとかあれば効果的かな。
まあ、実際にそれができるかは分からないよ。初見ではギトー先生がどうするつもりかとか、分からなかったしさ」
「……なるほど。参考になったわ。
私としては強烈な一撃って方に惹かれるけど、意表をついた攻撃に慌てふためくミスタ・ギトーっていうのも、捨てがたいわね」
メモメモ、と呟きながら紙に書き込むキュルケ。
自分で言っておいてなんだけど、物騒なことにならないかとちょっと不安になった。
「よぉ。リースにキュルケ。おまえらも来てたのか」
人ごみを掻き分けるように現れたサイトが、私達に話しかけてきた。
その傍にはルイズがいたが、心ここにあらずという様子で、ぽけーとしている。
「どうしたの、ルイズ?」
「あー。いま話しかけてもたぶん無駄だぜ?
なんかワルド様とかってやつを見てから、ずっとこんな調子でよ」
サイトが「やれやれ」と呆れた様子で、溜め息をついている。
その後、私やキュルケが話しかけても、ルイズが反応することはなかった。
○
翌日の早朝。
最近日課になっている、ブリスとの散歩を楽しんでいると、竜舎からシルフィードが飛び立っていくのが見えた。
一瞬しか見えなかったがシルフィードの背中には、キュルケとタバサが乗っていたようだった。
「こんな朝早くに、どこへ……? 今日、虚無の日でもないのに」
今日もいつものように、学院の授業がある。
それを無視して、いったいどこに出掛けるつもりなんだろう。
大空へと舞い上がり、どんどん遠くへ飛翔していくシルフィードを眺める。
そこで、あの頭痛が起こった。
「――――――!」
声にならない悲鳴を上げながら、見えてくるイメージに集中する。
今度はどんな未来が見えるのか……それを、見逃さないように。
学院から飛び立つシルフィード。その向かう先には、盗賊らしき集団に襲われているルイズ達。
彼らはそれを撃退して、街道をさらに先へ進む。
そして辿り着いた街の宿屋。そこで宿泊して、再度行われる襲撃。
そこには、先日捕えられて牢屋に放り込まれたはずの土くれのフーケのゴーレムが――。
「……っ。何故、フーケが」
彼女は連行されたと、オスマン校長から話を聞いた。
だが、たった今見えたイメージには、確かに土くれのフーケがサイト達の前に立ちはだかっていた。
何故そんなことになっているのか。それは分からない。
分かるのは……また大変なことになりそうだ、ということだけだった。
すぐに行動を開始する。
杖は手元にある。旅支度は……整えている暇はなさそうだ。
私は、ブリスを預かってもらうために、シエスタを探した。
ただの猫であるブリスを、危ない場に連れてはいけない。かといって放置していくわけにはいかない。
なので、この時間なら洗濯をしているはずのシエスタを探して、ブリスを頼むことにした。
「――いた。シエスタ!」
洗濯籠を抱えて歩いていたシエスタを見つけて、声をかける。
シエスタは「ひゃ、ひゃい!?」と驚いて戸惑っていた。
悪いことしてしまった、と思いながらも、急がなければならないので「ごめん!」と一言謝罪してから、お願いをする。
「急に出掛けなくちゃいけなくなったんだ。悪いんだけど、ブリスのことお願いできる?」
「は、はい。それはいいですけど、いったいどちらへ?」
「本当にごめん、説明してる時間がなくて……お礼はきっとするから、お願いね!」
足元にそっと降ろしたブリスに「良い子でお留守番しててね」と言って、私は走り出す。
駆けながら唱えていた“フライ”の詠唱を完成させて、地面を蹴って空へ飛び立つ。
目指す場所の地名も分からないまま、私はシルフィードが飛んでいった方角へ向かって急ぐ。
タバサ達と……その先にいるはずのルイズ達に追いつくために、私は大空を全速力で飛翔した。
風を切り裂きながら飛行して、しばらくすると、前方にシルフィードが見えた。
一度横に並んでこちらの存在を示した後、シルフィードの背中にゆっくり慎重に着地した。
「さ、寒い……何か防寒具ぐらい持ってくればよかった」
上空は気温が低いということは学院でも学んだのに、失念していた。
シルフィードを見つけやすいようにと、学院から飛び去った時と同じくらいの高度を飛び続けていたため、身体がすっかり冷えてしまっていた。
「あ、あなた、なんで追いかけて……というか風竜に追いつくって、どんな速度で飛んでたのよ」
「……これ。ないよりマシ」
驚愕と困惑の入り混じった顔で呟くキュルケと、荷物袋から毛布を取り出して手渡してくれるタバサ。
ありがとう、とタバサにお礼を言って、さっそく毛布に包まる。とても暖かくて、心が落ち着いた。
「偶然、君達が学院を出て行くのを見つけて、何かあったのかなって思って、追いかけてきたんだ」
「無茶するわね、ほんと……。
まあ私も、ダーリン達が出掛けるのを見つけて、追いかけようってタバサに無茶を言って、連れてきてもらってるんだけど」
やはりサイト達は、キュルケ達よりも先に学院を出ていたようだ。
キュルケの目撃情報によると、外出メンバーはサイト、ルイズ、ギーシュに、昨日王女様の護衛の1人として学院に訪れていたワルド子爵
彼らは、サイトとギーシュが2頭の馬に。ワルド子爵とルイズがグリフォンに乗って、学院を出発したとのことだ。
「なーんか訳ありって雰囲気だったのよね。追いかけたくもなるでしょう?」
「その理屈だと、世の中の訳ありな人にはみんなストーカーがいることになるんじゃないかな」
「悪趣味」
当然でしょ? というように言うキュルケに、私とタバサがそれぞれの意見を答える。
私の言葉はともかく、タバサの「悪趣味」は親友に向けるにはどうかと思ったが、寝ているところを叩き起こされて付き合わされてる身としては、悪口のひとつでも言いたいのが普通なのかもしれないと思って、そっとしておいた。
「あ、悪趣味……ストーカー……。私、そんなに変なこと言ってるかしら?」
「場合によっては、切腹もの」
「そ、そこまで!?」
「……あー、うん。そのへんにしとこうかタバサ」
不機嫌なのだろうか。無茶苦茶言い始めたタバサに、さすがに止めた方がいいと思い、声をかけた。
キュルケ、ちょっと涙目になってるし。
○
1人で飛んだ方が早くサイト達に合流できるかもしれないが、これから激しい戦闘が予想されるため、体力と精神力は温存しておかないといけない。
なのでそのままシルフィードに乗せてもらい、さらに空の旅路を進み続ける。
するとしばらくして、タバサが何かに気付いたように地上を指して、呟いた。
「見つけた。襲われてる」
「え、うそ! ダーリン!」
イメージで見えた通り、サイト達は賊の集団に襲われていた。
ワルド子爵は手馴れた様子で応戦しているが、実戦経験に乏しいサイトとギーシュが危なっかしい。
能力は充分に高い少年達だが、経験の差は確実に存在している。何度か、無防備な死角からの攻撃にやられそうになっていた。
「救援に入るよ、先に行く!」
「ちょ、リース!?」
キュルケの静止の声を振り切り、私はシルフィードから飛び降りた
“フライ”で空中を加速して急降下する。
今回は幸いにも、戦闘時にイメージが呼び起こされて頭痛が邪魔をする、ということもなく、無事に魔法を扱えた。
位置の有利を生かして、上空から賊達へ狙いを定めて、“マジックアロー”の攻撃を放つ。
――威嚇のつもりだった攻撃は、狙いがそれて、賊の1人の胸部をたやすく貫き、絶命させてしまった。
「ぁ……っ」
初めて人を殺した感覚に、眩暈にも似た恐怖に襲われる。
どれだけ化け物じみた力を持っていても、その力で人の命を奪ったことは、なかった。
いつかそういう日が来るかもしれない、という覚悟はあった。
けど、その機会が突然やってきたことに、心が戸惑いで揺れる。
(あんな簡単に、死んだ……私が、殺した)
フーケとの戦いでは、相手がゴーレムであるため、実感がなかった。
戦うということは、その理由がどうであれ、相手の命を奪う可能性が極めて高い。
友達を守りたくて、戦う決意はした。
けど、その結果を受け入れる覚悟がまったくできていなかったことを、たったいま思い知った。
賊は、増援である私達が現れたことと、戦況が思わしくないことから、退散を始めた。
逃げ遅れた数人をサイト達が捕えていた。尋問で、襲撃者の情報が何か分かるかもしれない。
けど、私はそっちのことまで考えていることができず、自分の握り締めた杖を見つめながら、思う。
(私は、本当に戦っていいの? その結果、また人を殺すことになった時……。
それを、ちゃんと受け入れられるの?)
自問に答えは返らない。
ただ、心に芽生えた疑問と恐怖が、決意を鈍らせていた。