馬車では通れない小道を、私達は徒歩で移動する。
しばらく歩き続けると森の中に、木々が伐採されて出来たらしい、開けた広場のようになっている場所に辿り着いた。
その広場の片隅に、朽ちかけた小屋が佇んでいる。おそらくはそこがフーケの隠れ家なのだと推測された。
相手は悪名高いトライアングルメイジ。無策で突撃するべきではない、ということで作戦会議を行う。
シュヴァリエの称号を持つ騎士としての経験からか、こういった荒事には慣れているらしいタバサが、意見を述べた。
「まずは斥候役が必要。小屋内部の情報を探りたい。素早い人が適任」
「ってことは……俺の出番か?」
サイトが己を指差して尋ねると、タバサは肯定を示すようにこくりと頷いた。
「もし中にフーケがいて隙があっても、一人で突撃はしないで。罠の可能性もある」
「おう、分かったぜ。打ち合わせ通りにやればいいんだろ?」
再びタバサが、頷く。
細かな作戦を決めた後、作戦を実行する。サイトが剣――意思を持つ魔剣、インテリジェンスソードであるデルフリンガーを鞘から抜く。
サイトは、いつでも応戦できるようにデルフリンガーを構えながら、慎重に小屋へと近づいていく。
しばらくして小屋内を覗いたサイトが、中に誰もいない際の合図を、離れた位置で待機していた私達に送ってきた。
足音を立てないように一団で小屋へと近づく。確かに、誰の気配も感じられなかった。
ミス・ロングビルは小屋の外で待機して、見張り役を務めると自ら提案した。
周囲の様子を警戒してもらっている間に、私達が小屋内の捜索をすることになる。
「……ねえ、もしかしてこれじゃない?」
小屋の中に無防備に放置された、硬い素材で作られた筒状の物体が見つかる。
杖、というには少し大きすぎる気もするが、小屋内には他にそれらしき物は存在していない。
「これって……もしかして」
サイトが、破壊の杖と思われる物品を見て、何やら呟く。
彼の呟きはよく聞こえなかったが、尋ね返す暇はなかった――突然、小屋の天井が轟音と共に、強大な力で薙ぎ払われたからだ。
破壊された天井跡から小屋を覗き込む巨大な影。おそらくは昨夜、学院の宝物庫を襲ったのと同型の、巨大な土のゴーレムだ。
「フ、フーケのゴーレム!」
「急いで脱出! まずは体勢を立て直す!」
タバサの迷いのない指示に従い、小屋を脱出する。
私達が脱出して間もなく、子供がおもちゃでも壊すかのようにあっさりと、私達がさっきまでいた小屋は土製の巨大ゴーレムの手で崩壊した。
破壊の杖はキュルケ達が無事に回収していたようだ。
「ファイアボール!」
「ジャベリン」
キュルケとタバサが魔法を唱えて、ゴーレムに攻撃を放つ。
動きの遅い巨大ゴーレムには易々と命中するが、威力がまったく足りておらず、表面に微かに痕跡を残しただけだった。それもすぐに再生されてしまう。
だが元々、倒すためではなく牽制のための攻撃なのだろう。
2人は詠唱が素早く終えられるドットスペルの魔法を次々と放ちながら、ゴーレムを撹乱しようと素早く駆けている。
(広範囲に効果が及ぶ魔法は使えない。範囲を一点に絞った、高威力の魔法で弱点を貫ければ――!)
私は自分の記憶の中から、条件に合う魔法を探して詠唱を開始する。
――が、このタイミングであの頭痛が起こった。激痛に詠唱を中断せざるを得なくなり、頭を抑えながらゴーレムの攻撃を避けるために必死で飛び退く。
(くそ、こんな時に! やるべきことは分かってるんだ、今は治まってよ……!)
「リース、あなた大丈夫!? ここで気絶なんてしたら命に関わるわよ!」
「っ、ごめんキュルケ! 逃げ回るのはなんとかなる!」
頭痛は、気絶してしまった時と比べればまだマシだった。
だが、苦痛が和らいでいる代償なのだろうか。流れ込んでくるイメージはひどく断片的なもので、そのひとつひとつの意味を理解するのは困難だった。
(役に立たないイメージ流し込む上に、マシとはいえ詠唱できない程の痛み……ほんと、勘弁してよ!)
「うう、この! さっさと倒れなさいよファイアーボール!」
ルイズが加勢しようといくつもの魔法を唱えているが、全て本来の効力とは違う現象である爆発を起こしてしまう。
何度も放った爆発のうち数発はゴーレムに命中した。
不思議なことに、ルイズの起こす爆発が命中した箇所は、強固な土の鎧が削られて、再生もされないようだった。
だが、ゴーレム本体が圧倒的に巨大すぎる。表面をいくらか削った程度では、決定打にはなりそうになかった。
「仕方ないわね……タバサ、破壊の杖は回収したんだし、ここは退却しましょう!」
「了解。シルフィード!」
タバサが合図の口笛で、彼女の使い魔である風竜・シルフィードを呼び寄せて、破壊の杖を載せる。
そして「乗って!」と捜索隊の一同に急いで騎乗するように言った。
だが、ルイズはそれに否を唱えて、ゴーレムへと立ち向かおうとする――あのイメージと同じだ。
「ルイズ! 無茶よ、戻りなさい!」
キュルケの必死の呼びかけにもルイズは答えず、ゴーレムへと接近して魔法を唱えようとする。
(だ、め……!)
ルイズを助けるために魔法を唱えようとする。だが、頭痛のせいで詠唱を唱えきれない。
「だめー! ルイズー!!」
子供みたいに、叫ぶしかできなかった。
ゴーレムがルイズを踏み潰そうとする。
「うおおおおお!」
その危機を救ったのは、私ではなくサイトだった。
デルフリンガーを片手に持った彼は、凄まじい速さでルイズに駆け寄り、その勢いを殺さず2人で転がるようにしてゴーレムの巨足を避ける。
「馬鹿、おまえ死にたいのか!」
「そんなわけないじゃない! けど、ここで逃げるわけにはいかないのよ!」
主の危機を救ったサイトの叱責に、ルイズは己の意思を叫ぶことで返した。
危険は百も承知の上で。己の無力も承知の上で。それでもルイズは、敵から逃げようとしない。
魔法が使えないゼロ。そう見下され続けたルイズは、しかし。
「魔法が使えるものを貴族と呼ぶのじゃないわ! 敵に後ろを見せないものを貴族というのよ!」
だからこそ、劣勢だろうが無力だろうが、己の誇りだけは捨てようとしない。
それはとても立派なことだと思うが、今回は相手が悪すぎる――そう言われたところで、ルイズは納得できないのだろう。
誇りとは、己が己である証。他人がどう感じようとも、その誇りを掲げる本人にとっては決して譲れない一線なのだから。
サイトの腕を抜け出して、ルイズは新たに魔法を放つ。
その呪文が起こした爆発は今までのものより一際大きく、ゴーレムを直撃した。
「やった!?」
手ごたえを感じたのか、ルイズがそう叫ぶ。
だが、ゴーレムを包んでいた土埃の中から、ルイズ目掛けて巨大な拳が振り下ろされた。
「ルイズ!」
彼女を庇おうと、サイトが飛び出す。
なんとかルイズの腕を掴んだサイトだったが、回避が間に合わない。
――そう感じた瞬間、私は跳んだ。
比喩でもなんでもなく、魔法の力を利用して、放たれた砲弾のように彼女達の元へ飛び込む。
頭痛を堪えて力づくで魔法を行使したからか、激痛は脳髄だけでなく全身に広がった。
だけど構わない、今はそんなこと構っている暇はない。
サイトとルイズを、ゴーレムの拳が届かない後方まで強引に突き飛ばす。
「――リース!?」
乱入者に気付いたルイズが、私を見て叫ぶ。サイトも驚いた様子で私を見ていた。
その様子を一瞬だけ確認した後、私は杖を構える。
当然、さっきまでルイズ達を潰そうとしていた拳は、彼女達を退避させるために飛び込んだ私に襲い掛かってくる。
回避は既に不可能。受け止めるしか、ない。
「エア・シールド!」
ほとんど無詠唱で空気の障壁を作り出し、ゴーレムの拳を阻むように展開する。
大きな屋敷程の巨躯を持つゴーレムの拳と、1人の人間が生み出す空気の壁。
どう考えても力の差がありすぎる。阻めるはずがない――普通なら。
「くっ……ああああああああ!」
本来なら一枚だけ生み出せる空気の壁を何重にも、何重にも張り巡らせる。
ただの空気の膜は、堅牢な城壁の如き層と化し、人の身には余る凶悪な威力の拳撃と拮抗する。
内側から襲う激痛を噛み殺して、外側から迫る脅威を跳ね返そうとした。
このままなら、いけると思った。実際、空気の層は土の巨拳を押し返し始めてすらいた。
「……ぁ」
――だが、そこで無理がたたった。
呼吸が止まる程の激痛が全身を駆け抜ける。魔法を維持できなくなる。
当然、邪魔する壁が消えた拳は振り下ろされて……私の身体を直撃した。
とっさに、無意識のうちに展開した魔法の障壁で、圧殺だけは避けられた。
だが衝突の勢いは殺しきれない。私の身体は地面を跳ねるように何度もバウンドしながら、ルイズ達を通り過ぎて、さらに長い距離を吹き飛ばされる。
ようやく身体が止まったのは、広場を囲む木々のひとつに叩きつけられてからだった。
「――リース、リース!!」
ルイズ達が駆け寄ってくる足音と、名前を呼ぶ声が聞こえる。
けど、すぐに応えることができなかった。
人間の身体は、そんなに頑丈にできていない。
「……りー、す?」
サイトに抱きかかえられて疾風のような速さでやってきたルイズが、呆然と呟く声が聞こえた。
自分では、自分の姿を見ることはできない。けど、相当ひどい有様になっているだろうことは、なんとなく分かった。
身体から血がたくさん流れているし、骨はたぶん何本か折れている。
他にも色々と被害はあるはずだけど。痛覚が麻痺してしまったようで、もうどこが痛いのか自分でも把握できない。
「おい、リース! しっかりしろよ、なあ!」
サイトが、木の幹に寄りかかって座るような体勢になっている私の両肩を掴みながら、泣きそうな声で呼びかけてきている。
返事をしなくちゃ、と思って口を開ける。ごほ、と血を吐いてしまった。目の前にいるサイトの服にかかってしまう。
「ごめん、サイト。ふく、よごしちゃった」
「そんなのどうだっていい! なあおい、ちょっと待ってろ。いまタバサ達がきて、きっと魔法で治してくれるから! なあ!」
血が足りなくなってきたのか、頭がぼんやりしてくる。
……ここで死んだら、化け物じゃなくて、人として死ねるのかな。
けど、死ぬのは嫌だなぁ。
新作のお菓子も食べたいし、着てみたい洋服もあるし、もうすぐ……ええっと、名前が思い出せないけど、学院で舞踏会もあるはずだ。
やりたいことはたくさんある。なくても、死にたいとは思えない。幸せになりたい。
それに、何より。
「血、たくさん、出ちゃってる。え、えっと、早く、身体の中に、戻さないと……」
「何やってんだよルイズ! ふざけてる場合じゃないだろ!?」
目の前で涙を零しているルイズとサイトを見て、ぼやけていく視界と思考の中で、思う。
「ち、くしょお……よくも、よくもリースを……!
――うおおおおおおおおおお!!」
ともだちが泣いちゃうのは、やだな。
「くっ……タバサ! あなた治癒はできる!?」
ばけものと呼ばれるの、やだけど。
「あの重傷は、私では、無理……っ」
しあわせになれないの、やだけど。
「リース……わ、わたしの、せいだ。わたしが、意地を張って逃げなかったから……。
嫌だよ、リース。お願い、死なないで。リース……い、いやあああああああ!」
ともだちを泣かせちゃうのが、いちばん、やだな。
だから……死ねない。
こんなところで、死ねない――!
そう強く思った、瞬間。
私の中で、何かが。
弾けた。
○
「ち、くしょお……よくも、よくもリースを……!」
心から噴き出す怒りで、少年の身体が震えた。
その心の鳴動に呼応するように、サイトの左手に刻まれたルーンが激しく光り輝いた。
サイトに刻まれたルーンは、伝説の4つの使い魔が一角、“神の盾”ガンダールヴの証。
伝説に曰く。ガンダールヴはあらゆる武器を使いこなし、一にして千を万を悉く打ち払う、神の左手と謳われるに相応しい強き戦士であったという。
「――うおおおおおおおおおお!!」
少年は意志の込められた魔剣を手に、巨人へと突撃する。
己より遙かに巨大な敵。一撃でも喰らえば、自分達を庇って倒れた少女のように、無事では済まないだろう。
それが分かっていようとも、彼は立ち止まらなかった。己の心を震わせながら、疾風のように駆け抜ける。
「いいか相棒、今は難しいことは考えんな! とにかく走って走って走りまくって、思いっきり斬りまくれ!」
魔剣・デルフリンガーが声を発する。
その声が聞こえたかのかどうか。サイトは、大地を踏み砕く程に力強く、眼前の敵目掛けて突き進む。
離れていた距離は一瞬で詰り、剣士の間合いとなる。
「覚悟、しやがれえええええ!!」
誰もが無謀と感じた突撃。だがその印象は、気合の咆哮と共に振るわれた一閃が覆した。
巨人の足元を駆け抜けながら、少年がデルフリンガーでゴーレムの左足を斬る。
一瞬の空白。人間を蟻の如くたやすく踏み潰せる巨大な足が、ゆっくりと剣閃をなぞるように、大きく抉られた。
片足に亀裂が走り、バランスを崩したゴーレムの身体にサイトは素早く飛び乗る。
その巨体を駆け上がりながら魔剣を絶え間なく振るい、ゴーレムの鎧を次々と斬り捨てていく。
どれだけ魔法をぶつけられても傷一つ刻まれなかった頑丈な装甲が、少年の剣に込められた憤怒に耐えかねるように、削られていった。
だが、それでもゴーレムは壊れない。
少年が渾身の剣技で削った装甲は、すぐさま再生を繰り返していく。
神がかりな猛攻も、無駄だと言うかのように。
「くっ、そお……! こんだけやってもだめなのか!?
おれは……友達の仇も、とれねえのかよぉ!!」
ゴーレムが身体を振り回す。その動きに、しがみついていられなくなり、サイトは振り落とされてしまった。
ルーンの効果で強化された肉体は、高所からの落下の勢いを上手く受け流し、着地することに成功する。
だが、衝撃を流すことに専念せざるを得なかったサイトは、着地直後はすぐに動き出せなかった。
その僅かな隙に狙いをつけていたかのように迫る、ゴーレムの拳。
先程、リースを跳ね飛ばしたものと同じ、人の身では受け切れない重すぎる一撃が目前に迫っていた。
「ちっくしょおおおおお!!」
恐怖と、怒りと、悔しさに、サイトはたまらず叫ぶ。
――その叫びに応えるかのように、少年の前に人影が躍り出た。
「……!?」
サイトを押し潰そうとしたゴーレムの拳が、少年を庇うように現れた人影が空中に生み出した魔法陣と正面からぶつかる。
圧倒的な腕力で繰り出された拳骨は、それを凌駕する豪力を叩きつけられたように、轟音を伴う凄まじい衝撃によって跳ね返された。
その現象を起こした人影が、背を向けたままサイトをちらりと一瞥した。その横顔で、相手が誰なのかを理解したサイトが、喜びと戸惑いの混じった声で、その名前を叫ぶ。
「リ……リース! おまえ、無事だったのか!!」
だが少女はその声に応えることなく、攻撃を防がれて体勢を崩したゴーレムを追撃しようとするように、空中を魔法の力で駆けた。
リースは、深紅の魔力光を全身に帯びて、残像すら見える程の速さで飛翔する。先程まで瀕死の重傷を負っていたとは思えない、激しく力強い動きだった。
ゴーレムの上空に一瞬で移動したリースは、“フライ”を維持して超高速の空中機動でゴーレムを翻弄しながら、魔法の光弾を連射していく。
次々と放たれる魔法の弾丸は、そのほとんどがゴーレムへと命中。そのひとつひとつが凄まじい威力なのだろうか、ゴーレムの巨体が衝撃に揺らいだ。
だが、それでも破壊しきれない。巨人が体勢を崩して大地に倒れこむが、まだ起き上がろうとしている。
その様子を無表情に眺めていたリースが、杖を一振りする。すると、タバサ達の持っていた破壊の杖が光に包まれた。
タバサ達が驚愕した次の瞬間、サイトの目の前に光が現れて、破壊の杖が現れる。
とっさにそれを掴み取ったサイトの脳内に、その“杖”の扱い方の情報が次々と流れ込んできた。
「これを使えってことか……おし、ちょっと待ってろ!」
リースの意思を感じて、サイトは脳内に浮かぶ手順を素早く行い、破壊の杖と呼ばれた兵器――サイトの世界でロケットランチャーと呼ばれる武器を、使用可能な状態にする。
そしてゴーレムに標準を合わせて、引き金に手を添える。いつでも発射できる状態だ。
「リース、準備OKだ! 退避してくれ!」
サイトの合図に反応して、リースは赤い光の尾を残しながら凄まじい速度で安全圏へ離脱する。
それを確認して、サイトは迷わず引き金を引いた。
「くらいやがれ、このやろおおおおお!」
発射されたロケットは、ゴーレムの胸部に直撃。
桁違いの爆発と衝撃を巻き起こし、ずっと昔に異世界より呼び寄せられた科学兵器は、魔法の巨兵を粉々に破壊した。
「……やった。やったわ! すごいわ、一発で倒しちゃうなんて!」
「あれが、破壊の杖の威力……」
キュルケが、崩壊していくゴーレムを見て興奮したように騒ぐ。
タバサは目の前で放たれた脅威の一撃に、表情こそ変わらないものの驚いた様子で、「すごい」と呟いた。
「リース、やったぜ! 俺達の勝ちだ!!」
破壊の杖を掲げて、サイトは勝利を宣言する。
それを見て安心したのだろうか……力強く輝いていた魔力光が消えて、リースは力尽きたように意識を失い、空中から落下し始めた。
慌てて破壊の杖を放り出し、彼女の落下しそうな地点に駆け出したサイトだったが、シルフィードに乗っていたタバサ達がすぐにリースへ接近。
“レビテーション”の魔法で落下の勢いをなくして、リースの身体を優しく受け止めた。
「リースの様子は!?」
ゆっくり地面へと降りてきたシルフィードの傍へ走り、サイトはタバサ達に尋ねた。
「気絶してるけど、呼吸は安定してるわ。信じられないけど、あれだけの怪我もだいぶ回復してるみたいね。自力で治したのかしら……」
「学院に戻ったら医務室へ。要安静。けど、きっと大丈夫」
リースの命に別状はないらしいことを知り、サイトは気が抜けたように地面に座り込む。
「よ……よかったぁ」
「……リース。ごめん、ごめんなさい。
私のせいで、こんなひどい目にあわせて……ほんとうに、ごめん、なさい……っ」
自力で駆け寄ってきたルイズが、眠るように瞳を閉じているリースの手を取って、涙を流しながら謝罪の言葉を何度も呟いていた。
そんな彼女達の元へ、近づいてくる女性がいた。見張り役を担当していたはずの、ミス・ロングビルだ。
「ミス・ロングビル! フーケのゴーレムは倒しました、けどリースが大怪我を……!」
「ええ。ご苦労様」
ルイズの言葉に短く返答して、ロングビルは……サイトが先程放り出した破壊の杖を、ルイズ達に向けて構えた。
「ミス・ロングビル!? いったい何の真似ですか!?」
「おっと、動くんじゃないよ。全員杖を捨てな! そっちの坊やは剣をだよ!」
先程、破壊の杖の威力を目の当たりにしたルイズ達は、その照準を向けられて言うことを聞くしかなかった。
だが、サイトだけが武器を捨てずにいる。彼は、破壊の杖が単発式の兵器であり、既にただの筒となっていることを知っているのだ。
「ほら、さっさとしな! まとめてくたばりたいのかい!」
「うるせえよ……! 土くれのフーケ!!」
サイトがいち早く、相手の正体に気付いて、怒りを隠さずに叫ぶ。
「ミス・ロングビルがフーケですって!? そ、そんな……」
「見張り役のはずだったのに、さっき戦いの場にいなかった。破壊の杖を持って俺達を脅してる……間違いねえだろ!」
「そうさ。賢いじゃないか、坊や。気付くのが遅かったようだけどね!」
自分が絶対的優位に立っていると確信しているフーケが、それが過ちだと気付かないまま、破壊の杖だった物の引き金に手を添える。
ルイズ達が怯むが、サイトは逆に一歩、フーケへと近づく。
「勇敢な坊やだねぇ。けど、あと一歩でも近づいたら問答無用で」
フーケの脅し文句を蹴散らすように、さらに一歩。
さすがにフーケも、まったく怯えていない様子のサイトに困惑した。
「あ、あんた、死ぬのが怖くないのかい!?」
「死ぬのは怖えよ。けど、てめえはちっとも怖くねえ!
それよりも答えろよ……なんでこんな真似をしやがった!」
じりじりと間合いを詰めながら、サイトは目の前の女性に問いかけた。
「……は。いいさ、冥土の土産に教えてやる。
破壊の杖を盗んだまではいいが、使い方が分からなくてね。
一芝居打って、こいつの扱い方を誰かに見せてもらおうと思ったのさ。
学院の教師共は腰抜けばかりで、こんなガキ共しか釣れなかった時はどうしたもんかと思ったが……坊や、あんたのおかげで助かったよ」
「俺達が誰も、破壊の杖を使えなかったら、どうするつもりだったんだ」
「あんたらを殺して、次の奴を誘い出していたさ。何度もやれば、そのうち使える奴に当たるだろうってね」
自分達を殺すつもりだった、と得意げに話すフーケに、サイトの怒りが爆発した。
「ざけんじゃねえぞ! てめえ、人の命を何だと思ってやがる!」
「命なんて軽いもんさ。くだらないことで簡単に消えちまう。
坊や、知ってるかい? 世の中にはね、一銭の得にもならないのに人を殺せちまう奴が、割といるんだよ!」
一向に立ち止まる気配のないサイトに業を煮やしたのか。フーケが破壊の杖の引き金を引く。
だが当然、弾切れのロケットランチャーは、カチッという音を出しただけで、もう兵器としては機能しなかった。
「な、何故だ!? さっきはたしかに、これで……!」
「……俺もひとつ、教えてやる」
狼狽するフーケの懐に素早く飛び込み、サイトはデルフリンガーの柄をフーケの鳩尾に叩き込む。
「そいつは単発式だ。もう、ただの空っぽの筒だよ」
「ぐっ……そ、んな。こんな、ところで……」
どさ、と。意識を刈り取られたフーケが地面に倒れる。
戦闘の緊張から解放されて、サイトは溜めていた息を吐き出し、ルイズ達を振り返った。
「誰か縄とか持ってないか? こいつ動けないように縛って、さっさと帰ろうぜ。リースを治療してやらないと」
「たしかあのボロ小屋に縄があったはずよ。取ってくるわ、ダーリン!」
キュルケが急いで、屋根が吹き飛ばされた小屋へと駆け出す。
タバサは「念のため」と魔法を唱えて、風のロープでフーケを拘束する。
戦闘で精神力を消費していることもあり長時間は維持できないので、縄が届くまでの臨時的な処置だが、何も対処しないより遙かに安全だ。
しばらくしてキュルケが戻り、フーケを拘束し終わる。
全員でシルフィードに乗って、停めている馬車まで急いで戻ることにした。
「……」
「ルイズ、どうしたんだ?」
シルフィードで移動中。さっきから何も喋らないルイズに、サイトは声をかけた。
だが反応がなく、しばらく声をかけ続けてようやく「へ? な、なによ」とサイトのことに気付いたように、返事をする。
やはり、いつもの元気はないように感じられた。
「いや、なんかずっと黙ってるからよ……もしかして、どっか怪我したのか」
「……違うわよ」
暗い声でルイズは呟くように言って、眠り続けるリースに視線を向けた。
リースは今、シルフィードから落ちないようにキュルケに支えられて、タバサの魔法による治療を受けている。
水の秘薬など、本格的な治療を行うには道具が足りないため、あくまで応急処置にしかならない。
だが、それでもリースの寝顔は先程までより穏やかになったようだ。
「私はずっと、逃げ出さないことが、どんな敵が相手でも背を向けずに戦うことが貴族だと思ってた。今でもそう、信じてる。
けど、今回私のせいでリースが……友達が、死にそうになって。なのに私は何もできなくて……私って何なんだろうって」
己の無力を悔いて、ルイズが自分の手をぎゅうっと握り締める。
いつになく落ち込んだ様子のルイズに、サイトはからかうことはせず、彼女の言葉を聞いた。
「魔法もろくに使えなくて、戦うこともできなくて、友達を危険な目に合わせて……私、こんなに自分が嫌いになったの、初めてよ」
「……そんな風に自分を追い詰めても、リースは喜ばねえよ」
どう言えばルイズを元気付けられるのか分からなくて、どこかで聞いたようなありふれた台詞を呟くしか、なかった。
「私、強くなりたい。せめて、友達をちゃんと守れるぐらいには、強くなりたいわ」
「それは俺も同じだ」
強くなりたい。その気持ちは、確かにサイトの心に芽生えていた。
気の利いた言葉は言えなくても、それだけは、はっきりと言える。
サイトはリースにそっと近づいて、その手を握り締める。
小さな手だった。柔らかくて、小さな、普通の少女の手だった。
その手で、彼女は自分達の危機を身を挺して救ってくれたのだ。
それを思うと、サイトの胸中には、恋心とも、いわゆる『萌え』とも違う、愛おしさのような気持ちが生まれた。
この少女を守りたい。恋人にしたいとかそんなのじゃなくて、目の前で眠る優しい少女が幸せでいられるように、守ってやりたい。
「リース。俺、絶対に強くなる。なってみせる。
おまえをこんな目に遭わせようとする連中、みんなまとめてぶっ飛ばせるぐらい強くなる。
そして……おまえがちゃんと笑っていられるように、守ってみせるよ」
「……私もよ、リース」
サイトの宣言に、同意を示して、ルイズも己の使い魔と共に、リースの手を握り締める。
「私、ゼロのままでもいい。馬鹿にされても、なんとか我慢するように努力する。
魔法が使えなくってもあなたを守れるぐらいに、もっともっと頑張って、強く、賢くなってみせるわ」
2人の誓いの言葉が、眠り続ける少女に届いたのかは分からない。
ただ、人の手の温もりに安堵を覚える幼い子供のように、リースの寝顔には安らかな微笑みが浮かんでいた。
(……さっきの戦闘。ありえないことだらけだった)
治癒の魔法を行使しながら、タバサは目の前の少女、リースについて考察する。
基本的に、“フライ”を維持しながら他の魔法を使うことはできない。
そもそも、複数の魔法を同時に扱うことは……少なくともタバサの知識の中では、どんな高い実力を持つメイジにも行えないはずだ。天才と褒め称えられていた父親でも、例外ではなかったはず。
だが、先程の戦闘でリース・ド・リロワーズは、明らかにその法則を無視した魔法行使を扱えていた。しかも、尋常ではない精度と威力で。
身体が赤く発光していたことといい、普通ではないことが多すぎる。
そもそもリースは、遠目に見ても分かる程にひどい、瀕死の重傷を負っていたはずだ。普通なら、動けるはずがない。
今も治療が必要な状態ではあるものの、ゴーレムに殴り飛ばされた時と比べれば、明らかに回復していた。
あの時、傍にいたルイズは治癒の魔法は使えないはずだ。タバサとキュルケは距離が離れていた。サイトはメイジではないし、ゴーレムと戦闘していた。
ならば残る可能性は、リース本人が治癒の魔法を自分にかけて回復した、ということになるが……あれほどの傷を水の秘薬もなしに、一瞬でここまで回復させるなんて、水のスクウェアメイジでも可能かどうか分からない。
(彼女は、何者なのか)
学院での彼女の噂は、タバサも聞いたことがある。
リースは普通の、風のトライアングルメイジだったはずだ。
フーケのゴーレムとの戦闘時のような、常識を覆す魔法技術なんて、最高クラスであるスクウェアメイジでも可能だとは思えない。
(実力を隠していた?
それとも、私の“あの時”のように、感情の昂ぶりが魔法の力を強化した?)
疑問はつきない。情報が足りなすぎる。
気になる点はたくさんあって、今すぐにでも答えを得たい。
だが、今は当の本人が気絶しており、問いただすことは不可能だった。
それに、リースに誓いを立てている2人程ではないが、タバサもリースのことを心配していた。
別に友情や絆を感じることのない間柄だが、短い間とはいえ共に戦った仲間が倒れて何も思わずにいられる程、タバサの精神は凍りついていない。
(まずは、治療と回復が最優先。話は、落ち着いてから)
疑問はひとまず置いておき、タバサは魔法による応急処置を続ける。
「ねえ、タバサ。さっきの戦闘だけど……いえ、今はやっぱりいいわ」
「ん。まずは、治療」
リースの身体を支えるキュルケもまた、先程のことに疑問を感じているようだ。
だが今は優先すべきことではない、と感じたのだろう。詳しい考察は後回しにして、キュルケもリースの身体を支えることに専念している。
馬車が近づいてくる。
心に芽生えた疑問の回答には、どのぐらい近づけるのだろうか。
そもそもそれは、近づいてもいい謎なのか――。
分からないことだらけの帰り道は、まだまだ続きそうだった。