失敗を繰り返した果てに、ようやく使い魔の召喚と契約を成功したルイズ。
だが、彼女はとても不機嫌だった。
「うおお!? まじで、まじであいつら空、飛んでる? ワイヤーとかCGとかじゃなくて!?」
「ああもう、うっさいわねえ! 魔法だって言ってるでしょう!?」
ルイズの使い魔として現れたのは、ただの平民……それも、屈強な兵士でも何でもない、自分と歳の近そうな、少し変わった格好をして妙なことを口走るだけの少年だった。
しかも身分の低い平民で使い魔のくせに、貴族であり主であるルイズに、無礼な振る舞いをするのである。
改めて脳内で情報を確認しても、目の前の少年を快く思えるポイントが見つからず、ルイズは深々と溜め息をつく。
普通、使い魔として呼び出されるものは、ゲートを潜る時点で召喚されることに同意したものと考えられている。
例え呼び出されたのが人間という、他では聞いたこともないような事態でも、この平民……平賀才人と名乗った少年は、ルイズの召喚に同意して、使い魔として契約するためにゲートを潜ってきたはずだ。
なのに、まったく使い魔らしくない。
言うことを聞かない、魔法を知らないとか妙なことを言い出す、貴族に対する礼儀がなっていない……などなど。
今もルイズの批難の声など聞く耳持たず、学院の校舎に向かって空を飛ぶ生徒達を見て、何やら興奮と困惑の入り混じった様子で叫んでいる。
これが私の使い魔? 生涯のパートナー? 冗談じゃないわ!
未だ空飛ぶ人の群れを見て何やら呟いている(叫ばれるよりマシだけど、耳障りなこと変わりはない)少年を自分の使い魔と認めたくなくて、視線を逸らす。
と、何気なく向けた視線の先に、1人の少女がこちらに背を向けて屈みこんでいるのを見つけた。
「……? ちょっとあなた、みんなもう行っちゃったわよ?」
何かトラブルでもあったのかと、声を掛けてみる。
こういう時に対応するべき引率の教師(今回はコルベール先生が担当していた)が既に帰ってしまっているため、自分が声をかけるしかなかった。
自分のことを馬鹿にしてくるクラスメイト達は大嫌いだが、ルイズは他人が困っているのを放っておけるような性格ではない。
なので自分にできることなら手助けをしなければ、と思っていたのだが、反応がない。
無視されてちょっとむかついたルイズだが、もしかしたら返事できない程に体調が悪いのかもしれないと思い直して、屈んだ少女の傍に歩み寄ってみる。
すると、彼女の呟くような声が聞こえてきた。
「ほーらこんなのはどう、ねこちゃーん」
「うにゃ、うにゃにゃ!」
「か、可愛い……ああねこちゃん、君はなんでそんなにねこなんだい!?」
どうやらトラブルなのは、彼女の頭の中らしい。
少女の足元には1匹の黒猫がいた。
黒猫は、少女が手に持って振り回しているエノコログサの先端を夢中になって追い掛け回している。そんな黒猫に少女は夢中になっている。
おそらくは先程の儀式で呼び出した使い魔に、周囲の様子が分からないぐらいに夢中になっているのだろう。
はいはい可愛いねこちゃんを使い魔に呼べてよかったわねわたしのと変えろやこんちくしょう、といらついたルイズだったが、猫まっしぐらな少女が誰なのか分かると、意外な人物すぎて呟かずにはいられなかった。
「あ、あなたがそんな風になるなんて、とんでもなく珍しいんじゃない? リース・ド・リロワーズ」
「……ふぇ?」
少女、リースはようやくルイズに気が付いた様子で、しかしまだ夢心地なとろけた顔で振り返る。
「こ、これはルイズ様。本日はお日柄もよく……」
そして相手が公爵令嬢であるルイズだと知ると、慌てた様子で立ち上がって佇まいを整えて、丁寧な応対をしようとする。
もっとも、そういう話し方に慣れていないからか、それともまだ頭の中が猫でいっぱいなのか、変な挨拶になっていたが。
リースの言葉を遮って、ルイズは自分から話を振ることにする。
「そういうのいいわよ。2年からはクラスメイトじゃない」
「そ、それは……そうですが」
「はい、敬語禁止。ただし馬鹿にしたら怒るから、それだけ注意して」
「……分かりまし、いえ、分かったよ。ルイズ」
素直に態度を改めた少女に、ルイズは「うん、それでよし」内心で頷く。
それにしても……先程までの光景は、実際に目にした今でも信じられないことだった、とルイズは思った。
リース・ド・リロワーズは、物静か……を通り越して根暗と言われるような少女である。
肩辺りまで伸びて、風に揺られて踊っている、上質の絹のようにきめ細やかな金色の髪。
少し小柄だが、均整のとれた身体。
いつものように細められている目付きは、大人びた冷静さを感じさせる。
同性のルイズから見ても世辞抜きに美少女と呼べる外見をしているリース。
だが、その美貌を台無しにしてしまうぐらい、暗い雰囲気をいつも纏っていた。
1年生の頃は別のクラスで、廊下や食堂ですれ違って軽く挨拶をする程度しか接点がなかったルイズですら「ああ、この子何か近づきにくいな」と感じた程である。
周囲の輪に馴染めない子、というのは別にこの学院でも珍しくなかったが、リースのそれは普通以上らしい。
近寄りがたい雰囲気をいつも纏い、かといって周囲に敵意を剥き出しにするわけでもなく、輪から離れて1人でぼんやりしていることがほとんど。
頑張って仲良くなろうとした勇者が近寄ろうとしても、会話が成立しようが微笑みを浮かべられようが、見えない風の膜に阻まれるように、心の距離を縮められなかった……という噂があるぐらいだ。
そんな話もあってか、ついた二つ名が“鉄風”のリース。
風のトライアングルメイジである彼女の心は、他者を拒む鉄の風で覆われている――なんて、誰が言い出したことなのやら。
そんな彼女が、猫に夢中になって「なんでそんなにねこなんだい!?」である。
気にするな、というのは、あまりに無理があるというものだろう。
「その猫があなたの使い魔? 可愛いじゃない」
「う、うん。ありがとう」
「それと、普段からさっきみたいに笑ってた方が、良いと思うわよ? とても素敵だったわ、あの笑顔」
「う……い、いつから、見てた、の?」
「えーと、『なんでそんなにねこなんだい!?』のちょっと前ぐらいから」
「う、うぁぅあ……は、恥ずかしい。さっきのは忘れて、頼むから」
そう言って、真っ赤になった顔を両手で隠すように覆うリース。
……む。
なんか、こう。そういう反応されると。
もうちょっと見てみたいな、なんて。ルイズは思ってしまいました。
「……『なんでそんなにねこなんだい!?』」
「うぁ」
「……! 『なんでそんなにねこなんだい!?』」
「や、やめてよ、ルイズ……」
「うふ、うふふふ。 『なんでそんなにねこなんだい!?』」
「う、うぅぅ……!」
ルイズは自分でも気付かぬうちに、淑女とは程遠い、にやにやとした笑みを浮かべていた。
な、なんだか、楽しくなってきちゃったかも……!
「……何やってんの、おまえら」
何よ、邪魔しないでよ。今とっても楽しい――って。
「ちょ、ちょっとあんた! なにじろじろ見てんのよ!?」
いつの間にか近づいてきたのか、才人が呆れた表情で2人をじーっと見ていた。
「いやそりゃあ気になるだろ、近くでそんな奇妙な台詞を連呼されたら」
「き、奇妙な台詞……」
ルイズに弄られるよりも、才人の冷静な言葉の方がきつかったのか、リースががっくりと項垂れる。
「ああもう、あんたのせいでリースが落ち込んじゃったじゃない! 謝りなさいよ!」
「はぁ? どう考えたってお前のせいだろ! おまえこそ謝れよ!」
「何よ、平民のくせにその態度は!」
「貴族とか知ったことじゃねえけど、今は身分とか関係ねえだろ!」
ぎゃーぎゃーわーわー、と運命の主従は言い争い、チート少女は膝を抱えて蹲る。
そして、自分の主が落ち込んでいるのを察した使い魔の黒猫が、主を慰めようとするかのように寄り添っていた。
二つに分かれた尻尾を、ゆらゆらと揺らしながら。
○
「……疲れた」
女子学院寮の自室に戻った私は、使い魔の黒猫をゆっくりと床に降ろして、食堂で用意してもらった餌とミルクを床に置いた。
制服から寝巻きに着替えながら、今日のことを思い出す。
あれから、ルイズとサイトの主従といっしょに学院まで戻ってきたのだが、相性が悪いらしい二人はずっと喧嘩をしていた。
自分は話術に優れておらず、醜態を見られたショックも抜け切っていなかったので、上手く仲裁できるわけがなくて、自然に治まるのを待つしかなかった。
結局2人の喧嘩が終わることはなく、学院到着後に彼女達と別れても、まだ喧嘩している声が遠くから聞こえた程だった。
人間を使い魔にするなんて聞いたことがないけれど、あの2人は今後上手くやっていけるのだろうか。
少し不安だけど、私には他人の仲を取り持つなんてできそうにないので、見守るぐらいしかできそうにない。
他人のことを心配するよりも、私はまず自分のことをなんとかしなければ。
足元で夕食を食べている使い魔を眺める。
尻尾が二つに分かれていること以外は普通の、毛並みの綺麗な黒猫だった。
私が、召喚した黒猫に夢中になっていたのは、可愛いからという理由だけじゃない。
どんな化け物が飛び出してくるのかと気を張っていた私の元に現れたのは、可愛らしい黒猫だった。
こんな外見は見せ掛けのもので、実は中身は――なんて不安も、自分で“ディテクトマジック”の魔法で念入りに調べた結果、少なくとも危険な存在ではなさそうだと思えた。多少魔力を持っているようだったが、猫は微弱ながらも魔力を持っていることがある生き物だと考えられている、と何かの本で読んだことがあるので、気にする程でもないと判断した。
不安と緊張から解放されて、目の前には自分に甘えてくる可愛い猫……それで少し、ハイテンションになってしまったようだ。
思い出しても恥ずかしい。明日からルイズとサイトにからかわれないだろうか……。
着替え終えてベットに腰掛け、明日からのことを考えて憂鬱になっていると、ご飯を食べ終えたらしい黒猫が、私の膝の上に器用に飛び乗ってきた。
「ベ、ベットに毛が……いや、まあ、いいか。今日はいっしょに寝ようか」
「にゃ」
甘えて擦り寄ってくる黒猫の可愛さに負けて、「明日この部屋掃除するメイドさんごめん」と呟いて、猫といっしょにベットに寝転がる。
「君の名前、まだ決めてなかったね……何がいいかな」
「にゃう?」
仰向けに寝転がった私の胸の上で丸まった黒猫の頭を撫でながら、使い魔の名前を考える。
と、かなり疲れが溜まっていたのか、一気に眠気がやってきた。
まどろみの中で、幸せそうな猫の顔を見ながら、私も幸せな気持ちでいっぱいになる。
この幸せな気持ちを、いつまでも忘れたくないと思った。
だから、今からつける名前に、ちゃんとした意味を込めたくて、頭の中から言葉を探した。
「……ブリス。君の名前は、ブリス。どうかな」
ブリス――幸福、至福という意味を持つ言葉、だったはずだ。
その名前を呟くと、黒猫は「気にいった」と答えるかのように一声鳴いて、ゆっくりと目を閉じた。
「明日から、よろしくね……ブリス」
これからのパートナーの名前を呼びながら、私も目を閉じる。
今日は、久々に良い夢を見られるような……気がした。
平穏に生きたいと願う少女と、幸福を意味する言葉を名付けられた黒猫。
幸せそうに眠る主従を、夜空に浮かぶ二つの月が優しく照らしていた。
つかの間の平穏を、過酷な運命の奔流から守ろうとするかのように。