「サイト、大丈夫? 疲れてない?」
タルブの村からゼロ戦を持ち帰った私達は、学園での日々を過ごしていた。
過ぎていく日々の中でゼロ戦のことを知っているらしいサイトと、ゼロ戦を見た瞬間から興奮が収まらない様子のコルベール先生が修理を行っている。
ゼロ戦にとても懐かしさを覚える私だけど、構造について詳しくはないし、下手に関わって壊してしまっては大変なので、休み時間の合間に様子を見に行くだけにしている。
「全然平気だぜ。リースこそ、休み時間のたびに来て大丈夫か?」
「うん。無理はしてないよ。差し入れ、ここに置いておくね」
手作りのクッキーを入れた袋を空いている机の上に置く。
「おー、いつもサンキュ。一段落したら先生といっしょにいただくよ」
「うん。……そろそろ授業だから、もう行くね」
「ああ、じゃあまたな」
再びゼロ戦の修理に戻るサイトに手を振って、修理場を後にする。
ドアを開けて外に出ると、いつものようにルイズが待っていた。
最初の頃はいっしょに修理場を見ていたのだけど、ルイズに大切な用事ができたため最近はそちらを優先しているらしい。
今もまた、手に持った本を睨みながら、何やら考えているようだった。
「お待たせ。調子はどう?」
「ひ、火は熱いので気をつけること……とか」
「……結婚式でいうことでは、ないかな」
ルイズがいま悩みながら取り組んでいるのは、アンリエッタ王女様の結婚式で読み上げるための、火・水・土・風への感謝を示す詔の作成だ。
姫様直々に頼まれたとのことで張り切っているようだけど、難航しているようだ。
私自身そういった詩的なものを考えるのは得意ではないため、アドバイスできずにいる。
「もう授業だし、また後で考えるわ」
「うん、いこっか」
二人で並んで、教室へと向かって歩く。
つい最近まではこんな風に、友達と穏やかな日々を過ごせるとは思っていなかった。
シエスタとは一年の時に、彼女を事故から庇ったことで友人になれたけど、貴族と平民という間柄とシエスタの日々の仕事の忙しさもあって、あまり頻繁に会えるわけではなかった。
だからルイズ達と友人として長い時間を共に過ごせることは、とても嬉しく思う。
あの強烈な頭痛と共に見える未来視もここ数日は起こっていない。
アルビオンとの戦争も、不可侵条約が結ばれると噂に聞いた。
まだ私自身の問題は何も解決できていないのだけど、それでも穏やかに過ぎていく時間は心を癒してくれる。
「リース、なんだか嬉しそうね。良いことでもあった?」
「うん。ルイズ達といっしょに過ごせて、私は幸せだなあって」
「……ふふ、そうね。色々大変なことはあったけど、いまは平和で幸せね」
優しい風が頬を撫でていく。
この平穏な日々がいつまでも続きますように、と心の中で始祖ブリミル様に祈った。
――タルブの村に残ったシエスタも、家族と共に過ごす休暇を楽しんでいるだろうか。
○
ある朝、突然に通達された禁足令に学園内は混乱に包まれた。
禁足令の理由が、アルビオンとの開戦だったからだ。
不可侵条約が結ばれるはずではなかったのか? ゲルマニアとの同盟は? トリステインはどうなる――。
迫る戦乱の気配に不安と動揺でざわめく学園の人々を余所に、私は。
「……ルイズもサイトも、どこいったんだろう」
朝から姿の見えない友達の姿を探していた。
使い魔のため授業に参加する義務はないサイトはともかく、ルイズは黙って授業をさぼるようなことをしないはずだ。
体調を崩しているのかと思い、授業の合間に様子を見に行ったけど、部屋にはいない様子だった。
ゼロ戦の修理場にも行ってみたけど、誰もいない。
それどころか、ゼロ戦がない。
あれだけ大きな物体なのに、忽然と消えてしまっていた。
「いったい、どうして……」
いつも傍にいた友達がどこにも見当たらないことに寂しさを感じながら、呟く。
――その時、突然の苦痛と共に『未来視』が始まった。
穏やかな風が吹く、美しい草原。
騒乱とは無縁だったその光景を、空を埋め尽くす竜騎士の軍勢が踏み躙る。
放たれる竜の火炎の息が、家を、土地を、草原を、村を焼いていく。
戦う術を持たない村人達は逃げ惑うことしかできない。
そんな村人の中には、大切な友達の少女……シエスタの、姿が――。
「シエ、スタ……ッ!」
脳髄を走る痛みを無理やり耐えて、フライの魔法で空に飛び上がる。
タルブの村が襲撃される正確な日時は分からないが、『未来視』の中で空は明るかったことから朝、もしくは昼間だと思う。
「お願い、お願いだから、間に合って!」
全力で空を駆け抜ける。
今はただ、間に合うことを祈りながら、タルブの村へ急ぐことしかできなかった。
○
タルブの村が見えてくる。
――家々が焼かれ、煙が吹き上がり、無残に荒らされたタルブの村が。
「……そ、んな」
間に合わなかったという事実を思い知らされて、ふらふらと眩暈がする。
フライを維持することも困難になり、墜落する前になんとか地面に着地した。
木々が、家々が、土地が焦げる臭いと、誰かの悲鳴。そして……どこからか死臭も、漂ってくる。
(まだ、まだシエスタが死んだと決まったわけじゃ……探しに、いかないと)
そうは思うものの、恐怖で足がすくむ。
もしも、探した先でシエスタの死体を見つけたら……そう考えるだけで、呼吸が乱れる。
シエスタだけじゃない。以前タルブの村に遊びに来たときに、親切にしてくれたシエスタの家族、そして村の人々。
そんな見知った人達の死体を見つけてしまえば――早く駆けつけていれば防げたかも、と思える事態の痕跡を見つけたら、私はもう耐えられない。
動き出せずにいる私を責める様に、また『未来視』の光景が脳裏を駆け巡る。
大空を舞うように飛翔する、竜の羽衣。
それを駆るは黒髪の少年、サイト。
彼が操る竜の羽衣は自在に戦場の空を飛び、その胴体から放たれる銃弾は、最強と謡われた竜騎士達を次々と撃ち落していく。
やがて彼の前に立ちはだかるのは、周囲に数多の僚艦を引き連れた巨大戦艦・レキシントン号。
幾数もの竜騎士を倒してのけた少年も、その圧倒的な脅威を前に成す術もなく逃げ回る。
だがその時、少年の傍らにいた少女ルイズが手に持つ始祖の祈祷書と、水のルビーが眩い輝きを放つ。
そうして彼女が祈祷書に浮かび上がった光り輝く呪文を読み上げると、後に奇跡の光と謡われることになる巨大な極光が――。
カッ、と。世界が瞬くのを感じた瞬間、凄まじい爆発音が大気を振るわせた。
あまりに激しいその轟音に『未来視』が乱れ、現実に意識が帰ってきた。
見れば、大空に聳えていた巨大な戦艦と、その周囲の僚艦達が墜落を始めていた。
そして――それを見届けるように空を舞う竜の羽衣の姿も、はっきりと見えた。
少女の祈りが込められた極光は、一人の死者を出すこともなく敵を無力化させて、戦いを終わらせた。
少なくともこの場における戦火の拡大を止められたことを、喜び合う少年と少女。
そして、そんな彼らの駆る竜の羽衣を、地上から村人の少女、シエスタが見つめていた――。
途絶えていた『未来視』が、再び脳裏に浮かんで、今度こそ消えた。
いや、『未来視』と呼べるのかどうか分からない。今まさに、目の前で起こったことなのだから。
探していたサイトとルイズ、竜の羽衣の居場所も分かり、シエスタもおそらくは無事だと知って、安堵する。
……安堵する、それだけでいいはずなのに。私は、余計なことを、考えてしまう。
(未来視は、私が介入しなければ悲惨な結末になると思って、これまで戦ってきた)
ずっと隠していた力を知られることになっても、それでも、ようやくできた友達を守るためなら――と。
だけど、私が何もできなくても……しなくても、サイトとルイズは、苦難を乗り越えた。
だったら、私のしてきたことって、何の意味もなかったのでは――そんな、無力感。
そして、ルイズが目覚めた系統――伝説の、虚無の属性。
それは普通ではない力。圧倒的な力。世界を変えてしまえるほどの、普通ではない力。
きっとルイズは、その普通ではない力に振り回されていくことになる。
彼女が今後、とても苦しむことになることを予見しながら――。
「やっと……『普通』ではないことの苦しみを分かり合える相手ができた、だなんて」
そんなことに喜びを感じてしまうことを抑えきれない私は、どこまで、歪んでしまっているのだろう。
化け物の力で介入しても、運命を変えられていたわけではなく。ただ、決められていたように物語が進んでいただけで。
困難に襲われる友人を、支えるのでも、救うのでもなく。
――早く自分のように『普通』でないことの苦しみを知ってほしい、この苦しみを分かち合ってほしい。
そんな身勝手でひどく最低なことを、少しでも願ってしまうなんて。
「……こんな私なんて、いないほうが、よかったんじゃないのかな」
大空を舞う友人と、彼らがもたらした勝利に歓喜する人々の気配を感じながら。
私は自分自身の本質の、あまりにも醜さに、打ちのめされていた。
○
私は、タルブの村で救援活動を主に治癒魔法で手伝った後、サイト達に会わずに帰ることにした。
合わせる顔なんて、なかった。
タルブでの救援活動も、魔法で作り出したローブで全身を隠して、身分を名乗らないまま手当たり次第に治療して回っただけだ。
普通貴族が平民に無償で治癒魔法を使うことはないそうで、とても感謝されたけど、それを素直に受け取れる気分ではなかった私は軽い会釈だけをして立ち去った。
治癒をして回る途中、シエスタにも会えた。フードを深々と被り、声を魔法で変えたため私の正体はばれていないと思う。
シエスタの無事をこの目で確認できたことで安心できた。けれど先程の自身が抱いた醜い感情の罪悪感で、彼女の顔をしっかり見ることができなかった。
タルブの村での戦乱から、数日が経った。
トリステインは奇跡の戦勝に沸き、近々戦勝記念のパレードが行われるらしい。
だけど、私の気分は晴れない。
どうしても、あの時感じてしまった黒い歓喜を、その罪悪感を、拭い去れない。
だから……ルイズが私の部屋を訪ねてきた時、とても心がざわめいた。
最初はなんとか、取りとめもない話題をなんとか繋げていたと思う。
だけど彼女が。
「リース。わたしね……虚無の担い手だったの、信じられる!?」
嬉しそうにそう言って。
「タルブの村で奇跡の光を起こしたのは私なのよ、私、ゼロじゃなかったの!」
まるで宝物を手に入れたように無邪気に喜ぶ彼女を見て。
「……これからは、リースのこと守ってあげられる。もう、あなたを苦しめさせたりなんて、誰にもさせないんだから」
私の中で、ナニカが。
「もう私はゼロじゃない! 『普通』でもない、伝説の虚無の担い手なんだから!」
はじけた。
「……なんで、そんなに喜んでるのさ」
自分でも驚くほど、怖い声が響いた。
止めるべきだ、さっさとこの口を閉ざすべきだ――そう思っていても、言葉が、とまらない。
「すごいよね、伝説だなんて。『普通』じゃないよね……なんでそれを、喜べるの?」
「……り、リース? どうしちゃった、の……?」
気付けば私は、ルイズの肩を掴んでいた。
彼女がびくりと身体を震わせるのを感じて、とてもひどいことをしているのだと実感する。
だけど、止められない。噴き出す感情が、自分でも止められない。
「魔法が使えなくても、よかったじゃない。『普通』でなくなるよりは、ずっと、よかったよ。
伝説の力なんて目覚めちゃってさ、それはすごいことだよ。だけど……」
私の言葉は、どれだけルイズを傷つけているだろう。
ルイズがどれほど、魔法を使えるようになることを望んで生きてきたのか。僅かでも、分かっていたはずなのに。
だけど、止まれない――壊れたように、止められない。
「……私が『普通』じゃないことにどれだけ苦しんできたのか知らないくせに!
私の前で『普通』じゃなくなったことを喜ばないでよ!!」
なんて自分勝手な我が侭だと、自分でも思う。
――結局は私が許せなかったのは、最後に叫んだことなんだ。
『普通』ではないことに悩んで、迷って、苦しみ続けてきた私の前で。
『普通』ではないことを誇りのように語る彼女が、あまりにも眩しくて、羨ましくて……妬ましく、て。
「……なんで、なんでそんなこというのよ!」
ルイズが怒るのも当然だ。
彼女は、伝説の力に目覚めたからといって驕ることはなかった。
その力で、私を守るとまでいってくれた。
「リースの苦しみ、分かるわけないじゃない! だって何も言ってくれないもの!」
なのに私は、自分のことばかり考えて、ひどい言葉を吐いてしまった。
怒られて当然、嫌われて当然。私がしたのは、そんなひどいことだ。
「魔法が使えないほうがよかった、なんて――リースこそ、私の苦しみなんて、何も知らないくせに!」
ルイズからどんな言葉をぶつけられるか分からなくて怖いけど、黙って受け止めよう。
――だけど、そんなつぎはぎだらけの覚悟なんて。
「私が欲しかったわよ、リースの『普通』じゃない力! 替われるものなら替わってあげたい――」
そのルイズの言葉で、吹き飛んだ。
ぱあん、と乾いた音が響く。
私の手が、ルイズの頬を叩いた音だ。
わたしが、ともだちを、きずつけた、おとだ。
「……ぁ、うあ」
私自身が、信じられない思いだった。
こんな私の身を案じて、たくさん優しくしてくれた友達を、勝手な思いで傷つけて。
「ご、めんな、さい……」
それだけ搾り出すように言い残して、私は部屋から、ルイズから逃げ出した。
どこに行けばいいのかなんて、分からない。
もういっそ、世界から消えてしまいたい――そんな思いだった。