トリステイン王国とガリア王国の国境沿いに存在するラグドリアン湖。
現在この地では、トリステイン皇太后マリアンヌの誕生日を祝う園遊会が行われていた。
実のところ、その巨大な湖は人間たちのものではない。
始祖ブリミルの降臨より遥か以前から存在する、『水の精霊』たちが湖底に独自の文明を作り上げているのである。
彼らはトリステイン王家と『盟約』を結び、盟約の更新以外に人間たちの前へ姿を現すことはなかった。
『水の精霊』はとても美しい姿をしているという。
その姿を見た者は、どんな悪人だろうとも心を入れ替える、という眉唾ものの話すら存在するほどだった。
園遊会はガリア王国、アルビオン王国、帝政ゲルマニアなど各国から要人が招かれ、湖畔の会場で社交と贅の限りを尽くしている。
その期間は、約二週間。
徐々に疲弊していく、このトリステインという国家の現状などまるで無関係であるかのごとく。
各国から訪れた貴族たちの、華やかな、浪費ともいえる宴が続いていたのだ。
それが一週間ほど続いたころには。この園遊会に参加していた三人の少女たちは、すっかり疲弊してしまっていた。
主催者のトリステイン王の娘であるアンリエッタは、それはもう毎日毎日多忙を極めている。
片時でも気の休まるときなどほとんどない。唯一、就寝前の時間だけが自由を謳歌できるひと時だった。
それは、宰相マザリーニ枢機卿の姪であるオルタンス・ディ・マンチーニも同様である。
王女ほどではないが、彼女もまた、多くの貴族と引き合わされていた。
高嶺の花の王女とは異なり、園遊会へ招かれるほどの貴族たちならば、容易に手の届く存在のオルタンスである。
トリステインの宰相の姪であり、また容姿に秀でたオルタンスを見る貴族たちの眼差しといえば、誰も彼もが己の欲望にまみれたものだった。
そういった輩に嫌悪感を抱くのにも疲れ、彼女は、このところもっぱら愛想笑いを浮かべることに終始している。
またも数名の貴族と引き合わされたあと、オルタンスははぁとため息を吐く。
そんな姪の様子を見かねたのか。隣に立つマザリーニが、少しばかり心配を含ませた声音で問いかけてくる。
「大丈夫かい、オルタンス」
「……うう。あまり大丈夫とはいえないけど……頑張ります」
そう返し、白髪の少女はふらふらと自分の部屋へと歩みだした。
マザリーニはそんな頼りない少女の後ろ姿を眺めつつ、思案に耽る。
……当初の予定では、マンチーニ家は誰も園遊会に参加する予定ではなかった。マザリーニ自身、あまりそれを望んでいなかったからだ。
彼は平民の出だなどと陰口を叩かれることとてある。そんなマザリーニの親族ともなれば、格好の標的となりかねない。
だから、妹のジェローラマを初めとして、マンチーニ家はなるべく表に出してこなかった。
しかし、なぜかオルタンスは既にアンリエッタ王女とかなりの親交を持ってしまっているというから驚きだ。
そしてマザリーニが見る限り、二人の関係はあまり良い状態だとはいえない。
ここ最近の王女は、なんだかオルタンスへの依存度を高めているからだ。
ただ、今はまだ。ほほえましい関係として、遠くで見守るというのも選択肢としてはあるだろう。
途中で転びそうになるオルタンスの体を支えてやり、マザリーニは彼女を寝室まで運んで行くのであった。
*
―――数日後。
その日も、オルタンスとルイズはこっそりと、アンリエッタ王女に割り当てられた寝室へ足を運んでいた。
やがて、部屋に入ってみると。あからさまに疲労した様子で、アンリエッタがベッドに突っ伏してしまっているのが目に飛び込んできた。
そんな王女の様子を見て、ルイズとオルタンスは互いに顔を見合わせる。
「お疲れになられたのね。無理もないわ、ずっとあんな調子じゃ……」
「社交って、本当に大変だね……」
オルタンス自身、園遊会というものを甘く見ていた感は否めない。
生まれのロマリアでも、ブリミル教絡みの大規模な行事は年にいくつもあった。だけど、それはあくまでも神官たちが主役のもの。
そこそこの爵位の貴族とはいえ、オルタンスが矢面に立たされることなど、まるでないといっても過言ではなかった。
それが、この国ではまるで違うと思い知らされた。
宰相の姪である彼女は、王に取り入ろうとする貴族の格好の標的になりつつあったのだ。
実際のところ、マザリーニは敵が多い。それでも、国王夫妻からの信任が非常に厚い男であることは間違いなかった。
特にマリアンヌ太后とは、非常に深い仲であると噂されている。本人たちはそれを完全に否定していたのだけども……。
オルタンスは、何度か二人が一緒にいる姿を見たことがある。
その様子を見る限り、特に怪しいことはなく、あくまでも王族と臣下の関係にしか見えなかったが。そう思いはした。
そのうちに、体を起こしたアンリエッタは物憂げに窓の外を眺めだした。そして、呟く。
「なにか、気分転換がしたいわ。そうね、ラグドリアンの周りをお散歩したいわ」
「いけませんよ、外へ出るなんて。ここは王都とはわけが……って、王都でもだめなんですけど」
「……オルタンス。あなた、姫さまと王都へ出ているの?」
「え、ええと……。そうじゃなくて……」
口からついぽろっと出てしまった一言にルイズが食いついた。彼女、どうにも疑り深い目で見つめてくる。
そんな様子を楽しげに見つめながらも……、アンリエッタは、何かを思いついた風に、急に顔を輝かせた。
「そうだわ! ルイズ、あなたわたしの身代わりになってくださいな。侍女の見回りのときに誰もいないと大変ですから」
「え、で、でも……」
「……だめ、ですの?」
渋るルイズの手を取り、アンリエッタは上目遣いで懇願するような仕草を見せた。これは必殺攻撃に等しい。
オルタンスもこうやって嘆願されると断りきれないのである。故か、今となってはすっかりアンリエッタの言いなりもいいところであった。
しばらく、ルイズは悩んでいたのだけれども……。
王女の言うことに付き従うべきだと考えたのだろう。こくりと、小さく頷いた。
「わかりましたわ、姫さま。どうぞ、ごゆっくりしてきてくださいな」
「ありがとう、ルイズ。助かるわ」
花のような笑みを浮かべ、アンリエッタはルイズに礼を告げる。そして、彼女は深夜の大脱走に向けた準備を行うのであった。
―――数刻後の、湖の岸辺。
月明かりの下。アンリエッタは、静かに、ゆっくりとしたさざなみの音を聞いていた。
彼女の栗毛が、吹いてきたそよ風でゆらゆらと揺れる。湖が近くにあるせいか、初夏ながらどこかひんやりとした空気が漂う。
そんな王女のすぐ後ろでは、オルタンスが杖と若干の荷物を持って佇んでいた。彼女はアンリエッタに連れられて、この場所へやって来ていたのだ。
しばらくすると、再び風が吹いて水面に波紋が浮かぶ。そんな様子を眺めながら……、栗毛の少女は呟く。
「よい風ですわ。あの窮屈な会場の空気が嘘のよう」
「あの場所は、いろいろな思惑が渦巻いていますからね……」
少しばかり離れた位置にある園遊会の会場を一瞥し、二人の少女はお互いに顔を見合わせる。
この地を訪れている貴族たちにとって、マリアンヌ太后の誕生日を祝う、というのは本来の目的ではないのだろう。
貴族というものは非常に面倒な生き物だ。平民に生まれたほうが、そういう意味ではずっと楽なのかもしれない。
まして王族ともなれば……。
そういう日頃のストレスがあるから、オルタンスを呼んで気晴らしをしたがるのだ思う。
「水が冷たくて、気持ちがいいわ」
そのうち、アンリエッタは岸辺でしゃがみ込み、ラグドリアン湖の水に手を差し入れた。
そして……なにを思ったのか、おもむろに衣服を脱ぎ始める。彼女の白い肩が露となり、月明かりを受けてうっすらと赤く色づく。
「あ、アンリエッタ? こんなところで……」
「大丈夫よ。誰もいないわ。いたとしても、水の精霊くらいのものです」
「いえ、わたしが……」
「なら、あなたも脱ぎなさいな。一緒に水浴びをしましょう?」
困惑気味の表情を浮かべるオルタンスに、もう一糸まとわぬ姿となったアンリエッタは手を差し出した。
まるで水の精霊が踊りの誘いをするかのような……、ひどく幻想的な光景。
「え? えぇ……。それは……」
「嫌ですの?」
「うぅっ……」
アンリエッタはあくまでも同性として自分を見ている、というのはわかる。
なまじ前世の記憶なんて厄介な物があるがために、こういうことは本当は得意ではなかった。唯一、姉や母は例外だったけれども。
仕方ない。誰が来るのかわからないけども、それで気が済むのなら。
そう考えて、オルタンスも衣服を脱ぎ始める。するすると布の擦れる音がして、衣服がぱさりと岸辺に落下した。
「早くなさい」
「わかりましたけど……。その、あまり見ないでください……」
アンリエッタは先に湖に足を踏み入れていた。半身が湖面から浮き出るその姿は、本当に水の精霊と見紛うものであるかもしれない。
催促されたので、オルタンスもゆっくりと水面に指先を落とす。冷たい水の感覚が襲ってくるが、周囲の気温と相殺されるのか、すぐに馴染んだ。
じっと見つめられるのが恥ずかしくなり、少しずつ下がる体温とは対照的に、オルタンスの頬が朱に染まっていく。
「綺麗だわ」
ふと、アンリエッタがそんなことを呟く。その視線は目の前の白髪の少女を向いているのだが……。
見られている本人はそう思わないらしい。双月のことだと考えたようで、天を見上げながら、雲の切れ間に視線を向ける。
「こう静かだと、まるでこの世界にいるのはわたしたち二人だけのように感じます」
「本当にそうですわ」
栗毛の少女は透明な水を片手で手ですくい、それを自らの腕にかけた。さらさらと水が腕を伝って滴り落ち、再び湖の一部へと還る。
それを見たオルタンスも、水を自分の体に伝わせる。冷たい水の感覚に、思わずぴくりと体が震えた。
やがて、水に慣れた頃になると。
二人は肩まで湖に浸かって泳ぎ始める。オルタンスはあまり水泳が得意でないようなので、アンリエッタの指導を受けていた。
「……ふぅ。今まで窮屈な時間ばかりだったけど。こうして憩いの時間があると、明日も頑張れるって思えるわ」
「そうですか。よかったです」
ひとしきり泳いだあと、浅い湖面に足をつけたアンリエッタが言う。オルタンスは、少し恥ずかしげに首を傾げた。
ぽたぽたと、髪の先から水が滴り落ちる。胸先を腕で覆うと、その間に水が溜まって水溜りのようになる。
そろそろ上がろうか。そう考えたときだった。
ぱしゃっと、オルタンスの顔に水がかけられたのである。水の飛んできた方向を見やれば……悪戯っぽい顔のアンリエッタがいる。
どうも、彼女はまだこの深夜の水浴びを続けるつもりらしい。
やられっぱなしというのも面白くない。オルタンスも水もすくい、アンリエッタ目掛けて放った。
水は思い切り顔に当たり、派手な音を立てた。
これはやってしまっただろうか。そう思う間もなく、今度は水が飛んでくる。
「今度はわたしの番よ!」
「さ、先にかけてきたのはあなたでしょう、お互いさまです!」
「あら、反撃した時点でもうこれは戦いなのよ。ふふふ……」
「ひゃあ!?」
オルタンスの抗議も空しく、アンリエッタは情け容赦なく水をかけてくる。楽しげな表情で、今だけは社交のことなど忘れてしまっているようだ。
誰もいないと思っているからなのか、実際にこの時点では誰も見ていないからなのか。
結局はオルタンスも応戦し、二人は水かけを始めてしまった。ばしゃばしゃと水の音がしていく。
それが何分も続いた頃。不意に、オルタンスは背後から何者かの気配を感じる。
なおも水を飛ばしてくるアンリエッタに「隠れていてください」と告げて走り出し、陸地に置き去りになっていた杖を掴んだ。
そして、近くの木陰にいるであろう“何者か”に向かって声を張り上げた。
「そこにいるのは誰だ? 名を名乗れ! 返答次第ではただではおかないぞ!」
そんなオルタンスの剣幕に驚いたのか。慌てたような声が飛んでくる。若い男性のものだった。
「ま、待ってくれ。怪しい者じゃない」
すぐに声の主がその姿を現す。金髪の、二十になるかならないかといった風貌の青年だ。焦っているらしく、額には冷や汗を浮かべている。
「どこからどう見ても怪しい……」
「散歩をしていただけだよ。まったく、水の精霊たちが戯れているのかと思ったら……、えらく凛々しい妖精さんだったね。とりあえず、服を着たらどうだい?」
「っ!」
青年に指摘され、そこでようやく自分が全裸のままだったことに気が付いたオルタンスは、慌てて衣服を身に着ける。
その間、青年はずっと後ろを向いていたようだ。落ち着かない気持ちで、少女は手短に作業を終えた。
「……こちらを見ていないだろうな」
「それはもちろん」
男装時のような―――普段よりも硬い口調で、オルタンスは青年に問いかける。こればかりは彼の申告を信じるしかないのが辛い。
見たところ、青年が危害を加えてくる様子はない。それどころか、なにやらオルタンスを興味深げに見つめてくる。
よくよく見れば、相手はかなり整った顔立ちをしている。かなりの美青年といっていいだろう。
ラグドリアンの園遊会。深夜の湖畔。水浴び。
どうにも何かのキーワードが繋がりそうになる。そうだ、寝室に向かう前に、伯父のマザリーニが言っていたではないか。
「先ほど、アルビオンの王族が到着したようだ」と。それが意味するところは……。
「まさか、あなたは……、アルビオンのウェールズ・テューダー?」
「おや。ぼくを知っているのかい?」
「ええ。お名前は伺っております。……申し訳ありません。先ほどは無礼な発言をしてしまいました。お詫びします」
しゅんとうな垂れた様子で、オルタンスは謝罪の言葉を述べる。それはどこか捨て犬を思わせる光景だった。
「いやいや、気にしないでほしい。あの状況なら仕方ない。それより、きみの名前は?」
「ありがとうございます……。わたしはオルタンス・マンチーニと申します」
そうだ。
この日、この園遊会で。アンリエッタはこのウェールズと出会い、恋に落ちるはずだったのだ。
しかし、それが……、どういうわけか。なぜか自分が彼と鉢合わせてしまった。ここはどうするべきなのだろう。
オルタンスは思案する。
一方で。
オルタンスに名を呼ばれたウェールズは、内心で驚きながらも、目の前の真っ白な髪の少女に見入った。
珍しい髪の色だ。老人でもなく、その手の障害でもないだろうに真っ白な髪をしている。
瞳は翡翠のような、新芽のようにも見える緑色をしていた。顔立ちはとてもバランスが良く、なるほど、美少女であるといってまったく差し支えない。
それでいて、先ほど見せたような凛々しい表情もできる。ただの臆病な人間とは一線を画しているようだ。
なにより、このオルタンスという少女。
先ほど、もう一人の少女と戯れている最中に見せた表情―――堅物な父をして堅物だと言わせるウェールズをして、思わず見惚れてしまうようなあの笑顔。
この少女はどれだけの表情を持っているのだろう。
彼女から感じる、どこか不思議な感覚とはなんなのだろう。
一目、彼女の姿を目の当たりにしたウェールズはもう心を奪われてしまったようである。
美しい。まるで、愛の女神フレイヤの再来を思わせる美貌だ。そう思わずにはいられない。
……と。そんなことを考えていると。目の前の少女が、訝しげな表情で問いかけてくる。
「あの、どうされたのですか?」
「……ん? いや、少し考え事をしていただけだ。それより、先ほどからずっと湖で水に浸かっている彼女はいいのかな?」
「え?」
ウェールズにそう言われ、後ろを振り返ってみると……。
湖の湖面から顔だけ出したアンリエッタが、じっと見つめてきているのが気が付いた。
これは大変だった。ウェールズとの遭遇にばかり気を取られていて、自分がアンリエッタに隠れろと言ったのを失念していたのである。
オルタンスは慌てながら、持ってきていたバッグからタオルを取り出す。
再びウェールズに後ろを向いているように告げると、王女へ湖から上がるように促した。
「……ひどいですわ。あんまりですわ。すっかり体が冷えてしまいました。大変ですわ、風邪を引いてしまいます」
「ご、ごめんなさい」
ずっと水に浸かっていたせいなのか。アンリエッタの体は冷えてしまっていて、触れるとそれが実感として伝わってきた。
自分が出てくるなと言ったのが原因なので、オルタンスは半分涙目になってずぶぬれの王女の体を拭いていく。
……アンリエッタはオルタンスに自分の体を温めるように言いつけたかったのだが、見知らぬ男性の目があるので諦めた。
少しして、アンリエッタは衣服を着終えた。それでもまだ寒いようで、オルタンスの体に背後から張り付いてしまっている。
「……もういいかい?」
「は、はい。殿下」
もう結構な時間が過ぎているらしい。ウェールズが尋ねてくるので、オルタンスは短く返した。
「オルタンス。この方は?」
「えっと、アルビオンの……」
アンリエッタが何者かと尋ねる。見たところ高貴な人間であるというのはすぐにわかるのだけれども、一体どこの誰かまではわからない。
それに答えるために、何か言いかけたオルタンスの言葉を、眼前の青年は笑みを浮かべながら引き継いだ。
殿下。白髪の少女が栗毛の少女を呼ぶ言葉からして、きっと高貴な人物なのだろう。恐らくは……。そう考える。
「ぼくはウェールズ・テューダーだ」
「……ウェールズ? もしや、あのウェールズさまですか?」
「そうだよ。きみは見たところ……トリステインのアンリエッタ、かな? 母君の面影があるように思ったのだけど……」
「は、はい。そうですわ」
なんということだろう。
よりにもよって、あのプリンス・オブ・ウェールズに水浴びを目撃されていただなんて。
王族の自分が、こんな野外で服も身につけずに水浴びをして、それを男性に目撃されてしまっただなんて。
恥ずかしい。穴があったら入りたくなる。
あからさまにアンリエッタの顔が真っ赤に染まる。ぎゅっと、オルタンスの服の肩口を掴む力が増した。
「散歩をしたら水の音が耳に入ってね。気になって見にきたんだ。そうしたら、きみたちが水浴びをしていたんだ。悪いけど、じっと見入ってしまった。……この湖には、水の精霊がいるというじゃないか。
だから、ぼくはてっきり彼らが出てきたのだと思ったんだよ。精霊の美しさは二つの月すら恥じ入るほどだという話があるだろう。だから、どうしてもこの目で確かめたくなってね」
凛々しい顔立ちで、爽やかな声で言うから、あまり違和感がないように思うのだが。
実際のところ、この青年がオルタンスとアンリエッタが水浴びをしている光景を覗いていたのは間違いない。
それに……。
なんだか。ウェールズから熱っぽい視線を感じて、オルタンスは居心地が悪くなる一方だった。
その視線にはアンリエッタも気がついたらしい。先ほどまで、まさに恥らう乙女といった様子で頬を赤らめていた雰囲気が一変する。
「わたくしたちで、残念でしたわね」
「いや、そんなことはない」
どこまでも真剣な眼差しをオルタンスへ向け、ウェールズは少女の手を取った。
「水の精霊は見たことがないが……。きみたちは美しかった。水の精霊より、遥かに」
「きみたちは」というのだけど、ウェールズの視線は完全にオルタンスだけを捉えていた。
オルタンスとしては、いかに二枚目だろうと、男性に言い寄られることにはかなりの抵抗がある。
それに。この場でウェールズと恋仲になるのはアンリエッタのはずだ。それがどうして、ただ居合わせただけの自分になってしまうのか。
もうわけがわからない。
「きみはマンチーニというそうだね。家名からすると、きっとロマリアの生まれなのだろう? どうしてアンリエッタと一緒に?」
「……その、いろいろあって、今はトリステインにいる伯父のマザリーニの世話になっていて……」
「なるほど。きみの身元引き受け人は、つまりマザリーニ枢機卿だと」
「そう、なるのでしょうが……」
完全に置いてけぼりを食らって唖然とするアンリエッタと、何事かを考え意気込むウェールズ。
二人に挟まれ、その狭間でただおろおろとするしかないオルタンス。どうしてこうなったのか。まったくわからなかった。
こうして混迷の状況のまま。園遊会のとある一日が、終わりを告げようとしていた。