新年も三分の一が過ぎ去った、ぽかぽかとした陽気の季節。
ここはトリステイン王国の某所。人里離れた大きな森と、広大な草原が広がる地域。
この近辺は、人がほとんど住んでいない。
だけども最初から無人地帯であったわけではない。一時期は多くの開拓民たちが入植し、鬱蒼とした深い森を切り開こうとした事さえあった。
しかし、この森に巣食うとある“怪物”の存在が、それを許さなかった。
怪力を誇る醜く屈強な怪物たちに対して、魔法はもちろん有効な銃器すら保持していなかった平民たちが敵うはずもない。
さらに、この地方を治める領主は“怪物”に困り果てた領民たちの陳情を聞き入れなかった。
これではたまらないと、開拓民たちは我先にとこの付近から逃走。
かくして人が逃げ出してしまったこの森には、すっかり朽ち果ててしまった廃村と、獰猛な“怪物”ばかりが残されているという。
そして、そんな森と近くの丘の境界線を進む影が二つ。
一人は銃を構えた金髪の女性。皮の鎧を身に付け、華奢な体躯からは想像も出来ぬほどに大きな荷物を背負っている。彼女は常に周囲を警戒するように目を光らせていた。
もう一人は銃を担いだ少女。前を行く女性に比べてずっと軽装であるのだが、その顔には疲労の色が浮かんでいる。
彼女は肩までの白い髪を揺らしながら、細い脚になんとか力を込めて前に進もうとする。
しかし、それは牛歩と行ってもいいくらいかもしれない。
「どうしたオルタンス! この程度でへばっているようでは、いざというとき姫殿下の盾にもなれないぞ!」
「は、はい、アニエスさん」
ついに前方のアニエスという女性から叱咤が飛んだ。その声に、オルタンスと呼ばれた少女は曲げていた背筋をぴんと伸ばす。
だけども。それも長続きはしない。ものの数分で、また苦しそうによたよたと歩き出す有り様だった。
へとへとになってしまった様子を見て、さすがのアニエスもこれ以上の強行軍は不可能だと判断したのだろう。
そこで彼女は手を振り、休憩を取ることを指示した。
歩きすぎたせいか。オルタンスはその場でへたれこみ、草原の真っ青な芝に腰を下ろしてしまった。
「まったく。情けないぞ。王都からたった四日歩いただけじゃないか」
「うう……。すみません」
アニエスは呆れたように口を開くのではあるが。彼女たちは、これより北方にあるトリスタニアの町からずっと歩いて来たのである。
暗くなってからは休息を取るとはいえ。歩き通しで野宿という、慣れない環境で貴族の子女であるオルタンスはすっかり疲弊していたのである。
対してアニエスはまったく気にした風もない。水で濡らしたタオルで顔を拭きながら告げてくる。
「ここまで来たらいつオーク鬼が現れるかわからないんだ。気を抜くな」
「……わかりました」
オルタンスも自分のバッグからタオルを取りだし、それを水筒の水で湿らせる。
タオルで顔を拭けば、水分を帯びた布の感触が顔を撫でていくのがわかる。すっかり汚れてしまった体も拭きたいところだが……さすがに、野外で服を脱ぐことには抵抗がある。
もうずっと体を洗っていないのは、比較的清潔な環境で育ってきた少女には結構堪えるものだ。
アニエスは気にしたら負けだと言うのだが……。今も昔も風呂を好んだオルタンスには堪えがたい。
着替えは最小限でというから、持ってきた服も少ない。そろそろ臭っているか不安になる。
シャツの袖を掴んで、臭いがしないか鼻をくんくんしていると。干し肉を持ったアニエスが近づいてきた。
「ほら。今日の分だ」
そう言って彼女は干からびた肉とかちかちのパンを差し出してくる。ここのところ、食事はこればかりだ。
これではどうしても果物が恋しくなるし、せめてなにかしらの野菜が食べたくなる。
とはいっても、農村すらないのではどうしようもない。木の実をなんとか探してみることしか出来ないだろう。
しかし。
「はむ……」
生憎ながら、今のオルタンスはもう歩く気力すらない。ただ地面に座り込んでパンを口に運ぶだけが精一杯。
今日は晴天なのでこのまま野宿を決め込むらしい。アニエスがどこからか拾ってきた枯れ枝で焚き火を起こしている。
火打ち石を使うようだ。メイジならば――オルタンスは例外と言えるが――簡単に火など起こせるというのに。世はどこまでも不平等なものである。
そのうち、ぱちぱちという木が燃え始める音がし始める。どうやら火起こしに成功したらしい。
アニエスは枯れ枝を火にくべる。徐々に火が大きくなり……赤く燃える炎が膝ほどの高さまで成長した。
ゆらゆらと揺れる炎を見つめながら。オルタンスは出発前の事を思い出す。
そう、あれは五日前のことだったか。
いつものようにアニエスにしごかれてぐったりしていたとき、さもさりげなく告げられたのだ。
「明日から外で修行だ。ちょっと出掛けるぞ」と。
それがまさか、こんなことになるとは思うわけもないのである。王都から四日も歩いたらちょっとどころではないではないか。
これも修行の一環だと思えば、決して耐えられないことはない。だが、事前になにか一言あってもいいではないか。
膝を抱え、抗議の視線を向ける。それは本人としては凄んでいるつもりなのだが。端から見ていると、ただただ可愛らしい少女が拗ねているだけにしか見えないのだ。
アニエスは苦笑しつつ、眼前で膝を抱えてむくれる少女に話しかける。
「まあ、よくここまで黙ってついてきたよ。正直とっくに根を上げると思っていたからな。さすがはわたしが“弟子”として訓練してきた甲斐があるというものだ」
「それはそうですよ。これが駄目ならとっくに鍛練なんてやめてます」
「ふ、そうかもな。……おお、そうだ。そういえば、お前にどうしてここまで来たのか話していなかった」
今思い出した、と言わんばかりの口調でアニエスは言う。まったく白々しい態度だった。
「それで、理由とはなんですか?」
「ああ。右の方を見てくれ」
言われた通りに首を回す。そちらの方向には、少し歩いたところにうっそうと茂る深い森が横たわっていた。
「……森がありますね」
「ああ。そうだ、森がある。あそこはなんでもオーク鬼が何体も出るらしくてな。危ないから近づいてはならないと傭兵仲間の間でも有名だった」
アニエスの言葉に、思わずオルタンスは自分の頬が引きつってしまうのを感じた。
オーク鬼といえば、ハルケギニアではもっともポピュラーな亜人だと言っていい。
豚のような頭に相撲体型の厄介な化け物で、困ったことに大好物は人間の子供というたちの悪さである。
戦闘力は一体で鍛え上げられた人間の戦士五人分に相当する。とてもではないが、今のオルタンスでは手に負えない相手だ。
それは目の前の女性剣士とて同じ。かなり上手く立ち回らないとまず敗北するだろう。
少女の複雑な心境に気がついたのだろうか。こほんと咳をし、アニエスは続けた。
「ん、まあ、あれだ。今回はあくまでも遠出をしての体力作りなんだがな。そのついでにお前に“世界”がどういうものであるか見ておいてもらいたくてな」
「世界?」
「ああ。わたしは各地を放浪するうちに、様々なものをこの目で見てきた。それは美しいものより、目を背けたくなるような醜悪な光景ばかりだ。お前には、そういったものに早く慣れてもらいたい」
「……慣れる、ですか」
「ああ。いざというとき……血を見るような光景に出くわしたとき。冷静でいられる自信はあるか?」
そう言われてみて、オルタンスは思案する。
とても、冷静さを保てるとは思えない。きっとパニックに陥ってしまって、もうどうしようもなくなるだろう。
それは多くの貴族の子女がそうかもしれない。ハルケギニアでは戦など日常茶飯事だ。今だって、どこかの国のどこかの地方で紛争が起きていることだろう。
だけども。実際に戦場を体験するような子供はどれだけいるのだろう?
目の前で人が傷ついて、血を流して倒れて。思わず目を背けたくなるような光景に遭遇することが……。
もちろん、ロマリアの中心地で生まれ育ったオルタンスにはそういった経験はない。
もし目の前で凄惨な光景が起きたら……それに耐えきることは出来ないだろう。
「……ないようだな。ま、わたしも最初はそうだったさ。少しずつ慣れていけばいい」
「……はい。努力しますj」
「うむ。では、もう寝ていいぞ。交代時間までゆっくり休め」
「わかりました。おやすみなさい、アニエスさん」
寝袋を取りだし、オルタンスは横たわる。空に浮かぶ明るい星の群れを眺めつつ……彼女は眠りにつくのであった。
しかし、その安眠の時間は十分に受けられないのだ。
「起きろ。まずいことになった」
―――深夜。
少しばかり冷える空気の中で、オルタンスは自分の体を揺さぶられていることに気がついた。
まだ寝てからそれほど経っていないのだろう。ぼんやりとした意識の中で見上げた空は、まだまだ漆黒の色に染まっている。
アニエスがまずいことと言うのだから、それは本当だろう。
まだ休息が足りないと体が悲鳴を上げるものの、その場のただならぬ気配に悪寒を覚え、少女は体を起こした。
焚き火が消えているせいか。周囲は暗く、煌々と大地を照らす双月の明かりばかりが視界の頼りだ。
アニエスは片膝立ちで火縄銃を構え、せっせと薬莢を詰め込んでいる。
それが終わると、寝袋から抜け出したばかりのオルタンスに手渡した。見れば、同じように発射の準備を終えている火縄銃があと二挺ほど地面に置かれているではないか。
「あ、アニエスさん。いったい何が起きたんですか?」
「耳を澄ませてみろ。オーク鬼の鳴き声が聞こえるはずだ」
荷物を手早くまとめながら、珍しく焦りを隠しもしないような口調でアニエスは告げる。
その言葉を受けたオルタンスはさっそく耳をこらし……。森の方角で、耳障りな鳴き声を上げる生物の存在に気がついた。
「これが、オーク鬼の……」
「そうだ。それもかなり近い。普段は森の深いところから出て来ないはずなんだが……。完全に読み違えた。大失態だな」
言いながら、アニエスは自分の荷物をまとめ終えたようだった。慌ててオルタンスも寝袋を畳んで自分のバッグに詰め込む。
それほど荷物の量はないので、作業はわりとあっさり終わった。
とにかく、早くこの場から離れることを優先するらしい。
森からはそれなりに離れているものの。やはり危険が迫っている以上は、悠長な真似などしていられない。
アニエスとオルタンスはそっとその場から移動を始めた。
「森で何が起きているのだろう……」
ゆっくりと、なるべく音を立てないように歩きながら、白髪の少女が呟くと。
前を行く女性が、困惑の表情を浮かべつつもそれに答える。
「わからない。だが、鳴き声を上げているのは一匹だけだったようにも思う。もしかしたら仲間割れでも起こしたのかもしれない」
「仲間割れ、ですか?」
「ああ。奴らに知能など、無いに等しいが……。この時期に食い詰めて森の外周部に移動する、なんてことは、ほとんどあり得ないからな」
「なるほど……」
そうやって小さな声で会話を行っている間にも、怪物の鳴き声は上がり続ける。本能的に嫌悪感を覚える音だ。
なんとか逃げ切りたい。そう祈りつつ、二人はじりじりと後ずさるのであった。
―――なんとか漆黒の森から離れ、そこでようやくオルタンスは息を吐いた。
大きくゆっくりと、肺の中に残された緊張感をも吐き出す。
アニエスも額に汗を流している。彼女もそれなりに緊張していたらしい。火縄銃を放り出し、地面に座り込んだ。
「オーク鬼は鼻が利く。あれだけ離れていても発見される恐れはあったが……なんとか見つからないうちに逃げ切れたな」
「緊張しましたぁ……。本当によかったです」
オーク鬼と正面からやりあっても勝てる見込みなどまったくない以上は、いかに早く逃げられるかが生死を分ける。
魔法を使えばなんとかならないこともない。だが、今のオルタンスでは不確定要素が大きい為に、なかなかうまくいかないのが実情である。
なにせ、彼女が使う魔法はまともなものではない。
もし誰かに目撃されて、そのことが原因で妙な因縁でも付けられたら大変なのだ。
アニエスもそれを了承しているので、これといってなにか言うということはない。
「とにかく、一度王都に戻ろうか。こうなってはここに留まっているわけにもいかないからな……」
アニエスはそう呟いてオルタンスを促した。結局、そのまま二人は北へ向かって歩き始める。
そんなわけで、二人のちょっとした冒険はそこでお開きとなるのであった。
強敵に怯え、戦わずしてただ怪物から逃げるしかない。
それは、オルタンスの心の奥底にほんの少しの影を落とすことになるのだけども。まだ、このときはほんの小さなしこりに過ぎなかった。
*
突然の出発から一週間。
二人がトリスタニアのマザリーニ邸へ戻ると、さっそくオリンピアが飛び出してきた。
彼女はへとへとの様子で歩くオルタンスへ飛びかかり、まるで大切なお人形を見つけた幼い少女のように頬擦りを始める。
「やっと、やっと戻ったのねオルタンス!」
「ね、姉さま! 離れて!」
「……あら。どうして?」
「え……と。その、最後に水浴びしたのが、三日前だから……。臭いかも……」
「え? ……いいえ、これならむしろご褒……なんともないわ。大丈夫よ」
オルタンスに鼻を近づけてくんくんと鳴らしたあと、オリンピアはそんなことを言った。
だが。
そう言われても、気になるものは気になるのである。オルタンスはさっそく風呂に入ろうと、背後にいるだろうアニエスを振り返るのだが……。
そこにあるべきはずの姿がない。ついさっきまで共に歩き、一緒に屋敷の門をくぐったはずであるというのに。
これはどうやら逃げたらしい。アニエスはどういうわけかオリンピアが苦手なようなのだ。
疑問を浮かべたままの妹を、笑顔を浮かべた姉が引きずっていくのであった。
オリンピアは妹と共に風呂へ入ることが一日の楽しみなのである。それは昔からのことだった。
もはや、習慣というか日課となっているので、オルタンスもその事で一考するような事もない。
風呂椅子に腰かけたオルタンスの白い髪を、よく泡立たせた石鹸でオリンピアが洗う。
丁寧に、いたわるように髪の汚れを落としていく。姉の手つきはいつも優しく絶妙なものだ。なかなかに気持ちが良い。
ひとしきり、肩甲骨の先まで伸ばした髪をお湯で濯ぐ。
そうすれば、埃やら泥やらで薄汚れていた髪が本来の輝きを取り戻すのである。
「やっぱり姉さまに洗ってもらうといいわ。わたしが洗うと下手だから……」
「ふふ。髪のことは心配しなくても大丈夫よ、ずっとお姉ちゃんが洗ってあげるもの」
ぞくり。耳元で言葉を囁かれ、背筋を指でつぅっと撫でられる。なんともいえない感覚が脳髄を駆け抜ける。
頬を真っ赤に染めたオルタンスは慌てて振り向き、悠々と口笛など吹いている姉を睨みつけた。見れば、実に白々しい顔をしている。まったく大したものである。
「もうっ! なんでからかうの!」
「そういう反応が可愛いから。ああ、本当にいけない子だわ……」
うっとりと呟きつつ、オリンピアは妹の体に抱きつく。豊かな胸が背中で押し潰され、形を変える。
姉はかなりのナイスバディと言っていい。出るべきところはきちんと出ているし、引っ込むところはちゃんと引っ込んでいるのだ。脚のラインも滑らかで見事なもの。
一方で自分はどうか。オルタンスは自問する。
だんだんと、それなりに成長はしてきたものの。やっぱりまだまだお子さま体型なのがなんとも寂しい。
いつか自分も姉のようになれるのだろうか。別に男の目を楽しませたい訳ではないのだが、どうせならあった方が嬉しいのだ。
ぺたぺたと自分の胸を触る。虚しさが手のひらに伝わってくる。なんだか切ない。
「どうしたの?」
「うん……、わたしも姉さまみたいになれるのかなぁって」
「なれるわよ。わたしだって、あなたくらいの年頃のときはそんなに変わらなかったし」
「うむむ……。でも、姉さまとわたしってほとんど年が変わらないのに……」
そうは言われても。カリーヌからカトレアのような突然変異は滅多に起きないのだが、その逆はなんだかありそうである。
母はやはりグラマラスな体型であるものの。不安は消えない。
「じゃあ、してみる?」
「なにを?」
「おっ―――」
手をわきわきとさせてなにか言い出しそうだった姉に向かって、オルタンスは桶に汲んだお湯をぶっかける。
まったく、この姉はいつもいつも自分をこうやってからかってくるから付き合いきれない。先ほどのように、いちいちまともに反応していたら体がもたない。
風呂椅子から立ち上がり、オリンピアを放置したまま浴槽へと向かう。
そして浴槽の淵に腰を下ろし、足を湯につけた。しばらくぶりの温かさが足から伝わってくる。湯は適度な温度に調節されているので、なかなかに気持ちがいい。
次に浴槽に体を沈めると、何食わぬ顔をしたオリンピアも入ってくる。長い髪を頭の上でまとめていたようだ。きらきらと灯りが反射して、髪が輝いている。
マンチーニ家は、姉を初めとして、母も兄も見事な金色の髪だ。一人だけ真っ白な、老人と言われかねない髪をしているのはオルタンスだけ。
しかし、昔は「おばあちゃんみたい」と自分の髪を疎んでいたものではあったが。今では慣れてしまってどうということはない。
なにせハルケギニアには本当に赤い髪や緑色の髪、果ては青い髪の人間までいるのである。もうそんなことで悩んでも仕方ないのだという考えに至ったのだ。
それからしばらく、姉妹は風呂で体を温めるのであった。
*
明くる日。例によってオルタンスは「話がある」というアンリエッタに呼び出されていた。
このトリスタニアに来て、もう半年ほどになる。その間にアンリエッタは暇さえあれば何度でもオルタンスを自分の城に呼びつけるのである。
町へ繰り出したことも一度ではない。幸い、もうトラブルに遭うようなことはなくなったが……。内心ひやひやとするものだ。
マザリーニは知っているのか知らぬのか。屋敷で彼と会っても何も言われはしないのだけども、なんだかすべてを見透かされている気がしないでもない。
「お待たせしましたわ」
「いえ。わたしも到着したばかりです」
少しの間ぼうっと考え事をしていると……。ドアが開き、そこから侍女を伴った王女が現れる。
今日も彼女は白いドレスに身を包んでいる。ただ、実はデザインは毎日違うものを着ていたりするのである。ほんの少しの遊び心が大切なのだろう。
アンリエッタはいつものごとく、オルタンスが腰かけているソファーへと座った。向かい側が空いているにも関わらず、である。
彼女はなんだか嬉しそうな顔で話しかけてくる。
「オルタンスさん。今日あなたをお呼びしたのは、今度行われる園遊会のことをお話したかったからですの」
「園遊会ですか?」
「はい。母上のお誕生日を記念して……。ラグドリアン湖で催されるのですわ。国内の貴族だけではなく、他国の王侯や有力貴族の方々も招待されます」
園遊会。そういえば、その会場でアンリエッタはアルビオンのウェールズ王太子と出会って恋に落ちるはず。
そのことから感じられるのは、もう『物語』が始まっているということ。いよいよ『虚無』たちが覚醒を向かえ、時代が大きく動きだすということだ。
ふと考える。そのとき、自分はどうなっているのだろう?
貧弱な力しか持っていない未熟な少女に過ぎない自分が、これからの激動の時代を生き残ることが出来るのか……。
少なくとも集団ではなく、一人でオーク鬼に勝てるくらいにはならなくてはならないだろう。
でも……。出来るのだろうか。恐らくは永久に覚醒することが出来ないであろう自分の系統。
ごく普通の貴族として生まれた自分が、どうしてそんなものを与えられてしまったのか。
自問したところで、その疑問に対する答えなど出るはずもない。
「どうしたのですか?」
「あ、ええと……。いえ、なんでもないです」
ぼうっとしていると。横からぬっとアンリエッタが顔を覗き込んでくる。オルタンスが慌てて手を振ると、王女は少し眉を下げつつも続けた。
「そうですか? ……それでですね。ぜひ、あなたにも一緒に園遊会に出ていただきたいと思いまして」
「ありがとうございます。しかしお言葉を返すようですが……。わたしごときが出るべき場ではないと思うのです」
園遊会に招待されるような貴族に比べれば、マンチーニ男爵家は所詮木っ端貴族に過ぎない。
トリステインに来てからも特に功績もない新参の貴族なので、そんな大層な場に呼ばれる理由がないのだ。
他の貴族からいらぬ嫉妬を買うだけである。
「あなたのご一家は我が国の宰相のご親族ではありませんか! 十分に資格はあります!」
「い、いえ。しかし……」
なおもオルタンスが渋ると。アンリエッタは露骨に不満げな顔になり……。ついに、頬を膨らませたままとんでもないことを言い出した。
「わかりました。あなたが出ないと言うのならば、わたくしも参加は見合わせます」
「そ、それはいけません。太后殿下は殿下のお母上ではありませんか」
「嫌なものは嫌なのですわ」
そう言って、アンリエッタはついと顔を逸らしてしまった。これにはオルタンスもただ困り果てるしかないのである。
額に汗を浮かべ、なんとかご機嫌を直そうとするのだけれども。王女はただそっぽを向いたままで呼びかけには答えてくれない。
さて。どうしたものだろう。
自分が出席すれば機嫌を直してくれるのだろうか。しかし、そんなことが出来るとも思えないが……。
「……わかりました。出られるか伯父さま……いえ。枢機卿に相談してみます」
ほとほと困った、という顔でオルタンスは言った。自分が出なければアンリエッタが出ないというのだから、もうやむを得ない。
まさか、自分が本当に園遊会へ出席することになるとは……。
このときの彼女は、まったく想像もしていなかった。