場所はトリステイン王国の東部。
ゲルマニアの帝都からトリスタニアへ向かって伸びる街道を、十数台の馬車がぞろぞろと西へ向かって進んでいた。
そして、この一列の周囲では、幻獣―――鳥の頭部と羽根、それと四足動物を掛け合わせたかのような、なんとも奇っ怪な動物にまたがった騎士たちが、辺りを警戒しながら飛び回っている。
それは見るからに仰々しい一団だった。恐らくは誰が見ても、それが単なる行商や地方領主のものではないということがわかるだろう。
そして、行列のほぼ中央。
白亜の装飾が施され、白馬に引かれている、という点以外ではそう前後のものと差異のない馬車の中で、一人の少女が大きくため息をついた。
「まったく。やっと煩わしいゲルマニア詣でが終わったと思ったのに」
窓の外の、延々と変化のないただただ続く草原の光景に目をやりながら、白いドレスを身にまとった王女アンリエッタは言った。
もう何度目なのだろうか。幾度となく繰り返されたその愚痴に、眼前の席へと腰かけた騎士風の姿をした少女が口を開く。
「魔法学院にはルイズさんもいらっしゃるではないですか。ただ学院に行くというわけではなく、彼女と会うのだと考えればよいのです」
「でも、そうは言っても……。どうせ、時間の大半は行事や学院長との会食に費やされるわ。ああ、億劫」
そう口にしながら、アンリエッタは姿勢を崩して背もたれに身を埋める。せっかく整えた髪は乱れ、なんだかくしゃくしゃとしてしまう。
もし万が一“この様子”が周囲の目に触れたら、それは大変なことになるだろう。酷くだらしない態度だった。
しかし、何時なんどき他人の目が及ぶかわからないのだ。こんな状態で放置しておくわけにもいかない。進み出て、ぐんにゃりとしたアンリエッタの姿勢を正す。
「あら、あなたはまるで家庭教師のようね。オルタンス」
「はぁ。わかってやらせているくせに……こんなだから侍女部隊だなんて笑われるのです」
オルタンスと呼ばれたこの騎士風の出で立ちをした少女は、アンリエッタが宰相へ無理を言って創設した王女付き近衛部隊の隊長である。
しかし、近衛とは名ばかりで、僅か十名にも満たない部隊である。故に、単なる侍女の集まりであると揶揄されることも多かった。
実際、今回のゲルマニア訪問時も、近衛部隊は戦力扱いはされていなかった。
「言いたい人間には好きに言わせればよいのですわ。むしろ、そうやってあなた方を侮ってくれた方がやり易いですし」
「それは、そうですが」
「さ。髪をすいてくださいまし。なるべくゆっくりと、丁寧に」
「……わかりました」
命じられるがまま、オルタンスは王女の栗毛へ手にした櫛を通していく。相変わらず繊細で、相変わらず艶のある髪だった。
それから、アンリエッタはしばし目を閉じて鼻歌など歌っていたが、やがてまぶたを開いた。そして、自身が“騎士”とした相手を見上げる。
「あなたの言う通り、魔法学院へはルイズに会うのだと思えばいいわ。久しぶりに顔を見ることになるけれど、元気かしらね。あの子は」
「このところはあまり噂を拝聞しませんでしたが、近頃はあのフーケを捕縛したとも聞きました。きっと活躍しているのでしょう」
「フーケを、ね。一体どうやったのかしら」
『土くれ』のフーケといえば、近頃トリステインを賑わせていたメイジの盗賊だ。それを、魔法も満足におぼつかないルイズが、果たして捕獲することが出来るというのだろうか。
と、そんな疑問を抱きつつ、アンリエッタが呟くと。
「それは、おいおい本人から伺いましょう。きっと、驚くようなお話が聞けるでしょうし」
「……そうね。ええ。楽しみにしていましょう」
そう言葉を交わしながら、二人は間近に迫ったトリステイン魔法学院へと思いを馳せるのであった。
トリステイン魔法学院は、国土のほぼ中央に建設された貴族の子女のための学舎である。
しかし、かつての日本の武士階級がそうであったように、貴族と言っても千差万別、ピンきりである。
爵位と伝統のある貴族は一握りで、貴族の大半は自分の領地すら持たない下級貴族で占められていた。
魔法学院にはおおよそ三百名程度の生徒が在籍しているが、そのほとんど全員が領地持ちの“貴族らしい”貴族の生まれだ。
つまりは全体から見ればそこはエリート向けの学校であり、その存在意義は学習よりも将来の人脈の構築の方に重きがある―――とまで言われるほどであった。
そんな学院に、アンリエッタ王女を乗せた馬車がやって来たのは、春も終わりを告げようかというラドの月は半ばの時期のことだ。
王女の馬車の中で、オルタンスは窓から学院の正門広場の様子を眺めていた。
広場には、恐らくは学院で学ぶ生徒の全員が集まっていることだろう。皆、羨望の眼差しで王女がその姿を見せる瞬間を心待ちにしているようである。
「はぁ。まったく、誰も彼も重いわね。たかが小娘一人迎えるのに、まるでそこら辺の百しょ……」
「毒を吐かないでください。万が一誰かに聞かれたらことです。……わかっているくせに。そうやって困らせないで」
「あら。別に困らせるつもりはなかったのよ?」
「そんなニヤニヤしながら言われても説得力ないですから。ほら、着きました。さっさと降りましょう」
いつの間にやら、馬車は学院の敷地で停止していた。周囲からは、王女の登場を待ちわびる生徒たちの喧騒が聞こえてくる。
すると、つい今の今までだらしのない(とは言っても、背筋はしっかり伸びたままなのだが)様子を見せていた王女の表情が引き締まる。
「そうですわね。では、参りましょうか」
「御意に召します」
「ウィンドボナのときのように、思いっきりすっ転んだりしてはいけませんよ?」
「……善処します」
そう互いに言葉を交わすと、やがて馬車の扉か開かれた。
まず、オルタンスが馬車から歩み出る。緊張しているのだろうか。口を真一文字にしっかりと結び、場合によっては機嫌を悪くしているとも取れる表情で進み出る。
当然のことながら、彼女の存在は一般的な貴族の知るところではない。瞬く間にざわめきが起きた。
「誰だ、あれ? 女だけど」
「あんまりぼくらと歳が変わらないな」
「でも『シュヴァリエ』のようだぜ」
オルタンスが身に付けているマントの背の部分には、彼女が紛れもなく“騎士”であることを示す紋様が印されていた。
それは、アンリエッタが近衛部隊を組織するとき「隊長になるのだから、せめて騎士号くらいは」といって与えられたものだった。
王女から与えられたこの騎士の名に恥じない、毅然とした態度を取ろう。オルタンスはそう考え、改めて毅然とした表情を作る。
やがて、すぐに馬車の中からアンリエッタ王女が姿を見せる。彼女は扉の脇で控えていたオルタンスの手を取り、ゆっくりと馬車を降りた。
その様子はまるで芝居の中の―――まるで、この場が劇場と化してしまったであるかのようである。
そして、多くの生徒や教員たちが見守る中、馬車のすぐ近くで待ち構えていたオスマン学院長が前へ進み出た。
「お待ちしておりましたぞ、アンリエッタ殿下。ようこそ、トリステイン魔法学院へ」
「お出迎えありがとう。お久しぶりですわ、オスマン学院長。これだけ盛大な歓迎を頂けて、本当に感謝いたしますわ」
「ありがとうございます。ゲルマニア訪問でお疲れでしょうに、わざわざご足労頂いたのです。こちらこそ感謝を申し上げたい」
「いえ、そんな。これも王族の務めですから」
さすがに相手が王女ならばオスマン学院長と言えど真面目な応対をするのか。
普段からの学院長の奇行を知る一部の人々は、そんな感想を抱いた。抱いたのだが……。
「ふむ。それにしても、殿下。本当にお美しくなられましたな。その……たわわに実った果実など、ぜひ味あわせていただきたく―――」
こっそりと、オスマンは周囲の群衆には聞こえない程度の声量でそんなことを言い出した。
アンリエッタは慣れているのか、特に動揺を見せることもなかったが、すぐに彼女の背後に控えていた人物が反応する。
「……学院長。今回の殿下に対するあなたの発言は、詳細に記録して報告するよう枢機卿から仰せつかっております」
「おおっと! いや、これは! ちょっとしたユーモアではありませんか!」
その場で身動ぎもせずに放たれたオルタンスの一言によって、オスマン学院長は慌てて取り繕ったような動きを見せる。
群衆からは眼前の三人の間で何が起きているのかなどわからない。ただ、不自然な間が発生していると感じる程度であった。
「まぁまぁ、オルタンス。構いませんよ。オスマン殿のこれにはいい加減慣れておりますから」
「……了解しました」
「ほっ」
一旦はオルタンスを下がらせ、学院長をかばうような仕草を見せたアンリエッタ。しかし、次の瞬間にはその笑顔の上に暗雲が立ち込める。
「ですが、学院長。あまり度が過ぎると―――」
「こ、心得ておりますぞ!」
何かよからぬ気配を感じ取ったのだろう。オスマン学院長は、若干ばかり曲がっていた背筋を伸ばすのだった。
―――その日の夜。
アンリエッタの来訪を歓迎するためなのだろう。『アルヴィーズの食堂』では、生徒の大部分が出席した晩餐会が開かれていた。
立食の形式がとられているらしく、生徒たちは食堂のテーブルに並べられた料理を食していく。
もっとも、多くの生徒は食事そっちのけでアンリエッタの元へと集まっていた。まるで人がゴミのようだ。
ただ、このように人が群がってしまうのもある意味仕方ないのかもしれない。いくらエリートが通う学院であるとはいえ、普段彼らが王族と接する機会などまずないのだ。
つまるところ、王族というのはそれだけの身分にある者なのである。
「賑やかだな。さすがに、殿下がいらっしゃるからだろうか」
「いえ、だいたいこんなものではないですか? 食事時は」
『アルヴィーズの食堂』の外では、二人ほどの近衛隊員が見張りを行いつつ、世間話などをしていた。
「そうなのか? ミシェル」
「ええ。貴族といっても、まだ子供ですからね。普段は……そこまで作法にうるさくもないですし」
「なるほど。……しかし、我々はこうして食堂の外に出ていられるが、隊長は大変だ」
「確か、晩餐会に参加しろと命じられたのでしたか」
「そうだ。なまじ貴族だとな。近衛に所属しているとはいえ、平民ならば楽なものだよ」
『王女の武装侍女部隊』などと揶揄されるこの部隊に対する宮中の風当たりは、決して弱くない。
隊長は王女のお気に入りという理由だけで『シュヴァリエ』を叙爵された上、外国のそれも男爵の次女に過ぎないことが、それに拍車をかけていた。
平民が隊長になるのに比べれば、それはもう遥かに状況は良いのであろうが、やはり周辺からのやっかみは絶えないのだ。
「たまに、アニエス副隊長が叙爵されて隊長になっていたら、なんて考えますけど……」
「おいおい、それはなんの悪い冗談だ。私には貴族など務まらないよ」
「あぁ、それもそうですねぇ。あなた脳筋ですし」
「その言い様は心外だぞ! 私とて読み書きと簡単な計算くらいは出来る!」
「えっ」
「どうした」
「出来たんですか、読み書き」
「……お前は私をなんだと思っていたんだ。これでも副隊長としての事務はこなしているんだぞ」
酷く呆れたような感情と、そんなに自分は頭が悪いように見えるのかという少々の悲哀を混ぜ合わせたような、なんとも複雑そうな表情でアニエスは呟くのだった。
一方、扉一枚を隔てられた先―――食堂の内部。
わらわらと人が群がるアンリエッタから少しばかり離れた場所で、腕を組み、壁に背をもたれながら仏頂面を見せている少女がいた。
しかし、人を寄せ付けないためのその仕草をもってしても、彼女の容姿に魅力を感じる男子生徒はいる。
「やぁ」
現れたのは、なんだか胸元がはだけている妙な柄のシャツに身を包んだ優男である。
容姿を評価するならば、おおよそジュリオの下位互換とでも言うべきだろうか。二枚目といえば二枚目だが、上位互換に相当する人物を知っている現状、特に見るべきところはない。
何より、今はアンリエッタの監視……もとい護衛の目を光らせることに忙しい。
「申し訳ありません、ミスタ。わたしは単なる殿下の護衛を行っている最中です。残念ながら、貴方のお話のお相手を務めることは……」
こんな暇人には構っていられないと、オルタンスは表情を強張らせながらそう告げる。しかし。
「まぁ、そう固くなるなよ。ぼくはギーシュ・ド・グラモン。きみは?」
胸のポケットに差し込まれた薔薇の造花を引き抜きながら、ギーシュと名乗った少年は気障っぽく問いかけてくる。
……それにしても、グラモンか。よりによってアンリエッタではなく自分に狙いを定めるとは。
なるほど、見れば王女の周りには入り込む隙のないほど大勢の生徒たちが陣取っている。
これでは勝算がないとばかりに判断し、こちらにやって来たのだろうか。あるいは、外堀から攻めに来たのか……どうでもいいことだが。
しかし、相手は四男坊とはいえグラモン伯爵の子である。これからのことを考えると無視も出来ないだろう。
そんなことを思案しながら、半ばやむなく目の前の金髪気障少年に頭を下げる。
「わたしはオルタンス・シュヴァリエ・マンチーニです。ミスタ・グラモン」
「ほほう。いや、やはりというか。きみが巷で噂の『白き両刀使い』か」
「……はい?」
『白き両刀使い』? なんだそれは。
聞き慣れない単語にオルタンスがいぶかしんだとき、ギーシュは己の失言に慌てて手を振った。
「あ、いや……。うむ! やはり、騎士のような威風堂々とした出で立ちの中にも隠しきれないその美貌! まるで天使がそのままこの混沌とした下界の地に顕現したかのような、まるで聖女ジャンヌ・ダ―――」
「ちょっと、ギーシュ」
「げぇっ! モンモランシー!」
「『げぇっ』てなによ『げぇっ』って。バカやってないでさっさと来なさい」
モンモランシーというらしいこの金髪縦ロールの少女は、突然現れるなりギーシュの耳を掴んでずいと引っ張った。
そしてオルタンスを睨み付けるなり、辛辣な口調で言い放つ。
「王女殿下の手前……あまり口にはしませんが。なるほど、あなたはそうやって性別問わず惑わしていると。噂通りのお方ですわね」
「噂……? なんのことですか」
「さぁ? それは貴女ご自身が一番よくご存じでしょう」
そう言われても、オルタンスには何がなんだかわからない。ただただ顔に疑問を浮かべ、困ったように首を傾げるしかない。
すると自然と表情の固さはなくなっていた。付け焼き刃の仏頂面は長持ちしなかったようだ。
そして、そんな彼女を見たギーシュは目を輝かせながら呟く。
「かわいい……」
「……っ!」
それがモンモランシーにはたいそう気に入らなかったらしく、とうとう顔中真っ赤にしながら恋人の耳を引っ張って姿を消してしまった。
後には唖然とした様子の騎士風少女だけが残され、やがて彼女はため息をつく。
「なんなんだろう? 一体……」
ギーシュとモンモランシー。特に前者は『史実』でよく目にした名前だ。
今はまだまだ接する機会はないが、いずれそうではなくなるだろう相手……そんな彼が口にした、なんだか悪寒のする単語。
それが一体なんなのか。自分たちがゲルマニアを訪問していた数ヵ月の間に、なにかあったのだろうか。疑問は尽きない。
そんなことを考え、しかし今は任務中であるので思考を振りきろうとすると。
突然、くいとオルタンスのマントが何者かによって引かれたのである。
まったく、今度は一体なんなのだ。自分はアンリエッタを見守らねばならないというのに―――そう思いつつも、彼女は自分にちょっかいをかけてくる人物を振り返った。
「あなた……」
振り返った先には、何やら青い髪の背の低い少女がいた。思わず、声が漏れてしまう。
彼女は右手で骨付き肉を持ち、左手でマントを掴んでいる。口の周りには食べかすがこびりついていて、まるで貴族の子女の所業であるとは思えない有り様だった。
だがしかし、青い髪の少女はそんなことは気にした風もなく、ただどこまでも抑揚のない声で淡々と言い放った。
「あなたが、オルタンス?」
「そうです。あなたは?」
若干―――否、かなりの警戒感を抱きつつ、オルタンスは問いかけに答え、相手に問いかける。
「わたしはタバサ」
案の定というのか、あるいは予想通りというのか。新たに現れた人物は、ガリアの王族ながら名を偽ってこの学院に登校している人物だった。
そして、名乗るなり、タバサはじっとオルタンスを見上げ始める。その青い瞳には何の感情も窺えず、どこか不気味なようにすら感じた。
もっとも、全体的に見ればどこか愛玩動物のような愛らしさがあるのだが……。
この少女の正体や、元締めの人物が誰なのかを知っているオルタンスからすれば、はっきり言って気の置ける相手ではない。
いかに発育不良手前の小さな女の子に見えたとしても、彼女は立派なガリア北花壇騎士の一人だ。せいぜいがなんちゃって騎士のオルタンスとはまるで違う。
今のところは動くことはないではあろうが、決して油断してはならない。そう考え、改めて表情を引き締める。
「……ふむ」
しかし、タバサはオルタンスに対してそれ以上のアクションを起こさなかった。
しばらくじっと観察するかのような視線を向けた後、唐突にマントから手を離し、食堂内を埋め尽くす人ごみの奥へと姿を消したのだ。
「一体なんだったんだ? あの子は……」
ジョゼフ王の差し金……と考えられないこともなかったが、しかし自分ごときがあの人物に目を付けられるはずもない。
では、なぜタバサが接触を図ったというのか。
やはり、王の? では、なぜ?
そんな疑問がぐるぐると脳裏を駆け巡るのだが、それをしばらく続けても結論に至ることはないのだった。
―――晩餐会の後。オルタンスは、アンリエッタが宿泊する貴賓室へやって来ていた。
そこはさすがに尊い人が宿泊するための部屋であるだけあって、内装もかなり豪華な作りになっていた。
部屋の広さ自体、王女の私室と同じかそれ以上はある。しかしあまり広すぎても困る、とはアンリエッタ本人のかつての発言である。
そしてこの部屋を宛がわれた当人は、ドレスを身につけたままキングサイズ以上の巨大なベッドに腰を寝転がっていた。
真っ白なハイヒールの靴を脱ぎ捨て、ティアラを適当に放った様は、先ほどまで王女が見せていた優雅な態度とは対極のそれである。
果たして、夢見がちな思春期である貴族の少年たちの一体誰が、自分たちが頂く王女のこのような―――尊厳的な意味でのあられもない姿を想像するのであろうか。
だが、長らく王女と行動を共にしてきたオルタンスからすれば、この程度の光景は見慣れたものである。
もはや特に嘆きも驚きもせず、脱ぎ散らかした靴を揃え、ティアラをベッド脇のテーブルに移動させた。
「あぁ、疲れたわ。誰も彼も一生懸命わたしの顔を覗き込んでくるのだもの。今頃、一体どれだけの男子生徒の妄想の中で、わたしは辱しめられているのかしら」
「その台詞、彼らに聞かせてみたいですね」
「むしろ喜ばせるだけじゃないかしら? それにね、あなたも他人事じゃないのよ」
「わたしが?」
「そうよ! どんなにすました顔をしたって、あなたは一目見てわかるくらいかわいいの! 無謀にも声をかけたのは一人しかいなかったけれど、今頃は遠巻きにあなたを見ていた殿方たちの“贄”にされていることかしら! きっと、あられもない姿のあなたを触手ではず……」
「ストップ。止まってください、殿下。声が大きすぎます」
「……あら。それもそうね」
さすがにたまりかねて指摘すると、アンリエッタは悪びれた様子もなしに言う。
まったく、この人は突然なにを言い出すのだろうか。大して珍しい事象ではなかったが、オルタンスは辟易とした様子でため息をつく。なんだか晩餐会の時と合わせて余計に疲れたのだ。
もういい加減、自分の寝泊まりする部屋に戻りたい。
そう、なんとなく考えたときのことだった。
「さて。あなたをからかってオルタンス分を補充したことだし、そろそろルイズの元へ参りましょうか」
なんだそれは。アンリエッタの口から飛び出した奇怪な言葉に思わず声が出そうになるが、次に聞こえた「ルイズの元へ」という言葉に、オルタンスは思わず身を強張らせる。
「……彼女の部屋へ?」
「ええ。ルイズったら、わたしが来ているのに顔も見せないのだもの。こちらから会いに行くわ」
「ですが、夜間に、それも無断に外出するのは……」
「あなたが護衛としてついてくればいいじゃない」
オルタンスの疲れた様子を知ってか知らずか、アンリエッタは平然と言い放ち、続ける。
「なんなら他の隊員の方も連れていくといいわ」
「いえ、やめましょう。わたしが同行します……」
王女の付き添いに同行させられる信頼できる人材といえばアニエスだが、彼女も自分の仕事がある。あまり迷惑はかけられない。
そんな考えから、オルタンスは疲労困憊ながら自身の同行を申し出たのだが……。
「そうこなくちゃ!」
まったく、他人の気など知らないとばかりの晴れやかな笑顔だった。この王女殿下には、もう少し周りのことも考えてもらいたいものだ。そういう育ちではないにせよ。
「くれぐれもお静かに。ルイズさんの部屋以外へは立ち入りませんので、ご了承を」
「ええ、わかっているわ。ありがとう」
ため息をつきながら、最後の念押しを行うオルタンス。にこやかな笑みを浮かべながら眼前の少女の手を取るアンリエッタ。
結局、二人は手をつないだまま、貴賓室からずいぶんと離れたルイズの部屋へと向かうのであった。