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No.22415の一覧
[0] 皇国の聖女(転生オリ主・TS)[マカロン](2011/02/20 00:22)
[1] 第1話 水の王国[マカロン](2010/10/10 16:45)
[2] 第2話 王都を行く[マカロン](2010/10/14 20:13)
[3] 第3話 流浪の剣士[マカロン](2010/10/25 17:50)
[4] 第4話 出会い[マカロン](2010/12/17 20:27)
[5] 第5話 予感[マカロン](2010/12/17 20:28)
[6] 第6話 ラグドリアンの園遊会 前[マカロン](2010/12/18 20:16)
[7] 第7話 ラグドリアンの園遊会 後[マカロン](2011/02/15 18:00)
[8] 第8話 再会[マカロン](2011/02/21 22:08)
[9] 第9話 二人の過去[マカロン](2011/06/05 21:30)
[10] 第10話 始祖に誓って[マカロン](2011/08/09 13:11)
[11] 第11話 草原の魔法学院 前[マカロン](2012/08/16 00:54)
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[22415] 第10話 始祖に誓って
Name: マカロン◆9e9ae527 ID:09955455 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/08/09 13:11
 ―――トリステインの国王が崩御した。

 その報せを王の娘、王女であるアンリエッタが初めて受け取ったとき、彼女は父の死を嘆き、そして悲しんだ。

 彼女の父は、このところずっと病床に臥していた。
 初期の頃はともかく、始祖の降臨祭を迎える頃となっては、もはや大臣でさえその姿を目にする機会は無くなっていた。
 国で五指に入るほどに優秀だった水メイジの医師たち。その誰もがとうの昔に匙を投げ、もはや“その時”を待つだけという、なんとも救い難い状況に陥っていたのだ。

 そして、王が病に臥してからというもの。
 宮廷の法衣貴族や官吏の間では、「次の王は誰になるのか」「いや、ここは王配候補の選定を急ぐべきではないか」という意見が噴出するようになっていた。
 そこに病床の王やその家族を気遣うといった気配はほとんど感じられず、いかに自分が次の『王座』の下で利権を貪るかにばかり、皆が焦点を合わせていた。
 御前会議への代理出席を拒絶した母に代わり、政治の真っ只中へ投げ出されてしまった無垢な少女にとって、どす黒い欲望が渦巻く権謀の世界というものは、まったく受け入れ難い光景であった。

 マザリーニの言う通り、御前会議への出席などは辞退すべきだった、と彼女は後に悔やむ。

 しかし、当時のアンリエッタは出来る限りの背伸びをすることを望んでいた。自分は王女であり、父が病に倒れた今、その代役くらいはこなしてみせよう……、そう考えていたのだ。
 だが、それは大きな思い違いだったのだろう。宮廷の闇の部分を知らずに育った白百合にとって、実際の宮廷政治はあまりにも醜悪に過ぎた。
 かつて家臣たちが己へと向けてきた笑顔。それが自分に取り入るための“仮面”であったことを知ってしまった少女は、もはや彼らを信用できなくなりつつあった。

 けれども、アンリエッタは表向きは無垢な少女のまま、御しやすい人物として振る舞い続けた。
 だが、少女の内心では不信感が増幅し始めている。宮廷の人々にとって、自分は籠の中の鳥でしかないのだと、それまで以上に強烈に自覚させられたからだ。
 果たして、自分の存在とは一体なんなのか。
 王族として、利用される立場であることは薄々感づいていたが―――宮廷の貴族から見れば、自分は人としてすら見られていないのではないか。そう感じるようになった。

 こうして、不安定な精神状態のまま、アンリエッタは新年を迎えることとなった。
 心の支えとなる友人たちと会う機会も訪れぬまま、彼女は全てを自分一人で背負わねばならなくなってしまったのだ。

 トリステイン王の崩御は『始祖の降臨祭』明けに国内は元よりハルケギニア全土に向けて発表され、その数日後に、トリステイン全体を挙げた大規模な国葬が催される運びとなったのである。


 ―――そして、国葬の当日となった。

「国王陛下は、まことに名君と呼ぶに相応しい君主であらせられました。陛下は、遠く天の彼方に浮かぶ、白き大地アルビオンよりこのトリステインへ……」

 演説を行うマザリーニ枢機卿の眼下。王城前の広場は詰め掛けた群集で埋め尽くされている。皆、神妙な面持ちで頭上のバルコニーへと見入っている。
 しかし彼らのお目当ては、今演説を行っている痩せぎすの枢機卿ではなく、彼の奥で黒いドレスに身を包み、じっと下を向いて俯く若き王女であった。
 己の不人気などは重々承知しているのだろう。マザリーニは予定されていた言葉を一言一句残さず口にすると、すぐに、背後で控えていたアンリエッタを呼び出す。

 ここは本来であれば、王の后であるマリアンヌが民衆の前面へと立つべきであった。
 しかし、彼女はその務めを果たすには、少しばかり心が弱かったらしい。夫が亡くなってからは常に体調を崩していたので、この国葬の参加は見送っていた。
 故に、王の唯一の正統な後継者であるアンリエッタが、この国葬の喪主を務めることが義務付けられていたのだ。

 このときのアンリエッタは、見るからに顔色が悪かった。しかしそれを民衆に感じさせないよう、気を配りながら、ゆっくりとバルコニーの端にまで歩みを進める。
 壮年の男性ではなく、ようやく王女の姿を目にすることができた民衆がざわざわとざわめき始める。そんな人々に向かって、王女は制するかのように右手をかざした。
 すると、それまで互いに口を動かしていた民衆はようやく静まった。次の王女の一挙一足を、固唾を呑んでじっと見守り始める。

 しばし沈黙を続けた後。
 栗毛の王女はその青い瞳に憂いの色を浮かべながら、眼下の人々に向けて静かに語り始める。精一杯の虚勢を張りながら、小さな口を開くのだ。

「今日この場で、わたくしから皆さまに申し上げることはただ一つしかございません。それは、どうか父の冥福をお祈りしていただきたい、ということです。父の魂が無事に始祖の在らせられる天へとたどりつけるよう、どうか皆さまのお力添えをいただきたく存じ上げます」

 そんな短い台詞と共に、アンリエッタは両手を重ねて祈るような仕草をした。それに合わせるように、背後の重臣や周囲の貴族たちも祈りを捧げ始める。
 見目麗しい栗毛の王女がそうしているのだ。
 普段はブリミル教の教えなどろくに守らない平民たちも、このときばかりは、皆真剣な様子で祈りを捧げていた。
 そして、その中には―――厳密には、群集から隔離された貴族たちが集められた席の一角で、白い髪の少女……オルタンスも同じように祈りを捧げていたのである。
 やがて祈りを終えると共に、王女はバルコニーの奥へと退場していく。

 この後、王の棺は王城の近くにある陵墓へと葬られることとなる。ただ、そこは王族や一部の大貴族、政府関係者、そしてロマリアの教皇たちのみが参列を許される場だった。
 オルタンスはアンリエッタと親しい間柄である。しかし、とうとう彼女が参列を許されることは無いのだった。


 ―――それからしばらく。オルタンスは、マザリーニ邸へ戻るという家族と別れ、王城前の広場で一人佇んでいた。

 アンリエッタとは、国王崩御の報せ以降は一度も顔を合わせていない。今日とて一方的に顔を見ることはできたが、あくまでその程度だった。
 オルタンスは家族を失うことの悲しみはよく知っている。愛する父との死別は、たとえ前世の記憶を持っていたとしても、相当に堪えるものであった。

「大丈夫かな。姫さま……」

 ふと、誰ともなしにそう呟く。
 バルコニーから見えた王女の姿は、虚勢を張ろうとして逆に失敗しているようで……、酷く痛々しいものだった。
 恐らくこの場に居合わせた人間の多くは気が付いていないであろう、本当に微細な“サイン”だったが、確実にアンリエッタの精神は疲弊しているのが見て取れたのだ。
 それは果たして、父王の崩御による心労だけが原因なのだろうか? どうも、他にも原因があるように思えて仕方がなかった。
 そしてこのとき、その王女の心情を察したのは、なにもオルタンスだけではなかったらしい。少しばかり気障ったらしい声が背後から響いてきたのだ。

「そうは言い難いかもね。王女殿下、ああ見えて意外と繊細そうだし……。実際、バルコニーの彼女は萎れた白百合のようだった」
「また、あなたなの……」
「うん。ぼくとしても、これはまったく予想外だったよ。こんなに早くきみとまた会えるなんてね」

 声の主はジュリオだった。どうやら、聖エイジス三十二世がトリステイン王の葬儀に参加するということで、再びこのトリステインへとやって来ることとなったらしい。
 相変わらずの白い服装に、気取った仕草。白い歯を見せつけながらにこやかに歩くさまなどは虫唾が走ると言っていいだろう。

「暇なのね。ロマリアの神官サマ」
「残念ながら、ね。国王陛下の葬儀に参列できたのは聖堂騎士まで。しがない下っぱ神官は追い出されてふらついてたのさ」
「ふぅん」

 あまり興味はない、といった様子でオルタンスは返答する。実際、ジュリオがどこの誰に追い出されることになろうと、彼女にはどうでもいいことであった。
 そんな、自分にそっぽを向く少女を見つめながら。ジュリオは顎に手を添え、やはりどこか気障ったらしい口調で述べるのである。

「ふむ。きみはアンリエッタ王女が心配で仕方ない。そうだろ?」
「そうよ。あの様子は尋常ではないわ。きっと……、なにか悩み事があるはず。一度、話を聞いてみないと」
「……それは、きみに解決できる類の悩み事なのかい? もし、きみにどうすることもできない悩み事だとしたら?」

 このジュリオの発言に、オルタンスは少々ムッときた。お前はアンリエッタの悩み事を解決できない、深入りするな……と言われているような気がしたのだ。

「お友だちなのよ。悩みを聞いてあげることくらい、いいじゃない」
「ま、それはそうだね。特に彼女のような立場の人間なら……、腹を割って話せる相手も少ないだろう。ただ誰かに話すだけで気が楽になることだってある。今の彼女に必要なのは、本音で話し合える相手なんだろう」

 そう言い終えると。少年は色違いの二つの瞳で、じっと目の前の少女を見つめた。
 オッドアイ―――『月目』はトリステインでは不吉の象徴として忌み嫌われる。ただし、ジュリオほどの美少年となると、かえって神秘的なアクセントとなってしまうのだが。

「……そうね。で、あなたはなにがしたいの?」
「いや? ぼくはただ、自分が言いたいことを勝手に言っているだけだよ?」

 本当になにがしたいのだろうか、この金髪男は。無闇におどけられ、オルタンスは不快感を禁じえなかったが、こんな状況でことを荒立てることもないと考える。

「おっと……。そろそろ時間だ。ぼくはもう行くことにするよ。では、また会おう」

 言いたいことだけを言い、ジュリオは王城前広場から去って行く。……結局、彼がなにをしたかったのかは、最後までオルタンスにはわからずじまいなのであった。



 *



 既に、トリステイン王の国葬から一週間ほどが過ぎていた。しかし、未だにオルタンスはアンリエッタに会うことが出来ていなかった。
 
 少なくとも、その原因の一つは王女の多忙であった。
 アンリエッタは、国王崩御とマリアンヌ太后の女王戴冠の拒否を受けて、非常に難しい位置に立たされているのである。
 この頃の宮廷では、アンリエッタが直接女王として即位するか、あるいは国内外の大貴族を王として擁立するかという、二つの動きが出ていた。
 しかし現状では宮廷内の各派閥の闘争が激しさを増しており、これらが早期に実現する見込みなどはまったくなかった。机上の空論状態だったのだ。
 
 通常、王国の王位が空白となることはあってはならない。
 神聖ローマ帝国の“大空位時代”や、第一次世界大戦後の王位なき“ハンガリー王国”のような事例が地球にはあったが、それは本当に異例中の異例なのである。
 もはやマリアンヌの即位の可能性はゼロであると見なされていたため、その娘であるアンリエッタに対する圧力は、日増しに強まっていた。
 マザリーニ枢機卿はそんな貴族たちの動きを牽制していたが、かえって「外様の宰相が王権を簒奪しようとしている」などと誹謗中傷され始める始末であった。

 だがそれも、トリスタニアの城を一歩出た外の世界とは、まったく無縁の話題であった。

 この日、オルタンスはアニエスと共にマザリーニ邸の中庭で火縄銃の射撃訓練を行っていた。
 中庭には少々みすいぼらしい的が立てられている。これに弾を撃ち込み、その着弾位置によって得点が変わるのである。
 アニエスは銃を扱いなれていたせいか、そこそこに腕も良い。何発かに一回は的の真ん中を抜いている。
 一方、オルタンスは的には当てるものの、ほぼ中央には当てることができなかった。

「どうして、わたしはうまく中央に当てられないのでしょう」
「基本的な部分はしっかりしているぞ? なにせわたしが教えたんだしな。……まぁ、後は練習あるのみだな。数をこなせば精度も上がっていくさ」
「頑張ってみます……」
「うむ。焦らず、じっくりと狙え。本当のところ実戦ではそんな暇はないが、銃の狙いを定める訓練をして損はない」

 火縄銃は一発ごとに弾を込める必要がある。手入れも頻繁に行う必要があるし、そのせいでオルタンスの手はいつも真っ黒になってしまっていた。
 これがオリンピアは大層気に入らないらしく、彼女がいるといつも訓練は強制的に中止となってしまう。……つまり、今の段階ではオリンピアはこの場にいなかった。
 どうも王都へと出ているようだったが、一体なにをしに行ったのかはオルタンスの知るところではない。

 ……と、そんなことを考えていると。
 なぜか慌しい様子で、オリンピアがマザリーニ邸の中庭へと飛び込んできたのだ。オルタンスは真っ黒になった両手を背中に隠すが、彼女の姉はそのことには目もくれずに口を開いた。

「ついさっき、王宮の衛兵たちが話しているのを耳にしたのだけど……、王女殿下が、突然行方不明になられたんだって」
「そ、そうなの?」
「うん。どうもトリスタニアから出た可能性もあるということで、魔法衛士隊も動員して捜索しているらしいのよ。さすがに王女殿下がいなくなったことは伏せられているけど、あまりに物々しい状況になっているから、平民の人たちも少しずつ異変に気が付いているみたい」

 アンリエッタが王城からこっそりいなくなるのはよくあることだった。ただ、ほとんどの場合は密かに護衛がついている。今回大規模な捜索が行われているのは、その護衛すら巻いたからなのだろう。
 “王都を出た可能性もある”ということは、誰かがアンリエッタらしき人物が王都へ出て行く場面を見たからなのだろう。
 しかし……。なんとなく、オルタンスはアンリエッタがトリスタニアを出たとは考え難かった。確証はまったくないが、なぜかそう感じたのである。

「……わたし、ちょっと姫さまを捜してきます」
「え? あ、ちょ、ちょっと、オルタンス!」

 オリンピアが制止しようとしたときには既に、オルタンスはマザリーニ邸の正門を抜け出している。アニエスはやれやれと腕を肩の高さまで上げ、すぐに少女の後を追うのだった。


 ―――トリスタニア、チクドンネ街の裏路地。舗装もない不衛生な路面を踏みしめたとき、もうオルタンスは目的の人物を見つけていた。

 “彼女”は、そんな薄暗くジメジメとした路地の隅にいた。恐らくはこの辺りに居住している人間でさえ近づかないような場所で、彼女は身を小さく丸めている。
 木箱の陰に隠れ、いつかのように灰色のフードを被り、そして身を縮こませるその姿は。
 紛れもなく、アンリエッタ・ド・トリステイン本人である。
 足音を立てないよう、ゆっくりとした足取りでオルタンスは歩む。やがて手が届くほどの距離にまで近づいたとき、アンリエッタは自らの手でそのフードを退けた。

「……ふふ。見つけてくれましたか。実際、ちょっと不安だったんです。あなたが見つけに来てくれるか……」

 薄暗いからではないだろう。アンリエッタの目の下部には濃い隈が出来ていた。彼女はオルタンスを見上げながら微笑むが、その顔は少し引きつっているように思えた。
 とにかく、この不衛生な路面に、彼女をこれ以上座らせるわけにはいかないだろう。そう考え、オルタンスは手近な木箱の蓋を取って、彼女をそこに座らせる。
 そして自分もその隣りに腰を下ろすと。眉をひそめつつ、じっと隣りの少女を見つめながら声をかける。

「まさか、またこんな場所に……」
「ここは、あなたとわたくしが初めて出会った場所ですから。気が付くと、なんとなくここに足を運んでいましたの」

 そう呟くようにして答え、アンリエッタはオルタンスの肩に自らの体を預けた。真冬の只中で、少女たちは身を寄せ合う。

「ねえ、オルタンス。わたし、このままどこかへ逃げてしまいたいわ。そうね……たとえば、あなたの故郷のロマリアとか。あの国は冬でもこの国より暖かいのでしょう?」

 オルタンスはただ黙してアンリエッタの言葉を聞く。着の身着のままで飛び出して来たので、今はアンリエッタの体温が有難かった。

「もう、嫌だわ。誰も彼も、口を開けば王位の話ばかり。父が亡くなったことを顧みもしない……。自分がどれだけ利権に食い込めるか、そればかり。わたしを見る目だって……」

 語っているうちに、段々と熱がこもってきたのだろう。語気は強まり、自らの記憶を引き出すと共に感情が高揚していく。

「そんなに王座が大事だと言うのなら、誰でも好きな人が王さまになればいいのよ。どうしてわたしが即位を強要されないといけないの……? なぜ好きでもない殿方との婚姻を迫られるの……? どうして、父の死を悼む時間さえ与えられないの……? 王族に生まれたからって、あんまりだわ。こんな仕打ち……」
「アンリエッタ……」

 気が付いたときには、もうアンリエッタは涙を流していた。ぽろぽろとしずくが頬を伝わり、あるいは直接布地の上に落ちて、小さな染みとなっていく。

「自籠の中の鳥はもう嫌。自由に飛び回りたい……。あの王城は監獄だわ。わたしだけじゃない、王族すべてを閉じ込める牢獄なのよ。一生をあの城で過ごさなければいけない……。これじゃ……、これじゃ、まるで囚人じゃない。わたしが……、ずっとあの城で飼われていたわたしが、一体どんな罪を犯したというの!?」

 オルタンスはアンリエッタの言葉に対する適切であろう答えを持っていない。自分にすがって慟哭する少女を前にして、どうすることもできなかった。
 だから、彼女はむせび泣く少女を抱きしめることしか出来なかった。嗚咽を漏らしながら、アンリエッタが思いの丈をぶつけてくるのを、ただ黙って受け止めることしかできなかった。
 普段の様子からは考えられない口調で、王女は自らが日頃から抱いている不満の数々を吐き出していく。
 それらは、王女と比べれば遥か下層にいるオルタンスには理解しがたいものも含まれていたが、それらを態度に示すことは決してせず、じっと話に耳を傾けていた。

 やがて、一通りの愚痴を吐き終えた後。

 アンリエッタは先ほどまでとは打って変わって大人しくなり、ずっと俯いたまま顔を上げようとしなかった。
 ……恐らくは涙や鼻水で顔が酷いことになっているのだろう。そう察したオルタンスがハンカチを差し出すと、栗毛の少女は礼を言ってそれを受け取り、顔を拭っていく。
 少ししてから顔を上げたアンリエッタは、顔中が真っ赤になってしまっていた。彼女は恥ずかしそうにフードを被り、また俯く。

「ごめんなさい……。取り乱してしまいましたね。あんなこと、あなただって言われても困るでしょうに……」
「いえ、いいんですよ。たまには、自分の思っていることを全部ぶちまけたって。むしろ、そうしてほしいです。わたしたちは友達なんだから、もっと頼ってくれてもいいんです。それしか、自分にはできないから……」
「オルタンス……」

 オルタンスに出来ることといえば、せいぜいアンリエッタの愚痴を聞いてやるくらいだ。宰相の姪という立場であるだけで、彼女自身は政界への影響力など有してはいないのだから。
 アンリエッタは目の前の白髪の少女の手を握り、じっとその翡翠のような瞳を食い入るように見つめる。
 そんな状況が気恥ずかしくなったのか、見つめられる側の少女はぞっと視線を逸らし、あさっての方向へ顔を背けながら告げる。

「辛いことがあったら、遠慮せずにわたしに話してください。もし危ない目にあったら、わたしを頼ってください。守ってみせます。今は力不足かもしれないけれど、絶対にあなたを守れるようになってみせますから」
「……それは、ずっと?」
「ええ。ずっとです。ずっと……」
「では、始祖に誓ってくださいまし」
「し、始祖に?」
「ええ。始祖」 

 始祖に誓う―――それはこのハルケギニアでブリミル教を信仰する者にとって、絶対の価値観である。始祖に誓った事柄を破ることは神への背信行為も同様なのだ。
 当初は日本的な宗教文化との乖離に戸惑っていたオルタンスも、この世界で生きるうちにブリミル教のなんたるかは学んでいた。故に、アンリエッタの要求には冷や汗をかかされる。
 ……とはいえ、それを破るつもりも今のオルタンスにはなかった。
 アンリエッタは思いのほか繊細な少女だ。王族として生きる過程で体裁を取り繕うことを覚えてはいるものの、やはり根本的な部分では、どこにでもいる年頃の少女と変わらないのだ。
 彼女は、まるで恋をする乙女のごとく、真剣な眼差しでオルタンスを見つめた。ラピスラズリのような瞳で、餌を待つ子犬のようにじっと見つめてくるのである。これには抵抗のしようがなかった。

「“始祖ブリミルに誓い、わたしはアンリエッタを一生守り通します”。……これでいいのかな?」
「ええ。ありがとうございます」

 即興かつ形式を無視した形での宣誓だったが、アンリエッタは特に気にすることもなく上機嫌な様子でオルタンスに抱きついた。

「……とっても嬉しい。オルタンス……わたくしたち、ずっとお友達でいましょうね」
「う、うん……」

 よく考えたら、この状況でこの後どうすればいいのだろうか―――そんな考えが脳裏を過ぎったが、とりあえずそれは頭の片隅に置いておくことにする。
 冬の寒空の下。オルタンスとアンリエッタは、その後もしばらく抱き合って暖を取ることになった。

「……うむむ、わたしが入り込む隙間もないな。あれは。とりあえずどうするべきなのだろうか?」

 裏路地で仲良く抱き合っている少女たちを発見したアニエスが、どうにも困ったような声を出した。だが、それは当の本人たちにはまるで聞こえもしないのであった。


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