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No.21689の一覧
[0] 【完結】 トリスタニア診療院繁盛記 【ネタ・オリ主転生・微クロス】[FTR](2014/10/04 11:44)
[1] その1[FTR](2011/07/02 00:01)
[2] その2[FTR](2011/07/07 22:57)
[3] その3[FTR](2011/12/18 14:54)
[4] その4[FTR](2012/03/29 23:33)
[5] その5[FTR](2011/12/18 14:46)
[6] その6[FTR](2011/07/03 08:10)
[7] その7[FTR](2010/11/07 20:39)
[8] その8[FTR](2011/07/03 08:11)
[9] その9[FTR](2010/11/27 15:45)
[10] その10[FTR](2010/09/12 21:00)
[11] その11[FTR](2010/11/17 23:17)
[12] その12[FTR](2010/10/21 20:09)
[13] その13[FTR](2010/11/17 23:18)
[14] その14[FTR](2010/10/27 00:37)
[15] その15[FTR](2011/12/08 23:08)
[16] その16[FTR](2010/10/10 11:18)
[17] その17[FTR](2011/07/03 08:20)
[18] その18[FTR](2011/12/18 19:58)
[19] その19[FTR](2011/07/05 19:28)
[20] その20[FTR](2011/08/13 10:23)
[21] その21[FTR](2010/11/20 00:35)
[22] その22[FTR](2010/11/30 23:52)
[23] その23[FTR](2011/04/07 02:23)
[24] その24[FTR](2011/08/16 16:04)
[25] その25[FTR](2011/01/05 23:11)
[26] その26[FTR](2011/01/05 23:23)
[27] その27[FTR](2011/07/31 23:04)
[28] その28[FTR](2011/08/22 23:58)
[29] その29[FTR](2011/01/28 17:48)
[30] その30[FTR](2011/03/23 21:49)
[31] その31[FTR](2011/09/17 00:34)
[32] その32[FTR](2011/08/22 00:34)
[33] その33[FTR](2011/04/13 12:57)
[34] その34[FTR](2012/03/29 23:34)
[35] その35[FTR](2011/04/30 23:19)
[36] その36[FTR](2011/08/30 00:41)
[37] その37[FTR](2011/08/16 15:27)
[38] その38[FTR](2011/07/14 18:39)
[39] その39[FTR](2011/09/13 09:35)
[40] その40[FTR](2011/10/31 23:57)
[41] 最終話[FTR](2011/10/26 23:37)
[42] あとがき[FTR](2011/08/20 16:24)
[43] リサイクル「その32.5」[FTR](2011/10/26 23:36)
[44] 外伝「その0.9」[FTR](2011/10/17 01:27)
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[21689] その37
Name: FTR◆9882bbac ID:338d20fd 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/08/16 15:27
「ヴィクトリア……あんた、大丈夫かい?」

「ん?」

 月明かりの下、マチルダの声に振り返ると、起き出した彼女が本当に心配そうな顔をしていた。
 隣ではテファが毛布を羽織って眠っている。

「ひどい顔色だよ。少し休めないのかい?」

「峠だからね。もうちょっと頑張らないと」

 手綱や食事の用意をマチルダとテファとディルムッドらに任せ、私は治療に専念すること丸1日。
 その前日から、2日眠っていないことになる。さすがに自分でも疲労が積み重なってきていることが判る。
 マチルダとテファを残してディルムッドと二人だけで乗り込んでいたら、間違いなく手詰まりになっていただろう。

 目の前に横たわっている才人の呼吸は、今は落ち着いている。落ち着いてはいるが、まだ油断がならない状態だ。
 前世なら間違いなくICU行き。レスピレーターを付け、心電図モニターの電子音が響く中で昏睡しているところだろう。そのモニター類がないだけに、急変に備えて常に才人の中の水の流れを感じていなければならないのが辛いところだ。
 軍用の秘薬をじゃぶじゃぶ使えたのは助かったが、それでも追い付かないほど才人の体は満身創痍だった。刺創に切創に擦過傷に打撲に火傷。外傷のフルコースだ。やばい血管が何本もやられていたが、神経が概ね無事と言うあたりは運がいい奴だ。出血がひどかったこともありできれば輸血がしたかったのだが、私たちの中に合致する血液型がいなかったので当面は造血効果がある秘薬頼み。軍の薬品箱をまるごとかっぱらってきたのはマチルダのファインプレーだ。麻酔から毒消し、回復薬から自白剤までその内容は多岐に渡っている。あらゆる状況を想定している軍の補給物資なだけはある。
 現状はまだいつ急変が起こるか判らない状況だが、一時は心停止まで陥ったのだから良く持ち直した方だろう。私みたいに体格が小さいと心臓マッサージも一苦労だった。
 秘薬の追加を処方し、治癒の魔法をかける。幾ら私がスクウェアでも、ここまでひどいと精神力はぎりぎりだ。熟睡して精神力の回復を図りたいところだが、もう少し安定するまでは気を抜けない。
 呼吸や脈拍などのバイタルは何とか正常。水を一口飲ませて一段落だ。フォーリーのドレンバッグに溜まった尿を確認すると、一時ほどひどい血尿にはなっていない。腎臓も落ち着いてきたか。
 御者台から、抑えた声でディルムッドが話しかけてきた。今、手綱を持っているのは彼だ。

「主、いかがですか、才人は」

「今のところは何とか安定しているよ。今はどの辺?」

「ウエストウッドの森を抜けるあたりです」

 頭の中で、地図の記憶を反芻して大体の位置関係を思い出す。

「夜明けにはシティオブサウスゴータに入れるかな」

「今の調子で行ければいいのですが、そろそろ馬を休ませる必要があると思います」

「この先に川があるから、そこで一服しよう」

 少しだけ明かりをつけて地図を見ていたマチルダの言葉に、私は頷いた。

「いいね。ちょっと休んで、あとは止まらずに行こう。シティオブサウスゴータに入れれば何とかなる」

 それだけ言って、私は疲労を吐き出すように大きく息を吐いた。
 考えてみれば、今までの人生で一番ハードは一日だったように思う。







**************************************************************************





夜通し突っ走って、私たちは滑り込みで才人の窮地に間に合った。


『ディルムッド、才人は!?』

『間に合いました。深手を負っておりますが、生きております』

『良かった、間に合ったかい。そのまま牽制頼むよ』

『お任せを』

 念話をしながらも、ディルムッドの怒気がびりびりと伝わって来る。ただでさえ情に厚い男だ、今の心情はさぞ凄まじい物だろう。


「俺の弟子が、ずいぶん世話になったようだな」

 静かな怒りをそのまま言葉に乗せ、神聖アルビオンの軍勢と対峙する槍兵。
 風切音を立てて槍を一旋し、その切先を突き付けて鋭い眼光そのままの言葉を高らかに宣う。
 
「今この時より、トリステイン王国の勇者サイト・ヒラガに成り代わり、この槍が貴公らの相手を致す」

 取り囲む軍勢も一斉に杖を構えるが、周囲の兵たちはその地響きを起こしそうな鬼気に完全に飲まれている。
 
「覚悟しろ。ただ一人として、歩いては帰さん」

 その声を引き金に、包囲戦再びの勢いで魔法が放たれる。兵たちの恐怖も上乗せとなって、それは滝のような攻撃だった。
 しかし、当たらない。
 槍で防ぐまでもない。『風を踏んで走る』事すら可能な彼の踏込みは、ガンダールヴすら及ばぬ速さを持つ。一瞬で包囲網までの突入を許したあとは、一方的な蹂躙劇となった。槍が奔り、一瞬で兵たちの隊列が壊乱していく。人間については殺さぬよう命じてあるが、怒れる彼の一撃を受けた兵たちは半死半生の有様だろう。唸りを上げる剛槍の一振りで、兵隊たちが塵のように吹き飛び、本能のままに突撃したオーク鬼がその突きを食らって肉片となって降り注ぐ様を見て、敵の前衛は完全にパニックに陥った。


 程よい混乱具合の中、包囲に空いた穴を突いてテファが手綱を握る馬車で一気に才人のところまで肉薄する。大軍の真ん中に飛び込むのだ、なかなかに度胸が要る。才人が台風に飛び込むようなものだと言っていたのがよく判る。
 私は荷台から身を乗り出しながら、倒れ伏す才人に狙いを定めてレビテーションをかけた。
 馬車を止めることなく、ふわりと浮いた才人を馬荷台に引き込むと、タイミングを計ってテファが馬首を返す。

「すまねえ娘っ子!」

「挨拶は生きて帰ってからにおし!」

 デルフの声を受け流しながら、周囲に目を向ける。
 さすがは軍隊。早くも私たちに対処すべく兵が展開を始めている。士気や統制はガタガタだろうに、さすがは名将ホーキンス。
 離脱しようとする私たちだが、馬車よりも単騎の方がどうしても速い。数秒後には馬車ごと魔法で滅多打ちだろう。そんな様子を見ながら、隣で意識を集中しているマチルダに声をかける。

「マチルダ、頃合いだよ!」

「はいよ」

 長い詠唱の最終章が終わり、マチルダの双眸が鋭く輝いた。

「行けっ!」

 叫ぶと同時に、杖を大地に向かって振り下ろした。
 この時、私はマチルダという土メイジの実力を、本当の意味で目の当たりにすることになる。




 神聖アルビオンの兵にとって、恐らく今日は人生でも屈指の厄日だったことだろう。
 勝ち戦と思って暢気に行軍をしていたところに、黒髪の剣士が襲って来て大暴れをした。それをようやく退けたと思ったら、今度は同じく黒髪の槍兵が襲って来て、剣士の襲撃すら霞む勢いで軍勢をなぎ倒し始めた。仕上げに現れたのがちょっとあり得ないくらい巨大なゴーレムとくれば、もはや戦う気力も起こらないことだろう。

 土魔法『クリエイト・ゴーレム』

 マチルダのゴーレムは大きかった。その大きさは、およそ30メートル。原作通りの大きさだが、実際にはもっと大きく感じる。通常なら20メートルがせいぜいのゴーレムなのに、このでかさは何なんだろう。

「さあ、うちのアルバイトを可愛がってくれた礼をしてやろうかねえ」

 瘴気を纏った黒い声。この時、私は初めてマチルダが滅茶苦茶怒っていることに気づいた。夏の間、同じテーブルで食事を共にした間柄以上に、雇用主とアルバイトの間ゆえの絆も両者の間にはあるのだろう。
 馬車に向かって追いすがってくる騎馬隊に、マチルダのゴーレムが地響きを立てて突進する。
 そのゴーレムからの石礫を食らって悲鳴を上げて落馬していく騎馬隊の諸君。すまんね、うちの姉は手加減が下手で。
 マチルダのゴーレムの出現を見て、対抗のためにゴーレムが幾つも湧いて出る。ゴーレムの最大の武器はその質量だが、一般的な戦闘用ゴーレムたちとマチルダのゴーレムとの身長差は1.5倍。質量は単純計算で3倍以上だ。あまりに大きさが違うのでゴーレム同士の戦いでは喧嘩にならない。まるでヘビー級とフライ級のボクシングだ。パンチ一発で破壊されていく神聖アルビオンのゴーレムたち。強い、というより強すぎる。学院襲撃の時に見せたという、殴る瞬間に拳を鋼鉄と化す鉄拳パンチは私も初めて見る。
 マチルダ・オブ・サウスゴータ。私が知る歴史では『土くれのフーケ』として恐れられた天才的な土メイジ。その実力のすさまじさに、私もテファも唖然としていた。ガチでやったら私でも勝てる気がしない。
 この作戦を提言したのは彼女だ。私とディルムッドだけでは、敵を崩しても才人を奪って逃げることは難しい。やるとなった場合、ディルムッドに不本意な流血を命じなければならなかっただろう。屍山血河を築き、才人が積み上げた不殺の名誉を踏みにじりながらだ。それでもなお、馬を扱えない私が無事に逃げおおせられる可能性は低い。かといって、馬車を走らせても追いつかれてしまう。そこで生きてくるのがマチルダの存在だ。殿にゴーレムを置くことで全員の生還を可能にする一手。それが思惑通りに嵌りつつあった。思惑通りと言うか、怒り狂った工房組二人の暴れっぷりを見ていると、そのまま神聖アルビオン軍が壊滅しそうな勢いだ。神聖アルビオンの将兵諸氏も、さぞ迷惑なことだろう。

『ディルムッド、張り切りすぎるんじゃないよ。適当なところで切り上げておいで』

『心得ました。いささか不本意ではありますが』

 そんな会話をしていると、彼方で兵隊が派手に縦回転しながら飛んでいく様が見えた。ちゃんと手加減してるんだろうね、あいつも。

 才人が死んでいたら私もディルムッドを止めなかっただろうが、今は才人の命を救う方が先決だ。弟子が可愛いのは判るが、ここは冷静になってもらわないと困る。 
 以前、才人の持つ奇妙な魅力について考えたことがあったが、この二人もまた、彼のその力に引きつけられているのかも知れない。

 そんな感じに、混乱に陥る敵軍と徐々に距離を取っていく。
 状況は落ち着きつつある。ホーキンスは私が知る限りでは優秀な将軍だ、私たちみたいな小勢を、そうそう大部隊で追いかけるようなことはするまい。



 さて、ここからは私の仕事だ。
 揺れる馬車の中、才人の衣類を剥いで傷を確認する。
 全身血まみれの傷だらけ。ひどいありさまだ。まさにめった刺し。内臓に到達している傷も少なくない。
 本格的な手術は馬車を止めてからになるが、困ったことにどうにも傷が深い。心臓は無事だが傷箇所は広範囲に及ぶ。内臓のダメージもざっとスキャンしただけでも肝臓、消化器、腎臓等々。
 ショック死しなかっただけでも僥倖と言う感じだ。
 ふんだんに使える秘薬を惜しげもなく使い、応急で止血を優先する。

「頼むぜ、助けてやってくれ」

「だったら、こいつに呼びかけてやっておくれ。耳元で怒鳴ってくれることも効果があるんだよ」

「判った。おい相棒、起きろ、起きやがれ!」

 必死に叫ぶデルフを他所に、私はひたすら手を動かし続ける。
 点滴のラインをさらに増やし、手足からの出血について猫バッグから圧迫帯を取り出してきりきりと締め上げておく。
 まずは一番危険な胸部の刺創から。
 ブレイドのルーンを唱え、切開を始める。
 少年よ、もうちょっとだけ頑張れ。私も頑張る。
 必死に心の中で語りかけながら、揺れる車内で処置を続けた。



 戦線から離脱した後、私たちが飛び込んだ先はウエストウッドの森の中だった。派手に追撃されたら大ごとだったが、いかんせん敵も大混乱に陥っていたので予想したより追っ手は少なかった。ドラゴンライダーが数匹追ってきたが、いずれもディルムッドが撃墜している。陸路の方はマチルダのゴーレムが効いたのか、追っ手の蹄の音は聞こえてこなかった。

 そこからどうするかについては、当面はシティオブサウスゴータを目指すことで考えていた。敵の行軍と逆の方向に進む形なので敵の懐深くに入るようにも見えるが、恐らくこの戦いの終盤のロサイスで、ガリアの突然の砲撃によってクロムウェルが鬼籍に入ることだろうから、その時点で神聖アルビオンは勢力として死ぬはず。新手と遭遇する機会はないと踏んだ。その前提では、下手に逃げるよりシティオブサウスゴータの4万の市民に紛れ込むのが良策だと私は考え、森の中を大きく迂回する形で裏街道を進んでいた。







**************************************************************************









 マチルダが言う通り、程なく川に差し掛かった。このままこの川を辿って行けば、シティオブサウスゴータに辿りつくだろう。
 馬を休ませながら、私たちも簡単に食事を摂る。眠っていないので、正直食欲はない。
 それでも食べないと本当に体が持たなくなるので無理矢理にでも胃に入れておく。携行食を水で流し込むような味気ない食事だ。
 ディルムッドが視線をあげたのはその時だった。

「誰か来ます」

「敵かい?」

「警戒している足音ではありません。恐らくは軍から落伍した者かと」

「敗残兵かな」

 ディルムッドは立ち上がり、足音の方向に槍を向ける。

「そこで止まれ」

 ディルムッドの声に、足音が止まった。

「何者だ。神聖アルビオンか、連合軍か」

「いずれでもない」

 聞こえてきたのは、歳をとった男の声だった。はて、どこかで聞いたことがある声のような……。

「敵意はない。怪我をしている。できれば川の水を飲ませて欲しいのだが」

 再び足音が聞こえ、月明かりの中にその姿が現れる。
 それは、酷い傷を負った一人の老兵だった。
 くたびれ果ててはいたが、白い髭を蓄えた老紳士。
 その姿を見た時、私は一瞬絶句した。

「パリー?」

 それは、見覚えのある爺の姿だった。
 好々爺そのままの爺の顔が、月明かりの下で立ちあがった私を見て驚き一色に染まる。

「ま、まさか……殿下?」

 その声を聞き、私は爺に駆け寄った。ぼろぼろになったマントの下に鎖帷子を着込み、手には軍杖。

「これは……夢でしょうか。死にかけたこの身が、今際の際に見ている夢のようです」

 震える声を出す爺の手を取って私は喜んだ。

「私は本物だよ。パリー、よくぞ無事で」

 伯父上と共に死んでいることすら予想した爺の無事に、正直泣きたいほど嬉しかった。
 ディルムッドに指示してパリーに肩を貸してもらい、腰を下ろしたところで秘薬を持ち出して彼に治療を施す。
 その間に、マチルダとテファに頼んで食べ物と水を用意してもらう。
 アルビオン王国の臣下に対し、マチルダなりに思うところはあるかも知れないが、ここは我慢して欲しい。
 そんな事を思いながらマチルダに視線を向けると、

「それはそれ、これはこれ。今のこの人は、あんたの患者だろ」

 と切り返してきた。ちょっとだけ泣きそうになった。

 思ったより重傷なパリーだが、治療をすれば傷そのものは命に係わるほどのものではない。年齢が年齢なので心配ではあるが、安静にしていれば大丈夫だろう。
 一段落して、パリーに話を聞く。

「ところで、どうしたんだね、こんなところで」

 夜の森をうろついている辺り、私たちも人のことは言えないが。

「この戦いで、我々アルビオン王党派は現地の連絡や諜報に従事しておったのですが、大勢も決し、新年と共に殿下の御発声で、シティオブサウスゴータで正式にアルビオン王国復興を宣言することになっておったのです。ですが……」

 ウェールズ殿下健在の情報に、私は拳を握りかけた。

「その矢先にあの騒ぎかい」

「殿下は即座に兵をまとめ、森に退きました。その途中で敵の追撃を受け、私の隊は別働隊として殿下とは別れました。しかし……追っ手の数が多く、部下たちは……」

「泣くな。爺が生きていてくれただけでも、私は嬉しい。それで、殿下はいかがされた?」

 私が敵か味方かも判らないだろうに、無条件で信用してくれているのかパリーは素直に話してくれた。

「連合軍が瓦解した以上、もはや王党派の命運もこれまでです。恐らくはシティオブサウスゴータで敵の後続相手に死に花を咲かせる御所存かと」

「早まったことを。アルビオンの王権をどうするおつもりなのか」

 私は声を荒げてしまった。伯父上が命を懸けて守ったものをそんなふうに簡単に手放してしまうなど、私に怒りを覚える資格はないとしても受け入れがたいものだった。
 しかし、パリーは首を振って大切そうに抱えていたものを取り出した。

「例え王党派が倒れても、アルビオン王家の栄誉は残ります。そして私の使命は、これをトリステインにおわす殿下にお届けすることでした」

 箱を開け、中から出て来たものを見てテファが息を飲んだ。
 ……こらこら、そんな御大層なものをこんなところで開帳しちゃまずいよ、パリー。 
 古ぼけた、オルゴール。
 ボロボロで、傷だらけ。しかし、事の次第を知っている者であれば、その曰くという名の装飾故に冷や汗をかくことだろう。ひとたび奪い合いになれば、数百の単位で人が死にかねない代物だ。
 さすがに私も口の中が乾いてしまった。そんなもん、持って来られても困る。

「どうかお納めを」

 何だか導火線に火が付いたダイナマイトを差し出された気分だ。差し出すその手を、私は制して言った。

「それはまだ受け取れないよ」

「殿下?」

「ウェールズ殿下は、まだ御存命なのだろう。ならば、彼が本懐を遂げられたことをこの目で見ない限り、私はそれを受け取るつもりはない」

 これはただのオルゴールではない。アルビオンという国の王権そのものが形になった宝物だ。
 それには、国自体が業のように抱えるあらゆる問題が蔓のように絡み付いている。子供の玩具のように渡されても、はいそうですかと受け取る訳にはいかない。受け取るからには、こちらにも覚悟という名の心の準備が要る。
 無論、心の底から私はそれを受け取りたくない。人にはそれぞれ器と言うものがあることくらい、私だって知っている。私みたいな口より先に手が出る右ストレートな性格の女が女王になるなど、アルビオン国民にとっては迷惑以外の何物でもあるまい。

「それで、ウェールズ殿下は今はシティオブサウスゴータ周辺におられるのか?」

「はい。敵本隊が通過後に通るであろう、輜重段列を狙うよう方針を固められました」

「補給部隊を?」

 逃げる連合軍を猛追する神聖アルビオン。逃げる敵ほど討ち取りやすいものはない。それだけに、神聖アルビオンは手持ちの糧秣・弾薬だけで全速で敵を追っているはずだ。原作の描写にも予想以上に進軍が早いとあったのは、恐らくこのためだと思う。状況と距離を考えると、自然、輜重は後追いになるだろう。
 そこに、才人の活躍で稼げた1日と言うブランクが生じている。これについて、ホーキンスがどう考えるか。
 才人の妨害がなかったら躊躇わずに進軍しただろうが、状況を見ると、追い詰められた連合軍がロサイスを城として籠城戦を選択する可能性も考えられなくもない。
 数に勝るとはいえ、連合軍は3万に対して神聖アルビオン7万。1日と言う時間で連合軍が再編と陣地を固めた場合、そう簡単には駆逐できない可能性を考えるように思う。一度構築しているだけに陣の再建は早いだろうし、喪失した重装備については最強の浮き砲台である戦列艦というカードで補うこともできるだろう。攻者三倍の要件を満たしていないこと、そして戦列艦の火力の前では、逆に数的優位に基づく神聖アルビオンの優勢が覆される可能性もあるように思う。しかも、敵の背後は空であり、制空権を握られているからには理屈の上では補給はしたい放題だ。
 連合軍の状態に関する詳細な情報が入っていれば籠城の気配がないことが判るだろうが、状況は急戦だ。充分な情報を集める時間的余裕はなかっただろう。1日と言う時間を連合軍に与えてしまったからには、偵察にそれなりに手間と時間をかけるだろう。
 連合軍が籠城を選択した場合、展開は補給勝負になる。ホーキンスも保険のために当然ロンディニウムに補給の要請を行うだろう。
 尻に帆をかけて逃げ出す連合軍の状況を知っている私ならともかく、状況を知らないウェールズ殿下がその輜重段列を叩くというのも自然な成り行きかも知れない。
 しかし、一国の王子が捨石のような戦いで命を落とすというのも、何とも虚しい最期のような気がしないでもない。
 何より、私としては彼の名誉はともかく、彼にはそう簡単に死んでもらう訳にはいかないのだ。場合によっては力ずくで殿下の短気を諌めることも辞さないつもりだ。
 いずれにしろ、状況は確認できた。話し終わると同時に、私たちはシティオブサウスゴータ目指して出発した。



 夜明けとともに私たちは森を抜け、シティオブサウスゴータが見えるところに出た。
 街に近づくにつれ、仄かに焼けた匂いが漂ってくる。
 きな臭い空気の向こう。戦塵と言うわけではないが、微かに煙るシティオブサウスゴータが見える。
 思ったより早く輜重段列と接触したのだろうか。ディルムッドを偵察に出し、様子を見る。

 曙光が差し始めたあたりで、ディルムッドから念話が入る。

『戦闘は既に終わっております』

『脅威はないと言うことでいいかい?』

『恐らくは。しかし、おびただしい数の死傷者がおります』



 シティオブサウスゴータに入ると、至る所に死体が転がっていた。神聖アルビオンの兵もいれば、民兵のような者もいる。恐らく王党派だろう。
 その地獄絵図に、私は息を飲んだ。
 これが、戦場。
 そこは、あらゆるモラルが破壊された、人の世界ならざる地獄だった。
 苦悶の唸り声をあげる兵たち。
 物言わぬ、かつて人だった蛋白質の塊。中には、原型を留めていない物も少なからずある。
 一度見れば、幾度となく夢に見そうな光景だ。
 口の中に感じる苦いものを我慢して、パリーに話しかける。

「パリー、どう見る?」

「はい、かなりの規模の戦闘があったものと思われます」

 道の端々で、火をかけられて炎上した物資がまだ煙を上げていた。

「殿下が御無事であればよいのですが……」

 そのまま馬車を進め、中央広場に付いた時だった。

「止まれ!」

 出し抜けに数名の男が杖を構えて馬車の前に立ち塞がった。風体は民兵風。恐らく殿下の手の者だろう。

「こんな早朝に何者だ」

 それはこっちの台詞だ。言い返そうとしたところで、パリーが私を制して御者台に出て来た。

「私だ。この方たちに助けていただいたのだ」



 中央広場は、王党派の兵たちによって制圧されていた。
 ゲリラであればこのような制圧行動には出ないはずなのだが、何か意図があるのかも知れない。
 パリーが主だった面々と話し合いをしている間、私たちはその輪から外れて街の状況を見ていた。ここでもまた、神聖アルビオンと王党派双方の死傷者があたり一面に転がっていた。周辺では家も数軒焼けており、民間人にも犠牲者が出ているようだ。
 ここでは、ひたすら人は平等だ。誰であっても、死神の鎌は等しく振られるということが理解できる。
 やや時間が経ったように見える死体は、恐らく反乱騒動の時の連合軍のものだろう。攻略戦から今に至るまで、その短期間にどれほどの血がこの街の地面に注がれたのやら。

「殿下」
 
 そんな様子を眺めていたら、パリーに呼ばれたので振り返る。

「こちらへ」

 案内されて出向いた先は、敵から接収したらしい天幕だ。周囲に兵が立っているところを見ると、ここが大本営か。
 促されて中に入ると、心底驚いた感じの若い青年の声が聞こえた。

「ヴィクトリア?」

 天幕の中で、血まみれで椅子に座っている青年が目を丸くして驚いていた。
 昔日の面影が、その顔にある。

「御無沙汰しております、ウェールズ殿下」

「驚いたな。まさかここで君に会えるとは。あるいは、夢を見ているのかな。都合のいい夢を」

 パリーと同じようなことを言いながら、殿下も私の登場に驚いていた。私とて幽霊ではないので足はある。
 そんな殿下だが、顔色と衣類に付いた血を見るに、かなり酷い怪我を負っているようだ。

「お怪我を?」

「敵の補給部隊を襲ったのだが、思ったより警護の連中が手ごわくてね。付いてきてくれた部下もたくさん死なせてしまった」

「無茶なことを」

 かく言う殿下自身もかなりの重傷だろうに。血も、未だに止まっていないだろう。

「治療師は?」

 殿下は首を振った。

「かなりの者が倒れてね。水のメイジも全滅した」

 なるほど、外の負傷者が手つかずだったのも頷ける。三次救急の、まさにすぐにでも治療を施さないと死んでしまう者ばかりなのに、この人たちでは手の施しようがないのだ。
 ここは戦場。魂が一山幾らで取引される悪魔たちの御狩場だ。
 ウェールズ殿下は、荒い息遣いで私に言った。

「ヴィクトリア、せっかく来てもらえたのは嬉しいが、一刻も早くどこかに身を隠して欲しい。次に敵が来た時、私たちは全力で最期の攻撃を行うつもりなのだ」

「勝ち目のない戦いをされるというのですか? その傷では突撃もできないでしょう」

 私の言葉に、殿下は笑って傍らにある大きな樽を指した。恐らく中身は火の秘薬だろう。

「勝てるかどうかは、あまり問題ではないのだ。そこに、アルビオン王家の誇りがあるかどうかが重要なのだ」

 ニューカッスルの攻防戦でも、そう言ってアンリエッタの手紙を心の中に仕舞い込んだ殿下だ。ここで何を言っても意味はないだろう。

「だから、パリーに預けたオルゴールを受け取って、できるだけ早く逃げて欲しい。戦後がどうなるか判らないが、しばらくすればトリステインに渡ることもできるだろう。君がアルビオンにいることはレコン・キスタも知らないはずだから、狩り立てられることもないだろう」
 
 そんな殿下の言葉を聞きながら、私は考え込んだ。
 さて、どうしたものか。
 私はクロムウェルが爆殺されることを知っている。時間のずれなどがあったらアウトだが、現状を見る範囲では、この地が蹂躙される可能性はまずないはずだ。
 そんなことも知らず、やがて来る破滅の時を恋い焦がれる殿下と、それに引きずられる将兵の思惑が空振りに終わる傍ら、少なくない人が無為に命を落としていくと言うのはいささか受け入れがたい物がある。

「厄介事を押し付けるようですまないが、アルビオンを君に頼みたい。最期に……君に会えてよかった」
 
 そんなことを無責任に呟くと、ウェールズ殿下は疲れたように静かに目を閉じた。
 慌てて殿下に取りついてバイタルを確認する。失血に伴う意識混濁と頻脈。ちょっとどころではなく、やばい。気の毒だが、このままでは戦死するより先にお迎えが来てしまうだろう。
 アルビオン王国王位継承者。そして、私の従兄。だが、今は傷つき、疲れ切った一人の男性に過ぎない彼。
 そんな彼を診ているうちに、悩んでいる自分がおかしくなってちょっとだけ笑った。

 悩むことはないのだ。

 私は天才でも英雄でもなければチートな力を持った異能者でもない。
 選ばれた者などでは断じてない、前世の記憶を持っているだけの普通の小娘だ。
 だが、私は医者なのだ。
 死と言う、神が定めた摂理に対する反逆者なのだ。
 浅学で、矮小で、無力ではあっても、私にも信じるものがあるのだ。
 忘れてはならない。
 己の手にある、一本の青い水晶の杖が何なのか。
 これは五つの力を司るペンタゴンに彩られた杖と言うだけではない。
 これは同時に、無限の新生を意味する一匹の蛇に支えられし医術の杖のはずなのだ。 
 私は両手で一つ、頬を叩いた。
 目の前で苦しそうな息を吐いている彼は、アルビオン王国王位継承者でも、私の従兄でもない。
 ただの傷ついた患者だ。
 そこに患者がいるのなら、この天と地の狭間のどこに行っても私がやることは変わりはない。
 変わってはならない。

 私は天幕を飛出し、そこに控えていたパリーに声をかける。ここから先は少々のはったりも必要だ。

「パリー。ウェールズ殿下は重傷だ。指揮を取れる状態にない。勝手ではあるけど、今だけ私が殿下に成り代わってあのオルゴールの所持者になる。いいね?」

「……何ですと?」

「その立場として頼むよ。動ける兵を全部集めておくれ。どれほどのことができるかは判らないが、これ以上死者を出したくない」

 正直、私自身も魔法は幾らも使えないだろう。しかし、私だからこそ打てる手がある。会話をしながら、私は半ば自動的にこれからに関するプランを練り始めていた。

「しかし、いつ敵が来るか……」

 不安に顔を歪ませるパリーだが、神聖アルビオンの命脈が既に尽きていることを、私は知っている。

「安心おし、敵襲はないよ。それに、死に花も結構だが、死んでは花実が咲かぬのも道理さ。とにかく、この場限りではあるがアルビオン王国の王権は私がお預かりする。故に、これは王としての命令と思って欲しい。時が惜しい。急いでおくれ」

 それだけ言い捨てて私は走り出し、広場で待っている身内三人に声をかける。
 
「手伝っておくれ。ちょっと大仕事なんだ」




 飛び込んだのは、街外れの寺院だ。
 両手で扉を開くと、中では避難してきた街の住人たちを相手に、老いた坊さんが役にも立たないありがたい説教をしていた。

「なんですか、お嬢さん」

「ここを使わせていただきたい」

「なんですと?」

「始祖の子らの治療のために、この御堂を使わせてもらいたいと言っておるのです」

「な、何を馬鹿な」

「お説教は後でいくらでも頂戴します。さあ、動ける人は参列席を外に運び出しておくれ。人助けだ、ここに怪我人を集めるんだよ」

 手を打ち鳴らして、呆気にとられている住民たちを追い立てる。


 そこから先は大騒ぎだった。
 兵隊と手すきの男連中を集めて、片っぱしから怪我人を寺院に集めるように指示を飛ばす。兵も民間人も関係なく、神聖アルビオンも連合軍も区別しない。治療が必要な者は全員だ。我が杖の下、人に貴賤はない。身分も、所属も、例えそれがエルフであっても、そんなものは後で考えればいいことだ。
 街のご婦人連中は、テファの指示のもとで看護の手伝いだ。ついでに、昏睡中の才人の面倒もお願いしておく。今の状態なら、恐らくしばらくは大丈夫なはずだ。
 マチルダには、不足している器具の調達をお願いする。特に縫合糸の確保に関しては彼女だけが頼りだ。
 最初はおっかなびっくりだった民間人たちだが、強く言えば従うのが人の本能。混乱時においては、より強い物言いで上下関係を最初に確定させることが重要だ。

 私の方は、まずは集まる怪我人の仕分けだ。
 王党派も神聖アルビオン軍も連合軍も民間人も関係なく一同に並んだ患者に対し、外傷初期診療ガイドラインに基づく診断を下し、生涯やらずに済めばと思っていたことに着手する。
 識別救急。すなわち、トリアージだ。
 患者の様子を見て、手の甲に消し炭で印をつける。
 識別は4段階。状態の悪い順に〇、△、□。そして、助からない者には×を付ける。
 さすがに、×をつける時は心が震える。それでも、付けなければ助けられる人も助けられない。

「テファ」

 私が呼ぶと、婦人たちに指示を出していたテファが振り向いた。

「△を付けた患者の、傷の処置を頼むよ」

「え?」

 一瞬、キョトンとした顔をするテファ。

「練習してきた縫合術、ここでやってごらん」

「で、でも」
 
 いきなりなことに、さすがにテファも狼狽した。

「誰にだって最初はある。さすがにそこまでは私は対応できないんだ。やらなきゃこの人たちが死んでいく。テファ、お前が助けるんだ。いいね」

 厳しいようだが、このレベルまで私一人では診られない。どうしても協力は必要なのだ。
 そして、それに応えてくれるのが、私が知る、私が信じているティファニアと言う女の子なのだ。
 決意の光あふれる目を私に向けて頷く。

「うん。やってみる」

「頼んだよ」

 それだけ告げて、私は私の戦場に赴く。
 御堂の中に並んだ重傷患者の数、およそ30人。誰も酷い有様だ。ブラック・ジャック先生ならともかく、一介の救急医だった私にどこまでできるやら。だが、格好を付けた以上は、そのツケは払わねばならない。悩む時間も惜しい。対処は一刻を争うのだ。
 最初の患者は奇遇にもウェールズ殿下だ。風のトライアングルのくせに、一体何本矢を食らっているんだこの人は。それだけ激しい戦闘だったのだろう。一番厳しいのは肝臓だ。出血が黒い。かなり傷が深いので、切開して傷を塞いでいく。
 処置が終わったら次の患者。今度は切創から腸が腹圧ではみ出ている患者だ。腸自体の傷を処置した後、ある程度適当に押し込んでおけば、後は腸は勝手に定位置に戻る。
 幾ら私がスクウェアでも、これだけの数の患者に治癒魔法をかけてはいられない。ましてろくに休まずに才人やパリーの治療をしてきているので精神力だって空っぽだ。
 しかし、魔法や秘薬に頼らずとも、医療行為は実践できる。それこそが、私が持つ最大のアドバンテージ。
 すなわち、前世の医療の知識だ。
 魔法の使用は最小限にとどめ、可能な限り一般的な治療で救命措置を重ねていく。振るうのは、この世界では誰も知らない、魔法なき前世の世界で磨き上げられた救命医療の技術だ。
 幸いにもまだ秘薬も充分にある。それだけでも前世の紛争地域の病院よりは恵まれている方だろう。
 致命的な個所を切り開き、最低限の処置をして秘薬を注いで縫合することをひたすら続ける。今すぐ死ななければ、未来にバトンを繋ぐことができる。ロサイスでの神聖アルビオンの滅亡が成っていれば、神聖アルビオンの全軍は、恐らく仰ぐべき旗を失ってロンディニウムに引き上げてくるだろう。その連中に助けを求めるというのが唯一の命綱だ。協力が得られなかったら、脅してでも言うことを聞かせるまで。その時はこの世界で一番おっかない槍兵の出番だ。才人救出の際に暴れ足りなかった鬱憤も溜まっていることだろうし、口で言って判ってくれなかったら肉体言語で理解してもらうことにしようと思う。
 今はひたすら急ぐ。縫合にも魔法は使えないので昔ながらの糸による縫合を施さなければならない。
 テファに対してさんざんダメ出しをして来た私だ、縫合術で後れを取る訳にはいかない。縫合糸については、診療院にいる時からいつもマチルダの錬金頼みだ。絹糸などで縫合すると拒絶反応が出るので、一般的な縫製用の糸を変質させてキチン質のそれに近い性質を持つ糸を作ってもらっている。この辺の細かい錬金においては、マチルダの右に出る者はいない。今回はそれの大量発注だ。
 一人が終わればその次。その次が終わればまたその次と、患者のわんこそばのようだ。その間にも怪我人が運ばれて来て、その度に状態を判断して仕分けていく。 
 しかし、いくら技術を尽くして治療しても、指の間から水が漏れるように命が零れ落ちていく。
 処置中に、既に5人が死亡した。最善を尽くしても救えない。それが彼らの天命だったと諦めてもらうしかない。悼みはするが、今は生きている人の方が大事だ。めげずに治療を続けなければならない。
 両手を全開で動かしていると、集中力が高くなりすぎて神経が焼き切れそうだった。エンジンで言えば回転計がレッドゾーンに入るくらい己を振り回さなければ患者の物量に追いつかない。



 そんな限界ギリギリの治療をしながら6時間ほどが過ぎる。捌く患者と運び込まれる患者の数が拮抗してちっとも患者が減らない。時間の経過によって△が〇に上場されるケースが目立つ。テファも頑張っているのだろうが、予期せぬ急変は現場では付き物だから仕方がない。一体何人診たか判らなくなってくるありさまだった。
 こうなってくると、私が抱えるハンデが顔を出す。
 未成熟な私の体が、悲鳴を上げていた。そもそも子供の体力では、2日半の不眠不休の徹夜作業は無理があるのだ。この時ばかりは、時が止まった己の体が恨めしかった。
 前世の研修医時代、最長で4日の連続勤務をこなしたことだってある。その時だってきつかったが、今はそれに倍する疲労感が全身にのしかかってきている。
 考えてみれば、パイロットだって4日連続でフライトするなんて無茶なことはしない。それなのに、同じように命を預かるはずの医者や看護師がそんな過酷な状況で何一つミスをするなと言うのは結構厳しいと思う。それでも、些細なミスでもすぐに訴訟に発展したのが私がいた世界だった。ずいぶんな話だとは思う。そうは言っても、頼れる者が私しかいなくて、私がやらねばその人が死ぬということであれば、そんな愚痴は言っていられない。それだけに、平気でコンビニ受診をするような連中には大いに憤っていた記憶がある。真夜中に、キャンプしていて外で寝ていたら蚊に刺されまくって『ぼこぼこに腫れて痒いので診てください』とか言ってきた阿呆もいたっけ。あの時ばかりは先っぽにキンカン塗ってやろうかと思ったさ。
 そんなことを思いつつも、押し寄せて来る猛烈な吐き気がそろそろ限界まで来ていた。
 気合を入れて何とかしようにも、気力とて、最後にそれを支えるのは体力だ。
 このままでは下手したら、私の方が患者の仲間入りだ。だが、休憩を取ろうにも私が休んでいる間に人が死んでいくかと思うと、おちおち休むわけにもいかない。
 力が欲しい。もう少しだけ、頑張れる力が。
 無酸素運動の真っ最中に、たった一呼吸だけ息継ぎがしたいと思う心境で私は治療を続けた。
 
 










 その日の夕方、シティオブサウスゴータに一人の男が馬に乗ってやって来た。
 周囲を兵に囲まれ、堂々としながらも、その身には杖もマントもない。
 男の名はホーキンス。
 神聖アルビオン軍の指揮官だった男である。ロサイスで連合軍を取り逃がしたことを問題視され、クロムウェルによって更迭されてロンディニウムに護送されているところであった。

「何だあれは?」

 ふと向けた先に、一本の旗竿に奇妙な旗がなびいていた。
 シーツを思われる白い布地に、血のように赤い十字が描かれている。

「何の旗だ?」

「さあ、判りかねます」
 
 隣に控える護送隊の隊長が肩をすくめた。
 地位を奪われたとはいえ、それなりの態度は示される立場にホーキンズはいた。
 見ると、旗の向こうの広場に幾つも天幕が張らている。中には負傷者が横たわっており、その周囲を多くの女性が動き回っていた。

「野戦病院のようですが」

「ちょっと様子を見て来てくれんか」

 ホーキンスが隊長に告げた時である。

「健康な兵士がここに何用か」

「何奴?」

 見ると、旗のところに一人の長身の男が槍を片手に立っていた。

「ここは我が主の支配する病院。患者と、それを癒す者だけが立ち入れる場所だ。軍靴で踏み入ることは御遠慮いただきたい」

「無礼な」

 いきりたつ隊長をホーキンズが宥める。

「ここはどこの勢力の野戦病院か?」

「いずれの勢力にも属しておらぬ。それ故に、勢力を問わず、すべての患者を受け入れている」

「どういうことだ?」

「か、閣下……あれを」

 隊長が指差す先にあるものを見て、ホーキンズは目を疑った。神聖アルビオンの軍装を着た者の隣に、王党派と思しき者が身を横たえている。

「何をしているのだ、あの者たちは? 何故アルビオン兵が王党派と一緒に治療を受けているのだ」

「この赤い十字の旗の下には、神聖アルビオンも王党派もトリステインもゲルマニアもない。患者と、それを癒す者がいるだけだ」

「患者……」

「『切って痛いと言う者が癒しを求めているのであれば、誰であれ自分の患者』と言うのが我が主の言葉。お判りいただけたらお引き取り願おう」

「貴様、平民の分際で……」

 杖を抜こうとした隊長の喉元に、赤い槍が突きつけられる。

「荒事を所望とあらばお相手致す。命を取るとは言わぬが、後ろの彼らと枕を並べることになることは覚悟してもらおう」

「まあ、待て。事を荒立てるつもりはない」

 それだけ言うと、ホーキンスは馬から降りた。
 さすがに隊長が顔を顰めた。

「閣下……困ります」

「少しだけだ。私の兵が世話になっている。一言礼を言っておきたい。私に邪心があると思ったときは、遠慮なく背中からでも杖を振るうがいい」

 それだけ言うと、ホーキンスはディルムッドのところに歩み寄った。

「私は、神聖アルビオン共和国のホーキンスと言う。かつて、そこに並んでいる者たちの将だった者だ。ここの代表者に会わせてもらいたい」

「主は御多忙の身。出来れば遠慮いただきたく思う」

「邪魔をするつもりはないが、そこを何とか頼みたい。アルビオンの軍人として、礼を失することはしたくないのだ。貴殿も一廉の武人と見受ける。理解してもらえると思うが」

「……伺いを立ててみよう。こちらに」

 ホーキンスと隊長、そして数名の兵が、その後に続いた。


 案内された寺院に行くと、一人の少女が懸命に治療に当たっている様子が見えた。

「主、少しよろしいでしょうか」

「ん? おや、どうしたね、その方々は?」

 手を動かしたまま、疲れ果てたような声で少女が応える。マスクをした少女の横顔に、ホーキンスは奇妙な既視感を覚えた。どこかで見たような記憶がある女の子だった。

「ご多忙のところ申し訳ありません。神聖アルビオンの将であった方をお連れ致しました。主に一言挨拶を、とのことです」

「それはご丁寧に」

 振り返った少女の顔色に、ホーキンスは絶句した。
 黒々とした目の下とやつれ果てた頬。分厚い疲労がこびりついた蝋のように白い顔だ。とても子供がするような顔ではない。

「ちょっと手が離せないのでこのまま失礼しますが、どなた様で?」

「神聖アルビオン共和国のホーキンスと申す。私の兵を助けてくれたのは貴公か?」

「助けた、というほどのことではありません。何より、まだまだ危ない患者も多いのです」

「不躾だが、貴公は王党派の治療師か?」

「所属はありません。故に、すべての患者を分け隔てなく診ています」

「しかし、この地で王党派の兵の治療をするなどとは、貴公もただではすまぬぞ」

「その時はその時。それでどんな目に遭ったとしても、医の杖の前には、思想や立場で物事を判断する基準はあってはならぬというのが私の方針でしてね」

「……危険な考えとしか言いようがないが」

「まあ、そう考えるのが自然でしょう。ですが、もし、あなたが相応のお立場の方なら、仮に神聖アルビオンの兵が王党派の治療師の治療を受けた嫌疑で糾弾されたとしても、できれば大目に見てもらえるよう取り計らってあげてください。彼らは充分戦いました。しばらくは休ませてあげて欲しいと思います」

「今は立場の無きこの身が言うのも憚られるが、我が軍に傷ついた兵を冷たく扱う法はない。心配はいらぬ」

「それは良かった。あはは」

 そう言って笑い出した少女の笑いが、徐々におかしな具合にボルテージを上げていく。それはやがて狂的な哄笑になり、何事かと見守る面々の前で、少女は嘔吐しながら白目を剥いた。
 器具をまき散らしながら崩れ落ちる少女をホーキンスが受け止め、槍兵が青くなってその身を受け取った。その小さな体を槍兵が抱え上げた時、その服のポケットから薬の小瓶が零れ落ちる。
 狼狽した声で人を呼ぶ槍兵に、幾人もが駆け寄って来た。中にはうら若い女性もおり、必死に少女に呼びかける。その『ヴィクトリア』という名を。
 
「ヴィクトリア……モード大公の、ご息女か」

 記憶の底にあった名前を探り当て、ホーキンスは呟いた。
 それは王家の系譜から抹消され、国外追放になっていたはずの王族であったはず。
 何故この場で、このような泥臭いことをしているのか理解ができなかった。
 慌ただしく運ばれていく少女を見送りながら落ちた小瓶を拾い上げ、ラベルを見てホーキンスは絶句した。そしてしばし考え込み、脇を固める随伴していた隊長に声をかけた。

「私に、縄を打て」

「何を?」

 ホーキンスくらいの人物になると、幾ら護送中としても縄目の恥辱を与えるようなことはありえない。

「君たちの使命は私をロンディニウムまで護送すること。だが、それに時間の制限は設けられておるまい。ならば、少しくらいの寄り道は許容範囲だろう。その代り、水の魔法が使える者に少しだけ、ここの手伝いをしてもらいたい。私は逃げも隠れもせぬ。縄は、その証のためのものだ」

 ホーキンスはそれだけ言うと、隊長に小瓶を渡した。その小瓶を見て、隊長もまた目を見開いた。
 興奮剤。劇薬に分類されるものであった。
 隊長もまたしばし考え、そして口を開いた。

「残念ですが、任務は任務。そのような申し出はお受けできません」

 それだけ言うと、隊長は付いて来た兵に命令を出した。

「これより、ここで大休止とする。全員、中央広場に集合。水のメイジは一隊を組織してこの場を引き継ぎ、治療に当たれ」

 真面目な表情を崩そうともしない隊長に対し、ホーキンスは言った。

「すまんな」

「あのような少女がここまでするのです。ここで知らぬ顔をしてはアルビオン貴族の名折れ。これは閣下には何の関わりもない、我らが勝手にやることです」





オリヴァー・クロムウェルの急死と神聖アルビオン共和国降伏の報がこの地に届いたのは、この1時間後のことであった。


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