朝日が魔法学院の周囲を照らし上げる時間、門の外には二つの影があった。
カールとルイズだ。二人はバリアジャケットを展開した状態で、それぞれの手にデバイスを握っている。
そう。ルイズもデバイスを手に持っているのだ。
局員が使用する汎用デバイス。今は光の杖と呼ばれ、マジック・アイテムとしてオスマンが保管している代物である。
自分の身の丈ほどもある長杖をおっかなびっくり手にしながら、ルイズは先端にはめ込まれている宝玉、デバイスコアへと視線を向けた。
「これが、光の杖……」
そう呟くルイズに、カールは思わず苦笑した。
彼女にこれはデバイスと説明することはできないからだ。
ミッドチルダ式を教えているとは云っても、ルイズには次元世界の知識を欠片ほども与えていない。
そんな彼女に、これは機械でできた――とは説明することはできなかった。
そのため、言葉を選びながらルイズには汎用デバイスの使い方を教えるのは骨が折れた。
既にカブリオレに触れているルイズだが、外見はともかく中身がワンオフ仕様であるカールのデバイスと一般局員が使用するものとでは勝手が違う。
それでもインテリジェントデバイスではなくストレージデバイスではあるため、そこまで大きい癖の違いは出ない。
スムーズとはいかないまでも、使うことは出来るだろう。
が、ルイズがこのデバイスを使えるようになった背景には、もう一つの理由がある。
――悪いとは思ったが、カールはこのデバイスを初期化し、ルイズに合わせて最適化した。
ミッドチルダへ帰還することを夢見てハルケギニアで散った魔導師。
せめて遺品ぐらいはミッドチルダに持ち帰りたかったが、しかし、彼とルイズを天秤にかけたとき、どちらに傾くかは決まっている。
アルビオンから無事に帰ることができたのなら、高い酒を墓前に添えよう。そう、カールは決めていた。
オスマンからの許可はちゃんと得ている。
そうでなければ、こうしてルイズの手に汎用デバイスが渡ることはなかっただろうが。
どうやらアンリエッタ姫からオスマンへと、ルイズがアルビオンに旅立つことが伝えられたらしく――密命ではなかったのか?――、それを聞いたオスマンは、ルイズに光の杖を手渡しにきた。
私の大事な宝物を、ちゃんと返しにくるんじゃぞ、と彼は云っていた。
やはりアルビオンがどれだけ悲惨な状態なのか分かっているのだろう。
本当にオスマンには迷惑ばかりかけている。
そのつもりは微塵もないが、もし万が一ルイズの身に何かあったら、オスマンにも多大な迷惑がかかるだろう。
だが悪いと分かっていながらも、もうこの任務を断ることはできないのだ。
ここで任務を断るようなことをすれば、アンリエッタが手紙の奪還を他の者に頼るかどうかは分からない。
アンリエッタがこのまま泣き寝入りを決め込んで、結局レコン・キスタが手紙を発見してしまう――などということになったら、トリステインには破滅しか残っていない。
そしてルイズ以外に頼ったとしても、これから準備をしたところで、既に秒読み段階へと入っている王家の滅亡に間に合うかは分からない。
自分の身の丈に合っていない任務だと分かっていながら、それでも断れないと理解して、ルイズはこの場に立っているのだ。
絶対に断ることができず、失敗は許されない任務。
その性質から、エレオノールにもこのことは話していない。
ルイズのこととなれば鋭い彼女のことだ。おそらく、昨晩の様子からルイズに何かあったと察しているだろう。
そしてルイズがアルビオンに行くと聞けば、自分が代わりに――と言い出しかねない。
普通に考えれば確実なのはそちらだ。メイジとして既に完成したエレオノールの方が戦力としては間違いなく上だろう。
だが、機動力という点を見たら、ミッドチルダ式の飛行魔法を会得しているルイズには敵わない。
この密命は何よりも機動力が必要とされる――まったくの偶然だが、アンリエッタの目は確かだったということなのだろうか。
ともあれ、姉にさえ秘密でルイズは旅立つ。
カールも含め、後々、この密命のことで説教されることは覚悟しておこう。
そんなことを事前に二人は話し合い、頭を抱えていた。
「……こんな便利な道具があるだなんて」
どこか不満そうにルイズが呟いた言葉に、没頭していた思考から戻ってきた。
「ん、素手より、杖ありきで魔法を勉強したかった?
確かにそっちの方が上達は早かっただろうけど――」
「違うわ。こんな便利なものに頼ったら、魔法を使う貴族じゃなくて、魔法に使われる貴族になるなって思ったの。
何よ、本当。術式を選択して魔力を流し込むだけで魔法が発動するだなんて、ふざけてるわ」
どうやらルイズはそこが不満だったようだ。
彼女が口にした通り、ストレージデバイスは記録されている術式を選択し、魔力を流し込むことでそれが発動する。
簡単な魔法ならばともかく、複雑な結界魔法や強力な砲撃魔法となると、デバイスの助けを借りなければ構築するのは難しい。
どんな魔導師も、術式を全部覚えているわけではないのだ。
膨大な数の数式を覚えられる人間は確かにいるだろうが、全員が全員、そこまで優れた記憶力を持っているわけじゃない。
そしてルイズは、今まで教えた魔法の術式を完璧に覚えていたため、急に差し出されたストレージデバイスという便利な道具に不満を覚えているのだろう。
だが――
「うん、そうだ。
杖を使って魔法を覚えても良いけど、それじゃ限界がすぐにくる。杖に記録された魔法以外を使えないからね。
けど基礎からみっちり固めたルイズなら、それはない。
そうだろ?」
「……ま、まぁね」
どこか恥ずかしげに目を逸らしたルイズに、カールは思わず苦笑した。
そして背負った革袋――食料などが入った――とデルフリンガーの居心地を正すと、空を見上げる。
「天気は快晴。風もそこまで強くはないみたいだ。
飛行魔法で一気に行くとしても、そう難しくはないだろう」
「私は、アルビオンまで先生に引っ張られていくんじゃないんですか?」
「ああ、そうだね」
不思議そうに首を傾げたルイズに、カールは再び苦笑した。
普段のルイズであれば自力で頑張ると云うだろうし、カールだってそんなルイズの頑張りを見守ってやりたい。
が、レコン・キスタと王党派が衝突するよりも早く手紙を奪還しなければならないという絶対条件が存在している。
そのため、ルイズには自力で飛んでゆくという選択肢が存在していない。
飛行魔法を教え始めてから二週間以上が経ち、最高速度だけならハルケギニアで云う風竜ほどに空を駆けることができるようになったルイズだが、やはりカールと比べれば遅いのだ。
それに航続距離にも不安がある。未だ長距離の飛行をルイズは体験したことがない。
初期に比べれば大分魔法が使えるようになった彼女だが、長時間の魔法の行使は不慣れなのだ。
魔力だけではなく体力までも使用するミッドチルダ式。長距離飛行を行えば疲労が蓄積し動けなくなることは目に見えていた。
「それじゃあ空に上がって、以降の会話は念話で。
もう一度確認しておくけど、途中で休憩したりはせず、そのままアルビオンに向かうんだね?」
「それが良いと思います。
内戦が起こってるって云っても、治安はそこまで崩壊してない……って話ですし。
休憩はアルビオンに着いてからで。
そこで情報収集をして、もし王党派とレコン・キスタが戦い始めているのなら、すぐにでも再出発」
「了解」
頷き合い、二人は飛行魔法を発動させる。
ふわりと宙に浮き、そのままゆっくりと上昇――したところで、ふと、一つの影が目に入った。
「……あっ」
「どうした?」
十メートルほどまで浮かび上がったところでルイズが飛行魔法を中断し、地上に視線を向ける。
カールも釣られて視線を向けると、そこには一人の男がいた。
課外授業、と適当な言い訳をしてさっさと出発を――と思っていると、不意に男が声を上げる。
「話がある! 降りてきて欲しい!」
なんだ――と思うと同時、嫌な予感が脳裏を過ぎる。
目を凝らしてみてみれば、男の装備は魔法衛士隊のそれだ。
王女の護衛をしていた時と比べ、身に纏っている服は装飾などが取り除かれているが、見間違えたりはしない。
もしや王女が自分たちに――そこまで考えると、すみません、とルイズから念話が届く。
彼女は高度を落として降り立つと、小走りに男の元へと近付いた。
ルイズに続いて、カールも降りる。
二人が降りてきたことを見て、男は安心したように笑みを浮かべた。
そして、
「久し振りだな! ルイズ! 僕のルイズ!」
男が唐突に上げた大声に、カールとルイズは一瞬で固まった。
男は雰囲気を察したのか咳払いを一つすると、苦笑しつつ自己紹介を始める。
「……すまない、はしゃぎすぎたようだ。
姫殿下より、きみたちの同行することを命じられた。
女王閣下の魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵だ。
改めて……久し振り、ルイズ。そしてよろしく、フーケを捕らえた騎士殿」
云いながら、ワルドはカールへと手を差し出した。
戸惑いつつもカールは差し出し、気になった単語を口にする。
「騎士?」
「ああ。フーケを捕まえたメイジとして、君のことは聞いているよ。
最近になってシュヴァリエの授与条件が変わったため、君が騎士を名乗ることはできないようだが、その実力と名誉は成る程、密命を任されるのに相応しいだろう。
当てにさせてもらうよ」
「……よろしく」
閉鎖された環境にいたせいか、フーケを捕まえたことにどれほどの価値があったのか分からないカールは、取り敢えず頷いておく。
カールと握手を終えたワルドは、それにしても、と二人を眺めて首を傾げた。
「フライでアルビオンまで行くつもりだったのかい?
それは些か無謀というものだ。
ラ・ローシュに辿り着く前に精神力が切れるのは目に見えているだろう?」
「えと……うん。そうね」
困った風にルイズは笑う。
常識的に考えて不可能でも、ミッド式なら可能というわけにはいかないからだ。
が、ここで大人しく認めてしまっては予定に遅れが出る。
そう察したカールは、いや、と頭を振った。
「子爵。ご存じかもしれませんが、俺は風のスクウェアです。
フライと云っても、その速度は幻獣と同等のものを叩き出せます。
ルイズを牽引して、一気にアルビオンまで向かう予定でした」
「そう……か」
瞳に興味の光を浮かべながらも、ワルドは思案顔になる。
そうして、いや、と頭を振った。
「だとしても、やはり無謀だ。
君はともかく、ルイズは風のドットになったばかりなのだと聞いている。
牽引するにしても、この子の精神力が途中で切れたらどうするんだい?
人一人を抱えてフライを使うとなれば、君の精神力も保つまい。やはり無謀だ。
……しかし、そうだな。君だけならば可能と云うなら、その案を少し修正させてもらおう」
ワルドは唐突に口笛を吹くと、それに応じてどこからか一体の幻獣が現れた。
鷲の頭と上半身に、獅子の四肢を持つグリフォン。
彼はグリフォンを手で指し示しながら、自信に満ちた顔で修正案を口にする。
「私とルイズはこれに乗り、君はフライで追従する。
どうかな? グリフォンは馬よりも速く、長い時間を走り続けることができるよ」
「……分かった」
「先生!?」
カールが了承したのを目にして、ルイズが驚いたように声を上げる。
見れば、彼女は不満げな顔をカールへと向けていた。
『ここに彼を置いて出発するわけにもいかないさ。
それに、常識的に考えてフライでアルビオンに向かうのは無謀って言葉は的を射ている。
例え俺たちに出来るのだとしてもね。
子爵の同行を断れば、きっと姫殿下も不信感を抱くだろうし。
そうなったら何が起こるのか分からない。
仕方がないよ、ルイズ』
『……分かりました』
渋々とルイズはカールの言葉を受け入れた。
この密命は爆弾そのものなのだ。
些細なことを切っ掛けにアンリエッタ姫が依頼を取り下げればトリステインが危機に陥る。
今更になって彼女に不安を抱かせても、百害あって一利無しと云えるだろう。
そしてルイズもそのことを良く分かっているのか、急ぎ足でグリフォンの側へと近付いた。
「そうと決まれば、早く行きましょう。
時間が惜しいわ」
「その気概、実に頼もしいね」
ワルドは慣れた調子でグリフォンの背に跨ると、ルイズへと手を差し伸べた。
ルイズは急いで彼の手を取ると、すぐにグリフォンへと乗る。
「それでは、出発しようか」
「ああ」
ワルドに促され、カールは飛行魔法を発動させた。
そうして、一行は魔法学院を出発する。
重い体躯をものともせずに地を力強く蹴りつけるグリフォンと併走しながら、どうしたもんかとカールは溜息を吐いた。
月のトライアングル
魔法学院から出発してから、一行は会話も少なく静かにラ・ローシュへと向かっていた。
最初はワルドが気さくにルイズへと話かけていたのだが、プレッシャーに耐え続けているルイズは、そんな話をしている場合じゃないでしょう、と切って捨てていた。
苦笑したワルドは、それ以降黙ってグリフォンの手綱を握り続けている。
ルイズの態度も分からないわけじゃない。
カールが協力すると聞いて昨晩よりもずっと気が楽なっているのだろうが、この任務が国にとって重要な価値を持つものであることに代わりはない。
そのため彼女は、今という時も任務を無事に果たすべく使命感に燃えている。ともすれば、その身を焼き尽くされてしまいそうなほどに。
緊張した状態が長く続けば、意識しなくても身体に力が入り続け、無意味に体力を消費するものだ。
魔法衛士隊――デルフ曰く練度は飛び抜けている軍人――ならば緊張感のオンオフなど手慣れているだろうが、学生でしかないルイズにそれを望むのは酷だろう。
ワルドが軽い調子で話しかけたのも彼女の緊張を解すためだったのだろうが、ルイズはそれを突っぱねてしまった。
何故彼が食い下がり緊張を解こうとしなかったのか――これはカールが察するしかないが、おそらくワルドはルイズのプライドを尊重したかったのだろう。
柔らかなところが出てきたので忘れそうになるが、もともとルイズはプライドの高い子だ。
任務の性質上、不真面目な姿勢で取り組むことはできないと思っているのかもしれない。
が、だからと云って無駄に緊張し続けてはやはり疲れてしまう。
その時に何かトラブルがあっては遅いのだ。
ワルドが諦めてしまったのなら、とカールはルイズに念話を送った。
『そういえばルイズ、今更だけど』
『なんですか?』
『子爵と知り合いだったのか?
会ったときに、久し振りって云ってたけど』
『えと……はい。彼、私の婚約者なんです』
『婚約者……』
なんともまぁ、とカールは目を見開いた。
が、別にカールの常識から考えても別におかしなことではない。
ミッドチルダは就業年齢が低く、それに比例して十代の内に結婚することも珍しくはない。
無論、それぞれの家族が結婚する二人をフォローしてくれるからこそ可能なことではあるが。
ルイズの年齢は十六。
そのため、婚約者がいることに驚きはしたものの、まだ早い、とは思わなかった。
『成る程。可愛いのに男の影がなかったのはそういうわけか』
『か、可愛いって――って、先生、こんな話、不謹慎ですよ!?』
案の定、ルイズは念話でだが怒声を上げた。
カールは意図して真面目な顔を作ると、いいやと頭を振る。
『ルイズ。子爵にもそう云ってたけど、ずっと気を張りっぱなしじゃ疲れてしまうよ。
今はただの移動時間なんだ。集中するのはアルビオンについてからでも充分だ』
『でも……』
『どうして俺が君に体力作りを命じたのか、忘れたわけじゃないだろ?
疲れてしまったら、万全な状態で魔法を使うことはできない。
そしてそれは、任務をスムーズに達成できないことに繋がる。
……もっとリラックスして良いんだ』
『……先生もワルドも、それを分かってたんですか?』
『ああ。けど、ルイズが無知ってわけじゃない。
仕方がないんだ。俺も、そして彼も、くぐった修羅場の数が違うんだろう。
そして、そういった場面に今まで出くわさなかったのは、幸運なことなんだよ。
それでも自分にこういった経験が必要と思うのなら、これから学べば良い。
そうだろう?』
『……分かりました』
渋々とルイズは頷くと、ルイズは深呼吸して肩の力を抜いた。
そしてすぐ側にあるワルドの顔を見上げ、照れくさそうに目を逸らす。
「……ごめんなさい、ワルド。
少し気張りすぎていたわ」
ルイズの口からそんな言葉が聞けるとは思っていなかったのだろうか。
ワルドは意外そうに目を瞬き、しかしすぐに微笑んだ。
「良いのさ、ルイズ。
いや、自分でそれに気付けたのはすごいよ。
それじゃあ静かな旅はここまでで、少しは気楽に行くとするかな」
「……重っ苦しい空気はどうかと思うけど、気楽なのもどうかと思うわ」
「はは、そうだね。
……ともあれ、流石だな。疲れないのかい?」
グリフォンの手綱を握りながら、ワルドはすっとカールへ視線を流した。
「まだ昼を過ぎたぐらいだが、それでも半日近くはフライを使い続けている。
凄まじいね。君の父上や母上は、高名なメイジなのかい?」
「……いや、別に。両親は魔法とあまり馴染みのない人でしたよ。
鳶が鷹を生んだ、と良く云われていたみたいです」
カールの言葉に嘘はなかった。
祖父や曾祖父は魔導師ではあったようだが、父と母に魔力資質はほぼなかった。
魔力ランクはC。技術を磨いたところで魔導師ランクはB止まり、と云われていたよう。
そのため両親は管理局に籍を置きこそしているものの、魔導師として現場に出たりはしていなかった。
そこがミッドチルダとハルケギニアの大きな違いだろう。
メイジはメイジからしか生まれない。
しかしミッドチルダでは、魔力資質が存在しない親からでも、高ランク魔導師が生まれる例がゼロではないが存在している。
実証することはできないのであくまで仮説止まりだが――おそらくは。
六千年という長い時間の中で貴族同士の結婚を繰り返してきたため、ハルケギニアではほぼ確実に魔力資質が遺伝するのだろう。
貴族という血統書付き。ミッド人は様々な人間が交わった雑種。端的に言い表すならばそんなところだろうか。
ミッドチルダでも魔導師同士が交配を続ければ、確実に魔力資質が遺伝するようになるのかもしれない。
そのために必要な時間は、ハルケギニアと同じように六千年ほどかかるのかもしれないが。
そう考えてしまえば、次元世界で魔導師同士が子供を作り続けるなんてことは有り得ない。
魔力資質があったとしても、ミッドチルダでは選べる職種が増えるといった程度の違いしかない。
人によってはそれが大きな壁と思うのかもしれないが、才能を持つ者が特定の職につくのはどんな世界でも同じことだ。
魔力資質如きに、大した価値なんてない――なんてことは、魔導師として飯を食っていたカールが云って良いことではないが。
しかし、魔力資質を残すために好きな人と結ばれることすら出来なくなる――それは酷く寂しい世界ではないだろうか。
「ほう、そうなのか」
興味深そうに、ワルドはそう呟いた。
またか、とカールは辟易したくなる気持ちを抑え、感情を表に出さないよう努める。
何かを口走る毎にワルドはそれを興味深そうに聞くのだ。
共に任務をこなす人間を理解しようとしているのかもしれないが、それが酷く窮屈だった。
「相棒相棒」
「なんだよ、デルフ」
ふと、背負ったデルフリンガーが声を上げた。
彼は考え込むような口調で、金具を緩やかに打ち鳴らす。
「気のせいかもしれねーけど、アイツの声、どっかで聞いたことないか?」
「どっかってどこだよ。
魔法衛士隊の人間と会ったことなんてないぞ」
「だよな。
うーん、気のせいか……本当、どっかで聞いた覚えがあるんだがなぁ」
「骨董品、アンタは耄碌しただけでしょ?」
「なんだと娘っ子!
最近の俺は思い出しの悪さすら払拭したパーフェクトデルフリンガー様なんだぞ!?」
「ほざいてなさい。
ねぇ先生、ワルドじゃないけど、本当に疲れないの?」
ミッド式に触れたと云っても、やはり元々がハルケギニアの人間である彼女からすれば、連続した魔法の行使に不安があるのだろう。
「ああ、別にこれぐらいなら。
速度を出したら別だろうけど……まぁ、低速で姿勢を維持するのは難しいっちゃ難しいか。
それでもやっぱり、これぐらいじゃ疲れないよ」
「……私もいつか、そんな風に魔法を使えるようになりますか?」
「できるさ。
もっとも、それはルイズが真面目に魔法を学び続けたらって前提があるけどね」
「云われなくても頑張ります!」
「そうか」
ややムキになって声を上げたルイズが微笑ましくて、思わず笑みを浮かべてしまう。
ルイズはそれが不満なのか、むっと唇を尖らせた。
そんな彼女の様子に何を思ったのか、会話が途切れる隙を突くようにワルドが口を開いた。
「……カール、ルイズは教え子として優秀なのかな?」
「優秀ですよ、子爵。
まだまだ発展途上ですけど、大成したらきっとすごいメイジになる」
それは決して嘘じゃない。
ルイズの才能は、ミッドチルダの基準で見ても高ランク魔導師と呼ばれる者のそれと遜色がない。
だからこそ彼女の才能を磨くのが楽しく、同時に、思う存分に才能を磨けない環境に不満があるのだ。
「そうか。婚約者としてそれは鼻が高いな。
楽しみにしているよ、ルイズ」
「……そうね」
婚約者、という単語を出されて、ルイズは表情を曇らせた。
そんなルイズに、どうしたのだろう、とカールは首を捻る。
貴族の婚約者ともなれば、それは自由恋愛の果てに結ばれたのではなく、家の決まり事という面もあるだろう。
ハルケギニアの常識に疎いところのあるカールでも、それぐらいは分かる。
が、どうやらワルドとルイズの仲は悪いものではないらしい。
言葉尻から、嫌いではない、という感情を察することはできる。
だというのにルイズが表情を曇らせる理由が、カールには分からなかった。
が、ルイズはすぐに表情を変えると、どこか悪戯っぽくワルドに視線を送る。
「でもワルド。今まで私を放っておいて、今更になって婚約者面というのもどうかと思うの」
「これは手厳しいな。確かに、そうだね。
でも弁解させて欲しい。僕はね、ルイズ。今の立場を得るために、ずっと努力を続けていたのさ。
公爵家の娘である君と釣り合いが取れる男になるように、とね。
戦死した父の爵位と領地を継いでも、それは僕の力とは云えない。
何か一つ、男として誇れるものが欲しかったんだ。
だからどうか、今までのことは水に流してくれないか」
「……確かに、魔法衛士隊の隊長になるには並外れた努力が必要だったって分かるわ。
でも、それはそれ。
今のあなたと昔のあなた。今の私と昔の私。
どっちもまるで別人なのよ。それなのに、昔のように――なんて、できないわよ」
「そうだね。
だからこれは良い機会だ。
お互いに変わったところをゆっくりと発見してゆこうじゃないか」
「だから、そういうのが不謹慎なのよ!」
……仲が良いご様子で。
他人の惚気ほど見ていて面白くないものはないので、カールは思わず溜息を吐いた。
婚約者、か。
ふと、カールは脳裏にミッドチルダにいる女性の顔を思い浮かべる。
あの人は自分がいなくなって、少しは悲しんでくれているだろうか。
いや、多分そうだろう。そういう人だ。もしかしたら仕事の傍ら、捜索活動すらしているかもしれない。
けれどそこに恋愛感情は、多分ない。
そこに思い至ると盛大に凹みたくなってしまうのだが、それはそれ。今更だ。
だからこそ振り向かせるためにあの手この手を尽くしていたのだし。……芽が出たことは一度としてないが。
そして更に考える。
高町なのはだけではなく、他の――幼馴染みの二人はどうしているだろうか。
普段は気まずさからあまり考えないようにしていたことだが、ワルドとルイズの様子を見て、ついつい思い浮かべてしまった。
グリフィスはきっと探してくれている。シャリオもきっと。
いつか戻る、気にするな。そんな風に一言送ることができれば、気心の知れたあの二人は普段の生活に戻るだろうが、今はそれすら叶わない。
早く帰りたい。帰らないと。
そんな思いはずっと胸に息づいているが、ルイズを放置して帰るのは間違っている。
彼女に魔法を教え、虚無を狙う賊を捕まえたその時こそ、自分は未練なくミッドチルダに帰ることができるだろう。
どれだけの時間がかかるかは、まだ分からないが。
「……デルフ、嫌なことを思い浮かべてしまった」
「なんだよ、相棒」
「俺が帰る前になのはさんが他の男と……特に無限書庫の司書長辺りとくっついてたらどうしよう」
「そりゃ、どうしょうもねぇんじゃねぇのか?
勘だが、相棒は略奪愛とか大嫌いだろ?」
「当たり前だ。好きな女の幸せぶち壊してどうするんだよ。
ああ……でもそれはそれとして、凹むなぁ……」
空を飛びながら頭を抱えるという器用なことをやらかしているカールを、ルイズとワルドは不思議そうに眺めていた。
そうして一行は、夜の七時頃にラ・ローシュへと到着する。
もし――カールが馬を使っていたのならば、予定は一気にずれ込んで到着は夜中になっていたかもしれない。
だがそうはならず、三人はやや遅い夕食時といった時刻に辿り着くことができていた。
が――
「……運が悪かったね。
ラ・ローシュからアルビオンへの便は、今出てしまうところだ。
間に合うかも、と思い急いだが、駄目だったようだな」
「そんな……」
ワルドから知らされた事実に、ルイズは困惑したように声を上げた。
どうやらアルビオンへの船は早朝、昼、そして今時間が最終便。
以前はもっと多かったようだが、内戦が始まり空賊が出るようになってから、縮小運営を行っているらしい。
『先生、どうにかなりませんか?』
『困ったときの知恵袋じゃないんだけどね、俺は』
そう冗談めかしてルイズからの念話に応えると、カールはワルドへと顔を向けた。
「空を飛んで行くことはできないのか?」
「距離だけ見れば問題はないが、グリフォンはあの高さまで上がれないよ」
「滑空だけなら?」
「可能ではある」
ワルドの言葉に頷くと、それなら、とカールは考えを巡らせた。
脳裏にある考えは、転送魔法の使用だった。
そもそもアルビオンまで転送魔法で――という話だが、それはできない。
何故なら、カールはアルビオンの座標をまったく知らないからだ。
アルビオンだけではない。この世界の座標そのものが、まったく未知と云って良い。
こんな状態で転送魔法を使用すれば、どこに出るのか分からず、出た先に存在するものと衝突しても不思議ではない。
次元航行艦のスタッフなどがバックアップに回ってくれればこの限りではないものの、今はそれも叶わない。
この世界に訪れた際、カールはミッドチルダへ帰るために転送魔法を使用したが、それは全部記録されていた座標に飛んだに過ぎない。
ハルケギニアにおいてカールが転送魔法を使って飛べる場所は、精々が魔法学院くらいだった。
が――
座標軸を弄り、今立っている場所の上空に出ることぐらいならば可能。
滑空するだけならば可能という話だから問題もないだろう。
『先生、どうですか?』
『大丈夫。今からでも行けるよ。
ただ、転送魔法を使わないといけないから……ええっと、悪いんだけど、子爵の目を塞いでくれないか?』
『はい。ミッド式を見られたらいけませんからね。
ワルドへの説明は、私からします。
それと――』
そこで一度ルイズは言葉を句切り、ちらりとカールの顔を見上げた。
「先生」
「ん?」
念話ではなく肉声で向けられた声に、首を傾げる。
ルイズは曇った表情でじっとカールの顔を見ると、遠慮がちに口を開いた。
「大丈夫ですか?
顔色があまり良くないみたいですけど」
「そう?」
云われ、カールは思わず自分の頬に手を当てた。
身体の不調も何も感じることはない。疲労だってそれほど。
ストレージ機能を使ってないとはいえカブリオレをずっと手に持っていたため、ルーンが発動しているということもある。
だから各種能力が強化され、疲れらしい疲れを感じていないのだろうとは思う。
だがそれにしたって、飛行魔法を使い続けて疲れてしまうほど柔な鍛え方はしていないが――
「……ワルド、少し休みましょう」
カールの様子に何を思ったのか、ルイズは婚約者の方を向き、そう言い放った。
良いとも、とワルドは頷き、一行は宿に向かってゆっくりと歩き出す。
そうして高級そうな宿にたどり着くと、ルイズとワルド、カール一人といった風に部屋が分けられ、それぞれは自分の寝床に向かった。
宿に向かう最中に、これからの行動は決まっていた。
休憩を取った後、深夜にラ・ローシュを出発。
アルビオンに到着し次第、再び休憩。これは、走り続けた上に滑空まで行うグリフォンの疲労が限界に達するだろうから、だ。
そして夜明けと同時に迂回路を使ってニューカッスル城へ。
大雑把な予定はこんなものだろう。
明日も明日で大変だ――と、自室に辿り着くと同時、カールはバリアジャケットを解除してベッドに倒れ込んだ。
こうして横になると染みるような疲労を自覚する。
ルイズの前ではああ云ったものの、やはり疲れが溜まっていたのかもしれない。
元々昼夜逆転生活をしていたのに、普段は寝ている時間帯から活動を開始したため、当たり前と云えば当たり前かもしれないが。
本当に――そこまで思った瞬間、カールは息を呑んだ。
「ぐぁ……!」
「お、おい!? どうした相棒!」
原因は胸に走った痛みだ。
傷口に爪を立てられたような鋭い苦痛が、胸の奥底に響き渡る。
喘ぐように呼吸をし、しかし空気を取り入れることが叶わず咳き込んだ。
柔らかな布団を握り締め苦痛に喘ぎながら、カールは投げ出したカブリオレへと手を伸ばす。
そうしてデバイスを握ると左手のルーンが輝き、カールの身を蝕んでいた痛みは一気に消滅した。
「……なんなんだ?」
一瞬で額に浮かんだ脂汗を拭いながら、思わず呟く。
もがくようにデルフを背中から外し服の襟元を緩めると、落ち着くために深呼吸を。
嫌な予感を抱きつつ、治療魔法、その中の診断プログラムを走らせた。
異世界にきて最初に気を付けることは、その世界固有の病気の有無――それを確かめることだったのに。
だが、やはりこれもカールが気にしてどうにかなる問題ではなかった。
教導隊とはいえども、現場に出ればカールは一人の武装隊でしかない人間だ。
本来ならばバックアップの者たちが気を配るべきことで、しかし、この世界には機材も何もかもがない。
そんな中で病に倒れるのは、なんらおかしくない可能性だったのに。
診断プログラムを走らせてはみたものの、その結果にはあまり期待ができない。
異世界ということから未知の病気であってもなんらおかしくはないだろう。
くそ、と毒づきながら、カールはカブリオレをぎゅっと握り締めた。
「……相棒、大丈夫なのか?」
「……今はなんとかな。
ルーンの効果で体力が底上げされているのかなんなのかは知らないが、助かってる。
けど、これからどうなるかは分からない」
「おいおい、不吉な云い方しないでくれよ。
確か、荷物の中に水の秘薬があっただろ? それを飲んでゆっくりしとけ。
何かあったら、俺が起こしてやっから。な?」
「……そうするよ」
診断結果が出るのを待たずに、カールは荷物の中から水の秘薬が入った小瓶を取り出すと、口の中に流し込んだ。
美味いとも不味い云えない味が口腔に広がると、カールはそのままベッドに身体を預ける。
激痛のせいか、疲労のせいか。
目を瞑って五分も立たずに、カールは寝息を上げ始めた。
そうしてデルフだけが残った室内に、ピ、と電子音が鳴る。
カブリオレの上に浮かび上がるウィンドウ。
そこに真っ赤な文字色で記されたミッドチルダ語を、デルフは読み解くことができなかった。
宿の廊下を、ルイズは一人で歩いていた。
彼女の顔は俯いてしまっている。表情は決して暗くはないものの、明るいとは云えない。
ルイズの脳裏には、先ほどワルドに向けられた言葉が渦を巻いている。
この任務を無事に達成できたら結婚しよう――と。
カールと別れ、二人で部屋に入って寛いでいると、ワルドはそんなことをルイズに告げた。
その場で返事をすることは出来ず先送りにし、気まずさからカールが心配だと云って部屋を出て――そうして、今に至る。
「……結婚」
そんな風に単語を口にしてみるも、実感は湧かない。
今まで距離があったというのがまずそうだし、ワルドを好きかと問われると、どうにも。
確かに兄貴分として好きだったのは確かかもしれないが、ルイズがワルドに抱く感情はその時で止まってしまっている。
兄とずっと一緒にいられるのは嬉しいか? そう問われれば、頷くだろう。家族なのだから。
しかし兄を異性として見ることなどできない。
そんな心境であるルイズに結婚と云われても――と、ただただ戸惑うしかなかった。
だが、ワルドが結婚のことを口に出してくれたことは、正直に云って嬉しい。
彼の言葉を真に受けたわけではないが、もし魔法衛士隊に入った理由がその通りならば、ルイズは相応の気持ちをワルドに向けなければならないだろう。
分からない、といつまでも誤魔化すつもりはない。そんな不誠実な態度は彼に失礼だ。
この任務が終わったら時間をかけて、自分の気持ちを見詰めてみよう。
そう、ルイズは思っていた。
それはともかくとして――
「先生、大丈夫かな……」
呟き、ルイズは宿にくる前のカールを思い出し、表情を曇らせた。
本人は気付いていないようだったが、ずっと彼の顔を見て授業を受けてきたルイズだからこそ分かる。
声の調子や動きは元気そうだった。しかし顔色がどうにも、ルイズの見続けてきたカールとは違うような気がしたのだ。
任務のこともあるが、それ以上にカールが体調不良なのかもしれない――なのに無理矢理自分に付き合わせてしまったのなら、と。
もともと昼夜逆転生活をしている彼を、本来ならば寝ている時間から連れ回してしまったことは、無関係ではないはずだ。
だが――カールに申し訳ないと思いながらも、やはり今回の一件は、ルイズにどうすることもできなかった。
任務を断ればトリステインが危機に晒される可能性が生まれる。
ならばそれを防ぐためにも――けれど自分には力がない。あるけれど、使ってはならない。
使ってはならないけれど、断るわけには――その堂々巡りに答えを出してくれたのは、カールだった。
だからあの時、力を貸してくれると彼が云ってくれたときは本当に嬉しかった。
……自分でもどうかと思うものの、今回のことは決まってしまったことだ。仕方がない。
けれどもし次があったならば、その時は覚悟を決めよう。そう、ルイズは決意する。
……けど、その時、覚悟の内容によって自分はカールの信頼を失ってしまうのだろうか。
そう考えた瞬間、ルイズは嫌な寒気を覚えた。
敢えて云っておくならばそれは、魔法を教えてくれる存在が消えてしまうから、というわけではない。
例えるならば、そう。幼い頃、父と母が自分に魔法の才能がないと見切りをつけた瞬間に似ている。
今でこそゼロという汚名に慣れたものの、幼い頃は大好きな父と母、そして姉たちが自分を見捨ててしまうのではと気が気ではなかった。
結局そんなことはなく、家族は自分のことを大事にしてくれていると分かっているが――きっとカールは違う。
やや自惚れた云い方をするならば、おそらくカールは、ルイズだからこそ魔法を教える気になってくれたのだと思う。
勿論、虚無を狙う賊という要素もあるのだろうが、授業態度から見える彼の熱意は、義務感に駆られてのものではないはずだ。
どんな感情を抱いてルイズと向き合っているのかまでは分からないが。
そしてカールとの約束を破ることは、おそらく、彼が自分の中に見出した"何か"を裏切ることに通じるのかもしれない。
だからこそ射撃魔法を使ってしまった日、彼はあそこまで失望の色を見せたのだろうから。
あの時のことを思い出すだけで、ルイズは居心地の悪さを感じる。
魔法を教えてもらえなくなることは別に良かった。自業自得だったから。その覚悟をもって、ルイズはトリガーワードを呟いた。
けれどその後に待っていたカールの失望があまりにも痛くて、そして、自分が失ったものの大きさを後になって知った。
愚かだったとは思わない。あの行いは間違ってはいなかった。
けれど、魔法を使ってしまったことは間違いで――
ざわざわと胸を撫で上げる感情が、ルイズには良く分からない。
まだまだ先生に魔法を教えて欲しい。いなくならないで欲しい。
どうとでも取れる言葉にすることは簡単だが、しかしそれはルイズの心情を現しているとは云えないだろう。
ここまで自分の心が分からなくなったことはなく、嫌な気分を抱えながら、ようやくルイズはカールの部屋に辿り着いた。
ノックをしてみるも、反応はない。寝てしまったのだろうか。
そう思っていると、ういー、と陽気な声が部屋の中から響いてきた。骨董品もといデルフリンガーだ。
かけていなかったのか、鍵は開いていた。
遠慮がちに扉を開けると、真っ暗な部屋が廊下の明かりに照らされる。
後ろ手に扉を閉めて桃色のスフィアを浮かばせると、ルイズは足を進ませた。
「先生、寝てますか?」
「相棒なら寝てるぜ」
「骨董品?」
スフィアを差し向ければ、ベッドの上には寝転がるカールの姿と、床に放置されたデルフがあった。
ルイズはデルフを壁に立てかけると、椅子に腰を下ろす。
「先生、なんだか調子が悪いように思ったけど……どう?」
「んー……まぁ、疲れたんだろ。
部屋に入るなりベッドに倒れて、寝ちまったよ」
どこか考え込むようなデルフの言葉に眉を持ち上げながらも、そう、と云うだけに留める。
その時になってふとルイズは、カブリオレの上に青いプレートが出ていることに気付いた。
本当はメッセージウィンドウなのだが、彼女にそんなことは分からない。
記されている文字を目にしても、どうにもルイズには分からなかった。
知識には自信のある彼女だったが、この文字はルーンでも古代ルーンでもない別物だ。
どこかしら文字の綴りにハルケギニアで最も使われている文字の面影を見ることはできるが、解読することはできなかった。
が、血を連想させる赤い文字色は酷く不気味だ。良いものじゃないのかも、とイメージだけでルイズは当たりを付ける。
「なんだろ、これ」
云いながら指で青いプレートを突いてみると、ピ、と音を上げてそれは消えてしまう。
やっちゃった、と嫌な汗を流すルイズ。
おずおずとデルフを振り向くと、俺知ーらね、と金具をカチカチ打ち鳴らしている。
「……あとでちゃんと謝るわよ」
「それが良いさね。
それで相棒が心配なのは分かったが……こんなところで遊んでて良いのか?
婚約者と一緒だったんだろ?」
「そうなんだけど、なんだか居心地が悪くて」
「そうかい。まぁずっと放置されてたらしいし、娘っ子の気持ちも分からんでもねーや。
時間潰したいなら、話し相手ぐらいにはなってやるよ」
「……余計なお世話よ。
一休みしたら、部屋に戻って仮眠を取るわ」
「そうかい」
興味もなさそうに相槌を打つデルフに溜息を吐いて、ルイズは天井を見上げた。
桃色の魔力光に照らされる天井には、染み一つ無い。
割と良い部屋なのに少し休んで出てしまうのは、なんだか勿体ない。
ラ・ローシュは別に観光地というわけではないが、それでも、ゆっくりと時間を過ごしたいと思えるぐらいの豪奢さはあるのに。
それも、婚約者と一緒にきて――
「……分かってる。戻るさ、シャリオ、グリフィス」
不意にカールが上げた言葉に、ルイズの思考は中断した。
けれど振り返ってみれば、彼は未だに寝息を立てている。
寝言? そんな風に思っていると、
「……なのはさん」
続いて口にされた名前に、むっと眉根を寄せた。
先のグリフィス、シャリオという二つの方には気さくな響きがあったものの、今度のは違ったような。
「ねぇ骨董品。今のって先生の友達か何か?」
「さぁね。あんまり相棒はそういうの口にしないし。
云ったら云ったで、気を遣わせると思ってるんじゃねぇのか?
向こうから云わないなら、こっちも聞かないのが華だろうよ」
「……興味がないみたいで嫌よ、そんなの」
「おいおい娘っ子、お前らそんな仲じゃねぇだろ?
教師と生徒だ。お互いのことをなんでも知って……なんて必要はねぇんだぜ。
それにそれを云ったら、今日までおめぇも婚約者がいるなんてこと口にしなかったじゃねぇか」
「それは……だって、別に云う必要もなかったし」
「そう。つまりは、そういうこった。
必要があったら相棒が自分から云うさ」
「むぅ……」
不満げに唇を尖らせながら、ルイズは椅子の背もたれに体重を預けた。
確かに自分とカールは生徒と教師。別になんでもかんでも理解し合う必要なんてない。
けれど、それを寂しいと思ってしまうのは確かだった。
ルイズが気にしたことは、生徒と教師という立場で気にするようなことではない。
カールにどんな友人知人、縁者がいようと関係がない――はずなのに。
何故そう思うのだろう。その問いはワルドに対する感情と同じように、形の見えないものだった。
「すまない、少し休憩をさせてくれないか。
コイツも限界近いみたいだ」
ゼヒ、と壊れたような息をするグリフォンの背中を撫でながら、ワルドはカールたちにそう云った。
今、三人はアルビオンへと上陸している。
計画通りに転送魔法でラ・ローシュの上空に出ると、そのまま滑空して目的地にたどり着いたのだ。
降り立った場所は沿岸―― 一歩先には空がある場所を沿岸と云うのならだが――で、小さな森が広がっている場所だった。
このまま目的地のニューカッスル城へ――とは、スムーズにゆかない。
やはり長時間を走り続けたグリフォンの疲労は、僅かな休憩では回復できなかったのか。
朝の力強さは消え去り、それでもまだ主人の役に立とうとする幻獣の意思には痛々しさすら感じる。
ルイズは元気付けるようにグリフォンの喉を撫で上げると、そうね、と頷いた。
「近くに水場があると思う。
コイツを連れて行くから、二人は敵が近くにいないか見ててくれ」
「分かったわ。もう、アルビオンに着いたんだものね」
昼間に見せていた意気込みを取り戻した様子で、ルイズは大きく頷いた。
そしてワルドの姿が見えなくなると、不慣れな様子でセットアップと呟く。
すると彼女の首に下がっていたペンダントが変形し、長杖の形を取った。
「……ここからが本番なのね」
「そうだな。ただ、あまり気負いすぎも良くない。
戦うのは俺と子爵に任せて、ルイズは自衛に専念。
分かってるな?」
「うん、分かってます」
そう云いつつも戦意を昂揚させるルイズに、カールは思わず苦笑した。
なんとしてもこの任務を達成させる。
そんな気概が伝わってくるようで……もし焦って失敗をしたら、必ずフォローをしてやらないと。
カールも気を引き締めつつ、カブリオレを握り締めた。
ルーンの微かな輝きが、闇夜を薄ぼんやりと照らす。
仮眠から目覚めたら胸の痛みは治まっていたが、その原因は不明なままだ。
デルフ曰くルイズが誤ってメッセージウィンドウを閉じてしまったらしい。
また調べれば良いだけなので特に怒ったりはしなかったが……問題は、メッセージウィンドウが出たことそのもの。
もし異常がないようならば勝手に診断システムが落ちるはずだったのに、そうはならなかった。
つまり、何か身体に異常があるということだ。
ルーンを発動させなくとも魔法学院では普通に生活を送ることができていた。
だが今は違う。何か、今と普段とで状況が違うのだろうか。
そんなことをつらつらと考えていると、ワルドがグリフォンを連れて帰ってきた。
「ワルド、どうだった?」
「……やはり駄目だね。
丸々一日休ませれば良いのだろうけど、今はそんな余裕もない。
コイツには悪いが、どこかに繋いで行こう」
「そう……お疲れ様」
ルイズがそう声をかけると、グリフォンはどこか悔しげに唸り声を上げる。
翼をはためかせる様には力強さが残っていたものの、人であればそれは強がりでしかない。
気まずさを覚えながらも、行こう、とワルドはカールたちを先導し始めた。
「子爵、どこへ行くつもりだ?」
「休んでいる最中に偏在を生み出し、先行させた。
この先には渓谷があってね。抜ければ近くの街へと出ることができる。
普段は見晴らしの悪さから盗賊を警戒して、あまり使われないようだがね」
「……詳しいのね」
「ああ、伊達に魔法衛士隊をやってはいないよ。
アンリエッタ姫について、アルビオンにきたこともある。
ルイズも旅行にきたことはあるようだが、地理は僕の方が詳しいよ」
ワルドの言葉に、ルイズは感心したように頷いていた。
成る程、と思う。ゲルマニア訪問と同じように、姫殿下が遠出する際、ワルドはそれに付き従っていたのだろう。
地理に詳しいというのなら、今更だが姫がワルドをこの旅に同行させたのにも頷ける。
そうして森を抜け、ワルドの云っていた渓谷へと差し掛かった。
山肌を強引に割り砕いたような細い道を、三人はゆっくりと進んでいた。
夜空に浮かんだ二色の月が照らす渓谷は寒々しく、無機質だ。
不気味ですらあるその中に――コツリ、と小さな音が上がった。
小石が転がり、岩肌を転がり落ちる音。別にそれだけならば気に留めることもなかったが――
瞬間、カールはカブリオレを構えて、背中のデルフリンガーを鞘ごとルイズへと投げる。
ワルドはホルダーから杖を引き抜き、カールと共に背後へグリフォンとルイズを庇った。
ルイズは押し付けられたデルフを抱え、唐突に戦闘態勢へと移行した二人に目を白黒させる。
そして――
「見事。微かな気配にさえ反応して見せるか。
流石、アンリエッタ姫が遣わせた大使の護衛だと云っておこう」
冷え切った大気へ、唐突に男の声が響き渡った。
それを切っ掛けに、ザ、と一斉に統率された足音が響いて渓谷の上を、そして正面、背後に人影が浮かび上がる。
完全に包囲されたか――舌打ちしたい気分を堪えながら、カールはカブリオレに術式を走らせる。
が、魔法の完成までには僅かな時間が必要。
それを稼ぐつもりで、カールは先ほどの声を発したであろう男へと視線を向ける。
指揮官、なのだろうか。
渓谷の上部、その奥に当たる場所には三つの影がある。
その内二つは、まるで男を守るように両脇を固めていた。
影を目にし、カールは軽く目を見開く。
その姿を忘れたわけじゃない。自分がルイズに魔法を教えることとなった原因――
「フーケ……それに、仮面の男!?」
「そうとも。
彼と彼女は、頼もしき我らの同士だ」
そして、と男は舐めるように視線を巡らせ、微かに口の端を持ち上げ、
「カール・メルセデス。虚無の使い手よ。
どうかな? この場で、我らの同士になってはくれないか」
自信の満ちた言葉と共に、そう言い放った。
おまけ
――カール・メルセデスがいなくなってから
あの日、高町なのはとカールの模擬戦には、それなりのギャラリーが集まっていた。
とは云ってもその面子はすべて身内だ。
純粋になのはとカールが全力戦闘を行ってどちらが勝つのか楽しみなヴィータ。
もうそろそろなのはがお嫁に行く時期になっちゃうのかとメルヘンなことを考えるフェイト。
おやつ片手にレジャー感覚で観戦する気満々な幼馴染み二人組。
そして、ママ頑張ってーと無邪気な声援を上げるヴィヴィオ。
ママが頑張っちゃったらいつまでもパパが出来ないのよ……と思う一同ではあったが、それはそれ。
放って置いたっていつまでもぶつかり続けるであろうあの脳筋のことは微塵も心配していないのであった。
が――
開始時刻を五分過ぎても、カールは現れなかった。
仕方がない、とシャリオが席を立ち、更に十分が過ぎてもカールは現れない。
十分が経って、今度はグリフィスが探しに出る。
フェイトとヴィータは念話を送ってみるが、しかし、返答はない。
十五分が経っても、カールが訓練場に現れることはなかった。
仕方がねぇな、とヴィータが腰を浮かせて、残されたフェイトは、ヴィヴィオの相手をしながら待つ。
そんな中、なのははひたすらレイジングハートを構えたまま、カールが訪れるのを待っていた。
しかし結局カールの姿は見当たらず、この日は誰もがあの野郎尻尾巻いて逃げやがって、と憤っていたが、次の日、職場にすら彼が姿を見せないことでこれが異常だと理解した。
その日からカールの捜索が始まる。
彼が姿を消した原因は、すぐに発覚した。
訓練場の入り口付近を映していた戦闘記録用のサーチャーが、カールが消える寸前の映像を収めていたのだ。
彼が訓練場に足を踏み入れようとした瞬間、銀色の鏡のようなものが出現し、飲み込まれた。
それがなんなのかは不明。姿を消したことから転送魔法か何かかと推察できるが、時間が経った今、魔力反応などを調べることはできない。
教導隊の魔導師が失踪したとなり、それなりの騒ぎにはなったものの、本格的な捜査はすぐに始まったりはしなかった。
彼本人が転送魔法を使えるという部分が大きすぎたということもある。
もしすぐに戻ってこれないのならば、それは自力で解決できない問題に直面したということを意味するだろう。
動くのならばそれからで良い、と。
ストライカー一人を遊ばせておくのは確かに痛手ではあるものの、捜索に人手を割くほど管理局に余裕があるわけでもなし。
次元航行部隊に捜索対象として通達は出されたが、積極的に探そうとする動きはなかった。管理局には。
しかし個人規模となれば話は違う。
カールが模擬戦をすっぽかし(しかも今回に限っては負けられない理由があった)、仕事を放り投げる(不真面目な人間をなのはは嫌う)なんてことは有り得ない。
身内の目が入ってしまうため捜索理由として強く推すことはできなかったが、彼を知る者は誰もが何かあったと気付いていた。
だが、手がかりと云えるものは何もない。
フェイトは執務官の仕事の傍らで探してくれているし、なのはとヴィータも教導官の仕事をこなしながら、教え子に聞き込みを行っていた。
そしてシャリオとグリフィスは、カールを飲み込んだ銀色の鏡について、調べていた。
だが"銀色の鏡っぽい何か"、なんてアバウトな代物を元に調べても限界はすぐに訪れる。
既存の魔法にそんなものを出すものはないと結果を得た後、二人は藁にも縋る思いで無限書庫へと向かっていた。
「……お久しぶりです、スクライア司書長。
仕事の片手間で良いので、依頼を引き受けてはもらえませんか?」
「うん、良いよ。
もしかして例の彼に関すること?」
そう云うユーノ、直接会ったことはないがカールのことは知っていた。
主に、なのはを通じて。
最近頑張っている子がいるんだー、と聞く度に、なんとも微妙な気分になるのである。
それはともかくとして、ユーノはグリフィスからの頼み事を引き受けた。
データとして登録されている魔法、それ以外に関して記されたもの本があったら教えて欲しい、と。
だが膨大な情報の中から、未登録の魔法を探し出すというのも骨が折れる。
どれだけ時間がかかるか分からない、と断って、ユーノは息を吐いた。
「……早く、彼を見付けることができると良いね」
「ええ。
僕はそう簡単に死ぬことはないと思っているんですけど、シャーリーがかなり気にしてて」
「シャーリー……っていうと、あの眼鏡の子だっけ。
そっか。心配してくれる女の子がいるんだ。
……それなのに彼も頑張るなぁ」
「あの熱意がどこから湧いてくるのか分かりませんけどね」
そう云うグリフィス、六課にいた頃にルキノと仲良くなって、今は結婚が決まっている勝ち組である。
それもあり、あの馬鹿を発見しなければ結婚式を挙げることもできない。馬鹿を放置して挙式をするつもりはない。
早いところ見付けたいのだが――
「敵は難攻不落。なんだかんだで僕も十年以上一緒にいるのになぁ……今まで何やってたんだろうなぁ……。
そして、これからどうすれば良いんだろうなぁ……」
そんなことを考えていると、ユーノは頭を抱えながら無重力空間を漂い出した。
「……普通にアプローチすれば良いのでは?」
「普通で撃墜できるならとっくの昔になのはは魔法少女辞めてるよ……!」
「……魔法少女?」
「うん、そう、魔法少女」
「魔法……少女?」
そういえば高町一尉は今年で何歳だっただろうか。
思い浮かんだ答えと、魔法少女と言う単語がどうしてもかみ合わない。
「魔法少女ですか……」
呟いて、グリフィスは意図的に思考を停止した。