ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールの一日を、少し追ってみよう。
日が昇ると同時に起床。
寝間着の外見であるバリアジャケットを解除、制服のバリアジャケットを展開すると、そのままヴェストリ広場へと移動する。
日が出てからまだ時間が経っていないというのに臨時教師のカール・メルセデスは絶対に先に起きている。
なんで朝から元気なのよ。そんなことを思いながら広場を出発し、学院の外をハイペースで走り回る。
汗だく及び疲労困憊状態で帰ってくると、そのまま風呂へ。
それで汗を流すと食事に向かい、カールに命じられた二倍の量の食事を取る。
最初の頃は吐きそうになったものの、慣れて胃が拡張されたのだろうか、今は平気になっていた。
満腹感と微妙な疲労で眠気を感じるものの、それを押し殺して系統魔法の授業を受ける。
正直眠ってしまいたいルイズだったが、根が真面目である彼女はそれを良しとしなかった。
ミッドチルダ式魔法に触れ始めたことで系統魔法への興味が徐々に薄れつつあったルイズだが、カールの指示できっちりと授業は受けていた。
例えルイズが系統魔法を使えなかったとしても、ルイズを付け狙っている者は系統魔法を使ってくるのだ。
敵がどんな攻撃手段を使ってくるのか学ぶことも必要、と言いつけられ、それを律儀に守っていた。
午前の授業が終わると、昼食になる。
昼食の量は朝食や夕食ほどぶっ飛んではない。何故か。それは吐くからだ。
二日目の時点でちょっと調子に乗ったルイズは張り切って身体を動かし、口から砲撃魔法を放っていた。
体力がないことや身体が出来上がっていないことから分かる通り、ルイズは身体を動かすことに慣れていない。
母親譲りの運動神経の良さはあるものの、積み重ねがないために長時間の運動は辛いのだ。
それで懲りたため、腹七分目といったところで昼食を済まし、午後の授業に臨む。
授業は座学から入り、三時を過ぎた頃から場所を研究室からヴェストリ広場へと移す。
ただルイズが魔法を使えるようになったことで変わったのは、そこに魔法の実技が加わったことだろう。
バリアジャケットを取っ掛かりとして、カールはルイズにバリアタイプの防御魔法を教え込んでいた。
より早くプロテクションの展開を。それが一定水準に達したら、カールの放つ模擬弾の防御を。
応用で展開したプロテクションを破裂させ相手を吹き飛ばすバリアバーストという技術があると聞いているが、それを教えてくれるのは少し先のことらしい。
そうして魔法の実技が終わると、今度はルイズが大嫌いな体力作りが始まる。
この体力作りに関して、ルイズはカールのことを真性のサディストだと思っている。
頑張れ頑張れやればできるってどうしてそこで諦めるんだ! と恥ずかしいことこの上ない声を上げながらルイズを駆り立てるカールの姿は、絶対に自分をいたぶって楽しんでいる。
しかし、熱心に教えようとしてくれている気持ちは伝わってくるため、悪い気はしなかった。
悪い気はしなかったものの、やはり体力作りが辛いことに変わりはないのだが。
体力作りが終わる頃にはボロ雑巾のようになる彼女と比べ、カールはいい汗かいた、ぐらいにしか消耗していない。
あれは本当に人間かとすら思う。
いつか追いつけたら、と思うものの、それはまだ先のことだろう。
ルイズにも、日に日に自分の体力がついている実感がある。そのため、体力作りは嫌いだがつまらないとは思わなかった。
初日は広場を十周するだけで潰れてしまっていたのに、今はペースを保って十五周はいける。
が、残った体力はその後の全力疾走と筋トレで絞り尽くされるために余力が残った日など一日もないが。
汗まみれで体力作りを終わらせると、夕食の時間になる。
風呂に入ったあと二倍の量の食事を食べて気絶するように就寝。
――そうして、カールはルイズにフィジカルヒールを使用して、彼女の進歩状況から翌日の教導計画を練る。
自室で机と向き合いながら、カールは口に咥えた火の点いていない煙草を上下させ、どうするか、と呟いた。
既に外は暗い。魔法のランプが浮かび上がらせる薄暗い部屋で、カールは走り書きの並んだ紙と、ルイズの成長記録をそれぞれ見ていた。
「デルフ、もう一度確認させてくれ。
普通のメイジは、固定砲台みたいな扱いなのか?」
「ああ、そうだぜ。火も風も土も水も、メイジの大半が戦争じゃ固定砲台扱いだ。
一部の例外もいるっちゃいるがね。ええっと、ちょっと待てよ。なんて云ったか……嫌だねぇ、歳を取るとものを思い出すのが大変で。
ああそうそう、魔法衛士隊だ!
連中、魔法の技量もさることながら、接近戦の練度もかなり高けぇぜ。まぁ職業軍人だから当たり前だって話ではあるがね。
娘っ子を浚った仮面の野郎が、それに近いな。
戦争に駆り出されるメイジは大半、平時は貴族やってるからよ。剣振り回すなんてこたぁ野蛮だと思ってる。
だから武術の類はあんまり明るくない連中が多いな。
フーケも仮面の男も、メイジにしちゃかなり珍しい類じゃねぇかな。どっちも個人同士の戦いに慣れてた。
あと他には……あー、竜騎士かな。ってか、幻獣乗りだわ。
こっちはメイジが接近戦するわけじゃねーけど、竜やグリフォン、マンティコアは人間じゃ太刀打ちできねぇ怪物だ。
そういう相棒に肉弾戦を任せて、乗り手の方は魔法を使う」
「後者の方は、僚機付きの空中砲台ってところかな……。
ともあれ、分かった。メイジは基本的に、肉弾戦を好まないんだな?」
「基本的には、だな。
そこを突く形で、本気で殺しにかかってくる連中は身体も鍛えるし剣技も磨く」
「そうか……ならやっぱり、ルイズには防御魔法の次に、飛行魔法を教えるとしよう」
「相棒、なんでそうなるんだ?
攻撃とか拘束じゃないのか?」
「それも悪くはない。
けどな、デルフ。ルイズに教えているのはあくまで自衛手段なんだ。
俺や教師、学院を守る人間が到着するまで堪え忍ぶ術を第一に学んでもらってるんだよ」
「ああ、成る程。
今のところ娘っ子は亀みたいに守りを固めて耐えるしかねぇ。
けど飛行魔法を覚えたら、今度は飛んで逃げることが出来るようになる、と」
「そういうこと。ハルケギニアのメイジは、基本的に空を飛んでもミッドチルダ式の飛行魔法には追いつけない。
ルイズの成長次第ではあるけど、速度にものを云わせれば幻獣に追われたって逃げ切ることはできる。
……惜しくは、あるんだけどね」
そういうカールの顔には、言葉が嘘でないと云うように、微かな悔しさが滲んでいた。
ルイズに魔法を教え始めてから、今日で一週間と少し。
その間にバリアジャケットの瞬時の設定変更――耐熱防御、毒性防御、リアクターパージなどを教えていた。
おそらくバリアを張らずとも、衝撃を付加されていない火のラインスペルには耐えられるはずだ。
尚、バリアジャケットを構築する魔力を瞬間解放して相手を吹き飛ばすジャケットパージは教えていない。
教えていざという時に使い所を間違われたら、大変なことになるからだ。
バリアの方も覚えは良い。
実戦の空気に触れたらどうなるか未だ分からないものの、精度だけならば実戦レベルではある。
体力作りの方も順調と云えるだろう。
限界まで身体を酷使して回復、を繰り返すのはあまり身体には良くないのだが、虚無の曜日だけは完全休養に充てているため壊れることはないはずだ。
体力は徐々に、しかし確実についてきている。
生かさず殺さず。
そのラインの見極めには気を配っているため、今のところは大丈夫だろう。
……本当に惜しい。
設備が整い、ルイズ専用のデバイスを準備できる環境が整っていたら、もっと彼女を磨き上げることができるだろうに。
基礎固めは確かに重要だ。もし設備が整っていてもそこだけは変わらない。
だがここから徐々に訓練内容を発展させてゆけば、いずれ限界がくるのは確かだ。
カールの身一つで整えられる訓練環境にも限界は存在している。
他にも、魔導師がどう戦うべきか、という戦闘映像を見せることだって勉強にはなる。
しかしこのハルケギニアではそれができない。
いずれ、野良の幻獣を相手に戦い方を見せようとは思っているが、それでも魔導師、メイジ同士の戦いとはほど遠いだろう。
「……なんとかしたくはあるんだけどなぁ。
あの子の熱意に応えられないのは、なんとも気が引ける」
「熱心だねぇ」
そう云っていると、不意に扉がノックされた。
はい、と声を返せば、遠慮がちに扉が開かれる。
姿を現したのはコルベールだった。
彼は少し驚いた様子で部屋に入ってくると、こんばんは、と声を上げる。
「部屋の明かりがついていたようなので、ひょっとしたら消し忘れて寝てしまったのでは、と思っていましたが、違いましたか」
「ええ。ルイズの教導計画を練ってました」
「ふぅむ。ミス・ヴァリエールもなかなかに贅沢だ。
一対一の授業とはいえ、こうも面倒を見てくれる教師はなかなかにいないでしょうに」
「いえ。俺も初めてのことだから、熱を上げてるだけですよ」
どうぞ、とカールが椅子を勧めると、コルベールは来客用の椅子へと腰を下ろした。
「今までは、一人の生徒に長期間教えるってことはなかったんです。
一度に大勢の生徒を持って、要所要所で口を出す。
多分、一人の面倒を見た時間を数えたら、一時間を超えるのは稀でしょうね」
「そうなのですか。
それで、ミスタ・カール。ミス・ヴァリエールの調子はどうですか?」
「良いですよ。あの子には天性のものがある」
「ほう。スクウェアのあなたにそこまで云わせますか」
コルベールは驚いた風に声を上げた。
カールが召還されたことから、表向き、ルイズには風系統の才能がある、という話になっている。
そのため、周囲の目を誤魔化すためにも、ルイズには飛行魔法だけはマスターしたら人前で使って良いと許可を出していた。
まだまだ先の話だが、魔法陣を展開せずクロスファイアに炎熱を付加できるようになったら、ラインクラスと名乗ることもできるだろう。
「それにね、コルベールさん。
俺、嬉しいんですよ。ルイズにはやる気がある。貪欲なほどに、俺から与えられる技術を取り込もうとしている。
そこまでやる気を見せられたら、こっちも半端なことはできません。
いや、最初から半端をする気なんてなかった。余計に燃える、ってところでしょうか。
俺のかけた勝手な期待に、あの子は応えてくれる。なんだかそれが、とても嬉しくて。
良いものですね、教師って」
云いながら、カールは脳裏に一人の女性を思い浮かべていた。
彼女も二年前、機動六課という部隊で初めての長期教導を行っていたという。
一年という長い時間の中で良いことと悪いことの両方があったと云っていたものの、大きな価値のある日々だったと、彼女は云っていた。
まだルイズの教導を開始して間もないカールだが、今なら、彼女が云っていたことを少しだけ理解できる気分だった。
「はい、良いものですとも。
自分が学んだことを他者に教え、自分の技術が他人の中で生き続ける。
価値のあることだと思います」
カールの言葉に、コルベールは柔らかな笑みを浮かべる。
まだ若いカールが教育者として喜びを感じている姿を微笑ましいと思っているのだろうか。
友人、という立場ではあるものの、今の彼には友というよりは弟を見守る兄のような色があった。
「っと、そうだ、ミスタ・カール。
少し話を変えてしまってもよろしいですかな?」
「はい、なんですか?」
「頼まれていたルーンの調査結果が出たので、それを教えようと思いまして。
本当は明日にするつもりでしたが、速い方が良いでしょう」
「ありがとうございます。
それで、どうでしたか?」
「……それが、ですね」
カールが質問すると、途端にコルベールは顔を曇らせた。
「ガンダールヴ、という単語は知っていますな?」
「はい、一応」
一応、カールはその名を知っていた。
この世界に訪れてから次の日、食堂でルイズが祈りを捧げていた始祖ブリミル。
そのブリミルを崇めるブリミル教について興味があったため、彼はそれを調べていたのだ。
異端であるミッドチルダ式がその教義の下ではどういう扱いを受けるのか、ということを知るためでもあったのだが――
ともあれ、カールはガンダールヴがなんなのかを知っていた。
始祖ブリミルに仕えていた四体の使い魔、その一体。神の左手、神の盾。
あらゆる武器を使いこなしたと云われているらしいが――
「……まさか、そのガンダールヴ?」
「……ええ。ルーンの綴りは合っています。
それに、武器を持ったら力が増したというミスタ・カールの言葉とも合いますし――」
「おいおいこっぱげ。
それじゃ何か? 相棒がガンダールヴなら、それを呼び出した娘っ子が虚無だとでも云うのか?
冗談キツイぜ。娘っ子の系統は風なんだぞ?」
けたたましい程に金具を打ち鳴らし、どこか怒りすら覚えた様子で、デルフリンガーは唐突に声を上げた。
カールはそれに違和感を覚えたものの、コルベールは苦笑するだけだった。
「そうですな。カビの生えた伝説ですしね。
しかし能力が酷似していることから、おそらく、それに近いルーンなのでしょう」
「……すみません、デルフが失礼なことを」
「いえいえ、気にしないで欲しいですぞ。
与太話を始めたのは私の方です。
それじゃあ私はこの辺りで……ミスタ・カールは?」
「俺はまだ起きてます。
ルイズの教導計画を練りたいし、魔法の勉強も……ああえっと、この学院は蔵書量がすごいので、この機会に目を通しておきたいんですよ」
本当はハルケギニアに対する理解を深めているのだが、コルベールはカールが異世界人だと知らない。
未だに知っているのはデルフリンガーとオスマンのみなのだ。
そのため、カールは咄嗟に言葉を取り繕った。
「……いつ寝ているのですか?」
「ルイズの朝練習に付き合ったら寝るようにしてます。
午前中は俺の受け持つ授業、ありませんからね」
「昼夜逆転とはこれまた……若い内は無理が利いて良いですなぁ」
「……やっぱり歳を取ると厳しいですか?」
「ええ。いくら体力があっても無理が利かなくなってきますよ。
それでは、もう私は寝るとします。ミスタ・カールも、あまり無理をしないように。
おやすみなさい」
「はい。おやすみなさい」
パタリ、と扉が閉められてコルベールが外に出ると、カールはデルフリンガーへと視線を向けた。
彼の眼差しは、どこか怪しむように細められている。
「デルフ。どういうことだ?」
「何が?」
「ガンダールヴに関してだよ。
お前、ルイズが風の系統なんかじゃないって知ってるはずだろ?
俺はてっきりミッドチルダ式だって思っていたけど――」
「相棒のルーンはガンダールヴに似てるけど別物で、娘っ子の系統はミッドチルダ式だ。
俺はそれ以外、何も知らないね」
「本当に?」
「本当さ」
「そうかい」
カールはデルフリンガーを追求することなく、早々に話を打ち切った。
もしデルフリンガーが人ならば違っただろうが、彼は剣だ。
表情も何も見えない相手に駆け引きを行い、情報を引き出せるとは思えなかった。
それに、カールはそういった腹の探り合いに向いた性格ではないということもある。
だが、
「なぁデルフ。隠し事をするのは別に良い。
けどさ。隠し事をする理由ぐらいは教えてくれよ。
じゃないと、俺はお前を信頼できない。お前に教えられた能力のこともある。
魔剣を握って身体を操られて、なんてのは嫌だぞ」
仮面の男との戦いを終えてから、カールはデルフリンガーの持つ能力を聞いていた。
魔力吸収に使用者の肉体操作。
前者はともかくとして、後者の能力は便利な反面恐くもある。
とてもじゃないが、デルフリンガーを信頼してなければ彼を握ることは出来ない魔性の能力だ。
カールの言葉に、デルフリンガーは寂しげに金具を上下させた。
「……だから隠し事はしてねぇって。
けど、そうだな。
もし、もしだぜ? もし娘っ子が虚無だとしたら、それを明らかにするのは幸せなことなのかねぇ。
俺にはどうしてもそうは思えねぇよ。
世の中には往々にして、知らない方が幸せだった、ってこともあるもんさ。
人間何が幸せって、美味いもん食って、好きな女抱いて、子供育てて孫に看取られながら死ぬのが一番さ。
きっとな」
「そうか。
……そうだな」
異世界人なりに、カールはこの世界における虚無の系統、その価値を理解していた。
仮面の男がカールを虚無と勘違いしたこともあって、図書館で調べられるレベルの情報は頭の中に入っている。
デルフリンガーの、もしもの話に乗るならば。
確かに、虚無の担い手と判明してしまうことは、幸せと断言することはできないだろう。
崇められはするし敬われもするだろうが、それは――きっと、人としての扱いを二度と受けることができなくなってしまう。
それが言い過ぎでないほど、この世界にとって虚無という系統の扱いは重い。
デルフが口にしたような、人が当たり前のように手に入れる幸せが許されなくなるだろう。
「俺は相棒の剣さ。
その相棒が大事にしている娘っ子も、大事にしたいと思ってる」
「……ああ、分かったよ。
悪かったな、デルフ。変なこと云って」
「気にすんな。たとえ話だからな」
それっきりデルフリンガーは口を噤んでしまう。
カールはそんな相方の様子に肩を竦めると、ルイズの教導計画を再び練り始めた。
月のトライアングル
「わぁ……!」
眼下に広がる風景に、ルイズは感嘆とした声を上げた。
今、彼女の視界一杯にはミニチュアのようにトリステイン王国が広がっている。
目を凝らせば、その先にあるアルビオンの影すら見えるだろう。
風は強く、バリアジャケットを解除すればまず間違いなく寒い。
ルイズと、そしてカールは、現在トリステイン魔法学院の直上にいた。
高度は三千メートルを少し超えたところだ。
飛行魔法に不慣れなルイズはカールと手を繋ぎながら、広がる景色に目を見開いている。
幸いなことに雲は出て無く、視界を遮るものは存在しなかった。
飛行魔法を覚えたての人間を高々度まで連れて行くことに危険がないわけではないものの、カールの考えとして、飛行魔法の素晴らしさを早い段階からルイズに教え、彼女の熱意を風化しないようにしたかった。
ミッドチルダ式魔法を熱心に覚えようとするルイズだが、人である以上、いつかはこの状況に飽きてしまうだろう。慣れる、とも云う。それは仕方がない。
だからカールはルイズのミッドチルダ式魔法に対する興味と好奇心を刺激し、彼女の熱意を少しでも長く維持したかった。
その成果は――
「ルイズ、どう?」
「……すごい。すごいわ」
予想とは違い、彼女の反応はどこか上の空だった。
しかしそれは感心が薄いというわけではなく、広がる景色に見入っているからだろう。
ルイズと同じように景色を眺めながら、カールは口を開く。
「ルイズも、飛行魔法を訓練し続ければこの高さまで楽に昇ることができるようになるよ。
先は、長いけどね」
「……うん。
この高さまで昇れたら、私は風のメイジって名乗っても良いの?」
どこか期待するように、ルイズは問いを呟いた。
飛行魔法――『フライ』は風系統の魔法に分類される。
そして、メイジのクラスが決定されるのは、一度にどれだけの系統を足せるか――風系統のスペルを使えるようになったルイズは、風のドットと云えるだろう。
もし今後ルイズがラインクラスへの昇格を偽装したいと願うならば、氷結の魔力変換――風と水で氷を生み出す――を教えることになるか。
そんなことを考えながら、カールはルイズの問いに答えた。
「いや、高度を上げなくとも空を飛べるだけで『フライ』を使ったことになるのなら、もうルイズは風のドットって云える。
ただまぁ、俺としては、もっと練習してからじゃないと危なっかしくて飛行魔法を使わせたくないけどね」
「わ、分かってるわよ。
防御魔法だって一週間で覚えたんだもの。飛行魔法だって、すぐにマスターしてみせるわ」
「マスターするのはかなり難しいだろうね。
空を飛ぶだけなら難しくないけど、高々度の飛行、マニューバ、継続時間、そういったものを挙げていったら飛行魔法は奥が深い」
「……むぅ」
その言葉に、ルイズは気難しそうに唇を尖らせた。
だがそれは子供が不機嫌になった時に見せるようなものではなく、まだ先は長いと理解したからなのだろう。
思わず苦笑し、カールはルイズの頭をやや荒く撫でた。
「ちょ、ちょっと! 何するのよ!」
「無茶にならない範囲で、俺は君が望むだけの技術を教えるから。
だから頑張れ。どこまで行けるかはルイズ次第さ」
「分かってる!」
子供扱いされたからだろうか。頬を微かに染めながら、ルイズはカールの手から逃れると、ふらふらと空を漂い始めた。
吹き荒ぶ風に流されないよう飛行魔法を制御しながら、自分の望む通りに飛ぼうとしている。
まだまだ甘い。未熟。複雑な機動で空を舞うにはほど遠い。
だが、カールが教えようとするよりも早く自ら臨んで技術を身に着けようとする彼女ならば、不可能ではないだろう。
人を成長させるのは天性の才能でも、努力を続ける忍耐強さでもない。
必要なのは、目的を達成しようとする熱意である。それが、カールの持論だった。
熱意の炉に火をくべ続けた結果として、カールはストライカーと呼ばれる魔導師にまで上り詰めたのだ。
そして、そんな自分と似たひたむきさが、ルイズにはあるように感じられた。
「先生! 少し、速度を出して曲がれるかどうか試してみたいの!」
「ああ、良いよ。失速したらすぐ助けに入る。後ろについてるから、思う存分試してみると良い。
自分のやり方でやってみて。失敗したら、反省点を含めてもう一度教え直すから」
「失敗前提で話を進めないでよ!」
風に負けないよう声を張り上げるルイズに、カールは思わず苦笑した。
既に念話は教えてあるのに、わざわざ声に出して会話をしようとするのは、まだ念話の存在に慣れてないからなのだろう。
さて、ルイズは自分自身の力で飛行魔法を使うことはできるのか――そう思って後を付け、不意に失速した彼女を、カールは慌てて助けに行った。
そうして魔法の実技が終わると、二人は地上へと戻ってきた。
防御魔法の訓練をする時はカールが結界魔法を使用して人目に付かない空間を生み出すのだが、飛行魔法は違う。
フライという空を飛ぶ魔法があるため、わざわざ結界を張る必要はないのだ。
ようやく地面に足を付けることのできたルイズは、生まれて初めて自分の身一つで上がった空の感覚と、足の着いている状態のギャップに変な顔をしていた。
風のメイジや竜騎士は、あんなにふらふらした状態に慣れているのだろうか。
失速した際、カールにキャッチされるまでの浮遊感を思い出して、ぶるりと震えた。
けれど、とも思う。
上昇と直進だけならなんとか出来る。
カールが云っていたようにマスターにはほど遠いかもしれないが、ハルケギニアの『フライ』の範疇なら、既に満たしたようなものだ。
これでようやく自分も風のドット――そう思うと、やはり頬が緩んでしまう。
「おめでとう、ルイズ」
そう思っていると、不意にカールが声をかけてきた。
「オスマンさんには報告しておくよ。
これで君は、風のドットだ。例えコモンマジックが使えないのだとしても、一つの系統に目覚めたのだからそう名乗れる。
良かったな」
カールはなんの嫌味でもなくそう言い放った。
褒めてくれているのは分かるものの、なんとも微妙な気持ちになってしまう。
もう自分はバリアジャケットを始めとして、バリア系各種防御魔法と、飛行魔法、そして念話を使えるようにはなった。
けれど表向きにはフライの一つしか唱えられない風のドット――悔しさがないと云えば嘘になる。
「……所詮は風のドットだわ」
だからそんな風に心にもない悪態を吐いてしまったが、カールは気分を害した風もなく、困ったように笑った。
「そうだね。けど、すごい進歩だと思わないか?
魔法の一つも使えなかった君が、今じゃ風のドットメイジを名乗れるんだ。
それも、たった一週間しか学んでいないのに。
正直、ここまでくるのにはもっと時間がかかると思ってた。
それでも飛行魔法のレッスンを始められたのは、ルイズの覚えがそれだけ良かったからだ。
才能の一言で俺は片付けたくない。
ルイズが頑張ったからだろ?」
「……おだてたって何もでないわよ」
ぷいっとルイズはそっぽを向く。
誰かに教えたわけではないが、ルイズは体力に余裕のある時間、カールから教えて貰ったミッドチルダ式のおさらいをしていた。
実践ではなくあくまで座学のだが、それでも、ミッドチルダ式は正しく術式を編まなければ魔法を発動させることができない。
そういう意味では、発動させてはいないものの、術式の組み立てを何度も復習していたルイズの努力が実ったとも云える。
だから、カールの言葉が嬉しくないわけではなかった。
けれど真に受けたら密かに行っていた努力を明らかにするようで悔しい。
なんとも複雑な心境だった。
対してカールは、苦笑しながら補足するように口を開いた。
「折角だから、ジャケットパージも教えるよ。バリアジャケットを破裂させて相手を吹き飛ばす魔法。
これは魔法陣を出す種類の魔法じゃないから、ウインド・ブレイクって偽れるはずだ。
さて……じゃあ休憩はこれぐらいで。
今日も楽しい体力作りを始めようか」
うへ、とルイズは座り込みたくなる。
それを我慢したのは、なんともはしたないからだった。
「ルイズ、今日から君には、デルフを担いでもらう」
「デルフ?」
ルイズが問うと、カールは周囲を見渡してから転送魔法を発動させ、一本の長剣を召還した。
見覚えがある。いつも研究室の隅っこに立てかけてある武器だ。
それがインテリジェンスソードであることも、ルイズは知っていたが――
「なんでそれを背負うんですか?」
「普段から、ってわけじゃないけど、有事の際、ルイズにはデルフと一緒に行動してもらおうと思ってる。
それに慣れるためにも、今日からデルフを背負って走り込みをしようか。
大丈夫。それができるだけの体力はついてきてると思うから」
「そいうことだ、娘っ子。よろしくなー」
「話が見えません、先生。嫌です。そんなもの背負ったら背中が鉄臭くなりそうです。
それに重そう」
「相棒――! やっぱり俺は嫌だぜ!」
「ちゃんと理由はあるから……」
ガシャガシャと金具を鳴らすデルフリンガーに額を抑えながら、カールは溜息を吐いた。
「このデルフリンガーは……まぁ自称だけど、六千年の間存在しているらしい」
「骨董品ですね」
「ああ、骨董品だ」
「……あれ? 相棒、酷くね?
俺の味方じゃなかったのか? コンビ解消の危機か?」
喚くデルフを無視しながら、カールは先を続けた。
「だが、人ならそれは古参兵って云っても良い。
六千年の全部を戦場で過ごしたわけじゃないだろうけれど、それでも生きている人間の誰よりも多くの戦場を、デルフは見てきている。
実戦経験なら誰よりも豊富なんだよ。実際にデルフから話を聞いてみて、それは俺も保証する。
ルイズ。君はミッドチルダ式魔法を覚え始めたけれど、場慣れはしていない。
だからいざ戦闘が始まったら、おそらく冷静な判断ができないだろう。
その時にアドバイスが出来る存在を、俺は君の側に置いておきたい」
「理屈は分かりますけど……」
そう。理屈は分かる。
カールはルイズに魔法を教えているが、それは勉学としてではなく、実戦ありきの、戦場で生き残る術としてだ。
そのため、"その時"を意識して準備を行うことは、ルイズにも理解はできる。
……それでもデルフリンガーを背負って走り込みをしろというのは御免被りたい。重そうだし。実際に重いだろうし。
魔法の勉強も体力作りも真面目に取り組んでいるルイズではあったが、自ら率先して苦行をしようとまでは思わない。
「相棒。俺も戦士でもなんでもねぇ娘っ子のお守りはやっぱり嫌だぜ。
どうしても、って頼まれるなら、まぁ、やぶさかでもないけど」
「……昨日の内に決めたことだろ」
「いやでもよー、剣は振るわれてなんぼだぞ?」
「ただの剣ならな。
インテリジェンスソードなら別の使い道が出てくるのは自然だろ」
「詭弁だ!」
「事実だ。そういうわけでルイズ、頑張ろうか」
「うぅー……」
どうやら既に、カールの中ではデルフを背負っての走り込みが決定しているようだった。
そしてカールの云っていることが分からないわけではないため、ただわめき散らすなんてみっともないことをしたくないルイズではあった。
が、それでもあまり友好的には見えず、かつ、クソ重そうなインテリジェンスソードを背負って走り回るのは……。
そんな風に考え込むルイズに、カールは首を傾げた。
「そんなに嫌か……じゃあ、ルイズ。
風のドットになったご褒美も兼ねて、君が覚えたい魔法を授業内容に組み込もう」
「本当ですか!?」
「ああ。とは云っても、いきなり広域攻撃魔法とかは無理だけどね」
「私、射撃魔法が覚えたいです!」
射撃魔法。ルイズがそれを選んだことには、一つの理由があった。
魔法陣を展開せずに氷結を付加した射撃魔法を使えば、ラインメイジと認められる。
簡単な魔法ならば、魔法陣を展開しなくても発動はできるため、ハルケギニアの魔法と偽ることも可能――ということもあるが、もう一つ。
貴族には責務の一つとして、戦争に参加しなければならないというものがある。
そのため、戦う術を持たないということは、貴族の責務を果たせないということに直結する。
何も敵を倒すことが戦争に赴いたメイジの役割ではない。水のメイジなどは医師として戦場に出る。
だがそれでも、メイジとして戦う力を持つということは、貴族としての責務を果たすことに繋がるのだ。
ミッドチルダ式が外道の魔法なのだとしても、ルイズの心根にはハルケギニアの貴族、その在り方が刻まれている。
たとえ使う魔法が違っても心根だけは貴族でありたいと、ルイズは願っている。
だからこそ彼女は、攻撃魔法を教えて欲しいと口にしたのだ。
それを聞いたカールは少しの間考え込むと、先ほどまでの気さくな表情を消して、酷く真剣な顔をルイズに向けた。
「分かった。良いよ。
ただし、一つ約束をして欲しい。
オスマンさんから聞いているとは思うけど、改めて、だ。
ルイズ。自衛以外に、ミッドチルダ式魔法を使ってはいけないよ?
それを約束してくれなければ、射撃魔法を教えることはできない」
「……分かってるわ」
微かな逡巡を見せながらも、ルイズは頷いた。
分かっている。もうミッドチルダ式魔法を学び始めてしまった今、その約束を反故にすることはできない。
学んでおいて前提条件を破る。それではまるっきり詐欺そのもの。貴族として、そんな行いは許されない。
ルイズの表情から、カールは本気であることを察したのか。
すぐに真剣な色を解くと、彼はにっこり笑ってデルフリンガーをルイズへと差し出した。
「良し。
それじゃあ、走り込み、頑張ろうか」
「……どうしてそうなるんですか?」
「射撃魔法、覚えたいんだよね?」
「……ガンバリマス」
この男は絶対に真性のサディストだ。
ぐぬぬ、と歯を食い縛りながら、ルイズはデルフリンガーを背負い、走り込みを開始した。
思った以上に剣は重い。いつもなら軽快に走ることのできるペースでも、身体が地面に引き寄せられているようだ。
ガチャガチャと音を上げながら、ルイズは重い身体で広場を走り始める。
普段は一緒に走るカールは、広場の隅に座り込んで、どこからか取り出した本を読み出した。
ルイズは彼を恨めしげに睨みながらも、明日から始まるであろう射撃魔法の勉強に思いを馳せて――
「やい娘っ子」
「……あによ」
「相棒の頼み事だから聞くけどよ。
俺は相棒以外に握られるの、あんまり気が進まねぇんだ。
間違っても抜いたりするんじゃねぇぞ」
「奇遇ね。私だってメイジなのに武器を背負ってるなんて状況が、気に入らないわ」
「へーへーそうですかよ。んじゃ俺は精々知恵袋に徹しさせてもらうわ。
まぁ、お前の小枝みたいな腕じゃ、どう頑張ったって俺を振ることはできねーだろうしな!」
「メイジが振るのは杖よ。あんたみたいな骨董品を振ったりなんてしないわ」
「杖だぁ? お前、相棒みたく戦友を持ってるわけじゃねぇだろ?
娘っ子の場合、ミッド式は杖なしで使うしかねぇじゃねぇか」
「ぐっ……うるさいわね、黙ってなさい!
喋りながら走るのって疲れるんだからね!」
「じゃあ話に乗らなきゃ良いだろ」
「話しかけてきたのはあんたの方じゃないの!」
「ルイズー! ペースが落ちてるぞー!」
「はーい!」
「おら、頑張れ頑張れ」
「今に見てなさいよ……!」
こんちくしょー! とヤケになりつつ、ルイズはその日の体力作りを終わらせた。
その頃にはもう日が落ち始め、茜色に空が染まり出す。
解散、ということでカールはデルフを持って自室へと戻っていった。
ルイズは重りを追加された走り込みですっかり疲れ切ってしまい、息を整えるために広場に残っていた。
大の字になって、彼女は胸を上下させながらぼんやりと空を見上げる。
疲労がしみ込み、汗に濡れた身体には、穏やかに吹く風が心地よい。
眠ってしまわないよう意識をしっかりと保ちながら、ルイズは呼吸を徐々に整えていた。
そうしていると、かさり、と芝生を踏みしめる音が聞こえる。
頭を動かすと、そこにはコルベールの姿があった。
「こ、こんばんは、ミスタ・コルベール!」
ルイズは跳ね起きて服に付いた草を払うと、勢いよく頭を下げる。
そんな彼女に微笑ましげに頷きを返して、立ち上がったルイズを手で制した。
「座っていても良い。
疲れているでしょう」
云いながら、コルベールもその場に座り込む。
一人だけ立っているのは気まずく――だからコルベールは座り込んだのかと思いながら、ルイズもその場に腰を下ろした。
「今日も走り込みですかな?」
「はい……何故か剣を背負って」
「ああ、あのインテリジェンスソードですか。
ミスタ・カールがそんなことを云っていましたなぁ。
それで疲れてしまった、と」
「……いえ、体力作りで疲れ果てるのはいつものことなんですけれど」
「はは、そうですか。
まぁ、疲れなければ体力作りとは云いません。仕方がないでしょう。
しかし、熱心ですな」
「え?」
「いえ。軍人にでもなれば話は別ですが、普通、体力作りをしろと命じられて熱心にそれを行うメイジはいません。
まぁ、あまり不思議な話ではありませんが。
けれどミス・ヴァリエールは、ミスタ・カールの言いつけを守り走り込みを続けている。
失礼な云い方になってしまいますが、勉強ならばともかく、ロードワークをこうも続けられるとは思っていませんでしたよ」
「それは……だって、体力作りをしなきゃ、メルセデス先生は魔法を教えないだろうし」
「それはないでしょうなぁ。
彼は学院長から直々に、ミス・ヴァリエールへ魔法を教えるように云われている。
確かに体力作りも大事なのでしょうが、もしあなたがそれを嫌がり続けるようなら、早々に切り上げて魔法に専念させたでしょう。
そうなっていないのは、偏にあなたが真面目だからですぞ、ミス・ヴァリエール」
……褒められているのだろうか。
なんとも微妙な気持ちになりながら、そうですか、とルイズは頷いた。
「ミスタ・カールも報われているようで何よりです」
「報われている?」
「はい。彼は昼夜逆転の生活を続けているのです。
あなたの授業を行ってから、そのまま夜通しで授業の計画を立ててますからな。
眠っているのは受け持った授業のない午前中と聞いています。
しかし、ミス・ヴァリエールがこうもやる気を見せているならば、そこまで熱が入るのも頷ける」
ルイズの目には、どこか、コルベールが自分のことのように喜んでいるように見えた。
それはともかくとして――微かな嬉しさが、ルイズの胸に込み上げてくる。
カールが熱心に魔法を教えてくれているのは態度から察することができていたが、そこまでとは思っていなかった。
まるで自分の熱意に彼が応えてくれているようで、上手く言葉にできないくすぐったさを抱いてしまう。
幸運なのだろう。ずっと魔法を使えなかった自分にとって唯一の教師とも云えるカールの存在は。
そんな彼が手間を惜しまず魔法を教えてくれていることは、本当に、幸運としか言い様がない。
……良し。
勢いよくルイズは立ち上がると、背筋を伸ばした。
「すみません、ミスタ・コルベール。
今日教えてもらったことを、復習しようと思います」
「そうですか。ならば邪魔にならないよう、私は退散しましょう」
「はい。それでは」
コルベールに頭を下げると、ルイズは飛行魔法の復習を始めた。
杖は持ってきている。フライと勘違いしてもらえるよう、その準備はしてあった。
杖を手に持ったルイズは、その場で浮かび上がる。
地上から五十センチほどしか浮いていないが、高度を取っていない分、姿勢制御などはずっと楽だ。
少しはコツを掴めたら、と思いヴェストリ広場を漂っていると、今度は、
「あら? ルイズ?」
「ツェルプストー?」
声のした方を向けば、そこにはキュルケの姿があった。
彼女は幽霊でも見たように目を瞬いて、唖然と口を開けている。
失礼ね、とルイズは浮かんだまま腕を組んだ。
「何よ」
「いえ……フライの練習?」
「そうよ。風系統に目覚めたから、今日から晴れてドットクラス。
どう? 少しは見直したかしら?」
驚いたキュルケに向けて、どうよ、と云わんばかりにルイズは薄い胸を張った。
どうせ嫌味の一つでも飛んでくるのだろうけれど、と思っていたが、しかし、彼女の反応はルイズの予想から外れていた。
「ええ、見直したわ。
やったじゃない! おめでとう!」
「……へ?」
今度はルイズが唖然とする番だった。
素直に彼女から称賛の言葉が向けられるとは、微塵も思っていなかったからだ。
しかしキュルケはそんなルイズを馬鹿にした風もなく、彼女にしては珍しく屈託のない笑顔を浮かべていた。
「……やめてちょうだい。なんだか調子が狂うわ」
「あら、そう?
ともかく、良かったわね。これで『ゼロ』からも脱却じゃないの。
二つ名、一緒に考えてあげましょうか?」
「け、結構よ! 調子が狂うったら!」
あら残念、とキュルケは溜息を吐く。
ルイズの反応に何を思ったのか、どこか残念そうに態度を改め、彼女はいつもの悪戯めいた笑みを浮かべた。
「ま、風のドットって云っても、まだまだよね。
私と肩を並べたいなら、さっさとトライアングルまで駆け上がっておいでなさいな」
「云ってなさいよ。すぐに追い付いてやるから」
「……ええ、その意気よ」
トライアングル……ラインまでは見通しが出来ているものの、エリートと呼ばれるクラスに自分が認められることはあるのだろうか。
ミッドチルダ式には、電撃、炎熱、石化、氷結の四種類の魔力変換が存在するとカールは授業でルイズに教えていた。
ならば氷結を覚えたら、風と水を身に着けたと偽装できるのだろうか――
そんな風にルイズが考え込んでいると、それじゃあね、とキュルケは手を振り立ち去ってしまった。
そんな彼女の後ろ姿を見送りながら、ある一つの実感がルイズの胸中に湧き上がってくる。
カールに云われた時はそれほどじゃなかったものの、ライバルとも云えるキュルケに云われて、ようやく。
「……私、風のドットなのよね」
使っている魔法はハルケギニアのものではないものの、フライに相当する魔法を行使できるようになったのは事実。
ぞわぞわと何かが身体をくすぐって、ルイズは自分の身体を抱き締めながら、笑みを浮かべた。
次の日。
十五分早く――授業開始の日は十分だったが、それ以降は五分早くルイズは研究室にきていた――研究室に訪れたルイズのやる気に苦笑しながら、早速カールは射撃魔法の授業を始めた。
射撃魔法。それはミッドチルダ式で最もポピュラーな攻撃魔法と云っても良いだろう。
陸戦、空戦問わずに、戦闘を行う魔導師ならば誰もが覚えている代物だ。
バリエーションも多く、大別するならば誘導式と直射式の二つになるが、そこから更に枝分かれしている。
魔法を何も知らないルイズに、まず何から教えるか。
カールは迷いつつも、直射式から彼女に教えようと決めていた。
誘導式は便利である反面、制御が面倒だ。インテリジェントデバイスの補助があれば初心者でも扱うことはできるだろうが、ハルケギニアにそんなものはない。
そのため、ルイズに教える射撃魔法は直射。それは決定したものの、ならば直射式の何を教えるか、という問題が次に浮かび上がってくる。
一口に直射式と云っても、多くの種類が存在しているのだ。
数を増やせばそれだけで必殺技の域に達するフォトンランサー。
速度とバリア貫通能力に秀でている、対魔導師用のスティンガーレイ。
多くの数がある中でルイズに教える魔法は――吟味の末、シュートバレット、という魔法に決定された。
シュートバレットはミッドチルダ式魔導師ならば誰もが一度は学ぶ魔法だ。
魔力を圧縮して弾丸状にし、加速して撃ち出す。たったそれだけのシンプルな射撃魔法である。
しかし、これは発展応用が可能なのだ。炸裂効果を付加したり、各魔力変換を行ったり。高等技術には相手のバリアを無効化するヴァリアブルシュートも存在する。
この基本的な魔法を取っ掛かりにして射撃魔法に慣れたあと、ルイズの適正に合わせて他の種類に移ってみよう――と、カールは考えていた。
「説明はこんなところ。
カブリオレから術式は読み取ったね?
それじゃあ早速、魔力弾を作ってみて」
「はい」
カールが指示を出すと、ルイズは人差し指を立てた右腕を持ち上げて、窓の外へと向けた。
次いで、彼女の足下に桃色のミッドチルダ式魔法陣が展開する。
ルイズは必死に術式を制御しながら、その指先に桃色の弾丸を生み出した。
「……シュートバレット」
トリガーワードが呟かれると同時、桃色の弾丸が窓の外へと飛び出した。
完成まで十秒。有効射程距離は十メートルほどか。
そんな風に分析しながら、カールは頷いた。
防御魔法や飛行魔法に触れたからか、初めて故に時間こそかかるものの、ルイズはしっかりと魔法を構築できている。
今の段階で、シュートバレットを覚えたとは云えるだろう。
あとは魔法を完成させるまでにどれだけ時間を短くできるのか。どれだけ連射できるか。どれだけ命中精度を上げられるか。どれだけ威力を込められるのか。
そういった基本的な部分を詰めるだけだ。
それにしても――と思う。
ハルケギニア式魔法を使用する度に発生していた彼女の爆発は、一体なんだったのだろうか。
てっきりカールはミッド式を使用することでもそれが起こるのだと思っていた。
しかしルイズは真っ当にミッド式を使っており、爆発するようなことはない。
このことから、炸裂付加のような希少技能を彼女が持っていたわけではないと分かる。
正直、カールとしてはそちらの方がありがたかった。
ハルケギニアの魔法と違い、ミッド式の魔法は理論で編まれた科学である。
そのため、爆発という結果に対し、術式を解析することでその原因究明が可能なのだ。
だが、ルイズの魔法は爆発しない。
これは本当にどういうことなのだろう。
ハルケギニア式に適正がなかったために成功しなかった――と考えることはできるものの、それは思考停止に近い。
現段階で原因の究明をすることは不可能に近いが、いずれカール自身がハルケギニア式魔法の理解を深めたら、それも分かるのだろうか。
「あの、先生」
ルイズの声によって思考から引き戻されたカールは、やや慌てて声を返した。
「何かな?」
「これに氷結を付加すれば、私はラインクラスと名乗ることができるんですか?」
「そうだね。現時点でルイズは風系統に目覚めたってことになっている。
魔力弾を氷の弾丸に変換したら、それは風と水を足したラインスペルってことになるだろう。
けど、氷結の付加を教えるのはまだ先の話だ。
射撃魔法を教えた時点でやや脱線している。これ以上他のことに手を出したら、覚えが悪くなるよ」
「……はい」
微かに頬を膨らませながらも、ルイズはシュートバレットの練習に没頭し始めた。
徐々に慣れてくると、今度は殺傷設定と非殺傷設定の切り替えを始めたようだ。
魔力弾が放たれる間隔は徐々に短くなり、五秒に一発、という割合になってくる。
「良し。ルイズ、次は飛行魔法で浮かびながら射撃魔法を撃ってみて」
「はい」
カールに云われるまま、ルイズはその場で三十センチほど浮くと、再びシュートバレットの練習へと戻った。
しかしさっきと比べて、精度が一気に落ちる。
魔力弾の形成は再び十秒台にまで落ち込み、放たれた弾丸の射程も目に見えて落ちていた。
「先生、これ、むずかし……」
「だろうね。二つの魔法を同時に処理するのは、難しい。
それを行うためにマルチタスクって技術があるんだけど――」
そうして、今日もカールの授業は続く。
魔法を教えられるルイズは、彼の言葉を一生懸命に理解しようと努めながら、徐々にミッドチルダ式魔法を覚えてゆく。
飛行魔法を発動させながら射撃魔法を使う。けれど、ルイズが初日のように目眩を感じることはない。
一歩一歩確実に魔法を身に着けている状況が、ルイズには嬉しかった。
まだ氷結変換を教えられるのは先の話らしいけれど、それでもラインクラスへ到達する道のりがはっきりと見えたのだ。
分かっている。これは系統魔法ではない。
けれど自分に使える唯一の魔法、それを完成させてゆくことがルイズには嬉しくてたまらなかった。
その後、外に出て飛行魔法の訓練を。
空の上で覚えたばかりのマルチタスクを駆使して防御魔法の発動を試すと、地上に降りてロードワーク。
背負ったデルフリンガーをがちゃがちゃ云わせながら、ルイズは今日もヴェストリ広場を走り回っていた。
走り込み自体は慣れつつあるものの、デルフリンガーという重しが乗ると今までとは勝手が違った。
以前のペースを保ちながら走るのは、最初は良いものの、疲れ始めると途端に脚が重くなるのだ。
それをなんとか根性で耐え、ルイズは汗だくになりながら最後の全力疾走を終わらせる。
……こうして走り込みを終える度に、私ってこんなに熱血だったかしら、とルイズは思ったりする。
走り込みを終えたあと、カールに脚を押さえて貰ったりしながら筋トレを。
まだたった一週間しか経っていないというのに、ルイズの腕には少しずつだが筋肉がつき始めていた。
以前はデルフリンガーが云うように小枝じみていた腕には、僅かな起伏が生まれている。
どんなに疲れ果てても翌日に筋肉痛が残ることはないため、若干ルイズは筋力が付くのか心配だった。
が、それはどうやら杞憂のようだ。体力、魔法、それらと同じように、身体の方も少しずつ出来てきているようだった。
何もかもが順調――そんな日々が、ここまでは続いていた。
カールの授業が始まってから二週間が経ったある日のことだった。
いつものように体力作りをしていたルイズたちの元へオスマンがやってきて、カールを引っ張って行ってしまったのだ。
残されたルイズはデルフと一緒に、延々と走り込みを続けていた。
監視がいなくなったため無意識の内にペースが落ちそうになる度、背中のデルフが煩い声を上げるため、手を抜くようなことはできなかった。
そうしてノルマを終わらせたルイズは、汗だくになりながら膝に手をつき息を整えながらも、座り込んだりはしなかった。
「おう娘っ子。まだ続けるのか?」
「当たり前でしょ。
飛行魔法で上昇したら、そこで射撃魔法の練習をするわ」
「駄目駄目。
浮かぶだけなら良いけど、相棒のいないところで高度を取らせるなって云われてるからな」
剣の云うことを無視したって、煩いだけで手出しはできない――とは、思わない。
この骨董品、ルイズが一人で何かやらかすと、すぐカールへとチクるのだった。
デルフが云ったことは、カールからルイズに伝えられていることでもあった。
飛行魔法が上達したルイズではあるが、しかし、マルチタスクを使用しながら飛行と攻撃魔法を両立させることはまだ慣れていない。
射撃を行いながら飛ぶことはできるものの、万が一を考えたらカールがいないと危険なのだ。
そして、万が一が有り得ないと云えるほど、まだルイズはミッド式を使いこなせてはいなかった。
「うー……分かってるわよ。
あーあ、次は結界魔法を教えてもらおうかしら。
おおっぴらに訓練できないってのは、少し苦痛だわ」
「相棒がいるときに訓練すれば良いだけじゃねぇのか?」
「訓練時間が限られるでしょ。
先生が教えてくれる時間以外でも、私は魔法を練習したいの」
「相棒に云えば、付き合ってくれると思うぜ」
「嫌よ。だってそんなの……先生に悪いじゃない」
云いながら、ルイズは唇を尖らせた。
魔法を覚える手段として最も確実なのは、カールに訓練を見てもらうことだ。
が、ただでさえ付きっきりで授業をしてもらっているのに、これ以上面倒をかけるのは申し訳がなかった。
コルベールからも、彼が昼夜逆転生活を送って自分の授業に備えてくれていると聞いている。
そこまで手をかけて貰っているのにこれ以上は――望めばきっと力を貸してくれるからこそ、それだけはしたくなかった。
使えるものはなんでも使う。
その考えは正しいと思うし、悪くはない。
しかし相手が自分に尽くしてくれていると分かっていて尚それ以上を望むのは、どうなのだろうか。
今の段階でルイズもカールもお互いに真剣ではある。
これ以上を望めばそれは、無理や無茶といった領域に踏み込むことになるかもしれない。
そんなルイズの考えを肯定するように、デルフは金具をカチカチと鳴らした。
「ま、それが良いだろうさ。
相棒は娘っ子がギリギリ壊れないラインを見極めて魔法を教えてる。
そこで更に一歩踏み込んだら、オーバーワークになるさね。
ただでさえ魔法で毎日疲労を取ってやってるんだし――っと、やべ」
「……なんか今、聞き捨てならないことを耳にした気がしたわ」
「なんも云ってねぇよ。俺、剣だし」
「ふーん、あっそう。じゃあ先生に直接聞くわね」
「や、やめてくれ! ただでさえ相棒には戦友がいるんだ!
これ以上俺の株が落ちたら、使ってくれなくなっちまう!」
カチカチと小刻みに打ち鳴らされる金具は、人間だったら震えてるようなものなのだろうか。
使ってもらえなくなる、というのが今ひとつルイズには辛いことなのか分からなかったが、そもそも剣のことを理解しようとするのが無理な話。
「ならキリキリ吐きなさいよ。バラしたことは黙っておいてあげるから」
「うう……分かった、分かったよ。話すから俺が云ったってことは秘密にしといてくれよな?
娘っ子が寝入ってから、毎晩、相棒は治癒魔法をかけてるんだよ。
筋肉痛や疲労が次の日に残らないように、ってな。
元々運動不足のお前さんだ。もし相棒が治癒魔法を使わなかったら、次の日は動くのも苦痛だったろうよ」
「そう」
デルフから話を聞いた瞬間、ルイズの頭にかっと血が上った。
が、それは怒りなどではない。
もしカールとルイズが会ってからそう時間が経っておらず、ただの同情心からそれを行っていたと思えば、彼女は怒り心頭といった状態になっていただろう。
だが、今は違う。
カールは本気でルイズに魔法を教えている。その一環として、ルイズが万全な状態で授業に望むことができるよう、手助けをしてくれていた。
素直な感謝の気持ちが湧き上がってくるが――
「……ねぇ骨董品。
なんで先生は、わざわざそのことを隠していたの?」
「なんだよおめぇ。それぐらい察してやれよ。彼氏いたことねぇだろ」
「お生憎様。貴族の私にはそんなもの無縁よ。
で? どうしてなの?」
「あー……まぁ、俺も直接聞いたわけじゃねぇから推測だけどよ。
自分の力だけで一歩一歩前進してる、って思えた方が、気分良いだろ?
なんでもかんでも相棒におんぶに抱っこ、って意識しちまったらお前だってやりづらいだろうに」
「……まぁ、そうね」
「それにな。女を喜ばせて嬉しくない男はいねぇぜ。
これは、六千年経った今も昔と変わらないことの一つだと俺は思うね」
「……え、何? 先生、私のことそういう目で見てるわけ?」
少しだけ嬉しそうにルイズはそう云うが、
「ゲラゲラゲラ。んなわけねーだろ。姿見見て物言えよ。
相棒だって男だし、選ぶ権利ぐらいはあらぁ。
顔はともかく、身体の方がなぁ……」
「……あっそ」
「ん、なんだ? 期待したか?
なぁどんな気持ち? 今どんな気持ち?
そもそも教師と教え子、主人と使い魔、そんな関係で――」
「……上等よ。ちょっと先生に頼んであんたを魔法の的にして良いか聞いてみるわ。
まだ習う段階じゃないけど、砲撃魔法のお手本を一度先生に見せてもらいたかったのよ」
「やめろ娘っ子――!」
そうして、ガチャガチャとデルフリンガーはやかましく金具を打ち鳴らす。
そんな骨董品の慌てた様子に溜飲を下げたルイズは、飛行魔法の練習を行おうとした。
が――その時だった。
体力作りが終わるこの時間帯は、午後の授業の終わりと被る。
そのため、夕食までの空き時間をヴェストリ広場で過ごそうとする者たちも自然と現れるのだ。
その中には、以前、ルイズの失敗魔法に文句を云っていた生徒たちも含まれる。
彼らはルイズの姿を目にすると、物珍しそうに近付いてきた。
ルイズは彼らの顔を覚えていたため意図的に無視したが、どうやら興味を持たれてしまったようだ。
「へぇ、ルイズ。『ゼロ』の癖にフライが使えるようになったのか」
おもむろに投げつけられた言葉に、ルイズは眉根を寄せた。
魔法が使えるようになったことは見て分かるだろうに、相も変わらずルイズを『ゼロ』と呼ぶ。
そもそもサモン・サーヴァントとコントラクト・サーヴァントを成功させた時点で、その不名誉な蔑称は撤回されるべきなのに未だ使われているのは、単純にルイズがからかいの対象から抜け出ていないからだろう。
貴族にあるまじき――とは思わない。これは貴族云々の話ではなく、ルイズをからかう個人の人間性が問題なのだから。
公爵家の娘と云っても、立場は同じ学生――それを悪い方に解釈しているのだろう。
そんな者たちを相手にしたくないため、ルイズは無視を続けた。
飛行魔法が使えるようになったとはいえ、ミッド式が使えることを隠し通すのは、ルイズにとってのコンプレックスでもあるのだ。
本当はもっとたくさんの魔法が使えるのに――しかし、ルイズには飛行魔法ただ一つしか使用することを許されていない。
そう。
貴族としてルイズを見たら、結局、『ゼロ』の状態と五十歩百歩でしかない。
それがたまらなく悔しくて、ルイズは唇を噛み締めながら魔法の構築へと意識を集中させた。
しかし、意固地になったルイズに対して、彼らは蔑むような笑みを浮かべる。
「二年生にもなってようやくドット……卒業しても今と大差ないんじゃないのか?」
「そうそう。ドットクラスって云っても、ピンからキリまでいるし。
ゼロより多少マシになったって云っても、ねぇ?」
「……何が云いたいのよ、あんたたち」
つい言い返してしまった瞬間、しまった、とルイズは歯噛みした。
ずっと嘲笑されてた――今までの経験から分かっていたのに。
下手に反応をすれば、相手はそれを面白がってまとわりつく。
彼らにとってこれは些細な娯楽であり暇つぶしでしかない。
その役目を果たせないとなれば、飽きた玩具を放り投げるように立ち去ってしまう。
そんな習性を分かっていたのに我慢できなかったのは……もうゼロではないという自覚があったからだ。
「そのままの意味だけど。
フライが使えるようになっただけで、お前がゼロってことに変わりはないってさ」
「どうしてよ。
ゼロってあだ名は、魔法の成功率ゼロからきてるんでしょ?
だったらもう私は違うわ。サモン・サーヴァントも、コントラクト・サーヴァントだって成功した。
今はフライを当たり前のように使えるわ。これのどこがゼロだって云うの?」
「ああ、ゼロのルイズに教えてやるけど、魔法っていうのは何かを生み出してこそのものだろ?
なのに使えるのは、家庭教師を呼び出した成功したかも分からない召還魔法と、生産性が微塵もないフライだけ。
ゼロかどうかなんて、深く考えなくても分かるだろ?」
「……そう。なら良いわ。
今に見てなさいよ。フライ以外も、使えるように、なってやるんだから……!」
一語一区に呪詛すら含める語調で云いながら、ルイズは頭に血が上るのを自覚した。
さっきカールが治癒魔法を使ってくれているという事実を知ったときとは違い、今度こそ純粋な怒りで。
自分で口にした言葉が負け惜しみ以外の何ものでもないと分かっていながらも、今のルイズにはそう云うしかなかったのだ。
けれど、そうとしか云えなかった。
努力はしてる。真剣に魔法と向き合ってる。
だから今は駄目でも、いずれはゼロの汚名だって返上してみせる――そう、強く決意するが、
「どうだか。所詮、ゼロだしな」
そんな決意すら嘲笑う彼らに、ぶちり、と頭の中で何かが切れる音を聞いた。
が、それでもルイズは堪え忍ぶ。
ここで暴れても自分がより惨めになるだけだと分かっているから。
はっ倒したい気持ちはあるし、そのための手段は――あるけれど、使ってはいけない。
ミッドチルダ式魔法は決して使ってはならないと云われているし、もし系統魔法を使えたとしても、こんなことには使いたくない。
魔法は貴族の誇りであり力だ。武器のように気軽に振り回せるような代物じゃない。
振るうだけの価値があると思ったときだけに杖は振るわれるべきで――
「しかし、あの家庭教師もどうなんだろうな。
ルイズに魔法を教えたって云っても、フライだけだし。
風のスクウェアってのも本当かどうか。フーケを捕まえたのだって偶然なんじゃないのか?」
「そうそう。なんか、朝から晩までメイジに走り込みなんて見当違いのことをさせてる奴。
スクウェアってのも、やっぱり怪しい――」
「……黙りなさい。先生を侮辱しないで」
侮辱の対象がルイズからカールに移った瞬間、とうとう、ルイズの怒りは沸点を大きく超えた。
必死に理屈をこねて抑え付けようとしていた感情は一気に噴き出し、視線だけで人を殺せるというなら、正にそれだけの眼力で、ルイズは彼らを睨み付ける。
流石の彼らも、ルイズの怒りが限界を超えたと気付いたのだろう。
僅かにたじろぎ、張り付いていた笑みが引きつる。
しかし、本気で怒らせたのだとしてもゼロのルイズに、フライしか使えないメイジに何ができるのか――と、再び威勢を取り戻した。
ルイズの必死さは、しかし、外から見れば滑稽にすら映る。
彼らが見ているルイズの姿は、それだった。
「家庭教師なんかじゃないわ。
カールは、立派な私の先生よ。
例え教えてくれた魔法が道に沿うものじゃなくったって、ようやく、私は私が望む貴族って目標に歩き出すことができた。
……私は良い。私は良いのよ。認められないって分かっていながら、ミッド式に手を伸ばした。
だから罵倒はいくらでも聞いてあげる――けどね!」
夕食が近く、弛緩していた広場の空気を、ルイズの一喝が震わせた。
「私の本気に対して、どれだけ彼が真剣に向き合ってくれているのかも知らないで、悪く云うのは絶対に許せないわ!
杖を抜きなさい……!」
怒声と共に、ルイズは貴族の証として、タクトのような杖を彼らへと向けた。
ルイズは貴族になりたいと願い続けている。
誇り高く、父や母が教えてくれた孤高の存在になりたいという渇望を抱いている。
杖を抜いた理由はそこに起因していた。
自分は良い。言葉にした通り、それは嘘じゃない。
ルイズ個人にだけ向けられた嘲笑ならば、いくらでも聞いてやれた。
魔法が使えないことは、意味こそ違え、嘘ではないから。
だが――それに加えて、矛先が自分を形作るものに向けられれば、もう我慢などできない。
ヴァリエール家が笑われれば杖を抜く。家族を馬鹿にされたなら杖を抜く。家が忠誠を誓っている王家を侮辱されたら杖を抜く。
そして――自分に貴族の誇り、それを抱く証を持つ手助けをしてくれたカールを侮辱するならば、同じように戦ってみせよう。
ただの苛立ちからではない。
ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールという人間を作ってくれた人々に感謝しているからこそ、ルイズはその人たちの尊厳を守りたかった。
敵に後ろを見せない。背後に守るべきものを背負う者こそを貴族と云う。
まだルイズには人の命という重いものを守れるだけの力はない――けれどせめて、人の心ぐらいは守れる貴族でありたかった。
だから、彼らの言葉を無視することだけは、絶対にできなかった。
「ご教授願うわ。教えてもらえないかしら。私より先にドットクラスになったあななたちに、メイジの戦い方を。
決闘じゃなくて、模擬戦でね」
「そ、そういうことなら」
決闘ではなく模擬戦。
それは決闘が法律で禁止された今、貴族の中で行われている魔法を使った喧嘩の言い訳みたいなものだった。
普段はそれを馬鹿馬鹿しいと思っているルイズだが、今だけはその方便を使わせてもらう。
そしてルイズを嘲笑する彼らも、所詮はゼロ――と侮って、杖を抜いた。
「……娘っ子。黙って聞いてたけど、熱くなりすぎだぜ。
せめて杖じゃなくて俺を抜け。不満はあるが仕方ねぇ。今だけは許してやる。お前はよく我慢したよ。
握って、刀身に魔力さえ込めてくれたら、こんな連中蹴散らしてやるから、な?」
「嫌よ。こいつらは魔法で叩きのめすわ。
あんたの力なんて、借りない」
「おい、相棒との約束――」
デルフの言葉さえ遠い。今のルイズには眼前の敵しか見えていない。
彼らが杖を抜いたのを確認した瞬間、ルイズは足下にミッドチルダ式魔法陣を展開した。
次いで、彼女はシュートバレット――魔力弾を二発、形成する。
彼らはルイズの展開した魔法陣がなんなのか分からず、硬直してしまっていた。
それに微塵の感慨さえ感じず、ルイズはトリガーワードを口にする。
それと同時に、桃色の魔力弾は真っ直ぐに大気を引き裂き、杖を持つ彼らの手へと直撃した。
非殺傷設定であったのは、欠片ほどの理性がルイズに残っていたからか。
一瞬で杖を吹き飛ばされた二人は、何が起こったのか分からず唖然としている。
そんな彼らに対し一歩踏み出して、ルイズはプロテクションを展開。
このまま飛行魔法で一気に突撃し、鼻っ柱を叩き折ってやる――
杖を失った相手への追い打ちすらも辞さないルイズと、何が起こっているのかも分からず恐怖に染まる生徒。
そして、唐突に始まった喧嘩に騒然とする周囲は――
キーン……と、小さく鳴り響いた鐘の音により、一人の例外もなく意識を失った。
窓に向かって煙を吐き出しながら、カールは夕闇に沈みつつある夜空を眺め、失望に濡れていた。
ルイズから目を離したのは本当に失敗だった――いや、ミッド式を覚え出したばかりの頃にこういった事件が起こったのは、ある意味幸運だったかもしれない。
ギシリ、と椅子を軋ませて顔をベッドに向けると、そこにはルイズが寝息を立てている。
ここはカールの部屋だ。
ヴェストリ広場での騒ぎを『眠りの鐘』というマジック・アイテムで鎮圧し、その影響で眠りに落ちたルイズを、カールは自室に運び込んでいた。
彼女が目を覚ましたら、少し腰を据えて話をする必要があるからだ。
オスマンからの呼び出しは、ルイズの魔法に関することだった。
が、それはルイズ個人に対してではない。
ルイズに魔法を教えることのできた唯一の教師ということで、ヴァリエール家の長女が近い内に顔を見せにくるという。
その通達も含めて、カールからオスマンへ、ルイズがどれだけ魔法を身に着けたのかという報告をしていたら、ヴェストリ広場で決闘騒ぎ――模擬戦、という逃げ道らしいが――が起きていると耳にした。
騒ぎが起こっている中心にミッドチルダ式を覚えているルイズがいるということもあり、オスマンは秘宝の準備を行い――そうして、決闘が始まってしまったため、眠りの鐘は使用された。
眠りの鐘は、人が入眠する直前のことを覚えていないのと同じように、対象の記憶をあやふやにするという効果があるらしい。
その副作用によってルイズがミッド式を使ったことは露呈しないとオスマンは云っていたが――
問題はそんなことではない。
ルイズが人前でミッド式、それも射撃魔法を明確な攻撃手段として使ったことが問題だった。
どうして、という失望を、カールは煙と共に吐き出す。
人である以上、以心伝心なんてことは有り得ない。
それでも、魔法に関して真摯であると思っていた――向き合う姿勢、魔法の扱い――ルイズが約束を破ったことが信じられず、また、深い苛立ちを覚えていた。
君にとって魔法はそんなものだったのか、とすら思う。
ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールという少女を気高く、正しい熱意を持っていた人間だと思っていたからこそ、こうまで嫌な気持ちになる。
もう残り少ない煙草をフィルターごと炎熱変換した魔力で、灰すら残さず焼き尽くす。
そして新たに一本口に咥えると、カールは火を点けた。
喫煙者は煙草を吸えないとイライラする、と云われているが、カールはイライラすると煙草を吸いたくなる部類の人間だった。
普段からリラックスするために煙草を吸ってるため、そういう習慣がついてしまったのだろう。
「……なぁ、相棒」
どこか遠慮するような声を、壁に立てかけられたデルフリンガーが上げた。
カールは細めた目でそちらを一瞥しつつ、鼻で笑うように勢いよく煙を吐き出す。
「なんだよ」
「娘っ子のこと、許してやれねぇかな」
「黙ってろ。
なんのためにお前をルイズに預けておいたと思ってるんだ」
「……そりゃ、そうだな。
確かにもっと早い段階でフォロー入れりゃ、って思う。それは俺のミスだ。
けど相棒。相棒は娘っ子とガキどものやりとりを全部聞いてたわけじゃねぇだろ?
確かにミッド式を使っちまったけど、ちゃんと理由があったんだ。
それは――」
デルフがそこまで言い掛けた瞬間、ベッドで眠っていたルイズは勢いよく跳ね起きた。
キョロキョロと周囲を見回し、そうしてカールと目を合わせ――
「……あっ」
気まずそうに視線を逸らした。
そんなルイズの様子に、思わず目を伏せる。
悪いことをしたという自覚があるなら、どうして――
ずっと続いている失望を引きずりながら、カールは煙草を灰皿へと押し付け、火を消した。
「……オスマンさんが眠りの鐘ってマジック・アイテムを使って、騒ぎを収拾した。
あの場にいた人は全員が眠ってる。前後の記憶も曖昧になっているらしい。
だから、ルイズがミッド式を使ったことはバレてないみたいだ」
「そう、ですか……」
「ああ。けど、そんなことよりも、だ」
ベッドの上にいるルイズへと身体を向けて、カールは深々と溜息を吐いた。
「ルイズ。どうしてミッドチルダ式魔法を使ったんだ。
俺は君に、見せびらかすために魔法を教えたんじゃない。
最初に約束したはずだ。あくまで自衛手段としてしか使ってはならない、って。
射撃魔法を教える前にもしっかりと念は押した。
なのに、どうして君はあんなことをしたんだ」
「それは……」
何か理由を説明しようとしたのだろうか。
それとも、言い訳を口にしようとしたのだろうか。
彼女はそのまま口を引き結び、顔を俯けた。
その様子はカールの目に、今更になってミッド式を使ったことへの後悔のように映った。
そんな顔をルイズが見せる度に、疑問と怒りが渦巻いてゆく。
裏切られた、とすら思ってしまう。
まだそんな長い時間を彼女と共にしたわけではないが、それなりの信頼関係が結べていたと自惚れていた。
仲が良い、とは云わないまでも、教導官と教え子としては悪くない関係が築けていたと思っていたのに。
教え方が悪かったのだろうか。
彼女の意思を尊重して、その熱意を手助けする形は間違っていたのだろうか。
ルイズが覚えたいと願う魔法など関係成しに、必要となる魔法だけを事務的に教え込み、徹底的にミッド式がこの世界においてどういう扱いを受けるのかを伝えた方が良かったのだろうか。
ルイズに抱く苛立ちは、そのまま自分にも返ってくる。
熱心で真面目な生徒、なんて都合の良い風に見るのではなく、彼女が魔法に対してどんな扱いをしようとしているのか見極めるべきだったのかもしれない。
だとすればこれは自分のミスとも云える。甘かった。
「……まぁ、良いさ」
諦めを滲ませ、カールは呟くように云った。
ルイズは俯けていた顔を上げ、何かを云おうとしながらも、結局声を漏らすことはなかった。
「約束だ。もう君にはミッド式を教えない。
ここまでだよ。自衛手段と云うには心細いけど、まぁ、必要最低限の魔法を教え込めたのは不幸中の幸いかな。
今まで通りの生活に戻りなさい」
「待っ――……分かり、ました」
何かに堪えるように声を震わせて、ルイズは頷いた。
そして顔を俯けたままベッドから降りると、失礼します、と部屋をあとにする。
そんなルイズの背中を見送りつつ、カールは吸い途中だったシケモクを灰皿から持ち上げて、再び火を点けた。
焦げ臭い香りを吸い込みながら、まるで放心するようにカールは煙を吐き出す。
「……明日からは、またミッドチルダに帰る方法の模索に戻るか。
一時の腰掛けにしちゃ、少し長かったかもな」
「だから、待てって相棒!
話があるって云ってるだろ!?」
「なんだよデルフ。もともと決まっていたことだぞ、これは。
訓練の時だけ云うことを聞いて、目を離したら勝手なことをする……。
云うことを一から十まで聞けってわけじゃない。それを破られたから俺は失望したんじゃない。
……ミッドチルダ式を使うことがどういう意味を持っているのか。
それをあの子が理解していなかったことが、腹立たしいんだ」
「だから、娘っ子はそれをちゃんと分かってたんだよ!」
苛立ち、悲鳴じみたとすら云える声をデルフリンガーは上げる。
「聞けよ相棒。娘っ子はな、最初、どんな言葉をかけられたって魔法だけは使うまいと我慢してたんだ。
相棒との約束を、ちゃんと守ろうとしてたんだよ」
「守ろうとしてた、じゃ意味がないだろ」
「ああそうだな。俺だってそう思う。
けど、娘っ子が約束を破るだけの理由はあったんだ。
それはな。娘っ子に魔法を教えてる相棒が、馬鹿にされたからさ」
「……なんだって?」
ずっと憮然とした表情を続けていたカールが、呆気に取られたように問い返した。
デルフリンガーは寂しげに、ゆっくりと金具を上下させる。
「どうしてそんなことで怒るんだ?
自分のことならまだしも、わざわざ他人の……」
「知るかよ。俺は娘っ子じゃねぇんだ。
けど、娘っ子の境遇を考えたら想像することはできると思うぜ?
相棒は"そんなこと"って云うが、娘っ子にとっちゃ、きっと違ったんだ。
なぁ。相棒には、そういう奴がいねぇのか? 大事な女でも、男友達でも良い」
それは――いる。
例えば幼馴染みたちや、長年恋慕を抱いている女性がそうだ。
魔法を使っての実力行使に出るかどうかは分からないが、烈火の如く怒るのは間違いないだろう。
けれどカールからすると、何故ルイズがそんな風に自分を見てくれていたのかが、いまいち分からない。
確かに、ずっと魔法を使えなかった彼女にとってカールという存在は貴重だと思う。
だが、それにしたって――と。
「相棒、どうするんだ?
娘っ子は、ガキみたいな癇癪で喧嘩を買ったわけじゃねぇんだぜ?
約束は約束で大事だろうが、それを敢えて破った娘っ子の気持ちも汲んでやれよ」
「……だったら釈明でもなんでも、すれば良かった。
敢えてルイズがそれをしなかった気持ちを、俺は汲むよ」
本当の気持ちが別にあるのだとしても、ルイズはやせ我慢を選んだ。
その結果として魔法が学べなくなってしまっても構わないと分かっていながら。
デルフリンガーがルイズの本音を分かって欲しいという一方で、カールはルイズの言葉を大事にしたいと思っている。
どちらも彼女の気持ちではあるのだ。
しかしカールの考えを聞いても尚、デルフは言葉を止めようとはしなかった。
「ああ、それだって間違っちゃいねぇだろうさ。
けどよ。娘っ子は、相棒から魔法を学べることが楽しくてしょうがないように、俺には見えたぜ。
それに、魔法を教えてくれる相棒にも感謝してた。
そんな娘っ子が、生半可な覚悟で約束を破れると思うのか?
本当は約束を守りたかったはずだ。分かってやってくれよ」
「……その結果、あの子のプライドを侮辱するような形になってもか?」
「なったとしても、だ。
娘っ子は相棒を侮辱されて怒ったんだ。
相棒と娘っ子の熱意は一方通行なんかじゃなかった。
運が悪かったんだ。今回の馬鹿げた騒ぎがなかったら、相棒と娘っ子はまだまだ一緒にやれてたぜ、絶対。
お前らを見てきた俺が、それだけは保証する」
「……お前も大概世話焼きだよな」
煙を吐き出して、カールは煙草の吸い殻を灰皿へと押し付けた。
……また、自分はルイズと共に歩むことができるのだろうか。
今はまだその答えを出すことはできないが――
「分かったよ。話をしてくる」
それを確かめるためにも、ルイズが何を想っているのか確かめたい。
「おう、行ってこい」
椅子から腰を持ち上げて、カールは急ぎ足でドアへと向かった。
まず最初に彼女へ念話を送ってみたが、返答はなかった。
そうなってしまえばあとは自力で探すしかないが――エリアサーチも使えない状況で、土地勘のない学院を探し回るというのは骨が折れる。
それでもルイズとは話をしなければならないと、カールはルイズを探し続けた。
部屋に戻っているのでは、と思い女子寮に向かってみるも、彼女はいない。
隣室のキュルケに話を聞いてみても、ルイズが帰ってきた様子はないとのことだった。
教室、庭、食堂、図書室――そんな風に歩き回って、最後に辿り着いたのは火の塔だった。
研究室、ミッドチルダ式の授業をずっと続けていた部屋のある場所だ。
ここにはいないだろう、と思い敢えて後回しにしていたが――ここを外したら、明日に回すのが賢明だろう。
カールは階段を昇って、真っ直ぐに割り当てられている研究室へと向かった。
もうすっかり日は暮れて、照明以外の明かりは月光ぐらいなものだ。
魔力でスフィアを生み出すと、群青の魔力光を照明代わりに使って、カールは歩を進めた。
そうして研究室までたどり着き、そっとドアを開ける。
スフィアを引き連れて中に入ると、そこには、一人で机に座っているルイズの姿があった。
鬼火のように浮かぶ群青の輝きに照らされたルイズの表情、その頬には、涙が伝ったような跡がある。
それに気付かないふりをして、カールは口を開いた。
「こんなところにいるとは、思わなかった」
「……すみません。ここに入るのは今日で最後にしますから」
「……その話なんだけどさ。
ちょっと気になることがあって――ヴェストリ広場で何があったのかを、ルイズの口から詳しく聞こうと思ったんだ」
「詳しくも何も、先生が云ったことしか起こってません。
私は、自衛手段以外でミッドチルダ式魔法を使いました。
約束を破ったことに、変わりはありません」
「……そうだな」
云いながら、カールは教卓の脇に置いてある教師用の椅子へと腰を下ろした。
……ついつい、こんなことを思う。
自分が約束を破ったと認めながらも、ルイズはこうして研究室に入り込み、もう生徒と教師の関係が終わった自分に対して丁寧語で話しかけてくる。
それは何故だろうか――やはり、未練があるからか。
涙を流すほどに深く後悔する一方で、しかし、彼女は言い訳もせず自分の過ちを認めている。
そんな潔さは、出会った頃から変わっていないように思えた。
ミッドチルダには存在しない貴族という立場――人の上に立つ人間であろうとするルイズの気高さを、カールは気に入っていた。
それが彼女に魔法を教え始めた理由の一つではあったし、教導にも熱を上げることができた。
だからこそ、ルイズが約束を破った理由が見えてこない。
それを確かめるためにも話をしようと思ったため、当たり前のことではあるが。
小さく息を吐き、カールは早速話を切り出した。
「デルフから聞いたよ」
「あの骨董品……!」
その一言で、カールが何を云いたいのか察したのだろう。
塞ぎ込んでいた様子から一転して、彼女は怒りすら滲ませた声を上げた。
それを頭を振って流すと、聞いてくれ、とカールは云った。
「今回の一件で、分からなくなったんだ。
ルイズは真面目で、真剣に、魔法と真摯に向かい合ってる。そう思っていた。
だから射撃魔法を人に向けたってことが、俺は信じられなかった。
けど、それにはちゃんとした理由があったんだろ?
良かったら、それを教えてくれないか」
「……え?」
「それを聞いて、今回の騒ぎについて考えたい……いや、違うな。
俺とルイズの関係はこれで終わりになるかもしれない。
けどそれでも、君が何を思って約束を破ったのか……もし理由があるのなら、納得させて欲しい。
ルイズはもう決めちゃってるのかもしれないけど、俺はまだ、判断ができていないんだ。
約束の通りもう魔法を教えないとは云ったけど、理由があったんだろ?
それを聞いてからどうするのか決めたい。駄目かな?」
カールの言葉に、ルイズは戸惑うように視線を彷徨わせる。
そして迷いながらもおずおずと口を開くと、あのね、と話を始めた。
「……少し関係のない話から始まるけど。
私は、ずっと魔法を使いたいと思っていたの」
「うん」
一人語りのような調子で、ルイズは丁寧語を止めて話を始める。
カールは相槌を打つだけで、彼女の言葉に耳を傾け始めた。
「いつかあなたに怒鳴った通り、それは貴族としての力を得るためよ。
貴族はメイジだけど、メイジは貴族であるわけじゃない。けれど、メイジでない貴族の私はなんなのか……。
そんな自問自答は、それこそ飽きるほど繰り返してきたわ。問いの答えは、『ゼロ』のルイズってあだ名の通り。
貴族としての価値もゼロ……嘲笑をはね除けることはできても、不名誉なあだ名を撤回させるだけの実力はなかった。
私自身が分かっていたしね。魔法を使えない貴族なんて、それこそ、平民と大差ないんじゃないか――って」
ルイズが口にしていることは、以前ルイズが語った貴族としてのメイジ像、その裏側のようなものだろう。
これ、という明確な目標を抱きながらも、その影で彼女はこんなことを考えていたのか。
「だから私は、せめて、心だけは貴族であろうと思っていたわ。いつか魔法が使えるようになった日に、胸を張って自分は貴族だと云えるように。
……志ぐらいまともじゃなきゃ、申し訳じゃない。
メイジとしての実力がいつになっても身につかないから、才能に関して、お父様とお母様はもう諦めてる。
諦めていたけれど、私のことを娘としてちゃんと育ててくれたわ。
私にはね、カール。何もないのよ。『ゼロ』の名が示すとおりに。私個人は、何も持っていない。
私を形作っているものは、全部、ヴァリエール家が与えてくれたものでしかなくて――申し訳なさを感じると同時に、それは私にとっての寄る辺で、誇りでもあった」
そこで一度言葉を句切り、ルイズはじっとカールに視線を注いだ。
「そしてそれは、あなたもだわ」
「……俺が?」
何故唐突に話を向けられたのか。
ここからがデルフの云っていた、カールを馬鹿にされて――ということに繋がるのだろうか。
「ええ。例え四系統から外れているのだとしても、あなたは私に魔法を与えてくれた。
ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールを形作るものの中には、カール、あなたもいるのよ。
……私はどうだって良いの。
今までゼロって呼ばれ続けてきたし、きっとこれからもそうなんだわ。
ミッドチルダ式を学ぶと決めた時点で、私はそれを甘んじて受ける立場になった。
なのに約束を反故にすることは詐欺そのもので、だから約束は絶対に――私が信じる貴族として、守るべきだって思ってた。
だって、分かってたもの。約束をした上で、あなたがどれだけ真剣に魔法を教えてくれているのか。
それを踏みにじるような傲慢さなんて私は持っていないし、持ちたいとも思わない。
貴族としてそんなもの、相応しくないわ。
そう思っていたけれど……。
黙っている方が賢くて、我慢した方が正しいと分かっていても……私は貴族として、あいつらの言葉を見過ごすことができなかった」
……そして結局、ルイズはミッドチルダ式を使ってしまった。
そもそも矛盾していたのだろう。
ただ単にルイズは魔法を覚えたいのではない。彼女は貴族に相応しい力が欲しかっただけだ。
貴族として――だが、貴族としての矜持を傷付けられた時、彼女が行使できる戦う術は、使ってはならないと約束させられた魔法のみだった。
いつかは露呈したのだろうその矛盾が、今という時期に現れたに過ぎないのか。
話を聞いて良かった、とカールは思う。
ただ新たに手にした力を、優越感に駆られてルイズは振るったのではない。
彼女は何も変わっていなかった。その心根は、カールが好感を抱いた時と同じく、気高いままで残っている。
例え魔法という力を手にできないのだとしても、貴族で在り続けたいと願い、毅然と立ち続けるその姿は、何も変わっていない。
その鮮烈なまでの信念は、ともすれば魅了されてしまいそうなほどだった。
それが今回の形に歪んでしまったのは、深く考えるまでもない。
ミッドチルダ式という異物が付加されて、どう折り合いを付けてゆけば良いのか分からなかっただけなのだろう。
「……自分が何をしたのか分かってる。私はちゃんと受け止めるわ。
だから授業が打ち切りになることにも、文句は云わない。
自業自得だもの」
「そうか」
キシリ、と音を立てて、カールは椅子から腰を上げた。
そうして座ったままのルイズに近付くと、苦笑した。
ルイズの話を聞いて、ようやく分かった。
この子はこの子なりのやり方で、信念に従い、カールを守ろうとしてくれていたのか。
その守った代償として魔法を失おうとしている――ああ、ならば。
ルイズが守ってくれたというならば、今度は自分が彼女心を守る番だろう。
それが彼女のプライドを傷付けることになるのだとしても、このままではあまりにルイズが報われない。
孤高であろうとする彼女の意識は立派だ。
けれどそんな生き方を続けてしまえば、いつかは孤独になってしまう。
だからここで、少しでも彼女のことを助けてあげたい。
ルイズの気高さを認めるからこそ、今この時だけは彼女が信じている理屈を曲げさせて欲しい。
それはきっと、ルイズが次の段階に進むために必要なことだと思うから。
貴族がどんなものかのか、ルイズは自問自答の果てに理解しているのだろう。
しかし手に入れた魔法の扱いには、まだ慣れていない。
それを教えることこそが自分の役目だ。
教導官として。ルイズの教師として。サモン・サーヴァントによって呼び出された強い縁を持つ者として。
心底から、カールはそう思えた。
「教えた通りに、眠りの鐘のお陰で、君がミッドチルダ式を覚えているってことは露呈しなかった。
だから、今回っきりだ。次はないからな」
「……え?」
意味が分からない、といった風に、ルイズは見上げる形でカールと目を合わせた。
彼女が何を云おうとしているのか。それはカールも分かっている。
罰も何もかもを引っくるめて、彼女はミッドチルダ式の使用を決断したのだろう。
だというのに許すような言葉をかけられたのでは、あまりに情けない。
ルイズの抱く貴族像から考えるのならば、きっとこれは侮辱にも等しい言葉だろう。
だから、
「俺にも責任を取らせて欲しい。
今回の件は、俺の監督不行届でもあるんだ。あと、デルフの」
どこか冗談めかして云うと、ルイズは不機嫌そうに頬を膨らませた。
「……そんなのってないわ。
まるで私が馬鹿みたいじゃない」
「いいや、馬鹿なんかじゃないさ。
ルイズの目指している貴族は、とても綺麗だよ。立派だとすら思う。
そして今回のことは決して褒められたものではないけれど……悪と断定してしまいたくはない。
たとえ約束を守れなかったのだとしてもね。
お互いに自室で謹慎。僅かな時間とはいえ、魔法を学べないのは、ルイズにとって辛いだろう?
それが罰ってことで良いじゃないか」
「……それは、あまりにも不誠実だわ。
約束が意味を成さなくなってしまうじゃない」
甘くすらあるカールの言葉に、やはりルイズは抵抗した。
けれどここで退いてしまえば、結局、何も変わらない。
まだルイズには教えていないことがたくさんある。技術もそうだし、魔法との折り合いの付け方もだ。
苛烈なまでに真っ直ぐなこの子の生き方を少しでも手助けしたい。
ルイズの言葉に頷きながらも、しかし、カールは譲らなかった。
「そうだね。約束は約束で守るべきだって、俺も思う。
けどルイズが何故約束を破る必要があったのかってのを無視したくないとも思うよ。
駄目かな?」
問いかけると、ルイズは気まずそうに視線を逸らした。
約束は約束で守るべき。そして破ってしまったのなら、その責任は取るものだ。
当たり前の常識で、しかし、守るのが酷く難しいそれを、ルイズは律儀に履行しようとしている。
そんな姿勢が本当に好ましい。
好ましく思うからこそ、今だけは俺にそれを曲げさせてくれと、カールは自分の趣味を押し付ける。
ルイズという少女との繋がりがここで終わってしまうのは、あまりにも惜しい。
自分はミッドチルダの人間で、この世界では異邦人である――その認識は今も胸に根付いているが、それはそれとして、この少女がどこまで行けるのか見てみたいと強く思う。
「もう一度やり直そう。
魔法だけじゃない。それとの付き合い方を、一緒に学んでいこうか」
例えずっと一緒にいられるわけじゃないのだとしても。
教導官としてこの子に力と、それとの向き合い方を教えたい。
ああそうかと、今なら分かる。
これが長期教導の難しさと、楽しさなのかもしれない。
もしルイズが貴族としてミッドチルダ式と折り合いを付けることができる日がきたのなら、きっとそれは、カールにとっての喜びにもなるだろう。
「力も心も、まだまだ未熟。
だから間違いだってするし、ミスも侵すさ。
……一度の失敗で、俺はルイズって大事な生徒を見放したくはないよ。
俺に免じて、またミッドチルダ式を学んでくれないか?」
そっと、カールは手を差し出した。
ルイズは迷うようにそれを見詰め、
「……仕方ないわね」
迷いに引きずられながらも、おずおずとカールの手を取った。
触れ合った小さな手を取りながら、微笑む。
「さあ、行こうか。
夕食はとっておいてもらってる。
一緒に食べよう」
「……はい」
手を引いてルイズを立たせると、繋がれていた手は離れた。
ルイズは重ねていた自分の右手に名残惜しそうに触れると、
「……ありがとう、先生」
ともすれば聞き逃しそうなほど小さな声で、そう呟いた。
カールは頬が緩むのを自覚しながら、いや、と小さく返す。
「嬉しかったよ。俺のために怒ってくれたって聞いて」
「……そ、そんなことないわ!
私は自分のために怒ったの!」
「そうだね」
照れ隠しに大声を上げるルイズに苦笑して、二人はそのまま研究室を後にした。
おまけ
――幼馴染みがカール・メルセデスを語る
ミッドチルダのとある居酒屋、その片隅に一組の男女がボックス席で向かい合っていた。
が、カップルというわけではない。シャリオ・フィニーノとグリフィス・ロウラン、幼馴染みの二人だった。
店が繁盛して店員に余裕がないのか、テーブルの上には空のグラスがいくつも置かれている。
つまみの皿は焼き魚の残骸だけが乗っており、それもすっかり冷め切っていた。
食べるのは止め、もうアルコールだけを飲もうという状態。
酔いで頬を紅潮させたシャリオはテーブルに頭を乗せて、うー、と唸った。
「何よもー、久し振りに三人で飲もうって話だったのに、どうしてあの脳筋はこないのよー」
「まぁまぁ。カールもカールで忙しいみたいだし」
「嘘だぁー。なのはさん、定時で上がってヴィヴィオとご飯作ったりしてるとか云ってるもん。
カールだって時間に余裕ぐらいあるでしょー」
「ああまぁ、そうだね」
それはそれ。養子とはいえ子供を持ったなのはが、同僚に気を遣ってもらっているだけだろう。
シャリオだってそれを分かっているだろうが、それでも愚痴を零してしまうのは仕方ないのかもしれない。
幼馴染みの三人組――グリフィスはシャリオとカールの二人を側で見続けてきたため、彼女がどうして荒れてるのか察することができた。
「あーあ……昔はもっと仲良くやれてたのになぁ」
「そうだね」
シャリオの一言から、二人は昔話へと移った。
シャリオ・フィニーノ。グリフィス・ロウラン。カール・メルセデス。
この三人は生まれた家が近いということもあり、物心つく頃には既に一緒になって遊んでいたような仲だった。
一緒に遊び、学校に通って――いつまでも三人一緒に、という風に考えていた時期はそれぞれにあった。
しかしそれが終わったのは、グリフィスとシャリオの二人が進路を管理局へと定めた時だっただろうか。
シャリオは開発。グリフィスは指揮。それぞれ自らの進む道を決めたとき。
カールは、じゃあ俺操舵士にでもなるわー、とウルトラ軽い調子でほざきやがったのだ。
当時、それを聞いたグリフィスとシャリオは、どうしてお前はそう勿体ないことをするんだと怒った。
管理局への進路を決める時点で、カールには高ランク魔導師になれるだけの魔力資質があった。
けれど彼はそれを一切磨こうとせず、あまつさえ 天賦の才を放り投げて操舵士になると云った。
せっかくの才能を埋もれさせるなんて勿体ないことを――と、二人は怒りながらもカールのためを思って考え直すよう説得した。
結果、彼は進路を武装隊へと変更したが、しかし、今になってグリフィスとシャリオの二人はその時のことを少しだけ後悔している。
カールは考えなしに才能を放り投げようとしたわけじゃなかった。
グリフィスとシャリオ、幼馴染みの二人と一緒に次元航行艦に乗り込めたら――と考えて、彼はそう云ってたのだ。
実際、彼は云っていた。指揮、操舵、裏方。俺たち三人で部隊を動かしてやろうぜ、と。
公私混同と云ってしまえばそれまでだが、カールは、いつまでも三人で――と、幼馴染みの誰よりも繋がりを大事にしていたのかもしれない。
魔導師としてカールが活躍することで、大勢の人が助かっているのだと理解はしている。
しかし魔導師としての才能を開花させることの代償として、カール本人が望んでいた日常を、自分たちは取り上げてしまったのではないか。
そんな罪悪感が、二人の中にずっと残っていた。
才能を持つ者には、それを行使する義務がある。
そんな言葉は嘘だ。素質など関係なしに、自らがなりたいと望む姿に突き進むのが、きっと正しいのだろう。
それなのに、自分たちは幼く、そんなことも分からずにカールへ才能を正しく使えと云ってしまった。
その後しばらくの間、三人の仲がぎこちなくなったこともある。
一途なあの男がシャリオと別れたことだって、グリフィスたちが突き放したことが少なからず影響しているのだろう。
もっとも、カール本人はもう当時のことを気にしてはいないようだが。
魔導師になれ、と云った時は酷く傷付いた様子を見せていたが、今の彼はあっけらかんとしている。
むしろグリフィスに、とっとと偉くなって次元航行艦を任せてもらえ、三人で無敵の部隊を作ってやろうぜ――と、昔と相変わらずの馬鹿さ加減を見せている。
……本当に、馬鹿な奴。
「シャーリー。
カールって、なんか浮世離れしてるって思わない?」
「……常識に縛られてないだけ。
それこそ、好きな人ができたから別れてくれ! とかストレートに云ってくるぐらいにねー」
「……ま、まぁそれはともかくとして。
雑音に縛られてないって云うのかな。
自分が気に入ったものを追い続けるようなひたむきさがあるって、僕は思うよ」
自分の素質なんて関係ないと、操舵士を目指そうとした時のように。
何よりも誰よりも、カールは自分のやりたいことを、きっと分かっていた。
「……分かってるわよ、そんなこと。
真っ直ぐなあの馬鹿が、私は好きなんだから」
だから――と、シャリオは口を噤んだ。
カールに負けないほど、この幼馴染みも気難しい。
好きだと云っておきながら、振られて以降、友達という立ち位置以上にシャリオはカールに近付こうとしない。
真っ直ぐなカールが好き。
それは、高町なのはを一途に追い続けている姿勢にも当てはまって――子供の頃のように、彼が望まない形で道を外させたくないからこそ、シャリオはカールに何も云わないのだ。
事実、彼女はカールが道を踏み外しそうになった時、わざわざフォローを入れていた。
口にする愚痴と小言は、まぁ、大目に見るべきだろう。
本当に面倒な幼馴染みたちだ、と一人でグリフィスは笑みを浮かべた。