打ち付ける風を切り、三人はずっと空を飛んでいた。
ゲルマニア、ガリアの国境を越えての移動だ。もし低い高度で通ろうとすれば、哨戒中の竜騎士に見付かる可能性もあるだろう。
そのため、三人が飛んでいる場所――高度は、雲の上。
眼下に広がるのは雲海のみ。
稀にその裂け目から下界が見えることがあっても、足を止めることはなかった。
最初、雲の上まで上がった経験のないルイズが感嘆の声を上げることもあったが、今はそれすらもない。
三人は淡々とサハラに向かう。
雲の上に上がってから、もうすぐ半日か――ルイズに合わせた速度で飛んでいるものの、勢いは竜騎士のそれを遙かに超えている。
音速超過とは云わないまでも、限りなくそれに近い。複雑な機動を取らずに直進するだけならば、ルイズもこの速度で飛ぶことは可能になっていた。
高々度の飛行――空戦魔導師の必須技能の一つをいつの間にかルイズが満たしていることに気付き、カールは嬉しいような、残念なような気分になった。
生徒の出来が良いのは嬉しいけれど、一方でもっと世話を焼かせて欲しいとも思ってしまう。
なんとも矛盾した気持ちだが、そう思ってしまうのは、ルイズに魔法を教える時間が思いの他楽しいからなのかもしれない。
ちなみにビダーシャルは、カールとルイズの伸ばしたチェーンバインドに牽引される形で飛んでいる。
先住魔法のフライと云っても、やはりミッド式の飛行魔法に速度の面では大きく負けるようだ。
そのため雪車のようにビダーシャルを引っ張り続けて、飛んでいる。
「……ん?」
不意に、ずっと続いていた雲海に終わりが見えた。
なんだろうか――そう思いカールが視線を投げると、眼下には広大な砂漠が広がり始めた。
緑が広がる土地が唐突に途切れ、砂塵が吹き荒ぶ荒廃とした大地が視界を埋め尽くす。
その中にぽつりと存在する湖――あれが、オアシスというものだろうか。
資料映像などを除いて、カールが砂漠を目にしたのはこれが初めてだった。
降り立ってみたいとうずうずしてしまうが、それを押し殺して溜息を吐く。
「……あれって、アーハンブラ城かしら?」
「ああ。人間はそう呼んでいるな」
「なら、ここが国境……今のペースで飛べば、そう時間はかからないんじゃない?」
「かもしれぬ。
急を要する事態でなければ我らは空を飛んで移動などしないため、どれほど時間がかかるかは分からぬが」
「そ。まぁ、近いってのが分かれば良いわ。
空を飛ぶのは好きだけど、ずっと同じ風景が続くのにはもう飽き飽きしてたし」
やや不満げな声が響いたため、カールは隣に視線を投げた。
すると偶然にルイズと目が合い、彼女はすぐさま顔を真っ赤にして、そっぽを向いてしまう。
一体どうしたんだとカールは眉根を寄せながら首を傾げる。
その様子を見たのか、ビダーシャルは無表情のままおもむろに口を開いた。
「……カール。それにルイズ」
「なんだ?」
「何よ」
「聞きそびれていたのだが、お前たちの関係は一体なんだのだ」
「い、いきなり何を聞くのよっ!」
顔を真っ赤にしたままルイズはビダーシャルに食ってかかるも、ルイズの様子から更に疑問を抱いたのか、彼はそのままの表情で首を傾げた。
カールもカールで、ルイズの様子に首を傾げた。
「何故照れる」
「照れてないわ!」
そうルイズは声を張り上げるものの、どう見ても照れている――と、カールは思う。
だがどうして彼女がそんな反応をするのかまでは考えなかった。
実家に戻ってから、どこかルイズの様子はおかしい。
そうは思うものの、原因は何かと考えるとさっぱりだった。
今はビダーシャルもいることだし、後で聞こう。そう、カールは決める。
「そうなのか。
教師と生徒の関係と云うのは別に良い。正にそのままの立場なのだから。
しかし、我が出向いた先はルイズの家だったのだろう?
我はあまり人間の定めている制度に明るくはないが、公爵ともなれば上から数えた方が早い大貴族のはずだ。
そんな者の家に、どうしてカールは滞在していたのだ」
「……色々と事情があるのよ。
姫様……トリステイン王国の王族から私が密命を受けたんだけど、先生はそれに力を貸してくれた。
わざわざアルビオンまで出向く長旅。本当なら私が自分の力でなんとかしなきゃならなかったんだけどね。
で、その任務を無事に終わらせることができたから、休暇のつもりで私の実家に先生を招待したのよ」
「……なるほど。ささやかな礼として、カールを招待したと。
そのお陰で我はカールと早い内に出会うことができた。もし魔法学院に戻られていたら、顔を会わすまで更に時間がかかっただろう。
運命の噛み合わせが良かったのだな。
これも精霊の導きか」
満足げに頷くビダーシャル。
が、それを見るルイズは、何云ってんのコイツ、という視線を向けていた。
『ルイズ、ルイズ。気にしちゃ駄目だ。
きっと彼らからすれば、始祖ブリミルへのお祈りが不思議な儀式か何かに映るんだろうし。
文化の違いだよ』
『……そういうものなんでしょうか。
種族の壁って厚いんですね』
釈然としない様子で眉根を寄せるルイズ。
そんな教え子の様子が微笑ましくて、カールは小さく笑った。
まったくいないというわけではないだろうが、この世界で異種族と触れ合う人間は稀だろう。
これが貴重な経験としてルイズの糧になれば良い。そんなことを、カールは思う。
この一件が終わったあともルイズがエルフたちと関わってゆくのかは分からない。
しかしもし彼らと再び顔を合わせるようなことがあるのならば、今回の経験が生きたら嬉しい。
これもまた教師としてルイズにしてやれることだろうか。
「カール、それにルイズ。
少し休憩でもどうだろうか。
もう少し飛んだ先に、身内の家がある。僅かながらに休むことはできるだろう」
「あ、本当だ。オアシスがあるわ」
ルイズの声に釣られて視線を巡らせると、砂漠の中心にぽつりとオアシスがあった。
やや規模は小さいものの、確かに人が暮らしている痕跡を見ることができる。
「ビダーシャル。アーハンブラ城もそうだったけど、オアシスって都合良く点在しているものなのか?」
「否だ。本来であれば、ここ一帯は砂漠が広がっているはずだった。
だが人間たちによって砦が奪われたことで新たに拠点を作る必要が生まれたのだ。
あそこは我が姪の私有地だが、他にも砦の代わりである場所が存在する。
あのオアシスは天然のものではなく、土と水の精霊によって地下水を汲み上げて作った湖だ」
「……精霊に頼めばなんでもできるとか、なんだかズルいわ。
水のメイジと土のメイジを、どれだけ動員したら砂漠の中に湖を作れるんだか」
「そうか? そう便利なものでもないぞ。
我らが使う力は、契約する精霊の数によってその威力が左右される。
そして人間たちの魔法と同じように、精霊との契約にも技術が必要だ。そしてその技術は、万人が習得できるものではない。
あのオアシスとて、生涯を精霊との対話に費やしたエルフの手によって作られたものなのだ。
絶大な力を振るうための対価として人生を差し出すことは、我らの基準でも、人間の基準でも凄まじいものだと思うが」
「ふぅん。楽して力を手に入れられないのは、どこも同じなのね」
「当然だ。対価がなければ何も手に入れられないのはな」
話をしながら、三人は徐々に高度を落としてエルフの街に降下してゆく。
戦争などではなく、ただの客人としてエルフの土地に踏み入る――そのことにワクワクしているのか、ルイズの表情はどこか楽しそうだった。
カールもまたハルケギニアにきた時と同じように、見知らぬ文明に触れる楽しみに気分が高揚してきていた。
月のトライアングル
砂漠の中にぽつりと存在するオアシス。
空からそこへと降下して、まずカールとルイズは一つのことに驚いた。
バリアジャケットを纏っている二人には大した障害ではないものの、強い熱波や砂塵が消え去ったのだ。
風の結界とでも云えば良いのだろうか。何か、大気の層のようなものがオアシスを囲み、気温は快適な温度に保たれている。
ビダーシャルに先導されて先を進み、ソテツのような裸子植物の茂みを抜けると、そこには白塗りの家が建っていた。
オアシスのほとりに存在するそれは、陽光を反射して眩しく輝いている。
ビダーシャルはずんずんと足を進めると、無遠慮に扉をノックした。
僅かな間を置いて家の中から返事が響く。
そしてドアが勢い良く開かれると、家の中からは女のエルフが顔を出した。
「いらっしゃい、叔父さま……って、あれ?」
満面の笑顔でビダーシャルを出迎えるも、彼女はすぐさまその後ろにいるカールたちに気付いた。
そしてパチパチと瞬きをすると、首を傾げる。
「……蜃気楼? 風の精霊が仕事をサボってるのかしら」
「何を云っているんだお前は。
彼らは大事な客だ。少し休ませてもらうぞ」
エルフの少女に対して、ビダーシャルは呆れたように声を上げた。
声の調子はカールたちと相対している時と比べ、なんというか、普通だった。
「あ、そうなんだ。いらっしゃいー……って、叔父さま、あれ蛮人じゃないの!?
いや、私は一向に構わないけど、どうしたの!? 熱射病!? 熱中症!?
あ、あれね? それっぽい言動ばっかりしてるから、遂に演技が素になっちゃったのね?」
「……お前が私をどういう風に見ているのかは、今度しっかり聞かせて貰うとしよう」
「叔父さま叔父さま、ちゃんと我って云わないと! 素に戻ってるわ!」
「ルクシャナ! 客がいるんだぞ!」
らしくない怒鳴り声をビダーシャルが上げると、女――ルクシャナと呼ばれたエルフは、小さく舌を出した。
そしてドアを大きく広げると、カールたちを手招く。
「どうぞどうぞ。いらっしゃいな、蛮人さん。
この家に蛮人を上げるのは初めてよ」
蛮人、と云われてルイズはすぐに眉根を寄せた。
そして隣に立つカールの袖を引く。
「……先生」
「分かってる。悪意を持って云ってるわけじゃないんだし、ここは抑えて」
ルクシャナに案内され、カールとルイズは家へと上がった。
そして通された客間の惨状――そうとしか云えない――に、閉口する。
「……ぜ、前衛的だな」
「……前日に妙なパーティーでもしてたんでしょうか」
「……すまない、二人とも。触れてくれるな」
控えめなコメントに対し、ビダーシャルは素の口調で返事をした。
カールとルイズがそんな反応をしてしまうのも仕方がないだろう。
なんというか、この部屋はおかしいのだ。おかしいのは、その飾り付けが。
壁に飾られている絵画や人形、仮面、タペストリーはまだ良い。
土産物を飾っていると云えば通用するが――部屋の片隅にある、バケツを被せた帽子かけ、帽子を被せた箒、カーテンの代わりにドレスが引かれた窓は一体なんなのだ。
頭が痛くなって天を仰ぐと、そこには開かれた状態の傘が逆さ吊りにされていた。
反応に困るカールとルイズ。呆れているビダーシャル。
一方、トレーにティーセットを乗せて顔を見せたルクシャナは、どうよ、とばかりに胸を張った。
「私、研究者なの。人間の文化とかを研究対象にしててね。
この部屋の飾り付けは人間のを参考にしているのよ」
それを聞いて、ないわ、とルイズがこっそり呟いたのを聞いた。
貴族の教養として美術も学んでいたルイズからすれば、この部屋に感じる違和感はカール以上なのだろう。
「……参考にされた人間は、かなりエクストリームな趣味の持ち主だったんだろうな」
「……安心しろカール。
ルクシャナの美的センスがそもそも狂っているのだ。
……すまん、こんなのでも我が姪なのだ。これ以上は突っ込まないでやってくれ」
「もう、失礼ね、叔父さま。この私のどこがおかしいって云うのよ」
「止めろ……! もう止めろルクシャナ……!
人間の文化に疎い同族の前でならば誰にも指摘されないが、彼らの前ではボロが出るんだぞ……!」
「いきなり姪の家に押しかけてきて何よその反応は――!?」
失礼しちゃうわとプンプン怒りながらも、ルクシャナは人数分の紅茶を用意する。
そしてそれぞれが席に着くと、最初に口を開いたのはルクシャナだった。
どうやら彼女は話好きなようだ。
「けど叔父さま、どういう風の吹き回しなの?
叔父さまが蛮人をサハラに連れ込むだなんて。
いくら評議会のメンバーだからと云っても、勝手なことばかりしたら仕事を干されちゃうんじゃない?」
「心配するな。彼らを連れてきたことが、評議会の意向だからな。
それとルクシャナ。人間を蛮人と呼称するのは止めろ。彼らからすればそれは侮蔑に当たる」
「そうなの?」
「……酷い話だわ」
心の底から不思議そうに首を傾げたルクシャナの様子に、ルイズは毒づいた。
気持ちは分かる。蛮人と呼ばれて良い気分でいる人間などいないだろう。ハルケギニアでもミッドチルダでも、それは変わらない。
だがエルフからすれば、人間という存在は蛮人と呼称するもの、という認識があるらしい。
「たっはー、そうならそうと叔父さまももっと早く教えてくれれば良いのに。
うわ、じゃあ私たちって酷い呼び方し続けてるわけ?」
「ああ。もう常識として染みついてしまっているから、直すこともできんがな」
流石に人間を研究していると云うだけあって、ルクシャナはすぐに気付いたようだった。
ビダーシャルはもう諦めているのか、溜息を吐いて紅茶を口に運んだ。
「話が逸れたわね。
それで叔父さま、どうして彼らをサハラに案内したの?
必要に迫られなきゃ、そんなことしちゃ不味いでしょう?
評議会の意向とは云っていたけど、それってどんな?」
「シャイターンの門に関する案件だ。
彼、カール・メルセデスはミッドチルダからの来訪者。
彼女、ルイズ・フランソワーズは彼の弟子。
サハラに招いたのは、門の封印を彼に行ってもらうためだ。
ルイズには先のことを考え、門の封印を見学してもらう」
「へー……って、え?
叔父さま、さらっと凄いことを云わなかった?」
「まぁ、そうだな」
「ふーん……」
ルクシャナはビダーシャルから視線を逸らし、今度はカールとルイズの方へと顔を向ける。
瞳には強い好奇心が宿っているが、表情は神妙そのものだった。
彼女は小さく頷くと立ち上がり、カールの隣に立つと手を差し出した。
「……カール・メルセデスさん。
シャイターンの門の封印を、なにとぞ、よろしくお願いします。
エルフの一人として、門の封印を執行するミッドチルダ人と言葉を交わせることを光栄に思います」
「……あ、ああ。よろしく」
応じてカールも立ち上がると、握手を交わす。
ルクシャナは次にルイズへ視線を向けると、カールの時と同じように手を差し出した。
「ルイズ・フランソワーズさん。
あなたの師匠のお力をお借りしますね。
ようこそ我が国、"ネフテス"へ。ここは砂漠ばかりのつまらない土地ですけど、首都のアディールは良い所ですよ」
「よ、よろしく」
豹変というわけではないにしろ、さっきとは違う扱いにカールとルイズは目を白黒させた。
その様子に何を思ったのか、ルクシャナはくすくすと笑い声を上げた。
「ごめんなさいね。
なんだか大変なことになったって分かっているんだけど、実感が湧かなくて。
でも、あなたたちを歓迎したい気持ちは本当よ。
ゆっくりできるかどうかは分からないけど、用だけ済ませて帰ってしまうのは勿体ないわ。
もしアディールを出歩くようなら、連絡を頂戴。案内するから」
屈託なく笑うルクシャナの様子に、カールとルイズは、まったく同種の苦笑を浮かべた。
なんだかんだでカールは、そしてルイズはそれ以上に緊張していたから。
カールはカールで、自分の世界に戻るための手がかりをなんとしても掴まなければと。
ルイズは、前人未踏の土地で、エルフという異種族に囲まれるというプレッシャーに。
それでもビダーシャルの次に出会えたエルフがこうも友好的ならば、きっと大丈夫――そんな風に、安堵することができた。
「それで叔父さま、これからどうするの?」
ルクシャナは自分の席に戻ると、どこか興奮した様子で口を開いた。
「そうだな。お前が協力してくれると云うのなら……」
「するする! こんな歴史的瞬間に立ち会って何もしないなんて、有り得ないわ!」
「そうか。流石は我が姪」
「……叔父さま?」
「我らはこれよりシャイターンの門に向かい、まずはカールたちに門の様子を見せる。
お前はカスバに行き、ミッドチルダ人が到着したことを評議会に伝えよ」
「ちょ、叔父さま、そういうキャラ付けは良いから」
「キャラ付けではない。威厳ある態度の方が精霊との対話に有利なのだ」
「それは噂よ噂! 逆立ちしたら背が伸びるってのと同じ次元よ!?
ともかく、なんで私が使いっ走りをしないといけないの!?
私もシャイターンの門が見たいのー!」
「……お前は世界の危機をお祭りか何かと勘違いしているのではないだろうな。
ともあれ、今回は下見だけで済ませるつもりだ。すぐ封印には取りかからない。
カールたちに二度手間を取らせないよう、カウンシル(評議会)へ受け入れ体勢を取るよう言付けて欲しいのだ」
「むぅ……まぁ、良いけどさー」
「……アリィーも不憫だ」
「なんか云った?」
「いいや、何も」
力なく頭を振るビダーシャルに、ルクシャナは溜息を。
そして席を立つと、鍵をテーブルの上に置いた。
「じゃあ叔父さま、スペアキー渡しておくから後で返してね。
私はもうアディールに向かうわ」
「分かった。我らももう少し休んだら向かうとする」
「うん。
それじゃあ、叔父さま。
カールにルイズ。またね」
小さく手を振ると、壁にかけてあった外套を手に取り、ルクシャナは足早に外へと出て行った。
活発な子――というのがカールの印象だが、おそらくルイズの抱いた感想も似たようなものだろう。
そんな気がした。
「喧しくてすまないな。
……もう嫁に行くのだから少しは落ち着けと云っているのだが、一向に治らん」
「……ま、まぁ、そう気を落とさず。
それじゃあ俺たちも行くとしよう」
休憩は終わり。
食器を片付け、家を出ると、三人は再び飛行魔法で空を駆けた。
進む先には砂漠が広がるばかりだが――その先に、渓谷のようなものが見え始めた。
砂埃が舞う中に佇む、岩石の谷間。あそこだ、とビダーシャルが声を上げた。
この先にシャイターンの門が――とカールが思った瞬間、待機状態のカブリオレから警告音が鳴り響いた。
何故――とは思わない。この音が何を示しているのか、カールは知っている。
「……次元震」
この先にあるシャイターンの門が次元震を発生させている。
ハルケギニアに迷い込んだ者たちが残してくれた記録に違わず、それは事実なのだろう。
だからこそカブリオレが警鐘を鳴らしている。
「カール、ルイズ。下に降りるぞ。
それと、防護魔法を使うべきだ」
「ん?」
「記録によると、シャイターンの門の周囲は、魔力によって汚染されている……らしい。
それが何を意味をするのかは我には分からないが」
「いや、ありがとう。助かったよ。
ルイズ、聞いての通りだ。地面に降りたらバリアジャケットの設定を変えるぞ」
「はい、先生」
ビダーシャルの忠告に従い、カールとルイズは地面に降り立つと、すぐにバリアジャケットの設定を変更した。
バリアジャケットに魔力を注ぎ込みながら、ルイズは疑問を口にする。
「先生。魔力によって汚染されている、って、どういう意味なんですか?」
「……まだルイズには教えてないことだ。良い機会だから、教えておこう。
自然界では絶対に有り得ないことなんだけど、魔力を一カ所に集め、制御せず無造作に暴発させると、高濃度の魔力によって周囲の物質が変質する――」
そこまで口にして、ルイズが異次元言語を聞かされているかのように変な顔をし出したため、カールは苦笑した。
「噛み砕いて云うよ。
魔力は集まりすぎると毒に変質する。
その集まった魔力が爆発して飛び散ると、その周りも毒に犯される、ってことだ」
「うう……学院に帰ったら、詳しく教えてください」
「よろしい」
やりとりを終えると、ビダーシャルに先導されるまま二人は渓谷の中へと足を踏み入れた。
ちなみにバリアジャケットを装着できないビダーシャルだが、その代わりに彼は"反射"を発動させている。
カウンター。物理、魔法を問わず、あらゆる災厄をはね除けるというエルフの代名詞とも云える技。その力は魔力汚染すらもはね除けるのだろう。
エルフと戦ったことがない、そして戦いたいとも思わないカールだが、カウンター一つ見ても手強いと分かる。
戦うようなことにならなくて良かった――と考えていると、ビダーシャルが足を止めた。
「見ろ。あれがシャイターンの門の封印だ」
言葉と共にビダーシャルが指を指す。
その先には、ドーム状に盛り上がった岩がある。
おそらく先住魔法によって作ったのだろう。荒野の中にある異物。
一目で人工物だと分かる異質さが、伝わってきた。
石棺に注がれるビダーシャルの視線には忌々しさが込められている。
「ミッドチルダ式の封印だけでは足りないため、土の精霊に力を借り、ああやって岩で閉じこめてある。
我々はあれを『石棺』と呼んでいる」
「ちょっと、岩で封じ込めてあるなら、中に入れないんじゃないの?」
「入り口はここだ」
彼は広がる岸壁に視線を向け、手を触れる。
「……土よ。災厄を封じ込める精霊よ。
契約に従い、我に道を示せ」
そう呪文が呟かれると、轟音が木霊すると共に岸壁が蠢いた。
軋んだ音を上げ、パラパラと破片を撒き散らしながら、動いた岩の向こう側に通路が現れる。
暗がりの中には緩やかな階段が続いており、ビダーシャルが進むと、カールとルイズはその後を追った。
三人が通路に入ると、カールたちがくる前と同じように、岩の入り口は閉ざされる。
カールはすぐ様スフィアを生み出し、それを光源の代わりに。足下を照らすと、三人は階段を下り始めた。
暗く、どこまでも続く階段。
この先にあるものが、カールの帰還を阻むシャイターンの門。
それさえ取り除けば、自分は――勇むな、と頭では思っても身体に力がこもってしまう。
当たり前だだろう。
ずっと分からなかった、手がかりが何一つとして見付からなかった故郷への道しるべが、ようやく手の届く場所まで近付いてきたのだから。
ハルケギニアでの生活。ルイズという優秀な教え子に魔法を教える毎日が苦痛なわけじゃない。
苦労もあったし、良かったことばかりと云いきることはできないが、彼女と過ごしてきた時間は楽しいものだった。
だが――カールの生きる世界はここじゃない。そういう自覚がある。
……積み上げてきた実績。経験。人との繋がり。それらをすべて放り投げることなど、できない。
だからなんとしてでも次元震を止めて、ミッドチルダに帰還しなければならない――
「……先生?」
知らず知らずの内に、カールは拳を握り締めていた。
その手を、そっと包むようにルイズの手が触れてくる。
見れば、ルイズは心配げにカールを見上げていた。
縋るように――ではない。本当に、カールを心配するように、だ。
……何をしているんだろう。
そんな風にカールは自嘲する。
見知らぬ土地にきて、聞いたこともない現象を目にしようとしているのはカールだけではない。ルイズもなのだ。
そして自分はルイズの先生なんだから――不安がらせることも、心配を抱かせるようなことも、あってはならない。
大丈夫。
そんなニュアンスを込めて笑いかけると、ルイズはぎこちなく笑い返した。
そしてどこか強ばった声を、彼女は上げる。
「……まるで地の底まで繋がってそうだわ」
「この先にあるのはシャイターンの門だ、ルイズ」
「分かってるわよ! ただの例え話じゃない、まったく」
むっとした表情で、ルイズは肩を怒らせる。
……もしかしたらこの子なりに緊張を解そうとしてくれたのかもしれない。
ありがとう。そう云おうとしたものの、素直じゃないルイズのことだ。きっと、強がってそんなことはないと云うのだろう。
だったら、とカールは、ルイズの手が触れている拳を解いて、指先だけで手を繋いだ。
これでルイズの抱いてる不安が少しでも和らいだら良いと思って。
「えっ!?」
「どうかした?」
「な、なんでもない……です……」
あわあわと口を震わせながら、ルイズは俯く。
繋いだ指は離さないが。
そんなやりとりをするカールとルイズにやれやれとビダーシャルは頭を振ると、黙って先導を続けた。
延々と続く下り階段。
ルイズの言葉ではないが、正しく地の底まで繋がっているような。
先の見えない暗がり。だがそれにも終わりが訪れる。
カールの魔力光。群青の灯りが照らす中、階段の終わり、その先に、紫色の光が浮かび上がった。
ぼんやりと浮かぶ輝きは、階段の終わりを静かに照らしている。
音声は切ってあるが、この通路に入ってからカブリオレは持ち主であるカールに警鐘を鳴らし続けている。
魔力素濃度の違いや、ハルケギニアに起き続けている次元震の時は反応しなかったのに、何故今は違うのか。
その答えは酷く単純。危険度が段違いだからだ。
魔力素濃度や転移に干渉しない極小規模の次元震。
だがこの二つは、見方を変えるならば、すぐさま命に関わるような要素ではないと云いきれる。
だが、カールたちが目指しているこの先、シャイターンの門は違う。
強固なバリアジャケットを纏っていなければ毒のように命を食い破る危険を孕んでいる。
そんな場所に近付くなとカブリオレは主人に危険を訴えるが、最早カールは引くことなどできない。
なんとしてもミッドチルダへ。その意思が薄らぐことは、ない。
階段を下りる。もう数えるほどしか残っていない階段をゆっくりと。
コツリコツリと音を立てて――この先から響いてくる轟音に、足音は掻き消される。
魔力と共に微かな熱気が頬を撫でる。バリアジャケットを纏っているのに、だ。
おそらく生身では絶対に立ち入ることはできないだろう。
死の世界と化している。生物という生物は存在できない。
ならば、精霊の力を借りて岩の中に閉じこめるというエルフの選択は正しかったのかもしれない。
一応は封印されているというのに、こうも、シャイターンの門は死という要素を振りまいている。
もし封印が完全に解かれれば、次元震が発生するのだろう。小規模次元震などではなく、大規模――ハルケギニアを飲み込む大災厄が。
階段、その最後の一段を、降りて。
――そして、カールたちは辿り着いた。
目の前に広がった光景を、なんと形容すれば良いだろうか。
遠目から見たように、通路の先にはドーム状の広場となっていた。
その中心には、極彩色の光を放つ何か――球体が、鎮座している。
否、あれは球体なのだろうか。心臓のように脈動しながら、形を変えているようにも思える。
極彩色に光り輝いているように見える原因は、おそらく、幾重にも張られた封印のせいだろう。
魔力光は人それぞれに違いが生まれる。シャイターンの門を彩る輝きは、その全てが、封印に挑戦した者の残滓なのだろう。
だが、その封印は今にも破られようとしていた。
中央に鎮座する極彩色の球体。それの周囲は、まるで溶岩のようにドロドロと溶け出していた。
放出される高濃度の魔力によって熱を帯び、溶解している。そしておそらく、それだけではないだろう。
カールはおもむろに通路の壁へと手を触れる。
瞬間、ボロボロと壁は崩れ出した。崩落するほどではないものの、あまりに脆すぎる。
放射される魔力、その汚染によって、物質が目に見えないレベルでズタズタに破壊されているのだろう。
「……ルイズ、可能なだけのプロテクションを張って、ここにいるんだ。
ビダーシャルさんも一緒に」
「は、はいっ。
先生はどうするんですか?」
「近付いてみる」
「――ッ、よせカール! 君のためにならんぞ!」
ビダーシャルの声を背に、カールは飛行魔法を発動させて岩のドームへと入り込んだ。
そして背中からデルフリンガーを抜き放ち、デルフもバリアジャケットの範囲に含み、ゆっくりと距離を縮める。
一気に近付いて、バリアジャケットの防護能力を超える汚染領域に踏み込んではならない。
ガンダールヴのルーンを輝かせながら、カールはじっとシャイターンの門を見下ろした。
「お、おい相棒、平気なのか?」
「……今のところはな」
極彩色の球体。次元震を発生させる元凶。
これを封印しなければ、自分はミッドチルダに戻れない。そう、分かっている。
けれど――
「……駄目だ」
「ん?」
「……封印は大博打になる。
成功確率が、低すぎる」
「……マジかよ」
嘆息するように応じたデルフリンガー。
カールの言葉に嘘はない。
シャイターンの門。デバイスに残された言葉を信じるならば、その正体は原始的な技術で作られ、結果、暴走し続けている魔力炉。
技術関係に疎いカールは詳しい仕組みを知らないが――根幹にあるシステムだけは理解することができた。
端的に言い表すならば、これは集束砲撃。大気中に存在する魔力素を吸収してエネルギーを生み出す代物だったのだろう。
だがこの炉心は暴走を続けている。際限なく魔力素を取り込み続け、肥大化し、更に多くの魔力素を吸収し、肥大化を――それを繰り返している。
その結果、巨大になりすぎた魔力の塊が存在することで周囲が汚染され、次元震すら引き起こす。
封印された状態でこれだ。
もし完全に封印が解けたのならば、良くて中規模次元震、最悪、周囲の世界を巻き込んでハルケギニアは跡形もなく消え去るだろう。
背筋が凍る。同時に、苛立ちすら覚える。
世界を救うつもりなど、カールにはない。
人が死ぬのはなんとなく気分が良くないため、可能ならば助けたいとは思う。
だが自らの一生と引き替えに――となると、当たり前のように躊躇ってしまう。
カール・メルセデスという人間は確かに真面目な時空管理局員ではあるものの、管理局の在り方に心酔しているわけではない。気に入ってはいるが。
あくまで気持ちよく仕事のできる職場であるだけで、その美学のために進んで殉職できるほど優しくはなかった。
……普段ならば必ず成功すると太鼓判を押されない限り決して挑まない障害。
元の世界に、ミッドチルダに戻るためには次元震を止めねばならず――だがそのためには、世界を滅亡させる破壊力を秘めたロストロギアを沈静化しなければならない。
あまりにも障害が大きすぎる。
ただ元の世界に戻りたいだけだというのに。
当たり前に存在していた日常の中に還りたいだけだというのに。
だのに、そのためにはこのロストロギアを封じ込めなければならない。
「……分かったよ、デルフ」
「何がだ?」
カールは俯き加減になると、シャイターンの門を視界に入れながらも、目を逸らし、呟く。
大空洞にくる前まで胸を躍らせていた帰還への熱意が、僅かに鈍る。
「絶望がだ。シャイターンの門を目にした魔導師は、きっと俺と同じ心境だったんだろう。
元の世界に帰りたい。けれど……そんなささやかな願いと比べ、立ち塞がる障害が大きすぎるんだ。
……心を折るには充分すぎる」
「……じゃあ相棒は、諦めんのか?
まぁ、俺はそれでも良いって思うがね。
学院長のジジイや、ルイズだっているさ。
精神力の器が傷付いて魔法が使えなくなっても、相棒は戦士として一流だ。
加えてガンダールヴの力もある。食いっぱぐれることもねぇだろ。
充分やっていけるさね」
「……ああ、そうだな」
短く返事をしながら、カールはシャイターンの門に背を向けた。
渦巻を巻く、魔力の太陽。カールの帰還を阻むもの。
それらに背を向け、彼はルイズたちの元へと戻る。
デルフと交わした言葉に嘘はなかった。
相応の実力を身に着けているという自負がカールにはあったが、それでもシャイターンの門を封印するには足りない。
門の封印が出来ないのならば、残された道は過去ハルケギニアに流れ着いた来訪者たちと同じように、この世界の住人となって生き続けるしかないだろう。
デルフが云うように、もしそうなっても生きてゆける自信はある。
オスマンやコルベールといった友人たちがいるし、ルイズという教え子もいる。食ってゆくことに困ることはないだろう。
今まで積み上げてきたことがゼロになるだけ。ミッドチルダへの未練を断ち切り、ゼロからの出発をすれば良い――なんて。
馬鹿げてる。そんな諦めは受け入れられない。
簡単に投げ出すことなんてできない。他に手はないのか。何か、ないのだろうか。
諦めがちらつく頭を回して、カールは必死に手段を模索する。
そうして――
「……ビダーシャル」
「なんだ?」
「いくつか聞きたいことがある。
まず最初に――いるんだろう? エルフの中に、ミッドチルダ式を使える者が」
問いを投げかけた瞬間、ビダーシャルは僅かに目を見開いた。
何故それを。そう、声に出さず問いかけてくるビダーシャルに、カールは苦笑する。
「手抜き……いいや、違う。
未熟な封印の跡がいくつか見えた。多分、定期的に門の封印を修復してるんじゃないのか?」
「……その通りだ。
だが、そんなことを聞いてどうする?」
問われ、カールは言葉に詰まった。
……確かにそうだ。
門の封印を定期的に行う――問いかけた通りにミッドチルダ式魔法を使えるエルフが存在しているのだとしても、あまり意味はない。
カールも、そしてエルフたちも門の封印を行う実力はない。
烏合の衆が集まったところで、現実は変わらない――
……本当に、そうだろうか。
「……そのエルフたちに引き合わせて欲しい」
萎えかけた気持ちに渇を入れて、カールは静かに言葉を絞り出す。
まだだ。まだ諦めたくはない。
確かにシャイターンの門は強大で、中途半端な力で封じることができないと理解した。
だが、本当に手段はないのだろうか。
まだ諦めない。諦めは濃く滲んでいるが――そう。
まだ、絶望も希望も見えてはいない。
ならば、
「俺は諦めないぞ、ビダーシャル」
そこに希望があるのかどうか。もしくは、絶望を確かめるために。
絶対に不可能と分かるまで諦めないと、カールは拳を握り締めた。
人間がサハラと呼ぶ砂漠。エルフもまた共通して砂漠のことをサハラと呼ぶが、しかし、エルフにとってそこは自国一部分にしか過ぎない。
大部分を砂漠によって塗り潰された、エルフが統治する国。その名をネフテスと云う。
ネフテスの首都である都市は、砂漠を越えた向こう――海にある。
海辺にあるというわけではなく、海の上。
同心円状の、人工的に作られた埋め立て地がいくつも浮かび、その上に都市が作られているのだ。
その都市群の中心――エルフにとっての行政機関、その中心部と云っても過言ではない場所に、カールはいた。
客間として割り当てられた一室。そこのテラスから外に出て、夜風に当たりながら煙草を吸っていた。
ルクシャナのオアシスと同じように、先住魔法によって海風も制御されているのだろう。
海辺特有の生臭さや、潮風。そういったものが抜け落ちた夜風は心地良い。
煙草を口に咥え、一吸い。
ジジ、と葉が燃え、肺に深々と煙を吸い込む。
吐き出した煙は風に巻かれてすぐに消えてしまう。
見えもしないそれを目で追いながら、カールは会議中であろうビダーシャルたちに意識を向けた。
シャイターンの門からアディールに移動すると、カールは早速エルフの魔導師に引き合わせてもらった。
エルフの魔導師。種族が違っても、リンカーコアは人間と同じように持っているのだろう。
いや、もしかしたらミッドチルダ人と交わったエルフもいるのかもしれない。その者たちから資質が移ったという可能性は、充分に考えられる。
ともあれ、エルフの魔導師たちと顔を合わせたカールは、早速彼らの実力を確かめさせてもらった。
戦闘能力云々ではなく、門の封印に必要となる魔力操作技術や最大火力を。
だがやはり、カールの予想通り――悪い意味で――彼らの能力は今一歩といったところだった。良くてルイズと同等か、それ以下。
それもそうだろう。ミッドチルダ式魔法を覚えていても、教える立場の人間がいないのだ。
来訪者が遺していった技術を伝え続けたのは称賛に値するかもしれないが、技術は劣化、良くても停滞している。
それは別に責めるようなことじゃない。仕方がないという面もあるだろう。
そもそも、ミッドチルダ式を教えてもらうというのならば、カールの教え子であるルイズは恵まれすぎているのだ。
戦技教導隊に所属する魔導師に一対一で技術を教授されるなんてことは、ミッドチルダでも早々あることではない。
ハルケギニアに呼び出された魔導師の誰もが、カールのようにストライカー級の実力を持っていたわけではないだろう。
三桁に届く来訪者の中には――それだけの音声ファイルがデバイスに記録されていた――あるいは、いたのかもしれない。
だが、それらの魔導師が弟子を取ったとしても確実に技術を伝授できるのは一世代限り。
弟子の弟子、ともなれば技術だけではなく伝えられる知識にも限界があるだろう。
結果、強力無比な魔導師はこのハルケギニアに誕生しない。
無論、エルフたちに力を貸してもらえるならば助けにはなる。だがそれでも、封印の決定打にはならない。
門の封印を行うには、純魔力による大火力が必要となる。
今まではエルフの独力でそれを行ってきたが、それでは足りず。
現在はカールという魔導師がいるものの、足りない力を一人で埋められるかと問われれば、分からない、としか云えない。
ガンダールヴによって能力の上昇が望める今、以前よりもずっと強力な魔法を使うことは可能だろう。
だが、その上限を確かめることはできない。
もしそんなことをしてしまえば――そう。憧れの女性の言葉を借りるなら。
全力全開を一度でも出してしまえば、カールに後はないから。
練習なし、一度限りの大博打。
もしそれを行えば、もうカールはハルケギニアで魔法が使えなくなる。
リンカーコアの損傷具合を考えれば、そうなってもおかしくはない。
その旨をビダーシャルに伝え、現在、評議会では門を封印をどうするかで討論されているらしい。
ビダーシャル曰く、封印を行わないという選択肢は有り得ないと云う。
今までエルフは、封印の対価として魔法の使えなくなるミッドチルダ人に生活の保障を行ってきたらしい。
今回もまた、完全封印が可能かどうかに関係なく、カールに今までと同じ条件を提示するだろうとビダーシャルは云っていた。
……刻一刻と。
封印の執行、その時間は、こうしている間にも近付いてくる。
故郷への帰還を諦めて絶望を抱いたままそれを行うか、まだ足掻くか。
事実を事実として受け止め打開策を考えてはいるものの、カールはどうしても熱を入れて封印方法を模索したくはなかった。
もし必要以上の情熱を注いでしまえば、失敗した時のしっぺ返しがより大きくなりそうだから。
冷静に、ひたすら冷静に――と努め、カールは方法がないかと再び思考を巡らせる。
だがそんな風に足掻いても、やはり方法がまったく思い浮かばない――
「……先生」
声をかけられ、カールは振り返った。
テラスの入り口にはルイズがいて、彼女は夜風に桃のブロンドを柔らかに靡かせながら、ゆっくりと歩いてきた。
風呂上がりなのだろうか。微かに髪は湿っていて、頬は上気している。
月光に照らされて、という演出も影響しているのだろうが、普段よりもルイズが大人びているようで、カールは少しだけ驚いた。
涼しい風を浴びた彼女は心地良さそうに目を細めると、カールの隣に立った。
ルイズがすぐ側にくると、カールは自分でも分かるほどに曇っている表情を、強引に打ち消した。
そして吸い途中だった煙草を携帯灰皿に押し込む。
それを見て何を思ったのか、ルイズは唇を尖らせる。
「先生って、なんだか私に隠れて煙草吸いますよね」
「煙が嫌がられるって知ってるからね。
そういうのに気を配らないと面倒な世の中なんだ。
喫煙者の立場は弱いんだよ。困ったことに。
増税とか馬鹿げてると思う。喫煙者で増税ウェルカムって云ってるのは、九割方懐に余裕のある奴だろ。
反対って云ってるのはあんまり余裕のない奴らで……そういう人間の楽しみ――嗜好品に課税するとかね。
ただでさえ所得に余裕のない人間から心の潤いを奪っていったら、殺伐とした世の中になると思うんだけどなぁ」
「えっと……?」
「……ごめん、ちょっとした愚痴だ。
まぁでも、ルイズの前では出来るだけ吸いたくないってのは本当。
パイプ煙草ならともかく、俺の吸ってる紙巻き煙草ってあんまり良い匂いしないだろ?
女の子にヤニの匂いをつけるのは、ちょっとな」
「あの……私、煙草の匂い、嫌いじゃないです」
「だとしても、俺が気になるんだ」
そう云って、カールは手に持っていた煙草の箱をポケットに入れた。
カラカラと音がする箱。もう中には一本しか残っていない。
吸うか、吸わないか――止めておこう、とカールは思う。
「ずっと不思議だったんです」
「ん?」
ルイズはテラスの手すりに背中を預けると、カールの顔を見上げながら、微笑みを浮かべる。
「先生が吸ってる煙草、なんなんだろうな、って。
パイプはお父様や学院長が吸っているのを見たことがあったけど、紙に巻いたものは知らなかったから。
私が煙草に疎いから、って思っていましたけど……異世界の煙草だったからなんですね」
「ああ。そういうことだ」
「……ヒントは色々あったのに、自力で気付けなかったのが少しショックです。
そりゃ、異世界なんて見たことも聞いたこともないことに気付けないのは当たり前かもしれない。
けれど、先生が身に着けている物が私たちの物と全然違うことぐらい、気付けたのにな、って」
「仕方ないよ。誰だって、見知らぬものを見たら都合の良い風に解釈するさ。
俺だってそうだ。最初、この世界にきたとき……ハルケギニアをミッドチルダと間違ったりしたから」
「ミッドチルダとハルケギニアは、似てるんですか?」
「全然。この世界を馬鹿にするわけじゃないけど、ミッドチルダの方が文明は発達してるよ。
……こんな風に心地良い風が珍しいぐらいに。
機械とかが発達すると、自然は減ってゆく。だから、トリステイン魔法学院の草原に呼び出された時は驚いたよ。
こんな場所がミッドチルダにあったのか――って」
「私からしたら、見渡す限りの草原なんて珍しくもありませんけど……。
先生からすれば、違うんですか?」
「早々お目にかかれない。
勿論、ないわけじゃないけれど、珍しいことは確かだよ。
それに――」
そこまで云って、カールは空を仰いだ。
そこにはミッドチルダと同じ、二つの月が浮かんでいる。
「このハルケギニアは、ミッドチルダと同じ数の月が浮かんでいるから。
だからどうしても、ミッドチルダと切り離して考えられないんだ」
そう。だから月を見上げる度に、郷愁の念に駆られた。
いつかは帰る。そんな風に意気込んでいたからこそ、寂しさに耐えられた。
けれど今のカールは分岐点に立たされている。
無謀な戦いを挑み一度しかないチャンスをふいにするか。諦めず、何か手段を講じるか。
無論、カールだって前者など選びたくない。まだ諦めてはいない。
だが肝心の封印に有効な術が一切思い浮かばないまま時間が過ぎている。
無力感が心をゆっくりと蝕んでゆく。
「……えっと、月は二つあるものじゃないんですか?」
暗い思考に沈みそうになると、ルイズの声が意識を引き上げてくれた。
力の抜けた表情に力を込めて、作り笑いを。
「ん……ああ。
一つの世界もあるんだよ。
場合によっちゃ、ない世界もある」
「そ、そうなんだ……」
ルイズにとって当たり前のことが違うというのは、新鮮な感覚なのかもしれない。
驚きながらも好奇心に満ちた声で、ルイズはせがむようにカールのシャツを引いた。
「……あの、先生」
「なんだ?」
「もしシャイターンの門を封印したら、ミッドチルダに連れて行ってくれませんか?
先生が暮らしていた世界が気になるんです。見てみたい。
話だけじゃ、上手く想像できないから。先生が生まれ育った世界を、先生と歩いてみたい」
「……そうだな」
恥ずかしがるように目を逸らしながら、静かにルイズはねだった。
だがカールは、曇った返事をするしかない。
もしシャイターンの門を見る前だったら、彼女のお願いを安請け合いしていただろう。
けれど今は、とてもそんな気分になれなかった。
ルイズは門の封印とカールの帰還が関係していることを知らない。
何故ならそれは、カールがルイズに嘘を吐いたから。
おそらくルイズがサモン・サーヴァントで呼び出したことが原因でカールが戻れないと知れば、彼女は自分を責めるだろう。
そういう子だ。自分の行いで誰かを傷付けたのなら――間違った行いをしてしまったら、自らの手でそれを正す。
けれどカールをミッドチルダに戻すなんてこと、ルイズにはどうしようもないことだ。責任の取りようがない。
そうなればきっと、彼女は無力感を覚えながら、自分のことを強く責めてしまうだろう。
最初は時空管理局に所属する魔導師として。
だが今はルイズの教師として。
そんな風に立場が変わり、ルイズに対する感情が変化しているからあんな嘘を吐いてしまったのかもしれない。
そもそも次元世界云々のことをルイズに説明する必要なんてなかった。
それなのに口にしたのは、彼女と一緒にミッドチルダへ行きたいという願いが――カールにあるからかもしれなかった。
……ルイズが望むように、ミッドチルダを二人で歩くのも悪くないだろう。
ルイズの驚く顔が目に浮かぶ。
ハルケギニアにきてからカールだって驚きっぱなしだったのだ。今度はその逆。
異世界の文化に触れて、ルイズがどんな顔をするのか――それが少し、楽しみだった。
そんな風に想像して、萎えかけていた気持ちが僅かに持ち直す。
カールは、嘘を嘘で塗り固めるように――自分から退路を断つつもりで、口を開いた。
「その時は、しっかり案内するよ。
ミッドチルダは楽しい世界だ。自然はハルケギニアに負けるけど、娯楽に満ちてる。
移り住むのは勧めないけど、遊びに行くにはもってこいだと思うから」
「むっ。なんですか、それ。移り住むのは勧めないって。
まるで私が異世界の文化に馴染めないみたいじゃないですか」
徐々に固まってゆくカールの気持ちに、ルイズは気付かない。
唇を尖らせ、失礼だわ、とでも云うように眉根を寄せている。
「あはは、それは……」
どうだろう。
不満げなルイズの顔を見ながら、カールは少し想像してみる。
転送ポートを出て右往左往するルイズ。
自動車やリニアレールを見て右往左往するルイズ。
改札口の通り方が分からず右往左往するルイズ。
横断歩道の渡り方が分からず右往左往するルイズ。
……それはそれで、面白いかもしれない。お上りさんみたいで。
「先生、なんだかよからぬことを想像された気がするんですけどー!?」
「気のせい、気のせい」
「もうっ、先生!?」
プンプンと頬を膨らますルイズの頭に手を乗せ、悪かったよ、と一撫でする。
流石に子供扱いされたと思ったのだろう。ルイズは慌てた調子で身を引いた。恥ずかしかったのか、頬が赤らんでいる。
少女と云ってももう限りなく大人に近い歳なのだから、子供にするような扱いは不味かったか。
そう思い――ふと、思い出した。
「そういえばルイズ」
「なんですか?」
「ここ数日、なんだか様子がおかしい気がするんだけど……何かあったのか?」
「え!?」
ヴァリエール公爵領に戻ってからだろうか。
ふとした拍子に彼女が挙動不審になっているような気がするのだ。
今までは封印の方に意識が行ってて後回しにしていたが、気分を入れ替えるという意味でも聞いてみようと思った。
カールの指摘が正しいとでも云うように、ルイズは僅かに赤らめていた頬を更に染める。
肩を狭めて、もじもじと。照れてるというよりは、恥ずかしがっているのだろう。
どうしてそんな様子をルイズが見せるのか分からなくて、カールは言葉に詰まってしまう。
何かを云いたげにルイズは口を開こうとするも、力なく閉じてしまう。
それを何度も繰り返して、言葉らしい言葉は何一つ出てこなかった。
……先を促すべきだろうか。それとも、変なことを聞いて悪かったと云うべきだろうか。
そんな風に迷っていると、ようやくルイズは顔を上げる。
手すりに預けていた背中を離し、真っ正面からカールを見据えて。
やはり顔は真っ赤なままだが、表情は真剣そのものだ。
そんなルイズの様子に、カールは既視感を覚えてしまう。数少ない恋愛経験の中から。
恋愛経験――そんなまさかと思っていると、音として聞こえるほどルイズは大きく息を吸った。
「あの、ですね、先生」
「あ、ああ」
「私は、その……」
真っ直ぐに向けられていた視線は泳いで、カールから逃げてしまう。
迷うように彷徨って、けれど再び戻り、ぎゅっと目を瞑った。
「あの……ですね。
実家に帰ったから先生が私の様子をおかしいと思うようになったのは、その……。
ちょっと、色々考えちゃったからで、だから……」
ようやく云うべき言葉が見付かったのか、ルイズは瞼を持ち上げる。
縋るのとは違う。幼子が信頼する者に向けるような視線を向けて、
「私――先生のことが好きなんです!」
大声には少し足りない、けれど精一杯の声で、ルイズはそう云った。
先生のことが好き――それが何を意味しているのか分からないほどカールは鈍くないが、しかし、彼女の言葉を聞いてまず覚えたのは戸惑いだった。
「……ルイズ?」
名前を呼ぶも、ルイズは真っ赤になったまま俯いてしまう。
様子を見れば分かる。きっと精一杯の勇気を振り絞って云ってくれたのだということぐらい。
俯いてしまっている状態も、カールの返事を待っているというよりは、自分で自分の云ったことに困ってしまっている風に見えた。
……そんな風に冷静に考えてしまうのは、いまいち実感が湧かないからかもしれなかった。
それでも変な風に茶化したりしようとしないのは、ルイズが嘘でも冗談でもなく、本気の気持ちを伝えたと分かっているから。
分かっているけれど――
「……ごめん」
カールからすれば、そう云うしかない。
謝罪の言葉ではあるものの、カールの言葉がどういう意味を指すのか流石に分かったのだろう。
ルイズは目を見開いて固まってしまう。息をすることすら忘れてしまっているかもしれない。
そんな風に固まってしまって十秒近く経つと、苦笑――泣き笑いを強引に崩した表情――を浮かべた。
「どうして、ですか?」
「……好きな人がいるからだ」
静かな問いかけに対して、嘘偽りのない言葉をカールは返す。
あまりに唐突な告白だったし、ルイズをそういう目で見たことがないということもあるだろう。
けれども――それらを加味したとしても、ルイズの告白を受け入れられない一番の理由はこれだ。
それに、優しい言葉をかけ誤魔化そうと思わないのは、告白を受け入れないのだとしてもこの子のことを大切にしたいから。
確かに告白を受け入れてもらえないルイズは可哀想なのかもしれない。
けれど同情心から気持ちが向いていない、色好い言葉を返したとしたら、ルイズは哀れで滑稽になってしまうだろう。
そんなことはしたくない。教え子としてルイズを大切に思っているからこそ。
だから残酷なのだとしても、この子の幼い好意を真っ正面から受け止めたかったし、踏みにじるようなことはしたくなかった。
「……俺はさ、ルイズ。ミッドチルダに好きな人がいるんだ。
告白は全部空振りで、多分、そういう相手としては一度たりとも見てもらえてない。
けれど、やっぱり好きなんだよ」
言葉を聴いて、ルイズは痛みに耐えるよう表情を歪める。
カールは、目の前に告白してきた女の子がいるのに――それが失礼と分かっていながら、ミッドチルダにいるだろう女性に、思いを馳せる。
そうだ。
ミッドチルダには帰りたい。家族や友人の元に帰りたい。
けれど――向こうでやり残したことと云えば。カール・メルセデスとして最も情熱を注ぎ、そして、まだ果たしていないことは。
……こうして自分に告白してくれたルイズの姿を見て、心に突き刺さるものがあった。
真っ直ぐな好意をぶつけてきたルイズ。それに比べて、自分はどうだっただろうか。
確かに何度も告白はした。その度に気持ちが伝わってないと気付いて、笑ってやりすごした。
だからと言い訳するつもりではないが、気持ちを伝えるよりも先に、彼女と同じ目線に立とうと努力を重ねた。その果てに今の自分があることは否定しない。
けれど――ルイズのように、確かな答えが返ってくるまで踏み込もうとする勇気は果たして、あっただろうか。
……無かった、と思う。だからこそカールの気持ちが届いたことは一度としてなく、拒絶されることも、受け入れてもらうこともなかったのだから。
だから――
「……この封印が無事に終えられたら、俺はその人に気持ちを伝えるつもりなんだ。
今度こそ、振り向いてもらえるまで。結果がどう転ぼうと」
あからじめ決めていたように云う。勿論、そんなことは嘘だ。
たった今考えついたばかりのことで、そんなことしようなどとは微塵にも考えていなかった。
ただ、もう一度あの人の顔が見れたら幸せだと思っているだけで。
けれど違う。そうじゃない。
焦がれるほどにやるべきことがあるからこそ、自分はミッドチルダに戻るのだ。
惰性でも義務でもなく。ここまで歩いてきたカール・メルセデスとして、やるべきことを。
「だから、ごめん。
ルイズの気持ちには応えられない」
告白への返事を終えると、ルイズはぎゅっと目を瞑った。
月光を反射した涙の粒が、ぽろぽろと落ちる。
けれど彼女はしゃくりあげたりはせずに、まるで泣いていないと強がるように顔を上げると、今度こそ泣き笑いの表情を浮かべた。
「……分かりました」
「……すまない。気持ちは嬉しかった」
「いいえ」
ふるふると頭を振ると、彼女は手の甲で涙を拭い、一度だけ鼻を啜る。
目元を微かに腫らしながらも、強引に笑顔を作って、彼女は胸を張った。
「せ、先生の気持ちは良く分かりました。
けれど私、ミッドチルダに行きたいって気持ちに変わりはありませんから!」
「……え?」
「それで、先生のプロポーズをしっかりと見届けます!」
「ちょ、え!? プロポーズって、いやいやいや、そういうつもりじゃ……」
プロポーズ、という単語を出されてカールが戸惑った瞬間、ルイズは小さくステップを踏んだ。
倒れるように、隣に立つカールの胸元へ。カールが咄嗟に受け止めると、彼女は胴に腕を回して、ぎゅっと抱き付いてきた。
「……私は、先生が……先生の、生徒ですから。
だから見届けるんです。もし駄目だったら、胸の一つぐらい貸してあげますね」
ぐりぐりと額を押し付けながら、カールはくぐもった声を上げる。
それはきっと服に顔を押し当てているせいだろう。そのはずだ。
徐々に染みてくる暖かな感触に気付かないふりをしながら、そっとカールはルイズの肩に手を置き、片手で頭を撫でた。
せめてルイズが満足するまで。それぐらいは。
「ねぇ、先生」
「ん?」
「絶対、封印を成功させましょうね」
「……ああ。絶対に」
頷きながら、ルイズの気持ちを受け取るように言葉を返す。
そう。絶対に帰ってみせる。
決意は硬く。ミッドチルダに戻り、元の生活に戻る。
自分がいるべき場所はハルケギニアではない。
寄り道を終え、ミッドチルダに帰ってみせる。
まだ門の封印に対する有効な策は見付かっていない。
しかし可能性という可能性が潰されるまでは絶対に諦めないと、再び誓う。
最後に一度だけ額を強く押し付けると、ルイズはカールのシャツを掴みながら身体を離した。
指で目元を拭い、小さな咳をすると、溜息を一つ。
そうして彼女は俯いていた顔を上げる。目元は腫れて、目は充血していたが、表情は笑顔に。
……そんな風に、話が一段落した時だった。
「……もうそろそろ、良いだろうか」
不意に聞こえた声に、カールとルイズはビクリと震え上がった。
二人が同時に振り返ると、テラスの入り口に所在なさげなビダーシャルが立っている。
彼は目を逸らしながら申し訳なさそうにテラスへ入ってくると、咳払いを一つ。
そして何事もなかったかのように口を開いた。
「会議が終わった。
決まったことを教えようと思ってな」
「あー……わざわざ、すまない」
「気にするな」
云いながら、ビダーシャルはちらりとルイズに視線を向けた。
彼女がいる前で云っても良いのか、と聞いているのだろう。
カールが首を横に振ると、小さく頷いたビダーシャルは口を開く。
「やはり門の封印は行うべき、というのが評議会の意向だ。
封印の経年劣化、それの補修も既に我々の手でできる段階を越えている。
完全な封印を行えなくとも、最低でも補強をしてもらうとな」
ビダーシャルは、カールがルイズに隠しているいくつかの事情を知っている。
それらを敢えて口に出さず、説明を勧めるつもりなのだろう。
「……やっぱりか。
日程は?」
「まだ決まってはいない。
だが、あまり先延ばしにすることは出来ないだろう。
ミッドチルダ人が見付かったということで、評議会も急いている。
何も動きを見せなければ、数日中に要請がくるはずだ」
「そうか……」
あまり時間はない――何もしなければ、すぐにタイムリミットは訪れてしまう。
ならばそれより先に封印の術を模索しなければならないが――
「……少し現状を整理したい。
説明がてら、聞いてくれるか?」
「頼む」
「あの、私も聞いて良いですか?」
「ああ、かまわない。
……まず最初に、シャイターンの門について説明しよう。
あの門の状態を噛み砕いて説明するなら……風船のようなものだと思ってくれて良い」
「……ふうせん?」
説明しようとしたカールだが、早速躓いてしまう。
ルイズとビダーシャルは眉根を寄せながら、その単語の意味を考えているようだった。
二人の様子を見て、この世界には風船が生まれてないのかとカールは気付く。
「じゃあ気球……いや、ええっと、革袋で。
一枚の金貨が入った革袋。それを想像して欲しい。
その金貨には魔法がかかっている。大気中に存在する魔力素を吸収すると、勝手に銀貨を生み出してゆくんだ。
時間が経つ毎に銀貨が増えていって……ルイズ、そうすると革袋はどうなる?」
「ええっと、口がしっかり縛ってあったら、破れます」
「そうだ。それが封印の現状。
中の銀貨に押されて、革袋が破れようとしている。
今までミッドチルダ人が何度も破れかかった革袋を補修してきたけど、それが限界に達しつつあるんだ。
それを防ぐためには大本である、銀貨を増やす魔法の金貨を封印して、その機能を停止させなければならない。
けれど――金貨を囲む銀貨が、それを邪魔してるんだ。
封印魔法を放ったとしても、貯まりに貯まった銀貨が層となっていて、簡単に打ち破れない。
誰もが金貨を封印すれば良いと分かっているのに、銀貨の層を貫けないから、諦めて革袋の補修で誤魔化し続けてきた。
……そんなところかな」
「例えがお金だからあまり緊迫感がありませんけれど、それでも、銀貨に大地が埋め尽くされたら大変ですね」
「ああ。ありがたみなんて全然ない」
確かに変な例えだった。
一度笑うと気を引き締めて、カールは説明を続ける。
「……エルフの魔導師やルイズに協力をしてもらっても、門の核とも云えるロストロギアに封印魔法は届かない。
やってみなければ断言はできないけど、俺の予想では十中八九失敗する。
都合の良い奇蹟が起これば別かもしれないが……どんな奇蹟を起こせば成功するのかすら、分からない。
問題が単純すぎるんだ。ただ威力が足りない。それだけ。
その足りない威力をどこから持ってくるか……っていうのが、分からない。
しかし、純魔力砲撃を使える魔導師をこれ以上増えないし、今から質を上げてもたかが知れてる。
……やらないよりはマシ、という程度だ」
何かないのか。
強力な決定打になる一撃が欲しいとカールが願っても、執れる手段は限られている。
「あの……先生の力でも、やっぱり封印はできないんですか?」
「分からない、としか云えないんだ。
俺が全力を出しても……多分、こいつが着いてこれないだろうし」
「着いてこれないって、カブリオレが?」
「……ああ」
カールが胸ポケットから待機状態のカブリオレを取り出すと、ルイズは驚いたように目を丸くした。
彼女からすれば信じられないことなのだろう。
光の杖と呼ばれているが、ルイズの使うデバイスは管理局で使われている汎用デバイスだ。
そしてカブリオレがその汎用デバイスの完全な上位互換であると知っているからこそ、彼女は驚いたのだろう。
リミットブレイク。カートリッジ。ガンダールヴ。
それら三つの要素はカールに絶大な力を与えてくれるものの、今のカールはポテンシャルを最大限に発揮できるわけではない。
以前のカールならばまだ良かった。だが、今のカールは違う。
ガンダールヴのルーンによって水増しされた力の受け皿として、カブリオレは力不足なのだ。
もともとカールは汎用性に富んだ魔導師だった。
すべての技術を高水準で会得した魔導師。
そんなカールの能力を十全に発揮するため、カブリオレも主人と同じよう、一般局員が使う汎用デバイスをそのままチューンしたようなデバイスなのだ。
欠点と云えば役割が多いために操作が難しいぐらい。それ以外は、全能力が平均水準を大きく超えたデバイス、カブリオレ。
だが―― 一芸に秀でたデバイスと性能を比べた場合、カブリオレはどうしても負けてしまう部分が出る。
否。一芸に秀でた分、比較対象もまたカブリオレに負ける部分はあるだろう。
すべてにおいて優れた優等生。だがその反面、特化性能を持たないのがカブリオレの欠点と云える。
いや、これは欠点と云って良いものではない。ただの仕様だ。
カブリオレが優秀なデバイスであることは、持ち主であるカールが一番良く知っているのだから。
だが――門の封印に必要とされる性能が、カブリオレにはない。
リミットブレイク、カートリッジロード、ダンガールヴによって水増しされた力。
それらの強大な出力に、カブリオレはおそらく耐えられない。
カールの力がピークに達するよりも早く、限界に達してしまうだろう。
……しかし、カールも分かっている。これはただの無いものねだりだ。
「……配られた手札で勝負をするしかない。
それは分かっているんだけど、自らが全力を尽くせないのは悔しいな」
「カール」
手に持ったカブリオレに視線を落としていると、ビダーシャルが声をかけてきた。
見れば、彼は考え込むような表情をしたまま、口を開く。
「着いてきて欲しい場所がある」
「着いてきて欲しい場所?」
「ああ」
頷き、ビダーシャルは懐から一本の鍵を取り出した。
年季の入ったソレを揺らしながら、彼は踵を返す。
その様子にカールとルイズは顔を合わせて訝しがるも、ビダーシャルは止まることなく先導を始めた。
廊下を進み、先住魔法で作られたエレベーターで下におり、階段を使って更に下へ。
行政機関の中心部であるカスバの地下には牢獄がある。
が、その他にも一般には解放されていない書庫や、武器庫が存在していた。
その武器庫に収められているのは、通常の武器ではない。
ここには――
ビダーシャルに案内されて辿り着いた武器庫の扉を開いて、カールはすぐに目を見開いた。
続いて、ルイズは唖然とするように口を開く。
それもそうだろう。何故ならば、武器庫の中には数多もの杖――そう、次元世界縁のデバイスなどが並べられていたから。
「ビダーシャル、これは……?」
「ミッドチルダ人の言葉だが、シャイターンの門周辺は空間が不安定になっているらしい。
人間たちの魔法、サモン・サーヴァントの発動時に発生する鏡と似た門が開くのだ。
それを通して、稀に異世界からの漂着物が流れ着く。
我らはそれらを集め、ここに保管しているのだ。……すべてでは、ないが」
「すべてではない?」
「ああ。シャイターンの門の周辺には、人間の盗掘者が隠れている。
その者たちが武器を持ち去ることがあるため、すべてを確保できているわけではない。
……話が逸れたな。
カール。力が足りないと、君は云っていたな。
ならば、ここにある武器をその足しにすることはできないだろうか。
何を使っても良い。所詮、我らが持っていても宝の持ち腐れだ」
「……分かった」
ビダーシャルの言葉に頷いて、カールは武器庫の中へと進んだ。
そして武器を一つ一つ手にとってゆき、使えるかどうかを確かめてゆく。
カールは技術畑の人間というわけではない。
そのため、どの武器が使い物になるのかなど分からないが――今の彼には、ガンダールヴのルーンがある。
あらゆる武器を使いこなす、神の盾。
そのルーンが教えてくれる。武器の保存状況。稼働状況。種類。そういったものを、すべて。
一つ一つ武器を手に取り、カールはその度に目を細めた。
保存状態はどれも良好。固定化と同じ種類の魔法を、エルフたちがかけているのだろう。
壊れているものや老朽化したものは、最初からそうだったと考えるべきなのかもしれない。
大半が汎用デバイスかそれに近い物。
稀に個人用にカスタマイズされたワンオフのデバイスがあったりすれば、古代ベルカで使われていた、現行技術と比べれば骨董品扱いのアームドデバイスがあったりする。
中にはガジェットや、それに近い機械兵器の残骸もあった。カートリッジなどのパーツも。
機能を停止したユニゾンデバイスの器。エクリプス・ウィルスという生体兵器のトリガーとなるもの。
カールの常識から考えてもロストロギアに匹敵する代物まであったが――
「これは……!?」
保管されている中でも一際巨大なデバイスを手にして、カールは思わず声を漏らした。
何故ならば、カールが手に取った武器は、有り得ないはずのものだから――
「先生、どうかしたんですか?」
「いや……」
動揺が顔に出たのだろう。
心配そうに声をかけてくるルイズに返事をしながらも、目はデバイスに釘付けになってしまう。
カールが手にしているデバイス。それは、絶対に有り得ないものなのだ。
――第五世代デバイス。
カールの所属する戦技教導隊で開発の進められていた武器。それは良い。知っている。
ただ――その第五世代デバイスは、まだ設計図でしかなかったずだ。
デザインすら決まっていない。設計思想がようやくまとまり、図面に引き起こされている最中の武器。
そのため量産などされているはずがなく、試作機や実験機すら産声を上げていないはずの――
だが、カールの手にする第五世代型デバイスは違う。
シリアルナンバーから察するに、これは第四ロットの十三番機。
これは、既に量産が行われてから相応の月日が経っていることを示している。
有り得ない。こんなものが存在するはずがない。
だが――混乱している最中、これさえあればと光明が差す。
第五世代デバイスとは、拡大する次元犯罪に対する切り札であるエース級魔導師の力を底上げするために開発された代物だ。
扱いは難しく、仕上がりはピーキー。希少技能保有者や高い魔力操作技術を持つ者でなければ扱えないデバイス。
エース、ストライカー級魔導師の使うデバイスは、どれもワンオフとして製造されるためコストパフォーマンスが劣悪なのだ。
それを改善するため、"エース用の汎用デバイス"とでも云うべき武器として開発が行われていた。
設計思想の段階で一般の局員を除外し、エース、ストライカー級魔導師が扱うことを念頭に置いた兵器。
そして――カールはその、一握りの魔導師である。
ガンダールヴのルーンも味方している。馴染みのない武器であっても、使いこなす自信がある。
疑念が頭にこびりついたままではあるが、それを気にしている場合じゃない。
カールはその第五世代型デバイスを手に取り、持ち上げた。
「……それを、選んだか」
「何か、あるのか?」
「いや。言い伝えがあるだけだ」
「言い伝えって、何よ」
勿体ぶるなとばかりにルイズが声を上げると、何が可笑しいのか、ビダーシャルは頬を緩めた。
彼にしては珍しく、純粋な笑みを。どこか、子供っぽさすら覗かせる。
「云っていたのだ。この武器を見たミッドチルダ人がな。
もしこれを十全に扱える者が訪れたら――もしかしたらその人物は、シャイターンの門を完全に封印するかもしれないと」
「……云われなくてもするつもりだ」
「そうか。心強い」
第五世代型デバイス。それを手に取り、カールたちは武器庫から再び地上へと戻る。
これより開始されるシャイターンの門、その封印。
切り札となる武器が手に入った今、その成功確率は――
日はとっくに暮れている。
天に浮かぶのは群青と桃色に彩られた二つの月。雲はなく、澄み渡った夜空には星が溢れかえっている。
その下で――広大な砂漠の一角は、人工の灯りで充ち満ちていた。
人間側で云うのならば魔法のランプ。エルフ側で云うならば精霊の灯り。
それによって照らし出されている石棺の周囲には数多ものエルフが展開していた。
カールが第五世代デバイスを手にしたその翌日。
シャイターンの門が存在する渓谷には、エルフの戦闘部隊が展開していた。
地上に展開しているのは、石棺の封印を解くエルフの戦士。
誰もが作戦の決行時刻をじっと待ち続けている。
対して空には、十二の魔力光を纏う人影が浮かんでいた。
その内の十は、エルフのミッドチルダ式魔導師だ。
彼らはそれぞれのデバイスを構え、足下にミッドチルダ式魔法陣を展開しながら、個々にデバイスの最終調整を行っている。
その中で寄り添う一組の人間――カールとルイズは、デバイスを手に持ちながら夜風に髪を靡かせている。
ルイズが手にしているデバイスは光の杖ではなく、カブリオレ。
光の杖にはフルドライブモードが実装されてはいるが、汎用デバイスのため叩き出せる最大出力が低い。
何よりも火力が要求されるこの作戦で光の杖を使っては効果が薄いと、彼女はカールのデバイスを手にしていた。
元々がカールのデバイスであるため、扱いづらくはあるだろう。
だが今は戦闘をするというわけではない。ただひたすらに全魔力をデバイスに込めて、強大な一撃を叩き込む。
それだけならば、慣れないデバイスでも可能だ――と、この作戦が始まる前の練習でカールは教え込んでいた。
そしてカール。彼は第五世代型デバイスを、両手で保持しながら腰に構えていた。
そう、腰に、だ。
扱いやすさを捨て去ったこの第五世代型デバイスの砲撃形態。
通常時は長杖の姿を取っているが、砲撃特化のモードに移行すると、このデバイスは姿を変えるのだ。
巨大な砲口と、長大なバレル。上部に備え付けられたカートリッジの口径は、弾丸と云うよりも砲弾と云って良い。
本体は変形時に亜空間から呼び出し、合体した冷却器と加速器により肥大化し、個人で運用できるサイズを超えているだろう。
おそらくこのデバイスは、陸戦魔導師が地上で使うもののはずだ。
その証拠とでも云うように、下部には固定用のパイルバンカーと、二脚が取り付けてある。
それをカールは空中で使用する。本来ならばとても持てたものではないだろうが、ルーンの補助によって身体能力が上昇しているために可能なのだ。
『決行時刻になりました。
これより、作戦を開始します』
周囲に念話が響き渡る。
オペレーターとして念話を行っているのは、封印を行えるだけの技量に達していなかったミッドチルダ式の魔導師だ。
その声に従い、地上に展開しているエルフ、空の魔導師、そしてカールたちは息を呑んだ。
「……先生」
「大丈夫。俺たちならやれる。
ルイズはルイズの役割をしっかり果たすんだ」
「……はい」
強ばった表情で、ルイズは小さく頷く。
緊張するなと云う方が無理だとカールも分かっているし、生真面目な彼女の性格を良く知っている。
だから――
「……頼むぞルイズ。力を貸してくれ」
「はいっ!」
落ち着かせるのではなく、より意気込ませる方向に激励をして、カールは石棺へと視線を向けた。
瞬間、この渓谷を囲む空気の流れが変わる。
比喩ではない。風の精霊に助力を乞い、大気中に存在する魔力をこの石棺周辺に集めたのだ。
『各員、砲撃体勢』
再び念話が届くと同時、空に浮かぶエルフたちは己のデバイスをフルドライブモードへと移行した。
解放される魔力の奔流によって大気が打ち震える。それぞれ異なる魔力光によって、夜空が煌々と輝く。
その中で――
「フルドライブ――エクセリオン!」
一際強烈な桃色の輝きが、それらのすべてを圧倒した。
エルフたちの資質が劣っているわけではない。カールの見立てでも、封印に協力してくれる魔導師たちの実力は空戦Aランクに達している。
教え導く者がいなくとも、自分たちだけで技術を磨き続けてきたのだろう。決して、弱くはない。
だが、技術云々ではなく、ルイズの資質が――高ランク魔導師としての資質は、この中の誰よりも高い。
身体に宿せる魔力。その器の大きさは、生まれた時点で大きさが決まってしまう。
それは絶対の理であり、かつ、無慈悲なルールとして魔導師の強さに関係してくる。
そしてルイズは――未だ技術は未熟なのだとしても、器の大きさ、魔力資質という一点に関しては、このハルケギニアにおいて最高と云っても過言ではないだろう。
ともすればカールすら越えているその才能が、サハラの地で初めて完全解放される。
吹き上がる魔力の奔流に髪を踊らせながら、ルイズは足下に巨大な魔法陣を展開した。
次いで、彼女の前方に桃色のスフィアが形成される。紫電を散らし、大気を軋ませながら出現したその魔法――ディバインバスター。
桃色の輝きと相まって、自分以外の誰かがこれを使うのを再び見れたことが、カールにとって最大の応援となった。
小さく息を吐き、カールはデバイスを起動させる。
デバイスは起動させるだけでも魔力を使用するのだ。
まだ余裕はあると云っても、やはり限界が近い身体である以上、余分な負荷はかけたくなかった。
そのためカールはずっとデバイスを停止させたまま、この瞬間に臨んでいたのだ。
デバイスコアに火が灯ると同時、第五世代型デバイスがカールの魔力を吸い上げる。
見た目に違わず、このデバイスの稼働に必要な魔力は莫大だ。それこそ、稼働させるだけで胸の軋みを覚えるほどに。
だが今この瞬間だけは、その効率の悪さに頼もしさを覚える。燃費が悪くとも、発揮される性能がカブリオレとは桁違いだということを、ルーンが教えてくれるから。
『石棺を解放します。
カウントダウン、10、9、8……』
秒読みが開始される。
この作戦では、石棺を一度崩壊させてから封印を行うと決められていた。
石棺内で封印を行うことはできるが、その場合、石棺内の汚染された大気から身を守るためバリアジャケットに余力を割かねばならない。
だが石棺を解放すれば、外から包囲し砲撃を叩き込むことができる。
一か八かの賭けだ。もし封印が失敗すれば、再び石棺を作るまで魔力によって大地が汚染され続けるのだから。
『5、4、3……』
ビギリ、と重々しくも甲高い音が上がる。
石棺に巨大なヒビが走り、細かな破片が地上へと落下し始める。
そうして――
『2、1、0』
カウントがゼロを示した瞬間、石棺は粉々に砕け散った。
岩のドームは砂と化して、内部から吹き荒ぶ圧力によって爆ぜる。
それと同時に顔を出す、極彩色の球体。原始的な魔力炉。シャイターンの門。
放射される魔力に大気がわななく。それはまるで、解放され歓喜の声を上げているよう。
過去、封印に挑戦した者たちの魔力光を身に纏うその姿は絢爛であるが、その一方で、荒廃を示唆する輝きのようにも映る。
「――――――――ッッッ!」
そして、顔を出したシャイターンの門を黙って見ている者など、ここにはいない。
誰もが絶叫に近いトリガーワードを口にして、砲撃魔法を叩き込む。
純魔力による強力無比な攻撃。
その飽和射撃に晒されても、シャイターンの門は封印できない。
勢いを弱めることはできる。今までと同じように。
だが、あまりにも内包する魔力が桁違いであるため、完全に停止されるにはほど遠い――
だからこそシャイターンの門は忌むべきものとしてエルフが守り続け、封印に執念を燃やしてきたのだ。
誰もが分かっている。化け物と形容するに相応しい存在を、簡単に打ち倒せるはずがないと。
だが、
「ディバイン――」
トリガーワードが紡がれると同時、カートリッジが次々と炸裂する。
桃色の輝きがシャイターンの門に負けじと鮮烈に産声を上げ、
「――バスタァアアアアア!」
詠唱の終了と共に、桃色の閃光がシャイターンの門へと突き刺さる。
太く、長大な砲撃魔法。それはただの一撃で終わることはない。
ルイズは己の魔力が尽きるその時まで砲撃を止めないと、歯を食い縛って照射を続ける。
「……集え、明星。
すべてを焼き消す焔となれ」
砲撃を続けるルイズの背後で、カールは第五世代型デバイスを構えながら、トリガーワードの一節を口にした。
瞬間、彼の周囲に群青色の輝きが集う。
それはまるで流星群のように。急激に集束される魔力の勢いにより、大気が甲高く合唱を始める。
デバイスを握る手に力を込め、カールもまた歯を食い縛りながら、バレルの前方に巨大なスフィアを形作る。
その大きさはルイズの作ったスフィアの比ではない。
そう、これは集束砲撃なのだ。戦場に浮遊する魔力の残滓を掻き集め、再利用し、一カ所に練り上げて砲撃を形成する大技。
単純な威力で見るならば、集束砲撃にカテゴライズされる魔法は、他のどの攻撃魔法よりも上を行っている。
もっとも、それは掻き集める魔力の量が莫大であるという条件付きだが――その条件が、この戦場には揃っていた。
先住魔法によって集められた魔力。
エルフによって加えられた砲撃。
そして今も続いている、ルイズの強力な魔法。
それら三つの残滓を掻き集め、カールは、過去自分でも放ったことのない一撃に臨もうとしている――
「ぐ、あ……っ!」
だが、いくらガンダールヴの補助があるからと云って、限界を大きく超えた魔法を容易く放てるはずがない。
自らのキャパシティを越えた一撃。未だかつて放ったことがないというのは、博打を打ってこなかったということを示す。
ガンダールヴのルーンという、以前の自分にはない要素があるため成功すると踏んでいたが――
まるで身体の中から軋む音が聞こえてくるよう。
フルドライブを使用し、持てる技術の限界を超えて集束を行っているのに、まだ届くか怪しい。
諦めるわけにはいかない。今の状態で砲撃を放てば、十中八九失敗するだろう。
――絶対に諦めない。
ミッドチルダに帰るという決意は固く、そのために必要な要素は揃えられるだけ揃えた。
協力してくれるルイズの気持ちを無駄にはしたくない。なんとしてでも成功させてみせる。
だが気持ちとは裏腹に、身体はカールの意思を裏切り始める。
デバイスを握る両腕は痺れだし、指先からゆっくりと感覚が抜け始める。
リンカーコアの発する激痛で意識が削がれてゆき、今すぐにでも苦痛から逃れたくなる誘惑に駆られる。
逃げ出したあとには何も残らないと分かっているのに、今さえ良ければと思ってしまう――
「――先生ッ!」
意識も身体もバラバラになりそうな中で、甲高い声が響いた。
それは悲鳴にも似ていて、だからこそカールの意識が輪郭を取り戻す。
泣き出しそうなルイズの声。教え子のそんな顔は見たくないし、声も聞きたくないから。
「頑張って……頑張ってください!
私は先生の手伝いしかできないんです……封印を成功させるには、先生が頑張らないといけないんです!」
そんなことは分かっている。
シャイターンの門を封印できるのは自分だけ。
いくら他者から助力を得ようと、一番厳しいところは自ら行わなければならない。
そして――
「負けないで……! カール、あなたは私の先生なんでしょう!?
だったら、格好良いところ見せてよ! 自慢の先生だって、誇れるように!
エルフの伝説なんて簡単にねじ伏せられる、すごい人なんだって!」
――ルイズの叫びが、頭に響いた。
「ミッドチルダに連れて行ってくれるんでしょう!?
好きな人がいるんでしょう!?
だったら、こんなところで負けないで! 戦って!」
ぼやけていた視界、力を失っていた四肢、それらに力が舞い戻る。
何故か――それは、カールの左手に刻まれたルーンが、燦然と輝いているから。
今までよりもずっと強く。アルビオンで戦った時と同じか、それ以上に。
一つの感情がカールの胸に宿る。それを言葉に表すならば、強がり、だろう。
生徒の前で――いや、ルイズという女の子の前で無様な姿を見せたくはなかった。
見てみれば分かる。心配そうな顔をしながらも、彼女はカールの成功を信じて砲撃を続けている。
カートリッジを次々とロードして、足りなくなればマガジンをセットして。
ルイズは、カールが砲撃を放つその瞬間を待っている。必ずやってくれると。その根拠は――カールに対する、絶対の信頼。
あの子らしい。そんなことを、カールは思う。
貴族の家に生まれたということもあるだろう。
だがそれ以上に、ルイズという女の子は、何よりも気高さ――精神性を尊重する。
自分にも、他人にも。そしてカールを信ずるに値すると思ってくれているからこそ、堪え忍んでいる。
その信頼が、温かく、痛かった。
彼女は知っているだろうか。声援をかけられる直前まで、弱気の虫にカールが飲まれかかっていたことを。
いや、知らないだろう。想像すらしていないに違いない。
何故なら――ルイズにとってのカールは、そんな弱虫じゃないから。
確かにカールはエース、ストライカーと呼ばれる魔導師ではある。
けれどやはり人間でしかなくて、その力には限界があるのだ。
それこそ、シャイターンの門なんていうロストロギアの前に屈してしまいそうなほどに。
けれど――
「……リミットブレイク」
ともすれば聞き逃してしまうほどに小さな呟きを、しかし、第五世代型デバイスは受け取った。
デバイスコアが燦然と輝き、出力を増す。
カールから魔力を一気に吸い上げて、限界を超えて自らの使命を果たさんと稼働を始める。
流星群のように集っていた魔力。
だがそれは、カールがリミットブレイクを発動させたことによって――ルーンの輝きが最高潮に達することにより、激変する。
例えるならばミルキーウェイ。シャイターンの門の周辺に存在する魔力、そのすべてが群青色の輝きとなって、巨大なスフィアに飲み込まれてゆく。
無論、そんな凄まじい集束を行ってカールが無事であるはずがない。
構築しているのが集束砲撃であるため攻撃に魔力を食われることはないが、最悪と云える燃費の第五世代デバイス、そのリミットブレイクモードに魔力が一気に持って行かれる。
結果、魔力を失ったリンカーコアがそれを補填するために魔力素を取り込み、胸が軋み出す。
毛細血管は爆ぜ、頬を血が伝う。激痛に耐えて食い縛った歯は砕けている。
ルーンが発動しているにもかかわらず、耐え難い激痛が襲いかかってくる。
だが既に――そんなものでは、カールを止めることはできない。
第五世代型デバイスをしっかりと構え、照準を定める。
霞む視界の中、己の敵をただ見定めて、カールは息を吐き――
「ルシフェリオン――」
スターライトブレイカー。
それと似た性質を持つ砲撃魔法を放たんと、トリガーワードを紡いだ。
「ブレイカァァァァァァァ――――ッ!」
極限まで集束された砲撃魔法は、光の濁流となってシャイターンの門へと押し寄せる。
纏われていた極彩色の輝きの上から、群青の光条が炸裂する。
その閃光を直視すれば、目が灼かれるだろう。それほどまでにぶちまけられた光は凄まじい。
轟音が大気を揺るがし、大地は震撼する。
純魔力による攻撃に物理的破壊力など存在しないはずなのに、その余波だけで悲鳴を上げる。
激突は一瞬。
溜めに溜められた魔力の塊と、暴走を続けるロストロギア。
それら二つが真正面から激突した結果――
巻き上がった砂塵を、カールは第五世代型デバイスを構えながら睨む。
息は上がり、飛行魔法を維持するだけでも辛い。
ルーンは発動しているものの、全身にまとわりつく気怠さはかつてないほど。
だがそれでも、カールは目を閉じない。諦めない。
自分の全力が届いたのか、確認するために――
見惚れた――目の前の光景に対し、ルイズの心境は正にそれだった。
六千年。気が遠くなるほどに長い歴史の中で人知れず災厄を振りまき続けていたシャイターンの門は、群青の光に包まれて活動を停止した。
思い返すだでも身震いしてしまう。放たれた集束砲撃。ルイズでは真似できない完成度と威力で放たれた魔法。
いつかは自分も――普段のルイズならそう思っただろう。だが今は違う。
……やっぱり先生はすごい。
そんな言葉が、脳裏に浮かんでいた。
これが難しい作戦であることは知っていた。
そもそもエルフたちが六千年という年月をかけても封じることの叶わなかった代物だ。
それをカールが封じることができなくても、なんら恥じることはないだろう。
……それでもカールはやり遂げた。未だかつて、誰一人成功しなかった賭けに打ち勝った。
いや、賭けなんかじゃない。カール以外の誰も、封印は成し遂げられなかったのだから。
カールは、カールにしか出来ないことをやり遂げた。
わっ、と歓声が湧き上がる。
長い間宿命付けられていた門の封印を叶えることができたのだ。当然だろう。
深夜の砂漠に木霊する声のすべてがカールを称賛しているようで、ルイズは少しだけ誇らしかった。
自分にとって唯一の先生。誰にも成し遂げられないことをやった人。
他人の評価をあまり気にする人間ではないルイズだったが、それでも、認められるということは嬉しい。
まるで自分のことのように嬉しかった。
……そうだ。こんな風に、自分には決してできないことをやってしまえるカールだからこそ、ルイズは側にいたいと思った。
どんな困難を前にしても立ち向かって、必ず勝つ。
それはまるで、子供の頃に読んだ童話の勇者のように。ルイズの憧れるメイジのように。
……カールをすごいと思ってしまうと、やはり僅かな悲しさが込み上げてくる。
生まれて初めて経験した失恋。その辛さは、今でも胸を締め付ける。
子供のように拗ねて、自分のことを見て欲しいと泣きわめきたくなる。
けれどそんなみっともない姿をカールには見せたくないから我慢。
それに――こんな大仕事をやり遂げたカールを前にして、困らせるようなことはしたくないから。
たとえ振られたのだとしても、好きという気持ちに変わりはない。
そしてやっぱり、好きな人の前では変な姿を晒したくなかったから。
「先生、やりましたね!」
頬を緩ませ、ルイズは振り返る。
きっと疲れ果てているだろう。地上まで肩を貸した方が良いのかな。
そんなことを思って――思いも寄らぬカールの姿に、絶句した。
「……先生?」
ルイズの声に、カールは応えない。
彼は俯き加減のまま、右手で胸元を抑えている。何かを押し止めるように。もしくは、抉り出そうとしているかのように。
前髪で表情は見えないが、僅かに覗いている口元は苦しげに引き結ばれていた。
そして――巨大なデバイスを保持する左手。
その甲に刻まれた輝きが消えた瞬間、まるで蝋燭の火が消えるように、カールの身体は地面に向かって落下を始めた。
「先生!」
僅かに遅れて、ルイズはカールを追う。
自分の意思で降下したわけではないことぐらい分かっている。気絶した? でも、どうして――
確かにカールはリミットブレイクを発動させたが、あの苦しみ方は尋常じゃない。
砲撃魔法の反動にしたって、気絶するほど凄まじいとは聞いてない。
なんで、どうして、と疑問が脳裏を埋め尽くす中、ルイズは必死にカールを追い、地面に叩き付けられる寸前で勢いを殺すことに成功した。
だが着地しようとして、ルイズもその場に転んでしまう。
砂の地面に打ち付けられ、口に入った砂を吐き出しながら、足に力が入らないことに驚いた。
確かにフルドライブモードやカートリッジを使ったのは初めてだった。
だがそれでも、ここまで消耗するなんて。
戸惑いながらも、ルイズはすぐにカールの元に這ってゆく。
砂にまみれたカールは、微塵も動かない。その姿はルイズに嫌な想像を抱かせた。
そんなこと有り得ない。頭を振って想像を打ち払うと、ルイズは俯せのカールを仰向けにし、肩を揺すった。
「先生、どうしたんですか!?
先生!」
だがやはり、カールは返事をしない。
おそるおそる胸板に手を置けば、心臓は確かに動いている。
けれど顔色は最悪で、青白く、血の気というものが一切抜け落ちていた。
死んではいないのかもしれない。
けれど――
「先生、先生! 起きて!
どうしたの!?」
叫び声を上げ、ルイズはカールの肩を揺する。
治癒魔法を使う、秘薬を使う。そういった考えは浮かばない。
ルイズにとって絶対と信じていたカールが倒れてしまったことには、それだけの衝撃があった。
まるで幼い子供のように、ルイズは瞳に涙を溜めながら、カールに縋る。
そうしていると、ようやくカールの異変に気付いたエルフたちが近付いてきた。
ゆっくりと人垣が出来てゆく中、急いで駆け寄ってくる影がある。
ルクシャナとビダーシャルだ。ビダーシャルは、作戦が始まる前に預けられたデルフリンガーを背負っている。
「どうしたの!?」
ルイズたちの元に到着したルクシャナは、すぐにしゃがみ込むとルイズに声をかける。
だがルイズは上手く言葉を口にすることができなかった。
唇はわなないて、頭が真っ白になり、何を云えばいいのか分からない。
できたことは、頭を振ることだけだった。
そんなルイズの様子に何を思ったのだろうか。
ルクシャナは普段の明るさからは想像できない真剣な表情を見せると、腰に下げたポーチから水筒を取り出す。
中に入っている水を気絶したカールに飲ませながら、彼女は呪文を口にした。
先住の水の魔法だ。砂漠という環境では、水の精霊から助力を乞うことはできないのだろう。
そのため、持ち込んだ水を媒介に彼女はカールの治療を始める。
ルイズは、その様子をただ見守ることしかできなかった。
冷静さは徐々に戻ってきたものの、どうしてこんなことになったのかが分からない。
一体、どうして――
「ミッドチルダ式の魔導師は、強力な魔法を使うと大きな反動があると聞く。
おそらくカールは、シャイターンの門を封印した反動で気を失ってしまったのだろう」
「そう……なの……?」
ビダーシャルが口にした言葉に、おずおずとルイズは問いかける。
縋るような視線を向けるルイズにビダーシャルは頷くと、デルフリンガーを地面に起きながら、ルクシャナと同じように片膝を着いてルイズたちと視線を合わせた。
安心させるようにビダーシャルは笑いかけようとしたが、
「ぎ――あぁぁぁぁあああああああ……ッ!」
喉が裂けんばかりに上げられた絶叫にビクリと身体を震わせる。
声を上げたのはカールだ。意識を取り戻したのだろう。
彼は地面に横たわったまま、しかし、叫びを上げて身悶える。
ルクシャナとビダーシャルがそれを抑え付けるが、カールは胸を掻きむしろうとするように腕を振り回した。
「ルクシャナ、何をした!?」
「わ、私、何もしてないわ叔父さま!
傷を治すよう水の精霊に頼んだけど、それだけよ!
苦しませるようなことなんて、何もしてない!」
「……分かった。ならば私が試してみよう」
「止めとけ止めとけ。お前らじゃどうにもならねぇよ」
ビダーシャルが魔法を発動させようとした瞬間、ずっと黙り込んでいたデルフリンガーが声を上げた。
ルイズはすぐにデルフリンガーを手に取ると、八つ当たりのように声を上げる。
「どういう意味よ骨董品!
あんた、何か知ってるの!?」
「ああ、知ってるぜ娘っ子。
相棒のそれは、治りようのない病気なんだよ。ハルケギニアではね。
精神力の器に、ヒビが入っているのさ。
水の秘薬や先住でなんとか出来るのは、血の通ってる部分だけ。
精神力の器は、治しようがねぇよ」
「……な、なんなのよ、それ」
いきなりの説明に、ルイズは言葉を詰まらせた。
デルフリンガーの云っていることは良く分からない。
だが同時に、とてつもなく嫌な予感のする言葉なのではないかと思ったのだ。
精神力の器にヒビが入っている――それは一体、どういうことなのだろう。
ミッドチルダ、ハルケギニア、その両方に住む人間にはリンカーコアというものが存在している。
そしてそのリンカーコアを介して、どちらの世界も魔法を使用することに変わりはないのだ。
デルフリンガーの云う精神力の器とは、おそらくリンカーコアのこと。
それにヒビが入っている。魔法を使うために必要不可欠な器官が傷付いている――医学に関して素人であるルイズが聞いても、無視して良いことではないと分かる。
「だったら、そのヒビを治せば良いじゃないの!
ビダーシャル、あの、先生の胸のところに――」
「だから無駄なんだよ。治せるなら相棒がとっくの昔に治してる。
けどこうなっちまってるのはどうしてだ? 答えは簡単、治せねぇからだ。
それだけの話だろ」
「うるさい、骨董品!
だったらどうしろっていうのよ!
こんなにも先生が苦しんでるのに、放っておけるわけないじゃない!」
もう良いとばかりにデルフリンガーを投げ出すと、ルイズは縋るような視線をビダーシャルに向けた。
彼は頷きだけを返し、水を持ってきてくれと指示を飛ばす。
持ち込まれた水に片っ端から契約し、ビダーシャルはカールを癒そうと力を注ぐ。
だが、カールはずっと苦悶の声を上げ続けるばかりだ。魔法の使用で破れた毛細血管や砕けた歯は元通りになっても、苦しみ続けている。
ルイズはそれを、黙って見ていることしかできない――
「おい娘っ子。俺の話を聞け。
いつまで現実逃避してんだよ。相棒を助ける方法はあるぜ」
「方法? 何があるっていうのよ!」
「落ち着けよ。冷静になれ。
良いか? 今まで相棒が苦しんでいたのは、どうしてだ?
治療しようとしてもできなかったのはどうしてだ?
答えは簡単。ミッドチルダに帰れなかったからだ」
「……え?」
デルフが口にした言葉に、ルイズは目を瞬いた。
「……嘘云わないで。
先生は私の見ていないところで、転送魔法を使って帰ってたと云ってたわ」
そう。ルイズに次元世界のことを気付かれないよう、カールは自分が異世界人であることを隠していた。
だからルイズの知らないところで、カールはミッドチルダに帰っていて――
「そりゃ嘘だ。気付けよ娘っ子。
ミッドチルダに帰れるなら、大博打を俺たちだけで打つわけねぇだろ?
相棒が組織から応援を呼ぶだろうさ。けど、そうしなかった。なんでかってーと、呼べないからだ」
……じゃあカールは、一度もミッドチルダへ帰っていなかった?
「そもそもサハラくんだりまで来たのにだって、理由はある。
シャイターンの門が引き起こす、ええっと、次元震だったか? それが影響して、相棒はミッドチルダに帰れなかったんだとよ。
その原因を取り除くために、相棒はエルフに力を貸したんだ」
デルフリンガーの言葉が遠く感じる。
カールはずっとハルケギニアにいた。だというのに、帰っているなんて嘘を吐いていた。
リンカーコアにヒビまで入れて、苦しんでいたのに。
なんで――
「どうして、そんな嘘を――」
「……云うまでもねぇんじゃねぇのか?」
デルフの一言が後押しになり、ルイズは、胸が押し潰されそうな錯覚を抱いた。
……ミッドチルダに帰れないカール。彼をそんな風にしたのは……この世界に呼び込んだのは、ルイズだ。
彼を使い魔として召還し、ハルケギニアに閉じこめてしまったのは。
なのにカールはそれを黙っていた。何故か。そんなのは、酷く簡単な理屈だ。
分かってる。カールがどんな人なのか、ルイズなりに理解している。
……私のせいだ。罪悪感に押し潰されそうになる。
そして、私が罪悪感を抱くと見越して、先生は黙っていたんだ。
「――ッ、先生!」
「ルイズ、何を!?」
大声を上げ、ビダーシャルを押しのけて、ルイズはカールに抱きついた。
いくら声をかけても駄目なら――
『先生、聞いてください! しっかりして!』
念話をカールへと送りながら、ルイズは強く強く祈る。
それが誰に向けてなのかは、自分でも分からなかった。
『私が転送魔法を発動させます!
先生は術式と座標のフォローを!
先生の怪我は、ミッドチルダに行けば治せるんでしょう!?
だからお願い、しっかりして!』
カールを助けたいという気持ちと罪悪感が混ざり合い、どう言葉にして良いのかも分からない。
ただただカールをミッドチルダに帰さないと――謝るのも何もかも、それから。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
何度も胸の中で詫びながら、一秒でも早くカールをミッドチルダに帰すべく、念話を送る。
だからしっかりして欲しいと念話を送り続け、
『ルイ……ズ』
『先生!?』
『魔法の、発動は……頼む。
俺が、座標の入力と術式の制御をするから』
『分かりました!
頑張って! 転送魔法を使えば、ミッドチルダまですぐなんでしょう!?
それまでの辛抱ですから!』
激励の言葉を贈ると、ルイズは足下にミッドチルダ式魔法陣を展開した。
唐突に現れた桃色の輝きに、ビダーシャルとルクシャナは距離を取りながら、訝しげな表情をした。
「ルイズ、何をするつもりだ!?」
「ミッドチルダに先生を帰すんです!
ミッドチルダならきっと、先生の怪我も治せるはず……だから転送魔法で!」
「えっ……え?」
ルクシャナは事情を飲み込めてないのだろう。
混乱した様子で彼女はビダーシャルを見るも、彼は苦々しい表情で頷いた。
「……確かにそれが一番だろう。
次元震が止んだ今、閉ざされていたミッドチルダへの道は開けたはずだ。
力になれず、すまない。急ぐと良い」
「云われなくても!」
怒鳴り声のように声を張り上げながら、ルイズは転送魔法を構築する。
だが術式の構成や座標の入力はカール任せだ。ルイズはただ、魔力を貸して発動させるだけ。
術式の構築と座標の入力は、遅々として進まなかった。
やはり激痛に耐えているからなのだろう。それでもゆっくりと、確実に、転送魔法は完成に近付く。
ルイズはカールの身体に抱き付き、完成までの時間をじっと耐えた。
そして、
『……ルイズ、完成だ。
バリアジャケットを纏って。出る先は次元空間だから』
『はい!』
カールの指示が出ると同時に、ルイズはバリアジャケットを装着し、カールをフィールドバリアで包みながら、転送魔法を発動させる。
桃色の光に包まれながら、カールとルイズの二人はミッドチルダへと転移する――
――その、はずだった。
転送魔法が終了すると同時、ルイズの視界を埋め尽くしたのは、極彩色の空間だった。
サイケデリックな色が瞬き、じっと眺めていると遠近感が狂いそうな。
すぐそこが行き止まりのようで、果てがないような。
ここが、ミッドチルダなの――?
「先生……?
あの、どこに行けば良いですか?」
驚きと混乱が混ざり合った声を、ルイズはカールに向ける。
だが、カールがその声に応えることはなかった。
彼は目を見開き、今にも泣き出しそうな顔で、何もない空間を見詰めるばかりだ。
「……なんでだ。どうして、本局がないんだ?
次元震は収めた。原因は封印した。そのはずだ。
なのに、なんでだ。どうしてまた失敗してるんだ……!」
頭を抱え、見たこともないほどにカールは取り乱す。
痛みと、そしてミッドチルダに辿り着けなかったという事実が、彼を参らせているのだろう。
ルイズもまたそんなカールの姿を目にして、焦ってしまう。
「あ、あの、先生!
きっと、私が失敗したんだと思います!
だから、もう一度……!」
「それはない!
術式と座標は完璧に入力した見直しもした! ルイズの手順に間違いもなかった!
まただ! また俺はミッドチルダに戻れなかった! 一体、どうして――!」
「と、取り敢えず、ハルケギニアに戻りましょうよ!
ね? 先生」
拳を握り締め、悔しさを滲ませながらも、カールは頷いた。
そして再び、二人は転送魔法を発動させ、ハルケギニアへと舞い戻る。
元の世界に戻ってくると、カールはもう限界だと云うようにその場へ座り込んでしまった。
ぶつぶつと小声で何かを呟いている彼に、ルイズは声をかけることができない。できなかった。
何が起こったのか、ルイズには分からない。分かったことは一つだけ。カールはミッドチルダに戻ることができなかったという事実だけ。
何が原因でそうなったのかは、分からない。
カールが探し回って分からなかった問題を、ルイズが解き明かすことなどできるわけがない。
分かることは……自分のせいで――自分がカールを呼び出してしまったせいで、彼が今苦しんでいるということ。
責任を取るという意味でも、カールをミッドチルダに帰してあげたい。けれど、どうすれば良いのか分からない。
なんとかして、カールの力にはなりたい。違う、ならなければならない。
彼をハルケギニアに呼び込んだのは、ルイズなのだから――
いつの間にかルイズは俯き、手を握り締めていた。
あまりに無力感に、このまま消えて無くなってしまいたいほど。
……今までカールと一緒にいることができて嬉しかった。
彼がいるなら立派な魔導師にだってなってみせると思えたし、なんだって出来る気がした。
側にいると、心が温かくなるような気持ちを覚えて、それは決して嫌な感情ではなくて。
気持ちを受け入れてもらえることはなかったけれど、それでも近くにいたいことに変わりはなくて。
そんな風にカールのことを大事に思っていたからこそ――彼が身も心も深く傷付いている原因を作ったのが自分だということに、耐えられない。
本当に、どうすれば良いの――
何をすれば良いのか分からない。何をするべきなのか分からない。
やりたいと思うことはあるはずなのに、そのために必要な手段が思い浮かばない。
そんな風にルイズが途方に暮れている時だった。
「……まさか」
カールの声が響く。愕然とした声色の。
おそるおそるルイズが視線を向けると、カールは地面に座り込んだまま、顔を投げ捨てられたデバイス――第五世代デバイスに向けていた。
第五世代型デバイス。
"サモン・サーヴァントに似た門"を通ってハルケギニアに流れ着いた、ミッドチルダの武器。
ルイズは知らないことだが、本来ならば生まれているはずのない"未来のデバイス"。
「まさか……」
再びカールは呟き、今度は天へと視線を投げる。
そこには何もない。あると云えば、"ミッドチルダと同じ二つの月"が浮かんでいるだけだ。
「まさか、俺は……!」
転送魔法の"座標に間違いはなかった"。
出た先には"何もなかった"。残骸すらも。
本局が移動するなんてことは有り得ない。
もし移動したら次元航行艦の航路や転送ポートのダイヤに大幅な狂いが出てしまう。
そのため、万が一移動するにしたって少なくとも数ヶ月前から移転を大々的に告知するだろうに、カールはそれを知らない。
そして――カールがハルケギニアに召還されたばかりの頃のこと。
転送魔法で向かった他世界には文明らしい文明を見ることができず、また、次元航行部隊とは一切連絡が付かなかった。
それらの事実から――カールは、何かに気付いたのだろうか。
元の世界に戻る方法を、思い付いたのだろうか。
分からない。分からないけれど――もし方法があるのなら。
――私が先生を、ミッドチルダに帰す。
貴族として――ううん、一人の人間として。カールの人生をねじ曲げた責任を取る。
それに約束したんだもの。一緒にミッドチルダに行くって。
カールに連れて行ってもらうのではなく、自分がカールを連れて行く。
諦めたりなんかしない。喚び出せたのなら、帰す方法だってあるはずだから。
そう。だから絶対に、諦めない。
カールを嘘つきになんて、しない。
強く決意を固め、ルイズは座り込んでしまっているカールへと、一歩踏み出す。
――今度は私が助ける番。
そう、心に決めて。