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No.20520の一覧
[0] 月のトライアングル[村八](2010/10/20 23:53)
[1] 1話[村八](2010/07/29 01:01)
[2] 2話[村八](2010/07/29 01:01)
[3] 3話[村八](2010/07/29 01:01)
[4] 4話[村八](2010/08/05 23:20)
[5] 5話[村八](2010/08/07 02:23)
[6] 6話[村八](2010/08/07 02:24)
[7] 7話[村八](2010/08/12 03:53)
[8] 8話[村八](2010/08/16 00:12)
[9] 9話[村八](2010/08/21 01:57)
[10] 10話[村八](2010/08/25 01:38)
[11] 11話[村八](2010/09/07 01:44)
[12] 12話[村八](2010/09/15 00:46)
[13] 13話[村八](2010/10/09 00:30)
[14] 14話[村八](2010/10/20 23:28)
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[20520] 10話
Name: 村八◆24295b93 ID:3c4cc3d5 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/08/25 01:38

遠くから鳴り響く開戦の号砲を聞きながら、陣地の奥で、オリヴァー・クロムウェルはすべての事態が手はず通りに進んでいることにほくそ笑んでいた。
どうやらワルドは上手く伝承者と担い手を騙したようだ。ここまで計画が軌道に乗ったのならば、もはや虚無は手に入ったも同然だろう。
そう――本当の虚無が。

伝承者と担い手を引き離し、前者をレコン・キスタの主力で倒し、後者をワルドが手に入れる。
伝承者は殺しても構わない。いや、担い手もそうだ。そう、ワルドにも指示を出してある。
死者であるならばクロムウェルにとってそれは、何よりも頼もしい友人となってくれる。
アンドバリの指輪――レコン・キスタの御旗ともなっている偽りの虚無があれば。
そしてその偽りの力で、今度こそ自分は本当の虚無を手に入れる――その後に待っているであろう展開が楽しくてしょうがなく、ずっと彼は微笑みを浮かべていた。

オリヴァー・クロムウェルという男は、そう大した人間ではない。
ブリミル教の司教にまで上り詰めたこと自体は確かに相応の努力などを払いはしたが、しかし、それが彼の限界でもあった。
否、限界だと決め付けてしまった、というべきだろうか。
人並み外れて権力欲が旺盛だった彼は、自分の身ではこれ以上上に昇ることができないと自分自身を見限ってしまっていた。
だからこそ、悪魔の囁きとも云える取引に頷き、アンドバリの指輪を手にしたのだ。

自分の限界を決め付けてしまった劣等感、その呪縛から逃れた開放感、いつしか抱いていた権力欲。
それらがブレンドされた強い衝動は、アルビオン王家の喉を食い破るレベルにまで高まっている。
下した相手を次々に手下へと加えてゆく行いに、クロムウェル自身が快感を覚えているということもあるだろう。
ともあれ、彼が行って得たものは、その全てが彼の野望を燃え上がらせる薪に変わる。
何もかもが順調。レコン・キスタと、アンドバリの指輪さえあれば――そして、虚無を従えることができたのならば。

「閣下。手はず通り、トリステインのメイジが空へと上がりました」

「うむ、そうか」

使い魔から視覚情報を得たのか、隣に立っていた副官が声を上げた。
ならば圧倒的な物量にものを云わせ、押し潰してやろう――
そう、自身と味方を鼓舞する一言を口にしようとした瞬間、ですが、と副官が不安の滲んだ声を上げた。

「目標は速度を上げて進行中。
 迎撃に竜騎士を向かわせ、ただ今戦闘が開始された模様です。
 ……あのメイジは、防衛戦に徹する予定だったのでは?」

「……な、何、心配はいらない。そうとも。
 元より彼を始末する方針は変わらないのだ。
 守りに徹する敵よりも、攻め込む者を討ち取る方が容易と決まっている。
 自ら火中に飛び込んでくれるのならば、非常に有り難いことだとも」

「はっ」

言葉の上ではそう云いながらも、クロムウェルの背中は一瞬で汗に濡れていた。
脳裏には昨晩の光景――光の檻が蘇り、かけている椅子の手すりを震える手で握り締めた。
大丈夫だ。陣地には竜騎士だけではなく、数多ものメイジと腕利きの傭兵がいる。
数だけではなく質をも上回っていては、例え虚無の使い手だろうと何もできぬまま命を奪われるのが関の山だ。
そう、自分自身を鼓舞するが――

「……閣下」

「なんだ?」

震えた声を上げる副官に、クロムウェルは眉を持ち上げた。
見れば、彼は真っ青な顔でしきりに窓の外を気にしている。
瞳には軽い恐慌すら浮かび、戸惑っているのが一目で分かった。

その理由は――

「先行させた竜騎士たちが、一人残らず撃墜されました」

「……なんだと?」

たった一人のメイジに幻獣乗りが……?
戦闘に関してそれほど詳しいわけではないクロムウェルからしても、それがどれだけ異常なことかぐらいは分かる。
もしこれが真っ当な戦であれば、その功績は英雄と云うに相応しいだろう。
味方であるならこの上なく頼もしいだろうが、しかしそんな馬鹿げたことをやらかしたのは敵である。
だが、とクロムウェルは己を鼓舞する。萎えそうになる心を震わせる。
例え英雄が相手なのだとしても、圧倒的な物量に屈しなかった人間など、今まで一人として存在しなかったのだから。



























「相棒、二時の方向だ」

「見えてる」

デルフリンガーの示した方には、新たに空へと上がってくる幻獣の姿が見えた。
それを認めた瞬間、カールはカブリオレのヘッドをそちらへと向ける。
おそらくこの間合いから狙い撃たれるなどと微塵も思っていないのだろう。
上昇中の敵に、回避行動の予備動作を行っている気配はない。
ならば、とカールは足下にミッドチルダ式魔法陣を展開。
群青色の輝きが巨大なスフィアを形成すると同時――トリガーワードを呟くと閃光となって炸裂した。
狙いは端。一直線に伸びる砲撃は即座に敵を撃墜し、それを確認した刹那、カールは繊細な手つきでカブリオレを横へと薙ぎ払う。
それに呼応して振り回された砲撃魔法は射線上にいる幻獣へと次々に炸裂し、盛大な爆煙を上げながらぼろぼろと小さな影が地上へと落下した。

人は狙っていない。幻獣に乗るほどだからメイジのはず。
ならば落下してもフライで着地することは可能だろう。
幻獣乗りは安全性の問題で、騎乗出来るメイジはフライを使えることが最低限の決まりとなっている。
魔法学院で読みふけっていた書物、そこに記されていた情報を頼りに、カールは攻撃を行っている。

砲撃の終了と共に吐き出される排煙に目を細めながら、カールは眼下へと視線を流した。
敵陣地の直上とはいえ、ここまで攻撃を届ける術が向こうにはない。あるとしたらついさっきカールに撃墜された幻獣乗りぐらいだろう。
航空戦力はここで叩く。機動力を持つ敵を残していては、クロムウェルを叩くよりも先に城へと到達される可能性があるからだ。

さあ上がってこいと、カールはおもむろに地上へと威嚇射撃を放った。
威嚇とは云っても威力は人一人を昏倒させるに充分なほど込められている。
魔力が炸裂する光と狂乱の叫びが地上に蔓延する中、また空へと幻獣たちが上がってきた。

二度の砲撃を受けて流石に学習したのか、緩く回避運動を取りながらこちらへと接近してくる。
数は十五。小隊規模か。
カブリオレを一閃し十を超えるクロスファイアを傍らに浮かべると、カールは止めていた進行を再開した。
飛行しながら胸に手を当て、まだ保つ、と自分自身に言い聞かせる。
いや、保つ保たないの問題ではない。魔法を使うことそのものに問題はないのだから、ルイズたちが逃げる時間をなんとしても稼いでみせる。

一気に下降し、傍らに浮かべたクロスファイアを射出。
真っ直ぐに向かってくる魔力弾に敵は回避運動を取るも、クロスファイアは獲物を追うが如く機動を変えた。
鋭く確実に幻獣の頭部へと突き刺さり意識を刈り取る。その度に群青色の閃光が明滅する。
せめて一太刀とルーンを唱えるメイジもいたが、誰もが落下し始める幻獣に引かれ次々に落下していった。

「……もう一回釣りをやりゃあ、空での撃墜数が五十を超えるな。
 地上の入れりゃあ百は超えてるんじゃねぇのか? 呆れたもんだな。
 相棒にとっちゃ幻獣乗りはカモでしかねぇのか?」

「いや、連中が見たこともない方法で一方的に攻撃してるだけだよ、俺は。
 対処法を練られたら、もう少し手こずる」

「なるほどな。
 お、きたきた。んじゃまぁ、敵がこっちの手の内を知る前に撃墜数を稼がせてもらうとしますか」

「云われなくても」

デルフとの会話を打ち切ると、カールは再び足下にミッドチルダ式魔法陣を展開。
再びクロスファイアを生み出すと、今度はその場に停止したまま一斉に撃ち放った。
幻獣乗りたちは殺到する群青の輝きに翻弄されるだけで、カールにとってはただの的でしかない。
魔法放たれたとしても不安定な状態で狙いをつけらないのか、カールに直撃することはなかった。

ただひたすらに、航空戦力はカール一人によって撃滅されてゆく。
もし空に誰も上がってこないのならば地上へと砲撃を開始し、メイジの一団や指揮官と思われる甲冑姿の兵士を次々と昏倒させていった。
血の臭いがしない、しかし戦力が次々に削がれてゆく戦場。
あまりにも噛み合わない現実に――そして、手の出せない上空でひたすら自分たちを狙い撃ってくる驚異に、徐々にだが士気は崩壊しているようだった。
視線を巡らせば戦場から逃げ出そうとする一団が見えた。
それもそうだろう。カールは非殺傷設定で魔法を放っているが、彼らたちからすれば砲撃や射撃を受けたものが昏倒しているだけと分からない。
傷もないのに殺された――そんな風に解釈したなら、込み上げる恐怖は尋常なものではないだろう。
ただでさえ勝敗が分かり切っている戦いで気楽に構えようとしていたところに、悪夢じみたメイジが出現したのだ。
割に合わないと逃げ出す者がいたとしても不思議ではない。

「――っと、ようやく見付けたぜ相棒!
 発着場だ! 十時の方向、幻獣に搭乗を開始してる奴らがいやがる!」

「でかしたデルフ。それじゃあ――」

デルフの言葉に反応し、カールはカブリオレを腰だめに構えた。
同時に吹き上がる魔力、形成させるスフィアのサイズは今までの比ではない。
長距離砲撃、魔力ダメージのみ、炸裂効果付与、広域破壊設定――
術式の構築と共に設定を行い、終了すると同時、カールは遠く存在する敵に狙いを定めた。

「ファントムブレイザー・ロングレンジ――」

凶悪なまでに集束された砲撃は群青色であるカールの魔力光を心持ち濃くするほどだ。
カートリッジが二発炸裂し、空薬莢が宙へと排出される。
そして凝縮される魔力に周囲の大気は悲鳴を上げ、

「シュゥゥゥゥゥ――トッ!」

トリガーワードが叫ばれると同時、轟音と共に砲撃魔法は放たれた。
ファントムブレイザーの名を冠していながらも、いくつもの特性を付加されたこの砲撃はまるで別物だ。
広く使われている魔法であり、決して強力ではない砲撃魔法。ただそれだけのはずだ。
だというのにカールが持ちうる技術を注ぎ込んで改造を施したこの魔法は、凶悪なまでの効果を叩き出す。

大気を疾駆する群青の光条はそのまま地上へと突き進み、間を置かずに着弾。
瞬間、青い閃光が放たれると同時、着弾地点周囲五十メートルは群青色のドーム――魔力ダメージのみを叩き込む広域破壊の特性を解放した。
轟音と共に紫電を散らし大地を蹂躙する光輝の奔流。
それを目にしたデルフリンガーは盛大に金具を打ち鳴らし、喝采を上げた。

「ヒャッハァー!
 おいおい相棒、こんな隠し球があるなら最初から使えよな!
 豆鉄砲ばらまいていた今までが馬鹿みたいじゃねぇか!」

「……そうしないといけない理由があったんだよ」

喜びを表すデルフとは違い、カールの表情は苦渋に満ちていた。
空いた手で胸元を押さえ、頬に汗が伝う。
じわじわと胸を中心に広がりつつある苦痛に顔を歪めながらも、しかし、カールは頭を振って陣地の奥へと視線を向けた。

「……これで航空戦力は壊滅させることができたはずだ。
 地上に降りるぞ。デルフ、背後の索敵はお前に任せるからな」

「了解。文字通り、背中は任せておけよ」

デルフと短くやりとりを終え、カールはカブリオレを構えながら下降を開始する。
カールの動きをレコン・キスタも察知したのだろう。対空砲火として火の魔法が降り注ぐ中を戦術機動を駆使して駆け抜け、カールはクロムウェルの元へと急いだ。


















月のトライアングル















「今頃彼は、僕たちのために足止めを行っているのだろうね」

「……ええ、そうね」

二人が言葉を交わした通りに、カールが戦闘を開始した一方で、ワルドとルイズの二人は礼拝堂でチャンスを窺っていた。
既にルイズは光の杖を手にし、外見こそ魔法学院の制服だが、バリアジャケットを纏っている。
いつ出発しても良いようにと、既に準備を済ませていた。

カールが敵の戦力を引き付け包囲に穴が空いた瞬間を狙い、自分たちはウェールズ王子の元へ急ぐ。
戦闘が始まってからもう三十分ほどだろうか。カールが無事かどうか念話で確かめようと思いながらも、ルイズはどうしてもできなかった。

邪魔にならないだろうか。カールがマルチタスクを会得しているのは知っているものの、しかし、ルイズは戦闘というものを知らない。
だから唐突な念話が原因でカールが怪我をしたら、否、死んでしまったら――そう考えてしまっては、どうしても念話を送ることができなかった。
彼が戦場に飛び立ってから今更になって実感できた。今までは頭で分かっていたが、そう――もしかしたらカールとは二度と会えなくなるかもしれない。
それは酷く胸にのし掛かり、そしてどうやっても彼の力になれない自分が悔しかった。
……分かっている。適材適所。敵を足止めするならばカールが最も適していて、自分たちの仕事は手紙を回収すること。
そう分かっているけれど――どうしても、ルイズには割り切ることができない。

まだ出会ってそれほど月日が経っているわけでもないのに、カールと過ごした濃密な一月はとても充実していたと思う。
差し伸べられた手を取って、カールの背中を追う形でミッドチルダ式を学んで、と。
もし彼がいなくなってしまったらと考えると、まるで足下が崩れ落ちるような不安を覚える。
それは何も、自分を導いてくれる教師役がいなくなってしまうからではない。
勿論、それもあるのだが、同時にカール・メルセデスという理解者がいなくなってしまうことが、恐かった。
すべての切っ掛けをくれた彼がいなくなってしまうのは、酷く寂しかった。

ミッドチルダ式という異端の魔法と真摯に向き合えたのは、偏にカールがいてくれたからで――
そんな彼がいなくなってしまったら、自分はどうすれば良いのだろう。

「ルイズ」

「何?」

「カールは無事にこの窮地を切り抜けると思うかい?」

「当たり前だわ。先生が強いのは、教え子の私が一番よく知っているもの。
 死んじゃうなんてこと、絶対に有り得ない」

今の言葉は多分に強がりが含まれていたが、そう。カールが強いのは知っている。同じミッドチルダ式の使い手であるルイズには、そのことがよく分かっていた。
しかし生き延びるかどうかとなると――やはりルイズには、分からない。
死んで欲しくないのは確かだけれど、戦場に出たことのないルイズにはそんなことさっぱり分からないのだった。

アルビオンに向かう道中で、カールはそんなルイズの無知を幸運と云っていた。
云いたいことは分かっている。戦争なんて経験しない方が幸せなのだ。
もし実家に帰れば、家族も口を揃えてそう云うだろう。
だがそれでも、今のルイズにとって自分の無力は酷く悔しかった。

もし力があったら――
……私は、カールと一緒に戦うの?

その考えは、あまり実感の湧かないことだった。
まず力のある自分という姿を上手く思い描くことはできなかったし、もし力があったとしてもカールは決してそれを許さないだろう。
しかし、彼と一緒に戦う――そのこと自体は決して不快ではない。
否、今という瞬間、自分の無力感に心を苛まれている分、余計に強く思えた。
守られるだけは嫌というのは、勝手な言い分なのだろうか。
確かに力のない今の自分には、そんな文句すら云う資格はないけれど。
それでもいつか、立派なメイジになることができたら――

そこまで考え、貴族としての本分を思い出し、ルイズは唇を噛み締めた。
……立派なメイジが、必要に迫られたこと以外で魔法を使うだろうか。否だ。そんなことはない。
力が欲しいという渇望は確かに胸に息づいているが、今の自分はそれに振り回されかかってる。
そう自覚して、自戒するように、ルイズは手を握り締めた。

メイジの魔法はそんなことに使って良いものじゃない。
貴族の誇りが杖である。だが、力そのものが誇りであるわけがない。
今のルイズにとっては自衛手段としてしか許されておらず、そのため、何かを守るための力だという認識がより強くなっていた。
今のカールが自分たちを守るために魔法を行使しているように。そう、きっとそれが正しい魔法の使い方。
逃げることが許されない戦いで、何かを守るために戦うことが。

「……ワルド、行きましょう」

「まだだ。もう少し、カールの元へ敵を集中させてからの方が良い」

「私たちが時間をかければその分だけ、先生への危険が増すのよ?
 三人で無事に任務を達成するためにも、早く動かないと!」

「だからルイズ、云っただろう?
 三人で生還することは二の次だ。それは任務達成の次にくる目的だよ」

「確かにそうかもしれない。
 けど、両方を選び取る選択だってあるはずだわ!
 そのためにも早く動かないと!」

まだ待つと言い張るワルドに、ルイズは声を大にして抗議する。
だがワルドは呆れのような色を表情に浮かべると、溜息を吐いた。

「ルイズ。君は戦場を知らないからそんなことを云えるんだ。
 損耗を気にしていては、何も手にすることはできないよ。
 確かにカールを囮にしたことは僕だって心が痛むさ。
 だが、それとこれとは別だ。既に作戦が始まってしまった以上、手紙回収へ意識をむけるべきだ」

「そうかもしれないけど……!」

貴族でありつつも軍人であるワルドと、貴族とは云っても学生でしかないルイズではやはり違うのか。
こうなってしまった以上、どうあっても任務を完遂しようとするワルドと、三人揃っての任務完遂を願うルイズではやはり認識に齟齬があるようだ。
ワルドの考え方は正しいのかもしれない。それはルイズにだって分かっている。
だがそれでも、必要な犠牲だ、と割り切れるほどカールはルイズにとって軽い存在ではなかった。

魔法を与えてくれ、導いてくれ、ルイズが問題を起こすことがあっても見捨てず、一緒に魔法との付き合い方を学んでいこうと云ってくれた彼。
そんなカールがいなくなってしまうとは思えない。思いたくない。
彼がいなくなってしまったら、自分はどうすれば良いのだろう――そんな不安さえ浮かんでくる。
まだ教えて欲しいことがたくさんあるのに、離ればなれになんてなりたくなかった。

けれどカールを助ける術をルイズは知らない。
一秒でも早く自分たちが古城を出て安全圏まで退避し、カールを離脱させることが最上だと思っている。
だがワルドは限界までカールに負荷をかけ、自分たちの離脱を確実なものにしようとしている。
事この時にいたって、ルイズは自分がお飾りの大使でしかないことを強く思い知った。

「……この任務から帰ったら」

「ん?」

「私、今まで以上に先生から魔法を学ぶわ。
 そうして、今回みたいな足手まといから卒業する。
 一人前にはほど遠いって分かってるけど……何もできないのは、嫌だもの」

「そうか……」

まるで何かに宣誓するように呟くルイズだが、しかし、ワルドの表情はどこか愉快げですらあった。
不意に、ワルドはルイズの肩へと手を乗せる。

「なぁルイズ。一つ、教えてくれないかな?
 時間つぶしのちょっとした雑談だ」

「……何?」

時間潰し、という一言にルイズは眉尻を上げながらも、大人しくワルドの話に耳を傾けた。

「君はレコン・キスタの聖地奪還に対して何を思う?
 ああいや、レコン・キスタをルイズがどう見ているかは渓谷で聞かせてもらったよ。
 ただそれとは別に、ブリミル教徒として聖地の奪還をどう思うのか……とね」

ワルドに問われ、ルイズはやや迷いながらも口を開いた。

「……お父様の受け売りだけど、今のトリステインには戦争なんてことをしている余裕はないらしいわ。
 伝統や格式を重んじるって風潮は素晴らしいと思うけど、一方で低下しつつある国力から目を逸らしちゃならない、って。
 今やるべきことは、小国なりに、戦争をしかけたらただじゃ済まないと侵略を躊躇わせる軍の整備……って。
 うん、確かにそうだと思う。聖地の奪還は、まずトリステインに余裕ができてからなんじゃないかしら」

「ああいや、違うんだよ。
 云っただろう? ブリミル教徒として、とね」

「……あまり気は乗らないわ」

やや小さな声で呟かれた言葉は、ルイズの本心だった。
今までは遠い世界の出来事のように思っていたが、今は身近な出来事として戦争はルイズのすぐそばにある。
そしてこんな――たった一人の身近な人間が戦場に立っているだけでこんな気分になってしまうのなら。
そして自分と同じような気持ちを抱く人間がたくさん出てしまうのならば、聖地を奪還する必要などあるのだろうか。
ブリミル教徒としては始祖ブリミルの遺言に従い聖地を奪還するべきと分かっているが、間違っていたとしても、一人の人間としてルイズはそう思っていた。

「……つまり、自分の力はやはり聖地奪還に使うべきものではない、と思っているんだね?
 彼と同じように」

「え?」

「なぁルイズ、考えを改めてみないか?
 そうだ。君は立派なメイジになりたいと、小さな頃からずっと云っていただろう?
 もし聖地奪還を君の力で成功させることができたのなら、それは立派なメイジであることの証明になると思うんだがね」

「……酷い勘違いだわ。
 そんなものを、私は立派なメイジとは云わないわよ。
 少なくとも、私はそう思う」

「何故だい?
 始祖が奪還を願った土地だ。それを取り返す聖戦に参加し、力を振るえば、貴族としての立場も保証される。
 そこに間違いはない」

「……確かに、そうね。そうかもしれない。
 けれどねワルド。私は、ただ戦争に参加することが貴族の誇りであるとは思わないわ。
 ……そう。そうなのよ」

ワルドに声をかけながらも、ルイズは同時に己の価値観を見詰めていた。
戦場にて他の誰よりも先頭に立ち、自らの身を危険に晒すことは高貴な行いと云われている。
が、それはそれだ。確かに立派な行いではあるのだろう。
だがルイズは、ただ戦いたいのではない。力を誇示したいわけではない。

そうだ。自分は何かを守り、守られた人が安心できるような、胸を張って自分を誇れる人間になりたい。
力も心も強い人間に――そう。ひょっとしたらそれは、今も戦場で自分たちを守るために戦ってくれているカールのような。

「……ルイズ。君がどんな価値観を抱いているのか知らないけれど、一つ云っておくよ。
 君がどれだけ気高く、力を持っていようと、誰かに認められない限り価値などないよ」

「違うのよ、ワルド。私は誰かに認めてもらいたいわけじゃないわ。
 ……確かに、認めて貰えたらそれはとても素晴らしいことだと思う」

ルイズの脳裏には、家族とカールの顔が浮かんだ。
自分の背中を押してくれる者たちに認めてもらい、祝福してもらえたら、それはどれだけ嬉しいだろう。
けれど、

「誇りは誇示するものじゃないって思うの。
 自分だけが胸に秘めた決意を理解していれば良い。
 それをさも素晴らしいことのように外へと見せびらかすのは、間違っている。
 だから良いのよ。私、聖地の奪還になんて興味はないわ」

ルイズが己の考えを口にした瞬間、ワルドの声、その質が変貌した。
柔らかさを含んでいたそれは、一気に陰気で平坦に。ルイズの肩に置かれた手は痛いぐらいに握り締められ、ルイズは顔を顰めた。
やめて、と、そう云おうとして――

「聖地奪還に少しでも執着があるのなら話は別だったが……。
 残念だよ、ルイズ」

さよなら、と呟かれた瞬間、ワルドは腰に下げられた杖を引き抜き、即座に形成した風のブレイドをルイズ目がけて突き出した。
身動きの取れないルイズは、背後からそれに刺されるしかなく、切っ先が服を引き裂き――
ルイズが身に纏うバリアジャケットが術者の危険を察知してリアクターパージを起動。
バリアジャケットを構成する魔力が一気に破裂し、ルイズはそのまま吹き飛ばされた。

聖像の土台に背中を強かに打ち付けたルイズは苦悶に表情を歪めながらも、手放さなかった光の杖を支えに立ち上がる。
そして即座にバリアジャケットを再構成すると、ブレイドを纏った杖を構えるワルドへと視線を向けた。
未だ混乱の渦中にいるものの、幾度と繰り返した反復練習が実を結び、ルイズはバリアジャケットの構築を忘れなかった。

「な……何をするの?」

意味が分からない。リアクターパージが発動したのは、バリアジャケットの耐久性を越えた――要は直撃すれば致命傷を受けた場合に限る。
そして何故ワルドが唐突にそんなことをしたのか分からなくて、ルイズは瞳を揺らしながら問いかけた。
だが彼はルイズの問いに応えるつもりがあるのかないのか。

くつくつと笑みを漏らしながら、服を叩いて埃を落とした。

「流石。やはり不意打ちは聞かないか。
 カールに試さなくて良かったよ。運が悪ければ、俺の裏切りはあの渓谷で露呈していた可能性もあったわけか」

僕から俺へと、ワルドは人称を変えた。
まるでそれは仮面を脱ぎ捨てる禊にも似て、彼は穏やかだった表情をかなぐり捨てる。
そうして現れた顔つきには、不敵なまでの自信が滲んでいた。

だがルイズには、それが分からない。
どうしてワルドが急にそんなことをしたのかが、さっぱり分からない。
いや、思考が追い付いてないだけなのかもしれない。
だってそうだろう。今まで味方だった人間が唐突に牙を剥いて――しかもその人は自分の婚約者で、幼馴染みで。
本当にどうしてと、言葉を口にする余裕すら失っていた。

「君が知るべきことは何もないぞ、ルイズ。
 何も知らぬまま、どうか、この場で俺に殺されてくれ」

云いながら、ワルドは杖の切っ先をルイズへと向ける。
それと同時にルーンが紡がれ、大気が鳴動を開始した。

やっぱり間違いなんかじゃない。
リアクターパージが発動したのは、やはりワルドが自分を殺そうとしたからだ。
それを自覚した瞬間、混乱は一気に烈火の如き怒りへと転化した。
未だ分からないことは多いし、混乱も完全には退いていない。
しかしそれらを凌駕する怒りが、思考を纏め上げた。

「あなた――何をしているのか分かっているの!?
 意味が分からないわよ! 私たちはこれから、ウェールズ王子の元へ行かなきゃならないのに!」

「まだ分からないとは察しが悪いな。
 まぁ良い。君はここで死ぬべきなんだ。
 安心するが良いさ。人形になっても、カールの側にいさせてやる」

言葉を挟み、そしてワルドはルーンを完成させた。
瞬間、風が不可視の刃となってルイズへと肉迫してくる。
咄嗟にルイズは光の杖へと魔力を送り込み、プロテクションを展開。
甲高い擦過音を響かせて、礼拝堂の床を盛大に砕きながら、風の刃は破壊を撒き散らす。
だがルイズは歯を食い縛ってそれをやり過ごすと、燃えるような視線をワルドへと叩き付けた。

「……私を殺すつもりなのね?」

「見て分かるだろう?」

「冗談!」

叫びを上げて射撃魔法を構築しようとし――ルイズは唇を噛み締めた。
完全に頭に血が上っていながらも、やはりついさっきまで強く思っていたからだろう。
違う。今の自分がすべきことは戦いじゃない。こうして足を止めている間にも、カールは危険に晒されている。
どうすれば、と視線を彷徨わせ、カールに口を酸っぱくして云われたことが脳裏に蘇る。

敵に襲われたら戦おうなんて考えちゃいけない。防御を整えて、脇目もふらずに逃げるんだ。

声が聞こえたわけではないもののルイズは頷き、飛行魔法を発動させると宙に浮いて、背後のステンドグラスへと視線を投げた。
防御魔法を展開してガラスを突き破り外に出て、そのまま王子の元へ。
自分に刃を向けたワルドの真意は分からないし、絶対に許せないが、それはそれだ。
こんな風に時間を潰している内にも、カールはずっと戦っている。
だったら自分がこんなところで――

「良いのか? 君がここから逃げれば、俺はカールの元に行くぞ。
 あの数を相手にしているんだ。消耗した頃合いを見計らって戦えば、さて、どうなるだろうな?」

その言葉に、ルイズは動きを止めた。
ただでさえ決して楽じゃない戦いをしているカールの元に、風のスクウェアを向かわせるだなんてことは――できない。
ここから逃げ出さなければならないと分かっているのに、同時に、カールに無理をさせたくないとも思ってしまう。
頭では分かっているけれど――

「……卑怯よ」

ステンドグラスと同じ高さまで上がり、あとは外に出るだけという状況で、ルイズは再びワルドの方を向いた。
握り締められた光の杖は細かく震えている。だがそれは決して、恐怖が原因ではない。
もう彼の足手まといになんかなりたくないのに、それを強要するワルドが、どうしても許せないからだった。

「卑怯よ! 卑怯だわ!
 裏切るだけじゃなくてそんなことまで――あなたには貴族の誇りがないの!?」

「とうの昔に捨て去ったよ。
 そんなもの、今の俺には一ドニエの価値すらないんだ。
 誇りなんて、犬にでも食わせれば良い」

「……そう」

小さく呟き、ルイズは僅かに顔を俯けた。
先ほどまでの憤怒はなりを潜めて――いない。
限界を突破した感情は頭を一瞬で沸騰、極限の集中力へと変わり、その元凶たる人間だけが視界に残る。
ワルドに光の杖を向けながら、ルイズは鋭い眼光を向けた。

「……ねぇ、ワルド。一つ教えて。
 あなたは最初、足止めを自ら買って出たわね。
 あれも演技だったの?」

「当たり前だろう。
 そんな馬鹿げたことをする奴がいるなら、それはただの自殺志願者だ」

「……私たちは、都合良く操られていたわけね。
 それじゃああなたは、レコン・キスタの人間だったの?」

「一つ教えて、と云ったのは君だぞルイズ」

もはや問答無用とばかりに、ワルドはルーンの詠唱へと移った。
ルイズはそれを冷え切った目で眺めながら、先の言葉を脳裏で転がし、胸中でうねる激情がより勢いを増す。
……カールは自殺志願者なんかじゃない。危険だと分かっていながらも、自分ならそれができる――そして自分たちを助けるために進んで囮役を引き受けてくれた。
例えワルドが図っていたことだとしても、彼が進み出たことは善意で――その行いをルイズは気高いと思っているのに、ワルドはそれを小馬鹿にする。
下らないと思っているのだろう。命を張って戦う彼を愚かだと嘲笑しているのだろう。侮蔑すらしているかもしれない。

自分たちを罠に嵌めた上、貴族の誇りを踏みにじり、最後にはカールと自分を侮辱して――絶対に、

「絶対に許さない……ッ!」

叫びと同時にルイズの足下にはミッドチルダ式魔法陣が展開し、魔力弾が三つ浮かび上がる。
使用する魔法はシュートバレット。デバイスの補助を得て今までよりもずっとスムーズに魔法を構築すると、ルイズは怒りと共にそれを撃ち出した。


























元は豊かだった草原は、野火によって焼き焦がされていた。
もくもくと上がる黒煙と熱波が、人を拒絶している。
レコン・キスタの野営地であった場所は炎に包まれ、テントや放置されていた装備が次々と炎に呑まれていた。
その中をカールはゆっくりと進む。
身に纏っているバリアジャケットと展開しているファイアプロテクションが熱波を防ぎ、こんな状況でも彼は動くことができていた。

この炎はカールが放ったものではない。
カールが地上に降りたのを目にしたメイジがファイアーボールを誤射して火が立ち、そのまま焼き殺せと次々に火の魔法が放たれた結果だった。
炎の海を進むのはカールにとっても決して楽なことではないが、しかし、このまま上昇すれば魔法で狙い撃ちにされるだろうことは想像に難くない。
そのため飛行を諦め徒歩でカールはレコン・キスタの陣地を突き進んでいた。

「……もうそろそろだな」

呟き、カールはカブリオレのヘッドを持ち上げると、おもむろに砲撃魔法を前方へと撃ちはなった。
その威力と衝撃で、火の海が真っ二つに割れる。
炎のカーテンが吹き飛ばされて、その向こうに現れたのは一つの屋敷だった。
元はアルビオン王党派のものであったとされる家だが、しかし今はこの戦いの指揮所となっているらしい。
その情報をここに向かう途中で兵士を締め上げ聞き出していたカールは、迷い無く一歩を踏み出し―― 一気に駆け出した。

カールの動きに反応して、四方から魔法が次々と殺到する。
風の魔法をラウンドシールドで防ぎ、火の魔法を射撃魔法で相殺し、土の魔法を宙に浮くことで無効化して、水の魔法をバリアで弾き飛ばす。
そうして空いた一拍の間――ルーンの詠唱を経なければ魔法を放つことはできないため、連射は不可能。
その上、敵は今の一斉放火でカールを殺そうとしたのだろう。追撃は弓矢などの原始的な質量兵器のみだった。
直撃コースの弓をカブリオレで弾き、掠る程度のものは無視する。バリアジャケットに傷をつけることすらできない攻撃など気にする必要はない。

防御行動を取りながらもカールは僅かに上昇し、この場に存在する兵士をざっと見渡すと、

「――アルタス、クルタス、エイギアス」

足下にミッドチルダ式魔法陣を展開し、二十を超えるフォトンスフィアを形成した。
更に数を増やすことも可能だったが、今は詠唱速度を重視したためこの数となっている。
カートリッジを使おうかと迷うも、却下だ。既にここへくるまでにマガジンを一つ消費している。
数に限界がある以上、使用せずに済むのならば可能な限り使わないよう気を付けていた。

瞬くフォトンスフィアを目にして悲鳴と共に逃げ出そうとする者が出るが、遅い。

「フォトンランサー・ファランクスシフト」

詠唱完了と共にマルチロックを終わらせ、群青の光が盛大に瞬くと共に、射撃魔法の嵐が吹き荒れた。
最優先で狙いをつけたのはメイジ。次は近接武器を持った傭兵。弓兵は刈り尽くしたあとで余裕があったら、だ。
フォトンランサー。取り柄は弾速ぐらいで、一発一発は決して強力ではない射撃魔法だが、この魔法の発展型としてファランクスシフトというものが存在している。
カールが浮かべたフォトンスフィアは、銃口を意味していた。二十を超える銃口が一斉に火を噴き、その上連射を行うという暴挙。
それはたった今カールの受けた斉射を、たった一人で行うことに等しい。

フォトンスフィアが一度瞬く毎に、一人のメイジが倒れてゆく。
中には防御を行う者もいたが、それも第二射によって昏倒させられた。
けたたましい音と共に次々と群青の瞬きが敵を食い破る。
そしてフォトンランサーが役目を終える頃には、視界内に動く者はいなくなる。
カールは額の汗を拭い、荒く息を吐きながらカブリオレを地面へと突き立てた。

氷結付加。威力は最弱で――そう設定し、広域拡散させた砲撃魔法を撃ち放つ。
それによって燃え広がっていた野火は一気に消失し、後に残ったものは焼け焦げた草原に数多の人間が怪我もなく倒れ伏す不可思議な光景だった。
いや、怪我ならしているかもしれない。カールが消火活動をする前に倒れ伏した者が火傷を負っていても不思議ではないのだ。
だが、そこまで気にしている余裕はない。
バリアジャケットの胸元をキツく握り締め、苦痛に顔を歪めながら、カールは身を起こした。
そして、

「封鎖結界……!」

血を吐くようにトリガーワードを口にし、瞬間、クロムウェルがいる屋敷が隔離される。
結界魔法が正常に機能したことを確認すると、カールはカブリオレをロッドフォームからワンドフォーム、片手杖へと変形させ、背中のデルフリンガーを引き抜いた。

「お! ついに俺の出番……か……?」

待ちに待った出番がきたと声を上げたデルフだが、勢いの良かった言葉は尻すぼみとなる。
そして思案するように金具を上下させると、なぁ、と声を漏らした。

カールはデルフに視線を落としながらも、歩みを止めない。
足を進めて結界内に入ると、周囲を警戒しつつ屋敷の敷居を跨ぎ、真っ直ぐに進んで屋敷の中へと侵入した。

「なんか相棒の様子がおかしいとは思ってたが……相棒、お前、ヤバくねぇか?
 上手く云えねぇけど、精神力を溜める器にヒビが入ってるっていうか……」

「だとしても、ここで動きを止めるわけにはいかない。
 それに、今のところは痛みを感じるだけで魔法の使用に問題はないんだ」

ドアを潜ると、視界が開けた。
入り口から正面の階段へと真っ直ぐに伸びる絨毯を踏みしめながら、カールはエントランスを進む。

「ガンダールヴのルーンを発動させてるのに痛みを感じてんだぞ!?
 並大抵の苦痛じゃねぇぞそれは!」

「大丈夫。水の秘薬は持ってきてある。
 ルーンの効果が切れる前に飲む――」

そこまで云った瞬間、カールはバックステップを。
一拍おいてカールが立っていた場所へと、ファイアーボールが突き刺さる。
見れば、上階からメイジがこちらへと杖を突き出している。
舌打ちしつつそれを認めると、更にステップを踏んで狙いを外し、壁に向けて跳躍。
足を着くと共に移動魔法ブリッツアクションを発動させ、三角飛びの要領で上階に上がると、着地と同時にデルフを構え疾駆した。

カールの姿を目にしたメイジは、防御するように杖を横に構える。
一気に間合いを詰めて杖を両断、カブリオレの石突きを鳩尾へと叩き付け気絶させると、再びステップを踏む。
直後、カールが立っていた空間を水のマジックアローが薙いで壁を粉砕した。
振り返ればそこには三人のメイジがおり、一斉攻撃を行わず、一人一人が隙を埋めるように順次詠唱を行っている。

「デルフ!」

「おうよ!」

それだけのやりとりを経て、カールはメイジに目がけて駆け出した。
接近を許さないとばかりにウインドブレイクが内装を破壊しながらカール目がけて接近するが、突き出したデルフがそれを吸収する。
魔剣デルフリンガーの特性、魔力吸収。防御するでもなく魔法を掻き消した――ように見えた――暴挙にメイジたちは一瞬動きを止め、カールの接近を許してしまった。

一気に距離を詰めたカールは刃の腹で一人の側頭部を殴り飛ばし、次に蹴りを別の男に繰り出して流れるようにカブリオレをぶち込み、体勢を整えると最後の一人へ峰打ち見舞った。
それぞれを一撃で気絶させると、肩を上下させながらもカールは歩みを再開した。
息は荒い。脂汗はびっしょりと顔に張り付いて、湿った前髪は額に張り付いていた。
たった一人で敵の拠点に乗り込むことが簡単なわけがないが、それ以上に胸の激痛という重荷が彼にはある。
カール自身が口にしたように、魔法のキレと体捌きに影響はないようだが、土気色ですらあるカールの顔を見れば、疲弊していることは一目瞭然だろう。

だがそれでも、カールは歩みを止めない。
一秒でも無駄にしている時間はない。早くクロムウェルを見つけ出し、そうしたらすぐにでも敵の足止めへと戻らなければならない。
敵の数はカールの予想を遙か上回っていたが、それを理由に膝を屈することはできなかった。
深々と息を吐き、カールは目についたドアを蹴破り部屋を確認して回る。
不意打ちのように現れる敵を撃退しながらも、クロムウェルを探し続ける。

正直なところ、カールにとってこの任務で脅かされているもの――トリステインへの興味はさほどなかった。
確かに友人であるオスマンやコルベールがいる国が侵略されるというのは目覚めが悪いし、たとえ世界が違うのだとしても民間人が戦火に巻き込まれるのはいい気がしない。
だが、それはそれだ。余所の世界の都合に首を突っ込むほどカールは傲慢ではない。
ならば何故今戦っているのか――それは偏に、教え子であるルイズを守りたいからだった。

だからこの戦いの目的はレコン・キスタの壊滅などではない。
オリヴァー・クロムウェルに虚無を諦めさせ、ウェールズの元へルイズが安全に到着できるよう時間を稼ぐ。
その二点さえこなすことが出来たのならば、もうルイズを脅かすものはなくなるだろう。

自分をこの世界へと呼び出した少女。
彼女には本当に複雑な感情を抱いている。
ミッドチルダに帰ることもできないような異世界へと呼び出した恨み辛みは鳴りをひそめたものの、消滅したわけではない。
痛く苦しい現状と相まって、関係ないと逃げ出したくなる感情は確かにあった。

だが同時に、若さ故かそれとも彼女の気質か――ルイズが口にする立派な貴族。その存在と、それを目指そうとする彼女を眩しく思っているのもまた事実だった。

だから導きたい。守ってやりたい。
きっと彼女を正しく育て上げることができたのならば、自分と同じストライカーになってくれるような気がして――

一つ、また一つ、とカールは部屋を確認してゆく。
そうして再び扉を蹴破って――瞬間、火の魔法が自分へと殺到してきた。
デルフを構えて間に合うか否か。即座にカールはプロテクションでの防御を選択すると、沈静化しつつあった胸の痛みに顔を歪め、しかし動きを止めずに踏み込む。
だが、一度は弾いたと思った火の魔法は再び集い、カールへと矛先を向けた。
ファイアー、違う、フレイムボールか。誘導式の火球をデルフで吸収すると、今度は真横から放たれた殺気に反応して床を転がった。
カールの選択が正しかったと示すように、柔らかな絨毯へと振り下ろされた剣が突き刺さる。

舌打ち一つの後にデルフをメイジへ、カブリオレを剣士に向けると、カールは射撃魔法をそれぞれに放った。
だが剣士はそれを剣で防ぎ、メイジは身を翻して回避する。手練れか。
カブリオレを向けられこちらの動きを探っている剣士に背を向け、カールはメイジへと狙いを絞った。
絨毯を蹴りつけて一気に距離を詰めると、デルフを大上段から振り下ろす。
だが返ってきた感触は硬いものだった。杖に何かを仕込んでいるのか、デルフを叩き付けられた杖は折れることもなく残っている。
それなら――と背後にプロテクションを張り剣士を牽制すると、カールはカブリオレに魔力刃を形成した。
片手杖から伸びる魔力刃は長く、その長さはデルフに匹敵する。
唐突に現れた光の刃に困惑したのか、メイジの動きは止まった。
対してカールはデルフで鍔迫り合いをした状態で、躊躇いもなく魔力刃をメイジの胸に突き立てる。
非殺傷設定でも、刃で刺し貫かれたという実感はるのだろう。かは、と吐息を漏らして、メイジはその場に倒れ伏した。

すぐに刃を引き抜き左足を軸にして、カールは振り返る。
剣士は距離こそ詰めているものの、やはりプロテクションを警戒していたのだろう。
剣を構えた状態で静止し、こちらの出方を窺っていた。

砲撃魔法で一気に――という選択肢が脳裏に浮かぶも、却下だ。
射撃や防御だけでも負荷がかかっているというのに、砲撃など使えば一気に消耗してしまう。
そう。これは魔法を使えば使うほど激痛に苛まれる呪縛のようなものだった。

だがそれを言い訳にしてここから逃げ出すことなど言語道断で――

「はぁぁぁぁあっ!」

裂帛の気合いと共に、カールは剣士との間合いを詰める。
まず振るったのはカブリオレの方だ。切り上げられた切っ先に対し、剣士は受け流そうと思ったのか、僅かに構えを変える。
だが――魔力刃と剣がぶつかり合おうとした瞬間、カールはカブリオレへ回していた魔力をカットした。
その結果起こることとは刃の消失だ。受け流す体勢を取っていた剣士は予想していた斬撃に対して僅かに力んでいたため隙が生まれ――

残っていたデルフリンガーを袈裟に振るい肩口に叩き付け、再構成した魔力刃で剣士を引き裂く。
傷こそ生まれないものの、痛みは実際に身を引き裂かれたものと同じだ。
更に魔力ダメージによって剣士の意識は奪い取られ、その場に崩れ落ちる。

それを眺め、カールは部屋の奥へと視線を向けた。
もう一つの扉が残っている。もしかしたら――という期待を胸に、カールは重い足取りでそちらへと向かった。
この部屋に入った瞬間、奇襲されたこともある。
やや迷いながらもカールは射撃魔法で扉を吹き飛ばすと、ようやくクロムウェルの顔を目にすることができた。

クロムウェルの隣にいる、おそらく副官であろう人物が杖を差し向けてくる。
が、その切っ先は震えていた。構えを見て戦い慣れていないのだろうと当たりを付け、射撃魔法を撃ち放つ。
先ほどの手練れと比べれば酷くあっさりと崩れ落ちた兵士を一瞥すると、カールはクロムウェルに向けて歩き出した。

「あ……あぁ……!」

口をわななかせながら、クロムウェルは体を震わせていた。
何をしているのだろうか。右腕を持ち上げ、必死にカールへと突き出している。
カールが疑問に首を傾げると、カブリオレが魔力反応を検出した。
だがそれはクロムウェル自身ではなく、彼が持ち上げた右手、その中指にはめられている指輪からだ。

マジック・アイテムか何かだろうか――そう思いつつ警戒しながら、カールは足を止めた。

「オリヴァー・クロムウェルだな」

名を口にし、デルフリンガーの切っ先を彼へと向ける。
刃物という物々しい凶器を目にしたからだろうか。クロムウェルは怯えを表情に走らせ、即座に頭を下げ、

「すまなかった……!」

唐突の謝罪にカールは目を瞬き、言葉を失ってしまった。
云うべきことはあるはずなのに、あまりにも潔い反応にこっちが困惑してしまう。
だがカールはすぐに気を引き締め直すと、鋭い眼光をクロムウェルへと向けた。

「何を謝っているのか知らないが、俺はお前に話があってここへきた。
 簡単なことだ。お前は俺と俺の生徒を虚無と思っているようだが、それは誤解だ。虚無などではない。
 だからもう付け狙うな」

云いながら、カールは足下に魔法陣を展開した。
構築する魔法は射撃魔法。設定は物理破壊。だが、込められた魔力は少なく、精々が直撃しても人一人を殺す威力には遠く及ばない。
その不出来な魔法をクロムウェルの机へと放ち、木片が飛び散る中で、凄みを聞かせながら口を開く。

「……もっとも、虚無云々は関係なしに強大な力をただ欲しているだけだというのなら」

「分かっている! もう狙わない!
 で、出来心だったのだ! 強大な力さえあればアルビオンを手に入れられると……!」

「現状でもうアルビオンを墜とすには充分な戦力が揃っているだろうよ。
 欲深すぎたな。もう二度と俺たちを狙わないと云うならば――」

再び射撃魔法を撃ち放ち、机に穴が穿たれる。
着弾の音が甲高く響く中、カールは溜息を吐いた。

「見逃してやろう。話はそれだけだ。
 お前はお前のやりたいように、戦争でもなんでもしていれば良い」

「ああ、分かった! 始祖に誓う!」

始祖に誓って――ブリミル教の司教がそれを口にすることには、大きな意味があるはずだ。
この任務にカールたちが赴いたことも、アンリエッタが手紙にウェールズとの愛を始祖の名の下に誓ったからである。
教徒である彼女が行ったことにさえそれだけの拘束力があるのならば、ウェールズの言葉は信頼するに値するだろう――

そう思ってカールが踵を返した瞬間だった。
唐突に身体の自由が奪われる感覚に襲われると同時、デルフを握った左手が勝手に跳ね上がった。
そして勢いのまま強引に背後を振り向けば、そこには確かに昏倒させたはずの副官が立ち上がっており、こちらに杖を向けている。
魔力ダメージで一度昏倒した者が立ち上がるなんて――それこそ専用の治癒魔法を使わなければ有り得ないことだ。
そしてハルケギニアでは怪我を治す魔法こそ発達しているものの、純魔力ダメージを取り払う手段は存在していないはずなのに。
加えて、立ち上がった副官には気配というものを感じ取ることができない。意思とも云うべきか。殺気も何もかもがなく先の行動を予測できない不気味さがあった。

「あ、あぁ……」

そしてクロムウェルは、絶望を目に浮かべながらガタガタと身体を震わせる。
カールを納得させて隙を産み、今の一撃で葬ろうとしたのだろうか。
確かに惜しいところではあった。バリアジャケットがあるため、死ぬことはなかっただろうが。

「……助かったよ」

咄嗟に身体をジャックし、放たれた魔法を吸収したデルフへと礼を口にする。
デルフは気にした風もなく金具を上下させると、声を放った。

「気にすんなよ、相棒。
 取り敢えずはあの指輪を狙え。奴がそれを向けた瞬間、あいつは跳ね起きやがった」

「分かった」

やはりあの指輪はマジック・アイテムだったか。
そう納得すると同時に、苛立ちを乗せてカールはクロムウェルを睨み付けた。
彼はたじろぎ、まるで命よりも大切なのだと、指輪を逆の手で包み、窓際へと逃げ退る。
だがそれを見逃すつもりはない。歯を食い縛りながら魔法陣を展開すると、リングバインドを発動。
まずは右足を光の輪で拘束し、体勢を崩したクロムウェルは左腕を突き出して転倒を避けようとする。
が、次はその左腕を。そして開かれた右腕を拘束し、カールはカブリオレを差し向けた。

そしてカブリオレの先端にスフィアを形成するとカートリッジを二発ロードし、巨大な魔力弾を形成。
慌てふためくクロムウェルを見据えながら、カールはトリガーワードを呟いた。

「シーリングシュート」

砲撃魔法の形を取って放たれた封印の光は指輪に直撃し、群青色の瞬きが指輪を覆い尽くす。
シーリングシュートとは、稼働しているロストロギアにそれを上回る魔力で強制停止をかけ、機能を沈黙させる魔法だ。
それによってクロムウェルが指に通っていたマジック・アイテム、リングに填め込まれている宝石は色を失った。

それと同時に、こちらの様子を窺っていた副官がその場に倒れ伏した。
一体何が――と目を見開いたカールだが、クロムウェルのわめき声によってすぐ正気に返った。

「何を――何をしたんだ!?
 私の指輪に、一体何を!
 これがなければ、私は……!」

「黙れ。
 オリヴァー・クロムウェル。お前、始祖の名を持ちだした誓いを破ったな?
 殺されたいのか? そういう意味を込めて、俺はお前と約束したはずなんだけどな」

「す、すまなかった! 咄嗟のことで動転してしまったんだ!
 約束は絶対に守ると誓う!
 それよりも、なぁ、頼む! 私の指輪を……!」

「……指輪?」

あのマジック・アイテムにどんな能力があったのか――どうしてもそれが気にはなったが、構っている場合ではない。
話を聞き出すことは決して無駄ではないだろうが、あの状態のクロムウェルを落ち着かせるとなると時間がかかってしまうだろう。
カートリッジを二発も使用して放った封印は強力だ。ミッドチルダ式の心得がない者では解呪することは不可能に近いだろう。
ならば――と喚くクロムウェルを無視して、カールは踵を返した。

部屋を出て先の手練れたちがいた場所に戻ると、何故か二人は血を流しながら絶命していた。
カールが行った攻撃は、純魔力を使用した非殺傷設定――それで人が死ぬことなど有り得ない。
未熟な魔導師ならばまだしも、そんな初歩的なミスを犯すほどカールは間抜けではなかった。
ならばどうして、と思考が凍り付くも、今は古城に戻ることが先決だ。

クロムウェルが自分たちに再び手を出すかどうかは怪しいところだが、おそらくは大丈夫だろう。
自分自身の力で何かを成そうという性格ではないことは、この短いやりとりでよく分かった。
その上でこうも戦力を蹂躙されたとあっては、同じ目に遭うことを畏れ牙を剥いてくることはないはずだ。

「……急いで戻ろう」

「ああ。しっかし相棒、山場は越えたんだし、ここからは少し楽に……」

「いや」

デルフの言葉を青い顔で否定しながら、カールは胸元をきつく握り締めた。
じくじくと広がっていた痛みは、既に突き刺さるような激痛へと変貌している。
ルーンを使っていてこの状態なら、武器を手放した瞬間、自分はどうなってしまうのだろうか。

考えたくもない、と頭を振ると、額の汗を拭いながら、カールはうんざりした口調で呟いた。

「……ここからだよ」


























礼拝堂の中では、破壊の嵐が吹き荒れていた。
それは比喩ではなく事実として、ワルドの放つ風の魔法がルイズを襲っているからだった。
風の刃、槍、それらをルイズが防いだ結果として、質素ながらも小綺麗に造られていた礼拝堂は荒廃の一途を辿っている。
並べられていた長椅子は吹き飛び、へし折れ、残骸となって脇に退けられている。
ブリミルの聖像は粉々に砕け散り、同じく割り砕かれたステンドグラスからは陽光が差し込んでいる。

その中でルイズは飛行魔法を維持しながらもプロテクションを展開し続け、ひたすらにワルドの攻撃に耐えていた。
いや、耐えているのではない。耐えるしかないのだ。

「どうした、ルイズ。君の身体に流れる虚無の血が、情けないと泣いているぞ。
 俺の攻撃を耐え続けるのは確かに見事だろうが、それだけだ。
 いつまでも守りを固めているだけでは、どうにもならん」

「黙りなさい!」

咄嗟に怒声を返すが、ルイズとてワルドの意図は分かっている。
ルイズが守りを固めているのは確かだが、ワルドもまた、ルイズの守りを突破できていないのだ。
千日手の様相を見せ始めているこの戦場――さきの挑発は、ルイズから冷静さを奪おうという思惑があったのだろう。
それだけは駄目だと自制し、ルイズは足下にミッドチルダ式魔法陣を展開した。
形成する魔法はシュートバレット。宙に浮かんだ魔力弾は即座に加速され、ワルドへと撃ち放たれる――が、それが直撃することはない。

ワルドは軽くステップを踏むと射撃魔法を回避し、再びルーンを唱え始めた。
まただ。ルイズの攻撃は、どうしてもワルドには届かない。
ワルドの攻撃を防ぎ、ルイズが攻撃する。が、避けられる。今まで行ってきたのはこれの繰り返しだ。

どうして当たらないのか、最初、ルイズにはその原因がさっぱり分からなかった。
弾速は決して遅くない。デバイスの助けを借りているため、練習の時より形成も射出速度も雲泥の差と云って良い。
ならば当たらないのは何故か――簡単な話だ。一言で云うならば、ワルドに隙がないからだった。
否、それは正しくない。正確には、ルイズがワルドの隙を見付けることができない、ということが正しいのだろう。
如何に強力で早い魔法といえど、その射出タイミングを見切られては回避されてしまう。
それも誘導弾ではなく直射型ならば尚更だ。ただ真っ直ぐに飛んでくるだけの弾など、避けるならば魔力弾でも鉛玉でも大差はない。

幾度も幾度も同じことを繰り返し、ルイズはやっと自分でそのことに気付くことができた。
だが、問題の解決策にまでは至らない。これの原因となっているのは、致命的な実戦経験不足と、カールから戦闘技術そのものを学んでいないことが影響している。
ルイズが教え込まれた知識と技は、そのすべてが逃げと守りに特化している。射撃魔法を教えられているとは云っても、それはあくまで蛇足に過ぎない。
ルイズが行えることはあくまで時間稼ぎ。誰かが助けに来てくれるまでの時間を稼ぐことだけ。
だが――今この場には、頼れる人はいない。
カールはいる。けれど決して頼れない。そんなこと、絶対にできない。
もしワルドの裏切りを念話で伝えれば、絶対にカールはこっちに向かってきてくれる。そんな確信がある。
そしてワルドを倒し、ルイズというお荷物を抱えたまま包囲網を突破してウェールズ王子の元に辿り着くだろう。

けれどやっぱり、それだけはしたくなかった。

この戦いに巻き込んだのは私。婚約者であるワルドの裏切りを見抜けなかったのも私。死地に赴く彼を止められなかったのも私。
例えワルドの思惑が背後にあり、彼が自分たちの動きを操作していたのだとしても――どうしても罪悪感を覚えてしまう。
ワルドを絶対に許せないと思う一方で、すべての責任をワルドへ転嫁することなどはできなかった。
自分の他力本願な姿勢がこんな事態を招いたのだという自覚があるから――だからせめてワルドぐらいは、この場で食い止めておきたかった。
……本当は倒したいけれど、その方法が分からない。

「さて……ルイズ。君の守りが強固であることは理解した。
 フライを使いながらそこまで魔法を使えるのも、見事だと思う。
 だが、底が浅いな――落ちろ!」

ワルドが一喝すると共に杖を振り上げると同時、ルイズの真下へと空気の渦が発生した。
それは僅かに逆巻くと、一気に勢いを増し直上にいるルイズへと伸びてくる。
ストーム。竜巻を形成する魔法だ。

ルイズは咄嗟に飛行魔法へと魔力を送り離脱を図るが、駄目だ。
逆巻く大気の流れから脱しようと全力で抵抗するも、徐々に引き込まれ、弾き飛ばされた。
上下感覚すら失う中でプロテクションの展開だけは忘れなかったが、何か――墜落すると共に壁に激突し動きを止めた瞬間、猛烈なまでの嫌な予感が走った。
咄嗟に目を開けば、眼前には集束する大気の渦――エア・スピアーが三本、形成されていた。
即座にルイズはラウンドシールドを展開し、エア・スピアーはシールドへと激突する。
桃色の魔力光は強く光を放つ――が、拮抗したのは僅かな時間だけだった。
殺到する風の槍はギリギリと擦過音を上げながらシールドを食い破り、刺し貫く。
そして今度はプロテクションに激突し、今度こそ威力を失った。

が、壁に背中を預けた状態で攻撃を防御し、生じた衝撃を逃がすことができなかったため、ルイズは咳き込む。
失敗した。形状を考えれば、エア・スピアーが貫通生に優れた魔法だって分かり切っていたのに。
それなのに平面にしか展開されない防御魔法で対抗すれば、破られたっておかしくない。カールがやればまだ違ったかもしれないが、これがルイズの限界だった。

けれど――

「まだよ……!」

まだ負けてないと、ルイズは声を張り上げる。
そうだ。まだ負けていないし、負けるつもりはない。絶対に負けてはいけない。
精神論でこの局面がどうにかなるわけではないし、カールが助けにきてくれるとこの期に及んで甘えているわけでもない。
ただひたすらに――諦めてしまってはすべてが終わると、分かっているからだ。

だが飛行魔法で再び宙に浮こうとしたルイズに、ワルドが跳躍し接近してくる。
掲げた杖には風が渦を巻き、ブレイドが形成されている。
避けるか守るか――やはり防御だ。そう選択して再びラウンドシールドを展開。
袈裟に振るわれた刃を今度こそ正しく弾き、ルイズは飛行魔法を――だがそれを許さぬと、次々に刃が振るわれる。
歯を食い縛りながらルイズは防御を続け、どうすれば良いのか必死に考えを巡らせる。

勝算は確かにゼロに近いのかもしれない。攻撃という攻撃は一切通じない。
博打を打ってひたすらに連射を――という考えがないわけではなかったが、それはただの自棄に等しい。
何かこの状況を切り開く術は――そう考え、濃く疲れの滲んだ息を吐いた。

初めての実戦で緊張が続いているせいか、もう消耗しつつある。体力はしっかりとつけたはずなのに。
加えて、ここまで魔法を使い続けていれば疲労が蓄積しても不思議じゃない。
魔力だけならまだまだ余裕があるのかもしれない。だが目減りする体力と、そして集中力が切れる寸前であることは確かだった。

攻撃をしても当たらない。守りに徹し続けるのも長くは保たない。逃げ出すことはできない。
ならば自分がするべきことはなんだろうか。決まっている。攻めることだ。
守り続けてはいずれ気の緩みを突かれて負けてしまうかもしれない。こうして今、地上に引きずり下ろされているように。
では逃げるとなると、やはり駄目だ。そんなことは許されていない。
ならば戦ってワルドを倒すことが最上――でもどうすれば良いのだろうか。

戦いの中で徐々に経験を積んでいるルイズだが、、しかし、実力そのものが上がったわけではない。
手元にある技術だけで勝負するしかなく、しかし、ルイズの攻撃は悉くが見切られる。
ワルドの隙を見付けることができない。ならば、どうすれば――

不意にルイズは唇の端を僅かに持ち上げた。
それは自嘲。戦いのイロハを知らないルイズには、ワルドの隙を見付けることなどできない。
だからどこまで行っても、今の自分には無様な戦い方しかできないだろうから。

けれどそれでも良い。
頭に浮かんだ一つの作戦。ルイズは迷いなく、それを選択する。
危険を冒すなとカールに教え込まれたというのに、また自分はそれを破ろうとしている。
本当に自分は悪い生徒で――ちゃんとカールに叱ってもらわないと。
負けてしまったら叱られることすらできない。もう一度、どんな形でも良いから彼の声を聞きたい。
だからここでワルドはなんとしてでも倒す。倒して、カールの敵を一人でも減らす。

もう一度会いたい――その気持ちが疲労によって鈍り出していた身体に活力を与え、ルイズは迫るブレイドの軌道を見切った。

ワルドのブレイドがラウンドシールドに叩き付けられた瞬間を狙い、バリアバーストを発動。
それによってワルドは――そして未だ姿勢制御を完璧にできていないルイズは逆方向に吹き飛ばされる。
椅子や外壁の破片が散らばる床をごろごろと転がりながらも、ルイズはすぐに身を起こした。
ワルドも同じように杖を構え、戦闘続行の意思を見せる。

彼が動き出そうとした瞬間を見計らい、ルイズは口を開いた。

「……本気を出しなさいよ、ワルド」

「……何?」

震える声で向けられた台詞に、ワルドは眉を顰めた。
が、ルイズはそれに構わず、やや強ばった不敵な笑みを浮かべ、言葉を続ける。

「それとも、これが本気なのかしら?
 風のスクウェアって云っても、ドットの私すら倒せないでいる……。
 ああ、そうね。何も不思議なことはなかったわ」

「……何を云っているんだ?」

言葉を返すワルドの顔には、小さな笑みが浮かんでいた。
だがそれは、決して機嫌が良いわけではなく、むしろ怒りの前兆であろう。
しかしルイズは言葉を止めない。狙い通りと、先を口にする。

「風のスクウェアと云っても、あなたは裏でコソコソするのが好きなんだものね。
 それこそ、正面から戦えばドットを倒すことができないから。
 閃光の二つ名、返上したら? あなたに光は似つかわしくないと思うの」

「ほぅ……」

ワルドは顔に浮かんでいた微笑みを消し、完全な無表情へと変わった。
そしてグリップが悲鳴を上げるほどに杖を握り締めると、それをルイズに向け――
力むその瞬間を狙い、ルイズは土壇場でトリガーワードを破棄した射撃魔法を撃ち放った。
宙に生まれた桃色の弾丸は一発だけ。それが限界。だが完成度は高く、不意打ちならば避けられないであろう速度でワルドに向かい――

「――舐めたな、俺を」

振り上げた杖で魔力弾を切り払い、怒りの滲む獰猛な笑みを浮かべる。
そして杖の先端をルイズへと差し向け、舌打ちを一つ。

「見よう見まねの挑発で隙を作ろうとしたのか?
 小手先だなルイズ。良いだろう。そんなに見たいというなら、文字通り目に焼き付けろ。
 風のスクウェアの力を――!」

ワルドが咆吼を上げると同時、ルーンが礼拝堂に響き渡った。
その詠唱から放たれる魔法は、ライトニング・クラウド。
殺傷能力という点では火の系統にも負けない程の威力を秘めたスクウェアスペル。

ワルドには分かっていた。ルイズの挑発が何を誘っているかを。
操ろうと思っているからこそ、ワルドはルイズという少女を相応に理解している。
あの子は聡い。だからこそこの状況を打破する一手として、おそらくは――

だが、と彼は口角を釣り上げる。
彼女に唯一の誤算があるとするならば、それは我が魔法の凄まじさを過小評価したことだ。

一語一区が紡がれる度に、大気に紫電が走り、オゾン臭が立ち上る。
何かが爆ぜる音は徐々に数を増し、盛大なまでの合唱を奏で出す。

――そして抜刀が起きる。雷の剣が抜き放たれる。

白光が礼拝堂に満ちてゆく中、ルイズは光の杖を握り締め、じっとそれを見据えていた。
……お願い、先生。私を守って――

ルイズの呟きが声になるよりも早く、縦横無尽に雷は走り、その先にいるルイズへと直撃する。
凄まじい光と音を撒き散らしながら、爆音が礼拝堂、否、古城そのものを揺るがした。
もうもうと上がる粉塵に、ワルドはくつくつと笑い声を上げる。
婚約者に対する最後の礼儀として、せめて綺麗な姿で殺してやりたかったが、これではそれすら叶うまい。

「ハハ、ルイズ、君が悪いんだ。
 要らぬ挑発などするから、醜い亡骸を晒す羽目になる」

死体を確認するために、未だ立ち上がる煙へとワルドは一歩を踏み出す。
が、その足取りはどこかおぼつかなかった。当然だ。今のライトニング・クラウドは、ワルド本人ですら会心の一撃と思えるほどに凄まじい威力だった。
それに比例して相応の精神力を使用しており――

「う……ゲホッ」

「……何?」

有り得ない。言葉そのものを表情で表現したかのように、ワルドは目を見開く。
有り得ない。あの一撃を受けて死なないメイジなどいるはずがない。そのはずだ。
なのに今聞こえた咳は、間違いなくルイズのもので――

「あっ……うう、私ってば実はドジなのかしら」

有り得ないと分かっているのに、気楽さすら含む声が聞こえるのはどういうことだ。
自分の力に絶対の自信を持っているからこそ、今の一撃を耐えるとは思わず――致命的なまでの隙を、ワルドは晒していた。

そうして、煙が晴れる。
粉塵の向こう側では焼け焦げたルイズの死体があるべきだ。
だのに姿を現したのは、服こそ焼け焦げ、敗れているものの生きているルイズの姿であり、

「まあいいわ。今度はこっちの――番よ!」

『Phantom Blazer』

彼女が腰だめに構えた光の杖が、桃色の閃光を放った。
本来ならばルイズが知らない砲撃魔法。だが光の杖に記録されていたそれを、ルイズは使用したのだ。

肉迫する桃色の、光の矢。
ワルドは咄嗟にルーンを唱えると、風の防壁を展開した。

「直撃――だが、耐えきる!」

それはルイズの放つ砲撃魔法と拮抗する――が、防御の上からでも魔力ダメージが叩き込まれる。
砲撃魔法を放つルイズもまた、この一撃で戦闘の流れを変えるべく、魔力を光の杖へと一気に注ぎ込んだ。
結果、本来ならば照射時間がそう長くはないはずのファントムブレイザーは力強さを増し、ワルドの防御を削り続ける。
だがワルドもこれの直撃を受ければどうなるかなど理解している。絶対に凌ぎきると歯を食い縛り――

砲撃が止むと同時、全身にのしかかる苦痛に耐えながらも、彼は震える手で杖を持ち上げた。
だが――視界の隅で明滅する桃色の光に目を見開き、頭上を見上げる。
そこにはいつの間にか飛行魔法で宙に浮き、足下にミッドチルダ式魔法陣を展開するルイズの姿があった。

「隙を晒したわね」

「くそ……!」

そう。つまりはそういうこと。
ルイズの狙いは安い挑発などではなかった。
挑発によってワルドが大技を使い、消耗しきるその瞬間こそを待っていた。
そのためにはライトニング・クラウドの直撃を耐えきらなければならないという条件があったが、しかし、ルイズには自信があった。
カールに教えられた防御魔法。託された光の杖。そして、ワルドの攻撃を耐え続けたことから生まれた自信が。
それらが全て繋がり、この瞬間を生み出していた。

ワルドは回避行動に移るべく跳躍しようとするも、しかし、それは突如現れた光の枷によって阻まれる。
最初に右足を。次に左足を拘束され、ついには両腕までもを封じられ、その場に貼り付けにされた。
だが杖だけはまだ握り続けている。まだ勝敗が決したわけではないと、ワルドはエア・スピアーの詠唱を開始した。

それに対してルイズは光の杖を槍のように構えて矛先をワルドへと向けると、前面にプロテクションを展開する。
そうして桃色の魔力を吹き上げ、飛行魔法にそれを注ぎ、倒すべき敵を見据えた。

「これで……終わりよ!」

叫びと同時、注がれた魔力が爆発するように噴出し、加速を得てルイズはワルドへと突撃する。
放たれたエア・ニードルをものともせずに弾き飛ばし、両者の距離は一気に縮まった。
そうして――桃色の障壁がワルドに激突し、バインドの拘束能力を超えた衝撃によって、ワルドは錐揉みしながら吹き飛んだ。
床をバウンドし、陥没させながら粉塵を巻き上げ、転がりながら地面に倒れ伏す。

地面に降り立ち、肩を上下させながら、ルイズはワルドへと視線を注ぐ。
お願い、もう立たないで……そんな弱音にも似た考えすら浮かぶ。
正真正銘、ファントムブレイザーから続いた一連の猛攻は、ルイズの全力全開だったのだ。
体力は既に底をつきかけ、今は魔力すら危うい。まだワルドが立つというのなら、本当に為す術がなくなってしまう。
全身全霊を賭けた一撃は命すら奪いかねないほどで、立ち上がるわけがないとすら思う。
だが敵は風のスクウェア。言葉の上ではああ云ったものの、ルイズが勝てたのはワルドがシールドブレイクやバリアブレイクを知らなかったからだ。
もし真っ当にやりあったら絶対に勝てない相手だった。そして、そんな相手を軽く見るほどルイズはおめでたくはない。

これで駄目だったら、本当にもう手の打ちようがない。
だからお願い、もう――その願いは通じたのか、横たわったワルドはぴくりとも動かなかった。
だが、ルイズが安堵した瞬間、まるで大気に溶け込むようにして消えてしまう。

……まさか、偏在だったの?
肩透かしと、あの強さで偏在だったという恐怖に、ルイズは身を強ばらせる。
もしワルドの本体がどこかに隠れているのなら、もう戦う術など残っていないルイズは、ただ殺されるしかない。

光の杖を胸に抱いて、せわしなくルイズは礼拝堂の中に視線を巡らせる。
だがその中に動く影はなく、ほっと胸を撫で下ろした。
それでも払拭できない不安を抱いて、ルイズは壁際までふらついた足つきで向かうと、背を預けて座り込んだ。

勝った――けれど、その事実に充足感など微塵もない。
次に自分がやるべきことは、いや、もともと自分がやるべきことは、王子の元へ向かうことだった。
それなのに満身創痍のルイズには既に余力が残っておらず、魔法を使う体力も魔力もゼロに近い。
僅かに残った気力を振り絞り、カールへと念話を送ろうとするが――何を云えばいいのだろうと、困ってしまう。

情けなくて仕方がない。カールは自分たちを信じて戦ってくれているのに、結局、その期待を裏切る形になってしまった。
だというのにどんな言葉を彼に云えば良いのだろう。もう戦う必要はないから戻ってこい? まさか。そんな彼の頑張りを踏みにじるような台詞は、口が裂けても云えなかった。
しかし、ならば何をカールに云えば良いのだろう。
それがさっぱり分からなくて、ルイズは縋るように光の杖をかき抱いた。


























「はあぁぁぁぁぁああ……ッ!」

血を吐くような叫びと共にカールは傭兵の頭部を掴み、側にあった木へと後頭部を叩き付けた。
それによって痙攣し動きをとめた傭兵を、そのまま放り投げる。その先には剣を構えた兵士がおり、仲間が飛来してくるという状況に目を見開いて動きを止めた。
そうして、激突する。動きを止めた二人へと接近し蹴りを叩き込んで、坂から転落させた。

カールが現在戦っている場所は、古城の下に広がっている森林だった。
なだらかな勾配の上に立つカールと、昇ってくるレコン・キスタの兵隊たち。
カールは徐々に防衛線を後退させながらも、ずっと戦い続けていた。

敵の配置はこの場に降り立つ前に展開したエリアサーチによって把握している。
が、それが今のカールが使っている唯一の魔法だった。カブリオレは既に待機状態へと戻している。
無論バリアジャケットは展開しているが、それ以外は使っていない。
もう、それだけの余裕が彼には残っていないのだ。

燦然と光り輝くルーンに、鍛え上げられた技術。それだけを頼りに彼は戦い続けている。

まだ最初は良かった。
魔法を使用しながらの戦闘はクロムウェルの元へ向かった時と同様に敵を圧倒していたが、しかし、それにも限界はくる。
魔力も体力も残っていたが、しかし、胸を襲う激痛が耐えられないレベルにまで深刻化していた。
痛みを耐えることで気力は削がれ、集中力は落ちてゆく。その穴を埋めるために魔法を使って――それは完全な悪循環だった。
短期戦ならばそれで良かったかもしれないが、今は先の見えない防衛戦を続けているのだ。
ルイズから念話が届かない限り、ここを退くことはできない。
もし一人でもここを突破してルイズの後を追うようなことになれば、危険が生じてしまう。それだけは避けたかった。

確かに密命を受けたのはルイズかもしれない。
だがレコン・キスタに狙われる原因を作ったのはカール自身だ。
ならばその責任を果たすためにも。そしてルイズを守りたいからこそ、この場から退くことはできなかった。絶対に。

「相棒、気をしっかり持て!
 火の魔法がくるぞ!」

デルフの声によって我に返ると、カールは空に視線を移した。
そこには雨のようにカール目がけて落下してくる火の魔法が数多に存在している。
ルーンの力によって強化された身体能力でステップを踏み、直後、爆撃が起こったかのような揺れと轟音が林を揺るがせた。
一瞬で火は広がり、パチパチと木々が爆ぜる。
引かれた炎のカーテンの向こうからは、三発の火球が飛来してきた。
正面、右、左。各一発。左右のそれぞれは弧を描く軌道を取っており、これがフレイムボールだと察することができた。

「デルフ!」

「二発だけなら吸い込める!
 こっちぁもうパンパンなんだよ!」

二発。その縛りを聞いた瞬間、カールは身体を右へと跳躍させた。
ジャンプしたカールを目がけて火球は軌道を返る。一発、二発、とデルフで切り払いつつ吸収し、三発目が飛来した瞬間、カールは木を蹴りつけて再度跳躍した。
結果、カールに当たるはずだったフレイムボールは狙いを違い木へと直撃する。
それを認めカールは着地すると、デルフに身体の主導権を明け渡した。
デルフがカールの身体を動かすために必要なエネルギーは、魔法を吸収した量に比例する。
そしてもうデルフのキャパシティが限界だと云うならば、こうして消費しなければ能力を使用できない。

火が灯ったエリアから離脱しつつ、デルフに操られるカールは力強く地を蹴り疾駆する。
そうして次の一団を目にすると、距離が詰まった瞬間にデルフから主導権を返してもらい、ジグザグにステップを踏みながら接近した。
次々に放たれる魔法を回避しながらデルフの腹で傭兵の兜、その側頭部を叩き昏倒させる。
剣を振り上げて斬りかかろうとする者に当て身を食らわせ体勢を崩すと、蹴り飛ばす。
瞬間、殺気を感じて振り返ると、そこには拳銃を構えた三人の兵士がいた。
僅かな恐怖を覚えながらも、躊躇せずカールは突撃する。降り注ぐ銃弾はバリアジャケットに弾かれ――だが、再構成を行わず主人を守り続けた防護服は、それで消滅した。
しかしそれに構わずカールはデルフを踊らせ、次々に兵士を昏倒させてゆく――が、最後の一人を昏倒させた瞬間、横合いから飛んできた突風に吹き飛ばされた。
デルフの叱責が飛ぶも間に合わない。カールは背中から木に叩き付けられ、痛みと呼吸の停止により意識が暗転しかける。
が、

「まだだ……!」

渇を入れて鋭い眼光を瞳に宿すと、カールは追撃として叩き込まれる魔法をデルフで切り払った。
一閃、二閃、と続けながら前進してメイジとの距離を詰め、峰打ちで次々と昏倒させてゆく。
まるで風のように駆け抜けながら、カールはひたすらに敵を排除してゆく。

敵の姿が視界から消えると、デルフを杖のように地面へと突き立てながら、カールは呼吸を整え出した。
ゼィゼィと上がる吐息は、まるで壊れたエンジンのようだった。身体は休息を求めている。

「……相棒」

そんな相方に何を思ったのか、デルフは躊躇いがちな声を上げた。

「もう良いじゃねぇかよ。
 すげぇって、本当。ここまで戦えた奴は今までのガンダールヴにもいなかった。
 認めるよ。だから、もう良いじゃねぇか。相棒がここで死ぬのは無駄でしかねぇ。
 娘っ子だって絶対悲しむ。お前、先生なんだろ? 娘っ子と一緒に学院に戻れよ、もう。
 依頼なんて良いじゃねぇか。そもそも無理難題を言いつけた姫様が悪いんだ。
 無理でした、って云っても、なんら恥じるこたぁねぇよ。
 もしなんか云われたって、自分のケツを他人に拭かせて文句を云う方が間違ってんだ」

「……それはあまり、関係ないな。
 最初の方はともかく」

呼吸を整え終えたカールはデルフを地面から引き抜くと、明後日の方向へと視線を投げた。
視界には木々が映るのみだが、エリアサーチには侵入者の反応がある。ならば戦わないといけない。
己を鼓舞して、カールはゆっくりと歩みを進め出した。
そしてやや躊躇い、表情を歪めながらバリアジャケットを再構成する。
魔力は極力使いたくはないが、バリアジャケットの有無は命に関わる。無視することはできなかった。

「トリステインがどうこうとかは、本当に興味がないんだ。
 あるにはあるけど、俺には関係がない。関係しちゃいけない。
 王国の未来をどうこうってのは、子爵とルイズの問題だ。
 ……そう。俺の問題はあくまで、教え子を守ることなんだよ」

「だから、娘っ子を守りたいなら、魔法学院に戻れば良いじゃねぇかよ!」

「守る、ってのは直接的な意味だけじゃないんだよ、デルフ。
 そうだ。それだけだったら、どんなに楽か――」

呟くカールの脳裏には、お人好しの管理局員たちの顔が浮かんでいた。
ただ問題を解決するなら容易い。しかし時空管理局とは災害や人災から人を守るだけではない。
それも立派な仕事だが、違う。命があっての物種という言葉があるが、しかし命しか残らないようでは、人の心は折れてしまう。
家族、財産。そういったものを可能な限り守り抜き、人々を笑顔のままでいさせることこそが管理局員の本分だ。
危険に直面した人の心を救う――絶望の中でも希望を見い出させることこそが本質なのだ。

そしてそんな局員の中でもストライカーと呼ばれるカールには、それが身に染みて分かっていた。
ストライカーとは管理局員として人々を守ると同時に、仲間の心すら救う存在である。
ただその人がいるだけで万事上手くいく――そんな希望を抱かせる唯一無二のエース。
それが尊いものであると、カールは信じている。その根底には彼が想いを寄せている女性の影響があるのは確かだが。
優しく、強く――そんな彼女に追い付きたくて、彼女が大事にしているものを自分も大事にしたいから。

そして、そんなカールだからこそ、ルイズを守ってやりたい。
ストライカーとして。そして更に、教師として。
損得なしに、あの子の行く末を見守りたい。
そして、あの子が胸を張って生きてゆくには、きっとこの任務は成功させなければならないはずだ。

もし失敗してトリステインが危機に晒されたら、ルイズは一生自分のことを責めるだろう。
それだけはいけない。あってはならない、とすら思う。
あんなに真っ直ぐな子に影を落としたくはない。

「……けれど戦う。だから俺は戦うんだ」

「……そうかい。なら、最後までやり遂げりゃ良いさ。
 精々見守ってやるからよ」

「ああ、頼む」

ケッ、とデルフは忌々しそうに吐き捨てながら、金具を打ち鳴らした。
その様子に苦笑しながら、カールは見えてきた追加の敵に目を細める。
だが志を再確認しようと、消耗した身体が復活するようなことはない。
魔法をデルフで引き裂き、敵を昏倒させながらも、やはり疲労は蓄積し、受け損なった魔法によって傷が刻まれてゆく。
しかしそれでも尚カールは歯を食い縛り、剣を握った。

まだだ、まだ戦える――決して強がっているわけではなく、自分の限界を知っている闘争者として意思を燃やしながら。

――その時、だった。

『……先生』

『ルイズか!?
 今、どこにいる? 王子の元にはたどり着けたのか!?』

不意に届いた念話へとマルチタスクを割いて、戦い続けながらもカールは返事をした。
が、怒声に近いカールの声とは正反対に、ルイズからの念話の色は沈み込んでいる。
一体何があったのか――まさか既に城が陥落していたのでは、と最悪の予想をするも、それは裏切られた。
それが良い方向か悪い方向かは、微妙だったが。

『……その……ごめんなさい。
 ワルドが私たちを裏切ってて、私、それに気付けなくて』

『子爵が裏切った?
 ルイズ、どういう……』

『ごめんなさい……!』

説明を要求するカールの言葉に対し、ルイズはひたすらに謝り続けるだけだった。
プライドの高い彼女がどうしてそこまで――と疑問が生じるも、彼女の声によってすぐに理解できた。

『まだ私、古城にいるんです。
 ワルドの偏在はなんとかしたんですけど、もう、動くことができなくて……。
 先生、もう逃げてください! これ以上戦う必要なんてありませんから!』

……ああ、そうか。
ルイズが謝っている理由はワルドの裏切り、それを見抜けなかったことも含まれているのかもしれない。
だが最大の理由は、おそらく、未だ古城に残っているということだろう。
まるで今までの戦いが無駄だったと云われたようなものだ。ルイズが逃げ出すまでの時間を稼ぐ戦いだったのに、ルイズは逃げ出していなかった。
そしてこの任務がどれだけ大事なのかは、カール以上にルイズはよく分かっている。
だというのに王子の元へ向かう余力すらない状況に悔しさを覚えているのだろう。

……もしかしたら彼女が念話を送ってきたのは、状況説明以外にも、誰かに責められたいという願いがあるからなのかもしれない。
ルイズは真面目だ。一月と少しだが、教師として接してきたカールにはそれがよく分かっている。
そんな彼女だからこそ、任務をまともにこなせていない現状に満足できず、納得できず、誰かに罰して欲しいと思っているのかもしれない。

それらはすべて推測だが、おそらく、あまり外れてはいないだろう。
ルイズという少女は愚直なほどに真っ直ぐな子だから。
そんな彼女が自分を責めているというのなら――

「……相棒?」

呆然とした声をデルフが上げる。
次いで、今まで薄ぼんやりとしか光っていなかったガンダールヴのルーンが、強烈なまでの光を放った。
今まで、最低限以上には能力を解放しなかったルーンが。

「……はっ、なんだよそれ。
 戦場で抱く感情が"慈愛"だって?
 それも、こんなに強烈な――」

デルフの声さえ遠い。胸の痛みは完全に消滅し、疲労も何もかもが吹き飛んだ。
軽く地を蹴れば弾丸の如く身は跳ね、一瞬で敵との間合いが消滅する。
峰打ち――では駄目だ。今の状態ではそれですら殺してしまう。
そう理解しているカールは、デルフの腹でこの場にいた兵士を一瞬で叩き伏せると、くつくつと笑い声を上げた。

「デルフ。ルイズから念話があった。
 どうやらあの子は、まだ古城に残っているらしい」

「ふーん。それで?」

「攻め込むぞ。
 指揮官を倒し、圧倒的な力を見せ付けて士気を崩壊させ、撤退に追い込む。
 協力してくれるな?」

「別に。俺、剣だし。勝手にしろよ」

心底呆れ果てたような声を上げるデルフに苦笑すると、カールは一気に坂を駆け下りだした。
目指すはこの先に展開しているであろう陣地。そこを強襲し、敵を撤退に追い込む。
ああ、これほど戦い甲斐のある戦場は久々だ――そんな気持ちを抱きながら、カールは敵陣へと切り込んだ。























砲撃音が鳴り響く空の下、古城への坂道を登りながら、カールは振り返った。
高台となっているここからは、上空ほどではないにしろ周囲の地形を一望することができる。
開けた視界の中、空には十隻を超える空中戦艦が浮かんでいた。
それはひっきりなしに地上への砲撃を加え続けている。

カールがルーンの力を頼りにレコン・キスタと戦っている途中に、あの戦艦は突如出現したのだ。
砲撃が加えられている場所は、一度はカールが足を踏み入れたレコン・キスタの本陣である。
止むことのない轟音と立ち上る黒煙は、レコン・キスタの本陣が壊滅的な打撃を受けているであろうことを察しさせた。
今のレコン・キスタにとって航空戦力は驚異そのものだ。竜騎士と主力をカールによって壊滅させられた今、彼らに対抗手段は存在していないだろう。
あったとしてもまとまった戦力ではないため、戦艦に戦いを挑むことは不可能に近い。

故に負け戦と察したのか、カールと戦っていた者たちは我先にと蜘蛛の子を散らすように逃走して行った。
勝つ自信はあったものの、危うかったのは事実だ。
信じられないほど都合の良いタイミングで訪れた展開には疑いすら抱きそうだが、今はそれで良い。
なんとかカールは己の役目――尤も、敵を撤退に追い込むのは要求された以上の戦果である――を終え、任務の続行は可能となった。
消耗は些か激しいため、いくらか休まなければならないだろうが、それでも最悪の事態だけは回避できただろう。

「……呆れたぜ。
 運が味方したとはいえ、本当に敵を撤退まで追い込みやがった」

「本当にな。
 ところでデルフ、撃墜スコアはどんなもんだ?」

「数えてねぇよ、馬鹿らしい」

「そうか」

そんな風に軽口を叩きながら、カールはようやく坂を登り切り、古城にたどり着いた。
閉じてしまっている正門を無視し飛行魔法で上階に降り立つと、そのまま中へと入ってゆく。
階段を下り、廊下を歩いて、そうして、礼拝堂へとたどり着いた。

扉を押す――が、上手く開かない。鍵がかかっているというわけではなく、建て付けが悪くなったような手応えだ。
手で押しても駄目なら、とカールは躊躇いもなく扉を蹴破り、広がった光景に眉根を寄せた。

出発前までは埃こそ積もっていたものの荒れていなかった礼拝堂は、まるで台風か地震でも起きた後のように破壊し尽くされている。
無事に残っている長椅子は一つもなく、床はところどころが砕け散って陥没し、ブリミルの聖像は砕け、ステンドグラスは粉々。
いっそ清々しいほどの壊しっぷりだ。一体何があったのかと視線を巡らせ、壁際で足を抱えているルイズを見付けた。

彼女は膝に顔を埋めたまま、光の杖をまるで縋るように抱き締めている。
扉を蹴破った時点でカールがきたことには気付いていたのだろう。ルイズはじっと視線を注いでくるが、口を開くことはなかった。

カールはルイズの側まで歩いてゆくと、彼女の隣に腰を下ろして、同じように壁へ背中を預けた。
落ち着いた瞬間、どっと疲れが押し寄せてくる。ともすればこのまま眠ってしまいそうなほどの睡魔に襲われながらも、なんとか言葉を発した。

「……子爵と戦ったのか?」

「はい」

肯定の意を返したルイズは、しかし誇ろうとはしなかった。
沈痛な表情を浮かべたまま、光の杖を抱き締め続けている。
いじけているわけでも、拗ねているわけでもない。強いているなら自虐だろうが。それも微妙に違うだろうが。
どんな言葉をかけるべきか――そう考え、カールは苦笑した。
探すほどにバリエーションがあるわけではないのだから。

「無事で良かったよ」

「……え?」

「戦った甲斐があったってもんだ。
 ルイズが子爵に負けていたら、俺はいつまでも戦い続けて、その内に包囲されていただろうしね」

「……違います。
 そもそも先生が戦う必要なんて、なかったのに……どうして逃げてくれなかったんですか?
 私が悪いんです。ワルドの裏切りを見抜けなくて、先生を孤立させて……」

「仕方ないさ。誰が子爵を疑えるんだ。
 魔法衛士隊の隊長で、姫殿下に信頼されていて、君の婚約者で。
 確かに今思えば怪しいところがいくつもあったけど、裏切り者って看破できるほどじゃない。
 できる方がおかしいんだよ」

「でも……」

それでも私は、とルイズは未だに責任を感じている。
無事に済んだんだから気にするな――そんな言葉じゃ、ルイズは納得しないだろう。
ルイズは気高い。気高くあろうとするからこそ他者にもそうあれと要求する。
それの良い悪いはともかくとして……そんな彼女だからこそ、自分のミスが許せないのだろう。
高いプライド。ルイズのそれはただの傲慢ではなく、自分を磨き続けようという向上心の表れだ。
だからこそ簡単に自分を許すことなどできはしないか。

……これは、二週間前にルイズが学院で起こした模擬戦騒ぎに通じるところがある。
自分に非があると分かっているから彼女は罰を甘んじて受け入れようとしていた。
そして今も、それを待っている。
今のやりとりの通り、仕方ないの一言で彼女が納得することはないだろう。
美徳を裏返せば欠点となるように。

まったく仕方のない――そんなルイズに微笑ましさすら覚えて、気付けば、カールは彼女の髪をぐしゃぐしゃと撫でていた。

「ちょ、先生、やめてください!
 いきなりなんですか!?」

「仕方がないと納得できないのなら、もう二度と同じ轍を踏まないよう気を付けろ。
 今回みたいに上手くいくとは限らないんだ。強くなりなさい。
 その反省が、今回の罰だ。
 勿論、強くなれというのは、力を指して云っているわけじゃない。
 それに、全部を疑ってかかれと云っているわけでもない。
 似たような困難と対峙したとき、決して屈しない強い人間になれってことだ。
 分かるか?」

「……なんとなく」

「なら、良いさ」

カールは手を止め、荒れたルイズの髪を僅かに整えると、全身から力を抜いた。
やはり今回の戦いは堪えた。激痛に耐え続けた精神的疲労は、今まで感じたこともないほどだ。

「……それにしても疲れた。
 トリステインに帰ったら、少しはゆっくりしたいな。
 まぁ、気が早いか。まだ任務が終わったわけじゃないんだし」

だからだろうか。ついついそんな軽口が口を突いて出て、ルイズは呆気にとられたように目を瞬くと、苦笑した。
苦笑はそのまま微笑みへと変わり、くすくすと小さく声を上げて彼女は笑う。

「疲れた、で済ます辺り、先生はやっぱりすごい人だわ」

「……それ、褒めてる?」

「褒めてます。
 ……でも、そうですね。
 私も少し疲れました。考えたいこともあるし……そうだ、先生。
 トリステインに戻ったら、ヴァリエール公爵領にきませんか?
 学校があるからあまり長くは滞在できませんけど、旅の疲れを取るぐらいなら大丈夫だと思います」

「……ルイズの実家か」

やはり今回の件は、ルイズの両親に話した方が良いだろう。
一応はアンリエッタ姫に伺いを立てた方が良いだろうが、駄目と云われることはないだろうし。
オスマンでさえ今回の件は知っていたのだ。ならば保護者にだって、知る権利はあるだろう。
が、それとは別に、エレオノールにミッド式の存在を明かしたのと同じく、ルイズの家族にもそれを教えなければならないか。
カールにとっては、そちらの方が気が重い。

が――今回は、ルイズの提案を素直に受け入れよう。

「もてなしは期待しても良いのかな?
 頑張った使い魔に、それぐらいのご褒美があっても良いと思うけど」

「もう、茶化さないでください!」

ようやくいつもの調子が戻ってきたのか、ルイズは唇を尖らせながら、うらめしそうな目を向けてきた。
悪い悪い、となだめると、カールは疲れのこびりついた身体に鞭打って立ち上がった。

「バカンスの話は、取り敢えず任務をこなしてからにしよう。
 少し休んだら王子の元に再出発だ」

「はい」

カールは手を差し出し、ルイズはカールの手を掴んで立ち上がろうとする。
が、やはりワルドとの戦いで疲れが限界に達しているのだろう。
腰を浮かせた彼女はそのまま座り込んでしまい、手を引っ張られてカールは倒れ込んでしまった。

咄嗟に壁へと手を突いてぶつかることだけは避けるが、その結果、まるでルイズを襲おうとしているような構図になってしまう。
が、ルイズが声を荒げるようなことはなかった。
不思議そうに二人は目を瞬くと、ひそやかに声を上げて笑い合う。

どちらもボロボロ。そんな状況がなんとも可笑しかった。

すぐそばにいるカール。
彼から漂ってきた臭いが鼻を突き、ルイズは苦笑する。
汗と、血と硝煙。ルイズは戦場の香りというものを知らないけれど、きっと今のカールに感じるものがそれなのだろうと思う。
本当に彼は戦い抜いて、そうして、自分の元に帰ってきてくれたことが、彼を近くに感じてようやく実感できた。
それが嬉しくてたまらない。こうして再び言葉を交わせたことを、感謝したい。

カールが死んでしまうかもしれないと考えた時に生まれた、色の見えない不安感が、今は微熱のような感情へと変わっている。
どこか温かくて、幸せと云って間違いではなく……少しだけ、くすぐったかった。

そうだ、とルイズは思い出す。

「……あの、先生」

「なんだ?」

今度こそカールの手を取って立ち上がると、ルイズは彼を見上げながら、云いにくそうに口を開いた。
それでも目と目を逸らさず、じっとカールを見詰めている。

「ワルドとの戦いで、私、先生の言いつけを破ってしまいました」

「……そうなのか?」

「はい。すぐに逃げず、そのまま戦ってしまったので」

そこに色々と理由はあったが、割愛する。
説明するのは気恥ずかしく、わざわざ声に出して云うようなことでもないと思ったから。
彼はそのことに対してどう思ってくれているのだろう。
やはり言いつけを破ったから怒るのか、それとも――そう。もし万が一、良くやったと褒めてくれたら嬉しいな、と思ったり。

「だから……その、私を……叱ってください」

微かに頬を染めながら、ルイズは小さな声でそう強請った。
が、カールは困った風に頬をかくと、どうしたものかと息を吐く。

「今回のことは、仕方のない面も多々あったと思う。
 だから、次がないよう気を付けてくれれば良いよ」

「そんな! 駄目です先生! 叱るときはきっちり叱らないと駄目ですよ!」

「そりゃそうだけど……。
 ……ん? なんでだ? 普通、嫌がるもんじゃ……」

「先生!」

「なんでだよ!?」
























それ以降にアルビオンでカールたちが行った旅は、もはや蛇足でしかないだろう。
心臓部が麻痺したことで指揮系統が壊滅したレコン・キスタは完全に足並みが乱れ、カールとルイズ、空を飛翔するたった二人の人間を捉える余裕がないほどに混乱しきっていた。
そうして二人はウェールズ王子の元へと辿り着き、手紙の回収を完遂した。
その際、ルイズは本来の物語と同じように亡命についてウェールズへと問いを投げたが、やはり答えは否だった。
が、それを愚かとルイズが思うことはなない。ウェールズの云いたいことは分からないでもなかったからだ。
レコン・キスタに背を向けてしまっては、連中の正義を肯定してしまい、自分たちは哀れな敗北者の烙印を押されるだろう、と。
レコン・キスタの掲げる正義を王党派は絶対に認めることができない。民を蔑ろにして聖地を目指すその目的と、国土に戦火を撒き散らした連中を絶対に許せないため。
例え負けが見えているのだとしても、自分たちが信じる正義を無価値なものに貶めないために最後まで立っていなければならない、と。

ならばトリステインに亡命し、レコン・キスタを打ち倒して――とルイズは思わなかった。
それでは駄目だと分かっているから。勝てばそれで良い、というやり方はレコン・キスタと変わらない。
例え愚かでも馬鹿正直と云われようとも、貴族として退いてはならない戦いがあると知っているから。
そしてそれは王子だけではなく、王党派全員が胸に抱いた強い決意のようだった。
死がすぐそこまで迫っているというのに、その状態でも貴族の誇りを選べる――命惜しさにレコン・キスタへと寝返った貴族たちとは真逆の精神を目にし、ルイズは説得を完全に諦めた。
いや、諦めは少し意味が違うだろう。正確には、認めた、というのが正しいだろうか。

遺品、ということで風のルビーを手渡され、ルイズとカールはアルビオンを発った。
その後のことをルイズたちは知らないが――

結果だけ記すならば、アルビオン王党派は滅びなかった。
カールたちが去ると同時に、レコン・キスタの内情を探るべく城を出ていた兵士が戻り、一つの報告を行ったのだ。

レコン・キスタの主力は壊滅。
ヘンリー・ボーウッドを中心に編制された空軍が合流を申し出ていると。

ヘンリー・ボーウッド。その者は"元"王立空軍の艦長として戦っていた者である。
だが、元とあることから分かる通りに、現在はレコン・キスタへと寝返った一人の人間だったのだが――
彼は部下からレコン・キスタの主力部隊が何者かと交戦を行い、壊滅状態に陥っていることを聞き、捕虜として囚われている王党派の軍人たちを解放し、これが好機とばかりに反逆を開始していた。
ヘンリー・ボーウッドという人間は、元々生粋の武人だった。
思想として、軍人は政治に関与するべからずというものがあったが――それに従い、上官の判断で反乱軍側についてしまったことを、彼はずっと後悔していたのだ。
心情としては王党派を支持していたし、今でも王党派を信じている。それでも己の信念を曲げずにレコン・キスタの艦長として王党派と戦っていた。
が、王と仰ぐウェールズの喉元に刃が突き付けられた今その信念は大きく揺らぎ、そして、レコン・キスタの中枢が壊滅しつつあるという知らせが背中を後押しし、この反逆に踏み切ったという。

これを聞いたウェールズは急遽出陣の用意を完了させ、出撃。
そしてボーウッドと合流したあと、彼から聞いた戦場の噂話を使って敵を脅し、再び寝返り始めた貴族派を吸収し、一気に攻勢へと回る。
そして敵の戦力と真っ向から戦うことを避け執拗にレコン・キスタの中枢とも云えるオリヴァー・クロムウェルを付け狙い、首をはねた。

その結果、虚無という切り札を失った貴族派は一気にその勢いを失い、アルビオンでの内戦は膠着状態へと変わる。
治安は最悪。逃げ出した傭兵が盗賊となり跋扈し始めるなどを始めとして大きな問題を抱えることとなるが、結末の見えていた革命戦争は、これにより行方の分からないものとなぅた。

ちなみに、ウェールズがボーウッドから聞いた噂話を脚色し捏造した話とは以下のものである。
下らない与太話の域を出ないはずの噂話は、しかし、確かに戦場で群青色の光により昏倒させられた者たちの声を元に広がっていったのだ。

――聖戦にブリミルの子らを向かわせるオリヴァー・クロムウェル。
   だが倒れた使者の魂が向かう先はヴァルハラではなくニブルヘイム。彼の者は人を死の世界に誘う道化である。
   始祖ブリミルの遣わせた群青の光は、妄執に取り憑かれた者を赦さない。
   ブリミルの授けた王権をただ欲し、聖地という大儀を踏みつけにする者たちよ、知るが良い。
   白の国アルビオンは、虚無によって守られているのだ。


























ガリア王国の首都に建つヴェルサルテイル宮殿の、暖炉に火の灯った一室には、一人の男が退屈そうに椅子へと座っていた。
手すりに肘を置き、顎を持ち上げた様はただひたすら無気力だ。が、その様すらも絵になるほどに、男の容姿は整っている。
王族であることを示す青い髪に、がっしりとした体躯。彼は退屈に飽く子供のように小さく欠伸をすると、溜息を吐いた。

「秘宝を与えても、やはり只人ではあれが限界か。まったく使えぬ。
 やはり実力の伴わない無能者ではあんなものか」

言葉尻には微かな自嘲があった。
それに反応した、男の隣に控えている女が口を開く。

「ジョゼフ様。あなたは決して無能ではありません」

「確かにな。余が虚無であると知れば、余を嘲笑う家臣共も目の色を変えるだろうよ。
 だがそれはそれだ。無能王と嘲笑されていることに変わりはない。
 ああしかし、本当に困ってしまったな。しばらくはレコン・キスタで遊ぼうと思っていたのに、壊れてしまったよ。
 最後に上げられた花火は、確かに爽快ではあったがな。
 だがその代償として――アンドバリの指輪が使い物にならなくなってしまったようだ。
 さて、どうしたものか」

「……申し訳ありません」

事実を気にした風もなく口にしたジョゼフだったが、まるで親に叱られた子供のように、女は肩を震わせる。
よいよい、とジョゼフは手をひらひら振ると、またも溜息を吐く。

アンドバリの指輪が使えなくなったというのは本当だ。
クロムウェルから女――シェフィールドが回収したマジック・アイテムは、その機能を完全に停止していた。
ミョズニトニルンである彼女には何が原因となって機能停止に追い込まれているのかを理解できたが、しかし、魔力を持たない彼女では解除する術がない。
もし他者にやらせようにも、シェフィールドの知る解呪方法は系統魔法から大きく外れた技術を必要としているため、不可能に近かった。

「ああ、困ってしまったぞ。
 王党派と貴族派が膠着状態に陥れば、これ幸いにとトリステインは戦力を貸し与えるだろう。
 そうすればゲルマニアとの婚姻も必要となくなり、再び世は平和という名の停滞に留まってしまうことになる。
 退屈すぎるな。暇潰しにエルフの願いでも聞いてやろうか」

エルフ、とジョゼフは口にする。
彼の言葉は嘘ではない。この宮殿には、彼が云うように一人のエルフが滞在しているのだ。

数ある客間の一室には、一人の亜人がいた。
彼の名はビターシャルという。サハラに住むエルフと呼ばれる種族の一人だ。
本来ならば人間の敵である彼が何故王宮にいるのかと云えば、それはガリア王であるジョゼフと交渉するためなのだが――

今の彼はそんなことなど、どうでも良かった。
本来ならばエルフの土地へと人間が踏み込まないよう交渉することが彼の役目で、それをどうでも良いなどとは口が裂けても云えないのだが、しかし事情が変わっている。
ビダーシャルの脳裏には、今朝方からずっと一つの光景が焼き付いている。
それはジョゼフによって見せ付けられた空中大陸で行われている戦争の風景だった。
人間が如何に愚かかをエルフである自分に見せ付けてジョゼフは楽しもうとしていたようだが、しかし、その中でビダーシャルは決して無視することのできないものを目にした。

悪魔の力でも、精霊の力でもない、"異世界"の力――ミッドチルダ式の光を。
そう。ビダーシャルはあれが異世界のものであると知っている。また、ミッドチルダ式という名称も。
古来より語り継がれ、しかし時代の節目に必ず来訪者が訪れるために伝説にまで風化していないエルフの伝承。
それに語られているものと酷似した力を持つ人間を、発見することができたのだ。

評議会の一員としてガリアに向かうよう指示を受けたビダーシャルだが、しかし、それ以上にあの人間と言葉を交わすことは重要だ。
彼の力を借りることができれば――

個人で判断するにはあまりに大きな出来事のため、一度は本国に戻り、指導者であるテュリュークの意向を仰ぐべきだろうが、この機会を逃すわけにはいかない。
ジョゼフの言葉によると、ミッドチルダ式の使い手はトリステインからアルビオン王家に遣わされた使者なのだと云う。
ならば今すぐトリステインに向かい件の男と顔を合わせ、事情を話すべきだろう。
一度サハラに戻ってしまえば、彼を見失ってしまう可能性もあるのだ。

ビダーシャルが行うべきことはジョゼフと交渉し、四人の悪魔が聖地へ進行しないよう虚無の使い手を牽制することだ。
悪魔の力を使うものが揃えば、シャイターンの門は活性化する。サハラから遠く離れた国での出来事だというのに、門は唸りを上げる。
ならば近付かれたら――それは想像したくもないことだった。

だがミッドチルダ式の使い手の協力を先に取り付けることができれば――

ならば、とビダーシャルは今朝方からずっと続けていた思考に結論を出し、腰を浮かせた。
そして胸元に下がった丸いペンダントにそっと触れる。
それはエルフの土地から出る者に預けられる装飾品だが、しかし、次元世界の人間が目にしたら目を細めるだろう。
ストレージデバイスのコア。それを何故、と。



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