ザザ・ド・ベルマディは決闘をしたことがない。
決闘とは、広義には名誉のために一対一で命を賭けて戦うことだ。貴族同士の決闘というと派手で耳目を集めるのでちょっとした見せ物のように人が集まる。それに比べるとあまり目立たないが、平民同士の決闘も行われる。貴族と平民の決闘というのもないことはないが、まともな貴族はまず行わない。魔法を使えない平民相手に決闘をするという時点ですでに名誉が傷ついているため本末転倒なのだ。魔法を使わないで剣だけで平民と決闘した事例もあるが、非常に希である。
決闘といっても、命を賭けるなんてのは大昔の話。最近では命を奪い合うような決闘はめったになくなっている。どちらかに一撃入れたら勝負あり、というふうに勝利条件を明確にして行われる決闘がほとんどだ。
ザザは決闘をするような事態になったことがないし、そもそもトリステインではちょっと前から決闘は禁止されている。決闘は今でも普通に行われているが、建前の上では禁止ということになっている。
だが今、ザザは杖をもって決闘へと向かっていた。どこからか聞きつけたのかたくさんの生徒が見物にやってきている。
周囲の歓声や応援は耳に入らない。ただ一心に相手を見つめる。その胸に宿しているのは、怒りだった。
はじまりは小さな恋の芽生えだった。
引っ込み思案なクラウディアにボーイフレンドが出来たのだ。
ここ最近、夜に部屋でふたりになるとザザはいつもそのことでクラウディアをからかっていた。お風呂に入ったあと髪を乾かしながら、二人だけのパジャマパーティ。
「で、ですから。そういうのじゃありません! 彼とは仲の良いお友達です」
「だってよく一緒にいるじゃないか。前に二人でお茶飲んでたよね?」
「そ、それはその……」
「そういえば、その押し花の栞どうするの? 可愛いよね、使わないならくれる?」
「これは駄目です!」
「ふふ、やっぱり誰かにあげるんじゃないか。ラスペードにだろう?」
お相手は同級生のニコラ・ド・ラスペード。家柄や成績はぱっとしないが、話してみると実直な印象を受ける少年だ。経営学の授業で知り合ったらしい。宝飾作りを勉強しているということで、似たような勉強をしているクラウディアとは話が合うらしい。最近のクラウディアは交友関係が広がったせいか、ちょっとだけものごとに積極的になっていた。
「からかわないでくださいよぅ、ザザさん」
「前に私もさんざんからかわれたからねー。これはお茶会でも話題にしないとね」
「やめてください! やめてください!」
「ふふん、どうしようかな」
クラウディアは逃げようにも、ザザに髪を乾かしてもらっているところなので逃げられない。風と火のラインスペルで熱風を送りだして髪を乾かしている。ザザの髪は長くて時間がかかるので後回し。寝るときはザザは三つ編みをほどいている。
ザザが言わなくても、そのうちお茶会の誰かがかぎつけるだろう。女の子は恋の噂に関しては訓練された狩猟犬以上の嗅覚をもっている。とくに最近はルイズのことでお茶会の雰囲気が暗いので、クラウディアの話は格好の餌食になるはずだ。それはザザも同じで、暗い話題を吹き飛ばそうとついついこうやってクラウディアをからかってしまう。
ルイズの状況は一向によくならなかった。相変わらずルイズの魔法は成功しないし、それを馬鹿にする声もなくならない。ルイズもさすがに我慢がならなくなったのか、馬鹿にされると声を荒げて言い返してしまうこともあった。馬鹿な男の子はその様が面白いらしく、よりいっそうルイズをからかうのだ。
そんな馬鹿に対抗するため、ザザはちいさな防衛線を張っている。ザザがルイズと仲良くするだけのちいさな作戦だ。まだ今はあまり効果が出ているとはいえない。地道な作戦なのだ。クラウディアの友達が増えたように、ルイズの味方が増えてくれるのではないかとザザは願っていた。
クラウディアだけでなく、ザザ自身の交友関係もずいぶんと広がっていた。授業で班を組むときなどは男女問わずたくさんの誘いを受けるようになったし、上級生の知り合いも増えた。この前のような引き抜きの誘いではなく、純粋に交流を深めたいからとお茶会に誘われることもある。
そして教師の中でもザザに声をかけてきた人がいた。
「ミス・ベルマディ。待ちたまえ」
「は、はい。なんでしょう。ミスタ・ギトー」
ミスタ・ギトーは風の担当教師だった。風という属性に並々ならぬこだわりがあるようで、それがもとで偏見のある発言が多い。生徒にはちょっと不評な教師である。
「君はたしかにライン資格をとった。それはすばらしいことだ。だが、それに満足してはいけない。わかるかね?」
「……ええと、新しい目標を持て、ということですか?」
「その通りだ。さすがは風のメイジだ」
「ありがとうございます」
「だが、急に言われても中々できるものではないだろう。そこでだ、来年には私の風の講義を受講したまえ。君は勉学は出来てもまだ技量に欠けるところがあるだろう。最強の風にふさわしいメイジに鍛えてあげよう」
「か、考えておきます」
「うむ。それでは日々の努力を怠らぬように」
そう言ってギトーは去っていった。生徒からの評判は悪いが、熱意の方向が間違っているだけで悪い人ではないのかもしれない。ちょっとだけザザはそう思った。
他にも色んな人と会うようになったものの、それは良い出会いばかりではなかった。ザザが目立っていることを面白くないと思う者もいたのだ。
その中でも、ド・ロレーヌという少年がしつこくザザにつきまとってきた。彼の家は代々有力な風のメイジを輩出している名門で、彼自身も風のラインメイジだった。同じ風のラインで、自分よりも目立っている者がいることがいることに我慢がならないのだ。
ド。ロレーヌは再三ザザに試合を申し込んてきた。試合とはすなわち、決闘のことである。ザザはそんなことには興味がなかったし、わざわざ決闘に付き合って教師に怒られるのも嫌だったので適当に断っていた。
「ミス、一度で良いのだ。ぼくと杖を交えてはくれないか」
「何度も言っているだろう、ド・ロレーヌ。私はそういう、どっちが強いの弱いのには興味がないんだ」
「……たしかに君は資格者だ。だがメイジの実力を決めるのはそんな紙切れではないはずだ」
ド・ロレーヌは以前にタバサに試合を申し込んでこてんぱんに負けたことがあった。ザザも直接見ていたわけではないが、手も足も出ないといった負け方をしたらしい。自分の強さをひけらかしたいなら、まず彼女に再戦を申し込めばいいだろうに。さすがにそう口に出すほどザザも馬鹿ではない。男子の中には、プライドが何よりも大事という子がたまにいるのだ。そんな男の子をなだめすかしてプライドを満足させるのも淑女の仕事だ。
「そうだね。私は別に騎士とか目指してるわけじゃないし。実家でもモンスターの駆除とかは兄なんかがやっていたから、きっと戦えば君の方が強いと思うよ。じゃあ」
いつもそんな風にあしらっていた。だが、ド・ロレーヌは納得できないようでザザの顔を見るたびに試合をしろと騒ぐ。あくまで自分の方が優れているのだと主張したいのだ。
もしザザが男子だったらここまでド・ロレーヌは固執しないだろう。タバサのときもそうだが、彼は“たかが女”が自分よりも目立っていることが腹立たしいのだ。ド・ロレーヌの態度からはそんな男権的な考えが透けて見える。ザザは別に女性の権利がどうこうと言うタイプではないが、こういう思い上がりの激しい男は大嫌いだった。
男の子がそこまで強さにこだわるのが、ザザにはよく分からない。下の兄はザザがラインメイジになってから冷たくなった。自分がドットメイジで、年下の妹に劣っているのがくやしかったのだ。いつも、自分はドットだがお前よりもつよいとザザをいじめていた。
ド・ロレーヌの言動はそんな兄のことを思い出させ、ザザをいっそう不愉快にさせるのだ。
そんなときに、事件は起こった。
事件が起きたとき、ザザはフォルカと食堂のバルコニーに居た。二人ともそれなりに目立つ存在なので、二人のテーブルには周囲から視線が否応なしに集まる。
「先輩、その。ちょっと聞きたいことが」
ザザは三つ編みの先を手でいじる。落ち着かないときは髪を触ってしまうのがザザの癖だった。
「なんだい? 最近は色々目立っているみたいだし、ぼくに力になれることなら協力するよ」
フォルカはさすがに目立つことに慣れているようで落ち着いたものだ。そわそわとしているザザを見て笑っている。
「……なんか、腹がたちます」
「そのうち慣れるさ。それで、話ってなんだい?」
「ええと、なんて言えばいいのか……」
ザザは、目立つ人間としての振るまい方をフォルカに教えてもらうつもりだった。一応は高位貴族の嫡子であるフォルカならよく分かっているはずだ。ザザには想像もつかないが、帝王学といって高位貴族や王族はそういったことを小さな頃から学ぶらしい。
なんと聞けばいいか迷っていると、バルコニーに急に影がさした。何事かと思い顔を上げる。日傘をさしたソニアがふわふわと降りてきていた。とん、と着地するとソニアはくるくると日傘を回す。どうやらあの日傘がソニアの杖らしい。
「……なにやってるんですかソニア先輩」
「こんにちは、お二人とも。お邪魔だったかしら?」
「おや、ミス。ザザと知り合いなのかい?」
フォルカが立ち上がってソニアに空いている椅子を勧める。ソニアは日傘をたたみ、勧められた椅子に座る。フォルカの所作はさすがに高位貴族の嫡子だけあって堂に入ったものだが、ソニアのそれもとても優雅なものだった。ザザも一通りのマナーはしこまれているが、この二人やルイズとくらべると、荒削りもいいところだ。嫌っているソニアに負けているようで、ザザはちょっとくやしかった。
ソニアはほとんどの生徒の前では模範的な監督生として振る舞っている。フォルカの前でもそれは同じようで、フォルカは淑女に対する礼儀をしっかりと守っていた。
「で、どうしたんです? ソニア先輩」
フォルカの手前いつものけんか腰は押さえて話す。ソニアは近くに居た使用人に紅茶を頼む。出された紅茶をゆっくりと飲んでから、ようやく話を始めた。
「いえ、ちょっとヴェストリの広場で騒ぎが起こっていたので、ザザさんの耳に入れておこうかと」
「騒ぎ? 何なんですか?」
いい予感はしない。この人が楽しそうにしているときは、たいていろくでもないことが起こっているのだ。
「ええ、実は―」
ソニアの口から事件のあらましが語られる。話が半分も終わらないうちに、ザザは杖をとってバルコニーから飛び出していった。
その少し前。
クラウディアはボーイフレンドのニコラ・ド・ラスペードと一緒にテラスにいた。テーブルに色彩学の本を広げてふたりで話し合っている。服と宝飾という近しいものを学んでいるので話はいやおうなしに盛り上がっていた。
そのテーブルにひとりの男子生徒が近づいてきた。ザザにしつこくつきまとっているド・ロレーヌである。
「おや、今日はミス・ベルマディは一緒じゃあないのか。どこにいるんだい?」
この時間はよくクラウディアと一緒にいる。それを覚えるくらいには彼はザザを追い回していた。
「知りませんわ。ねえ、ド・ロレーヌ。いい加減にあきらめてはどう? ザザさんも迷惑していましてよ」
「うるさいな。君には関係ないだろう」
「関係ありますわ、ザザさんはわたしのお友達です」
部屋でザザが愚痴をこぼしているのをいつも聞いていたので、クラウディアは強く言った。以前のクラウディアならこんなことは言えなかっただろう。最近少し社交的になり、男子生徒とも話すようになったからこそ言えたことだ。だが今回ばかりはそれがいけなかった。
「ふん。成り上がりの分際でえらそうに。君ごときがぼくにものを言える立場だとでも思っているのかね」
「え……」
突然投げかけられた侮蔑に、クラウディアは言葉を失ってしまう。
クラウディアのロネ家はここ数十年で財を成した家だ。それまではザザの家と大差ない弱小貴族のひとつだったのが、クラウディアの祖母の成功によって躍進したのだ。今ではトリステインはおろか他国にまで名の通った家になった。だがトリステインの貴族には数百年、ともすれば千年続く名門が揃っている。そういう古くからの家柄の貴族には、つい最近成り上がって来た家を軽く見る傾向があった。それでも、家柄と個人の評価を混同するのは大人の貴族のおこないではない。家の名声が自分自身のものと勘違いするのも、成り上がりの家だと相手を侮るのも、余裕のない子供のやることだ。
「ド・ロレーヌ! 彼女に謝れ。無礼ではないか!」
ニコラが立ち上がって詰め寄る。
「なんだい、ニコラ。成り上がりに成り上がりと言ってなにが悪い」
「レディに対する態度ではないだろう」
「あぁ、君は宝石いじりが趣味だったね? 成り上がりに取り入って商売でもはじめるのかい?」
酷薄な笑みを浮かべて言い捨てる。あまりの言いように、クラウディアはうつむいてぶるぶると震えだす。それを見て、ニコラは杖を取り出しド・ロレーヌへと突きつけた。
「決闘だ! 彼女の名誉を賭けて君に決闘を申し込む」
激したニコラの言葉にも、ド・ロレーヌは笑みを消さなかった。
「おいおいニコラ。宝石いじりしか能のないドットの君が、ラインのぼくに勝てるとでも思っているのかい?」
「レディの涙のために戦うのはトリステイン貴族の義務だ、勝ち目があるかどうかは関係ない。それに、君だってか弱いレディをいじめるしか能がないのに、トライアングルに挑んだのだろう?」
タバサにこてんぱんに負けたときのことを言われ、ド・ロレーヌの顔がかっと赤くなる。他人にはどれだけ言いつくろえても、自分の中の恥の記憶は消せるものではない。
「いいだろう。そこまで言うのなら受けてたとうではないか」
当然ながら、二人の闘いは一方的なものになった。
ニコラは土のドット。宝石や貴金属を彫金する技術には優れているが、攻撃魔法などは手習い程度にしか覚えていない。かたやド・ロレーヌは風のラインで、それなりに戦闘訓練も受けているメイジだ。メイジとして積んできたキャリアが違い過ぎる。
ニコラは作業用につかっているゴーレムを二体造りだして戦った。力と頑健さはそれなりにあるが、速度がまったくない。戦うには遅すぎる。そもそも速度を重視した設計をしていないし、ニコラ自身もそんな動かし方をしたことがない。
なぶるようにゴーレムは少しずつ切り裂かれていく。子供が虫の足をちぎって遊ぶようにばらばらにされ、ただの土くれに還る。ニコラは懸命にゴーレムを操り、ド・ロレーヌをとらえようとするが、鈍重なゴーレムに身軽な風のメイジは捕まえられない。慣れないゴーレムの使い方をしているせいか、刻々とニコラの精神力が削られているようだった。逆に、ド・ロレーヌは猫の子をあやすようにゴーレムをやすやすとあしらっている。
「どうした。どうしたニコラ! 大口を叩いた割りにまったく歯ごたえがないじゃないか」
「ま、まだだ!」
二体のゴーレムを破壊されたニコラは、さらにゴーレムを造りだした。精神力の限界がきているのか、ニコラは脂汗を流しふらふらになっている。しかも、造りだしたゴーレムは棒立ちで動く気配すらない。
「ははははは! なんだいこれは? なけなしの精神力をしぼってこんなものを造っちゃ話にならないだろう」
ド・ロレーヌは強力な攻撃呪文を用いて、ゴーレムをまっぷたつにしてみせる。ゴーレムの砕け散る轟音がヴェストリの広場に響き渡る。
「さて、あとは杖を飛ばしておしまいだ。練習台にもならなかったな」
勝ち誇ったように言って、ニコラへと近づこうとする。だが、その足は地面から生えた土の腕によってがっしりと捕まれていた。
「こ、この!」
ニコラが造りだしたゴーレムは錬金でそうみせかけただけの張りぼてだったのだ。それにド・ロレーヌが気をとられている間に、アース・ハンドの呪文を唱えて足元を拘束した。これでもう逃げることは出来ない。
ニコラが最後の力を振り絞って杖を振りかざす。同時に、ド・ロレーヌも杖を向けた。呪文とともに土石の弾と風の刃が交錯する。
「う、あっ……」
肩から血を流して杖を取り落としたのは、ニコラだった。精神力も尽き果てたのかその場に崩れ落ちる。
「ニコラ!」
見ていたクラウディアが駆け寄る。すぐに肩の傷に治癒呪文をかけはじめた。
ド・ロレーヌは肩で息をしながら足下を見た。アース・ハンドで生み出された土の腕はすでにただの土くれに戻っていた。苛立たしげに、それを何度も足で踏みつける。
「まったく。こんなこそくな手を使うなんて。恥を知らない者はこれだから困る」
その言葉に、クラウディアがきっと顔を上げた。
「恥知らずはあなたです!」
火が噴き出したような剣幕に、ド・ロレーヌは一瞬たじろぐ。だが、すぐに尊大な顔をとりもどした。
「いいかげんにしたまえ。そもそも君が立場もわきまえないことを言うからいけないのだろう。反省したまえ」
「……!」
刃向かおうにも、クラウディアではド・ロレーヌに一矢報いることもできないし、それにニコラの治療をしなければならない。クラウディアに出来るのは怒りに耐えて相手をにらみつけることだけだった。
ここで泣くのは、クラウディアの誇りが許さなかった。理不尽に対して泣きわめくのは貴族のおこないではない。テーブルの下で焼けた棒を押しつけられても笑顔で会話を続けるのが貴族というものだ。
「……それじゃあ、失礼しますわね。ド・ロレーヌ。ごきげんよう」
怒りをこらえてそう言う。早くこの場を去ろう。ニコラを運ぼうと呪文を唱えようとしたとき、一陣の風が吹いた。
渇いた風とともに、クラウディアの前にひとりの少女が舞い降りる。
「ド・ロレーヌ。君がここまで馬鹿だとは思わなかった。誇りのなんたるかを知らないとは思わなかった。
ド・ロレーヌ。君は最低の風だよ、ド・ロレーヌ。腐臭の混ざった吐き気のする風だ、ド・ロレーヌ」
手には大きな木の杖。暗い青色の三つ編みが背中で揺れている。少女の纏う風にはさらさらとわずかに砂が混じっていた。
「私は、友だちの誇りのために杖をとろう。彼女のために戦った騎士に代わって杖をとろう。
ド・ロレーヌ、君は自分の強さなんてちっぽけなもののために戦うがいいさ」
少女―ザザは、怒りを背負って杖を突きつけた。