魔法は、貴族と平民の間にある唯一絶対の差だ。
少なくとも、このトリステインではそうだ。貴族はすべてメイジである。移民や貴族の庶子など、貴族ではないメイジも存在するが、その逆ーメイジではない貴族は存在しない。だが、お隣のゲルマニアでは貴族とは力あるものの代名詞だ。豪商が金で貴族の地位を買うことも珍しくはない。貴族という言葉の意味が違うのだと、ザザは思っていた。
魔法は始祖から与えられた奇跡であり、貴族の証だ。魔法が上手ければ上手いほど、社会的にその人物は評価される。たとえば、ライン以上の認定を受けていれば国立法学院への推薦状がもらいやすくなったり、奨学金の査定がゆるくなったりする。司法の道にいくのに魔法は関係ないのだが、そういう慣習になってしまっているのだ。そんな常識の中で、「魔法が使えない貴族」というのは大きなハンディキャップだった。
誰が言い出したかはもうわからないが、ルイズには「ゼロ」という二つ名がつけられた。魔法成功率「ゼロ」のルイズ。
明らかな蔑称だ。さすがにそれを表だって言い回るような生徒は、ほとんどいなかった。ルイズは座学は完璧だし、公爵家の令嬢だ。その面子に正面から泥を塗るようなまねはなかなかできない。彼女が魔法が使えないことを哀れむことはあっても、嘲笑することははばかられていた。
「ルイズ様。どうしてうまくいかないのかしら。努力なさっているのに、お可哀想」
クラウディアがこんなことをよく言っている。ザザもつい同じようなことを考えてしまう。傲慢で不遜なことかもしれないが、ルイズは「かわいそうな子」なのだ。
だが、ルイズが毎日のように教室を吹き飛ばしていくと、だんだんとそんな空気に変化が起こってきた。ルイズのせいで授業が遅れることもあったし、やむを得ず一人だけ個別に指導されることもあった。
そうしていくうちに、ルイズは哀れな魔法が使えない子ではなく、やっかいものの落ちこぼれと見られるようになっていった。
風の授業のときだった。レビテーションの魔法を皆で練習していた。浮かぶだけの魔法であり、風の魔法が苦手な土メイジでも出来る芸当だ。皆が教室でふわふわと浮いていると、下から爆音が響いてきた。またか。空中で皆がそんな顔をして、下を見下ろす。すすだらけになったルイズがけほけほとせきをしている。
「なぁに? ゼロのルイズ。また失敗したのね。たかがレビテーションの魔法も使えないなんて、ヴァリエールももう落ち目ね。ほほほほ」
キュルケがルイズを見下ろして言った。がれきの中でルイズは涙をいっぱいにためて、それでも泣くまいとこらえて上を睨みつけていた。
キュルケがルイズをバカにするのは日常茶飯事だった。授業でルイズが失敗するたびに、声高にルイズをあざけ笑う。キュルケはもともとルイズと犬猿の仲であるが、彼女がゲルマニアの出身ということもあった。ゲルマニアは実力さえあればすべてを手に入れられる社会だ。メイジでないものでも、実力さえあれば官位を手に入れることができる。それは逆に言えば、力のないものは何をされても文句が言えないということだ。ゲルマニアの貴族であるキュルケにとって、魔法の使えないルイズなどは踏みつぶされて当然の存在なのだ。
トライアングルメイジで、何かと目立つ存在である彼女がそうし続けることで、他の生徒にもその空気が伝染していった。
ルイズ、というかお茶会の子たちと対立していた女の子たちが、キュルケの声に乗ってルイズをバカにするようになった。キュルケのように直接的ではなく、あくまでルイズの名誉を守ろうという姿勢で慇懃無礼な言葉を投げかける。それはある意味、キュルケの言葉の何倍もとげのある言葉だった。
次は頭のゆるい男子たちだ。かれらは特に理由もなく、教室の空気に乗せられてルイズをバカにする。女子がやっているから、教室の空気がそうだから。そんなふうに誰かに責任を押しつけてルイズをバカにする。
そんなことをする生徒を逆にしかりつける生徒もいた。男子の一部の、騎士を目指している少年たちだ。彼らの騎士道は、弱者をあざ笑うことを良しとしない。きまじめな彼らの言葉は常に正しいので、特に男子はすぐに黙った。だが、キュルケには騎士道の論理は通じないし、他の女子たちもまた「正しさ」とは別のところで動いている。そして彼らには悪気はないものの、レディとして守られるならともかく、「守るべき弱者」として扱われることはルイズにとって屈辱的なものだった。トリステイン貴族にとって「守るべき弱者」とは老人や子供、そして平民のことだ。
ルイズは馬鹿にされながらも公爵家三女の優等生を演じ続けた。実技以外の授業では優秀な成績を収めて、討論会などでは誰よりも見事な論旨を展開してみせた。その様はまるで意地になっているようで、見ていて痛々しいほどだった。
ルイズの「ゼロ」を突きつけられ、お茶会は対応を迫られた。自分たちが作ってきた城が一夜にして砂の城に変わったようなものだ。
まず、新入りが半分ほどお茶会に来なくなった。公爵家という甘い蜜によってきた蟻たちだ。同じように他のグループにたかることで、おこぼれに預かろうとするのだろう。
人数が少なくなったからか、権威派の女の子たちはおとなしくなった。というよりも、それどころではなくなったのだ。内部で派閥争いをしたり外部に威張り散らすよりもまず、自分たちの居場所を確保しなければならないのだ。
皆はルイズを擁護することで固まった。ルイズをバカにする声には抗議をするし、お茶会でもルイズを励ましたり楽しい話題をなるべく作ろうとしている。いきなり手のひらを返すようなことがなくてよかったとザザは思ったが、それでも問題はあった。
ルイズを守ろうとするのはいいのだが、それが過剰なのだ。男子がルイズを守ろうとするのは騎士道にならっているからだが、茶会の女の子たちがそうするのは保身のためだ。あくまで「注意」をする男子と違い、保身に走った女子は「攻撃」をしてしまう。それはルイズを侮蔑する子たちとの軋轢をさらに深いものにして、いっそう激しくルイズはバカにされるようになるのだ。
ルイズはそんなことをしなくてもいいと何度も言うのだが、彼女たちはやめようとしなかった。お茶会はすでにルイズの意志とは別に動くようになっていた。
以前、ザザはルイズのことを篭の鳥のようだと思った。周囲から笑顔を向けられるだけで、誰もかごの中には入ってこないという意味だったが、今は別の意味で籠の鳥だった。もはや、茶会はルイズという鳥を逃がさないための籠になっていた。籠の中でルイズがいくらさえずっても誰も気にしない。かわいらしい鳥が何か鳴いているとしか思わない。
一日一日、ルイズと周囲の関係がどんどんと悪化していった。そんなときに、ザザはライン試験の合格を告げられた。努力が実ったうれしさはあった。ルイズは喜んでくれるだろうか。喜んでくれたらいいな。そんなことを思った。
翌日、生徒全員が集まった講堂でザザは他の合格者とともに壇上にあがった。二年生は半数、三年生は全員が合格だった。フォルカも合格していた。もともと、学院を卒業する程度の学力があれば簡単に合格できるものだ。3年生ならば少し勉強すればとれる。さほど自慢するほどのものでもないのだが、1年生でひとり壇上にあがったザザは違う。全校生徒からザザは好奇の視線を受けた。
ザザは最後に証書を受け取った。授与してくれた教師は、ザザが壇上から降りる前に彼女の肩に手をやって、無理矢理全校生徒のほうを向かせた。
「見ての通り、彼女は一年生にしてラインの国家試験に合格するという輝かしい結果をだした。風のメイジとして日々努力した結果である。諸君等もまた、彼女を見習って努力を怠らぬように」
教師の言葉をきっかけに、講堂の中が拍手で満たされる。割れんんばかりの拍手がすべて自分に向けられているだと思うと、ザザはなんだか少しこわかった。
ふと、拍手をする生徒の中にルイズの顔を見つけた。ルイズは久しぶりに、本当にうれしそうに笑って拍手をしてくれていた。それだけでも、頑張ったかいがあると思った。
「ザザさん、ラインだったんですね……」
教室に戻ったあと、クラウディアが呆けたように言った。
「うん。最初に言いそびれちゃって、なんか言い出しにくくってね」
「もう。教えてくれればお祝いとかできましたのに」
「ごめんごめん」
いつものように二人で談笑していると、そこに他の女子たちが何人か声をかけてきた。
「ベルマディさん。ご一緒していいかしら?」
「え? うん。構わないけど……」
あまり話したことのない子達だった。中のひとりがラインで、来年は受けるつもりだから話を聞かせて欲しいということだった。他の授業でも、男子・上級生といろんな人から声をかけられた。
授与式の日から少しずつ、ザザの周りには人が集まり始めた。一年生にしてライン資格を取る優等生。ソニアのいたずらのせいで監督生に目をかけられていると勘違いされているものあって、とたんにザザの周囲はにぎやかになっていった。
急に話す人間が増えてザザはすこし疲れていた。そして、ザザをさらにげんなりさせることが最近出てきた。
「ザザさん。次の授業は何を受けるんですか?」
「……法学だよ」
「あ、じゃあ第二講堂ですよね。途中まで一緒にいきましょう」
クラウディアは次に経営学の授業を受けるはずだ。ザザの向かう教室とはぜんぜん違う方向だ。前までは教室で分かれて別々に向かっていたはずだ。そのことを指摘しようかと少し思ったけど、悪いと思ってやめた。
「……そうだね」
「よかった。じゃあいきましょう」
ここのところいつもこうだ。授業のときも、放課後も、クラウディアは必要以上にザザにくっついてくるようになった。ザザは正直いって少しうっとうしいのだが、むげに追い払うのも悪いので困っていた。
クラウディアにとってはザザは数少ない友人のひとりだ。ザザも人付き合いは悪いわけではないが、勉強ばかりであまり友人を増やす機会はなかったので、まともに友人と呼べるのはルームメイトのクラウディアくらいかもしれなかった。部屋でも、授業でも一緒な二人。その片方が、急に学院の人気者になった。クラウディアはそれが自慢なのと、同時に不安もあるようだった。人気者になったザザが、自分と一緒にいてくれなくなるのではないかという不安だ。
ある意味高嶺の花だったルイズよりも、手元にあったザザが実は宝石だったことのほうがクラウディアに独占欲を沸かせるようだった。それはクラウディアだけでなく、お茶会のみんなも同じだった。茶会のすみに転がっていた石ころが思わぬ宝石だったのだ。急に茶会のみんなはザザをちやほやと扱うようになった。
ルイズという宝石が思ったよりも価値がなかったので、もう一つ新しいものを持っておこうということだ。そこまではっきりと意識はしていないだろう。女の子は無意識でそういうことを理解するからやっかいなのだ。
ザザはかなり不機嫌だった。
まず、午前の授業中にまたルイズを馬鹿にする男子が居た。実技の授業でもない座学でだ。失敗を笑うのならまだ分かるが、そうでもないときに馬鹿にするというのはどういう了見だろうか。
そしてもう一件、ザザの神経を逆なですることが起ころうとしていた。ザザはテラスでお茶を楽しんでいた。クラウディアも授業でいなくて、久しぶりにひとりでゆっくりとしていたのだ。今のザザにとってひとりの時間は貴重なものだ。そこに声をかけてきた子たちがいた。
それはどこぞの伯爵令嬢と、その取り巻きたちだった。一年生の女子の中ではかなり大きなグループである。家柄も美貌も勝てないルイズを目の上のたんこぶとしていて、ルイズが魔法を使えないとわかるや真っ先に嘲笑し始めた子たちだ。
当然、ザザはあまりいい印象をもっていない。「何か用?」と、つんとした声を出してしまう。
「いえいえ。今日はね。貴女に良いお話を持ってきたのよ。とってもいいお話ですわ」
「だから何?」
「お茶会のお誘いですわ。今度の虚無の曜日に、あたくしたちのお茶会にいらっしゃらない? なかなか成績も優秀なようですし、あたくしのお茶会にきたほうがふさわしいと思いますわよ」
「……」
つまり、ルイズの茶会を抜けて自分たちの仲間になれということだ。最近目立っているザザがそのようなことをすれば、お茶会には間違いなく勢いがなくなる。何より、ルイズがひどく傷つくだろう。
悪意のない顔で上からものを言ってくる。ザザのような弱小貴族は、こういった時流に敏感だと思っているのだ。少しでも旗色が悪くなれば、主人を見限る不義理ものだと。
「どうです? よいお話だと思いますわよ」
「……ふふふ」
ただでさえ色々あって苛ついているときに、この言いぐさ。思わず笑いがこみ上げるほど頭に血が上った。
「娼館にでもいっておねだりのしかたをきいてきな、あばずれども」
スラングたっぷりの罵倒をぶつけてやる。平民の友達から習ったもので、意味は自分でもあんまり分かっていないのだけど。
「……は?」
「わからなかったかな? お嬢ちゃんたち。私の友達としてふさわしい品性を手に入れてから出直してきなさい」
そこまで言ってようやく、自分たちが馬鹿にされていると気づいたようだった。顔をまっかにして怒鳴り散らし、テラスから出て行ってしまった。
やりすぎたかな。ちょっとばかりそう思ったが、さっきの物言いは許せるものではなかった。あれだけ言ってもまだ言い足りない。そんな気持ちと一緒に、冷めたお茶を飲み干す。
「あはっ、ははは、あははははは!」
近くで大声をあげて笑う声があった。振り返ると、長身の赤毛の少女が近づいてくるところだった。
「いや、ザザ。あなたなかなかやるわねぇ。あんなスラングどこで覚えたの?」
「友達に習ったんだよ。というか、ツェルプストー。君がルイズを馬鹿にするから私が色々腹が立つことが多いんだけど?」
「ツェルプストーの女にヴァリエールと争うなって言うのは無理ってものよ。それに、尻馬にのってやんちゃをするのは彼女たちが悪いんじゃない?」
「……まぁ、どっちがタチが悪いかというと君のほうがまだマシだろうね。それでも腹のたつことに代わりはないんだけど」
「でしょう? あーおもしろかった。あの子たちのあの顔!」
「はぁ……」
キュルケのこの悪びれないところは一つの才能だった。ルイズに悪口を言っても、浮いた噂が多くても、本人がさばさばとしているので湿っぽい話にならないのだ。ザザがけっこうつっけんどんに話しているのに、それを気にする様子もない。毒気を抜かれてしまって溜息をついていると、キュルケはさっさと行ってしまった。自由奔放なものだ。あんな風に生きることが出来たら楽なんだろう。キュルケを見ているとザザはいつもそう思う。
「あ、ザザさん」
そろそろ次の授業に行こうという頃になって、クラウディアの声が聞こえた。またか。少しうんざりした。ルームメイトとはいえ、四六時中つきまとわれるのは辞めて欲しかった。
「何? クラウディア……と、みんな」
クラウディアは一人ではなかった。最近ザザによく声をかけてくる女の子たちと一緒だった。
「一緒だったんだ?」
「ええ、詩作の授業で一緒なんですよ」
「へ、へえ……」
彼女たちは仲が良さそうに見えた。ちょっと前まで、クラウディアはザザに近づいてくる女の子たちに対抗心を燃やしていたのに、意外だった。むしろ、自分だけ仲間はずれにされたような疎外感を覚えてしまう。
(いらいらしてて、変に思い込んじゃったのかな……。それか、ちやほやされて自惚れてたのか)
ザザは自分の思い上がりを恥じる。だが、ザザのそばにいることでクラウディアの交友関係が広がったのは事実だった。これまでお茶会の子としか一緒にいるところを見たことがなかったのに、少しずつ他の子たちとも仲良くしているのを見るようになっていった。ときには男子生徒とも話すようになり、ついからかいたくなってしまった。
ザザは、自分に『力』があるのだと分かった。
その『力』とは、周囲の人間を左右する力。ザザの周囲に集まり、ザザの行動に左右される人たちがいる。そういう『力』があるから、ザザを茶会から引き抜こうとする人も出てくるし、クラウディアの交友関係が広がったりする。
ちいさなものだけど、確かな力だ。きっと、これがずっと大きくなっていけば『権力』という名前になるのだろう。魔法で砂粒を操るように、権力は人々を動かす。
扱ったことのない力にザザは戸惑う。自分の一挙一動に注目している人がいる。自分がちょっと何かをしただけで、その人たちの行動が変わってしまう。それはとてもこわいことのように思えた。こんなものを扱えるルイズの方が、ラインなどよりずっとすごいのではないかと思った。人を動かすというのは、とても難しいことなのだ。魔法のような、ただそこにあるものを操るよりもずっと。
今の自分なら、もしかするとルイズを助けになれるのではないだろうか。そんな考えが浮かんでくる。
たとえば、ルイズのそばに自分がいればルイズを馬鹿にしにくくなるのではないだろうか。ルイズのもともと持っている影響力と、ザザの手に入れたちいさな影響力を合わせれば、少しはマシになるのではないだろうか。少なくとも、ザザに近寄ってくる生徒は声高にルイズを馬鹿にすることはないはずだ。
しかし、同時に不安もあった。ルイズでも、『力』の使い方は完璧ではないのだ。茶会の女の子たちのように、扱いきれないときもある。良かれと思ってやったことが、裏目に出ることだってあるだろう。それを思うと、ザザは踏み切れないでいた。
そんなときに、ソニアの言葉が頭に浮かんだ。
『出来ない者が出来ないのは無能の証明でしかありません。しかし、出来る者がやらないのは罪悪です』
『無能は罰ですが無為は罪です』
力があるのにやらないのは、罪悪なのだ。
力があるのならば、やらなければいけないのだ。
魔法という力を持った以上、それを国のため民のために使うのが当然なように。そう、ザザは考えた。
ザザはちょっとヒネた考え方をしているが、結局の所は田舎から出てきたばかりの一五歳の女の子だった。まだまだ世間知らずなところがあるし、基本的にお人好しだ。
どのくらいかというと、性悪とわかりきっている監督生の言葉を信じてしまうほどに。