魔法学院の図書館はものすごく大きい。魔法を使わないと本が取れないようなでっかい本棚がある。本の揃えもかなりのもので、古い貴重な文献がたくさんあるらしい。
たしかに立派だけど、正直言ってどこに何があるのか分かりにくいし使いにくい。あんな馬鹿でかい吹き抜けを作る余裕があるのなら、ひとり掛けの勉強机をもっと増やして欲しい。ザザは図書館の本棚を見るたびそう思う。
図書館の一人がけの席はいつ行ってもいっぱいだ。ザザのように資格をとろうという生徒の他にも、課題や研究で図書館を利用する生徒は多い。運良く一人がけの席を取れた日はいいが、大体の場合ザザは4人掛けや6人掛けの席につくことになる。
相席の相手が静かに勉強や読書をする子ならそれでもいいのだけど、中にはそうでない子もいる。本を輪読しながらの討論会をするとか勉強をするのならいいのだが、勉強そっちのけで雑談をするような生徒もいる。
中には、勉強をしているザザに話しかけてくる子もいた。それはクラスメイトだったり、茶会の仲間だったりで、いつもと同じ感覚でおしゃべりをしようとするのだから困ってしまう。
中でも、もっとも困ったのは一学年上の先輩に話しかけられたときだった。
「こんにちは、ザザ・ド・ベルマディ」
「えっと……、誰ですか?」
いきなり前の席に座り話しかけてきた。ふわふわの金の巻き毛を肩口できりそろえた少女、二年生のマントを身に付けていた。美人ではないが、切れ長の瞳と自信に満ちた表情が印象的な人だ。どこかで見たような気もするが、思い出せなかった。
「あたしをご存知ありません? ザザ・ド・ベルマディ。自分ではそれなりに有名人だと思っていたんですけど、思い上がりだったのかしら。まぁ、最近まで学院中で噂だった有名人から見れば、あたしなどとるに足らないということなのでしょうか?」
「……用がないなら黙ってくれませんか。図書館では静かにするべきです」
「ふふ、そう邪険にしないでくださいな。悪かったわ、ザザ・ド・ベルマディ。自己紹介をしましょう。あたしはソニア・ド・アンクタン。二年の監督生をしています」
「……ああ」
そういえば、寮の消灯時間に見回りをしている顔だった。遊技室や読書室に遅くまで残っていて注意されたこともあったと思う。
監督生とは、寮生活や学校生活において他の生徒の素行を監督する役目を与えられた生徒だ。当然、模範的な優等生から選ばれる。男女それぞれの寮で、二年と三年にひとりずつの監督生がいる。目の前の彼女はその一人ということだ。
「で、その監督生の先輩が私に何のようでしょうか」
「あなたの素行に問題があるとかそういうことじゃないからそう身構えなくてもけっこうですよ。ちょっと世間話がしたいだけです」
「世間話ならよそでやってくれませんか。私なんかよりは、中庭のお花にでも話しかけてたほうが幾分かは楽しいと思いますよ」
挑発的なソニアの物言いに、ついザザの口調も荒くなる。
「ふふ、手厳しいですね」
「そんなんで、よく監督生なんかになれましたね」
「こんなものは試験と同じですよ。それらしく振る舞えばいいだけなんですから簡単です。あなたもライン試験を受けるんですから、分かるでしょう?」
「……なんで知ってるんです?」
「知っている人は知っていますよ。説明会に来ていた子とかがいるでしょう? あたしもあの会場にいたんですよ」
「なるほど」
「まぁ、嘘なんですけどね。あたしはドットメイジですから。単に、担当の先生の手伝いをやっていたときに書類に目を通しただけです」
「……いい加減、黙ってくれませんか?」
さすがにザザが声を低くすると、ソニアがにっこりと笑った。
「ごめんなさいね。初めてお話する人だと緊張してしまって。ちょっとした助言をしたいだけなの。お聞きなさい」
「……何です?」
「あなたたちのお茶会ですけれど、そろそろ人数を増やすのをやめたほうがいいですよ。二年生の一部に、よく思っていないグループがあります」
ソニアはにっこりとした笑みを張り付けたままいった。
「ルイズ・フランソワーズはさすがですね。上級生への根回しもしっかりやっていますし、お茶会の場所を毎回変えているのもよい判断です。定住した集団は人数が増えやすくなりますし、一つの場所を独占しては反感も買いやすくなります。ですが、そろそろ限界ですね。遠からずあなたたちのお茶会はルイズ・フランソワーズの手に負えなくなります」
「それは……」
思わず、ザザは黙った。今の段階でも十分に問題だと思っていたからだ。茶会のみんなで何気なく歩いていても、人数が多いとそれだけで威圧的に見えてしまう。威圧的に見えれば、それだけで無用の敵を作る。
監督生は学生同士のいざこざを仲裁するような役割も持っている。軋轢が大きくならないうちに、こうやって釘をさすのも仕事のうちなのだろう。
「なぜ、そんな話を私に? 正直言って、私はあの中では立場は強くないですよ」
「あなたがあの中では一番冷静にものを見ているからです。他の子はまだちょっと自覚に欠けますね。ルイズ・フランソワーズに言ってもいいんですが、彼女は思っていたよりも我が強い。あたしの言うことを聞くかどうかは微妙なところです。高位貴族の末っ子などは分をわきまえた良き妹として教育されるものですけど、彼女は違うようですね」
ザザは頭を抱えた。何もかもが正論だからだ。茶会の皆は自分たちがどう見られているかなど気にもしていない。いや、注目されているということだけは分かっていて、それを無邪気に喜んでいる。
「……それとなく、何人かに話してみます」
「ええ、外部の者から言われるよりは、内部からの助言のほうが彼女たちも聞きやすいでしょう」
頭の中で、誰にどうやって話を持っていくかを検討する。茶会の中でも保守的な子を選んで、遠回しに言っていくしかないだろう。
「あぁ、あと」
「何ですか?」
「あなたを選んだもう一つの理由です。グナイゼナウとの一件も片づいて、最近は暇そうにしていたので悩みを与えてあげようと思いまして」
「……監督生って、悩みを聞くものじゃないんですか」
「そうですよ。でも、なぜだかあたしには誰も相談に来てくれないの。だからこうやって悩みを与えることにしているのよ。あなたも是非相談にきてね、ザザ・ド・ベルマディ」
「お断りです!」
二度と話しかけるな。心の中でそう悪態をついて、ザザは席をたった。
明くる日。今日は静かに勉強できるといいな。そんな期待を持ちながらザザは空いている席を探していた。やはり一人掛けは全部埋まっている。4人掛けの席も誰かしらが座っている、これから混む時間帯なので誰と相席になるかが分かれ道だ。適当に座ってしまおうと思っていると、ザザは一人のクラスメイトを見つけた。
目のさめるような青い髪と、眼鏡が特徴的な小柄な女の子だ。名前は覚えていないけれど、いつも教室で本を読んでいる子だった。四人掛けの席で一人で本を読んでいた。四人掛けの席に二人で座っていると、よほど混んでいない限り座ってくる子はいない。彼女と相席なら、静かに勉強できるだろう。
「ここ、いいかな?」
そう聞くと、青髪の子は眼鏡ごしにちらりとザザを見た。言葉はなく、また本に視線を落としてしまう。ザザは少し面食らったが、肯定と受けとって席についた。
思った通り、青髪の子は静かに本を読んでいるだけだった。ぱらり、ぱらりと規則正しく本をめくる音が聞こえてくるだけだ。
実は、ザザは以前からこの子に好感というか、仲間意識のようなものを持っていた。というものの、彼女の使っている杖がザザと同じ大きな木の杖だったからだ。流行りのちいさなタクトを持っているクラスメイトたちを羨ましいと思ったことはないが、なんとなく疎外感は感じていた。
ザザの家では、子供が生まれると森に一本の苗木を植える。10歳になった年にその木を切り倒して杖を作るのだ。家の伝統だし、自分で削りだして作った杖なので愛着もある。流行りだからといってほいほいと新しい杖を作る気にはならなかった。
なので、ザザはでっかい杖をもっている子のことを勝手に、流行りに流されないででっかい杖を使っている仲間だと思うことにしていた。
「じゃあ、先に失礼するよ」
日が暮れてきたころ、ザザはそう言って立ち上がった。やはり、青髪の少女から返事はなかった。おかしな子だな。そのくらいにしかザザは思わなかった。
それから何日か、ザザは青髪の少女と同じ机に座り続けた。青髪の少女は何も言わないし、ザザも最初と最後に少し挨拶をするだけだ。青髪の少女は何も言わないが、他の席が空いていても移らないのだから、迷惑ではないのだろうと思っていた。会話らしい会話は一回もしたことがない。だが、なんとなくザザはこの関係が気に入っていた。
彼女が何の本を読んでいるのかと気になり、ザザは本のタイトルをいつもついつい盗み見てしまう。それは小説だったり、難しい魔法理論の本だったり、薬草学のテキストだったりと一貫性がなかった。乱読家というやつだ。いろんなことに興味があってえらいなと、ザザは思っていた。
そのうち、ザザは図書館に来ると一人掛けの席よりも、まず青い髪を探すようになっていた。そんなある日、とっている授業が休講になり、ザザはいつもよりも早めに図書室にやってきた。いつもの青い髪は見あたらなかった。席はがらがらで一人掛けの席も空いていたのだが、何となくザザは四人掛けの席に座った。
やがて午後の授業が終わる時間になり、他の生徒が少しずつやってきた。ザザは気にせずに勉強をしていると、前の席に誰かが座る音がした。顔を上げると、そこには見慣れた青い髪があった。本で顔を隠すようにしながら、こちらをちらりとうかがっている。ザザが思わず微笑むと、彼女はいつも通りに無言で読書を始めた。なんだか、なかなか懐かない野生の生き物を捕まえたみたいで楽しかった。
彼女にとっても、この関係は心地よいものなのかもしれない。一人静かに読書に集中するのに、ザザという相席相手は都合がいいのだろう。お互いの利害が一致して、二人は一緒にいる。友情とは呼べないが、この関係はザザにとって心地よかった。
ある日、選択科目の授業で課題が出た。班ごとにレポートを発表する課題で「魔法の活用されかたの過去と現在」という面倒くさくて面白みもなさそうなテーマだった。班のみんなで図書館にやってきて、資料とにらめっこをしていた。
「ね、ねえみんな。やっぱり自分の系統ごとに分担するというのはやめにしないか」
「君が言い出したことじゃなかったかい? グラモン」
「だ、だって土の項目がどえらい量だよ? こんなの一人じゃとても無理だ」
「んー……まぁ。たしかにバラバラに広く浅く調べるよりは、ひとつの分野に集中して調べた方が楽そうだね。農業とか医療とかって限定してさ」
いつも自分が気にしているので、もちろん声は落として話していた。ひとりが声を落とすと、自然と班のみんなも静かに話してくれた。
「じゃ、じゃあどの分野を調べるのかを決めないといけないわね。なにがいいと思う、ギーシュ?」
同じ班のモンモランシーがそわそわとしながらギーシュに話しかける。ギーシュ・ド・グラモンがモンモランシーに気があるというのはもっぱらの噂だった。女子だけで固まっていた班に無理矢理割り込んでくるくらいだから、朴念仁のザザにも分かった。モンモランシーもその気がないわけではないのか、ことあるごとに会話を持とうとしていた。
男子は単純でいいな。ギーシュを見るたびにザザはいつもそう思う。たとえば、ギーシュのようにへらへらと色んな女子に声をかけても、男子ならちょっとしたお調子者程度で済んでしまう。逆に女子がそんなことをしたら一気に反感を買うだろう。キュルケが良い例だが、彼女はそれを黙らせる実力がある。それ以外でも、男子の関係というのは女子に比べてものすごく単純に見える。もちろん、男子からすれば逆に思えるのかもしれないけれど。
そんなことを考えていたとき、誰かが図書館に入ってきた音がした。何の気無しにそちらを見ると、見慣れた青い髪と大きな杖が見えた。目が合う。ザザはなぜだか、ばつの悪い思いがしてうろたえてしまった。これまで二人で少しずつ積み重ねてきた何かを、土足で踏み荒らしてしまったような気がした。
彼女はザザと目が合うと、ぷいと向こうに行ってしまった。相変わらずの無表情だったが、なんとなくその横顔がいつもとは違って見えた。
「あ……」
声をかけようとしたが、言葉が見つからなかった。これまでだって、まともに会話などしたことはなかった。
「なぁに、貴女。タバサと知り合いなの?」
モンモランシーが意外そうに口を開いた。
「タバサ?」
そう聞き返して、ザザはしまったと思った。彼女以外から、彼女のことを聞くのはなんだかフェアじゃない気がした。
「あの青髪の子でしょう? タバサって言うらしいわ。ほとんど口を利かないのよ。何を言っても何にもいわないの。変な子」
「……そうなんだ。いや、たまにここで相席になるくらいさ」
「ふうん。まあ、名前も知らないくらいだものね」
青髪の少女―タバサとの関係は友だちと呼べるほどのものではなかった。モンモランシーの言うとおり、名前すら知らないのだから知り合いと呼べるかも怪しい。
別に約束をしているわけではないし、ザザが図書館に来ない日もあればタバサが来ない日もある。ザザは課題をしに班のみんなとやってきただけで、別に何も悪くはない。なのに、なぜか胸が痛んだ。
次の日、ザザは授業が終わってもしばらくの間図書館に向かわず時間をつぶしていた。少し、怖かったのだ。もしタバサよりも先に図書館に行って、自分の前に彼女が座らなかったらどうしよう。そんなことばかりを考えていた。
図書館につくと、そんな気持ちがさらに大きくなった。タバサが先にきていたとして、なんと声をかければいいのだろう。声をかけて、拒絶されたらどうしよう。いっそ無言で座ってしまおうか。いや、いつも一言声をかけていたのに、今日に限って声をかけないのは不自然だ。ザザの臆病な部分が少しずつ大きくなっていった。これではクラウディアのことを笑えない。自嘲気味に笑うと、少し気分が紛れた。
本棚の影から、こっそりといつも座っている隅の四人掛けの席を伺う。そこにいつもの青い髪はなかった。ザザを避けて、他の席にいっているのだろうか。思わず周囲を見回した。
すると、別の本棚の影から同じように周囲を見回している子をみつけてしまった。目が合う。青い髪と眼鏡、大きな杖が特徴的なその子は、珍しくうろたえたような表情をみせた。星の瞬きのようにささいな変化だったが、毎日見ていたザザにはわかった。
彼女も同じなのだ。そう分かると笑いがこみ上げてきた。くすりと笑うと、彼女は照れたように顔を赤くそめた。
どちらともなく、いつもの席に向かう。ザザはなにも言わず勉強を始めた。青い髪の彼女もまた、無言で本を広げる。
二人の関係は友だちなどではなかった。お互いのことをなにも知らないし、図書館以外ではほとんど接点もない。お互いの利害のために一緒にいることを選んでいるだけだ。
そう、それは言うなれば