ザザは色恋に興味がないわけではない。
恋愛小説を読むのはなにげに好きで、勉強の合間に読んでは頬を染めている。キュルケが教室でたまにやる少し過激な体験談も、ちゃっかり聞き耳を立てて聞いていたりする。
だが、自分のことになるとこれがまるで頭が働かない。自分と恋愛というものが結びつかないのだ。結婚という言葉は恋愛ではなく政略という印象が強いくらいだ。なので、フォルカとのこともまるで意識したことがなかった。キュルケに言われてからはさすがにちょっと気にするようになったものの、それが恋愛感情かどうかは分からない。
そんなザザのあけすけな態度が二人の関係を親密なものに見せていた。特に、男子と話すのも恥じらうようなお嬢さまにはそう映った。
まずはルイズを囲む茶会でさんざん質問攻めにされた。これくらいは別に問題なかった。茶会のメンバーの矛先が、内部ではなく外部に向かいはじめていたというのもある。他のグループや男子などにちょっかいを出すのにご執心のようだ。それに、最近は茶会も新しい子が増えてザザが完全な新入りではなくなってきたのもあるだろう。
ザザは根拠のない噂だと否定していたものの、色恋沙汰には目がない少女たちのことだ。帰ってくるのは応援しているだの話を聞かせてだのという答えばかりだった。
ルイズも興味津々のようだったが、ザザと近づくことに臆病になっているのか、皆の話を聞いているだけだった。その姿に少し寂しさを覚えたものの、ルイズが楽しんでくれたのだからこれはこれでいいかという気にもなった。
それだけなら問題なかったのだが、上級生の女子や、それと繋がりのある一年はそうはいかなかった。
最初は牽制だった。会ったこともないような上級生から突然だった。
「ベルマディさん。先輩として忠告いたしますが、淑女たるもの、殿方とのおつきあいには節度というものが必要でしてよ」
「は? はぁ……。仰るとおりだと思いますけど」
「なら、生活態度を改めなさい。改善が見られない場合は、わたくしにも考えがあってよ」
「あの、えっと。気をつけます」
まだキュルケからの忠告を聞く前だったので、ザザはフォルカのことだとは気づかなかった。気づいたころにはもう遅く、その上級生は仲間を引き連れてザザのもとにやってきて、罵倒混じりの『忠告』をしてきた。ザザもついかっとなり、売り言葉に買い言葉で反論してしまった。それから、彼女たちの無言の『忠告』が始まった。
ザザの知らないところでありもしない噂がたてられた。中には教室や廊下で聞こえよがしに大声でやっているものもいた。内容はザザ本人や家族をおとしめる聞くに堪えないものだった。ワケの分からない手紙が部屋のドアに挟んであったこともあった。
ザザからすると、そこまで恋愛に入れ込めるのは何故だろうと不思議でならなかった。自分が恋愛に向いていない性格なので羨ましいくらいだったが、それでも迷惑なものは変わりなかった。
女子同士の諍いは女子同士で、という暗黙のルールが学院内にはあった。ザザはフォルカに相談したりしないし、相手もフォルカに直接何かを言うようなことはしない。
この件に関しては茶会の皆はザザの味方だった。言われもない陰口を言っている子がいれば問い詰めてくれたし、不審なものがあれば一緒に処理してくれた。クラウディアなどは自分のことのように怒っていた。ただ、上級生ばかりはどうしようもなかった。ザザを目の仇にしている上級生にはそれなりに身分の高い娘もいて、一年生では少し太刀打ちできる相手ではない。唯一、ルイズならばそんな相手も黙るのだが、それはザザが止めていた。ルイズにいらない負担をかけたくなかった。そのためにも、早くこのことをなんとかしたいと思っていた。
「まあ、嫌がらせって平気な顔してればたいていやる気なくすもんだからね。しばらく一人でなんとかしてみるよ」
ザザがそう言うと、茶会の皆は口々に励ましてくれた。数週間前には同じ口でザザを罵倒していたのに調子の良いことだと思ったが、励ましは素直に嬉しかった。
そんなザザの状況を何も知らずに、フォルカはいつも通りにザザに話しかけてくるのだ。ここで、ザザが拒絶の意志を示すのがもっとも手っ取り早い解決だ。だけど、それは負けたようで嫌だったし、それではルイズのときと同じだという思いがあった。
陰口にもいやがらせにも平気な顔をしていると、最初のうちはムキになってもと過激なことをやってきた。噂の内容も耳を疑うような内容のものだったし、動物の死体が部屋の前に転がっていたこともあった。それにも平気な顔をしていると(そもそもザザは動物の死体で悲鳴をあげるようなやわな育ちはしていないのだが)、やがて嫌がらせは少なくなっていった。このまま終わるのではないかと、ザザは思っていた。
ここ最近、ザザは教室で自習をあまりしなくなっていた。自習をしているのは目立つということにやっと気づいたからだ。攻撃の口実を作らせないために、なるべく目立つことは避けたかった。
図書室でなら自習していても目立たないので、授業以外の時間はもっぱら図書室にこもるのが習慣になりつつある。図書室は静かだし、声をかけてくる級友もいないので勉強もはかどるしで、わりと良い発見だった。
今日も図書室に向かおうとザザが席をたつと、背後から声をかけられた。
振り返ると、クラスメイトがひとりたっていた。あまり仲良くはなく、どちらかといえばザザのうわさ話を喜んでしていた子だ。
「えっと、ザザさん。杖を見せていただけます?」
「杖? 私は杖を持ち歩く習慣があまりなくてね。今日は部屋においてあるんだけど、どうして?」
自室が高い階にあるなら出入りに必要になるが、ザザの部屋は寮の2階だ。飛んで出入りするためのバルコニーもないし、教室も一年の使う場所は1・2階ばかり、歩いた方が楽だ。図書館で資料を借りるようになれば、杖を持ち歩くようになるかもしれないが、今のところは必要なかった。
「え? いや、その……そう! みなさんとどんな杖を使っているか見せ合っていましたの。ザザさんのも見せてほしいなと思いまして」
「普通のだから、みてもつまらないと思うな。持ってくる?」
「いえ! いいんです、いいんですのよ。無理に持ってきていただかなくても、それじゃあ失礼しますね」
「?」
いぶかしく思ったザザだったが、おおかた杖をネタに笑い者にするつもりだったのだろうと、気にせず行くことにした。
こちらに来てわかったが、最近の女の子の杖はタクトのような小さいものが流行っているようだ。クラスのほとんどの女子が小さな杖をもっていた。ザザの杖は森の木を自分で削ってつくった大きいものだ。流行とかとは関係なしに、小さければ持ち運びに便利だなと思ったが、すぐに杖を携帯する習慣がない自分には無意味だと気づいた。
そんなこと忘れ図書室で自習したあと自室に戻ると、ドアに封筒がはさまれているのを見つけた。裏を見てみると、自分あての手紙のようだ。またかと思いその場で開封する。
「……」
話があるのですぐに第三厩舎まで来るように書かれていた。差出人の名前はない。
誰かは知らないが、顔を合わせて話をつけようというらしい。ザザにしてみれば、陰口をこそこそと叩かれるよりもよほど分かりやすくていい。不安もあったものの、ザザは部屋にも入らずすぐに厩舎へとむかった。
「ここ、かな?」
第3と書かれた厩舎におそるおそる入る。動物の匂いが鼻についた。突然の訪問者に、馬たちがつぶらな瞳を向けてくる。
「お邪魔するよ……、おおい! 来たぞ! どこにいるんだ」
厩舎の中を探し回ったが、自分以外に人間の気配はしなかった。
早く来すぎたのだろうか、それともからかわれたのか。そんなことを考え出したとき、ずんと重い音が響いた。
振り返ると、入ってきた入り口が閉じられていた。反対側の出口をみると、そちらも何物かによって塞がれている。
「くそ!」
急いで入口に向かう。だが、厩舎のドアはびくともしなかった。ぴくりとも動かないところを見ると錬金の魔法で固めてあるのかもしれない。
「誰だ!」
ザザが怒鳴ると返事はなく、代わりに何人かの女の子の笑い声だけが帰ってきた。笑い声はだんだんと遠ざかっていき、やがて何も聞こえなくなった。閉じ込められた。それだけのことを理解するのに、けっこうな時間がかかった。のろのろと他のドアや窓を調べてみたが、どこからもでられそうになかった。
ザザは杖を持ち歩かないことをはじめて後悔した。杖さえあれば呪文でドアでも壁でも壊して出れるのに。そこまで考えて、今日クラスメイトに杖を持っているかと聞かれたことを思い出した。
「……そういうことか」
あのクラスメイトもぐるだったということだろう。もっとも、ザザが手紙を見てから杖を持ち出していれば白紙になるいいかげんな計画であるが。
「やれやれ」
嘆息すると、置いてあった桶を逆さにしてイス代わりに腰かけた。
ずいぶんと子供じみた嫌がらせをするものだ。こんなことをして何になるというのだろうか。動物臭い厩舎に閉じ込めれば生意気な一年生が反省するということだろうか。
あいにくとこっちは実家では馬糞の掃除だってやってきたんだ。厩舎に閉じこめられた程度で根を上げるものか。
勉強道具をそのままもってきたのは幸いだった。夕方で厩舎の中も暗くなってきているので、イス代わりの桶を西日のあたる場所まで移動させ教科書を読みはじめた。勉強をするよりも大声で助けを呼べばいいのだが、この程度でまけるかとザザは意地になっていた。
そのうち厩舎に使用人がやってきて異変に気づけばでられるだろう。ザザの感覚だと夕方には一度掃除をして飼い葉と水を代えてやるのだが、ここではどうなのだろうか。もしかすると、ザザが部屋に帰ってこないとクラウディアが捜してくれるかもしれない。だけど、あの小心者のクラウディアがそこまでするだろうか。いや、小心者だからこそザザが帰ってこないことを不安に思うはずだ。
教科書をよんでいても、そんなことばかり頭に浮かんできてまるで頭に入らなかった。
「あ、あれ?」
いつのまにか、ザザははらはらと涙を流していた。
ごしごしと顔を拭く。まるで、そうすれば涙の理由もなくなるかと言うように。しかし、涙はぬぐってもぬぐっても流れだしてくる。
「こんなこと、なんでもないはずなのに。べつに、どってことないはずなのに」
口とは裏腹に、次々と本音が胸に沸き上がってくる。溢れ出る泪に押し上げられるように。
田舎からひとりで学院にやってきた。家族や友だちと別れて、寂しかった。
新しいところで友だちが出来るかとおもったのに孤立して、つらかった。
いじめられて陰口をたたかれて、悲しかった。
学院に来てからずっと張りつめていた糸が切れてしまった。かっこうつけて強がっていても、ザザは一五歳の女の子だった。
堰を切ったように涙はあふれてくる。しかし、声を上げて泣くことはザザには出来なかった。泣き声を誰かに聞かれては、自分の負けだと思ったからだ。
意地をはって泣き声も上げられない。そんな不器用さが、ザザをここまで追いつめたのかもしれない。
やがて双月が輝きだした。
涙をだし尽くしぼうっとしていたザザの首筋を、生あたたかくざらざらとしたものが撫でた。
「ひゃう!」
びっくりして振りかえると、一頭の馬がすぐちかくにいた。
「……ごめんね。うるさかったね。でも、乙女の首にいきなりキスをするのは感心しないな」
なんとなく気分が切り替わったので、厩舎の中を物色してみた。すぐにランプと火口箱が見つかったので、さっそく明かりをつけた。
「ん? 君、たしか……、アウグスト、だっけ?」
ザザの首をなめたのはフォルカの使い魔の黒馬だった。以前一度だけ乗せて貰ったことがあるので、ザザの顔を覚えていたのだろうか。使い魔で無くとも、馬は賢い動物だ。
「君、ご主人様を呼んでくれたりはしないのかい?」
何となく問いかけるが、返事は帰って来ない。感覚の共有は主人も使い魔もけっこう疲れるという話だし、意味もなくフォルカが感覚を共有するとも思えない。
ザザはランプを窓の近くに置いた。灯りが漏れていれば、誰かが気づいてくれるだろう。
「しかし……、汚いな」
入ってきたときは気づかなかったが、厩舎の中は汚かった。ザザの実家ならちゃんと掃除をしろとしかられるレベルだ。
「迷惑をかけたお詫びだ。掃除くらいしてあげよう」
ザザは掃除道具を担ぎだして、厩舎の清掃を始めた。
少し勝手は違うが、厩舎の掃除は身体に染み着いている。時間はたっぷりあるのだ。これだけ大きな馬小屋なら、時間つぶしにはもってこいだろう。
さすがにザザも実家で日常的に厩舎の掃除をしていたわけではない。普段は使用人の仕事だ。いたずらをしたり家庭教師の授業をさぼったり、悪さをしたときに罰として言いつけられることが多かった。それ故、ちいさなころは嫌々やっていたのを覚えている。成長すると、自分の馬(と、勝手にザザが決めていた馬)の世話が楽しくなり、自然と厩舎に出入りすることも増えたが。
掃除をしていくうちに、自然と笑みがこぼれてきた。単純な作業を延々とやって余計なことが頭から抜けていったのかもしれないし、懐かしい作業がこころのどこかを温めてくれたのかもしれなかった。
(そういえば、まだ手紙を出していなかったな)
家族の顔を思い浮かべる。いつもおっとりしている母や最近白髪が増えてきた父、嫌いだった兄の顔も何故か懐かしく感じた。
ここから出たら、手紙を書こう。書くことならたくさんある。心配させないように、かつ父親のカンに障らないように書くのが大変だけど。ザザは故郷の唄を口ずさみながらそう思った。
真夜中、掃除が完璧に終わった頃。突然フォルカの使い魔が嘶いた、
「どうしたのかな。飼い葉と水はさすがに新しいのはもってこれないよ?」
そんなとぼけたことを言っていると、しばらくして厩舎の外で呪文を唱える声が聞こえた。
ようやく助けが来たか。ザザが音のしたドアの方をみると、立っていたのは意外な人物だった。
「先輩……それにクラウディアも」
てっきり、寮監か教師あたりがくるものと思っていたザザは意表をつかれた。二人とも肩で息をしている。急いで助けに来てくれたのだろう、そう思うと嬉しかった。
二人は大慌てで駆け寄ってきた。ザザは落ち着きはらった様子で掃除道具を置いてゆっくり歩み寄る。
ここで泣きながら胸に飛び込めばかわいげがあるのだろうが、今のザザにはちょっと無理だった。さっきまでの泣きはらしていたザザならそうしたかもしれなかったが、今は色々とすっきりして落ち着いてしまっている。キュルケ風に言うなら、情熱がしぼんでしまっているのだった。
「ありがとう、たすかっ……うわっ」
「ザザさん、ザザさん! 大丈夫ですか! こんなところにずっと閉じ込められて。何かひどいことされていませんか?」
「大丈夫、大丈夫だから。おちついて」
クラウディアに抱きつかれもみくちゃにされる。その後ろでフォルカが手持ちぶさたな様子で苦笑していた。つられて、ザザも苦笑する。
その空気を察したのか、クラウディアが慌ててザザから離れた。
「え、えっと……わ、わたし先生を呼んできますわ!」
一目散に厩舎から出て行ってしまった。気を使う必要なんてないのに、そう思いながらも心配してくれたことは素直に嬉しかった。小心者のあのルームメイトは、悪い子ではないのだ。
「ザザ、その」
「……どうも、先輩。えっと、なんでクラウディアと一緒に?」
「ああ、実は……」
夕食にも来ず、部屋にも戻らないザザを心配してクラウディアが寮監に駆け込んだのだ。寮に生徒が戻ってこないときはたいがいが交際相手の部屋に転がり込んでいるという鉄則がある。ザザとフォルカの仲は寮監の耳にも入っていたので、目をとがらせた寮監が消灯後のフォルカの部屋を訪れたのだ。クラウディアが説明すればよかったのだが、慌てていて出来なかったのだ。
その後、寮監は教師にも知らせ学内を探した。フォルカも事情を察して、クラウディアと一緒にザザを探していた。厩舎棟のあたりまでやってきたところで、フォルカは自分の使い魔がやけに騒いでいるのに気づいて感覚を共有してみて、ザザを発見したのだった。
「……すまない」
フォルカがまず口にしたのは、謝罪の言葉だった。この状況と、ザザの泣きはらしてまっ赤な目を見ては、そう言うしかなかったのだろう。
「謝られてもこまりますよ」
「……君とぼくが噂になっているって、知ってはいたんだ。でも、そんなひどいことになってるなんて、思いもしなくて。……言ってくれればよかったのに」
「女の子には秘密が多いんですよ、先輩」
そう言って、顔に着いた涙のあとをぬぐう。
「……すまない」
「だから、謝らないでください。先輩のせいじゃないんですから」
「ぼくのせいだ」
「はぁ……」
まったく、ルイズといい、なぜ大貴族というのはこう責任感が強いのだろうか。謝る必要はないし、むしろ謝ってほしくないと、ザザは思っていた。
「先輩。私は、先輩とは対等な関係でありたいと思っています」
「ああ、ぼくも……そうだけど」
「先輩があやまるってことは、今回の責任は全部先輩のものってことになります。私は、先輩には責任がないと思いますけど、そこまで言うなら半分分けて上げてもいいです。残り半分は私の責任です」
「君には責任はないだろう」
「ありますよ。私には先輩と一切口を利かないって解決法もあったんです。わざわざ先輩と話し続けたのは私のワガママで私の責任です」
「いや、それは……じゃあ、ぼくはどうやって責任をとればいいんだ」
「俺が守る! とでも言っておけばいいんじゃないですか?」
フォルカはぽかんとしたあと、少し赤くなって言葉を出そうとする。
「えっと……、その」
「ふふ、冗談ですよ。でも、先輩は責任感はあっても甲斐性がたりませんね」
冗談めかしてそういうと、フォルカは少し残念そうな、安堵したような曖昧な顔を見せた。
「……だな。母親がどうとかってじゃなく、こんなだから弟に株を奪われるんだ」
「そういうことを言うと、また男が下がりますよ」
「はは、その通りだ。甲斐性のある男になれるようにがんばるよ。……君のために、とか、言えば良いのかな?」
「……どうでしょうね」
思わぬ反撃に照れくさくなって、そっぽを向いてしまう。
フォルカもきっと、ザザと同じで恋愛ごとにむいていない性格なのだろう。不器用な性格同士、似合いと言えば似合いなのかもしれない。
この胸に宿った感情が、なんという名前なのかは幼いザザにはまだわからない。今はまだ恋と呼ぶには青すぎる。だがいつか、できれば初恋という青くかぐわしい花が咲いてほしい。
ザザはかっこうつけで意地っ張りだが、やはり十五歳の女の子だった。