ザザは監督生になることになった。
教師や寮監、そしてひとつ上の監督生であるソニアの推薦によって選ばれた。
魔法学院の監督生という経歴は、これからの人生で大きな武器になる。この肩書きだけで家庭教師や乳母に迎える貴族はたくさんいる。士官や進学でも売りになるだろう。ザザが今手に入れられる中で、もっとも大きく確実な権力の卵だ。
それをザザに告げたのはソニアだった。
「監督生になるには素行や成績が優良なことはもちろんですが、他にも選考基準があります。特定の派閥に肩入れしていないことです。普通の生徒にはない権利を与えられるのですからね。私情でひいきをされては困ります。私情に流されないような子を選ぶものですが、なにぶん子供ですから。大貴族の子女とべったりといった子は選ばれることは少ないのです。
分かりますか、ザザ・ド・ベルマディ。つまり、貴女は、ルイズ・フランソワーズと離れたことによってこの機会を掴むことが出来たのです。もし、今でも貴女が彼女と仲良くしていれば、監督生になれなかったかもしれません。
良かったですねえ」
ザザはソニアは殴った。ザザが学院で誰かをなぐったのはこれが最初で最後だった。ぶたれた頬を押さえながらも、ソニアは楽しそうに笑っていた。
存在感のある大きな机。女の子の自室には似合わないその上には大きな紙が広げられていた。女子寮の見取り図である。一般に配られるそれではない。秘密の通路や魔法の抜け穴など、普通の生徒には知らされないものが書かれている。これを見ることができるのは、生徒では監督生だけだ。
だが、今重要なのはそれではなかった。机の上には分厚い名簿が置かれていた。魔法学院の全生徒、そして来年の入学予定者が載っている名簿だ。名簿にはそれぞれの系統・位階・家系・本人の書いた質問調査など、個人情報の塊が載っている。
寮のソニアの部屋だ。一人部屋で、大きな本棚には本がみっちりと詰め込まれている。
「それにしても、今年はクルデンホルフから来るひとが多いですね」
名簿をぱらぱらと眺めながら、ザザはつぶやいた。
ソニアとザザは、来年の寮の部屋割りを決めているところだった。もちろん寮監や教師のチェックは入るが、たたき台になる大元を作るのは二人の役目だった。名前の書かれた紙片を用意して、寮の見取り図の上に試行錯誤を繰り返しながら並べている。
「ん、それはですね。来年、クルデンホルフの姫君が入学する予定なんですよ」
「あー、なるほど。お姫さまが来る前に地ならしをしておくんですね」
「そういうことです。主王国の学院としては大きな顔をさせるのもつまらないですからね。今年のうちから釘を刺しておきましょうか」
クルデンホルフからの生徒は高位貴族やライン以上のメイジなどばかりだった。尖兵として精鋭を送り込んできたのだろう。
「じゃあ、クルデンホルフ組はばらばらにしますか?」
「不正解。ザザ・ド・ベルマディ。集団を崩すときは外からではなく中からです。ばらばらにしてはこちらの狙いも丸わかりです。ある程度は相部屋で固めて、籠絡しやすそうな子をこっちの手札と同じ部屋にしていきましょう。新入生で使えそうな子は何人か見繕ってあります。離反者を出した組織が一気に弱体化するのは、あなたもよく知っているでしょう? さて、貴女はどの子から攻めるのがいいと思います?」
ザザは茶会から人がどんどんと少なくなっていったことを思い出す。残されたザザたちの空気はいつも重かった。同じことを起こそうとしていると気が重いが、それが監督生としてのつとめだ。あのとき出ていった子たちの傾向を思いだして考える。
「……この子、でしょうか」
ザザは名簿の中から一人の女生徒を指さす。クルデンホルフ組で唯一のトライアングルメイジだった。
「その理由は?」
「この子だけ家格が低い。たぶん、トライアングルっていう実力で留学枠に入ったくちでしょう。魔法の実力だけの子なら、絡め取るのはたやすいんじゃないでしょうか」
「及第点。その子にはあたしも目をつけていましたが、もう一人います。この子です」
ソニアが指さした生徒の項目を見た。ザザにはソニアが彼女を選んだ理由が分からなかった。
「クルデンホルフは若い国です。独立したとは言っても数十年、トリステイン国内とのしがらみはまだ色濃く残っています。こっちに頭の上がらない家がある子も居るんですよ。幸い、こっちの手札にちょうど良い子がいますしね。この二人を切り崩せば、それなりにクルデンホルフ組は大人しくなるでしょう」
ソニアは名前の書かれた紙片をもてあそぶ。去年もこのようにして部屋割りが決められたのだろう。
一息ついてお茶を飲むことにした。ザザがお茶を淹れて戻ってくると、ソニアは本棚の奥からブランデーの瓶を取り出していた。
「……寮則違反ですよ」
「もう休みなんだから、無礼講ですよ」
酒を持ち込むくらいはみんなやっている。ザザは取り締まる側になったのだからと、部屋に隠してあった酒瓶を処分したのだが、ソニアを見ているとばかばかしくなってきた。紅茶にブランデーを入れると、芳醇な香りが部屋に広がる。
「私たちの部屋割りも、こんなふうに決めてたんですか?」
「ええ。といっても、貴女はどうでもいいカードでした。ヴァリエール派を牽制するためにずいぶんと気を使ったものですが、ルイズ・フランソワーズのおかげで裏目に出てしまいました。貴女が頑張ってくれたのでバランスはなんとか取れましたがね。それも今となっては台無しですけど」
「……先輩、また殴られたいんですか?」
「おお、怖い怖い。ああ、思いだした。貴女の部屋ですけど、今年から一人部屋になりますよ」
「はい? 私は今のままでいいんですけど」
「監督生は他の生徒とは違いますからね。他の生徒には見せられないものも部屋に置くことになります、分かりますね?」
ソニアは多めにブランデーをたらして紅茶を飲む。
ザザは渋々頷いた。学院に来たばかりのころは個室に憧れたものだが、今は一年同じ部屋で暮らしたルームメイトと離ればなれになるのが寂しかった。
「ふふ、ルームメイトを近い部屋にするくらいのワガママは許されますよ」
「……余ってたらでいいです。それより、他に先に決めとくことはないんですか?」
そんなに分かりやすい顔をしていたのだろうか。ザザの頬が少し赤くなる。
「ありますよ。ツェルプストーの部屋です」
「え? 彼女、一人部屋でしょう? いまさら部屋替えですか?」
「もともとあの部屋二人部屋なんですよ。一週間でルームメイトが泣きついてきたんで仕方なく部屋を変えたんです」
「なんでまたそんな……あぁ、大体わかりました」
男遊びの多いキュルケのことだ。ルームメイトが泣きつく理由も想像がつく。それでなくともキュルケは言動が攻撃的すぎる。いきなり二人きりでやっていけと言う方が無理があるだろう。一年経った今でも、キュルケとまともに仲良くなっている女子はほとんどいない。
「そういえば貴女は彼女とそこそこ上手くやっていますね。コツでもあるんですか?」
「最初は我慢することです。それに、彼女は裏表がないですからね。ある意味学院で一番付き合いやすいかもしれませんよ」
小賢しい搦め手など彼女は使ってこない。文句があれば正面からやってくるのが彼女の流儀だ。そういうところもトリステイン貴族の子女には受け入れられないのだが、分かりやすくていいとザザは思っている。
「ふふ、なるほど。では彼女の部屋は貴女に決めてもらいましょう。どこがいいと思います?」
ザザは名前が書かれた紙片を手に考える。
すでにある程度は決まっている。キュルケはゲルマニアからの『お客さま』である。安全や防犯のことを考えると選択肢は限られてくる。ザザにまかされたのはそういった基準をみたした部屋の中から選ぶことだ。
「ここにしましょう」
ザザが選んだ部屋を見て、ソニアは首をかしげた。
「……ルイズ・フランソワーズのすぐ近くですね。この二人を近づけるのは面倒では?」
かつては、ザザが防波堤の役割を果たしていた。キュルケはザザをある程度認めている。そのためか、ザザの近くではルイズを挑発するようなことは少なかった。
だが、ザザがルイズのもとから離れた今、二人が顔を合わせればほぼ必ず嫌みの言い合いになっている。ただでさえ険悪なのに、これ以上火種を増やすのはよくない。ソニアはそこを気にかけているのだ。
「それでいいんです。キュルケにはせいぜいルイズとぶつかってもらいます」
「ふぅん?」
「先輩は分からないかもしれませんが、いじめって自分がやらなくてもいいものなんですよ。大多数の子にとっては、相手が攻撃されてるって事実だけで満足できるものなんです。誰だって、悪いことはしたくないですからね」
「つまり、ツェルプストーをぶつけることで全体のガス抜きをすると?」
「加減の分からない子がやるよりはマシでしょう」
もっと言えば、顔の見えない雰囲気のようなものを相手にするより、はっきりとした個人に攻撃されたほうが精神的に楽なのだ。気持ちの矛先を向けやすいのだ。陰口をこそこそ言われながら笑いものにされるよりは、面と向かって罵倒されたほうがずっといい。
ソニアは一瞬目をまるくしたあと、うっすらと笑う。ぱんぱんと、渇いた拍手の音が部屋に響いた。
「合格。合格ですよ、ザザ・ド・ベルマディ。思っていたよりも貴女は、悪意の使い方が上手い。いいえ、上手くなったと言うべきかしら? 良い勉強をしたようですね」
思わず手を振り上げようとしたが、出来なかった。今の自分にはもう、その資格がないように思えた。
あれから、ルイズとは離ればなれになったままだった。お互いがお互いを避け続けている。
なんども、なんども関係を修復しようと思った。だが、ザザから足を踏み出すことはできなかった。ルイズが自分で自分を認めない限り、歩み寄ることはできないと分かっていた。それを助けることは、ザザにはもう出来ないことだ。
休みが明けたら使い魔の儀式が来る。みな、使い魔を召喚するのを楽しみにしている。ザザも同じ気持ちだったが、それと同じくらい怖くもあった。ルイズが使い魔を喚べなかったらと思うと、怖くてたまらない。またルイズは悲しむだろう。もっと皆からバカにされるかもしれない。
だが、もし召喚に成功したならば。使い魔という長く残る魔法の証は、ルイズをこの上なく勇気づけるに違いない。ルイズが自信をもつ助けになるはずだ。かすかな期待を胸に、ザザはその日を待った。
監督生としての規則などを覚えたり、新しい部屋に引っ越したりしているうちに休みはあっという間に過ぎてしまった。明日にはもう使い魔の儀式が行われる。
夜、一人で部屋にいると、実際以上に広く感じた。もともと私物が少ないのもあるだろう。備え付けの本棚もからっぽで、全体的にがらんとしている。クラウディアから貰った敷物などで飾り付けているものの、寂しさはぬぐえない。すぐ近くにはクラウディアやノエルの部屋があるが、まだ監督生としての仕事が多くて遊びにいける時間が作れなかった。
ザザはふと、一年前のことを思いだした。
学院に来てばかりのころは、不慣れな人付き合いに嫌気が差していた。お茶会もただただ面倒なだけだった。ルイズの手もはねのけて、一人で目立たず、小石のように暮らしていくつもりだった。それが今ではライン資格持ちの監督生だ。笑ってしまう。
なぜ、こんなことになったんだろう。考えるまでもない。ザザを変えたのはルイズだった。我が身かわいさに離れていったザザに、ルイズは頭を下げたのだ。あのときから、ザザはルイズのために何かをしようと決めた。
それはちょうど一年前の今日。初めての授業の前日だった。
自然とザザの足は部屋を出て裏庭へと向かっていた。一年前と同じ春の柔らかな風の中、あのときの木陰を探して裏庭を歩く。
他愛ない感傷だった。ここに来たからと言って何かが変わるわけじゃない。昔を思い出すだけの自己満足だ。
涙のひとつくらい流れるかと思っていたが、渇いた瞳は何も流さなかった。
泣くこともまた自己満足だ。どこかで区切りを付けたいと思っているのかもしれない。壊れてしまったルイズとの友情に。死者を前に涙を流し、思い出としてしまうように。壊れた玩具を物置にしまうように。
そんな自分に落胆していると、聞き覚えのある声が聞こえた。
「……ザザ」
はっとして振り返る。そこには、淡い双月に照らされた桃色の髪があった。
「ルイズ」
一年前と同じ場所で、二人は向かい合った。
本当に久しぶりだった。ザザの周りにはいつもだれかしらが居るし、休みになってからも監督生としての準備で慌ただしく時間がぜんぜんなかった。二人きりで顔を合わせるのは、あの日以来だった。
一年前とは、なにもかもが違ってしまっていた。立派な公爵令嬢だったルイズはゼロという名前でよばれるようになった。どこにでもいる田舎娘だったザザはラインの監督生になった。二人を隔てるものもまた、身分の違いという単純なものではなくなってしまった。
言葉はなかった。お互いがすれ違ってしまっていたことは分かっている。それでも、戻ることはできないとも分かっていた。二人に許されるのは思い出を共有することだけだ。ここで出会ったように。
月光が雲に瞬くほどのあいだ、二人は見つめ合う。絡め合った視線からは相手の体温が伝わってきそうだった。
先に視線をはずしたのは、ルイズだった。一年前と同じように、去っていく背中をザザは見ていた。
「ルイズ」
今度は、声をかけることができた。
「ありがとう」
小さな背中はとまらない。それでも、ザザは続けた。
「今の私があるのは、君のおかげだ。君にふれて、私も頑張ろうと思ったんだ。友だちを作ろうと思ったんだ。君と出会ってなかったらきっと、私は愛想笑いの下で平気で周りを見下す、そんな人間になっていた」
ルイズのために頑張ったんじゃない。ルイズのおかげで頑張れたのだ。それを伝えたかった。
がんばれとか、君なら出来るとか、そんな言葉はもう言えない。ザザにはその資格がない。伝えられるのは感謝だけ。そんな言葉が、少しでも彼女の力になれば。
小さな背中が見えなくなって、ザザは夜空を見上げた。離ればなれの双月たちが淡く夜を照らしていた。
どうか、どうか。良い使い魔が来て欲しい。輝く双月にザザはただ祈った。