メイド服はうごきやすい。
ザザ最近はそんなことを知った。なぜザザがメイド服を着ているかというと、少し長くなる。
ザザは最近、アナベルの仕事につきあって色々なところに出かけていた。商家との取引や、有力貴族の集まる夜会、織物の買い付けなど様々だ。最初ザザは、有力者に自分を紹介してもらえるのだと思っていた。だが、どこに行ってもザザは紹介されるどころか名前も言わせてもらえなかった。やったことと言えば荷物持ちやお使いものなど、侍女のような仕事ばかりだった。自分でなくてもいい仕事をさせられ、ザザは少し不満だった。
少し考えれば当たり前のことだ。まだ社交の基礎もあやふやな小娘にさせてもらえるのはそのくらいのことだ。アナベルの実子ならともかく、ただの友人であるザザはまだ人脈を作るような段階にはない。
そんなことも分からずに、ザザはアナベルに不満を持っていた。もっと実になることをやらせて欲しいと思っていた。
焦っていたのだろう。大きすぎる目標は、自分がどれくらい進んでいるのか分からなくなってしまう。ラインの試験を受けたときのように、がむしゃらに走っていれば終わっているというものではない。毎日勉強をして、合間を見つけてアナベルの仕事の手伝いをする。そんな変わらない日々の延長に本当に自分の求めるものがあるのかどうか。不安だったのだ。
そんな小間使いのような仕事も、不慣れで失敗をしたことがあった。ザザは厳しくしかられた。だが、そんな不満があったザザはつい口答えをしてしまった。ほんの少し、不満が口をついてでてしまった。
その次の瞬間、ザザは床に叩きつけられていた。魔法の力がぎゅうぎゅうとザザを押さえつけているのがわかった。頭をあげようとしたところをアナベルの靴が踏む。ヒールがぐりぐりと頭をえぐってくる。
「貴女はなにを勘違いしているのか知らないけど、あたしは面倒見の良い親戚のお姉さんじゃあないのよ」
これまで聞いたことのないほど冷たい声だった。背筋に氷の槍でも刺されたのかと思った。
「貴女はまだ何者でもない、ただの小娘よ。あたしはね、ねだるしか能のない子なんていらないの。貴女が使えないようなら、いますぐに薬づけにして使える道具にしてあげてもいいのよ。一人前の口を聞くのは自分で自分のことができるようになってからにしなさい」
「ご……ごめんなさい。アナベル」
アナベルの声にはいつものいたずらめいた雰囲気は一切なかった。このとき初めて、ザザはこの女が『魔女』なのだと実感した。この女は、必要ならば迷わずにそれをやる。それが一瞬で理解できてしまった。
足はどけられ、魔法の力がなくなってもザザは身動きできなかった。アナベルに命じられ、ようやく顔をあげる。アナベルは嗜虐的な瞳でザザを見下ろしていた。
「口を開けなさい」
言われるままにする。馬鹿みたいにあけた口にアナベルの指がつっこまれた。人差し指と中指。二本の指がザザの口の中をまさぐる。
「ゆっくり、あたしの指をなめなさい。アメをなめるみたいに丁寧に」
戸惑っていると、指が喉まで突き入れられた。反射的に指から口をはなし、床に手をついてむせかえる。そんなザザに、もういちどアナベルが指をさしだしてきた。くわえろと目だけで命令してくる。
ザザには命令に逆らう気力はない。言葉どおりにアナベルの細い指に舌をのばす。舌先が触れ、しびれるような味が広がる。
「そう。歯を立てないようにね」
羞恥に耐えながら口を動かす。唇で包み込み、舌で撫でる。だんだんと、ザザとアナベルの体温が混ざっていく。まるでアメが溶けるように、舌と指の境目があいまいになっていく。それにあわせ、アナベルの瞳にとろけるような恍惚の色が混じる。
「上手よ。赤ちゃんみたい、ザザ」
嗜虐の興奮にそまったアナベルに見据えられ、ザザは一心に口を動かす。エサを与えられた犬のように。
「あ……」
唐突に、アナベルの指が引き抜かれた。唾液が糸を引いて淫靡に光る。
「なぁに。もっとほしいの? いやしい子ね」
ザザが真っ赤になって首をふると、アナベルはくすくすと笑いながら自分の指を口に含んだ。唾液と、わずかに残る体温を楽しむように下品に音を立ててなめてみせる。
「これにこりたら、もう馬鹿なことは言わないことね。じゃないと、次はもっとひどいことしてあげる。みじめで、はずかしくって、気持ちいいって感情を教えてあげるわ。知ってる? 征服されるのってとっても気持ちいいのよ」
ザザが力無く頷くと、がちゃりとドアが開く音が聞こえた。見ると、クラウディアが静かな表情で二人を見ていた。ここはアナベルの屋敷で、今日は虚無の曜日。彼女がいてもおかしくない。
床に座り込んで口から涎を垂らしているルームメイト。それを見下ろしながら興奮した様子で指をなめている母親。
クラウディアは何も言わずに扉を閉じた。
「待った! 誤解、誤解だ!」
何が誤解なのかはザザも分からなかった。
そんなことがあってから、ザザはアナベルに言われたことを黙ってこなすようになった。雑用のような仕事でも、意味を見いだそうとしながらすることにした。学べるものはどんなことでも学べるだけ学ぶ。まだまだザザは世間知らずなのだ。どんなことでも勉強の一環だった。
そう考えると、ちょっとしたお使いでも気がつくところはいくらでもあった。やりとりの際の作法や言い回し、貴族かそうでないかでの応対の違いがあるかどうか。年若い自分に対する反応。
ザザのような小娘だとあからさまに相手の態度はぞんざいなことが多かった。それが貴族だと分かると、その応対がずいぶんとマシになる。中には応対の者が代わることもあった。ある日、ためしにメイドの服を着てお使いに行ってみると応対はとてもがさつなものだった。
それが分かってから、ザザはメイドの服を着てアナベルの用事をこなすようになった。小娘の使用人だと思うと相手は油断するのだ。貴族相手ならば隠すようなことや出さない表情が出る。下の人間ならなれなれしく色々と話してくることもある。そういったものはザザの勉強になったしアナベルも喜んだ。ただ、本当に老獪な相手になると小娘の使用人相手でも見くびらずにきちんとした対応をしてくる。逆に言えば、相手の度量を見るのにもメイドの格好は有効な作戦だった。
他にも色んな仕事を通してザザは様々なことを吸収していった。そして何より、直にいろんな人たちと接することはザザの世界を少しずつ広げていった。
外出届けを手渡すと、寮監はじろりとザザをみた。このところ一人での外出が増えているためだ。だが、ザザは成績も品行にも問題のない優等生だ。このところは以前にもまして勉強に熱心になっている。寮監もしぶしぶ外出届けにサインをせざるを得なかった。
「今日も出かけるの、ザザ?」
借りた馬を引いていると、ルイズが声をかけてきた。
「うん、ごめんね。最近つきあい悪くって。来週は暇なはずだから」
「いいのよ。でも、なんだか最近楽しそう。いきいきしてるわ。何かあったの?」
ルイズにそう言われたことが、ザザには無性にうれしかった。ザザにとって、ルイズは学ぶべき先達である。目指すところは違うが、自分よりもずっと頑張ってきた人間だと思っていた。
「そう? 嬉しいな」
「何かあったの?」
「目標って言うのかな。やりたいことが出来たんだ」
目的があって、そのために毎日何かをする。それがとても楽しかった。夢や目的というのは馬に付ける斜眼帯のようなものだ。これがあるおかげで、馬はよそ見をせずにまっすぐ走ることができる。
「そうなんだ」
「ルイズのおかげだよ。ルイズだけじゃない。魔法学院に来てなかったら、私は夢なんか持てなかった」
「……わたしは、何もしてないわ」
「そんなことないよ。ルイズはちゃんと自分の生き方を持ってた。私もそういうものが欲しいと思ったんだ」
そう言うと、ルイズは照れくさそうに笑った。
「そんなこと言われたの初めて」
「たぶん。みんな当たり前に持ってるものなんだよ。そうじゃない私がおかしかったんだ」
「与えられるのと自分で見つけるのは違うわ。ザザは立派よ」
ザザも照れくさくなった。馬にまたがると、ルイズに言う。
「いつか、私の目標が形になったら、話すよ」
「ええ、待ってるわ」
ルイズの返事を聞くと、ザザは馬を走らせた。
「で、今日はどこに行くんですか?」
ザザはアナベルと馬車の中で向かい合っていた。アナベルはえんじ色のドレスに身を包んでいたが、ザザは制服からメイドの格好に着替えている。
「ザザは何着ても似合うわね。この際だから色んな服を一揃え作ろうかしら」
「メイド服だけで十分ですよ。わりとどこでも馴染むし」
トリスタニアでは使用人などありふれたものだ。どこに行っても目立たない。知り合いに見られたら嫌だなと思っていたが、今の所は友人たちには見つかっていない。
「今日はね、この国でも屈指の美女に会いに行くのよ。いつもの汚い中年とはちがうから楽しみにしてなさい」
「へえ、どんな人?」
「着いてからのお楽しみ」
「美女……」
この国指折りの美女。その言葉でザザが思い浮かべたのは、王宮におわす高貴な女性のことだ。姿絵でしかみたことはないが、とても美しいお方だと伝え聞いている。もしかしたら王宮に行くのだろうかと期待を膨らませる。ザザはもちろん王宮になど入ったことはない。メイド服なんかじゃなくちゃんとした服を着てくればかっただろうか。
ザザがきらびやかな王宮を思い描いていたのに対して、馬車は退廃の香りが強いチクトンネ街に入っていった。何かおかしい。ザザがそう思い始めたころ、一軒のカフェの前で馬車は停まった。
「……ここは?」
「見ての通りのカフェよ。ま、ついてきなさい」
アナベルの後ろについて店に入っていく。店内は薄暗く、テーブルとテーブルの間についたてがしてあった。いつもザザがいく表通りの開放的なカフェとは違い、どこか閉鎖的な印象のある店だった。
期待していたような展開はないな。ザザは心中で少し落胆した。お忍びで来るにしても、王族にはふさわしくない場所だ。
どこかの席に座るのかと思えば、アナベルは店員に言って奥にあった扉の向こうに案内させた。ザザもそれについて扉をくぐる。そこに階段があり、ザザたちは三階にある一室まで通された。
ザザは歩きながら店を観察する。内装はかなり上等なものだ。安っぽいきらびやかさはなく、むしろ落ち着いた装いだ。ちょっと小金を得ただけの成金は見た目だけのごてごてとした内装を好むものだが、この店はそういった格にはないようだ。それだけでもこの店の客層が伺える。
もうひとつ気がついたのは足音だった。階段を上ってから、ザザは自分の足音が変にこもって響くのが分かった。これは、防音用の魔法が各部屋にかかってる証だった。これまでにいくつか、ザザはそういった屋敷をみたことがある。アナベルに連れられて行った商談用の部屋にはこんな仕掛けがしてあった。
「こちらでお待ちです」
「ありがとう」
アナベルが視線をザザに向ける。ザザは懐から財布を出すと、金貨を一枚取り出して案内してきた男に渡した。男は恭しくそれを受け取ると立ち去っていく。よくしつけられた使用人だった。ちょっとでも品がないところだと、その場で金貨が本物かたしかめようとするものだ。
「さ、入るわよ」
そう言ってアナベルは扉を開けた。ソファやカウチがいくつも並ぶ広々とした部屋だ。そこには二人の女性がいた。
一人は二十代くらいの美女だった。ブルネットの髪と浅黒い肌はどこか異国の風情をただよわせている。薄い青の瞳はおだやかだったが、そこに宿る意志は強いものがあった。
「お久しぶりです。アナベルさん」
「ええ、元気にしてた? オデット」
美女――オデットは立ち上がってアナベルを迎えた。アナベルもそれに応える。
オデットは確かにそれなりに整った容姿をしているし、物腰も洗練されている。だが、それらは「それなり」でしかない。ありふれた女だ。屈指の美女とは言いがたい。オデットの容姿ではなく、彼女のもつ雰囲気にザザは圧倒された。
それは、濃密なまでの「女」の匂い。キュルケの振りまいている色香が子供だましに思えてくるほどの濃厚さ。歩き方から座り方まで、すべてが自分を「女」として演出するためのものだ。ここまで強烈だと「雌」と言ってしまったほうが正しいかもしれないとさえ思った。同性のザザでさえ頬を染めるくらいのものだ。
ザザがオデットの色香に真っ赤になっているのにも構わず、アナベルはオデットと話し込んでいた。なんとなく疎外感を覚え、もう一人の先客をちらりと見る。すると、相手も同じようにこちらを見ていた。白金の髪をしたその少女は、ザザと目が合うとにこりと笑った。
「こんにちは」
立ち上がって話しかけてきた。ザザは相手の身分がよく分からなくて、とりあえず使用人として一礼して挨拶をする。
「どうも」
「ああ、そんなにかしこまらなくてもいいんですよ。わたくしは頭を下げられるような身分ではありませんから」
そう言われ、少し肩の力を抜く。身なりもいいし言葉使いもしっかりしているので、どこかの貴族か豪商の娘だと思っていた。彼女の言葉を信じるなら、商いで成功した平民の家の子といったところだろうか。使用人の格好をしているザザに話しかけてくるくらいだから、高位貴族ではないだろう。
「そうなんですか。私はアナ……主人に何も聞かされていないので」
「ふふ。アナベル様はそういうところは相変わらずですね。えっと、お名前は?」
「ザザです」
「始めまして、ザザ様。わたくしはエステルと申します」
落ち着いて見てみると、この少女、エステルもまた目を見張るほどの美しさだった。さらさらと流れる白金の髪。淡い空色の瞳は大きく、どこか幼い印象を受ける。仕草にはまだあどけなさが残っていて、オデットのような色香やルイズのような優雅さはない。だが、磨く余地が残っている原石だと考えるなら、エステルは巨大な原石だった。素材だけの美しさで言うなら、ザザがこれまで出会った中で最も美しい少女――ルイズに匹敵するかもしれない。
「え、ええ。よろしくお願いします」
ザザが美貌に見とれていたのを悟ったのか、エステルがくすりと笑う。
「ザザ様はそんな格好をされていますけど、身分のある方なんじゃないですか?」
「うぇ? わ、わかりますか?」
「そんなふうに自分からばらしてはいけませんよ」
「あ……」
見たところ同い年くらいなのに、完全に手玉にとられていた。恥を忍んで尋ねる。
「なんで分かったんです?」
「なんというのかしら。雰囲気、でしょうか。ザザ様は個性が強すぎるんです。普通、使用人ってもっと地味で目立たないものですよ」
「……努力します」
エステルのような美少女に個性が強いと言われるとなんだか複雑だ。これまではザザの変装はばれたことがなかった。エステルの慧眼があってこそ見抜かれたのだ。逆にエステルがメイドの格好をしていても誰も使用人だとは思わないだろう。エステルの美貌にはそれだけの力がある。美はときに身分とか立場といったものを飛び越える、ある意味暴力的な性質を持っている。
ザザとエステルは少しだけお互いのことを話した。年とか、お互いの連れのこととか、初対面の人間が話す当たり障りのないことだ。やはりエステルは平民だったが、ザザはとくに気にしなかった。ザザにはもともと平民の友人も多い。自分と平民は違うものだという認識はあるし、身分と儀礼の意味も分かっているつもりだ。だが、それと人間関係は別に考えていた。そうでなければ、ルイズとまともに友人になろうなんて考えない。
エステルは身分の一線を引きつつも、物怖じせずに話してくれる少女だった。ザザにはそういう態度はとても嬉しいものだった。同じ貴族でも、ポーラのように仲良くなれない子だっているのだ。今更だが、ザザは初めて会ったときのルイズの気持ちが分かったように思った。
二人が楽しげに話していると、アナベルが声をかけてきた。
「若い子はやっぱり仲良くなるのが速いわね」
「これは失礼しました、アナベル様」
エステルはそういうと一歩下がって黙る。アナベルはザザを見て言った。
「紹介するわ、これがトリスタニア屈指の美女、オデットよ。国中の男たちを虜にしてやまない名花。この国の女の頂点のひとりよ」
アナベルの言葉を、オデットは否定も肯定もせずにおだやかに笑っているだけだった。ザザはあわてて自己紹介をする。
「はじめまして。ザザ・ド・ベルマディともうします」
一礼したのを見て、アナベルが人が悪い笑みを見せる。
「ふふふ、まーだ気がつかない。ザザ、オデットは何だと思う?」
「何って・・・?」
アナベルの問いの意味がわからず、ぽかんとした顔になる。それでも止まっていた頭を回転させてオデットを観察する。アナベル以上に存在感を出すほどの色香。高位貴族もかくやという豪奢な衣装。だがエステルの話からして、オデットもまた平民のはずだ。そしてひとつの結論にいきついて、ザザは頬を赤らめた。
「あ……」
「気づいた? そう、このオデットは、トリスタニアでも一番人気の高級娼婦よ」
いたずらが成功したような顔でアナベルが笑う。その横でオデットが困ったような顔でこちらを見ていた。
高級娼婦。
爛熟した文化が生んだ徒花である。春をひさぐ女の頂点。絢爛たる夜の女王たち。
彼女たちはただの娼婦ではない。王侯貴族の相手をしても問題ないほどの知識と教養、洗練された物腰と言葉使いを仕込まれた一流の淑女たちだ。魔法の勉強にかかりきりな下級貴族の娘などとは、比べものにならないほど教養があるし身のこなしも美しい。ザザのような田舎娘など話にもならないような気品をもっている。
男を魅了してやまない彼女たちは客を選ぶ。金さえあればいいというものではない。彼女たちと床を共にするには、それにふさわしい品格があると娼館が認めなければならない。なにより、娼婦本人に認められないといけないのだ。
もちろん、金も必要だ。最高の娼婦になると、一晩で並の貴族の月収が飛ぶほどの額が必要になる。それでも男たちは彼女らのもとに通い続ける。女という極上の美酒に溺れていく。
「……そういえば、街で何度か見たことがあるかもしれません」
「そう。ありがとうございます、ザザさん」
名前を呼ばれて、ザザはどうしていいか分からずにうつむいてしまった。まるで縁のなかった人なので接し方が分からない。
「ふふ、街で目立ってる女なんて、大貴族か高級娼婦のどちらかだものね」
アナベルが言うとおりだ。高級娼婦は大貴族の婦人もかくやという贅を尽くした暮らしをしている。街中にも高級なドレスであらわれ、人々の視線を釘付けにする。男たちはもちろん、この極上の名花の香りに誘われる。女たちもまた、侮蔑とも嫉妬ともつかない複雑な感情で彼女たちから目をはなすことができない。貞淑が是とされるはずのこの社会の中で、不貞の極みとも言える彼女たちは羨望の眼差しで見られることすらあった。
「えっと、どういうお知り合いなんですか?」
「お友だちよお友だち。ねえ、オデット?」
アナベルがふざけてオデットの頬を撫でる。そのまま首筋にいこうとする手を、オデットがやんわりとどける。
「おふざけがすぎますわ、アナベルさん。ザザさんが困ってらっしゃいますよ」
「困らせてるのよ」
アナベルの言葉に、オデットは大げさに溜息をつく。
「ごめんなさいね、ザザさん。アナベルさんはこういう人だから、大変でしょう?」
「えっと、はい」
「わたしはこういう人間ですから、何かとドレスを作ることが多くて。それでアナベルさんともお知り合いになりましたの」
「あ」
ザザはすぐに納得した。アナベルの顔の広さは尋常ではない。平民・貴族問わずにどこに行っても知り合いがいる。娘の友人であるザザともいつのまにか友人になっているあたり、彼女の性質なのだろう。顧客の一人の高級娼婦とつながりをもっていてもおかしくはない。
問題は、なぜわざわざこんな密会用の部屋で会うのかということだ。ザザは思考を巡らせる。だが、ザザには高級娼婦についての知識がほとんどない。歴史の授業に何人か名前は出てきたけど、その実態についてはさっぱりだった。
歴史の授業。ザザの思考がそこで止まる。王や大貴族をも虜にした高級娼婦は、ときに権力を持つに至る。歴史の舞台には、そういった国家を左右するほどの美貌をもって愛妾とされた女たちが多数登場する。
オデットがそうなのかは分からない。だが、この国の高位貴族たちに贔屓にされていることは確実だろう。オデットが彼らと寝台で交わすのは、何も愛の言葉だけではないはずだ。そういう人物と、魔女の組み合わせはいかにもきな臭い。
ザザの心中を読んだように、アナベルが笑った。
「じゃあザザ。あたしはこれからオデットとお話があるから」
「……わかりました」
そのままザザは退室しようとする。いつものことだ。重要な話し合いや商談にはザザは立ち会わせてもらえない。自分はまだ、そんな舞台に立つには未熟だと分かってはいるが、今日はなんだか子供扱いされたようで悔しかった。
「あ、ちょっと待って。エステル。ザザと一緒に下で待っていてくれる?」
アナベルの口から出た名前に、ザザは血の気が引くのが分かった。オデットが高級娼婦だということは、つまり。
「わかりました。行きましょうか、ザザ様」
エステルがそう言って、扉を開ける。ザザはそれについて部屋を出た。部屋を出ると防音の扉が中の音を完全に遮ってしまう。
「ここのブラン・マンジェはなかなかのものですよ」
歩きながら、そんな話を振ってくるエステルに、ザザはどうしても聞かずには居られなかった。
「あの……エステル。オデットさんが、娼婦ってことは……その」
「はい。わたくしも娼婦ですよ、ザザ様」
天使のように無垢な笑顔がそういった。同い年の少女が何ごともないように。ザザが勇気を振り絞って聞いた問いに答えた。
進めば進むだけ、知れば知るだけ世界は広くなる。夢を目指して歩み続ける少女を、世界は冷たくあざ笑う。