どうすることもできない。
いろんなことを調べたり聞いたり考えたりした結果、出た結論はそんな情けないものだった。ザザが何をしても、ポーラやほかの公費生たちのことを助けることはできない。ザザの影響力なんて、そのくらいのちっぽけなものなのだ。ルイズの力ならば少しは力になれるかもしれない。だが、当のポーラがそれを望んでいない。
派閥に属するということは、その派閥に守られると同時に他の派閥から攻撃されるということだ。だが、ポーラたちは守られることを拒絶している。派閥の色にあまり染まりたくないと。そう言わせてしまったのはお茶会の力が不足しているからだ。ある意味ではポーラたちは自分でいじめられることを選択していると言ってもいい。実際、お茶会の有力な貴族にべったりな子はあまり攻撃されていないのだ。どっちつかずの都合の良い態度をとることは、どこからも良くは思われない。
ならば何故、彼女たちはそんな大変な思いをしてまで派閥に頼ろうとするのか。言うまでもなく、将来のためである。
トリステインの貴族は領地を持った極少数の上流階級と、大部分の中産階級で構成されている。上流階級といっても、ヴァリエール家のような頂点からザザの家ような下流まであるように、中産階級の家にもピンからキリまである。中産階級の家の大部分は、代々医者の家系だとか、鍛冶師の家系だとかの家業をもっている。クラウディアの友人のニコラも彫金師の家系である。彼らは魔法学院で基礎的な職業訓練を受けて社会に出て行く。職持ちのメイジは領地のつながりとは違い、同じ家業どうしのもので作る職業組合のようなつながりをもっている。組合の中でも派閥があり、派閥を束ねているような家は、領地はなくともザザの家などよりずっと経済的に恵まれている。そして組合系の派閥と領地がらみの派閥は密接に繋がっており、複雑な権力の網を作り上げているのだ。
中産階級の下層にいる貴族は、この組合からあぶれたものたちだ。あぶれた理由は様々だ。派閥や大貴族の不興を買って追い出された家、駆け落ち同然で家を飛び出した男女。家業の系統とは別の系統に生まれてしまったメイジ。公費生達はこういった事情を抱えている場合がとても多い。ほとんどの仕事は組合が仕切っているため、組合のそとにいるメイジに出来るのはその下請けや、鉱山掘りや汚水処理などのきつい仕事にかぎられてしまう。結果、スリや山賊などに身をやつしてしまう者も多い。
公費生たちが派閥選びに必死なのは、こういった状況を少しでも改善したいと願っているからだ。親の苦労を見ているからこそ、自分はちゃんと派閥に入らなければならないと思うのだろう。
これが女子生徒になるとさらに状況は面倒になる。なぜなら、女性が就ける職というのはとても限られているからだ。男性と比べるとほんとうにごくわずかな仕事しか選択の幅がない。家が家業をやっているのなら、その「手伝い」という名目で仕事をすることができるが、まったくの外部からとなると本当に就ける仕事は少なくなってしまう。組合があるような仕事は男でも外部から入るのは難しい。そうでない仕事はどれも危険で汚い仕事ばかりで『女性にやらせる仕事』ではないのだ。ちなみに、女性でも普通に就くことができる仕事に染め物や織物を作る仕事がある。ロネ家では染め物を扱っているため、クラウディアは公費生の間ではルイズと同じくらいに注目されている。
使用人のような仕事もあるにはある。学院や普通の貴族の家の使用人は平民がやるものだが、大貴族の家や王宮の女官などは護衛もかねて貴族の娘を使う場合も多い(暗殺などをおそれて貴族を使いたがらない者も多いが)。だが、そういう仕事はえてして実力が求められるものだ。ラインくらいは当たり前で、ドットのメイジなど入り込む隙間もない。
昨今は女性の社会参加が盛んになったと言われている。一昔前までは女は官職につくことができなかったが、最近では法改正が進んで女性でもできる仕事がでてきている。だが、まだまだ世間の雰囲気では『女は家にいるもの』という空気が強く、進んで仕事をしようという女性は少ない。その上、女性が官職につく場合にはライン以上の認定が必須となる場合が多い。これは男性にはない項目である。実力。女性が社会で認められるには、慣習を黙らせるだけの実力が必要なのだ。ポーラたちのような、実力も家柄もない女子にはまだまだ世間は厳しいのが現状だった。彼女たちは縁故をたよって仕事を見つけるか、なんとかして結婚相手を捕まえるかしないと生きていけないのだ。
ザザは無力だった。社会という枠組みの前では、ザザの力などでは何もすることができなかった。
ポーラと話が合うはずもない。ずっと将来を見据えている彼女たちと、今日明日の人間関係に悩むザザとでは見ているものがまるで違う。
ザザも将来のことを考えていない訳ではない。やってみたいこともたくさんあるし、やりたくないこともたくさんある。どんな生き方をするべきかずっと悩んでいる。だが、この悩むという行為はとても贅沢なことなのだ。許された選択肢がとても少ないものたちから見ればとんでもない特権に見えることだろう。
これまでザザは自分の力でたいていのことはなんとかしきた。それは逆に言えば、自分の力でなんとかなるくらいの小さな世界しか見ていなかったのだ。
幼いころ、家と村しか世界がなかったころ。ザザは力を必要としていなかった。周囲の人間はみんな自分に優しかったし、きちんとした手順をふめばたいていのものは与えられた。社交の場に出て世界の広さを知ってから、ザザは力を求めるようになった。自分のことは自分でなんとかできるだけの力が必要だと思った。才能・努力・生まれ、いろんなものが合わさってザザはそれだけの力を手に入れた。学院に来て、知り合いや友達が増えた。すこしずつ、守りたいものやなんとかしたいことが増えていった。そして、ザザはの世界はふたたび広がった。世界にはいろんな考え方の人がいて、自分の力だけではどうにもならないことがあると知った。
虚無の曜日。ザザはひとつの決意をして王都に向かった。ザザが一人で外出するのはとても珍しいことだった。
トリスタニアの郊外に、有力な貴族たちが王都に滞在するための別宅が並ぶ一角がある。その中に、リラの花に囲まれたちいさな邸宅があった。魔女、アナベル・ド・ロネの邸宅である。
少し前から、アナベルはトリスタニアに滞在していた。ザザは手紙で約束を取り付け、ひとりでこの屋敷までやってきたのだ。
日当たりのよいテラスでアナベルは待っていた。深い碧のドレスに身を包んだ金髪の魔女は、日の光の中で優雅にほほえんでいる。
「嬉しいわ、ザザからあそびに来てくれるなんて」
テラスのテーブルにはザザの好きなグロゼイユのタルトと紅茶が用意されていた。ザザは座ってもそれに手をつけず、もじもじと黙ったままだった。そんなザザが珍しいのか、アナベルはふざけてザザの手を両手で絡め取るように握る。
「どうしたの? だまっていちゃ分からないわよ」
ザザは顔を真っ赤にして、意を決したように口を開いた。
「そ、その……アナベル。アナベルは……私のこと、好き?」
「え、うん。大好きよ。急にどうしたの?」
「じゃ、じゃあ。その、わ、私と……い、いやらしいこととか、したいと思う?」
「ん? え?」
めずらしくアナベルが驚いた顔を見せた。
「だから! 初めてあったときみたいにキ、キスしたりとかさわったりとかしたいのかって聞いてるの!」
「ど、どうしたの急に」
「えっと……」
「貴女がそんなこと言うなんて、よっぽどのことでしょう?」
無邪気な少女のようにザザを振り回したかと思えば、年の近い姉のようにザザを受け入れるときもある。アナベルはそんな女性だった。
「アナベルに、頼みたいことがあるんだ。でも……私は貴方に差し出せるものを何も持ってないから」
「だから、あたしに抱かれようって思ったの?」
「う、うん」
ザザが真っ赤になって頷くと、アナベルは大声で笑い出した。おなかを抱えて本当におかしそうに笑い続ける。
「あはははははっ。もうおっかしい。でも、貴女みたいな子が真っ赤な顔で娼婦の真似事をしてるってのも、なかなかそそられるものがあるわね」
「わ、笑わないでください! い、いちおう私も真剣なんです!」
「ザザ。話してみなさい。まずは貴女が欲しいものを聞いて、その上であたしが貴女に何を要求するかを決めるから」
いつも少女のように無邪気に振る舞う魔女が、包み込むような笑みでザザを受け入れた。
自分のこと、学院のこと、ポーラのこと。ザザはずっと話し続けた。口べたなザザは所々うまく話せないことがあったが、アナベルはじっとザザの話を聞いていてくれた。姉のように、母親のように。
「それで、貴女はどうしたいの? それとも、どうして欲しいの?」
あらかた話し終えたあと、アナベルはそう聞いてきた。試すようなその視線を、ザザはまっすぐに見返す。
「権力が欲しい」
それがザザの出した答えだった。
「私だけの力じゃ、私の望みをかなえることはできない。私は権力が欲しい。他人を左右する力が欲しい。だから、権力の手に入れ方を教えて欲しい」
ザザは我慢できなかった。世の中のいびつさを許容できなかった。それはザザの傲慢さと強欲さの現れだった。自分の力だけでなんとかなる小さな世界で生きてきたからこその蛮勇と呼べるものだった。誰かと力を会わせ、自分も努力すれば世界を変えられると信じているのだ。ザザにはそれがとても傲慢なことだと分かっていた。それでも我慢できないのが、ザザという人間だった。
少女が口にした権力という言葉に、魔女は目を丸くする。ゆっくりと、言葉を選ぶようにして聞く。
「……ふうん? てっきり、あたしに泣きついてきたんだと思ったわ。その子の面倒をみてくれって」
「それじゃあ意味がない。意味がないんだ。ヴァリエール家にも、貴女にも、全員の面倒を見れるわけじゃない。私は、ポーラたちが自分の力で普通に生きていけるようにしたい。友だちを普通に友だちと呼べるようにしたい。そんなふうに、世界を変えたい」
「そのために、権力がいるのね?」
「私の両手だけでは変えられないものがある。だから、権力っていう道具がほしい」
「それは、あたしの願いのように?」
「そう。貴女の野望のように」
ザザの中に芽吹いた理想は、アナベルの語った野望とうり二つだった。それはアナベルの植えた種から育ったものかもしれないが、育てた土壌はザザの資質である。女性が一人でも生きていける社会。女性でも能力に見合った仕事が与えられる世界。
かつては遠いおとぎ話にしか聞こえなかったアナベルの願いが、今のザザにはとても力強く感じられた。ザザはアナベルのことを理解はしていたが、共感はしていなかった。アナベルの語る理想はあくまでアナベルのもので、ザザには他人事だった。だが、今は違う。同じ理想を共有している。同じものを見ている。同じ世界を夢見ている。
「分かったわ。ザザ。貴女の望みを叶えましょう。貴女が権力を握れるように力を貸しましょう」
「ありがとう。その、……私は何をすればいいかな」
「何も要らないわ」
ある程度の覚悟をしていたザザは、ちょっと拍子抜けして聞き返す。
「私の目的が、貴女の目的の役に立つから?」
「それもあるけど。あたしには、貴女があたしと同じものを見てくれたってだけで十分なの」
「それだけ?」
「同じものを見れる人がいるのは、とても幸せなことなの。今の貴女には、それが分かるでしょう?」
穏やかな表情でザザの頬を撫でる。
ザザとポーラは同じものを見れない。きっと、ルイズとも無理なのだろう。いや、世の中のすべて人たちはみな、違う世界を見ている。そんな中で同じ夢を見られる友人というのは、かけがえのない宝物なのだろう。アナベルやザザのような、鋭くとがった夢を持った者なら、なおさらのことだ。
「分かるよ、アナベル。私たちは一人で生きていくしかないけど、独りになる必要はない。私は、貴女の友人になれるといいと思っている」
自分を理解してくれる人がいる。今のザザには、それがどれだけ嬉しいことなのか分かった。頬を撫でるアナベルの冷たい指が、なぜかとても温かく感じられた。
「でも、貴女があんなこと言うなんてね。思いだしただけでも、こう。ぞくぞくするものがあるわね」
「わ、忘れてくださいよ、もう。クラウディアに言ったらほんとに怒りますよ」
「ふふ。でも、権力が欲しいなら、ああいうことも時には必要よ。使い方はとっても難しいカードだけどね」
「……覚えておきます」
ほんのりと顔を染めてお茶を飲む。そんなザザを楽しそうに見ながらアナベルは話しだした。
「たとえば、女が権力が欲しいのなら、手っ取り早いのは結婚よ。貴女のボーイフレンドと結婚して、たきつけて実家を継がせて乗っ取るのよ」
フォルカの家を乗っ取る。ゲルマニアの辺境伯。実力主義のかの国での大貴族の力は、アナベルの力などよりもずっと大きいものだろう。
「家の乗っ取り方はあたしが教えてあげるわ。手取り足取りね」
この魔女は、ロネ家を取り込もうとした子爵家を逆に乗っ取った過去がある。子爵家と辺境伯では格が違うが、アナベルならばなんとかしてしまいそうな気がする。結婚など、ザザは考えたこともなかったが、権力を求めるならば近道であるのは確かだ。
だが、もう自分の道を進み始めているフォルカにそんなことはさせられない。それに、その方法ではダメだとザザは思った。
「それもいいかもしれない。でも、アナベル。貴女は、それだけじゃあ足りないと思っているんでしょう?」
ザザの理性的な答えはアナベルにとって好ましいものだったようだ。楽しそうに言葉を待つ。
「そういう力はもう貴女が持っている。私たちに必要なのは、そういうものじゃなく『正しさ』じゃないかと思うんだ。文句を言わせないための、正しさ」
「分かっているんじゃない。そうよ、あたし達にひつようなのは正当性。誰も文句の言えない正当性。
人はね『正しさ』に弱いの。誰だって自分が正しいって思いたいのよ。正しくて、利益があれば凡人はついてくる。凡人がついてくれば他の人間も無視出来なくなる」
家を乗っ取るような手段では、正当性は手に入らない。ザザは、このトリステインで認められた手段で権力を手に入れなければならない。そうすることで初めて、ザザの意見に意味が出てくる。
「ザザ、とりあえず貴女は法学院に進みなさい。この国の官僚を育てる場所で勉強をするの」
「法学院」
一応、女子の入学も認められている。法学院を卒業して官職に就けば、ザザには正しさが生まれる。まっとうな手段をもって手に入れた力だからだ。
「ええ、女の子で入学したのはまだ数名しかいないけどね。何になるかはそこで見極めればいいわ。向き不向きはあるだろうし、これから状況が変わってなれる職も増えるだろうし。学費は心配しなくてもいいわ。あたしがなんとかしてあげる」
「えーと、たとえば魔法学院を首席で卒業したりすると学費免除とかないんですか? 奨学金とか」
「ないわよ。職業訓練もする魔法学院と違って法学院は完全な官僚養成校だもの。必要ないのね」
「そっか」
トリステインではある一定以上の官職は全て無給である。そういう仕事につこうというのだから、学費が工面できないなどありえないのだ。魔法学院では領地を持っているような貴族だと学費を払うのが普通で、そうでない貴族の場合は半数くらいが公費生になる。見栄もあるし公費生の大変さを知っているので、親はなんとかして学費を工面しようとするようだ。
高位貴族だと、魔法学院に入らないで法学院や軍の士官学校に直接入っても良い。それでも大多数の子女が魔法学院に一度は入るのは、様々な人間とのつながりを勉強するためだ。同じような立場の人間しかいない上級学校では、学べないものがある。ザザがルイズやポーラから学んだように。
進学。ちょっと前までは、あまり考えていなかった可能性だ。実家が学費を出してくれるか怪しいし、ザザも進学してまでなりたいものはなかった。
ザザはようやく、自分の将来を決めた。自分の夢を見つけた。人生という暗い道に、はっきりとした道しるべができた。ルイズやクラウディア、ポーラたちはずっと前から胸に持っていたものだ。ようやく彼女たちと同じところに立てたのが、誇らしかった。
嬉しそうにしているザザに、少し冷ややかな言葉がかけられた。
「あたしたちは蛮人よ。世の中が気に入らなくても、それに合わせて生きていくのが文明人ってものよ。気に入らないからってそれを変えようとするのは、強盗や山賊と変わりないわ」
アナベルが楽しそうに語る。
ポーラやルイズのように、生まれを受け入れてそれに見合った生き方を模索するのが人間の在るべき姿だ。社会の論理を学び、身につけて子供は大人になっていく。人間の社会はそうやって回っていくのだ。それが嫌だと、だだをこねるのは子供の言うことだった。自分の論理を社会に押しつけようとするのは、子供か、それこそ蛮人のすることだ。
「強盗や山賊と違うのは、あたしたちは棍棒や刃物の代わりに、知恵と権力を使って欲しいものを奪い取るってだけ」
「……分かってるよ、アナベル。私は、ポーラを救いたいと思う善人じゃない。世の中の仕組みが気に入らないだけの子供だ。私は、私のままで我を通してみせる」
ザザはポーラを助けたいんじゃない、見返したいのだ。ザザのことを世間知らずの恵まれた子だと『見下した』あの女を、見返してやるのだ。何年、何十年先になるか分からないけど、ザザの思うように世の中をひっくり返して、どうだと見返したいのだ。傲慢で子供っぽい考えだ。だが、そんなものでも、ザザにとっては人生を決めるに足る動機だった。ザザがザザのままで生きていくためには必要なことだった。
ザザの言葉のひとつひとつが、アナベルには嬉しくてたまらないようだった。
「いい答えよ。ザザ。今日から、あたしたちはパートナーよ。理想も意志もあたしに見合ったパートナー。あたしのドレスを踏んづけないように上手に踊りなさい」
「ダンスは上手じゃないんで、最初はリードを頼むよ」
立ち上がってアナベルの手を取る。ザザの方が背が高いので当然ザザが男役だ。小鳥のさえずりと秋風に乗って、二人は踊り始めた。
これから何十年と続く、破壊と征服の舞踏を。