トリステインの夏は暑い。雨も少なく、からりとした熱気が延々と続く。山間の涼しい気候で育ったザザにはこの暑さは厳しかった。
「暑い……」
中庭のテラスでザザはぐったりとしていた。
夏休みが始まり学院にほとんど生徒は残っていない。教職員もまばらで、使用人たちは普段は出来ない場所の掃除や手入れに大忙しだ。食堂やテラスも限られた時間しか開いておらず、何か冷たいものが欲しくてもままならない。
いっそブーツを脱いで中庭の噴水に足をつっこんで涼をとろうか。半ば本気でザザがそう考え出したとき、聞き覚えのある声がふたつ近づいてくるのが分かった。
ルイズとキュルケである。この暑いのに飽きもせず、がみがみと言い争いをしている。二人はザザを見つけると、言い争いを中止してやってきた。
「あら、ザザ。まだ学院にいたのね。ご実家には帰らないの?」
「もう少しで帰るよ。ルイズこそどうしたんだい?」
「トリスタニアでちょっとした用事があったからまだこっちにいたの。トリスタニアのお屋敷を手入れさせて、来年からはそっちで夏を過ごそうかしら」
「君はゲルマニアに帰らないのかい、キュルケ」
「ううん。帰るとお見合いさせられそうな感じがするのよねえ。断ればいいんだけど、それも面倒で」
「お見合いも仕事のうちじゃないの。わたしは婚約者がいるからしたことがないけど」
ルイズもキュルケも、さすがは高位貴族。ザザのように暑さにだらけているのとは大違いだ。ルイズは社交をがんばっているし、ヒマな日には魔法の練習も欠かしていない。キュルケはそれとは正反対だけど、奔放に生きることができるのは彼女に力があるからだ。二人とも、ザザにとっては見習うべき存在である。
「貴女はどうするつもりなの、ザザ。夏休みの予定とかってあるの? もしかしてフォルカと何か予定があるのかしら?」
キュルケがにやにやとしながら隣の椅子に座る。それを見て、ルイズが逆隣の椅子に慌ただしく陣取った。
「いや、先輩は古城見学とかであちこちに旅行に行ってるよ。特に会う予定はない」
「古城? また物好きねえ、あの男も。女の子よりも城が好きなのかしら?」
「先輩は建築家になりたいそうなんだ。だから、色んな建物を見るのが好きなんだって。トリステインには古くて立派な城が多いって喜んでたよ」
「ふぅん、大変ねえ」
フォルカはもう何年も故郷の地を踏んでいない。トリステインに来る前はガリアに留学させられていたらしい。実家を継ぐこともとうにあきらめていて、独り立ちするために手に職を付けようとしている。
別にフォルカが特別なわけではない。家を継げない者はそれ以外の生き方を探さないと行けないのだ。フォルカのように手に職を付けるのもいいし、ルイズのように他家へ嫁に行くのもいいだろう。
ザザもまた、家督には縁のない末の女の子だ。いつまでも家に居るわけにはいかない。父親はザザをどこかの有力貴族に嫁がせようと画策しているようだ。それが嫌ならば、この学院にいる間に何か自分の生きる道を探さなければならないのだ。
「……なーんか。自信なくなるなー」
「ど、どうしたの、ザザ?」
突然そんなことを言い始めたザザに、ルイズが慌てる。
「私はダメだなぁって思ってさ。みんなと比べて」
「ザザがダメなら、わたしなんかもっとダメよ。コレなんか話にならないわ」
ルイズがキュルケを指さして言う。
「そうよねぇ。ラインのザザがダメならゼロのルイズなんかてんでお話にならないわよねえ」
キュルケが言い返す。また言い争いに成る前に、ザザが口を開く。
「ルイズはちゃんと公爵令嬢として仕事してる。クラウディアだって家の仕事を継ぐために勉強してる。フォルカは自分で生きていくために手に職を付けようとしてる。キュルケはそうじゃないけど、自分で責任を取れる力がある。私だけが、何にも生き方が定まってないいい加減な子供だ」
「だ、だって、ザザは勉強も出来るし、ラインの資格もあるんだし、何でもやろうと思えばできるわよ」
「かもしれないけど……今のままだとずるずると何もしないでお嫁にいきそうな感じがする……」
ザザがどんどんと暗い思考になっていき、ルイズはおろおろと慌てていた。そんなザザの頭を、キュルケがぱんとはたいた。
「あっつい中ぐだぐだしてるからそんな暗くなっちゃうのよ。どっかぱあっと遊びにいって来なさいな」
「ザザはあんたと違って繊細なのよ。ゲルマニアのいい加減な女と一緒にしないで!」
ザザははたかれた頭をかきながら、あっはっはと笑うキュルケを見る。こうやってなんでも笑い飛ばせるところが、キュルケの強さなのだろう。
「いや、確かにそうかもね。せっかくの休みなんだし、色々やってみようかな」
「そうしなさいな。遠い将来のことで悩むより、夏休みの予定で悩みなさい」
「いちおう、少しは予定はあるんだよ。クラウディアの家に招待されているんだ」
ザザのドレスや決闘のことをクラウディアの母親が知り、一度お礼をしたいと丁寧なお誘いの手紙を貰ってしまった。ドレスもロネ家の布地を使った最高級のものを贈ってくれるそうだ。
「ロネの家の布地ってロネ・ブルーでしょう? いいわねえ。あたしは髪の色と合わないけど、貴女の髪ならよく映えそうね」
「わたしも何着か持っているけど、ザザのほうが似合いそうだわ。秋のガーデンパーティが楽しみ。いつごろ行くのかしら?」
「明後日に馬車で実家に帰って、実家から行くつもりだよ」
ザザがこんな時期まで学院にいたのは、帰りの馬車の都合だった。ベルマディ家出入りの商人である、フィリップが率いる隊商の乗り合い馬車に乗せてもらうことになっていた。もっと早く帰れる馬車もあったのだが、まだ旅慣れないザザには知り合いのいる環境のほうが何かと安心できる。
「隊商の乗り合い馬車? あたし乗ったことないわね」
「わたしも」
というか、この二人はそもそも乗合馬車などにのる必要もない。
「……私だって初めてだよ」
隊商はたくさんの馬車に商品を載せていろんな場所で交易をする。乗り合い馬車も何台もあり、ザザたちの乗るような貴族用もあれば平民用もある。商館が護衛に傭兵隊をやとっているので、単独での馬車旅よりもずっと安全でもある。食事や途中の宿の世話も頼める。多くの町を回るので遠回りになるが、ザザのように旅慣れない者にとっては便利な移動手段である。
ザザが隊商の話をしていると、キュルケが食いついてきた。
「なかなか面白そうねえ。あたしもついて行こうかしら? どこまで行くの、その隊商」
「たしかゲルマニアにも行くって聞いてるよ」
「へえ、今からでも馬車の席は空いているのかしら?」
「今から王都に行って聞いてみようか? どうせヒマだし、なにか冷たいものが欲しいし」
話がとんとん拍子にまとまっていく横で、ルイズが慌てて声を上げた。
「わ、わたしも行く! 公爵家のちかくにも行くでしょう?」
「そりゃ行くと思うけど……、予定は大丈夫なの?」
「も、もうこっちでの用事はすんだもの。実家には自分で帰るって言ってあるから問題無いわ!」
ザザとキュルケの間に割り込むように勢いよく言った。そのルイズを見て、案の定キュルケが意地の悪い顔を見せる。
「あらぁ? 焼き餅かしら、ラ・ヴァリエール」
「そんなんじゃないわよ! あんたがザザに変なこと教えないか見張るだけよ!」
「おほほほほ。そういうことにしてあげるわ、お友だちゼロのルイズ」
「あ、あんたの方が恋人ばっかりで友だちなんかいないじゃない!」
「あたしはちゃあんと交友を結んでいる相手がいるもの。取り巻きばっかりの誰かさんとは違いますわ」
ぎゃあぎゃあと口げんかが始まる。気楽な一人旅のつもりだったのに、この二人の間に入って旅をしなければならない。暗鬱な気持ちでザザは二人を止めに入った。
貴族用の馬車は四輪だての大きなものだった。ザザの乗り慣れた二輪の安物と比べると揺れがすくなく実に快適なものだ。大きな窓もついており、道中の景観が乗る者の目を楽しませてくれる。金さえ出せば商隊の商品から酒や食べ物も買える(少々割高だが)。
ルイズとキュルケは、ザザが思っていたよりも上手くやっていた。貴族用の馬車にはザザたち以外にも客がいたのだ。さすがに赤の他人の前でまでケンカをするほど二人も子供ではない。
乗り合わせたのは仕事帰りの渉外修士だった。三十路を越えたくらいの男性で、いかつい風貌だが話がとても上手かった。渉外修士とは、国境でのいざこざや貿易のあれこれ、国際結婚などの交渉をとりもつ仕事だ。外交官になるにはこの資格が必須となる。今回はゲルマニアの貴族とトリステインの貴族の国際結婚の事務手続きをしてきたらしい。他にも貿易の場での笑い話や密入国者を見分けるコツなど、様々な話題でザザたちを楽しませてくれた。
三日ほど乗り合わせたあと、男は先に降りて去っていった。
「なかなかいい男だったわね。こんな出会いがあるのも、乗り合い馬車の醍醐味ってところかしら」
「そうね。お話もとっても面白かったし、なんて言うか大人の男性だわ……、そうだわ! ザザ、将来の職業は渉外修士なんかどう? 勉強もできるんだし、向いていると思うわよ」
「あれって女もなれたっけ?」
「大丈夫なはずよ。外交官や大使になるにはもうちょっと条件が厳しいけど」
「ふぅん……」
そうなった自分を想像してみる。国境を挟んでケンカをするルイズとキュルケの間を行ったり来たりする自分が容易に想像できた。かんしゃくを起こしたルイズの言葉をやわらかーく訳してキュルケに伝えて、高慢な高笑いとともに嫌みを言われるのだ。
「……まあ、考えておくよ」
ゲンナリとしていると、馬車がゆっくりと止まるのが分かった。窓の外を見ると川沿いの宿場町が広がっている。今日の宿はここになるのだろう。
次の日、馬車に乗り込む前にザザたちはフィリップに呼び止められた。
「どうしました? おじさん」
「はい。今日から少々危険な場所を通るので、近隣の領主から護衛隊を派遣して頂けるのですが、その方々が是非にご挨拶をと仰って」
「あら、それは光栄ですわ」
領主にとって自領の治安維持は当然の義務である。モンスターや盗賊の討伐のような能動的な治安維持もあれば、隊商の護衛のような受動的なものもある。領内で隊商が略奪にあうようなことがあれば恥以外の何物でもないし、ことによっては責任問題にもなる。
見ると、隊商の後ろに見慣れない馬車が一台あった。馬に乗った数名のメイジらしきマント姿と、その従士らしい鎧姿の影がいくつかあった。フィリップが行くと、メイジ達が馬を下りてこちらに向かってきた。
先頭にいるのは長髪の偉丈夫だ。その後ろに三人続いてくる。一人はとても年若い、幼いと言ってもいい年齢のようだった。皆、顔立ちがどこか似ているので同じ一族の者なのだろう。
「げ」
「うわ」
「あら」
その中にいた一人の顔を見て、ザザたちは思わず声を上げた。偉丈夫のメイジはそれに気づかず、優雅に一礼した。どうやらルイズとは顔見知りのようで、代表するような形でルイズがおじぎをする。
「おや、ルイズ様ではございませんか。昨年お会いして以来ですな」
「ごきげんよう。ミスタ・ロレーヌ。ご無沙汰しておりますわ」
「このようなところでルイズ様をお守りする栄誉に預かれるとは望外の至りです。後ろのお二人はご学友ですかな?」
「ええ。友人と同級生です」
ザザとキュルケは偉丈夫のロレーヌ卿に挨拶をする。
「今回、お嬢さま方の護衛を務めさせて頂くロレーヌです。この二人は弟です。ヴィリエの方は同じ学校ですからご存じですね」
一行の中の少年が渋々と一礼する。そう、このあたりはあのド・ロレーヌの実家の近くだったのだ。ロレーヌ卿は彼の兄。ザザはなんとも気まずい想いで挨拶をすませた。ド・ロレーヌも同じようで、ザザの方を見ようともしない。
そんなことには気づかず、ロレーヌ卿は話を続ける。
「これは私の息子でライアンです。今回は戦の空気に慣れさせるために連れてきたのですが、初陣で美人を三人も守る栄誉にあえるとは。我が息子ながら運の良い子です。ほら、ご挨拶なさい」
十一・二歳ほどの少年が前に出て一礼する。まだ社交にも不慣れなのか、かなり緊張している様子だ。
「ラ、ライアンと申します。今回は全力でみなさんをお守りいたします!」
「あら、可愛い騎士様ね。よろしくお願いしますわ」
キュルケが身をかがませてそう言うと、ライアンは緊張で赤い顔をさらに真っ赤にしていた。
その日、ザザは一日中馬車から出ずに過ごした。途中で休憩で隊商が止まったときもひとり馬車の中に残った。宿場についてようやく馬車からはいだし、ルイズたちと一緒に夕食をとっていた。宿屋に備え付けの食堂。外ではロレーヌ卿や隊商の男たちが酒を酌み交わしている。
「なんで私がこんな胃のねじ切れるような思いをしなくちゃならないんだ……」
「気にしすぎだと思うわよ? 貴女は悪いことしてないんだから、どーんと構えてなさいどーんと」
「それが出来ないから困ってるんだよ」
グロゼイユのゼリーをつつきながらぼやく。
「でも、たしかに気に病んでも仕方がないわよ。ザザもやりすぎだったかもしれないけど、二人とも罰は受けたんだし、いいっこなしよ」
「そうなんだけどねー」
ザザがくだを巻いていると、三人のテーブルに近づいてくる者がいた。
「こ、こんばんは」
ロレーヌ卿の子息のライアンだった。ザザの顔を見て言う。
「あの、今日は馬車から降りてこられなかったようですけど、お加減でも悪いのですか」
「い、いや。そういう訳じゃないんだ。心配しなくてもいいよ。お父上たちはどうしたの?」
慌ててザザは話をそらす。
「従士や傭兵隊のひとたちと盛り上がっています。僕はまだお酒が飲めないので、抜け出して来たんです」
少しすねたようにライアンは言った。その様子がおかしかったのか、キュルケがくすくすと笑った。
「じゃあ、お姉さんたちとご一緒しない? 楽しくお話しましょ?」
そう言って椅子を勧める。真っ赤になったライアンはかちこちになりながら座った。ザザは少し気まずかったが、この子には関係ないとにこにこ笑っていた。
最初はかたかったライアンだったが、話していくうちにだんだんと緊張がほぐれてきたようだった。キュルケがからかい半分で色香を匂わせ、ルイズがそれを怒り、ザザが二人をたしなめる。そんなやりとりを繰り返していると自然と笑顔を見せるようになった。男の子らしい、ちょっと背伸びをして格好付けた物言いがなんとも微笑ましい。
「あ、皆さんはヴィリエおじさまと同じ学年なんですよね。いいなあ」
「ヴィリエ……、ああ」
ド・ロレーヌのファーストネームだ。言動の端々から、ライアンが叔父のことをとても慕っているのが分かった。
「ライアン君は、おじさまのことが好きなんだね」
「はい! ヴィリエおじさまは僕の年にはもうラインになっていました。僕はまだドットですけど、魔法学院に入るまでにはラインになりたいと思っています。おじさまのようなメイジになるのが僕の夢です」
「あー……そ、そうなんだ」
ライアンのあまりにもまっすぐな言葉にザザは何も言えなくなってしまった。無言でルイズにバトンを渡す。
「ラ、ライアン君はヴィリエおじさまのどんな所に憧れているの?」
「強くて勇気のあるところです。僕が小さいときに近くの子たちにいじめられているといつも助けてくださいました。騎士とはああ在るべきだと思います!」
「そ、そうなの……」
ルイズ撃沈。キュルケが割って入り話をそらす。
「ライアン君の好きなことはなぁに? そろそろガールフレンドの何人かはできたのかしら?」
「ええと……僕は魔法もそれほど上手くないし、口べただから女の子とは上手く話せません。でもきっと、ヴィリエおじさまは人気者なんでしょうね。学院でのおじさまのお話を聞かせてください。おじさまは照れてあまりお話してくれないのです」
「あ、あたしたちは他にボーイフレンドや婚約者がいるけど、たしかに女の子たちには注目の的だったわね。おほほほほ」
さすがのキュルケも純粋な男の子の夢を壊すほど無粋ではいられないようだ。ライアンが明日の護衛に備えるからと席を立った後、三人は顔をつきあわせて話し合った。
「……本当にあれはド・ロレーヌの甥っ子なのか? とても同じ血が流れてるとは思えない」
「ミスタ・ロレーヌは爵位を継いだばかりだけど評判の良い人よ。ド・ロレーヌが特別なんじゃないかしら」
「甘やかされて育った末っ子って感じねえ。ライアンの方がずっと男前だわ」
ド・ロレーヌが恥をかこうが知ったことではないが、ライアンの夢を壊すのは気が引ける。三人はうまくそのあたりのことはごまかすことで一致した。
明くる日。宿場を発った隊商は畑が広がる丘陵地へとさしかかっていた。たくさんの畑が広がっており、遠くでは農夫たちが森を切り開いているのが見える。ザザが馬車の入り口に腰掛けて風景を眺めていると、馬に乗ったド・ロレーヌが近づいてきた。
「……何か用かい?」
「き、昨日。ライアンと話をしていただろう。何か余計なことを言っていないだろうな」
あの決闘以来、一度も口を利いていなかった二人だった。お互い目も合わせようとしない。
「心配しなくても何も言っていないよ。こんなところで油を売ってるヒマがあるならその辺に見回りにでもいきなよ」
「ふん。言われずとも君の顔など見たくもない」
「こっちこそだ」
二人がいがみ合っていると、遠くで農夫たちが騒ぎ出すのが聞こえた。何事かと思うヒマもなく、かんかんと警鐘がならされる。ド・ロレーヌはすぐに馬を飛ばしてロレーヌ卿のところへ向かった。
馬車が止まる。ルイズとキュルケも何事かとそとに出てきた。騒ぎの大きい方を見ると、子供ほどの背丈のモンスターが群れをなして森から出てきて畑を荒らしていた。犬のような頭部と真っ赤な目をもった亜人、コボルドである。群れは畑だけでなく隊商の馬車にも目をつけ向かってきていた。
すぐさま傭兵隊と従士たちが隊列を組みコボルドを迎え撃った。農夫たちはこれさいわいと隊商の後ろに逃げ込んでくる。あらかじめ役割分担をしていたようで、傭兵隊のメイジが風を操ってコボルドの矢や投石を防いでいる。ロレーヌ卿をはじめとした護衛隊のメイジたちが飛び出して各個にコボルドを倒しにかかる。
「モンスター? 大丈夫なの?」
「だ、大丈夫よ。護衛隊がいるし」
キュルケが杖を取り出してそう言う。ルイズも険しい顔で身を固くしている。
「大丈夫だと思うよ。こっちの戦力は整ってるし、相手はコボルドが少しだし。逃げ遅れた人もいないみたいだしね」
ザザも実家でこの手の仕事を手伝っていたので、なんとなく戦況は読める。コボルドは平民の戦士でも倒せる程度の弱いモンスターだ。見ていると、コボルドたちはてんでばらばらに襲ってきてまるで統率がとれていない。本来ならもう少しコボルドは利口なモンスターなのだが、この群れにはリーダー的な個体が存在しない。恐らく、住処である森を奪われてちりぢりになった群れの一部なのだろう。森を開拓している場所ではこういった森を住処としている亜人との小競り合いが尽きない。
「あたしたちも手伝った方がいいかしら」
「邪魔になるだけだと思うよ。傭兵隊はよく訓練されてるし、ロレーヌ卿がメイジたちを上手く使ってる」
「でも、なんかせせこましいわねえ。もっと大きい呪文でいっきにやっちゃえばいいのに」
「君ね……こんな畑のど真ん中でそんなことできるはずないだろ。収穫前なんだから」
ロレーヌ卿たちは畑を傷つけないように小さな呪文で確実にコボルドを退治している。
キュルケは優れた火のメイジだし、家が軍人を輩出している名門ということで戦闘訓練もそれなりに受けている。しかし、彼女くらいの家になってしまうとこういう小さな仕事は近隣の騎士団任せになってしまって、実態をよく知らないのだ。
こんどはルイズが聞いてくる。
「あ、ザザの砂塵ならいいんじゃない? 動きを止めるのにいいって言ってたじゃない」
「それもだめ。砂塵は作物によくないんだ」
「うう……」
「難しいのねえ」
三人が手持ちぶさたにしていると、そこにライアンがやってきた。杖を握って顔を赤くしている。緊張というよりは、初めての実戦に興奮しているようだ。
「父上からこの場の守りを仰せつかりました! この身に代えても皆さんを守って見せます」
さすがにまだ前線で戦わせるには早いようで、ライアンは隊商の守備の一部として組み込まれていた。それがザザたちの周囲というのは明かに父親の親心だった。
自分よりずっと弱いライアンが息巻いているのを見て、キュルケがぷっと吹き出した。
「あら、頼もしい騎士様ね。よろしくお願いするわ」
「お任せください!」
からかい半分のキュルケの言葉も、いまのライアンには通じなかった。
キュルケがくすくすと笑うのを、ルイズが小声で怒る。
「ちょっと、ライアンくんが頑張ってるのに笑っちゃダメじゃない」
「だぁって。ふふふ」
ザザは笑うというよりは、微笑ましいといった気分で男の子を見ていた。背伸びして騎士ぶる男の子。
そのとき、傭兵たちがわっと声を上げた。森の別の一角から新たな群れが現れたのだ。前線のメイジたちは間に合わない。戦士たちがいっせいに武器を構えた。傭兵隊は優秀だった。数人がかりで一匹ずつ順番にコボルドを討ち取っていく。護衛隊の従士たちも同様で、隊商には一匹も近づけないように思えた。
だが戦士たちの守備網の間を縫って、数匹のコボルドがザザたちのほうへと向かってきた。ザザとキュルケは思わず杖を構える。そこでルイズが叫んだ。
「ちょ、ちょっと待ってザザ!」
「な、何? こんなときに」
「あのコボルド、ライアンくん……風のドットでも倒せるもの?」
「へ? まあ、メイジなら楽に倒せると思うけど……」
「じゃ、じゃあライアンくんが危なくなるまでは手を出しちゃダメよ。絶対に。あんたも、わかったわね!」
「はぁ? 何を言って」
そんなやりとりをしている間に、コボルドはやってきた。ライアンの後ろ姿は震えていた。恐ろしくて当然だ。コボルドが小型の亜人とはいえ、子供のライアンとはさして変わらない体格だ。赤い目をらんらんと光らせた怪物が向かってくるのが怖くないはずがない。
それでも、ライアンは助けを求めなかった。後ろにいるザザたちにも、周りにいる傭兵たちや従士にも。
ライアンは貴族の男だからだ。魔法を使えない平民に頼るわけにはいかないし、守るべき淑女に助けを求めることなどできるはずがない。
自分に与えられた役割を愚直に貫こうとするその姿は、すでにいっぱしの騎士だった。
コボルドが飛びついてくる。ライアンが呪文とともに杖をふるう。毛むくじゃらの手が男の子の身体を掴む寸前に、コボルドは突風で吹き飛ばされていた。地面に叩きつけられ息絶える。ライアンは肩で息をしながら次のコボルドをしとめようとするが、一呼吸遅い。ちいさな身体をコボルドの棍棒が砕こうというその瞬間。風とともにやってきたド・ロレーヌが二匹のコボルドを切り裂いた。
戦いが去った安堵からか、ライアンは膝をつきそうになった。だが、やはり男の子の意地があるのかなんとか立ち止まる。
「あ、ありがとうございました。おじさま」
「よくやったな、ライアン! がんばったぞ」
「はい!」
学院では見せたこともないような表情をド・ロレーヌは見せていた。ライアンも褒められて本当に誇らしそうにしている。
やがてコボルドもあらかた片付くと、ライアンは嬉しそうに父親のもとに走っていった。ザザは、ひとり残ったド・ロレーヌに話しかける。
「君はなんであれができないんだ? あれは君の甥っ子だろう」
「う、うるさいな。君には関係ないだろう」
「ま、そうだけどね。ライアンの期待を裏切らないようにしなよ。どういうわけだかあの子は君みたいなのを尊敬してるらしいから」
「君などに言われずとも分かっている! 失礼させてもらう!」
どすどすと大股に歩いていってしまう。ライアンのあんな姿を見せられては、さすがの彼も恥じ入るところがあるらしかった。
その日の夜は隊商の皆も護衛隊もおおいに盛り上がった。武功を肴に酒を酌み交わしている。ちなみに酒や食べ物は隊商の商人や農夫たちが出している。
護衛についてくれた貴族に金品で礼をするのは無礼なこととされている。貴族は報酬のためではなく、名誉のために戦うのだから。なので、このように食事や酒を振る舞って労をねぎらったり、商人ならば取引の際に少し色をつけたりして返すのが習わしだ。
ロレーヌ卿は息子がはじめての武勲を上げたことがとても嬉しいらしい。ライアンを傍らに置きながら、その話ばかりをくりかえしている。周りの男たちも小さな騎士の戦いを褒め称えていた。
ライアンは相変わらず酒が飲めずに手持ちぶさたにしていたが、自分が話題の中心ということで嬉しそうだった。宴席を途中で抜け出してくるようなことは、もうないのだろう。
その様子を見ながら、ザザはぽつりとつぶやく。
「こういうのは、悪くないね。ド・ロレーヌは気に入らないけど」
「ふふ。そうでしょう。ライアンくんはいい騎士になるわ」
ザザとルイズが笑い合うと、キュルケがつまらなそうに言った。
「まったく、トリステイン貴族はのん気なものね。一歩間違えたら死んでいたじゃない。あたしたちがやった方が確実じゃないの」
「ふん。これだからゲルマニアは。そんなだから品がないのよ」
「これだからトリステインは。そんなだから衰退するのよ」
ルイズとキュルケがまた言い合いを始める。
実力主義のゲルマニアの民には理解できないだろう。ゲルマニアが実力主義ならば、トリステインは役割主義とでも言うべきだろうか。ゲルマニアでは、実力があるから役割が与えられる。トリステインでは役割が与えられるから、それに見合う力を付けようと努力するのだ。
ザザも、役割を押しつけられるのは好きではない。だがライアンのような子を見ると、役割に向かって努力するのは素敵なことだと思う。きっと、ザザも自分の役割を見つけることができれば、本当の意味でトリステイン貴族になることができるのだろう。
とりあえず、ザザは今の自分の役割を果たすことにした。にらみ合うキュルケとルイズをなだめる。
「ほらほら。ケンカをしない。頑張った騎士にご褒美をあげるのが淑女のつとめだろう?」
「わ、わかってるわ。淑女のつとめよ」
「そうね……ともかく、ライアン君はかっこうよかったわね。恋人にしてあげてもいいくらいだわ」
宴席の中に入っていき、ザザたちは小さな騎士に栄誉を与える。ロレーヌ卿は三人を見てにっこりと笑った。きっと、このためにライアンをザザたちのところに配置したのだろう。ザザたちの周りが安全だったからではなく、もっとも名誉ある戦場だから息子を配置したのだ。さすがにそこにコボルドが来たのは偶然だったようだが。
三人は順番にライアンに手を差し出した。ひざまづいてその手に口づけるライアンは、コボルドに立ち向かったときの何倍も緊張していたようだった。