学院中にそわそわと浮かれた空気が満ちていた。
前期の試験も終わり、もうすぐ夏期休暇に入る。長い休暇の間に何をするか、今からみんな楽しみでしかたがないのだ。
だが、生徒達が落ち着かないのはそれだけが理由ではなかった。夏期休暇に入る前に学院主催の舞踏会が開かれる。生徒達の頭の中はこのことでいっぱいなのだ。女の子たちは意中の男子に誘われないかと気が気ではないし、男の子はどうやって女の子を誘おうかと悩んでいる。誰が誰をさそった。あの子は誰と踊ることになっている。誰は女子に誘いを断られた。などなど、学院の中はそんなうわさ話で持ちきりだった。
学院で催される舞踏会は学校行事の一環である。宮廷での作法やダンスのマナーなどを学ぶための場だ。当然生徒は全員参加であり、特別な理由が無い限り欠席はできない。ここで困るのが、パートナーが決まらなかった男子だ。女子はパートナーが居なくても変に思われないが、男子はそうはいかない。貴族の子息が舞踏会に連れて行く相手ひとりいないというのは、とてもみっともないことなのだ。なので、女子よりも男子のほうがパートナー探しにはやっきになっている。
ここで言うパートナーとは最初のはじまりの曲でエスコートする相手のことである。付き合っている相手がいればもちろん誘うが、パートナーになったからと言って即おつきあいというワケではない。言わばスポーツのパートナーに近いのだが、やっぱりそこは普段からの人気というものが出る。体裁を整えるためにパートナーのいない女子を誘っても、普段からマナーが守れていなかったりする男子はかるく断られてしまう。誘われる女子にも同じことが言えるので、パートナー探しは学内の人気がろこつに表れるのだ。人気のある生徒は女子も男子も最初から最後の曲まで予約でいっぱいだ。
キュルケなどはもう予定が詰まっているように思えるが、彼女だけは別格だ。キュルケは小さなつぼみたちの中に混じった大輪の花である。舞踏会のたびに妖艶な香りをふりまいては男子たちを寄せ集め、気まぐれにお菓子をつまむようにダンスの相手を決めるのだ。当然、女の子たちからものすごい反感を買っているが、今更そんなことを気にするキュルケではない。今回もきっと豪奢なドレスに身を包んで会場の視線を釘付けにするだろう。
そんな空気の中でザザは気楽なものだった。エスコートはフォルカに頼むことがもう決まっているからだ。といっても、ザザはダンスがそんなに上手くないし、好きでもない。最初と最後のダンス以外ではダンスは遠慮するつもりだった。踊るのは好きではないが、ダンスを見ているのはザザは好きだった。女子にはダンスを誘われても断る権利があるので、やりたくないダンスはしなくてもいい。男女差別万歳である。というかド・ロレーヌの一件以来、男子のほとんどはザザを恐れて近づいてこないのでまず誘われることはないだろう。逆に女子には変に慕われるようになってしまっていた。
それにフォルカと踊りたい女子はたくさんいるので、ずっとザザが一緒ではまた不興を買ってしまう。舞踏会は社交の場でもあるのだから、パートナー以外とダンスを踊るのも普通のことなのだ。
なので、ザザを悩ませている問題はほかにあった。
ルイズのことだ。ルイズはこれまで一度もパートナーを選んだことがない。ルイズには婚約者がいるという話だし、それは普通のことだ。だが、舞踏会当日が問題だった。誰もルイズを踊りに誘わないのだ。ルイズはずっとお茶会のみんなと料理とおしゃべりを楽しんでいるだけで、ダンスにほとんど誘ってもらえない。お茶会のみんなはそれぞれ恋人がいたりダンスに誘われたりするので、次々と踊りに行ってしまう。ひとりぼっちで残されたルイズはまさに壁の花だった。
壁の花。ダンスに誘われず壁際にたたずんでいる女性を皮肉った言葉だ。容姿がよくない女性のことを言うことが多い。舞踏会の前後になるとルイズをそう皮肉る声が聞こえてくる。お茶会では、そんなルイズに気を使って舞踏会の話題が出しにくかった。そういう空気がルイズには居心地が悪そうなのは分かる。かといって自分たちだけ楽しそうな話題で盛り上がるのも気が引けてしまい、ザザもクラウディアも困っていた。
ザザがあまりダンスを踊らないつもりなのは、そんなルイズに寂しい思いをさせたくないからもあった。おしゃべりと料理を楽しみながらダンスを見ているのも、立派な舞踏会の楽しみ方だ。でも、せっかくの舞踏会なのだからルイズも誰かと踊って楽しんでほしい。そう思って、ザザはフォルカに相談していた。
「というわけなんですけど。どうしたものでしょう。いっそ先輩が踊ってくれません?」
「ぼくが誘うのも露骨な感じがするよ、彼女とはまるで接点がないし」
「ですよねぇ……」
「ザザ。君はなんで彼女が誘われないか分かっているかい?」
「それは、その……やっぱり魔法がヘタだからじゃないですか?」
「まぁ、そういう理由のやつもいるだろうけどね。もうひとつ大きな理由があるんだ。分かるかい?」
「……なんです?」
「たとえばさ。君は自分より背の低い男子と踊りたいと思うかい?」
「身長ですか? ……私と本当に踊りたいって人ならいいですけど、そうじゃないなら遠慮したいですね。よけいでっかく見えるし、踊りにくいし。男子だって自分よりでっかい女の子とは踊りたくないでしょう」
ダンスは基本的に、男性よりも女性が小柄なことが前提にステップが作られている。工夫すれば逆の身長差でも踊れないことはないが、優雅さには欠けるものになってしまう。男性の方が高くても身長差がありすぎるとまたよくない。要は、身長が釣り合う相手と踊るのが普通なのだ。その定石を無視してまで踊っていると、それなりの関係なのだろうと勘ぐられてしまうこともある。
「それと同じだよ。家柄にも釣り合いってものがある」
「え、でも……」
「ちょっとやそっとの差なら気にしなくてもいいさ。でも、公爵家って家柄はそうじゃないだろう? 家柄も身長と同じなんだよ。もって生まれたもので、自分では選ぶことができない。それに振り回されないようにみんな力をつけるんだ」
公爵家という家柄は、そんじゃそこらの男子が何となくダンスに誘える家柄ではない。家柄が釣り合うような男子はみなマナーも守れてしっかりとしているので、人気があってルイズを誘うヒマもない。
ルイズはただの壁の花ではない。高い場所に飾られて誰も取れない高嶺の花なのだ。無理をすれば手が届く男子はたくさんいるのだけど、魔法が使えないルイズは無理をしてまでとりたい花ではないのだ。
「きっと、ミス・ヴァリエールも理解していると思うよ」
「でも、魔法のことと分けて考えられるかは別だと思うんです。お茶会でもみんな気を使って舞踏会のことはあんまり話題にできないし」
「んー、何か面白い余興でもあればいいのかもしれないね。誰かが仮装をするとかさ」
「余興、ですか……」
華やかな場にはあまり縁のないザザには思いつかない。あれこれと悩んでいると、ふたりのテーブルにクラウディアがやってきた。
「ごきげんよう、ミスタ。ザザさん、そろそろ馬車の時間ですよ」
「あ、もうそんな時間か。先輩、それじゃあ失礼します」
「王都に行くのかい?」
「ええ、ちょっとドレスを仕立て直してもらったので、それを受け取りに」
忌々しいことにザザの身長はまだ伸びている。一張羅のドレスが動きにくくなってきたので、仕立て直してもらうことにしたのだ。といっても、これは応急処置のようなものだった。どんな腕の良い職人でも小さいドレスを大きくはできない。これ以上身長が伸びるようなら新しいドレスを用立てなければならないだろう。
舞踏会の時期になると、学院に出入りの仕立屋や服飾店が来るようになる。王都に古くからある老舗で、多くの生徒はここで新しいドレスを買ったりドレスの仕立て直しを注文する。だが、ザザはトリスタニアにある別の仕立屋に頼んでいた。クラウディアの紹介で、ロネ家と懇意にしている仕立屋に頼んだのだ。腕のよい職人がたくさんいる店だから是非にとクラウディアが勧めるので、ザザもせっかくだからその店にお願いした。
「それじゃあ、ザザさんをお借りしますね。ミスタ」
「なんなら一緒に来ますか? 先輩」
何の気なしにそう誘う。
「いや、遠慮しておくよ。美人を二人も連れて歩いてはどんな恨みを買うか分からない」
「も、もう! お上手なんですから。行きましょう、ザザさん!」
「ははは。それじゃあ、先輩。私の身長が先輩を追い越さないように祈っててください」
ほんのりと頬を染めたクラウディアに手を引かれて、ザザはその場を去った。
「え?」
「は?」
二人は一心に謝り続ける店員達と、小さく仕立て直されたザザのドレスの前で固まっていた。
「申し訳ありません! 他のお客様の品と取り違えてしまいまして……。大切なお召し物をお預かりしたのに本当に申し訳ありません」
ザザのドレスはもとの大きさよりもずっと小さくなってしまっていた。どう頑張ってもザザには着れそうにない。一着しか持っていないドレスで、初めて古着ではなく仕立ててもらった服だからとても大切に着ていたものだった。
クラウディアが真っ赤になって怒る。
「な、なんてことをしてくれたんですか! ザザさんはわたくしを信頼してこの店を利用してくれたんですよ。それを……」
「本当にすみません! クラウディアお嬢さまのご友人にとんだ失礼を……」
クラウディアがかんかんになって怒っているので、ザザはなんだか怒る機会を逃してしまっていた。仕方なく、店員を問い詰める友人を止める。
「いいさ。やっちゃったものはしょうがないよ。でも……その、出来れば代えの服をお願いしたいのですけど」
「もちろんでございます。当店でご用意できる限りの商品をご用意させて頂きます。もちろんお代は頂きません! 私どもで学院のほうにお届け致しますので二週間ほどお待ちください」
「二週間! とんでもないわ。舞踏会は三日後なんですよ。それまでにお願いしますわ」
「み、三日後でございますか……。かしこまりました。出来うる限り急がせます」
そうは言うものの、二週間かかるものを三日でというのはかなり無理があるだろう。ザザはそれを察して代案を出した。
「あの、古着屋で一着探してきますから、それを私に合わせてもらえますか? それなら確実に間に合うと思うので」
「は、はい。それはもちろんでございます。そちらの古着の代金も立て替えさせて頂きます」
職人に無理をさせないで済むと、店員達は安堵の顔を浮かべた。まだ怒り足らなさそうなクラウディアを連れてザザは一旦店を出た。
クラウディアがしきりに謝ってくるのをなだめながら、ザザは古着屋を見て回った。二人とも学院に来て数ヶ月。トリスタニアにも何度も訪れているので古着屋巡りくらいは慣れたものだ。
トリスタニアには仕立屋や古着屋など、服飾関係の店が集まった通りがある。クラウディアは休みにここに来ると一日中飽きもせずに布地やドレスを眺めている。彼女の案内でザザは一軒一軒古着屋を見ていった。
ハルケギニアでは古着を使うのは当たり前のことだ。庶民はめったに新品の服を仕立てたりしないし、貴族でも普通に古着を買う。さすがに古いままだと今の流行に合わないので、仕立て直して使うのが普通だけれど。とくに高級な衣服は魔法で劣化を防いでいるので、数十年ものの古着でも綺麗なままの物が多い。有名な職人の作ったドレスなどは古着でもものすごい値段で取引されたりする。
なのでザザが古着を買うのも当たり前のことなのだが、なかなか良いドレスが見つからなかった。デザインや値段がどうこうではなく、サイズがないのだ。古着は買われるたびに仕立て直されて使われていくものである。だから当然、買われるたびに小さくなっていくもので、古着というのは全体的にちいさいものが多い。ザザのような背の高い女性に合う古着というのはなかなか見つからないのだ。
古着屋にも高級店から庶民的な店まで何軒もあるのだが、ザザに合うドレスはどこでも見つからなかった。
「すみません。わたくしが無理を言ったばっかりに……」
「いいよ。クラウディアのせいじゃない。でも困ったな……もう欠席しようかな」
「ダメですよ、そんなの。ザザさんが来ないと皆さんもルイズさまも寂しがります!」
「でもドレスが間に合いそうにないし……、あ」
ザザの視線の先には行商人が品物を広げている一角があった。普通の客向けというよりは業者同士が品物や情報を交換するような場だ。ちゃんとした店ではなく、天幕や馬車の荷台をそのまま使っている店ばかりだ。
「案外ああいうところに掘り出しものがあるかも……」
「や、やめましょうよ。あんなところにはありませんよ!」
都会に慣れたと言っても自分たちが知っている場所だけのことだ。クラウディアはまだ慣れない場所には臆病になってしまう。ザザは構わずに進んでいって、適当な天幕で声をかけた。
「すみません。ちょっと探しているものがあるんですが……」
「はいはい、なんでしょうか。……おや、ザザお嬢さまではないですか」
天幕の奥から出てきた恰幅の良い男性は、ザザを見て驚いたような声を上げた。
「あら、フィリップおじさん」
「お久しぶりです、魔法学院に入られたのですね。制服がよくお似合いですよ」
「ありがとうございます。おじさんは行商ですか?」
「いえ。自分の地元はトリスタニアですから、行商ではありません。この店は本館の仕事をさぼって世間話をするために開いているんですよ」
「あ、そうなんですか。知らなかったな」
店の男と親しげに話し出したザザのマントを、クラウディアが小さく引っ張った。
「お、お知り合いですか? ザザさん」
「うん。ウチの家に出入りしてる商人さん。フィリップさん、こちらは私の友だちでクラウディア」
フィリップは隊商を引き連れて半年に一度くらいの割合でザザの実家にやってくる商人だった。
ザザに紹介されて、クラウディアは慌てて挨拶をした。
「クラウディア・ド・ロネですわ」
「おお、あのロネ家の。お会いできて光栄です」
ロネ家の名前に、フィリップの目がわずかに鋭くなる。都会にもまれてそれなりに聡くなったいたザザはそれに気がついた。小さい頃はたまに来てあめ玉をくれるおじさんとしか思っていなかったけど、あれはあれで商売の一環だったのかもしれない。
「商売っ気を出すのもいいけど、私の話をまず聞いてくれます?」
「おや、これは失礼。しかしザザお嬢さんも鋭くなりましたね」
「おじさんが年取っただけじゃあないですか?」
「ははは! 一本とられましたな。それで、何をお探しですか?」
ザザはかいつまんで事情を話した。しかし、色よい返事はもらえなかった。三日以内にということだとフィリップにしても難しいようだ。
「とりあえず商会の者に心当たりがないか聞いておきます。それで見つからなければ他の商会に……」
「ああ、そこまでしてくれなくてもいいですよ。在庫であれば教えてください。ありがとう、おじさん」
「そうですか、お力になれず申し訳ありません」
ザザたちは帰りの馬車で途方に暮れていた。明日もう一度くると約束したものの、フィリップのつてでも難しそうだ。クラウディアの仕立屋も間に合わせると言っているがどうなるかは分からない。
「ま、間に合わなかったらどうしましょう……」
「これだけ走り回ってだめならしかたないよ……あといっこ心当たりがあるから、そこも当たってみるけど」
「まだ何かあるんですか?」
「あんまり頭を下げたい相手じゃないんだけどね……」
ザザは小さく溜息をついてそう言った。
その夜、ザザは女子寮の一室を訪ねていた。来なくていいと言ったのにクラウディアもついてきている。
ノックをするとしばらくしてドアが開かれた。
「はぁい? だれよもう」
現れたのはキュルケである。肌もあらわな薄絹の寝間着でザザたちを出迎えた。クラウディアはザザの背後で小さくなっている。彼女はキュルケが苦手なのだ。
「ちょっと頼みがあってね。いいかな?」
「ふぅん。まぁいいけど。なんだか面白そうだし。でも、しばらく待ってくださる? 先約がありますの」
そう言って一旦ドアを閉める。どたばたと騒々しい気配が伝わってきた。掃除でもしているのかと思ったが、それに混じって男子の声が聞こえたような気がした。思わずクラウディアと顔を見合わせたものの、お互い聞かなかったことにした。
「お待たせ。どうぞ」
キュルケの部屋は一人部屋だった。以前入ったルイズの部屋に負けず劣らずの家具が揃っている。
「それで、用事ってなに? どうしたわけ?」
「いや、恥ずかしい話なんだけど……ドレスを一着貸して欲しいんだ」
ザザとキュルケは同じくらいの身長だ。彼女の服なら問題無く着れるはずだ。キュルケならば使っていないドレスの一着くらいあるだろうという打算もあった。
「ドレス? またどうして」
「それがね……」
事情を説明すると、キュルケは苦笑いを見せた。
「ああ、それは大変だったわね。あたしも背が高いから、古着って中々買えないのよねぇ」
ここでキュルケが言っている『古着』とザザの買おうとしていた『古着』にはものすごい差がある。キュルケが言っているのは名だたる職人が手がけた芸術品で、手直しする職人も厳選しなければならないような一品のことだ。
とはいえ、背が高いという苦労を知っているからか、キュルケにしては珍しくザザに同情的だった。
「いいわよ。貸してあげる。高い貸しよ」
「ありがとう」
ザザに貸すドレスを、キュルケは学院ではもう着ないだろう。もしかすると仕立て直すか手放すかしてしまうかもしれない。キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーともあろう者が、誰かと同じドレスを着ていたなどあってはならないからだ。たとえキュルケ自身が貸したものであっても。
そんなこんなで、ザザに貸すドレス選びが始まった。キュルケの持っている服はどれも良いものばかりなので、着るわけではないクラウディアも興味津々である。やれガリアのナントカ織りだの、やれロマリアのナントカ染めだの、いちいち一人で騒いでいる。
何着か試着したあと、ザザは本日二度目となる、自分の身体的特徴による格差を実感していた。
「あー、その。キュルケ。借りる立場でなんなんだけど。もう少し胸の開いていないものはないかな?」
キュルケの勧めてくるドレスはどれも胸の大きく開いた大胆なものばかりだった。彼女が着ればさぞ蠱惑的に見えるのだろうが、ザザが着ても哀れなだけである。
「え? そんなドレス持っていないわよ」
いったい何を言ってるの? とでも言うようにキュルケがぽかんとした顔でザザを見る。彼女にとってドレスとはすべからく胸の開いたものであるらしい。
「よし分かった。君は私を侮辱しているのか」
「というか貴女、なんでこのドレスがコルセットなしで入るの? あり得ないわよこれ……」
二人がお互いの身体的特徴に愕然としていると、横でクラウディアが幸せそうな嬌声を上げていた。
「こ、この黒は間違いなくラビアン・ネロ、しかも初代もの!」
ひさびさにザザはルームメイトに真剣ないらだちを覚えたのだった。
ザザにはキュルケのドレスを着ることは不可能だと分かり、三人で対策を練っていた。キュルケも乗りかかった船ということか、一緒になって考えている。
「こうなったら、キュルケさんのドレスをわたくしが買い取って仕立て直すしか……」
「いや、それはダメだよ。そこまでして貰うわけにはいかない」
「でも、それ以外は方法ないと思うわよ?」
ついにはそんな意見も出だしたころ、ザザがぽつりとつぶやいた。
「フォルカが言ってたみたいに仮装でもしようかな、もう」
そこに、キュルケが反応した。
「仮装……それよ!」
キュルケはばっと立ち上がるとクラウディアに近寄って何ごとかを耳打った。何を言っているのだろうか? ザザが訝しげに思っていると、クラウディアが歓声を上げた。
「名案ですわ! キュルケさん。これ以上ないくらいの名案です!」
苦手だったはずのキュルケの手をとって感激している。笑いをこらえたような顔の二人を見ていると、ザザは悪い予感しか出てこなかった。
舞踏会当日。生徒たちは普段の素っ気ない制服を脱ぎ捨て、思い思いに着飾って自分を演出していた。一年生などはまだ服に着られているようなたどたどしさがあるのだが、授業が終わる開放感のおかげかぎこちなさは少なかった。
ホールはきらびやかに飾り付けられ、授業の終わりをねぎらうための美味珍味がたくさん並んでいる。やがて楽士たちがはじまりの曲を奏で始め、少年たちはパートナーに選んだ少女と手を取り合って踊り出す。
パートナーに巡り会えなかった生徒たちは杯を傾けながらそれを見ているしかない。はじまりの曲が終わり曲目が変わってようやく、彼らはダンスに参加できるようになる。歓談している子をさそってもいいし、パートナーが交代した子にダンスを申し込んでもいい。人気のある生徒の周囲では誰が先に申し込むかという無言の戦いが繰り広げられている。
ルイズとお茶会のみんなは隅で固まってそれを眺めていた。はじまりの曲を終えて、戻ってきたクラウディアにルイズが聞く。
「クラウディアさん。ザザさんはどうしたの? 姿が見えないようだけど」
ザザの姿はダンスをしている生徒の中にも、歓談している生徒の中にも見えなかった。
「さ、さあ? わたくしは存じませんわ。ほほほほ」
クラウディアのあからさまに怪しい反応を見て、ルイズは眉をひそめたがすぐに別のものに視線を奪われた。
キュルケが男子たちを引き連れて歩いていた。新入生という目新しさは薄れたものの、やはりキュルケは別格だった。今日の装いは髪の色に合わせた燃えるような赤。大きく開いた胸元には大ぶりのルビーが輝いている。極上の美酒のように、かいだだけで酔いしれてしまう色香をはなっていた。
ルイズはそれを見て苛立たしげにグラスをあおった。周囲の女の子たちがそれに同調するように、口々にキュルケの悪口を囁き出す。そんな気の使われ方が居心地が悪いのか、よりいっそうルイズのめつきは険しくなる。
そんなとき、キュルケの居る場所の反対側。ちょうどバルコニーのあたりがにわかに騒がしくなった。喧噪の中心。皆の視線を集めているのはひとりの人物だった。
美しい少年だった。腰まである長い髪を三つ編みにまとめている。最近流行りの、昔の軍衣を仕立て直した衣装。タイは女性もののチーフ、マントはショールをアレンジしたものだ。ショールを留めているのは真っ赤なコサージュ。硬い軍服風の衣装にも関わらず華やいだ印象を作りだしていた。
少女たち、ともすれば少年たちの視線も釘付けにしたその少年は、まっすぐにルイズのもとに歩み寄ってきて一礼した。
「一曲、踊っていただけますか。レディ?」
その声に聞き覚えがあったルイズは、ようやくその少年の正体に気がついた。
「ザ、ザザ?」
謎の少年の正体は男装をした女生徒だったのだ。ルイズにばれると、ザザは苦笑して言った。
「……似合うかな? ドレスがダメになっちゃったから、思い切って仮装してみたんだ」
「そ、そうなの……、すごく似合ってるわ。うわぁ……」
ルイズはじろじろとザザを見て頬を赤らめている。周囲にいる女生徒も同じような反応だ。
最初、ザザは本気で嫌がったのだが、キュルケとクラウディアに押し切られる形で男装することになってしまった。二人に何度も、貴族の社交の場では良くあることだと言われて、いつの間にか言いくるめられていた。たしかにそういうこともなくはない。ただ、仮面舞踏会のような特殊な趣向を凝らした場でやるもので、普通の舞踏会でやるのはかなりの変人に入るのだが。
古着屋で買った古い軍衣を仕立て直してもらい、ショールやコサージュなどの小物はザザやクラウディアの私物を使った。入場のあとすぐにバルコニーに出て、頃合いを見て出てきたのだ。
「踊る? ダンスもわざわざ覚えてきたんだよ。簡単なのだけだけど」
ザザがそう言うとルイズは恭しく手を出した。ザザはルイズの前にかしずいて小さな手に口づける。
ルイズの手を引いてダンスの輪へと加わる。即興で覚えたステップにも関わらず、軽やかに踊ることができた。ルイズが上手にザザを誘導してくれたからだ。おかげでルイズの足を踏むことも、周りのペアにぶつかることもなかった。この瞬間、まさに二人は舞踏会の主役だった。鮮烈に登場した男装の麗人と、それに導かれるお姫さま。キュルケという大輪の花ですら、二人のための添え物に過ぎなかった。
ザザはそのあと何人もの女の子と踊った。クラウディアとも踊ったし、茶会の子たちとも踊った。発案者のキュルケとも踊り、大笑いしていたソニアとも踊った。他にも何人もの女の子に申し込まれた。今のザザは男子役なので、断ることができずに頑張って全部こなした。
男装のままフォルカとも踊った。演出のためにはじまりの曲をキャンセルしてしまったのでかなり機嫌が悪かったのだが、数曲踊るとなんとか機嫌を直してくれた。美形のフォルカとぱっと見は美少年のザザが踊る姿は別の意味で注目を集めたのだが、本人たちは分かっていなかった。
そしてフィナーレの曲。ザザはもう一度ルイズを誘った。踊りすぎでへとへとになっていたザザはルイズにリードされっぱなしだ。
「ごめんね。リードされてばっかりの王子さまで。偽物だからしかたないけど」
「偽物なんかじゃないわ、ザザ。わたしにとっては本物よ。いつもわたしを助けてくれる王子さま。
……たまに、まぶしくて見ていられなくなるけど、でも、見ていられるように頑張るから」
後半は小声で、ダンスの楽曲にかき消されてザザの耳には届かなかった。ルイズはすぐに笑顔になって楽しそうに踊る。
ルイズの瞳に一瞬だけ映った憂いにザザは気づいたが、あえて問い返すことはしなかった。それは彼女の誇りを汚してしまう。ザザは信じているのだ、ルイズが憂いを乗り越える強さを持っていると。
楽士たちが曲を奏で続ける。それは舞踏会の終わりを告げる終楽章。そして、夏のはじまりを告げる前奏曲。