戦うことは貴族の義務であり権利だ。モンスターや盗賊などの危難から、財産である領地・領民を守らなければならない。
ザザも実家ではその手伝いをやっていた。モンスターの間引きや駆除、盗賊の捕縛などだ。ザザは女性で子供なので、ラインになっても前線には出させてもらえなかった。やっていたことと言えば、遠くから砂塵をぶつけて動きを封じることだ。これはモンスター・人間問わず非常に有効で、ザザが手伝うようになってからはけが人が大幅に減ったし、盗賊も殺さずにとらえることが出来るようになった。兄にはねたまれたが、両親は褒めてくれたし近隣の貴族にも賞賛された。それがうれしくて、ザザはがんばって砂塵の扱いを練習した。才能があったのか努力の結果なのか、今では数十メイル先の目標に砂塵をぶつけることもできるようになっている。
しかし、ザザはメイジ同士の戦闘というものを経験したことがない。盗賊にメイジが混ざっているのはよくあることだったが、それらの相手はザザの役目ではなかった。
状況に応じて唱える呪文を選ぶ判断力、呪文を早く唱えるこつ、攻撃をよける動きなど、知らないことだらけだ。そしてなにより、魔法という力が自分に向けて敵意をもって放たれるということに、ザザは慣れていない。
それに比べ、ド・ロレーヌはそこそこ戦いの空気になれている。同じラインといえどそれは大きな違いだった。
エア・ハンマーが降りおろされる。飛び跳ねるようにザザはそれをかわす。なにか呪文をとなえないと、そう考えている間にまた攻撃が来る。
決闘が始まってから、ザザは押されっぱなしだった。ド・ロレーヌは距離をつめて細かい攻撃をたくさん出してくる。まるで、距離を取るのをいやがっているように執拗に接近戦を挑んできた。
ザザには魔法戦のノウハウが全くない。とくに接近戦となるとお手上げだ。ザザは体力のある方だが、激しい緊張の中で動き続けてあっという間に息が上がってきた。息が上がれば呪文が唱えににくくなって、いっそう不利になってしまう。
(距離を取らないと)
ザザは自然とその結論に行き着いた。接近戦では勝ち目がない。ザザの勝機は距離をとらないとありえない。
「やあっ!」
そう判断したから、あえてザザは思い切って接近戦を挑んだ。
隙を見つけてエア・ハンマーを唱え、攻撃をもらう覚悟でド・ロレーヌにぶつかっていく。ずっと逃げに徹してきたザザの突然の変化に、ド・ロレーヌは驚いた。ザザはエア・ハンマーがかわされても、二発・三発と追撃を続ける。やがてド・ロレーヌはたまらずに距離をとった。
「突然どうしたのかね。勝ち目がないとさとって玉砕覚悟ということかな」
ド・ロレーヌの尊大な声。ザザは、ここが正念場だとむりやり呼吸を整えた。
「いいや。あいにくと決闘なんて野蛮なものには私は縁がなかったものでね。君をお手本にしてようやくこつがわかってきたところさ」
声を落ち着かせ、挑発するような言葉を選んだ。このはったりが通用しなければザザの負けだ。
「さ、再開しようじゃないか。さっさと終わらせないと先生や寮監がきてしまう。怒られて引き分けなんていやだろう? 坊や」
分かりやすい挑発。これに乗るような馬鹿ではないと信じてあえてザザは強いことばを選んだ。
(頼むぞ・・)
ザザが祈りながら杖を構えていると、ド・ロレーヌは距離をとったまま呪文を唱え始めた。
(やった! 信じていたぞ、ド・ロレーヌ!)
ザザのあからさまな挑発を警戒してか、ド・ロレーヌは距離を変えた。接近戦から距離をとっての呪文の撃ち合いを挑んできた。
風のメイジ同士が距離をとって戦えば、自然と風の読み合いになる。相手の風を読んで何をしようとしているのかを判断し、その対策を打ちながら次の攻撃を考える。ある種チェスのような攻防がそこにはある。
ド・ロレーヌが放った突風を風の壁を作って受け流す。すかさず呪文を唱えて反撃をする。ド・ロレーヌも同じように風を防ぐ。次、またその次と攻防が続いていく。さっきまでの押されっぱなしだった状況とは全く違った。ちゃんと『戦い』になっている。
考えていたとおり、この距離ならば戦える。風の読み合いならば負けていない。
だが、呪文を唱える早さや防御から攻撃に移る手際など、技術ではまだ向こうに分がある。チェスで例えるなら、ザザは相手と比べて手駒が少ないのだ。ザザはどうしても後手後手にまわってしまい、ザザがどんな呪文を唱えようともド・ロレーヌはそれを未然に防ぐことができてしまう。戦えるというだけで、勝てるわけではない。さっきよりも負けるまでの時間が長くなっただけだ。
この距離でも、まだ近い。
呪文を唱えながら、ザザは頭を働かせる。風を読み、空気を感じる。相手の防御をかいくぐって、自分の呪文をぶつける方法を考える。
やがて、一つの作戦が頭に浮かんた。イチかバチかの苦肉の策だが、ザザが考える限り勝ち目はこれしかない。
ザザはすぐに思いついた策を実行に移す。相手の攻撃の合間をついて、少しずつ距離をとっていった。攻撃を避ける動きに混ぜて気づかれないように一歩ずつ下がっていく。しかし、風を感じるメイジがそれに気づかないはずはない。すぐにド・ロレーヌはにやりと笑みを浮かべた。
(気づかれたか)
作戦が失敗したと思ったザザだったが、ド・ロレーヌは近づいてくることはなかった。代わりに、それまでよりも強く荒い呪文がやってきた。
ザザは、すぐに相手の意図に気づいた。逃げ腰になっていると思っているのだ。逃げる獲物をいたぶっているつもりなのだろう。腹立たしいが都合はいい、ザザはどんどんと距離を離していった。
だが一五メイルほど離れたところで、ド・ロレーヌが足早に距離を詰めてきた。それまではほとんど動かないで呪文を放っていたのが、攻撃の手をゆるめて距離を詰めたのだ。訝しげに思って、ザザはなんどか確かめてみる。やはり、ザザが一五メイル以上はなれると相手も距離を詰めてくる。
一五メイル。それがド・ロレーヌが自らの射程だと考えている距離なのだ。呪文の威力が維持できる距離なのか、命中精度の問題なのかはわからないが、彼がそう決めている距離があるのだろう。
ザザはそう確信した瞬間、フライを唱えて全力で距離をとっていた。
一対一の決闘において、フライやレビテーションはかなり使いどころが難しい魔法だ。飛行中はほかの呪文が唱えられず、まったくの無防備になってしまうからだ。
だがザザはそれをやった。ド・ロレーヌにはこの距離に届く呪文はないと判断したのだ。その判断が間違っていればザザは打ち落とされておしまいだ。しかし、ド・ロレーヌはすぐにフライを唱えて追ってきた。
それを確認すると、ザザは空中でフライを止めた。低空でとはいえ、かなりの速度で飛んでいた状態で魔法の制御をなくしたのだ。衝撃と激痛を覚悟して、両足と杖で地面をすべるように着地。両足の痛みに耐えながら、ザザは得意の呪文を唱えた。
「サンド・ストーム!」
フライでザザを追っていたド・ロレーヌは、ザザが強引な着地をして呪文を使ってきたことに気づいた。それも見たことのない呪文だ。防ぐにはザザと同じように空中でフライを止めるしかない。だが、着地に伴うだろう痛みに一瞬判断が遅れる。その一瞬が、勝負の分かれ目だった。
ド・ロレーヌがフライを切って防御をするより一瞬早く、ザザの砂塵がド・ロレーヌをおそった。風と土のラインスペルに驚く暇もなく、まずは目がつぶされた。たまらずに防御呪文を唱えようとすると、大量の砂が口の中へ侵入してきた。もはや呪文を唱えることも、着地をすることもできず、フライの速度のままでド・ロレーヌは地面へとたたきつけられる。
ザザのサンド・ストームは直撃すれば目や耳、鼻など感覚をほとんどダメにしてしまう悪質な呪文だが、風の威力としてはたいしたものではない。ラインクラスでなくとも、ドットの風メイジにも簡単に防がれてしまうだろう。だから、ザザは防御呪文が使えない状況を無理矢理作り出したのだ。
砂まみれで地面をころがっていくド・ロレーヌをザザは固唾を呑んで見つめていた。これで立ち上がられたらザザはもう何もできない。だがしばらく見ていても、ド・ロレーヌは苦しそうに唸っているだけだった。
「はっ、は、はぁ……」
ザザはそれを確認して安堵の声を漏らした。着地のときに痛めたのか左足に激痛があることに気づく。杖で体を支えながら、ザザは大きい杖を作ってよかったとちょっと思った。
わっ、と見ていた生徒達から歓声が起こる。そしてタイミングを計っていたように、日傘を差したソニアが舞い降りてきた。
「はい、そこまで」
学則違反の決闘の場に監督生が現れたことで、観客達の空気に緊張がはしった。さっさとこの場から退散しようとしている生徒もいる。
「医療専攻の生徒は集合、逃げた子はあとで怖いですよぅ」
ソニアがてきぱきと生徒たちを指揮して、ニコラとド・ロレーヌに応急措置をさせて医務室へと運ばせる。クラウディアが運ばれて行くニコラとザザを見比べておろおろとしていたので、ザザは笑って手を振った。クラウディアはザザのもとに駆け寄って、一言「ありがとう」と言うとニコラについて行った。
残されたザザに、ソニアがにこにこと話しかける。
「さて、あなたもまずは医務室行きです。足、大丈夫? あたしが運んであげましょうか?」
「……けっこうです。自分で飛べます。杖もありますし」
レビテーションを唱える。痛みで少しふらつくが、しばらくなら問題無く飛べる。ソニアもそれについて飛んでくる。
「先輩。いつから見てたんですか? 怪我人が出る前に止めてくれれば良かったのに」
「あたしも使い魔の目でたまたま見ただけですからね。教師や寮監に報告しようとしていたところに、たまたま貴女の顔をみつけたもので教えたのです。あたしがここに来たときにはもうあなたが戦っていましたから。止めるのも悪いと思いまして」
「……そうですか」
「疑っていますね? あたしがわざと報告を遅らせたと。わざとけが人を出させて騒ぎをあおったと思っていますね? 悪辣な女だと」
「い、いえ。そこまでは。……ちょっと、誰かに責任転嫁したかったのかもしれません。私がもう少しちゃんとしていれば、誰も怪我をしなかった」
ド・ロレーヌを適当にあしらわないでちゃんと話していれば、ニコラは怪我をしなかったし、クラウディアも怖い思いをしなくてすんだ。いわば、彼らはザザのとばっちりで怖い目にあったのだ。
「ふふ、そうですね。貴女の良いところはそういう善良でまっすぐなところです」
「自分ではそれなりにヒネた性格だと思ってるんですけど」
「あなたくらいのヒネかたは誰でもしますよ。自分が特別だと思うのは誰にでもあることです」
「……まあ、先輩と比べればまっすぐに育っていると思います」
「あら、あたしは今日までこれ以上ないくらいにまっすぐに生きてきたつもりですよ?」
痛みや後悔などでごちゃごちゃになっている頭を紛らわすには、ソニアの軽口でもありがたかった。
決闘を行った三人はもれなく謹慎処分となった。
怪我の具合が一番ひどかったのはザザだ。ニコラは怪我というよりも慣れない魔法を使いすぎた疲労で気を失っていた。肩の怪我もさほどひどいものではなく、薬を使うまでもなくすぐに治るそうだ。ド・ロレーヌは一見派手に転がっていたが、怪我らしい怪我は打ち身くらいだった。
ザザは着地のときに痛めた足が思いのほか重傷だった。筋を痛めているので魔法が効きづらく、自然治癒に任せるしかないそうだ。どのみち一週間の謹慎なのでちょうどいいと言えばちょうどいい。
医務室で治療が終わった後、ザザはこっぴどく叱られた。ザザは立てないのでベッドに腰掛けたままだ。がみがみとがなり立てる寮監の話を聞いていた。ようやくひとここち着いたところで、ぽつりとつぶやいた。
「私の、せいだと思って。だから、仇をとらなきゃって頭に血が上ってしまって」
その言葉を聞いて寮監は語気をゆるめる。
「事情は聞いています。たしかに責任の一端はあなたにあるかもしれません。しかし、あなたはまだ学生なのですから、責任の取り方も分相応でいいのです。なにもかも背負い込むことはありません。おわかりですか? ベルマディさん」
ザザという小さな器に、急激に大量の水が注ぎ込まれた。それは『権利』という名の水だ。小さな器から水はたやすくあふれ、周りを汚した。それを拭きとるのはザザの役目だ。
「で、でも……」
「あなたはまだ未熟なのです。だから学院にいるのです。わたし達が貴女たちに教えるのは魔法や勉強だけではありません。学院は、貴族が貴族らしく振る舞えるようになるための巣箱なのです」
「私はどうすれば良かったんですか? 友だちを侮辱されて、黙っているなんて出来ません」
「貴女が男性ならばそれもいいでしょう。……いえ、校則違反は感心しませんが。ですが、貴女は淑女なのです。この先それでは苦労しますよ」
「女には、戦う権利がないんですか?」
「そこまでは言っていません。淑女には淑女の戦い方があるということです」
トリステインでは、戦うのは男の仕事である。最近では女性のメイジもモンスターや盗賊の討伐をするようになっているが、女性に戦わせるのは恥だと考える風習が未だに根強くあった。たとえば、王軍最精鋭である近衛騎士団には女性は入れない決まりになっている。魔法学院でも、昔は攻撃魔法の授業は男子だけの科目で女子は選択できなかった。
今日のように女性が名誉を傷つけられた場合でも、女性が決闘をするのは普通ではない。女性が決闘をするときは代理人を立てるのが普通だ。クラウディアを守ろうとしたニコラのように。
「たとえば、クラウディアみたいな?」
「そうですね。彼女はよく我慢しました。ルームメイトなのですから、あなたも見習いなさい」
「彼女は尊敬できる友だちです。……でも、やっぱり私は杖をとってしまうかもしれません。友だちが侮辱されたりしたら」
「……そういう言葉は貴女よりもド・ロレーヌから聞きたいものですね」
男性が女性よりも強いから戦う権利があるのではない。女性を守らなければならないから、強くあらねばならないのだ。ド・ロレーヌはそこをはき違えている。
「あ、彼。大丈夫でしたか?」
「ちょっとした脳震盪と打ち身だけです。貴女のほうがよほど重傷ですよ」
「よかった」
「ベルマディさん。彼のような考えは極端にしても、女性が戦うのに良い顔をしない殿方はたくさんいますよ。戦うなとは言いません。あなたはまず、男性を立てる心構えを身につけなさい」
「は、はい……」
また説教がはじまりそうな気配だ。ザザは身をすくめてそれに備えた。
しかし、説教が再開されることはなかった。始まる前に医務室のドアが開いて、ぞろぞろと入ってきた子達がいたのだ。彼女たちは茶会の仲間達だった。
「なんですか、貴女たち。入ってこないように言ってあったでしょう!」
「ザザさんを怒らないであげてください」
みんなは口々にザザをかばった。その中にはクラウディアの姿もあった。
「ザザさんは、クラウディアさんの名誉を守ってくれたんです。それで怒られるのはおかしいです」
「貴女たち、今はそういう話を――」
寮監とみんなが言い合っているのを見て、ザザはふと、目頭が熱くなるのを感じた。
彼女たちはいま、ザザの戦いを肯定するために抗議をしてくれている。自分のやったことに名誉があったのだと言ってくれている。ザザのために傷ついたクラウディアが、ザザのために何かをしてくれている。それがたまらなく嬉しかった。
嬉しいのと同時に、ザザは自分がなさけなくなった。ザザは、お茶会の皆のことをどこか一歩引いてみていた。見下していたと言っても良い。その彼女たちが、こうしてザザを助けてくれる。ずっと居心地が悪いと思っていたお茶会も、いつのまにかザザの居場所になっていたのだ。
急に涙を流し出したザザを見て、皆がうろたえた。
「ど、どうしたんですか? ザザさん。足が痛むんですか?」
「違う、違うんだ。違うんだよ、みんな。そうじゃない。なんていうか」
「なんです?」
ごめん、と言おうとして、ザザは思い直し、言い直す。
「ありがとう」
ザザの涙は少女の涙であり、騎士の涙だった。友だちに認められた喜びと、名誉のために戦えた喜び。ザザは自分でもよく分かっていないが、全く質の違う二つの喜びを手に入れていた。
寮監は深く溜息をつくと、手を二・三度叩いた。
「いいでしょう。今日のところはこれくらいしておきましょうか。ベルマディさん?」
「は、はい」
「さっき言ったことをよく考えてから反省文を書くように。わかりましたね?」
「わかりました」
「よろしい。ではお説教はここまで。お大事ね」
寮監はそう言うと医務室から出て行った。
ザザはそのあと、みんなとたくさん話をした。お茶とお菓子はないけれど、医務室で開かれたちいさなお茶会だった。クラウディアにお礼を言われたり、みんなに代わる代わる話しかけられた。最初にきたときは端役でしかなかったザザが、今日は主役だった。このちいさなお茶会が、ザザが努力で手に入れた自分の居場所だった。
ただ、ルイズだけはその場にこなかった。ザザはそれが少し気になったが、ルイズとお茶会のみんなをどこかで分けて考えていたので、深くは考えなかった。