職人通りと商人通りの交差点に位置する緑豊かな広場。
その中央に位置する噴水池には、ゲルマニアの伝説的な名職人ヘンケスを象った彫刻が設えられている。
この“ヘンケスの噴水広場”は、街の観光名所、待ち合わせ場所としても有名だ。
わざとらしい大声でとりとめもない会話をする少年達。緊張した面持ちで恋人を待つ男女。元気に走り回る子供達。華麗なジャグリングを魅せる大道芸人。噴水に銅貨を投げ込み祈りを捧げる職人。
そんな様々な人間模様が周囲で展開されている中、私は噴水のヘリに腰掛けて、手の中にギラリと光るナイフを「むむむ」と穴が空くほどに睨みつけていた。
私自身の名誉のために断っておくが、お年頃の少年少女にありがちな、一種の精神病を患っているわけではない。
「あぁ~」
しばらくその奇怪な行動を続けた後、疲れたように息を吐いて物騒なモノを懐にしまった。
「どうすんべ……」
水面の底で揺らぐコインを恨めしく眺めながら、私は頭を抱えた。
ハノーファーへ入ってから、つまりベネディクト工房を訪ねてから早7日が過ぎようとしていた。
というのに、私達は未だこのハノーファーに逗留しているのである。
当初の予定では、とっくにこの街を出立にして、今頃は一路メルヘン街道を西に突き進んでいるはず。
しかしながら、その予定はある理由によって、大幅にずれこんでしまっていた。
街に留まるという事はそれだけ無駄なお金がかかる。
木賃宿での宿泊費、食費、馬の世話代、馬車と荷物の預かり料金……。
大した額ではないかもしれないけれど、まだまだ駆け出しの遍歴商人にすぎない私達にとっては、非常に手痛い出費である。
ついここが公衆の面前であるという事を忘れてしまっていたとしても、それは仕方のない事だろう。
「それというのも、あのジジイが悪いのよ! 無駄にデカイ図体しちゃってさぁ!」
突然の咆哮に、ざわ、と周囲の人達がざわめく。
先程の行動と合わせてだろうか、頭が残念な子を見るような、憐憫の視線が私に突き刺さる。
うぐっ……私としてことが、思わず声に出してしまったわ。
落ち着け、私。ゲルマニア商人は、ケルンの商人は狼狽えない!
「何を一人芝居をしておるんじゃ? こっ恥ずかしい奴じゃのぅ……」
恥ずかしさに身悶えている所に、不意に呆れたような声が掛かる。
待ち人きたる、というやつだ。
「あら、お早いご到着。……で、これだけ待ち合わせの時間に遅れるって事は期待してもいいんでしょうね?」
「うむ」
「えっ、まっ、マジで?」
ロッテは不敵に笑む。私はパァっと顔を明るくさせて、ガバっと立ち上がる。
「くっふふ、それがな、中々に旨い菓子を食わせる店を見つけてのぅ。特にバウムクーヘンというのが絶品じゃったぞ。どうじゃ、気分晴らしにちょっと行ってみんか?」
「勘弁してよ……」
しれっとした顔で言うロッテを半眼で睨みつける。ちょこっとだけ、甘い誘いに心の天秤が傾いたけれど、今はそんなことをしている場合ではないのだ。
しかし彼女はどこ吹く風。よく見ればその唇の橋には食べかすであろうスポンジが付いていた。
「言っておくが、妾はお主の尻拭いをしておるのじゃからな? 文句を言ったとしても、
言われる筋合いはないんじゃぞ?」
「うっ……」
的確にこちらの弱みを突いてくるロッテ。私は言い返せない。だってその通りなのだ。
「ふん、人に偉そうに言うお主はどうなのじゃ?」
「そ、それは、そのぉ~、え、えへへ」
「なぁにぃ? 聞こえんなぁ?」
笑って誤魔化そうとするが、ロッテは厭味ったらしく耳をそばだててみせる。
「うっさいなぁ、顔を見りゃわかるでしょ? 収穫なし、進展なし、打つ手なしって感じよ! どう? これでいい?」
「いや、良くないじゃろ」
「ぐぅ……」
あまりにも冷静に切り返され言葉に詰まる。
くそぅ。彼女の言うとおりだ。全く、全然、ちっともよろしくないのである。
「そもそも、“魔剣”なんぞそう簡単に見つかるものか。吸血鬼や、忌々しいクサレエルフ共ですらそういったものを創りだせる使い手はごくわずかなのじゃぞ?」
「こ、こっちだってねぇ、まさかそんな大それたモノを探す事になるなんて思いもしなかったわよ!」
「やれやれ、逆ギレというやつか。……しかし、今日でこの街の店という店はほとんど回り終わったわけじゃが。で、どうする? 諦めるか?」
「冗談……っ! 店屋が駄目ならゴミ箱を漁ってでも探すわよっ! まだ期限までは一日あるんだからっ!」
そう、私達が七日もこの街に滞在を余儀なくされた理由とは、“魔剣”などという眉つばなモノを血眼になって探し回っていたからである。
何故そんなモノを探すハメになってしまったのか、といえば、話は7日前、つまり、私達がベネディクト工房を訪れた日に遡る──
*
ベネディクト工房、医務室。
鍛冶作業が中心となるこの工房では、燃え盛る金属による火傷、やすりやノミによる切擦傷、ハンマーによる打ち身……などなど、怪我人が出る事など日常茶飯事であるため、商家にはないこのような施設が存在する。
「ったく、なんてぇじゃじゃ馬共だ……。あぁ、畜生、いてえな、この馬鹿! もっと丁寧にやりやがれ!」
簡素なベッドに横たわるシュペーが、皺くちゃの顔を顰めて若い医療メイジ兼職工見習いを叱り飛ばす。
「す、すみませんっ」
シュペーの治療に当たっていた若者は、わたわたとしながら頭を下げた。
どうやら、シュペーの傍若無人ぶりは、工房の若い衆にも恐れられているらしい。
怪我をさせてしまった事に関しては一応の謝罪はしたが、先に手を出したのはシュペーの方なので、それほど問題にはならなかった。
まぁ、相手が生粋の貴族ならば、ヤバかった、というか、すんげぇヤバいだろうけど、シュペーは何の背景を持たない流れ者。その立場は平民と変わらない。
「くはは、いい歳をして、『いたいいた~い』じゃと! なっさけないジジイじゃのう」
その様子を遠巻きに見ていたロッテがシュペーを嘲笑う。
「あぁ?! 誰がそんな事を言った? こんなモンなんて屁でも」
「むっ、無理はしないでください、シュペー卿!」
激昂したシュペーが起き上がろうとするが、慌てて医者がそれを止める。
どうにもロッテはこの手の、自分の色香が通用しない男とは相性が悪い。自分は愛されて当然の存在、という自信が原因なのかもしれない。
私としては、自信に満ち溢れた彼女の性格は嫌いではないけれどね。むしろ私もそうありたい、と思っているくらい。
「んで、嬢ちゃんよ。取引の方はどうする? 本当にこんなジジイのつくったモンがいいのか?」
うるさい二人が横目に見つつ、ベネディクトがそう切り出す。
「えぇ、モノ自体は一級ですし。何の問題もありません」
「おい、ふざけた事言ってんじゃねえ! あるに決まってんだろうが!」
私がベネディクトに頷くと、またもやシュペーが怒鳴り声をあげる。
やれやれ、まったく元気な爺さんだ。
「モノをつくるのは貴方、いえ、職人さんの仕事かもしれませんが、モノを商うのは経営者であるベネディクトさんですよ? そもそも従業員にすぎない貴方が、経営者の決定に異を唱えるのは、はっきり言ってお角違いも甚だしいと思いますが?」
「はっ、モノを造るヤツが一番偉いんだよ」
「あら、それは職人の驕りというやつですわ。モノを売るのが一番難しいんですよ?」
「けえっ! これだから西部のヤツらは! まるでわかってねえぜ」
面白くなさそうにふん、と鼻を鳴らすシュペー。
うむぅ。こういう考え方の違いが、西部と北部の仲を悪くしているのかねえ。
「ま! とにかく、お前らにくれてやるくらいなら、ワシが自ら全てを叩き壊してやるわ! 文句は言わせねえぞ!」
「おい、主人。なにやら死に損ないがふざけた事をほざいておるようじゃが、言わせておいてもよいのか?」
「口汚いアバズレめ。簀巻きにして叩きだしてやろうか?」
「くっく、出来るものならやってみよ。残り少ない寿命がさらに短くなるだけじゃがのぅ?」
シュペーの言い草を皮切りに、燻っていた火種が再び燃えあがろうとする。
「もう、いい加減にしなさいよ、子供じゃないんだから」
「そうだ、特にシュペーよ、いい歳して大人気ねえぞ?」
そこで釘を刺すのは私とベネディクト。シュペーとロッテは、教師に叱られた子供のように不貞腐れた表情で顔を背けた。
まぁ、実際はロッテの方がシュペーより年齢的には上なんだけども……。
「……さて、邪魔が入ったな。さっきの話の続きをしていいか、嬢ちゃん?」
「はい」
「ま、見ての通り、こいつ、シュペーはこうなったらテコでもキかないジジイでなぁ。その、こっちの都合で言いにくいんだがよ……今回は他の職人がつくったモノで妥協しちゃあくれ──」
「申し訳ありませんが、その申し出はお断りいたしますわ。私は欲しいモノはアレなので。もう決めてしまったんですよ」
「……むう。嬢ちゃんも相当な頑固者だな」
「カシミールの弟子ですので」
「違えねえ……」
ベネディクトの提案を丁重にお断りすると、彼は参ったとばかりに頭をがしがしと掻いた。
正直なところ、シュペー以外の職人が打ったモノでも、辺境農村で売りさばくには十分すぎるほどの質ではあるのだけれど。
アレを見せられてしまっては、他のモノに目移りなど出来るわけがないのである。シュペーの打ったモノは、それだけの価値があった。
例えば鍬なんていうものは、普通の職人が打ったものであれば、一本2エキュー程の仕入値になるそうだが、仮にゲルマニアの辺境農村でそれを商うとしたら、まあ、4~6エキューくらいの値は付くだろう。
しかしシュペーが打ったものであれば、倍の一本4エキュー程度で仕入れたとしても、12~18エキューはとれるんじゃないか、と思う。それなりには裕福な農村でないとちょっと厳しいお値段ではあるけれども(オルベくらいに富んだ農村であれば、さほど問題ない額のはずだ)、それくらいに質が飛びぬけているのだ。
実際に田を耕す農民ならば分かると思うが、鍬などの耕作用農具というものは、壊れにくく(耐久性)、作業がしやすく(効率性)、それと同時に、使っていて疲れない(使用性)モノが良い。
シュペーの農具は刃物としての頑丈さや、農具としての耕作性能は勿論、それを使う人間の体の負担が少ないように設計されつくしているように思えたし、それに付加して“ゲルマニアの錬金魔術師”という“ブランド”(魅力性)までも兼ね備えているのだ。
また、私がシュペーの打ったモノに拘るのは何もお金のためだけではない。
その目的とは、客に最高水準のモノを提供し、喜んでもらう事(顧客満足度の充足)。
まぁ、私が商いの道を突き進んでいるのは飽くまで自分のためであり、「商人は社会のために役立つべきです!」なんていい子ちゃんみたいな事を言う気はないけれど、それもまた商いの醍醐味の一つではないだろうか、と思うのである。
それに、良いモノを商い続けていけば、それだけ信用もついてくるだろうしね。
「それで、シュペー卿。少々お聞きしたい事があるのですが?」
「あん? 何だジャリ」
くるりとシュペーに向き直って言うと、相変わらずの憎まれ口を叩かれる。
相変わらずムカつく……けど、このくらいはサラっと受け流せるようにならないと駄目ね。
そう、私は“大人”で“商人”なんだから!
「貴方が私達にモノを譲りたくないというのは、ご自分のつくったモノを預けるには、私達では“商人として”の信用、というか力量が足らない、という理由ですか?」
「……ま、そうだな」
「成程、それはもっともかもしれませんね。私達はまだ独立して間がないですし」
「カッカカ、何だ、自分でもわかってんじゃねえかよ。くく、ワシに理由を問う必要もなかったなあ?」
困ったような表情をして殊勝な態度を見せてやると、調子づいたシュペーは愉快そうに笑った。
「いえね、もしかすると、“女嫌い”というご自分の性癖でワガママを言っているのかと邪推してしましまして」
「あ? 女が信用できないというのは客観的な事実だろうが? 商人の世界だって男の世界であることには間違いはあるまいよ」
ほほぅ、なるほど。そうきますか。
「あら、意外と無知なんですね?」
「なに?」
「女であっても大商人と呼ばれる者はおりますわよ? 例えばランスの大女郎屋ベルナデッド。リーズの口入屋エヴァンジェリナ。カンヌの服飾ブランド経営者ジュゼピーナ・ファントーニ……」
「けっ……。なんでぇ、そりゃあ、交易商じゃあねえだろうが」
「えぇ。ですから、交易の世界では、私共が第一人者になろうかと考えておりますの」
「……はっ?」
あまりの大言壮語に、ぽかんと口を開けるシュペー。それを聞いていたロッテが「ほぅ」と感心したように息を吐く。
ふふん、それくらいの気概がなきゃあ、商人なんて務まらないのよ? ま、当面の目標は自分の店を持つ事だけれど。
「ま、そういうわけでして。女であるという理由だけで商人としての力量がない、と言い切ってしまうのはあまりにも早計だと思うのですが、どうでしょうか?」
「くかか、ま、お前のおよそ女らしくない志に免じて、それは言わない事にしてやるか。職人の世界ならともかく、ワシが商人の世界について口を出すのもおかしな話ではあるしな……。しかし、さっきお前さんが言った通り、お前達が経験の浅い小童だという事には変わりあるまい?」
「えぇ、ですから経験不足の分は、私共に商人としての力量があるかどうかを、一つ試してみてはどうでしょうか? 知識、倫理、口上、鑑定、即応、体力、根性……何でも構いませんが」
ぴん、と人差し指を上に立ててそんな提案をする私。
まぁ、こんな事をしなくても、ベネディクトに頼み込めば、目的の品を仕入れる事自体は出来るだろうが……。
しかし、それは今後、ベネディクト工房と付き合う上で、余計な摩擦を呼んでしまうかもしれない。今回限りの付き合いで終わる気もないしね。
たとえば、シュペーが今回の事で、実際に暴れる……事はないと思うが(多分)、彼とベネディクトの関係が悪化するかもしれないし、最悪、腹を立てて工房を辞めてしまう、なんて事もあり得るのではないだろうか。
ベネディクトは「いつでも辞めやがれ!」などと言っていたが、あまり彼とソリの合っていなさそうなシュペーを雇っているのは、彼の類まれなる鍛冶の腕と、その知名度が工房に少なからず利益をもたらすと判断しているからだろう。
そうなると、やはり彼がいなくなってしまうような事はベネディクトにとっても痛手だと思うし、その原因となった私達はやはり恨まれてしまうと思うのだ。
となれば、もっとも平和的にこの状況を解決するためには、シュペーに私達を認めてもらう他ない。
それに、上手くいけば彼との新たなコネクションを形成することもできる。
どんな分野でも、一流と呼ばれる人間との関わりを持つ事は、将来にとって確かなプラスになるはずだからね。
「カッカカ、まさか、文句があるなら試してみやがれ、とは! なるほど、大言を吐くだけはあるらしい。女にしては中々の漢気を持っているじゃねえか」
「……お、お褒めにあずかり光栄ですわ。して、呑んで頂けますか?」
しばらくきょとんとしていたシュペーは、思い出したように豪快に笑いを飛ばす。
何とも矛盾した賞賛(?)に若干の顔をひくつかせつつも、礼を返して是非を問う。
「ふむ……。お前、ワシのつくったモノに“惚れた”と抜かしていたな?」
「ええ、抜かしました」
「ほう、ならば当然目利きには自信があるってえ事だ」
「ないと言えば嘘になります」
私は胸を張って言う。
三年間の間、カシミール商店で鍛えられた鑑定眼には自信がある。一部の特殊なモノを除いては、だが。
「ふぅん、そうかい。そりゃあ良かった。しかし“視覚”と“触覚”だけじゃあ、商人としての力量をみるには足りねえな」
「と、いうと?」
「まぁ、残るは“聴覚”と“嗅覚”だろうよ。何、“味覚”までは要求しねえさ」
そう言ってシュペーはにやりと笑う。
なるほど、目利きに必要なのはモノを見て確かめる事と、触って確かめる事だわね。
聴覚と嗅覚、というのは商売のネタをつかみ取る情報収集能力、物事の真偽や損得を嗅ぎわける知識と経験、瞬時に世の動きに対応しチャンスを逃さぬ俊敏性、目的のモノを探し当てる探索能力……とか、色々と考えられる、が。
「具体的には何をしろと?」
「実はワシの趣味は刃物、とりわけ刀剣類の収集でな」
「は、はぁ。変わったご趣味……ですね」
誰も爺さんの趣味なんて聞いていないわよ?
「ま、そういった趣味が高じて職人の道を志したワケだ、が。いざ自分が一端の職人になっちまうと、今まで必死で集めていたお宝がつまらないモノに思えてくる。結局、今のコレクションの半分以上が自身が打った剣ってな状態でな。やれやれ、収集家としては実に嘆かわしい事だとは思わんか?」
いかにも残念だ、という風に肩を落としてみせるシュペー。
うっは、この爺さんもまたかなりの自信家だな……。だって、それって自分の打った剣こそが名剣だ、って事でしょ?
「えぇと、つまりは私達にシュペー卿のお眼鏡に適う刀剣を探して来いと? もちろん、卿が打ったモノは除いて」
「おぉ、さすが未来の大商人様は分かりがいいな?」
明らかに皮肉だよ。あ~、くそ、やっぱムカつく……。
「……どうも。それで期間は?」
「そうさな、キリのいいところで一週間。それまでに目的のモノを持ってこれたら、お前らを一端の商人として認めてやろうじゃねえか」
「その前に、参考として合格ライン、つまり卿のコレクションというのを一つ拝見させて頂いても? もしそれが世界一の名剣だとしたら、さすがの私共でもお手上げですから」
「ふむ。それはむしろワシの方から言いだそうと思っていた所だ。……ほれ、持っていけ」
シュペーは頷くと、腰につけた革袋を、ぽい、と投げてよこした。
「あの、これ刀剣というよりも作業用のナイフですよね?」
本当にこんなものでいいんですか? とまでは言わなかった。
革袋から出てきたのは短剣、というのもおこがましい申し訳程度の刃がついた作業用ナイフ。
その鈍色に輝く刀身は、たしかにそれなりの良品である事を示していたが、飽くまでそれは“工具”の枠を出ておらず、とてもではないが“名剣”とは言いが難かった。
「おう。それよりも優れているモノならばコレクションとして言い値で買い取ってやろう。つまり、そのナイフが最低基準、合格ラインってとこだな。……あぁ、無理矢理に名品を貶すようなセコイ真似はしないから安心しろ。そこのところは職人としての誇りに賭けて誓おう」
シュペーはそこまで言って、しかし、と眉に力を入れて厳しい顔をする。
「これはお前が自信満々に吹っかけてきた勝負だ。当然だが、失敗した時はそれ相応の代償を払ってもらうぞ?」
「む……代償、ですか?」
「あぁ、もしお前らが目的を達成できなかった場合は、今後一切、この工房の敷居を跨ぐ事はやめてもらおうか。それでいいよな、ベネディクト?」
ベネディクトに問いかけながらも、私の反応を楽しむかのような目線を送ってくるシュペー。
折角築いてきたコネクションがなくなってしまうのだ。確かにその代償は痛い、痛すぎる。
しかし、ここは……。
「良くねえだろ、何を勝手な──」
「わかりました、その条件でお願いします」
「じょ、嬢ちゃん」
「大丈夫ですよ。ケルンの商人たるもの、この程度が出来なくてどうします、ってね」
「むぅ、そこまで言うなら止めはせんが……」
妙に心配するベネディクトを余所に、もはや私は時間が惜しい、とばかりに颯爽と踵を返した。
その際に私が浮かべていたのは薄ら笑い。
それもそうだろう、ここは全ハルケギニアにおける冶金技術の最高峰、ゲルマニア北部最大の都市ハノーファー。シュペー以外にも名匠と呼ばれる職人達は多数存在しているし、つくられている刀剣の種類だってとても多い。
確かにシュペーのナイフは良品かもしれないが、これ以上の刀剣などたくさんあるはずだ。ケルンですらこれ以上のモノなど何度も見た事があったのだから。
その代償はキツイものとはいえ、ここはそれを無視しても全く問題はないはずだ。
シュペーはきっと私達を舐め過ぎているのだろう。それとも、思ったより悪い人ではないのかな?
どちらにせよ、こんな条件ならばラクショーもいいところよ! 一週間といわず、一日で終わらせてやろうじゃないの!
*
──そんな風に思っていた時期が、私にもありました。
再び現在。
期日まであと一日。
私達は、最後の悪あがき、とばかりに、ヘンケスの噴水広場を後にして、海沿いの街はずれに存在する巨大なゴミ箱、もとい、ジャンク屋へと足を運んでいた。
ジャンク屋とは、所謂、壊れたり古くなったりして廃棄された金属製品を扱う廃品屋である。
ここでも売れなかったモノは、すぐ隣にある製鉄所にクズ鉄として引き取られ、溶鉱炉で溶かされ再利用される。
いわば、剣の墓場とも言える場所。その内部は、墓地というに相応しくひっそりとしており、同時に、残骸のような商品(?)が無造作に、無秩序に、ゴミの山のようにして積まれていた。
はて、小売業において商品の陳列と言うのは、かなり重要なポジションを占めるはずなのだけれど。きっと売れても売れなくてもいいんだろうね。
そのやる気のなさを象徴するように、店の者は入口に立っているしょぼくれた中年の男(経営者?)だけで、無駄に天井が高く無機質な店の中まで入るともう誰もいないのだ。
一個や二個、商品をくすねられてもさして問題ない、とでも言いたげな雰囲気である。
そう、こんな場末のジャンク屋に一縷の望みを託さねばならぬほどに、私達は追い詰められていたのだ。
ラクショーだったはずの条件は、七日が経過してもクリア出来ていなかったのである。
勿論、“鉄の街”とまで言われるこの街に素晴らしい刀剣が存在しなかったワケではない。
思わず溜息が出るような麗剣もあったし、実用性に優れているであろう丈夫そうな剛剣も、見たこともないような形状をした奇剣もあった。
しかし、この薄汚れた、何の変哲もないはずのナイフには、それを上回るような、とんでもない価値が隠されていたのである。
「くぅ……どうしてこんなことに……っ! どうして……っ、どうして……っ!」
汗にまみれながら、がちゃがちゃと、ひとやまいくらの鉄くずを掘り返して愚痴を吐く。
底の抜けた鍋、ひしゃげた伯車、ひび割れた兜、根元から折れた包丁、擦り切れた馬具。
魔剣どころか、駄剣すら出て来やしない。ぐにゃあ、と思考が歪み、視界が霞む。
「どうしてって、お主が大した確認もせずに、軽率な行動を取ったのがそもそもの原因じゃろ?」
壁にもたれかかってその様子を見ていたロッテが面倒そうに口を開く。
「だ、だって! 魔法具、特にこういう見た目が普通なマジックアイテムを見分けるのは、至難の業なのよ?」
そうなのだ。
このナイフ、ただの作業用ナイフではなく、所謂、“マジックアイテム”というヤツだったのである。
見た目はただの小ぶりなナイフ。でも実態は、メイジでもない平民には見分ける事が難しい魔法具。
一般的な魔法具(マジックランプ、魔法の羽ペンとか)は別として、こういったオンリーワンの品は、商人の間では鬼門とされていた。
魔法具専門の担当鑑定家を置いている大商社は別として、普通の商人にはその価値を見極める事は難しいからだ。
一見簡単にみえたシュペーの提示した条件は、実はとてつもない難題だったのである。
こんな発想──まるで人を嵌める事が本業である人間の発想──を即興で思いつくような意地の悪いジジイをいい人かも、などと思った自分が恨めしい……。
「だってもヘチマもあるか。あの性悪ジジイがそんな簡単な試験を課すワケがあるまいて」
正論である。ここまでの商売が割と順調だったために、私はつい油断してしまっていたのだ。
確かに魔法具である事も見分けるのは難しかったろうが、課されたお題の不自然さには気づけたはずじゃないか。
片手で数えられる程度の村を回った程度で、順風満帆気分など何事か、と冷や水を浴びせられた気分だった。
「うぐぅ」
「ほれ。口は止めて、手を動かさんか。ま、途中で魔法具と気付けたから、最悪の事態は避けられたがの。あのままじゃと、得意満面で見当違いのモノを持っていってジジイに笑われるところじゃったし」
と言っても、私がそれに気付いたワケではない。
シュペーのナイフが魔法具である、と見抜いたのは、何を隠そうこのロッテなのだ。
どうやら彼女は、精霊の乱れ? とかいう、私には理解不能なもので魔法具、というかその道具に魔法的な素養があるかどうか? を見極める事が出来る、らしい。
さすが自称天才の吸血鬼、こんな時でもなければ、諸手を挙げて喜ぶべき発見であるのだが(今後は魔法具が出てきたとしても安心、という事)、とてもじゃあないが、今はそんな気分にはなれない。
彼女によれば、その加護の種類と強度から、そこそこ優秀なエルフの技術者あたりが制作した、擬似的な生命の力を与えられたナイフであり、自らの刀身が傷付いたり、変質したりすれば、それを自動修復するというバカげた特性を持っているという。
敢えて名を付けるなら“不磨の短剣”といったところか。
……はっきりいって、相当な珍品である。
こういった一品モノの魔法具が一般市場に出回る事はほとんどないので、その価値を算定するのは難しいけれども、ごく稀に闇屋やオークションに流れるエルフの制作した魔道具という点からその価値を算定するのなら、まぁ、200エキュー、下手をすれば300エキューはするだろう。
それに対して、マジックアイテムでない、まっとうな名剣、たとえばシュペーが打った剣ですら、どんなに高く見積もっても、市価の3倍、つまり90~180エキューくらいの価値しかない、と思う。
結局、このナイフに対抗出来るようなものといえば、同じ魔道具、つまりは“魔剣”しかない。
私達が魔剣に拘っていた理由はそれだった。
これが、『最低の合格ライン』って……。どうやらシュペーは思った以上に鼻っ柱が高いらしい。
というか、それを作業用の工具として使っている彼は、一体……?
「ぐうぅ……掘れども掘れどもゴミばかり……」
「くあぁ」
もはや藁にもすがるような気持ちでクズ鉄の山を掘り進めるけれども、やはりロクな物は出て来ない。それを退屈そうに眺めながら欠伸をするロッテ。
……さすがにその態度はないでしょう?
「ねぇ、そんなに暇なら少しは手伝ってくれても」
「嫌じゃ」
「何よ、さっきから、そうやってぼけっとしてるだけじゃない」
「付き合ってやっているだけ有難く思え、たわけ。全く、不出来な義妹のおかげでとんだ災難じゃて」
ロッテは、自分は関係ありません、とばかりにあっちを向いて言う。
ムカっときた。
「そ、そりゃあ、こうなってしまったのは私のミスだけどさ。うん、それは謝る。でも、これは私達二人のピンチなんだから、ね?」
内心イラつきながらも手をすり合わせてお願いしてみる。
「うるさいのう。もう、いいじゃろ。あのジジイに負けたようで癪ではあるが、今回は失敗をしてしまった、という事で良いのではないか?」
「はぁ? 何言ってんのよ」
「あの工房で仕入れをする事は出来んとはいえ、旅が続けられなくなるほどの大打撃にはならんのじゃろう? だったら早々に見切りをつけてじゃな……」
彼女の言うとおり、シュペーの品が仕入れられないからといって、ただちに破産するような大打撃を受けるわけではない。
もし駄目であれば、もう一度この街の商社でも回って他のモノを仕入れればいいのだから。直接生産現場、ベネディクト工房から仕入れるよりは利益はあがらないだろうが、それでも、順調にいけば並みの利益はあげる事ができるだろう。
「駄目よ、そんなの。このままじゃ、破産はしなくても、コネと信用は確実に失うわ」
「あのな、人間、というか吸血鬼でも、時には失敗するのが当たり前じゃ。その程度の損害で済むのなら、さっさと方向転換する事もありじゃろう? 大体、こんなゴミ溜めに魔剣なんて大層なモノがあるわけがないんじゃから」
「そんな夢も希望もない事言わないでよ、私までやる気がなくなるじゃない!」
「時には妥協をするというのも大人の嗜みじゃぞ? ま、所詮、まだガキんちょのお主にはわからんか」
ギブアップを薦めるロッテに、私は真っ向から反発する。
ロッテは掌を肩の高さで天に向けて、はぁ、と見下したような溜息を吐く。
「私は十分、“大人”よっ」
「くっはは、自分の事を大人、というのは子供の証拠じゃ」
顔を真っ赤にする私を、ロッテはさも愉快そうに嗤う。
「あんただって無駄に年食ってるだけで、中身は全然ガキのくせにっ」
「……何じゃと? もう一回言ってみよ、このジャリ娘」
「何回でもいってやるわよ、ガキっ、ガキっ、ガキっ! アバズレっ!」
ヒートアップしてきた私の口は止まらない。そして、やつ当たりにも似たそれは、ロッテの不興を買ってしまったらしい。
「ふんっ!」
「……っ!」
ロッテの掛け声とともに、腹部に鋭い衝撃が走る。
強烈なソーラープレキサスブロー、つまり鳩尾への腹パンである。
「ぐっ、やったわねぇ……」
「ほう、やる気か?」
「たまには姉妹喧嘩もいいかもねっ!」
「くはっ、妾にとっては、いつも通りの教育に過ぎんわっ!」
喧嘩が、始ま──
『あの、もし』
──らなかった。
つづけ
※今回はあまりモノが動いていないので、メモは次回分にまとめます