そんなこんなで久しぶりの休日も明け。
「……でぇ、これがまた笑える話なんっスけど~」
「口を動かしてる場合があったら手と足を動かしなさいね」
お客さんの荷作りをしている最中、いつものように無駄話をする後輩のエーベルをじろりと睨みつけながら、手をぱんぱんと叩いて話を遮る。
この子はケルンの商家出身(よって寮には入っておらず、通いである)の都会っ子だけあって、社交性はありすぎるほどにあるものの、おしゃべりすぎるきらいがあるのだ。
「あらら、冷たいなぁ。でもそんな先輩もイイっスね!」
「……いい加減黙らないとシメるよ?」
それでも止まらないエーベルの口に、眉をぴくりとさせながら言う私。
「は、そ、それは勘弁を……」
エーベルは気持ち青い顔になってごくりと唾をのむと、慌てて手を動かしはじめる。
実際、彼を過去に何回かシメた事もある。いや、本気じゃあないけどね?
別に好きでやっているわけではない、飽くまで後輩の教育のためである。
恐怖政治は、あまり好きではないが、それが最も効果的であるならば採用しない手はないのだ。
尤も、最近は私もエーベルの事はあまり言えないかもしれないが……。
というのも、私もまた仕事中、別の事へと気をやっている事が多くなってしまっているからだ。
おかげで先週は散々だった。
商品を取り違えて引き渡しをしてしまい、気付かずに出発してしまったお客さんを全力で追いかけたり。
商品を何個も壊してしまい、その分を給金から引かれてしまったり。
極めつけに馬の世話している時、尻を馬に蹴られて派手に吹っ飛んだり。これで私が普通の娘であれば大怪我をしていたところだ。普通じゃない、と自分で言えてしまう所が少し悲しい……。
その度に親方や見習い頭のギーナさんから雷が飛んだのは言うまでも無いだろう。
私が何に気を取られているのかと言えば、言うまでもなく間近に迫っている(はずの)独立に関する事。
まあやることは色々とあるのだが、最優先に手を着けなければいけないのは、私の独立にあまり乗り気ではない親方の説得だろう。
親方が快く首を縦に振らない理由は、私の年齢の事も勿論あるだろうが、その歯切れの悪さから、もしかすると他にワケがあるのかもしれない……。
さて、何故それが最優先なのかと言えば、師弟の義理、という理由は勿論あるけれど、商家の出ではない私の場合、親方の許可が貰えないと独立が難しくなってしまうからである。
と、いうのも正式な商人になるためには、どこかの商業組合《アルテ》に加入しなければならないのだが、親方の許しが無ければ、この時に問題が発生してしまうのだ。
商家の出である者(つまり商人になる者のほとんど)が、組合に属するためには、加入費と年会費を納め、運営委員《カンスル》との面接試験をクリアすることが出来れば、晴れて組合に属する事が出来る。
ちなみにこの試験とは、まがりなりにも商人としての修行を詰んでいれば、ほぼ間違いなくパスできるものだ。
所謂、明らかに組合に属するのに不適格な人間(商才がない、という意味ではなく、人間的に問題がないかどうか)を振るい落とすためだけの形式的なものである。
しかし、私のような商家の出ではない者が商業組合《アルテ》に属するためには、もう一つ必要なものがある。
それが、各商家の親方の出す、“この者は商人としてすでに十分修行を積んでいる”という事を示す推薦状である。
この推薦状は、出自、年齢などの基本情報から、いつからいつまで、何年の修行を積んだか、という見習い期間の証明や、勤怠の評価に至るまで、事こまかに書かれている、所謂身分証明のようなものである。
ちょっとした差別のようにも思えるが、貴族に限らず、どちらかといえば本人の為し得たものに重木を置く実力主義(ルネサンス的な)であるこのゲルマニアに置いてすら、血筋というのはやはりそれなりに重要視されているということだろう。
組合としても、どこの馬の骨とも分からない人間に『私は○○組合の者でござい』と名乗らせる訳には行かない訳だ。
そんなわけで、正攻法でいくならば、まずは親方の首を意地でも縦に振らせなければ、私(とロッテ)は一歩も前には進めないのであった。
「あぁ、もう~何で気持ちよくウン、といわないかなぁ、あの頑固オヤジ……」
何時の間にやら思考の海に入り込んでしまった私は、頭を抱えて一人で叫んだ。
「ほぅ、頑固おやじとは俺の事か?」
「えぇ、当たり前でしょ。他にオヤジなんて誰がいるっていうのよ。ったく! いい加減にしなさいっつー、の……ぁ」
勢いに任せて叫ぶ私の前には、不自然ににっこりとした親方が。
「あ、と、これはですね、違うんで──」
「馬鹿者」
有無を言わさず、ごすん、とゲンコツ一閃。
今見ればスローに見えるこのゲンコツを躱す事も出来ただろうが、ここは明らかに私が悪いので素直に殴られておいた。
ま、慣れてくればこの衝撃も心地よい……訳はなく、痛い物は痛い。私はちょっと涙目になりながら頭をさする。
近くに居たエーベルは我関せずとばかりに、いつの間にか少し離れた所に移動して、人が変わったように仕事に打ち込んでいた。
相変わらずこういうところは要領がいい奴だ。
「はぁ、仕方ねェ奴だ。そんなに生き急ぐ必要はねェだろうに」
「光陰矢のごとし! 善は急げ! っていうんですよ。折角お金が貯まったんだから、独立したいと思うのは商人として当たり前なんじゃ?」
「お前が独立に向けて努力しているのは、ま、認めてもいいが。それにしたって、修業期間がたった3年程度、しかも13歳じゃ、信用も何もあったもんじゃねェ。……何をそんなに焦る? しつこいようだが、独立するにしても成人してからの方が何かと問題が少ないと言ったろう」
がりがりと頭を掻きながら、辟易としたように親方はもう一つ深い溜息を吐く。
私もそれに続くように「はぁ、またか」と、下を向いて小さく息を吐いた。
このやり取りがイヤになってきているのは親方も私も同じ。
この議論はずぅっと平行線を辿っているのだから。
「問題なんてありませんよ、未成年一人の旅が危険だというのなら、ロッテ……、いえ、姉だってついてきますし」
「ほぅ、そりゃ余計に心配だな」
「それは確かに……。って論点をずらさないで下さい」
「ぅん? あぁ、そうだ! そういや、昼からちょっと用があってな。ま、その話はまた今度」
「あ、ちょっと!」
私が更に続けようとすると、親方は逃げるようにして奥へと引っ込んでいく。
いや、アンタ、今は割と暇だから倉庫内をうろうろしてたんちゃうんか?
親方はいつもこの話になると、はっきりと反対の意志を示すわけではなく、何となくはぐらかしてしまうのである。
私が色々と論じても、するりと躱して、今のように「その話はまた今度」と言われてしまう。
一体何なんだか……。
反対なら反対とはっきり言ってくれた方が余程すっきりするのだが。
「く、また逃げられた……」
「あらあら、今日もダメだったの?」
「あ、ヤスミンさん。と、フーゴか……」
私がややがっくりと肩を落としていると、後ろからヤスミンさんに声を掛けられる。
振りかえると、げっそりとしたフーゴもそこに控えていた。
私から遅れる事およそ1年(といっても、このくらいの時期に研修に入るのが普通だそうだ)、今は彼が事務関係の研修中なのである。
おそらくあの修羅場のような仕事場に参っているのであろう。
「おいおい、何だよ、その嫌そうな顔は」
「あれ、そんな顔してたかしら? ま、だってアンタ今回は親方の味方だしね。仕方ないっちゃ仕方ないよ、この裏切り者め」
「う」
特に意識していた訳ではないが、どうやらフーゴの方を見て私は顔をしかめていたらしい。
その原因であろう事実に言及してやると彼は一瞬言葉に詰まった。
今回の独立の件、彼はどちらかと言えば親方の意見に賛同、つまり私が独立する事に反対しているのである。
しかも親方とは違って、かなりはっきりと反対の意志を示していたりする。
一応、私の方が後輩なわけだし、そんな後輩が自分より先に独立するのが気に食わないとか?
うーむ。確かにプライドは結構高いヤツではあるが、そういう意地の悪い事はしない気がするんだけど……。
割と頼りになる時もあるし。最近はちょっと優しげなトコもあったし?
「まったく、何で同じ見習いのアンタが私の独立に反対するのか、訳がわからないっての。エンリコさんの時とは正反対じゃない」
「それは、お前みたいな未熟者が世間に出たら食い物にされるのが目に見えているからって──」
「うそくさーい。どうせ、後から入った私がアンタより先に独立するのがイヤだ、とかそういうガキ臭い見栄とかプライドが理由でしょ?」
「違うっ! そ、そうじゃなくてっ──」
「はいはい」
私がもういい、とばかりに片手をひらひらさせて冷たくあしらうと、落ち込んだように顔を俯かせるフーゴ。
む、ちょっとキツイ態度だったか?ま、裏切り者にはこれくらい言ってもバチはあたるまい。
「で、結局どうするの? このままじゃ親方さんを説得するのは1年掛かっても無理そうにみえるけど」
ヤスミンはそんなフーゴを憐れむように一瞥してから、私に向かって話を切り出す。
「……やっぱりそう見えます? 頑として反対されない分、余計にやりにくいんですよね。何と言うか、許可を出さない理由も何となく曖昧でよくわからないし」
「まー、娘がこんなに早く巣立つとは思っていなかったんでしょうよ」
「……?」
「あ、あーと、いや何でもないわ。ほほ、そう、親心よ、親心。見習い達はみんな親方さんの娘であり息子であるという意味ね? そりゃ、まだ子供の君が独立するなんて、親方としては心配して当然って事」
「はぁ」
失言を誤魔化すように、顔の前でせわしなく手を振って言うヤスミン。
んー、この人も何か隠しているのだろうか?
むう、随分と隠し事の多い商店だこと。
「そうだぜ、親方だってお前の事を考えた上で反対してるんだからな。何も慌てて出ていかなくたっていいだろ? 俺が言いたいのはそう言う事! ていうか、旅に出るなら男手も絶対に必要だろう。男手が、な」
ヤスミンを援護するように、こちらをちらちらと伺いながら言うフーゴ。
「男手? そんなものいらないって。ロ……姉さんがいるし? アレに腕っぷしで勝てる男が、いえ人間がいるかしら?」
「それはいないだろーけどな……。いや、そういう問題じゃなくて! 女だけの旅ってのは何かと問題があってだな」
「いや、女二人の中に男が一人混じっているほうが問題でしょ……」
「確かに……」
ぐぅ、と唸るフーゴを尻目に、私は話を戻す。
「ま、いざとなればツェルプストー辺境伯に組合へ入れてくれるように直接頼むっていうのも手ね。組合の主席運営委員である辺境伯に頼めば、親方の推薦を取らなくてもとりあえず組合には属すことは出来るはず」
あれ以来、ツェルプストー辺境伯とは立場は圧倒的に違えど、それなりの関係は保っているはずだ(まあ、主にロッテがだが)。
ならば、そのくらいは彼に頼めば何とかなるのではないだろうか。
「随分と不義理ね、それは。領主様とは言え、親方を差し置いて他の商会の主にお願いなんて、さすがにまずいんじゃないかしら?」
私の考えを聞き、眉をひそめて、若干不愉快そうに言うヤスミン。
確かに、確かにそれはあまりに薄情である。本当は親方を説き伏せて推薦を貰うのが一番いい。
私もそれはわかっている、わかっているのだが。
「しかし、このままでは、いつまでたっても」
「うーん、どうしても、というなら、辺境伯に頼らず、貴女が独力で組合に行って交渉してきたほうがいいわね。そのあとに親方に事後承諾を取る、という形で。さすがに、親方もそこまですればわかってくれるかもしれないし。それなら他の商会主に頼むよりは角が立たないしね。まー、それでもあまり良くない事ではあるけど。……とにかく、最初からあまり波風を立てるような真似をしては駄目よ」
「はい」
口調は優しげだが、キッと鋭い視線を投げかけながらいうヤスミンの迫力に押され、私は頷く。
確かに彼女の言うとおり、商売の最初からケチがつくのはよくないだろう。
それに私も出来れば親方を困らせるような事はしたくないのだ。
何だかんだ言って親方には感謝してもしきれないほどの恩があるのだから。
「じゃ、今日の仕事が終わった後にでも、(ケルン交易商会組合の)本部に行ってきますよ。あそこは夜でも開いてましたよね?」
「えぇ」
私が一応そう確認すると、ヤスミンが軽く頷く。
正直、私が単身で組合に掛け合った所で望み薄ではあるが、何もしないよりはマシだろう。
いや、でも数少ない女商人の卵として、何より“美貌姉妹”の妹として、私もケルンではそれなりに有名……なはず。
最近では通常見習いに任せるとは思えないような仕事もしているのだ。もしかしたら意外と簡単にいけるかもしれない。
そうそう。結局のところ、私はゲルマニア西部の、つまりケルンの組合に属する事に決めていた。
他の組合に属する繋がりもないし、交易で身を立てようとする私には、ゲルマニア東西南北中央の5つの組合の中では、この組合が最も適しているからだ。
それに、ここは私の第二の、いや、ただ一つの故郷であるため、ここ以外の組合に所属する事は今では考えられない、というセンチメンタルな理由もあった。
尤も、加入費や年会費が他の組合と比べても、割と安いのも、なるべく初期にかかる費用を削減したい私にとっては、一つの魅力的な理由なのであるが。
「……おい、少しは俺の話も──」
「アリアせんぱーい! ヘルプ、ヘルプ!」
それまで押し黙っていたフーゴが口を開きかけた時、エーベルのけたたましいSOSの声が発された。
そちらの方に目をやると、元から居た常連の小売店主と、新たに店を訪れていた二人組のお客に挟まれる格好で困り顔のエーベルが必死に手を振っていた。
新規の二人は、互いにちぐはぐな恰好をしている事からして、おそらく飛びこみの遍歴商人と、組合から派遣された計量人(余所の商人が勝手に商売しないように監視しつつ、取引の計量を見届ける人)だろう。
このように、遍歴商人達が都市部で商売する場合には、通常、まずはその都市の商業組合に話を通してから取引できる商店を紹介してもらい、そこで売ったり買ったりする。
もしそこで話がまとまらなければ、また新たに違う店を紹介してもらう、という寸法である。
何度も言うが、どこの国や地域でも、余所者が好き勝手をすることはできないようになっているのである。
私も、旅に出た後はこの事を念頭に置いて行動しなければならない。
時には、ルールの網の目をくぐる事は必要かもしれないが、ルールを曲げたり破ったりする事は極力避けなければなぁ。
って、今私がやろうとしている事(親方の許可なしで組合加入の件)も地味にルール違反か?
いやいや、多分これは大丈夫。許容範囲内だ。
「仕方ないわねえ」
「ちょ、まだ話が」
「じゃっ、行ってくるから」
「……ったく、人の気もしらねーで」
「ん? 何よ」
「ちっ、もういいよ、行け行け、早く行けよ、バーカ」
彼女の後ろで、すっかり蚊帳の外のフーゴが何事かぶつぶつと呟いていたが、私の耳にははっきりとは届かなかった。
*
こぉん、こぉん。
教会の甲高い鐘の音が終業の時間を知らせる。
「お疲れ様でしたっ」
それが鳴りやむと同時に、ぺこりと頭を下げて、踵を返し、そそくさと外へと飛び出していくアリア。
相変わらず行動が早い。やるべき仕事もとっくに終わっているのだろう。
「はぁ」
その背中を西日がオレンジに染め上げて行くのを、ぼけっと見送りながら俺は一つ溜息を吐いた。
「なんで俺は……」
頭を抱えて悔恨の言葉を吐く。
正直な気持ちを言えばいいのに、俺はまた強がってしまった。
何が『お前みたいな未熟者が世間に出たら食い物にされるのが目に見えている』だよ。
そんなことを言ったら俺の方がよほど未熟者だ。
アリアは親方や駐在員の付き添いという形ではあるが、既に外回りまでしている。
年齢はともかく、実力的にはいつ独立してもおかしくないのだ。
「でも、なぁ。もし、答えが“ノン”だったら?」
アリアは“その手”の事に鈍い。時々、ひっぱたきたくなるくらいに鈍い。
多分、完璧に練られた俺のアプローチにも全く動じない、というかおそらく気付いてすらいない。
いや、もしかすると気付いているのに無視しているのかもしれない。
そうだとすれば、今特攻する事は無謀。手痛く撃墜される事は目に見えている。
そうなれば、俺とアイツの関係が今よりギクシャクしてしまうだろう。
それが、怖い。
「クソッ、これじゃヘタレじゃねーか……」
俺は失敗を恐れて前に踏み出せない。
アリアは失敗する事も沢山あったが、それでも前に進んでいこうとしていたし、実際今もそうだ。
きっと今回だって、どんなことがあっても、どんな手を使っても、あいつは自分の意志を通すに決まっているのだ。
それはきっと親方だって、ギーナさんだって、俺だって誰にも止めることはできない。
悪く言えば自分勝手。
でも、俺はアリアのそういうところが好きなんだ、と思う。
アリアは過去を語りたがらないから、アイツがどういう境遇にいたのかは詳しく知らない。
でも、農民出身でここに来た時は着の身着のままだったはずのアイツが、僅か3年でもう独立間際まで来ているというのは並みじゃない。
本来ならそんな出自で親方に弟子入りする事すら難しいのだから。それは物凄いエネルギーの要る事だと思う。
自分で決めた事に対して、障害をぶち壊しながら真っ直ぐ進んでいく。
そうして周りの人間に自分を認めさせ、周りをも変えてしまう。
その姿は中途半端な俺には眩し過ぎるくらいだった。
「ふぅ、あの頃よりは、少しは俺も成長したと思ったのに、な」
俺はもう一つ溜息を吐き、ぼんやりと昔を思い出しはじめた。
*
“好奇心に溢れ、自由気ままにのびのびと育たれた坊ちゃま”
フーゴ・ヤーコブ・フォン・フッガーこと俺は、フッガー家屋敷に仕える使用人達から、表立ってはそのような評を受けていた。
もっとも、奴等の本音を代弁すれば、“のびのび”とか、“自由気まま”で片づけられるレベルではなかっただろう。
貴族として最も重要な魔法に、《練金》などのごく一部の魔法を除いて殆ど関心を示さず、少し目を離せば屋敷から抜け出し、遊び呆けた。
礼儀や伝統、といった決まり事を極端に嫌い、幼子ですら学んでいるであろう、基本のテーブルマナーすら出来ていなかった。
好き嫌いが激しく、歯の浮くような美辞麗句やおべんちゃらを言ってくる奴、子供の自分に対してゴマスリをするような気に入らない奴には容赦なく辛辣な言葉を浴びせ、無視した。相手は立場が上の者でも悉く無視した。
逆に気に入った相手に対しても、“子供の悪戯”というにはえげつない悪戯を仕掛けたりするので、誰を好いていたのかはよくわからない、天の邪鬼な子供だった。多分構ってほしかったんだろう。
今思えば何て糞餓鬼だったんだろう、と思う。
決して実家の教育が間違っていたせいではないだろう。
上の兄貴達は至って真面目な優等生であったのだから。
さて、そんな俺を特に厳重注意する事も無く、見守り続けていた親父であったが、俺が10歳を過ぎた頃、流石に堪忍袋の緒が切れたらしい。
「結婚相手を決めておいた」
「はぁ?!」
突然言い渡された意味不明の言葉に俺は間抜け面で聞き返した。
「婚約しろ。そうすればお前も少しは貴族というものを自覚するだろう」
「ふざっ……」
「これは家長であるフッガー伯爵としての命令だ。どうしても嫌だというならこの家を出て行け」
「……」
一瞬親父に掴みかかりそうになった俺だが、いつもの温厚な感じがない、ただただ厳しい親父の姿勢に気押され、俺は押し黙った。
親父の考えを推測すれば、家柄だけで決められた、親同士が勝手に決めた政略結婚──を突きつけることで、貴族としての自覚が薄い俺に、自分は責任ある者であり、貴族であるという事実から逃れることはできない、と言う現実を知れ、という事だったんだろう。
貴族の結婚というものはそういうものだ、とは知っていた。
だが、そういう伝統とか、決まり事が俺は嫌いだった。
だからこそ、魔法の勉強も真面目にやらなかったし、それを押しつける貴族の大人たちも、謙る平民達も嫌いだったのだ。
三男とはいえ、ゲルマニアでも指折りの豪商であり、大富豪であるフッガー伯爵家と血の繋がりを持ちたい貴族家は多く、その相手はすぐに見つかった。
お袋は無理矢理な婚約に異議を唱えていたようだが、貴族として、当主の厳格な決定に逆らうわけにもいかず、結局その婚約はゴリ押しされることになった。
その決定から僅か数日後、俺は憮然とした表情で会食の席についていた。
場所はアウグスブルグ、フッガー家屋敷の煌びやかな大広間。要する俺の家だ。
お相手はフッガー家に支援を受けて商売を行っている南部の上級貴族家の一つヒルケンシュタット男爵家の一人娘。
要するに、領地持ちではあるが、フッガー家に頭があがらない貴族家のご令嬢だ。
当時の俺の性格上(今の俺は礼儀をちゃんと弁えているからな!)、何か失礼があっても大丈夫なように、と考えたのだろう。
「意味がわかんねーよ、クソッ……」
俺はそっぽを向きながら、貴族の子息がこのような場で発するとは思えない粗野な言葉遣いでそう言った。
「フ―ゴ様、どうかなされましたか?」
そう言って、可愛らしく首を傾げるのは、金装飾の施された、大きなマホガニーの食卓机の向かいにちょこんと座った見目麗しい、というにはまだ幼いが、将来的には間違いなく美人になるであろう容貌をしたご令嬢。名前は忘れた。
ま、もちろんアリアと比べられる程じゃないけどな。
彼女の周りの席にはその両親、そしてその後ろに控えるのは彼らの家から連れて来たのであろう、沢山の従者達がいた。
自分の両隣には同じく両親である、フッガー伯爵とヴェルヘルミーナが鎮座していた。
見慣れているはずである大広間の内装がいつもよりけばけばしく感じた。
食事を邪魔しない程度になり響く楽団による上品な音楽の演奏が耳触りだった。
値踏みをするかのように、対面から無遠慮に注がれる無数の視線に腹が立った。
「別に」
令嬢の質問に俺はぶっきらぼうにそう答えると、無駄に彩られた宮廷料理のような晩餐に乱暴にフォークを突き立てた。
そんな様子を見てお袋は彼の尻を抓る。
「いっ」
その痛みに思わず俺は跳びはねる。
そんな俺を横目で睨みつつ、お袋が言葉を発する。
「大変なご無礼を。もう、この子ったらミス・ヒルケンシュタットの美しさに当てられて緊張しているみたいで……」
「はは……それは光栄。何、これくらいの男子はそのくらい腕白でないと、いけませんからな」
「えぇ、その通りですわね、ふふふ」
申し訳なさそうに言うお袋に、ヒルケンシュタット夫妻はやや頬を引き攣らせながらも笑顔で返す。
ご令嬢も「気にしていない」というように口に手を添えて上品に微笑んでいた。
歴史の古さはともかく、現在の力関係ではヒルケンシュタットよりもフッガー家の方が上なのだ。多少の無礼には目をつぶるべき、と判断していたのだろう。
おそらく内心は「何だこの躾のなっていない餓鬼は」と憤っていたはずだ。
腹が立っているなら立っていると態度に示せばいいじゃないか、と俺は思った。自分が無礼なのは百も承知だったのだから。
彼等の態度は実に貴族らしい。貴族の見本市があれば高値がつくことだろう。
だからこそ俺は“気に入らなかった”。
「ほら、フーゴ、改めてきちんとミスとお話して」
お袋はそんな俺の気分など知らずにそう促した。
お袋に急かされた彼は渋々話を切り出す。別に俺が女と話すのは苦手だったわけではない。ないったらない。
「あー、お前……じゃなかった、ミスはどのようなご趣味をお持ちで?」
「あ、はい。今現在は魔法の勉強が一番の趣味のようなものですわ。次にダンスや楽器なども嗜んでおります」
にこりと微笑み、小鳥のさえずるようなか細い声で言うご令嬢。
あぁ、なんて典型的な“お嬢様”なんだろう。俺は彼女の評価をさらに下げた。
「ふーん、好きなモノは?」
「モノではないけれど、尊敬する両親ですわ」
その答えにヒルケンシュタット夫妻は若干嬉しそうに表情を綻ばせた。
それにしても即答とは、そりゃあさぞかし立派な両親なんだろう。
ちなみに尊敬できる人、という質問で親と答える奴は虚言癖があるそうだ。
「はぁ、じゃ、将来の夢とかそういうのは?」
「それは勿論、貴族として、妻として旦那様、いえ、フーゴ様をしっかりと支えて行くことですわ」
お前に支えられる気はねーよ、と喉まで出かかったが、顔を顰めるだけでやめておいた。
ここでそんな事をいったらまた面倒になる。
ご令嬢と違って両親を尊敬しているわけでもないが、いちいち親に迷惑をかける気はない。
そんな質問を何個か繰り返すうちに、令嬢の笑顔が強張っていくのがわかった。あまりにも一方的な質問責め。これではお見合いというより面接試験だろう。
貴族の娘としては、彼女の質問に対する答えはいずれも無難であり、また素晴らしい。
俺と違ってよく躾けられている。
もっとも、俺が面接官で、これが試験であれば、彼女はとうに落第していたが。
質問が終わった後、俺は会食が終わるまで口を噤むことにした。
こんなつまらないヤツらと話す事はもう何もなかったからである。
ま、今考えればお前、何様だよ、と自分に言いたいが。
そして俺は、会食の後、快くその令嬢との婚約を承諾した。
貴族の女というのはみんな大体あんなものだと考えていたから。
そしてその日から俺は家を出る準備を始めたのである。
*
「父上、私は暫し家を出ます」
「何?」
「私は将来的に自分で身を立てねばなりません。なので本格的に商売の修行がしたいのです」
それから1月後、俺はガラにもない口調で親父にそんな事をいった。
その言葉に親父は「ついにお前もフッガー家の一員である事を自覚したのだな」と満足気に頷いた。
お袋は最後まで反対していたが、俺の申し出は割とあっさりと受け入れられた。
俺が魔法学院に通うまで、つまり15歳までの“期限付き”ではあったが、その時になれば修行を終わらせて、国外にでも出て商人としてやって行けばいいと思っていた。
そう、俺は単に逃げたのだ。
貴族社会、諂う平民、そして婚約……。嫌なモノからの逃避。
“ここではない何処かへ”行こうとしただけ。
アリアのように商売で成り上がってやる、とか、エンリコさんのように実家の店を立てなおしたい、とか、そんな立派な理由じゃない。
故に俺は、中途半端。
何のことはない、俺は昔からヘタレだったのだ。
……さて、最初親父が俺に提供したのは、アウグスブルグからほど近い、ニュルンベルグに存在するカシミール商店よりも規模の大きいフッガー系列の大商店だった。
親父のコネに頼るのは嫌だったが、最初くらいは甘えておいてもいいだろう、と妥協した。通常、コネでもなければ、見習いとして商店に勤めるというのは難しいというか、ほぼ有り得ない事なのだ。
しかし、この商店では俺は飽くまで“お客様”だった。
フッガー家の、そして経営者の坊ちゃんと言う事で、誰も見習いとしては扱ってくれず、親方であるはずの店主はただただゴマをするばかり。
同じ立場であるはずの見習い達は一様におどおどし、俺を腫れ者のように扱っていた。
結局、どこに行っても俺が“気に入らない”奴らばかりだ、とある意味諦めの感が漂ってくる。
まぁ、平民達の貴族に対する態度は仕方ないかもしれない。他の国よりはマシ出と聞いているが、このゲルマニアにおいても碌でもない貴族はいるし、何より絶対的な力である魔法がある。
しかし、俺は他の見習いにするように普通に接して欲しかった。これでは独立するどころではないし、何より俺が不愉快だった。
一月も経てば、この商店にいる限り、俺はいつまでも“貴族の坊ちゃん”である事を悟った。
そんな時、俺はたまたまニュルンベルグを訪れたカシミールに、いや親方に初めて出会った。
時期的に、西の穀物を南に卸すための商談で南部の商会を回っていたのだろう。
「おい、お前ら、一番下っ端のヤツになんで敬語を使ってるんだ?」
いつもの如く、本来目上の立場であるはずの駐在員が俺にゴマをすっているのを見て、俺の方を面白くなさそうに見た親方がそんな事を言った。
「え、いや、そりゃあ、坊ちゃんに粗相があっちゃまずいでしょう」
「……馬鹿か、お前は。下らない事に気使ってんじゃねェよ」
「いでっ!」
そして、親方はその質問に対する答えが気に喰わなかったのか、駐在をゲンコツで殴りつけた。
ありえない。
ただのゲンコツとはいえ他の商店の従業員をぶん殴るとは。
「なるほど、お前がフーゴか」
「あ、えと、そうだけど?」
「そうだけど? じゃねェだろ!」
「ぐぁっ!?」
「やれやれ、口の利き方も出来ていない糞餓鬼が商売とはな」
そして俺も殴られた。
殴られた挙句悪態を吐かれる始末。
「何、すんだよ!」
「お前よ、こんな環境で修行したって商人にゃなれねェってわかってるか?」
勢いで凄んだ俺に少しも動じることなく話を続ける親方。
「わかってるよ、いや、わかってますよ……」
毒気を抜かれた俺は、その言葉にただ頷いていた。
殴られたくはないので、慣れない敬語に言い換えた。
「よし、じゃあ俺のとこに来い。丁度人不足だったとこだ。話は俺の方でつけておく」
「へ?」
「覚悟しておけよ。俺は容赦ねェからな? それと、その仰々しい杖は捨てろ。商売に杖はいらん。もし持っていなけりゃ不安でしょうがないっつうならもっと目立たないもんにしな」
滅茶苦茶だ、と思った。
勝手に話を飛躍させた上に、貴族の象徴である杖を捨てろ、と言いだした。
しかし、俺にはそれが小気味よかった。
こんな大人に会った事がない。
この人についていけば、今までとは違うかもしれない。
俺はそれだけでカシミール商店へ移籍する事に決めた。
自分で周りを変えるほどの行動を起こせなかった俺は、結局、また逃げたのだ。
“気に入らない”なら、その現状を変えるために、努力をすれば良かったのに。
*
「くく、情けない事思い出しちまったな……」
あまりにも不甲斐ない過去を思い出し、俺は自嘲の笑みを零す。
あれからもう3年以上の月日が流れ、楽しい事、恐ろしい事、つらい事、難しい事、腹が立つ事、嬉しい事、色々な事があった。
甘ったれた所も、余計なプライドも、我がままさも捨てられたと思っていた。
しかし、未だにヘタレた所と天の邪鬼は治っていなかったらしい。
「アンタの意地悪って昔からでしょ? 三つ子の魂百までっていうもんね」なんて、アリアに厭味を言われた事があったが、なかなかどうして生来の性格を矯正するのは難しいようだ。
「が、いつまでもウジウジしてるわけにもいかねーんだよな」
そう、もう残された時間は少ない。
このまま指をくわえていたら、アリアは手の届かない場所に行ってしまうだろう。
それだけは御免だ。
だから、絶対にアイツが旅立つ前に伝えよう。
自分の正直な気持ちを。
「よおおし、やるぞっ、俺は、やるっ! やってやるっ! うおおおぉ!」
回想に沈んでいるうちに、誰もいなくなった商店の倉庫で俺は一人吼えた。
こうして、俺は、人生最大の決意を固めたのだった──
続く