今、荷馬車に揺られて運ばれている私は、農村から売られたごく普通の女の子。強いて違うところをあげるとすれば、前世の記憶があるってことかナ──
どうしてこうなった!
*
オカアサンが私を売る、と宣言してからおよそ一月後。
いつも通りの朝、私は野良仕事に出る準備をして、食卓に向かった。
「今日は仕事をしなくていいんだよ」
仕事用のボロを着ている私を見て、ニコリと微笑むオカアサン。
いつもなら「ろくに役に立たない癖に、飯だけはしっかり食べるんだねえ」と心底呆れた顔で嫌味を言われるところである。
正直、不気味だ。その不自然な態度に不安が募る。
いつも通りの質素な朝食を食べ終わった後、奇妙な笑顔を張りつかせた両親に手を引かれて、私は村の広場へやってきた。
行商人か何かだろうか、広場には荷馬車を連れた商人風の大男が待っていた。この小さな村に行商人が来るとは珍しい。
「?」
もしかして、いつも頑張っているムスメに服か玩具でも買ってくれるのだろうか?
そうか、オカアサンはツンデレだったのか……
不気味だなんて思った自分が恥ずかしいです。ごめんなさい、これからはもっと頑張るよ!
「その娘か?」
大男は低い声で両親に尋ねる。
「ああ、そうだ」
オトウサンが珍しく声を発して大男の問いに答える。
はて、どういう事?この男は流れの仕立て屋か何かで、私のサイズに合わせた服や靴でも作るのだろうか。
「……ではこれが代金だ」
大男はそう言って懐から小さな袋を取り出してオトウサンに渡す。それを見てオカアサンは、オトウサンから袋をむしり取って、中身を取り出す。
中から出てきたのは金貨。パッと見で10枚前後だろうか。
なぜこちらが金を受け取るのだろうか。謎は深まるばかりだ。
「まあ、こんなに!ありがとうございます!」
オカアサンが金貨を数えながら大男に礼を言う。その表情はとても人間とは思えない醜い笑顔。いや、きっとオーク鬼だってこんないやらしい顔はしないだろう。
「どういう事なの?」
流石に耐えきれなくなって口を開いた。
一体何が起きているのか説明して欲しかった、いや薄々解ってはいたが。
「その、なんだ。……ま、頑張れ」
いつも無口なオトウサンは、バツが悪そうに、私から目をそらしながら呟いた。
ちなみに私に兄弟姉妹はいないので、これで家族全部だ。
「なんだ、まだ説明していないのか?」
大男は呆れたように言う。オトウサンは恥ずかしそうに頭を掻く。オカアサンは私には見向きもせずに、未だに金貨を弄っている。
「俺から説明しようか?」
「……お願いします」
私は大男の提案を受け入れる。大男はウチの両親の様子を見て、自分が説明しないと話が進まないと感じたらしい。
「簡単にいうとだな……。お前は商品としてウチの商会に引き取られる事になったんだ」
大男の無機質な声が現実を突き付ける。
やっぱりそれか。
その程度の感想しか出てこなかった私は、どこか人として壊れているのかもしれない。
どうやって人身売買のツテを探してきたのかしらないが、「売る事にした」というオカアサンの言は本気だったらしい。
ウチの財政が厳しいのは知っていたが、そこまでとは知らなかった。いや、役立たずのタダ飯喰らいを追い出しただけか。
結構、ムスメとして色々頑張っていたつもりだったんだけどなあ。まあ10年も面倒を見てくれたのだから、感謝すべきなのかもしれないけれど。
「乗れ」
逃げ出す事もできずに、荷馬車に積みこまれる私。逃げられたとしても飢えて死ぬだけだ。人間諦めが肝心。このセカイでは特にね。
大男が手際よく私を荷馬車に備え付けられた鎖でつないでいく。
両親は特に感慨もないようで、金の確認を済ませると、そそくさと家に戻っていった。その姿は荷物の引き渡しを終えた宅配業者に似ていた。
荷馬車の中には、私の他に、私と同じくらいの年から、10代後半とおぼしき年までの女の子が3人程積まれていた。
目が死んでいる赤毛の娘。憤っている感じの長身の娘。良く分かっていない金髪の娘。
三者三様であるが、全員が望まぬ状況であるのは間違いない。
まあ、他人の事なんて今は心配している場合ではないのだが。
私はおそらく奴隷的なモノになるんだろう。
的なモノ、というのはこのセカイに表立っての奴隷階級はないはずなのだ。人を商品として扱うあの大男は口入屋、わかりやすくいえば、人材派遣会社のようなものかな?
なので私はこれからどこかの商家や、大農家やらに無制限に使える労働力として紹介され、そこに奉公するという形になるのだろう。といっても、彼らの屋敷で働くようなメイドではなく(可能性が無いとは言わないが)、普通の人がやりたがらないような、所謂3Kな仕事に回される可能性が高い。
両親に金を先払いしたということは、私がそれを働いて返すということで、私に給料がでることはないだろうが。
元貧農で、見た目も貧しい私が貴族に紹介されることはないと思う。
年齢的なものから娼婦として売られる事もまだなさそう。客を取れるまで養っていては店側が損をするはずだ。もし10歳の幼女に興奮する人間が多かったらアウトかもしれないが。
村にはそんな人はいなかったが(少なくとも私の知る限りは)、街ではロリコンが主流かもしれない。それは考えたくないな……。
ま、正直、今までの生活を考えると大して変わらないかもしれない。いや、もしかしたら今までよりマシな生活が待っているかもしれない。きっとそう。いや、絶対!
これはある意味チャンスだ。輝かしい未来へのスタートなのだ。私の人生はここから始まるのだ──
でも幼女趣味の変態主人の玩具にされる事だけは勘弁してほしい。それならば過酷な肉体労働で過労死した方がマシに思える。
できれば優しく金持ちで紳士な主人、業種は屋敷付きのメイド。というのが私の願望だ。少々大それた願いだろうか。
*
どうやら私が最後の積み荷だったらしく、荷馬車はそれ以降人を乗せることなく進んでいった。
厚手の黒いホロを被せてある幌馬車なので、外の様子を見ることはできない。光が遮られ、昼か夜かの区別もつかない中、私を含む4人の荷物達はどこにつれていかれるのか分からない不安に駆られていた。
そんな状況が原因なのか、馬車の中の空気は最悪だった。
金髪がふとした事で「どうして私がこんな目に」と泣きだし、長身がそれを「私も同じだし」と慰める。
金髪が「あんたと一緒にしないで」と長身の慰めを拒絶する。
すると金髪の態度に長身が怒り出す。
赤毛はそんな2人の様子にオロオロとするばかり。
馬車の中はこんな事の無限ループだった。ろくに会話をしていないので名前は知らないが、この状況で他人に気を向ける事ができるとは随分と余裕のある奴らだ。
私は喧しい金髪の泣き声と長身の怒鳴り声に辟易としていた。
そんな中、救いだったのは、意外にも大男の面倒見が良かった事だ。無愛想ではあったが。
一日二食の食事の用意や、野営の番、馬車の御者などは全て男が一人でやり、私達はただ食っちゃ寝しているだけだった。
商品は大切に取り扱うように言われているのかもしれない。
「出ろ」
他の娘と会話することもなく、私自身は殆ど無言で馬車に揺られる事幾日か。どうやら目的地に着いたらしく、私達は馬車から下ろされた。
「連いてこい」
この男は一語しか喋られないのだろうか。と思うほど大男は無愛想に私達へ指示を出す。
大男が行く先は、やや無骨な構えだが、結構大きな建物だ。これが口入屋の店舗のようなものだろうか。
周りにも石造りの建物が多く立ち並んでおり、ここが今までいたような寒村ではなく、それなりの規模をもった都市だ、という事がわかる。
キョロキョロと辺りを見回しながらも、とりあえず私達は男について建物の中に入っていく。
「ここでしばらく待ってろ。一人ずつ入ってもらうから」
お、久しぶりに文章を喋った。
先程の建物の2階にある、立派な扉の前まで連れてこられると、私達はそこで待たされる事になった。扉に文字が書かれた金属製のプレートが貼ってあるが、文字が読めないので何の部屋なのかはわからない。先程まで一緒だった男は、部屋の中に入っていった。
一人ずつ呼ばれるという事は、おそらく面接部屋みたいなものか。
ここで、好印象を与えられれば、良い就職先が見つかるかもしれない──
「お前からだ」
先程の男がドアから顔を出して私を指す。ありゃ、私がトップバッターですか。
「失礼します、オンの農村から来たアリアと申します」
軽く会釈をしながら入室する。気分は就職活動中のガクセイというやつだ。
勿論、椅子を勧められるまでは座らない。常識だ。いや、私が座る椅子なんてないんだけどね。
「ふむ」
入った部屋には、髭を蓄えたやせっぽちの初老のオッサン。ただ、異常にその眼光が鋭いため、ただのオッサンでない事はわかる。この口入屋のボスといったところか。
「服を脱げ、全部だ」
とんでもない事を言い出したよこの人。あの、一応私、子供とはいえ女なのですが。
私は、『僕』の記憶があるし、現在の性格もそれにある程度基づいたモノになってしまっており、およそ女らしい性格ではないとは思う。
しかし自分は女である事は自覚しているし、人並みの羞恥心も持っているのだ。
まあ脱ぐけども。ここで抵抗しても何の意味もないどころか、マイナスになりそうだし。それに、別にイカガワシイ事をされるわけではなく商品の品定めといったところだろう。
「クセのある栗毛に、瞳は薄茶、肌は色白……か。しかし栄養が足りんな。細すぎる。まるで病人だ」
ボスは私をなめまわすように視姦しながら、羊皮紙になにやら書き込んでいる。
「すいません」
私は何か責められた方な気がして謝る。栄養が足りないのは自分のせいでもないとは思うが。
「別に謝らんでいい。文字はよめるか?」
「読めません」
即答である。
「そうか」
文字が読めないなら他もできないだろう、と判断したのか、他の質問はこなかった。
「容姿は、まあもう少し肉がつけばよくなるだろう。性格も従順、一応の礼儀も弁えていると。ま、しかしこれでは星はやれんな」
ボスはうんうん、と頷きながら、謎の言葉を呟く。
「あの……星とは?」
疑問に思ったので恐る恐るだが質問してみる。
「知らなくてもいいことだが。まあいい、教えてやろう。お前らの値段のグレードだ。お前は最低のグレードだな」
そう言ってボスはニヤリと口の端を吊り上げる。
ボスの説明によると、紹介料のグレードがあるらしく、3つ星から星なしまで4つのグレードがあるそうだ。私のような何の取り柄もない小娘は、星なし評価という事だ。
いや紹介料高くなった所で私達に関係なくね?むしろ高いんだから、その分働かされる気がするのだが、と思ったが、グレードが高い方がまともな主人に拾われやすいのだそうだ。
星無し娘の運命は最底辺の過酷な労働くらいしかないらしい。それにすら引っかからなかった場合は……そこから先は聞けなかった。その運命は口にするのも憚られるらしい。
(やっべええ!このままではッ……!考えろ。考えるんだ。思考をkoolに。私にも何かあるはずだ!)
本当にまずい。このままでは地獄行き確定である。私は背中に嫌な汗を掻きながら必死に思考する。
そして見つけた。私の武器を!
「私、文字は読めませんが計算はできます。自信があります!」
「何……?くくっ、ハッハハそんな事があるわけがなかろう。文字が読めんのにどうやって計算を覚えるんだ。大体貧農出身のお前にそんな技能があるとは思えんわ」
私の必死のアピールは軽く笑い飛ばれてしまった。
本当に出来るんですよ?微分積分でも複素数でも3次方程式でも!いや、今ならミレニアム懸賞問題すら解けるッ!
「全く、笑わせてくれる娘だ。とにかくお前は星無し!よし、もう下がっていいぞ」
「あ、あの本当にっ…………はい」
喰い下がろうとしたが、黙れ、とばかりに鋭く睨まれてしまい、すごすごと引きさがる。
面接はこれで終了らしい。私は服を着て、失礼します、と失意のうちに部屋を出る。入れ替わりに、一緒に連れてこられた金髪の娘が部屋に入る。
(終わった。終了っ……!残念、私の人生はここで終わってしまった…………)
終了という言葉が脳内にリフレインする。
「ねぇ、あんた何されたの」
よほど私が酷い顔をしていたのか、外に残っていた娘の内、最年長らしき長身の女が、部屋から出た私にそんな質問をしてきた。会話するのはこれが初めてだ。その表情は険しい。
もう一人の赤毛の娘も興味があるらしく、神妙な顔で私を覗きこむ。
「特に何も。単なる品定め「イヤっ、イヤよ!何するのよ、やめなさいっ!」……って感じじゃないかな」
いちいち全部説明する気力もなかったので、適当に返そうと思ったのだが、部屋の中から怒号が飛んできたため、途中で声がかき消された。
脱げって言われて拒否ったのかな。全く、あの金髪はしょうがない奴だな。
「ちょっと、なによ今の声……」
「……っ」
長身の娘は自分の体を掻き抱いて身震いし、赤毛の娘は目をギュッとつぶって何かに耐えているようだ。
「大丈夫、ひどい事はされないはずだから」
私は2人を安心させようと声をかけた。もう私は“終わった”という諦めからか、他人を気遣う余裕が持てていた。
「ひぐっ……ひぐっ」
丁度タイミング悪く、部屋から泣きじゃくる金髪の娘が出てくる。一刻も早く部屋からでたかったのか、ほとんど素っ裸で、服は手に持っていた。
さぞかしおぞましいことをされたのだろうと思ったのか、赤毛と長身のテンションは恐慌状態に陥った。
ふぅ、やれやれ。私にできる事はもうないな。
そう考えて、私は目をつぶり、彼女達の悲鳴やら嗚咽の声を完全にシャットダウンした。
つづく、はず