朝である。昨夜、隣で寝息を立てているハーフエルフの美少女に接吻をかまされた、達也です。そういえば最近、俺はパンを焼いていません。以前は自分の幸せの到達点だと散々思っていましたが、ここ最近はパン屋とはぜんぜん違う環境に身を置いているせいか、全然そんな気が起きません。「これが初期設定放棄という悲しい現実なのか・・・」いやいや。俺はまだ元の世界に戻るのを諦めてはいない。この世界は嫌いじゃないが、やはり俺が帰らなきゃいけないのは、杏里や瑞希たちのいる世界なのだ。このままこの世界で生きていくと決めるのは楽なんだろうが、それはいけないと思うから。「お兄ちゃん、おはよう」「おはよう、真琴」真琴が目を覚まし、俺に挨拶をする。海の上でいつものように挨拶をするというのが違和感ありすぎる。「船酔いはないか?」「うん」「そっか」しゃべる杖を握り締める我が妹は笑顔で答える。朝日に照らされた眩しい笑顔は俺の希望である。「あ」そのとき、真琴が声を上げた。それにルクシャナが答えた。「起きたのね。あれは竜の巣と呼ばれる群島よ」「島?岩じゃん」「あら、そっちの国では岩でも島として領土を主張してる国があるって書物で見たけど?」「返す言葉もねえな、悪かった」「とりあえず、私のお友達はあそこにいるわ」「えー?あそこに?」「お前の友人は鳥か魚かなにかか?」「まあ、エルフやらは住めないけど、ついてからのお楽しみね」触手のような巨大な岩が水面からいくつも伸びている異様な光景。あそこが目的地だとルクシャナは言うが、いやな予感しかしません。『とんでもねえ化け物だったりな』『化け物というと?』無機物どもが持ち主を無視して話をし出した。『とりあえずすげえ巨大で、目が青いのが四つも五つもあって、蛸の十倍ぐらい触手がついてて、何故か粘々している体液が滴り落ちてて』『ふむ、保温効果がある体液か何かでしょうか。あるいは獲物を逃さないための?』『そんなやつがハーフの嬢ちゃんや、ちっこい嬢ちゃんを捕まえてだね、『げっへっへっへ、ねーちゃん、スケベしようやー』って舌なめずりをしてだね』『なんと!異種配合も可能とは確かに化け物ですね!』『おうよ!そうしてその化け物は抵抗できない哀れな嬢ちゃんたちの衣服のみを器用に溶かしちまう!』『溶解液まで兼ね備えているとは!』『そして恐ろしきその化け物の触手は一気に嬢ちゃんたちの純潔を』「錆びろゴミ鞘!!」俺は刀を抜いて、鞘だけを海水に入れた。『ぎゃああああ!!海水に浸すなぁぁぁぁあ!!』『そのような化け物が存在するとは、竜の巣・・・恐ろしい場所ですね』「いや、いないわよそんな卑猥を形にした生物。いたら近づかないから。というかあんたたち、私の友人を何だと思ってるの?」「おもしろいひと!」『ろくでもない人ですね』「同レベルと考えて、社会から爪弾きにされてしまった人」『だから(禁則事項です)な化け物』「・・・悲しいかな、一番近いのが最後ってどういうこと?」「マジで!?」「あ、人やエルフではないって意味だから。っていうか3番目!それはいったいどういうことよ!?」「失礼、噛んでしまった」「何処をどう噛んだらそうなるのよ!?」そんな風に騒いでいたら、やがてティファニアも起きた。前日あんなことがあったが、彼女はケロッとしている。・・・まあいいや。あれは何かしらのノリか夢か何かだ。俺も意識はすまい。「ついたわ」蛸の触手のような岩の間を抜けると、ひときわ高くそびえた岩が見えた。ルクシャナはイルカに命じ、小舟を止めてから言った。ちなみに陸地は見えず、海のど真ん中である。「ここからは海の中よ」「・・・どうやって海の中を行けと?」「泳げるでしょ?」「俺はまあ、カナヅチじゃないが・・・真琴は?」「この前プールで25m泳げたよ!」「・・・そうか偉いな。テファは?」「海なんか入ったこともない・・・」この世の終わりのような表情をテファは浮かべていた。「泳げても息が続くとは思えないぜ?」「しょうがないわね」ルクシャナはそう言うと、手のひらに海水を掬い、口語の呪文を唱えた。すると海水が光り始めた。「これを飲めばいいから」真琴とテファが海水を飲む。塩辛いのか顔を顰めている。ルクシャナは海水を俺に向けた。「あなたも」「あ、ああ・・・」海水に顔を近づけたそのときだった。水の精霊からもらった精霊石が輝きだした。「え!?」「タツヤ!?」「お兄ちゃん!?」3人の驚愕の声とともに俺は光に包まれ、輝きが無くなると、俺の身体は青白く、そして瑞々しくなっていた。『おいおい・・・どういうことだよ相棒よ』「わ、わかんないよ・・・突然」今まで心が震えたら反応して変化していたが、今回はまったくわからん。しかしその原因はすぐに喋る鞘の内側から分かった。『フッフッフッフッフ・・・妙齢の女性の手に掬われた海水を飲むというマニアックなプレイなど、お天道様が許してもこの私が許さないのですよ達也君』「この声は!?」ルクシャナが困惑の声をあげる。真琴とテファも何処から声がするのかと、きょろきょろしている。『聞き覚えがあり過ぎるが一応聞いてやるぜ!誰だお前は!』喋る鞘がそう怒鳴った瞬間、鞘から水が噴出し、柄が飛び出た。大量に降ってくるかと思われた水は宙に浮かぶ鞘の上に朝日を背にして次々と集合していく。それは次第に『人らしき』かたちを作っていく。いや、正直眩しいんですが。やがて柄は俺の手に戻ってきたが、水はまだ宙に浮いていた。焦れてきたのか、喋る鞘は再び言った。『誰だお前はと聞いている!!』目を見開くルクシャナ、怯え気味のテファ、俺の後ろに隠れる真琴。その何かはその三者を見回したあと、俺にその『顔』を向けた。『愛という名の地獄からの使者、ダークエルフのフィオ!』『何ィ!?』『雌猫の魔の手から達也君を守れとの使命により、ここに愛と嫉妬の鉄槌を下します!とぁぁぁぁ!!』「うるさい」『え?ぎゃあああああああ!??』『へ?モルスァァァァァ!!??』俺は喋る鞘を柄ごと瑞々しい半透明フィオに投げた。喋る鞘は見事にフィオの顔面に直撃。元々が水であるせいか、半分首がもげた感じで彼女は吹っ飛び、海面に叩きつけられた。二者の悲鳴が海に消える。「い、今のは・・・お兄ちゃん・・・」「脳の腐った妖精さんだよ」「いや、でもタツヤ、鞘さんが・・・剣も」「精神的に悪影響のある武器は捨てたほうがいいと思うんだ」「残念だけど、呪いの装備みたいよ」ルクシャナが悲しそうに言うと、海中からものすごい勢いで半透明フィオと喋る鞘が飛び出した。『なにしやがんだ相棒!?長い付き合いの俺を大海原に投棄しやがって!』「お前なら戻ってくると俺は信じていた」『何、信頼の絆があるんだなどと感動路線に話を持っていこうとしてやがる!?』『達也君・・・私はいつまでも貴方のそばにいますよ・・・捨てられても裏切られても死んでも・・・ずっと貴方のそばに・・・フッフッフッフッフ・・・』「ストーカーは犯罪です。告訴します」『愛に対して法の盾で武装した!?達也君、まさに外道!』『さすが相棒!俺らにできないことを平然とやってのける!そこに痺れもしないし、ましてや憧れもありえねえ!』こいつらを相手してたら疲れるので、とっとと話を進めよう。俺はギャーギャー言う馬鹿たちを無視して海水を飲んだ。「これでいいのか?」「え、ええ。これで水中でも呼吸可能よ。ところで何よそのスライム?のような女性。ダークエルフって変なの?」「いや、あれを変というのは変という活字に大変失礼だ。お前は変だがな」「それも失礼な言い草と思わないの?」「失礼、噛んでしまった」「だから、何処をどう噛んだのよ!?」ルクシャナが俺に詰め寄った直後、フィオの怨念に満ちた声がした。『憎らしい憎らしい・・・そうやって私以外の女性とフラグを立て、挙句に寝取りフラグも立てるとは・・・そんなに女性の心を弄んで楽しいんですかぁぁ!!』「超楽しい。じゃあ、潜るか」「え、でもタツヤ・・・」「だいじょうぶかな・・・」「大丈夫よ。息はできるから。ただ、服は重くなるから、なるべく軽装で行くわよ」そう言うとルクシャナはがばっと服を脱ぎ下着姿になった。細いしなやかな肢体が陽光の元に現れた。そのまま海に彼女は飛び込んだ。続いて真琴が、下着姿になって飛び込んだ。ルクシャナが真琴の手をとる。更にテファもキャミソールのような下着のみになって飛び込む。なんか後ろのほうで『あの身体で達也君を誘惑・・・駄目だ!勝てません!』などと聞こえたが無視しよう。で、俺はそのまま飛び込んだ。なんだか水の中にいるという感覚がない。『ちょっとちょっと達也君!脱がないんですか!?』「んー、この服に愛着はないし、なんか違和感もないし大丈夫だぜ?」フィオが責めるように言ってきたので、俺は平気な事を伝えた。『そりゃ確かに今の達也君は、海中でも全く問題なく活動できますよ?でも貴方を想う乙女心としては、達也君の身体を見てみたいなー、って期待しちゃうじゃないですか!そんな淡く切ない乙女心を反芻にするなんて、どんだけ乙女心をかき乱してくれやがるんですか!』「いや、機能的に脱ぐ必要がないから」『私達へのサービスと思って!』「サービスは強要されてするモノじゃないと思うんだよ。わかるかい?」『畜生め!諭すようにいわれてしまった!これじゃあ私が変態みたいじゃないですか!』「それじゃあルクシャナ、頼む」『スルー!!?』俺達は小舟を引いていたイルカにしがみつき、水中へと潜った。フィオの言った通り、俺は水中でも全く問題なく呼吸が出来た。テファ達も呼吸が出来ているのか驚きの表情が見えた。水中の旅は長くはなく、数分も泳ぐと、海底から伸びる岩柱が見えた。イルカはまっすぐにその中腹に進んでいく。その先には穴が開いており、イルカはその中に進んでいった。穴の中は暗闇であったが、イルカは構わず進んでいく。イルカは超音波を出すから、闇でも関係ないのだろう。次第に上が明るくなり、イルカは光に導かれるように泳いでいく。そして、ざばん!という音と共に、俺たちは海面から顔を出した。「すごーい・・・」真琴が呟く。目に飛び込んできたのは劇場並みのデカさの空間だった。ただ、劇場とは違って、海藻の腐ったようなにおいがするが。「ここはさっきの岩の中よ」「ここにともだちが?」「ええ」『達也君、今、逢引に使えそうだなって思いました?』「変な空気になるから発言を慎め!?」その時、空洞の奥から音がした。テファと真琴が俺に寄り添ってきたので、フィオがジト目で俺を見ていた。ルクシャナはそんな俺達を見て吹き出して言った。「大丈夫よ」ルクシャナはイルカの背から降りると、岩に手をかけて陸地に上がった。すると闇の奥から、低い大きな声が聞こえた。「いったい、誰だえ?このわらわの眠りを妨げるのは・・・」「わたしよ。海母」「うみはは?」「おお、長耳のはねっかえり。わらわの娘。よくきたね」ずし、と何か巨大なものが起き上がる気配がした。みしみし、と地面を踏みしだく音とともに、闇の中から紺色に輝く巨体が姿を現した。水竜である。アリィーのそれより遥かに大きい。「一体何事だえ?今日は大所帯ではないか。それに・・・懐かしい顔も見えるね」水竜はフィオの方を見て言った。フィオは水竜を見上げてけだるそうに言った。『前に会ったのは2046年前でしたね』「おう、そうだったかの?しかし前に会った時とは全く違う様子だの?待ち人には会えたのかい?」『ええ。もう、離れません。身体が朽ち果てようとも、絶対に』「そうかい。・・・よかったね」『はい。幸せですよ』そう言って俺を見るフィオ。何となく思った。馬鹿な女だと。何となく思った。だったら死んでんじゃないよと。何となく思った。照れくさいと。何となく思った。俺は不幸だよと。でも何となく言いたいけどやめた。何となく思った。ありがとう、と。でも何となく言いたかったけど止めた。何となく思った。そこまで言うなら、と。でも何となくその言葉を飲み込んだ。でも、これだけはなんとなく言葉にしたんだ。「そうか」『はい?』フィオは俺を見ている。今は俺の剣。今は俺の力。そんな彼女は今、幸せだと言っている。傍にいると言っている。裏切っても、捨てられても、死んでも。何処までも彼女はずっと・・・・・・だから、何となく俺は言った。「なら、何処までもついて来てみな。フィオ」『ええ、焼き餅やきながらついて参りますよ、達也君』彼女の愛情には答えることはもうできない。でもそんなこと、彼女は重々承知である。それでも彼女はそれを些細の事と思っていた。長すぎる年月を経て見つけた彼といることが彼女にとっての最大の幸福だったのだから。―――たとえ、自分が死んでいる存在だとしても。・・・あれ?何でいい話のようにまとめてるんだ?(そういうわけで続く)