ルクシャナから無表情を装えと言われ、しばらく歩いて行る俺たち。どうやらこのままとんずらできるようにルクシャナが手引きしてくれるようだ。今の俺達は心を失ったという設定である。笑ってはいけない、笑ってはいけないのだ。不安材料は真琴だったが、幼くとも空気は読めるのか、神妙な顔をして俯き歩いていた。「前から評議会のおじいちゃんたちが来るわ。絶対に口を開かないで。私と同じタイミングで、頭を下げて」ルクシャナは立ち止まり、俺たちにそう小声で囁いた。そう言うので仕方なく、エルフ達に頭を下げる。すると先頭の初老のエルフが、すれ違いざまに声をかけてきた。「済んだか?」「はい」「そうか。・・・『これ』がジャンヌ様を・・・とにかくよくやってくれた」ちらりと俺を見た初老のエルフの眼に、不快な気分しか俺は覚えなかった。その後エルフの一行は俺たちが囚われていた部屋の方向へ去った。それと同時にルクシャナが言った。「走るわよ」「真琴、乗れ」ルクシャナが言うと同時に、俺は真琴を背負い、テファと共にルクシャナを追った。昏倒させたエルフから奪ったローブのフードを被り、顔が見えないように気を遣いつつ走る。「しかし、貴方たちも無茶をするわね。私が来なければどうするつもりだったの?」「そのまま逃げるに決まってんだろ」「危険を冒して助けようとした私の気構えを溝に捨てるような発言ね」「アンタも物好きだぜ。さっきの爺からの発言じゃあ、ジャンヌの仇扱いされてる俺を生け捕って英雄扱いされてそうじゃん。その名声を溝に捨てる気なのかい?」「名声なんて私の知的欲求の足しにはならないわ。私が貴方たちに手を貸すのは学術的好奇心のなせる事よ。でも悪魔の復活やらエルフの殺害には協力しないからね。だから、今後は私と行動を共にすると誓って。決して逃げたりしないと、貴方たちの神様に」「神様ね・・・」こんな状況に陥れた神様に俺は誓いを立てたくはないんだが。立てたら立てたで『それはどうでもいい!』と唾を吐きかけられそうだ。「ま、殺しは寝覚めが悪いしな」「じゃあ、急ぐわよ。そろそろ気づかれてもおかしくないから」その予想は当たっていたのか、建物の玄関から出るころにはエルフの戦士とみられるものが、扉を封鎖しろなどと喚きたてていた。しかし玄関にいる文官と言い合いになっており、門の封鎖はまだ時間がかかりそうだ。玄関から出て見た光景は真琴やテファが感嘆の声を出すほど美しい街並みであったが、今はそんなのに構ってはいられない。「さ、観光気分に浸ってないで行くわよ。目立たず、そして急いで」評議会本部を中心として、四方八方に町並みは伸びている。その一つに俺たちは飛び込んだ。街路は車道と歩道に分かれ、車道には竜に引かせた車が行き来していた。ガラス張りの商店がいくつも並んでいる。どう考えてもトリステインのそれとは文明のレベルが違った。行きかうエルフ達は俺たちに無関心である。「ところで何処に俺たちは行くんだ?」「私の旧い友人が住む屋敷よ」「いたんだ、友人」「あら、私に孤高の美しさを見たのかしら?」「研究しすぎで変人扱いされて友人いなくてぼっちかと。あと何処に孤高の美しさが?」「・・・一応婚約者もいる女の子にその言いぐさは無いでしょう、貴方・・・」やがてルクシャナは、通りの横から延びる、運河へと通じる階段へと足を運んだ。運河への道には青黒い海藻が生えており大変滑りやすくなっていた。テファが何度も転びそうになっていたが、そのうちに俺の腕をがっしり掴んできた。・・・奇乳が俺の腕に当たるのはまあ、不可抗力としよう。だが、真琴を背負っているので大変走りにくい!しかし真琴もテファも何故か俺を信頼しまくってる目をしている。背には妹、腕にはおっぱいもといテファ!これは試練か!?誰か代われよ!見てたら羨ましい光景だろこれ!「あれ・・・?おかしいわね・・・」通りの喧騒とは裏腹に人がいない運河の道で突如ルクシャナが辺りを見回して言った。「どうしたんだ?」「ここに、私が用意した小舟があったんだけど・・・」「ないのか?」「ないわね。盗まれちゃったのかしら」「やはり文明の進んだエルフ国家でも物盗りはあるのか。どこも物騒なことだな」「そうね。これからはちゃんと用心しなきゃ」「って、用心しなきゃじゃねえ!?どうすんだよ!?他のルートはないのか!?」「今考えるわよ!」その時だった。十五メイル離れた運河の向こう岸から声が響いた。「小舟なら、僕が押収させてもらったよ」「アリィー!!」「何をやってるんだァァァァァァァァァァァァ!!?きみという女はァァァァァァァァァァァッ!!」アリィーは端正な顔を歪ませて大声で叫んだ。ルクシャナはそんな恋人の怒声に真っ向から反論した。「貴方こそ何してくれてるのよ!?折角船を用意したのに押収とか!これはもう窃盗行為も同然よ!あの船の所有権は貴方にはないんだから!アリィー・・・夜の消極性からヘタレヘタレと思っても、誠実だからと思ってたけど・・・窃盗だなんて卑劣な行為をする殿方だとは思わなかったわ!語るに落ちたわね!」「何でそこまで言われなきゃならないんだ!?明らかな民族反逆罪をしてるのは君じゃないか!?今からでも遅くないから、彼らを引き渡すんだ。そうすれば君のことは言わないから」「窃盗は民族云々ではなく畜生にも勝る愚劣な行為よ。貴方こそここで小舟を返せば畜生以下の行動をばらさないであげるわ」アリィーは頭を抱えた。ルクシャナの瞳には自分は正しい行為をしているという確信の光がある。これが『間違った事はしていない』というのならば諭せたのかもしれないが、あの娘はいつだって自分が正しいと信じている。「なんなんだきみは!?いや、いいやもう。腕ずくでも彼らを引っ張っていく」「そんなことをしたら婚約解消よ。恋人の研究対象を奪う男なんて私は恋人とは認めないわ!」「・・・ぼくはこれでも『ファーリス』の称号を持つ騎士だ。私事と使命は混同はしない」「酷い!私より使命の方が大事だっていうの!?死ねばいいのに!」「も、問答無用!」半泣きのアリィーは腰から円曲した剣を引き抜いた。鏡のように刃面が輝く。それを見たルクシャナは俺の方を向いて言った。「さあ、蛮人!やっておしまい!」「アラホラサッサーっておい!?痴話喧嘩に普通に巻き込むな!?」「言っとくけど、殺しちゃだめよ。あんなのでも、わたしの大事な婚約者なんだから」「はいはい、ゾッコンってわけだな」俺は真琴を背から降ろした。「お兄ちゃん・・・」真琴が心配そうに俺を見ている。俺はデルフが剣の時に入っていた鞘をテファに渡した。「タツヤ・・・」「テファ。デルフを預かっておいてくれ」『おいおい、相棒よ。俺がいなくて大丈夫かよ』軽口を叩く喋る鞘に俺は言った。「お前の知識はテファ達の支えになる。万が一があれば・・・真琴とテファを逃がす算段を立ててくれ」『相棒・・・お前』「タツヤ!そんな万が一とか言わないでよ!私達・・・タツヤがいなくなったら」「ああ、知ってるよ」俺は村雨に手をかける。構えはこれで十分だ。人に好かれる性分ではないと思っていた。でも人を嫌いにはならないとは誓っていた。だって、好きな女がいたんだ。その女に好きになってもらうのに人間嫌いじゃ意味無いじゃないか。今じゃその女が俺の帰還を信じてくれている。俺を好きと言ってくれた愛する女が俺の帰還を信じてくれる。俺も信じていた。きっと帰れるって。また杏里の前に立つ、立てると。今も信じている。帰れる。絶対に帰れるって。「生きてりゃあ・・・別れるときもあるけど」何時もいた存在が突如奪われた時もあった。折角出来た親友が突如倒れた時もあった。五千年もの時を経て会いに来た存在があっという間に果てた時もあった。自分を利用しようとした存在が戦火に散ったこともあった。「真琴、テファ」もう、俺はコイツらのあの顔を見ているから。いくら心が強いと言っても、俺は見ているから。母国で昔、特攻隊として散る運命だった若者たちは、自分が死ぬって時には大事な人に悲しまないでくれとか遺書に書いてたりしたけど、そりゃ無理だなって本人たちも思ってんだろな。でもそう信じて国のために死ななきゃいけなかったんだろ。だが、俺は特攻隊ではない。死ななきゃならないことも全くない。確かに死ぬかもしれない。でも絶対死ななきゃならない状況じゃない。遺書なんてかくわけにはいかない。そもそもここで死のうが国とか全く関係ないし。「別れるときは、俺たちゃ笑顔だろ!」俺は村雨を抜く。アリィーは何やら呪文を唱えると、ひとっ跳びに運河を越えて剣を振り下ろしてきた。俺はそれを村雨で受け止めた。何だよこの攻撃の重さ!?「そっちは殺す気満々じゃねえか」「お前に死なれると困るが・・・お前を殺したいエルフは結構いるんだ。そちらのハーフも死んでも困るが、その時は新しい悪魔を連れてくればいい。そこの子どもは死んでも何も困らない」「俺を殺せば咎めはされても英雄扱い、テファを殺しても代わりはいる、真琴は死んでもOK・・・ってわけか。対する俺は婚約者の頼みで殺しちゃダメ・・・何という縛りプレイだ」ビダーシャルとの対戦では反射という魔法があった。今回もそれを使われたら面倒である。まずは剣を奪う事を優先しなければ・・・。「手での扱いには慣れてないから、力が入りすぎるかもしれない、な!」明らかに故意に力入れてるだろお前。ニ撃目も必殺の威力を持つ剣を俺は受けることはしなかった。その考えに至った時にはすでに俺はアリィーの後ろに回り込んでいた。「消えた・・・!?」「力抜くなよ」そう言って俺はアリィーの股間を蹴り上げた。「!!!!????」その瞬間、アリィーは股間を押さえて蹲り、苦悶の表情を浮かべのた打ち回った。「ちょっと!殺しちゃだめだって言ったじゃない!アリィーの息子さんが死んじゃうじゃない!」「生殖機能が失われても殿方を変わらず愛する・・・これぞ美しい愛だと思わんかエルフ」「私だって子どもは欲しいんだけど」「養子をとりなさい」「腹を痛めて産んでみたいのよ?」「ではほかの男を」「アリィーの子を」「僕の生殖機能はかろうじてまだ生きているから、その会話を直ちにやめろ!?」よろよろと立ちあがるアリィー。脂汗の量が凄い。「どうやら手では若干隙があったようだ。ぼくは君たち蛮人のように手で扱うのは得意じゃない」「成程、要するに下手糞と。ルクシャナ、貴女の恋人は下手糞だって」「そんなの、年月をかけてコツをつかめばいいのよ!要は経験よ経験!男は度胸!なんでもやってみるべきよ!」「しかし彼の最大の武器である槍は折れかけですぜ?」「それは私が何とかしなきゃいけないんでしょ!私は彼の婚約者なんだから努力はするわよ!」「何の話をしているんだ君たちは!?そういう意味ではないから!全く剣の話なのに・・・剣はやはり彼らの意思に添わせてやるべきか」アリィーの背後から、別の曲刀が四,五本浮かび上がり、蝶のように彼の周りを舞い始めた。「では、好きにやりたまえ。君たちのやりやすいように」アリィーがそう言うと曲刀たちは一斉に俺に向けて飛んできた。変幻自在に飛ぶ曲刀たちは俺の死角を狙い襲ってくる。まるで刀が意思を持っているようだった。徐々に俺の身体の傷が増えていく。少し前に全回復したからあのチートは使えない。対するアリィーは余裕の表情である。あの野郎・・・此方が嬲り殺しにされるのを愉しんでやがる!嬲り殺し状態の達也を見てルクシャナは困ったように言った。「やっぱりアリィーの『意思剣』が相手では分が悪いのかしら?十分反則だしねあれ」「暢気な事を言わないで、タツヤを助けてよ!?」「オルちゃん先生、どうにかできないの?」『難しいですね。お兄さんは居合をする余裕もなさそうですから。加えて攻撃魔法をしようにも真琴ちゃんはそれを覚えてないし、ティファニアさんなどの魔法を使おうにも、あのエルフの青年は相当の使い手です』「そんな・・・」「それにこのあたりの精霊の力は、全部アリィーにとられちゃってる。割り込めないわよ私達じゃ。むー・・・アリィーめ、眠りを使う気ね」ティファニアが見ると、アリィーが小さく印を切る仕草をして、達也に向かって手を突き出していた。「このままだと抵抗できずに死ぬわね」「そんな!」その時だった。ティファニアは達也が此方を見ているのに気付いた。彼の口は自分にこう言っていた。『信じろ』と。ティファニアは大きく頷いた。・・・・・・・・・何かすごい頷いてくれてるけどあの娘。此方は流石にヤバいので『助けろ』と言ったのだが、なんか頷いて見てるだけだし・・・。なんか妙に眠いのは奴の魔法のせいか。寝たくないが、曲刀が邪魔で奴に近づけない。同じ理由で前転や居合も使えない。分身は役に立たない。反撃する対象がないから回り込めない。特殊能力を封じられた。本当に死ぬのか?思考中にも身体中を切り刻まれていく。このまま死ぬわけには・・・いかない!痛みで意識を失いそうになる中、目の前のイケメン野郎に対する怒りが俺の心を揺らした。その瞬間、水の精霊石が輝いた。「なにあの光!?」「あれって・・・」『あの姿は・・・エルザさんとの戦いの時に・・・』「タツヤ・・・?」青く光るその姿は水の精霊の加護どころか、水の精霊っぽい何かになった達也だった。水同然と化した達也の身体を曲刀たちが切りつけるが、達也の身体を通り抜けるだけで達也は無傷だった。達也は無言でフィオの意思を宿した刀を握ると鞘に一旦納め、一気に引き抜いた。その瞬間、曲刀は無残に切り刻まれてしまった。「お得意の手品は攻略したぜ、色男」「ほう・・・蛮族の身で水の精霊の力を得ているか。驚いたな。だが、それで勝ったつもりか?」アリィーはまだ余裕の表情を崩さない。その時、彼の背後の運河から、潜水艦が浮上するかの如く、ごぼごぼと何かかが浮き上がってきた。そこから現れたのは銀の鱗を持つ巨大な竜であった。水竜はいきなり俺に向かって細い水流を吐き出してきた。「ちぃっ!」俺は素早くその水流に向けて、エルザを撃退した方法で水流を発射した。「へゥ!!?」「ふえ!?」『おいおい相棒・・・』「なかなかの大きさね」「下品な・・・」テファ、真琴、デルフ、ルクシャナ、アリィーが俺の水流発射方法にそれぞれ感想を言っている。・・・っていうか若干一名大きさを品評している馬鹿がいるだろ。ルクシャナ、てめえだよ。「しかし僕のシャッラールには勝てないよ。例え身体を水にしようが対策なら結構あるのさ」アリィーが呪文を唱えると、シャッラールと呼ばれた水竜が吐く水流の色が白く変わった。その勢いは達也が放出する水の勢い以上であり、たちまち達也はその水流に飲み込まれた。「タツヤ!?あの竜は一体なんなの!?」「あれは海に住んでる竜よ。エルフの世界じゃポピュラーな存在ね。竜の中では最強扱いよ。あれはアリィーが飼ってるシャッラールね。でもあの白いのは・・・まさか」ティファニアがルクシャナにその続きを聞こうとした時だった。急に肌寒くなってきたのだ。見れば運河に氷が張っており、ここだけ真冬の様な白の世界になっていた。『・・・やべえ!相棒!返事しろ!』ティファニアが預かっていたデルフリンガーが焦ったように言う。ティファニアは自分の心音が強くなっているのを感じた。「貴様の動きを止める?簡単な事さ蛮族。貴様の身体が水と化したならば」アリィーの言葉が妙に耳に残っていく。徐々にその場の全体像が見えていく。水竜が吐いた白い水流の着弾点が、達也のいた場所が・・・。―――――!!!!「凍らせてしまえばいいんだからな」そこには棺のような形の氷の中で白く姿を変えた達也が息子をズボンにしまった直後の様な体勢で凍り付いていた。達也の姿は雪のように白くなり、その首には二つの精霊石が彼と同じく固まっていた。白く、白く凍り付いてしまった水の精霊石。全く動かない達也の姿。『―――なんてこった』ティファニアの手の中で呟くデルフリンガー。「お・・・兄ちゃん・・・」脱力したような声を出す真琴。『・・・これは・・・』言葉が出ない喋る杖。「・・・やりすぎよアリィー・・・本当に婚約解消モノね」残念そうに首を振るルクシャナ。さっき、さっき、言ったじゃない。別れるときは笑顔なんでしょ、笑顔なんでしょ?このままじゃ皆泣きっぱなしになっちゃうじゃない。「こんな別れ方・・・ないよね?そうだよね?達也・・・」自然と涙があふれてくるティファニア。きっとまた分身か何かなんだよね?そうだよね?ティファニアが周りの何処を見ても達也はいない。そもそも彼は分身を出してはいないから。「嫌だよ達也・・・冗談だって言ってよ・・・嘘だって。ドッキリでしたって・・・意地悪しないで出てきてよ・・・」しかし彼が出てくる気配は一向にない。何故ならそこで凍っているから。『嬢ちゃん・・・相棒は間違いなくあそこで凍って・・・』「タツヤ・・・嫌だ・・・行かないで・・・私を外の世界にもっと連れて行ってよ!お願いだから、タツヤ!!」少女の血を吐くかのような悲痛な声が響く。その時、呆然と凍りついた兄を見ていた妹とその杖だけが見た。兄の白く凍り付いた右手が一瞬光った事。兄が持っていたもう一つの精霊石が輝きだし、徐々に光が大きくなっているのを。(続く)2011年は色々ありましたね。2012年も色々ありそうですね。