思えば紫電改に乗るのも久々のような気がする。操縦における勘が失われていないかと思っていたが操縦桿を握ると何となく操縦法を思い出して来るのだろう。人間の記憶もまだまだ捨てたものではないなと思いつつ火竜山脈に向かう俺たちである。天気も良好、まさにフライト日和で何よりだが、若干不満はある。「おはようタツヤ君!いやぁ~、このシデンカイで大空を翔ると思うと昨日は眠れなかったよ!」目の下に隈を付けて笑うコルベールの数少ない髪の毛は所々はねていた。俺の肩の上にはハピネスが大きな目をぱちくりさせながらコルベールを見ている。朝からハイテンションの中年男性である。隈はあるがその瞳はキラキラしている。『例によって土地勘がないお前に俺がありがたい道案内をしてやろう』こういう機械などを操縦するときなぜか役立つ喋る鞘がムカつく言い方で俺に言う。かなり上から目線でモノを言う無機物である。確かにこいつのおかげで俺は体脂肪率が明らかに低そうな身体にはなりましたよ?でもその因幡達也はワシが育てたみたいな態度はどうかと思いますよ。『しかし見送りがいねえな相棒。お前さんのお仲間は友情より睡眠欲を優先する奴らばかりのようだなぁ』「まだ日が昇る前だぜ?無機物のお前には縁がないだろうが有機生命体にとっては睡眠は大切なんだよ」『しかしメイドの嬢ちゃんすらいねえとは』まあ、確かに吸血鬼のエルザあたりはいても全く違和感がないと思うのだが、彼女とはビジネスライクな付き合いなので見送りまでは来ないんだろうと結論付けている。何せ戦って身柄を確保した関係だからそんなに信頼度は高くはない。「・・・いや、見送りはいるようだよ」コルベールが指差したその先には人間の見送りではなく、我が愛天馬のテンマちゃんがやって来ていた。テンマちゃんは俺に歩み寄ると鼻を鳴らしながら俺にすり寄ってきた。今回は彼女(確認するがテンマちゃんは雌である)を連れて行かないことにしている。紫電改から乗り換えるようにテンマちゃんに乗っていた俺だがまた乗り換えるような行為に彼女はお冠なのだろうか?しかしその瞳は自分に乗っていかない主に対する非難のそれではないようだ。「どうしたテンマちゃん。急に甘えてきて」俺はテンマちゃんを撫でながら聞いてみる。無論答えはあるはずもなく、ただ彼女は視線を俺に送っていた。「俺も不安だけど頑張るからさ、待っててよ」まあ俺ががんばるよりコルベールに是非とも頑張っていただきたいのだが。待っててくれと言ってもテンマちゃんはなお不安そうに俺を見つめている。そんな彼女の様子を見かねたのかコルベールが俺に言った。「どうやら同行したいようだな。タツヤ君」コルベールはそう言うが彼の態度は紫電改を自分が操縦してもいいかなぁといった風に俺を見ていた。ちょっと待て。貴方が操縦するなら最初から俺いらんだろう。だが喋る鞘を持っていかれたままというのも少し不安なのでどのみちついていくのだが。コルベールも喋る鞘のレクチャーがあれば彼は器用なので乗りこなして見せるだろう。確かに今の俺の翼的存在はテンマちゃんなんだが紫電改もそうなんだよね。紫電改の方がテンマちゃんより飛行速度は上なわけだし、テンマちゃんは生物である以上火竜山脈まで飛ぶのに小休止を幾度か挟まねばなるまい。コルベールは教師なのでのんびりもしていられまい。若干急がねばならないこの旅はテンマちゃんに結構な負担があると思うんだが?だがそんな俺の心遣いなど知るかと言いたげにテンマちゃんは俺の服の袖をグイグイ引っ張ってくる。この黒ペガサスは飛行型無機物に対抗心でも抱いているのだろうか?俺はじっとテンマちゃんの目を見つめた。今の俺には動物の意思が何となく分かる。これも両手のルーンの特殊能力の賜物である。その俺がテンマちゃんの澄んだ瞳から窺い知った訴えは多分こうだと思う。『タツヤが騎乗するのは私だけ』・・・そのことについて俺はどうコメントせいと言うのか?捉えようによっては非常に卑猥な意味になるんじゃないですかそれ?その場合訂正したいのだが、テンマちゃんに俺が乗った場合、それは騎乗ではなく・・・いやなんでもない。人馬一体という言葉はあるが本当に一体になる気は俺にはない。『相棒、連れて行ってやんなよ。いじらしくもこのお嬢はお前さんと大空を駆けたいと意思表示してんだぞ』「わかったよテンマちゃん。お前の健気なアピールに応えよう」俺はコルベールに目配せした。紫電改を操縦するのはコルベールだ。まあおそらくないとは思うが墜落しないように祈ろう。俺はそんなことを思いながら張り切るテンマちゃんに跨った。一応言っておくが乗馬的な意味で跨ったんだぞ?火竜山脈は昔は虎が出るとか竜が出るとか騒がれていた土地である。今は虎が人を襲ったりといった話は聞かれないのだが、それでも人間にとって危険な生物も多く存在している。身近なところではキュルケの使い魔であるサラマンダーがそうだ。フレイムは大人しいのだが中には気性の荒いタイプも存在し、時には人間を襲うこともあるという。・・・当然ながら火も吹き出す恐ろしい生物である。コルベール先生の持論は、火は破壊ではなく創造の源であるという。確かに人間の生活において火は欠かすことのできないものではある。だが火竜山脈に住まう生物たちが発する火は俺たちに危害を与えるものである。「火燐草は山脈の奥地、活火山付近に群生しているんだ。普通に行けば険しい山道を進むことになるのだがこの『ひこうき』のおかげで随分と楽なものになるな」「とはいえ紫電改は火山口付近に着陸は無理でしたね」万が一噴火して紫電改に被害があったらたまらない。この紫電改は『固定化』の魔法がかけられているとはいえ溶岩に耐えれるのか?一応俺の世界でも珍しいモノなのでそういうことで失いたくはないんだよね。「そうだな。やはり君のその黒天馬を同行させて正解だったようだ」コルベールがそういうとテンマちゃんは誇らしげにヒヒンと鳴いた。テンマちゃんなら確かに火山口付近でも全く問題なく飛行できるが・・・。「ところで先生」「なんだい?」「先ほどから俺たちの周りでうねっている奇妙な物体は何でしょう?」俺たちの周囲には赤いアメーバ状の何かが蠢いていた。見た感じは物凄くプルンとしていて触り心地は良さそうである。「ああ、それはレッドスライムだね。火竜山脈や火山付近に生息するわりとポピュラーな生物さ」「スライムですか」俺のイメージでのスライムは丸い目で微笑んでいるアレなのだがこれには目とかは全くない。水の精霊もスライム状といえばそうだったのだがこの目の前の生き物にはあれほどの高尚さは感じない。「餌として岩石や火などを捕食するんだ。敵を察知すると火を吐き出すが、攻撃の意思がないなら無害だ」身体が赤いのは体内で火を生成しているかららしい。このハルケギニアは改めてファンタジー世界なんだなぁと俺は思った。蠢くスライムを興味津々で見つめるハピネスをぼーっと眺めるのもいいのだが、さっさと要件を済ませないとな。「レッドスライムがいる以上易々とペガサスで火口付近に降り立つわけにはいかないな」コルベールの話では火口に降り立った途端にスライムの攻撃を受けないとも限らないらしい。火口付近にはスライムが更にいるらしく、なんか危ないらしい。徒歩で行けというのか?見るからに険しそうなんだが。火竜山脈で人が多く通る所は虎街道なのだが、ここは舗装も何もされてないただの山道である。おおよそ4回ぐらいは足をひねりそうな感じである。山登りは足と同時に腰にもくるらしいのだがコルベールは・・・あ、この人魔法使いでしたっけ。・・・あれ?そうなるとキツイの俺だけですか?「先生」「何だい?」「先生が戻るまで俺はここでレッドスライムと戯れるという選択肢はないんでしょうか?」「何を言っているのだねタツヤ君。今日の我々の目的はそれではないだろう」暗に待つことなどありえないと言っている。「戯れるのも良いが火を噴かれるのがオチだよ?」「テンマちゃんが使えない山登りなんて・・・」「さあ、火燐草を求めて歩こう」元気よく歩き出すコルベールの背中を見ながら俺はため息をついて歩き始めた。「ぴ?」ハピネスが俺の顔を覗き込んでいる。いきなり辛そうな顔を見せてしまい不安にさせてしまったのだろうか?中年男性と二人きりではない。俺にはこいつらがついているのだ。女の子に心配されちゃ男の名折れである。俺はハピネスの頬を突き、コルベールの後を追った。「ところで先生、火口付近に植物が生えるなんてその火燐草ってやつは相当生命力が高いんですね」「そうだね。火燐草は東方などでは薬の材料として一般的に利用されているとも聞く。交易品としても昔は注目されてよく採取されていたんだ。だが火燐草を採取するためにかつて人間はその地域に住む生物たちの暮らしを脅かしてしまった。そのため一時期は火山付近に住む生物に人間達が危害を加えられていたんだ。虎街道の人食い虎はその危害のうちの一つでしかないよ」「火燐草は火山口付近に生息する生物に守られてるんですね」「そうだね。今はそう採取されることもないから生物たちの警戒も薄れてはいるようだがね」「ところでそんな歴史を持つ火燐草に先生は何の用があるんですか?」その瞬間、コルベールの歩みが止まった。何だ何だ?何か竜っぽいのがいたのか!?コルベールは不気味な笑みを張り付けたままこちらを振り向いた。「君が知る必要はないのではないかな?」「そりゃないですよ先生。ここまでついて来たんだ、何のために採取活動を行うのか知る必要はありますよ」「・・・火燐草は君の指摘通り生命力の強い植物だ」「はあ」「東方では薬の材料として一般化されているらしいがこちらでもある薬の材料になるんだ」「・・・どんな薬ですか?」「育毛薬さ」正に我欲剥き出しの答えだった。その育毛薬をどこの箇所に使うかは見ればわかる。俺の様子から罵倒でもするかと思ったのか、急にコルベールは涙目で俺にすがりついて来た。「欲深いと言わないでくれ!私はまだ希望が残されているなら全力でその希望に縋り付きたいんだよ!?」「それこそ一人で行けやアンタ!?」「君だっていずれわかる!毎日鏡に映る自分の髪が少なくなっていくあの言い知れぬ恐怖と絶望感を!その姿を見て婦女子たち、あるいは生徒たちが私を憐みの視線で見ているのも知っている!」「だったら開き直って全部剃り上げればいいじゃないですか」「そう考えたこともあった。だがねタツヤ君。知ってのとおり私は独身だ」「そうですね」「私とて男だ。いつまでも研究と心中するわけにもいかん」「だから髪を生やし、身だしなみを整えて女性と交際したいと?」「ああ。確かに人は心だし、髪がなくともそれでもいいという婦女子も存在するだろう。だが!それは悲しいかな少数派なんだよ!」どれほど綺麗事を並べても現実は綺麗事のようにならない。優しい人が好きと言っても第一印象でその人の精神構造が分かるわけがない。よく面接などで『あんな短い時間で何が分かるのか』という文句を聞く。確かに俺もそう思うのだが、あれって半分以上第一印象の好みとかで決めてることもあると思う。髪の毛がないのは本来生きる上で何の不便もない。そのはずである。だが髪の毛がある人とない人の第一印象は何故かある人の方が良い傾向がある気がする。印象が良いとかを抜きにしても髪の毛がないというだけで人の視線は否が応でも頭部に行ってしまう。普通の定義を俺が言うわけにはいかないが、普通はある筈のものを持っていないとそこに注目されてしまうのだ。それを差別と言って嫌う人も存在するのだが、そこは仕方ないのかもしれない。俺だってこの世界のことを何も知らない時は妙な目で見られたのだから。コルベールはその目を無くす為に育毛薬の材料を採取しに来たのだ。自らの将来を考えた上の行為だろう。彼が子孫を残すつもりがなければそもそもこのような事はしなくていいのだ。未来のことを考えれば人はそれに向けて不安を取り除くために努力をせねばならない。コルベールは要は婚活のためにこの様な事をしているのだ。「この髪型では女性も私をくたびれたおっさんとしか思わないよ」自嘲気味にそう言うコルベール。ワルドたちが学院を襲撃した時の貴方はすごくカッコよかったんだが。「俺は何気に先生の被り物が好きだったんですが・・・そうですか、そういう悩みなら仕方ないですね」「女々しい欲望かもしれん。だが、身だしなみは必要さ」コルベールに異性が寄り付かないのは容姿のせいだけではないと俺は思うのだが面白そうなので黙っておこう。まあ、この世界のどこかに先生じゃないとダメって女性が存在すると俺は思う。元の世界で女子に忌避されつつあった俺にも無事彼女が出来てるのだ。コルベールのような人間性の高い人物ならば女性一人幸せにすることはできるだろう。「何だか妙な話になったね」「野郎同士の会話としては普通でしょう?女の子の話なんて」「・・・そうだな。ところでタツヤ君の方はどうなのかね?」「何がです?」「女性関係だよ。君を慕う女性は私の目から見ても少なくはないとは思うが?」この世界の女性の嗜好は俺の世界の女子と似て非なる。俺は木の股から生まれたわけでもないし自分に向けられる感情を分からないと言うほど鈍感でもない。他人の感情など敏感に反応するつもりなどない。元の世界では敵意の視線も向けられていた事もあった。そんなのをいちいち気にしていたらもたないではないか。俺のことが嫌いな奴とまで仲良くなる必要はない。この世界にだって嫌いな奴もいるしな。だが、気にしないと分からないは違う。自分に向けられる敵意が薄々分かるようにその逆の感情も分かるようになった。きっとこんな状況を一般的に男子は憎々しげな目線で見るんだろうな。「女性関係ですか」「ああ」「先生、俺には心に決めた女性がいます」世間の男子が羨む状況だろうと俺の心は決まっている。「俺を慕ってくれるのは嬉しいですが、俺はそれには応えれない」「そうか・・・いや済まない。妙な質問をしたようだ」「いやいいんですよ。学院長もハルケギニアで所帯持てとか勧めてきましたし」「やれやれ・・・君のような若者を見ているとどの様な女性と添遂げるのか下世話を焼きたくなるんだ」「その前にご自分をどうにかするべきでは?」「はっはっは、全くだな。しかしまあ、君の心に決めた女性とはどの様な人物なのかなぁ・・・」「決まってますよ先生。俺の彼女は世界一の女性です」「恥ずかしげもなく良く言うね君は」「俺が惚れた女性に恥ずべき所はないですよ」「此方が照れそうな事を・・・その女性は幸せなのだな」「さあ・・・どうでしょうね」俺は元の世界で待っている杏里を想って目を伏せた。訳の分からない世界に彼氏が放り込まれて彼女は幸せと言えるのだろうか?傍に入れないという点では俺は最低な彼氏なのかもな。「でも先生、確実に俺は幸せ者ですよ」「そうか。私もそう言える人に出遭いたいものだな・・・」毛生え薬の材料を探しに来たという何ともバカバカしい山登りで何で彼女自慢をしてるのか分からんが、コルベールの婚活の意欲は上昇したようである。そしてここまで魔物の襲撃はなく、俺たちは火口付近に到着した。現在は噴火の兆候は見られないがやはり熱気はある。そんな場所にそれはあった。「あれだよ、あの黒い草が火燐草だ」火燐草は葉の模様が鱗のようになっていた。手で触ってみると結構熱を持っていた。これが毛生え薬の材料になるのか・・・?まあともかくこれで目的は済んだんだ、さっさと採取して帰ろう!だがその時、テンマちゃんとハピネスが何かを威嚇するように唸り声をあげた。テンマちゃんはともかくハピネスの唸り声は『む~っ』という風に頬を膨らませながらあげていた為和んだ。だがその和みようも一瞬で吹き飛ぶ存在が火口から出現した。瞬間、辺りが異様に明るくなったように感じられた。今日は曇り空だったはずだが晴天のような明るさだった。コルベールが空を見て固まっている。すごく嫌な予感がした。耳元でハピネスが騒いでいる。心臓が警鐘を鳴らしていた。テンマちゃんが戦闘態勢をとる。何だ!?何が来たんだ!?「あ、あれは・・・!?」俺の視線の先には炎に包まれた何かが存在していた。コルベールが信じられないようなものを見るような表情で呟いた。「成程・・・火竜山脈の名は伊達ではないか・・・!」「先生!ありゃあ一体なんですか!?」「ファイアー・ドレイク。火竜の一種だ。研究者としては姿を見れたことに喜ぶべきだろうが・・・」炎の奥から姿を現したのは俺の世界のファンタジーなゲームでもたまにいるドラゴンの一種だった。・・・何で長く人前に姿を現してないはずの竜が僕らの前に姿を現したんだろう?俺は先ほどの幸せ者発言を撤回したい気分に襲われるのだった。(続く)