涙が溢れ出ていた。ずっと求めていた感覚だった。声をあげるわけでもなく悲しみで流す訳でもなくただ、涙が溢れているのだ。人間としての感情が戻った気がしてならない。ジョゼフが流す涙は正に人間である事の証明に対する歓喜の涙であった。「長い迷宮からやっと抜け出れた気分だ」穏やかに静かに呟くジョゼフの顔から達也は手を離す。ジョゼフの娘であるイザベラが見た父の顔は、涙で濡れたものであった。情けないとは思えない。何故なら父の顔つきは明らかに変わっていたのだ。やる気の失せたような表情はなく、何か吹っ切れたような表情だった。濁りきったような目だったのが今は光が灯っているように見えた。ジョゼフはゆっくりと立ち上がる。涙の後を拭こうともせずに陽光の下、彼は威風堂々としていた。彼は立っているだけであった。立っているだけだったのに、アンリエッタやイザベラ、タバサなどは息を呑んだ。誰だ・・・アレは一体誰だ・・・?タバサとアンリエッタは離れた所に立つジョゼフに対して動けなかった。『格』が圧倒的に違うと感じられた。「ロマリア軍及びトリステインの有志の諸君」ジョゼフは静かに口を開いた。その声は戦場に澄み渡るものに感じられた。「いよいよ最終局面だ。諸君が俺を討てば諸君の望みの一端は叶う」穏やかな表情のジョゼフは堂々と言い放った。「だが・・・そう簡単にガリアはやれんなァ・・・」今まで自国について言及しなかった男が始めて母国を思う発言をした事に一同は驚いた。この辺で初めて一同はジョゼフの様子が先程までとは明らかに違う事に気付いた。何か強大な存在を相手取っている事に気づいた者のなかには足が震えて歯を鳴らしている者もいた。「正直甘く見すぎていたのかもしれないな、僕たちは」仮面を外したナルシスト仮面ことギーシュの横でジュリオは呟く。今正に死に掛けている教皇ヴィットーリオは自分だけに『ジョゼフを救い、死なせてやる』と言っていた。だが、どうだ?救った結果があれである。あの佇まいは正に王の風格。ガリアを強国にしたと言われて何の不思議もない王の姿ではないか。その眼光は国の脅威となる自分達を鋭く射抜き、眩く光っている。「どうする?相手はたった一人だが・・・無事でいられる気がしないよ」ギーシュの問いはジュリオも考えていた事である。現に今のジョゼフは普通ではなく、悪の大王と言うより生ける英雄と言われても可笑しくない顔つきであった。「けど・・・タダで帰してくれそうもないけどね」「まあ、此処までガリアに攻めた僕らをあっさり帰しそうにないよね。あの王様は」「正しくは今のガリア王はだろう?」「全く、何処が無能王だよ。誰だよ彼をそんな風に言ったの。バリバリの愛国者っぽいじゃないか」ジュリオは誰に言うまでもなくイラついたように言う。ギーシュはそれを横目で見ながら騎士たちに言う。「皆、気をつけろ!先程の相手は幻想と思え!僕らの相手は間違いなく時代の英雄の一人だ!」父を英雄と言う敵軍を前に当の父は穏やかな、それでいて力強い表情を保っていた。・・・自分は如何するべきなのであろうか?イザベラの目的は父を止める事であった。だが、今の父を止める自信はなかった。一緒に戦う事も出来るが自分では足手まといにしかならないのだろう。今の父に手を貸すことを父は望んでいないとイザベラは確信していた。父は変われたのかもしれない。変わったのかもしれない。父は最期に無能王としてではなく英雄と敵に認められて蹂躙されてしまうのか?どちらにせよ父は此処で、死ぬ気だ。「イザベラ」「へ?あ、はい!?」「下がっていろ」有無を言わさぬように父は自分に言う。父は後ろの元素の兄弟たちに目をやると自分を頼むとばかりに微笑んだ。「殿下・・・」「父上・・・お父様・・・」「見ない方が良いと思うからな」今まで見た覚えのないほどの優しい笑顔で父はそう言った。その反面、イザベラの表情は悲しみが溢れる事になってしまったのだが。「お父様・・・お父様・・・!!」涙を流すイザベラを連れて行こうとするジャック達。その手は虚空を彷徨う。ジャックも表情を歪ませてイザベラを連れて行こうとしている。ジャネットは俯いているし、ドゥドゥーは非常に何か言いたそうにしていた。「我が娘よ、お前は俺のようにはなるなよ・・・」「お父様・・・」そう言うと、父王は自分から視線を外した。そして杖を掲げ、ロマリア軍の方向へ向けた。「来るがいい、正義を掲げる若人達よ。その正義もろともガリア王であるこの俺が打ち砕いてやろう」あからさまな敵意がロマリア軍の若者たちにぶつけられる。これが・・・こんなのが無能王と呼ばれてたまるか!!だが、戦慄を覚えるロマリアとトリステインの若者たちの中、全く恐れていない少女がいた。それはルイズか?違う。彼女は戦いに参加していたからジョゼフの変わりぶりに混乱している。全く恐れていない少女とはそもそもジョゼフを知らない真琴である。テンマちゃんに乗った真琴は騎士達の後方から、不思議そうに辺りを見回していた。その幼い彼女を守るようにシエスタとティファニアがいた。「な、何だか、皆さんの様子が変ですね・・・怯えてると言うか躊躇しているというか・・・」「う、うん・・・。さっきまでの元気が嘘みたい・・・」戦いに慣れていないシエスタとティファニアは、戦場の張り詰めた空気に不安感を覚えていた。だが、そもそも戦場とは無縁である真琴は、なんか皆元気ないなーという位にしか思ってなかった。ジョゼフの豹変による威圧感など彼女が感じる訳もなく、彼女は彼女なりにこの重い空気をどうかしたいと考えているようだ。周りの空気を明るいものにしたいという彼女の想いは別に間違ってはいない。戦いの場においていい雰囲気を作ることは大事な事である。まあ、真琴がそこまで考えている訳がないのだが。「ねぇ、オルちゃん先生」『何?真琴ちゃん』「みんなを元気にしたいんだけど・・・できるかな?」『そうねぇ。やってみてもいいんじゃない?』普通は止めるか何かするものだが、この喋る杖は基本的に持ち手である真琴の意志を尊重するようである。まあ、そもそも真琴の覚えている魔法は一つしかない上に危険も皆無なので任せているという事もあるのだが。見た目は怪我もしていないがどうも皆は元気がない。ならば自分の魔法で元気にしてあげよう!嗚呼、幼き善意とは何と尊いものであろうか?危機感を募らせている若人たちを鼓舞するべく、幼き少女は高らかに詠唱する。「テルミー・テルミー・テルテルミー・ズッコシ・バッコシ・イエスアイドゥ!つらいのつらいのとんでけー!」杖の先から緑の光が放たれる。輝きは申し訳ないが弱々しい。だが、その光は確かに届いていた。しかし、真琴は思っても見なかった。その光の先の人物は『普通に元気』であった。普通に元気な奴を更に元気にして如何する?『気力が一定値に達しました。武器名『村雨』特殊能力が解禁されます。エンカウント率の上昇が貴方に付与されました!』「いらんわ!!?」突然緑の光が俺に降り注いだかと思えばこの電波である。思わず声をあげて怒鳴ってしまった。『残念ながらこの能力は永久的に持続しちゃうのですが、逆に考えるんだ。困難を多く乗り越えたらその分人は強くなるんだと』その前に過労死の恐れがあるわ!『ちなみにエンカウント率とは敵とかじゃなくて『厄介事』のエンカウント率です。これもレアな剣を持つ弱そうな者のさだめじゃ・・・』俺は某立志伝の足利●氏か!?狙われるのか俺は!?此処に来て俺にプラスになるかどうか分からん特殊能力というか呪いが付与された訳なのだが・・・。だが、今正に厄介事は起こっている。「貴様もイザベラと共に行け小僧。今なら見逃そう。俺の涙に免じてな」どうやら勘違いさせたままのようだ。イザベラは出来ちゃったといっただけで誰も妊娠してるとは言ってない。俺が孫の顔云々言ったのも誤解を招いたのかもしれないが、あんなの長生きして欲しい人にいう言葉の常套句じゃないか。既にイザベラには俺がトリステインから来たナイスガイ(誇張アリ)という事は実は言ってる上で、イザベラの手伝いを改めて請け負ったのだ。だってガリア人だって嘘ついても俺に得はないし。別に俺はジョゼフを殺す気はまったくないし。国境を越えた関係というのは国境を越えた友情の事を言ったのに何で男と女ってだけでそう勘繰るんだ?全く早とちりが過ぎる親父だ。アンリエッタはわかってやってるようにしか思えない。先程の光は多分真琴か・・・?全く、見逃す言われて分かったというべきなのに、そんなつまらん姿を見せれないじゃないかよ。「折角の心遣い恐悦至極だがな、俺は逃げない。アンタの娘さんの涙に免じてな」「ならば、道を開けて貰おう。力ずくでな」ジョゼフはナイフを構え、『加速』した。ジョゼフは自分がやられた事を顧みて、この男をどうすれば打ち倒せるか考えた。この男は自分のように自由に加速しながら動けるという訳ではないらしい。あくまで一部分だけが猛烈な速さなだけと仮定すると攻略法はおのずと見つかる。『来たッ!』あの男の放ったと思われる剣の一撃がジョゼフに襲い掛かる。ジョゼフはとっさにナイフを投げ、なお加速した。視線の中でナイフが紙の様に斬られて行くのが見えた。ジョゼフはそのまま、左手で達也を殴りつけた。確かな手ごたえを感じた。ジョゼフの読みは当たっていた。達也は高速移動が出来る訳ではなくあくまで居合の範囲で高速攻撃ができるだけであった。正に一部分であれば速さを制する事ができる能力なのだが、高速移動し、それも手数で戦う相手には最初の攻撃さえ防げば無防備となりうるものでもあった。もう一度攻撃するにしても振り切った手などを戻す時間のラグがある。そのラグより早く攻撃できるジョゼフの攻撃は無論達也に攻撃が届く。その答えに行き着いたジョゼフは見事と言わざるを得ないが、その先に更に問題があるとは彼は知る由もなかった。何故なら手ごたえを掴んで振り切った拳の先には達也はいなかったのだから。「言われたとおり開けたぜ、クソ親父。だけどな!」腫れあがった顔が痛々しい達也は既に納刀していた。ジョゼフの後ろで。「アンタが進む道は死の道じゃない!娘と家族をやり直せ、ジョゼフ!!」振り向き様にジョゼフは顎を打ち抜かれた。ただの拳ではない。達也の手には輝く石・・・『風石』が握られていた。うん、石握って人殴るとか正に外道である。だが、単純にして強力である。そもそも刀による居合では服を破壊するだけ。銃や弓はそもそも持っていない。後は拳しかないのだが、何もなければただ痛い。どうせなら相手にはダメージを与えたい。そこで達也が『釣り上げ』で多量に入手した風石の出番である。お手ごろサイズの風石を握って殴るとか危険きわまりないのであるが、そこは『風の加護』の技能により風石の取り扱いによる危険をなくしていた。現在の達也の状態は全身が風属性の塊のような状態である。風ではないのであしからず。だが無論ジョゼフは知る由もない達也の技能『当身回り込み』は彼が風そのものを相手しているかのような錯覚を与えてしまった。・・・・・・殺す気がないのなら石を握ったまま殴るなと言いたいが、何せ達也はコイツによって命を狙われていたのでその鬱憤晴らしで石を持ったまま殴った。例え変わったとはいえ、その点については達也は根に持っていた。当たり前である。「ゴグッ・・・・ァ!!?」脳が揺さぶられる感覚がした。視界が大きくぶれて、平衡感覚を失う。だが・・・倒れない。倒れる訳にはいかない。簡単に倒れる訳にはいかない。俺の背にはガリアの運命がかかっているんだ・・・俺の背には・・・!!だから・・・倒れる訳には・・・「小僧・・・舐めるなよ・・・!!俺も一国の王!そう簡単に日常に戻る事などできん!!」倒れそうになる身体に鞭打ち、足を踏ん張る。此処で屈す訳にはいかない。「俺はガリアの王・・・!長年忘れた誇りを此処で取り戻した俺が此処で退くわけにはいかん・・・!!屈する訳にはいかん・・・!!」ジョゼフは杖を高速で回しながら詠唱した。達也はその場から急いで飛びのく。達也のいた場所に小爆発が起きた。「ほう・・・避けたか・・・だが逃がさんぞ小僧!!」ジョゼフは今までにない集中力で呪文を高速詠唱する。だが、彼は自らの戦う相手が一人ではない事を一瞬忘れていた。「ぐおっ!?」ジョゼフの背中で爆発が起こる。達也は目の前にいる。待て・・・爆発だと・・・?ジョゼフが痛む背中に顔を歪めつつその方向を見た。そこにはトリステインの担い手が杖を掲げて叫んでいた。「使い魔だけに戦わせる訳がないでしょう?ガリアの担い手さん?」「フ・・・フフフ・・・使い魔と主は一身同体・・・それも長らく忘れていた基本だったな・・・だが詠唱は既に完成はした!」接近していた達也に向かってジョゼフは杖を向けた。達也は目を見開いている。どうやら虚をつけたようだ。ふ・・・ざまあみろ。威力はそうはないが、この男一人屠る程度の事はできる。見ろ若人達よ。これが王の意地というものだ!!!だが、その意地は達也の背中から発された声によってかき消された。『相棒ッ!!俺を・・・俺を使えッ!!!』瞬間、ジョゼフは魔法を発動した。その刹那の時、達也は自らの背に背負ったデルフリンガー用の鞘を手に取った。爆発が起こる。だがその爆発はすぐにその鞘に吸収されてしまった。その光景を見たジョゼフはただ、静かに目を閉じた。そして歯を食いしばった。「だらっしゃアアアアアアアアア!!!!!」そして達也はそのままその鞘をジョゼフの股間のグレープフルーツに直撃させたのである。正に単純にして強力。顔を殴られると思っていたガリア王はこの強力な一撃に悲鳴も出さずにそのままゆっくりと大の字で倒れた。『・・・・・・っておい、いきなり俺を野郎の股間にダイブさせるとは何考えてんだテメエ』「黙れ無機物。凹んだ俺が馬鹿みたいじゃねぇか。生きてるならそう言え」「デルフの兄さん・・・生きてたんですね・・・」『もう剣じゃねえけどな。魔法を吸い込む鞘になっちまった』村雨もデルフが生きてた事を喜んでいる。俺は無機物同士の会話を聞きながらルイズ達の方を向いた。「私の助けがあったからこそね!末代まで称えなさいよ、タツヤ!」「完全に不意打ちで良くもそこまで言えるなお前。まあいいや、ルイズ、ありがとよ」俺に駆け寄り胸を張って大笑いするルイズは非常に得意げである。「待て・・・勝った気になるなよ・・・」声がして振り向くと、ジョゼフが立ち上がろうとしていた。俺はルイズを守るように立った。ジョゼフは大分足に来ている様子だった。「俺は倒れたままではいられん・・・俺は・・・俺の後ろにはガリアの運命が・・・!!」「おっさん」俺は執念深く立ち上がる誇り高き王に言った。「アンタの後ろにはガリアの『未来』が立ってるぜ」「・・・・・・イザベラ・・・?」満身創痍のジョゼフの背を支えるように立っていたのは彼の娘、イザベラだった。いや、イザベラだけではない。元素の兄弟たちもジョゼフの身体を支えていた。「お父様・・・貴方の娘で私は本当に良かった・・・。国を最も愛した王の娘として私は貴方の後を継ぎます。だから・・・だから・・・もう無理はしないでください・・・。死に急がないで下さい・・・私は貴方から学ばねばならないことはたくさんあるのですから・・・」「だから降伏しては・・・元も子も・・・」その時、ロマリアの本陣付近から、伝令の天馬が駆けて来た。天馬に跨る伝令兵の顔は蒼白だった。そして兵士は達也たちにも聞こえるように叫んだ。「も、申し上げます・・・!!聖下が・・・ヴィットーリオ教皇聖下が・・・お亡くなりになられました!!!」そう言うと伝令兵は大声で泣き始めた。聖堂騎士達は杖を落とす者、咽び泣く者ばかりだった。アンリエッタは信じられないと言ったように目を見開き、ジュリオはギーシュに支えられ震えていた。水精霊騎士達は脱力したように肩を落としていた。「・・・する必要もなくなったようだな」「そうみたいですね」「そんな・・・教皇聖下が・・・」ルイズも呆然としていた。「小僧」ジョゼフが俺に声を掛けた。「全て上手く行くことなんて滅多にないのが、分かったか?」「・・・・・・」俺は無言で動けぬジョゼフに近づき、緊急用のロープを取り出しジョゼフの足と手を縛った。「・・・?何をしているんだ?教皇はもう・・・」「ああ、話を聞く限り教皇さんは亡くなったんだろうな。だがな、おっさん、イザベラ。俺はどこ所属でしょう?」「・・・ま、まさか貴方・・・」「そうだ!ロマリアの総大将は負けたが、トリステイン総大将は生きている!!つまり!おーい!皆ァ!ガリアの総大将を捕縛したぞー!!この戦い、トリステインの大勝利だー!!」「「「「「「な、何ィーーーーーーー!!!???」」」」」」ロマリアとガリアの大戦争は何故かトリステイン勝利というちょっと何を言っているのか分からない結末で終結することになるのである。なお、ロマリア軍を率いていた若き教皇の死に顔は苦しみではなく、穏やかなものであったという。達也は一人戦場に残っていた。フィオとの再会と死別と更なる再会、デルフのダウングレード、ジャンヌの執念、真琴が魔法少女、イザベラとの出会い、ジョゼフとの戦い、教皇の死・・・様々な事がこの戦場で起こった。思うことはたくさんある。「やめよう。感傷に浸るなんて事は」踵を返して俺はみんなの元に帰ろうと歩を進めたその時だった。何かが、足に当たった。「指輪・・・?」そこには指輪が転がっていた。結晶のような石がはめ込まれている。「なんだこれ?売ったら儲かるかな?」俺はその指輪を拾い上げてみた。すると何かやっぱり電波が流れてきた。『『アンドバリの指輪』:マジックアイテムだが武器にもなります。この指輪の結晶は水の精霊とほぼ同じ成分の結晶体です。本来の使い方は精神操作や死者を動かすなど。まあ、そういう使い方をするより指に嵌めて結晶体を相手の目に当てるとかの方が確実にヤれる。喧嘩は目を狙うべき』・・・あれ?何でこれがこんな所に転がってんの?(続く)