<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

ゼロ魔SS投稿掲示板


[広告]


No.17077の一覧
[0] ハルケギニア~俺と嫁と、時々息子(転生・国家改造・オリジナル歴史設定)[ペーパーマウンテン](2013/04/14 12:46)
[1] 第1話「勝ち組か負け組か」[ペーパーマウンテン](2010/10/06 17:40)
[2] 第2話「娘が欲しかったんです」[ペーパーマウンテン](2010/10/01 19:46)
[3] 第3話「政治は金だよ兄貴!」[ペーパーマウンテン](2010/10/01 19:55)
[4] 第4話「24時間働けますか!」[ペーパーマウンテン](2010/10/06 17:46)
[5] 第5話「あせっちゃいかん」[ペーパーマウンテン](2010/10/01 20:07)
[6] 第4・5話「外伝-宰相 スタンリー・スラックトン」[ペーパーマウンテン](2010/10/01 20:11)
[7] 第6話「子の心、親知らず」[ペーパーマウンテン](2010/10/01 20:15)
[8] 第7話「人生の墓場、再び」[ペーパーマウンテン](2010/10/01 20:18)
[9] 第8話「ブリミルの馬鹿野郎」[ペーパーマウンテン](2010/10/06 18:17)
[10] 第9話「馬鹿と天才は紙一重」[ペーパーマウンテン](2010/10/06 18:22)
[11] 第10話「育ての親の顔が見てみたい」[ペーパーマウンテン](2010/10/06 18:25)
[12] 第11話「蛙の子は蛙」[ペーパーマウンテン](2010/10/06 18:31)
[13] 第12話「女の涙は反則だ」[ペーパーマウンテン](2010/10/06 18:36)
[14] 第13話「男か女か、それが問題だ」[ペーパーマウンテン](2010/10/06 18:42)
[15] 第14話「戦争と平和」[ペーパーマウンテン](2010/10/06 19:07)
[16] 第15話「正々堂々と、表玄関から入ります」[ペーパーマウンテン](2010/10/06 19:29)
[17] 第15.5話「外伝-悪い奴ら」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 19:07)
[18] 第16話「往く者を見送り、来たる者を迎える」[ペーパーマウンテン](2010/06/30 20:57)
[19] 第16.5話「外伝-老職人と最後の騎士」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:54)
[20] 第17話「御前会議は踊る」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:47)
[21] 第18話「老人と王弟」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:48)
[22] 第19話「漫遊記顛末録」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:50)
[23] 第20話「ホーキンスは大変なものを残していきました」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:50)
[24] 第21話「ある風見鶏の生き方」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:50)
[25] 第22話「神の国の外交官」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:50)
[26] 第23話「太陽王の後始末」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:51)
[27] 第24話「水の精霊の顔も三度まで」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:51)
[28] 第25話「酔って狂乱 醒めて後悔」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:52)
[29] 第26話「初恋は実らぬものというけれど」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:52)
[30] 第27話「交差する夕食会」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:53)
[31] 第28話「宴の後に」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:53)
[32] 第29話「正直者の枢機卿」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:53)
[33] 第30話「嫌われるわけだ」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:53)
[34] 第30・5話「外伝-ラグドリアンの湖畔から」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:54)
[35] 第31話「兄と弟」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:54)
[36] 第32話「加齢なる侯爵と伯爵」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:55)
[37] 第33話「旧い貴族の知恵」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:55)
[38] 第34話「烈風が去るとき」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:55)
[39] 第35話「風見鶏の面の皮」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:56)
[40] 第36話「お帰りくださいご主人様」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:56)
[41] 第37話「赤と紫」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:56)
[42] 第38話「義父と婿と嫌われ者」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:57)
[43] 第39話「不味い もう一杯」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:57)
[44] 第40話「二人の議長」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:57)
[45] 第41話「整理整頓の出来ない男」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:57)
[46] 第42話「空の防人」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:58)
[47] 第42.5話「外伝-ノルマンの王」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:58)
[48] 第43話「ヴィンドボナ交響曲 前編」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:58)
[49] 第44話「ヴィンドボナ交響曲 後編」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:58)
[50] 第45話「ウェストミンスター宮殿 6214」[ペーパーマウンテン](2010/10/09 18:07)
[51] 第46話「奇貨おくべし」[ペーパーマウンテン](2010/10/06 19:55)
[52] 第47話「ヘンリーも鳴かずば撃たれまい 前編」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:59)
[53] 第48話「ヘンリーも鳴かずば撃たれまい 後編」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:59)
[54] 第49話「結婚したまえ-君は後悔するだろう」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 18:59)
[55] 第50話「結婚しないでいたまえ-君は後悔するだろう」[ペーパーマウンテン](2010/08/06 19:03)
[56] 第51話「主役のいない物語」[ペーパーマウンテン](2010/10/09 17:54)
[57] 第52話「ヴィスポリ伯爵の日記」[ペーパーマウンテン](2010/08/19 16:44)
[58] 第53話「外務長官の頭痛の種」[ペーパーマウンテン](2010/08/19 16:39)
[59] 第54話「ブレーメン某重大事件-1」[ペーパーマウンテン](2010/08/28 07:12)
[60] 第55話「ブレーメン某重大事件-2」[ペーパーマウンテン](2010/09/10 22:21)
[61] 第56話「ブレーメン某重大事件-3」[ペーパーマウンテン](2010/09/10 22:24)
[62] 第57話「ブレーメン某重大事件-4」[ペーパーマウンテン](2010/10/09 17:58)
[63] 第58話「発覚」[ペーパーマウンテン](2010/10/16 07:29)
[64] 第58.5話「外伝-ペンは杖よりも強し、されど持ち手による」[ペーパーマウンテン](2010/10/19 12:54)
[65] 第59話「政変、政変、それは政変」[ペーパーマウンテン](2010/10/23 08:41)
[66] 第60話「百合の王冠を被るもの」[ペーパーマウンテン](2010/10/23 08:45)
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[17077] 第60話「百合の王冠を被るもの」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:55991eb3 前を表示する
Date: 2010/10/23 08:45
読書家であり錠前造りが趣味だった小太りのフランス王は人見知りの癖があり、王太子時代から人前に出ることを嫌った。それが理由の一つになったであろう事は想像に難くないが、彼はある宮廷儀礼を「時代にそぐわない」として中止させた。

『王の秘蹟』と呼ばれるそれは、王の「聖なる手」が触れることによって病や傷が癒えるという民間信仰に王が答えるものであった。医学的に病が癒えたのか、傷が治ったのかはこの場合関係ない。身分貴い人間を尊ぶという純朴な庶民の感情、王権は神から与えられたものという王権神授思想、そして神の恵みを信徒に仲介するというカトリックの秘蹟(サクラメント)等々、この宮廷儀式には中世以来の様々な伝統的宗教要素が含まれていた。確かにこの時代、啓蒙思想による合理主義的精神が広く受け入れ始められていた時代において(動機が個人的なものであれ)この宮中儀礼を「非合理的である」という判断を下した王は、その後に現れた反動的とされる王よりもよほど開明的であった。だが結果的にこの判断は、王と民衆が直接触れ合う数少ない機会を奪うことになる。政治的実績がなく、容貌も優れているとはいえない王から「神秘性」というヴェールを奪うことになったのだ。

空飛ぶ大陸、ドラゴンを始めとした幻獣、エルフにオークといった亜人、杖を振れば火・土・風・水を操ることが出来る魔法使いと言う、ファンタジーの要素をこれでもかと詰め込んだハルケギニア世界。この世界のある王国にも「王の秘蹟」を宮廷儀礼として行っている国が存在する。医療行為を司る水魔法という、治療行為を裏付けるものがある事以外は、異世界の王が行っていた秘蹟と目的とするものは殆ど変わらない。むしろ病や傷が目に見えて癒えることにより、民衆の王に対する信頼をより確実なものとしていた。

その王国はハルケギニア大陸西方、豊かな自然と美しい河に恵まれた国土を持つ通称「水の国」-始祖の子ルイ1世より代々水系統の王家が支配するトリステイン王国である。

*************************************

ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(百合の王冠を被るもの)

*************************************

傭兵でもまだ少しは身奇麗だろう-というのがド・セザール子爵に対する宮廷貴族の評価である。背丈はそれほど高いというわけはないが、遠目から見てもそこにいることがわかる見事な体躯。一切の無駄のない鋼のようなしなやか筋肉により、その動きには同じく一部の隙もない。三日と日を空けずに行われる訓練によって肌はよく日に焼けている上に、ここ最近何を思ったのか髭を生やし始めた。ただでさえそのごつい顔は、はっきり言ってかなり厳しい。というか怖い。風貌や身なり「だけ」は容姿端麗で優雅な貴族は山ほどいる王宮の警備警戒を担当する近衛隊にあって、この風貌。おまけに現在の魔法衛士隊隊長や自らの率いる部隊の前任者が「あれ」であるだけに、否が応でも彼は比較の対象となった。

尤も、当人はそんなことを全く気にしていなかった。訓練をすれば日に焼けるものであるし、鍛えれば体に肉はつく。それを嗤うほうこそ間違っているのである。そんな彼だからこそ、まだ20代の若さであるのにもかかわらずトリステイン魔法衛士隊の一つ、マンティコア隊を任されているのだ。

だが、今のド・セザール子爵からは、豪快さと繊細さを兼ね備えたいつもの余裕は全く感じられない。ただでさえ厳しい顔の表情はガーゴイルのように固まっており、その視線は正面を見据えて微動だにしない。マンティコアを乱暴に扱った新人隊士を怒鳴り散らしたかと思えば、突如頭を抱えて道の真ん中でうずくまるといった具合だ。王国南西部ラ・ヴァリエール領へのマリアンヌ王女の行幸が発表されて以来-より正確に言えば、その警備をマンティコア隊が担当することが決定されてから-もっと最近で言えばトリスタニアの王城を出発してからこちら、ずっとこの調子なのである。

いつもの峻厳な態度とはあまりにも違いすぎるド・セザールの様子に、新人隊士は目を丸くしながら古株の隊士達にその理由を訊ねた。先代のマンティコア隊隊長、伝説の騎士「烈風」の右腕として幾多の戦場を駆け抜けた隊長をあれほどまでに動揺させるものとは一体何なのか。まさか姫殿下に対して危害を加えるという情報でも?隊長の様子からそれぞれが想像をめぐらせたが、先輩隊士達はにやにや笑いながら、新米たちの質問に異口同音にこう答えるだけであった。

『何、簡単なことだよ。我らが隊長殿は、ラ・ヴァリエール公爵婦人の美しさに緊張しているのさ』

不真面目な、からかわれたとしか思えない回答を思い浮かべながらマンティコアにまたがる新人隊士の視線の先では、領民からの歓声を受けながら、ユニコーンに牽引されたマリアンヌ王女の馬車が、ラ・ヴァリエールの城へと吸い込まれていった。



王都トリスタニアの王宮は中央の大噴水を中心に宮殿全体に水路が張り巡らされている。そのため夏は大変に過ごしやすい。仕事もないのに貴族がたむろし、歴代の王の中にはラグドリアン湖畔への避暑ではなく、宮殿内でひと夏をすごす者もいたほどだ。萌え出る草木の芽吹きを感じることが出来る春や、色とりどりに紅葉した落ち葉が水流に沿って流れる秋もいい。だが、晩秋も深くなったギューフの月(11月)にもなると、これほど過ごしにくい宮殿もない。天然の冷房をかけ続けているようなものだ。寒くないわけがないのである。

そんな寒々しい王宮の中にあって、寒がりな水の国の主は普段着の下に何枚も下着を着込むことによって防寒対策を行っている。仮にも英雄王、寒さが苦手などと知られては沽券にかかわると、トリステイン国王フィリップ3世はそのプライドを微妙に間違った方向に使っていた。昔のように戦争でプライドを満足させるよりはよっぽどましなのは間違いないのだが。フィリップ3世は幾分か着膨れした体を動かし、執務室の柱にかかった時計を見上げながら呟いた。

「ピエール君。マリアンヌはもう到着したかな?」
「予定では夕刻ということでしたので既に到着なさっている頃ですが・・・ところで陛下。手が止まっておられます」
「・・・どうだねピエール君。君、国王の気分を味わいたくはないかね?なーに、サインするだけの簡単な仕事だ。君のご先祖は王家の庶子だから資格はあるはずだぞ。だからこの書類に私の代わりにサインを・・・冗談だ、冗談。だからそんな怖い顔をするな」

その割には目が本気でしたよと、ピエール・ジャン・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール公爵はモノクルの奥から冷たい視線を送る。フィリップ3世は態とらしく咳き込みながら、最後の書類にサインをし終えた。

フランスの皇帝は人間3時間の睡眠で大丈夫だと嘯いたと言うが、グルジア出身の赤い独裁者は実際に毎日3時間睡眠で働いたと言う(片っ端から粛清しまくったのが大きな原因なのだが)。官僚機構の整備されたガリアやアルビオンとは違い、トリステインでは国王が直接決裁する書類が比較にならないほど多い。権限が強いと言うことは、それだけ日常の業務も多いということだ。エスターシュ大公政権時代に地方制度改革と同時に内務省や財務庁を中心に官僚機構の整備が進められたとはいえ、諸侯領の関係もあり未だ十分とはいえない。そして領地の紛争や諸侯軍の再編など、国王大権に関わる問題に関しては官僚や大臣任せというわけにもいかず、事務作業は大の苦手であるフィリップ3世も眼鏡(老眼鏡であることは断固として認めない)片手に書類に向き合わざるをえないというわけだ。

インク壺に蓋をしてペン先を拭うと、フィリップ3世は書類を持ち上げてインクの渇きを確認する。ずれた眼鏡を直しながら書類をチェックする様は、商会の小うるさい番頭に見えなくもない。だが眼鏡を外すとその雰囲気はがらりと変わる。端整ではあるが、犯しがたい威厳を感じさせるその顔立ちは、さながら神の姿を想像して彫られた彫像を思い起こさせる。若い頃の気性の激しさは鳴りを潜めたとはいえ、未だ健在だ。ハルケギニア中の王を探してみても、これ程までに王座が似合う人間は他にはいないのではないか。見事な金髪を短く刈りそろえたフィリップは、書類に嫌々ながらチェックを入れていた時とは違う、力のこもった視線をピエールに向けて、口を開いた。

「・・・慣れてはいけないが、慣れなければならない。あの娘はそれに慣れようとしている」
「マリアンヌ様で御座いますか?」
「戦場には敵と味方という二つの人間しかいない。その区別は容易には覆らないものだ。明確に敵味方が分かれているからこそ、余は思う存分杖を振るうことが出来た」

「だが宮中は違う」という王の言葉に、ピエールは頷く。

「王宮には様々な人間が権力に惹かれて集まってくる。胸元に刃物を隠しながら近寄ってくる暗殺者もいれば、言葉に杖をふくませる者も、勝ち馬に乗ろうと右往左往する日和見主義者もいる。そしてそうした人間のほうが、残念ながら多いのが現実だ」
「その通りかと」

ピエールの脳裏に、骸骨に皮が張り付いたような高等法院長の顔が浮かんだ。あの不愉快な老人の名前を挙げるまでもなく、良くも悪くも直情な性格の持ち主である王は自身の失政や政治危機によって何度も王座から追われそうになった。普通の王なら当の昔に王冠を奪われていてもおかしくないのだが、そこは「英雄王」。神が味方したとしか思えない幸運と、その英雄たる性格を愛した幾多の民衆、そして少なくない貴族の杖の忠誠によって今も尚、英雄王の名をハルケギニアに輝かせている。

「敵が味方になり、味方が敵になる。余はその当り前のことをエスターシュから教わった」

笑えない昔話を語る時、不思議と人間の顔は笑っているように見える。その殆どは苦笑いか、もしくは顔の筋肉が自然と引きつったためなのだが。そしてフィリップ3世は笑いながら、自分から王冠を奪い取ろうとしたエスターシュの名前を口にした。

「ピエール君、君もその一人だろう。だからあの男を領内に匿っている。違うか?」
「・・・ご想像にお任せします」

エスターシュ公との因縁を思い出し、ピエールはうつむきがちに視線を下げた。エスターシュ大公は現在公爵家領内のラ・フォンティーヌで隠遁生活を送っている。エスターシュの名前を聞いて平静でいられるほど、ピエールは過去から自由ではない。バッカスやカリンの取り成しがなければ、当の昔にあの男の首は自分が刎ねていた。その経緯を話すわけにも行かず、苦し紛れに返したピエールの返答に「それだよピエール君!私が言いたいのは」と、フィリップ3世はわが意を得たりと膝を打った。

「和して同ぜず、同じて和せず-東方の諺だそうだ。自分が何者であるかを忘れてはいけないが、一匹狼では組織は動かせない。組織を動かすために組織人であろうとするなら、自分をいくらか曲げなければならない-そして組織人になると、多くの人間は自分が何者であったのかを忘れてしまう」
「それが慣れてはいけないが、慣れなければならないと言う言葉の意味でございますか」
「そうだ・・・だが今のは君達貴族の論理だ。杖の忠誠を誓う側のな。杖を握り、それを振るうべき王の場合、慣れるという言葉は違った意味を持つ」

英雄王と呼ばれる王は言葉を切って咳払いをした。暖炉にこそ火はともされていないが、息が白くなるほどの寒さではない。英雄は戦場で散った幾多の兵のためにも英雄であり続けなければならない。文字通りその双肩に国の命運を背負う英雄王の目は、驚くほど優しく、どこか物憂げな雰囲気すら宿している。

「王族に生まれたから王になるのではない。王は王であり、王であり続けなければならない宿命の星の下に生まれた人間だ。そして自分と祖国の運命に立ち向かい、その全てを受け入れることが出来たものだけが王になることが出来る。結果は問題ではない。たとえ失敗したところで、名が残れば上出来だ。彼は-」

フィリップ3世は顔を手で撫で、表情を消した。笑えない昔話を、笑いながら話せるようになるまでには、ある程度の冷却時間が必要である。さすがに現在進行形で娘の名を陥めている人物の名を口にする際には心中穏やかで入られない。何せ彼の行動によって、マリアンヌ王女は「許されぬ恋を妨げる名門の姫」という汚名を被されることになったのだ。善人ばかりで物語は作れず、意地の悪い敵役がいなければストーリーは盛り上がらない。

「-クリスチャンはそこから逃げた。自分の運命と責任から」
「・・・・・・」
「それも一つの選択だろう。何かを成し遂げるには人生はあまりにも短いが、後悔しながら過ごすのには人生はあまりにも長い。そしてマリアンヌは・・・あれは今、自分の運命が何かを探すことに必死で、自分が何者かを見失いかけている」

報道によってリッシュモン外務卿らが進めていた同君連合構想を始めて知らされたマリアンヌ王女は激怒した。白い肌を真っ赤にしながら、これから外務省に赴いてリッシュモンを殴り飛ばしてやるとでも言い出しかねない王女の剣幕に、ピエールやラ・ポルト侍従は思わずそこに英雄王がいるのではないかと疑ったほどである。とにかくそれ以来、マリアンヌはそれまでにもまして熱心に公務や政務に取り組むようになった。それ自体は好ましい傾向なのだが、全てをご自身一人で抱え込まれるように見受けられる。どうやらリッシュモン外務卿の一件で、エスターシュ大公以来の貴族に対する不信感が一挙に爆発したようなのだ。

今回のラ・ヴァリエール行幸と地方における秘蹟の挙行はマリアンヌ自身の発案によるものだ。王女はトリスタニアでのみ行っていた秘蹟を地方でも行い、民衆と積極的に接することによって風評や噂を打ち消そうと考えたらしい。宮中貴族は奇しくも今回の一件で次期王位継承者であることが確定したマリアンヌのイメージ回復もかねてそれに賛成したが、フィリップ3世はまずラ・ヴァリエール領で実施することを条件に秘蹟の許可を与えた。

「余の娘だからな。黒か白か、敵か見方かをはっきりさせたがるのは若い-」

フィリップ3世は急に自嘲するような笑みを浮かべた。鏡なくして自分の姿は見えない。自分の心が歳を重ねたことに気がつくのは、いつでも他人を自分の過去と比較する時、ましてやそれが娘とあってはなおさらである。

「若い頃の私によく似ている。しかし宮中とはそんなにはっきりと色分けできるものではない。あれもわかっていないわけではないのだろうが、焦りでそれが見えなくなっているのだ・・・あれに今必要なのは、一人落ち着いて考える時間と、腹を割って話すことの出来る相手だ」
「しかし、カリ・・・私の妻では、その・・・」
「ピエール君。これは荒療治だよ。いかなる名馬でも気が荒ぶっていては駄馬にも劣る。空回りしているあれを、横からけり倒して目を覚まさせてほしいのだ。あの『娘』ならそれが出来るだろう?」

荒療治と言う言葉に、ピエールはモノクルのチェーンを揺らしながら「副作用が出なければいいが」と不安に駆られた。

「ところでピエール君。前置きが長くなったが、君を呼んだのは他でもない。実は-」



(トリステイン王国南西部ラ・ヴァリエール公爵領 ラ・ヴァリエール城内 公爵夫人の寝室)

「あらカリーヌ。遅かったわね」
「・・・とりあえずお聞きしたいことは山ほどございますが、ここは私目の寝室で間違いなかったでしょうか?」
「ここは貴方と魔法衛士隊長の愛の巣なのでしょう?貴女が間違うはずがないではありませんか」
「あ、愛の巣って・・・」

思わず地金が出そうになったラ・ヴァリエール公爵婦人-前マンティコア隊隊長にして伝説の姫騎士カリーヌ・デジレは、咳払いをして呼吸を整えると、あられもない格好でベットにうつぶせる王女に眉をひそめた。この家と言うには余りにも大きな城に来た当時は、何もかもに圧倒された(大体どうして夫婦の寝室が別なのか)。何時でも何処にでも金魚の糞のようについてくるメイドは鬱陶しいことこの上なかったし、天蓋付の豪華なベットは落ち着けず、今でも中々寝付けない。チクトンネ街のあの汚くて狭い寝床が懐かしい(何より寝室が同じだったし)。

ところがこの王女様ときたら、そこにいるのが当然のように身を投げ出している。いくら気に入らない寝床とはいえ、そこに他人が堂々と寝ていると言うのは腹が立つものだ。キャミソールの上に薄いシルクの寝巻きを羽織っただけというその格好は、男心を擽ってあまりある。なんというか昔から感じていたことだが、この王女様は気を許した相手にはとことん気を許す癖がある。自分はそちらの気はないはずなのだが-うつ伏せになりながら交差させた手の上に顔をちょこんと乗せている様は、なんだかこう・・・こねくり回したくなるぐらい可愛い。

「とにかく殿下、まずはその格好をおやめください。目のやり場に困ります」
「あぁ!貴女までそんな他人行儀な事を言うのカリーヌ?!おお、神よ!私にはくつろいで話す友人を持つことすら許されないのかしら!ああ、美しいって罪なのね・・・」
「・・・前言撤回。そこからどかんか、この胸に栄養取られた王女様」
「あら、カリン?羨ましいの・・・ほら、ほら」

ベットから身を起こしたマリアンヌは「何か」を寄せて上げる。すると彼女の手の中で小さなメロンが二つ、ポヨン・ポヨンと形を変えた。カリーヌの眉間に青筋が浮かび上がるが、その程度の牽制で引き下がる「烈風」ではない。

「そ、そんなもの、た、ただの脂肪の塊ですわ。おほほほ・・・」
「ほほほ。貴女もピエール殿に揉んでもらば大きくなるんじゃなくて?」

体の小さなカリーヌが戦場で名をはせることが出来たのは、戦場で一瞬の隙を突き、相手をねじ伏せてきたからだ。顔を引きつった笑い声を上げながらも、それを見逃すほど勘は鈍っていない。そしてわずかな優位に驕った王女の隙を突くことに、カリーヌは何のためらいもなかった。

「あ、な~るほど!お相手のいない姫殿下はお一人で大きくしておられるのですね!」

マリアンヌの手が止まり、笑顔が石像のように固まった。

「そんな性格だからクリスチャン王太子殿下にフラれるのですわ・・・お可哀相に」

空気が冷たく感じるのは、何も季節だけが原因ではない。冷たいというよりもむしろ完全に冷え切っていたが。

「おっほっほっほっほ」
「はっはっはっはっは」

・・・

「「やるかこの(アバズレ)(俎板)!!」」

見えないゴングが、ラ・ヴァリエールの城に鳴り響いた。



「・・・マルシャル公爵、で御座いますか?ルーヴォア財務卿ではなく」
「そう、マルシャル公だ。エギヨン宰相の後任にはあの童顔男を当てようと考えておる」

とっさにその名前を繰り返したピエールは、ことの重大性に顔の表情が固まっていくのを感じた。宰相のエギヨン侯爵が元老院での問責を背景にした辞任圧力に抗しきれず辞表を提出したことは仕事柄耳にしていたが、その後継候補に関して王から諮問を受けているのだ。これほど栄誉なこともないが、考えればこれほど危険なこともない。今回、領地への王女行幸という誉にもかかわらず、当主であるピエールがトリスタニアに留まったのもそれが理由である。

国内屈指の大貴族であり、王位継承権をもつ名門公爵家当主。おまけに王の傍に近侍するのが仕事である近衛兵の隊長。肩書きだけ見れば、どれほど嫌味な男なのかと、当事者であるピエール自身が思うのだ。ましてや他人はどう受け取るか。おまけに相手は火のないところに煙をたて、燃えるものがなければ放火してでも噂を立てるという、厄介極まりない『宮廷雀』という珍獣。あらぬ噂が立つことを心配する友人の忠告をピエールは受け入れた。宮廷の噂に意図的に無関心を貫いている彼も、宮廷内で自分を快く思わない人間が多いことは理解していた。自分一人が失脚するのは勝手だが、それは自分を信頼してこの地位に就けてくれた王の期待を裏切ることになる。信頼を失望で返すのは彼の流儀に反していた。

「宰相の後任人事に関して、宮廷内の空気や予想はどんなものかね」
「デュカス公(元老院議長)やボーフォール伯(国務尚書)の名前を挙げるものもいますが、大方は財務卿のルーヴォア侯で落ち着くだろうと言う意見です。少なくともマルシャル公の名は耳にしたことがありません」
「ピエール君。権力とはつまるところなんだと思う?」

首をひねるピエールに、フィリップ3世は「人事だよ」と短く答えた。

「君も小なりとはいえ組織の長であろうとするなら覚えておきたまえ。権力とは人事だ。権力とは人事であり、人事こそ権力の源である。エスターシュに勝てた余が、ゴビノーには何度も煮え湯を飲まされているのも、それが理由だ。高等法院長は王であろうとも大逆罪でもなければ首には出来んからな・・・だがこの人事と言うのは意外と難しい。入省年次や爵位、そして年齢という要因だけに配慮していては、人事権など無いに等しい。そこに意志がないのであれば、王はサインをするだけのガーゴイルと同じだ。権威も威光もあったものではない」

「戦と同じだよピエール君」とフィリップ3世は笑った。この王が天性の戦上手であることを否定するものはいない。戦を語る王は常に生き生きとしており、戦塵の中でこそ英雄王の知略は輝く。そして政治の本質を権力闘争とするなら、これほど政治向きの性格はない。何よりあのエスターシュですら、最後には「英雄」に敗北を認めたのだ。

「例えば君が一軍を率いる将軍だとしよう。戦場において士官学校で教えるような定石通りの行動だけで勝てると思うかね?」
「無理です。教本のまま軍を動かしていては、勝てる戦も勝てません」
「そういうことだよ。定石とはすなわち、相手も容易に予想出来るという事だ。定石を外れすぎても駄目だが、どこかで外さなければ相手の裏をかくことは出来ない。人事も同じだな」
「しかし陛下。それではマルシャル公とはあまりにも定石から外れすぎているのでは」

ピエールの不安も当然である。アンドレ・ヴジェーヌ・ド・マルシャル公爵の名は少なくとも宮廷内の下馬評には挙がってすらない。意外性という一点に限ってみれば、確かに見事な奇襲だろう。しかし奇襲にはそれだけ危険性も伴う。38歳の内務省行政管理局長はエギヨン侯爵の懐刀として内務省内でこそ知られていたが、政界全体で言えば無名に近い。何より

「マルシャル公はまだ38歳です。自分より年上の公をこう評するのは具合が悪いですが、失礼ながら若輩と言わざるを得ません」
「年齢を言うのであればエスターシュは21で宰相になったぞ?」
「あの時は経済危機から政変が噂されていました。いわば緊急登板です。大公や王族が宰相には就任しないと言う前例を破ったことが全く問題にされなかった当時と今では政治状況が異なります」
「そうだ。確かに状況は違う・・・今回は6200年よりも事態は深刻だ」

思いもがけない王の言葉にピエールは思わず息を呑んだ。6200年当時、フィリップ3世の親政下にあったトリステインは、長引く不況と王の経済失政により経済危機が深刻化。増税により外征の戦費を調達する王に対する国民の不満を背景に、高等法院による弾劾すらささやかれていた。このとき切り札として宰相に登板したのがエスターシュ大公であり「非常時」を旗頭に独裁的な権限を使って国家の建て直しに当たった。それに比べて現在はどうか。

「6200年は余自らが悪役だった。今はどうだ?目に見える悪役がいない。経済は順調だから庶民は政治への興味がなく、貴族が自分の勢力争いにうつつを抜かしていても、むしろそれを楽しんですらいる。真の危機とはそうした表面上の平穏の下に、順調に育まれていくものだ」

次世代の次世代-ポストマリアンヌ問題といわれても庶民はピンと来ないだろう。次はマリアンヌ様に決まっているではないか。その次?それはその時の話だ。何より貴族や高等法院ですら目の前の権力闘争に熱中しているのだ。民に危機感を持てといっても無理な話である。十数年後にその問題に直面した時、トリステイン全土を巻き込んだ御家騒動が勃発して、それに巻き込まれた時に始めて人々は気がつくのだ。

「マリアンヌの次もそうだが、今トリステインの抱えている問題は、どれもこれも一見すると地味なものだ。通貨論争、法院改革、軍と諸侯軍の再編・・・しかしどの問題も根が深く、対応を誤れば国を傾けるものばかり。地味だからこそ誰もそれらに興味がなく、国民も貴族も危機感が薄い。このままでは我が国はゆっくりと」

その先は言わずともわかる。巨木が朽ち果てて倒れるように、寿命を迎えた竜が竜族の墓場に身を横たえるように-例えは様々だが、意味する事はただ一つ。知れず掌に汗をかいている事に気がついた。柔らかい綿でゆっくりと首を絞めると、絞殺痕が残りにくいと聞く。ピエールは自分の首に綿の縄が掛けられたような錯覚を覚えた。

「人気取りの要素も無論ある。童顔の公爵では効果は薄いだろうが、それでも38と言う年齢だ。ある程度の淡い期待を持たせることが出来るだろう」
「理由はそれだけで御座いますか?」
「38-君にはまだ解らないだろうが、この年齢は意外と若くないのだ。そして意外と年寄りでもない。変化を嫌う年齢でもなく、無闇に変革を追い求める年齢でもない。そして完全に蛮勇がなくなる年齢でもない」
「・・・年齢が全てではないのではありませんか?若者が必ずしも馬鹿であり、老人が賢者ではないと愚考します」

「それはその通りだ」とフィリップ3世は言う。同じ月日を重ねてきても、無為に馬齢を重ねるか、自らを高めるために費やしてきたかで明暗は分かれる。おそらくマルシャル公は後者なのだろう。

「無論、マルシャル公だけでは頼りない。彼はエギヨン侯のような経験も、エスターシュのような野心にも欠けているからな・・・誰がいい?」
「・・・ルーヴォア侯は如何でしょう」

意図する所を察してすぐさま答えを導き出したピエールに、フィリップ3世は愛弟子の成長を喜ぶ師のようにその目を細めた。なるほど、ルーヴォア侯爵なら経歴といい家柄といい、また年齢的にもマルシャル公の後ろ盾として遜色はない。何より次期宰相候補が閣僚として支えるのであれば、これ異常ない政権の重石となるだろう。問題は本人が受け入れるかどうかだが、その点に関してはフィリップ3世もピエールも心配していなかった。

「確かに、あの頑固な老人ならよもや嫌とは言うまい。貴族であることに絶対の自負を持つ御仁だからな。財務協に留任させるもよし、外務卿に横滑りさせるという手もある。財務卿は次官の昇格させ-」
「陛下。リッシュモン伯爵の辞任はお認めになられるのですか?」
「・・・君は相変わらず嫌なところをつく男だ」
「出すぎた真似を、お許しください」

頭を下げる公爵に、フィリップ3世は苦笑しながら手を振った。全く、ここが杖の強弱だけが通用する戦場でないのが実に惜しまれる。同じ杖の論理であっても、宮廷のそれは戦場の強者が容易に敗者となる摩訶不思議な戦場。だがこれほどの騎士を側におけることが心強いことに変わりはない。

「いや、褒めているのだよ。魔法衛士隊隊長たるものが単なる匹夫の雄では格好がつかん。さて、君の質問に答えなければいかんな。エギヨン侯はともかく、リッシュモン伯は交渉の責任者だ。伯には悪いが、彼だけは先に辞めてもらうことになるだろう-つまり更迭ということだ。エスターシュ相手ならともかく、ラグドリアン講和会議の功労者にこのような仕打ちをするのは本位ではないが、誰かが責任を取らねば貴族どももおさまらないだろう・・・しかしピエール君。君も中々、政治と言うものがわかってきたじゃないか」

「これもエスターシュの薫陶の賜物かね?」とからかう様に尋ねる王に、軍人として国家の杖であることを誇りに思い、政界への転身は断固として拒否し続ける名門公爵家の当主は、元の政敵の名前にモノクルのチェーンを揺らして不快感をあらわにする。そんな堅物な魔法衛士隊長の性根をほぐすように、フィリップ3世は笑いかけながら話しかけた。

「拗ねるな、拗ねるな。まったく、カリン君が君を可愛いと言ったわけがわかったような気がするよ」
「・・・か、可愛い?!わ、私がですか?!」
「そう、カリン君が言っていたよ。なんでもピエール君、君は酔うとベットの上で・・・」
「へ、へ、陛下!!」
「冗談だ、冗談。はっはっは!」

英雄王は三度、肩を揺らして高らかに笑った。



「32勝33敗2引き分け」か「33勝33敗1引き分け」で争った後、マリアンヌとカリーヌはぐったりとしてベットに仰向けになった。とてもではないが20を過ぎた一国の王女と公爵夫人の喧嘩には見えない。宮廷内の喧嘩とは大抵、陰湿・陰気・陰鬱の三拍子揃うのが定番だが、この二人のそれは、むしろ子犬がじゃれているような雰囲気があった。どちらにしろ、いい歳して大人気ないことを全力でやっていたのは間違いないのだが。

栗毛色とピンクブロンドの髪が互いの額や首筋に汗で張り付いている様は、酷く扇情的である。共に寝間着であるだけに、何か妙な行為を行った後に見えなくもない。

「・・・随分と、力が入っていたわね。前線の水メイジでもあそこまではしないものよ」
「訓練と実際の治療行為は違うから。やっぱり一人ひとり患者を診るのは、疲れるものね」

治癒魔法(ヒーリング)はただ唱えるだけでは駄目だ。軽い外的損傷に見えて化膿している時もあれば、単なる腹痛かと思えば臓器の腫瘍である場合もある。そのため問診は必ず必要である。水を霧吹きでまくか、コップをそのままひっくり返すかの違いだと言えばいいのだろうか。どちらが目の前のクランケに効果的なのかわからなければ、精神力を無駄に使うことになる。そもそも秘蹟を希望する患者は事前に問診を受け、治癒する見込みのない志望者は事前に弾かれるのが通例である。王が治癒魔法を唱えて治癒しなかったとなれば、これ異常ないほどその威信を傷つけることになるからだ。

問診によりある程度の診断がなされているとはいえ、ヒーリングに精神力が必要なのは同じこと。ましてや二日に分けて治療する予定だった患者23人を一挙に治療したとあればなおさらだ。誠意や熱意は伝わるものであり、始めてみる美しい王女殿下が、平民である自分達の病や傷を癒すために必死になってスペルを唱える姿に、ラ・ヴァリエールの領民の間で、マリアンヌの人気は天井知らずとなった。だが王女と少なからぬ付き合いのある元女官長は、その熱意の裏側にあるものを見抜いていた。

「憂さばらしのように魔法を唱えるのは感心しないわね」
「・・・貴女のそういう勘の鋭いところが嫌いよ」

マリアンヌは拗ねたように視線をそらしたが、それ以上の言い訳はしなかった。実際に疲れているのだろう。カリーヌが女官長兼魔法衛士隊長であった頃も、王宮内の空気はマリアンヌに対して好意的なものばかりではなかった。「フランソワ王太子殿下(マリアンヌの従兄。セダン会戦で戦死)が存命であれば」という言葉が飛び交い、一挙手一投足が比較の対象になった。あれから2年になるが、宮廷内の空気とは簡単に変化するものではない。そんな場所で四六時中神経を張り詰めているのだ。通常の神経の持ち主であればとっくに倒れていてもおかしくない。よい意味での鈍感さの持ち主であるマリアンヌだから耐えることが出来るのだ。公爵夫人という肩書きですら荷が重い自分には想像も出来ない重圧とプレッシャーである。

組んだ腕に顔を伏せると、マリアンヌは詩の一説のようなものに節をつけて歌い始める。カリーヌは知らなかったが、それはチクトンネ街で流行している小唄であった。

「おぉ白百合は何処へゆく。英雄王は永遠ならず、お姫様は何も知らず。知らないままに振られてしまい、お姫様は一人ぼっち。哀れ白百合。われらの白百合。ああ白百合よ、お前はどこへゆく-」
「マリアンヌ、貴女、まさかまた昔の悪い癖が・・・」
「ふふふ、もう街歩きはしていないわ。だって私の仕立てた服を着てくれる騎士様はもういないから。それに時間もないしね」

あの頃は楽しかったと振り返ることは、目の前の出来事から目を背ける最も楽な手段だ。たとえ当時はどんなに辛い経験だったとしても、過ぎてしまえば楽しい記憶になることも多い。それが若さと心の赴くままに任せた行動であればなおさらだ。

トリステイン王家の紋章である白百合は古くから繁栄の象徴であるのと同時に純潔の象徴である。百合の球根は病気に弱く、湿気や寒暖の変化にも敏感であり、とにかく育てにくい。しかしその花は気高く美しい。薔薇のような華やかさはないが、それを補って余りあるものがある。それゆえ百合の花は古くから人々を魅了してきた。

マリアンヌ・ド・トリステインという人間を側で見続けてきた人間の一人として、彼女はまさに白百合を象徴したような人物であるとカリーヌは思う。英雄王から威厳とカリスマを、亡きクロード王妃からはその聡明さを受け継いだ彼女は、難しい球根の時期を経て、気高き花を咲かせようと今も成長を続けている。しかし王宮と言う土壌で陰湿な言葉をぶつけられ続けては、マリアンヌでなくとも嫌になってしまうだろう。「わかっているつもり、わかっていたつもりなのよ」とマリアンヌは顔を伏せたまま、くぐもった声で呟いた。栗毛色の髪に隠されて、その表情や感情は伺うことは出来ない。

「2年前、セダンの地でフランソワ兄さん(マリアンヌの従兄)が死んだと聞かされた時、私はまず何を考えたと思う?『私の番が廻ってきたんだ』-それだけよ。多くの兵士が死んだことよりも、多くの顔見知りの人間と永遠に再開できなくなったというのに・・・白状だと思わない?」

カリーヌは口の中一杯に苦いものがこみ上げてくるのを感じた。実際に杖を持って戦った一人として、彼女を責めることは簡単だ。しかしその資格は自分にはない。2年前のその日、セダンの地で今の彼女以上に醜悪な感情に支配されていた自分には。

2年前のその日。カリーヌはセダンの地にいた。精鋭マンティコア隊を率い、祖国の大地を踏みにじったガリア兵を駆逐しようとした。しかし、そこで自分が出来たことは、敵を倒すことでも、見方を援護することでもなく、ただ自分の身を守ることだけ。そして自分は知った。一騎の活躍によって戦況を覆すことの出来た自体は終わり、純粋な兵力とそれを支える国力=経済力が戦争を決める時代が来たのだ。

いずれ自分の時代が、騎士の時代が終わりが来るであろうことは考えていた。しかし現実のものとしてそれを突きつけられた衝撃は、想像以上だった。烈風と呼ばれた自分が、多数の鉄砲を抱えた数え切れない平民兵の前に、自分の身を守ることで精一杯という現実。そして、同じ釜の飯を食べてきた同僚や多くの兵士が戦死したことよりも、自分の力が戦場で役に立たないことを突きつけられた衝撃が大きかったことに気がついた時、カリーヌは自分自身に対する嫌悪感を隠せなかった。気高く、真の勇気と知恵の象徴であろうとしていたはずの自分は、自分は-

生き残ったことに、再びピエールと生きて会うことが出来ることに、安堵していたのだ。

「・・・責めないのね。てっきり罵られるものだとばかり考えていたわ」
「糾弾してもらうことで自分の汚さが少しでも拭われると思ったら大間違いよ。自分の汚さを認めることが出来るのも、それを拭うことができるのも、自分だけ。私は貴女と共に歩くことは出来るけど、貴女の代わりに歩くことは出来ない」
「・・・やっぱり貴女は強いわね、カリーヌ」

「だから貴女は嫌いなのよ」と伏せていた顔をこちらに向けながら語るマリアンヌは、小唄に歌われるような何も知らないお姫様ではない。確かに知らないことは山ほどあるだろう。しかしマリアンヌは自分が無知であることを知っている。そして何より、自分自身の頭で考え、自分の足で歩こうとする意思がある。今の彼女は慣れない環境と、初めて下世話で無責任な流言飛語の対象になったことに驚き、立ちすくんでいるだけだ。自分の足で歩くことを諦めたわけではない。

-嫌いとは随分な言い草ね

カリーヌは苦笑を隠せなかった。この王女様は自分の強さが嫌いといったが、カリーヌはマリアンヌの気高き意思が嫌いだ。共に自分にはないものを持つ相手への尊敬の裏返しとしての感情であるが。そして何処まで言っても自分は貴族であり、彼女は王族である。両者は共に杖を持つが、その杖の使い方は違う。だが、こうして自分は彼女と取っ組み合いの喧嘩ができる。喧嘩は互いに通じる言葉で、同じ視線でなければ起こらない。

自分達は結局、似たもの同士と言うことなのだろう。だからこうして話すことが出来るし、喧嘩をすることが出来る。それはとても幸せなことなのだと最近ようやく気がついた。

「それで未来の女王様はどうするの?」
「・・・とりあえず寝るわ。今日は疲れたから」

マリアンヌの答えが遅れていたのは考えていたからではなく、疲労で頭がまわらなかったかららしい。23人もぶっ続けでヒーリングを使えば、専門の医者であっても倒れてしまう。その上、取っ組み合いの喧嘩までしたのだ。疲れていないわけがない。

「・・・愚痴っぽくなって、ごめんなさい」
「貴女は頭が良すぎるのよ。一人で悩んで考えて、結局こんがらがって身動きが取れなくなる。トリスタニアには吐いて捨てるほど貴族がいるんだから、それを使えばいいのよ。仕えるものは何でも使う。戦と政治の基本よ」
「それ、まさか・・・」
「そう、王女様の大好きなエスターシュ大公の言葉よ?」

美人は怒っても美しいという東方の諺があるそうだが、それは真実だ。何故ならエスターシュの名前に露骨に嫌そうな顔をするマリアンヌは、全く美しさを損なっていなかったのだから。

「あの男の名前は出さないで。頭・・・痛くなるから」
「私だってあの男は大嫌いだけど、真理は誰の口から出ても真理であることには変わらないわ。口先だけは達者だからね、あの若隠居は。それなら徹底的に利用してあげるべきよ。本人がそう言っているんだからね・・・それにあの娘達の世話もあるし・・・」
「あの娘達?」
「ん?何の事?」

目線が明らかに中を泳ぐカリーヌは、明からかに空とぼけていたが、襲い来る疲労と睡魔と戦うマリアンヌの頭はそれを気に留めることはなかった。

「・・・ありがとうね」
「礼なんかいらないわ。愚痴だけならいくらでも聞いてあげるわよ」

「でも明日は私の番だからね」と、カリーヌは悪戯っぽく片目を瞑る。しかしそのとき既にマリアンヌは規則正しい寝息を立て始めていた。その寝顔は、幼さを残しながらも、野に咲く一輪の花のような気高さが滲み出ている。この寝顔を今だけは独占できることを素直に喜びながら、今からこの王女様を寝室に運ぶ手間を考えると、カリーヌは苦笑を禁じえなかった。

「まったく・・・手の掛かる王女様なんだから」


前を表示する
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.03081488609314