(某財務卿のつぶやき)
まったく、とんでもないガキだ。末恐ろしい限りだな。わしが凄んでも、まるで気にする様子もなかったし・・・
(某王子のつぶやき)
いやー、シェルバーンのはげ・・・もとい、シェルバーンのおっさん、顔怖すぎるって。小便ちびるかと思った。
(某妃殿下のつっこみ)
ミリー。あの馬鹿のパンツの代え持ってきて・・・
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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(女の涙は反則だ)
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「あくど過ぎます」
「ひどいです」
「根性腐ってるわね」
「やりすぎです」
上から、スタンリー男爵、メイド長のミリー、嫁のキャサリン、シェルバーン財務卿
集中砲火を浴びているのは、無論ヘンリーである。シェルバーンやキャサリンはともかく・・・ミリーに涙目で抗議されるのは、マジでつらい。あれだ、小さい頃、女の子にちょっかいを出したら、泣き出してあせったときの感じだ。
***
アルベルトは泣きたくなった。ヘンリーのあくどい笑みが怖かったからではない。一体これから何を要求されるか、全く想像かつかなかったからだ。
ヘンリーの第一声は
「あの紡績機だが、現物を贈呈しよう。むろん設計図もつける」
「・・・は?」
アルベルトはまたもや商人にあるまじき間抜けな声を出した。無理もない。これまでの交渉は一体なんだったのか?商会の命運を懸けて交渉し、結果的に存続の危機に立たされたのに・・・おもわず泣き出しそうになった。
くれるんなら最初からくれよ!(言えないが)
しかし、いつまでもアホみたいに口をあけている場合ではない。アルベルトの商人としての本能が、いち早く紡績機を導入することで得られる利益を計算し始める。だが相手の目的がわからないのに、タボハゼのごとくホイホイ飛びついて喜ぶなと、これまた商人としての理性と経験が警告を発する。
案の定
「ただ、条件がいくつかあるがね」
「・・・条件が何百もあるんじゃないでしょうね」
「はっはっは。そんなことはないさ。ただ、ちょっと面倒だとは思うがね」
ヘンリーが大きく口を開けて笑う。
喉ちんこが見えた。指を突っ込んでやりたい
「情報というのは漏れるものだ。特に今回の様な、一見すると意味のないような仕事なら特にね」
人の口に戸は立てられぬ。ましてや、問題の重要性に気がつくものが限られている今回のような場合、一見意味のないように思える仕事に借り出される-とくに下の方の人間は、「絶対に情報を漏らすな」と命令されても(命令するほうも命令するほうで「なんでこんなガラクタに」と思っている)、指示が徹底される状況ではない。シュバルト商会の現地支店も、口外することを禁止されたはずのアルビオンの官僚からこの紡績機の情報を得たのだ。この紡績機械の重要性に気がついたデヴィトは、いくら褒めても褒めたりない。
しかし
(いったい情報の本質に俺が気づくまで、どれくらいの時間がかかったと・・・)
アルベルトは筋違いとはわかっているが、この王子にねたましい思いがわきあがってくることを抑えられなかった。
それはともかく-シュバルト商会ほどの情報網があったからこそ、先んじれたものの、いずれ他の商会が気づくのは、時間の問題だ。時間との競争である。機械が作れても、それだけでは意味がない。いち早くこの「ジェニー紡績機」を使って紡績糸を量産し、市場競争に勝利したものこそ、真の勝者なのだ。
王子は条件を話し始めた。これによって、シュバルト商会の今後数十年の命運が決まるとあって、アルベルトも緊張した表情を浮かべている。
「まず第1に、工場を作る場合にはアルビオン国内を優先してもらいたい」
紡績機の現物と引き換えの条件としては妥当なものだ。工場を作れば、人員を集めなければならない。当然、アルビオン国内で人員を集めることになる。大量の雇用が出来れば、それだけ町は活性化する。引いては税収増につながり、アルビオンの国益にもつながる。ギルドに遠慮することはない。もともと、羊毛から紡績糸を紡ぎだす作業は、農家や都市商人のアルバイトなので、ギルド自体が存在しないからだ。
ただ「優先してもらいたい」というのは、お願いの形に見えるが、実際には「別に構わんよ。よそに工場作ってもらっても。そういえば羊毛の取引先を・・・」ということである。アルビオンに工場を作らなければ、シュバルト商会はアルビオン産羊毛を手に入れることは困難になるだろう。機械があっても、原料がなければ商売にならない。
アルベルトの答えは決まっていた。
「いいでしょう。マンチェスターか、リヴァプール・・・どことはまだいえませんが、工場は出来るだけアルビオンに作る事をお約束いたします」
マンチェスターやリヴァプールは、共に市内を大きな河川が流れており、紡績機械の動力である水車の設置場所には困らない。それに両市は人口5万クラスの中規模都市であるから、人出も集めやすい。アルベルトはすでに両市に工場を建てることを決めていた。
第1関門は突破したが、アルベルトの顔から緊張の色が消えることはない。王子自身、「第1に」と言っている。第2、第3の条件は一体何なのか、そして第何個まであるのか・・・
「第2に・・・シュバルト商会には、街道と港湾整備への出資をお願いしたい」
あからさまにアルベルトの顔が歪んだ。
国家にとって道は「血管」である。物流という血液を国家という体の隅々まで通すために、または軍隊を迅速に派遣するために-古くから国は街道整備に力を尽くしてきた。「すべての道はローマに通ず」のローマ帝国は、首都ローマを中心に網の目のように街道を整備。長き繁栄を手に入れた。
ただ、お金がかかる。目的に応じて道を通す場所を決める-これは地図の上に線を引くだけでいい。そこからだ。道を通すには莫大な金がかかる。原野なら草木を刈り取り、石をどけ、地面をならしてから、重いものを乗せても地面が沈まないように地面を少し掘って、水はけのために砂利・石の順番に生め、最後に舗装用の石をのせて、初めて道は完成する。造って終わりではなく、維持費もかかる。幾ら丈夫に造っても、長年人が通れば、石は削れて沈み込む。道ががたがたになれば、馬車は時間通りに荷物を運べず、経済活動に支障が出る。
たかが道、されど道なのだ。
港湾の重要性は、海洋国家ならぬ空中国家のアルビオンにとって、ハルケギニア大陸の陸上国家には想像も出来ないぐらい高い。人は空を飛べない。メイジならコモン・マジックの「フライ」で飛ぶことが出来るが、アルビオンからハルケギニアまで飛ぶのは、どんな偉大な魔法使いであっても途中で精神力が切れて、イカロスのように地上に落ちていく。ましてや平民では、まっさかさまに落ちていくだけ。
飛べない豚はただの豚だ
言ってみたかっただけだ。
ともかく人は翼の変わりに、風石を利用することにした。風力を持つ石を原動力にすることによって、船は空を飛べるようになった。浮遊大陸アルビオンは資源に乏しい。掘れば鉱物は多少あるが、やたらめったら地面を掘るわけには行かない。自分の足場を削るようなものだからだ。貿易をしなければ、アルビオン経済は成り立たない。船を停泊させるためには、港が必要である。風石のパワーは永遠ではない。陸に水揚げして、補給や整備を行うドック、積んできた荷物を一時預ける倉庫、年中朝から晩まで光り続ける灯台・・・
白の国アルビオンの由来は、周囲に雲が厚く覆っていることにある。大陸から流れ落ちる莫大な水が、一瞬で霧となり、莫大な雲を大陸の周りに形成する。空中での事故は、即・死を意味する。灯台がなければ、危なくて大陸に近づくことも出来ない。
これもやっぱり莫大な金がかかる。
「・・・そ、それは・・・いくらなんでも」
いくらシュバルト商会がハルケギニア最大の商会とはいえ、一国の街道と港湾を整備する資金の全額を負担出来るものではない。無い袖は触れないのだ。顔が引きつるアルベルトに、ヘンリーがまたもあの嫌な笑みを返す
「何、君のところで全部負担することは無い。」
「・・・?」
「他の商会に協力してもらえばいい」
ヘンリーは言う。アルビオンで紡績工場を作るにしても、急に工場用地を取得したりすれば、他の商会は「なにかあるな」と感づくだろう。それはシュバルト商会にとって望ましいことではないだろ?
「はい」
意識を別のところに向けさせるのさ。シュバルト商会がアルビオンの港湾や街道を整備して、その使用権を一手に任されることを狙っているとね。他の商会からすれば、物流を1商会に抑えられるのは面白くないだろう・・・そこで俺の出番だ。シュバルト商会に音頭を取らせて、各商会が出資して街道や港湾の建設費をまかなうという調停案を作った・・・という形をとらせる。どうだ?
アルベルトの顔がまた歪む。自分の顔は歪んだまま、元に戻らないのではないか?
「金を搾り取られて、憎まれ役になって・・・何の徳があるのです?」
「工場が稼動するまでのカモフラージュになる。それに紡績で儲けるつもりなんだろう?金は天下の回り物-まわりまわって、めぐりめぐってみんな幸せ。結構なことじゃないかね」
もう何も言うまい。アルベルトはそう心に決めた。
「で、第3の条件だが・・・」
アルベルトは何十年ぶりに、人前で泣いた。
***
よりにもよってその泣いている部分だけを、紅茶のお代わりを持ってきたミリーに見られたのだ。「大人の男の人を泣かせるなんて」と批難のこもった視線を向けられるのはたまったもんじゃない。ヘンリーだってまさか泣くとは思わなかったから、ぐうの音も出ない。男(アルベルト)がなこうが叫ぼうが知った事ではないが、女の涙を平然と受け流せる男がいたら、そいつはきっと人間じゃない。
「しかし、陛下は根性悪いですね」
「どうしようもないですな」
「クズよクズ。まっくろくろすけね」
ミリーをどうにかなだめすかして追い出したら、これだ。上からスタンリー男、シェルバーン伯、キャサリン。もっともこの3人はヘンリーをからかっているのが、口調に現れているだけましではあったが。
ヘンリーはふてくされたような顔でソファーに腰掛けている。
「ちょっかい出してきたのは向こうなんだ。彼らも商人、これくらいのリスクは織り込み済みだろ?」
「まぁ、それはそうですが・・・しかし、スパイまがいの事をさせるのはさすがに・・・」
スタンリー男は歯切れの悪い言葉でヘンリーを非難する。
そう、アルベルトに出した第3の条件とは、各国の情報を提供することだ。諜報組織を1から作るのは大変。なら最初からある組織を利用すればいい-ヘンリーはそう考えた。当然、アルベルトは強い拒絶反応を示した。商売人にとって、取引先の個人情報を守ることこそが、信頼の基本。信頼の無い商人は、足の無い人間-幽霊と同じ。それを提供しろというのだ。アルベルトの反応たるや、怒る・泣く・叫ぶ・・・
商会の人間に見られたら、彼の「威厳」は、音を立てて崩れ落ちるだろう。
結論から言うと、アルベルトはヘンリーの条件をすべて飲んだ。商人の良心やモラルより、紡績機の情報を独占することで得られる利益を選んだのだ。
アルベルトは目を赤くしながら帰っていった・・・
「汚いです」
「根性ばば色ですな」
「根っこから腐ってるのよ」
スタンリー男、シェルバーン伯、キャサリン・・・お前ら楽しんでるだろう。
「汚くて結構、どどめ色のババ色で結構。清廉潔白で国が滅ぶよりましだ」
「開き直りですな」
「見苦しいですぞ殿下」
「少なくとも少しは楽しんでたでしょう」
・・・キャサリンの言葉にだけは反論できない
「殿下をからかうのはこれくらいにしまして」
「お前ら不敬罪で縛り首にするぞ!それともロンドン塔に幽閉してやろうか!」
ロンドン塔とは、ハヴィランド宮殿東にある石造りの塔である。謀反した貴族や、廃嫡された王子、または強制的に退位させられた国王などが幽閉される貴人専用の牢獄で、一度入ると、まず2度と太陽を見ることは出来ない。獄死した貴族の霊が出るとかいう話もある、いわくつきの場所だ。
「はいはい」
「わかったわかった」
「やれるもんならやってみなさい」
ヘンリーの脅迫は綺麗に無視された。もはや敬語すら使ってもらえない・・・
「最近の殿下は目立ちすぎます」
居住まいを正して告げられた財務卿シェルバーン伯の言葉に、それまで塩をかけられたナメクジのようになっていたヘンリーの目に、生気が戻る。
「特に先日の面会に関しては、王族が商人と、それも王宮で会うとは-そういった声が」
「あー、出るだろうとは思ってたけどね」
ヘンリーはため息をついた。
ブリミル教では、日常生活を送るうえで最低限の商売については認めているが、金貸し-金融業者は認めていない。金を貸して利息で生活する-これは「労働なき富」であり、けしからん-ロマリア宗教庁の見解をまとめればこうなる。
金融とは経済にとっての血液である。体中に必要な栄養分を送り、老廃物を運び出す-必要なところに必要なだけ金を貸すものがいなければ、手元に資金のないものは商売が出来ない。「必要悪」という言い方もあるが、とんでもない話だ。彼らは命の次に大事な虎の子のお金を使い、経済の根幹を支えているのに「悪」よばわりとは(無論、法外な利息をぶっ掛け、元から身包みをはぐことが目的の金融ヤ○ザは論外だが)
ヘンリーがそう主張しても、始祖以来、数千年にもわたって継承されてきたイメージというのは、そう簡単に変わるものではない。
「宮廷貴族に非難の声が強いようでして。特にデヴォンシャー伯爵は『王族の面汚しだ!』と公言されています」
「あー、デボンちゃんなら、それくらいは言うだろうね」
デヴォンシャー伯爵ジョン・キャヴェンディッシュ卿。アルビオン陸軍少将にして、現在のアルビオン王国侍従長である。シェルバーン伯がたたき上げの官僚なら、彼はたたき上げの軍人だ。若いころは国内の強盗団取締りに辣腕を振るい、「鬼のデヴォン」と恐れられた。また「軟弱軟派貴族の集まり」と揶揄された近衛魔法騎士隊を、アルビオン屈指の精鋭に育て上げるなど、根っからの武闘派。その剛直な性格を国王エドワード12世に気に入られ、現在では侍従長という宮廷内の王族を取り仕切る立場にいる。
デヴォンシャー伯が侍従長に就任したときの第1声が
「ヘンリー殿下をたたきなおす」
メイド服に執着し、モエモエとわけのわからない単語を叫ぶ第2王子は、彼にとって見過ごせるものではなかった。
はいそうですか、もうしません・・・などと素直に言うことを聞くヘンリーではない。デヴォンシャー伯に向かって、メイド服の魅力について力説した。男のロマンを熱く語る王子に、デヴォンシャー伯も(付き合わなくていいのに)いちいち正論で反論。当のヘンリーはデヴォンシャー伯のことが嫌いではなかった。彼はほかの宮廷貴族のように外面だけこちらにあわせて、腹の中でせせら笑うことはない。面と向かって本人に「あなたは嫌いです」という人間だ。することもしないで陰口をたたくだけの宮廷貴族よりは、よっぽど好感が持てた。(向こうはどう思っているか知らないが)
実直で、隠し事が無く、誰にでも自分の信念を曲げない-融通の利かないところまで含めても、兄貴のジェームズ皇太子とそっくりだ。兄貴も伯のことを信用しているらしい。類は友を呼ぶ。欠点といえば、頭の固いところか。似たもの同士は長所を伸ばせる半面、自分たちの欠点に気がつかない場合がある。
閑話休題
「デボンちゃんは裏表がないからいいよね。さっき俺のところにも説教に来たしね・・・居留守使ったたけど」
「殿下、これはまじめな話なのです」
スタンリー男がとがめる。わかってるさ。お前らが俺を心配してくれていることは。
「出るくいは打たれるっていうのは、どこでもいっしょだからね」
ヘンリーはこの世界に来てから、出来るだけ目立たないようにしてきたつもり(・・・メイドとモエはともかく)だ。官僚養成学校や、王立魔法研究所農業局はアルバートの、貴族年金の拡大と領地の移転はシェルバーン財務卿の、塩の専売所ではエセックス男と、それぞれ自分の意を汲むものを責任者にして、自分に注目が集まらないようにしてきた。宰相のスラックトン侯爵も、宮廷への根回しで、俺に協力してくれている。
だが、国王である父の裁可を得る場合には、俺が同席しないわけには行かない。臣下である貴族が奏上するのと、王族である俺がいるとでは、奏上の重みがまったく異なる。
口さがない宮廷すずめどものなかには「バカ王子がスラックトン侯爵の操り人形になって、宰相一派が国政を壟断している」という噂をしているらしい。バカなのは認めるが。噂は根拠がないから噂なのだ。そしてそれは、荒唐無稽と思えるほど、大げさで誰もがありえないとおもう内容ほど面白い。実に厄介な問題だ。俺が否定すれば、むしろ真実味があると思われて逆効果になる。おとなしく噂が立ち消えるのを待つしかないが、だからといって俺が何もせずにおとなしくしているわけにはいかない。
幸いなのは、兄貴のジェームズ皇太子が、俺のことを買ってくれていること。兄貴は昔から「メイド」だの「萌え」だのと繰り返している俺のことを、怒りながらも、よくかばってくれたものだ。兄貴にとって10歳年下の俺は、いつまで立っても手のかかる弟なんだろう。
兄貴が前述のうわさを話していた女官を怒鳴りつけたと聞いたときは、柄にもなく涙が出た。
兄貴の信頼にこたえるためにも、(口ではボロクソだが)心配してくれるこいつらの為にも、くれぐれも行動は慎重にしなければ・・・ヘンリーは自分に言い聞かせた。
時にブリミル暦6210年。原作開始まであと33年の、ある日のことでした。
(へ)「久しぶりだなそれ」
(ミ)「そうですね、7、いや8話ぶりですから」
(キ)「というより、まだ2年しかたってないの?!」