トリステインと神聖アルビオン共和国の警戒的平和が続くなか、結婚式の準備は着実に進んでいる。
が、トリステイン魔法学院にはその影響は少ない、学院長や秘書のロングビル改めマチルダさんとかは結構忙しそうにしてるけど、一般の教師や生徒は普通通り。
その中で俺の主人であるルイズは普通じゃない組であるが、詔を考えるなんて作業において俺に手伝えることもなく、俺自身はいつも通り組に属していた。
第二十四話 サイト変態未遂事件
■■■ side:才人 ■■■
「うーん、中々の惨状だな」
俺は、部屋の掃除をしていた。
ルイズが巫女として結婚式の詔を考え出して以来、日を追うごとにこの部屋の散らかり具合は進行している。
あちこちにインクで余すことなく字を書かれた紙が散らばり、部屋の主人であるルイズが
『ここは熱に対する比喩を……いやいや、寒さに対することだって重要だから』
とか
『風といえば船だけど、そんなことを結婚式で言うのも変だし、そもそも詔っぽくないし、グリフォンやマンティコアに例えるのはありかしら?』
とか
『土に関してなら、作物と金属、けど、作物は水にも関係するからやっぱ金属メインで……でも、建築物も大抵そうよね、大がかりなものなら風も利用されるけど』
とか
『水といえばトリステイン、そして姫様の結婚式ならユニコーンは外せない。ラグドリアン湖の誓約を比喩にするのは定石だけど、姫様に対してはちょっと無理、なにせ、ウェールズ王子と出会いになられた場所だもの、そういえば、私が愛びきのための影武者になったこともあったかしら』
なんて感じでぶつぶつ言いながら、真剣に詔を考えているもんだから、部屋はどんどん散らかっていく。
四系統に関する感謝とか、色んなものを詔には盛り込むそうだが、長すぎてもいけないらしく、ルイズの作業はかなり難航している。
正直、ここまで真剣に取り組めるのはルイズくらいだと思う。
で、その荒れた部屋の掃除は当然俺の担当になるわけで、掃除の間、ルイズは図書館で考えてる。
ちなみに部屋の掃除の方法は、地球となんら変わり映えするところは無い。箒で床を掃き、濡らした雑巾で床を磨く、そして、散らばった紙を処分する。それだけである。
俺にとっては、小学校ぐらいから高校に至るまで延々反復して、すっかり手慣れてしまったことだった。今まで掃除してきたどの教室よりもこの部屋は狭かったし、机なんかを移動させる必要も無い。
が、問題はインク。書いてすぐの紙をあちこちに放り投げるもんだから、床のあちこちにインクがこびりついてる。ボールペンと違って羽ペンとインクで書く紙は習字の半紙みたいなもんだ。
それを綺麗に拭き取るのはなかなか力がいる仕事で、学院のメイドには多分きついものがある重労働となっている。
しかし、そこで“身体強化”の出番。デルフ曰く、伝説の使い魔“ガンダールヴ”だそうだが、ガリアでは一般的になるまであと一歩だとか。
伝説も随分お手軽になったもんだと思う。
とりあえず作業は終了、インクの染みを綺麗にして、見落としはないかどうかチェックする。
もともとルイズの部屋にはあまりモノがない。クローゼット、引き出し付きの小机、水差しの乗った小さな木の円卓と椅子二脚。ベッドとその枕もとのランプ、そして役目を存分に謳歌している本棚。
俺の暮らしていた部屋と大差の無い、普通といえば普通の部屋でもある。公爵家の三女の割にはかなり質素だ。
違いを挙げるなら、本棚をぎっしりと埋め尽くす本、しかも分厚いのが多いということだ。
子供向けの分かり易い魔術書とやらがある。難解な専門用語たっぷりの学術書もある。果ては文字そのものが、なんか深海魚が全身で爆笑してるみたいにしか見えない怪文書まである。
それらに共通していたのは、魔法に関係のある書物だということ。そしてその全てが、満遍なくくたびれていたことぐらい。
こいつの勉強量はなかなか洒落にならないものがある。が、それを認められることは驚くほど少ない。
「今回の詔も、こういった普段の努力の成果が出るだろ、あいつなら絶対出来る」
なんだかんだで最近は暴力傾向も少し改善されてきている。
最初と主人と犬だったが、最近では主人と使用人くらいのとこまで来た気がする。
「ま、努力家なのは確かだわな、それはそうと、お客さんが見えてるみたいだぜ」
「客?」
この部屋に客なんて珍しい。
誰だろうね、と思っていたら、こんこんと扉を叩く音がした。
「開いてるよ」
そう音源に声を掛けると、がちゃりと軽く開かれた扉の隙間から、フリル付きカチューシャで黒い髪を纏めた、見慣れた少女がひょっこりと現れた。
「あれ、シエスタ?」
「あ、あの……」
なにやら不安そうにどもって中に入ってこないシエスタに近づき、扉を大きく開いてやる。
その両手は、沢山の料理を載せた皿やティーポットを乗せた、いつもの配膳用の銀のトレイに塞がれていた。
「あの、ですね。最近、さ、サイトさん厨房に来なかったじゃないですか?」
ああ、と頷く。
最近はギーシュと色々試してみたり、シャルロットと模擬戦じみたことをしてるのが多い。
例の結婚式がなにやらきな臭い感じがするので、もうアルビオンでのことみたいにならないように、仮にあの変態がまた来たとしても撃退できるように、やれることをやっておこうと思ってたから。
それでも、厨房の手伝い自体は続行してる。特にデルフを使っての薪割りなんかは確実に効果が出ているし、小麦粉の袋を運んだりもなかなかいい訓練になる。
でも、厨房で食べる機会は減っていた。持ち出し出来る感じのものをもらってヴェストリ広場で食べることが多かったな。
「だから、おなかすいてないかな、って。ちょっと、心配になって、それで……」
お盆を持ったままそうもじもじするシエスタを見ていると、いらない心配させちまってたんだなぁ、となんだか申し訳ない気持ちになってくる。
「えっと、ありがとう。でも、最近は食糧事情が改善されて、それほど腹がすかなくなったんだよ。ルイズが、席で食べていいって言ったから。昼食の時に結構食べれるんだ」
「そう、だったんですか? わたし、先週から先生方の食卓の給仕に回ってましたから、気付きませんでした……。じゃあ、余計なお世話だったのかしら……」
しゅん、とシエスタが項垂れてしまった。
いかん、これは良心にクるものがある。
「……そ、そんなことないって! 持ってきてくれたの、凄く嬉しいよ!」
「ほんとですか?」
って、そういや今日、食堂行ったっけ?
そもそもルイズが授業に出ていない、どころか、部屋から出てない。
うーん、ずっと部屋に籠って書いてたもんな、どんどんインク塗れの紙が量産されてくもんだからその処理にあたってたけど、気がつきゃ昼を過ぎてるし。
あいつ、昼飯に行ったのか、掃除してて気付かなかった。
「勿論! ……えと、その、実は腹空いてるし!」
自分で気付かなかったのは我ながら間抜けだと思うけど。
とにかくシエスタの顔は輝いたので万事OK。
「それじゃあ、お腹いっぱい食べてくださいな」
小さな円卓の上、所狭しと料理の類が並べられていく。
シエスタがニコニコとそれらを並べていくのを見ながら、肋骨のちょっと下辺りを撫でる。
ああ、気付くと腹ぺこって、ホントにあるんだ。
で、勢いよく食べることにした。
………トリスタニアの王宮で食い過ぎた後の惨劇が思い出された。
そっかー、最近あんまし大量に食べてないと思ったら、無意識にあれを思い出してたんだー。
空中嘔吐という未知の体験は俺の心に傷跡を残していたようだ。
「おいしいですか?」
「空中嘔吐は御免だよな」
って、答えになってねえ!
「美味しいよ! うん、すごく美味い!」
速攻で言いなおし、その証にがががががっと、食べ掛けだったピラフもどきを平らげてみせる。
任務成功と、次の任務に当たれ。
何かのムニエルに突撃します。ついでに、なんか妙なテンションになってます。
ちらっと視線をシエスタに向けてみれば、なにやらじーっと俺の食べる様を見ていた。
き、気恥ずかしい。
「えと、食い方汚いかな?」
そう訊ねると、シエスタはぼふっと湯気を上げて、わたわたと手を振り出した。
「そ、そんなことないです!逆です、そんな風に一生懸命に食べてもらったら、お料理も、作った人も幸せだなぁ、って!」
「そ、そっか」
既にシエスタの顔は心配になるくらい真っ赤になっている。……マジに大丈夫か。
「その、それ、わたしが作ったんです……」
そうぽそっと聞こえた。
え、これシエスタの手料理?
「そ、そうなの?」
「ええ、ちょっと料理長に無理言って、厨房に立たせてもらったんです。こうやってサイトさんが食べてくれてるのを見てると、お願いした甲斐がありました」
そう言ってはにかむシエスタに、胸が詰まったような錯覚を覚えた。
健気だなぁ可愛いなぁ、なんて暢気にのたまう煩悩が憎たらしい。
そっかと軽く相槌を打つと、気恥ずかしさから逃げるように料理に視線を戻し、食を再開する。
食を進める。
食を進める。
進める。
それでも進める。
進める。
進め……、なんだ、この微妙な空気。
つい、とまた顔を上げてみると、じーっと、なんだか困ったような視線で俺の顔を見つめているシエスタと、目が合った。
「シエスタ?」
「は、はいっ!?」
びくぅッと背筋まで伸ばして体を跳ねさせた。
なにごとぞ。
「えと、そんなに見つめられるとちょっと恥ずかしいんだけど……」
「そ、そうですか? ……そ、そうですね、ごめんなさい!」
ば、っと体ごと視線を外して、机にまっすぐ向き直るシエスタ。
「いや、謝ってくれなくていいんだけどさ。その……、な、何か話したいことでもあるのかなって」
「い、いえ、その、この前のお話とっても楽しかったです! 特にあれ! 何でしたっけ! ひこうき!」
急に話題を変えるシエスタ。
そういや、日本について色々話したっけ、ギーシュもいたけど。
「ああ、飛行機ね」
「そうです! 魔法が出来なくても空を飛べるって素晴らしいわ!つまり、私達平民でも鳥みたいに空を飛べるってことでしょう?」
「空飛ぶ船があるじゃん」
俺にとってはあっちの方が摩訶不思議だ。
「あれは浮いてるだけです」
きっぱり言い切ったよ。うーん、ウェールズ王子が率いてた空軍の人に聞かれたら、ぶっ飛ばされそうなセリフだ。、船が自分の死に場所になるかもしれない人たちだったから。
あの人達は、空の航海に関して誇りを持ってたからな。でも、もう居ないんだよな…
「あのですね、わたしの故郷も素晴らしいんです。タルブの村っていうんです。ここから……そうね、馬で三日くらいかな……、ラ・ロシェールの向こうです」
「ラ・ロシェールの向こうか、それなら確かに三日くらいだね」
トリステインの地理も少しずつだが分かってきた。
「何にもない辺鄙な村ですけど………、とっても広い、きれいな草原があるんです。春になると、春のお花が咲いて、夏になると、夏のお花が咲くんです。ずっと、遠くまで、地平線の彼方まで続くんです。今頃、とっても綺麗だろうな……」
思い出すように目を閉じるシエスタ。
故郷か、そうだな、数か月も故郷に帰れないのは俺に限った話じゃないんだ。
ハインツさんがいってたけど、社会人の大半は故郷に帰るのなんて盆と正月くらいだもんな。魔法学院に奉公しているメイドなんかはそう簡単に帰郷するわけにもいかないか。
「わたし、一度でいいから、そのひこうきというもので、あのお花の海の上を飛んでみたいな」
「へええ」
何とも、乙女っぽい夢だ。シエスタによく似会ってる。
「そうだ!」
いきなり胸の前で手を合わせてシエスタが叫んだ。
「サイトさん、わたしの村に来ませんか?」
「はい?」
繋がりがさっぱりだ。
「えっと、今度お姫さまが結婚なさるでしょう?それに合わせて、私たちにも特別にお休みが出ることになったんです。それで久しぶりに帰郷するんですけど……、その、サイトさんにも見せてあげたいんです。ずっと遠くまで、地平線の彼方まで続く、お花の海」
……それはすごそうだけど。
「その、どうして俺に見せたいの?」
好意を持ってくれてるってうぬぼれたいとこだけど、彼女いない歴17年だけになあ。
「……サイトさん、わたしに『可能性』を見せてくれたから」
「可能性?」
「そうです。平民でも、貴族に勝つことが出来るんだっていう、そんな可能性。わたしたち、なんのかんの言っても、貴族の人たちに脅えながら暮らしてるんです。でも、それを覆せる人がいる。それが、なんだか自分のことみたいに嬉しくって。わたしだけじゃなくて、厨房の皆もそう言ってて」
そんな人を、わたしの故郷の皆にも紹介したいんです。
シエスタはそう締めくくった。
だけど、それは………
「なあ、シエスタ、だったらもし、貴族がいなくなって、怯えなくてよくなったら、どう思う?」
それはつまり、平民は貴族がいない方がいいと考えている。そういうことじゃないのか?
「え? そ、そうは言われても……実際にいなかった場合なんて想像も出来ません」
それが、シエスタの答えだった。
だけど、それを実際に示す奴がいたら?
貴族以上の“戦争”という力で、それを覆す奴がいたら? そんな『可能性』を示す奴がいたら?
平民は、そいつに憧れて、従ってしまうんじゃないだろうか。
その後、終わらない戦争に駆り出されることも知らずに。
“貴族に勝った平民”、つまり俺は、小さくした“ゲイルノート・ガスパール”になってしまってるんじゃ……
『そういった虐げられてきた者達からすれば、あの男は紛れもない英雄だ。神も王家も彼らを守らなかった。しかし、あの男は実力によってそれらを覆した。それはあくまで奴の野心のために民衆を利用するためだが、彼らにとっては現状が変わるならば魂を売る相手は神であろうが悪魔であろうが構わないのだろう』
シエスタが俺を慕う理由には、とても、危ういものを感じた。
確か、ナチスドイツのヒトラーの演説もそんな感じじゃなかったか?
「シエスタ、それは……………なんて言うか……うん」
うまく言葉に出来ない。
「もちろん、あの、それだけじゃなくて。ただ、サイトさんに見せたくって……、あ、でも、いきなり男の人なんか連れて行ったら、家族のみんなが驚いてしまうわ。どうしよう……」
気付いたら話が戻ってた。
まあ、そりゃあ娘が男を前触れなく連れて帰ったら、普通は驚くよなぁ。
シエスタはなんか顔を赤くして、ぽんと膝を強く叩いた。
「そうだ。だ、旦那さまよ、って言えばいいんだわ」
――――は?
『旦那さま』
その言葉にはいい感じがしない、なぜだろう?
「け、結婚するからって言えば、喜ぶわ。みんな。母さまも、父さまも、妹や弟たちも、みんな、きっと、喜ぶわ」
「あ、あの――シエスタ様?」
呆然と暴走するシエスタを見つめていると、いきなりびくっとその身を跳ねさせて、首を千切れんばかりに振りだした。
「ご、ごめんなさい! そ、そんなの迷惑ですよね! あ、そもそもサイトさんが来るって決まったわけじゃないのに! あは!」
は、ははは。
ちょと、渇いた笑いが頭ん中で響いてる気が。
「し、シエスタって意外と、大胆なんだね。ちょっとびっくりしたよ」
いや、ホントに。
ちょっとってレベルじゃねえ気もするが。
「だ、誰の前でも大胆になるわけじゃありません」
はい?
「こんなこと、サイトさんにしか言ったことないですし……、そ、その、家を出るとき、母さまに言われたんです。これと決めた男の人には強気で一気に攻めなさい、って、その……」
いや、どんだけエキセントリックなお母さんなんだそれ。
まだ見ぬシエスタのお母さんへのツッコミ衝動を気合で抑え込みつつ。
俺は、茹だって口ごもるシエスタの次の言葉を待った。
「わたしって、魅力ないですか?」
……はい?
また話題が飛んだ。というかそろそろ頭が混乱してきた。
「こうして二人きりでいても、親密にお話したこと、ってありませんし」
そんなことはないと思います、ただ機会がなかっただけです。
「肌を見られたことも、ありませんし」
普通はある方が異常だと思います。
「何度もお会いしているのに、手に触れられたことさえ、一度もありませんし」
わざと触ってもいいものなんでしょうか?
「……わたし、魅力ないんだわ。そうよね、サイトさんの側にはミス・ヴァリエールとか、ミス・ツェルプストーとか、ミス・タバサとか……、貴族の女の子が沢山いるんだもの。わたしなんて、ただの村娘だもの」
なしてそういう結論になるんですか。
というか、さっきまで平民と貴族のことで考えてた自分が、凄く馬鹿に見えて来たんですけど?
「そんなことないって! シエスタは充分魅力的です、それは保障していいです。はい」
「そう、ですか?」
ぶんぶんと思いっきり首を縦に振って肯定する。
シエスタは目を閉じて何事かを考えると、やがて…………
「じゃ、じゃあ、お願いします……」
茹でシエスタは何か人として捨ててはならないモノを吹っ切ったように言い放つと、瞬く間に背中のリボン結びをほどき、エプロンを肩から床へ落とした。
てっ! ちょっと待て――――――!!
「ちょ、シエスタ! まずい! まずいって!」
ごきごき音がしそうなほど激しく首を横に振る。
突然すぎて俺も相当テンパってるんだろうか、まともな制止の言葉も行動も出てこない。
「あ、安心してください。責任取れなんて言いませんから」
安心できねえッ!?
そうこうする内にブラウスのボタンはぷちぷちと外され、シエスタの胸元にできた谷間がくっきりと――!
「ま、待った! ちょっと待った! そーいうのはもっとちゃんと順序を踏んでからだな!」
俺の両腕は、なおもボタンを外し続けるシエスタの腕を封じるべく、勢いよく目の前の二の腕へ伸びた。
と。
ここで実力行使を選んだのが、多分そもそもの間違いだったんだろう。
「きゃ」
シエスタの細い体は、俺の腕力を堪えきることが出来ずにバランスを崩してしまった。
で、俺からシエスタへの進路の延長線上にはベッドがあったわけで。
「あ゙。ご、ごめん」
シエスタを俺が押し倒すような格好で、綺麗にベッドに倒れこんだ。
おまけに、この姿勢はテンパり、いや、むしろ暴走シエスタにしてみれば望むところだったらしく。
暴走シエスタははだけた胸の前で祈るように両手を組むと、ゆっくりと目を閉じた。
そんな『これなんて本番5秒前シーン?』がちょうど完成した瞬間。
絶妙のタイミングでドアが開かれ。
「サイト、掃除終わった?」
桃色の髪をしたマイ・マスターが入って来たのでありました。
一秒、ルイズがシエスタをベッドに押し倒している(ようにしか見えない)俺を発見。
二秒、ルイズがシエスタのブラウスがはだけられているのを発見。
三秒、シエスタと俺、慌てて立ちあがる。
シエスタが顔を真っ赤にしつつ超速攻でボタンを付け直す、これに三秒、早え。その間ルイズは反応無し。
七秒、シエスタがルイズに頭を下げて出て行った。
八秒、「ちょ、ちょっと!」と、なんとか俺が叫ぶ。
九秒、ルイズの臨戦態勢が整った。髪が逆立ち、怒れる魔神が降臨。
そして十秒。
「貴様ああああああああああああ!! 人が必死に詔を考えている時に何をやっているrrrrrrrrrrrrrrrr!!!巫女を舐めてんのかあああああああああああああああああああああああああああaAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!」
「ごめんなさ、ぐぶおあ!!」
至高のハイキックをくらって吹き飛ぶ俺。
なんか将来、こんなシチュエーションで巨大な騎士人形をルイズが吹き飛ばすような気がしたんだが、多分、例の怪電波のせいだ、うん。
“あの時のキスはなかなかに情熱的だったわね”
そんな怪電波も聞こえていない。
「とりあえず出て行け! 私のために出て行け! 貴様がここにいては私は怒り狂い、詔を考えられん! しばらくここには来るな! 私の前に姿を現すな! 貴様を殺さずに済む自信がない!」
恐ろしく鬼気迫る表情でルイズがそう言った。
なんかこう、体内の伝説の怪物を封印した人柱とか、そういう設定の人が言いそうな感じだった。
「分かりました! しばらくお暇をいただきます!」
俺は速攻で逃げた。このままでは殺されることは確実だったからだ。
しかし。
「餞別だああああああ! くれてやるうううううううう!!」
何とも名状しがたい声が後ろから聞こえ。
「相棒ーーーーーーーーーーーーー死ぬなーーーーーーーーー!!」
デルフの悲鳴のような忠告のような嘆願のような声が聞こえてきた。
って、デルフ?
「ぐぎゃるぶべ!!」
超高速で飛来するデルフが俺の背中に直撃した。
もし、刃がこっちむいてたら俺は間違いなく死んでいただろう。
が。
「死ねえ!」
という声がさらに聞こえる。
「相棒! 鞘が来る! 避けろ!」
死に物狂いで身体を逸らしたところ、なんとか回避に成功。
そしてそのままさらに遁走。ルイズの視界にいては命が無い。
“ガンダールヴ”のルーンを全力で発揮し、俺は怒れる大魔神から必死に逃れた。
■■■ side:ギーシュ ■■■
「馬を借りたい?」
「うん」
サイトが僕のとこにそのようなことを頼みにやってきた。
「トリスタニアに行くのかね?それならルイズに頼めば早いんじゃないか?」
「それが、大魔神の怒りをかって部屋から追い出されてさあ」
何とも分かりやすい答えだった。
「ルイズに追い出されたと、それで、トリスタニアに行くというのは?」
「しばらく戻れそうにないから、住み込みの仕事でも探そうかなと」
「いつ追い出されたんだい?」
「30分くらい前、多分、顔を合わせるだけで殺されそうだから、ルイズが落ち着くまでは学院の外に逃げた方がいいと思う。少なくとも厨房はやばい、下手したらシエスタやマルトーのおっさんを巻き込んじまう」
相変わらず凄い行動力だ。たった30分後にすぐに寝床探しに動くとは。
「しかし、何で追い出されたんだい?」
最近は主人と使い魔として、結構いい感じになってたと思うんだけど。
「それなんだが……………」
そして、サイトは語り出した。
「うーん、確かに、ルイズが逆上するのも無理はないかも。詔をずっと考えてて、使い魔が掃除するためにいったん部屋から退避して、戻ってきたらそれじゃあねえ」
追い出すのはやり過ぎかもしれないが、そこはルイズだし。
もっとも、サイトは冤罪なんだけど。
「今回ばっかは俺が悪い。むしろ、ルイズの慈悲深い処置に感謝だな」
と思ったら、サイトは逆に感謝してた。
「よくそこで感謝できるね君は」
普通は冤罪で部屋を追い出されれば、腹を立てるくらいはしてもいいと思うが。
「ルイズを基準にして考えるからそうなるんだ。冷静に考えてみると、やばいのは俺の方なんだ」
「どういうことかね?」
よく分からない。
「えーと、お前さ、以前二股かけてた子がいただろ、一年生に」
「ケティのことかい、まあ、事実は事実だけど」
それがいったい。
「それでさ、その子の部屋に呼ばれて、その子が作ったクッキーを食べてると想像してくれ」
「ふむ、手作りクッキーか、なかなかにいいね」
本当に招かれたら一も二も無く行くだろうなあ。
「それで、紅茶が無くなって、その子がお前のためにわざわざ自分でとりに行ってくれました」
「おお、夢のような話だ」
年下のかわいい女の子にそこまでされるなんて、男の夢だろう。
「そして、その子が自分の部屋に戻ってみると、学院のメイドの服を脱がし、自分のベッドに押し倒しているギーシュを発見しました」
「ちょっと待った僕は変態かね?」
女性の部屋のベッドでメイドの服を脱がして押し倒すなんて、どう考えても犯罪者だろうそれは。
「俺が使い魔であることを少し脇におくとしたら、ルイズにとっちゃそういうシチュエーションなんだよ」
「なるほど、言われてみれば」
「さて、その場合、お前が一番困る反応はどれだ? その1、怒って往復ビンタ。その2、あまりのショックに泣き出してしまう。その3、悲鳴を上げる」
「ふむ……」
少し考えてみる。
「その1が一番ましだな、あくまで僕とケティのことだけで済む」
しかし、それ以外だと………
「じゃあ、その2だったら?」
「彼女の泣き声に周囲の部屋の人々が駆けつけて来て、僕は間違いなく変態の汚名を背負ってこの先の学院生活をおくることになる。君だったら変態使い魔の出来上がりだな」
考えるだけで恐ろしい結末だ。
「そして、その3だった場合……」
サイトの声が沈む。
「……チェルノボーグ送りかな? 少なくとも性犯罪者として捕まるのは間違いないだろう。特に君の場合は洗礼を受けていないから死罪は免れないなあ」
確かに、ルイズの処置が寛大に見えてきた。
「だろ、気が強いルイズだからあれで済んだけど、気が弱い方がかえって問題だ。泣かれでもした日にはこっちの良心が痛むし、そもそもその子の心に傷を付けた時点で十分犯罪だ」
「それは確かにそうだ。僕達の周囲は強い女の子ばかりだから失念してたなあ」
ルイズ、キュルケ、タバサ、僕の場合モンモランシーも。
ううむ、全員そんなことじゃ動じない女の子ばっかりだ。
でも、貴族の子女ならむしろケティの方が標準的なはずなんだよ。
「まあそういうわけで、トリスタニアに行こうと思ってさ」
それで最初の話に戻るわけか。
「それは構わないが、タバサのシルフィードに乗せてもらった方が早いんじゃないかね?」
多分、タバサは断らない。キュルケの談によればサイトに好意を持ってるみたいだから。
「うーん、あまり頼り過ぎるのも悪い気がするんだよ」
おや、サイトらしくないな。
自分が出来ることと出来ないことを踏まえて、出来ないことは他人にしっかりとお願いする。それがサイトだったはずだ。
人間の基本のようで、これを出来るのはなかなか少ないからなあ。
「別に、今に始まったことでもないだろう?」
「そうなんだけどさ、いつまでも頼りっぱなしってわけにもいかないだろ?」
やっぱり、アルビオンでの一件かな?あれ以来、サイトは少し気を張ってる気がする。
ルイズは言うまでもない感じだけど、サイトも同じだったようだ。
「そうかい、まあ、馬を借りる手続きくらいは任せたまえ」
「おお、サンキュー」
そして、サイトといったん別れる。
「うーん、どうするべきか。やっぱりサイトはもっと自由な感じの方がらしいと思うけど」
僕が口出すようなことでもないんだが。
「よし、ここは女の子に任せよう」
サイトを好きな女の子なら、サイトに関して口出す権利もあるはず。
■■■ side:才人 ■■■
で、トリスタニアにやってきたんだが。
「やっぱし難しいか」
既に数件あたってみたが、全部断られた。
ハインツさんが言っていた通り、俺の黒髪はこっちでは珍しく、一発で異国人、しかもハルケギニア人じゃないということがわかる。
やっぱり、異国人ってだけで何か厄介事になるんじゃないかと考えるのが人間ってもんで、そういう奴には審査が自然ときつくなる。
そして、洗礼を受けてない俺は怪しさ抜群。犯罪者予備軍みたいなもんだしな。
「とりあえず、ブルドンネ街は無理、となると………」
トリスタニアの裏の顔、チクトンネ街になる。
リュティスにあるっている暗黒街に比べれば天国らしいけど。
「しかし、そろそろ日も暮れてきたなあ」
探すのは明日にして、まずは寝るとこを探すべきか。
金を持ってくるのを忘れたから、当然宿に泊まることなんか出来る筈もない。
「主人に部屋を叩きだされ、薄汚れた街の裏側で眠ることに、貧民人生まっしぐらだねえ相棒」
うっせえ駄剣。
「ま、とにかく、その辺の酒場にでも入って、からんでくる奴をぶっ飛ばして財布を奪うってのはどうよ?」
「それ完全に恐喝だろ」
いや、むしろ強盗?
「いいじゃん、犯罪者予備軍なんだから」
「よくねえよ、自分からそこに落ちてどうする」
俺はロクでなし代表かっての。
「だけどどうすんだよ?野宿にすんのかい、俺は別に問題ねえけど、薄汚れた格好じゃ仕事探しも余計難しくなるぜ?」
「ううむ……」
それもそうか、ただでさえ怪しいのに格好まで浮浪者みたいじゃ余計悪くなる。
「心配ない」
そこに、とても澄んだきれいな声が聞こえた。そして、俺はその声をよく知ってる。
「しゃ、シャルロット!」
「おう、青い娘っ子じゃねえか」
なぜか、シャルロットがそこにいた。
「私の部屋に泊めてあげるから」
………はい?
「いや、それはまず………」
「イル・ウォータル・スレイプ・クラウディ」
え、問答無用?
何か言う暇もなく、俺は意識を失った。
「ちょっと待てえ!」
目を覚ます。
「お、意外と目を覚ますのが早かったな」
「流石」
なんか感心してる二人(正確には一人と一本)。
ここは………シルフィードの上か。どうやら学院に向かっている模様。
俺が乗ってきた馬はシルフィードが足で抱えてる。うーん、咥えられてたヴェルダンデを思い出すな。
「しゃ、シャルロット、なんであそこに?」
とりあえずその疑問から。
「ギーシュに聞いた」
あいつか。
「で、でもさ、シャルロットの部屋に泊まるわけには……」
「大丈夫、家造り用の藁は確保したから」
準備万端だった。
「だ、だけど」
女の子の部屋に泊まるのはやはり問題がある気がする。
ルイズの場合は主人と使い魔っていう前提があるからいいけど。
「私の部屋には泊まりたくない?」
なんか、少し落ち込んだような反応をするシャルロット。
いかん、むっちゃかわいい。つーかやばい。
「そ、そんなことはない!むしろ嬉しい!大歓迎!」
って、何言ってる俺は! 変態まっしぐらか!
「よかった」
いや、そこで微笑むのはやめていただきたいのですが。なんかこう、俺の危険な妄想というか煩悩というかが爆発しそうなので。
「サイト、少し無理をしてる」
と、いきなり話題が変わった。
「無理?」
「うん、アルビオンから帰って以来、いつも気を張ってるみたい」
そうかな? なんかギーシュにも似たようなことを言われたような。
「まあな、相棒にも色々あるんだろうよ。その辺は貴族の娘っ子も同じだが」
デルフが肯定してる。
「貴方なら、まずは知り合いに相談していたと思う」
「うーん、そうだったかな。でもさ、いつまでも頼りっぱなしってわけにも…「サイト」はい」
言葉の途中で遮られた。
「自分一人で何もかもやろうとするのは無理。誰かの力を借りるのは恥ずべきことじゃない、人間は助け合って生きるものだから」
どこまでも真っ直ぐに、シャルロットはそう言った。
「昔の私もそうだった。何もかも一人で抱え込もうとして、心を氷のように凍てつかせてしまったの。でも、それは辛いだけだった」
思い出すように語る。
「昔はってことは……」
「私の心を溶かしてくれた人がいた………少し語弊がある、溶かしてくれた大切な人と、陽気な悪魔がいた」
悪魔と言い直した時点でそれが誰かは分かった。もう一人は多分お姉さんだろ。
「いや、大切な人を悪魔って呼ぶのはどうかと」
「自分で言ってたから、『人間は助け合って生きる。が、俺は一人でも生きられる、故に悪魔なのだ。けど、たーくさんの人々に囲まれてた方が楽しいに決まってる』って」
流石はハインツさんだ、考え方が尋常じゃない。
「でも、その通り、あの人なら何でも一人で出来る。けど、一人でやろうとはしない」
「皆と一緒にってことか?」
「少し違う。あの人の能力は凄く高いんだけど、一人じゃどうしようもなくなるくらい、次々と後先考えずに色んなことをやるの。それで、困って友人や部下とかに色々と協力を頼む。その代わり、彼らのために最大限の助力をする」
「………」
相変わらず予想の斜め上をいく人だった。それ、馬鹿って言うんじゃないだろうか?
「特にイザベラ姉さまは一番ハインツに振り回されてると思う。けど、とても楽しそう。ハインツのせいで仕事がどんどん増えるとかよく言うけど、怒ってはいないから」
手間のかかる兄ってやつか? 聞く限りそのお姉さんも、結構なブラコンだと思う。
「でも、そんなイザベラ姉さまを一番気にかけてるのもハインツだと思う。あれで、女性の身の回りのこととかにはもの凄く気を使うから。女性職員の月に一度の日に合わせた休暇を作ったりもしてるし」
あの人、ほんとに何でもやるんだな。やることが大雑把なのか細かいのか良く分からん。
「だから、サイトももう少し肩の力を抜いていいと思う」
途中で少し脱線したけど、要はそういうことか。
そういや、似たようなことを俺がルイズに言ったこともあったっけ。その俺が言われてるんじゃ世話ねえな。
「うん、わかった。ありがとう、シャルロット」
「どういたしまして」
微笑むシャルロット。
う、ヤバいほどかわいい。やっぱ、この笑顔は反則だろ。
「やったー、一緒の部屋で寝れるぜー、シャルロットの処女は俺が頂きだー、ああたまらん、俺好みの未熟な体を思う存分貪り尽くせるぜ、げっへっへ」
っておい。
「デルフ! 何言ってやがる!」
「え、俺なんか言った?」
この野郎。
「何つーこと言うんだ手前は!」
「いや、知らねえよ、俺何も言ってないって」
どこまでとぼける気だこいつは。
「お前以外に誰がいる!」
「だから知らねえって、神の声でも聞こえたんじゃねえか?」
“神”
なんか引っ掛かるものが。
ふと、シャルロットの方を見ると。
「………」
顔を真っ赤してた。うーんかわいい。じゃなくて!
「やっぱ手前じゃねえか!」
「だから知らねえって!」
俺達の口論は学院に着くまで果てしなく続いた。
“ふふふ、虚無に不可能はないわ。あったわねえ、こういうこと。懐かしいなあ。今だったらシエスタはお持ち帰りになってるわね、もちろん私の。あ、ハイハイ今いくわ、少しは休憩もさせなさいよ、全く”
■■■ side:シャルロット ■■■
「出来たぜ!」
「完成」
私とサイトは一緒にサイトが寝る為の藁製の家を作っていた。
ルイズの部屋をデルフだけを餞別に追い出されたから、サイトの寝る場所が無かった。そこで、私の部屋の中に藁ハウス第2号を設営することに。
「けど、やっぱ魔法って便利だな。俺だけで作った時は結構時間がかかったけど」
「要は使い方次第」
藁みたいなものを空中で固定するのは難しい。けど、『レビテーション』を使えばそれも簡単にできる。
私が藁を空中に固定して、サイトがロープで縛りつつロウで固めていけば、割とあっさりと骨組は出来た。
床の藁は敷き詰めるだけだから、壁と天井さえ出来れば十分休めるような家になる。
「しかしよお、若い男女がおんなじ部屋にいて、相棒が持ってるもんがロープとロウソクと来た。もし今誰か来たら、変態疑惑その2が浮上するな」
「でっ!」
「!?」
そういえば!
「しかも、青い娘っ子の方は既に御就寝モードの格好だし、相棒は幼女の寝込みを襲う性犯罪者にしか見えねえだろうな」
「早く言え!」
「そこで俺に文句を言われてもなあ」
私はもういつものパジャマとナイトキャップに着替えてる。
でも、それって…………
私とサイトが恋仲という噂になるんだろうか?
それは……………別に問題ないかな?
「ま、とにかく出来たんだからいいか」
「だねえ、もうけっこう夜も遅いぜ」
そういえばそうだった。
「サイト、明日はどうするの?」
「うん、もう一回トリスタニアに言ってみようと思う。それで駄目だったら、ハインツさんに相談しようかと」
ハインツなら仕事くらいいくらでも回せるはず。
でも、彼がそれだけで終わらせるとは思えない。
「分かった」
「悪いな、シルフィードに乗せてもらってばっかで」
「気にしない」
シルフィードには少し申し訳ないけど。
「そんじゃ、そろそろ寝るかな」
「この毛布を使って」
サイトに毛布を渡す。
「ありがとう、でも、寒くないか?」
「平気、そろそろ夏に入る頃だから」
今はウルの月の半ば、トリステインは徐々に夏に向かってる。
そして、私はベッドで、サイトは藁の家で眠ることに。
こうして、誰かと一緒に寝ることは凄く久しぶりな気がする。あれは確か………
「シャルロット?」
気付いたら立ち尽くしていた。
「ううん、少し思い出してただけ」
ベッドにもぐりこみながら答える。
「思い出してた?」
「そう、私が前に誰かと一緒に寝たときのこととか、私がベッドで、もう一人が藁の家という状況を」
あんなことをするのはハインツしかいない。
「ひょっとして、ハインツさん?」
やっぱり分かったみたい。
「うん、私が魔法学院に来る前は、リュティスのロンバール街にあるヴァランスの別邸で過ごすことが多かったのだけど」
あそこは人が住むというより、北花壇騎士用の物資補給所みたいな場所になっていた。
ハインツの個人的な家はベルクート街にあって、ロンバール街にある別邸には色んなものがあった。
そして、今ではそれほどでもないけど、貧民街ことゴルトロス街にはたくさんのアジトがあって、今はファインダーやフェンサーが多く利用してるとか。
暗黒街はハインツとイザークの独壇場、あの街そのものがあの二人の庭みたいなものだ。
「そこの中庭にハインツが私のためという名目で家を建てたの」
あれは絶対に自分がやりたかったからだと思うけど。
「どんな家?」
「煉瓦の家、そして、ハインツ用には藁の家」
サイトなら多分これだけでわかるはず。
「ひょっとして、お姉さん用に木の家があったりする?」
「正解、しかも、小高い山まで作られてて、木の家はその中腹に、煉瓦の家はてっぺんにある。リンゴの木も植えられていた」
当然藁の家は麓に。
「あの人、何考えてんだ? いやどんな頭の構造になってるんだ?」
「とても楽しそうに作ってた」
しかも、煉瓦の家と木の家を作るにあたっては本物の職人を招いていた上、ハインツ自身も習っていた。その上、彼が忙しいときには“ヒュドラ”を使って遍在を残すということまでやっていた。
どうしてそこまでするのだろうか?
「じゃあ、シャルロットはここに来るまではハインツさんの家にいたんだ」
「うん、ガリアのどこに行くにもリュティスは一番便利だから」
あの頃はハインツから魔法や秘薬や戦闘技能など、色んなことを学びつつ、ワイバーンに乗ってガリア中を任務で飛んで回っていた。
今でもシルフィードに乗って任務に出かける。もっとも、結構すぐ終わるけど。
「えーと、何をやってたんだ?」
ことが北花壇騎士団に関わるから小声になるサイト。
「幻獣退治が多かったけど、とにかく色んなことがあった。任務の内容よりも、ハインツは私に世界を見せたかったみたい」
それまで私は世界を知らなかった。
公爵家のお嬢様としての生活しか知らない、世間知らずの小娘に過ぎなかったから。
「任務か、でも、なんでシャルロットが?」
そこは色々と事情があるのだけど。
「私が所属する北花壇騎士団は元々もっと小さい組織で、貴族の依頼があった際に引き受ける程度だったみたい。けど、ハインツが副団長になってからは、どんどん組織を大きくして、情報網を整備した。けど、纏める人がいなかったから、情報を纏める方はイザベラ姉さまに押し付けて、ハインツ自身は実働部隊を率いることに。情報部門は団長であるイザベラ姉さま、実働部隊のフェンサーは副団長のハインツが纏めているのが現状」
「なんか、随分身内っぽい組織なんだな」
「間違いじゃない、本部の“参謀”もハインツの昔からの知り合いとかが大半だし。ハインツの補佐官の二人の元同僚とかもいる。フェンサーの上位は大抵ハインツの友人知人だし、それで、私もフェンサーの第七位」
要は、ハインツ交友網と言っても問題ない。なにせ、北花壇騎士団の情報網の大元になったのはハインツの親友であるイザーク・ド・バンスラード外務卿の情報網だという話。
彼一人から、あらゆる横の繋がりが発生している。
“知恵持つ種族の大同盟”という、先住種族との交流さえやっているという話だから。
「要は、兄貴のお手伝い?」
「そんなところ、恩返しも兼ねて」
最初は、母様の心を取り戻すため、生きるため、そして、復讐するためだった。
だけど、兄と姉の存在がそれを変えてくれた。母様の症状は時間と共に回復してるし、最近では私を“タバサ”としてだけど認識してくれる。優しく声をかけてくれる。
その治療をしてくれたのもハインツ。そして、彼が活動しやすいようにガリア王政府の中枢にいるのがイザベラ姉さま。
だから、今は復讐とは少し違う。まだそれを捨てたわけではないけど、それだけに囚われることをあの人達は望まない、それでは余計心配をかけるだけになってしまう。
「ハインツさんが学費を出してるんだっけ?」
「うん、父様が3年前に亡くなってしまって、母様もその頃から病気で、ハインツが定期的に治療してくれてるの。徐々に良くなっては来てるし、来年頃には完治するかもとは言ってた」
“大同盟”の水中人の人達の薬でエルフの毒を緩和している。
そのことが、家族のことを特に気負わずに話せるくらいに、私の心を溶かしてくれた。
「そうか、それで従兄妹のハインツさんが…………」
こうして話だけを聞くと、特に違和感がないから不思議。
父が亡くなって、母が病気で伏せっているから、既に成人している従兄妹の世話になっている。ただそれだけに要約出来てしまう。
世の中、案外単純なのかも。
「でも、お母さんは徐々によくなってるんだ」
「うん、ハインツのおかげ」
そこは本当に感謝してる。
「そっか、家族がいるっていいな」
「サイトも会いたい?」
サイトはしばらく家族に会えない。
「たまにな、でも、永遠に会えないわけでもないし。つーか、俺もシャルロットも家族に会えるかどうかはハインツさん次第なんだな」
そういえばそうかも。意外な共通点。
「仲間」
「ああ」
そうして、懐かしい思いに包まれていると徐々に瞼が重くなってくる。
「おやすみなさい、サイト」
「ああ、おやすみ、シャルロット」
そういえば、あの家で寝る時もハインツと話していたっけ。
伝声管でそれぞれの家を繋いで、ベッドで休みながらも話せるようにハインツが工夫していた。
本当に、あの人は子供みたい。でも、頼りになる兄。
孤独じゃないということは本当に素晴らしい、だって、一人は寂しいから。
それで、ふと思う。
あの男は、父様を殺して得た孤独な玉座で、何を思っているのだろう?
玉座という場所には、そんな価値があるのだろうか?
その代償が永遠の孤独だとしたら…………………
王家とは、なんて辛い宿業を負っているんだろう。