トリステインと神聖アルビオン共和国の間には、不可侵条約が結ばれているので、表面的には平和である。
そして、トリステイン王女アンリエッタと、ゲルマニア皇帝アルブレヒト三世との結婚も徐々に迫って来ている。
そのための準備も、徐々にトリスタニアとウィンドボナで進められており、その一部は魔法学院にもやってきた。
第二十三話 始祖の祈祷書
■■■ side:オスマン ■■■
わしの目の前の机に存在する一冊の本。
革の装丁がなされた表紙はひどくボロボロで、触っただけでも破れてしまいそうなほど古びている。
羊皮紙で綴られた分厚い本のなかみは、これも経年劣化によるものか、色褪せて茶色くくすんでしまっている。
「これがトリステイン王室に伝わる、『始祖の祈祷書』か……」
トリステイン王宮から届けられたものなので間違いはない。
六千年前に始祖ブリミルが神に祈りを捧げるため詠み上げた呪文を、始祖自ら事細かに書き記した経典。
と、伝承にはあるのだが。
「――紛い物か?いや、それにしても酷い出来じゃな……。歴史だけは無駄に過ごしておるようじゃが、中身がこれではの」
パラパラとそのページをめくる。
およそ300頁ページはあるかというこの本の中身は、どこまでいっても真っ白であった。
「紛い物だとしたらこれを製本した者は単なるバカじゃし、これが仮に本物であったなら……。始祖ブリミルが、筆不精だったという証拠品になるのかのう?」
この本『始祖の祈祷書』は、いかんせんあまりにも贋物が多い。
一冊しかないはずの『始祖の祈祷書』は、その全てを集めると保管に一つの図書館が必要になると言われるほど、世界各地に存在している。
わし自身、若い頃、旅先で何度か『始祖の祈祷書』を見たことがあった。
まだそれらの方が、よっぽど祈祷書らしい体裁を整えていたと思う、ちゃんとルーン文字が紙面に躍り、それらを読むことができたのだから。
いずれも贋物だったが、今、目の前にあるこの本よりはよほど本物らしかった。
「それが故に、ブリミル教の解釈は貴族や為政者の都合がいように改変されてきた。確固たる原典がないのだから当然と言えば当然」
しかし、これが原典とされ、トリステイン王国の国宝となっておるのもまた事実。
にもかかわらず、白紙というのには何の意味があるのであろうか?
と、そこにドアがノックされた。
ミス・ロングビル、いや、今はミス・サウスゴータと呼ぶべきか、彼女には現在トリスタニアに行ってもらっているので直接応答する。
「鍵は掛かっておらぬ。入ってきなさい」
桃色がかったブロンドの髪に、大粒の鳶色の瞳。
間違いなく、“烈風カリン”殿の娘であることが一目で分かる。
「わたくしをお呼びと聞いたのですが……」
「うむ、来月にはゲルマニアにて、無事に王女のゲルマニア皇帝との結婚式が執り行われる旨、昼前に急使が伝えてきよった。これもきみたちのお蔭じゃ、胸を張りなさい」
しかし、ミス・ヴァリエール無言で一礼するのみ。
まあ、仕方あるまい、婚姻とはいえ、実質的には軍事同盟のために差し出される人質と大差はない。
姫殿下は彼女自身にとって大切な人物であったはず、心の中は穏やかではおれんじゃろう。
わしは手の中の『始祖の祈祷書』を彼女に差し出す。
「これは?」
「『始祖の祈祷書』じゃ」
「始祖の祈祷書? ……これが?」
驚くのも無理はない、国宝とされていたはずのこれを、何故わしが持っているのか気になるのは当然。
「トリステイン王室には伝統ともいえる風習があっての。王族の結婚式の際には、貴族より選ばれし巫女を用意する。そして選ばれた巫女はこの『始祖の祈祷書』を手にし、式の詔を詠みあげる。そういう習わしじゃ」
「そういえば……」
流石に博識じゃの、まあ、トリステイン最大の封建貴族たるラ・ヴァリエールは幾度となく王族の結婚式の際の巫女を輩出してきた。彼女はもう30番目くらいになるかもしれん。
「ミス・ヴァリエール。姫殿下はその巫女に、そなたを指名してきたのじゃ」
「姫さまが?」
「その通りじゃ。巫女は式に至るまでの間、この『始祖の祈祷書』を肌身離さず持ち歩き、詠みあげる詔を考えねばならぬ」
「……え。き、祈祷書に詔が書かれているんじゃないんですか?」
まあ、普通はそうじゃな、でなければ祈祷書を持つ意味がない。
「中を読んでみたまえ」
胸の前に祈祷書を持ち上げ、パラパラとページをはためかせて、ミス・ヴァリエールは硬直した。
「そういうことじゃ。勿論、草案は宮中の連中が推敲するじゃろうがの」
完全に固まっとる、いや凍結しとるな。国宝が“これ”といわれれば無理もないが。
「伝統というやつは面倒なもんじゃが、姫はミス・ヴァリエール、そなたを指名したのじゃ」
ミス・ヴァリエール解凍。急にそわそわし始めたな。
「これは大変な名誉じゃぞ? 王族の祝事に立ち会い、詔を詠みあげるなど、一生に一度あるかないかじゃからな」
「わかりました。つつしんで拝命いたします」
その答えと同時にピタッと、慌てたそぶりが止まる。うむ、目に強い光がある。どうやら、任せられそうじゃ。
「おお、引き受けてくれるか。幼友達がこうして自らの手で祝福してくれるのじゃ。姫殿下も喜ぶじゃろうて」
「姫様のためならば、どんな難題であろうが引き受けますわ」
そう言って、ミス・ヴァリエールは退出していった。
残ったわしはしばらく物思いに耽っていた。
「ふむ、姫殿下のためか………まだ大丈夫そうじゃが、少し危ういものを感じる」
“誓約”というものは厄介じゃ、過去、多くの貴族が自らの誓約に縛られ身を滅ぼしていった。
「力に振り回されることも多いが、彼女の場合そもそも魔法が使えぬ、ならば………」
ん? 魔法が使えない………
「待て、彼女はラ・ヴァリエールの三女、苦手ということはあっても、魔法が使えないということはあり得ぬ。実際、“爆発”という形ではあるが、魔力の発動は行っておるはず」
ならば、なぜそれが形にならん?
そして。
「魔法が使えぬメイジ、読めない祈祷書………なんじゃ、この違和感は?」
なぜ、“似ている”と感じる?
「む、そういえば、彼女が呼び出した使い魔は、始祖の使い魔“ガンダールヴ”であったか」
ここにも“始祖”の名が出てくる。
そして、王家はそれを最も色濃く伝える家系であり、その傍流たるヴァリエールは王家に次いでその血を色濃く継承しておるはず。
「始祖の血脈、誰にも読めない『始祖の祈祷書』、魔法を使えないはずがないのに、使えないメイジ、そして、そのメイジが召喚した始祖の使い魔“ガンダールヴ”……………まさか」
考えれば考えるほど次々とピースが集まってくる。そして、それが作り上げる絵は……
彼女は……………失われたペンタゴンを司る者なのでは?
「これは、本格的に調べてみる必要がありそうじゃな」
■■■ side:才人 ■■■
「出来ました! 出来ましたよ巨匠!」
「おお! ついに完成したか!」
場所は例のヴェストリ広場、俺とギーシュではしゃいでいる。
今回は二人で風呂を製作していた。
この魔法学院には貴族専用の大浴場があり、大理石でできた古代ローマの皇帝が入っているような立派なもんなんだが、反比例するように平民のそれは質素。
平民用の共同風呂は簡単に言えばサウナ。石が詰められた暖炉の隣に腰かけて、汗を流した後身体が温まったら外に出て水で汗を流すといったもの。
トリスタニアですら公衆浴場というものは存在していない、江戸の街にはあったはずなんだけど、その辺は結構遅れているみたいだ。
というか、民間で経営するにはどうしても赤字になってしまうらしいので誰もやらず、貴族のための風呂はあるから政府がつくることもない。古代ローマでも民衆の不満を逸らしたりするために公金でつくったとかどうとか。
だが、ハインツさんとシャルロットのガリアでは公衆浴場お試し版が始まっているらしい。後半年くらいしたら一般公開が始まると言っていた。
ま、それはともかく、今の俺が風呂に入れないのは変わらないので自分で作ることにしたんだが。
「しっかし、お前は器用だよなあギーシュ、「土」メイジはこういうことに関しては凄いんだな」
「ふ、もっともっと褒めたまえ、シュヴルーズ先生などは「土」こそが最も重要な系統と言うが、一番平民の生活に貢献しているのは間違いないのだよ。農具とか肥料などの合成にも多く使われているのだから」
思いっきり胸を張るギーシュ。
「えーと、「水」つったら回復だけど、平民には高すぎるんだっけ?」
「そう、戦場の治療士(ヒーリショナー)などはともかく、秘薬を使う治療はとにかく金がかかる。貴族や豪商くらいだよ、受けれるのは。だから、平民療法みたいのも結構存在するのさ」
あんまし平民の役には立ってないんだよな。
「あと、「風」は主に船だっけ?」
「だねえ、空を往く船を操作するには最低一人くらい「風」メイジが欲しいところだ。何しろ風メイジは風を読むことが出来るし、初速をつけるために帆に風を送ったりと色んなことが出来る。アルビオンは「風の国」だから特に多いはずさ」
それが、空からトリステインを見下ろしてる。いつでも攻撃できるってことか。
「最後に、「火」が戦争と」
「少なくとも調理場や製鉄場では使われないね、その辺は平民の管轄で、貴族の「火」は戦場で敵を倒すために存在する。そもそも始祖から授かった神聖なる魔法を雑多なことにしようするのはあまり奨励されない。特にロマリア宗教庁の神官がうるさくてね、ことあるごとに異端だってやかましいんだよ」
そう考えると、コルベール先生の研究は異端研究そのものなんだなあ。
ま、地球でもガリレオ・ガリレイとかが教会から異端にされたって話だし、先進的な研究者ってのはそういうものなんだろう。
「でもいいのか、平民用の風呂を作るため何かに使って。手伝ってもらって出来あがってから言うのもなんだけどさ」
「誰も気にしないよ。そもそも、貴族が使い魔と遊んだり、本をとったり、喉が渇いたときなんかに使うのは“神聖”で、平民の生活必需品を作ることは“異端”なんてどういう理屈何だか」
うーん、やっぱり変わったかな、こいつ。
「そういう考えって、俺達以外にはほとんどいないよな」
最近ではルイズ、俺、シャルロット、キュルケ、ギーシュのアルビオン組は“俺達”や“僕達”で一くくりにすることが多くなってる。
「だねえ、君の価値観が伝染してるのかな?」
いや、大元はあの人だ。シャルロットもキュルケもあの人の影響を大きく受けてる。
「ま、とにかく、あとは水を入れて沸かせばOKと」
「水汲みは君に任せるよ、僕は火を担当しよう、『発火』を使えば一発さ」
そこも使いどころなんだよな。
「そこんとこが面白いよな、水を汲むんだったら『レビテーション』で桶を操作する、もしくは『錬水』で水そのものを作り出す。が、風呂くらいの量の水を出すのは並大抵じゃないし、『レビテーション』も疲れる。つまり、平民が自力で汲むのと大差ない」
『錬水』で確保するなら少なくとも「トライアングル」が必要、水の膜を張るとか、水の鞭を作り出すとか、氷の矢を飛ばすとか色々あるけど、容積自体はそれほど大した量じゃない。
「そう、だけど、平民がかなりの手間をかけないと火を興して火力を高めることなんて出来ないが、魔法なら一瞬だ。使いどころが大切なのだよ」
この前のコルベール先生の授業でキュルケが言っていたことだ、平民が簡単に代行出来ることまで魔法でやっても何の意味もない。
この場合、水を汲むのは“身体強化系”の俺ならあっという間。そして、火を興すのはメイジのギーシュなら一発。要はそういうこと、適材適所で分業すりゃいいんだ。
「トリステインもさ、貴族が平民を支配するだけじゃなくて。もっと互いに協力するというか、メイジの特性を活かせる仕事と、平民特有の数の多さを活かせる仕事とかに分けて、それぞれが頑張るとかの方がいいんじゃないか?」
ギーシュと一緒に作業してるとそういう風に思えてきた。
「正直、僕もそう思う。これまで平民と対等な関係で何かを作ったり作業したりしたことなんて無かったから考えもしなかったけど、絶対そっちの方が効率いいはずだよ」
そう考えると、『レコン・キスタ』てのはそういう組織なのかもな。
………どこまでも戦争が広がっていくって部分さえなければ、理想的な組織なんじゃないだろうか?
水汲みに向かいながらそんなことを考えていた。
■■■ side:ギーシュ ■■■
「おお、意外とゆったりできてるね」
湯を沸かす作業も終わり、出来あがったばかりの風呂に現在サイトが入っている。
「おおー、気持ちいいぜ、故郷を思い出すなあ」
サイトの顔も幸せそうだ。
この風呂は厨房の古くなった大釜を元に、僕の『錬金』を加えてやや大きくすると同時に人間がくつろぎやすい形に整形したもの。
土台部分もしっかり土を“青銅”に変化させて作ったからそう簡単には壊れやしない。我ながらいい出来だ。
「君の故郷の東方ではこういう風呂が主流なのかい?」
「うーん、そうだな、でっかい木の桶で作ったり色々あるけど、こういった一人用の風呂が農家にもあってさ、家族は交代交代で入る。もっとも、最初は子供で最後が大人って不文律はあるけど」
なるほど、けっこう文化が違うみたいだ。
「でも、本当にありがとう、ギーシュ」
かしこまってお礼を言ってくるサイト。
「構わないよ、僕にとってもいい練習になったし」
“ワルキューレ”以外のものを青銅で作るのも久しぶりだった。
「そうか、うーん、ヴェルダンデが掘った大きな穴の表面をお前の『錬金』でコーティングして、そこに水を流し込んで、よく焼いた石を入れればもっと大きな風呂が出来るかな?」
「なるほど、そういう発想もあるね、君はよく考えるなあ」
こういう自由自在の発想がサイトの持ち味だろう。
「いや、これも俺んとこの文化でさ、“温泉”っていって、地中の溶岩とかに熱せられた湧水が天然の風呂になることがあるんだ。俺の国は“温泉大国”って呼ばれるくらいそれがたーくさんあるんだよ」
「なるほど、こっちではないなあ。ひょっとしたらガリアの火竜山脈の方ならあるかもね」
こうした異国の話を聞くのも楽しいものだ。
それはそうと。
「そろそろデルフを引き上げてもいいんじゃないかね?」
「だな」
風呂に沈んでいたデルフを引き上げるサイト。
「ぷはあ! よーやくしゃべれるぜ! 息できなかった!」
いや、君は息してないだろ。
「すまんなデルフ、主人の命には逆らえなかった。お前を沈めろとの勅命だったもんでな」
ことの発端はいつも通り、『貴族の娘っ子の胸もここまでぺったんこじゃなきゃ、赤髪の姉ちゃんと勝負できるかもな』なんて言ったことが原因だ。
「ま、まあ、井戸じゃなかっただけましだぜ。ありがとうよ相棒」
“沈めろ”という抽象的な命令だったからこれでも一応果たしたことになる。
しかし、風呂に人間と剣が入ってるというのも変な光景だなあ。
「ところで相棒、誰か来たぜ」
するとデルフがそう言った。デルフは意外と探知能力に優れるそうだ。
「誰だい」
僕も振り向くと、ガチャン!という音が響いた。
「わ、わわ、またやっちゃった……。また、怒られちゃう……くすん」
「シエスタ!?」
「シエスタじゃないか」
「メイドの姉ちゃんか」
三者三様の答え。
シエスタはしゃがんで何かを拾っている。
「何やっているの?」
これはサイト。
「あ! あの! その! あれです! とても珍しい品が手に入ったのでサイトさんに御馳走しようと思って!今日厨房で飲ませてあげようと思ったんですけどおいでにならないから!わあ!」
今日はずっとこれの製作をやってたからなあ。
というか、また一つカップが割れた。うーん、なんというか、おっちょこちょいだ。
「御馳走?」
「そうです、サイトさんの故郷の東方(ロバ・アル・カリイエ)から運ばれてきた珍しい品で、『お茶』と言う品です」
おお、ちょうど話題だったサイトの故郷の品か。
「しかし、飲むにもカップが全滅したみたいだけど」
2個あったカップは両方とも壊れている。
「あ……そうでした」
落ち込むシエスタ、かなり気の毒だ。
「破片はあるかな?」
かわいい女の子が落ち込んでいるならば、男、ギーシュ・ド・グラモン、やらねばならない。
「あ、集めましたけど」
材料が全部あるならいける、幸い、無地のカップだから模様は気にしなくていい。
「『錬金』」
相手が陶器なら「土」メイジの領分だ、こと精密な『錬金』に関してならば誰にも負けやしない。
「おおー!凄いぜギーシュ!」
「てーしたもんだ!」
後ろの二人から歓声が上がった。
「あ、ありがとうございます!」
「別にいいよ、その代り、僕にも飲ませてくれ、どんな味か興味ある」
サイトの故郷の品はどういうものなのか。
「は、はい! 少々お待ち下さい!」
で、風呂釜を囲んだ謎のお茶会になった。
話すのは主にサイト、僕とシエスタはお茶を啜りながらのんびりと彼の故郷の話を聞いている。
彼の国では“ひこうき”という空を飛ぶ乗り物があったり、“デンワ”という遠くの人と話せる道具があるそうだ。
でも、食文化なんかもかなり異なるらしい。
「刺身ねえ、魚を生で食べるのか」
「凄い独特な発想ですね」
聞いたことも無い食品の話が次々に出てくる。
「これは東方っていうより、俺の島国“二ヴェン”の文化だ。大陸の人にも驚かれてる」
「東方にも色んな国があるんだね」
「言葉も違うんですか?」
ハルケギニアは共通した言語圏になってるけど。
「統一した言語はないはず。俺も庶民だから他の国のことなんてよくはわからないけど、文字は同じだったりするけど文法が違ったり、俺の国も字も、元々他の国からもらってきたのを独自に改造したものなんだ」
「字は同じなのに意味が違う、面白いものだね」
「はあ、読み書きはどこで習うんですか?」
そういえば、シエスタはどうなんだろう。
「シエスタ、君は読み書きは出来るのかい?」
「あ、はい、学院で奉公するにあたって、寺院で覚えたんです」
なるほど、まあ、貴族に仕えるのなら珍しいことじゃないな。
「俺んとこも似た感じ。寺小屋っていう場所で習う、都市部だったら庶民用の学校もあるよ」
「なんと! 平民用の学校が!」
「いや、平民じゃなくて庶民。こっちと違って貴族制度は過去のもので、今は四民平等、身分差別はないんだ。もっとも、貧富の差はあるから、貴族・平民じゃなくて、富豪・貧民みたいな感じだな、政治家になるには金がかかるんだよ」
金がかかるのは変わらないのか。そこはどこでも同じだなあ。
「でも、法的には同じ存在だから、こっちの貴族みたいに何をやっても許されるみたいなことはない。つーか、毎けっこう捕まってるんじゃないかな?」
「そこは大きな違いだね、立場は異なっても、適用される法は同じなのか」
「凄い国ですね」
ハルケギニアとは大きく異なる。
「そ、だから、国のお偉いさんに対してどうどうと悪口言っても罪にはならない。不敬罪ってのがない。“小泉の糞野郎”とか“くたばれ麻生”とか、“鳩山あ、『私を信じてほしい』だあ? 寝言言ってんじゃねえぞ”とか公共の場で言っても問題なし。でも、天皇陛下にそんなことを言う野郎がいたら絶対ぶっ殺すけどな」
「陛下ってことは、王様はいるのかい?」
貴族はいないそうだが。
「いる。といっても国の象徴であって実権はない、憲法で定められてるから。でも、やっぱり俺の国では一番偉い人なんだよ、政治を担当してるのとはわけが違って、なんかこう、神々しいオーラが出てる。そして、数か月先まで一杯のスケジュールをこなしながらも、国民の前では常に笑顔なんだ。我が国の誇りですよはい、天皇陛下と皇后さまが侮辱でもされたら日本国民が黙ってませんともええ」
その辺はトリステインとは違うな、辺境の農民なら王様のことをよく知りもしないはずだ。
「天皇陛下………………」
シエスタが何か考え込んでる。
「おーい、メイドの姉ちゃん、どうしたよ?」
デルフが尋ねる。
「い、いえ!何でもありません!わ、私、遅くなってきたのでそろそろ部屋に戻りますね!」
シエスタはいかにも何かありそうな感じで帰って行った。
「なんだ? いかにも何かありますって感じだったけど」
「さあね、乙女心は複雑なんだろう」
多分、シエスタはサイトが好きなはずだ。態度を見てれば予想がつく。
けど、問題はサイトの方、今のサイトはアルビオンとのこととか、その辺に集中してるし、それに……
「ま、いいか、そろそろ上がるわ」
意外とタバサと仲がいい、ルイズとは主人と使い魔の関係だけど、タバサとは特に何も無くても一緒にいることがある。
当人達は気付いていないらしい、これはキュルケの証言。
さてさて、シエスタとタバサから同時に求愛された場合、君はどうするかな、サイト?
僕だからこそ分かる、二股をかけるのはやめた方が良い、恐怖を味わうことになるから。
■■■ side:才人 ■■■
風呂から上がってギーシュと別れた後、ルイズの部屋に戻ってきた。
が、いつにもまして真剣な表情で本を見ながら悩んでいる。
こいつが真剣なのはいつものことだが、悩むのは珍しい。学年首席だけあってこいつに解けないことなんてほとんどないからだ。
「どうした? 珍しく考え込んで」
なので聞いてみることで。
「あ、サイト、戻ったんだ」
これも最近あった変化、俺のことを普通にサイトって呼ぶようになった。以前は普通に犬と呼ばれることも多かったけど。
やっぱし、ウェールズ王子のことが大きいんだろう。あの人は“サイト”が“ルイズ”を守るように頼んだから。
「そりゃ、何の本だ?」
随分古そうだが。
「これ?『始祖の祈祷書』よ。姫様の結婚式の際に貴族の中から巫女が選ばれて結婚式の詔を考えるの、その為の本で、トリステインの国宝よ」
おお、国宝か。
「じゃあ、お前がその巫女なんだな」
「まあそうだけど、私なんかが巫女でいいのかしら……」
珍しく弱気だな、まあ、かなり難しそうな上、国家を代表するようなもんだし。
日本で言うなら皇太子の結婚式の仲人を務めるみたいなもんだ、とんでもないプレッシャーがかかる。
「けどよ、お前以外に誰がいるんだよ」
そんな重要な役だからこそ、こいつしかあり得ねえ。
「でも、私は魔法をまともに使えない落ちこぼれよ?」
魔法がまともに使えないのはそうだけど。
「でもさ、結婚式の詔を考えて読み上げるのに魔法がどこに必要なんだよ。必要なのは実技の方じゃなくてむしろ座学のほう、ここの連中が寝てばっかの歴史の授業とか、貴族のしきたりとか、そういうのに詳しい奴が選ばれるだろ。つまり、学年首席のお前」
こいつは魔法がまともに使えないことへのコンプレックスが強すぎて、他のことを軽視する傾向がある。勉強が出来るってことにもっと自信を持ってもいいと思う。
「まあ、確かに魔法はいらないわね」
「だろ、それに公爵家の三女ときてる。お前、お偉いさんの結婚式にも出たことあるだろ?」
「そりゃあるわよ、魔法学院に入るまでは年に数回は出てたわ」
当然っちゃ、当然の話。
「そして極めつけ、これはちょっとお前の家が特殊なだけだが、今回のお姫様の結婚相手はゲルマニアの皇帝なんだから、その結婚式はトリステイン式とゲルマニア式が混ざったものになるだろ。だとしたら、どっちの結婚式の作法にも詳しい人材が必要になるんじゃないか?」
トリステイン貴族は基本的にゲルマニア嫌いが多いからそれほど詳しくないはず。
が、ここに例外がいる。
「ええ、ゲルマニアの結婚様式ならよーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーく存じているわ。元婚約者とか、元恋人とか、挙句の果てに元奥さんとか、そういう人達の結婚式のことがたーーーーーーーーくさん伝わってるから、式の段取りまで暗唱できるわよ」
小さい頃から散々聞かされたらしい。言葉にも熱が篭ってる。
「トリステインとゲルマニア、両方の結婚式の作法に詳しい。公爵家の三女。魔法学院で学年首席。そして、お姫様の幼馴染。こんだけ条件がそろっててお前じゃなったら一体誰がやるんだよ?」
客観的に考えればこいつしかあり得ない。
「そういえばそうだったわ、ラ・ヴァリエールの人間は幾度となくトリステインの王族の結婚式の巫女を務めてきたんだったわ」
やっぱし。
「それにさ、宮廷の人達にとっちゃお前の評価は“実技が苦手な学年首席”ってとこだろ。魔法が使えようが使えまいがそういった場では何の意味もないんだから」
案外、貴族らしいところになるほど、魔法は必要なくなる。
『レビテーション』や『フライ』なんかは便利さの象徴だが、そういった公式の場では大量の使用人とかがいるから使うことも無い。
結局、戦場くらいだよなあ、貴族が魔法を使える意味があるのって。
「それは………そうね」
少し考え込むルイズ、最近魔法に関して考え込むことが多い。
「ところで、その結婚式に、アルビオンの奴らは参加するのか?」
確か、クロムウェルって盟主と……
アルビオン王家を滅ぼした男、ゲイルノート・ガスパール。
「不可侵条約は締結されているから、出席する筈よ。それに、アルビオンだけじゃない、ガリアやロマリアからも客は来る。トリステインの王女とゲルマニアの皇帝が結婚するんだから当然だけど」
そりゃそうか。
「巫女はお前がやるとして、実際に進めるのは誰がやるんだ?」
「ロマリア宗教庁の大司教でしょうね、流石に教皇聖下がお越しになるのはないと思うわ。トリステインのマリアンヌ王女とアルビオンのヘンリー大公の結婚式の時には当時の教皇聖下が直々に進めたそうだけど、ゲルマニアはロマリアと一番関係が薄い国だから」
そういうことに関してなら、ルイズは本当に詳しい。こういったことをすらすらと言えるのも巫女の条件だと思う。
「ロマリアからは大司教と、ってことはガリアは?」
ハインツさんとシャルロットの国だ。
「王か、王女か、もしくは王位継承権が高い王族ね。多分、ウィンドボナへ直接行くでしょう。アルビオンからだとトリステイン経由になるから一緒にトリスタニアからウィンドボナへ向かうことになると思うけど」
ま、王族の誰かってことか、FBIの長官のハインツさんも護衛とかで行くのかもしれない。
「で、肝心のアルビオンは?」
「多分、盟主のオリヴァー・クロムウェルしかいないと思う。ゲイルノート・ガスパールなんて来た日には、結婚式会場で集まった列国の客を皆殺しにしかねないもの」
なにせ、単独で宮殿を強襲して王冠を奪ったような奴だ。結婚式に招くのは危険すぎる。
アルビオンから帰って以来、ルイズはアルビオンの内戦について調べている。
ウェールズ王子を殺した『レコン・キスタ』という組織がどういうものか知るためで、そういった作業は俺じゃ全然ルイズに及ばないので任せている。
「ってことは、結婚式の場でお姫様は『レコン・キスタ』の盟主と会うことになるのか」
それに、あのお姫様は耐えられるのか?
「というか、巫女の私もね、詔に魔法を加えて吹き飛ばしてやろうかしら?」
「絶対にやめとけよ、どう考えても全面戦争になるだろ」
敵のトップを殺すチャンスではあるかもしれないけど、ゲイルノート・ガスパールが生きているんじゃ意味がない。
「……そう考えると、無事に終わるかしら?」
「って、そ、そうか! 逆もまた然りだぜ!」
アルビオンの連中が襲ってきたらどうなる?
絶対に戦争になる。
「歴史を紐といても、こういった各国の要人が集まる式典は戦争の引き金になることが多いわ。ある国の貴族が別の国の王女に狼藉したとか、そういった個人的な諍いがそのまま国際関係の悪化に繋がりかねない」
ありそうな話だ。地球でも100年くらい前までは、そんなこともあっただろう。ひょっとしたら今でも。
「じゃあさルイズ、もし、クロムウェル自身じゃなくてもだ、アルビオンの貴族の誰かがこれから結婚するお姫様にキスでもした日には」
「姫様の護衛が容赦なく吹っ飛ばす。そうなれば後は泥沼、それに対してアルビオン側が反撃して混乱は徐々に拡大、不可侵条約破棄の口実には申し分なさそうよ。クロムウェルが傷でも負えば一発でしょうね」
「その傷は、自作自演でもいいんだもんな。とりあえず、アルビオン貴族とトリステイン貴族がぶつかり合うきっかけさえ作ればいいってことだ」
となると。
「本当に、無事には終わらないかもね。まあ、その辺は王宮の人達も考えてるでしょうし、戦争のこととか国力のこととか、そこまでは私達には分からないわ」
そりゃそうだけど。
「お前が狙われる可能性もあるんじゃないのか?」
「私?」
「だろ、トリステイン選出の結婚式の巫女、これに危害を加えられたらトリステイン貴族が黙っちゃいない。『レコン・キスタ』にはあの変態ロリコン髭みたいのがいるんだし、何やってくるか分からねえぞ」
「ふん、望むところよ、姫様は私が守るわ。逆に仕留めてやるんだから」
逆にルイズがやる気に満ちている。
「まあ、国際関係なんてよくわからねえけど、巫女に相応しいのはお前しかいそうにないな」
有事の際に咄嗟に動くことも求められそうだ。
「詔を考えるだけでも大変だってのに、面倒ね」
でも、危険を考えて辞退するなんてことはしない、それがルイズ。
多分、結婚式の時に何かが起こる。俺達は漠然とそれを予感していた。
結婚式までは後20日。
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追記
ご指摘があったとおり、今後極力ハインツ視点無しでいこうと思います。