シャルロットのドラゴン(シルフィードというらしい)に乗って、俺は街にやってきた。
なんでも俺に会わせたい人がいるらしく、俺達はその人が待つ“光の翼”という店に向かった。
正直、もの凄い緊張する。
第二話 ハインツという男
■■■ side:才人 ■■■
「なあシャルロット、本当にその人に会わなくちゃいけないのか?」
トリスタニアというこの国の首都らしい街に降りた俺達は夜の街を歩いている。
道幅は狭い、日本で考えれば小道といっていいかもしれない。
というのも、あちこちに露店とかが並んでて、屋台が並んでる祭りみたいな状況になってるからだ。
「多分、会った方がいいとは思う。貴方はこの世界に知り合いがいないから」
「この世界って、俺が地球出身だって知ってんのか?」
「知ってる。貴方が読んだ“ニホンゴ”はハルケギニアの人間には読めないはず」
なるほど、って待て。
「じゃあ、なんでお前は知っているんだ?」
「これから会う人が教えてくれたから」
要は、その人が全部知ってるってことか。
「とりあえず、会ってみるしかないわけだな」
「大丈夫」
「いや、さっきの説明だと死ぬほど不安なんだが…」
マフィアのトップみたいな人だろ。
「確かに、暗黒街の頂点にいると聞いてる」
暗黒街ってオイ、聞いただけでヤバい場所だって分かるぞ、それ。
「その暗黒街って、ここ?」
「ううん、ここはブルドンネ街。トリスタニアで一番大きい通り。暗黒街はここじゃなくてリュティスにある」
これで一番大きいのか、日本とは比較になんねえな。
「リュティス?」
「ガリア王国の首都、人口はおよそ30万、ハルケギニア最大の都市でもある」
「30万で最大か」
地球よかよっぽど人口が少ないのか。
「確か、“ニホン”の首都は人口が1000万以上いるとか?」
「ああ、といっても1個の都市ってわけじゃねえけど。って、何で知ってんだ?」
「それも彼から聞いた」
「それって、こっちの普通の人は知ってんのか?」
ルイズは知らなかったみたいだが。
「知らない、知ってるのはこの世界で10人以下かもしれない」
「少な!」
なんつう少なさだ。
「出会いに感謝」
「確かに、出会えたことが奇蹟に近いな」
少なくとも何十万もの人間は住んでるんだもんな。
「あった、あの店」
シャルロットが指さす先には結構大きめの店っつうか、旅館みたいな建物があった。
「あれ、何だ?」
「宿屋、飲みに来るだけの客もいれば、二階に泊まっていく客もいる」
「なるほど、旅館兼飲み屋ってことか」
勉強になるな。って、別に社会勉強しにきたわけじゃねえけど。
「行こう」
「虎穴に入らずんば虎児を得ずってやつかな?」
なんか違う気もするが。
それで、シャルロットと一緒に店内に。
「おや、貴族の嬢ちゃんがこんな時間に何の用で?」
カウンターにいた店主っぽいおっちゃんが、愛想良く声をかける。
ここは結構品が良い店みたいだ。さっき街を歩いてる時、周りを歩いてた人よりも身なりがしっかりしてる。
でも、流石にシャルロットみたいな小さい子はいない。
………そういや、シャルロットって何歳だ?
「これ」
すると、シャルロットはカードみたいのを店主に見せる。
「……なるほど、あの方なら二階の奥の部屋にいます」
「了解」
それだけで済んだらしい。
俺は階段を上がりながら聞いてみた。
「なあシャルロット、さっきのは何だ?」
「予約券みたいなもの」
なるほどな。
そして、俺達は奥の部屋にたどり着く。
「ハインツ、連れてきた」
シャルロットが部屋の中に声をかける。
この部屋に、その人がいるわけか。
「おう、今開ける」
すると、ひとりでに扉が開いた。
「連れてきてくれてありがとな」
「別に」
シャルロットの返事はそっけない。
そして、そこには件の人がいた。
シャルロットから聞いてた特徴通り、蒼い髪、190センチ(こっちではサントというらしい)もの長身、顔はもの凄い美形だ。
けど、キザって感じはしない、なんかこう、子供達に好かれそうな兄ちゃんって感じがする。普通、美形だったら近寄りがたい雰囲気が出そうなものなんだけど。
でも、マフィアのトップなんだよな。
「やあ、初めまして、俺はハインツ・ギュスター・ヴァランスだ、気軽にハインツと呼んでくれ」
「は、はい! 初めまして! それがしは平賀才人と申します!」
緊張してたからこんなあいさつになっちまった!
「なんか緊張してるみたいだけど、そんなに畏まらなくていいから」
「は、はい! 恐悦至極であるます!」
ハインツさんはそう言ってくれるけど、どうも緊張する。
「なあ才人君、君はこいつから俺のことをなんて説明されたんだ?」
「そ、それは、やくざの親分のような人でとても恐ろしい方だとシャルロットは申しておりました」
あの説明だったらそうとしか思えん。
「いやまあ、そりゃ間違いじゃないが随分穿った意見だなそりゃ、って、シャルロットお!?」
「は、はい」
「ふふ」
なんか、シャルロットが笑ってるし。
「才人君、こいつの言ったことは話し半分にしておいた方がいい、どうやら俺を驚かすためにあることないこと吹き込んだみたいだから」
「あ、なんだ、そうだったんですか、“死神”とか“悪魔”とか言ってたから一体どんな怖い人なのかとびびってました」
なんだ、そういうことか。
「まあそこは置いといて、君は呼ばれた理由を知りたいだろうがまずは俺の話を聞いてくれ、そうすればここに呼ばれた理由も分かるだろうから」
「はあ」
そういや、何で呼ばれたのか聞いてなかった。
「単刀直入に言うとだ、俺は元日本人だ」
「………」
俺はフリーズした。
■■■ side:シルフィード ■■■
「なるほどなるほど、使い魔とはそういうものなのね」
「簡単に言えばな、それ以外にも色々あるが、要点はそんなものだ」
わたしは呼び出した主人であるあのちびすけのお兄さんらしい人の使い魔をやってる、“無色の竜”のランドローバルって竜と話してるところなのね。
「だけど、あなたは使い魔をやってて大変じゃないのね?」
「大変であるのは確かだな、しかし、それ以上に退屈せん。およそ退屈という言葉とあれほど無縁な主人はいないだろうよ」
「ふむふむ、じゃあ、わたしは使い魔としてやっていけるかしら?」
「大丈夫だろう。我もお前の主人は知っているが、優しく、そして純粋な子だ。我が主人の従兄妹とは思えん程にな」
ということは。
「あなたの御主人は鬼畜なのね?」
「鬼畜、外道、悪魔、人でなし、なんでもあてはまるな。ただし、自分が気に入った人間にはとことん甘い、特に妹二人に甘い」
「それは、わたしのご主人さまだけじゃないのね?」
「お前の主人もその一人だが、姉がいてな、3人兄妹だと思えばいい」
つまり、御主人さまは末っ子なのね。
「御主人さまは愛されてるのね?」
「それは間違いないな、あの兄馬鹿と姉馬鹿ならば妹のために何でもやりそうだ」
うーん、私は一人っ子だから羨ましいのね。
「さて、他にもいくつか注意がある。お前は韻竜だが、その辺は隠し通さねばな」
「それなのね! 何でしゃべっちゃいけないのね!」
「時間はある。ゆっくり説明しよう」
そんなこんなで長い使い魔講義が始まったのね。
■■■ side:才人 ■■■
「ええええええ!!」
俺は死ぬほど驚いた。
「正確に言うと転生ってやつかな。ほら、ゲームでも漫画でも、前世の記憶を持ったまま生まれ変わるやつとか、古代の英雄の生まれ変わりとかで、記憶と技を継承してるとかあるじゃん、あんな感じ」
「ああ、よくある古代の紋章とかが代々受け継がれてきて、それを継承するとご先祖様の記憶が流れ込んでくるとかいう、あれですか」
確か、ダイの大冒険の“竜の紋章”がそんな感じだったような。
「そんな感じ、俺にとって地球の記憶はそんなもんだな。俺の前世は確かに地球で生まれて地球で死んだんだが、どういうわけか、その記憶を持ったままこの世界に転生したってわけだ、はっはっは」
すげえ、よく笑えるな。
「この世界って、このファンタジー世界ですよね?」
「ああ、地球とは違って魔法があり、エルフがいて、オークがいて、竜がいて、ペガサスがいて、ユニコーンがいる世界だ、とはいえ地球と全く無関係というわけでもない」
ハインツさんは地図っぽい紙を見せてくれる。
「これが俺達の世界ハルケギニアの地図だ。ここが今いるトリステイン、北東にゲルマニア、南東にガリア、さらに南にロマリア、そして島国のアルビオン。これらをまとめてハルケギニアと呼んで、その東はエルフが住むサハラ、そしてそのさらに東は東方(ロバ・アル・カリイエ)と呼んで一くくりにされてる」
それぞれの場所を指しながら説明してくれる。ガリアってのは、さっきシャルロットが言ってた国か?
「さて、この形と国家名を聞いて何か思い当たることはないか?」
「これって、ヨーロッパに似てません? あと、ゲルマニアってたしか歴史で習ったゲルマン民族の大移動がどうのこうのって」
よく覚えちゃいないが、そんくらいならなんとか。
「正解だ、ガリアは「ブルートゥス、お前もか」で有名な、ユリウス・カエサルのガリア戦記とかが分かりやすいかな。ロマリアはもう言うまでもないだろう」
ロマリアつったらドラゴン○エストⅢだよな。あと、ガリアってのも聞き覚えはある。
「案外似てる部分が多いんですね」
つーかそっくりだ。
「そうだ、言ってみれば歪な鏡で映し合った世界みたいなものだな。その最大の違いは、魔法や亜人や幻獣の存在になるが、日本人の君にとっては貴族と平民の違いも大きなポイントだろう」
「あ、それですよそれ、ルイズの奴ことあるごとに平民、平民って怒鳴るんですよ、何なんですかあれ?」
何回怒鳴られたことか。
「分かりやすくいうとだな、江戸時代を考えてみてくれ。俺は歴史専攻だったわけじゃないから偉そうなことは言えないんだが、武士が貴族で、それ以外が平民だと思ってくれ。しかもあの学院は、藩主の息子や娘達が通う学校なんだ。水戸黄門様の孫に農民風情が!って言われてると考えればいい」
「ああーなるほど、だからあんなに態度がでかいんですか」
そういうことか、なるほど、俺は農民の子せがれで、向こうは藩主の娘さんと。そりゃああんな態度にもなるか。
士・農・工・商はなかなか覆せないんだな。
「そうだな、実家の家紋いりのマントを見せて、「この家紋が目に入らぬかーーー!!」って街中で叫べば、皆が「ははー」って平伏するような感じだ。とはいえ、そんな恥ずかしい真似する阿保はいないけどな」
「いないんですか」
ちょっと残念だ。
「そう、そして武士の刀が貴族の杖だ。不文律だが、切り捨て御免もある。平民の子供が大貴族の靴を汚した日には、魔法でボンッってなる。君が貴族を殴っても同じ運命が待ってるな」
「何か納得いかないですねそれ」
いくら武士でも同じ人間だ、農民だからって殺していいことはないだろ。
「その気持ちは分かるが、とりあえず郷に入っては郷に従えだな。流石に革命を起こすわけにもいかないだろう」
そうするしかないのか、………………つってもな。
「それはそうかもしれませんけど、その郷から帰れないんじゃないですか?」
「そういや言ってなかったか、結論から言えば君は帰れるぞ。もっとも最短で2年くらい、最長で5年くらいかかるが」
一瞬固まる。
「ま、マジですか!!」
帰れるのか!!
「順を追って説明するとだな、君が召喚されたのは『サモン・サーヴァント』という、魔法で言ってみれば召喚魔法レベル1だ。ほぼ全ての魔法使いが唱えることができる。しかし、本来こっちの世界の生物を召喚して使い魔にする魔法なので、送還する魔法が存在しない」
「その辺は聞きました」
ルイズがそんなことを言ってた。
「どういうわけか君は地球から召喚されたわけだが、これを元に戻すためには、今は失われた古代魔法を用いる必要がある。色んなゲームでそういうのあるだろ、ハイ・エンシェントとかなんとか」
「よくありますね」
大抵、一般的な魔法より強力な奴だ。
「それで、俺とシャルロットの国でもあるこのガリアは魔法先進国と呼ばれていて、ハルケギニアで最も魔法の研究が盛んだ。そこの技術開発局という場所で、古代魔法の復活させる研究が行われていて、現在ではワープできるとこまで来てる」
「ワープですか! 凄いですね!」
すげえ!流石ファンタジー!
「後はそれを地球に繋げれるようになればいいわけだ。才人を召喚出来たんだから、その逆の術式があってしかるべき、研究者の腕次第になるから最短2年、最長5年くらいだと思う」
「そんなに難しいんですか?」
ルイズから聞いた感じじゃそもそも存在すらしないみたいだったけど。
「繋ぐだけならもっと簡単かもしれないけどな、地球といっても、いきなり砂漠のど真ん中とか、熱帯雨林とかに放り出されても困るだろ?」
「間違いなく野垂れ死にますね」
絶対死ぬ、そういや、地球といっても広いもんな。日本は世界に比べればあんなに小さいんだし、紛争地帯なんかに飛ばされたら今より酷くなる。
「だろ、それに海と繋いで大量の海水が流れてきたり、間違って海底火山とかと繋がって、溶岩が流れてきた時には目も当てられん。そういうわけで、研究は慎重に行われている」
「それは洒落になりませんね」
マグマが流れてきたらやばすぎだろ。
「だけどこれ、地球で例えるなら新型スペースシャトルを開発してるようなもんだから、当然国家機密だ。言いふらしたら当然消されるし、そもそも一般人には関われないから」
「消されるんですか!?」
あれか、FBIかなんかか。
「ああ、簡単に言うと俺はFBIやCIAの長官みたいなもんだから、こういうことにも詳しいけど、逆にバラされたら君をバラすことになる、だから注意しておいてくれ」
「はあ」
マジでFBIだった。
「だからさっきシャルロットに吹き込まれたことも大体事実、国家の裏機関のトップともなればそういうことの一つや二つはざらだ。だけど、それ故に君をその“宇宙飛行士”に推薦したりもできる」
要は国家のお偉いさんってことか。凄い人なんだな、そうは見えないけど。
「あれ? そうなるとシャルロットってハインツさんの従兄妹で部下なんですよね、ということは…」
ちょっと疑問がある。
「察しが良いな。さっきもいったように、君が召喚されたあの学院は有力な貴族の子供達が通う学校で、現代日本風にいうなら大企業の御曹司やお嬢様の専門学校だ。だから誘拐して身代金みたいなことになる可能性が無いわけじゃない、そこに潜り込んでる秘密捜査官がシャルロットだ。まあ、他にも色んな理由が重なってのことだが」
「なんかそれっぽいですね」
なんか、シャルロットのイメージに合う。
「よくある身分を偽って女学院とかに編入するエージェントってやつだな。だから学院内でシャルロットの名前は厳禁、コードネームの“タバサ”で呼ぶこと。ちなみに俺は“ロキ”で、捜査員は全員がコードネームを持っている」
「あ、そういうわけなんですね」
それで“タバサ”なのか。
「少し横道に逸れたけど、君が帰ることはできるのは間違いない、だから後は君の心次第になる」
「俺の心、ですか?」
どういう意味だろ
「君は“十五少年漂流記”を知ってるか?」
「あ、はい、中学の時の夏休みの課題図書でしたから一応知ってます」
結構面白い話だったよな。
「あれは15歳以下の子供達が無人島で数年間生き抜いて、様々な困難に立ち向かいながら、必死に頑張り最後には故郷に帰れた話だ。そして帰って来た彼らは、別人のように逞しく立派な人物になっていた」
「確かそんな感じでしたね」
うろ覚えだけど。
「君もそんな感じだ。いきなり異世界に呼び出された日本人が、頑張って最後に帰れればハッピーエンドで終わる。それなら、どうせだから色んな体験をして、楽しみまくった方が得だ。それに日本人でこっちに来れるのは、宝くじで一等が当たる以上に珍しいことなんだから、発想の逆転で良いことだと思えばいい、一生帰れないわけじゃないんだからな」
「そう言われるとそんな気がしてきますね」
確かに、同級生でこんな体験できるのもいねえよな、家にはしばらく帰れないし、父さんや母さんも心配してるだろうけど、そこはどうしようもないか。
ま、いつか帰れるという保証があるだけでも100倍ましだ。
「それにこっちに定住してもいいしな。日本人でも外国に住めば、帰ってくるのが数年に一度もざらだし、国内でも帰省するのは盆と正月くらいだろ。だから互いの往き来さえできるようになれば、こっちに住んで、たまに顔見せに家族の所に帰るって感じでも問題ない。それはそのときになってから決めればいい」
「なるほど」
それは考えなかった。でも、実際そんなもんだよなあ、核家族化が進んでるし。
「だからまずは数年単位の海外留学をしてるような気分でいればいい、ただ問題は、留学生でも交通事故で死なない保証はない。しかもこっちは交通事故より余程危険なこともある、その辺の注意は怠るな」
「そんなにヤバいんですか」
なんか怖そうだ。
「平民の学校が無い、病院が無い、保健所が無い、銭湯が無い、警察が無い、ざっと挙げるだけでもこのくらいはある。現代日本に比べたらかなり危険だ、何事も自己責任がモットーだな」
「う、俺、やっていけますかね?」
カルチャーショックだなあ。
「そこがこれからの課題、さあ、お勉強タイムだ」
そして、ハルケギニア講義が始まった。
「細かい部分は習うより慣れろでいくとしてだ。なんといっても貴族、平民、この違いを知っておく必要がある」
そうハインツさんは切り出した。
「ええっと、武士と農民でしたっけ?」
「ああ、簡単に言えばな。だが、少し思い出してみろ、武士って言っても、藩に仕える下っ端は、商人よりも貧乏だったって聞いたことないか?」
「ああ、あります」
時代劇とかで結構やってるよな。
「だから、貴族といっても全部が全部金持ちじゃないし、司法特権を持ってるわけじゃない。簡単にいうと、土地持ちお殿様の封建貴族と、国家公務員の法衣貴族に分かれる」
「国家公務員ですか?」
そりゃ随分イメージしやすいなあ。
「このトリステインでは、魔法を使えるメイジだけしか役人や軍人といった国家公務員になっちゃいけないんだ。当然、土地を持ってお殿様になるとかは論外」
「哀れなるは農民の身ですね」
我ながら悲しい立場だ。
「いや、実を言うと農民以下だ」
「マジですか」
それほど酷いとは思わなかった。
「いいか、この世界には戸籍なんてない。だから、貴族はともかく、平民は身元を保証することが出来ないんだ。何しろ、読み書きさえ出来ないのは多いからな」
「その辺も江戸時代なんですね」
「いいや、江戸時代の日本は世界的に見ても識字率は高かった方だ。寺子屋とかはかなり数があったみたいだし」
それは知らなかった。
「まあともかく、そこで重要になるのが教会だ。ハルケギニアはブリミル教っていう宗教が主流だ、つーかそれしかない。地球で言うならキリスト教だな、ここは地理的にヨーロッパに対応するから、ハルケギニア世界=キリスト教世界と考えてほぼ問題ないな」
「キリスト教ですか」
キリシタン弾圧くらいしか知らないなあ。
「で、生まれた赤子には教会の司祭とかが洗礼を与える。この際に教会に登録されるわけだ、日本でも寺がそういう役割を果たしていたはずだ。それに、平民が文字を習うとしたら寺院だ。つまり、聖職者はこの世界における知識階級なんだ、貴族は絶対数がそれほど多くはないからな」
「ああーー、なんとなく分かります」
「地方の貴族が王都に出てきて、中央の官僚になりたくて身分証明をする場合なんかも、生年月日や家名のほかに、この洗礼を受けた教会の名前とかを書くのが基本だ。つまり、それがここでの戸籍みたいなものになる」
なるほど、地球の先進国ほど整備されてなくてもそういった制度はあるんだ。
「逆に日本で考えてみろ、ハルケギニアの人間が日本に飛ばされたとしたら、当然国籍もなければ住民票もないし、家も無い」
「確かにそうですね」
言われてみれば。
「その状態でまともな職に就けると思うか? ホテルに泊まる際にも現住所は書くだろ。それに、日本のホテルに白人や黒人がやってきたら、身元確認は日本人よりも厳しくなるよな?」
「そりゃそうですね」
となると。
「そう、ここでの君もそうだ。見るからにこの辺の人間じゃない、来ている服も異国のもの、当然怪しいから審査する。お前はどこ人だ? どこで洗礼を受けたんだってな」
「それで、洗礼を受けてないことがバレると?」
「君は殺される」
「マジですか!!?」
なんか、ハインツさんの口調が急に沈んだ。
「とまではいかんかもしれんが、人間扱いはされない、むしろ害獣扱いされるな。洗礼を受けてない人間には何をしても許される。ちょっと違うかもしれんが、江戸時代の“えた・ひにん”とかを想像してみろ」
「あー、あれですか」
つまり、俺の立場は結構ヤバいってことか。
「ま、たまに東方(ロバ=アル=カリイエ)から隊商がやってきたりもするから、例外もあったりするが、彼らもせいぜい来るのはリュティスまでだからな、ここトリステインまではやってこない。何しろリュティスにはハルケギニア中の特産品が集まるから、そこで東方へ持って帰る品物を購入すりゃいいからな」
「リュティスって、ハインツさんやシャルロットの国の首都でしたっけ?」
シャルロットが言ってたよな。
「お、シャルロットから聞いてたか。とまあ、君の身分は結構危ういんだ。ここハルケギニアは数千年かけて教皇を頂点とする魔法王国文化圏として纏まった地域だ、だから排他的傾向が強い、農村部でも身元不明のよそ者は歓迎されない。しかし、そこで君のご主人さまが役に立つ、君の主人は誰だ?」
「ええっと、ルイズです」
「ふむ、公爵家の三女だな。それは丁度いい」
「ちょうどいいってどういうことですか?」
何がいいんだろうか。
「さっきも軽く言ったが、魔法学院に通うのは藩主の子供ばっかりだ、要は皆えらい。まあ、借金で頭が回らない藩がたくさんあったように、全部金持ちってわけでもないんだが、えらいもんはえらい。そして、公爵ってのは、100万石大名なんだよ」
「あれですか、前田家、加賀100万石」
そのくらいは俺でも知ってる。
「そうそう、王家が将軍家なら、そのルイズって子の家は尾張、紀伊、水戸の徳川の御三家と言った方が正しいかな。ほら、8代の吉宗は紀伊の殿様だったって聞いたことないか? 例の暴れん坊将軍」
「あ、それならわかります」
「あれは簡単に言えば、将軍家の嫡流が絶えたら御三家のどっかの殿様を将軍にしろってもんだろ、本当は優先順位とかもあってもっと複雑なんだが。まあとにかく、公爵とは王家の傍流が名乗る爵位だから、嫡流が絶えたら王様になることすらあり得る。君の御主人はそういう超名門のお嬢様なわけよ」
なるほどー、そりゃああんだけ態度がでかくなるわけだ。
「さて、ちょっと話は変わるが、日本の首相に会うとしたら、当然身元がしっかりしてて、身分がある程度は必要だよな」
「そりゃあそうです」
何に繋がるんだろう?
「そこで例え、ニューヨークのスラム街にいるゴロツキ、と、アメリカ大統領が飼ってる犬、どっちが身元がはっきりしてる? 日本の首相に会えるとしたらどっちだ?」
「そりゃ犬です」
つうか、実際会うこともあるかもな。
「そう、つまりその犬が君だ。洗礼を受けていない異国人はニューヨークのスラム街のゴロツキにでもなるしかないが、“公爵家のお嬢様の使い魔”ってのは、“大統領の犬”くらいのステータスだ。そこらの平民よりも断然上、ひょっとしたら国の王様やお姫様に会う機会もあるかもしれない、国家公務員の貴族ですら会えない方が多いのにな、あくまで犬としてだが」
「うーん、複雑な気分です」
そりゃまあ確かに、一般市民よりも大統領の犬の方が首相に会える可能性は高いけど、人間の尊厳が……
「まあそんなわけで、こっちにしばらく慣れるまでは“使い魔”ってのはかなり便利な身分だ。君の年くらいになって洗礼を受けに行くなんて訳ありです、って言ってるようなもんだから、大抵の教会で断られる。だったら、顔見知りがたくさん出来て、大体顔パスみたいな感じになってからの方がいい」
「確かに、言えてますね」
要は、大統領の犬としてある程度過ごしてから人間になればいいと。けどなんか欝だ。
「それまではルイズって子の使い魔をやってるのが一番現実的だ。自力で働こうにも、元となる身分がないんじゃ犯罪者にしかなれん。流石に暗黒街には来たくないだろ?」
「そこって、犯罪者の巣窟ですか?」
シャルロットがそんなことを言ってたような。
「昔はそうだったし、今もそんなに変わらんな、王国の法が一切通じない一種の自治領のようなもの、“異法地帯”とも言うべき場所だ。もっとも、ハルケギニアでリュティスにしかないけどな」
「ハインツさんって、そこのトップなんでしたっけ?」
「ま、そうなるかな、王国の裏組織っぽいやつの長官みたいなことをやってるから」
本当にすごい人なんだな、やっぱりそうは見えないけど。
あの学院の奴らには俺を見下してるっていうか、偉そうなオーラが出てたけど、ハインツさんからはそれが感じられない。いや、シャルロットもそうだったか。
やっぱ、人間扱いしてもらえるってのはいいな。
「注意すべきはここは中世ヨーロッパじゃない、人間が社会を形成してから6000年以上の歴史を持つ現代ということだ。軍組織も兵、下士官、尉官、佐官、将官と階級別になってるし、国家組織もかなり整ってる。そりゃ地球の先進国には劣るけどな。地球で言うなら近世か、下手すりゃ近代くらいかもな。少なくとも奴隷や農奴は存在しない」
「いないんですか」
それは意外だ。
「確かに、貴族と平民という絶対的な差はある。だが、奴隷や農奴といった特権階級の“所有物”はないんだ。人身売買はあるがそれらは違法だ、合法的な人間の売買は存在しない。まあ、あくまで建前で、各貴族の領土では半ば公然と行われていたりもするが、それでも建前は禁止なんだ。これは人類文化的に考えればかなり進んでると思うぞ、地球の北朝鮮よりゃ安心して過ごせそうだし」
確かに、北朝鮮に飛ばされるよりは、ここの方が100倍ましだろうな。
「心得としてはだ、信長の娘に仕える最初の頃の秀吉だと思え。まずは猿から、そして木下藤吉郎、羽柴秀吉、豊臣秀吉とな。いつかそうなれる日を目指して頑張るのだ、今はしがない猿扱いでも、いつかは関白になれる日が来る」
「ってことは、ルイズの靴を胸に抱えて部屋の前で待ってればいいんですか?」
秀吉と信長の有名なエピソード。
「多分やったら捕まるな。お殿様が相手ならともかく、お姫様にやったら首刎ねられるだろ」
「確かに」
限度があるか。
「ま、気に入らない学院生とかがいればぶっ飛ばすのもありだな。何しろ“大統領の犬”だ、そこら辺の国会議員の息子に噛みついても殺されはしない。ただし、大統領のお嬢様に噛みついたら保健所送りだ。いや、屠殺場かな?」
「やっぱそうなりますか」
だとは思ったけど。
「とはいえ、卑屈になることもない、君は君らしくあればいい。万が一の時は俺んとこで雇ってやるから。もっとも、裏側のエージェントになるけどな、ゴルゴ13みたいな感じで」
「それもそれで惹かれるものが………」
なんかこう、男の夢って感じがする。
「さて、後は、地理や各国の政治情勢について少し話しとくか、世間話程度にはついていけないとな」
まだまだ講義は続いた。
「まあ、今俺から言えるのはこんなとこかな、後は習うより慣れろだ」
「つ、疲れました………」
力尽きる俺、自慢じゃないが成績は中の中だ。
特に、俺がどこ出身の人間という設定にするかを覚えるのが大変だったし、後は、この左手のルーンか。
貴族であるメイジ以外に、“ルーンマスター”ってのがいるらしく、俺はそれの“身体強化系”らしい。
「後はこれで確認してくれ」
そう言って厚い本を手渡される。
「何ですかこれ?」
「ハルケギニアの歴史とか、文化とかを俺なりに纏めてみたものだ。日本語で書いてあるから、他の人に読まれる心配もないし、君でも読める。もしハルケギニアの文字が読みたかったら、シャルロットにでも習うと良い。日本語とハルケギニア語を両方分かる貴重な人材だからな」
「………」
シャルロットの方を見るとコクコクと頷いてる、人形みたいでかわいい。
「何から何まで、ありがとうございます」
ここは人間としてお礼を言っておかないと。
「別にいいって、俺がやりたくてやってるわけだし、何だかんだで日本のネタが分かるやつがいると嬉しいしな」
そういや、この人も地球の話が合う相手は少ないんだろうな。
…………………………何だ?ペガサス流星拳をくらってるハインツさんが脳裏に浮かんだんだが?
「それでも、ハインツさんのおかげであの学校でもやっていけそうです」
でも、もの凄い世話になったし、これからも結構迷惑かけそうだし。
「俺から言えることはだ、考えるな感じろ、人生を楽しめ、どんな時でも諦めずあがけ、気に入らない奴はぶっとばせ、好きな子には突っ込め、なるようになる、どうにかなる、なんとかしろ、こんなとこかな?」
「参考になるようなならないような」
特に最後の“何とかしろ”はどうかと思うんだが。
「まあ、困ったことがあったらいつでも連絡してくれ、その時はシャルロットに言えば俺に繋いでくれるから」
「………」
コクコクと頷くシャルロット、“デンワ”っていうアイテムで通信するらしい。命名は当然ハインツさんだけど。
「ありがとうハインツさん、でも、俺なんのお礼もできませんよ?」
何しろ住所不定無職の身だし。
「別にいいさ。そうだな、強いて言うならシャルロットの恋人にでもなってやってくれ、こいつ友達一人しかいないからな」
そうか、シャルロットはフリーと、って、なに考えてんだ俺は!
「ラナ・デル・ウィンデ」
「ラナ・デル・ウィンデ」
ドドン!
気付くと、何か凄い音がしてた。今のが魔法か?
「甘いぞシャルロット、その程度ではまだまだだな」
「……………チッ」
「こらこら、舌打ちするな」
俺はただ呆然とするしかなかった。
「そ、それではハインツさん、そろそろ俺は帰りますね」
気を取り直して帰りの挨拶をする。
「元気でな才人、これから大変だろうが思いっきり楽しめ」
そして、俺とシャルロットは“光の翼”という店を後にした。
「しかし、あの“働け、休暇が来るその日まで”はすげえな」
もう夜だったから、ハインツさん特製のドリンクを飲んでほぼ一晩中ハルケギニア講義をやってたわけだ。そろそろ夜が明けてきてる。
「本部に勤める人達は、あれを日に5本以上飲んでたこともあったとか」
「マジか!」
「マジ」
うーん、過労死するんじゃないか?
「だけど、異世界に来た最初の日が徹夜とはなあ、世の中分からないもんだ」
「それは確かに」
そういや、意外とシャルロットってしゃべるよな。
「ところで、帰りはどうなるんだ?」
「シルフィードが街の外で待機してる、そこまでは歩き」
「わかった。悪いけど案内頼む、この街のことなんてさっぱりわかんねえし」
土地勘なんてあるはずがねえもんな。
「わかった、ついてきて」
そして、俺はシャルロットと一緒にトリスタニアのはずれまで歩いて向かった。