ウェールズ王子と別れた後、俺は城内を歩いていた。
色んなことがあり、様々な思いを知り、考えることはそれこそ無限にある。
だが、それでも一つの大きな事柄が俺の頭を占めていた。
“生きる”とは、一体何なんだろう?
第十七話 ニューカッスルの決戦前夜
■■■ side:才人 ■■■
このニューカッスル城は本来王族や大貴族がいるような場所ではなく、完全な軍事用の城塞らしい。だからあちこちに砲座や矢倉なんかがあるし、俺にはよくわからないけど他にも様々なものがあった。
明日が決戦である以上、ここは人間と人間が凄絶に殺し合う戦場になる。そんな場所に俺がいるというのもなんか変な気分だった。
しばらく歩いて行くと中庭に出た、空には重なった状態から徐々に離れようとしてる月がある。
まるで、王子様とお姫様を象徴しているように。
「明日か、あの人達は全員討ち死にするんだろうな」
「ま、そりゃそうだわな。300対50000じゃどうにもなんねえよ。それに、そこまで戦力差が開いていないとき、いや、『レコン・キスタ』の方が劣勢のときですら、王軍はゲイルノート・ガスパールって野郎に勝てなかったんだから」
俺の呟きにデルフが答えた。こういう時のこいつの口調は、淡々としたものになる。そういうとこは、やっぱり”剣”なんだなって思う。
「そういやお前、鞘があったらしゃべれなくても聞くことはできるんだっけ」
「応よ、盗聴なんかには便利だぜ」
「剣を盗聴用に使うってのも変な話だな」
それは、武器としてはどうなんだろうか。まあ、スパイとかの秘密道具はスゲエ多機能だけどさ、剣としての意義がどんどん薄れる。
「なんでえ相棒、らしくもなく難しい顔して考え込んでるな」
「あのな、俺だって考えなしじゃねえよ。そりゃあ、頭が良いほうじゃないけどさ、それでも思うことはあるんだよ」
特にこういったことなんて、結局最後は感情論だ。全部の人がそうじゃないかもしれないけど、俺みたいな小僧はそうなんだよ。
「へえ、それで、相棒はいったい何を考えてんだい?」
「ああ、“生きる”ってなんだろうって考えてた」
我ながら漠然とし過ぎてる気もするけど。
「そりゃまた随分意味深な命題だなあ」
「柄じゃねえけどさ、誰でも一度くらいは考えることだろ?お前だって、何で俺は剣なんだろうって考えたことないのか?」
「いーやないね、そこんとこは多分考えちゃいけねえことなんだよ。俺は剣、それだけでいい、振るうのは人間さ」
「あっさりしてんだな」
俺は半ば呆れ、半ば感心しながら言う。剣、無機物の気持ちってのは、成って見なきゃわかんないだろうけど、そういうものかもしれない。
「で、人間であるところの相棒はあっさりしていないと。しかし、王子様の話が理由ってのは分かりやすいが、それだけじゃねえよな?」
「まあな、簡単に言えば現実を思い知らされたってやつだよ」
戦争は無慈悲、現実はどこまでも残酷。そんなことは地球で平和に暮らしていてですら分かることだってのに。
「ほうほう、そりゃあつまり?」
「俺が実際は東方の人間じゃなくて、異世界の人間だって話したことあったよな?」
「ああ、いつだったかは忘れちまったけど」
「でさ、向こうの世界には魔法がない、竜もグリフォンもいない、秘薬なんてない、色んなことがこっちとは違う。けど、俺はこの世界について何も知らないわけじゃない、簡単に言えば、ここは物語の世界なんだよ」
俺にとってはそうだったんだ。
「物語か」
「夢でしかあり得ないような非現実、子供が思い描くけど大人になればそんなものは存在しないって思い知らされること。そんなのが全部あるような場所なんだよ、まさに、夢に描いてたってやつだ」
ひょっとしたら作家の中にはこの世界を覗ける超能力者でもいたんじゃないか、と思えるくらいに似たような世界観が地球の物語の中では作られている。
「てーことは、こっちの人間には絶対に思い描けないようなことが、相棒の世界にはあるってことかい?」
意外と鋭いなこいつ。
「まあそうだな、少なくともこっちの人間には数百リーグ以上離れた相手に自分の映像を数秒で送るなんて考えられないだろうし。電気機械なんて謎の物体だ」
実際、ルイズにノートパソコンを見せた時は謎の物体だったし。
「俺にとっちゃこの一か月、あんまし現実感がなかったんだよ。杖を振れば火が出てくる、空を飛べる、物理法則を完全に無視して原子変換みたいなことをやったり、傷を負ってもあっという間に治したり」
もっとも、最後のだけはハインツさんならではだろうけど。
「だけど、違ったと」
「ああ、どんなに魔法が便利でもさ、死者を生き返らせる魔法は無いし、人間が平等になる魔法も無いし、戦争がなくなる魔法も無い。だから、やっぱりここも人間が生きる現実なんだなって思い知らされたんだ」
冷静に思い返してみれば、俺は少し、いや、かなり変だった。多分、ここが現実であることを認めながらも、どっかで違うと考えてたんだろう。
ゲームみたいに、何回死んでも繰り返せるような気分、何をやっても自分の現実(地球)は侵食されないという安心感。
でも、ここに来て、そんなのは全部嘘だってことがわかった。要は、俺が自分の心を誤魔化すために、無意識に作り出していた幻想に過ぎなかった。
『死んだらそれまでだ、注意しろ』
ハインツさんもそう言ってくれていたのに。俺はどこかで現実逃避をしていた。常にハイな状態で、深く考えないようにしてた。
「なるほどなあ。ま、確かに、相棒に限らず普通に暮らしてる奴は、そんなん意識しねえわな。それどころか、傭兵とかですら考えてるかどうか怪しいもんだ」
デルフが納得してる。こういう気持ちは、特殊な状況にならないと、あまり出てこないものかもしれない。
「だから思うんだよ、俺は何をしたくて生きてるんだろって。楽しく生きるとかは大前提だと思うけどさ、今の俺は何を目的にしてるのか、全然分かんねえ」
今のままだと、あまりにも何にもない、逆にさっぱりしてるくらいだ。
「貴族の娘っ子の使い魔をやるってのは?」
「それもなあ、状況に流されてるっていうか、自分で選んでないんだよ。他に選択肢はあんまりないのかもしれないけど、それって、言い訳になるだろ。やっぱ、自分で選ぶこと、自分の行動に自分で責任を持たなきゃ意味がない。それを、ウェールズ王子から教わった」
あの人は戦って死ぬ道を選んだ。他に道が無いような状況だけど、それでも選んだ。自分の不幸を嘆くんじゃなくて、誰かのせいにするのでもなくて、自分で背負う道を選んでいた。
俺は、それをしていない。他に道が無いから、一番都合がいいから、そんな理由だけでルイズの使い魔になっている。
それは、少なくとも誇れることじゃない、胸を張って言えることじゃない。例え奴隷だろうが、“俺は奴隷だ!”って胸を張っている方が、流されているだけよりゃ百倍ましなはずだ。
「ははは、相棒はそういうところが妙に律義というか真面目というか、普段はあんなに不真面目なのによ。いつもそんな調子なら、結構相棒も女にもてると思うがね」
「別に、もてたいとかは思わねえよ」
「そうそう、そういう態度だよ。普段のお前さんは“年頃の少年らしさ”っていうか、相棒の言うとこの“コウコウセイらしさ”っつうか、一般的な反応が多いんだよな。そりゃ、当たり前なんだけど、それだけに面白くも無い。そんなどこにでもいる男だったら、女も興味を持たねえだろ」
おいおい、剣の癖に随分と人間の恋愛事情に詳しいな。むしろ剣だから、客観的に観察できんのかな?
「まあ何にせよ、“自分らしく”生きるってのはいいことだと思うぜ。特に、あのハインツって兄ちゃんと話してる時とか、青い娘っ子と戦ってるときとか、そういう時の相棒は結構いい感じだぜ」
「そうか?」
「多分な、相棒の心の震えなら、なんとなくわかるんだよ」
そりゃあ頼りになる相棒だ。
「そう考えると、貴族の娘っ子の前では“使い魔らしく”が優先されて“相棒らしく”はねえかもな。相棒なんて基本は間抜けなんだから、相手を気遣うんじゃなくて、からかわれて振り回される方だろ」
「テメ、褒めたと思ったら、いきなり貶してるんじゃねえよ」
まあ、ルイズに対して結構気を使ってるのは確かだと思うが、それ自体が俺らしくはないのかもな。
………あんまし褒められることじゃねえけど。
「とにかく、任務は終わったんだし後は帰るだけだろ。相棒がやりたいこととか、自分がどうあるべきかなんてのは、それから考えればいいんじゃねえか? あの王子様のように、もう時間が無いわけじゃねえんだから。それに、あの王子様も時間が無いからこそ、自分がやりたいことを明確に意識出来てるのかもしれないしな」
「そうか、そういうもんなのかもな」
確かに、どんな時でも自分の在り方を考えながら行動してる人なんて………
『俺は俺のやりたいことしかやらない、厄介事大歓迎』
例外もいた。あの人、自分らしくしか生きそうにないな。それ以外無理っぽい。
「じゃあとりあえず気合い入れろ相棒、貴族の娘っ子の方は大分落ち込んでるだろうから、相棒まで沈んでたら葬式会場みたいになっちまうぜ。あのヒゲ野郎だけが陽気に話してたりしたら俺は身投げしたくなっちまうよ」
「確かにそりゃそうだ。落ち込むのは俺の柄じゃねえや」
せめて、前向きに明るくいくか。
「だけど、まずはどこで寝ればいいのか城の人に聞かないとな」
「だなあ、俺はどこでも大丈夫だけど、相棒には最低限藁が必要だし」
ううむ、そろそろマイハウス(藁製)が懐かしくなってきた。ルイズの部屋の一角に鎮座してるあれは、俺の唯一のプライベート空間なんだが、サイズは悲しいことに犬小屋の一回り大きいくらいだ。
でも、必要不可欠、女の子が男の前で着替えなんて出来ないのはわかるけど、男だってそうなんだから。
てゆーか、ルイズの部屋で着替えてて、その瞬間にメイドでも入って来た日には俺は監獄行きになりかねん。
教えてもらった部屋目指して歩いていると、見知った顔がいた。
「あれ、ひげ…ワルドさん、ルイズの傍にいなくていいんですか?」
たしか、パーティー会場を飛び出してったルイズを追ってったと思ったけど。ここにいるということは、ルイズとの話は終わったのか。
「君に言っておきたいことがあってね」
なんか、冷たい感じの声だった。今までも言葉の端はしに、どこかこういう冷たさえを感じていたが、今は殊更強く感じる。
「何でしょう?」
「明日、僕とルイズはここで結婚式を挙げる」
は???
え? なに? 何だって?
「すいません、もう一度言ってくれませんか?」
自分の耳がおかしくなってないか心配になってきた。ちょっと前まで、よく幻聴が聞こえてたし、いや電波か。
「僕とルイズは明日、結婚式を挙げる」
だが、聞き間違いじゃなかった。幻聴でも、電波でもなかった。
「な、な、何でですか! これからここは戦場になるのに! しかも、明日っていったら、まさに決戦間近じゃないですか!」
「是非とも、僕達の婚姻の媒酌を、あの勇敢なウェールズ王子にお願いしたくなってね、王子も快く引き受けてくれた。決戦の前に、僕達は式を挙げる」
おい、ちょっと待て!
「なに考えてるんすか! ウェールズ王子は指揮官なんだから、そんなことをしてる余裕なんてないでしょ! 確かに、あの王子様なら引き受けてくれるだろうけど、その辺は考慮するべきでしょ!」
あの人は優しい人だし、これから皆が死にに行く時だからこそ、そういっためでたいことがあった方がいい、と考えるかもしれない。
だけど、そんなことはあくまでこっちの都合だろう。死を覚悟して決戦に臨む人を、しかも司令官の立場にいる人を、部外者の都合で振り回していいはずがないだろ。
「平民の君にはわからないかもしれないがね、婚姻の媒酌を王族に行ってもらえるというのは、この上ない名誉なのだよ。だからこそウェールズ王子は引きうけて下さったのだから」
名誉だって………? ふざけるな! あの人がそんなモノにこだわるはずがないだろう!そんな何の足しにもならないものじゃない、民の命のために、トリステインの人々のために、愛する人のために戦おうとしてるんだ!
「……そのことに関しては、俺は部外者です。あなたとルイズの問題ですから、結婚式をするなとは言えません。だけど、俺はするべきではないと思う。良識的な人間なら、そんなことは間違ってもしない」
「そうか、君は出席しないのだね。ならば、明日の朝すぐに出発したまえ。私とルイズはグリフォンで帰る」
そりゃ、俺は飛べないから船か幻獣にでも乗るしかないけど。
こいつは…何を考えてんだ?
「そんなに長い距離は飛べないんじゃなかったんじゃ?」
「滑空するだけなら話は別だ、問題ない」
ヒゲ野郎、いや、クソ髭はそう答えた。
―――ちょっと待て。
……それって、アルビオンからトリステインに侵攻するのは簡単ってことじゃないのか? グリフォンが100頭いたら、100人のメイジが簡単に奇襲を仕掛けられるってことだよな。
『我々はここで死ぬ。次にあの男の標的になるのはトリステインだ、友軍のためになんとしても時間を稼がねばならない。内優を払えず、あの男をアルビオンからハルケギニアに解き放ってしまうことになる、無力なアルビオン王家の最後の義務だ』
あの男をハルケギニアに解き放つってのは、そういう意味か。ここは高度3000メイルのアルビオン。ここを野心の塊のような男が支配したら、ハルケギニアのどこにでも空から攻撃できることになる。
戦争は、どこまでも広がっていく。
だから、ウェールズ王子は残って戦うんだ。ハルケギニアの諸国が迎撃準備を整える時間を稼ぐために。
………そんな人の手をわずらわせるなんて、なに考えてんだこいつは。しかも、自分達の結婚式のためになんて理由で。
「では、きみとはここでお別れだな」
「そうですね」
二度と顔も見たくねえよ。つっても、手紙を王女様に届けるまでは顔を合わせることになるんだろうけど。
クソ髭と別れた後、俺はロウソクの燭台を持って真っ暗な廊下を歩いていた。
ここが、アルビオン首都のロンディニウムにあるというハヴィランド宮殿なら、到る所に魔法の明かりがあるそうだが、残念ながら、ここにはそんな豪勢なもんはない。
「帰りは船か、言われてみりゃ当たり前だけど……」
「どうしたよ?」
デルフが聞いてきた。
「いやさ、シャルロットが追いつくって言ってたから」
デルフにはシャルロットの本名を教えている、訓練の時とかに、俺が普通にシャルロット、って呼んでたのが原因だ。
他の人には話さないように言っといたし、こいつは基本的に他人とそんなに話さないから、知られたとしても今回の旅に同行した面子くらい、ただしクソ髭は除外。あいつの前では呼ばないように注意してる。
「青い娘っ子の使い魔は風竜だったな。風竜なら、アルビオンまで来るのもけっこう簡単だぜ。なにしろ、「風石」を利用した空飛ぶ船が出来るまでは、それがアルビオンと大陸を繋ぐ唯一の手段だったからな」
へえ、意外な知識だ。唯一ってことは、やっぱりドラゴンじゃないとキツイのか。
「よく知ってるな」
「これでも俺の歴史は古いんだぜ、大抵のことは忘れちまったけど、覚えてることもあんのさ」
「肝心なことだけは忘れてるもんな、自分の能力とか」
「ほっとけい」
こいつもしゃべる以外に何か機能があればいいんだけど。
「だけど、ここの場所はわかるかな?」
「うーん、どっかの街で、貴族派と王党派の決戦が、どこで行われるのか聞けば一発じゃねえか? 後は風竜でビューン。まあ、城の砲兵に迎撃されるかもしれねえけど」
そうだ、決戦なんだよな。……王党派最後の。
「じゃあ、白旗でも振りながら来るとか?」
「かねえ、ここには300人もメイジがいるからな、さっき会場で色んな話を聞いてたんだけど、まだ九騎の竜騎士がいるみたいだぜ。しかも、全員使い魔タイプ。これは結構強力だと思うぜ、もし攻撃されたらアウトだわな」
数は少なくても精鋭揃い、死を覚悟して戦うんだから当然か。
「大丈夫かな?」
「ま、その辺は赤い姉ちゃんに任せりゃ大丈夫だろ、そういうところの機転は利きそうだし」
そっか、キュルケもいるんだ。それにギーシュも。そういや、ヴェルダンデがどうとか言ってたような気もするな。
「あり? ありゃあ貴族の娘っ子か?」
デルフがそう言ったので前を見ると、そこに確かにルイズがいた。
だけど、泣いているように俺には見えた。
………無理もないか、親友の恋人がこれから死ぬことが決定してる。それでどのくらい王女様が悲しむか、こいつには解っちまうんだろう。
その辺に関しちゃやっぱり俺は部外者だ、こればっかはどうしようもないけど。
「おい、なんで泣いてんだよ」
出来る限り普通に声をかける。
「うっさいわね、泣いてなんかないわよ」
そう言いつつ目元を服の裾でゴシゴシと拭ってはいるけど、いくら拭っても涙は湧いてきてる。
「何よ、拭う意味無いじゃない、これじゃ」
自分に文句を言うルイズ。
「いっそ全部出しちまった方がいいんじゃないか?」
俺はいつも通りの感じで答える。つっても、プライドがもの凄く高いこいつがそんなことをするわけがないんだけど。
「まったく、なんであんたはいつも通りなのよ」
泣いてはいるけど、少しは落ち着いたみたいだ。泣きっぱなしでいられたら、こっちも調子が狂う。
「そりゃ、お前がいつも通りじゃないからだよ」
いつもだったらこんなに弱気じゃない。こいつはどんな時も強気だった。それはそれで一つの美点だと思う。
しばらくルイズは黙っていた、俺と同じように、こいつも色々考えていたんだろう。だから、何をどう切り出していいのか分かんないんだと思う。
「……ねえ、なぜかしら?なんであの人達は死を選ぶの? 姫様が逃げてって……、恋人が逃げてって言ってるのに、自分を頼ってって言ってるのに……どうして聞き入れないの? どうしてウェールズ王子は死を選ぶの?」
「………」
その理由は聞いたけど、こいつに話していいんだろうか?
余計重荷になるような気もする。
「大切なものを守るためだって、言ってた」
「なによそれ。愛する人より、大事なものがこの世にあるっていうの?」
俺は考える。頭脳労働は専門じゃねえけど。
「その愛ってのがどういうものは分からないけどさ、お前にはいないのか?」
「え?」
きょとんとするルイズ。
「お前に好きな男がいたとして、その男と同じくらい大切な存在、例えば家族とか、親友とかいないのか? あのお姫様だってお前の親友だろ。だったら、その人達を守るために、恋人の願いを聞き入れられない場合もあるんじゃないか?」
彼女いない歴17年の俺の言葉じゃ説得力はないが。
「私の………大切な人」
すると、ルイズは考え込んだ。
だけど、その表情は浮かないとか、悲しんでるとか、そういう感じじゃなかった。
これは…………誰だ?
これ、ルイズか?
「そうよね………私の大切な人………あんなのはいなくても………いえ……いっそ消した方が……」
「お、おいルイズ?」
「あの男は……特にそう……別にいらないし……ずっとほっとかれたし……なにをいまさら……」
「ルイズ!」
俺は咄嗟に叫んでいた。
「な、なに? なんかあった?」
逆にびっくりしてるルイズ。
「いや……別になんでもない」
そう答えておく。今のは………考えないことにしよう。
“賢明だな、深淵を覗く者は、逆に覗かれていることを意識しなければならない、下手をすると闇に喰われるぞ”
そんな言葉が、聞こえた気がした。でもすぐに頭から消え去った。
「まあとにかく、王子様にも色々守るものがあるんだよ。別にお姫様が大切じゃないわけじゃないんだ」
それだけ答えておく、これ以上、深く言わないほうがいいと思う。
「そう………うん、そうなのね」
ルイズもどこか呆然としてる。
≪愛する人より大切なもの≫
それが、こいつにとっちゃ禁句なのか?
“愛する人と世界、その危うい天秤。世界を選べば人を愛さぬ光の虚無に、愛する人を失えば世界を壊す闇の虚無に、彼女は未だその中間。故に、人でありたければ考えてはいけないことだ”
まあ、とにかく今は置いておこう。
「ところでルイズ、ヒゲ野郎、じゃなくてワルドと結婚すんだって?」
「は? なにそれ?」
いや、俺が疑問だよ。え、なに、どういうことコレ。
「ちょっと待て、お前、何も聞いてないのか?」
「そりゃあ、ラ・ロシェールで求婚はされたけど、答えは保留にしてるわ。それに、ワルドも急がないって言ってたもの」
あれ? じゃあさっきのはなんだ? なんか自信満々に『結婚する』とか言ってなかったか、あの髭。
「おいデルフ、お前、聞いてたよな?」
「ああ、たーしかに言ってたぜ、明日娘っ子と結婚式を挙げるってよお。しかも、あの王子様に媒酌を頼むとかなんとか」
「ええ!? ウェールズ王子に!」
驚くルイズ、当然の反応なんだが、新婦の反応じゃないよな。
「ってことはあのクソ髭、相手の了解もなしに結婚する気か?」
もはや正気とは思えないんだが。駆け落ちにすら成ってねぇ、むしろ少女誘拐拉致監禁に近いんじゃ。
「そ、そんなこと私に言われても……」
戸惑ってるルイズ、気持は分かる。
「なあ、一つ疑問があるんだけど」
「なに?」
“ハインツブック”に書いてあったはずだけど、あってるのかどうか自身が無いので聞いてみることに。
「えーと、お前って、学生だよな」
「当たり前でしょ」
だよな、魔法学院の生徒だし。
「それで、未成年の結婚って、親の同意はいらないのか?」
クソ髭はいい、26歳だ、そうは見えねぇけど。だけどルイズは16歳、日本の法律ならぎりぎりの年齢だし、親の同意は絶対に必要だ。
「………………はっ!」
驚愕するルイズ。
「そうだわ! 思いっきり無理よ! てゆーか、未成年じゃなくても無理! 私の家は公爵家でしかも男の兄弟がいないから、私の夫には公爵家の相続権が大きく発生するわ。お父様の了承なしには絶対に不可能よ! それ以前に公爵家じゃなくても無理、貴族の娘が当主の了解なしに結婚できるわけないじゃない!」
なんか興奮してる。落ち着けどうどう。
「まあ、俺の故郷でも、親父さんへの“娘さんを僕に下さい”ってのは結婚する上で最大の難関なんだ」
「それだけじゃないわ。貴族の、しかも公爵家の者の結婚なら、相当の地位にいる司祭が立ち会わないと結婚できない。司教、いえ、大司教クラスが必要になるわ。それも、トリステイン宗教庁に所属してることが前提。上位に位置するロマリア宗教庁の司教でもいいけど、アルビオン宗教庁の司教じゃダメ、王族が司教の座を兼任してることは多くあるけど、アルビオンのウェールズ王子じゃ何の意味も無いわ」
流石は学年首席、博識だ。ん? 博識? なんか既知感が、電波の所為か?
「しかもまだある。ワルドは子爵で封建貴族、私も封建貴族のラ・ヴァリエールの三女だから、結婚したら領地などの面で大きな変動が起こる。つまり、トリステイン王政府の許可が必ず必要になるわ。王政府の認可を得ない封建貴族同士の結婚は、法で禁じられているの。だから、必要になるのは姫様の許可、もしくはマザリーニ枢機卿の許可よ、彼の場合はトリステイン宗教庁の主座でもあるから、一石二鳥になるかしら?」
どんどん考え込むルイズ、すげえなこいつ。よくぽんぽん難しそうな事が思い出せるもんだ。
だけど、つまりは。
「お前とクソ髭が勝手に結婚するのって、違法行為?」
「うーん、ここはアルビオンだから、あくまで儀礼的なものになると思うけど、すれすれね…」
グレーゾーンぎりぎりってことか。
でもそういやそうだ。日本の江戸時代でも、幕府の許可なしに藩主の娘と息子とかが結婚するのは、禁止されてたとかなんとか。
そうでもしないと、有力貴族が身内関係で結びついて、王政府に逆らう強力な連合体になってまうってことだろう。
「あのクソ髭、そんなこともわかんないのか?」
「そ、それはないと思いたいんだけど………」
けど、行動から考えるとそうなる。アイツがやろうとしてることは、ルイズの話どおりなら、めちゃくちゃだ。
「で、お前が受けた場合、最悪、王政府に逆らう謀叛人の誕生と」
「受ける受けない以前の問題よね、ただでさえラ・ヴァリエールはトリステイン最大の封建貴族だから、その姻戚関係には王政府も目を光らせてるはず。エレオノール姉さまと、どこかの伯爵さまが婚約するなんて話もあったけど、私とワルドの口約束と違って正式なものだからかなり難航してるとか」
それもそうか、あんまし力を持ちすぎると、王政府がとって代わられる危険すらあるもんな。確か公爵ってのは王家の血を引いている事がほとんどだとか、ルイズの家はもっともそれが濃いとかなんとか。
「しかしよお、なんでまたあのヒゲ野郎は、貴族の娘っ子とこんなところで結婚するなんて言い出したんだろうな?」
そこにデルフが発言。
「それもそうだよな、手紙はもらったけど、それをお姫様に届けるまでが任務だ。結婚式やってたら逃げるのが間に合わなくて『レコン・キスタ』に捕まりました、なんていったら末代までの恥だろ」
「そうよね、一刻も早く姫様の手紙を届けることこそが最優先。明日の正午が決戦でも、その前に先遣隊とかがやってくるかもしれないし、少なくとも4時間前には出発しないとまずいと思うけど」
ルイズも同じ考えみたいだ。そうだよ、一刻を争う、って感じなんじゃないか? 今って。
「しかも、媒酌がウェールズ王子だろ、これから決戦って一番忙しい時だよな。そんな司令官に結婚式の媒酌を頼むなんてあり得ねえと思うんだが」
「やっぱそうだよなー、平民の相棒ですらそう思うってのに、戦争屋の貴族がそんな寝言を言いだすなんて、あのヤロどういうつもりなんだか」
「しかも、下手したら犯罪行為だし、そもそも私は了承してないし、任務の完遂に支障がでるかもしれないし、そして何より意味無いし」
考えれば考えるほど問題だらけだった。
「仕事の疲れで狂ったのかな?」
魔法衛士隊隊長もけっこう忙しいのかもしれない。やっぱりエリートにはエリートの苦労があるのか。一回休暇とって、ゆっくり心と体を癒すことを勧めよう。
「正気じゃねえのは確かだわな」
「じゃあ、何で狂ったのかしら?」
とりあえず狂ったものとして話を進める。やはり原因は過労だろうか、だとしたら、ラ・ロシエールでは悪いことしたかな。でも、ぶっ飛ばされたから、お相子か。そういえば、あの決闘の動機も今考えれば、わりとまともじゃない。
「ルイズ、最近まではまともだったのか? 昔のあいつを知るお前の話は貴重だ」
「うーん、かなり昔のことだけど、言われてみれば少し違和感があったかも……」
「その違和感ってのは?」
俺とデルフでクソ髭の過去からの検証に入る。
「ちょっと積極的というか、無理とも違うわね、上手くは言えないけど、私を必要以上に構っていた気がするわ。昔の彼はもうちょっと自分中心的なところがあったと思う」
「なるほど、となると原因は……」
「娘っ子ってことかね」
そうなるよな。
「私?」
「お前を重視してたってんならそうだろ、だとしたら俺との決闘の時に、わざわざルイズを呼んだのにも説明がつく、だってギーシュもいたんだしさ」
「確かに、相棒と決闘をするだけなら、娘っ子を呼ぶ必要はねえ。とすれば、娘っ子の気を惹くことが目的だった。間男を華麗にぶっ飛ばして、かっこいいところを見せようってとこか」
徐々に、性犯罪者の精神鑑定みたいになってきた。カウンセリング…いやプロファイリングだっけ?
「そういえば、その前の夜だったわね、ワルドが私に求婚したのは」
「なるほどな、そこで思うような答えがもらえなかったクソ髭は狂っちまったってことか」
「つまりは、真性のロリコンへ覚醒したってことだな。危なかったな娘っ子、タイミングが違えばお前さんの純潔は破られていたぜ」
ルイズの顔が青くなった。なにせ同じ部屋だったからな。
「それは…………」
うまく言葉にならない様子。今思えば、かなりギリギリの線だったんだろうか。
「だけど、それで狂ってここで結婚式ってのも急な話だな」
「確かに、狂っていたとしても、自分の故郷で結婚したいと思うのが人情だと思うがね。まあ、狂人の思考だから確信はねえけど」
なにか、もう一つ要素がありそうだ。
「帰ったら仕事が忙しくて結婚できそうにないとか?」
「これから戦争になるってんなら、それもあるかもしれねえけど、なあ娘っ子、確か領地はお隣さんだったよな?」
「う、うん、確かにそうよ」
ルイズの顔色は少し悪い。ヘタ間違っってたら、あの髭に組み敷かれたと思うと、冷静になれないんだろうなきっと。
「じゃあ違うか、会うならトリスタニアで会えばいいし、結婚するならお隣さんなんだから、そんなに時間もかかんねえ」
「てーことは、このアルビオンってのが重要なのか?」
「そういえば、『この旅はいい機会だ』とか、『この旅が終わったら、きみの気持ちは僕にかたむくはずさ』とも言っていたような……」
ルイズから新たな証言が出た。
「今の証言を元に、被告の精神状態を考えてみよう」
「ポイントは、『この旅が終わったら』ってとこかね」
そこに何かありそうだ。
「重要なのは結婚だけじゃなくて、“アルビオンで結婚”ってこと?」
ルイズが疑問を述べる。その疑問から検証すると…
「そうなると、この結婚てのは………」
「“駆け落ち”ってことになるわな」
それこそが…………狂ったクソ髭が出した結論だったってことか。
「か、駆け落ち!?」
ルイズが反応する。まあ、下手すりゃ一生に関わる問題だ。そしてそうなると、前提が少し変わってくる。
「ルイズ、お前の親父さんって、娘を溺愛するタイプだろ」
こいつの性格を考えると娘に厳しいとは思えん。そりゃ、しつけの部分では厳しいかもしれないが、その他ではかなり甘そうだ。
「周囲の評価ではそうなってるわね」
客観的な事実を述べるルイズ、親が自分を愛してるってそのまま言うのは恥ずかしいよな。どっか恥ずかしそうだ、そのおかげか顔色も少し回復。
「なるほど、謎は全て解けた」
「つまりは、そういうことかい」
確信する俺達。気分は金田一。耕介でも一でもいいや。
「どういうこと?」
「おそらく、クソ髭はルイズの父さんに言ったんだよ、“娘さんを僕に下さい”って」
「そして答えが、“何をいっとるかこの青二才が! 貴様如きに娘はやらん! せめて侯爵にでもなってから出直してこい子爵風情が!”って感じだったってことよ」
つまり、正攻法での結婚が不可能になった。
「ちょっと変だけど、そんな感じで求婚相手を叩きだすお父様は簡単に想像できるわ……」
できんのかよ、どうやらルイズの父さんは俺達の想像通りみたいだ。
「そこで潔く諦めればよかったんだが、あいにく奴はロリコンだった。だから、トリステイン最大の貴族であるルイズの父さんの力が及ばないところへ駆け落ちしよう考えた」
「そこに、丁度いいチャンスが転がり込んできた。お姫様からの直々の任務、しかも場所は革命戦争中のアルビオン。そこなら娘っ子の父ちゃんの力も及ばない、ようこそ僕の理想郷、幼女ハーレムよこんにちわってわけだ」
それが、俺達が導いた結論だった。
「なるほど………そう考えれば辻褄が合うわ、私の前でサイトと決闘した理由、ギーシュ達をラ・ロシェールに置いてきた理由、そして、ここで結婚式を挙げる理由」
「だけど、ことは深刻だぜ。クソ髭の目的が駆け落ちなら、お前はトリステインに帰れない。つまり、お姫様に手紙を持って行けない」
「その上、ロリコン野郎の妻にされるわけだ」
ルイズの顔が蒼白になった、体も細かく震えてる。これだけ見ると凄い可憐で儚げな美少女なんだけどなあー。
俺はそんなルイズの肩に手を置く。
「安心しろ、ルイズ。お姫様の手紙は、俺が絶対に届けてみせるぜ。今までありがとな、世話になった」
「ちょ、ちょっとあんた! 私を変態に売るつもり!?」
ルイズが怒鳴ってきた。顔は真っ赤で、凄い必死。
「いやさあ、戦えと言われたら『レコン・キスタ』が相手でも戦うよ。けど、変態だけは相手にしたくねえ」
「確かになあ、変態の思いは時に奇蹟を起こす。いくら相棒でも分が悪いぜ」
変態ロリコンが嫉妬に狂えばどれほどの力を発揮することやら。
「じゃあ私はどうなるのよ!」
「人身御供」
「生贄の乙女」
同じ答えを返す俺達。
「あんた達、もしそうなったら絶対に呪い殺してやるから……」
怖!
「ま、まあ冗談はこの辺にしてだ、なんとか対策を考えよう」
「女を犠牲にして逃げるのは相棒の趣味じゃねえわな」
そんなこんなで変態対策会議スタート。
「最初に考えられるのは、変態を正気に戻すことだな」
まずはそう切り出す。
「でも、無理よ。彼が変態になったきっかけが、私には分からないわ」
「そうだよな。女に振られたのか、はたまた禁断の領域に染まったか。理由はいろいろありそうだが、変態になった26歳の男を、17歳の相棒と16歳の娘っ子の人生観で変えられるとは思えねえ」
それが、厳しい現実だった。覆さない大きな壁だった。俺達はしょせんまだまだ子供ってことだ。
「第二案としては、変態に構わず逃げることね」
「けど、向こうはグリフォンを持ってる、逃げても追いつかれそうだぜ」
シャルロットが来てくれれば話は違うが、連絡のとりようがないから、救援が来ることを前提に対処を考えるわけにはいかない。
「あの変態は「風のスクウェア」だろ、機動力ならメイジで一番だ。速さだけなら相棒も負けねえが、空中戦には適してねえ」
アルビオンから逃げるにはどうしても空中の機動力が重要になる。
「逃げるのも無理、そうなると先手を打ってやるしかないか?」
「だめよ、いくら彼が変態でも、まだ変態行為に及んではいないわ。限りなく怪しくても証拠がないんだから、彼が変態であることを証明はできない」
こっちが犯罪者になっちまうかもしれねえわけか。
「となると後は第三者の介入か、説得するにしろ抑止するにしろ、誰かが必要になりそうだよな。相棒じゃ駄目だ、火に油を注ぐ結果になっちまう」
変態にとっちゃ俺は、ルイズにくっつくお邪魔虫だ。
「申し訳ないけど、ウェールズ王子しかいそうにないわね。流石に結婚の媒酌を頼んだ王子様の言葉なら、全部否定することは出来ないでしょうし、暴力行為におよぶこともないと思うわ」
ルイズが提案する。
「それに、ここでしばらく待ってればシャ…タバサ達が風竜に乗ってきてくれるかもしれない。そうなれば風竜で逃げればいい、グリフォンよりも速いから逃げ切れるぜ」
「それくらいしかないねえ、娘っ子は変態を刺激しないように、当たり障りのないことを言って出来る限り時間を稼ぐ、そんで、結婚の宣誓のときには拒絶する。そこで変態が変態行為に及ぼうとしたら、例の『爆発』を叩き込む、んでそれを合図に外で待ってた相棒が駆けつけて取り押さえる。ってとこか」
デルフが作戦を言う。だてに歳はくってねえな、何歳かは知らないけど。
「けど、あんたは結構離れている必要があるわ。「風」メイジは索敵も得意だから下手をすると気付かれるし、結婚式に余計なのが混じっていることに気付かれたら、変態が何をしだすかわからない。だから、大きな音がするまでは遠くで隠れていて、合図があったら全力で来なさい」
なるほど。
「ウェールズ王子には事前に伝えておいた方がいいのか?」
「多分無理よ、忙しいだろうし、城内にいないかもしれない。結婚式にしても、王子の都合に合わせて行われるだろうから、それまでにさらに余分な時間を使わせるわけにはいかないわ」
そうだ、明日は決戦なんだ。
「それに、確率は低いけど、ワルドが変態じゃない可能性もないわけじゃないわ。希望は捨てずにいきましょう。だから、王子様にはワルドが駆け落ちを企む変態だとは伝えない方がいい」
ルイズは決心をするように言う、覚悟を決めたようだ。
「いいのか? 失敗したらお前の貞操の危機だぞ?」
「構わないわ、これ以上私達の都合でウェールズ王子に迷惑をかけるわけにはいかないもの」
それが、ルイズなのだった。こいつはこういう奴だ、だから俺は文句を言いながらも、こいつのもとから逃げ出してない。
「分かった、じゃあ明日、変態との決戦だ」
「ええ、彼が変態じゃないことを祈りましょう」
「いざとなったら力ずくってのは定番だけどな」
そして、明日に備えて英気を養うため、俺達は眠りについた。