ヒゲ子爵が無理やり船長を説得して、俺達はアルビオンに出発した。
シャルロット、キュルケ、ギーシュはラ・ロシェールに残ったけど、シルフィードで追いかけてくるって言ってた。
で、アルビオンに着いたらどうするかでルイズとヒゲ子爵が何か話してる。
第十五話 白の国
■■■ side:才人 ■■■
俺は甲板に出て、外の様子を見ていた。
「さーて、これからどうなることやら」
「ま、何が起きてもおかしくはねえよな」
デルフが答えた。
シャルロットたちの事が心配ではあるけど、俺は“デンワ”を持ってないから確認の取りようがない。それに加えて、桟橋で襲ってきた仮面を被った男の事もなんか気になる。
「なんか、知ってるような気もするんだよな、あの仮面野郎」
「んー、言われてみれば、なんかどっかで会ったかな?」
首を捻る俺達。(デルフに首はないけど)
「どうしたの? 犬」
「ルイズ、頼むからナチュラルに犬っていうのをやめてくれ」
「そう」
ものすごいどうでもよさそうにルイズが答えた。
「マスター・ルイズ、せめて人間扱いくらいはしてくださいませ」
「わかったわ、下僕」
少しだけましになった。やっぱり下僕になれるのは人間だけだよな、と、どうでもいい事を思ってしまう。
そこに、船長との話を終えたヒゲ子爵がやって来た。
「船長の話では、ニューカッスル付近に陣を配置した王軍は、包囲されて苦戦中のようだ」
その言葉にルイズは、驚きの表情をする。
「ウェールズ皇太子は?」
「わからん。 生きてはいるようだが……」
「どうせ、港町はすべて反乱軍に押さえられているんでしょう?」
「そうだね」
ま、当たり前だよな、俺でもわかるぞそれくらい。
「どうやって、王党派と連絡を取ればいいのかしら?」
「陣中突破しかあるまいな。 スカボローからニューカッスルまでは馬で1日だ」
「反乱軍の間をすり抜けて?」
うわー、かなり無茶っぽい。できればやめて欲しい。
「そうだ。 それしかないだろう。まあ、反乱軍も公然とトリスティンの貴族に手出しはできんだろう。スキを見て、包囲網を突破し、ニューカッスルの陣へと向かう。ただ、夜の闇には気をつけないといけないがな」
ルイズは緊張した顔で頷いた。うーん、その時、俺ってどうなるんだろ? ヒゲ子爵とルイズはグリフォンに乗るとして、俺は…………徒歩か?
「そういえば、ワルド。 あなたのグリフォンはどうしたの?」
ヒゲ子爵が微笑んで、舷側から身を乗り出すと、口笛を吹く。すると、下からグリフォンがあがってきて、甲板に着陸し、他の船員たちを驚かした。
暫らくすると、鐘楼の上に立った見張りの船員が、大声を上げた。
「アルビオンが見えたぞ!」
広がる雲の上に、黒々とした大陸が見えた。
「すげえな」
浮遊大陸アルビオン。
空中を浮遊し、主に大洋の上をさまよっており、月に数度、ハルケギニアの上を通過する。大きさはトリステインの国土ほどある。
そして、大陸の大河から溢れた水が、空に落ち込み、それが白い霧となって、大陸の下半分を包んでいる。その為、アルビオンの事を通称『白の国』と言う。
もちろん、ぜーんぶ“ハインツブック”参照である。
「驚いた?」
ルイズが聞いてくる。ルイズは少し得意げだ。
「ああ、こんなの見たことねえや」
あんまり驚きすぎると、リアクションが陳腐になるっていう典型だ。
でっかいラピュタだもんな。やはり巨大な風石で浮いてるに違いない。いや、むしろ、ワンピースの空島かな?
「右舷上方の雲中より、船が接近してきます!」
鐘楼の上にいた、見張りの船員が大声を上げた。俺はその方向を向く。俺たちが乗る船より、一回り大きい船が確かに近づいてきた。舷側に開いた穴からは、大砲が突き出ている。
「おお! 大砲だ! カリブの海賊か!」
「いやだわ。 反乱勢……貴族派の船かしら?」
あり、敵の船かよ。
「ま、とにかく、船長とヒゲ子爵のとこにいってみようぜ」
じゃねえとよくわからんし。
で、俺達が行くと、ヒゲ子爵と並んで操船の指揮をしていたらしい船長が、見張りが指を差した方角を見上げた。黒くタールが塗られた船体は、俺たちの乗る船にぴたりと20以上も並んだ砲門を向けている。
なんか、見た感じはブラックパール号だ。ジャック・スパロウ船長が乗ってるんだろうか? それともバルボッサ?
「アルビオンの貴族派か? お前たちのために荷を積んでいる船だと、教えてやれ」
見張りの船員は、船長の指示通りに手旗を振った。なんでも、こっちにはまだ“デンワ”が普及してないから、旗による信号になるそうだ。ちなみに、モールス信号もないらしい。
しかし、黒い船からは何の返信もない。副長らしい人が青ざめた顔で、船長に駆け寄る。
「あの船は旗を掲げておりません!」
「してみると、く、空賊か?」
「おお! カリブの海賊か!」
「空賊って言ってたでしょ」
ルイズの突っ込みが入った。いいじゃん、空は風の海って言うんだから。
船長の顔も、みるみるうちに青ざめる。
「間違いありません! 内乱の混乱に乗じて、活動が活発になっていると聞き及びますから……」
うーん、戦争があると治安が悪くなるのはどこも一緒なんだな。
「逃げろ! 取り舵いっぱい!」
船長は船を空賊から遠ざけようとするが、時すでに遅く、黒船は並走を始めた。脅しとして黒船は、俺たちの乗り込んだ船の針路の先をめがけて、大砲を1発放った
ドゴン!
おお、すげえ、っと、ひとごとのように感想を浮かべる俺。鈍い音がして、砲弾が雲の彼方に消えていく。そして、黒船のマストに、4色の旗流信号がすらすらと上る。
「停船命令です、船長」
船長は苦渋の決断をせまられた模様。
「この船って、武装ないんか?」
「あるらしいけど、移動式の砲台が3門しかないんだって、片舷側で20門以上ある向こう側の船の火力からしてみれば、役に立たない飾りのようなものだって、向こうの人達が言ってるわ」
なんか、意外と冷静なルイズだった。ま、俺達には何にも出来ねえしな。向こうを見ると船長が助けを求めるように、隣に立つヒゲ子爵が見る。
「魔法は、この船を浮かべるために打ち止めだよ。 あの船に従うんだな」
船長は肩を落とし小声で「これで破産だ」と呟き、部下に命令をする。というかヒゲ子爵さんよ、これってアンタの責任が大きくない?他人事のように言うのはどうかと思うんだけど、いや人のこと言えねぇけどさ。
「裏帆を打て! 停船だ!」
やれやれ、またなんか面倒なことになりそうだな。
「空賊だ! 抵抗するな!」
黒船から、メガホンを持った男が怒鳴ってきた。
「見りゃ分かるっての」
黒船の舷側に、弓や長銃を構えた男たちがずらりと並び、こちらに狙いを定めてきた。鉤のついたロープが投げられて、俺たちの乗る船に引っかかる。
そして、手に斧や曲刀を持った男たち数十人が、ロープを伝ってやってきた。
「うーん、完全にパイレーツ・オブ・カリビアンだな」
呑気に批評する俺。いきなり現れた空賊に驚いたのか、前甲板に繋いであったヒゲ子爵のグリフォンが、騒ぎ出した。
その瞬間、グリフォンの頭が青白い雲で覆われる。するとグリフォンは甲板に倒れて、寝息を立て始めた。
「アレは確か、『眠りの雲』だっけ、シャルロットが使ってたよな」
なんて呟いてると。
ドスンと、音を立て、甲板に空賊たちが降り立つ。その中にひときわ派手な格好をした空賊が1人いた。
汗と油で黒く汚れて真っ黒なシャツの胸をはだけ、そこから赤銅色の日焼けした逞しい胸が覗いている。ぼさぼさの長い黒髪は、赤い布で乱暴に纏め上げられており、無精ひげが顔中に生えている。
左目には眼帯が巻いてあった。周囲の様子からすると、その男が頭っぽくみえるんだけど。
なんか、コスプレっぽいような印象がする。だって、あんましにもキャプテン・ジャック・スパロウみたいなんだもん。
「船長はどこでえ」
荒っぽい仕草と言葉遣いで、辺りを見回す。
「私だが」
震えながらも、精一杯の威厳を保つ努力をしながら、船長は手を上げる。ここで「俺でーす」なんてふざけた日には、空賊より先にルイズに殺されそうなんでやめておく。
頭は大股で船長に近づき、顔をぴたぴたと抜いた曲刀で叩いた。
「船の名前と、積荷は?」
「トリステインのマリー・ガラント号。積荷は硫黄だ」
空賊の間から、歓声が漏れる。頭の男はにやっと笑うと、船長の帽子を取り上げ、自分が被った。
「船ごと全部買った! 料金はてめえらの命だ」
それから頭は、甲板に佇むルイズとヒゲ子爵の存在に気づいたようだ。
「おや、貴族の客まで乗せてるのか」
貴族って、そんなに珍しいのかな? まあ、普通は貨物船じゃなくて客船に乗るか、貴族なら尚更。
頭はルイズに近づき、顎を手で持ち上げた。
「こりゃあ別嬪だ。 お前、おれの船で皿洗いをやらねえか?」
「ははは、無理無理、ルイズにそんなこと出来るわけないっしょ!」
やっべえ! 反射的に言っちまった!
「ほうほう、面白いこと言う小僧がいるなあ。元気があるのは嫌いじゃないぜ」
やばい、こっち向いた!
「そうだそうだ! 絶対無理だって! お前さんがブ男からモテモテ君になるくらいありえねえって!」
デルフーーーーーーー!!!!
「なんちゅうこと言うんじゃお前は!!」
「いや、事実を言っただけだし」
「空気読め! 俺が死んじゃうだろ!」
「いや、いい相棒だったぜ」
「既に過去形かよ!」
「おーい、頭さんよ、こいつ、面白えだろ、空賊にどうよ?」
「なんで空賊に売り込んでんだよ!」
「いやだって、貴族の娘っ子が連れてかれたら、相棒は犯罪者予備軍だろ」
「あ、そういやそうだった」
納得する。住所不定無職、かつ、洗礼も受けてないアウトローだもんな。
「だったら、ここはひとまず空賊になるってのもありじゃねえかい?」
「うーん、かもな、とりあえず、ルイズに完全に捨てられるか、もしくはもう会えなくなるまでは可能な限りくっついてないといかんし」
よっしゃ今後の方針決定。
「すいません、俺のご主人様には皿洗いは無理なんで、俺を皿洗いとして雇ってください。もちろん、御主人さまの処遇が決まるまでの暫定的なものでいいんで」
頭に対して土下座する俺。プライド? 何それおいしいの?
「あ、あ、ああ、お前、この別嬪さんの召使いなのか?」
「下僕です。まあ、住所不定無職なんで、御主人さまがいないと俺も貴方達みたいに空族とかになるしか道がないんです。そういうわけで、雇ってください」
「ま、まあ、とりあえずはこの嬢ちゃんと一緒に乗ってな、その後で決めてやっからよ」
なんか、空賊の頭にひかれた。そんなに無茶なお願いかな?
「てめえら。こいつらも運びな。身代金がたんまりと貰えるだろうぜ」
気を取り直した頭が部下に命令してた。
空賊に捕らえられた俺たちは、船倉に閉じ込められた。ルイズとヒゲ子爵は杖を取り上げられ、俺もデルフリンガーを取り上げられた。
武器の無い俺、杖の無いメイジは、ただの人である。もっとも、ルイズと俺はそれぞれ違う意味で、あまり関係が無かったが……。
だけど、メリケンサックとコショウ爆弾は無事だった。まさか大剣を持ってる俺が、背中にコショウ爆弾を括りつけてるなんて思わなかったみたいだ。ついでに、メリケンサックはポケットの中。
“別嬪さんの奴隷”である俺に注意を払う奴はいなかった。
周りには、酒樽や火薬樽、大砲の砲丸などが雑然と置かれている。ヒゲ子爵はヒゲ子爵で興味深そうに、そんな積荷を見て回っている。珍しいもんでもあんのかな。
やる事がない俺とルイズは樽に腰掛けて、じっとしていた。
「あんたね、あの緊張感のなさはなんなのよ」
じっとはしてるけど、ずっと文句は言われてた。というかルイズの言葉の30%は文句だと思う。
「そんなこと言われても、勝手に口が動いちゃったんだよ。それに、ぜーーーったい、お前に皿洗いなんか無理だって」
「当然よ、公爵家の三女たる私がなんで皿洗いなんてやんないといけないのよ」
出たー、お嬢様発言だー。
「俺、けっこうやってるよ?」
マルトーさんの下で色んな手伝いをやってるからな。
「変なスキルばっかり上がってくわね、アンタ」
そんな緊張感がない会話をしてると、船倉の扉が開いた。太った男が、スープの入った皿を持っている。
「飯だ」
扉の近くにいた俺が、受け取ろうとすると、男はその皿をひょいと持ち上げた。
「質問に答えてからだ」
「ひどいや、俺にとっては御馳走なのに」
あくまで“奴隷”という立場を貫く俺、ルイズを奴隷虐待の女主人に仕立てあげることなど造作もない。
ルイズが立ち上がる。
「言ってごらんなさい」
なんで上から目線なの?
「お前たち、アルビオンに何の用なんだ?」
「旅行よ」
「暴力主人から逃げようとしたら捕まって、そのまま連行されたんです」
ルイズは、腰に手を当てて、毅然とした態度で答えた。ちなみに、片手は俺の脇腹に突き刺さっている。これなら、暴力主人という部分は疑われる余地はないな。
「トリステイン貴族が、いまどきアルビオンに旅行? いったい、何を見物するつもりだい?」
「そんなこと、あなたに言う必要は無いわ」
「だからこそです、内乱中のアルビオンなら、この御主人さまも追ってこないと思ったんですけど、甘かったです。まさか、商船まで乗り込んでくるとは思いませんでした。こうして捕まって、また奴隷の日々の始まりです」
「そ、そうか…………それは、随分気の毒だな」
信じてくれた! なんか良い人っぽいぞ!
男は気の毒そうな顔で皿と水の入ったコップを俺に渡す。俺はそれを暫らく見て、それからルイズの元に持っていった。
「ほら」
「あんた……ざけてんの?」
爆発寸前のルイズ。地獄の底から聞こえてきそうな声だった。
「でもさ、空賊が信じてくれたってことは、そんだけ役にはまってるってことじゃないか?」
「私が主人で、あんたが奴隷?」
「そうそう」
悲しいことだが、はまりすぎている。とりあえず、スープをルイズに進める。
「あんな連中の寄越したスープなんか飲めないわ」
ルイズはそっぽを向いた。よっしゃ! じゃあ俺がいただきぃ!
「ルイズ。 食べないと、いざって時に体が持たないぞ」
ヒゲ子爵の言葉に、ルイズはしぶしぶといった顔でスープの皿を手に取った。おのれ余計なことを。
3人で1つの皿のスープを飲む。飲み終わって暫らくすると、再びドアが開いた。
今度来たのは痩せた男だ、極端だなオイ。その男は、じろりと俺達3人を見回すと、楽しそうに口を開いた。
「おめえらは、もしかしてアルビオンの貴族派か?」
「ただの奴隷です」
ルイズは答えない。
「おいおい、だんまりじゃわからねえよ。 でも、そうだったら失礼したな。 俺たちは、貴族派の皆さんのおかげで、商売させてもらってるんだ。 王党派に味方しようとする酔狂な連中がいてな。 そいつらを捕まえる密命を帯びているのさ」
また無視される俺の言葉。平民無視って事は、もしかしてこいつ貴族なのか?
「じゃあ、この船はやっぱり、反乱軍の軍艦なのね?」
「どっちにせよ、奴隷は奴隷ですよね」
「いやいや、俺たちは雇われているわけじゃねえ。 あくまで対等な関係で協力し合っているのさ。 まあ、おめえらには関係ねえことだがな。 で、どうなんだ? 貴族派なのか? そうだったら、きちんと港まで送ってやるよ」
つっても、ルイズの性格からして、答えは決まってるよな。
「誰が薄汚いアルビオンの反乱軍なものですか。バカ言っちゃいけないわ。わたしは王党派の使いよ。まだ、あんたたちが勝ったわけじゃないんだから、アルビオンは王国だし、正統なる政府は、アルビオンの王室ね。わたしはトリステインを代表してそこに向かう貴族なのだから、つまりは大使ね。だから、大使としての扱いをあんたたちに要求するわ」
やっぱり、こうなるよな。予想通りの展開に、俺が溜息をつく。
「なによあんた、文句でもあるの?」
「いいえ、まったくございません、わたくしめは貴方様の奴隷にございますゆえ」
もうヤケクソな俺だった。そんな様子を見て、男は笑う。
「正直なのは、確かに美徳だが、お前たち、ただじゃ済まないぞ」
「あんたたちに嘘をついて頭を下げるぐらいなら、死んだほうがマシよ」
「わたくしは死にたくありません、御主人さま」
ルイズは男に面と向かって言いきった。俺もルイズに対して言いきった。
「頭に報告してくる。その間によく考えるんだな」
男はそう言って、去っていく。
「は~、相変わらず後先考えないなルイズ」
「あんたはいっそ死になさい」
もの凄い呆れた声で言うルイズ。
暫らくして、先ほどの男がやってきた。
「頭がお呼びだ」
狭い通路を通り、細い階段を上り、俺達が連れて行かれた先は、立派な部屋だった。どうやらここが、この空賊船の船長室のようだ。
扉を開けると、目の前に豪華なディナーテーブルがあり、その上座に頭と呼ばれた男が腰掛けていた。男は大きな水晶のついた杖をいじっている。
周りには、ガラの悪そうな男たちがニヤニヤと笑って、入ってきた3人を見ている。俺達を連れてきた男が、後ろからルイズをつついた。
「おい、お前たち、頭の前だ。挨拶をしろ」
しかし、ルイズは頭を睨むだけだった。
「いやー、おっさん、元気かよ、相変わらずブサイクだな」
一方俺は開き直って言う、こうなったら強気の方がいいだろ。
「気の強い女は好きだぜ。ついでにガキもな。さてと、名乗りな」
おお、心が広いな。
「大使としての扱いを要求するわ」
「奴隷としての扱いじゃなくて、人間扱いを要求する」
ルイズは頭の言葉を無視する。
「そうじゃなかったら、一言だってあんたたちになんか口をきくもんですか」
「もう口きいてる時点で破綻してるけど、それでいいよな」
頭もルイズの言葉を無視して言った。
「王党派と言ったな?」
「ええ、言ったわ」
「なにしに行くんだ? あいつらは、明日にでも消えちまうよ」
「あんたたちに言うことじゃないわ」
「無理だよ、こいつは筋金入りの頑固者なんだ」
「貴族派につく気はないかね? あいつらは、メイジを欲しがっている。たんまり礼金も弾んでくれるだろうさ」
「死んでもイヤよ」
「俺は死にたくないけど、遠慮しとく」
ルイズはそれでも断った。
こいつはこういう奴だ、だから、本音では主人として仕えるのは実は苦痛じゃない。少なくとも学院の他の生徒の大半や、教師や、ヒゲ子爵みたいなのより100倍ましだからな。
「もう一度言う。 貴族派につく気はないかね?」
「だから無理だっておっさん、諦めな」
頭はじろりと俺を睨みつける。鋭い眼光は、人を睨む事を慣れているようだった。
「貴様は何だ?」
「さっきからいただろうが、あんたにさっきドン引きされた奴隷だよ」
「ど、奴隷? トリステインには未だに奴隷制があるのか?」
「ちょっとあんた! トリステインが誤解されそうなこと言ってんじゃないわよ!」
ルイズに怒られた。
「わりい、嘘ついた。本当は使い魔で、下僕で、犬で、雑巾で、そして汚物だ」
「なんか、奴隷の方がましに聞こえるんだが…………」
頭に憐みの目で見られた。なんか散々だ。
「まあとにかく、御主人さまがこう言ってる以上、あんたらは俺らの敵だよ。これでも一応使い魔なんで、御主人さまには手を出させねえ」
俺は左手をポケットに入れて“メリケンサック”をつける。この距離なら俺が速い、頭を人質にとって、ヒゲ子爵の杖を戻させれば何とかなるかも知れない。
原理はよくわかんねえけど、このルーンは俺の精神状態ともマッチしてる。やる時はどこまでもふてぶてしく、この世に不可能なんてないくらいの気持ちでいかないと。
って思ってたんだけど。
「なるほど、これは失礼した。貴族に名乗らせるなら、こちらから名乗らなくてはな」
頭は大声で笑った。
「本当に気丈なお嬢さんだ。トリステインの貴族そのものだ。もっとも、あの恥知らずの者どもよりは何百倍もマシか。そして、その使い魔も主人に似て剛毅なことだ」
頭は大声で笑うと、黒髪のカツラを取り、眼帯を外し、付け髭を外す。すると、ものすごい美形の兄さんが現れた。
美形つったら、ハインツさんも、顔だけならこの人みたいに美形なんだよな、顔だけなら。黙ってれば、何もしなければ、彫像のように静かにしてれば。そんな姿想像できないけど。
「私はアルビオン王立空軍大将、本国艦隊司令長官……、本国艦隊といっても、既にこの『イーグル』号しか存在しない無力な艦隊だがね。まあ、その肩書よりもこちらの方が通りがいいだろう」
美形の兄さんは堂々と名乗った。
「アルビオン王国皇太子、ウェールズ・テューダーだ」
マジで?
「ほ、本当に、ウェールズ王子、なのですか?」
ルイズが聞くが、俺も同じ気分だ。
「ご婦人は逆にまだ信じられぬらしい。ああ、本当だよ。いや、大使殿には真に失礼を致した」
「なぜ、空賊に扮したりなどと……」
「なに、今や趨勢を決め、勝ち馬に乗ろうとする各所の援助に事欠かぬ金持ちの反乱軍には、次々と物資が運び込まれる。さて、敵の補給を断つは戦の基本だが、堂々と王軍の旗を掲げては、この『イーグル』号一機だけの王立空軍など、数十倍ある反乱軍の艦に囲まれるだけ」
そう言ってイタズラっぽく笑う王子サマ。
「頭を上げてくれ、レディ。僕はそういう貴族の方が好きさ。今や裏方の我々としては裏仕事を否定するつもりもないが、敵と死と裏切りを前にしても引かなかったそのまっすぐな誇りは、とても好ましいものだと思うよ」
「……お恥ずかしい限りですわ」
「それで大使殿は、亡国の王子に何の御用かな?」
「は、トリステイン王国は、アンリエッタ姫殿下より、密書を言付かって参りました」
これはヒゲ子爵。
「ふむ。姫殿下とな。君たちの名を伺おう」
「申し遅れました。私は、トリステイン王国魔法衛士、グリフォン隊隊長、ワルド。子爵の位を授けられております」
で、俺達を紹介していく。
「こちらが姫殿下より大使の任を仰せつかった、ラ・ヴァリエール公爵嬢。そして、その使い魔の少年にございます」
「なるほど、君のような立派な貴族があと十人ばかり我が親衛隊にいれば、このような惨めな今日を迎える事もなかったであろうになあ。して、その密書とやらは?」
今の今まで呆ほうけていたルイズは、慌てて胸のポケットから封書を取り出した。
「えっと……、皇太子、さま。……ですよね?」
ん? と王子サマは首を傾げたが、その内に苦笑を一つした。
「まあ、先ほどまでの顔を見ているのだから無理もないか。では証拠をお見せしよう、大使どの」
王子サマは自分の薬指に光っている指輪を外すと、ルイズの手を取って、その指に光る水のルビーへと近づけた。二つの宝石が触れ合うほどに近づいたとき、その間に虹色の光がふわりと浮かんだ。
「この指輪は、アルビオン王国に伝わる風のルビー。そしてきみがはめているのは、アンリエッタの嵌はめていた水のルビーだ。そうだね?」
ルイズがこくりと頷いた。
「水と風は、虹を生む。王家の間に渡された架け橋さ」
なんかドラクエを思い出すぜ、雨雲の杖と太陽の石だったっけ?
「大変、失礼をいたしました。――こちらです」
ルイズは一礼すると、手紙を王子さまに手渡した。王子さまは熱っぽい瞳でその手紙を見つめると、花押に唇を落とした。
慎重に封を割り、内に綴つづられた文章を読む。
「……姫は結婚するのか。あの……愛らしいアンリエッタが。私の可愛い……従妹は」
真剣な顔で手紙を読んでいた王子さまが、顔を上げて尋ねてきた。ヒゲ子爵が無言で頷くことで、それを肯定する。 王子さまはもう一度だけ手紙に目を通し、微笑みながら顔を上げた。
「あいわかった。私が姫より賜ったあの手紙を返して欲しいという事だね。何より大切な姫からの手紙だが、姫の望みは私の望みだ。そのようにしよう」
ルイズの顔が輝いた。
「しかしながら、今、手元には無い。ニューカッスルの城に置いてあるんだ。姫の手紙を、下賎な空賊船に置いておく訳にはいかぬのでね」
王子様は笑って言った。
「多少面倒だが、ニューカッスル城までご足労願いたい」
雲海の中を進むこと3時間近く。ジグザグした海岸線を進んでいると、大陸から大きく突き出した岬が正面に現れた。ニューカッスルとはこの岬の総称であり、城はその突端で、天高くそびえているそうだ。
「なぜ、下に潜るのですか?」
「耳を澄ましてみるといい」
ヒゲ子爵が尋ねると、王子さまは片手を耳にそえた。そういえば、さっきから雲の中を重低音が響いてるような。
「これは……、砲撃音?」
「その通り。ちょうどこれから雲の薄い所に出る。岬の先端の方を見てみるといい」
王子さまがそう言って指さした方を見れば、そぼろになった雲の隙間から、突端にそびえる流麗な城と、その傍に浮かぶ、城の半分はあろうかというほど巨大な戦艦があった。
「かつての本国艦隊旗艦『ロイヤル・ソヴリン』号だ、今は『レキシントン』号と名前を変えている、奴らが初めて我々から勝利をもぎとった戦地の名だ、余程名誉に感じているらしいな」
遠く雲の切れ間に覗くその巨艦を、興味深く見つめる。ホントに、『デカい』としか表現しようが無いほどデカい。この船の倍ぐらいは軽くありそうだ。
おまけにその脇腹からは剣山みたいに大砲が突き出ていて、煙を吐いている。さっきの重低音はアレか。
ついでに上空の方を何かハエみたいな何かが飛び交っているが、あれはなんだろうか?
「あの忌々しい艦は、空からニューカッスルを封鎖しているのだ。あのように、たまに下りてきては城に大砲をぶっ放していく。備砲は両舷合わせて百八門。おまけに竜騎兵まで積載可能だ。あの艦の反乱から、全てが始まった。因縁の艦だよ」
そういう間にもイーグル号は雲を更に深く潜り、レキシントン号は雲の彼方へと隠されていった。
「そして、我々の艦があんな化け物を相手に出来るわけもない。そこで雲中を通り、岬の付け根へ向かう。そこに港があるんだ。我々しか知らない、秘密の抜け穴さ」
イーグル号が大陸の下に入ると、見る間に雲は色を失い、甲板は一気に暗闇に包まれた。
あちこちに立った兵たちがそれぞれ魔法を唱えて光源を作ってはいるものの、外に気付かれては元も子もないのであまり強い光ではない。
とはいえ。
「地形図を頼りに測量と魔法の明かりだけで航海することは王立空軍の航海士にとっては、なに、造作もないことなのだが、貴族派、あいつらは所詮空を知らぬ無粋者さ」
視界はゼロに等しく、少し測量と確認を怠っただけでも簡単に頭上の大陸に座礁するため、叛乱軍の軍艦は大陸下へ侵入したがらないのだそうな。
そのまましばらく進んでいると、頬を撫でる雲が、冷たく涼しい雨みたいなものから、どこか湿り気を強く感じるほのぬるい蒸気みたいなものに変わった気がした。
なんだなんだときょろきょろ辺りを見回せば、王子さまが天を見上げている。俺も上を見てみた。
雲が無かった。代わりに見えたものは、豆みたいに小さな白い光だ。
そこに向かって伸びるかなり幅広の縦穴が、船のあちこちから放たれている魔法の光に照らされ、闇の中にぼんやりと浮かび上がっているのがわかる。
「ひょっとして、これが……港?」
「その通りだ。といっても、ここは入り口でね。あのずっと上の方に見える光、あそこが『桟橋』さ……、一時停止!」
「一時停止、アイ・サー!」
マストを操っていた水兵たちが、王子さまの命令を復唱する。暗闇の中でも普段の動作を失わない水兵たちによって、イーグル号は風に帆を逆らわせられて減速する。
そうして帆は瞬く間に畳まれ、イーグル号はぴたりと穴のど真ん中で静止した。
「微速上昇」
「微速上昇、アイ・サー」
ゆるゆるとイーグル号は縦穴を昇り始めた。その下には、イーグル号の航空士が乗り込み誘導するマリー・ガラント号が続いている。
「まるで空賊ですな、殿下」
「まさに空賊なのだよ、子爵」
一番上に見えていた光がぐんぐんと大きく、眩しくなって、やがてそのあまりの眩さに、咄嗟に目を庇った。
眩しさは光量の差による一過性のものだ。暗闇の中で突然じわりと目を開けてみれば、そこは既に『桟橋』だった。一面ぼんやりとした真白い光を放つコケに覆われていて、天井と床の間には真ん中がくびれた柱みたいな岩がある。
どうやらここは、巨大な鍾乳洞の中らしい。
高さを合わせたイーグル号が岸壁から突き出た木製の桟橋へと近づくと、桟橋の上から一斉にもやいの縄が宙を舞った。水兵たちがその縄をイーグル号に結えつけると、岸壁にいた多くの水兵たちによって、イーグル号は引き寄せられた。
車輪つきの木製のタラップがガラゴロと近づき、凧フネにぴったりと取りつけられる。イーグル号に続いて現れたマリー・ガラント号に縄が飛ぶ中、俺たちは王子さまに促され、イーグル号から降りた。
すると一人の爺さんが近づいてきた。
爺さんは二隻の凧フネの方を見ると顔を綻ほころばせ、王子さまの労をねぎらいだした。
「ほほ、これはまた、たいした戦果ですな。殿下」
「喜べ、パリー。中身は硫黄だ!」
辺りに集まっていた兵隊たちから、口々に大きな歓喜の声が上がる。
「おお! 硫黄ですと! 火の秘薬ではありませぬか!これなれば、我らの名誉も守りぬくことが出来ましょうぞ!」
感極まりすぎたのか、パリーと呼ばれた爺さんは、おいおいと泣き始めた。
「先の陛下よりお仕えして六十年、これほど嬉しい日は初めてですぞ、殿下。叛乱よりこちら、我々は苦汁を舐めつづける毎日でしたが、これだけの硫黄があるのなら……」
「ああ。王家の誇りと名誉を叛徒どもに示しながら、敗北することが出来るだろう」
王子さまは、笑ってそう言った。
「栄光ある敗北ですな! この老骨、武者震いがいたしますぞ。して、ご報告が一つございます。叛徒どもは明日正午より、攻城を開始するとの旨を伝えてまいりました。殿下が間に合って、よかったですわい」
「してみると間一髪とはまさにこのことか! 戦に間に合わぬはこれ、武人の恥だからな!」
王子さまたちは、心の底から、楽しそうに笑い合っていた。けど、僅かにその表情が曇った。
「しかし、一つだけ気になることがあるのです」
「………あの男か?」
あの男?
「はい、奴が今回の決戦には参戦しておらぬらしいのです。それだけではなく、ロンディニウムにもおらず、どこにも姿が見えぬとか、兵の指揮権自体は叛徒の諸侯共に渡されているそうなのですが……」
「奴が、アルビオン王家に止めを刺すこの決戦に参戦していない? そんなことが?」
「はい、ですので、万が一の用心は必要かと」
「そうだな、心に留めておこう」
王子様の顔はかなり深刻そうだった。
「して、そちらの方たちは?」
「トリステインからの大使どのだ。重要な用件で、王国に参られたのだよ」
パリーの爺さんは目を丸くして驚いた表情を見せたが、すぐに先ほどまでの様に表情を改めた。
「これはこれは大使殿。わたくし殿下の侍従を仰せつかっております、パリーでございまする。遠路遙々、ようこそアルビオン王国へ。戦時の身ゆえに大したおもてなしは出来ませぬが、今宵はささやかな祝宴が催されます。是非ともご出席くださいませ」