モット伯騒動も終わり、今日も今日とて魔法学院は平穏そのもの。
つつがなく授業は行われ、俺もそれなりに楽しんでる。最初を秀吉の雑用時代とするなら、足軽くらいにはなれているような気がする。
だけど、相変わらずルイズの使い魔じゃなきゃ住所不定無職って状況は変わんない。
第十話 気苦労多き枢機卿
■■■ side:才人 ■■■
教室のドアがガラッと開き、ミスタ・ギトーが現れた。長い黒髪に、漆黒のマントをまとった姿はなんとなく不気味だ。まだ若くはあるんだけど、その不気味さと冷たい雰囲気のせいなのか、生徒たちから人気がない。
まあ、あれだ、小説を読んだ限りのスネイプ先生。名声を瓶詰めし、栄光を醸造し、死に蓋をする秘術を教えてくれるんだろうか。これで我輩とか言ってくれれば完璧なんだけど。
「では授業を始める。知ってのとおり、私の二つ名は『疾風』。疾風のギト-だ」
残念、我輩じゃ無かった。教室の静かな様子を満足げに見つめた後、そのまま言葉を続ける。
「最強の系統は知っているかね?ミス・ツェルプストー」
「『虚無』じゃないんですか?」
「伝説の話をしているわけではない。現実的な答えを聞いているんだ」
いちいち引っかかるような言い方をするギトー教諭。
「あら、だとしたら、そんなものは無いとお答えしますわ、ミスタ・ギトー」
キュルケは、不敵な笑みを浮かべて言い放つ。
「ほほう。どうしてそう思うのかね?」
「『ドット』が『スクウェア』に勝つことも不可能ではありません。毒を盛る、背後からナイフで刺す、杖を盗み出しておく、などなど、やり方はいくらでもありますわ。ならば、属性にも同じことが言えます。例え貴方が「風のスクウェア」であろうとも、背後からドットの『魔法の矢』を首に受ければ死ぬでしょう?」
うわー、キュルケにもハインツ毒は感染してるんだー。発想が俺と似たり寄ったりだよ。
「残念ながらそうではない」
ギトー教諭は腰に差した杖を引き抜くと、言い放った。
「試しに、この私にきみの得意な『火』の魔法をぶつけてきたまえ」
なんか、微妙に答えになってなくない? キュルケもぎょっとした顔をしている。
「どうしたね? 君は確か、『火』系統が得意なのではなかったのかね?」
キュルケを挑発するような、ギトー教諭の言葉だった。
「火傷じゃすみませんわよ?」
「かまわん。本気できたまえ。その有名なツェルプストー家の赤毛が飾りでないならね」
ギトーの言葉で、キュルケの顔からいつもの小ばかにしたような笑みが消える。
胸の谷間から杖を取り出すと、炎のような赤毛が、ぶわっと熱したようにざわめき、逆立った。何度も思うが杖の場所変えないんだろうか、健全な男子としては目のやり場に困る。
杖を振るうと、キュルケの目の前に差し出した右手の上に、小さな炎の玉が現れる。 呪文を詠唱すると、その玉は膨れ上がり直径一メイルほどの大きさになった。それを見て、近くの生徒たちは慌てて机の下に隠れる。
でも、それだけじゃない。
一メイル程の大きさの火球の影に隠れるように、もう一つの炎が生まれる。
あれは…………炎の槍だ、確か、『炎槍(ジャベリン)』。
しかも、前の方にあった火球も徐々に形を変え、円錐型の『炎槍(ジャベリン)』に変わっていく。横になったピラミッドの後ろ側に、東京タワーがあるみたいな形だ。
でも、ギトーからは“第二の槍”の存在は分からない。
キュルケは手首を回転させると、右手を胸元にひきつけて、炎の槍を押し出した。唸りをあげて飛んでくる炎の槍を避ける仕草も見せずに、ギトーは腰に差した杖を引き抜くと、そのまま剣を振るうようにしてなぎ払う。
すると、同時に烈風が舞い上がる。一瞬にして炎の槍は形を失い、霧散する
けど。
「な!」
“第二の槍”は形をそのままに突き進む。
「く!」
咄嗟に『風』をさらに展開するギトー教諭。だけど、“第二の槍”は鋭く、かつ、密度が一つ目とは違う。それは見事に風の防壁を貫き、ギトー教諭の目前で爆発した。
「ぐはあ!」
吹っ飛ぶギトー教諭。
「おほほほほほほほほほほほほ! 最強の名が泣きますわね! この程度すら防げないなんて! あはははははははははははは!」
まさに女王様の如く笑うキュルケ。若干笑いすぎのきらいもある。
「すげえな」
「あれ、二回目にゴーレムの足を燃やす時にも使ってたわね」
ルイズもルイズでかなり冷静だ、周りの連中も割りとそんな感じ。嫌われて……るんだろうなギトー教諭。
ギトー教諭は何とか立ち上がる、いいパンチもらったボクサーのように。立つんだギトー。と、そのとき……、教室の扉がガラっと開き、緊張した顔のコルベール先生が現れた。
コルベール先生は、頭に馬鹿みたいに大きいロールした金髪のカツラをのせ、ローブの胸にはレースの飾りやら、刺繍やらが躍っている珍妙な格好をしていた。
「ミスタ?」
気を取りなおして、ギトー教諭が尋ねる。
「あややや、ミスタ・ギトー! 失礼しますぞ!」
「授業中です」
コルベール先生をにらんで、ギトー教諭が短く言う。
「おっほん。今日の授業はすべて中止であります!」
しかし、コルベール先生は、授業の中止を宣言した。その言葉に、教室中から歓声が上がる。
「えー、皆さんにお知らせですぞ」
もったいぶった調子で、コルベール先生がのけぞると、その拍子に頭に乗っけた馬鹿でかいカツラがとれて、床に落ちた。ギトー教諭の所為で、重苦しかった教室の雰囲気が一気にほぐれ、教室中にクスクスと笑い声が聞こえる。
一番前に座っていたシャルロットが、コルベール先生の頭に指差して、ぽつんと呟いた。
「滑りやすい」
冷酷で残忍な一言だ。さながら彼女の兄のように。たった一撃で相手を完膚なきまで打ちのめす、そんな一言。女の彼女らには分かるまい、男には切実な問題なのだ、そういえば父さんも抜け毛を気にしてたなあ。
教室が爆笑に包まれた。キュルケが笑いながら、シャルロットの肩をぽんぽんと叩きながら言う。
「あ、あなた、口を開くと、言うわね」
コルベール先生は顔を真っ赤にさせながら、大きな声で怒鳴った。
「黙りなさい! ええい! 黙りなさいこわっぱどもが! 大口を開けて下品に笑うとはまったく貴族にあるまじき行い! 貴族はおかしいときは下を向いてこっそりと笑うものですぞ! これでは王室に教育の成果が疑われる!」
その剣幕に、教室中が一気におとなしくなる。
「えーおほん。皆さん、本日はトリステイン魔法学院にとって、よき日であります。始祖ブリミルの降臨祭に並ぶ、めでたい日であります。恐れ多くも、先の陛下の忘れ形見、我がトリステインがハルケギニアに誇る可憐な一輪の花、アンリエッタ姫殿下が、本日ゲルマニアご訪問からのお帰りに、この魔法学院に立ち寄られます」
コルベール先生は、横を向き、後ろ手に手を組んで言うと、教室がざわめいた。
「したがって、粗相があってはいけません。急なことですが、今から全力を挙げて、歓迎式典の準備をします。そのために本日の授業は中止。生徒諸君は正装し、門に整列すること」
生徒たちは、緊張した面持ちになると一斉にうなずいた。
「諸君が立派な貴族に成長したことを、姫殿下にお見せする絶好の機会ですぞ! しっかりと杖を磨いておきなさい! よろしいですかな!」
生徒達があわてて外に出て行こうとする中、俺はコルベール先生のズラのことで笑いを堪えているルイズと共に、外に出る。
■■■ side:out ■■■
魔法学院に続く街道を静々と進む、一台の馬車があった。
御者台の隅には金の冠ティアラが嵌められ、馬車には金に縁取られた銀や白金プラチナのレリーフが前後左右に二つずつ掛けられている。
その半分、銀のものはトリステイン王家の一員たることを示す紋章。
そしてもう半分、聖獣ユニコーンとなにかの結晶が先端に飾られた杖の組み合わせられた紋章は、この馬車の主が王女であることを示すものである。
見れば、この馬車を引いているのもただの馬ではなく、額から一本の捩れた角を生やした青いたてがみの白馬、『ユニコーン』であった。
このトリステイン王国では、王女のみに騎乗が許されている聖獣であり、その数もロマリアのペガサスに比べれば希少である。
王女を象徴するのにこれ以上の逸材はない、といわれるほどの駿馬だった。
馬車の窓には純白のレースのカーテンが引かれ、外から中の様子は窺うかがい知ることが出来なくなっている。
そんな王女の馬車に続くは、先王亡き今、トリステインの政治を一手に握っているマザリーニ枢機卿の馬車である。
その馬車も、王女の馬車に負けず劣らずの立派さがあった。
いや、精悍さで言えばこちらの方が上かもしれない。
この風格の差が、いまトリステインの権力を握る者が誰であるのかを雄弁に物語っていた。
その荷台の馬車の四方を固めるのは王室直属の近衛隊、魔法衛士隊の精鋭たちである。
名門貴族の子弟で構成された魔法衛士隊は、国中の貴族の憧れとなっていた。
男の貴族は誰もが魔法衛士隊の漆黒のマントを羽織ることを望み、女の貴族はその花嫁となることを望む。
いまの御世における、トリステインの華やかさの象徴と言えるだろう。
一行が行く街道沿いは花々が咲き乱れ、居並ぶ平民たちの歓声に埋め尽くされていた。
特に平民たちの熱気には凄いものがあり、馬車が目の前を通り過ぎるたび、「トリステイン万歳! アンリエッタ姫殿下万歳!」の声が地平まで響き渡る。
時たまに「マザリーニ枢機卿万歳!」という声も混じったが、姫殿下への歓声に比べればかなりの少数である。
片親が平民であるとの噂があるマザリーニ枢機卿だが、何故だか平民からの、特に若い層の支持は薄い。
妬みというヤツはどんな時代にもつきまとう物なのかもしれないが、彼の場合はその容姿も大いに原因となっているかもしれない。
なにせ彼はまだ四十も半ばだというのに腕の骨がくっきりと浮き上がってしまうほどに痩せ細っており、その髪も髭ひげも真っ白に染まってしまっていた。
先王亡き後、その両手にトリステインの内政と外交を持ち続けた激務が、彼の姿を呪いの如く年齢不相応な老人へと変えてしまったのである。
プライドも美意識も高いトリステインの若い民には、その容姿は到底支持出来るような物ではなかった。
どんなにその政治手腕が傑出していたとしても、である。
ある悪魔の王や、それに仕える9人の精鋭、悪魔の親族の仲良し兄妹とかに言わせれば、そこにトリステインという国の病気が垣間見れる。ということになる。
それに対して、姫殿下の民衆からの人気は凄いものがあった。
カーテンをそっと開いたうら若い王女が顔を見せるたび、街道の観衆たちの歓声が俄かに高く湧きあがる。
観衆たちへと優雅に微笑みを投げ掛ける王女の御姿からは、なるほど確かにそれだけの魅力を感じることが出来るのだった。
とはいえ、その当の王女はカーテンを下ろすと、深く溜め息をついていた。
馬車の内へと向きなおされたそのすらりとした顔立ちを彩るのは、先ほど観衆たちへと向けられた薔薇のような笑顔ではなく、年に似合わぬ深い苦悩と憂鬱である。
彼女の御年は、当年とって十七歳。
薄いブルーの瞳と高い鼻が目を引く、うら若い美女だ。
街道の観衆たちの歓声にも、咲き乱れる鮮やかな花の彩りにも、彼女の心は惹きつけられず、その細い手は只々先に水晶をつけた杖を弄るばかりである。
現王家で随一を誇る『水』のメイジである彼女は、深い深い恋とまつりごとの悩みに板挟みにされていた。
隣に座るマザリーニ枢機卿が、坊主の被るような丸い帽子を直しながらそんな王女を見つめている。
彼は先ほど、政治の話をするために王女の場所へと移っていた。
しかし、そんな王女の悩みを遙かに上回るほどの、厄介かつ深刻な案件を彼はいくつも抱えていた。
■■■ side:マザリーニ ■■■
「これで本日十三回目ですぞ。殿下」
「なにがですの?」
私は内心溜息をつきつつ、殿下に注進する。
「ため息です。王族たる者、むやみに臣下の前でため息などつくものではありませぬ」
正直、溜息をつきたいのはこちらも同じだ。
「王族ですって! まあ!」
殿下はやや大袈裟に驚く、演劇が好きなのは昔からで、こういった部分に幼少時からの趣味の影響が出ている。
「このトリステインの王さまは枢機卿、あなたでしょう?今、王都トリスタニアで流行っている小唄はご存知でないの?」
「存じませんな」
ふむ、やはり、もう少し殿下の教育にもたずさわった方が、良かったかもしれない。
………それも無理な話か、先王陛下が体調を崩されて以来、ほとんど私が職務を代行してきたようなものだった。ここ10年あまり、そのようなことに時間を割けるゆとりなど皆無に等しかったのだ。
しかし殿下、ロマリア人であり、枢機卿でもある私が王となるのは、この国を滅ぼしでもしない限りは不可能なのです。かつてのエスターシュ大公と私とでは、立場は大きく異なるのですから。
もっとも、彼はその王位を狙って反乱にいたり、かの“烈風カリン”殿によって鎮圧されたわけだが。
彼らの時代が羨ましい。
ヴァリエール公爵やグラモン元帥が現役であった頃。このトリステインの人材が今のように小粒にならず、文官と武官、両面での精鋭がそろっていた時代。今のトリステインはその当時に半分どころか、4分の1にも届かぬ。
「それなら、聴かせてさしあげますわ。『トリステインの王家には、美貌はあっても杖は無し。杖を握るは枢機卿、灰色帽子の鳥の骨』……」
「街女が歌うような小唄など、口にしてはなりませぬ」
“鳥の骨”か。
まあ、私をよく言い表してはいるが、王族たるものがそのようなことを口にしていては、外交の場などにおいて、うっかり口を滑らしかねん。それでは、王家と宰相が不仲である、と宣伝しているようなものだ。
「よいではないですか、小唄ぐらい。わたくしはあなたの言いつけどおり、ゲルマニアの皇帝へと嫁ぐのですから」
殿下にとっては、なかなか許容しがたいことではあるのだろう。何しろ、ゲルマ二ア皇帝アルブレヒト三世は40歳。勢力争いの果てに皇帝の座を勝ち取った、野心の塊のような男であり、殿下のことなど政略の駒としか考えてはいないのだろう。
変動と野心を好む、かの国の頂点に君臨するに相応しい男ではある。
「仕方がありませぬ。ゲルマニアとの同盟は、トリステインにとって目下の急務なのです」
「そのぐらい、わたくしだって知っています」
「殿下とてご存知でしょう? かの『白の国アルビオン』の阿呆どもが煽動している『革命』とやらを。きゃつらはハルケギニアに王権が存在するのが、どうにも我慢ならないらしい」
「礼儀知らずの極みです! あの人たちは、可哀想な王様を捕まえて縛り首にしようというのですよ! この世全ての人々があの愚かな行為を赦したとしても、わたくしと始祖ブリミルは赦しませんわ。ええ、赦しませんとも!」
だが、これはただの反乱ではない。
「はい。しかしながらアルビオンの貴族どもは強力です。アルビオン王家は、明日にでも潰えてしまうでしょう。始祖ブリミルの遺せし三本の王権の一本が、これで喪われるわけですな。まあ内憂を払えぬような王家では、存在している価値があるとも思えませぬが」
世間的には、アルビオンの“貴族派”が、王党派を追い詰めているということとなっている。聖地奪還を大義とし、無能な王権を打倒し、有能な貴族による合議により国を治める、ということを掲げる貴族連合『レコン・キスタ』。
本来、そんなものが成功するはずはなかった。所詮は利権目当ての、貴族の烏合の衆に過ぎぬ。たとえ劣勢になろうとも、心の底から王家に忠誠を尽くす者達の結束は固い。
逆に、ある程度の勝利を重ね、王党派の土地を奪えば、その土地の利権を巡って内部抗争を起こし、自ら崩壊していくものだろうと、当初は予想していたのだが。
ゲイルノート・ガスパールとオリヴァー・クロムウェル。
この二名により、本来烏合の衆に過ぎぬはずの貴族連合は、合議制とは名ばかりの、強力な中央集権体制へと移行しているようだ。
『レコン・キスタ』という組織は共和制を掲げながら、元来の王権よりも指導者の権力が絶対的であるという恐るべき組織だ。
今はまだ完全には権力の掌握は済んでいないようだが、王党派が潰え、国内の不穏分子の排除が済めば、ゲイルノート・ガスパールの軍事独裁体制。
そして、その武力を背景としたクロムウェルの専制政治が始まる。
貴族会議とやらには従来の封建貴族が所属するのであろうが、そのうち数名は既にゲイルノート・ガスパールに粛清されたと聞く。
おそらく、その空いた席には彼の腹心たる有能な将軍達が座ることとなり、さらに、有能であれば貴族、平民を問わず重用し、文句を言う“無能”な貴族はゲイルノート・ガスパールにより、根絶やしにされることとなる。
その後は、クロムウェル直属の有能な官吏、すなわち法衣貴族が国を治め、反対に、家柄や歴史しか取り柄がない封建貴族は閑職に追いやられ、軍人はその矛となりトリステインに牙をむくだろう。
『軍神』に率いられ、メイジ・平民問わず、有能な者を士官として抱える強力な軍隊。
衰えた我がトリステイン軍が、単独で立ち向かえる相手ではない。
「アルビオン王家の人々はゲルマニアのような成り上がりではなく、わたくしたちの親戚なのですよ?いくらあなたが枢機卿といえども、そのような言い草は許しません」
「これは失礼しました。今夜床に着く前に、始祖ブリミルの御前にて懺悔することにいたします。しかしながら、全て現実のことですぞ? 殿下」
そう、全ては現実。かの男の野心一つによって、アルビオン王家は滅ぼうとしている。
「伝え聞いたところによると、あの馬鹿げた貴族どもはハルケギニアを統一するなどと夢物語を吹聴しておるようでしてな。となれば、自分たちの王を亡き者にした後は、あやつらの矛先はこのトリステインへと向けられるでしょう。そうなってからでは遅いのです」
そして、“聖地奪還”などはまさに戯言、あの男は戦争で勝利するためにトリステインへの侵攻を始める。
『軍神』に率いられるならば、ハルケギニア統一とて、夢物語ではなくなる。何しろ、たった二人で始めた反乱によって、6000年の歴史をもつアルビオン王家は潰えようとしているのだから。
「常に先を読み、常に先の手を打たねばならぬのが政治なのです、殿下。例え相手が宿敵のゲルマニアであろうとも手を結び、一刻でも早く近い内に成立するであろうアルビオンの反王権政府に対抗せねば、この小国トリステインは生き残れぬのです」
この国は豊かなれど、小さく弱い。生き残るには並大抵の努力では敵わない。
私は、窓の外を見る。窓の向こうには、一人の腹心の部下の姿があった。
トリステイン三つの魔法衛士隊が一つ、グリフォン隊隊長のワルド子爵。
魔法の腕は確かであり、軍事関係を任せればかなりのものだ。しかし、自尊心が強すぎる。自分が国家に所属するものであるという自覚が薄い。
多くの封建貴族は富や女に走る。
この人物はそれとは違う、その点では好感が持てるが、我こそはあのような愚物とは違う高潔な貴族だと思っている節がある。だが、自分の名誉や貴族の誇りを民の安寧よりも優先するのでは、先の者達とそれほど大差はない。
民を第一に考えず、己のことばかりという点では、何も変わらぬのだから。
やれやれ、文官にしろ、武官にしろ、目をかけていた者ほどこの国を去ってしまう。ボアロー、オクターヴ、彼らを手駒として使えたのならば、もう少し私も楽が出来たのだが。
「お呼びでございますか? 猊下」
「ワルド君。殿下のご機嫌が麗しゅうなくてな。なにか気晴らしになるものを見つけてきてくれないかね?」
「かしこまりました」
ワルドは頷くと、街道を鷹のような目で見回す。むじ風が舞い、桃色の小さな花二輪が摘まれ、ワルドの手元へ浮かび上がる。ワルドはソレを手に掴むと、再び馬車の傍へとグリフォンを走らせ、隣にぴったりとつけた。
「隊長、殿下が御手ずから受け取ってくださるそうだ」
「光栄にございます」
するすると窓が開き、殿下の右手が伸ばされた。
「お名前は?」
物憂げな声が、ワルドへと掛けられる。
「殿下をお守りする魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵にございます」
「あなたは貴族の鑑のように、立派でございますわね」
「殿下のいやしきしもべに過ぎませぬ」
建前はそうだろう、しかし、彼には彼の野心がある。国に己の全てを捧げる気概があるとは思えない。
「最近は、そのような物言いをする貴族も随分と少なくなりました。祖父が生きていた頃ならば……、ああ、あの偉大なるフィリップ三世の治世には、貴族は押しなべてそのような態度を示したものでしょうに!」
それは彼の王が、忠誠を捧げるに相応しい王であったからでありましょう、殿下。
“名誉と忠誠”
忠誠を捧げることを、名誉と感じられるほどの器量を王者が示さねば、貴族が王家から離れるのも当然の理。
「悲しい時代になったものです、殿下」
「あなたの忠誠には、期待してもよろしいのでしょうか?もし、わたくしが困ったときには……」
「そのような際なれば、戦の最中であれ、空の上であれ、何を置いても駆けつける所存にございます」
ワルドは一礼すると、馬車より離れて隊列の中へと戻っていった。
「あの貴族は、使えるのですか?」
私は頷き、返答する。
「ワルド子爵。“閃光”と呼ばれる、『スクウェア』にございます。かの者に敵う使い手は、『白の国アルビオン』にもそうはおりますまい」
腕が立つのは確かだ。しかし、司令官の器ではない。部下の人望を得る、カリスマとでもいうべきものに欠けている。自らの名誉など犬に喰わせ、何としても部下を生き残らせるという気概がないのだ、魔法衛士隊の隊長が限界の男だろう。
有能なだけに惜しい、気質と場所が合っていない。この男も、この国ではなくゲルマニアに生まれていたのなら、別の人生が送れたかもしれないのだ。この男の気質はゲルマニア人のそれと近い。これもまた、人は生まれる場所を選ぶ事ができないという、一つの例か。
もっとも、今のトリステイン軍の高級軍人に、軍人の気概がある人物がいるかというと、実に情けない限りだが、それも皆無。
どれもこれも、自分の出世と保身のことしか考えぬ。可能ならば、劣勢に立たされてなお、アルビオン王家に従う者達を最高司令官として招きたいくらいなのだ。
まあ、それも夢物語、彼らを亡命させれば、『レコン・キスタ』を新政権と認めないことを意味し、全面戦争以外の可能性がなくなってしまう。ガリアやゲルマニアならば、それが可能であろうが。
……………ニコラ・ボアロー、あの男にはそういった気概があったのだがな。
だが、封建貴族であり、子爵という爵位を持つワルドと違い、彼には何もなかった。家系からして、ダングルテールと同じく、元はアルビオンから移住してきたメイジ達の一部であったはず。
トリステインとアルビオンは関係が深い、なにしろ、先王陛下からしてアルビオンからの入り婿であり、その際にアルビオン貴族の一部がトリステインに移住してきた。
故に、土地を持たぬ根なし草、元々が少数派であり、先王陛下亡きあとは出世が不可能となった。
名門貴族の子弟で構成された魔法衛士隊は、国中の貴族の憧れ。その状況で、自らの力のみで魔法衛士隊の隊員となった男だ、出来ることならば将軍を任せたいくらいだった。
古い伝統に縋るしかない現在のトリステインでは、彼が実力を生かすこともできず、そもそも国のために働ける場所すらなかった。
この国を去り、『軍神』の下に走るのも無理はないというべきか。彼の忠誠に対するものを、この国は返さなかったのだから。
「ワルド……、聞き覚えのある地名ですわね」
「確か、ラ・ヴァリエール公爵領に隣接した領地だったと存じます」
「ラ・ヴァリエール?」
確か、殿下の幼馴染が、ヴァリエール公爵家の三女であったな。
「枢機卿、“土くれ”のフーケを捕らえた、貴族の名はご存知?」
「覚えておりませんな」
だがまあ、そう答えておく、下手に話を合わせるとまた何か言いだしそうだ。
「その者たちに、これから爵位を授けるのでは?」
「『シュヴァリエ』授与の条件が、この度改正されましてな。従軍経験が必須になりました。宿敵ゲルマニアとの同盟が成ろうと成るまいと、アルビオンとは近い内、必ず戦になるでしょう。軍務に服する貴族たちの忠誠を、いらぬ嫉妬で失いたくはありませぬ。盗賊を捕まえたぐらいで授与するわけにはいかぬのですよ」
殿下には内緒だが、ヴァリエール公爵から内密に連絡を受けている。
たしか”娘の性格からして、『シュヴァリエ』などを賜れば、母のように魔法衛士隊に入って、殿下を護衛するなどと言いかねない”、だったか。
まあ、父としてはそのような危険な任務について欲しくはないだろう。これからアルビオンと戦争となる可能性が高い昨今ならば尚更だ。
公爵に恩を売る良い機会なので、その依頼を受ける形にもなった。一石二鳥というものか。
「……わたくしの知らないところで、いろんなことが決まっていくのね」
それは殿下が知ろうとしないのも理由なのですよ。知ろうと思えば、いくらでも知れるものなのです。
それはそうと。
「殿下。最近、宮廷と一部の貴族の間で、不穏な動きが確認されておりましてな」
殿下が、ぴくりと身を震わせた。
「どうやら殿下のめでたきご婚礼をないがしろにして、トリステインとゲルマニアの同盟を阻止しようとする、アルビオンの貴族どもが暗躍しておるようでして」
殿下の額を一筋の汗が伝う。ぬう、これは何かあるかもしれんな。
「そのようなものたちに、つけこまれるような隙はありませんな? 殿下」
「……ありませんわ」
「そのお言葉、信じてよろしいのですな?」
「わたくしは王女です。嘘はつきません」
さて、ゲルマニアに密使を派遣しておくとしよう。アルビオンにおいて、殿下との恋愛関係があり得るとすれば、ウェールズ王子くらいしか考えられない。とすれば、殿下が王子に恋文でも送っていた、というところか。
だが、あの皇帝は現実的だ。
ゲルマニアというよりも、自分の権力拡大の材料となり得るならば、殿下がどのようなことをしていても、気にも留めまい。
「……十五回目ですぞ。殿下」
「心配事があるものですから。いたしかたありませんわ」
「王族たる者、御心の平穏より、国の平穏を優先するものですぞ」
それが、王族というものだ。要は国家の奴隷に過ぎぬ。まあ、今は私がその奴隷となっているのだが。
「わたくしは、常にそうしております」
十六度目のため息をついた殿下は、先ほど摘まれたばかりの二輪の花をじっと見つめて、寂しそうに呟いた。
「……花はただ咲き誇るのが、幸せなのではなくって? 枢機卿」
「その花が咲き誇るために大地の栄養が吸い上げられ、平民という名の多くの草を枯らすのならば、人の手によって摘み取られることでしょうな」
それが、現在のアルビオン王家なのだ。トリステインもそうならぬ保証はどこにもない、特に、花を摘み取ろうする男が、虎視眈々と狙っているこの状況においては。
■■■ side:才人 ■■■
学院の正門をくぐって王女の一行が現れると、整列した生徒たちは一斉に杖を掲げた。ざッ! と小気味よく空気を切る音が幾重にも重なる。
んー、やっぱし貴族なんだな、そういうところは。
馬車が止まると、お伴っぽい人達がオスマンさんの足元まで駆け寄って、緋い絨毯を馬車の扉まで一息で転がし敷き詰めた。
「トリステイン王国王女、アンリエッタ姫殿下のおな――――り――――ッ!」
呼び出しの騎士の緊張した声が、正門前の広場に響き渡る。だが、がちゃりと扉を開いて現れたのは、何か歳とったおっさんだった。
はぁ、とか、ふん、とか、居並ぶ奴らが一斉に落胆のため息をついた。ま、無理もねえかな。
だけど、そのおっさんは平然と、続いて降りてくる王女様に手を差し出した。その手を取って現れた王女様に、居並ぶ生徒たちからわっと歓声が挙がった。これまた一斉に。実に息が揃っている。
「こういうとこは練習もしてないのにぴったりなんだよな」
貴族ってのはテレパシーでも使えるんだろうか?
「あれがトリステインの王女? ふん、あたしの方が美人じゃないの」
とつまらなそうに呟くキュルケ。
まあ、美人って感じで言えばキュルケの方だろうな。あの王女様はかわいいって感じだし。
「ねえ、サイトはどっちが綺麗だと思う?」
「んな難しいこと訊くなよ。……っていうか、王女さまって俺らと殆ど歳かわらなかったんだな」
綺麗かって聞かれたら判断に迷う。人によって意見は変わるだろ。好みなんて千差万別だし。キュルケと王女様はタイプが違うから、比較しろって言われても即答できない。テディベアとバービー人形、どっちが可愛い? って言われるのと同じだ。ちなみに俺はデディベア派。
石段の一段目に立っているルイズは、真面目な顔をして王女を見つめていた。こいつが真面目な顔をしてるのはいつものことだが、今回は一際真面目だ。
「……子爵、さま?」
と呟いたかと思うと、す――――――っとじっくり頬に赤みが差していく。その変化が気になって、いったいなんだろ、と立ち上がり、ルイズの視線の先を見据えてみた。
視線の先に居たのは、見事な羽帽子を被り、鷹とライオンをくっつけたような姿の、しなやかな幻獣に跨った貴族の姿だった。イメージはFFの赤魔導師(色は緑だが)。ファンタジーで羽帽子っていったら、アレだよな。
ルイズは、その貴族をぼんやりと眺めていたのである。
「んー、誰?ルイズの伯父さん?」
けっこう歳くってるよな、髭が眩しいZE。でも、年が離れた従兄ってのもありか。
そういや、従兄妹って言えば。
俺は周囲を見渡す。うん、全員が向こうに集中してるな。
「なあ、シャルロット、ちょっといいか?」
いつも通り本を読んでるシャルロットに声をかける。
「何?」
「さっきの授業でキュルケが使ったあれ、あれはハインツさんじこみの魔法なのか?」
かなり実用性抜群というか、殺すことを目的に作られたような魔法だった。
「ハインツは『水のスクウェア』だから、『火』は不得意。あれはキュルケの得意魔法、『連続炎槍』。とはいっても、これもキュルケのオリジナルじゃない」
「ってことは?」
「ハインツの友人、フェルディナン・レセップス少将が編み出した魔法。『炎槍(ジャベリン)』を連続して重ねて撃つ、というかなり高等技術。並列して撃ったり、さっきのキュルケみたいに縦に重ねることで貫通力を上げたりと、応用性が高いの」
「ハインツさんの友人か、あの人の周りって、凄い人ばっかだな」
まあ、ハインツさんが一番すげえけど。でも実際その人たちに会ったら、この感想も変わるのかな。
「でも、キュルケのあれは本気じゃない」
「マジか!」
あれでかよ。ギトー教諭吹っ飛んでったぜ。
「キュルケの本気は3連、それが一斉に敵目がけて飛んでいく」
「そりゃあ、とんでもねえ」
何で学院生なんてやってるんだろ?
「でも、レセップス少将は5連が可能だとか。しかも、一本一本の威力もキュルケのかなり上をいく」
「どういう化け物だ?」
あのフーケが小物に思えてきた。
「”戦争の寵児”ってハインツが言ってた。それに、それを全部『ブレイド』で迎撃したとんでもない人もいるみたい」
「いや、この辺でやめておくよ……」
とにかく、今の俺じゃどんくらい凄いのかすらよくわかんねえ。
「大丈夫、いずれ貴方も彼らと同じくらいになれる」
「そうかなあ?」
一生無理な気もするが。
「ハインツがそう言っていたし、私もそう思う」
すごく純粋な声でシャルロットはそう言ってくれた。
「うん、そうか、頑張るよ」
期待には応えないと、男じゃねえよな。見栄でも何でもいいさ。
「頑張って。私も、いつかはハインツを超えてみせる」
そう言うシャルロットの表情はとても綺麗だった。それこそ、王女様よりも。
で、その日の夜。
「おーい、ルイズ、応答せよ」
俺は寝床である藁束に座りこみながらルイズに話しかける。
なんか、お姫様がやってきてからというもの、ルイズは実に面白かった。ふらふら幽霊のように歩いたり、急に立ち上がったり、座ったり、そして今、ベッドに腰かけてどっかの世界に旅立ってる。
「偉大なる暗黒面の支配者たるマスター・ルイズ、共にこの銀河を支配致しましょう」
ルイズは無反応。
「おーい、傲慢少女」
無反応。
「おーい、暴力主人」
無反応。
「………The・naititi」
ブンッ!
「ゲフッ」
恐ろしく鋭い蹴りが俺の腹に炸裂した。
「な、何つう奴だ、最後はかなり小声だったのに……ルイズ、恐ろしい娘!」
そして未だに旅立ったままのルイズ、こいつ、反射であの蹴りを放ったのか。
すると、ドアがノックされた。規則正しく、初めに長く二回、次に短く三回。
その音でルイズが再起動した。
「おお、御主人さまがついに目覚めた。今こそメテオ発動の時」
なんとなく言ってみる。が、むなしい。
ルイズがドアを開くと、そこには真っ黒な頭巾をかぶった変なのがいた。
「…………あなたは?」
その人物が杖を出して振るう、すると何か金の粉っぽいのが出てきた。
「『ディティクト・マジック』?」
ルイズが尋ねると、その人物が頷いた。
「どこに目が、耳が光っているかわかりませんからね」
そして、その人物はフードを取った。
「姫殿下!」
「あ、あの王女様だ」
同時に言う俺達。
「お久しぶりね。ルイズ・フランソワーズ」