第九十五話【絶望】
サイトサイトサイトサイト。
この世で一番好きなもの……サイト。
この世で一番大切なもの……サイト。
この世で最も必要なもの……サイト。
サイトサイトサイトサイト。
サイト以外は何もいらないし望まない。
サイトが一緒に居てくれれば、それで良い。
それだけが、唯一無二して至高の望み……だったのに。
「あ、が……っ……ぁ……は……ぁ……っ!!」
聞こえるのは息絶え絶えなサイトの呼吸音。
目の前には大好きなサイトの……赤い血。
目の前には大切なサイトの……紅い血。
目の前には尊いサイトの……朱い血。
お腹から突き抜けた鈍色の切っ先からポタポタと滴り落ちる。
その異国の服を黒く染めていく。
血。
血。
血。
血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血。
ち、チ、血血血血血チチチチちち血チ血チ血チ血チチ血ィィィィィィ!!!!!!!!!!!!
「───────────────あ、あああああアアアア亜亜亜ッ!!!!!!!!!」
言葉として……いや、人が認識し表現できる“音”として漏れたのはソレが最後。
「───────────────!!!!!!!!!」
涙に濡れ、人の発声器官によってこんな声……いや音が出せるのかという程奇怪な叫びを桃色の少女は張り上げる。
何と言ってるのかわからないそれは絶望を孕み、悲しみを内包し……怒りを示していた。
その彼女の瞳が、一瞬……ほんの僅かだけサイトから別なもの……サイトを刺したまま固まっていた兵士に向いた。
途端、その声に当てられたかのように、サイトを刺した兵士は逃げた。
言い知れない恐怖が彼を襲い、わけもわからずその場から出来るだけ遠くに逃げたくなった。
ただ本能がここに居てはいけないと彼に命令した。
彼女の何も映さない真っ黒な……深淵そのものの丸い瞳が、僅か一瞬だったというのに彼の網膜に焼き付いて離れない。
あれは見てはいけない、関わってはいけないものだ。
あれだけ叫び、涙を流しているというのに、それだけ感情が昂ぶっているはずなのに、瞳はまるで無感動……いや何も内包していないようで、例えるならそれは“虚無”といって差し支えないような…………そこで彼の意識は途切れる。
いや、正確にはもう二度と意識……思考することは無くなった。
何故なら彼の思考するために必要な器官は、その上半身ごとこの世から消失したからだ。
「っ!? わあああああああ!?」
それが合図。
周りの兵士が上半身が文字通り粉微塵に吹き飛んだ味方を見て錯乱する。
爆音。
それが一つ鳴るたびにクレーターが出来る。
クレーターが出来た所には“誰もいない”
先程までそこにいた“十数人”は“影も形も無い”
「───────────────!!!!!!!!!」
声なき声が戦場を支配する。
涙に濡れ、声は極限以上に張り上げ、全身からは感情の昂ぶりが離れていても感じるのに、その瞳だけがただ黒く、何も映していない。
それが一層、兵の恐怖を煽る。
ルイズを中心にして、環状に兵士が退いた。
が、何万もの兵のうねりの中、退くということは実はそう容易では無い。
味方が味方の退路を塞ぐ。
はるか後方に位置する兵は我こそ戦果を上げんと前進してくる。
前線の状態など知りようが無い後方部隊は功を求める余り退く事を知らない。
ましてや相手は一人。
いくら歴戦の猛者であるホーキンスが指揮を執ろうと、人の“欲”にまで歯止めはかけられない。
それも大きくなればなるほど、止めようの無いものになる。
結果、突然現れた目前の桃色の髪の少女に対して恐怖した前線の兵は退陣しようにも思うようにいかず……その生涯を終える事になる。
爆発。
それによってルイズを中心とした兵士達は軒並み吹き飛んだ。
それで終わり。
最初にサイトと相まみえた百程の軍勢はほとんどがこのハルケギニアから姿を消した。
「う、うう……痛……」
だが中には運良く生き残る者いた。
全身を強く打ち付け、火傷を負い、朦朧とした意識で残る痛覚に苦しむ。
それでも“消し飛んだ”者達に比べればダメージは遥かに少なかったと言えるだろう。
……もっとも。
「……痛い? 痛いですって? サイトはもっと痛かったのよ………………死んで償いなさいよ」
それが良かったのかと言えば、必ずしもそうだとは言い切れない。
***
遠くで喧騒が聞こえる。
爆音が遠くで鳴り響く。
だが、白濁とした意識の中で最も強く感じるのは腹を貫く熱さだった。
既に痛いというより熱い。
まるでマグマでも飲み込んだんじゃないかと錯覚するほど体の中から熱い。
「く……そ」
膝で立ち上がろうとして、目が霞む。
あまりの体内の熱さに苛立つ。
背に手を回して、自身の掌が切れるのもお構いなしに刃を掴み剣を引き抜く。
「げほっげほっ!!」
腹から、背中から流れちゃいけない量の血がどろりどろりと流れ出ていくのがわかる。
まるで水流を紙の栓で止めようとして染みだし、歯止めが利かなって流れ出ているようだ。
目がまた霞む。
血と一緒に“命”そのものが流れていくかのような錯覚。
しかし、出血とともに体の力が無くなっていくのは間違えようの無い感覚だった。
加えてとんでもなく眠い。
まだ意識があるのが不思議な程眠い。
体中が熱いのにそれを振り切って寝られそうな程眠い。
だが、ここで眠ったらもう二度と目が覚めないかもしれない。
それぐらいのことはサイトにもわかった。
それは困る。
まだ自分は“勝利条件”を満たしていないのだ。
苦労しながらようやくと膝立ちになったサイトは、大粒の汗を額に浮かべながら腹を押さえた。
今更ながらの止血は何も意味を成さないが、つんと鼻につく不快な鉄の匂いが未だ彼が意識を保っていられる要因の一つでもあった。
……ゴロン。
と、やや無理な体勢がたたったせいか、パーカーのポケットから小瓶が転がり出てきた。
赤い小瓶。
強い眠り薬に対しての気付け用としてもらったものだが、途中で使われて起きたルイズが何をするかわからなかった為に結局自分で持ったままだった。
もっとも、そうした意味もルイズが来てしまった今となっては成さなくなってしまったが。
「そういやアイツ、気付け薬無しで起きたのか……?」
サイトは今更ながらルイズが起きたことに軽く驚く。
話によるとそうとうキツイ眠り薬だったハズだが。
「っ!! ヤバ……」
眠い。
このままでは眠ってしまう……眠って?
地面に付いた手のすぐ傍に転がる小瓶、それに目が行く。
そうとうに強いらしい気付け薬。
ルイズが起きた以上効果の持続力はそう期待できないが無いよりはマシか。
とにかく今のこの眠気をどうにかしたいサイトは、後のことなど何も考えずにその小瓶を取ると“一気に飲み干してしまった”
「ぐっ!?」
飲んで数秒、異変は現れる。
「頭……痛……っ!! なんだ、これ……!?」
気持ち悪い、頭が痛い、吐き気がする。
もっともこれは、頭痛を除いて先ほどからずっとサイトの体に起きていたことではある。
しかし、頭痛も然ることながら体の不調のどれもが、“不調”だと感じられるほど激しい。
先ほどまではほとんどの感覚が無くなっていたというのに。
「痛っ!! まぁ、今はなんだって良い……ルイ、ズ……!!」
落ちていたデルフを拾い、あまりに酷い頭痛によって眠気が吹き飛んだサイトは、体を引きずるようにして歩き出した。
***
「くそっ!! 奴は化け物か!!」
既に数の有利だなどと思っていた輩は無く、また後方に位置しているからといって前線状況もわからず功を焦る者もいない。
既に狩る側と狩られる側は逆転している。
相手は数などものともしない。
火力が違い過ぎるのだ。
それでも、ホーキンスは諦めていなかった。
「くっ、第二、第三部隊、魔法放て!!」
ホーキンスの掛け声と共にいくつも魔法が矢となってルイズへ降り注ぐ。
ルイズはそれら全てを爆散させ、無効化した。
既にもう何回も繰り返している攻防だ。
相手には精神力が尽きるということが無いのだろうか?
そう思うホーキンスだが、全く策を考えなかったわけでもない。
敵の動きに注目し、敵がこちらの魔法を見てから反撃していることは既にわかっている。
恐るべきは相手の攻撃範囲の広さだが、“見て”からの反撃なのは間違い無い。
「悪魔め……」
兵も半数が何がしかで傷ついており、ホーキンスは悪態を吐きながら空を見上げた。
闇夜にゆっくりと“他人の『フライ』”によって“空を移動させてもらっている”メイジが三人……どうやら配置についたようだ。
ホーキンスの策、それは見られてから反撃されるなら、“見られない攻撃”をしかけることだった。
「よし!! 皆もうひとふんばりだ!! 魔法、放てェ!!」
声と共に再び魔法を放ち、それらはあとかたも無く魔法で迎撃され、前線に近い兵がまた爆発を受けて吹き飛ぶ。
その様を見ながらホーキンスは奥歯を噛み締め、
「今だァ!!」
空のメイジに合図を送る。
同時、
他のメイジによって“浮かせてもらっている”三人のメイジは下方に魔法を放った。
「っ!?」
ルイズは咄嗟のことに反応できない。
イキナリ真上から魔法が降ってきたのだ。
「……あっ!?」
体への直撃こそ防いだものの、ルイズの杖が魔法に当たって……砕けた。
この機をホーキンスは見逃さない。
「今だァァァァァァァ!!!! 全員放てぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
すかさず全隊に攻撃命令。
無数の魔法が密集してルイズめがけて飛来する。
それを……、
「だっ!!」
瀕死のサイトがデルフリンガーで吸収した。
あまりに多くの魔法だった為、砂埃が舞い上がって辺りの視界は完全に塞がれている。
「サイ、ト……?」
目の前に現れたサイトに、ルイズは目を丸くし……その目が絶望に彩られた。
彼の体は血まみれだった。
その姿を見て、ルイズはハンマーで頭を殴られたような気持ちになった。
「イ、イヤ……サイト……そんな……」
サイトが怪我をしているのだ、本来ならサイトを傷つけた奴らを一掃するより離脱して彼の快復を優先すべきだった。
怒りと絶望に我を忘れ、ヴィリエにやられたかつてと同じく、その矛先をぶつけることを優先してしまった。
激しい後悔と悲しみの渦に飲み込まれているルイズにサイトは微笑みかけ、腹部にデルフリンガーの柄を当てる。
「っ!?」
ルイズは目を見開いて……気絶した。
まさか、“誰よりも信頼しているサイト”に攻撃されるとは思いもしていなかった。
「デルフ、後は、頼む……」
『おうよ、相棒』
***
「ん……ハッ!? サイト!?」
見たことのある、しかし何処だったかはなかなか思い出せない作りの家の一室。
そこでルイズは目を覚ました。
だが今はここが何処かなど考えている暇は無い。
「サイト、サイトは!? ……あ」
が、すぐに落ち着いた。
サイトは隣で眠っていた。
自分はどうやら眠っていてもサイトの服を離すことは無かったらしい。
それにサイトの寝顔はとても穏やかなものだ。
パッと見、怪我は見受けられない。
信じられないことだが、誰かに助けられ、あれほどの傷を治療してもらえたのだろうか。
だが今はそんなことはどうでもいい、今はサイトが無事なことだけが重要だ。
「サイト……」
彼の頬を撫でると、彼は「う~ん」と唸った後、その黒い瞳をゆっくりと開いた。
何度見ても愛しさしか生まれないその瞳が自身を捕らえ、
「……あんた誰?」
嬉しさ一転、かつて彼女が彼に放った第一声と同じ第一声で、彼女の心を絶望に染め上げた。