第八十九話【再見】
学院の裏庭。
双月の月光を浴びながら羽根帽子に長髭の男が居た。
「……チッ」
舌打ちしたその男、ワルドは、自分の体が透けてきている事に苛立ちを覚えた。
「……魔法を使ったからな、もう長くはないか。だが、俺はまだ死ぬわけには……」
うっすらと透けている掌を見つめ、ワルドが苦々しい顔をしていた時、
カサ。
彼の鋭敏な耳は物音を捕らえた。
「誰だ!?」
今、ほとんどの人間は食堂に集まっている筈だ。
隙を見て逃げたのだが、それがばれたのだろうか。
「おや? こんなところに面白い奴が居るじゃないか」
それは女だった。
長い黒髪に、ローブを纏ったひょろりと細長い体躯。
ワルドはその女に見覚えがあった。
「閣下の秘書、か? 何故こんな所にいる?」
確か、この女はクロムウェルの秘書を務めているはずだ。
「どうしてだって良いだろう? 私は私で別にやることがあっただけさ」
女は、口で話すつもりは無いようだが、大きな“箱”を持っている事を隠さない辺り、自身の目的まで隠すつもりは無いらしい。
「……まぁ良い、こちらの作戦は見ての通り失敗だ」
「だろうね、だが今はそんなことよりアンタ自身に興味がある」
「?」
ワルドは女の言い分に首を傾げ、
「フ、『イルイル』」
「っ!?」
それは何かのマジックアイテムだったのだろう。
ワルドは次の瞬間には女の持つ掌サイズの不思議な筒の中に吸い込まれてしまった。
「お前には時間が無いんだろう? 多分“奴”なら上手く解決できるだろう。だから連れて行ってやるさ。もっとも、“その後どうなっているか”を保障する気は無いがね。“コレ”を頂きに来たついでに“ガーゴイル娘”の様子を見ようと思ったら思わぬ収穫だよ。こんな面白そうな事、“あの方”がお喜びになるに違いない」
口端に笑みを浮かべながら、闇の中にローブの女性は消えていく。
***
「サイト……寒いわ。もっと強くお願い」
「こ、こうか?」
いろんな意味で最近出番の無かったルイズは、ここぞとばかりにサイトを独占していた。
もう一生このままでいいと、半ばルイズは思うほど、この環境を気に入っていた。
誰かに見られていようといなかろうと関係ない。
サイトが居ればそれで良いのだ。
アルビオンの季節は完全に冬と言って差し支えないほど寒くなっていた。
ある晩、それは本当にただの生理現象で、本能的なものの寒さから来るものだったのだが、寝間着に着替える途中でルイズは寒さ故にぶるるっと震えてしまった。
それを見たサイトは、
「今日は冷えるもんな」
といってルイズを抱きしめた。
それは何者にも代え難い甘美な感触。
どんな暖房器具を持ってしても越えられない気持ちの良い暖かさだった。
それ以降、ルイズは寒い寒いと言ってはサイトからの暖房抱擁を要求していた。
サイトとしても、寒がっている女の子を放っておくのは忍びない。
ましてや自分が好きになった女の子となれば、どうにかしてやりたいと思うのは当然だった。
毎晩寝る時はいつも以上にルイズをきつく抱きしめて眠り、普段の外出時も珍しく完全密着するルイズに合わせて、サイトからも密着した。
だが、寒いというルイズのために、軍からサイトにも支給されたお金でルイズの“暖かそうな服”を買うのは断られた。
サイトとしては彼女の為に気を利かせて買ってやりたかったのだが、
『サイトががんばってもらったお金だもの。私の為には絶対に使わないで、お願い』
ときつくルイズに頼まれた。
それが、今の薄着故にサイトと密着していられる環境を手放したくないという本心からだとは、サイトに背負われているインテリジェンスソードくらいしか気付いていない。
そんな二人が出張る事は最近ではめっきり無くなってきていた。
いくつか占拠した町で、攻めるのに十分な拠点確保が進んできたために、あとは戦争の早期終結への一斉攻撃までは極力温存という傾向が強くなってきていた為だ。
というのが表向きの理由で、ド・ポワチエの裁量によって二人は前線から戻されていた。
無論先の理由もあるが、これ以上単独(二人)での功を上げられては面目が立たないという側面もあった。
加えて、降誕祭が間近というのも理由に挙げられる。
降誕祭では、たとえ戦争中だろうと停戦してでもそれを祝うのがハルケギニアの慣例である。
それほど、ブリミルという過去の存在は“偶像神”としてハルケギニア中から崇められていた。
ある意味で“ブリミル嫌い”なルイズも、そのおかげで最近邪魔が一切入らず二人きりの時間を延々と過ごせた事には感謝していた。
故に最近占拠した都市、サウスゴータにてサイトを独占すること数日。
「寒い」という魔法の言葉を手に入れたルイズはサイトに甘えきる生活が続いていた。
だからだろう。
うっかり忘れていたことがあった。
サイトと街を歩いていて、いつも通りのよそ見、正面ではなくサイトを横目で見続けていた時のことだ。
正確に言えばそれはよそ見ではなく、ルイズにとって当然の視線なのだが、そんな事をしていれば『ドンッ!!』と何かにぶつかるのは時間の問題だった。
案の定、音を立ててルイズは何か……いや、誰かにぶつかった。
「あらぁ!? 貴方達……」
野太い声に全身筋肉。
それでいて女言葉で体をクネクネと動かすその人は、トリスタニアで“魅惑の妖精亭”なる店を構えるミ・マドモワゼルことスカロンその人だった。
「あぁぁん♪ 久しぶりぃ!!」
両の手を大きく振り上げて突然の再会に喜んだスカロンは、サイトをそのまま抱きしめようとして……“小さな腕”にその太い両腕を弾かれた。
「……ちょっと? 何勝手に私のサイトに触れようとしているの?」
サイトとスカロンの間に割ってはいるようにルイズはスカロンを威嚇していた。
サイトを抱きしめる。
それは自分にだけ許された特権で、逆もまた然り。
サイトの“匂い”が付いて良いのは自分だけなのだ。
他に許可無くサイトの匂い……サイト分が漏れる事は看過できない。
もっとも、たとえどんな状況だろうと彼女が自分以外にサイトを抱きしめることを許可することはありえないのだが。
ここ数日でのサイトとの引きこもり生活が長かったせいか、ルイズはより“濃度の濃いサイト分”を大事にしていた。
サイトから自分以外の人間の、何か別なものの匂いがするのが我慢ならない。
サイトの全身から分泌されるそれは、純粋でなければならない。
唯一許せるのは自分の匂いとただただひたすら混ざり合うこと。
それも比率としては彼の方が圧倒的に多くなくてはいけない。
彼を抱きしめた時に、彼の匂いに混ざって僅かに自分の匂いがするのが、ルイズは好きだった。
サイトの中に僅かにある自分の匂い。
サイトの中にある“異分子”はそれだけ。
すなわちそれは自分とサイト以外存在しない世界。
その“まっさらな純然たる世界”に、これ以上の余計な物は一切必要ない。
「あらあら? ごめんなさいねルイズちゃん、そんなつもりじゃないのよぉ?」
スカロンは弾かれた腕を気にした様子も無く、朗らかに笑うが、ルイズはキッと相手を睨んで臨戦態勢を紐解かない。
ギュッとサイトにしがみつき、スカロンを威嚇し続けていた。
ここでスカロンがふざけてサイトに近寄れば、彼女の瞳から輝きが失われる事になっただろう。
だが、流石は大人の貫禄の為せる業なのか、スカロンは引き際を弁えているようでそれ以上突っ込んではこなかった。
「私達、“魅惑の妖精亭”も慰問隊の一員として出張してくる名誉を任されたの、良かったらあなた達も仮店舗に来て頂戴ね?そうそう、魔法学院の生徒さんも何人か来てるわよ、私達がここに居られる武功を立てて白毛精霊勲章をもらった子も来ていたわ」
「白毛精霊勲章……? それって……!!」
そのスカロンの言葉に反応したのはサイトだった。
日に最低一度は作戦本部に顔を出すサイトは、このサウスゴータを攻め、最重要拠点として武功を立てた人間の名前を聞いていた。
「ギーシュ、ギーシュがいるのか?」
ギーシュ・ド・グラモン。
異世界人のサイトにとって、気の置けない仲として挙げられる数少ない男友達である。
ルイズは口をヘの字に曲げ、眉間に皺を寄せた。
次の彼の言葉が容易に想像できて、ギュッと彼の腕を強く抱いた。
「行こうルイズ!! スカロンさんのお店へ!!」
「サイトがそう言うなら」
サイトの、輝き溢れる表情にルイズは断る術を持たない。
ただ内心で金髪の同級生、ギーシュにフラストレーションを積み上げながら表向きはサイトの案に快諾するのだった。
(……そういえば)
ふと、ルイズは何かが足りない感覚を覚えた。
いや、足りないというより、“違う”と言うべきか。
自身にとって足りない物はサイトが居る限り何も無いが、“今この時起きたこと”は、はたして前もこうだったか、と。
ルイズにしては珍しく、一瞬とはいえサイト以外の事に気を取られた。
あるいは、今後の自分たちにとって、それが無視できない要因になるかもしれないことに、この時ルイズは本能的に気付いていたのかもしれない。
「あぁ、こんなことならやっぱり“親戚のあの娘”も呼ぶんだったわぁ、何故か連絡取れなかったから諦めたけど、もったいなかったわねぇ」
スカロンが零した、そんな言葉はルイズの耳には入っていなかった。
***
「あら? どうかされました?」
トリステイン王国王都トリスタニア。
そのトリステイン城にて、両脇が硝子張りの廊下を歩いていた女王アンリエッタが、外窓から遠くを見つめている一人の少女に声をかけた。
少女は女王に声をかけられた事に恐縮し、“おかっぱ”の黒髪ごと頭を下げる。
「ああ、気になさらないで下さい。私達は同士も同じ。……そういえば貴方は明日アルビオンに出発でしたわね」
女王ほどではないが、たわわな胸を揺らしながらコクリと少女は頷く。
「私は先のルイズとの交渉の際、“シュヴァリエ”として取り立てた貴方という最大にして最後のカードを使いませんでした。この僥倖を生かしていざという時は頼みましたよ、“シエスタ・シュヴァリエ・ド・タルブ”」
呼ばれた少女、シエスタの口端が釣り上がった。