第七十七話【魅惑】
ルイズは不機嫌だった。
今彼女は、来る気の無かった、寄るつもりすら無かった“魅惑の妖精亭”の中のテーブルの一つに付いている。
中はやや暗めの照明に木造の丸テーブルがいくつもあり、普通の酒場とさして内装は変わらない。
今回のルイズはそこに無論“客”として来ているわけだが、何故だか彼女はメイド服を着用していた。
(あ、また……これであの女は三回目)
ルイズは殺気が迸る視線でホール内を仕事で駆け回る少女達の姿を射抜く。
ルイズに射抜かれた……もとい睨まれた少女は慌てて視線を逸らしてテーブルを拭く作業に戻った。
今、あそこでテーブルを拭いている女は都合三回、サイトの方を見た。
それもやや熱っぽいような、誘うような目で。
全くもって度し難い行動である。
今、こうして気絶しているサイトの頭が膝の上に無ければ、すぐにでもその女に“教訓”を説いてやるのも吝かではないと思うほどに度し難い。
サイトの額を撫で、彼の顔を見つめる事で精神を再び安定させると、ルイズはこの魅惑の妖精亭に来てから起こった事を思いだし始めた
***
ルイズ達がここ着いた時、小太りな貴族を追って出てきたのはアニエスだった。
何でも小太りな貴族の男はここら一帯の徴税官であり、その地位を笠に着てやりたい放題していたらしいのだ。
最近ではこうした中流貴族の横暴が増えているとも聞き、アニエスは今はまだ“王女”のアンリエッタの命を受けて市井を見て回っていた。
これはもともと平民である彼女には打って付けの任務でもあった。
今回は偶々現行犯である徴税官のチュレンヌという先程出て行った小太り貴族を断罪しようとしたところに出くわしたのだ。
そこで話が終われば、「ご苦労様」の一言でルイズ達はこの場を離れられたのだが、簡単に事は終わらなかった。
その説明を聞いているうちにチュレンヌは何を思ったのか、自身の子飼いのメイジ共を引き連れて戻ってきたのだ。
恐らく、アニエスへの急な出世のやっかみもあったのだろう。
いくら王女付の騎士とは言え、相手が平民出身の女性というのも、彼の背を押した理由だったのかも知れない。
このままでは自分は失脚させられると焦った彼は“所詮は平民あがりの女”という認識でもってアニエスの口封じを図りに来たのだった。
アニエスとて女性の身でありながらに鍛えに鍛えた肉体と戦術眼は目を見張る物がある。
だが、多人数のメイジ相手ではまさしく多勢に無勢だった。
せめて一対一ならば相手にも出来たかもしれないが、魔法というものはそれだけで戦況をひっくり返すほどの強力さを秘めている。
“ある目的を果たす”まで死ぬつもりは無いが、ここでただ逃げるのはアニエスの今の立場から言って許されなかった。
アニエスは腰を低くし、剣に手を伸ばして戦闘態勢を取った……ところでそれは起こった。
「お前達、やってしま……え? ……むひひひ……“ぺったんこ”だが中々可愛い女の子だ、どれ、私が触診してやろうではないか?」
チュレンヌには既に勝利が見えていたのだろう。
事実、アニエスの頭の中にも自身の勝利は無く、いかに相手に被害を与えて離脱するか、という思考だった。
チュレンヌもこと魔法に関してそこまで無知ではない。
戦力を見誤るほど馬鹿では無いつもりだった。
だからその場に居た桃色の髪の乙女に、つい鼻の下を伸ばして手を伸ばしてしまったのだ。
それが、保護欲をそそられている少年の逆鱗に触れた。
「……触るな、おっさん」
ルイズに伸ばされた脂ぎった腕が、掴まれる。
先程の無類の信頼を寄せた瞳を向けられた点も相まって、サイトは少々、ルイズに近寄る相手に機敏になっていた。
それでなくとも彼はルイズに告白している。
返事を聞かない、というある意味自分勝手な告白ではあったが、彼の中の感情はまごうことなく本物だった。
加えて、これは本当に非常に残念な……いや、巡り合わせが悪いことに、チュレンヌ徴税官は“風”のメイジだった。
彼の前に、ルイズに近寄る“悪”として出てきてしまったことは、誠に運が悪かったと言わざるを得ない。
「おっさん、風のメイジだろ?」
「ぬ? 何だきさばぁぁぁぁああああああ!?」
言葉は最後まで発せられ無い。
愛と怒りと憎しみの、サイト渾身の拳が徴税官の鼻っ柱に叩きつけられた。
徴税官は鼻を押さえてのたうち回る。
血がボタボタと垂れ、醜く転がり回っていた。
瞬間、呆気にとられるチュレンヌ子飼いのメイジ達。
チャンスだ、とアニエスはメイジの一人の胸元に飛び込むと杖を持つ腕に絡みついて鈍い音と共にその腕を折った。
ついでに落とした杖を踏み砕くことも忘れない。
“メイジ殺し”として知られる彼女は、とにかく相手に魔法を使わせない、隙を突くという戦法を主としていた。
それで我に返った他のメイジ達は一斉に魔法を放つ。
だが、ここで彼らはさらに愚を犯した。
一人が、“風”の魔法、エア・ハンマーを使役してしまったのだ。
アニエスが不可視の風の鎚によって吹き飛ばされ、石造りの壁に叩きつけられる。
それを見たサイトの脳裏にある映像がフラッシュバックされた。
天空に浮かぶ島国。
その城で風に貫かれて揺れる桃色の髪と倒れる小さな体躯。
あの時、自分は一瞬絶望した。
「っああああああああ!!!!」
サイトは怒りに身を任せて風の魔法を使ったメイジに斬りかかる。
無論力任せなだけの剣戟などかわされるが、サイトは即座に腹に蹴りを入れた。
メイジはそのまま吹き飛んだ。
サイトは他のメイジも叩きのめそうと足を動かすが、目前には火球が迫っていた。
ファイアーボールを唱えた他のメイジがサイトを攻撃していたのだ。
サイトはその火球をデルフで切り伏せるが、火の粉が舞ってやや髪が焦げた。
「っちぃ!!」
たいしたことは無いが、鼻にはやや焦げた匂いが浸透していく。
いや、辺りに焦げた匂いが“浸透していってしまった”
「……なにしてくれてんの?」
ファイアーボールを唱えたメイジは既に首を掴まれていた。
息も出来ぬほど強力な握力でも持って掴まれているそれは、一見すると女の子と遊んでいるように見えなくもないが、メイジにとっては文字通り生死の境をさまようほどの苦しみだった。
クン、とルイズが鼻をひくつかせる。
眉間に皺が寄る。
苛立ちが増していく。
サイトの髪が、あの尊いサイトの髪が焼かれたのだ。
許せない。
許せない。
許せない。
サイトにとっては“少し”であるが、ルイズにとっては“そんなに”と取れるほどのダメージであった。
ルイズにとって、サイトは髪の毛一本すら、他人に奪われることを良しとしない。
メイジが泡を吹いて気絶したのを確認すると、ルイズは無造作にそのメイジを放り投げた。
他のメイジ達がそれを見て後ずさる。
だが、ただ一人だけ、ようやく立ち上がったチュレンヌは下がらなかった。
平民に殴られた、ということがいたく彼の自尊心を傷つけられたらしい。
ようやく立ち上がった彼は、怒りに身を任せてサイトにエア・カッターを放つ。
サイトは他のメイジと相対していてそれに気付かなかった。
「サイト!!」
ルイズが慌てて駆け寄り、サイトの背を押した。
耳には風切り音が……二つ。
サイトの背中はパックリと割れ……血が流れていた。
傷自体はたいしたことはない。
比較的浅く、出血があるだけだが、ルイズにはこの世の終わりのように思えた。
サイトが出血している。
それだけでも卒倒ものなのに、サイトが今血を流しているのは……かつてヴィリエによって引き裂かれた所と同じだったからだ。
あの時の事を思い出すと今でも身震いする。
再び会えたばかりのサイトを失う所だった。
あのようなこと、二度とあってはならないのだ。
そう、もう二度と。
「サイトッ!?」
ルイズは慌ててサイトを抱き寄せる。
「だ、大丈夫だ、掠っただけだっ……て?」
パラリ。
布が切れる音がする。
風切り音は二つあった。
一つはサイト。
ではもう一つは?
「ぶっ!?」
サイトは鼻血を出して気絶した。
切れたのは、ルイズの衣服だった。
一体全体どうやったらそんな切れ方をするのかというほど、見事に“ルイズの正面のシャツだけ”を縦に切り裂いていた。
そんな服装のままサイトはルイズに頭を抱えられるようにして抱きしめられている。
サイトの目に飛び込んできたその魅惑の双丘は、見えるか見えないかというコケティッシュなエロさを醸し出していた。
全部見えるより、見えるか見えないかの方がエロく見えると言ったのは誰だったか。
見慣れている、と言えば人聞きが悪いが、ルイズのその体のラインはサイトにとって未知ではない。
それ故に、縦に切り裂かれ、小さくも谷間とその間にある影だけが見える状況というのは、サイトにとって新たな境地であった。
それは、サイトの意志に関係なく出血を起こし、脳内の超活性によって意識を手放す結果となった。
それを確認したルイズがサイトを地べたにゆっくりと寝かせる。
その際に、やや触れた背中から少しぬめりとした感覚をルイズは感じた。
血、である。
「…………あんた」
覚悟は出来てるんでしょうね?と声なき声が聞こえた。
これからここで─────────恐ろしいことが始まる。
***
そうして店前での“小競り合い”が終わると、店の店員達が口々にお礼を述べ、さらには服が切り裂かれているルイズに仕事着で良ければ貸すと言ってきた。
ルイズとて女である。
サイトだけならいくらでも柔肌を見て貰って結構だが、他の人間には御免である。
歓迎の意で魅惑の妖精亭内部に招かれたルイズは渋々ながら中に入ろうかと思ったのだが、何故かメイド達がこぞってサイトを運ぼうとしていた。
それを敏感に察知したルイズは着替えなど後回しにしてサイトを自分で運び、常に自分の横に置いていた。
メイド達はどうやらサイトを気に入ったらしかった。
戦う時の強さと凛々しさ、そしてルイズの切り裂かれた服を見て鼻血を出して倒れた初心さ。
それがここの女性達にはストライクだったらしい。
普段癖のある男ばかり相手にしているせいか、純情・直情的でいて初心な男性に飢えていた面もあるのだろう。
だからと言ってルイズがはいそうですかとサイトを差し出すわけがない。
むしろ周りは全て敵、と威嚇していた。
それは先程礼を言いに来たアニエスをも追っ払う徹底ぶりだった。
アニエスは別に気にしたふうもなく、他にも行くところがあるので、と言って魅惑の妖精亭を出て行った。
ルイズは早くサイトが起きてココを離れたい反面、このまま眠ったサイトをずっと膝の上に置いて眺めていたい気持ちが揺らいで、結局はそのままでいた。
宿泊部屋を取ることも考えたのだが、どういうわけかこの店の看板娘にして店長であるスカロンの娘のジェシカに一人部屋しか開いてないから、入るなら一人で、とサイトと引き離しを図るような事を言われた。
ジェシカは看板娘の名にふさわしく、この店一番のプロポーションを持ち、“長い黒髪”をした美しい女性だった。
彼女もまた、サイトに熱っぽい視線を向ける少女の一人であった。
***
闇夜の町を、軽微な鎧を身に纏って歩く女性が居た。
「……まさか、ここで知り合いに会うとは。だが、あの様子ではもう合うことも無いだろう」
女性は一人呟きながら町を歩く。
彼女は、市井で横暴を働く役人の取締と民の声を聞く任務を受けていた………………表向きは。
「この任務……いや、“復讐”の為に、知り合いに姿を見られるのはあまり好ましくないからな」
女性……アニエスの姿が、夜のトリスタニアに溶けこんで、見えなくなっていく。