第五十話【消毒】
「すみ、ません……自分は、……殿下の護衛……ここまで……ようです……でんか、は……いきてくだ……い」
ガクリ、と見たくもなく首が垂れ下がる彼の最後を看取る。
体は血だらけでズタボロだった。
「……すまない、すまない……!!」
ウェールズは涙を流しながら動かなくなった同士に謝る。
自分は、彼に背負われてこの新緑深い森へと逃がされたらしい。
しばらくそうしていたウェールズだが、そろそろ何とか立ち上がろうと思い、木に体重を預けながら四肢に力を込める。
一瞬腹部に痛みを感じてガクンと膝を折るが、グッと口内の血の塊を飲み込んで耐えて立ち上がる。
「ハハ、そう言えば腹に穴が開いてるんだった……」
大樹に背を預け、忌々しそうに腹部を見やる。
そこは何かの布があてがわれていたが、既に赤黒い染みが出来ていて、恐らく自分もこのままでは助かるまいと直感した。
しかし、
「……忠誠には、報いるところが無ければ……」
ウェールズは、かつて“彼女に説いたことのある言葉”、代々受け継がれてきた王族としての在り方を口にして杖を振る。
「げほっげほっ!!」
びしゃり、と血を吐き出し、体中を駆けめぐる痛みを伴いながら彼は不慣れな魔法を行使した。
「“土系統”は苦手なんだが……穴を掘るならやはり“錬金”か」
ウェールズは大樹の前に、人が一人入れるほどの大穴を開けると、自身を引きずるように叱咤して動き、彼を穴へと入れる。
通常なら、この程度の動作はすぐに終わるだろうが、体中ガタが来ているこのままではそうもいかない。
たっぷりと時間をかけ、最後に体全体を土で覆って、彼が持っていた剣を墓石代わりに突き刺した。
「これで、君は死して尚貴族派の連中に辱められる事は無いだろう。安らかにアルビオンの土に還ってくれ」
アルビオンは浮遊大陸だ。
故に有限大陸である意識はハルケギニア中最も強い。
だからだろうか。
死して尚、大陸の一部になれることは、一種、誉れにも似た慣習があった。
ウェールズはしばしその剣を眺めると、踵を返した。
ここは何処だろうか。
あれから戦局はどうなったであろう。
おめおめと自分は生きていていいのか?
いや、どうせこのままでは自分も果てる。
頭にはグジャグジャとした纏められない感情が渦を巻き、宛もなく足は彷徨い続ける。
がそれも長くは続かない。
「ガハッ……」
膝を折って倒れる。
だいたい、腹部を貫かれてそう長く生きていられようはずもない。
「みんな……ブリミルの御許での再会はそう遠くなさそうだ……」
すまない。
既に出ない声で呟いた彼が最後、ゆっくりと瞼を閉じる瞬間、
息を飲むような声と、見目麗しい“耳の尖った妖精”が驚いた表情でそこに居るのを見た気がした。
***
『どうしてくれるの?』
そう言われたその言葉は、その瞳は、ワルドに恐怖を植え付ける。
相手はまだ自分の半分とちょっとしか生きていない小娘だというのに、震えが止まらない。
顔色が悪いのが自覚できる。
それは決して出血のせいだけでは無いだろう。
「なぁにワルド? 足が震えているわよ?」
妙に優しげな声と、『ドォン!!』というそれに不釣合いな爆発音。
次の瞬間にはワルドは地に付していた。
「!?」
「ほら、これでもう震えなくて済むわね? だからちゃんと答えて。ねぇどうしてくれるの?」
「あ、ああ、あああああああ!?」
ワルドの右足は既に無かった。
綺麗さっぱり、震えていた足は、震えるなら無くなればいいというように硝煙だけ残して何処にも見当たらなかった。
「うるさい、余計な声は上げないで、貴方の声、不快よ」
また爆発音。
それはワルドに当たらず、ワルド顔の至近距離で爆発した。
パクパクとワルドは口を開きつつも声を上げない。
とりわけ、ルイズ版サイレントとでもいおうか。
ワルドは静かにすることを強要され、
「ブレスレット……どうしてくれるの?」
答えを要求される。
「わ、わかった!! 私が謝る!! この通りだ!! 金色のブレスレットが欲しいならもっと高級なものを私が買おう!! だから「うるさい」……っ!!」
ルイズの何も映さない真っ黒なその瞳が、吸い込まれそうな闇が真っ直ぐワルドを射抜く。
「謝る? もしかしてまさか、貴方この期に及んで謝れば許されるなんて思ってるの? 自分が新しいのを買えば済むと? そんなものには何の価値も無いのに?」
ドンッ!!
再び爆発。
「あがぁぁぁぁ!?」
ワルドは下腹部に例えようの無い痛みを感じる。
この瞬間、彼は“男”として生きていく機能を奪われた。
いっそもう殺せ、といいたくなるほど、それは辛く、痛いなんてものじゃないほどの激痛。
だがルイズは動じない。
だいたい、今ワルドが失ったものなど、世界中でサイトが保有していればそれだけで問題無いのだ。
「うががががぁあああああ!!!」
ワルドは痛がり、少しでもそれを緩和しようとして杖を振ろうとし、先程杖ごと腕を吹き飛ばされたことが思い出された。
「杖、杖ぇ!!」
ワルドは這って自分の腕が吹き飛んだ場所へ向かい、杖剣を視界に納めて『ドォン!!』杖剣が爆破されるのを見た。
「はぁ、全く持って不快よワルド、貴方の声が不快」
正確には、ルイズはサイトから発せられる音以外全てを不快に感じる。
「貴方と同じ空気を吸ってること事態不快」
正確には、ルイズはサイトのもの以外のものが混じった空気を吸うのを不快に感じる。
「貴方の存在自体が不快」
正確には、ルイズはサイト以外のものは全て不快に感じる。
サイトが居ればすべからく良く、その他のものは一切受け付けない。
「なのに貴方はあろうことかサイトを傷つけた、それも二回も!!」
爆発が、ワルドの左足をバラバラにし、彼は歩行機能を完全に奪われる。
「私はサイトのものなのに、貴方は私に口付けた!!」
爆発が、ワルドの右腕を吹き飛ばし、彼は手腕機能を完全に奪われる。
「ワルド、貴方はしてはいけないことをいくつもしたわ。だから……」
ルイズは杖を高く掲げ、何も映さない虚無の瞳でワルドを見つめ、
──────せめて、ブレスレットと同じようにバラバラになりなさい──────
大爆発が、廊下に木霊した。
***
「う……」
サイトは目を覚ました。
辺りは凄い爆発があったのか、酷くボロボロだ。
上手く働かない思考で、上半身を起こして視線を回すと、やや離れたところに桃色の髪が視界に入る。
ルイズだ、そうだ、彼女は無事だったんだ!!
サイトはルイズに近づき、
「っ!? お前、何やってるんだ!!」
驚いてルイズの腕を掴む。
「サイト……気が付いたの?」
ルイズはぱあっと明るくなるが、サイトは心中穏やかではいられない。
彼女は剣を持っていた。
恐らく壁に斧とクロスして飾ってあるものからでも拝借してきたのだろう。
問題は彼女がそれを自分の顔に当てようとしていたことである。
「馬鹿!! 何やろうとしてんだ!?」
「だってサイト、私汚されちゃった、ワルドに汚されちゃった……サイト以外の人に唇に触れられた……とっても気持ち悪いし許せないから……こんな唇切り落とそうかと……」
ポツリポツリ話すルイズに、サイトはさぁっと顔が青くなった。
いろいろあって上手く頭が働かない。
そういやそのワルドの姿も見えないがそんなことより。
今ルイズは唇を切り落とすといった。
よくわからないが、ルイズは自分で自分が許せないのだろうか。
起きたばかりのせいか上手く思考が働かない。
今わかるのはこのままではルイズがとんでもなく危ないことをしようとしているということだけ。
唇を切り落とす?馬鹿野郎!!
サイトは掴んでいたルイズの腕を強く引くと……そのままルイズに強引に口付けた。
「んっ!?」
ルイズは目を見開き、次いでぽけーっと幸せそうな瞳になる。
初めての……自分から望まず“サイトから”の口付けだった。
ああ、不快感が一瞬にして消えていく。
サイト……ああ、サイト。
ゆっくりと唇が離されるが、
「……もっと、サイト」
後頭部を抱くようにしてルイズはサイトを引き寄せ、再び交差する。
……サイト、もっと私を“消毒”して。
貴方で、“浄化”して。
***
誰にも見えず、聞こえる事の無い、決まっていたレールという名の歯車がズレによってどんどんと動きを止めていく。
予定調和は崩れ、決まっていた動きが、どんどんと乖離していく。
居るはずの人間が居なくなる事で、それはさらに加速度的に増し……、
***
「あ……」
目を覚ました。
「ここは……?」
見知らぬ天井。
どうやら自分はベッドの上にいるらしい。
体中には手当てされたのか、包帯がいくつも巻かれていて、どうやら死の危険は去ったようだった。
ウェールズは上半身を起こしてきょろきょろと辺りを見回し、ここが恐らくは小さな民家であることを認識する。
「あ、目が覚めた?」
そこに、妖精が現れた。
「君は……」
いや、正確にはそれは意識を失う寸前に見た、妖精だと思った長い金砂の髪に緑のワンピースを纏う少女だった。
「えと、大丈、夫?」
不安げな表情で少女はウェールズを見つめる。
彼女の不安は体を揺らし、その信じられぬほど大きい首下の双丘をもポヨンポヨン揺らす。
(アンリエッタよりも大きいな……って何を考えてるんだ僕は……!! ……ん?)
ウェールズはついはしたない事を考えてしまった事を恥じるのと同時、彼女の容姿で一点気になることを見つけた。
「エルフ……?」
「あ……?」
少女は慌てて耳を隠し、何処かへと行ってしまう。
ウェールズは追おうか少し迷い、止めた。
ボフッとベッドに横になる。
考える時間が、今は欲しかった。
「僕は、生き残ってしまったのか……」
***
居ないはずの人間が居る事で、音無き音を立てて、誰にも見えない歯車は完全に崩れ落ちる。
サラサラサラサラと砂のように“無くなって”いく。
今日この日この時、誰も知る余地のない決まっていた運命という名のレールは、その“先”ごと消えて無くなった。
***
“それ”は突然に現れる。
「?」
合流ポイント。
そこでフーケはモットと二人、何をするでもなく待っていた。
もっとも、もう少し待って誰も来なければ自分はまた自由に動くつもりだったが。
そんな時、ドクンと左足が痛んだ。
次の瞬間……、
「え?」
左足が弾け飛ぶ。
一体何が!?
意味がわからない。
無い足に……股下に激痛が奔る。
「ああ? あああああああ!?」
モットが驚いた様子で、しかしすぐに杖を振るい治療を施し始めた。
フーケは薄れ行く意識の中、この足は確か、“奇跡的にヴァリエールの小娘の攻撃から免れた足”だという事を思い出していた。
時を同じくして、トリステイン魔法学院の風メイジの少年が、体全体に奔る痛みを訴えていた。
***
「なんていうか声、かけづらいわね」
キュルケはその燃えるような後ろ頭を掻きながら、戸惑っていた。
あちこち飛び回って、フネが襲われ、そのフネがニューカッスルの城に向かったと聞いて助けに来て見れば、二人はこの緊迫した中、唇を交し合っていたのだから。
どうしたもんか、そう思ってタバサを見ると、タバサは辺りを見回し難しい顔をしていた。
「どうしたの、タバサ」
「……鉄……血の匂いがする」
少し考え込むタバサだったが、
「タバサ、考えるのは後にしましょ、とにかく今は二人を連れて脱出よ」
キュルケの声にハッとなったタバサは、こくりと頷いてキュルケの背を追う。
桃色の少女の機嫌が、急降下したことは言うまでも無い。