第四十一話【禁句】
「?」
サイトは突然のギーシュの言葉に意外そうな顔をする。
「僕もあの人は嫌いさ、いや、嫌いになった、かな」
若くして魔法衛士隊の隊長になったというのだから、それなりに尊敬していたが、ギーシュは彼に納得がいかなかった。
まず、グリフォンの速さである。
馬は既に二頭目。
町で新しい馬に乗り換えねば、あのスピードにはついて行けない。
そんなことはわかっているはずだが、彼は一向に遅くしようとしない。
まるで君らがちゃんと付いて来ないのが悪いと言わんばかりだ。
急がねばならないのは事実だが、はぐれてしまっては元も子も無い。
護衛という観点からすれば、それは好ましくもない。
ここまでくるとまるで護衛する気が無いようにさえ感じられる。
だが、こちらは正式でない個人的な頼みだとしても、王女自らの頼み事である。
それぐらい、彼にも理解出来る筈だ。
「護衛、って言ってたけど護衛する気があるのはルイズだけのようだしね」
ギーシュがそう言うと、サイトの表情に僅かばかりの変化が見られた。
なんと形容して良いのかわからない。
怒りのようで、哀しみ。
しかし、そのどちらにも完全には当てはまらないようなそんな表情。
恐らくは自分でも気持ちの整理がついていないんだろう。
だが、それは自分も同じだった。
「それに、彼は僕のヴェルダンデを傷つけた」
「……ギーシュ?」
サイトが怪訝そうな顔をするが、ギーシュはもうサイトの方を見ていなかった。
金の髪をなびかせて、整った顔立ちを若干歪ませる。
魔法衛士隊隊長ともなれば、傷つけずにヴェルダンデをルイズから遠ざけることが出来た筈だった。
スクウェアメイジの名は伊達ではないことをギーシュは知っている。
傷の深さは関係ない。
軽傷ではあったが、負わせたか負わせなかったかの違いだ。
傷を負わせた以上、それは故意である。
ギーシュとて悪かったのがヴェルダンデだとわかってはいるが、使い魔を傷つけられた事に何も感じないほど大人では無かった。
「彼は……ヴェルダンデを傷つけたんだ」
ルイズのそれとはまた違った、彼の使い魔への“愛”は、静かに静かに、しかし確実にその怒りを溜め込んだ。
***
「あの……ワルド様?」
「何だい?僕のルイズ」
ワルドに両腕で抱えられるようにして抱き上げられ、グリフォンに乗って数時間。
「少し、お早くありませんか? サイト達と距離が開いています」
「ふむ、グリフォンは早いからね。それにこの方が君と二人きりになれるだろう?せっかく久しぶりに会ったのだから少しは、ね」
小さくウインクするワルドに、ルイズは視線を逸らして二頭の馬を見つめた。
かなりのスピードで追いすがっているが、あの様子では乗馬者もそうとう疲れるだろう。
あんな調子で持つのだろうか。
「ルイズ、僕よりあの二人が気になるのかい?」
「あ、いえそんなことは」
無いです、とは言えなかった。
幸い、ワルドは「おや?」と不思議そうな顔をした後、何も言って来なかったが、先程から体の調子がおかしかった。
抱き寄せられる肌に不快感が募る。
触られた部分は例外無く鳥肌が立ち始め、言葉を交わすたびに漏れる彼の二酸化炭素が自身を不快にさせる。
幼い頃からの憧れで、数少ない理解者で、優しい子爵様と一緒にいるのに、彼女の中の感情は何故か一つだった。
好きだった筈だし、否、好きな筈だし、こうしているのも嬉しい筈なのに、彼女の心を占めるその感情は、
───────────キモチワルイ───────────
その一言に尽きた。
だが、それを認めたくない自分がいるのも事実で、必死に彼から愛しいと思える感情を貰おうと腕を強く掴み、体中に奔る嫌悪感にさらに胸が気持ち悪くなる。
それが納得できなくて、ルイズは何度も何度も首を振った。
だからだろう、目端に人の影を捕らえた。
「? 子爵様、あそこに誰か……っ!?」
最後まで言葉を紡ぐ前に、ルイズはそれが誰だか……いや、なんだかわかってしまった。
数人が弓を引き絞って射る。
その先にいるのは二頭の馬。
「盗賊か」
ワルドは落ち着き払って下を見据える。
「ワ、ワルド様、早く二人を助けないと!!」
「いや、そうしたいのは山々だがここで降りてはグリフォンや君にまで危険が及んでしまう」
「そんな!! 二人とも逃げ……」
ルイズは声を荒げ……無かった。
地面がボコリと隆起する。
気付けばギーシュが杖を振っていた。
馬が走る先に小高い丘が出来、馬がそれを上って跳ぶ。
咄嗟に軌道の変わった二人の獲物に、盗賊は初手を外してしまい、慌てて二射目を射る。
だが、自分たちがいるところから馬は随分と離れてしまっていた。
自然、放たれる矢は先程と違い面では無く、点になる。
それ故無数に放たれる矢は一直線に飛び、スラリと片手で鈍色の剣を背中から抜いた少年がそれらを叩き落とした。
「ほぅ、彼らもやるね。“この程度では問題にならない”か」
ワルドは意外そうにそう言うと再びグリフォンを進ませる。
何故か、その声がルイズにはとても気味悪く聞こえた。
***
二頭の馬が颯爽と離れて行く。
それを盗賊達の後ろから“見ていた”二つの影が、つまらなさそうにその場を後にする。
「まったくだらしがないねぇ、まさか傷一つ負わせられないどころか相手にすらされないなんて」
一つは目深にフードを被った女性。
「ふん、仕方があるまい。所詮は平民の盗賊、怪我でもしなかっただけ儲けものだろうよ」
もう一つは赤と白のストライプ色が激しい貴族服に白い襟巻きを身に纏った男性だった。
「……アンタ、なんでそんな目立つ格好してるのさ?私達は一応隠密だよ」
「何を言う、この服の良さがわからないのか?貴様こそ、そのようにスラリと細い足を露出して誘っているのか?」
「……ったく、学院の爺といい、男ってのはみんなこうなのかねぇ、“旦那”も何でこんな奴引き込んだんだか」
女性は嘆息してフードから顔を出す。
美しいエメラルドグリーンの長い髪がそこから現れ、首を少し振ることで、それは全て外界へとさらされた。
「もう顔は隠さないのか?」
「必要無いさね、町まであれ被ってると暑苦しくてかないやしない。ほらさっさと行くよ。“目的地は港町ラ・ロシェールだってわかってる”んだから」
「存外、“土くれ”は大胆だな。私の物にならんか?」
フフフ、といやらしい笑みで男性は笑い、
「ハッ、旦那くらいならともかくアンタ程度じゃゴメンだね、“波濤”のモット」
女性、もとい“土くれのフーケ”はそれを切って捨てて近場に繋いでいた馬に跨る。
それにすこし眉をひそめつつも、特段気にしたふうもないようにモットも馬に跨り、馬を走らせ始めた。
***
サイトは知らなかったが、これから行くアルビオンというのは文字通り浮遊島だった。
それ故、そこに行くには空飛ぶ船を用いる。
その港があるのがここ、一つの大岩を削って出来た町、ラ・ロシェールだということをギーシュが到着前に説明した。
心なしか、その技術が自分の系統と同じ“土”の魔法によるものだということを誇らしげに自慢しながらではあったが。
「お疲れ様」
二人がようやくとラ・ロシェールに着くと、ルイズが労いの言葉と共に出迎えた。
ルイズはワルドのグリフォンに乗っていた為、二人よりも先に着いていたのだ。
「……あの男は?」
サイトは不機嫌そうにルイズに尋ねる。
「あの男って……ワルドのこと? 今ワルドは船の予定を聞きに行ってるわ、宿はあそこの『女神の杵』亭に取れたと言ってたから合流したら行きましょう」
「ふぅん」
サイトは興味なさそうに荷物を馬から下ろし始める。
ギーシュも同じだった。
興味なし、といわんばかりの拒絶さえ感じられる態度。
流石にルイズもカチンと来た。
「何その態度? もしかして盗賊の時のこと怒ってるの?」
「「別に」」
二人は揃って一言で答える。
それが益々ルイズの怒りを増長させた。
「何よ!! 無傷だったんだからいいじゃない!! ほら、背中だってこんなにきれ……」
ルイズは無理矢理サイトのパーカーをシャツごと後ろからめくり、息を呑む。
酷い傷痕。
何か大きな鎌のようなもので一刀されたのだろうが、何でこんなものがサイトにあるのか“わからない”
傷自体は結構前のもののようだが、それでもその傷は少女が見るにはあまりに……、
「な、何これ……“気持ち悪い”」
見るに堪えないものだった。
しかし、それを言ってしまっては、口にしてはいけなかった。
「っ!!」
サイトはぎゅっとパーカーを降ろすとルイズを睨み付けた。
「悪かったな、気持ち悪くて。ああそうかよ、お前は俺をそんなふうに思ってたのかよ!!」
「な、何よ、そんなに怒らなくたって」
ルイズには急に怒り出したサイトがわからない。
「お前はずっとそう思ってたんだろ? モンモンは別に人が変わるなんて言って無かったもんな、そうだよ、記憶が無くたってルイズはルイズだと思ってたけど、それってつまり記憶があるルイズだって“あいつ”と仲が良くて、俺のこの背中……“お前が洗ってくれた背中が気持ち悪いって思ってる”ってことだろ!!」
サイトは一息でそう言うと何処かへとかけだしてしまう。
「あ、ちょっと……!!」
ルイズは追おうとするも、肩に手を置かれ止められた。
「……ギーシュ?」
「よくわからないけど……ルイズ、君は本当にルイズなのかい? 今のは、あまりに酷すぎる。サイトは僕が追うから君は荷物を見ててくれ」
ギーシュは言葉こそ優しかったが、目は怒りに満ちていた。
その顔に気圧され、ルイズは何も言い返せない。
ただ、走っていくギーシュの後ろ姿を見つめているしか出来なかった。
***
「………………」
『女神の杵』亭の一室で、ルイズはベッドに腰掛け床を見つめていた。
ワルドが戻って来るのと同時、ギーシュとサイトも戻り、船が明日の夜出航予定だと告げられた。
帰って来たサイトはルイズと目を合わせようとせず、ありありと拒絶が感じられた。
「……何よ、何なのよ」
いくら考えてもサイトの意図がわからない。
わからないが、何故か胸が痛む。
と、
────────ドクン────────
急に胸の痛みが増し、一瞬意識が飛びそうになる。
今のは一体なんだったのかと考えようとして、
「やぁルイズ、お待たせ」
ワルドが入室してきた。
部屋は二部屋しか取れなかった為、彼が部屋割りの際にルイズとの同室を決めたのだ。
ルイズは恥ずかしかったが、今のサイトと二人になるわけにはいかず、さらにはワルドに「大事な話があるんだ」とも言われ、流される形でこうなってしまった。
いや、今はそんな現状の事よりこの胸と頭に来る不思議な……、
────────ドクン────────
「っ!?」
「君とこうしてゆっくり話すのは何年ぶりかな、君は───────」
急に来る体中の脈動が数を増す事にワルドの声が遠くなり、視界がぼやけ、胸を抑え、
────────ドクン────────
「ルイズ? どうかしたのかい?」
そんなルイズの異変にようやく気付いたワルドはルイズへと手を伸ばし……、
バンッ!!
思い切り払われる。
「ル、ルイズ……?」
ゆらりと立ち上がったルイズは、目の前の困惑したワルドなど視界に入れずに虚空を見据え、ボロボロと大量の涙を流し始めた。
「私、私……サイトになんてことを……!!」
その声はこの世の終わりを思わせるような絶望に満ちあふれ、同時に、激しい自分への殺意が感じられた。