第三十九話【不快】
「なぁ、結局俺にはよく意味がわからないんだけど」
「うるさいわね、アンタは黙って私についてきて護衛してればいいのよ、弾避けくらいにはなるでしょ」
朝。
いつもより早いまだ靄がかかった時間帯。
普段ならベッドの上で微睡んでいるであろうこの時間に、馬に跨る影が三つあった。
一つは未だに事情が呑み込めない人間の使い魔、ハルケギニアでは珍しい漆黒の髪に黒眼の少年、平賀才人。
眠そうに欠伸をしつつ、意味もわからず馬に乗って不満げに主を見つめている。
もう一つは彼を呼び出した張本人、主人であり、貴族であり、メイジである煌びやかな桃色の長い髪を揺らす小さな美少女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。
自身の使い魔が不服そうにしているのに苛立ち、しかし同時にそれがどうしようもなく自身のその小振りな胸を締め付け、彼女の心をかき乱す。
結果、彼女はたいした説明も出来ないまま、サイトに八つ当たりじみた言葉しか返せないでいた。
そして、
「……何だかルイズなんだけどルイズじゃなく見えるよ」
二人のやり取りを見ていた最後の影、金髪の少年、ギーシュ・ド・グラモンは驚いたような声を出した。
「なによそれ、まだ昨日の事を言ってるの?」
イライラしながらルイズはギーシュを睨み、内心溜息を吐く。
どうしてこんな事になったのだろうか。
話は昨晩にまで遡る。
***
今日もまた使い魔が中々帰ってこない。
居ると苛立つが居ないと不安になる。
摩訶不思議な自分の内心を上手く把握出来ずに悶々とし、ルイズは自室の中を行ったり来たりしていた。
と、
コンコン。
「!!」
ノックの音が聞こえ、ようやく使い魔が帰って来たか、と安堵し、慌てて首をぶんぶんと振る。
(別に嬉しくなんか無いんだから!! 主人として何処に行ってたか把握していなかったら焦ってただけなんだから!!)
自分で自分にそう言い訳をしながらいつも通り不機嫌さを装ってドアノブを回すが……そこには誰もいなかった。
いや、そもそもノックの音はドアの方からしていなかった。
無意識にサイトが帰って来たと思いドアに寄ってしまった自分に憤慨し、さらにはまだ帰っていないサイトにもっと憤慨しつつ、ルイズは音のした窓の方へとズンズン歩く。
どうせ風で何か飛んできたのだろうと思い、シャッとカーテンを開けると、そこには暗い闇夜広がる空……ではなく彼女の良く知る女性が浮かんでいた。
「っ!?」
短めの紫がかった髪、上から下までの真っ白な長いホワイトドレス。
頭には銀に輝くティアラをし、肩から闇色のマントを羽織っているその人物は、この国で最も高貴な幼馴染みだった。
アンリエッタ・ド・トリステイン。
祖国であるこのトリステイン王国第一にして唯一の王女、その人である。
ルイズは声にならない戸惑いから二、三歩後退してしまい、それを見て苦笑したアンリエッタは中空で杖をふるうとバン、と窓を開いた。
「ひ、姫様!?」
ルイズはすぐさま跪き、頭を垂れる。
「ルイズ、ルイズ・フランソワーズ、そんなことをせずに顔を上げて。そんなことをされたら私も困ってしまうわ」
昔はお互い、言葉上でこそあったが、そこまで身分の上下から来る礼節態度に差は無かった。
月日の流れが知識を伴って二人の間に差を作ってしまったようで、アンリエッタには言い表しようの無い悲しさが生まれる。
「しかし姫様、私のような者が姫様に対し同じ御前を並べるなど……」
「今日は突然の訪問で来たこちらが悪いのです。それに私は貴方にお願いしたいことがあって来たのにお願いする側が頭を下げられては立つ瀬が無くなります」
「そんな!! 姫様のお願いとあらばなんなりとお申し付け下さい!! 私めに出来ることでしたらこのルイズ、ヴァリエールの名にかけてなんでも致します!!」
「ルイズ……ありがとう。でも話を最後まで聞いてからその答えを決めて欲しいの。これは……とても危険なお願いになります。断ってくれても私は貴方を責めないわ、ただお話しを聞いてくれるだけで私も心の重荷が降りるもの」
アンリエッタは自分に一心の忠誠を示すルイズに嬉しさと、申し訳なさを覚えた。
言葉通りこれから願いすることは大変危険であり、断られても仕方のないこと。
もし断られたとしても、それでルイズを責めようとは思っていなかった。
「私、結婚するのです」
決して嬉しそうではない笑みを浮かべ、アンリエッタは小さく吐露した。
「!? ……そう、ですか。おめでとうございます」
「ええ、ゲルマニアへ嫁ぐことにしました」
「ゲルマニア……!? あんな野蛮人の国に……失礼しました」
口が過ぎたとルイズは慌てて言葉を濁す。
いくら自分がそう思おうとこれは決まったことであり、アンリエッタの相手である以上その人はアンリエッタと“同格”として扱わなければならない。
「いいのですルイズ。私としても苦渋の決断でした。ですがこれでトリステインが護られるなら私は喜んでこの身を差し出しましょう。それが王族の務めというものです」
「姫殿下の愛国心溢れるお言葉に返せる言葉もございません」
望まぬ結婚であることは言葉の端々から理解出来る。
しかし、それを止めた方がいい、と言う事も、止めたい、と言うことも出来ないお互いは、次第に口数が減っていく。
故に、自然と話は本題へと流れた。
「……それで、お願いというのは……」
「手紙を、回収して来て欲しいの」
アンリエッタは寂しそうに笑うと、立ち上がって窓の外、夜闇を見つめた。
「姫様?」
「ルイズ、私は今回軍事協定を結ぶために結婚という形を取りましたが、その結婚が破談になる恐れがあるのです」
「それは……」
喜ぶべきか否か。
当然、望まぬ結婚が潰れるなら良いことかもしれないが、それで失う物が国単位となれば話は変わって来る。
「私が出した手紙、それが『アルビオンのウェールズ皇太子』の元にあります。もし万一その手紙が世に出回れば今回の結婚も、同盟も、無くなるでしょう」
「っ!? 一体その手紙とはどんな……いえ、なんでもありません。ご安心下さい姫様、私が必ずやその手紙を持って帰ってご覧に入れましょう」
「ルイズ・フランソワーズ……でも場所はアルビオンなのですよ? 知っているでしょう? 今あの国は内戦によって酷く疲弊し混乱しています」
「恐れながら姫様、私はもう姫様の願いを聞いてしまいました。ここで断ってはヴァリエールの名に傷が付いてしまいます。ましてや姫様は私の大事な……お友達ではありませんか」
「ルイズ、ああルイズフランソワーズ!!」
アンリエッタはルイズの口から“友達”だと言って貰ったことに感極まり、涙を流した。
「ありがとう、ルイズ・フランソワーズ。“この間の貴方のお願い”にちゃんと応えられなかった私にそうまでしてくれるなんて」
「この間のお願い?」
急に時間が止まる。
ルイズには全く“覚えが無い”
それは一体なんのことでしょうか、そう口を開こうとして、
ギィ……。
「ただい、ま……?」
サイトが帰ってきた。
「あら? 使い魔さん?」
一応面識のあるアンリエッタは微笑むが、ルイズはそうではなかった。
(聞かれた?)
王族とのいわば密会ともとれる会話である。
いくら自分の使い魔といえど盗み聞きのような真似をしていたのならば許されない。
そう慌てたルイズはあろうことか勢いに身を任せ、渾身のドロップキックをサイトに放っていた。
「うわぁぁぁぁっ!?」
跳ぶ、いや飛ぶサイト。
見事にクリーンヒットしたサイトは更なる犠牲者にぶつかることでようやくその勢いを殺した。
「いたたた……な、なんだ一体? おや、サイトじゃないか」
そう、その犠牲者こそ、ギーシュだったのである。
***
その後、ギーシュは王女に驚き、すぐさま跪き、自分が元帥の息子であることを明かした。
アンリエッタは数少ない信用できる人間の息子であることを知り、ルイズへの協力を願い出た。
ルイズは嫌そうだったが、ギーシュは王女の頼みを聞けるのは身に余る幸せと頭を垂れ、二つ返事で依頼を引き受けたのだ。
昨晩の流れを思い出し、ルイズは昨日渡された指輪をはめた指を見つめる。
鮮やかな青色の宝石が付いた指輪は、ルイズの細く白い指でその存在を小さくアピールしている。
「ウェールズ王子、か。会った事は無いけど“プリンス・オブ・ウェールズ”としては有名な方ね」
この指輪、“水のルビー”は王子と会うための身の上の証明用にと預かり、事が終われば路銀の足しに、と渡されたものだった。
渡される時に言われた「もう、私が持っていても仕方の無いもの」という言葉が気にかかったが、結局そのことには触れなかった。
会いに行く相手が王子とは予想以上だが、だからと言ってやることに変わりは無い。
早く無事に任務を完遂させて姫様を安心させてあげたい。
そう思う一心から出立を逸る気持ちが強いが、しかし。
「まだ、“護衛”の方は来ていないようだね」
ギーシュが苛立っているルイズの内心を読んだかのように辺りを見回して零す。
アンリエッタは念のため、一人護衛を付けると言っていた。
時間はこの時間で間違いないはずなのだか、地平線には人っ子一人見あたらない。
「どうなってるのかしら? って、きゃっ!?」
ルイズも不安に駆られ、まだ来ぬ人物に内心不満を持つのと同時、足下が急に盛り上がる。
「な、なんなのよ一体!?」
ルイズをやすやすと土ごと持ち上げ地面から出てきたのは、一匹の大きな……、
「モグラ?」
「モグラじゃない!! ジャイアントモールだ!!」
モグラ、もといジャイアントモールだった。
「前にも言ったろう? ヴェルダンデはそこらのモグラよりもずっと上位の存在なんだ、あまり一緒にしないでくれ」
サイトに再びギーシュが熱く自身の使い魔、ヴェルダンデと呼ばれたジャイアントモールの事を語りだし始める中、当の本人はつぶらな瞳でじっとルイズを見つめていた。
「な、何?」
ルイズは、ただじっと見られることによる意味のわからない恐怖を感じ、後ずさった瞬間、ヴェルダンデがルイズの“指”に飛び掛った。
「きゃあっ!?」
馬なりになるようにルイズに覆いかぶさり、鼻をヒクヒクとルイズの“指”に押し当てる。
「あ、こらヴェルダンデ、何をしてるんだい!?」
ギーシュもそれに気付いて自身の使い魔を諫めようと近づくが、それよりも早く、
ビュウ!!
と強い風が吹いた。
「!?!?!?」
ヴェルダンデはわけもわからずに風によって数メートル吹き飛ばされる。
「ヴェルダンデ!!」
ギーシュは慌ててヴェルダンデに駆け寄り、自身の使い魔の無事を確認する。
幸い、かすり傷程度しか負っていないが、それでもギーシュとて穏便には済ませられない。
「誰だ!?」
ギーシュもまた、“あの”ルイズ程でないにしろ、使い魔をとても大事にし、溺愛していた。
ギーシュが睨みすえた先、中空にある雲に黒い影が浮かび、やがて影が濃くなる。
バサリバサリと羽ばたきが聞こえ、雲から出てきたのは一人の男性を乗せた一羽のグリフォンだった。
三人はその男性に見覚えがあった。
ギーシュが驚いた顔で相手の顔を見つめる。
「貴方は……まさかあの魔法衛士隊の……!!」
それは使い魔の品評会時、アンリエッタの護衛兼御者としても学院に来ていた帽子を被った男で、口周りに髭を生やしていながらもその若さから不潔感は感じられない。
だが、ルイズとギーシュがその男を見て同様の驚きと感動に似た感情を瞳に宿している中、ただ一人、サイトだけは内から湧き出る不快感を感じ、
「……あいつ、風のメイジだ」
男を睨むように棘のある視線で見つめていた。