////7-1:【世紀の偉人……爆誕!!】
ギーシュ・ド・グラモンは武人の家の子息である。
グラモン家は戦争のたびに出資がかさむので、いつも資金繰りに困窮している、いわゆる『貧乏貴族』であった。
そこで数日前にルイズより『大もうけのチャンスあり』と言われたギーシュは、これまで無いほどに頭を働かせ、目を皿にして、それを探しだして逃すまいとしていた。
ドカーン! ドカーン! と『幽霊屋敷』の裏から爆発音がしている。
ギーシュが音を頼りに向かうと、案の定ルイズがそこにいた。
「やあルイズ、一昨日は授業をさぼって一体どこへ行っていたんだい?」
「こんにちはギーシュ、ちょっとした野暮用よ」
「そうかい……ところでルイズ、これが何か解るかな」
常識外れの少女、ルイズ・フランソワーズ。彼女のそばにいれば、そのチャンスが転がり込んでくるのでは。そう期待し、
ギーシュは最近ひんぱんに『幽霊屋敷』へと遊びに来るようになっていた。
「……ちょっとギーシュ!! これ何処で見つけたの?」
「さあ、ヴェルダンデが拾ってきたんだよ」
「買い取らせて!!」
「え?あ、ああ……いいけど、それは何なんだい?」
ギーシュがルイズに見せたのは、奇妙な模様の掘り込まれた小石であった。
受け取ったルイズの目が見開かれ詰め寄ってくる、その剣幕にギーシュは戸惑い、理由を尋ねた。
「これはね、『ルーン石』っていうのよ……道具に魔法の性質を付与するの」
「そんな大層なものかい?」
「そうよギーシュ、これ作ろうと思ってもそう簡単にはいかない……最低でも15年はかかるわ」
ルイズはノートを取り出しサラサラと何か計算をしてから、ギーシュに買い取り金額を提示した。
「どう?」
「150エキュー!? こんなに貰っていいのかい」
「ええ、金額は『ルーン』の種類によるけど……お願い! ……これからも見つけたら、私に売って」
「もちろんさ!! 君の頼みならね」
ギーシュは思わぬ臨時収入で懐が暖まり、ほくほくの笑みである。
「魔法の性質を物体に刻み込む……ふむふむ、なるほどね」
「『固定化』はともかく、トリステインでやってる人はあまり見かけないわ。たいていのマジックアイテム作成技術は失伝しているし……
魔法を通して物を作るのは一般的だけど、物に魔力を固着させるのは難しいから」
「僕は『錬金』が得意だけど、それを活かしたいね」
「頑張ってちょうだい、期待してるわ」
ルイズとギーシュはにっこりと笑いあった。
相変わらず目の焦点の合っていないルイズの笑みは、どこか背筋に寒気を感じさせるものだ。
ギーシュは一日に一度はこのゾクゾクを感じないと、最近はどこか物足りなさを感じるようになっていた。
恋人のモンモランシーは嫉妬をどんどんつのらせているが、ギーシュは気づいていない。
「ところで、さっきから何をしているんだい?」
「魔法の練習よ、まあ見てて」
ルイズはとことこと歩いていき、10メイルほど向こうの焦げ付いた石の上に木片を置いた。
戻ってくるとルイズは目を閉じた。深呼吸し、体の力を抜いた自然体をとる。
おもむろに杖をかまえ、ルーンを唱える。
『錬金!!』
ドカーン! と音が鳴り、小規模な爆発が木片を吹き飛ばした。
ギーシュは知らないことだが、ルイズは『死体爆破』の操作のコツを失敗魔法に応用したのだ。
「ほう、見事なものだね」
「うん、失敗魔法の爆発を、なんとか制御できないかと工夫してみたのよ」
「なるほど、威力も申し分ない……消耗が少なく、しかも回避不能かい? なんとも恐ろしい魔法だね」
「そうよ、これが私の魔法……射程はちょっと短いけれどね」
ルイズはその貧相な胸を張り、ギーシュに輝くような笑顔を向けた。
クラッとなるギーシュ。いかんいかん、僕にはモンモランシーがいるではないか。
「なるほど、『爆発を制御する』か……」
これは面白いアイデアかもしれないぞ、頭を働かせながら、ギーシュは表にまわった。
そこには室内厳禁の危険な薬品をいじるコルベール、それに付き合うギトーがいた。
「ごきげんようミスタ・コルベール、何をしているんですか」
「やあミスタ・グラモン、今私とミスタ・ギトーは『爆裂ポーション(Exploding Potion)』の液体を精製しているんだよ」
「火の秘薬ですか? 液体なのに、水の魔法ではないのですね」
「うむ、通常の火の秘薬、『硫黄』は火の力で精製されるものだ、これは液体なのに硫黄の何十倍も強力だ、とても新しい発想だよ」
目と頭を輝かせるコルベール。春の使い魔召喚よりこのかた、彼の頭の輝きは五割り増しである。
「ただちょっと威力が強力すぎて取り扱いに注意するがね……なのでギトー君に付き合ってもらっている」
衝撃に弱い、火に弱い、寒暖の差に弱い、日光に弱い……
ルイズの持つ『爆裂ポーション』は、当初の威力の大部分を犠牲にして、制御に特化したものなのだ。
ビンと液体だから弱い、ならば……もしかすれば、ああすればいけるんじゃないか?
ギーシュの『土のメイジ』ならではの直感が、心の中で『これがチャンスだ』と叫んでいた。
「ミスタ・コルベール!!」
「どうしたのかね、ミスタ・グラモン」
「『土』にしみこませて、固めて持ち運びできるようにすれば……」
コルベールの目が驚愕に見開かれた。ギトーも、当の発言をしたギーシュすらもが驚いている。
それは明らかに、今後の研究の発展を約束できるアイデアだった。
「す、す、素晴らしい!! それだ!! 素晴らしい発想だ!! どうして思いつかなかったんだ!!」
万感の思いを込めて、コルベールは叫んだ。
安全性と取り扱いのしやすさを高めれば、平民にだって使える。
メイジと比べ、創意工夫は平民の極めて優れた技能である。
土のメイジ頼りだった土木建築や鉱物の採掘が、これからは段違いの発展を遂げるだろう。平民の生活も楽になるはずだ。
「危険な実験のあつかいは全部、僕のゴーレム『ワルキューレ』にお任せください!」
「ああ、あなたは本当に素晴らしい生徒ですぞミスタ・グラモン! 必ずや完成させよう!!」
「はいッ!!!」
ギーシュとコルベールはこの日、ハルケギニア版『ダイナマイト』の発明家となった。
――コルベールは後年、製薬会社と爆薬会社その他で得た莫大な利益をもとに、
かつての自身のようなハルケギニアの孤独な発明家、文学作家、そして平和活動をする政治家などを支援するための制度『コルベール賞』を設立することになる。
////7-2:【学院長秘書の健闘】
虚無の曜日……本日の当直はシュヴルーズ。
『土くれのフーケ』は今夜こそを決行のタイミングと定めていた。
一年半もの潜伏、下調べ、シミュレーションは完璧、逃走経路も確保。
固定化のかかっている頑丈な壁には、時間をかけて少しずつ少しずつ、いくつも細い穴をあけていった。
隙を見つけて、この穴に例のブツをぶち込んでゆく。等間隔に、衝撃がうまく一点に伝わるように。
スクウェアメイジの固定化だって、人間がやってるぶんにはムラがある。
『土くれ』の目にかかれば、それを見抜くのはたやすい。
先日見たとおりのひどすぎる威力なら、ここまでやれば固定化の魔法だってある程度吹き飛ばしてくれるに違いない。
ギトーやオスマンさえ出て来なければ、成功率は安心レベルだ。
彼らにはその時間、別の仕事を押し付けてある。さっさと盗んでとんずらだ。
さあ宝物庫に眠る『氷の杖』、盗み出して売りさばけばいかほどになるであろうか―――
////7-3:【街は危険がいっぱいなの】
「街に行きましょう!!」
キュルケの一言に、ルイズとタバサはげんなりとした顔を見せる。
二人とも最近はあまり外に出歩くことはない、はっきり言って出不精である。
ルイズは『幽霊屋敷』にいる間は、放っておけばずっと秘術やら魔法やらマジックアイテムの研究をしつづけている。
タバサはタバサで読書ばかり。
「こんな寂しいところにこもってばかりいたら、体の心まで辛気臭さがしみついちゃうわよ」
この言葉は、キュルケの本心である。
『幽霊屋敷』にいれば退屈はしないのだが……たまに息がつまりそうになる。息抜きくらいあってもよいように思う。
なにより、ここには華がないのだ。ちょっとは年頃の女性らしく街に出て遊んだってよいではないか。
「……そんなに寂しくて辛気臭いところかしら、ここ?」
ルイズは<ホラドリック・キューブ>を弄りまわす手をとめて、何を言われたのか判らないという表情で、キュルケに顔を向けた。
この白髪の少女、相変わらず目の焦点が合っていない。キュルケはなかなかそれに慣れることができない。
ともかく、キュルケから見ると、ルイズが何を言っているのかのほうが判らない。
「当然じゃない、微妙にうす暗いし、じめじめしているし、ネズミの骨は転がってるし、死体の入った棺おけまでがあ……る、のよ……」
そこまで言ってしまってから、キュルケの背筋に冷たいものが走りはじめる。
ようやく、ルイズが何を言おうとしているのか、理解が追いついてきたからだ。
「―――こんなに華やかなのに、ほら今日もお客さんがたくさむがもが」
「はいストップ」
ルイズが虚空を指さして言った台詞をキュルケが遮り、タバサが本を取り落とし、青い顔をして立ち上がった。遅かったようである。
「……街に行く、すぐ行く」
「まあ、珍しくアクティヴですこと」
ルイズの言葉を聞き流し、タバサはそそくさと『屋敷』から出ると、口笛で使い魔のシルフィードを呼んだ。おそらく、いたたまれなくなったのであろう。
二対一、多数決である。ルイズもしぶしぶといった様子で、キューブをプライベートスタッシュへと仕舞い込んだ。
『土くれホイホイ』の罠を仕掛けられたソレは、侵入者が開けようとするとそれはもう目も当てられないことになるだろう。
どうせ制服のまま出かけるので、準備にはほとんど時間もかからない。
ルイズは換金目的の物品の詰まった袋を背負うと、髪の毛の手入れもそこそこに屋敷から出てきた。
「ちょっとルイズ、もうちょっと手入れに気をつけなさいよ、ボサボサじゃない」
「仕方ないわ、時間が足りないんだもの……あーあ、一日が40時間くらいあればいいのに」
上空、シルフィードの背の上、タバサの張ったエア・シールドの中で、キュルケはルイズの白い髪の毛にそっと櫛をいれてやる。
以前のやわらかさとピンクブロンドの輝きを失ったそれは、白くかさついていて、ひどく不健康なものに見える。まるで古びた人形のそれだ。
キュルケはそれをもったいないことだと思い、ため息をつく。
(……あれ?)
キュルケはふと手をとめる。
ルイズの髪の毛の中に、ほんの数本ほどだが、白髪ではなく、透き通るような薄い灰色の髪の毛が混ざっている。
最初は以前のような桃色がかったブロンドに戻りつつあるのか、とも思ったが、どうやらそうではないようだ。
「どうしたの? キュルケ」
「……いえ、何でもないわ」
今は白髪のそれら、すべてがこのうす灰色の髪の毛に変わったら―――
まるでルイズの呼び出したあの死体と同じような、銀色の頭髪になってしまうだろう。
良く知ったルイズが、ますます訳のわからない何か別のものへと変わってしまいつつあるのではないか。
そこまで考えて、キュルケは背筋が寒くなった。
気取られないように、そっとかぶりをふった。まだだ、まだ大丈夫なはず。
わざわざ口に出して、いたずらにこれ以上タバサを怖がらせるのも、良いことではなかろう。
やがて、シルフィードは王都トリステインの城下町に到着した。
休日ともあって、それなりに道は混雑している。
ひと目見て貴族だとわかる少女が三人歩いていれば、メイジくずれのごろつきにとっては格好のカモだ。
とはいえ三人のうち二人がトライアングルともなれば、話は別である。
どこにでも居そうな特徴の無い男とすれ違った直後、突然、キュルケが杖を取り出し、構える。
「……ちょっとルイズ、今あなたのお財布が」
「ええ気づいているわ、『拾いに』行きましょう」
ルイズは薄く笑って歩みを進めた。キュルケは目を白黒させ、杖をしまってついてゆく。
路地裏に入ると、ルイズから魔法で掏り取った財布を握り締めたまま、昏倒している男が一人。
ルイズは男へと近寄ると、財布を拾った。
―――フワン
「よくやったわ、タマちゃん」
どうやらこれはルイズの使い魔のお手柄らしい。白い髑髏の火の玉が、ちろちろと燃えている。
男はおそらく、この炎の人魂によって生命エネルギーを吸い取られてしまい、動けなくなったのだろう。
ルイズは嬉しそうに目を細め、ボーン・スピリットはルイズの周りをくるくると二三度飛び回ったあと、少女の体内へと吸い込まれるように消える。
くるり―――げしっ
笑顔を崩さないルイズは予兆もなく、振り向きざまに無言で、無抵抗な倒れている男の腹部を思い切り蹴った。
その衝撃で男が気絶から復活したのかどうか、うぐぐ、と低いうめき声が聞こえた。
「さあ行きましょう」
瞳孔が開きっぱなしの目でにっこりと笑って、ルイズは二人を促して歩き始めた。
(やっぱこの子、めっさ怖っ……)
キュルケは改めてそう思った―――抵抗できない相手にノーモーションの無言の追い討ちとか、怖すぎる。
貴族の所持金に手を出してこの程度で済んで、男にとって良かったのかもしれないが……人としてそれ以前の問題だ。
隣のタバサがぎゅっと手を握ってきたので、キュルケはそれをそっと握り返してやることしかできなかった。
////7-4:【すれちがい】
少女たち一行が、路地裏より去ってしばらく―――
(む、こりゃ……残り香?)
偶然この街に用事があってやってきた、とあるガリアの元暗殺者が、かぎなれた匂いに気づいていた。
(死の匂い……アンデッド? ……いや、かなり聖浄なもんだな……よくわかんねえ、あっちから流れついたアイテムでも使われたのか)
足元を見ると、男が倒れている。その男の顔色は青く、うぐうぐと唸っている。
(ま、最近じゃそんなこともありうるか……しっかしまあ、トリステインはボケるほど平和なもんだとばかり思っていたが)
元暗殺者の『彼』は、そっと立ち去りつつ、あごに手を当てて考える。
(……このぶんじゃ、この国もそのうちグラン・トロワやアルビオンみてえな事になっちまうかもな、くわばらくわばら)
『彼』のすこし長めのスカート、ほっそりしたラインの腰には、一本のナイフがくくりつけられていた。
(おっといけねえ、ともかく今はお使いの途中、この街には、そうとう値段が張るが良く効く秘薬があるって噂だ、買いにいかねぇと)
足早に歩みゆく『彼』の姿は、誰がどこからどう見ても、ただの少女にしか見えない。
この少女と、ルイズたちが出会うような運命は―――いましばらくのところは、無いようだ。
////7-5:【やっべ捕まった】
トリステイン城下町での買い物は滞りなく進んだ。
ルイズの持ってきた品物の換金もうまく行き、浮いたお金でチクトンネ街のレストランにクックベリーパイを食べに行ったりもした。
白髪の少女、ルイズはいつにも増して上機嫌である。
「うふふふふ……いいわあ、いいわあコレ」
帰りの道中、シルフィードの背中の上で、ルイズは鞘から少しだけ抜き出した古そうなボロ剣にほお擦りしていた。
まったく、この少女の行動は読めない―――それはいつものことだとタバサは涼しげな顔をしていたが、キュルケは呆れ顔だ。
王都にて三人は、ルイズとコルベールの調剤の仕事の都合で、途中ブルドンネ街、ピエモンの秘薬屋に寄って書簡を届けたのだった。
そのあと近くにあった武器屋に入ったところ、どうやら大きな価値のある掘り出し物を発見してしまったらしい。
それがこの錆の浮いた年代ものの剣らしいのだが。
―――カタカタカタ
ルイズがほお擦りするたびに、剣はまるで怯えるようにかたかたと柄を揺らした。
「……クスクス、そんなに怖がらなくてもいいじゃない……たっぷり人を切ってきた剣のくせに、まったく情けないわねえ」
笑顔で剣にほお擦りし、あげく剣へと話しかける目の焦点の合っていない少女。
これはちょっとアブナすぎる。
キュルケはこんなとき頼れる医者が果たして学院に居たかどうかを検討し、数秒で絶望した。どんな医者も匙を投げるだろうと思われたのだ。
まさか、剣が答えを返すはずも無い……と、思っていたのだが。
「返事してくれないのね……そうだ、親睦を深めるためにこれからは『デルりん』って呼ぼうかしら」
「か、勘弁してくれ!! んなメルヒェンな呼び名、柄(がら)じゃねえ!!」
少女三人プラス竜しかいない空の上、低い男性の声が響く。
すわ幽霊か―――とタバサがびくりと背筋を震わせたところ、やがて勘違いだと解る。
「何ソレ? インテリジェンスソード……珍しいわね」
「そうよ、本当に珍しいわ。ハルケギニアじゅう探してもこれ以上の剣はなかなか見つからないくらい」
キュルケがよく観察してみると、男性の声は、ルイズの手にした剣から発せられているようだった。
ルイズがこの剣にどんな価値を見出しているのかは、不明である。キュルケの目から見たら、ただ喋るだけの古びた剣なのだから。
「娘っこ、あんた何なんだよちくしょう、<使い手>の同類のくせに、もっとやべえ、得体が知れねぇ……何なんだよあんた、何なんだ……」
「さっきも自己紹介したじゃない、私はルイズ、トリステイン魔法学院の生徒よ」
「んなこと聞いてる訳じゃねえ、あんたに手にされてると、よくわからん深いところに飲み込まれちまいそうだ……何なんだよう、あの武器屋に戻してくれよう」
どうやら剣は、ひどく怯えているらしい。キュルケは今日この日まで、まさか生きているうちに剣に同情する日が来るとは思っても見なかった。
「うふふ、だぁめ」
ルイズはにっこり笑うと、震える剣のぼろぼろの柄に、そっと触れるようなキスをする。
「観念しなさい、あなたは私の買った剣……そして私はあなたのご主人様よ」
夕日に照らされたルイズの仕草は、傍で見守っていた同性のキュルケも思わずどきどきするほどの、不思議な魅力に満ちていた。
「だから、あなたはこれからは私の剣、私の騎士……よろしくね、デルフリンガー」
剣が黙り、震えが止まったので、それを了承と受け取ったのかルイズは満足そうに微笑んだ。
////7-6:【侵入】
空も暗くなってきたころ。
学院のはずれ、ルイズの『幽霊屋敷』では、ひとりの女性が侵入を試みていた。
ローブにフードを被り、あたりを見回し、人が居ないことを確認する仕草は怪しいことこのうえない。
ルイズたちはまだ街から戻ってきていないようだ。さきほどまで居たメイドは逃げるように帰ってしまった。
『アンロック』の呪文をとなえれば、古びたドアは不気味な音をたて、あっさりと開く。
女性は満足そうにうなずくと魔法の明かりをともし、薄暗い室内へと入っていった。
おどろおどろしい雰囲気、謎の薬品のにおい、床に散らばる動物の骨に、女性は顔をしかめる。
―――ぎいっ
冷や汗が背筋をつたう。ぼろっちい窓が風にあおられて軋んだらしい。
女性は手のひらの汗をぬぐい、杖を握り締め、室内を物色する。
室内には大きな棺おけが鎮座しており、隅のほうには宝箱。
女性はにやりと口の端をゆがめ、そろりそろりと宝箱へと近づく。
目当てはもちろん、中のマジックアイテムである。
この宝箱に入っているもの……ひょっとすると、学院の宝物庫にあるモノよりも価値があるかもしれない。
そんな期待を胸に抱き、いざ宝箱へと手をかけ―――
『""A circle of death...""』
誰もいない室内の闇に、低い性別不詳の声が響く。幻聴ではなく、確かに聞こえた。
「――っ!!」
女性は声にならない悲鳴を上げ、室内は大量の毒の煙で緑色に染まる。
窓のよろい戸が落ち、入り口の扉が閉まる。
説明するまでもないことだが、『土くれホイホイ』の罠が発動したのである。
彼女はあわててゴーレムを作り出そうと杖を構えたが、毒の煙を吸い込んだのか、やがて手から杖が落ちる。
もはや女性に逃げ場は無かった。
////7-7:【そして、捕縛】
ルイズ達は、戻ってきてすぐに『幽霊屋敷』の異変に気づいた。
「罠が発動しているわ……誰かが侵入したみたいね」
「『土くれのフーケ』かしら?」
「……いずれにせよ、油断はできないわ」
ルイズは『イロのたいまつ(Torch of Iro)』をしっかりと握ると、魔力を流す。杖の先の宝石が、ぼんやりと淡い緑色の光を放つ。
「『骨の鎧(Bone Armor)』!」
ルイズの周りに、異世界の魔獣の骨が召喚され、少女を守る盾となる。
この盾は敵の攻撃から自動的に術者の身代わりとなり、ラズマの脆弱なネクロマンサーを守ってくれるのだ。
キュルケは魔法を使えないはずのルイズが怪しい術を使ったことに驚き、目を丸くしたが、今はそれどころではない。
豊満な胸の谷間から愛用の杖を取り出し、身構える。タバサも『エナジー・シールド』を身にまとい、突入に備えている。
「皆さんどうしたのですか?」
「ミスタ・コルベール、良いところに来て下さいました! 屋敷に侵入者です、まだ中に居るかもしれません」
「ふむ……解りました、協力しましょう」
ルイズたちが戻ってくるのを待っていたらしい中年教師を、巻き込む。
これでこちらにはトライアングルメイジが三人。確実に安全とは言い切れないが、それでも心強いことこの上ないだろう。
「『クレイ・ゴーレム』! 『ボーン・スピリット』!」
万が一倒されても問題の無いゴーレム、そして『タマちゃん』を先頭に、四人は『幽霊屋敷』へと突入した。
ルイズ達が目にしたのは、倒れている人間がひとり。ゆったりとしたサイズのローブを着ているが、どうやら女性のようだ。
「ねえキュルケ、……これが『土くれのフーケ』?」
「タバサの推測は外れかしら……ミス・ロングビルじゃ無かったのね」
暗くてよくわからないが、倒れている女性の髪の色はブロンドのようだった。
体型も、ミス・ロングビルのように豊満ではない。主に胸のあたりが。
「やったわねルイズ、あたしたち……ひょっとすると『土くれのフーケ』を捕らえたのよ」
「そうねキュルケ、お城に突き出せば、金一封……いえ、シュヴァリエの称号でももらえるかしら……うふふ」
タバサが杖を取り上げ、コルベールが『錬金』で作った手枷をはめる。ルイズは愉快そうに笑った。
「ルイズ! ちょっと、この人……」
蝋燭の明かりが室内を照らし、いざ侵入者の顔を見たとき、キュルケは青ざめる。
もちろんミス・ロングビルではなかったが、どこか見覚えのある風貌をした人物だったからだ。
「……」
ルイズの笑顔も引きつった。
ルイズにとっても、見覚えのありすぎる人物だった―――それも、物心ついたばかりのころから。
「ねえルイズ、この人って、あなたの……」
「キュルケ」
ルイズは笑顔を引きつらせたまま、びしっと手を突き出し、少し低い声で、キュルケの言葉を制する。
大きく深呼吸をする。罠が発動したときの室内の毒はとっくに晴れており、窓からは月明かりが差し込んできている。
「なんてこと……チッ、アカデミーめ……もうこっちに目をつけたのかしら……早すぎない?」
少し舌打ちをして、大きくため息をつくと、ルイズは無表情になり、じっと『侵入者』の顔を眺める。
毒にやられて気を失っているのは、エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエール。
王立魔法研究所"アカデミー"の優秀な研究員であり、ルイズの11歳年上の姉である。
性格はきつめで男勝り、ルイズが絶対に頭の上がらない、大の苦手な存在のひとり。
……うわぁ…………
ルイズを見守る一同のあいだに、いたたまれない雰囲気が満ちる。
「……ちょっと、ルイズ、どうするのよ?」
「命には別状ないけれど、普段使ってるのよりもちょっと強めの毒だから、解毒剤をのませてもたぶん三日は動けないと思うんだけど……」
キュルケが心配そうな声をかけ、ルイズはあごに手を当てて思案する。ルイズは足が震えているようだが、表情はいつもどおり、平気そうなしぐさである。
タバサとコルベールもようやく侵入者の正体に気づいたようで、呆れ顔で事態を見守っている。
静寂が室内に満ちる。
どこかでフクロウの鳴き声がした。
しばらくの熟考のあと、ルイズはぽん、と手をたたくと、満面の笑顔になって、結論を言った。
「うん、埋めましょう」
笑顔のままゴーレムにスコップを用意させているルイズ――どうやら本気らしい――を、三人が必死になって止めたのは言うまでもない。
////7-8:【爆弾移送中……】
エレオノールは始終気絶したままだったが、拘束を外され、こちらへ来たときの馬車でヴァリエール公爵領へ送り返されていった。
『スミマセンスミマセン何度もお止めいたしましたのに私では力不足でしたああこんな結果になってしまい申し訳ありません命だけは』
と壊れたアルヴィーズ人形みたいな動きで平謝りするシエスタ――姉より案内を任されていたらしい――を、ルイズは笑顔で許した。
アカデミー研究員が妹の家に空き巣、などというある意味不名誉な事態は、五人の間で相談の上、秘密にされることになった。
もしも衛兵に突き出せば、いらぬ騒ぎを起こしたとしてヴァリエールの家紋に泥を塗ってしまうことになるであろう。
むろん、姉は学院へと客分としてやってきており、用意周到に妹の部屋を訪問する許可はオスマンに取っていたし、罪になることはない。
自分に逆らえない妹の部屋だから、と無断で侵入してきたのだろう。もちろんマジックアイテムを取り上げる気も満々だっただろう。
ルイズも平時であれば顔をしかめつつも普通に対応したであろうが、今は時期が悪かった。『土くれのフーケ』のせいにするしかない。
「ウフフ、さようならお姉さま、二度と会わないことを祈っているわ」
去り行く馬車へと笑顔でハンケチを振るルイズ、その妙に生気あふれる背中を見て、キュルケは本日何度目か解らなくなったため息をつく。
(倒れているところを蹴らずに済ませたのは、一応姉妹としての情があるからかしら? ……いえ、埋めようとしてたわよね、割と本気で……)
これが火種になって、そのうち姉妹の間で戦争でもおきるんじゃないかしら。
冷や汗を流しつつそんな思索をしていると、腕の中でルイズの買った剣がカタカタと震えた。
「……怖ええ、怖ええなあ、あの娘っ子……ああ、俺っちの将来が心配だあ」
「そうね……その、これからいろいろとつらいこともあるでしょうけれど……強く生きてね、応援するわ」
ひょっとすると、こいつとは良い友人になれるかしらね、とキュルケは手にした剣をそっと撫でた。
キュルケは今日この日まで、まさか生きているうちに剣と友情を結ぶ日が来るとは思っても見なかった。
今夜は二つの月がきれいね、と本塔のほうを眺めたとき、異変が起こる。
―――ドドドォン
轟音。
月夜にそびえる本塔、ならびたつのは小高い丘のように大きな黒い影。
全長三十メートルはあろうかというゴーレムだ。
タバサは口笛を吹いて自分の使い魔、シルフィードを呼んだ。
「ルイズ!」
キュルケの掛け声に、ルイズとコルベールがタバサへと駆け寄る。
シルフィードが到着し、タバサは三人へと背に乗るように促す。
「ルイズ、こっち来なさい」
「ふのっ!?」
『フライ』の使えないルイズを、キュルケが抱きあげて飛んだ。ルイズの身体は、思ったよりもずっと軽かった。
ルイズはキュルケの胸に顔が埋まってしまい、変な声を出した。呼吸が難しいようで手足をじたばたとさせている。
上空へと上がると、地上では豆粒のようなルイズのゴーレムが寂しそうに右往左往しているのが見える。
「大変、あそこは宝物庫」
タバサが杖で指した先には外壁に大きな穴を開けた本塔、拳を突き立てる巨大なゴーレム。
―――今度こそまごうことなき、『土くれのフーケ』だ。
「おかしいですな、本塔の壁には強力な固定化がかかっていたはずです、あれしきで破れるはずがない……」
「失礼ですがミスタ、今それを考えている時間はありませんわ」
「ふむ、そうですな」
杖をかまえ、呪文を唱える三人。
『『ファイアー・ボール!!』』
『アイス・ジャベリン!!』
タバサ、キュルケ、コルベールがそれぞれ得意の魔法を放つが―――ゴーレムには目にみえた効果がおきなかった。
多少は崩れたとしても、すぐに再生してしまうのだ。
「ミスタ、あの大きいのを如何にかする方法はありませんこと? ……たとえば再生できなくなるほど、粉々に吹き飛ばす道具とか」
キュルケの問いに、コルベールの額とメガネがキラリと光る。にやりと笑い、彼は言った。
「ふむ、私の研究室に置いてある『ハジける蛇くん試作Ver.』なら何とかなるかもしれません……そうですな、こんなこともあろうかと!」
「ではミスタ、それを持ってきて下さいな……あたしたちはあれの足止めをいたしますから」
なるべく早く取ってくる、と言い残し、中年教師は旋回するシルフィードより飛び降りていった。
「足止めをする、と言ってもアレはきついわね……ルイズ、何とかならない? ……って、大変!」
ずっとキュルケの胸に顔面を圧迫されていたルイズは、ぐったりふにゃりととろけた表情で、真っ白な顔色になっていた。
慌ててタバサが口の中に『回復ポーション』を突っ込むと、げほげほと咳き込みつつもルイズは復活した。
「あとで……もいでやる……」
「ひっ」
息を呑んで震えるキュルケを焦点の合わない目で一瞥したあと、ルイズはゴーレムを観察しはじめる。
―――術者を探して頂戴、と『ボーン・スピリット』を飛ばす。ルイズは自動追尾の使い魔で、賊のうかつな逃走を封じるつもりだ。
「キュルケ、さっきの剣」
「も、持ってきて無いわよ、重たかったし」
「まあいいわ、さっきのとこに置きっぱなしなのよね?」
キュルケが頷くと、ルイズは『イロのたいまつ』を握り締め、なにやら目をつぶって集中しだした。
しばらくして、地上の大きな土くれのゴーレムへと、何か小さなものがてくてくと近寄っていくのが見えた。
それはフーケのゴーレムの十分の一ほどしか背丈の無い、ルイズのゴーレムだった。よく見ると、手にデルフリンガーを掲げている。
「……何よアレ、子供と大人……いえ、子猫と象って感じね」
「うっさい、黙ってて」
さながら古い御伽噺に出てきた、風車に突撃する耄碌した騎士のようだ―――
ルイズは目を開き、まばたきもせず、ただ無表情。必要以上に瞳孔のひらいた瞳で自分の作ったゴーレムを見つめるのみ。キュルケは不安になってくる。
この盗賊のゴーレムは風車と違って俊敏に動き、腕を振り回し、その大質量でもってあらゆるものを踏み潰すのだ。
ルイズがゴーレムを作れたとは初耳だが、あんな小さなので何とかなるとでも思っているのだろうか。
ブンッ――― ドドオオッ!!
巨大なゴーレムが腕を振り、シルフィードに向かって土の塊を飛ばしてきた。相当な勢いがあり、当たればただではすまない。
タバサは巧みに風竜をあやつり、その攻撃をかいくぐって、ゴーレムのそばをかすめるように飛ぶ。
さあ、ここが射程距離―――
「『アンプリファイ・ダメージ!!』……さあ、いっけえゴーレムちゃん、ロー! ロー!」
ルイズが杖を振りかざし、まがまがしい色をした火の粉を飛ばしながら大声で叫んだ。タバサは再びシルフィードを遠ざける。
小さなクレイ・ゴーレムは手にしたデルフリンガーを振りかぶり、フーケのゴーレムの足首にぶつける。
ゴーレムに剣が扱えるはずもなく、剣術とも呼べない、ただの力任せだ。足は少しだけ崩れたようだが、むろん巨大なゴーレムは健在であった。
「な、何考えてやがる娘っ子ぉーっ! 無謀すぎる! このままじゃつぶされちまう! 助けてくれーっ!」
ルイズはゴーレムに命じ、執拗に足首を狙って攻めさせている。可哀想な剣の嘆き声が、上空のキュルケにまで聞こえてきた。
足首の崩れた部分は瞬時に再生してしまい、ルイズのゴーレムの攻撃はほとんど効果が無いようだ。
何度壊しても再生するのであれば、たしかに足を狙って倒壊させるのは定石であろうが……
「ああっ、あぶない! 踏み潰そうとしてるわ!」
「耳元で怒鳴らないで!」
キュルケがルイズの肩を掴んで怒鳴ってもルイズは聞き入れようともしない。
やがて、ルイズのささやかなゴーレムと古い剣は、キュルケの言ったとおり―――
どすぅううん!!
「ひぎゃぱあぁ!!」
剣の悲鳴すら飲み込んで、無惨にも踏み潰されてしまった。
「……ああ、やられちゃった……言わんこっちゃ無いわ」
「大丈夫、まあ見ててよ」
キュルケとタバサは顔を見合わせる。やはりルイズには何か策があったのだろうか?
―――ぐらっ
どどどどぉーん
思索は轟音によって中断される。
三人の見守るなか、フーケの巨大なゴーレムは、ルイズのゴーレムを踏み潰したその足から崩れてゆき、バランスを崩し、倒れる。
月夜にもうもうたる土煙の舞う中、やがてゴーレムは完全にもとの土くれへと戻っていってしまった。
いったい何が起こったのだろう?
「うふふ……デルフリンガーはね、魔法を吸い取ってくれるのよ……魔法構造物が相手なら、効果はばつぐんってところかしら!」
ルイズは自慢げにそう説明した―――らん、たたらてぃうん♪……などと、ひどく上機嫌そうに、鼻歌まで飛び出してきた。
キュルケはあいた口が塞がらなかった。
「―――仕留めなさい! 『ボーン・スピリット』!!」
ルイズのゴーレムと同じように、フーケのゴーレムも囮だったのであろう、土煙とこの混乱にまぎれて逃げ去ろうとしている人影があった。
極めて高い誘導性を持つがゆえ、対人戦に無類の強さを発揮するボーン・スピリットから、果たして逃げきれるか―――と、ルイズは哂う。
ずぅおんっ―――!!
とたん、シルフィードへと飛来する攻撃魔法。
『ストーン・バレット』だ、錬金で作られたいくつもの槍が風切り音をならし、あわてて高度を下げたシルフィードのそばを、掠めてとおりすぎる。
直撃コースのものには、ルイズの周囲に展開されていた『骨の鎧(Bone Armor)』が反応し、ひとつが身代わりとなってその攻撃を受けた。
乾いた音、ばらばらに砕け散る盾、砕け散る石のつぶて。白い髪の毛が風にまくられて、ばっと翻(ひるがえ)る。
すっ―――たらり
石の破片がかすったのか、ルイズの頬からひとすじの血が流れた。ルイズは微塵もひるんだ様子をみせずに虚空をみつめており―――
「……うふふ、ははっ……あはっ、あーっはっはっはは! あーっはっは!!! ははっ、あーーーははあははははっは」
笑った。それはもう、心のそこから楽しそうに。ははは、ははは―――
『イロのたいまつ』が発光し、空中に緑色の模様を描く。ルイズの体中から、青白い霊気がたちのぼる。
唇の端は孤(こ)のように吊り上げられ、見開かれた目ははてしなくうす昏(ぐら)い深みをたたえ、まるで周囲の光さえも吸い取っているようである。
…………あはは、ハハハ、ははは―――
タバサが震える手でキュルケの二の腕を掴んできた。もう限界らしい。
キュルケは、良く頑張ったわ、とタバサをそっと抱きよせてやりながら、笑い続けるルイズを見て、思った―――
……
―――……
―――どうみても手遅れです本当にありがとうございました
「あははは!! ……みぃつけた!! そこ! そこね! 今いくわ待ってて! ねえ! あっ―――………待ちなさぁあいそこのおッ!!!」
さあっ―――と、周囲を警戒していた白い炎のガイコツの人魂がびくんと跳ね、空を走る。ルイズから流れ込む霊気をその身に宿し、不気味に輝く。
目標を発見し、光の尾をまきちらし、矢のように飛び、逃げようとしている黒い影―――土くれのフーケへと襲い掛かる。
ルイズに襲われているのはフーケだというのに、キュルケの腕の中のタバサが「ごめんなさい、母さま、母さま」と耳をふさいで怯えていた。
キュルケはタバサをぎゅっと抱きしめて、気づけば、大丈夫、大丈夫、大丈夫、となんども繰り返していた―――まるで自分に言い聞かせるかのように。
はいもちろん待ちますわルイズ、ごめんなさいね、でもあたしとタバサは何を待てば……
バシッ―――
直撃を示す閃光、鈍い炸裂音のあと、小さな悲鳴が聞こえ、影は倒れた。
ルイズの頬の傷が―――おそらく使い魔がたったいま敵から吸い取った生命力を還元されたのだろう、みるみるうちに塞がっていった。
―――こうして『土くれのフーケ』はあっさりと捕縛されることになる。
結局のところ、コルベールの出番は無かった。秘蔵の発明品『ハジける蛇くん試作Ver.』は、どこを探しても見つからなかったという。
あとで判明することだが、フーケが宝物庫の壁を破るために盗み出しており、すでに使用されていたのだった。
それがいけなかった、とフーケは獄中で語った―――威力が強力すぎて天井まで崩壊し、目当てのお宝が瓦礫に埋まってしまったのだそうだ。
逃げる時間が遅れ、やむなく戦闘するしかなかったのだという。
コルベールはギトーを連れて現れたが、すでに事件がひと段落していたことに安堵しつつも、どこかがっかりとしていた。
彼の残り少ない頭髪も、寂しげに風にゆれていた。
「畜生……焼きが回ったね」
「驚いた、まだ意識があったのね……よほど生命力に溢れていたのかしら」
「フン、こんな商売やってりゃね、……しぶとくないと、生き延びられないもんさ」
土くれのフーケ―――ミス・ロングビルは、真っ青な顔をしており、血の気の抜けた紫色の唇がぶるぶると寒そうに震えていた。
シルフィードから降り立ったルイズたち三人を、親の敵でも眺めるかのようににらみつけている。
逃げようにも体が動かないようで、杖を取り上げられおとなしく拘束を受け入れた。
「きっと縛り首でしょうけど……来世は幸多き生涯を送れるようになるといいわね……ミミズかオケラかアメンボか知らないけれど」
私は差別しないわよ、友達になれるかもしれないわ……うふふ、と言いながらルイズはにやりと微笑み、しゃがみこんで、ロングビルの冷たい頬を撫でた。
フーケが嫌そうにすこし身をよじった。たっぷりと体力を吸い取られたフーケの冷え切った体温よりも、ルイズの手のほうがずっと冷たかったからだ。
ルイズの目には、悲しそうな色をした多くの幽霊たちの姿が映っている。何かが出来る訳でもなかろうに、みな、ルイズを取り囲んでいる。
まるでこの盗賊を守ろうとしているかのように。
(……へぇ、こいつ、愛されてるわね……やりにくいわ)
どうやらこれでも、よほど人望のある女らしい。フーケに憑く幽霊たちは、夫婦だとわかる若い男女ばかり。いわゆるアルビオン趣味の服装だ。
きっとこの盗賊は、いまだ内乱うずまくアルビオン出身で、その戦災孤児たちを何人も引き取って育てているのだろう。
世の中とはかくも厳しいものなのか、とルイズは少し寂しく思った。
ぴん―――額から背中へと針と糸の通るような感覚……ふと、相手の運命の一端がかいま見える。ルイズは気づいた。
「あれ……不思議! あなた、まだ死相が出ていないわ、相当に悪運が強いのかしら」
「……本当かい? 慰めは要らないよ」
ルイズの一言に、ロングビルが反応する。どうやらこの不気味な白髪のメイジの占いは当たるらしいと、学院内でも噂になっているのだそうだ。
「でも、ろくな仲間に恵まれないわ……もし逃げおおせたとしても、もっとたちの悪いやつに捕まるわよ」
「ふふっ、そりゃあ大変だ……あんたよりたちの悪そうな奴なんてそう居ないと思うがね―――せいぜい気をつけることにするさ」
ロングビルは観念したように薄く笑い、瞳を閉じた。体力の限界だったらしい。
(……あれ、どう見ても普段どおりの白髪よね……さっきのは見間違いだわ……そうにちがいないわ、たぶん)
キュルケの目には―――タバサをなだめるのに必死で、あまり直視できなかったが―――
先ほどの戦闘中のルイズの白い髪の毛が、銀色に輝いていたように見えていた。
視線の先のルイズは、満面の笑みを浮かべながら、フーケから奪い返した『氷の杖』とやらを手にして嬉しそうにいじくりまわしている。
あの様子では、土の山に埋まったままの今回一番の功労者―――デルフリンガーが救出されるのは、かなり後のことになりそうだ。
―――世間を騒がせていた土くれの盗賊事件は、幕を閉じた。
今はこの頼りになる友人が、どこかこれ以上に遠いところへ行ってしまわない事を、ただ祈るのみであろう。
土煙の晴れた夜空には、二つの月が並んでいる。
先ほどの戦闘中にキュルケが見た、月の光に照らされたルイズの哄笑(こうしょう)は、この世のものとは思えない恐ろしいものだったから。
(でも……ま、今さらよね……)
この先どう間違えても、今以上ひどいことには成りようがない、そうにちがいないわ……さあ楽しいことを考えましょう、そうしましょう。
こうしてキュルケは現実逃避し、明日行われるであろうフリッグの舞踏会のドレスのことを考え始めた。
////【次回、舞踏会……へと続く】