//// 30-1:【とかくこの世は住みにくい】
凄腕の剣士アニエスさんは、来たるべき女王の戴冠とあわせてシュヴァリエ叙勲が内定している、24歳の女性だ。
平民ごときがシュヴァリエなど身に余る……と、王宮内でまだまだやっかみや反対意見があったり、戴冠式が諸事情により先延ばしされていたりして、今の彼女は……国の誰もが知る英雄とはいえ、身分はただの平民剣士である。
「なあ姉ちゃん、いつまでこんなのを続けるんだね」
「……釣れるまでだ」
静かな森の中の木陰。
川岸の岩に腰掛けて釣竿を手に、糸を清流へと垂らすアニエス。かたわらにはルイズから借りパクしてきた相棒デルフリンガー、本日も昨日も釣果はゼロ。
手持ちの食料も尽き、おなかはさっきからきゅうきゅうと鳴いている。<ポータル>で学院に戻ればいいものを、彼女は頑として戻ろうとしない。
「そろそろ俺っち帰っていいかね? いいかげんあの白髪の娘っ子がまた何か悪さしてねえか、心配だあ」
「おいおい何を言う、……こんな弱くて臆病な女性を一人ぼっちにするのかね。なあそばに居てくれ、私の心と体を守っていてくれよデルフリンガー」
「なんてこった……あの姉ちゃんが……」
知性を持つ古き剣デルフリンガーに、このところアニエスはヘンな甘え方をしてくる。
剣は彼女に背負われて、愚痴を聞いてやったり人生相談をしてやったりもしながら、トリステインを一周するコースでのんびりと旅を続けている。
六千年生きて己自身が『剣』という生き方しか知らないことを、すこし寂しく思っていたりもしたものだ。
「悪いか。そうか堅物が甘えたらそんなにおかしいか。ああどうせ私のような鉄塊女が誰かに甘えるなど、滑稽だろう噴飯ものだろうよ」
「ちょ、んな自分を卑下するこたあねえだろう……本気で大丈夫かね?」
「大丈夫なものか。だから旅に出た。私は疲れたんだ……誰だってときに人生に迷い、たまには逃げを打って無為に生きる権利がある。同意してくれるな?」
「……まあ、そりゃそうかもしれんが」
「ありがとう、お前は本当に優しい剣だな……フフ、剣にしておくのが勿体無いくらいだ」
彼女がデルフリンガーを背負って家出……いやどことなく遅咲きの青さっぽい自分探しの旅に出たことにも、いくつもの理由がある。
「なあ、剣に甘えるなんて、まるであの娘っ子みてえだぜ」
「一緒にしないでくれ、死体に甘えるよりはマシだろう。……それに私は剣士だ、人生を根幹から剣にしか頼ってこなかった……まあ、銃も使ったがな」
「死体を造る道具なんぞに甘えんのも、大概だとは思うがね」
「…………」
「ちょ、しまった本気で落ち込みやがった……おい姉ちゃんマジ悪かったよ冗談だあ、相手が俺っちなんかで良けりゃあ、ほらほら好きなだけ甘えていいぜ!!」
ひとつは、これまで20年もの歳月を準備に費やしてきた『復讐(Vengeance)』について、このところ空しさを感じつつあるという悩みだ。
メンヌヴィルを討ったこと、そして真摯に生きるジャン・コルベールとの出会いは、彼女の一途な人生を袋小路へと追い込むに充分なものだった。
さらにもうひとり見つけた仇であるリッシュモン卿の件は、彼女が何をしなくとも、女王の戴冠式前にもうすぐ終わりそう。
つまり、戴冠式までは平民にすぎないアニエスが手を出せるチャンスも、無さそうだということだ。
「私は復讐鬼を自認していた。だが結局のところな、……心の奥ではずっと、仇を討ち果たすことだけが、村の者たちの無念を晴らす唯一の方法だと思っていたらしいんだ……」
「あの娘っ子、供養しちまえるらしいな」
「そうだ……だからそれを知ったとき、私はショック死しかけたよ……」
釣り糸が風に揺れる。水面に光が反射し、きらきらとまぶしく、アニエスは目を細める。
「私の人生は私怨であり実りなき復讐なのだと、よくよく知っているつもりで、それだけでいいはずだった……なのに蓋を開けてみれば、結局私は私自身について、何ひとつ知らなかったんだ」
……あの関係のない<狂人ザール>を、まるで仇であるかのように討ってしまったこと、……それさえも、今になっては空しく思い出される。
ザールは殺人犯であり、さしせまった危険であり倒さねばならぬ敵だった。それでも、少なくとも彼女の故郷の村を焼いた仇ではなかった。
誰かを護る戦いに私怨の殺意ほど筋違いなものも無かったのでは……なんて考えてしまう、らしくないネガティブ思考のスパイラルである。
「弔う方法が復讐の他にあると知ったとき、私は喜べずに、あろうことか憤ってしまった……その愚かさに気づいたときは、堪えたよ」
死者にたいする生者の態度というものは、文化や宗教によって異なる。
何が供養なのか、何を持って弔いとなすか……この問いもまた、死者の世界を見えぬものたちにとっては、結局残された者たちが死という事実にたいし、どのような折り合いをつけるかという問題にしかならない。だからこそ一般的死生観を打ち砕いてしまうネクロマンシーは、数多の社会において禁忌に触れかねない技とみなされるのである。
「そいつぁ怒っていいぜ、姉ちゃんには怒る権利があるだろうに」
「……いや今さら怒っても仕方なかろう……過去のことを悔やんではいないが、な。これからのことに、ちょっとな……」
もうひとつの悩みは、シュヴァリエを志した理由が、復讐のための情報と機会を得るためでしかなかったということ。
アニエスは『幽霊屋敷』に集う者たちを除いて、基本的に貴族やメイジというものをあまり好かない。
王宮の近衛兵隊長として取り立てられたら、自分自身が嫌いなタイプの貴族どもと同じような方法で、仕事をしなければならなくなるだろう。
「私の願いの醜悪さも、愚かな生き方をしていることも、承知していたつもりだった……が、今になって欲が出てきたのだろうな」
アニエスは貴族たちの間で失礼なく振舞うための作法等を、あの任務につく以前より独学で身につけてきた。
時々友人キュルケから貴族らしさを学ばせて貰っていたりもした。それでも、生来の貴族たちより見ると『品位がない』と言われてしまう。
そしてとうとう、ホンモノの貴族となるのだが……いちど叙勲が決定したはずなのに、いまだ王宮の貴族たちの間では、大きくもめているらしい。
メイジでもない平民風情がシュヴァリエなど相応しくない、粉引き屋め、手柄をかさに粋がりおって―――
陰口だって聞こえてくる。以前のアニエスなら、たいしたダメージにもならなかったことだろう。
しかし『復讐』という心の芯が揺れ動いてしまった今となっては。
戦いを通じて絆を知り、貴族の誇りを知り、復讐の空しさを知り……気づいたときには、これからの『栄えある職場』に、魅力を感じなくなってしまっていた。
オッサンどもから「癒し系王女殿下を誑し込みおって」とか「女タラシ女め……」とか妬みや嫉み。
「ギタギタ汁」とか「いつかほっぺつねって泣かす」とか「むしろつねられたい」とか負の想念さえ漂ってくる。
平民にしろ貴族にしろうら若き女性に慕われる率が高いからといって、そっちの気の無いことを自負する身としては、たまったものではない。
自分は変態ではないし、ヅカ系でもないし、アニキ風キャラのドSさんだからアニエスという名前になったのでもない。性癖はノーマル、むしろ優しくして欲しいのだ。
一方、「王宮に勤めるのがイヤなら、私のガイコツさんたちに混じって専属の傭兵(Mercenary)をやらないかしら?」とか言ってきた優しいネクロマンサーさんが一人。
ただし戦い方の注文が、「ポールアーム持ってオーラ(Aura)を出しなさい!」だったので、断った。アニエスは戦いのオーラなんか出せない。
その白髪の占い師娘はひどく残念そうにしていたが、やがて「じゃあ二刀流で、覆面つけて、上半身裸で!」と注文内容を変化させた。
やはり断らざるをえなかった。繰り返すがアニエスは断じて変態でも『あらくれ(Barbarians)』でもない。血まみれ肉切り包丁も勘弁だ。
……ところで、その話をしていたとき当のネクロちゃんには、すでに専属パートナー的な雪風のメイジが一人居たようだ。
その青い少女は『幽霊屋敷』の専用読書スペースから、無表情で『仲間になりたいオーラ』を放ちつつ、じっと部屋の主を見つめていたのだが―――
ネクロマンサーと、敵を凍結させ死体を大きく破損してしまいがちな氷タイプのメイジとの相性は……一般的には『最悪』と評価される。
偶然そんな話を耳にしてしまった青髪の女の子は、たちまち手にしていた本を力なく取り落とし……その後どうなったのか、アニエスは忘れない。
あの場所にあるのは、まだまだ若いはずのアニエスがどこかに放り捨て忘れてしまった日々のようでもあった。
少なくとも、誕生日を祝ってもらうという発想もなかったのだし。
「姉ちゃんは真面目すぎるんだよ、もうちょい気楽に生きてみろ。ほら、あの娘っ子たちみてえによう」
「私は大人なんだ」
最後のひとつの悩みは、当のネクロマンサー少女から贈られた『誕生日プレゼント』についてのものだ。
それは、『狂人』ザールのアジトで発見されたものを彼女が手間をかけて翻訳したのだという、一冊の本(Book)だ。
「これを読めばきっと、あなたの人生もがらっと変わるわよ」と、贈り主は非常にイイ笑顔だった。
まだ封を切っていないそれを、ただの一度でも読んでしまえば―――確かにアニエスは己の人生観の根幹さえ、決定的に揺るがされてしまうだろう。
(あの娘はいったい、何を考えて私にあんなものを贈ったのだろうか……)
念のため識別の巻き物で確認したところ、アニエスは戦慄したものだ。今思えば、あれこそがトドメとなったのかもしれない。
古い剣いわく、「たぶんありゃ何も考えてねえよ。純粋に喜んでくれると思ってたんじゃねえの」と。
アニエスだってあの白髪少女のことは結構好きなので、複雑な内心を押さえこみつつ、それでも笑顔でせいいっぱいの感謝を述べたものだ。
「……ミス・ヴァリエールのそばにいると、誰もが心の歪み弱みをさらけ出されざるを得ないものなのか」
「そりゃあ、ある意味試練みてえなもんだからな」
身に覚えのあるデルフリンガーは、心底同意してやらざるを得ない。
また、ネクロマンサーというものはたいてい歴史の境目にこぞって動きだすように見えるため、<サンクチュアリ>世界においても、破滅と死を連れてくるやつらとして知られているようだ。そして不自然すぎる秩序が世に満ちるとき、千の死霊たちとその主は、たちまち混沌の手先たる試練と化すのだという。
天はなにゆえ人に厳しき試練を与えたもうか……人は始祖の時代より六千年たっても、いまだその理由をただ推し量ることしかできない。
始祖はなにゆえ世にゼロの少女をウッフフフと遣わせたもうか……あれは異世界の邪教の骨竜とやらの管轄らしいので、もうお手上げだ。
「あの娘っ子ももうちょい大人しくしていてくれりゃあ、可愛げがあるのによう」
「確かに……私がもし男性ならば放っておかないくらい、器量よしではあるのだがな、……あの子はいくつもの意味で……」
ドは毒ガスのド、レはレモンちゃんのレである。
ミは耳(Ear)のミ、ファはFFF(ファイアーファイナルファンタサイ)。
それから、ソ……そ、<存在の偉大なる円環>をやばすぎる目で見据え、ラズマのラリラリ神秘学、死をシアワセと呼んではばからない。
ああなんということだろう、もう歌ってごまかすしかないではないか!!
「放っておけねえよな、常死奇的に考えて」
「ははは、愉快……」
きゅるるるる……アニエスのお腹が音を立てた。
彼女はもはや開き直って動じず。釣り糸もまたぴくりとも動かず。
「……なあ、いい加減家出なんかやめて<ポータル>で帰っちまおうぜ、お姫さんだって心配してるぞ」
「家出言うな、思春期か私は。なあに、あとちょっとで釣れる気がする。川底の魚が私に語りかけてくるのだ、アニエスさんに食べられたい、さあ今すぐ釣られてやるぞ、とな」
「もう何回エサだけ食われてるんだね」
「見ていろデルフリンガー、次こそ私はこの雪辱を晴らす!」
そんな風に、本日何度目になるかわからないやりとりを繰り返していたところ―――
「もし、アニエス殿ではありませぬか」
ひとりの男性が現れた。警戒するアニエスには見覚えがない……身なりや気配からして、傭兵なのだろう。
会うなり握手を求めてきた彼は、現在仲間たちと共に旅をしており、偶然会った彼女を自分たちの仲間に紹介したいという。
「俺たちゃラ・ロシェールで戦った傭兵だ。国を救った英雄たるあなたの噂は聞いておりますぜ。みんなあなたのファンだ!」
やってきた彼らは、総勢五人の男たちだった。
向こうは男性五人、アニエスは女性ひとり。見るからに怪しく危険さえ感じさせられる男たちだが、今のところ彼女をどうこうするつもりはないようだった。
彼らは、これからキャンプを張る自分たちの食事に招待したいと願った。
(さて、どうしたものか……)
男たちは「会えて感激だ」とか、「役者よりもずっと美しい」だとか、口々にアニエスのことを誉めそやす。
現在トリスタニアの平民たちの間でアニエスの人気は沸騰しつつあるらしい。国の英雄、平民のヒーロー、伝説の剣士扱いなのだという。
彼女は以前<サモナー>を探す任務で国中を飛び回り、ついでに盗賊やごろつきメイジやオーク鬼どもをしばきまわっていたことがある。
その働きは王都でこのたび漫遊記的な演劇の台本に描かれ、酒場巡業の一座に採用されたのだそうな。
劇の中でアニエスは、あの竜騎士隊の男性と二人で、姫を助けに竜に乗り、戦場たるアルビオンへと乗り込んだことになっていた。
恐ろしい白い悪魔が『うごごごご……虚無とはいったい!』と調服され姫に従うまで、きびしい戦いのなか、二人の間にロマンスが生まれたとか……
勝手に美男美女のカップル的な妄想脚色をされているようだが、……もはや訂正は効かないようだ。
そんな筋書きのほうが劇は面白くなるだろうし、ますます話題は盛り上がることだろう。
……現実においてロマンスなど、片鱗さえ無かったのだが。
現在目の前にいる傭兵たちは、トリスタニアの酒場でその劇を見て、心底アニエスのファンになったのだ……と口々に言っていた。
「失礼だが、腹が減っているのだろう? こっちには肉も酒もある、どうか思う存分飲み食いしていってくれ!」
「姫殿下を助け、俺たちの国を救ってくれた礼だ、遠慮はいらねえよ!」
なんて言われてしまったら、断るのも失礼かもしれない……
「……そうか、それでは御相伴にあずかろう」
アニエスは首肯し、デルフリンガーは黙ったままだ。
―――
「馳走になった、酒も美味かった……感謝申し上げる」
「お、おう……」
アニエスは上品に口周りをハンケチで拭い、すっくと立ち上がった。
五人の男たちは、まるで信じられぬものを見たように、呆然としていた。やがて思い出したように、顔を見合わせる。
(おい、確かに入れたよな?)
(ああ、間違いねえ、このおれが確かに入れたんだ)
(ばくばく食ってたし、フツウに飲んでやがったぞ?)
(どうしてだ? 男でも半日はしびれて動けねえ、どこぞの貴族さま特製の毒薬だって話だぜ……)
(な、何でピンピンしてやがんだ、言われたとおりに、確かに入れたはずなのによう……この女、化け物か?)
(信じられねえ……おれは失敗してねえのに、こいつぁいったい、雇い主になんて説明すりゃいいんだ……)
『毒効果時間短縮』の護符、および解毒ポーション(カプセル版)による効果『耐毒レジスト85%』は、常人からみるとバケモノのように映るらしい。
―――ギロッ!
女性剣士から殺気が放たれた。ぎらぎら光る目で、じろりとごろつき男たちを見渡す。
「貴様ら、腹ごなしの運動をしたいようだが、……私の身体が目当てか? それとも殺し合いか? まあいいだろう……どこからでもかかってくるがいい!」
「ひいっ!」
ゴ ゴ ゴ ゴ―――
女性剣士の腰のほうの鞘からすらりと抜き放たれた剣には、強烈な炎がまとわりついていた。
男たちには『噂の平民剣士が実はメイジでしたなんて、詐欺じゃねえか!』と、半分以上泣きが入る。
傭兵のひとりが銃を抜き叫ぶ。もうやけくそだ。
「畜生、こうなったら力づくだ……やっちまえ! 弱っちい女メイジのくせに、手柄なんてのも所詮作り話だろう!」
「お、おう!」
襲いくる五人によって、アニエスはここで『山賊に襲われ行方不明』となるはずだった。
―――彼女がゼロのルイズと何度も戦線を共にし、沢山の悪魔や敵メイジたちを叩き潰し、多大なる経験値を稼いでいなければの話だが。
アニエスは疲れたように笑う。
「……残念ながら、私は『今のところ』メイジではない」
五分後―――「俺っちの出番はねえな」と古い剣は退屈そうに言った。
静かになった森の中、悠然と立つアニエスの前で、全身をおしりの毛まで焦がされた屈強なオッサンたちが五人、正座している。
「ところで……お前たち」
怖い怖い笑顔だった。いつのまにか雲が空を覆い、どどーん、と雷が鳴った。
「まこと世知辛い世の中だな!!」
「へ、へえ、あっしらもそう思いやす!!」
彼らの、そして彼らへと物騒な仕事を与えたヤッカミ貴族たちの命運は、すでに終焉へと向かいつつあるようだ。
//// 30-2:【雨のフランソワーズ】
トリステイン魔法学院、サワヤカな朝……の来るはずが、今日はあいにく土砂降りの雨。
ざ……ざざざ……
「骨と皮だけの女のヒトー、だぁれも知らない女のヒトー」
「あるひ突然女のヒトー、お祈りしに教会にやってきたのよー」
午前中の薄暗くも不気味な物置小屋『幽霊屋敷』。屋根を打つ雨の音にまじって、澄んだ二重の歌声が響く。
ぽたりぽたりと、雨漏りがツボの底に溜まった水の面を叩く音がする。
「きょろきょろそこらを見渡すとー、くさった死体とこんにちわー」
「鼻にも顎にも虫わいてー、すんごいことになっていたのよー」
宝石合成の作業をしながら、グロテスクな童謡を楽しげにデュエットしているのは、二人の少女……ゼロのルイズとリュリュである。
ご機嫌な仲良し女の子が二人以上集まったとき、自然と歌を歌いたくなるものなのだという。
作業台の上には、完成した質の高い宝石がいくつも並んでいる。
「女のヒトは尋ねたのー、私も死んだらこうなるのー?」
「牧師さんは得意げに言いましたー、『そうとも!』 みんな死んじゃえばこうなるのよー」
ぴったりと『そうとも!』のタイミングが合わさる。
さきほど授業をサボった二人の様子を見に教師コルベールがやってきたのだが、『お金が無い』という事情を聞いて困った顔になった。
助力を申し出てはくれたものの、ルイズよりずっと衝動買いスキルの高い彼の財布はかつかつである。オスマン氏も同様らしい。
そしてタバサやミスタ・ギトー、モンモランシーはもともと貧乏だし、休暇中で王都の某所でフリーターをしているシエスタの資産は限りなくゼロに近い。
いっぽうあまり関係の無い話だが、かねてよりルイズより秘密裏に高額の仕事を何度も請け負ってきた赤土のミセスは、このところ服も宝石もじゃらじゃらとケバくなってきたと一部で噂になっている。
王都に居るギーシュからは、八百エキューほどの出資が限界だという手紙が届いていた。
「……もうこれ以上の借金は無理そうだし、午後は別の方法でお金かせぐわよ。なんかあんまり良くない予感がするから、余分に集めておきましょう」
「オークションの売上金の受け取りはどうなされるのですか」
「そうね、ギーシュたちに頼んでみようかしら」
棺おけにもたれるルイズ。パズルのような箱<ホラドリック・キューブ>をかちゃかちゃといじる。
このホラドリムの古代神秘魔術製の箱は、<ミョズニトニルン>の力を添えると、通常よりもはるかに融通の利くアイテム合成器と化す。
使用法とコツさえ把握すれば誰にでも最低限扱えるのだが、いまだ他人に使い方を教えたことはない。
彼女の使い魔の『骨の精霊』、その前身となったひとりのネクロマンサーは生前、キューブの使い方をホラドリム最後の賢者デッカード・ケイン翁に習ったらしい。
ちなみにそのケインおじいちゃんこそが、ディアブロシリーズ全編を通してのメインヒロイ[※ここの文はゲームの重大なネタバレを含むため削除されました]だそうな。
「では、お昼ごはん食べてから出かけますか?」
「いいえ、宝石を届けたあとで食べましょう……なんか食べ物を恵んでもらえる予感がするし」
本日のぷりぷりモツ占いの結果は、金運最低。いくつか奇跡が起きるかも。正直は身を助ける。食べ物には恵まれる。ラッキーアイテムは太陽のしるし。
ルイズは完成した宝石をせっせとカバンに詰めて、お出かけの準備をした。ハンケチ、身分証明書、なにかの骨、素敵な白い粉……うふふ完璧ね!
リュリュは不安そうな色を瞳に宿し、ぼんやりと窓の外を眺めている。雨のせいで、外も室内も薄暗い。こんな天気では誰だって気が滅入るものだ。
「すごい雨ですよ、外……」
―――ちりちりーん
ドアベルの音とともに小柄な少女が現れた。『エア・シールド』の魔法を張ってきたのか、激しい雨のなかでもあまり濡れている様子はない。
護衛兼監視者の彼女は、午前中の授業が終了し、出席していなかった友人を探しに来たのだろう。
水溜りを踏み抜いてしまうことは避けられなかったらしく、マントの裾をぎゅーっと絞っていた。
「いらっしゃいタバサ、でもごめんね、これから出かけるのよ」
「……」
「えっと、ついてくる?」
ルイズの問いに、タバサは首肯した……いつもなら合うはずの目が合わない、泳いでいる。
「……どうしたの? 元気ないみたいだけど」
「なんでもない、元気」
寡黙な友人のまとう雰囲気は、いつもよりも覇気のないものに感じられていたのだという。
―――
そのころのコルベール先生は、掘っ立て小屋を前に頭を抱えていた。
お隣さん……あの外見はただの物置小屋でも物理的霊的魔法的にカッチカチに改造されている『幽霊屋敷』と比べ、こちらは見かけどおりのボロ家なのである。
「うおおおお、私の研究室ががが水浸しにっ!!」
ド ド ド ド―――
豪雨のせいで地下迷宮の水位が上昇し、魔法排水ポンプが半壊して大量の水をまきちらし、ちょっとした被害を受けているようだ。
「くっ、だがこの炎蛇のコルベール、雨ごときに負けてはいられぬ!」
慌てて中にある貴重な品々を安全な場所へと運び出そうとするのだが、やはり炎メイジが一人では手に余る。
彼は残り少ない髪の毛を雨でびっちりと頭に貼りつかせつつ、『幽霊屋敷』へと引き返し助っ人を頼むことにした。
「す、すまないが、私の研究室が大変なのだ、誰か手伝ってくれたまえ!」
「あっ、ミスタ・コルベール……」
そのとき、ちょうど出かけようとしていた三人の少女と鉢合わせた。おそろいの雨合羽が可愛らしい。
みんな困ったように顔を見合わせる。どうやらもうすぐ、宝石を納入しに行かなければならない約束の時間のようだ。
コルベールは事情を知っているので、どうしたものかと困惑したのだが……
「ごめんなさいルイズさん、私は先生の助手なので……ミスタのお力になりますね」
「うん、うん、リュリュ今までありがとう」
「お金稼ぎ頑張って下さいね。タバサさんあとは宜しく!」
リュリュはにっこりと笑顔を見せたあと、愛用の杖を手に、コルベールとともに豪雨のなかへと飛び込んでいった。
―――
<ウェイ・ポイント>の魔法陣を使えば、少女二人は目指す王都トリスタニアの下町までひとっとび。
王都にひとつ魔法陣を見つけることが出来たのは、ガリア工作員<地下水>のおかげである。
かの捕らえられしインテリジェンス・ナイフに関して、先日ガリア王家はルイズの大事な杖『イロのたいまつ(Torch Of Iro)』との人質交換を求めてきた。
しかし大事な杖は個人の事情に、工作員<地下水>は国の保安にかかわることなので、ルイズのほうから『割に合いません』と退けた。
いまだ交渉は難航中で、ルイズはジョゼフ王と何度か手の内を探りあうように、歩み寄るための手紙のやりとりを行っている。
いちどガリア王は自分の仕事を放り出してトリステインへと交渉相手に会いに来ようと考えたらしいが、娘の決死の説得と実力行使で止められたとか。
ルイズとイザベラが仲良くなる兆しはこれっぽっちもないようだ。
いっぽうレコン・キスタとの交渉について、ルイズは王宮のほうに任せている。
屋根の飛んだハヴィランド宮殿は資金不足でいまだ復旧の目処がたっておらず、皇帝クロムウェルたちは別のところに本拠を移しているという。
トリステイン王国は現在、高等法院長の疑惑の件や賠償金の交渉が終わるまで、戴冠式のとりおこないを見合わせている。
国内では軍備をますます増強してアルビオンに攻め込むべきだという意見が増えてきており、噂の『白い悪魔』への期待も大きいらしい。
しかし、当のゼロのルイズは人間同士の戦争などに欠片ほどの興味もなく、クスリと現ナマのことで頭がいっぱいだ。
そして、元気のなさそうなタバサのことが気になる。
本日もいつもどおりの無表情だが、そばで見てきたルイズには、友人が何か悩んでいるらしいことくらいは解るのだ。
タバサのために自分が何をしてやれるのか、ルイズには解らない。
ざ、ざざざざ―――
転移した先の王都トリスタニアの城下町は、馬で三時間の距離にある魔法学院よりも、ずっと激しい雨が降っていた。
<位置:ロワー・トリスタニア>の魔法陣は、ガリア工作員の所有らしき、小さな建物の屋内に設置されている。
「ちょっと歩かないといけないわ」
「任せて」
大事な宝石の入ったかばんをしっかりと胸に抱きしめて、建物の戸締りを確認した。
おそろいの雨合羽を装備した二人は、風の魔法に身を包み、肩を寄せ合って、雨の路地を歩き出す。
一般のメイジから見れば精神力の無駄遣いかもしれないが、<マナ・ポーション>さえあればそこは簡単な話だ。
ぴかっ! ごろごろごろ……
近くに落ちた盛大な雷に、二人は肩をすくめる。槍のような雨の叩きつける路地には、人通りもない。
不気味でうすら寒い気温のなか、少女たちはおずおずと、空いているほうの手をそっと繋ぎあっていた。
大自然の猛威を前にしてしまえば、ネクロマンサーたるルイズもまた、心細くならざるを得ないらしい。雷神ベルトもないのだから、どんなに気を張っても雷は怖いものである。
土砂降りのなかで二人きり。気恥ずかしいけれども、友人との距離の近さに戸惑っていられるほどの余裕も、今の彼女にはないようだ。
どどどどど、ばしゃっ!
大型ゴーレムに引っ張られた馬車がそばを通り過ぎ、道のわきにいる二人へと大量の水しぶきを跳ね上げていった。
タバサの風防壁は揺るぐことなく、泥水を受け止めた。ルイズは自分のゴーレムに素敵な馬車を曳かせるアイデアを思いついた。
監視者から物理的に逃げられない状況なので、頭の中のほうでちょっぴり発明のほうへと逃避しているらしい。
さて―――
鳴り響く雷のなか必死に歩き、最初に到着したのはモンモランシーたちの住まう借家である。
「ごめんくださーい、おーい、モンモランシー! ギーシュ! いるかしらー」
「わあっ、出た! 白いやつが出たぞ!」
ルイズの出現に盛大に驚いたのは、黒髪の幼い子供たちだ。
「命に代えてもシエスタ姉ちゃんを守れ!」と果敢にディフェンス陣形を組んで、ゼロのルイズの侵攻を阻む。
うふふうふふと強行突破しようとしたルイズはたちまちスカートの中まで子供まみれになって、身動きが取れなくなってしまった。
かぷっ―――
「うわあん、噛まれた! どどどうしようぼく屍人鬼になっちまうよぉ、パパぁ、ママぁ!」
子供を噛むルイズ・フランソワーズ。悪夢である。甘噛みされた子はマジ泣きだ。
他の子たちは真っ青になって「きずはあさいぞ!」とか「衛生兵!」とか「ぎせいは無駄にしない!」とか叫んでいる。
「ぷぷっ、な、何してんのよ、子供ひっつけて! うっぷぷぷ……なんか噛んでるし……!」
「モンモン姉ちゃんが来た! こいつをやっつけてくれよ!」
金髪縦ロールの少女モンモランシーは、子供フルプレートアーマー状態のルイズを見るなり指差して盛大に笑い始めた。
「無理ようこんなフル装備のに勝てないわよう、あっはははは……もうダメぇ!」
「ああ、やっぱ駄目だ! 伝令! モンモン姉ちゃん使えないぞ!」
貴族であるはずの彼女は、何故か子供たちからモンモン呼ばわりされているらしい。どちらも将来が心配だ。
いっぽう白髪の少女は怖い笑顔をしている。
「……ねえタバサ、今すぐモンモランシーを質入れしに行きましょう。さあ手伝ってちょうだい!」
「ひい!」
子供たちは戦慄し逃げ出した。他方、いろいろ慣れつつあるモンモランシーはお腹をかかえてひいひいと笑い続けている。
騒ぎを聞きつけたのか、玄関ホールの階段の上から派手な服の少年が現れた。
「駄目だぞルイズ、モンモランシーはぼくのだ、勝手に質になど入れないでくれたまえ」
「あらごきげんようギーシュ、残念だけどモンモランシーは私の乗騎なのよ。私こう見えても、王宮衛士隊の隊長さんなんだから」
青銅のギーシュは薔薇の杖を嗅ぐような仕草をしつつ微笑み、きざったらしく言い返す。
「おや、国から賜ったというのかね? ところがどっこい、麗しの彼女はぼくの方が先に天から賜っていたのさ!」
ルイズはにやにやと笑い、負けじと答える。
「ウフフ、私は大宇宙の運命においてめぐり合ったの! きっと前世からの縁にちがいないわ!」
いつも再会したとたん、得意げにモンモランシーの所有権を主張しあうモンモライダー一号二号。
ここだけの話、金髪の少年のほうは、美少女二人同時バッチコイを目論んでいるらしい。
だが……彼は毎度毎度周囲の人たちが、二人の金髪のうちどっちかが物理的に半分こされてしまうのではないかと背筋を冷やしていることに、気づいていないのだ……
「ねえギーシュ、もう乗り心地は確かめられたのかしら?」
「んぐっ……ま、まだ……!!」
「ちょっとあなたたち! ななななんて会話してんのよ! 子供の前じゃないの!」
どどーんと外で雷が、顔じゅう真っ赤になったモンモランシーからも雷が落ちた。
低気圧のせいか眠たそうな目のタバサは、やれやれと肩をすくめた。
―――
雨のせいで本日はバイトが休みだというシエスタさんは、とても元気そうだ。
突然の来訪者ルイズたちに笑顔を見せて、丁寧に淹れたお茶を振舞ってくれたのだ。
最近の黒髪の彼女は引きこもりから心機一転、体を動かすバイトを始めて、見事に末期症状から立ち直ったのだとか。
「シエスタの淹れてくれるお茶って、とっても美味しいのよね。はあー私、ほんと幸せだわ」
「ありがとうございます!」
ご主人様はご満悦、シエスタも嬉しそう。
今まで何度想いがすれ違ってきても、そのたび絆を深めあい、もう根っから仲良しとなった二人だ。
タルブ復興にもようやく目処が立ち、休暇の期日もあと一週間で終わり。その後は『幽霊屋敷』へと戻ってきてくれるのだそうな。
とはいえ、本日のルイズのお目当てはシエスタのお茶ではない。
「お願いするわ二人とも。タバサと私には、午後から別の用事があるのよ」
「解ったわ、私とギーシュでオークションを見守って、代理でお金を受け取って来ればいいのね」
「任せておきたまえ!」
ルイズの頼みを、級友二人は快諾してくれた。
しかしシエスタは手にしていたお盆を取り落とし、みるみる顔面蒼白になっていった。
「お、お金が足りないんですか……まあなんてこと、あの超絶お金持ちのミス・ヴァリエールが、資金難になるなんて……!」
無理もない―――ルイズの貧乏は、シエスタの故郷の村の復興のために、沢山のお金を出してくれたことも原因のひとつ。
皆がいくら心優しい貴族の友人たちだとはいえ、平民にすぎない少女は、ひたすら貰ってばかり世話になってばかりの立場だ。
みんなはそんなこと、まったく気にしていないのだが……
だからルイズは、労わりの心をたっぷりと込めた笑顔を向けていた。
「あら、シエスタのせいじゃないわ、気にしないで……ウフフフ、あなたは自分の大事な家族のことだけを考えていればいいのよ?」
「ああっ……」
シエスタはやるせなさに打ちのめされる。
愛しさと切なさと心苦しさが胸を満たし……彼女は今、自分の全てを投げ打ってでも恩を返さなければならない気持ちになっていた。
しかしシエスタにお金はなく、さあ張れるのは体ひとつ!
「ミス・ヴァリエール、失礼します……ここじゃなんですから、わたしの部屋に!」
「へ?」
ルイズは手をつかまれ、ぐいぐいと引っ張ってゆかれた。
到着したのはシエスタの個室だ。壁際には『最後の希望』が転がっている―――
以前の大騒ぎ(All this for a hammer事件)以来、ルイズはもちろん、その強力無比なハンマーの活用方法を模索してきた。
しかし土メイジやラズマ秘術の『ゴーレム』に持たせた場合には、秘められた魔法的効果は発動してくれない。
ただの重たいハンマー以上の威力にはならず、使いこなせないなら無手のほうが強かったりする。
この世界式の先住魔法で作られたデルフリンガーはともかく、<サンクチュアリ>式の武具は、あくまでも人が装備しなければ真価を発揮しないのだ。
強力な『ブッチャーの包丁』が活用されてこなかったのも、そういった理由からである。
だから今のところ見つかっている方法は、たった一つだけ―――つまり、『鉄のゴーレム(Iron Golem)』の召喚媒体にすること。
でもこんな高価きわまりない武器、そしてシエスタの心の支えを一回きりの使い捨てにするなんて、血迷っても出来ない。
いっぽうシエスタは『最後の希望』の正体を知らず、『始祖の祝福を受けた聖なるハンマー』だと思い込んでいる。
……しかし、重すぎて持ち上げられないそれも今は役立たず。まったく関係の無いことだ。
「きゃっ、な、何すんのよ!」
「ミス、わ、わたしお金がありませんので……かか、体でお支払いをさせていただきます……わたしだって、あなたのお力に……!」
ぐるぐる目になったシエスタはルイズの軽い身体をぽーんとベッドの上に放り投げ、自分もそのとなりに座った。すすっとエプロンを脱いだ。服も脱いだ。
お外には暗雲立ち込め、ざざざざ、と窓辺を打つ雨音もますます強くなってゆく。
「さあ、どうぞ……ご、ご遠慮なく……!」
下着姿でがくがくぶるぶると震えながらベッドに寝転がるシエスタ。「ご奉仕っ……!」とか「ご供養っ……!」とか呟いている。
ルイズは戸惑うほかない。展開についてゆけない……そういや前にも、こんなことあった気もするけれど。
「ちょ、ちょっと待って、わわっ私そんな趣味ないのにっ! それに今はお昼よ!」
「わたし、わかってます、わかってますから……!」
わかったシエスタさんは微笑みつつも退かない。
一方、こまったルイズさんはふつふつと怒りが湧いてくる……(やだわ、どいつもこいつも私とタバサの仲を邪推して、私にそーいうにゃんにゃん趣味があるとか思って!)
哀れにも黒髪の少女は、ルイズの雰囲気の変化にますます怯えるほかない。
決死の覚悟で自分の下着をずり降ろしてゆき……ベッド脇の机からペンを取り、インクにつけて、自分の下腹部へ―――
「でっ、できれば優しく、かっさばいて下さいね(Sacrifice Me)……」
ぴかっ、ごろごろごろどどーん……稲光が、黒髪少女の裸身を照らし出す。
ルイズはそれに魅入られてしまったかのように目をひらき、ごくりと喉を鳴らし……
シエスタは自分のおなかに、ペンを走らせちょんちょんちょんと……丁寧かつ迅速に描いてゆくそれは、『キリトリ線』。
「……どうぞ売ってお金にしてください、わたしの……腎臓かたっぽ……こんなしがない村娘の腎臓で、申し訳ありませんが……」
「じっ、じんぞう……」
「はいっ、どうぞ腎臓っ……!!」
ルイズは雷に打たれたかのように硬直していた。やがてぽつりと呟く。
「じんぞう」
「そうです腎臓っ……!」
シエスタは怯えつつも、聖少女のごとき達観しきった微笑みをルイズに向けていた。
彼女は貴き友と呼べる主のため、ようやく贄として役立てることの喜びに、心から打ち震えているようだった。
わなわなと震える白髪少女のほうは、たちまち目つきが危なくなってゆく。すっ―――
「っん……!」
さわさわ……黒髪少女のむきだしのお腹、おへその横らへんを、ひんやりとした指先が撫でまわしている。
その手のぷるぷると震えているあたり、微妙に心動きつつあるのかもしれない。
「だ、駄目よ……駄目なのよシエスタ……駄目……」
「そ、そうですか……やっぱりかたっぽでは足りないんですね、じゃあ思い切って両方……いえ、三個!」
「……さっ、三個もっ……いいの? 本当に……?」
「はい!」
シエスタに腎臓は二個しかない! どうするつもりなのか―――!!
「―――そこまでよ!!」
どーん!
特殊部隊モンモランシーとタバサとギーシュが突入し、直後ギーシュが部屋から蹴りだされた。
驚いてぴょーんと飛び跳ねる現行犯ルイズ。
「はっ、モンモンモラモンシー!」
「誰よっ!」
―――
モンモランシーはぷんすか怒っていた。
「ねえルイズ! シエスタの腎臓取ってどうするつもりなのよ! 何に使うのよ! 誰が買うっていうのよ!」
「えっと、愛でる? ……ほら、いるじゃない、美少女の腎臓マニアとか」
「いないわよそんな気持ち悪い人!」
その叫びを聞いたとたん、何故だかルイズまで怒りだす。
「何を言うのよ! シエスタのが気持ち悪いはずないわ! 優しくて素直で可愛くておっぱい大きい腎臓に決まってるの! みんなイチコロよ!」
やっぱり怒る理由は誰にとっても想定外。
あろうことか、何やら大事なことに気づいたかのようにほっぺを赤く染め……
「はっ……もしかしてモンモランシー妬いてるのね? 大丈夫よ、あなたのも……うん、シエスタに負けないくらい綺麗なはずよ!」
何なら今すぐ確かめたげてもいいわ、ウフフフフ……
一同ドン退きだ。励まされるほうの金髪少女は青くなってじりじりと、ギーシュの背中に隠れつつ下がるほかない。
どんなに目立ちたがり屋さんだからといって、腎臓にまで目立って欲しくないのだ。
「あ、あなたやっぱそういう趣味あったのね……その、女のコのお腹を開いたり……」
「ないわよっ! 私やっぱり腎臓なんかより、骨のがずっと好きなんだから!」
もはや言葉もなく、これ以上の退路もなく。
当初の目的を忘れ、骨のステキさを力説しはじめたルイズはもう、タバサでなければ止められない。
みんなの期待を受けて、ひとさし指をすいっと伸ばし、ほっぺたをつつく。ぷに―――
「ひた!!」
ルイズは叫び声をあげた。
たちまちタバサは青くなる。友人の奥歯がいまだ治りきっていないという事実を、このとき初めて知ったのだ。
「……ごめんなさい」
「い、いいのよ、大丈夫だから……」
落ち込むタバサと、おろおろとするルイズ。
しばらくの間、部屋にはちょっぴり気まずい雰囲気がただよっていたのだそうな。
―――
モンモランシーとギーシュ、そしてタバサとルイズは、街の高級宿にいるオークション主催集団の元へと宝石を届けにやってきた。
そこで聞かされた事実に、一同あんぐりと口を開くことになった。
「明後日に延期……ですって?」
「まことに申し訳ないが、この豪雨でな……フネが飛べず招待した主賓たちも着いておらぬし、馬車が立ち往生して目玉商品の到着も遅れているのだ」
以前よりルイズたちと取引のある、宝石ブローカーのスポンサーを趣味でやっている年配の貴族は、そう言って頭をがしがしと掻いた。
表向き出所不明の合成宝石を流通させるとき、ルイズやギーシュはいつもこの人たちに偽装手続きを手伝ってもらっているのだ。
商品がなければオークションは開けない。かといって到着を待っている余裕など、今のルイズにはない。
「お願いします、先に宝石だけのオークションを開いていただくことは出来ませんか?」
「うむ、出来ないことはないがなあ……」
ルイズの問いに、貴族は腕を組んで唸る。今回の主催者たる商人組合の者たちも、みな困っているという。
豪雨はいつおさまるか解らないし、延期が続けば、すでに集って暇をしている貴族たちのための接待費や宿泊代も馬鹿にならない。
かといって予定通りオークションを開始してしまえば、わざわざこちらから招待した主賓たちにとっても失礼となってしまうことだろう。
それでも直前飛び入り品の宝石やその他数品目だけなら、前興行として本日中に販売することもできないわけではない。
ひとつ懸念があるとすれば、金払いのよい主賓たちのいないオークションでは、落札金額が期待するほど吊りあがらないということだけだ。
ただ売るだけなら、二束三文で買い叩かれることを覚悟して、闇市や街の宝石屋に持っていけばよい話なのだから。
同じ理由で本日の出品者たちも、誰もがこぞってオークションの延期に賛成していた。
「このくらいになると思うがね……うむ、本日集っている参加者たちにとっても良い余興となるだろうし、まあ、こちらとしては願っても無い話かもしれんが」
彼は算盤を弾いて、渋い顔をしつつも予想落札金額と手数料、双方の取り分を示す。
当初に期待していた高額で売れないことは仕方ないとしても、彼も宝石に造詣のある人物なので、ルイズたちの持ち込む宝石の質の高さを勿体無いと思っているようだ。
ルイズはどうしても早急にまとまったお金が必要なので、頷く。
「はい……どうかそれで、よろしくお願いいたします」
「本当に良いのかね?」
「ええ、稼ぐのはまた次の機会に……今はどうしても急ぎのお金が必要なのです」
ルイズは持ってきた宝石を引き渡し、ギーシュとモンモランシーに後のことを任せた。
主催者側の取り分を除けば、予想される儲けは二千五百エキューほど。このままでは目標金額まで、あと千七百足りない可能性がある。
―――
「……これからどうするの」
「お金を引き出しに行くわよ!」
再び合羽を身にまとい、土砂降りの雨の中を歩き出した二人。タバサは首をかしげる……引き出すとはどういうことだろう?
たしか今は銀行口座残高ゼロのルイズだと聞いていたはずなのに。
レインコートのフードの下、白髪少女はにやにやと笑って、タバサの手をひっぱってゆく。
「ウフフフ、……タバサあなた、確かサイコロがお得意だったわよね?」
たどり着いたところは居酒屋だったので、タバサは大いに納得した。
ここではいつもルーレットや『サンク』、サイコロなど賭博が行われているのだ。
「いい考え……でも元手がない」
「実はここに50エキューあるわ。ええ、この私に抜かりはないの。さっそくこれを三十倍に増やしましょう」
得意げな笑顔を見せられて、タバサは再び首をかしげることになった。
「たしか所持金はゼロだったはず」
「ええ……あのかぜっぴきが貸してくれたのよコレ。いったい何だったのかしら……ほんとあいつヘンな奴よね、担保にするんだって靴下を脱がせて持ってったわ」
どうにも抜かりがあるのか無いのか判別不能なルイズさんだった。巧妙に彼女の隙を突いてゆく風上の少年の手腕に、タバサはもう恐れ入るほかない。
さて、ここにはいつものように酔っ払いやいかがわしい格好の女どもがたむろし、博打に興じている……かと思いきや。
がらんとしていた。
「何を言っているのですかね、見てくださいな、客足がさっぱりでしてね……当然、本日の賭場はクローズ(has been closed)でさあ」
「そ、そんなぁ!」
酒場の主人が肩をすくめる。ルイズはふたたび愕然とするほかない。
近年まれにみるこの豪雨のせいで本日はまったく客が来ず、いつもなら人だかりの出来ている人気のルーレット卓にも、覆いがかぶせられたままだ。
「こんな日にあなたの相手をしたら、こっちの商売がお釈迦になっちまいますよ。それを飲んで体を温めたら、どうかお引取りくだせえ」
コトン―――テーブルについた少女二人の前に、温かい飲み物とみかんひとつずつが置かれた。
ルイズはルーレット賭博であればまず負けない。お金のないときに街中の賭博場をまわり、ひととおり荒しまわったこともある。
なので店側が一致団結して「勘弁してつかあさい」と頭をさげ、それ以来彼女は胴元を破産させぬよう、広く浅くの小遣い稼ぎ程度にとどめてきたという。
まるでヤのつく人のようなやり口だ……ちなみに『極道』とはもともと宗教用語で、法の道を極めた僧という意味らしい。
カネやヤクやシマを巡る戦いになれば、たちまち仁義ゼロのルイズになってしまいそうだ。
(ルイズが自重している……この天気のせい?)
タバサは不思議な感慨をおぼえつつ、カップを口に運んだ。特殊なカエデの木の樹液のお湯割りだという、甘くてやさしい香りの飲み物だ。
隣に座るルイズを見ると、みかんを食べる手が震えているようだ。当初の予定だと、夜までに数箇所の賭場を回れば総計千五百エキューくらい稼げるはずだった。
「どうしよう……足りないわ……」
不安を抑えきれない様子の友人に、タバサは長椅子の上でおしりの位置をずらし、寄り添ってやる。
しかし十サント近づけば、さりげなく十五サント逃げられてしまった。
(どうして? ……そばにいてとわたしに願ったのは、あなたのはず)
かくしてタバサのほうもまた、彼女のために何をしてやれるのか、よく解らないままでいる。
さて、その後―――
「ここも駄目ね……」
「残念」
雨の中を通って知る限りの賭場に顔を出しても、やはり飲み物一杯とみかんを出されて追い返されてしまうことになった。
本命も保険も思惑がはずれ、ルイズは頭を抱えて困り果てていた。
この世界では魔物からのアイテムドロップ率も低いので、一日や二日で大金を稼げる方法も、宝石商売と博打くらいしか思いつけない。
他国の賭場という手もある……でも場所は知らないし、ルイズが他国の街中をうろつきまわれば、いらぬトラブルや国際問題を呼びかねない。
常人であれば、いっそもうぜんぶ投げ出してしまいたいと考えることだろう―――だが。
「『ここでは投げられない』……ええ、投げられませんとも……」
それは己を励ます魔法の言葉。ルイズは投げられない。ツヤのない目でもう9個目くらいになるみかんをもぐもぐと食しつつ、必死にお金を稼ぐ方法を考え続ける。
タバサはどうにかしてやりたいと思うが、お金がないのは自分も一緒だ。
目もうつろな女の子から続けてぽつりと零されたつぶやきに、タバサは少し眉をひそめる。
だって、こんな風にいつもいつも危ない誤解をされてしまうような言い方をするのは、どうかと思うのだ―――
「……欲しいな、欲しいな……おじさまのおっきなアレ……」
「…………」
さもありなん。
彼女の欲しがる『オッサンのアレ』とは、金運大幅アップのユニークアイテム『商人ギードの金運(Gheed's Fortune)』という名の大きなお守り(Grand Charm)の俗称らしい。しかし無いものねだりをしても仕方ないし、切羽詰った今は行動を起こす以外の選択肢もない。
(隊長さまに泣きつこうかしら……いいえ、駄目よそれは最後の手段ね、……まだまだ手はあるはずよ……)
隊長さんは金持ちというわけではない。もし頼ったりすれば、その身を削ってさえフォローしてくれるかもしれない。
無理をして枢機卿よりも痩せてしまうあの人の姿が、容易に目に浮かぶ。待っているのは心にしみる長い長いお説教だ。
ルイズは『フォールン・ワン』のみならず『ダーク・ワン』や『ワープド・ワン』より深く反省しなければならなくなり……いずれは『ディープ・ワン』より深く……ああ、どうなってしまうのだろう!
だから期日ぎりぎりまでせいいっぱい、頑張らなくてはならないのだ。
「あーあ、どっかに大金の入ったカバンとか転がってたらいいのにな……どうしてこの国、大金どころか死体さえ落ちてないのかしら」
しかしそこは夢見がちな年頃の少女。死体ごろごろの原野を夢想し、ほわほわと楽しそうにトリップだ。
いちばん近くにいる友人からすると、心配にもなってしまう。
「ルイズ、お願いがある」
「な、何よ」
とろけていたルイズはびくりと驚いてタバサを見た。
「困ったときは、いつでもわたしを頼って欲しい」
「……そ、そんなこと言われても」
「借金のあてがある」
友のために意を決し、ガリアより派遣されし護衛者は立ち上がった。
―――
殺気と威圧感が部屋に満ちる。
ここはガリアの首都リュティス、プチ・トロワの執務室。隣国は豪雨にみまわれていても、遠く離れたこちらは曇り空。
「……世界大戦がしたいのかね?」
壮絶な殺気の主は、麗しの姫君イザベラさんだ。おでこに四つくらい青筋が立っている。
北花壇騎士ラックダナンは居ない。どこかへと出張にゆき、魔物どもを切り捨てているらしい。
イザベラは、手土産として貰ったお日様マークのついた小袋『元気が出る白い粉』をジト目でいじくりながら、来訪者へと吐き捨てるように問うた。
「白髪娘と人形娘がガン首そろえて、いったい何の御用かしら。宗教の勧誘なら間に合ってるよ」
ガリアの姫は一応のところブリミル教徒、呪われしサー・ラックダナンは敬虔なるザカラム教徒である。
「二千エキュー貸して欲しい。これは必要経費」
ゼロのルイズを引き連れて、雪風のタバサはなんと、己が上司に借金の申し込みをしていた。
一応、彼女に頼むことについて、筋は通っている。
というのも『霊薬の精製』プロジェクトは、順番待ちの己が呪われし騎士のため、イザベラにとっても協力しなければならないことだからだ。
白髪の少女も深々と頭を下げる。
「殿下、どうかお願い申し上げます。来月の頭には耳をそろえて、必ずお返しすることを約束いたします」
「……」
ガリア王室とゼロのルイズは、監視つきを条件とした不可侵の約束を取り交わした現在も、ぴりぴりした緊張関係を保っている。
ジョゼフ王は、このネクロマンサーと手探りの信頼関係を築いてゆかなければならない。なので、独自に手紙のやり取りを交わしている。
ルイズが最初に問われたのは、意外にも亡き王弟のことではなく、『このしたをなおせるか』だったりするそうな。
医者じゃない少女は『解りません』と正直に答えるほかなかった。
いっぽう娘のほうはいくつもの理由で、ルイズのことが気に食わないらしい。暴走しがちな父との板ばさみの折衝で、相当に苦労しているのだとか。
父からの『なかよくしておけ』との冗談なのか本気なのか判らぬ命令に、青髪の王女はひとり逆らい続けている。
「はん、金を貸して欲しいとは! あはは、いったい何考えてるのよ! まあいいだろう、だがこの私へのものの頼み方は知っているのかしらね?」
イザベラはくすくす笑った。目は笑っていなかった。
ルイズにとって、ガリア王室に対して信頼関係を築くことは、国の平和や自身の安全の観点からも、生涯の目的の観点からも必要なことだ。
だけどもタバサは、こんなところにまで彼女を連れて来たくなどなかった。実のところ、一人でここに来るはずだった。
ところが「借金を申し込む相手にはきちんと会って頼みたい」との真面目のようでどこかズレた理由によって、無理矢理に押し切られてしまったようである。
「……利子はお支払いいたします」
「利子ですって? いやいや利子なんて二の次の問題だ、それよりも、……んー、まずは……そうねえ」
悪い悪い笑みでつかつかと近寄ってきて、ルイズにガンつけて威圧した。
「ひざまづけよ」
二人は身を硬くした。
タバサは無表情、ルイズはぷるぷると震える。
「ひざまづきなネクロマンサー、非公式な訪問とはいえ、お前はガリア王女イザベラの御前にいるんだよ」
「まことに失礼いたしました」
うつろな目の少女は恐縮して、言われたとおりにした。タバサもまた無言でそれに倣う。
イザベラはちょっと満足そうにしつつ、顎に指先を当てる。
「うーむ、借金よりは売買のほうが、お互いあと腐れなくて良いだろうさ……タウン・ポータルの巻き物を売っておくれよ、一本につき百五十エキュー出すわ」
「!! で、出来ません」
「はん、何故だい」
「私の国の保安にかかわります……ですから、それは私の一存では決めかねることなのです」
ルイズは断るほかない。
先代ミョズニトニルンの作ったポータルや識別のスクロールは、もうほとんど使い切られてしまっているようだった。
大国ガリアをますます油断ならぬ国にしてしまうようなアイテムについては、王女や枢機卿と相談しなければ渡せないのだ。
「ふーん、……まあいいわ。それなら、今からこの私の機嫌でも取ってもらおうかね」
イザベラがにやりとゆがんだ笑顔で言ったので、修辞の才能ゼロのルイズは顔に影を落としつつ、口を開く。
「ほ、ほんじつはよいおてんきで」
「良くないわよ。その逝っちまってる目は見た目どおりの節穴かね」
たちまち切って捨てるイザベラ。
たしかに窓の外は重たそうな雲に覆われており、今にもひと雨来そうだ。ルイズの瞳が異次元節穴のように暗くなる。
強い陽光の苦手な彼女にとって、晴れも曇りもイイお天気なのである。
「……イザベラさま、本日もとってもおキレイでございます、えー、目とか髪とかラカニシュみたいに青い」
「よし解った、その喧嘩が『撒き』というわけか」
びきびき、とイザベラ王女の額の青筋がすごく増える。もうブチ切れ寸前だ。
いっぽう普通に褒めたつもりのルイズの目も暗すぎてやばい。もうやばい。今にも怪光線とか飛び出てきそうだ。
そして『ラカニシュ(Rakanishu)』とは雑魚モンスター『堕ちし小鬼(Fallen One)』たちの希望……超高位の邪精霊にして信仰対象、神いわゆるゴッド、つまり大した奴だ。地獄の権力闘争に破れて弱き小鬼の身へと堕とされし小悪魔(フォールン)どもとは、ひと味どころか次元の違う存在である。
余談だが<サンクチュアリ>世界の遺跡や洞窟で出会うスーパーユニークモンスターの『ラカニシュ』は、たいていフォールンの呪術師(Fallen Shaman)たちの儀式によって神降ろしされた化身だったりするそうな。
いずれにせよ、青髪王女の機嫌はどん底だ。
「いつぞやの続きをしたいのだろう? その白頭をアルビオンに、やせっぽち胴体のほうを分割してお前のママに送りつけてやろうか」
国や父や騎士のことなど知ったことか、とばかりにイザベラの青い目が殺意たっぷりにルイズを睨みつけた。
幽鬼のようにゆらりと立ち上がるルイズ。そしてタバサは、こんなところまでルイズを憑けて来てしまったことを心底後悔していた。そのとき……
―――どどーん!!
何かの崩れる大きな音がした。
イザベラが眉をおとし「ちぇー」とつまらなげに舌打ちひとつ、窓際に寄った。
直後、執務室へとひとりの美しい貴婦人が息も絶え絶えに、青い顔の数人の使用人に付き添われて駆け込んできた。
「ひ、姫殿下……来客中、失礼……いたします」
ルイズとタバサは驚く。その女性は血まみれだった。
ぼろぼろのドレスを赤く染めて、よろよろとした足取りでイザベラに近づき、一礼する。今にもぶっ倒れてしまいそうだ。
「どうか、しっ、しばらく……匿ってくださいまし……陛下が……」
「こっちに来られるのですか?」
イザベラは敬語で問うた。血だらけ婦人は真っ青な顔で首肯する。見たとおりのひどい怪我を負っているらしい。
「ええ、時間の……問題かと」
「わかりました……そうだ、おいあんたたち、ひとつ仕事(Quest)をあげる」
突然声をかけられ、呆けていたルイズは肩をぴくりと動かした。
「諸経費および報酬込みで、二千エキューはくれてやる。今すぐこの方を<ポータル>で連れて行きなさい。持ってきているんだろう?」
「え?」
「出来るなら早急に治療してやっておくれ……ほれ、あんたらの金よ」
イザベラ王女は金貨の入っているらしき袋をいくつか取り出し、タバサの足元にむけて放り投げた―――どしゃどしゃり。
ルイズは慌ててけが人のご婦人に肩を貸し、タバサは袋を拾い上げる。唐突すぎるが、これはまちがいなく『亡命ほう助』の依頼である。もう戸惑うほかない。
「あの、イザベラ殿下……これはいったい何が起きているのですか?」
「あまり詳しいことは聞くな。説明している暇も無いわ。さあ、さっさと行きなさいゼロのルイズ」
だがしかし、今回は相当に切羽詰った事情のようだ。来客二人は謝辞を述べるのもそこそこに、「門よ!」と唱えて<ポータル>のゲートを開いた。
ルイズは女性に問う。
「私の素敵なおうちにご招待しますわ、同行していただけますね?」
「は、い……」
なんとも弱々しい声だった。瀕死の女性をパーティに組み込み、二人はプチ・トロワを後にする。
使用人たちが、「どうか夫人をよろしくお願いします」と頭を下げていた。イザベラは頭を抱えて執務机に腰掛け、大きくため息をついていた。
やがて、野獣の唸り声が近づいてくる……ぐ る る る る る……
青髪の王女は目を閉じて、ちょっぴりぶるぶると震えつつ、静かに覚悟を決め、そして―――
カッ、と窓から部屋を満たした稲光が石造りの壁に大きなケモノの影を映し―――ああ……このあと、いったいどうなってしまうのだろう!!
―――
「ただいま司教さま、客人をお連れしましたわ」
『幽霊屋敷』に戻ってきて、ルイズたちは連れ帰った怪我人へと適切な治療を施すことになった。
ポーションを飲ませ、お湯を沸かし、タオルで拭ってやる。彼女の頭からはだくだくぴゅーっと血が噴出していたが、やがて止まってゆく。
いっぽう介抱していた少女のほうは、白い髪もシャツも、たちまち日課のようにスプラッタだ。
さて、治療のあいだじゅう客人が青い顔でがくがくと震えていたのは、血を失いすぎたか精神的ショックのせいか……はたまた『幽霊屋敷』の内装が恐ろしいのか。
ルイズは一応、怪我をした事情を問うてみたのだが……
貴婦人は涙を流し、貧血の青い頬に手をやり、血まみれでくねりくねくねと悶えるように切なげに身をよじる。
そして、怪我についての事情をたったこれだけの言葉で語ったのだ―――
「……ああ……愛が……痛いのです!」
ざざざざざ―――豪雨の音と甕(Urn)へと落ちる雨漏りの音だけが部屋を満たす。なんかもう、仕草が痛かった。
ルイズがタバサへ視線をやると、お手上げと言わんばかりにバンザイだ。
「このひとはモリエール夫人。ガリア花壇騎士の団長。痛々しい理由については、わたしにも解らない」
タバサかく語りき。弱りきったご婦人は、「後生ですから、詳しい事情はあまり問わずにいて下さいまし」と言った。
二人はだんだんと事情を把握しつつある……見たところ、あの怪我は間違いなく、猛獣にやられた爪のあとだったからだ。
そしてこれは他言できないと納得するしか道はない……ああ、確かにこんなどうしようもない事情、他国の人に語れるはずもないではないか!!
(さすが大国というわけね……ガリア恐るべし……も、もう絶対甘くみたりなんかしないわ!)
ルイズは背筋が寒くなり、同時にちょっと感心もした―――よくもまあお互いアレから生き延びることができたものね、と。
タバサも背筋が寒くなる―――ひょっとすると、この人の花壇騎士団長というのも伊達や名誉職などではなかったりするのかもしれない、と。
そしてこのご婦人が辿ってきたであろう、そしてこれからも辿りつづけるであろう死相と隣り合わせの果て無き茨の道にたいし、二人は心底同情してやるほかないのだ。
まあ、なんて可哀想なのでしょう―――愛した人が熊だったなんて!!
グラン・トロワは毎日がサバイバル、愛さえも命がけなワイルドライフ・アバンチュール。
男はオオカミどころではない、グリズリーだ。グリズリーなのである。
雪風のタバサは震える指で聖具の形を切って始祖ブリミルへと彼女の生存を祈り、血みどろルイズは両手をあげて怖く青白い霊気を放ち、始祖ラズマへと彼女の死後の安らぎを祈った。かくして怪我人モリエール夫人はショックでブッ倒れ、立派な棺おけの中に安置されるに至ったのである。
(もしもワルドさまが熊になったら……はっ、グリズワルド!?)
実にどうでもいいことを考えているルイズ。つづりとか全然違う。
//// 30-3:【モンモランシーのなく頃に】
ちょっと時はさかのぼり、ルイズたちが賭場廻りをしているところ、金髪の少年少女は臨時オークションを見守っていた。
品数も多いわけではなく、出席者のほうもここの高級宿に泊っていた少人数。この分では、すぐに閉会してしまうことだろう。
勘定を終えたら売上金を受け取って、借家に帰ってルイズたちと合流する予定である。
「あら? あの人って……」
モンモランシーは、どこかで見たような面影をもつ人物に気づいた。
「おおう、なんて綺麗な方なんだ……!」
ギーシュが切なげに言った。視線の先には、自分たちの出品した宝石を片っ端から落札していく、ブロンド髪の女性がひとり。
年齢は二十代後半くらいになるだろうか。眼鏡の奥の目つきは鋭く、背が高く、胸の薄い美人だ。
不機嫌になったモンモランシーは、その女性に見とれる恋人の足を踏んづけた。……おぅふ!
(でも不思議……どことなく、いえ……すっごくルイズに似てるわね)
ちょうどゼロのルイズの性格をもっとキツそうにして年を重ねてゆけば、あんな感じになるのだろうか。
ブルデス・ブラック・ゴシックメタル的ホラーな級友とは異なり、あっちは向かうところ敵なしの女傑といったような怖さがある。
彼女と本気で競り合おうなどと頑張る客はひとりまたひとりと減ってゆき、宝石は値上がりもみるみる頭打ちになってしまう。
(困ったわ……あの人の迫力がすごいせいで、お客さんたちが金額を吊り上げてくれない……このままじゃ目標金額に届かないかも!)
残念ながらここにいるたいていの客は明後日が本命か、今日は暇つぶしのひやかし気分……あるいは、転売目的に安く仕入れようとしての参加だったようだ。
モンモランシーはごくりとつばを飲み込み、戦々恐々と成り行きを見守る。終盤に近づくにつれ、二人は落ち込んでゆく。
オークションが終了したあと、二人は大いに驚いた―――なんとその女性が、こちらに近づいてきたのである。
「ちょっとあなたたち、なんでこんなところに居るのかは知りませんけれど……たしか魔法学院の生徒ですわよね? 聞かせていただきたいことがあるのよ」
その女性はアカデミー(王立魔法研究所)に勤め、美しい聖像を造る研究に携わっている土メイジだという。
本業の研究に役立つ掘り出し物を求めており、宿の臨時オークションにて宝石が出品されるとの知らせを受け、渡りに船とばかりに出席したのだとか。
そして彼女は、こう名乗った……エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエール、と。
さて―――
モンモランシーたちは、学院でのルイズの素行について根掘り葉掘り尋ねられることになった。
ひとつ語るたびにその女性は次第に不機嫌そうになってゆき、怯える少年少女は答えられる限りのことを正直に話すほかない。
「へえ、そう……この宝石はあの子が出品したのね……なんか様子がヘンだと思ったら、やっぱり」
「は、はいそうなのです」
逆らえばどうなってしまうのか、想像もつかない眼力だ。
美人を前にしているというのに、女好きのギーシュでさえヘビに睨まれたカエルのごとく。
足はがくがく喉はからから、ぎゅっと握り締めた手のひらには滴り落ちんばかりの汗がにじむ。
「まったくあの子ってば、無駄遣いばかりして……この宝石も違法スレスレなのよ? ああ、なんという綱渡り……恥というものを知らないのかしら」
ゴ ゴ ゴ ゴ―――頭痛を堪えるように眉間をおさえ、エレオノールは猛烈な怒りのオーラを放ちつつ、ぶつぶつと呪詛を吐いていた。
何かがぶちりと切れる音がしたのは……タルブ復興に大金を寄付したという事情を話したときのことである。
「家族のためだと、カトレアのためだと思って……ろくに深い事情も話して貰ってないのに、ずっと苦渋を噛み殺して、どんなにおいたしても許してあげて来たのに……」
殺気が目に見えるほどに増大してゆく。
そこにあるのは、姉妹の立場の決定的な相違だ。
家族のための霊薬の精製があるというのに『たかが平民メイドのため』に大金を寄付するなど、姉にとっては信じられない暴挙に見えてしまうのだろう。
「やっぱりあの子……いちど徹底的に問い詰めるか、問答無用で実家に連れ帰るしかなさそうね……」
今までも姉妹は暗黙の共犯関係にあったとはいえ、……『異教信仰』などの人に明かせぬ事情については、王女殿下の権威を盾に、ずっと秘密にされたままだったようだ。姉は妹の素行を怪しんで、その場しのぎのごまかしもフォローもすでに臨界。我慢もここにきて天元突破、爆弾マークも破裂寸前である。
モンモランシーたちは、近いうちにあの白髪の友人に降りかかるであろう大災害を想像し、冷や汗を加速させるのであった。
そしてエレオノールのやり場の無い不機嫌の矛先は、目の前の少年少女へと向かうことになる……
(この子たち……ずいぶんと仲の良いカップルみたいね……まさか、学生の身分でもう婚約してたりするのかしら、毎夜毎夜ちゅっちゅしくさって……!)
……ここだけの話、彼女には目の前の若き二人が『邪悪なる不純異性交遊』に見えて仕方がないらしい。
無理もないことなのかもしれない―――二十七歳の彼女は、悲しむべき諸事情によって、つい最近婚約が流れてしまったばかりなのだから。
よってヴァリエール家の長姉は、あの白髪になった末妹よりも『おに』と呼ばれるに相応しいシーズン真っ盛りのようだ。
「余計なおせっかいかもしれないけれど、あなたたちもですわよ? こんなふうに学校に通わずに遊んでばかりいるのは、あまり感心できませんわね!」
「……っ!」
眼鏡の奥の猛禽類のような目が、少年少女を射竦めた。言い方こそキツいが、たしかにそれは理のないこともない言葉だ。
実家公認のギーシュはともかく、その恋人モンモランシーのほうは、先日ラグドリアンの実家のモンモンパパとモンモンママから「授業をサボっているとは何事か」とのお叱りの手紙を受けとったばかりなのだった。
もしも彼女が来たる女王の戴冠式にて、学院生徒代表の祝辞を述べる役に選ばれていなかったとしたら、その栄誉による緩衝のないぶん、もっとひどいお叱りを受けていたことだろう。
「いいかしら、結婚は人生の墓場なのですッ! 良く考えなさい! 不純な動機で安易に同棲なんかしていたら、たちまち墓場一直線ですことよ!」
お説教はたちまち不毛な言いがかりのレベルへとエスカレートしてゆく。
「平民の面倒を見ているだなんて、そんな言い訳信じられません! あの子も大概ですがあなたたちも省みるべきだわ! 全く最近の学生は!」
「……っうう」
「ああっ、モンモランシー!」
ギーシュが驚いた表情を見せた。モンモランシーがぎゅっとスカートの裾を握り、ぽろぽろと涙を零し始めたのである。
彼女は現在休学中、王都に留まって内職をしている。友人シエスタのそばに居てやりたい、恋人のそばに居たいという理由からだ。
ギーシュはタルブ村の復興のため、難民支援や資材や資金のやりくりに尽力してくれているが、それは本来いち学生のするような仕事でもなく。
学生の身分、そしてトリステインの貴族であるなら、今すぐシエスタやその家族のことなんか放り出して学院に戻り、勉学にはげむべきなのである。
「だけど……ぐすん、嘘じゃないわ、友だち……なのよ……たしかにシエスタは平民よ! でも、そんなの関係なく、大事な友だち……なんだから……」
喉の奥から必死の想いを搾り出すかのように、金髪の少女は言葉をつむいでいた。
「みんな笑顔でいようって、みんなの笑顔を守るって、水の精霊に誓ったのに……私と、ルイズと……!」
慌てたギーシュが背中をさすったりして、必死に宥めてやる。
いっぽう、エレオノールは盛大に戸惑って目を白黒させていた―――ナニコレ、初めて見た……これが本気の若さ……水の精霊に友情を誓うとか、何なのよソレ!?
怒涛のような若葉の匂いに襲われて、自分が年を食ったという実感が、壮絶なる敗北感へと繋がってゆき―――
(はっ、な、何てこと……わわ私、なんかすごい悪者になってるじゃないの……!)
なんて大人気ないことを……とすぐさま自分の行動を省みる彼女はやはり悪人ではない。冷や汗をながし、顔も青くなったり赤くなったり。
妹の学友に思わず八つ当たりしてしまった末にマジ泣きされるなんて、むろん本意ではなかったのだから。
「……ま、まあいいわっ! ああっもう泣くのはおよしなさいな! 解りましたわよ! あなたたち、本日私に会えて運が良かったとお思いになることね!」
「えっ?」
どしゃり、どしゃり―――机の上に置かれてゆくのは、金貨の袋だった。
「その……売り上げが目標金額に届かなかったのでしょう? おほん……そ、それは、ええ、きっと私が出来る限りの安値で競り落としたせいよね……」
エレオノールは、本日手元にある分のお金を、なんと貸してくれるのだという。
これは研究資金なのだが、明後日までに銀行から私費を下ろして補充すれば良いらしい。
売上金と合わせると四千五百エキュー……当初の予想をはるかに上回る金額だ。
モンモランシーは泣きやんで、ギーシュと一緒に目をまんまるにした。
「感謝いたします、ミス・ヴァリエール!」
「……これはカトレアのためなのですから、かっ、勘違いしないでくださいな!」
喜色満面で礼を言う学生カップルにたいし、エレオノールはつんとそっぽを向いてちょっぴり頬を染め、そんな風に答えたのだそうな。
俗に言う幻のデレオノールさんである。
//// 30-4:【すのっつぴるいず(Quest From DiabloⅠ:Ogden's Sign)】
モリエール夫人の治療がひと段落し、お世話をリュリュたちに任せ、ルイズとタバサはふたたび王都の街へ飛ぶ。
片手にはしっかりと二千エキューの入った鞄。もう片方の手は、視界の悪い土砂降りのなかではぐれてしまわないように、しっかりと繋ぎあう。
雨が叩きつけても、風がびゅうびゅう吹いても、雷がどどーんと鳴っても、二人なら怖くない。
(この先どんな困難があっても、こんな風に乗り越えてゆけたら……)
悩めるタバサは己の思考に埋没していた。
ざ、ざ、ざざざ―――
(ルイズはそういうのを望んでいないのだろうか……でも、わたしには、こうやってそばで守ることしか)
全てを塗りつぶすかのような豪雨のノイズは、まるで異教の催眠術の楽器みたいで。
時間の感覚も、方向感覚も、灰色のなかに溶けて消えていってしまうような……
先ほど友人がしみじみと言っていたことを思い出す。
『実は私ね……タバサをいじめるのは許せないけど、あの王女さまのことは嫌いになれないの……だって私のことをいつも<死人占い師(Necromancer)>って呼んでくれるんだもの』
ラズマ死霊術士は聖職にある。『死霊使い』や『死人使い』はいち側面に過ぎない。
『屍兵を操る』だけの水の先住魔法なら、この世界にもあるのだそうな。
……だが死人と交流して守ってもらう占い師なんて、その十七倍以上怖かろう。
ゼロのルイズはそういうところに、ネクロマンサーとしての誇りを強く持っている。それ以外のところは、ちょっぴりおざなりなのかもしれない。
(……ルイズは、どんどん強く、怖くなってゆく……わたしはどこまでついてゆけるのだろう)
ひょっとすると、いつか人間であることさえ平気でやめてしまうのではないか……と、考えをめぐらせていたころ。
曲がり角、またしてもゴーレムに曳かれた馬車が通り過ぎてゆく。この雨では、馬に曳かせた馬車は走れないのだろう。
どどどどど……ばっ―――どしゃっ、どしゃどしゃっ。
「……っ!!」
いったい何が起きたのか……タバサはすぐに理解する。
展開していた雨風除けの『エア・シールド』の領域に、先ほど近くを通過していった馬車の一部がちょっぴりひっかかったのだ。
むろん、出力を絞った『エア・シールド』はたいしたものでも無いので、走行中の馬車が多少ひっかかったくらいで事故を起こすようなことはない。
「何か落として行ったわね……カンバン?」
「ちがう、かばん」
「こっちはカンバンだわ……そっちはカバンよね、うん」
不思議な出来事だった。
さっきの馬車に、この豪雨か風か雷で吹き飛んだのか、どこかのお店の看板が引っかかっており、ずっとここまでぶら下げられてきたようだ。
その全長一メイルほどの看板の突起に、さらに鞄が引っかかっていたらしい。
そのカバンとカンバンが、曲がり角の遠心力とタバサの『エア・シールド』の効果範囲にぶつかったことにより、馬車から取れて落下したのだ。
乗っていた人間たちのほうは……ひっついていた荷物に気づくこともなく、もう何処か遠くへ行ってしまったようである。
(この看板……太陽のマーク……どこかで見たわ)
なんと今朝の占いのラッキーアイテムと、こんなところでご対面だ。
当初持っていた太陽印の白い粉も、役に立ったことは立ったのだが……あるいはこちらが本命かもしれない。
タバサは鞄を拾い上げる。大きくずっしりと、ひどく重たいカバンのようだ。
「ウフフ知ってるかしらタバサ、こんな感じの太陽のマークってね、古来より大いなる力の象徴とされていて……」
「こっちの中身は、ぜんぶ金貨」
「うそ!」
ルイズは目を丸くして、飛び上がらんばかりに驚いた。
―――……
さて。
「すごい……たぶんコレ、四千エキューくらい入ってる……」
少女ふたりは雨をさけて、とある民家の軒先に身を寄せ合う。さっそく拾ったものを物色中なのだ。
ルイズは緊張でぷるぷると震え、タバサは寒さに肩をすくめる。十サント近づいても、不思議ともう友人は逃げなかった。
「どうするの」
「……貰っちゃって良いのかしら?」
文字通り降って湧いた大金である……これを持ったまま今すぐ<ポータル>で戻ってしまえば、誰にも気づかれないだろう。
ルイズは欲しいと思っているようだ。来月になって借金をすべて返したあとは、また貧乏になってしまうのだから。
そして普段の彼女は、まるで忍者のようにネコババ大好きであるからにして……「守護聖獣のご加護なのよウフフ」とか言い出しかねない。
ざざざざ……雨音と無言がしばらく続き……
「でも……お金ってとっても大切なものなのよね……」
―――迷いながら、ルイズはうつろな目でそう言った。
平民の一年の生活費が約百二十エキュー、下級貴族が約五百エキュー……シュヴァリエの年金も五百エキュー。
四千もあれば、森付きの立派な屋敷がふたつは買える。それをはるかに越える金額を、霊薬の精製は湯水がごとくに必要とするのだ。
いま目の前にあるこれだけの金額を稼ぐために、人はどれほどの苦労をすることになるのだろう。
だって、余裕で殺人事件くらい起こりそうな金額なのだから。
ルイズは思い出す―――出会った当初の平民剣士アニエスは、ルイズが姉たったひとりのために超大金を費やすことに、あまり良い顔をしなかったものだ。
互いのことを良く知り合った今ではそうでもないし、むしろ応援してくれているのだが。
彼女はお金で命を貸す『傭兵』をやっていた。だから、良い気分にはなれないのだろう……人ひとりの命の価値の、大きすぎる違いを見せ付けられているかのようで。
支払いに消えてしまう金貨の山を見て、アニエスははしばみ草を噛み潰したような顔をしていたし、シエスタは……強くなった……実に……
「こんな雨のなか、こんな大金を持って外出した人がいたのよ……落としちゃって悲しんでるわ、今まさに絶望のど真ん中よね、きっと……」
昨日今日と、お金のなさに大きく悩まされたルイズ。
タバサは知っている……この友人は誇り高く、人の心の痛みを知る少女であり、性根のところは優しい人なのだと。
とはいえ迷う彼女にすっぱりと心を決めさせたのは、ほかでもないさっきイザベラから貰った二千エキューのようである。
「もしも足りてなかったら、ちょこっとだけ借りてたかもしれないけれど……うん、今は足りてるから、要らないわ」
ウフフフフ……
監視者タバサはひとまず胸を撫で下ろした。ルイズのネコババを見るのは、やっぱり胸が痛むからだ。
だが、タバサは思う……もしも足りてなかったとしても、彼女は十三倍くらいの時間をさんざん迷ったあとで、同じ結論を出してくれるのではないかと。
二人は街を守る衛兵の詰め所へと、金貨入りの重たいカバンを運び届けにゆくことを決めた。
「やっぱりこのカンバンのマーク、見覚えあるわ……うん、たしかモンモランシーの借家の近くのお宿のものだったと思う」
看板にはそのお店の誇りが込められているものよ、だからこっちもあとで届けてさしあげましょう……
とはいえこれだけの大荷物は、ひどくかさばってしまうものだ。もう持てない(I can't carry any more)!
ルイズは民家の戸を叩き、住民夫婦を劇的に怯えさせ子供を「ぎゃあーーー!」ガン泣きさせながら、一本の果物ナイフを買い取った。
土は水をたくさん吸い、血は術者と生命を共有し、火は手にした持ち物を焦がしてしまうので運搬には向かない。
……こんな豪雨のなかでも平気で動けそうなゴーレムは、ひとつしかないのだ。
「さあおいで、『鉄のゴーレム』ちゃん(Summon Iron Gorem)!!」
ルイズが指をぱちりと鳴らす。
彼女は杖を身につけていない……タバサはあの大事な『イロのたいまつ』を一刻も早く返してやりたいと思うが、なかなかままならないものである。
ぐおーん……と、果物ナイフが光を放ち、ラズマ秘術による<鉄のゴーレム>が生誕した。
心持ち鈍く輝く白い甲冑と、足元を回転する<ソーンズ(棘)>のオーラが、雨の路地を照らす。
戦闘用に造らず、両手ともが拳のデザイン。カウンター攻撃用のトゲの本数も少ないが、今はこれで充分。
こいつにはデフォルトで電撃耐性がついており、万が一雷が落ちても安心だ。
「連れて行って、タバサ」
ゴーレムに荷物を持たせ、ルイズはどこか晴れ晴れとした表情でタバサと手をつなぎ、ぐっしょり中まで濡れた靴もべちゃべちゃと、豪雨のなかを踊るように歩み始めた。
衣食足りて礼節を知る―――お金のことにせよ他の何にせよ、心の余裕というものは、誰にとっても大事なもののようだ。
―――……
……
さて、こちらはさきほど少女たちのそばを通り過ぎた暴走馬車。
「くっ、撒いたか?」
「わかりませぬ……どうか、ゆめゆめ油断なさりませぬよう!」
乗っているのは、二人の貴族。何者かに追われているらしく、憔悴した表情だ。
うちひとりはそこそこ腕の良い土メイジらしく、豪雨のなかゴーレムを操り、馬車をすごい速度で曳かせていた。
ざ、ざ、ざざざぁ―――
「ここは精神力の消費を抑えるべきだ、速度を落とそう、こんなところまで来れば、もう安心であろうに!」
「いいえ、あやつは恐るべき手錬れ! スクウェアメイジにございます! せめて街を抜けるまでは、どうか辛抱くださいませ!」
窓からあたりを警戒するひとりは、悔しげな表情で頭をかかえている。
「ああ、我らの密談を聞かれてしまうとは……もうアカデミーにも戻れませぬ……」
「あの地獄耳め部外者め! 我々のアカデミーで大きな顔をしおって……盗み聞きとは不届き千万! しかも下賎な粉引き女などを庇いだてして、どうするつもりなのだ!」
どんなに悔しがって毒のような言葉を吐いても、彼らはもはや逃げるしかない立場のようだった。
「もうすぐ街を抜けまする……この豪雨、この速度ならば、逃げ切れるかもしれませぬ」
「だがラ・ロシェールまでこのペースでは精神力が持たぬぞ、途中で馬を買わねばならぬ……手持ちは三百エキューか、しまった、足りぬな」
彼らは、逃げる寸前にアカデミーから奪ってきた部外秘の資料が、アルビオン亡命のための取引材料となることを期待しているようだ。
先ほどこの馬車の後部に四千五百エキューもの大金の入ったカバンがぶら下がっていたことを、もしものちに知る機会があったら……さぞや地団駄踏んで悔しがることだろう。
「ご、強盗をするというのですか……我々は貴族なのですぞ」
「そうするほかあるまい!」
そんなやりとりを交わしていたところ―――
「ふむ、民草の生活を乱すと言うか……貴族の風上にも置けぬ奴よ。ますます逃がせぬというわけだな」
いつのまにかゴーレムの頭部に、ローブを身につけフードを深くかぶった、ひとりの不気味な男が立っていた。
雨の中だというのに、あまり濡れている様子はない。杖を手にしている……どうやら、極めて腕の良い風メイジのようだ。
馬車の中の二人は、目をむいて驚く。
「ど、どうやって追いついた!」
「知らんのか―――ふはは、ならば教えてやろう……『風はあまねく存在する』のだッ!!」
慌てた土メイジは、その男にむけて杖を振る。
「ゴーレムよ、振り落とせ!!」
「教わることに遠慮はいらぬぞ、私は教師なのでな!」
目つきのひどく悪い風メイジは、ゆらりと御者台のほうに移動していた。
馬車の中のもう一人……部下の水系統メイジらしい男は、雨粒を操って槍のように形をととのえ、不遜なる風の男に攻撃を加える。
―――雨の日の水メイジは、十二分の力を発揮する。
「フン、効かん!」
「なに!?」
しかし、男のまとう風の防壁を突破することは叶わず。
「始祖ブリミルの御技、魔法の発展に長らく尽力してきた貴様らには、特別に我が新必殺技を見せてくれよう……『ウインデ(風よ)』!」
つむがれたのはひたすらに単純な、ただ風を操るだけの呪文……ただしその攻撃は、あまりにも速かった。
「それ、ゆくぞッ、耳かっぽじって聞きたまえぃ! ―――喝ぁーツ!!!」 ド ド ド ドォ……
バシイ―――馬車の窓がすべてひび割れて砕け散る。
これまでのハルケギニアには、ほとんど存在しなかった着想による呪文―――それは誰も彼もの想像をはるかに超える、音速の打撃である。
彼の生徒たるひとりの個性派な白髪少女との茶飲み話は、なかなかに興味深い必殺技の着想を、いくつも彼に与えてくれていたようだ。
異世界<サンクチュアリ>、北方のアリート山脈に住まうバーバリアン一族の漢(オトコ)たちは、ただ叫び声をあげるだけで、敵に物理的打撃を与えるという。
<戦の咆哮(War Cry)>―――それは、『凄み』である。
ただでかい声でウオッウオッと吼え、『凄み』だけで敵を倒す、それは漢の中の漢の技だ。
そしてこの風のスクウェアメイジは、自らの優れた風魔法で音をひたすらに増幅することで、真の『凄み』への到達を目指しているらしい。
暑苦しい『ウオッ』ではなく勝手に『喝』に変更したのは、風のクールさのイメージに合わないからとか何だとか。
空間を埋め尽くす雨粒すべてが音に乗り、爆発するがごとくすさまじい勢いで弾かれてゆき、轟音が馬車の中のメイジたちを打ちのめしていた。
―――どしゃああああ!!
衝撃に全身を打たれ、眼窩と鼓膜を強打され、三半規管を揺さぶられ、杖とゴーレムの制御を手放し……馬車はカーブを曲がりきれず横転し、立ち木へと突っ込んでいった。
割れた窓から放り出されて気絶した水メイジの男は、先日とある目的のために毒薬を精製し、五人の傭兵に持たせ送り出した人物らしい。
そのごろつき五人を雇ったのが、ゴーレムを使役していた土メイジのようだ。陰謀を聞かれてしまったときには、すでに彼らの命運も尽きていたのである。
「わが二つ名は『疾風』ッ! ……貴様ら下種どもの首魁『灰色卿』とやらもいずれ見つけて教授してやろう、時代の風からは逃れられぬのだとな!」
クールに杖をかまえ勝利のポーズを決めるギトー先生は、アカデミーの書物目当てに乗り込んでもますます絶好調だ。
研究ついでにそこに巣食う闇と、人知れず戦ったりもしていたようである。
「おや、雨音が聞こえん……ふうむやりすぎたか、術者自身の鼓膜さえいかれてしまうとは、風はやはり最強……しかし要改良……さて」
治療ポーションを飲み下しつつ、これからどうやって倒した二人を衛兵詰め所へと運んでゆくかについて、ちょっと悩み始めるのであった。
マナ・ポーションを切らし、浮かせるにも雨が不都合。研究者肌の彼もまたハルケギニアの貴族らしく、腕力に乏しいようだ。
―――
ルイズとタバサは、王都の衛兵詰め所へと金貨を届けた直後、帰り道にて疾風のギトーと行き会った。
ボロボロのメイジを魔法で一人浮かせ、もう一人を疲れきった不気味な顔で担いでいた。
「む……」
「まあ、ごきげんようミスタ・ギトー、素敵な偶然ですわね」
「こんなところで何をやっているのかねミス、授業はどうした」
雨に打たれる彼はいたく不機嫌そうにしていたが、二人が大金を拾って届けた事情を聞き、驚いたような顔をした。
「櫛風沐雨(しっぷうもくう)じつにご苦労、誇りたまえ」
生徒二人は回れ右をする。ギトーに倒されたメイジ二人の運搬を、アイアン・ゴーレムで手伝うことにしたのだ。
曲者を衛兵に引き渡したあと、ギトーは相貌をくずして労い、ルイズとタバサの頭をそよそよと不器用に撫でてやった。
白髪と青髪の二人の女子生徒は、心地よさそうに目を細めたのだという。
さて―――
「へくち!」
ルイズは盛大にくしゃみをした。体が冷えたせいかもしれないし、どこかでウワサをされているのかもしれない。
「おやおや……これはこれは貴族さま、わざわざありがとうございます」
二人がギトーと別れ、目当ての宿に拾った看板を届けると、その怪しさに少々警戒しながらも、宿の主人は大いに喜んでくれた。
お金稼ぎに目処がたち、いいことをした後は、ちょっぴり疲れてはきていても、ルイズの気持ちも満たされている。
「くっしゅ!」
「雨に濡れてしまわれましたか。お体にはお気をつけくださいますよう……暖かい飲み物とみかんを用意しましょう、お湯でカエデの樹液を」
「いえ、いりません、すぐ帰りますので」
道中ずっとタバサが傘代わりの魔法を張ってくれていたのだが、結局防ぎきれずに、二人とも濡れてしまっているようだ。
主人は女中に命じてタオルを取ってこさせる。
「何かお礼をしなければ……ああ、そうだ、すっかり忘れていたアレはどこにやったかな」
続いて、お礼の品を探しにゆき戻ってきた主人から手渡されたものは―――見覚えのある、緑色の布切れだった。
ルイズとタバサは顔を見合わせた。こんなところにもまた、なんとも不思議な縁が繋がっていたようだ。
「これはとある貴族さまが宿泊したときに忘れていった頭巾なのです……とはいえ、ちょっとした曰くがありましてね」
主人の男は頬を掻いた。ルイズたちが学院の生徒だということには、どうやら気づかれているらしい。
「ここだけの話、その貴族さまこそが、あの魔法学院の偉大なるメイジ、オールド・オスマン! ……ああ、だからこれはきっと、すごく価値のある頭巾に違いありません」
まるでいたずら好きのはなたれ子鬼(Snotspill)を見るようなニコニコ笑顔で、主人は言った。
つまり共犯者になってネコババするか、落とし主に届けるかどうかは、ルイズたちに任せるというわけである。
明日にでもオスマン氏に届けたら、なにかお礼が貰えるかもしれない。
宿の主人はどうやら、この不恰好な頭巾を『まったく価値の無いもの』だと踏んでいるらしい。
だから、学院長へと届けてお礼をもらったほうが、きっとこれ自体よりはマシなものを貰えるだろうと考えたようだ。
そんなささやかな夢……ワクワク心を少女たちへのお礼にするとは、なかなか洒落た性格の男なのだろう。
しかしその頭巾の正体は知れている―――見かけによらず強力なシャコー帽なのだ。
そして偉大なるオスマン氏は、ゼロの子に対してだけは超ドケチ……頭を撫でてもくれないし、男女問わず言う「ハグしていいぞ」さえも出てこない。
ワクワクも半減以下だ。
「貴族さま、ちょうど妻がシェパードパイ(shepherd's pie)を焼いたところなのです。お時間がありましたら、どうか味わって行って下さいませ」
主人がそう言って、二人を引きとめた。奥さんはアルビオン出身だとか。
振舞われた得意料理にはひき肉が使われていたため、ルイズは食べることが出来なかった。
なのでお菓子をいただき、パイのほうは食欲旺盛なタバサがぺろりと美味しく平らげることになった。
―――ここで混乱なきよう記しておくと、宿の主が異世界人だったとかオグデンという名前だったとか、そういった話はない。
ルイズは知らないのだが、大宇宙の運命の流れのなか、似たような世界では、いくぶんか似た出来事が起きたりもするらしい。
たとえば<チキュウ>とは全く異なる歴史を辿ったはずのハルケギニアでも、よく似た固有名詞や概念が生まれたりするようにして。
かつて異世界の街トリストラムの宿で起こったのとよく似た今回のエピソードでは、ひょっとすると『道化師の頭飾り(Harlequin Crest)』が、いたずらな偶然を拾い集めるような、不思議な力を働かせていたのかもしれない……
さておき。
「そういえば確か、『正直は身を助ける』だったかしら……今朝の占いの結果」
「当たった?」
「ええ、たぶん……良心を問われる場面とか多かった気もするわ」
二人はおなかもくちくなり、忘れ物の頭巾を受け取って、その宿を辞してモンモランシーたちの借家へと向かう。
鉄のゴーレムをひきつれて、ふたたび雨の中をくぐるように、ぎゅっと手と手をむすんで歩んでゆく。
ちょっぴり上機嫌な少女たちは―――今朝の占いの『本日の金運は最低』という結果が、このときすでに出ていたことを知らない。
ルイズの占いは当たる。それも、たいていはまったく思いもよらぬ形でだ。
二人の開いた距離をすこし縮め、子供を噛んで、友との絆をいっそう深め、貴婦人の命を救い、暖かい飲み物とみかんをたっぷりもらい、子供をガン泣きさせ、大金を拾って届けて、敬愛するギトー先生に褒められ、美味しいお菓子とパイをいただいて、オスマン氏のシャコー帽を受け取り……
たしかに占いどおり『正直に』行動し、数々の大きな精神的満足は得られた―――だが。
タバサの胸を一抹の不安がよぎる……これは次善の結果なのかもしれない。実のところルイズは、『いちばん正直な』行動をとっていないのだ。
ならば『金運最低』の日の金策で、果たして本当に上手くいくのかどうか。
この先、最大のパニックが待ちうけているかもしれない―――
//// 30-5:【そこがチャームポイント】
雪風のタバサは、金髪の少女モンモランシーがルイズと一緒に居るのを見ると、なんとなく落ち着かない。
どこか他の友人たちとの間にはない親密さがあるようで、二人の空気や距離感を、ちょっと羨んでいたりもする。
かつて誤解とはいえ、『けだもの』のように睦みあう二人を見たとき、ショックで逃げ出してしまうくらいには。
しかもあのとき、金髪と白髪の少女二人の間には、何やらでっかいヒミツも出来たらしい。
そのあとの一時期、モンモランシーはルイズを猫可愛がり……いや犬可愛がりしていたし、多少スキンシップも増えたように見えたり。
タバサは子犬のようにへこむルイズよりも、猫のように自由なルイズを好ましいと思っているせいで、反発心を抱いてしまうのかもしれないが。
さて―――
二千エキューを稼いで戻ってきた二人を出迎えたのは、挙動不審のモンモランシーとシエスタだった。
やけにしおらしく微笑むモンモランシーが、そっとルイズの手を取って、こう言ったのだ。
「おかえりなさい。ねえルイズ、ご飯にする? お風呂にする? それとも……私の……」
「ただいま……って、え、……何?」
ルイズとタバサは硬直した。
玄関ホールでは黒髪の子供たちが、格好いいアイアン・ゴーレムに興味しんしんとまとわりつき、モグラのヴェルダンデが見守っている。
何故かギーシュの姿は見えなかった。金髪の少女はルイズの耳元に唇を寄せ、囁く。
「あなた前に私のこと好きって言ってくれたの、嘘じゃないわよね?」
「?? うっ、うそじゃないわ……えと……すすす好きよ……?」
ぽっと頬を染めて、ルイズは小さな小さな声で答えた。
モンモランシーは安堵したように頷いて、「久々に二人っきりになりましょ?」と、赤い顔のルイズを引っ張って行ってしまった。
タバサはその場に残された……シエスタにがっしりと腕を掴まれていたのだ。
「ミス・タバサ、お茶をどうぞ、クッキーもどうぞ……わたしが心を込めて焼いたんです」
「……」
「さあ遠慮なく……フフ、たくさんありますから……ハチミツも……ハチミツ……とぉっても美味しいですわよ、クッキー……」
「……」
「フフ、お茶……クッキー……ハチミツ……イチジクのタルト……カブト虫……」
いったい何が起きているのか……シエスタの目にもまったく生気がない。
雪風のタバサはこの場に引き止められている。
(まさか、恋人の居ない間に浮気?)
そんな光景を想像してしまう―――
『好き、骨の髄まで好きなのモンモランシー!』
『私もよルイズ……ほら、私の体に脈々と流れる水の力が……あなたを好きって言ってるわ!』
自分は面と向かって『好き』と言われたことがない。
そのうえ近づけば逃げられてしまうというのに。
このまま放っておけば……
概略を五七五で表現すると―――
『モンモンの 水ちゅるちゅると すするいず』
大変だ!
(待って、それはない……また勘違い……冷静に……)
ふと思う―――どうしてわたしは今、こんなにもあの子の交友関係を気にしてるの?
別に自分のほうが彼女と深い関係になりたいとか、望んでいるわけじゃない。ルイズが誰と必要以上に仲良くしても、気にする必要なんてないのに。
なのにこう落ち着かない気持ちを抱いてしまう理由は……やはり、あの強力な『惚れ薬』の後遺症なのだろうか?
初恋の記憶は、今もこの胸の奥にしっかりと残っている。
記憶は気持ちと共にあり、心のなかに回路を作る。気持ちと結びついた記憶……すなわち<思い出>は、人の心のありように反映されて……
だから……わたしは、モンモランシーに嫉妬している?
キュルケの心配は正当だった?
―――わたしは本当のところ、ルイズをどうしたいのだろう?
(違う……今はそれ以前の問題……こういうときには、もっと危険なことが……)
油断しては駄目。
答えの出ない思索を切り上げて席を立ったとたん、シエスタがしがみついて制止してきた。
「いけません、お二人を邪魔してはいけません! どうかここで二時間くらいお待ちください、すみませんすみません!」
「……ごめんなさい」
「きゃっ!」
いたく申し訳ないと思いつつも振り払い、タバサは走った。
目指す寝室の、ドアの前まで来ると……
「いいの? ほんとにいいのね?」
「ええ……あなただけに見せたげる。まだギーシュにも見せたことのない、私のカラダ、ないしょのところ……」
どーん! ひとり特殊部隊は即時突入する。
かくして、盛大なる脱力がそこに待ちかまえていたのである。
「やっぱり駄目よ、駄目なのよ……ああ私、もう……!」
「ルイズ……さあひと思いに……」
きゅっきゅっきゅ……目の前の現世界には混沌の様相が呈されていた。
両手で顔を覆ってベッドに横たわる、下着姿も愛らしいモンモランシー。とろんと目もとろけるいずさんが、そのお腹をきゅっきゅきゅっきゅ。
なんかもう煙とか出そうな勢いで一心不乱に、撫で回しスクラッチしていたのだ。
「持って行っていいのよ……マニアも唸る逸材なんでしょう? 私の腎臓……そう、チャームポイントね!」
―――女のコのおなか、またしても『くぱぁ(Find Item)』寸前の危機―――つまりお昼の情景リターンマッチ。
タバサはちょっとげんなりしつつも、興奮するルイズを羽交い絞めにして止める。
「どうどう」
「ふーっ、ふーっ!」
危なかった―――
モンモランシーのおへその横の絹のようなお肌は、もう擦れて真っ赤っか。そしてモンモランシーの腎臓はモンモランシーの……を作る大事な器官だ。
大変だ、なくなってしまえばモンモランシーは作れなくなってしまう!
「ああ離してタバサ!! 神秘が今そこにあるのよ! ちい姉さまだって言ってたもん『人は立場や外見より中身を見なさい』って!!」
「駄目、中身違い」
誘惑され我を失ったルイズはタバサの腕の中、拘束を外そうとむにむに動く。
「ほらルイズ、肝臓でも骨でも耳でも好きなとこ触っていいわ……出血大サービスよ!!」
「あなたも焚き付けないで」
タバサはちょっとだけ涙ぐんだ。
あのモンモランシーが自分の身と常識とをまとめて投げ出してしまうなんて、例の『惚れ薬』騒動以来のことだ。
やはり一級の異常事態なのだろう。ひとまず二人を落ち着かせ、居間へと連行だ。
そして事情を問うと、モンモランシーはルイズの足元へとすがりつくようにダイブして……
「ああルイズごめんなさい、このモンモランシーめを好きなだけ踏みにじっていいわ!!」
……なんて、必死の謝罪をはじめてしまったではないか。謝られるほうにとっては、さっぱりわけがわからない。
現在ギーシュ少年がいないのも、その事情のせいらしい。
「ねえいったい何があったの? 話してくんないとわかんないわよ」
「お、怒らない? どうか怒らないで聞いてね? 実は……」
目に涙をいっぱいに貯めて、モンモランシーはびくびくしながらも白状する。
―――帰り道で落としちゃったのよ……
……何を?
あ、あなたから預かってたお金、四千五百エキュー……
「ぴぎゃー!」
「コガネムシよりもごめんなさい、美味しいおやつも食べません! ぽかぽかお風呂も入りませんあったかい布団で眠りません!」
ルイズは変な叫び声をあげ、モンモランシーはなおも謝る。
タバサはペンを取り、とりあえず画用紙に大きくこう書いて、部屋の壁へと誰からもよく見えるようぺたぺたと貼り付けた―――『腎臓禁止』。
……ともかく、伝えられた事実は衝撃的だ。確かにこれではパニックを起こすなというほうが難しかろう。
ところが彼女を落ち着かせ、話を聞くにつれ……ルイズとタバサの心を、大いなる安堵が満たしてゆくことになった。
事情を要約すると―――
……オークション会場を出たあと、おうちに帰るまでの豪雨の路地は薄暗く視界も悪く、危険がいっぱい。
とある曲がり角を猛スピードで通過してすれちがった馬車の内輪差に、モンモランシーが轢かれそうになり……
すかさず助けたカッコイイ恋人の操るゴーレム、青銅のワルキューレが運んでいた大事なカバンをひっかけられて、でんぐり返ってはいさようなら―――
ルイズはタバサと顔を見合わせた。
「ねえタバサ、これって、もしかして……いえ、間違いなくアレのことよね」
「おそらく」
いっぽう事情を知らない少女二人は、まだまだ恐慌状態を継続中だ。
「いっそ血を吸って眷属にしてくれてもいいのよルイズ! 闇にまぎれて『いいないいなはやく人間になりたーい』って言いながら暮らすから!」
「わわわわたしシエスタもお付き合いいたします! ふつつつつつつかものですがッ……!」
勇敢にして的外れな提案をする二人に、ルイズはカチンと来たらしい。
「なななによ失礼ねあんたたち! 吸血鬼じゃないわよ私れっきとした霊長類ヒト科ルイズ属なんだから……あれ? えーと、な、なんだからねっ!」
シエスタさん大いに納得するの巻。
―――まあやっぱりミス・ヴァリエール、とっくにヒューマン(霊長類ヒト科ヒト属ヒト)を超越なされてたんですね!!
黒髪の彼女が何を思いどうして嬉しそうな表情をしているのか、タバサは理解できなかった。
ギーシュは一時帰宅直後、必死の金策のために豪雨の中へと飛び出して行ったという。
もちろん、ルイズは彼を責める気になんてならない……轢かれかけたモンモランシーの身に大事の無かったことは、何より幸いなことなのだから。
「ねえ落ち着いて。そのカバンなら、さっき私たちが帰り道で拾ったわ」
「うそ……!」
また、当の暴走馬車にさらわれたカバンの行き先が知れていることも、奇跡と呼べるほどに幸いなことだ。
「嘘なんかじゃないわよ……私のお金だなんて知らなかったから、衛兵さんのとこに届けちゃったけど」
「ほんと? ほんとにほんと?」
「ええ、これはほんとにほんとのことよ。安心しなさい、私の友だちモンモランシー……私は怒ってないし、あなたやギーシュを責めるなんてしないわ」
ルイズたちの事情を聞くにつれ、モンモランシーとシエスタの目にはみるみる生気が満ちてゆき、表情も明るくなっていった。
「ああっ、凄いわ! こんな奇跡みたいなこと信じられない!」
「信じていいのよウフフ、あなた私のコト信じる人なんでしょう? さあ魂の自由を信じる私を信じなさい、信じるものは救われるのよ!!」
ウフフフフ……
その後―――少女たちは頬寄せあい、感謝の言葉を述べあったものだ。
とくにモンモランシーは、預かった大事なお金を落としてしまった罪悪感に、車道に出たカエルのごとく押しつぶされそうになっていたのだろう。
ありがとう……許してくれて……
こちらこそありがとね……さあラズマ教に入信するといいわ……
ごめんそこだけは遠慮させて……
そうなの、ちぇー……
ルイズは彼女たちを、なによりも得がたい友なのだと心より幸せに思う。
みんながルイズの失敗のフォローのために頑張ってくれた。だからこれは、ちょっとだけ運の悪い事故。
悪い人がいるとすれば、そもそも今回の支払いを忘れていた人物……
「やっぱり私が悪かったの……あと戦争を始めた[ピー]と焚き付けた[ピー]も悪いわ、恨むならあの[ピー]どもを呪い[ピー]ましょう……ウフフフ」
少女たちはお互いに笑顔で許しあい、最悪の事態を避けられた幸運に、四人そろって胸を撫で下ろすのであった―――
「えいっ」
「やん」
そしてモンモランシーめを踏むルイズ。
きゃっきゃ。
うふふ。
―――……
……
―――だが、この奇跡のようなめぐり合わせも、『金運最低』を覆すには至らず終わる。
シエスタを除く三人の少女が、雨の中くだんの衛兵詰め所にとんぼ返りして、事情を説明したときのことだ。
話を聞いた係官は、困った顔をしていた。
無理もない……素性不明の大金の届けられた直後、拾い主と自称落とし主に仲良く連れ立って来られても、主張を鵜呑みにできはしない。
街の秩序を守る彼らの職務上、当然のことなのだ。
「信じていないわけではありません……あなたたちの話は真実なのでしょう。ですが金額が金額です。調査と手続きが必要でありまして、引き渡しまでに五日はかかるかと……」
―――かくして以下の事実が、ここに確定した。
つまり宝石を売ったお金と、エレオノール女史からの借金……合計四千五百エキュー、支払い期日に間に合わず。
……
カーン…… カーン……
パニックがひとまず収まって、疲れ果てたモンモランシーがぽかぽかお風呂に入ってあったかい布団で眠ったころ。
夜の借家に、近所迷惑になりかねない音がひびく。ゼロのルイズは気分転換の作業に夢中であった。
持ち込んだ棍棒へとていねいに釘を打ち付けて、せっせと作っているのは―――泣く子も黙らせたあとでまた容赦なく泣かしかねない凶器。
『釘バット(Spike Club)』。
「これで……ねじ込む……ぐるぐる巻いて……引っこ抜く……!」
さて、何ゆえそんな物騒なものが必要になったのかというと。
……なんでだろう?
「ああ荒ぶるミス・ヴァリエールぅー……どうか怒りを静めたまえーっ、清めたまえーっ……」
剣士人形を抱いたまま、怪しい祈祷をするシエスタさん。
貧乏な平民にすぎない彼女は、頑張っている友人たちの力になれず寂しく思っている。
だがいくら贄であり人柱であるからといって、彼女に人柱力(Lycanthropy)とかはない。無力なのだ。
黒髪の彼女と『おうち燃えちゃった同盟』を組むタバサは、何とかして心苦しさを取り払ってやりたいと思う。
ここでいったん現状を確認しよう―――
キュルケから一千七百、ギーシュから八百、イザベラから二千……集められた金額は、奇しくも落としたのと同額の四千五百エキュー。
振込みの必要金額は六千七百……つまり二千二百も足りない。
当初の要求額からすると三分の一。少なく見えるかもしれないが、これでも森つきの屋敷を買えるほどの超大金だ。
もう借金の当てはなく、宝石も尽き、『幽霊屋敷』に売り払えるようなものもない。
賭博で稼ぐのもひとつの手だが、賭場の開くのは午後になってから……目標金額を稼ぐころには、振込先の銀行が閉まってしまう。
飛び出していったギーシュのことも心配である……
さて、目の焦点もズレズレに、ゼロのルイズは立ち上がり、完成したステキな釘バットを天高々と突きあげて、威風堂々と宣言する―――
「決めた! 私もう二度と拾ったお金を届けたりなんてしないわ!」
「それは駄目」
タバサは悲しみに包まれる。
大切な友人がこのまま『属性:悪』にシフトしていってしまうのを想像すると、いつかの悪夢の、かすかな記憶が胸を締め付けるのだ。
「『正直は身を助ける』……あなたが自分の占いを信じないで、どうするの」
「……うー」
自信を喪失し落ち込む友の、小さく冷たい手をきゅっと握りしめ、タバサは静かに宥めてやっていた。
そのとき……からんからん―――ドアベルが鳴って、運命の来客を告げる……
//// 30-6:【イッツ・ア・ファミリーアフェア:せめて今日だけは正直に】
精根尽きた様子の青銅のギーシュと連れ立ってやってきたのは……憤怒(Fury)の姉エレオノール女史だ。
姉は怒っていた―――背後に赤地に金のドクロマークを幻視できるほどに。
どうやら金策に行った少年がばったりと遭遇し、借りたお金を落とした事情を吐かされ、導火線に火をつけてしまったようだ。
「ちびルイズ、ここに居るんでしょう! 出てきなさい!」
「あ、終わったかも私……」
玄関ホールの階段の上に隠れたまま、ルイズはぽつりとつぶやいた。
前から共犯関係にあったとはいえ、詳しい事情を一方的に伏せ続け……とうとうこんな場面で、今まで問題を先延ばしにしてきたツケが回ってきてしまったのだ。
「観念して出てきなさいなおちび! 今日こそあなたの隠しごとをありったけ、一切合財話して貰いますわよ!!」
いつも自分を叱る怖い長姉にだけは、こんなときに出会いたくなんてなかった。
以前の衝突時に和解できたのも、あの場に王女がいたから……つまり奇跡とカウントされること。
姉の忍耐が今日この時まで持ったことも、またひとつの奇跡だったのかもしれない。
「そこの平民! さあ今すぐルイズを出しなさい!」
「ひやああっ!」
シエスタがやられた。ギーシュが慌て、エレオノールは止まらない。
いろいろごまかしが剥がれてきた今はもう、納得するまで追及をやめないだろう。そして姉の納得してくれそうな話の貯蔵もゼロのルイズ。
たとえここで逃げても、どこまでもフレンジー牛のごとく追いかけてくるだろう―――
「さっさと出てきなさい! さもないと問答無用で連れ帰って、お母さまに引き渡しますからねッ!」
―――そして極刑の宣告。
ルイズは母と解り合えると思ったことがない。母カリーヌは、長姉と比較にならぬほど恐ろしい……これまでの人生で、一切の甘えを許してもらった記憶がないのだ。
『もしも家族に異教信仰を知られたら』……この破滅フラグをへし折るだけの力も、協力者であった長姉に対し信仰をカミングアウトするなんて度胸も、ルイズは手にしていなかった。
少女はぶつぶつと祈る……
「司教さま私は負けません司教さま……ままま、負けるもんですか!」
とたん、にやにやにやと口元がつりあがって行き……なんと、ぶんぶんと釘バットの素振りを始めてしまったではないか。タバサは慌てる。
「どうするつもり?」
「とってもとぉーってもステキなことするのよ……聞きたい? ウフフフフ……」
タバサは真っ青になった……やっぱり夜のルイズの怖さは群を抜いている。
怖い笑みを崩さず、両ひざだけは恐怖に震えていても、打率(AR)向上を目指して釘バットによる打撃練習に精を出す。
ぶん ぶん ぶん……
「あの三角眼鏡のレンズをガリッといきましょう……そして捕まえて……調教……これしかないわ!」
「!!―――」
「あっ、ああっ、楽しみ……フフ、フフフフ、地下に監禁したいわ……首輪もつけて……姉さまを調教っ……まあなんて素敵っ!」
タバサは泣きたくなった。
玄関で待つエレオノールの背後で、自動制御中の『アイアン・ゴーレム』がアップを始めている―――
彼はゼロのルイズを守るためだけに生まれた忠義の士。
目の前の敵をミックスジュースのごとく滅殺する気まんまんであり……つまりこう叫びたくなる光景である―――『お姉さんうしろうしろ!!』
「そんな顔しないで、うふふ大丈夫よ峰打ちするから!」
どこに峰があるんだろう!
ああ、もう衝突は必至で、お姉さんは下克上されていやーんされてしまうのだろうか!
そしてシエスタさんの住まう憩いのおうちは不毛なる姉妹喧嘩の末に……どうなってしまうのか!!
「……いい、わかった」
「え?」
「わたしに出来ること」
―――雪風のタバサは、己が悩みにたいし、ひとまずの答えを導き出す。
「あなたを信じること、そして……」
言葉の後半部分は、虚空へと淡雪のように消えてゆく。ルイズは友人を振り返った。
「……? 姉さまを倒すのを手伝ってくれる……ってこと?」
「違う……『正直は身を助ける』……あなたは今日の占いを最後まで信じて、彼女に事情を正直に話すべき」
突拍子も無い提案であった。ルイズは目を見開いた。釘バットを持つ手がたちまち震えだし……
「そ、そんなの無理よ……」
かすれきった声。
タバサは真っ直ぐに見据えている―――友のためを想い、もう迷わずに残酷な真実を告げるのだ。
「……本来なら、あなたは金策をする前に、最初からあの人を頼るべきだった」
ああ―――
白髪の少女の顔色は蒼白になる。そこに言い逃れできない落ち度があったのだ。
長姉に相談するという『最善』にして『いちばん正直』な行動を選べなかったのは―――人に言えぬ秘密があったという、ただそれだけではない。
……恐ろしい姉に、金銭管理のだらしなさを叱られてしまうことが、怖かったから。
そんな情けない理由も、まちがいなくあったのだ。
「……解ってるわよ……エレオノール姉さまに内緒にしたせいで、ちい姉さまの治療が遅れたら駄目よね……ええ解ってるもん」
「なら、いっそ全てを正直に話したほうがいい。今後のためにも」
タバサは淡々と説得を続ける。我を取り戻したルイズは、肩を小さく小さくすくめてゆく。
今回の騒ぎだけでも密輸まがい、無駄遣い、ツェルプストーへの借金、無断越境、亡命ほう助、賭場まわりなどなど……数え役満である。
「怖いの?」
「こ、こここ、怖くなんて……ええ怖くなんて」
そして異教への傾倒のことを知られた日には……どうなるのだろう?
少なくともルイズ一人の破滅では済まなかろう。それとも……
「わたしがついてる」
「司教さま」
「司教さまがついてる。わたしもついてる」
タバサは心を決めていた。
誰よりも信心深いルイズでさえ、自身の道を信じきれずに、こうして間違った行動をしてしまうことがあるのだ。
他人と違う倫理観を持っているのだから……放っておけば周囲との溝を、なおさら修復不可能なまでに深めていってしまいかねない。
そんなとき、先日のシエスタとの一件みたく、きちんと仲直りできるように。
(わたしの好きなルイズのまま、ずっと笑顔で暮らせるように……)
信じる道を外れてしまったり、心を深く痛めたり、後悔することがないように―――守るのだ。
「見つけたわ! 今日と言う日はもう絶対に容赦しませんッ! おいたが過ぎたわねッ!」
階段を上がってやってきた女性が咆哮する。すかさずタバサは動く。
呆然とする友人から、ひょいっと―――グリップを握っていたその細く小さな手には、もうほとんど力も入っておらず―――釘バットを取り上げる。
憤怒をまとい杖を構えるエレオノールとの間に、体を割り込ませ……
「少し待って欲しい」
「なななっ、何よ関係ないでしょう! 邪魔しないでちょうだい、これは家族の問題なのですから!!」
「もう充分反省している」
怯えるルイズ、目が死んでゆく……おねがい近づかないで姉さま、と声にならぬ声。
がしんがしんがしん―――
霊気のラインを通じて感じとった生命の危機から使役者を救わんと、玄関のところにいた鉄のゴーレムが階段を上ってやってきた。
エレオノールはもう真っ青だ。彼女にはろくな戦闘経験もなく、意外にも小心なところがあるらしい。
「ま、まさかそれおちびの!? なな何なのよ! ううう嘘だわこの子反省してないじゃないどう見ても!」
「……大丈夫、貴女の妹を信じて欲しい」
節くれだった<思い出(RW Memory)>の杖を階段の手すりにひっかけて、ゴーレムの進路を塞ぐ。
そしてエレオノールの目を、じいっと見つめる。
「今日のルイズは正直な人」
ひたすらにまっすぐな青い目―――その視線は、力強い決意の光を宿していたという。
「だから、姉妹喧嘩は終わり……いい加減、二人ともこれ以上続けるつもりなら」
ド ド ド ド ド……
「―――頭、冷却する」
―――……
……
さて―――
居間の暖炉の前にはギーシュ少年。先の騒ぎで飛び起きたモンモランシーと寄り添い、仲良くうつらうつらと、冷えた体を温めている。
彼もまた自分たちの落とした大金の行方を知り、恋人と二人で安堵をたっぷりと分かち合ったのだそうな。
ルイズ、タバサ、エレオノールがテーブルについている。
「そこの平み……いえ、そこのあなた、お茶のお代わりをお願いするわ」
「ハ、ハイワカリマシタ!」
ひととおり話を聞きおえたエレオノールは、妹たちの友人だという平民のシエスタに、穏やかな笑みを送った。
「もう、そんなに怯えないで下さいな……このクッキー、美味しいわ」
「!! ありがとうございます……」
「かぶと虫がモチーフの造型? 良く出来てるのね」
「はっ、はい、……その、弟たちが喜びますので」
―――ルイズは腹をくくって己が信仰、友人への想い、そして今回の騒動のすべてを正直に語ったのだ。
『大司教の遺体を異世界に送り返す』という誓いや、異教のワザがどれほど国の危機を救ったのかも含めて。
そして姉は努力家の末妹が魔法(秘術)を使ったのを、本日初めてまともに見たことになる。
「あの素晴らしい金属のゴーレム、本当におちびが作ったのね……土魔法ではないなんて到底信じられないけれど」
「そうです、姉さま」
藪をつついて毒蛇を出した……聞いてはならぬ真実を聞き出してしまったエレオノール女史である。
聞けば聞くほど後悔し、『私の妹がほんとに異教徒のわけがない』と、何度も青くなったり痙攣したり卒倒したりするはめにもなった。
だが気付けのポーションと、タバサのとりなしのおかげで双方冷静を保ちつづけ……話し合いは想像していたよりもずっとスムーズに、見事和解へとたどり着いてくれたのだ。
「確かにこんなの、私にさえ明かせない事情だったわ……ええ、もう修道院にでも引きこもりたくなるほど解りました……おちび、こうなっては私たち一蓮托生ですわよ」
「……はい、姉さま」
「まったく……お母さまに知られたらこの世の終焉よ。くれぐれも気をつけなさいな……私にはあなたの味方をする以外、もうどこにも未来なんてないのですから」
二人とも、お互い『和解か破滅』しか道のない現状を確認しあい、生産的な未来へと目をむけることに成功したのだ。
完全なる異端―――なんてものを諸国王家やこの国の姫が秘匿黙認しているというのだから、もう仕方ない。
お姉さんは世界大戦や実家を巻き込むカタストロフを覚悟で、ひとり逆らう気にもなれず。また、末妹の身に眠るという始祖の系統<虚無>……その権威も絶大である。
ルイズが始祖ブリミルへの信仰を捨てていないこと、むしろ<虚無>に選ばれ始祖のルーンの加護を受けていること……
さらに王女殿下を助けたり、ハヴィランド宮殿に乗り込んで戦い、アルビオンとの戦争を止めて……など、『ルイズが居なければこの国がとっくに滅びていた』という真実を知り。
国のため、家族のため、カトレアのため……ルイズのお姉さんは、妹に許せないという気持ちを抱くことなんて、もうできない。
「むしろおちびには、感謝しないといけないのかしらね」
「……ごめんなさい」
「まったく仕方ない子だわ……二千二百エキューならぎりぎり出せます。明日一緒に銀行まで行きましょう」
「は、はい!!」
―――そしてルイズの金策クエストもまた、こんな思わぬかたちで、遠回りの果ての決着を見るに至ったのだそうな。
疲れ果てて落ち込む姉にぎゅーっと抱きついてくる、ひんやりとした感触が……
「姉さま、……私ね、仲直りできてとっても嬉しいの……エレオノール姉さま……」
「ひっ!」
「……心配かけてごめんなさい……いつも守ってくれてありがとう。こうして全部打ち明けられるなんて、まるで夢だわ、ほんと夢みたい……」
「こら、べたべたひっつかないの! ちょっと甘えないでよ背筋がぞくぞくって……やっ、離れなさい!」
こうして再び和解できたのも、また奇跡か。それともこれまで渡されたアイテムの実績や、信頼の積み重ねゆえか。
「やだ……大好きな姉さま、ずっと気持ちは一緒よ……とってもとっても大好き……」
「うぐぐぐぐ……」
見守っていたタバサは思う……それだけではない。
長姉の心にも、努力家の末妹にたいする愛情が、しっかりと育まれ根付いていたのだろう。
大事な十一歳年下の小さな妹の、巻き込まれてきた運命、そしてこれからも巻き込まれてゆくであろうきびしい運命を……お姉さんは大いに憂いてやれるのだ。
―――たとえ妹が異端に成り果てようと、変わることなく。
「ああ、困った子ね……あなたは昔からよ? ぜんぜん変わってないのね……本当に困った子……」
疲れたように微笑むエレオノールは、べたべた甘えてくる妹をそっと抱きしめて、その白い頭をぎこちない手つきで撫でてやっていたそうな……いつまでも、いつまでも。
雪風の少女の推測は当たっていたらしい。そして―――
(わたしの家族……)
タバサは己が亡き父、心を病んだ母……そして憎き叔父や、イジワル従姉のことを思い出して……
ちょっぴり目の前の光景をうらやましく思ったり、したのだそうな。
「姉さまの……鎖骨……」
「……!?……ひやっ、どこ触ってるのおちび! ……こらっ、ばか、ちょ、この、何すっ……あっ……!」
―――……
……さて。
真夜中。
(今日の私、ダメダメね……誘惑に負けてばっかりで、ほんといいとこ無かったな……結局は丸くおさまってくれたけど、全部みんなのおかげだわ……)
王都から寝るためにひとり戻ってきた、『幽霊屋敷』のベッドのなか。
「まだまだ未熟者の私です……おやすみなさい司教さま。あなたとの誓いを果たせますよう、ラズマの御名に恥じぬよう、いっそう精進いたします。どうか見守っていてくださいませ」
おふとんに包まったルイズは、大司教へと懺悔する。
(不思議……あの子が居てくれたら、エレオノール姉さまのことさえ怖くなくなるなんて……)
守ってくれた友人のことを思い出して……
(私が自分の占いを信じてたのよりも、ずっとずっと強く……私のコト……私の占いを、信じてくれてたんだ)
ちょっぴり……どきどき。
//// 30-7:【間違ってたのはそこだった- Quest Completed -】
雨も止んで、新しい朝が来た。
希望の朝にちがいない。朝ごはんの前に、こつこつ骨占いで本日の運勢を確かめる。
「本日の金運は上々! もう安心だわ!」
元気いっぱいゼロのルイズが、友人の開いたポータルで王都に飛んで、最初にしたことは……
「……ねえルイズ、どうか昨日のあれは忘れて欲しいの……ひと晩寝て頭が冷えたら……なんかもう……」
おずおずと話しかけてくるモンモランシーを、にやにや笑顔で撃沈することだった。
「やぁよ、あなたすっごく可愛かったもん」
「お願い忘れてよ……恥ずかしくて死んじゃいそう……」
真っ赤な顔のモンモランシーに、とどめの一言。
「安心しなさい、死んだらワタシが貰ったげるわ」
ウフフフフ……
さて落としたお金についても、お姉さんを連れた再交渉の結果、最優先の調査と明日(!)の返還が無事確定。
ルイズは姉や友人たちに、たくさんの感謝の気持ちを伝え……目標金額六千七百エキュー、めでたく確保完了だ。
「みんなほんとありがとう、そのうちお礼させてね! ……うふふナニがイイかしら?」
そろって銀行に向かい、振込み手続きも無事終了。一同笑顔と「よかったね」を交し合い、大きな達成感と喜びに浸ったのだという。
……そして。
「ごめんなさいタバサ。私のせいで心配かけて、いっぱい振り回しちゃったわ」
隊長さんから貰った銀貨でお菓子を購入し、学院に帰還してからのお話。
恐縮して頭を下げるルイズから明かされた事の真相によって、タバサはしばらく石化したのだという。
「ほんとはね……昨日はあんまり慣れない占い方法を試してたから、指標の解釈にイマイチ自信を持ててなかったのよ」
「……?」
「だって私、『ゼロのぷりぷりモツ占い師』じゃないから……えっと、その……ほんとごめん……」
そういう問題だったのか―――!!
(……でも大丈夫、楽勝。この程度なら慣れた)
タバサは強い子。物事のややこしくなった原因についてはさておき、大切な友人を守りきれたことを嬉しく思う。
やれやれと脱力し、仕返しをすべきかどうか思案しながらも……
(やっぱり猫。眩しいくらいの自由奔放が、あなたに似合ってる)
あの笑顔の誓いを、これから先もずっと守ってゆきたい。
そんな決意も新たに―――不思議な暖かい気持ちに包まれて、自分なりにちょっとだけ頬を緩ませてみたんだってさ。
「似合ってる……けれど、それはそれ」
「ん?」
「あなたに罰をあげる……もうわたしから逃げないで」
「えっ……」
「……あなたに怯えすぎないよう、わたしも頑張るから」
「……うん」
おしまい。
//// 【次回へと続く】