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No.12668の一覧
[0] ゼロの死人占い師(ゼロの使い魔×DiabloⅡ)[歯科猫](2011/11/22 22:15)
[1] その1:プロローグ[歯科猫](2009/11/15 18:46)
[2] その2[歯科猫](2009/11/15 18:45)
[3] その3[歯科猫](2009/12/25 16:12)
[4] その4[歯科猫](2009/10/13 21:20)
[5] その5:最初のクエスト(前編)[歯科猫](2009/10/15 19:03)
[6] その6:最初のクエスト(後編)[歯科猫](2011/11/22 22:13)
[7] その7:ラン・フーケ・ラン[歯科猫](2009/10/18 16:13)
[8] その8:美しい、まぶしい[歯科猫](2009/10/19 14:51)
[9] その9:さよならシエスタ[歯科猫](2009/10/22 13:29)
[10] その10:ホラー映画のお約束[歯科猫](2009/10/31 01:54)
[11] その11:いい日旅立ち[歯科猫](2009/10/31 15:40)
[12] その12:胸いっぱいに夢を[歯科猫](2009/11/15 18:49)
[13] その13:明日へと橋をかけよう[歯科猫](2010/05/27 23:04)
[14] その14:戦いのうた[歯科猫](2010/03/30 14:38)
[15] その15:この景色の中をずっと[歯科猫](2009/11/09 18:05)
[16] その16:きっと半分はやさしさで[歯科猫](2009/11/15 18:50)
[17] その17:雨、あがる[歯科猫](2009/11/17 23:07)
[18] その18:炎の食材(前編)[歯科猫](2009/11/24 17:56)
[19] その19:炎の食材(後編)[歯科猫](2010/03/30 14:37)
[20] その20:ルイズ・イン・ナイトメア[歯科猫](2010/01/17 19:30)
[21] その21:冒険してみたい年頃[歯科猫](2010/05/14 16:47)
[22] その22:ハートに火をつけて(前編)[歯科猫](2010/07/12 19:54)
[23] その23:ハートに火をつけて(中編)[歯科猫](2010/08/05 01:54)
[24] その24:ハートに火をつけて(後編)[歯科猫](2010/07/17 20:41)
[25] その25:星空に、君と[歯科猫](2010/07/22 14:18)
[26] その26:ザ・フリーダム・トゥ・ゴー・ホーム[歯科猫](2010/08/05 16:10)
[27] その27:炎、あなたがここにいてほしい[歯科猫](2010/08/05 14:56)
[28] その28:君の笑顔に、花束を[歯科猫](2010/11/05 17:30)
[29] その29:ないしょのお話オンパレード[歯科猫](2010/11/05 17:28)
[30] その30:そんなところもチャーミング[歯科猫](2011/01/31 23:55)
[31] その31:忘れないからね[歯科猫](2011/02/02 20:30)
[32] その32:サマー・マッドネス[歯科猫](2011/04/22 18:49)
[33] その33:ルイズの人形遊戯[歯科猫](2011/05/21 19:37)
[34] その34:つぐみのこころ[歯科猫](2011/06/25 16:18)
[35] その35:青の時代[歯科猫](2011/07/28 14:47)
[36] その36:子犬のしっぽ的な何か[歯科猫](2011/11/24 17:52)
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[12668] その29:ないしょのお話オンパレード
Name: 歯科猫◆93b518d2 ID:b582cd8c 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/11/05 17:28
//// 29-1:【ルイズの知られざる生態:心のスクリーンショット(前編)】

初夏のおひさまもますますぽかぽかと、ある日のトリステイン王国、ここは魔法学院。本日はお外にて教養の授業が行われている。
伝統と格式のある魔法学院は、ただ始祖ブリミルの御技たる『魔法』を教え教わるためだけの場所だというわけではない。
貴族は魔法をもってその精神となす……かくして貴族の子息子女たちは、この学院に貴族たりうる生き方こそを、学びに来ているのである……たぶん。

だから、とある赤髪の少女のように日々男あさりしたり、とある青髪の少女のように毎日友人をつけまわして監視したり、とある白髪の少女のように敷地の隅っこの物置小屋で怪しげなアイテムを作成しつつ周囲に言い知れぬ恐怖を振りまき君臨するために来ているのでは、おそらくない……ものと、思われる。

そして大抵の貴族は、貴族の教養としてそれこそ貴族らしい趣味のひとつやふたつを、義務としての魔法と並行して持っているものだ。
狩猟、乗馬、社交ダンス、ギーシュでいえば彫金、そして、今月の教養科目のテーマ『絵画』などもそれにあたる。
将来社交界に出たとき、そういった趣味を通じて他人との絆を作ってゆくことが、貴族の世界においては当たり前のように求められているからである。

「はて、ミス・ヴァリエール、それはいったい……」
「これは魂の自由を信じる、私という人間のシンボルでございますわ、ミスタ」

国内有数の大貴族、ヴァリエール公爵家の令嬢ルイズ・フランソワーズは、本日の担当教諭へとにっこりと微笑んで、堂々と常人には理解不能な答えを返した。
木陰で椅子に腰掛け貴族らしく背筋をぴんと伸ばし、その膝の上にちょこんと大事そうに―――不気味極まる魔獣の頭蓋骨を乗せて。
以前の戦闘にて少女の白い頭部を何度も守護し、ところどころ陥没し、もはや兜としての役割を果たせなくなったその頭蓋骨は、いまでもルイズにとってのお気に入りアイテムらしい。

「……シンボル?」
「ええ、私の誇りなのです」

白いあごひげをたくわえた六十過ぎの温厚そうな男性貴族は、額に冷や汗を浮かべるほかない。

「……そ、そうですか、貴女がそこまでおっしゃるのでしたら、まあ何も言いませぬが」
「ご理解いただけまして、ありがとうございます」

会話を打ち切り、そそくさとルイズからちょっぴり距離を取り、自分の椅子に腰掛けた。きっと理解できたわけではないのだろう、とキュルケは思う。
この男性教諭はすでに隠居の身であり、教職を退いたあとは趣味に生き、これまでさまざまな題材をその確かな目と手腕により描いてきたという。
年に一度、一週間ほど開かれる絵画のクラスのために、旧友だという学院長オスマン氏によって招かれたのだそうな。

「えー、おほん……その姿勢がよろしい、しばし動かないように」

男性教諭は咳払いをひとつ、慣れた手つきで、スケッチブックへと下書きの黒炭を走らせてゆく。
白い髪の少女ルイズに友人は少ない。前回の授業にて、この男性教諭が生徒たちに『二人組みを作りなさい』と指示したところ、彼女が余ってしまったのだった。
これはお互いをモデルとして描きあう授業だ。パートナーを作れなかったルイズを、教師が描いてやることになったのである。

「はい、よろしくお願いいたします。どうか美しく描いてくださいまし、さもないと……ウフフフフ」

とはいえ、そこそこ名のある画家に腕を振るって貰えるのだから、ルイズは幸運なのだと言ってよいのかもしれない。
そしてこの老教諭にとっても、唯一無二の個性を備えたルイズという少女との出会いは、絵描きとして生涯にいちどあるかないかのモチーフとして、相当に大きなものとなるのかもしれない。もちろん前回の授業では、ちょっとしたアクシデントがあったりする。

「……」
「どしたのよ、タバサ。あっちがそんなに気になる?」
「なんでもない」

ちょっと離れた場所の木陰にて、青い髪の少女タバサをモデルに、赤い髪の少女キュルケが課題のスケッチを描いている。
本から視線を外してルイズのほうを見ていたタバサは、キュルケの問いを流し、再び読書へと戻ってゆく。

「やっぱりあなた、ルイズと組みたかったのでしょう」
「……」

この二人の少女は、ゼロのルイズにとっての数少ない親しい友人だ。当初彼女たちは、ルイズを含めた三人で組を作るつもりだった。
それでは現状が、どうしてそうなっていないのかというと……ルイズが即座に逃げたのである。

(まあ、理由は想像つくわ……たぶんあの子、タバサにじっと見つめられることに抵抗というか、複雑な気持ちがあるのでしょうね)

キュルケは軽いため息をひとつ、ふたたび丹念にデッサンを再開する。
普段より置物のように静かなタバサの生き物としての魅力を引き出して、静物画のようにせずラブリーに描いてゆく才女キュルケの絵心も、そこそこといったところだろう。

(それから、こっちは勘だけど、それだけじゃない……たぶん何かあるのよ、この授業で、タバサと組みたくなかった理由が)

もしもルイズがタバサを描いてあげていたらタバサも喜んでいたことだろう、とキュルケは思う。
ゼロのルイズは、始祖のルーンの補助がなくともなかなか上手に絵を描く。私的なお絵かきのときには、なんとも可愛らしくデフォルメだってできる。
そしていわゆるセカイ系を地で行く彼女の慧眼は、焦点こそ合っていないけれども、大宇宙の真理さえ見抜いてしまうのだという。
そんな危ないおめめで描くべき対象を捉え、持てる見事なデッサン能力を披露した先日の課題作品のなかでは……
なんかもうお約束のようにただの絵画におさまりきらないものを、ルイズはうっかり描いてしまったのである。

(ひょっとするとタバサにも、ああいうのが憑いてるとか……簡単にタバサ本人に知らせて良いようなものじゃあない、誰かさんの霊が……)

見えないキュルケには解らない。おばけ嫌いのタバサが知ったら、いったいどうなってしまうのだろうか。
きっと自分にも……という恐ろしい想像を頭の中からデリートしつつ、先日の授業のことを思い出す。
ルイズによる、本来ならばモデルとなった老教諭ひとりしか描かれていないはずの提出作品には、どうしてか三人の人間の姿が描かれていた。
それを見たクラスメイト一同の背筋が万年氷河程度にクールダウンされたのは言うまでもない。

「……なんだか寂しそうにこっちを見ていて、描いて欲しそうにしていらっしゃったので、描いたまでです」と、その白髪の女生徒は言っていた。

老教諭はその作品を見たとたんに押し黙ったものだ。授業で心霊絵画を提出されるなど、想定外にもほどがあったことだろう。
絵の中には、彼と温厚そうな笑顔の似た老女がひとり、若く優しそうな男性がひとり。
上半身だけ浮いてたり……そんなちょっぴりブキミな描写さえ度外視すれば、ほほえましい家族の肖像に見えなくもない。
本来この世にいるはずもない―――十中八九、親族の幽霊なのだろう。

彼は肩を静かに震わせ……しばらくじっくりと考えたあと、やがて大きく息をつき穏やかに微笑んで……なんとルイズに花丸をあげた。
褒められることに耐性(Resi)の少ないルイズは、それはもうにこにこと一日中上機嫌だった。
自身の絵の才能と死霊術師(一般には内緒ではあるが)としての才能を活用した結果、大人に褒めてもらえたのだ。
その嬉しさがいかほどのものか、キュルケにだって容易に想像できる。

「これを私に下さいませぬか」と願った老教師へとその絵を快く進呈したあと、ルイズはおねだりして白い手の甲へと実際に花丸マークまで絵の具で描いてもらっていた。それからお風呂の時間まで、ずっとうふうふふと眺めては悦に入っていたものだ。
いつからだろうか……ルイズが幸せそうにしていると、キュルケの心の中にも、暖かく嬉しい気持ちが生まれてしまうようになっていた。
半分くらいは悔しさもある……自分だって負けては居られないと思わせられてしまう。
……だって、あたかも人生の楽しみ方のお手本を見せつけられちゃってるみたいだし。

(他人に幸せのおすそ分けができるっていうのも、一種の才能なのかしら? なんか素敵なことなのよね……ちょっと妬ましい気もするけど)

ひと昔前のルイズは、笑顔を見せるのも稀だった。ときに肥大したプライドとコンプレックスで爪を研いだ傷だらけの子猫のようにも見えていた。
だから春先の召喚以来、こんなふうに……喜びの感情を素直に表現したりもできるようになったのは、きっと彼女にとっては大きな成長であり、人生の幸せといえることなのだろう……ときどき喜びのツボが常人とかけはなれてしまっていたりもするのも、ご愛嬌である。

また、機嫌がいいと調子に乗るようになったのもご愛嬌……たとえば、さっそく『幽霊屋敷』にてホラー絵画の大作に取り組み始めていたりなんかして。
そんなところも含めて、退屈嫌いのキュルケ・フォン・ツェルプストーは、ルイズのことが好ましくて仕方がない。

「あの子、ほんと可愛くなったわよねぇ」と、思わずキュルケは呟いてしまう。
「……」青髪の少女は、静かに本のページをめくりつづける。

いっぽう雪風のタバサに、始祖ブリミルは絵描きの才能を与えていなかったらしい。
『美貌の少女キュルケの肖像(作:タバサ画伯)』は、シュールな前衛的作品として上々の仕上がりであった。
『暖かい絵だ』と花丸評価は貰えたけれども相当に気落ちした様子のタバサを慰めるのに、キュルケはずいぶんと苦労することになった。

だから、もしタバサがルイズと組んでいたとしたら……あの白髪の少女の魅力を表現しきることも、地獄の肉屋を退治することよりも難しいクエストになってしまったにちがいない。『天は二物を与えず』とはよくいうが、タバサの周囲には、二物も三物も与えられし才媛たちがぞろぞろと揃っている。
タバサ自身もガリア王家の血筋の美貌だけでなく、もうすぐスクウェアに届かんばかりの魔法の才能……そして戦いの才能を得ているものだ。
あるいは彼女の生き方の不器用さも、あの王家の血のなせる業なのかもしれない。

「寂しいのでしょう、あとでルイズに頼んで描いてもらったら?」
「べつに、いい」

タバサは拗ねているようだ。
あの『愛の指輪』の一件よりこちら、いちど開いてしまったタバサとルイズとの距離は、なかなか元にもどらない。
ルイズはガリアの監視者、無表情タバサの視線アタック(?)を巧妙にかいくぐり、あれこれと理由をつけて逃げるのだ。
キュルケはこう推測している……ルイズはおそらく指輪をあげてしまったあとから、タバサとの距離が一気に縮まりすぎてしまったと思い、だんだんと怖くなってきたのだろう。

護衛兼監視任務という大義名分を得て、傍から見たタバサはなかばルイズのストーカー(合法)みたいなものと化しつつある。
日の昇っている間は静かにルイズにつきまとい、じっくりと観察する毎日だ。
大切な友人から距離を置かれるようになっても、タバサは気にしているのか居ないのか、日暮れ時には『本日分の監視任務』を切り上げてフレイムに後を任せ、自室へと帰ってしまう。
とくに仲たがいしているというわけでもない……そこは良いのだが、二人ともこのところ妙にお互いを傷つけないような気苦労をしているというか……どうにも距離の取り方のぎこちなさが見え隠れしてしかたがない。

(そーいえばここ数日、ルイズの逃げ足が妙に速くなってるような気も……何かあったのかしら?)

逃げられるタバサはときおり寂しそうな様子をみせるし、追われるルイズは気まずげにびくびくとしている。
だから、傍から見ているキュルケにしてみると、どうにももどかしい気持ちが浮かんできてしまう。
このままだと、本来得られるはずの幸せな時間をただ損しているような、勿体無い気もするし……かといって怪しい関係にまで進んでしまったりしたら、ゲームオーバーだ。

(あたし、おせっかいなのかしら……なんでまたこんなこと気にしてるの? つまり……どういうことなのよ……)

答えは出ない。
タバサとの入学以来のイチバンの親友を自負するキュルケにとって、彼女の思考や気持ちをその無表情な顔から読み取ることは、得意中の得意のはずであった……が、このところタバサの気持ちの複雑さが増してきているせいか、ときに不意に解らなくなることがある。
もしかすると、タバサ自身ですらも理解できていない戸惑いがあるのではないか―――大切な気持ちというものは、いつだって言葉にできないほどのものなのだし。

文学少女でもあるタバサであるが、他人との言葉におけるコミュニケーションを苦手としている。タバサの言葉は写実的で端的であり、いつも最低限。
普段より余計なことを言わず、表情は滅多に変わらず、言葉で情緒を表現しない。
以前の彼女とはかなり変わってきて多少やわらかくはなったものの、自身の気持ちの問題を過小評価し、理詰めで計ってしまう癖は抜けきっていないようだ。

そして、集団における空気の読み方や他人との距離の取り方は、ますます恩師たる疾風のメイジにどこか似てきてしまっている……フリーダム的な意味で。

さて―――

以下は監視者タバサが、上司イザベラへの報告書(ルイズ生態かんさつ日記)に記した一文である。

『○月×日。ルイズはトリステインの王都にて、困っていた老婦人を天高く送りだした』

……これを上司が受け取ったとき、どれだけ首をひねってもやはり理解することは出来なかったようだ。
ルイズ・フランソワーズを観察していると「本日異常なし」と書くほうが難しい。だってゼロの少女の日常には、たいてい異常しかないのだから。

『○月×日。ルイズは吹き矢を手に午後いっぱい植え込みに隠れ、緑色の小人を待ち伏せしていた。理由を尋ねたところ、臀部を狙撃される前にこちらから撃ってやるのだと言う。おそらく新種毒キノコの経口摂取による幻覚が原因』

なにか非常識な出来事が起きて、そのときのルイズの行動をタバサ流に写実的に説明すると、一週間で本が一冊書きあがるほどの文章量になってしまう。
きっとタイトルは『白髪のブキミちゃん』、ジャンルはコズミック・ホラーにちがいない。
いずれは人を撲殺できるブ厚さになり、<サンクチュアリ>世界にて書物を武器とする『アーキヴィスト(Archivist)』たちの間で高値で取引されるユニークアイテムになってしまうかもしれない。

この世界唯一のネクロマンサーに関することはガリア王家にとっても重大な機密であり、他人に任せるわけにもいかない。
そんなものを読まなければならない立場であるガリア王女殿下が、一度目の報告書を受け取ってまもなくひどい頭痛にさいなまれ、数十本の匙を美麗なフォームでびしばしと投擲(Throwing)したのも無理はない。

『○月×日。感動に打ち震えていた。飼育カゴより逃げ出した毒蛇が猛毒ガエルを飲み込んで相打ちになったらしい』
『一言コメント:彼らは真の勇者だったわ。byルイズ』

そんな黒歴史まみれの監視報告書には、いつのまにか監視対象たる当人がいたずら書きをしていることもある。
ガリア王ジョゼフだけが、『これはおもしろい、もっとやれ』と言ったらしいのだが……イザベラのほうは、父王がルイズに興味を持つことに関して良い顔をしない。
あっちの親娘の間でも、ちょっとした緊張状態が生まれているのだとか。

とまあ、こんなふうにゼロのルイズのそばにいると、たいていいつも何かが起きるという話なのであった。

「おや、ミス、……これ、ミス・ヴァリエール」
「……」
「はあ、まったく……これは参りましたな」

老教諭がルイズを呼ぶ声がする。
キュルケが目をやると、……小柄な少女の白いうしろアタマが、こっくりこっくりと舟をこぐように揺れている光景が目に入った。
夜更かしによる睡眠不足のせいか、暖かな気温にあてられたか、思わず居眠りを始めてしまったようだ。

「あの寝姿を描かれてしまっては、さぞや恥ずかしがることでしょうな」

教諭は苦笑しつつも立ち上がり、キュルケたちのほうへとやってきてそう言った。
授業中ではあるが、少女があまりに気持ちよさそうにおねんねしていたため、起こしてしまうのも躊躇われたのだろう。
彼はキュルケのスケッチブックを覗き込み、あれこれとアドバイスをしてくれた。そして……

「私はこのまま他の生徒たちの指導のため、ひと回りしてきますので……」

つまり、寝てしまったルイズのことを気にかけてやってくれ、という意味なのだろう。
教諭が去っていったあと、キュルケはにやりと笑って口元に手を当てつつ、「休憩するわよ」と宣言した。

いししし……とちょっぴりイジワルな笑顔で、キュルケはタバサをひっぱって抜き足差し足、ルイズのところへとやってくる。
それから二人で、友人ルイズ・フランソワーズの寝顔を心ゆくまで観察だ。
この白髪の少女が授業中に居眠りすること自体は、とくに珍しくもないのだが……ここまで体もなく寝入るのは珍しい。

いっぽうタバサのほうは……このところ、ルイズ観察が趣味になってきているのではないかと、ちょっぴりキュルケは心配に思ったり思わなかったり。

「幸せそう」
「そうね」

タバサの感想に、キュルケは思わず口元がほころぶ。眠れる少女の白い髪が、暖かな風にゆらりゆらりと揺れる。
学院魔空(マクー)空間のホラーガール、各国王家からマークされている危険人物とは思えない、ひとりの年相応の少女がそこにいた。
いつもぱっちりと開かれている妖しいお目めも今はそっと伏せられ、長いまつげもよくよく見ると色素が薄くなっている。
思わずつついてみたくなるほっぺ、形のよい口元もすうすうと寝息をたてて、ふにゃふにゃと……なんとも緩みきった、可愛らしい寝顔を晒してしまっているではないか。

「無防備ねえ……いたずらしてみたくならない? ほら、絵の具とかあるし」
「……やめておいたほうがいい、使い魔(Bone Spirit)が発動する」
「え」

聞き捨てならない台詞だ。勘の良いキュルケは全身が強張る。思わずタバサのほうを振り向く。
失言に気づいたのか、タバサは微妙に挙動がおかしくなっていた。

「……ひょっとして、あ、あなた……その、以前に試してみたことがあったりなんか、するの……」
「……」
「ま、まさか、いたずら書きとかに留まらないこととか……最近この子があなたから逃げてるのって、そのせいじゃないわよね?」
「………………」
「なんかしたの?」
「……」
「なにしたのよ……」
「……なにも」

タバサはあさっての方向へと視線をそらした。
キュルケは冷や汗を流すほかない。ああ、どんないけないいたずらをしたのだろう……!!
気になって仕方ないが、かといって問いつめてみるのも怖くて仕方がないので、親友の言を信じるほかない。

「ふや」

声が聞こえ、びくりと背筋を震わせる二人。
ルイズが寝言を言ったらしい。
ちょっぴり開いたおくちから、透明なよだれが垂れてきている。キュルケは「またモンモランシーとのお話のタネが増えたわね」と、笑いを堪えるのに苦労していたが……

「……いやぁ、タバサ……そっちの穴……違うのにぃ……入れちゃ、だめぇ……」

空気がびしりと固まる。
ああ、いったい何の夢を見ているのだろう!
キュルケはいったん天を仰いだあと、かちかちに強張った笑顔でぎぎぎぎ、とタバサに振り向いた。

「あ、あな、あなたたたたち、もうそーいうコトまで……」
「……勘違い。キュルケのどすけべ」
「どっ……?」
「静かに、起きてしまう」

タバサはどもりまくるキュルケを制し、静かにハンケチを取り出して、眠るルイズの唇からこぼれるよだれをていねいにふき取ってやった。

「んむんっ……だめぇ、タバサ……できちゃうっ……ジェムド(Gemmed)アーマーできちゃうぅ」

神秘の石『ルーン石』の秘められた力を十二分に解放する『ルーンワード』は、ベースとなるアイテムの種類や石の種類を間違えたり、穴の順番を違えてはめ込んだ場合には、本来の力を発動してくれない。失敗した場合の取り返しはつかず、ただの『装飾された(Gemmed)』アイテムが出来上がる。
貴族が何年も豪遊して暮らせるような高価な石を使ってさえ、たちまち無駄になってしまうのだ。
そんなある意味怖すぎる夢を見ていたらしい。

「ほら、勘違い」
「そうだったみたいね……」

いっぽうキュルケは、たったいま自分のしたえっちでアブノーマルな勘違いはともかく、それにタバサが気づけたという事実の重大さのほうに、背筋がうすら寒くなってきつつある。
この友人の趣味は読書だ。だから多少はそんな知識があってもおかしくないのかもしれない……と、気持ちを落ち着かせることにする。
タバサはキュルケへと、冷ややかな視線を送っている。

「あなたはいらないことばかり気にする」
「ごめん、あたしの脳も最近どうかしてるんだわ、太陽が黄色いせいよきっと」

キュルケは頭痛を堪え、木陰の草の上に座り込んだ。もう、なんでもかんでも黄色い太陽のせいにしてしまいたくなる。

「白い」
「……そうね、あれが黄色くちかちかしてみえるのは、実はあたしのほうが夜更かししてたせいなのよ」

微妙に何かをごまかされたような気分を、キュルケは受け入れることにした。寝不足はキュルケも同じ、昨夜は久々にお楽しみだったらしい。
なまぬるい風、とろとろした時間……日差しも強くなり、これから本格的に夏になってゆくことだろう。
そのときタバサは近くの茂みへと、刺すような視線を移した。

「ごきげんよう同志タバサ、同志ツェルプストー」

葉っぱのついた二本の木の枝を手に、ぽっちゃり系の男子生徒、風上のマリコルヌが匍匐前進で現れた。覗き見をしていたらしい。
キュルケとタバサが杖を構えると、「ま、待ってください、謝りますから」と植え込みからもうひとり、慌てた様子の女子生徒が現れた。
この気弱そうな少女は何を血迷ったか、今回の絵の授業で、マリコルヌ少年とパートナーを組んでいるらしい。
噂では、あの白炎のメイジの襲撃の際に、勇敢なマリコルヌによって学院の外へと無事に逃がしてもらった縁だとか何だとか……それ以来意外なことに良き友人として、そこそこ仲良くやっているのだという。

かといって少年のほうはルイズ一直線らしいので、べつに彼に春が来たとかいうわけではないようだ。
マリコルヌは丁寧に非礼を詫びてから、にやりと笑い、「ほら、これ」と言った。
スケッチブックのページを一枚、びりっと抜き出してキュルケたちへと差し出した。

「進呈するとも」

そこに描かれているのは、美しい眠り姫だ。
この短時間のうちに書き上げられたというのが信じられないほどに繊細なタッチで、ルイズの特徴を見事にとらえている。
女の子の寝顔を覗くなんて、不純な動機からくる行為なのだろうが……

「まあ、これ貰ってよろしくて?」

キュルケは思わずそう問うてしまった。あまりに素晴らしい絵の出来映えに毒気を抜かれてしまったのだ。
タバサは警戒を解いておらず、少年に付き添ってきた女の子がフォローするように、必死にぺこぺこと頭を下げていた。
マリコルヌは得意そうに、大きく頷いた。

「いいさ、ぼくはもう充分に堪能したし、ゼロのルイズの誰よりも美しい寝顔のことなら、ほら、ここに……」

ばあっ―――と、マントが無意味にひるがえった。不敵にもったいぶった仕草で、自分のおでこをびしっと指差す。

「しっかりと大切に保存(Save)したからな、細部まで……うん、光の具合からうぶ毛の一本一本の生え方まで、いつでも思い出せそうだ」

どうしよう、何だかすごくカッコイイこと言われてるような気がするわ……と、キュルケは自分の感性にたいし大きな疑問を抱き、愕然とするほかなかったそうな。

「ところで、ミス・タバサ……二十エキュー出そうではないか」

何が間違っていて何が正しいのかの基準さえ崩れつつあるこの微妙な空気のなか、マリコルヌはタバサに向かってそう言った。

「なに?」
「トレードをしようぜ。きみの持っている、ソレの値段さ……ああ、うらやましくてたまらない、どうか是非ともぼくに売ってくれ」

キュルケとタバサは顔を見合わせた。女の子が青い顔で、すみませんすみませんと頭を下げていた。
マリコルヌはちらちらとルイズの寝顔を見つつ、静かに言葉を続けた。

「きみのポケットにあるハンケチだよ、二十五、いや三十エキュー出そう」

タバサは新しい本を買うためのお金が欲しいと思った。
このハンケチは木綿でできた安物であり、キュルケの持っているようなエキュー単位のものではない。
じっとマリコルヌを見つめ、口を開いた。

「わかった……洗ってくるから待っていて」
「待ちたまえ、洗うなんてとんでもない……それはいけないぜ、洗わないからこそイイんじゃあないか」

再び空気が固まった。

「洗わないで、どうするの」
「使うに決まっているとも、ゼロのルイズの神聖なる唾液の染み込んだ至高のお宝だ、使わないと意味がない」
「……使うって、何に?」
「おおっと、……ミス・タバサがたったいま想像しているような、いかがわしいことには使わないと杖に誓おう。ただ芳香を堪能するだけだよ、くんかくんかするんだ」

タバサは不機嫌そうに眉をひそめた。
数分の静寂のあと、耐え切れなくなったキュルケが颯爽と立ち上がる。
彼女は彼が確定的に言ったように本当にタバサがそんなことを想像していたのかどうか、真実がどうあろうと認めたくないのである。
キュルケにとって、まだまだピュアで居て欲しい青髪の友人の情操教育的に、これはあまりに良くないものだと思われたようである。

「あたしが交渉を請け負うわ。あっちでおはなししましょう」
「わかった、普段の授業でも滅多に見られない、これほど安らかな眠りを妨げてしまうのは、実に惜しいことだからな」

マリコルヌは満足そうにルイズを一瞥し、キュルケのあとを匍匐前進でおいかけていった。連れの女子生徒が心配そうな表情でぺこりとタバサに一礼し、そのあとをついていった。
欲しい本を買えないことを残念に思いつつ、タバサは<サイレント>の呪文を唱え、静かに冥福を祈った。

今日の日はさようなら風上の少年、同じ魔法系統で、そして同じ人を好きだったよしみ、あなたのことは三分間くらい忘れない……
交渉が決裂したのだろう、魔法学院にファイアー・ボールによるショウタイムの炸裂音が響いたが、風のトライアングルメイジ、タバサの防音結界は完璧だ。



さて―――

木陰に残されたのはルイズとタバサ、久々の二人きり。キュルケはマルコゲ少年の引き取り手の少女に同情し、一緒に運んでやりにいったのだろう。
タバサは手にした本を開く気にもなれず、ルイズのそばの木の根元に腰掛けて、ぼんやりと青い空や白い雲、緑の木々や学院の塔、そしてたまにルイズを見たりしている。睡眠不足というわけではないが、このまま目を閉じたらきっと眠りの国へと迷い込んでしまうだろうほどに、本日の陽光は暖かい。

「……」

じりじりじり……

よくみると、直射日光……木漏れ日の一端が、ルイズのすらりとした足のふとももに当たっている。
ルイズの白い肌は異様なほどに日に弱く、このままでは真っ赤になってしまうことだろう。
長く当たりすぎると、痒くなったりぴりぴりしたり、ひどいときには薄皮がやぶれてじくじくしてしまったりもする。白髪の少女は、うなされているようだ。

「うー……」

眠っているルイズの足がじわじわと移動しており、摩擦でスカートもまくれてゆきつつある。
本人も、無意識に違和感を排除しようとしているのかもしれない。
放っておけばパンツが丸見えになってしまうか、いずれ椅子からころげ落ちて痛い思いをしてしまうことだろう。そうなる前に……タバサは杖を振る。
雪風のタバサは監視任務のみならず、ルイズ・フランソワーズをこの世にある万難より守護するための、護衛の任務を負っているのだから。

「これはたいへん、速やかに対処しなければならない……『レビテーション』」

誰にとでもなく、呟いたタバサは……
そーっとそーっとルイズを浮かせ……自分の両腕のなかへと、静かに対象の捕獲を完了した。
これは必要に迫られたからやること。ルイズの半身、周囲の危険を見逃さない使い魔も大丈夫、発動しない。
だからこのくらいまでなら、きっとタバサのことを、ルイズの心は無意識に受け入れてくれている……と判断してよいはずなのだ。
知らず知らずのうちに、タバサの口元も、少しだけほころんでいる。
結局のところ青い髪の彼女も、友人に逃げられ続けた近ごろの状況に、多少なりとも寂しい思いをしていたのだろう。

タルブ事変よりこのかた、雪風のタバサは自身の理性にたいしあれこれとごまかしつつも、ちょっぴり欲求に正直に行動することを、うっかり覚えたのかもしれない。

―――……

……

「あら……」

戻ってきたキュルケが見たのは、一本の木の根元にいる二人の少女。
ここを離れていたわずかの時間のうちに、いかなる事態の進展があったのだろうか……立ち木に背をあずけた青い髪の少女が、横たわる白髪の少女の頭を抱くように、自らの膝のうえに乗せている。二人とも満ち足りた様子で、すやすやと無防備にお昼寝だ。
大切な友人とのひとときを写す、一枚の絵のような光景……マリコルヌではないがきっとキュルケだって、生涯忘れないことだろう。

「まったくもう……」

いろんな心配がどうでもよくなるほどに、幼く無邪気な子供同士のような微笑ましい姿だ。
互いに近づいたり離れたりするたび一喜一憂していたことも、可愛らしく思い出されてしまう。
ああ『友だち』なんてこんなふうに、いつのまにか成るようになってるものなんでしょうね、……と、唐突に何かが綺麗に腑に落ちたような気分を、キュルケは覚えた。

『他人(ひと)に触れていたい』……この小さな親友がずっと己には必要ないと押し殺し続けてきた、人間らしく誇らしい気持ちである。

苦笑しつつ二人のすぐそばへと寄ってゆき、二人の髪をそっと撫でてから……自分も、ごろんと草の上に寝転がった。
あとで白髪の少女が目覚めて自らの状況を認識したとき、きっとまたひと騒動くらいあるのかもしれないが……それまでくらいは、この穏やかな時を堪能してもよいだろうと思う。

(あっ、でもこれは……ほんと眠くなるわね)

あくびをひとつ。彼女も睡眠不足だ。眠りはすぐに訪れた。暖かい気持ちになれる夢を見たような気も、したのだという。

……

目覚めてから、レディのたしなみとしてすぐさま手鏡をチェックしたおかげで……キュルケは自分の顔に水彩絵の具で丁寧に描かれたホラーな『縫い目』に、たちまち気づくことが出来たそうな。







//// 29-2:【見てはいけない光景:回線ラグやPCフリーズ→死】

王都トリスタニアの某所、ある日の夜、部屋にはひとりきり。
本日のバイトをすべて終えた黒髪の少女シエスタには、待ちわびた大切な恋人との逢瀬が待っている。
穏やかに微笑んで、愛する人を抱きしめる。

「はあ、ん……」

ちゅっちゅ、ちゅっちゅ。
なんどもついばむように、そっと唇をふれる。

「大好き、ナイトさぁん……」

自分と同じ黒髪の少年剣士の人形を、あたかも劇をするかのように手で持って動かす。

「『おっす、おれナイト! 世界最強の剣士だ! シエスタ大好き!』」

器用に声色を変えて、真顔でそう言ったあと、彼女はたちまち不安そうな表情になって、人形と向かい合う。

「ほんとに? わたしなんかより、ミス・ヴァリエールのほうがずっと美人でお金持ちなのに……」

ひと呼吸置いたあと、剣士人形の手足をつかんで動かし声色を変える。

「『前から思ってたけど、あんなぺったんこは胸じゃねえ、防壁(The Ward)だ! おれ、でっかいほうが好きだから! つまりシエスタのおっぱいが好きだから!』」

シエスタは人形をぎゅーっと抱きしめる。剣士人形が、やわらかいふくらみのなかへとふにふに沈んでゆく。
とんとん、とんとん、とドアがノックされ彼女を呼ぶ声が聞こえているが、夢中のシエスタは気づかない。

「めっ。ミス・ヴァリエールのこと悪く言っちゃ駄目ですよ、ナイトさん。わたし、頭もお胸もお可哀想なあの方のことは嫌いじゃないわ、むしろ好きよ。それに、きっと一生ついていくんだから!」

その期間だって長くないから頑張れるわ……とシエスタは考える。一生的な意味で長くないのだ。
ぶどう畑をもつ夢ははるかガンダーラ級の遠くへ……ならばいっそ『命みじかし恋せよ乙女』だ。ちょっぴり寂しそうな顔をしてから、ふたたび真顔になって人形を動かす。

「『おれもシエスタに一生ついていく! どんなことがあっても守ってやるからな!』」

ぱあっと花が咲くかのようにして、満面の笑顔になるシエスタ。

「まあ、嬉しい……お礼にあなたの好きなコレ、たぁっぷり味わって下さいね……んーっ」

ちゅちゅ、ちゅっちゅっちゅ。
『アンロック』の魔法でドアのカギが開かれたが、シエスタは気づかない。
明らかなうわごとを口にし、押し殺したうめき声にくわえ息づかいも荒くなっており、すわ筋トレを再開してしまったのか、それともなにかたいへんな病気になってしまったのだろうか……と、扉の外にいた友人が心配してしまうのも無理はない。

「ナイトさん、わたしのナイトさぁん……」

ベッドの上をごろごろと転げまわりつつ、シエスタはじつに幸せそうに、激しい雨のようなラブラブちゅっちゅ大作戦を遂行する。
たぶん彼女は多くのものを代償に、自身の空想の世界のなかで縦横無尽に羽ばたけるほどの、天使のごとく自由なる翼を得たのだろう。
きっといつかは、天までとどくにちがいない。美しくかぐわしき花は世界じゅうに満ち溢れ、千の星々はきらめいて、彼女の永遠の幸せを祝福することだろう。

―――がちゃん。
ほのかな廊下の灯りを背負い、あたかもストーン・カースの魔法でも受けたかのように硬直した友人モンモランシーの手にしたお盆から、いくつかの試験管が落下した。

「きゃっ!」
「……」

シエスタは悲鳴をあげてシーツをかぶり、ベッドの向こう側へと落下した―――どすん。
いっぽう、割れた試験管からこぼれ床に染みをつくってゆく液体は、かぐわしくも濃密なる花の香りをぷんぷんと放っている。
それは風味魔法に実力をつけつつあるリュリュ嬢と、魔法ポーションの権威たるゼロのルイズの協力を得て開発した、新作の香水だ。

数滴で長持ちする特製だから、たちまち部屋中にたちこめてゆくその匂いも眩暈を起こしてしまいそうになるほどに濃厚だ。
「しまった、そういえば香水つくってないわね」と香水のモンモランシーが、このところ得意で稼げる内職へとふたたび取り組み始めたのだ。
このままでは『涙目』のほうが二つ名になってしまいそうなのだから、仕方ない。
もともと香りに関しては二つ名を得るほどの才能があったので、アンリエッタやギーシュやリュリュ嬢、キュルケの伝手で世界中のお金持ちに対する受注生産販売を開始したところ、じわじわと売れはじめているのだという。

このたび開発していたのは一攫千金を狙った上流貴族向けの、材料からして高価な香水である。
平民では到底手の届かないそれの試作品を、誰よりも最初に友人シエスタに試してもらおうと、持ってきてくれたのだろう。
せっかくの香水は床の上で試験管の破片にまじって水溜りをつくり、あたりの空気をフローラルかつエレガントに汚染している。

『石になりたいのです』―――エプロンを身につけた金髪縦ロールの少女は、唐突にそう思った。
このまま地中深く埋まってモンモリロナイト……いや『モンモランシーの化石』になり、一万年後くらいに発掘されたいと。
悔やまれる大失敗。シエスタのプライベート(Single/Open)、ヒミツのお人形さんごっこ……いや、脳内恋人との逢瀬の場に踏み込んで、台無しにしてしまった。
心の聖域に土足で侵攻し、咲きほこる綺麗なお花畑を知らずに踏みにじってしまったのだ。
目が潤んでしおしおとする。香水のせいだ。

(ひょっとして私、今すぐ馬に蹴られて死ぬべきなのかしら……)

そして心を決めた。うん、なかったことに。世界の事実を書き換えよう。時よ止まれ、シエスタは美しいままだ。
この宙ぶらりんの時(ラグ)を引き伸ばそう。自分の不注意によって、彼女の心象風景がケガレに侵食されてしまう前に、すべてをなかったことに……リセットして再起動しなければならない。

震える手で、友人の壊れやすいグラスハートのカケラを拾い集めるかのようにして、床にちらばる容器の破片を片付けはじめた。
もう今すぐにでも、ここから立ち去ってやりたい。そのあとはきっと時が解決してくれることだろう。
『明日は今日よりいい日』というのが、最近のモンモランシーのお気に入りの言葉なのである。

ただし自分の失態によりブチマケられた、あまりに香り立つこれらをどうにかしない限り、なかったことにしたくともできない。明日はいい日にならないのだ。
貴族らしく平静を保ち、優雅に心の中で悪態をつく―――『言葉なんて要らないわ行動こそが必要なのよどちくしょう!!』

(……私は空気、家具、時の隙間の亡霊。夜中に職人さんのお手伝いをする妖精さんの一種なのよ)

唇をかんで、音をたてないように片付けを続ける。
破片を拾っては、お盆のうえへと載せてゆく。部屋の隅っこのほう……物騒な『サイゴノキボウ』のとなりに、ホウキが立てかけられているのを見つける。
液体をふき取るのと、細かい欠片を掃除すること、どちらを先にやるべきだろうか……と、妖精モンモランシーは匂いに当てられた頭でぼんやりと考える。

「いっ……」

注意がそれたとたん、破片で指先を傷つけてしまったようだ。うっすらと血がにじんでゆく。
モンモランシーはふたたび唇をかむ。こんな痛みくらい、なんでもない。
そう、シエスタの心の痛みにくらべればなんてことはない……ああ、こんなふうに思えば、いっそ勇気さえわいてきてしまうではないか。

モンモランシーは始祖ブリミルへと祈り、続けて先日ルイズの言っていた、自分に憑いているという遠い遠いご先祖の守護霊へと祈りを捧げる。
そいつが何者なのかモンモランシーは知らないけれども……自分が運の悪さのわりに未だ元気で暮らせているのは、その白い長髪に白装束にして霊格の高い守護霊とやらのおかげなのかもしれない、と思っている。

静止した時のなかでふと思い出した……そうだ自分は魔法を使えるではないか。夢と希望の使者、魔法少女ランシーモンモ。
杖を振ってあたかも大魔術の行使のごとくおごそかに呪文をとなえ、香水の魔法結合を分解してゆく。
自分で作った香水だ、やり方は解っている。最初からこうすればよかったのねと反省する。
自分を水メイジとして生んでくれたパパランシーとママランシーに、金髪の子ランシーは心の中で最大限の感謝を送る。

部屋にたちこめる香水のにおいは、しだいに消えてゆく。バケツへと水魔法で清掃用の水を貯め、足音をたてないようにベッドのそばを通り過ぎ、窓をあけて換気の魔法を使った。すうーっはぁ、と深呼吸をひとつしてから、手早く床を掃き清め、せっせと雑巾をかけ、すっかり元通りになったことを確認し終えて、モンモランシーは静かに窓とカーテンを閉める。
お盆とバケツを手に、ドアのところへと戻って、いちどだけ振り向いた。

「…………」
「…………」

薄暗い部屋のなか、しまったと思うまもなく……ベッドの向こうで白い布に包まった人影、閉じあわされたシーツの隙間からのぞく生気の感じられない目と、視線が合ってしまった。

「ぎりぎりAまでですから……これはセーフですから……セーフですから……どうか両親には内緒で……」

かすかな呟きが耳に届いた。

「ええセーフよ……そして誰にも言わないわ、杖にかけて」

なんという疑惑の判定―――これがもしスポーツだったならば、乱闘にもなりかねない程度の。
胸のうちの無力感を押し殺し、せいいっぱいの謝罪の気持ちを込めて返答し……ほんの少しだけ片手をあげ、儚くも優しく微笑む表情を送った。
すすすと滑るように後退し部屋を出てドアを閉め―――ばたん、おわり。



おわり。












//// 29-3:【襤褸(ぼろ)を纏(まと)えど心は錦(にしき)】

トリステイン魔法学院、隅っこのほうのブキミな物置小屋……通称『幽霊屋敷』は、今日も学院の美麗なる景観を元気にもりもりと下方修正している。
その室内は怪しい骨やらなにやら様々なモノがあふれ、雑然と散らかっている。
部屋の主ルイズは、これでも頑張って「ぎりぎり人が住めるくらいには」片付けたほうなのだという。

実際、友人モンモランシーに叱られてより、ルイズは気合を入れて手下のガイコツさんたちとともに整理整頓や清掃にはげんだのである。
いまだ大部分は片付けきれていないけれども、せめてたちこめていた異臭の発生源が発掘され処理されたというだけでも、かなりマシになったものだ。
いったいナニが発掘されたのかについて……目撃者キュルケとタバサとブラック・デスは、口を深海に住む貝のように閉ざして語らない。
そのときシエスタが帰ってきていなかったことが、不幸中の幸いだとか何とか。

さて現在、夕暮れ時。生徒たちは浴場に向かっているころ。この時間(逢魔が時)になると、まだまだ慣れない監視者タバサは自室へと帰ってしまう。
そんなちょっぴりブキミさも濃くなりだした部屋の中央、明るめのランプを灯し、ふかふかさを失いつつあるじゅうたんの上で……こっそりアヤシイことをしたいとき、こうしてタバサが帰るのを見計らって―――
少女ふたりは互いへと膝を使ってにじりよってゆき―――

「さあ、ルイズさん……来てください」
「うん」

白髪の少女ルイズはガリア貴族の娘リュリュの体へと寄りかかり、くたりと体重を預けた。
リュリュはルイズの上半身の体重を自分の体で支えつつ、見つめられる照れで少し赤く染まった少女の頬へと、両手を添えた。

「では、いきますよ」

胸に抱くような姿勢からそっと顔を近づけてゆく。二人の顔は、お互いの吐息がかかってしまうほどに接近する。
天井を向くルイズは、リュリュの背後のランプの眩しさと、顔の近いことの恥ずかしさからかぎゅっと目を閉じて、リュリュのなすがままだ。

「はい、あーん」
「あーっ」

リュリュの手に両頬をしっかりと固定され、ルイズは促されるままに大きく口をあけた。
白く小さい歯、ちょっとせり出して尖った犬歯、細く可愛らしい舌、やわらかそうなもも色の口内が、年上の少女の視界に容赦なくさらけ出されてゆく。

「わあ、いつ見ても綺麗ですねえ、ルイズさんの歯並び」
「ひゃあぅ……」

リュリュはいったん自分の髪をかきあげてから、真剣な面持ちで、自分の後方からの灯りをさえぎらないようにルイズの口内を観察した。
ランプの灯りをほんのりと反射するルイズののどちんこが、粘膜の弦をつたわせつつも、奥のほうで怯えたようにふるふると震えている。

「ひょひょ、はゅはぁや……」
「あっ、ごっくんしていいですよ」
「ん」

いったん口をとじて、緊張で口内に溜まってきたつばを、ルイズは白くて細い喉もとを動かしてごっくんする。
ふたたび大きく口をあける……んあーっ。目の前の相手を丸呑みにしてしまう勢いでどんなに頑張ってあーんとしても、ルイズのおくちは小さい。
にやにやモードのときに人を食べちゃいそうなほどでっかく見えることについては、ルイズ108不思議のうちのひとつである。
余談ではあるが、監視者タバサは108式もあるたくさんのふしぎを発見し、報告書にまとめ、イザベラ王女を胃痛でTKOに追い込みかけたらしい。
さて、リュリュは片目をつぶり、じーっと覗き込むが、なかなか奥のほうの見たいところを観察することはできないようだ。

「……ちょっと失礼しますね、よく見えませんので」
「ふぁやひっ」

ぐいぐいぐい……リュリュは自分の親指をルイズの温かい口の中に突っ込んで、無理矢理にこじあけて顔をますます近く引き寄せる。
小柄なルイズの細い肩がびくりとし一度びたっと硬直してから、また震えだした。ぷるぷるぷる……
リュリュはルイズの顔をうごかして、ランプの放つ灯りが自分の見たいところへと届くように調節してゆく。

「駄目です、……やっぱり暗くてあんまり」
「ひょっほよ、ふほっふ、ふほっふ!」

いったんストップをかけて離してもらったルイズは、けほけほと咳き込みつつ「……もっといい灯りがあったわね」と、『骨の精霊』を体内より召喚した。
フワワ―――と浮かび上がる、白いガイコツのヒトダマ。ルイズの使い魔によるまばゆい幻想的な照明を得て、こんどは奥の奥のほうまでもっとよく見えそうだ。
リュリュはふたたびルイズの口に親指をつっこんで容赦なく、ぐいぐいとこじあけてゆく。ルイズは慌てて『タマちゃん』の灯りの角度を調節する。

「あー、今度こそ見えました……ちゃんと育ってるみたいですけどー……んー、なんかまたお肉がかぶさってきてるみたいですね」
「ほょわ」
「これきっと、あとでまた痛くなってくると思うんですけど……ちょっと触ってみてもいいですか」
「……らへえ」
「駄目ですよ、こういうのはきちんと確かめておかないと。いつのまにか気づかないうちに、ますます悪くなっていたりしますから。はい触ります暴れたり噛んだりしないでくださいねーっ」
「ひゃあ」

ちょちょん。

「あ゙あ゙ー!」

びくんびくん。細く小さな手足が痙攣する。
リュリュの手から解放されたとたん、ルイズは体中の力が抜けてしまったかのようにして、へたへたと崩れ落ちてしまった。
役割を終えた骨の精霊が青白い霊気とともに、ルイズの体内へとじわじわと還元吸収されてゆく。

「あら、ちょっと血がにじんでるみたいです、いけませんね……このままだとまた腫れてくるかもしれません」

リュリュは自分のひとさし指の先についたルイズの唾液に、血液が混ざっていることを確認した。
穏やかなランプの灯りに戻った薄暗い室内、うつろな目に涙をにじませ、ルイズは頬を桜色に染めてはあはあと呼吸を整えた。
リュリュはニコニコと笑い、洗面器に貯めた水で手を洗いながら、ルイズへと問いかける。

「あはは、痛かったですか?」
「ちょっとだけ……うん、ちょっと、いえ、けっこう痛かったわ……」

さて、二人が何をしているのかというと―――ルイズが先の戦いにて失ってしまった『奥歯』の再生治療のために、リュリュ嬢に手伝ってもらっているのである。
自分の口の中の様子を自分で見ることはできない。現在、新しく生えてきた奥歯のあたりがときどき痛むので、様子を見てもらっていたところだ。

<サンクチュアリ>世界の回復ポーションは、あらゆる怪我に効くばかりか、治療が早ければ髪の毛さえも再生してしまうかなりのすぐれものである。
腕や足など身体の部分を失うまでに至った場合は難しいのだが……うまくやれば、くっつけたりすることもできるという。
そしてルイズはネクロマンサー。つまり、『骨』をあれこれといじくることにかけての専門家である。
なので、永久歯の再生治療は多少の手間や時間こそかかれど、不可能なことではなかったようだ。
いくつかの困難を乗り越え努力が実り、以前のものよりほんの少し小さい歯であるが、こうしてちゃんと生えてきてくれたのである。

「はい、もっかいあーんして下さい」
「あーん」

リュリュは、先っちょに小さな粘土の塊をつけた細い棒をルイズの口の中へと突っ込み、その部分へとあてがう。

「噛んでー」
「むぐ」

美味しくない粘土塊と痛みのせいで、ルイズはふたたび涙目だ。毎度こうして歯型を取って、今後の治療を検討するのである。
タバサがリサーチした108不思議のひとつ、たまにここ『幽霊屋敷』の床にドロップしている『小さな歯形のついた粘土』の正体とは、どうやらこれのようであった。
先週取った歯型と比べて、もう新しい奥歯が回復しきっていることを二人は確認した。では、何故いまだに歯肉に包まれているのだろうか?

「たぶんここのお肉、本来ならもう溶けて、歯茎のほうに吸収されちゃってるべきものだと思うんです」

リュリュは所見を語った。彼女は水系統のメイジでこそないが、ルイズの治療に付き合うためにいろいろと本で調べて勉強してきてくれたのだという。
モンモランシーは居ないし、タバサに頼むのは恥ずかしいしなんか危ない気がする……と、選ばれたのがリュリュだ。
……また、タバサは自分の叔父がルイズの奥歯をバキ折ったことをずっと気にしていたようなので、彼女に余計な気を使わせたくないとの気持ちもきっと、あったのだろう。

「ルイズさん、あなた奥歯が痛むとすぐにポーションを飲んでいるのでしょう? でしたらこうは考えられませんか? お肉が削れるたびにポーションで修復されちゃって、未だに残っている、と」
「うん、きっと、そのせいだったのかもね……」
「次に歯が痛いときに、数日間ヒーリング・ポーションを飲まずにいたら自然と元のように戻ると思うんですけど、どうでしょう」

ルイズやコルベールの研究に、リュリュはいつも独特の視点から、ためになる意見を述べてくれる。
万能すぎるクスリがときに治療をさまたげることもある……ルイズとリュリュの二人は、製薬にたずさわる者として大切なことをまたひとつ、体を張って学ぶことができたのだ。
理解はできても納得できないらしく、ルイズは頬を膨らませている。

「……じゃあ、我慢するわ」
「いえ、べつに痛み止めや化膿止めくらいなら、飲んでおいたほうが良いと思いますけれど」
「あっ、そうね、……わざわざ痛い思いをする必要もないし……うん、あとで調合してみ……ようと、思った、けど……」

だんだんと声を小さくしつつ、ルイズは「材料が足りないかも」と残念そうに言った。

「まあ、それでは取り寄せないといけませんね」
「だめ、お金もないの」

ごそごそとスタッシュをあさり、ルイズは小さな袋を取り出した。

「……これが私の今月の全財産なのよ」

手渡されたリュリュは、中身を確認して驚く。銅貨である。

「五ドニエ」
「うん」
「……えっ、たった五ド、ニエ……」
「うん、すごいでしょう」
「はあ確かにすごいといえば、すごいですけど……」

リュリュはますます驚いて、ルイズに詰め寄る。

「どうしたんですかルイズさん! これ、先月の売り上げだって、たくさん入ってたはずじゃあないですか!」
「いきなり出費がかさんだの。ちょっぴり無駄遣いもしちゃったし、日焼け止めも作ったし。こないだは『魅惑の妖精亭』の建て直し費用のカンパもあったしぃ……」

ぎりぎりと奥歯をかみしめようとして、ルイズは「あ痛た……」とほっぺを押さえた。

「事変のせいで国境の警備も厳しくなって、霊薬の材料の値上がりもあったし、……ひとつ大きな支払いを忘れてたのも痛かったわ、失敗ね」

しゅんとして、空気が抜けるように小さくなってゆくルイズ。リュリュは気まずそうに頬を掻いている。

「……どうします? 私も薬代を出してさしあげたいのは山々なんですが、今月はぜんぜんお金ないんですよ」
「ありがとう、早急に何とかするつもりよ」

学院生活のため食と住は保証されているのだが、今月のルイズはそれ以外の部分にてヘヴィな赤貧生活を送らなければならないらしい。
何故か上機嫌そうに、カゴの中から、さっきまで着ていた魔法学院の制服を取り出し……

「でも見損なわないでちょうだい、節約はしてるんだから。ほら見て見てリュリュ、今では私、自分で修理してるのよ」

ゼロのルイズは戦いに出るたびに、決して安価ではない魔法学院の制服のシャツやスカートやマントを、いつもボロボロにしたり血まみれにしたりして帰ってくる。
以前のルイズは制服を破損するたびに別のものに換えていたので、出費だって相当にかさんでいたものだ。
ルイズは以前シエスタの人形を修理したときに裁縫を覚えたことが嬉しいらしく、堂々とひらべったい胸を張って、修理したところをリュリュへと見せて自慢した。

「どう? 下手なのは自認してるけど、これはこれで味があっていいと思うの」
「は、はい……うん、いいですね、努力が感じられます。私はありだと思いますよ」

あのタルブ事変のとき、何着もの制服が破損してしまったおかげで、とうとう残り二着となったそれらを、現在彼女は修理しつつも着まわしているらしい。
つぎはぎが目立ち、たまに糸の色がちがったり、縫い目はばらついているし、必ずしも上手とは言い切れない修繕だ。
えへへ、と貧しくともルイズは、とてもいい笑顔だった。

「貯金はどうなされたんですか?」
「……口座はもともとずいぶん切り崩してたし、こないだのタルブの復興資金にまわしたぶんで、もう無くなっちゃったわ」

リュリュはびくりと震えた。慌てて帳簿を取り出し、書類と突き合せ、たちまち顔を青ざめさせてゆく。

「あの、つかぬことをお聞きしますが……これ、アルラウネの蜜ほか二十八種類……六千七百エキュー、引き落としは五日後になってますけど」
「えっ」
「ひょっとして忘れてなんて、……いませんよね?」
「……えーと」
「いませんよね?」

みるみるうちにルイズの顔色も青くなってゆく。どうやら帳簿の見落としから、忘れていた超高額の支払いがまたひとつ浮かび上がってきたらしい。
それからはもうパニックだ。二人で目を皿のようにして帳簿を見て、請求書と突合せ、財布の中身をもういちど見て……

「向こうの手続きに一日かかるわよね、期限は前日までだわ。どどどうしようリュリュ……あ、明後日までに王都の銀行に振り込まないと!」
「どうしましょうルイズさん!」

二人は青ざめた顔を見合わせる。
ルイズが製造するポーションや『霊薬』の材料のなかには、出自もごにょごにょ……なものが多い。
そして密売まがい……いや『貴重なものを偶然持っていて売ってくれる親切なおじさん』たちも、販売品リストを見るだけで金を取られるようなモニョモニョ……な筋の方が多いので、彼らと付き合うためには秘密厳守と信用こそが、何よりも大事にされる。
つまり、いちど支払いが遅れるとアウトであり……下手をすると数倍の値段になってしまったり、今後二度と取引をしてもらえなくなったりもするのだ。

「これって、なんだかもんのっすごーく危機的状況なのではありませんか……?」
「う、うぐぐー……」

今回購入した材料は、ポーション一般のベースとなる特殊溶液を作るための触媒にも役にたつものだ。
とくに禁制のものというわけではない……が、以前禁制のものを頼んだとき説明された、数か月分を大量に安く仕入れることができるという美味しい話に乗り、国境のちかくに住んでいる(と自称する)同じ取引相手に頼んでしまったのである。
ルイズはほっぺを押さえて、にやにや笑顔になってゆく。

「午前中に奥歯が痛んで、本当に良かったぁ……おかげでコレに気づけたんですもの。大宇宙を背負う偉大なるトラグールのご加護にちがいないわ!」
「すごいですね! 宇宙規模の歯痛ですか。私には想像もつきません!」

もしブラックリストに載ってしまえば、コルベールとリュリュとの製薬業の今後だけでなく、『霊薬』の精製にも大きな支障をきたしてしまう。
いざこざを起こせば、実家や王宮にも多大なる迷惑をかけてしまうことになろう。

「とりあえず、急いでお金を集めましょう!」
「頑張りましょう、お手伝いいたしますから!」

二人は目の前に立ちはだかる新たな困難、『突発的金欠』という名のソレを迎えうたんと誓い、しっかりと手を握り合った。

「ウフフ、たっぷり借金するわよ!」
「そうですね、完膚なきまでに借りまくりましょう!」

なにか根本的なところから勝手に軌道をそれてゆく、ストッパー不在のコンビであった。






//// 29-3:【樽の中のルイズ・フランソワーズ:友よ安らかに眠れ】

ゼロのルイズにとって、金銭的な問題において頼りになるのは、……まずは誰にもまして、幼馴染のアンリエッタ王女殿下であろう。
『幽霊屋敷』裏の<ウェイ・ポイント>から王宮へと飛んだルイズとリュリュ嬢は、衛士隊の守護する中庭近くの部屋へとぬらりと宵闇の化身のごとく出現した。
先のガリア工作員<地下水>によるウェイ・ポイントを用いた誘拐事件よりこのかた、ルイズの作った魔法陣は王女の部屋より撤去され、常時監視のできる場所へと移設されたのだ。
案の定騒ぎになったが、幸いルイズは前と変わらずに『おともだち証』を所持しているので、王女との謁見はとどこおりなく許可されることになった。

「借金の申し出ですが、ごめんなさいルイズ……わたくしの自由にできるお金は、もう尽きてしまったのです」
「姫さま……」

二人の事情を聞いて、王女は困ったようにそう言った。ルイズとリュリュの目論見は、しょっぱなから挫折することになった。
王宮ではタルブ事変の褒賞や遺族年金、今も健在なアルビオン艦隊に対抗するための軍備増強などの出費が、相当に堪えていたのだろう。
以前よりルイズたちによってことあるごとに金銭的援助をたかられていたせいで、とうとう王女の財布にも限界が来てしまったようだ。

「見てください、わたくしの私物もほとんど売り払ってしまいました。幸いなことに新しい直営鉱山の採掘は順調なのですが、まとまったお金が入るのは来月からになるでしょう」

ルイズたちは、がらんとした部屋を見回した。以前遊びに来たときと比べ、明らかにはなやかさが失われてしまっている。
アンリエッタの部屋にあるものは、天蓋の消えたベッド、衣装入れがひとつ、装飾のないランプや鏡、その他数点。
壁を彩っていたタペストリーさえ消えている。もはや、寝るためだけの部屋のようだ。どれだけ切り詰めた生活を送っているのか、ひと目で理解できる。
とはいえ来月から先は復興どころか、それ以上の収益の目処が立っているようだ……だからこそ、一時的にこのような生活をすることにも耐えられるのだろう。

「ルイズの力になってさしあげたいという気持ちは、間違いなくあるのです……どうかわたくしの力不足を恨まないでくださいね」
「姫さま、恨むなんてとんでもございません! 姫さまは力不足なんかじゃありません!」

ルイズとアンリエッタはひしと抱き合って、涙を流し始めた。

「ああっ姫さま! つよい! たくましい! おかねもち!」
「まあルイズ! わたくしのルイズ! おともだち!」

若さほとばしる熱い友情を見せ付けられ、リュリュ嬢はしばらくもらい泣きをしていたが、折を見て二人を引き離すことにする。
『放っておけば合体魔法を開発しそうになるから止めるべし』とは、友人たちの間での暗黙のルールであり、リュリュは何故か某小柄なシュヴァリエから『くれぐれも』と念を押されている。慌てて割って入り、拳闘のレフェリーのごとく「ブレイク、ブレイク」と二人を引き離した。

「ごめんなさい、アニエスが居ないので、このところ不安で……取り乱してしまいましたわ」
「いいえ姫さま、私のだらしなさがいけないのです。姫さまのお心を、私が煩わせてしまったのです……それに……」

うつろな目を宙に彷徨わせ、ルイズが言った。

「アニエスのことは、悲しい話でしたわ……」

重たくも切ない空気が部屋に満ちる。
二人は剣士の女性へと想いを馳せる。ルイズと共に戦い、王女の心の支えと成った彼女はもう、ここには居ない……
アンリエッタは遠い遠い目で、胸の前に手を組んだ。

「―――いいえ、彼女は今でも、いつまでもずっと、わたくしたちの心の中にいるのです」

脳裏に過ぎ行くは、真面目堅物で前髪ぱっつんのあのひとと過ごした、素敵な日々の思い出だ。
いっぽうガリア貴族の娘リュリュは、万感の想いを込めて……

「お土産が楽しみですね」と言った。

……ちなみに剣士アニエスは誕生日パーティの二日後くらいから『自分を見つめなおしたい』と、デルフリンガーを借りたまま自分探し……いやあてもなき放浪の旅に出てしまっている。
一刻も早く自分を見つけないと宙に消えていってしまいそうなほどに儚げな笑顔だった。
心配する必要はない、アニエスは誰よりも強い心をもつ女性だ。新女王の戴冠式までには、戻ってきてくれるにちがいない。



さて―――

王女の部屋の隅っこに、リュリュは奇妙なものを発見した。

「王女さま、あれは何でしょう、衣装かけ……でしょうか?」
「あら、フフ、何だと思いますか?」

部屋の隅、床から2メイルあたりの壁に、一本の棒が水平に取り付けられている。
もの干しのようにも見えるが、ここは王女の部屋なのだからそんなものがあるはずもない。

「きっと絞首台ですわ、そうでしょう姫さま! 高さが足りないのは、罪人を通常の数倍苦しめてからあの世へと送るためですね!」

ルイズはそう言って、うっとりと嬉しそうに目を細めた。
サンクチュアリ世界のダンジョンでは、このようなものに人の死体のぶらさがっていることが非常によくある。
そんなぶらさがり死体は冒険者たちにとって宝箱と同義であり、漁ればささやかなお金やアイテムが手に入るのだ。

「いいえ、あれは衣装かけでも絞首台でもありませんのよ」

王女はしずしずと部屋の隅へと歩み寄り、横棒の下までくると、くるりとルイズたちに振り向いた。
静かに微笑んで、ばんざいをするように両手をあげる。

「かといって、たいしたものでもありません、……これはこうやって……よっ!」

ひょい、と飛び上がって横棒につかまりぶらさがる。豊かでやんごとなきおっぱいが上下に揺れる。衣服の両袖が、ずずずと二の腕まで下がっていった。
その姿勢のままぼけーっと数十秒。ぽかんとして見守る二人へと、王女はにっこりと笑いかける。

「こうして宙ぶらりんになって考えごとをするのです……背筋がのびて姿勢が良くなりますし、筋肉を使いますから、おなかのお肉を減らすのにも、なかなかよろしいみたいですよ」

タルブ事変よりこのかたずっと忙しく、友人たちと遊ぶ時間もとれず、せまる戴冠のプレッシャーに目をまわしお金も日々の娯楽もない王女にとって……
ここにぶらさがることこそが、このところ唯一の趣味なのだという。
ゼロのルイズとリュリュ嬢は大いに感じ入るほかない―――ああ、なんというロイヤルな趣味であることか!!

目に涙をにじませた二人は王女と三人でかわるがわる、心行くまで宙ぶらりんを楽しんだのだという。

「きゃあっ! 何を、姫さま!」

アンリエッタは可憐な笑顔で、ぶらさがるルイズのわきの下をつんつんとつついてイタズラをしはじめた。
サンクチュアリ世界の魔物はこのようなものに人間の手足を縛り付けて抵抗できなくしてから、死んでしまうまで拷問することを好むのだという。

「ひゃん! あっ、そ、そのようなお戯れはおやめくださいまし、落ちてしまいます!」
「ねえルイズ、あなたはちょっと痩せすぎですわ。このような運動などこれっぽっちも必要ないでしょうに」

抗議するルイズに対し、アンリエッタ王女はちょっと寂しげに「ええ、もうちょっとお肉をつけるべきですとも」と言っていた。
このところ王女は、ルイズたちの差し入れるいくつもの怪しいスイーツ(たいていリュリュ製作)によっておなかのナチュラル冷気レジスタンスを底上げされており、寒がりなルイズのことをうらやましがっているのだとか。
ウエスト8サント差の逆恨みはなかなかに根深いようだ。

つんつん、つんつん……

ルイズの目からツヤが消える。
経験豊富な友人ゲルマニアの少女キュルケ・フォン・ツェルプストーは、『お肌の敏感さだって、立派な女の武器なのよ』と言っていたものだ。
窮地に追い込まれた今こそ、不退転の少女ルイズ・フランソワーズも、それを牙なき人の刃とするのだ。

さらにつつこうとした残酷な王女にむけて、ラズマ呪術『アイアン・メイデン(物理ダメージ反射)』の火の粉が降り注ぐ。
哀れな犠牲者はその直後、床のうえにしゃがみ込んで自らの身をかき抱き、びくんびくんと震えもだえるほかないのだ。


―――

「ああ、どうしようリュリュ」
「どうしましょうルイズさん……まあ楽しかったですけど」

金策に行ったはずが……王女殿下への謁見は結局お話して抱き合ってぷらぷらしてつんつくアンアンびくんびくんと、ただ遊んだだけで終わってしまった。
いつも的確なツッコミを入れてくれていたキュルケやアニエスが居なかったので、ちょっぴり本来の目的を忘れて時間を浪費してしまったようだ。
現在二人は王宮の廊下を歩き、<ウェイ・ポイント>のある中庭方面へと向かいつつ、今後の方針を話し合っている。

「む、このレモン娘、また忍び込んでいたのだな」
「あら隊長さま、ご機嫌うるわしゅう」
「ご機嫌なことがあるか! 毎度毎度いらぬやっかいごとばかり持ちこみおって……おほんおほん、ところでそちらのお嬢さんは?」

中庭をのぞむ回廊にて、魔法衛士隊マンティコア隊の隊長、ド・ゼッサール氏と鉢合わせた。
リュリュ嬢とド・ゼッサール氏は初対面である。ルイズは彼女を紹介し、隊長とリュリュは名乗りと挨拶を交し合った。

「で、こんな時間にお前がいるとは……またなにか困ったことが起きたのか。申してみるがよい」
「はい、実は……」

不機嫌そうに話を促す隊長に、ルイズはあまりほめられたものではない事情を半分ほどぼかしつつも正直に伝えた。
常日頃より厳格な態度をとっているが、根はお人よしの隊長さんである。何か問題が起きたとき、彼はいつも文句をいいながらもルイズたちをフォローしてくれるのだ。

「むう、貴族たるもの売買のことは自分で責任をもつべきだ……王宮とかかわりの無いことゆえ、私は金を貸してやれんぞ。せいいっぱいあがいてなんとかしろ」
「はい」

隊長は密輸っぽいことの事実になんとなく気づいたようだが、見てみぬふりをしてくれるつもりのようだ。
ルイズたちのこれまでの活動によって、王宮の財政が潤ったり魔法衛士隊の装備が充実したり、非常に良い結果の出たことがいくつもあるからだ。
ひょっとすると、自分の前任者……規律にたいする多少行き過ぎた厳格さのあったあの騎士姫の娘にたいしては、この根が堅物の隊長さえ、同情からか甘くなってやらざるを得ないのかもしれない。
『あの娘が恐ろしくないのですか』と部下に問われたとき、『なにをおろかな事を。私は百倍恐ろしい女性を知っている』と答えたとかなんとか。

「月の生活費が五ドニエとは、やりすぎだ」
「ウフフすごいでしょう!」
「……おい、確かにすごいが自慢するようなことではなかろう!」

とはいえいつものように怒った隊長に十分間ほどお説教をされてしまったルイズは、「フォールン・ワン(Fallen One)より深く反省します」と気を改めるのであった。

「? ……まあ、よし。今後は気をつけるのだぞ」

隊長は不機嫌そうな表情を崩さず、「だがどうしても期日までに金が集まらなかったら、そのときはまた来るがよい」と言ってくれた。
「こづかいをやろう、おやつでも買え」と、ちょっとずつ銀貨を握らせ、二人を見送ってくれた。
ルイズはこのひげづらの隊長のことがわりと好きだ。


―――

現在のゼロのルイズは、おやつを買うだけのお金も惜しい。
いちど買い食いなどをすると、あれこれと別のものにも目が移り、たちまち生活費ゼロのルイズとなりはててしまうことだろう。
隊長さんに貰ったおこづかいは、金策クエストをクリアしたときのお楽しみのために取っておくことになった。
なのでリュリュと二人で、寄り道もせず空きっ腹をかかえ、『幽霊屋敷』へと戻ってきた。しかしこのときには、とうに夕食の時間を過ごしてしまっていた。
近くで発見した学院のメイド(ルイズたちは彼女の名前を知らない)に言付けて、厨房より食事の乗ったワゴンを運んできてもらったのだが……

「ももも申し訳ございません! どうかわたしを食べないでください!」

運ばれてきたのは、一人ぶんだけ。手違いにより、そこには本来なら食堂にて食事をとっているはずのリュリュ嬢の分が無かったのだ。
メイドさんは顔面蒼白で、よく見ると歯をがちがちと噛み鳴らしている。

「わわわたし貧血ですし発育悪いですからっ! シエスタほど骨太で美味しそうに育っておりませんからっ!」
「ありがとう、ウフフ……もう帰っていいわよ。これを二人で分け合って食べるから」

厨房に残った料理は、もうすでに使用人たちへのまかないに供されてしまったのだという。
さらりとスケープゴートにされているらしきシエスタが、快方に向かっているとはいえいまだ王都にて精神のリハビリ中なので、どうも連絡に不備がでるのだ。
ルイズはワゴンの陰でしゃがみガード中のメイドさんへといたわりの言葉をかけ、面倒なやりとりを飛ばして丁重に追い返した。

(大変、ルイズさんは骨マニアだから……)
(いけないわ、リュリュは美食家だから……)

少女たちは、お互いに心配に思っている。もしも本気で興味を持ってしまったら―――ああ、どうなるのだろう!!

さて―――

「ごめんなさいルイズさん、ここに居候していたときのクセで……てっきり私の分も運ばれて来るのかと」

所在なさげにたたずむリュリュに、ルイズは笑顔で椅子をひいてやり、「一緒に食べましょう」と言った。
雑然とちらかる『幽霊屋敷』にて、二人は一人分の食事を半分こ。同じ皿から一緒に和気あいあいと食べるのだが、やはり量的に物足りない。
だけれど、ひとつ食べ物に関しては、リュリュ嬢は通常のメイジにはない素晴らしい特技を持っている。
得意満面に杖を振れば……

「『錬金』!」

材料の大豆(遺伝子組み換えでない)が光につつまれ、焼きたて料理が練成され、かぐわしいにおいを放ちはじめた。
『錬筋』……いや『お肉錬金』。効果こそアレだが土と土に火を足した、無駄にトライアングルのスペルのようである。
いまだに質より量のないよりはマシ程度の味であるが、リュリュも野望のため日々努力し、バージョンアップを重ねているのだ。
皿の上でぐにょぐにょと元気に動く物体X……いや、外見より味にこだわった最新式の合成焼き肉である。料理である。

「ルイズさんはお肉を食べられないのですよね……ですが純粋に大豆から作ったコレならば、食べられるのではないでしょうか!」
「確かに……うん、試してみる価値はないこともないわね」

レモン汁と塩と胡椒をぱっぱと振って、うねうねみょこみょこ動く香ばしいナニカの乗ったお皿を「さあめしあがれ」と差し出すリュリュは満面の笑顔。
ルイズもまた微笑んで、合成肉的な何かのステーキらしきものへと凄惨にナイフを入れた。『み゙ぃ!』と空気の抜ける音、ぶしゃりと飛び散る肉汁。
貴族の令嬢たるもの、食事の作法は完璧だ。
彼女にとっては久々のお肉。リュリュいわくスープに使っても美味しい南方の珍味『ウミガメ風味』、兎にも角にもフレッシュミート。

「シエスタが帰ってきたら、おなか一杯食べさせてあげたいわ」
「ええ、そうしましょう。それまでにもっと素敵なお肉が完成するよう、不肖リュリュ頑張りますね!」

本物のお肉を美味しく食べることが出来なくなってから、もうどのくらいたつのかしら……
ルイズはいたく感慨にふけりつつ、活きのよい(Fresh)肉いやつをフォークで上品に口へと運ぶ。
偶然ルイズさんの口に合ったりもするのかもしれません……と、見守るリュリュは大いに期待していた。
一方さりげなく決定されつつある黒髪メイド少女の未来は、またもや『守る会(Guardians)』の今後の奮闘に期待するほかないらしい。

「……うっ」
「どうですか? 外見はともかく、味は60点くらいだと思うんですけど」
「ご、ごめん、……だめみたい。残していいかしら? お願いリュリュ食べて」

ルイズは四分の一ほど食べてから寂しそうにナイフとフォークをことりと置いて、その活発に動く肉らしい物体Xの乗った皿をリュリュへと返却した。
なかば忘れていたようだが、彼女はお肉の味そのものを美味しく感じることができなくなっていたらしい。
そしてもとからあまり美味しくない『代用肉』……結果は、二人にとって残念なことになってしまったようだ。

さて、ここで唐突にまったく関係の無い豆知識をひとつ―――死体や新鮮な肉を素材にして作られた禁呪まがいのゴーレムは、一般に『フレッシュ・ゴーレム(Fresh Golem)』と呼ばれる。そして<サンクチュアリ>世界においては、ラズマ武僧の操る『血のゴーレム(Blood Golem)』をその一種として分類する魔法研究者も、居たりするのだそうな。

「!!」
「どうしました?」

―――偽ステーキを食してより一分ほどのち、ルイズの表情がみるみる強張って、顔色も青くなってゆく。
全身にぞわぞわぞわ……と、肉を食べたときのアレの感覚が、時間差で襲ってきたのだ。
どうやら、いつのまにか彼女は精神の根幹のほうからして、肉食を拒否するようになってしまっていたらしい。

「むむ、無理なんだわ……本物じゃない、お肉のようなモノ、でさえ……」
「顔色が悪いですよ、あのっ、本当に大丈夫なんですか?」
「……正直、きついわ……でも少し休んだら治まるでしょうから、心配はいらないわよ……」

不安そうにしているリュリュに、軽く手を挙げて答える。
ネクロマンサーにとって動物の死骸は、万能の道具である……いっぽう、ひと昔前までのゼロのルイズは、ただの少女であった。
『肉は食べ物ではない』―――おそらくこの一線こそが、ハルケギニアに生まれた少女としての感性が守られるための、無意識における妥協点なのかもしれない。

自分の心には、まだまだ思わぬところに弱い部分があるようだ。
いつかもっと心が強くなったら、またお肉を美味しく食べられるようになるのかしら……とルイズはぼんやりと考えていた。
生あるものの死体……すなわち大宇宙より提供されし生命の糧たる食事を残すことも、真面目な少女ルイズにとってはとてもとても悲しいことなのである。

「ごめん、ちょっと……一時間くらい寝る……ほんと悪いけど、残りのゴハンぜんぶ食べてね」

食事を中断したルイズは、ふらふらと歩き、ばたりとベッドに沈んだ。
一緒に食事をする相手がいなくなり、リュリュは切ない気持ちをかかえつつ、なかば味気なくなってしまった夕食を黙々と片付けるのであった。


『ん゙み゙ぃぃ!』ぶっしゃあ!




―――

さて、ルイズは『ぞわぞわ』より根性で復活したあと、リュリュと一緒に金策クエストを達成するためにふたたび立ち上がる。
お金にかんして王女の次に頼りになるのは、学院の友人たちだ。とくに微熱のキュルケと青銅のギーシュは、快く多くのお金を貸してくれることだろう。
ルイズは自分の金銭管理のだらしなさから生まれたミスで友人たちに迷惑をかけることを、心苦しいとも思うのだが……

「キュールケっ、お金をたっぷり貸してちょうだいうふふ6千エキューくらい! お願い今すぐでいいわ! さもないと大変なことになるわ私が!」

……霊薬のためなら、ルイズのプライドはやすやすと道を空けてくれるようだ。
ギーシュが学院を留守にしているので、自然とターゲットは一方に絞られてゆく。
さて、『宿敵』たるツェルプストー家の人間へと頭を下げて借金の申し入れをしたヴァリエール家の人間というものは、歴史上なかなか例をみないことである。

「悪いけど今月はあたしも、あんまりお金の余裕ないのよヴァリエール」

キュルケは、部屋へとやって来たルイズとリュリュに困った顔をしながらそう告げた。
現在ルイズの人脈の者たちは、タルブの復興のために多くの寄付を行ったせいで、お金の余裕もほとんど無くなってきているようだ。
もはや『幽霊屋敷を知るもの来たれ!』といえばちゃりちゃりと金貨が積まれるような状況では、ないのである。

「まあ頑張ればねえ、明後日の午後に……んー、千七百エキューくらいまでなら用立てられると思うけれど……でも、それくらいがせいいっぱいよ」

キュルケは自分の事情を語り始める。
恋多き少女キュルケには幾人ものボーイフレンドが居る。それら全てが「本気の恋」なのだと、彼女は公言してはばからない。
本気の恋だからこそ、彼女には相手と自分が満足できるだけの最高の関係を維持し、日々自分を磨き続ける義務があるのだ。
その情熱的でたゆまぬ努力たるや、ルイズの目的への苛烈な追求にも匹敵することだろう。
これこそがキュルケの譲れないこと、大事なことなのだ。最近は友情のほうに天秤が傾いてきているけれども、かといって恋をおろそかにすることもできないのである。

「一ヶ月後に返してくれるのよね? でもそうするとあたし、今までどおりに化粧品や服やアクセサリーを買ったりするのもなかなか出来なくなるのよ」

好きな人へと気軽に何かをプレゼントしたくなってもできなくなるし、急遽お金が入り要になっても対処できなくなる。
キュルケは誇り高きライバルであるルイズに対して、人として友として対等であることを望んでいるようだ。

「お金を貸したげてもいいわ。でもあたしの大事なものを削ることになるから、無条件で貸すことは出来ない。ここまではいいかしら?」

キュルケが神妙な面持ちで言ったので、ルイズたちはごくりと喉を鳴らした。

「条件? 利子じゃなくて?」
「ええ、利子はいらないけど、代わりに……今夜でいいわ。ひとつだけ、……仕事を頼まれて欲しいの」

ルイズがすかさず飛びついたのは、言うまでも無い。

「ありがとう! 私に出来ることなら何でもするわ!」
「むしろあなたにしか出来ない仕事ね」
「!!」

『自分にしか出来ない仕事』……というところに、根の寂しがりやの少女は大いなるロマンを感じたようだ。
いったいどんな事情を勝手に脳内把握したのか、たちまちその目にはブラックホールが映り、表情もにやにやと、口元が弓のように釣りあがってゆく。

「ウフフフフ任せなさい! 証拠のひとつだって残すつもりはないわ! それでどなたに『転校』していただければよろしいの? それとも『転勤』かしら? ねえ、どのくらい発酵させるのがお好み? ミディアム? ウェルダン?」
「あなた……」
「キュルケさん、私は戦闘とか得意じゃないですけど、『やさしい毒ヘビくん』なら使い方を練習してますから。あと多目的な穴とかも掘れます」
「え、うそ、リュリュまで……」

ガリアからの研究留学生は、もうずいぶんとルイズやコルベールに毒されてきてしまっているようだった。もはや手遅れなのかもしれない。
キュルケは頭痛をこらえつつ、リュリュの手伝いの申し出を丁重に断り、ルイズだけに夜中にこの部屋に来てくれるように頼んだ。

「今晩あたしの彼氏が来るから、そのときにあなたの秘術の『呪い』を使って欲しいのよ」
「お安い御用ね!」

とはいえキュルケは仕事の内容について、それだけしか語らなかった……彼女がちょっと意味ありげに頬を染めていたことに、上機嫌なルイズはとうとう気づかなかったようである。
あとで後悔することになるのは、言うまでもない。



―――

夜、ルイズが書簡を手に裏庭から戻ってきたところを、留守番をしていたリュリュが出迎えた。

「お帰りなさい。早かったですね、もう返事が来たんですか」
「ええOKですって!」
「わあ良かった……ほんとうに便利なんですね、<ウェイ・ポイント>って」

この頃のルイズは<地下水>の<ウェイ・ポイント>履歴を奪取したおかげで、浮遊大陸とガリアのみならず、様々なところへと遠距離転移できるようになっていた。あの事変のあと、トリステイン王国内にも数箇所ほど、ガリアの諜報に利用されていたらしきルイズの知らない魔法陣を見つけてしまい、結構な騒ぎになったりもしたものだ。
トリステイン国内の魔法陣は<ミョズニトニルン>の力で丹念にデータの初期化をなされたりして、もういちど履歴を取らない限り曲者たちには利用できないように処置された。タバサいわく、それを確認したイザベラ王女殿下が悔しがって、ぎりぎりと歯をきしませていたとか。
現在それらウェイ・ポイントは、伝書ガーゴイルの中継など、ルイズ一味によって大いにこっそりと活用されている。

「いつかは『人間ワープ(Teleport:短距離魔法転移)』も使えるようになりたいんだけど」
「『人間ワープ』ですか。半端ないですね、大いなるロマンを感じます!」

二人は雑談をしつつ作業に戻った。お香のケムリ漂う室内でランプを灯し、虫眼鏡を覗きながらピンセットでなにやら細かい作業を行っている。
現在、床や作業机に謎の小袋を八十くらいぞろぞろとならべたり、中身をハンケチの上にあけたり……急ピッチで行われているそれは、『宝石(Gem)』の合成作業である。
小粒すぎるもの、またはカットが悪かったりヒビが入ってたりする安い宝石、宝石の削りカスなどを種類や粒の大きさごとに分類したりしている。
あとでルイズの<ホラドリック・キューブ>にぶちこんで合成してゆくと、いずれ大粒の質の良いものが出来上がるのだ。

さきほどルイズは王都に居るギーシュの知り合いの伝手を頼り、高速伝書によって、街商人組合のとある有力者に働きかけた。
そして今夜か明日の午前中に出来上がるはずの宝石をいくつか、明日の午後に王都にて行われるオークションのお品書きへとねじ込んでもらうことに成功したのだ。
このまま順当に行けば、明後日までには数千エキューくらいの稼ぎを得られるはずである。

「ウフフ、この子たちがいい値段で売れたら……キュルケからの借金とあわせて、なんとか明後日には間に合いそうね」
「お綺麗に育って、ちゃんと買い手がついてくれたら、ですけどね」

あたかも人身売買のごとく悪巧みじみた怪しげな会話だが、宝石のことである。



さて―――

「そろそろキュルケに呼ばれてた時間だわ」
「行ってらっしゃいませルイズさん、お仕事がんばって下さい」
「ええ、行ってくるわリュリュ。行ってきます司教さま」

夜中、リュリュ嬢に留守番を頼み、自分が戻ってこない場合はベッドで寝てしまってよいことを伝えた。
ルイズは玄関脇にいたフレイムを撫で、軒下にぞろりとコウモリの目の光る『幽霊屋敷』から、流れる雲のかかった双月の下てくてくと女子寮を目指す。
仕事の内容について、キュルケは「恋人が来るので呪いをかけて欲しい」と言っていた。
だからルイズは、ぱっと見て『失恋の相』の出ていたキュルケの事情を、勝手に以下のように推測していたのである。つまり……

(恋人の誰かひとりが、キュルケの独占や結婚をしつこくせまるような存在になってしまったのね)

こんな風に。
キュルケはいつも、そういったしつこい相手を自分の炎の魔法で追い払うのだが……今回はナニカの事情でそれもできないような相手なのかもしれない。
だからソイツをビビらせて二度とキュルケに近づかないようにする用心棒こそが、自分に任された仕事なのだろう。

(不思議、ツェルプストーのこと心配してるのかしら、私ってば……そ、そうよね、今はあいつと、と、と、友だちなんだからっ……)

昔では考えられなかったような気持ちを抱き、それでもルイズの頬はちょっと赤く染まっていた。
内心は多少の不安と、以前の自分では信じられないような、『たまにはキュルケの力になってあげたい』という、不思議な高揚感に溢れていたようである。
友だちを守りたいルイズは、上機嫌でキュルケの部屋のドアを蹴り開いた。どーん!

「私が来たわツェルプストー! 死体(ダンヤク)の貯蔵は充分かしら?」
「いらっしゃいルイズ……あなたじゃないんだから、自室に死体なんて置いてないわよ」

薄暗くエキゾチックな照明の配置された部屋にて、雇い主が出迎えた。
ネグリジェ姿のキュルケは、なぜか部屋の隅においてあるちょっと大きめの樽(barrel)を、指さした。

「申し訳ないけど出番が来るまで、ここに隠れていてちょうだい」
「……樽? ええ、解ったわ。それにしてもうふふ、いい樽ねコレ……とてもいい樽……」

笑顔のルイズがその中を覗き込んでみると、底が半分抜けていることに気づく。それどころではなく、床に穴が開き梯子がかかっている。
それは、キュルケの部屋に来た彼氏たちが鉢合わせて喧嘩しあうのを避けるために、隣室に住まう某土メイジに作ってもらった、緊急脱出用の通路なのだとか。
むろん学院側には内緒のようだ。

「その梯子の下の隠し通路から、ひとつ階下の廊下の隅っこの天井に繋がっているから。あたしに呪いをかけたら、すぐにそこから脱出してね」

ルイズは驚いてびくりと震え、振り向いた。
さりげない説明のうちに、不穏なるものを感じとったのである。

「ちょ、ちょっと待って、聞き間違いかしら……えっと、キュルケを呪うの?」
「ええ、そうよ」

キュルケは力強く頷いた。その眼差しにはこれまでルイズが見たことも無かったほどに、真剣そうな意思の光をたたえていた。
ルイズは真っ青になってゆく。どうやら事情についての認識が盛大に食い違っていたのだと、気づいたようだ。

「……ツェルプストー、あんたいったい、私に何をさせたいの」

血の気のひいた表情で、恐る恐る……それでもドスの効いた声色で、ルイズは毒刃のように問うた。
その内心には、ひどくやりきれない気持ちが渦巻いている―――『ああやっぱりツェルプストーのことなんて心配して損した損した!』
いっぽうキュルケは真っ赤になってそっぽを向きつつ、答える。

「もうすぐ、あたしの恋人のひとりが来るわ。そのときに『アイアン・メイデン(物理ダメージ反射)』の呪いを使って欲しいのよ」
「私はその恋人さんの大事なおしりを<パワーレベリング(強制進化促進)>してさしあげれば良いのかしら?」

戸惑いつつも責めるルイズに、キュルケは両手で真っ赤な顔を覆いつつ、想像の斜め上をゆく『お願い』を続ける……

「いいえ逆よ、彼とは良い関係を続けていきたいの。だから……あたしだけにこっそり、あの呪いをかけてちょうだい。そのあとは、あたしのほうで勝手にやるから」
「オトコの人にじゃなくて、……あんたに?」

このときルイズは、キュルケが自分を呼び出した目的をなんとなく把握しつつあり、ちょっとした眩暈に襲われていた。
てっきり不埒なヤカラに『恐怖』の呪いでもかけてから、おしりをちょいと焦がしてでも追い払うような仕事を想像していたのに。
先のタルブの戦場において執行を宣言したものの不発に終わってしまった、あの禁じられた超絶技『FFF(ファイアー・ファイナル・ファンタサイ)』の解禁さえも辞さない覚悟だった。
ならばこそ雇い主より伝えられた作戦が『ガンガンいこうぜ』ではなく、『おしりをだいじに』とはこれいかに。話の雲行きは、ますます怪しくなってゆく。

「そう、あたしに、よ。くれぐれも間違えないで」
「―――あのねツェルプストー」

たちまちルイズの表情が消え、瞳孔が急速に拡大してゆく。初夏なのに部屋の気温さえ、氷河期のごとく冷たくなってゆく。
彼女はこのときようやく、このナイスバディな見た目からしてえっちな友人が自分にナニをさせたかったのか、完全に理解したのである。
ばっと手を伸ばし、赤い髪の友人のネグリジェの首元をがっしりと掴んだ。首筋に少しだけ触れたその手はキュルケにとって、まるで真冬の屋外に放置された凍死体のように、冷たく冷たく感じられていたのだという。

「いいかしらツェルプストー。キュルケ・フォン・ツェルプストー、あんたの目の前にいる私の名前はルイズ・フランソワーズ。大宇宙の奉仕者にして、大いなるラズマの聖職者なの。そんな私があんたの驚異の小宇宙のフラチで淫靡でワイヒーな目的のために、神聖なるラズマの御技を使うなんて……」

ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ―――
小柄な少女の体から青白い霊気がたちのぼり、死と生との境界線を今まさに確定せんばかりに、殺意の波動が部屋に満ちあふれてゆく。
いっぽう冥界モードのルイズに相対する微熱のトライアングルメイジは、いろんな意味で無駄に命をかけていた。

「そこを押してお願い! もう仕方がなかったの! こないだいちどアレを受けて思いついてから、ずっと気になって……!!」

ちょっとひるんで、なかばもじもじと弱々しい様子を見せながらも、胸に燃え盛る情熱を抱き、キュルケは一歩たりとも退こうとはしなかった。
―――ラズマ秘術の呪系統『アイアン・メイデン(Iron Maiden)』は、受けた物理ダメージを相手へと跳ね返すとき、相手の触覚や痛覚さえも強引に経由し、現実の身体へと影響を及ぼす仕組みとなっている。そして他方性的快楽(Eroticism)というものの源泉もまた死と生とにかかわるもの……なんてとある識者が述べるようにして、この呪術はそのような側面さえも、自然と持ってしまっているらしい。

さあ、今こそその全貌が明らかになる、キュルケ・フォン・ツェルプストーの願いとはいったい!!

「ルイズお願い、あなたの自慢の呪いであたしに前人未到の高みを経験させて!!」

順を追って確認してみよう。
男性の場合、『アイアン・メイデン』の呪いを受けたまま女性といかがわしいPVPデュエルを開始したならば、よほど特殊な性癖のないかぎり、おしりに悪夢がもたらされる結果にしかならない―――だが、だが逆に『呪われたのが女性だけ』ならば……
キュルケは己が崇高なる野望を、魂を込めて叫ぶ。

「だって倍返しの呪いなのよ! 『与えた快楽が二倍で返ってくる』なんて、単純計算で合計三倍! ああっ、夢みたいな呪いじゃないの!!」

―――ラズマの奇跡は、いつだって不可能を可能にするのだ。

「そ、それに、返ってくる『倍の感覚』って、……その、『男のコの』ってことは……ああんもうこれ以上言えないわ! ほ、ほら想像してごらんなさいよっ!!」

ルイズは爆発四散しかけた。ぼふんと音をたてるかのようにして、素直についついあんなことこんなことを想像してしまったらしい小柄な少女の顔が、急激に真紅に染まっていった。ああ、なんという大逆転の発想なのかしら―――!!
もうヘンなところからエクトプラズムがはみ出そうになるのを、ルイズは必死に抑えなければならなかった。
白い髪の毛と赤い顔で紅白とは<生命の神秘>の悦びを祝うがごとく、相当におめでたそうな配色だ。

「しっし信じらんない! こっ、こンのド変態ッ! エロプストー! エロマニア人! もう手遅れ……! の、のの、脳が全部おっぱいに吸われてるんだわ……!」

さっぱりした性格の友人は、オトコがからみさえしなければまごうことなき常識人であり、ルイズから見ても羨ましいほどに『イイ女』だった。だがしかし、現在の彼女はプレイボーイ・プレイガールの名家の血統を受け継いだアレな道の探求者として、大いに恥らいつつもすべてを省みることなく、宿敵へと真摯にお願いしているのだ。

「うっ……み、認めざるを得ないわね、もう変態でも何でもいいわよ! ……で、でも、女のコなら当然気になるでしょう? あ、あたしだって気になって気になって、切なくてたまらなくて……一回でも試してみたくて、もう耐え切れないのよぉ……!!」

両手で顔を覆ってふるふると震えるキュルケの表情も、髪の毛と同じくらいに真っ赤っかで、頭からぽやぽやと湯気が出てきつつあるようだ。
いろいろ大事なものをかなぐり捨てて、とうとう本気を出してきたキュルケ・フォン・ツェルプストー―――もう三つか四つくらいの意味で、赤髪の彼女はまごうことなきルイズ・フランソワーズと並び立つにふさわしき好敵手だったようである。
あの変態ながらに今のところまったく実害の無い風上の少年のことよりも、ルイズはいまや目の前のキュルケの方をはるかに恐ろしい子だと感じていた。

「お願いルイズ、あたしたち友達でしょう!? たった一度でいいから、ねえお願いよ!」
「とっ、ともだ……! ええ百歩譲って友達でいいわ、だけど不思議だわホント不思議なことねキュルケ、ウフフ私あんたと一時でも友達だったってこと、どうしてか今すっごく後悔してるわ不思議!!」

すでに敗色濃厚のルイズは、もはや涙目である……胸はばくばくと鳴り、心は後悔に満ち溢れている。
―――ああ私、いったいどうしてこんなひどい仕事を請けてしまったのかしら!!
この部屋に来るまで友だちとしてキュルケのことを心配していたルイズは、いまや別の意味で大いに心配してやらざるを得なくなっていた。大脳新皮質とかを。

「もう帰る……聞かなかったことにするわ。明日までには忘れたげるから、頭を冷やしなさい」
「待ってよルイズ! あ、あなた、いちどは『任せて』って言ったのにっ! お願い、恥を忍んで頼んでるのよ、ホント一生の頼みだから!」
「知ぃらないわよアハハ、エロいことばっか考えてるあんたなんてそのうちハゲて頭頂部がミスタ・コルベールときらきらペアルックになっちゃえウッフフフフ」
「ああっ、帰らないで! それとジャンはハゲてるけどエロいこと考えてないわよそこは訂正してちょうだい!」

涙目ひきつり笑顔で逃亡しようとするルイズの背中へと、慌てたキュルケががっしりと抱きつくようにして飛びついた。

「むが!」
「きゃん!」

ルイズは噛み付いた。キュルケはちっちゃいちちとかにつねくりで反撃だ。不毛なキャットファイトが続き、くんずほぐれつのこう着状態となった。

「そのアマゾン級にいやみったらしい二連装メロン爆破されたいのね! それとも溶けた頭の中身全部どばどばミミズに取り替えて欲しいのかしら!」
「待って、これは<生命の神秘>に関することよ、人として大事なことなのよ! それにあたしにいつまでもえっちでいてって言ったのは、あなたなのよルイズ!」

―――ビシリ。
『ボーンスピリット』を呼ぶ直前、ルイズは停止(フリーズ)した。キュルケは目じりに涙をうかべつつ、誠心誠意ルイズへと丁寧に頼み込んでいた。
ルイズの全身から力がぬける。身に覚えのありすぎる事実を突きつけられたここにきて、怒り心頭だった彼女も、とうとう毒気を抜かれてしまうに至ったようだ。
もしかすると赤髪少女の頭の大事なネジを抜いてすんごくおもしろいことにしたのが、ほかでもない自分だったりするのかもしれない……と、目下ルイズは大いに反省中である。

(うかつだった……! やだわ、甘くみてた……なんて恐るべきエロス的探究心! けど、キュルケの言うとおり、確かに気にならなくなくなくなくなくないような……ああもうっ!)

はてさて、思い返せば……普段の自分のほうが、今回のキュルケの大いなる挑戦と並び立つほどヘンテコなことにばかり、神聖なるラズマの御技を使いまくっているものだ。いっぽうキュルケは潤んだ瞳にあきらめ切れない気持ちを乗せて、ルイズを見つめている。

「……ねえどうしてそんなに嫌がるの? あなたに損するところなんて微塵もないじゃないのよ」
「ちょ、正気? ばか、ばか! ホント信じらんない! わわわ私そんな趣味ないもんっ! あ、あ、あんたの<生命の神秘>シーンなんて、たとえ土下座して頼まれたって見たくないもんっ!」 
「へ?」

泣きながら怒るルイズがそう怒鳴ったので、たちまちキュルケは戸惑ったように眉をひそめた。どこか、お互い話の前提条件がズレているようだ。

「いえ、だからね……」
「それともあんた、そーいうコトを友人に見られて興奮するタイプなのかしら!! わわ私にはシゲキ強すぎっ……ちがっ、……とっ、友だちだからこそ、見たくないのにぃ……そんな趣味に、わっ、私を巻き込まないでよぅ……」
「……あ、あたしだってルイズにそんなトコ見られたくないし……だ、だからいちど呪いをかけたら、樽の底からすぐ逃げてって……」

―――このときになってようやくルイズのほうも、キュルケの勘違いと、自分たち二人の間に決定的な齟齬が存在することに気づいたようである。
そしてお互い知らず知らずのうちに深い友情を確かめ合っているあたり、この二人もまたずいぶんと仲良しこよしのようである。

「ちょっと待って! あのねキュルケ……私の『アイアン・メイデン』の呪い一回の効果時間って、せいぜい数十秒くらいしか続かないのよ?」
「ええっ? そ、そうなの? ほんと?」
「ほんとにほんとよ」

ルイズは疲れ果てたように弱々しく真実を告げた。それを知らずに大きな期待をかけていたらしきキュルケの肩が、たちまちがっくりと落ちた。
効果の持続時間がたったの数十秒だけならば―――よほど相手のデビルメイスがバナナ(Baranar's Star)のごとくIAS(攻撃速度)を大量に稼いでいないかぎり、戦闘中にはずっとルイズに潜んでもらい、呪いを張りなおしつづけて貰わなければならないことだろう。
そんなことをしたら、明日から二人はまともな友人関係を続けられなくなる。ルイズだけでなくキュルケだって望まないだろうし、タバサにだって迷惑のかかることだ。最悪の場合、朝日が昇る前にブチ切れたルイズが盛大に毒を撒き散らしたり、この部屋をキュルケ『で』明日ごと吹き飛ばしたりするのかもしれない。

「そうだったの……なぁんだ、無理なのね」
「ええ無理(I can't)、残念だったわね、えっちなのもほどほどにしときなさい。それじゃ私帰るから」
「……待って! そ、それなら、キスまででお願いするわ! 情熱的でとろけるように甘い、いつもより三倍ほど強烈なキス! ……どう? 素敵なことではなくて?」

キュルケが妥協案を出したので、とうとうルイズは折れるほかないところまで追い込まれてしまったようだ。
ろくに仕事内容も聞かずに引き受けたことが敗因なのだと、反省しているようである。

「うう……そこまでなら、やったげてもいいけど」
「ありがとうルイズ……今回だけ、お願いするわ」

ぎりぎりに『ほどほどエロス』的な範囲へと話がまとまってくれたようだ。互いにほっと息をつき、ゆるゆると弛緩した表情を見せた。
ルイズにとっては、以前タルブで某カップルを焚き付けたときのようにキスシーンくらいまでなら許容範囲……いやむしろ興味津々のようである。しかし、まだなにやら気にかかることがあるらしく、しだいに眉をよせて不安そうな表情になっていった。

「でもキュルケ……本当にいいの?」

あきらかに心配そうな色をふくむ視線が、キュルケへと投げかけられていた。

「? どういうことかしら」
「もしも今回のキスがクセになって、今後一生普通のキスで満足できなくなっちゃっても、知らないわって話よ……あんたが誰かとちゅっちゅちゅちゅするたびに召喚されるのはごめんだわ、もうやんないからね」
「……解ってる、覚悟の上よ」

永遠の一と多を見る少女と、刹那にして沢山の恋を生きる少女……一転して二人は真剣な表情になり、しばし見詰め合っていた。

「きっと後悔するわ」
「自分で決めたことだもの、後悔なんてしない。ええ杖に誓いましょう」

やがてルイズは観念したのか、死地に向かう戦友を見送るかのようなうつろな目で、そっと微笑んだ。

「あんた馬鹿よ……」
「お互い様よ、ヴァリエール」

キュルケもまた儚げに微笑んで、ルイズの白い髪をそっと撫でた。
ルイズは「骨は拾ったげる」と告げ、肩を落としとぼとぼと歩いて、よいしょよいしょと自ら樽のなかに入り、フタをしめた……ばたん。
あとで恋人同士のキスの直前にキュルケへと呪術をかけたあと、この部屋で良い子は見ちゃいけないハイパー大人タイムが始まってしまう前に、良い子のルイズはすぐに足元の梯子から下へ逃げてよいのだ。

(たったこれだけで、キュルケは大事なお金を貸してくれるんだから……悪くない条件なのかもしれないわ)

真っ暗で埃っぽい樽の中でしゃがみこんで、ルイズはどきどき鳴る胸をおさえ、深呼吸をした。
なんとなく『キュルケにとっての大切なものを一度くらいは拒否せず、行動で尊重してみよう』と思ったのだ。
さあ思い出せ、いつもこの赤髪の友人には、ルイズの大切なものをたとえ知らぬうちにでも、何度も何度も何度も尊重してもらっているではないか。

(そ、そうよね……うん、ツェルプストーの性癖がアレでも頭ごなしに否定しちゃだめなのよね……たまには、他人の価値観に歩み寄ることも必要なのよ……)

だからせめて―――始祖ラズマの御名において友人とそのカレシの大切なキスをお呪い、いえ祝福してあげましょう、とルイズは思った。
樽の側面に開かれた横長ののぞき穴からは、しっとりアダルトなムードをたたえた室内の様子が見える。『アイアン・メイデン』の効果範囲を計り、失敗しないように微調整する。
赤い髪のえっちな友人は、来るべき甘い甘いミルクハニーのごとき至上のベーゼを悶々と夢想しつつ、ベッドに寝転んで枕を抱いてわくわくどきどきと、もうそろそろ到着するであろう恋人の男の人を心より待ちわびているようだった。
ルイズは身を縮み込ませながら、せめて友人の今夜の相手が知り合いの中年教師ではないということだけを、ただひたすらに祈っていた。
樽の中ぶんぶんと頭を振って、ごちゃごちゃしてきた雑念を払った。

しーん……

ルイズは無心で樽に潜み、待った。

しーん……

そして……時は来た。

思いも寄らぬ崩壊の時である。

綺麗な花束を手に「ツェルプストー嬢を驚かせてやろう」と、いつもの窓ではなく、なんと『脱出用隠し通路』のほうから侵入してきてしまった上級生の男子生徒がひとり。彼はついついいたずら心で、今日に限ってやらかしてしまったのだ―――ああ、いったいどうなってしまうのだろう!
この魔法学院においてギーシュの使い魔の次くらいに穴掘りに定評のある土メイジ、リュリュに依頼して秘密裏に作られたそのひどく細い通路は、廊下の天井に隠し出口がある。彼は魔法で体を浮かせ、ああなんという運命のいたずらか……不幸にもそちらのほうから侵入してきてしまったのである。
目指すは桃源郷、あたかも洞窟に挑む探険家の心境、……どきどきわくわく狭く薄暗い隠し通路を進み、突き当たりの梯子をのぼろうとして、見上げた彼は……

「!!」

発見した。―――そこに、ぱんつを発見したのだ。
手持ちの小型カンテラに照らし出された光景は、しゃがみ込んだ女の子の、スカートの中であった。
それは彼の恋人キュルケのような褐色肌の足ではなく、キュルケが逢瀬のときに身につけるような大胆な下着でもなかった。

濃紺のニーソックスと、透けるように白い肌のふとももと、白いぱんつだった。
微妙にへたっぴなワンポイントのドクロアイコンの刺繍がなされた愛らしいそれは、べつに誰に見せたいとかいうわけでもなく作られた、ヒミツの勝負ぱんつのようであった。
―――古人いわく『おに』のぱんつというものは、いつだっていいぱんつなのだという。

「……!?」

少女のほうも彼の接近に気づいたようだった―――ばっ、とスカートの中が隠される。
底知れぬ深い深い虚無の色をした闇をたたえるその目と、彼の視線が交差する。
白い少女の整った顔には、まるでこの世の外のとこしえの闇から浮き出るかのようにしておどろおどろしく、下方向からあたる灯火。
暗闇にうかぶ白いよれよれの髪の毛、星も月もない夜空よりももっともっと暗い目玉がふたつ……ゼロのルイズ―――魔法学院に潜む恐怖の枢軸たる、白い髪の少女。

……見ィ
た……
……の
ね……?

―――神経を石臼で轢き潰すかのような小さな小さな呟き。
彼は決して見てはならぬものを見てしまったのだと、瞬時に骨身にしみて理解させられるほかない。
ぞぞぞぞぞっ、と背筋を瞬時に這い登るすさまじい戦慄に、彼は全身に汗をにじませて息を呑み……(ま、マズイ、やられるッ―――!!)
川辺の死神が通行料と経験地を徴収せんと、すぐそこまで歩み寄ってきているのを幻視する。

「すす、すいません見てません、もう来ませんっ……こ、今後キュルケには二度と手を出しませんから、どうか許して……!」
「あっ……」

即座にUターンして脱兎のごとく去りゆき―――
宣言どおり、もう二度と、彼が死神に取り付かれし恋人の部屋へと戻ってくることはなかった。
恋人との勝負をしにきたはずの彼は、勝負ぱんつに敗退し、もはや勝負にならないほどにしょんぼろりんになってしまったのだ。
運命論者たるゼロのルイズは、たちまち悟るほかない。そう……
キュルケは失恋したのだ。

(これは避けられない運命だったのよ……そうにちがいないわ)

白髪の少女は樽の中で、そっと目を伏せた。まるで塩漬けになってしまったかのように、動かずにいるほかなかった。
しょっぱいのはただひたすらに気持ちのほうだけであり、涙は出なかった。
大きな寂しさを感じるが、この樽の外にももうひとり、必死に孤独に耐えている友人が居るのだ。

―――横長の覗き穴から部屋の中を見渡すと、暇をもてあましているのか、手のひらに短杖を立ててバランスを取ろうとして失敗してみたりしているキュルケさんの姿。


しーん……

長い長い沈黙が、真夜中の時を薄くひらべったく空虚の色に塗りつぶしていった。

さらに時が経ち……

そろそろ時刻は夜中の二時ころ。
無人の隣の部屋から、ナゾの人体模型が徘徊しているらしき音がかすかに聞こえている。
薄いネグリジェに身を包み、ベッドでうつぶせに寝そべり枕に顔を埋めていた微熱の少女は、樽の中の住人へと声をかける。

「ねえルイズ、さっきそっちから聞こえた、どたばたって……」
「あら、気づいてたの? ……認めたくないのでしょうけど、……ご想像の通りよ」

返ってきたのは優しい声だった。古の賢者のごとく樽の中に住まう友人は、この事実をどのように伝えてよいのか、ずっと迷っていたらしい。
このとき、一人の恋人に逃げられた微熱の少女からは、部屋の隅に鎮座する大きめの樽が、なぜか宇宙的慈愛に溢れた存在であるかのように見えたのだという。時計を見て、ルイズ入りの樽をぼんやりと眺めつつ、キュルケは自分の行動を省みて疲れたような声を出した。

「……あたし、企みごとのバチが当たったのかもしれない」
「そうね、殿方の好意をダシにして、ただ自分の目の前の快楽だけを追求しようとして、バチがあたったんだわ」

優しい友人の返答は、そんな容赦のないものだった。それでも思いやりにあふれた、とても穏やかな声色だった。

「……今のカレシさん、本気の恋人だったんでしょう?」
「ええ、いつでもあたしは本気のつもり……なんだけど」
「残念だったわね、きっと、その本気が足りなかったんだわ……本気が足りないから別のところに目が移って、失敗しちゃったのよ」
「うん、あたし……ホントどうかしてた」

でろでろと樽の中から貞子のようにまろび出てきたルイズは、梯子の下に落ちていたという花束とメッセージカードを手渡した。
『婚約してくれ』、『今後はほかの男を見ないで欲しい』と書かれた手紙を見て、鼻をぐすぐす鳴らしたキュルケは盛大に落ち込んで、今夜はもうこのまま寝るという。ルイズはうつろな目をしたまま、「これで良かったのよ」と言った。

『呪い』に頼った大いなる快楽、ましてや異性の性的感覚なんて、ひとが普通に生きてゆくうえで知る必要のないものなのかもしれない。
ラズマ呪術は、文字通りに運命の流れに干渉する『呪い』なのであり……たとえ効果時間は数十秒でも、どんなにささやかなものであっても、その影響は生涯に……いや、はるか未来にわたって続いてゆくものなのである。
キュルケは部屋を去ろうとする友人の哀愁を帯びた背中へと、弱々しい声をかけた。

「あのね、ルイズ……」
「何よきもちわるい声出して」
「……きもちわるいついでに、ひとつお願いしていいかしら」

ドアの手前でルイズは立ち止まって、「いいわよ」と言った。
キュルケは枕に顔を埋めたまま、小さな声で「お願い」を述べた。

「たまには一緒に寝てみない? ……人肌恋しいの」

白髪の少女は少々警戒しつつも、しばらく考えてから、答えを出した。

「……へんなことしないなら、いいわ」
「するわけないじゃない、失礼ね」

ルイズはネグリジェを貸してもらい、ぶかぶかのそれに着替えて、友人の隣に細い体を横たえた。
万が一身の危険を感じたら『ブゴちゃん(Blood Golem)』を召喚して迎撃しようと考えていたようだが、そんな心配はすぐに必要ないと解った。
失恋の痛手を癒されたい少女と、いつもより優しくなれた少女。
誘惑と欲望のワナ、そして誤解と不毛なる争い、大いなる悲劇、そして孤独をともに乗り越えて……「おやすみ」を伝え合う。
ちょっぴり歩み寄った宿敵同士にして友だち同士の二人は、背中を触れ合わせて、その微熱の二つ名にたがわぬぬくもりと、亡骸のようなひんやりとをお互いに感じあいながら……ゆっくりと眠りに落ちてゆく。

―――

……真夜中、キュルケは重苦しさを感じて目を覚ます。灯りの落ちた真っ暗な部屋だ。
背を向けていたはずの白髪の友人が、キュルケの胸元へと圧し掛かるように顔を埋めて、すうすうと寝息をたてている。
相手がタバサならいいのだが、それが『ライバル』たるこの子となると、キュルケは恥ずかしくも思う。こうして一緒に寝ようという誘いさえ、自分なりにけっこうな勇気を出したのだから。

「ちょっとルイズ、どいて……」
「……ごめんなさい、ちい姉さま」

白髪の少女は、目を開くこともなく、またすぐに眠りに落ちてしまう。寝ぼけているらしき、夢うつつの言であった。
以前聞いた話だが、この友人の大切な人、身体の弱い次姉は、おっぱいがとても大きいのだという。
この子はそのお姉ちゃんのことが大好きなのに、もうずっと会っていないのだとか。
そう遠くない未来にこの子は勇気をもって姉と対面し、その大好きな顔に悲しき死相のあるなしを確認しなければならないのだ。
なんとなくそんな事情を思い出したキュルケは、おだやかに微笑んで……







//// 29-4:【見てはいけない光景2:まっくらくらいくろのくろにくる】

時はさかのぼり、絵画の授業があった日の夜、雪風のタバサのターン。

「……」

本日の用事をすべて終えて自室に居る彼女は、ランプの灯された机の前で、報告書へとペンを走らせている。
監視任務についての報告なのだが……夜にたったひとりでゼロな人のことを思い出すのは、なんとも怖いことである。

びゅうう―――がたがた。……ぞくぞくっ!

背筋が冷える。窓をゆらす風まで、ブキミなもののように感じられてしまう。
ひょっとするとカーテンのムコウに、おばけが居るのではないか?
思わずベッドの下の暗がりのほうに目をむけ、そこに刃物と干し首装備のルイズが居ないということに安堵している自分に気づく。

(気にしない……もう寝よう……続きは、明日)

いちど意識してしまうと、もう集中できなくなってしまう。
だから、そろそろ就寝しようとタバサは心を決める。着替えたり歯を磨いたりして準備を整え……脱いだ制服のポケットの中から、ハンケチを発見した。
これは風上のマリコルヌへと販売しそこなった、何の変哲もない木綿のハンケチだ。しばらく、じっと眺めてみる。
思い返せばあの少年は……ゼロのルイズの唾液の染み込んだこれの匂いを嗅ぐなどと、信じられないことを言っていた。彼は実に、どこに出しても恥ずかしい変態であった。

(全く、ばかばかしい)

他人の金銭事情や性癖など知ったことではないが、お金にはもっと有効な使い道があるだろうに―――と、多少の憤りさえ感じてしまう。
唾液の量なんてたかがしれているし、すぐに乾いてしまうだろう。こんなものに三十エキューも費やして、あの少年はいったいどうするつもりだったのか。
無価値なことを確かめるかのように、くんくん、と嗅いでみる……ほら思ったとおり、こんなものに彼の求めた価値などないだろう。
自分のスカートのポケットの中の匂いばかりがして、ルイズの匂いなど、かすかにも感じ取れない。
モンモランシーの作った香水の染み込んだキュルケのハンケチのほうが、ずっと良い香りがすることだろう。
慢性貧乏気質のタバサは軽くため息をついて、ソレを部屋の隅っこの洗濯籠の中へと放り込んだ。

(べつにわたしは、彼女を自分のものにしたかったりするわけではないのに……)

『他人に触れていたい』―――
というのは、人形の日々を潜り抜け友と出会い、タバサがようやく取り戻した、人間らしい気持ちなのである。
だからルイズに対するそれは、友人としてそばにいたいとか、受けた借りを返したいとか、騎士として守ってあげたいとか、人としての憧れを抱きさえするあの生き方に興味があるから見ていたいとか、彼女のとなりをともに歩んでいたいとか、そういうものなのであって……

(どうしてこう、すれ違ってしまうのだろう)

このときタバサは、自分たちの間がぎくしゃくしはじめた切欠となった、アレのことを思い出す。
引き出しを開けて、宝箱のとなりから小箱を取り出した。その箱の中には、ひとつの指輪……ゼロのルイズの奥歯を素材に作られたものだ。
ブキミすぎるこのアイテムに、タバサは一度として自分の指を通したことがない。
ひとつ間違えれば『愛の証(Ring of Engagement)』となってしまいかねないコレを受け取ったことがきっかけで、ルイズはタバサから、堕ちたザカラム信徒のごとく逃げるようになった。ああ、なんてナンセンスなアイテムなのだろう……そんな風に、ぼんやりと寂しい気持ちをかかえ、怖いソレを眺めつつ、想像してみる。
もしもあのふとっちょの少年がこれの存在を知ったとすれば、いったい幾らくらいの値段をつけるのだろうか、と。

こちらはハンケチと違って、世界にひとつしかないプライスレスのアイテム。
この指輪にあしらわれている白い石こそが、ゼロのルイズのおくちのなかで、何年も何年も唾液にまみれ、ともに生きてきた奥歯だ。
通常の感性をもつ人間であれば、ただぞっとするほかないものなのだが……風上の少年なら、ひょっとするとコレに、数百エキュー、いや可能なら一千エキューくらい、平気で出してしまうのではなかろうか。

(駄目……わたしがコレを処分したら、きっとルイズは悲しむ……)

タバサはそっと自分の胸を押さえる。友人の心を裏切りたくないし、悲しませたくないし、守ってやりたいと思う。
以前この胸の奥には、星空の聖域にてガリア王の前で絶望して心が折れそうになったときからずっと―――ルイズの使い魔『ボーン・スピリット』が憑依して心を包み、暖かい気持ちを伝え、励まし続けてくれていたのである。
あのあと骨の精霊を宿したまま国へと戻ってから、タバサが事後処理のあいだじゅう、宿敵たるジョゼフやイザベラ王女の前で堂々と振舞いつづけることができたのも、そのおかげなのであった。

―――わたしは、ひとりじゃない。

そんな確信が、ずっとヒトダマとともに胸の中にあったのだ。
代償として生命力を喰われ、青い前髪の一部がちょっぴり白くなったりもしたが、気になりはしなかった。
やがて一人でやってゆける自信がつき、『もう大丈夫』と使い魔を主に返却したあと、三日ほどたてば髪の毛の色ももとに戻ったので、ますますそんなことは気にならなかった。
……代わりに別のことを気にするべきだったのだと、学院に帰還してから気づいたときには、その事態はすでに終結していた。

ガリアから帰ってきて、しばらくして聞いた話である……タルブ事変のあと一時期、ルイズは精神身体ともにひどい状態に陥っていたのだ。
その原因は、奥歯の欠損など他にも多数あったのだろうが、……タバサが少し考えればすぐに推測しうるひとつの無視できない原因が、これだ。

―――『霊体の一部を構成する使い魔が、長期間分離していたこと』。

ずっと身体の中にあったものが、長い間留守にしていれば……ただでさえ奥歯が一本失われていたというのに、そんなことをしたら、少女の心と体をめぐる霊力の繊細なバランスだって、そう簡単に立て直せるものではなくなることだろう。
つまり……

(ルイズは、わたしの心を守るために)

そんな辛い事実の一切を伏せたまま……どんなに体調が悪化しようとも使い魔を呼び戻さず、意地を張ってくれていたということ。
直接ルイズに問うてみたところ、「そそそんなことしないわよばか!」と否定されて、ぴゅーっとすごい勢いで逃げられてしまった。
あの娘は気持ちに関する嘘をつくのが苦手だ。ただ忘れてただけなんて、一心同体たるあの大事なヒトダマのことである、ありえるはずも無いではないか。

(とてもとても、わたしのことを大事に思ってくれている……)

思い出すたびにタバサは、胸の奥がきゅーっとなる。喜びに胸の奥が、ぽかぽかと暖かくなる。友人の苦しみを想うと、切なくなる。
あの友人のことをますます愛しく誇らしく感じるのと同時に、……無茶な行動に呆れたりも、どうしてそこまでしてくれるのかと不思議に思ったりもするものだ。
『骨の精霊』を通じて気持ちの通じ合ったあの少女、ルイズへと近づけば近づくほどに友愛が、不思議が、秘密が、謎が―――そして恐怖が増大してゆく。

というのは―――

表向きはトリステインとアルビオンのいざこざである『タルブ事変』、その真実の多く―――とくに暗躍していたゼロのルイズ、およびガリア王国との折衝については、歴史の闇の中へと隠されている。
『トリステインの虚無』や『白い悪魔』の噂はいまだ根強いが、その真相を知る者は数少ない。
そして星空の聖域にてガリア国王ジョゼフと対面したとき、ゼロのルイズが何を言ったのか、二人の間にどんな問答や約束が交わされたのかについて、……下っ端シュヴァリエたるタバサには、ほとんど知らされていない。
解るのは、あの恥を知らぬ簒奪者にしておそるべき敵ジョゼフに真っ向から張り合えるだけのなにかを、友人が持っていたらしいということだ。

そのあたりの事情について、ゼロのルイズはどういった理由からか、タバサにたいしてさえ、死者のように口を閉ざして語らない。
ジョゼフもイザベラも、そしてルイズ・フランソワーズも、ガリア騎士雪風のタバサにたいしいくつもの隠し事をしている。
それだけでなく……タバサのほうもまた、友人への問いただせていない恐ろしい問いを、いくつも胸の奥に秘めているのである。
ルイズならば確実に答えを知っているであろう、それら問いは……答えを得るために、あまりにも大きすぎる勇気と覚悟とを必要とする問いなのだから。

―――ひょっとするとわたしにも、だれかの亡霊が憑いているのではないか。

以前より頭の片隅には留めていたが、怖すぎて答えを知りたくなどなかった疑問である。おそらくこれが真実の鍵なのだろうと、勘の良いタバサはうすうす気づいている。

―――父さまは安らかに、天国に逝かれたのだろうか。

本職の少女いわく、死んだ人間は何か心残りがあると、現世に影のような残滓……つまり亡霊として残るらしい。
たいていはすぐに成仏してしまうらしいのだが、心残りの度合いにより、長く長く残り続けるものらしい。
死の瞬間の苦しみ……つまり断末魔のパワーというものは、あの恐るべき『死体爆破』に象徴されるほどに、すさまじいもののようである。

―――父さまは苦しみを抱いて、亡霊としてどこかを彷徨っているのだろうか……

自分を謀殺した兄に取り憑いているのではないか?
兄によって心を壊された妻を心配し、見守っているのではないか?
いずれにせよ、これだけでも悲しいことなのだが……これらの問いから繋がる糸の先に、もっと恐ろしいことを想像してしまう。

(それとも、わたしをずっと見守って……?)

……万が一、万が一にもそうだとしたら。
タバサにとっては、想像すらできないほどに、恐ろしく悲しいことだ。それはこんな風に、致命的な問いへと繋がってゆくのだから―――

―――もしも、父さまが兄への復讐を、まったく望んでいなかったとしたら?

優しかった父、シャルル・オルレアン公は、復讐を誓い人形になった娘を見て、いったいどんな気持ちで……?

復讐の人形『タバサ(Tabasa:Tabitha)』のこれまでの幾年もの歳月は、ひどい間違いばかりに彩られた、無意味なものになってしまうのかもしれない。
いつか知る日が来るのだろうか……と、『タバサ』という鎧の内側の少女シャルロットは、その恐怖を受け入れられずにいる。
やはり、数多の意味でおばけは得体が知れず、怖くてたまらない。
たった一言で自分のすべてを崩壊させかねない白髪の少女のことも、ますます恐ろしいものに思えるのだ。
あの友人のことは好き、でも怖くてたまらない……そんな複雑な内心を抱え、少女は戸惑っている。

最後の問い―――ルイズは、こんなわたしを、冷たい心の迷宮(Crystalline Passage)の最奥、氷りついた河(Frozen River)から救い出してくれるのだろうか?

(なんという、身勝手な期待……わたしは彼女に返しきれない借りばかり、たくさん作っているというのに)

タバサは手にした『愛の指輪』を眺めながら、大きくため息をついた。
これは自分の仇敵、憎むべきガリア王がブチ折った、友人の奥歯である。あの根の優しい少女の、深い愛情が込められているのだという。
ただの友愛の証ならば、喜んで受け止めてやりたいのだが……残念ながらいくつもの意味で、これを手にするのはタバサの精神衛生上、あまりにも良くない。

やはりコレは、アイテムのステータス表示にこそ現れないものの、ただ所有しているだけで正気値(Sanity)にマイナス補正がかかってしまうようだ。
出来ることなら返却するか、秘密裏に処分するか、大金になるのであればあの風上の少年にでも売り払ってしまいたい。
しかし奥歯とはいえ乾いているので、やはり先ほどのハンケチ同様に何の匂いもしない。このように匂いがないと、もしかすると、あの少年は欲しがらないのではないか……
彼のような変態の考えなんか理解できず、まったく油断できないから……と、考えをめぐらせていたときのことである。

「おねえさま、シルフィは知ってるのね。そういうの『むっつりすけべ』って言うのね、きゅいきゅい」

ことん―――石化したタバサの手から指輪が落ちて、机の上をころころと転がっていった。
いつのまにか夜の窓辺には、はだかんぼうの少女、おっぱいも豊かな人間タイプに変化したシルフィードが。

「……いくらルイズさまのにおいが気になるからといって、そういうのはみっともないのね。どうせやるならあのふとっちょ君みたく、もっと堂々とするべきなのね」

困惑と切なさのたっぷりと込められた生暖かい視線が、主人のハートにデッドリー・ストライク。

「ひとり寝が寂しいなら、シルフィが添い寝してあげるのね―――さあこの胸に飛び込んでくるがいいのよ小娘!」

タバサは杖を装備した。

「……お、お望みならルイズさまに化けてもいいのね! ……でもそうすると、この親切で優しくておねえさま大好きなシルフィとしては、ちょっとフクザツなオトメゴコロなのね……きゅい、きゅい!」

タバサは杖を振りかぶる。
使い魔は慌てて「ひどいのね怖いのね暴力反対なのね!」と窓から夜の闇へとまっぱだか宙返りをひとつ……くるん。
直後、タバサは就寝準備からこちらの己の行動を省みて、愕然とするほかない。
ひとことで言いあらわすなら、『何故嗅いだし』。ワンスアゲイン、『何故嗅いだし』。
すぐに杖を降ろし、眩暈に襲われ、頭をかかえ……
全身の脱力に抗えぬタバサは、ベッドへと倒れこむほかないのだ―――ばたん。

(不覚……)

しばらくの間、足の先が弱々しくも、ぱたんぱたんと布団を叩き続けていたそうな。


さあ、心のESCキーを押してコンティニューだ―――!


//// 【次回、『モンモランシーのなく頃に:金稼ぎ編』へと続く】


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