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No.12668の一覧
[0] ゼロの死人占い師(ゼロの使い魔×DiabloⅡ)[歯科猫](2011/11/22 22:15)
[1] その1:プロローグ[歯科猫](2009/11/15 18:46)
[2] その2[歯科猫](2009/11/15 18:45)
[3] その3[歯科猫](2009/12/25 16:12)
[4] その4[歯科猫](2009/10/13 21:20)
[5] その5:最初のクエスト(前編)[歯科猫](2009/10/15 19:03)
[6] その6:最初のクエスト(後編)[歯科猫](2011/11/22 22:13)
[7] その7:ラン・フーケ・ラン[歯科猫](2009/10/18 16:13)
[8] その8:美しい、まぶしい[歯科猫](2009/10/19 14:51)
[9] その9:さよならシエスタ[歯科猫](2009/10/22 13:29)
[10] その10:ホラー映画のお約束[歯科猫](2009/10/31 01:54)
[11] その11:いい日旅立ち[歯科猫](2009/10/31 15:40)
[12] その12:胸いっぱいに夢を[歯科猫](2009/11/15 18:49)
[13] その13:明日へと橋をかけよう[歯科猫](2010/05/27 23:04)
[14] その14:戦いのうた[歯科猫](2010/03/30 14:38)
[15] その15:この景色の中をずっと[歯科猫](2009/11/09 18:05)
[16] その16:きっと半分はやさしさで[歯科猫](2009/11/15 18:50)
[17] その17:雨、あがる[歯科猫](2009/11/17 23:07)
[18] その18:炎の食材(前編)[歯科猫](2009/11/24 17:56)
[19] その19:炎の食材(後編)[歯科猫](2010/03/30 14:37)
[20] その20:ルイズ・イン・ナイトメア[歯科猫](2010/01/17 19:30)
[21] その21:冒険してみたい年頃[歯科猫](2010/05/14 16:47)
[22] その22:ハートに火をつけて(前編)[歯科猫](2010/07/12 19:54)
[23] その23:ハートに火をつけて(中編)[歯科猫](2010/08/05 01:54)
[24] その24:ハートに火をつけて(後編)[歯科猫](2010/07/17 20:41)
[25] その25:星空に、君と[歯科猫](2010/07/22 14:18)
[26] その26:ザ・フリーダム・トゥ・ゴー・ホーム[歯科猫](2010/08/05 16:10)
[27] その27:炎、あなたがここにいてほしい[歯科猫](2010/08/05 14:56)
[28] その28:君の笑顔に、花束を[歯科猫](2010/11/05 17:30)
[29] その29:ないしょのお話オンパレード[歯科猫](2010/11/05 17:28)
[30] その30:そんなところもチャーミング[歯科猫](2011/01/31 23:55)
[31] その31:忘れないからね[歯科猫](2011/02/02 20:30)
[32] その32:サマー・マッドネス[歯科猫](2011/04/22 18:49)
[33] その33:ルイズの人形遊戯[歯科猫](2011/05/21 19:37)
[34] その34:つぐみのこころ[歯科猫](2011/06/25 16:18)
[35] その35:青の時代[歯科猫](2011/07/28 14:47)
[36] その36:子犬のしっぽ的な何か[歯科猫](2011/11/24 17:52)
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[12668] その21:冒険してみたい年頃
Name: 歯科猫◆93b518d2 ID:b582cd8c 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/05/14 16:47
//// 21-1:【燃えるお姉さんは好きですか】

そのごま粒ほどの赤い石の欠片は、不ぞろいなものが十粒ほど、小さな袋に詰め込まれていた。
輝きも殆どなく、暖炉の置き火を閉じ込めたような、深く鈍い紅色をしていた。

むかしむかしガリアのエルフ戦線で鹵獲(ろかく)され、流れてきた貴重な品らしい。
アカデミーからの横流し品である。
『火の力が詰まっている』という触れ込みのその小さな石の欠片たちは、ひどく安定しており、どういじくってもその魔法的性質を外に漏らすことがない。

結果、アカデミーのメイジたちがどんなに試行錯誤しても、利用方法を見出すことは出来なかったという。
たしかに『ディテクト・マジック』で、炎の力を感じ取ることは出来るようだ……しかし、ただ感じ取ることが出来るだけにすぎない。
込められた魔法の力を利用できぬなら、それはただ珍しいだけの鉱石のサンプル。
装飾品にすら使えぬ、魅力の薄い石でしかない。かくして長らく仕舞いこまれていたそれが、ひっそりと横流しされたのだ。

それを闇市で目ざとく見つけ購入したコルベールは、嬉々として共同研究者の少女のもとへと持っていった。
二人は禁書ばかりの蔵書庫『フェニアのライブラリー』より取り出した、古い古い文献に載っていた情報と照らし合わせる。

「ミスタ、これはまちがいなく『火石』と呼ばれるものです」
「おお、やはり!」
「ええ、『風石』よりも珍しく、はるかに採掘の困難な品です」

風の魔法の力を帯びた『風石』は、おもにフネを飛ばす動力の源として、ハルケギニアじゅうで一般的に流通しているものである。
だが、火の力を帯びた『火石』は、地底のはるか深いところに眠っており、採掘は通常のやり方では不可能。その利用技術も、伝わっていない。

装飾品としての魅力も薄く、加工もできず、魔法の力も利用できないものを掘り出そうとする酔狂な者などおらず、一般的な流通は皆無である。
流通がなく話題にもならぬものは、忘れ去られる運命にある。
この魔法学院でも、教師ジャン・コルベールとルイズ・フランソワーズの二人くらいしか、その存在を知るものは居ないだろう。

「形もいびつですし、このくらいの大きさの粒でしたら」

ルイズは手に取ったそれらを、虫眼鏡を通してじっくりと見る。額のルーンが、うっすらと輝いた。

「全部いちどに力を解放しても、この魔法学院の敷地をひとつ消し炭にするくらいが精一杯のようですわ」
「ほう……どうやら」

コルベールは腕を組み、静かに眼鏡を光らせている。

「それを購入した私の目に狂いはなかったようですな!」
「さすがミスタ・コルベール……ああ、なんて素敵な石、ウフフフ……まるで世界の破滅と再生が見えるようです!」

頭頂部の薄い中年教師コルベールは、にやりと微笑んだ。白髪の少女もまた、不気味に口の端を吊り上げた。
少なくとも少女の目は瞳孔全開、男性教師の目はギラギラと、二人の目は危険極まりない方向に狂いまくっているようでもあった。

「おほん……それで、……加工できるのかね? その情熱的な火の力を、取り出せるのかね?」

この自慢の教え子ならばできる、と確信しての問いだった。
少女もまた、自らの力量を確信し、ぐっと拳をにぎりしめて答える。

「ええ、必ずや。額のルーンにかけて、やってみせましょう!」

<サンクチュアリ式>の道具には、<ソケット>という魔力回路の端子、くぼみをつけるのが一般的である。
宝石やルーン石を詰め込めば、自分の思うがままの効果をもつように道具をカスタマイズすることができる。
ルビーなら炎の力、サファイアなら凍結の力、エメラルドなら毒の力と言ったように―――

ハルケギニアの宝石とサンクチュアリの宝石は、世界が違うからといって異なるものではない。
『ただの宝石』でさえ、形をととのえてソケットに放り込みさえすれば、立派なマジックアイテムとなってしまうのであった。
さらに宝石を<ジュエル(装飾された宝石)>に加工すれば、もっと複雑多様な魔法効果を発現させることだってできる。
ガリア山中にて魔物退治をした際に手にいれたジュエルを参照して、加工のやり方はすでに身につけている。

そして、ここハルケギニアには、『火石』や『風石』のように、向こうの世界に存在しない鉱石がある。
それらをサンクチュアリ式のソケットに埋め込めるように加工すれば、どうなるのだろうか?
いま手の中にある、半径数百メイルを消し飛ばすような炎の石を、武器のソケットに取り付ければ―――ああ、いったいどうなってしまうのか!!

「これを合成して大粒にして、ジュエルに加工すれば、込められた炎の力を取り出せるようになるでしょう……簡単なことです」

マッドな二人は満足そうに、顔をみあわせ、笑いあった。
コルベールは感極まったように、ぐっと両手を天高くつきあげた。

「ああミス・ヴァリエール、どうか、是非とも、思う存分やってくれたまえ!」

彼の心中は、こうだ。
『風の石』が現在、あれほどまでに人々の生活の役にたっているのであれば―――
パワフルな『火の石』の利用方法を見出せば、情熱的な火の力だ、多くの人々の生活の役に立たせることができるにちがいない!

「君のような優秀な生徒を持ったことを、私は、ああ私は生涯誇りに思うでしょうぞ!」
「ミスタの教えを受けることが出来て、今私は、心の底から喜びを感じております!」

中年教師は、飛びついてきた白髪の少女の手をとって、その軽い身体ごとぐるぐると振り回した。

わーはっはっは……
あーはっはっは……

もし誰か見ているものがいたとしたら、まるで悪夢のような光景だと感じられたことだろう。


―――

三日後。

「なあ、どう思う? ……この改造は、わざとか? 私の過去に気づいていてやったのか?」

とデルフリンガーにアニエスは、こっそりと問うたものだ。

「さあな、あの白髪の娘っ子のやることはいつも、はっきり言って『おに』だが、今回は知っててやった訳じゃねえと思うがね」と古い剣は答えた。

改造を終え返却された愛用の剣に対し、以前教えられたとおりに『鑑定(Identify)のスクロール』を使用したところ、以下の内容が浮かび上がったのである。

- - -
機敏なる兵士の剣(Soldier's Sword of Alacrity)
マジックアイテム:装飾された剣(Gemmed Sword)
装備要求値:レベル49 必要筋力:73 必要俊敏・器用さ:62
耐久度:44+固定化値
両手持ちダメージ:27-58
攻撃時に153-306の火炎ダメージ追加(装備者のレベルに比例して強化)
+140 命中値(Attack Rating)上昇
+50% 強化ダメージ
+30% 攻撃スピード強化(IAS)
+45% 火炎耐性
+20% 冷気耐性
ソケット2使用済(ルイズ特製超級レアジュエル2個)
赤土のシュヴルーズによる固定化がかかっている
ゼロのルイズによって作成された
- - -

「……この、火炎ダメージとは、なんだ?」
「振ってみれば解るわ、ウフフフ、とっても楽しいのよ」

ルイズは自分の愛用の杖『イロのたいまつ』を天使と司教から貰ったときに、飽きずに振りまわしては火を出して遊んだものだ。
そのときのことを思い出して、白髪の少女は満面の笑みである。きっと自分のときと同じように驚き喜んでもらえると思っているのだろう。
アニエスは、剣を振る―――

ゴオウッ―――!

振れば、音がして、アニエスの愛用の剣に火炎がまとわりついた。目をまんまるに見開いた。喉がからからに渇いた。

「……何故、私が炎を」
「えっ? ……ああ、どうしてあなたがメイジじゃないのに炎を出せるのかってことかしら、それはね……」

剣士のつぶやいた言葉の中身を取り違えたのか、ルイズは嬉々として人差し指を立てて説明をはじめる。
石だけでなく、はめ込まれたものを通して得た魔力を道具のなかで作動させる窪み、『ソケット』のほうにも秘密があるようだ。

「石には先住の魔法の力が詰まっているんだけれど……もちろん、炎を出しても精神力を消費したりはしないわ」

この剣は、以前ルイズがシエスタにあげた『揺すれば火の出るフライパン』と同じ原理であるそうな。
ルイズ自身は、小さな金槌にソケットをひとつあけてルビーの欠片をはめ込み、普段の生活で火打石代わりなどに使っている。
そうやって系統魔法の使えないルイズは宝石(Gem)を駆使し、他のメイジがやるように、生活環境や研究環境を整えているのであった。

「あなたデルフリンガー欲しがってたけど、敵がメイジじゃないときは錆び錆びのデルりんより、こっちのがずっと強いわよ」

しかしアニエスは炎の魔法が、そして炎の魔法を使うメイジが大嫌いなのであった―――ただひたすらに、眩暈がした。
これからの自分は、これを武器に戦うのだ。
なんという皮肉か。

炎で敵を倒すのだ、まるで火のメイジのように―――





(……待て待て待て待て、押さえろ、キレてはいけないぞ剣士アニエス……私は大人で、国から重要な任務を与えられている剣士なのだ)

炎の色が嫌いだ。匂いが嫌いだ。ものが焼ける音も嫌いだ。相棒たる銃の硝煙の匂いも、好きになることはできなかった。
暖かな暖炉の火さえ好きになれなかった自分が炎を扱うなど、悪夢もよいところだ。
だが、『自分は火の魔法が大嫌いだ』という旨を他人に伝えたことは、そう言えば無かったな、とぼんやりと考えていた。

さて、上司である王女殿下いわく、どうやら自分は姫からも『身近な大人の女性』として頼りにされているとのこと。
だから、『大人は好き嫌いをしないものだ』と、アニエスはひたすら自分に言い聞かせるほかなかった。
いまのところ、目下緊急の任務は、『自分の心の不発弾処理』のようである。

「……感謝しますミス・ヴァリエール」
「えへっ、格好いいでしょう! 気に入ってくれたかしら」
「ああ……気に入ったとも!」

この剣は自分のために、常日頃忙しいルイズに手間をかけさせただけでなく、『宝石を三個』、『以前より強力な固定化』、『超級ジュエルを二個』も使って作られたものだという。
念のためにアニエスは白髪の少女に、『ジュエルは取り外せるのか』と訊いたが、「今はHELルーンがないから無理よ」との答えが返ってきた。

「えいっ、やあっ、とうっ……どうだ、私はカッコいいか!」―――ぼぼっ、ぼうぼうっ!
「ええ、とってもステキよアニエス!」
「ははっ、これは……これはな……ははっ楽しいなっ、どうだ惚れちゃうくらいにカッコいいか!」―――ぼうぼうぼう!
「惚れちゃうくらいカッコいいわよっ、きっと男のコも女のコも、ハートがヘルファイアトーチ間違いないわ!」

もはやヤケになり、ひきつった笑顔で剣をぶんぶんと振り回し炎を出して、少女をきゃあきゃあと喜ばせるアニエス。

(これを拒んだら、この子は悲しむだろう……そして私には再びあの血染めの包丁を渡され、今度こそ人肉料理人の道を歩まざるを得ないのだろうな)

もともと自分に合わせて選び抜いた一番使いやすい剣であるうえに、今回の改造によって得た特殊効果もただ無駄にするには、あまりに高い価値がある。
もし振れば火炎の出る剣などがハルケギニアに存在するとして、平民の自分がそれを買おうと思ったら、一生かかっても買えないものだろう。
店に置かれたとすれば『フレイムタン』やら『ファイアブランド』などの大層な名前が付けられて、それこそ伝説の剣にされているかもしれない。

「……ちょっと……その、泣くほど嬉しかったの?」
「ああ、その通りだミス・ヴァリエール、とても嬉しいのだ私は今、ああ私は大人だからな!」

私は大人だ、と繰り返し呟きながら幽霊屋敷を辞したアニエスは、学院の使用人宿舎、自分に割り当てられた部屋へ行き、2時間ねむった。

そして………
目をさましてからしばらくして、自分の愛用の剣が『炎の剣』に改造されてしまったことを思い出し…………

数々の葛藤については省略するが、ひとつ言えることは、彼女は自身が思っていたよりもずっと『大人』で居られるようだった。

『いずれ仇敵を見つけ出した暁には、この剣で焼き尽くしてやろう』と、燃えるような心で誓ったのだとか。



そのとき教師ジャン・コルベールの背筋が妙にゾクゾクとしていたのだが、原因は解らず、首をひねるほかなかったそうな。







//// 21-2:【タバサの冒険(タバサと闇のストーカー:決して外伝ではない)】

トリステイン魔法学院には一匹の「おに」的な白いナニカが住んでいるのだという。
雪風のタバサにとって、夜中に学院内を出歩くことは鬼門に近い。
静まり返った宵闇の中、月明かりを頼りに進む。頬と背筋が妙に冷たいのは、温度の低い夜風のせいだけではない。
なにより、彼女は幽霊が苦手である。
学院内にも数多くの幽霊が実在することは、友人のルイズ・フランソワーズによって証明されている。

『ゼロのルイズが真夜中に魔法学院の敷地内を徘徊している』

そして当のルイズ・フランソワーズ自身が、夜に出会うにはあまりにも怖すぎる存在である。

『もし夜中に出かける用事があったとしても、決してゼロのルイズと出会ってはいけない』

学院内にそんな恐ろしい噂が流れており、生徒たちは夜中、部屋のカギを厳重に締めるようになった。
『ばっちこい』とばかりに施錠していないのは、物好きな風上のマリコルヌただ一人くらいのものだ。
そんな風に夜はバケモノやら幽霊やらの時間と言われるが、忘れてはいけない、夜は恋人たちの時間でもある。
ひそかに不純異性交遊をしようとしている青少年たちにとって、この噂は致命的なものだった。

『見つかったらハラワタを喰われるぞ』

タバサはごくりとつばを飲み込んで、依頼人の少女に手を引っ張られるままに、ゆっくりと恐る恐る足を交互に踏み出してゆく。
草木も眠る丑三つ時、しんと静まり返った小道。鬼が出るか炎蛇が出るか、ルイズが出るかは解らない。
二人とも膝頭が小刻みに震えている。

(怖くない)

嘘である。だが、そう自分に言い聞かせ続けていなければならない。
夜のルイズ・フランソワーズの恐ろしさを、雪風のタバサは知っているはずだった。
夜に出歩くは自殺行為と呼ばれる―――それでもなお、冒険をせねばならぬ。

「お、お願いしますよう、止まらないでください、はやく探しに行かないと……」

シエスタの友人だという使用人の少女は、ときおり立ち止まるタバサの手を、ぐいぐいひっぱってゆく。

「し、しっかりしてください貴族さま、本当にお願いしますよう、あなただけが頼りなんですから……」

真っ青な顔色のタバサは彼女に促されるままに手を引かれ、歩みを再開した。
どんなに怖くとも、いちど引き受けてしまった以上、完遂しなければならない。そんな義務感が、青髪のメイジを突き動かしていた。

そして、花壇に差し掛かったとき―――それは、現れた。

「ひっ、ひっ……出たあ、ほ、ほ、ほら、あそこに……」

怯えきった使用人の娘が指差す先、暗闇のなかにめらめらと燃える白いヒトダマ、夜に咲き乱れる紅や黄の花の中央、ほのかに青白い人影が佇む。
日の光のもとでは白くよれよれにしかみえない髪の毛が、月の光のもとでは薄く銀色に透き通っているようにも見える。
そう、夜は彼女の時間なのだ―――

「―――『ミス・ゼロ』がぁ……!」

見よ、時の止まったような無表情、危ういほどに痩せてなお形のよい輪郭。
この世のものでないほどに美しく見える少女が、二つの月を虚ろな目でぼんやりと見上げ、立っていた。
身体の小さい彼女がそんな仕草をやると、どこか猫のようにも見えた。だが、夜中に見る猫ほど得体の知れぬものはない。

「……静かに、様子……が、おかしい」

タバサが掠れた声を吐く。
白髪の少女の折れそうなほどに細い身体をつつむ制服、マントとスカートの色は濃紺だ。
シャツは白い……はずなのだが。袖口と腹の辺りの、色合いがおかしい。
どす黒いナニカで、まだらに染まっている―――おそらく、日の光のもとでは赤く見えるであろう色の液体。

クエスチョン、白髪のあの子が身を染めた、あれは何の液体?
アンサー、ひとの血液。

彼女の片手には、先端に直角に刃の取り付けられた長モノ(Polearm)―――三枚刃の、園芸用の鍬(くわ)、てらてらと液体に濡れ輝いていた。
あれも、けつえきだ。
タバサにも馴染みの深いそれ、間違いなくも血の匂いが、自問自答に裏づけを与えている。

「い、いやぁ……」

使用人の娘は目に涙をうかべ、言葉を飲み込み、へたりと座り込んでしまった。
ゼロのルイズの足元に咲く花、その中から花壇の外へとはみだしている二本の棒状の何か、ズボンの先端には男物の靴。
足だ。どう見ても人間のもの。あそこには男性が倒れている。
倒れたニンゲンの傍らで、ああ、いったい何が楽しいというのか、不吉な夜の化身は笑いだす―――うふふ……

びゅうう、と風が吹いた。

白い人影は、ぽいっ、と凶器らしき鍬を投げ捨てた。
心の底から嬉しくてたまらない、そんな様子で、服を紅く染めた少女は夜空に向かって両手をひろげる。


「あ……は、は、あははっ、は、はははっ……ありがとうお月さま、ありがとう!」



アーッハッハッハ!!


月夜の花壇で、夜行性の少女は狂ったように笑っていた。

(……とうとう、本当に人を襲うようになってしまった)


見てはいけないものを見てしまった、そんな後悔が、タバサの心をいっぱいに占めていた。




さて、どうして雪風のタバサは、珍しくもこんな夜中に外へと出てきているのか―――時はさかのぼる。

切欠は偶然だった。
タバサは風呂と夕食を済ませたあと、使用人の住む宿舎に、今日はここに泊まってゆくというアニエスを訪ねてやってきていた。
そのころにはもう、シエスタとアニエスは酔っ払っていた。剣士の女性は、黒髪メイドの酒癖の悪さに早々に潰されてしまった。
悪酔い中のシエスタにタバサも捕まってしまい、大量に酒を飲まされ、気づけば時刻はもう夜中。
ぽやぽやと酔いのまわった頭で、今夜はもう自分の部屋に帰るのを諦めようか、と思っていたところだった。

「シエスタ、起きてる? ……あっ、失礼しました、貴族さまがいらっしゃるとは」
「……」

扉がばたんと開き、一人の使用人の娘が顔を出し、タバサの姿を見かけると慌てて礼をする。
こんな夜中に、何やらシエスタに用事があって来たらしい。タバサにとってもそこそこ馴染みのある顔であった。

いっぽう、ぎゅっとタバサの腰にしがみついて「ひょわひょわ」などと言っている黒髪のメイドが一人。
タバサは無言でそれを引き剥がして訪問者へと突き出そうとするが、なかなか離れてくれない。

「ああシエスタ、お酒を飲んじゃったのね……はあ、困ったわ困ったわ、ど、ど、どうしましょう」

訪問者、ブラウンの髪で背の高い少女は慌てだした。彼女の友人は酔いつぶれ中、返事も要領を得ない。
シエスタの酒が進んでいたのは、あのルイズ・フランソワーズについての恐怖譚を涙ながらに語っていたからだ。

幽霊屋敷担当の黒髪のメイドは、あの恐ろしい白髪の少女に対する、平民のお悩み相談窓口としても頼りにされている。
『我らのフライパン』と称され、まるで英雄のように尊敬を集めつつもある。
大方、今回の訪問者もそのような事情でやってきたのだろう。

タバサは、たまにはルイズとシエスタの共通の友人たる自分がフォローしてやるべきなのだろうか、と考えた。
大量に飲んだワインのせいだろう、気が大きくなっていたのだ―――

「何が?」
「はあ」
「何があったの、教えて」

雪風のトライアングルメイジ、タバサがルイズ・フランソワーズの友人であるということは、そこそこ知られている。
使用人の少女はしばし躊躇っていたようだが、タバサに何度も促され、やがて意を決したように語り始めた。


「ミス・ヴァリエールの祟りから、私の大事な人の命を守って欲しいのです……どうか、どうか!」


なんてことだ―――即座に「無理、諦めて」と言いたくなったタバサである。
しかし持ち前の忍耐力で、「それをシエスタに頼むのは荷が重過ぎる」と言うにとどめたのであった。
ぐでんぐでんに酔ったシエスタは、それを耳にしてかちんと来たようだ。

「ああっ、村娘だからってぇ、びゃかにしなひでください! わゃ、わたしだってへ、こう見えても……」

タバサの腰にいやいやと涙と鼻水をすりつけながら、シエスタは呂律の回らぬ口でそう言った。
こう見えて、黒髪の彼女には何か秘められた不思議パワーでもあるのだろうか?
何が出来るの、と優しく尋ねたところ―――


「死ねまふ!」


なんとも意味深な答えが返ってきたものである。
そしてどこか満足げに、夢うつつの笑みを浮かべ……

「……死ねうのれす!」

ああ、どうして強調するように二回も言う必要があるのだろう!!
タバサは悲しみにつつまれ、酔いつぶれた黒髪の彼女を、ベッドで眠るアニエスの隣に放り込んでやる他なかった。


―――兎にも角にも、話を聞かなければならぬ。

「わたしの、現在おつきあいさせていただいている男性のことなのですが……」

シエスタの使用人仲間、訪問者の彼女は語る。
彼女には、学院で知り合った、同じく使用人の恋人がいるそうな。
とはいえ、ここは貴族の子女が暮らす大きな学校であり、平民の町や村ではない。
個室は無く寮は相部屋が多々、若い使用人同士が恋愛をしようと、恋人たちの時間たる夜に自室で逢瀬を持つのは難しい。
そもそも使用人同士が勤務先で交際を始めるなどレアなケースなので、大っぴらな問題になってはいないのだが―――

「ある晩の、ことでした、……いつものようにわたしたちが……その……」

敷地内にも、夜間に人目につかぬ秘密の場所がある。
女性使用人寮のすぐ近くの、むかし学院の庭師が住んでいた小屋である。
先輩から教えられたそこは敷地内なので治安も安心、貴族たちの住む寮からも、恐怖の館『幽霊屋敷』から遠いことも安心だ。
恋人同士の二人は貴族にも使用人仲間にも迷惑をかけないよう配慮しながら、そこで存分にちゅっちゅしていたらしい。
頬を染め身をもじもじさせている少女のちょっぴり生々しい話に、タバサはぽつりと相槌をうつ。

「ラブラブ」
「はあ、恥ずかしながら……」
「いっそ既婚者寮に入ってしまえばいい」
「……そ、それはまだ、難しいので……」

ぽりぽりと頬をかいて、少女は話を続ける。
その小屋に持ち込んだ唯一の光源、仄かな暖かみのある光を放つランプは、簡易ベッドの近くに置かれていたという。
光の具合で、部屋の中がすべて見えるわけではない。
そんな薄明かりの中、愛の語らいの最中に、彼女は髪留めをひとつ床に落としてしまった。
優しい彼は苦笑しつつ、ランプを手にし、それを拾おうと身をかがめたのだという。

「そのとき彼はひきつった笑顔で……すぐに、『ここを出よう』って言ったんです……」

彼は口数も少なく、服を調える暇も与えず、彼女の手を掴んで強引に小屋から引っ張り出した。
落とした髪留めも拾っていないというのに、あまりに急な行動だ。
外に出て、使用人宿舎の入り口まで来てから、いったい何があったのかと彼女が問えば―――


「目が」
「……」
「『目が合った』って言うんですよう……!」

少女は涙目だ。宿舎の自室にたどり着いてからも、彼女はひと晩ずっと震えが止まらなかったのだという。
タバサは背筋にぞくぞくと寒気を感じた。この後の台詞を聞きたくなかった。絶対に後悔すると解っていたのだ。


「その……『ベッドの下に』」

なんてことだ―――たちまちタバサは深い後悔に襲われた。

「『ベッドの下に居た』、っていうんですよう―――」




刃物を持った、ミス・ヴァリエールが!!


「うっぐ」

タバサは喉を鳴らす。さああっ―――
と、音を立てるかのようにして、全身から血の気が引いていった。
これからタバサは、毎晩寝る前に、ベッドの下にルイズが居ないかどうか確かめなければならぬだろう。

「わたしたちは……相談しあって、もうあの場所を使うのは止そう、ということになったのですが……」

少女は、怯えるタバサに向かって容赦なく怪談(ノンフィクション)を続ける。
その出来事のあった翌日、使用人寮に一本の髪留めが届けられたという。彼女を名指しの届け物だった。
そこには、以下のようにメモが添付されていた。あなたの親愛なる隣人ゼロのルイズより―――


『あなたの彼氏に伝えなさい、ひと月の間、夜中に出歩くのをやめるように……命が惜しければね』


まるで『さもなくば殺すわ』と言わんばかりの、脅迫の手紙ではないか!
それを見た二人は驚き恐れるいっぽうで、憤りの感情をも抱きはじめていたという。
自分たちの安らぎと逢瀬の時間と場所を奪われたような気にも、なってしまうものだ。

「確かに、貴族さまがベッドの下でお休みになっているときに……その上で愛を語り合っていたら、お怒りになることもあるのでしょう」

あの場所がゼロのルイズの『ナワバリ』だとしたら、それを侵犯したのはこちらだ、十歩引いてこちらに非があるのかもしれない。
だが、夜中に二人愛を語りあうこと自体にまで文句をつけられてはたまらない。我々には断固として愛し合う権利がある。
若いうちで愛に溢れたひと月の時は貴重なのだ。怖い貴族の命令とて、理不尽なものならふつう拒否することもできる。

若き恋人同士であれば、ときに命を賭してでも口やらなんやらを吸いあわねばならぬときがある。
恐怖の象徴ゼロのルイズ、愛の前では何するものぞ―――

「それで……わたしと彼とは、『別の場所を探そう』ということになったのです」

そんな訳で、懲りない男女は別の安息の地を探し、敷地内を彷徨い歩いていたという。
だが、どこを試しても光の具合やら夜間警備の人通りやらで都合が悪く、失われたあの場所の良さを再確認するだけだ。
まるで、楽園を追放された二人の男女の神話のように。でも、必ず最後に愛は勝つはずなんです―――

(……馬鹿? 死ぬの?)

とは、話を聞いているタバサの感想である。
自分が同じ立場に置かれたら、夜は『任務』がない限り部屋に引きこもっていることだろう。
いっぽう使用人の彼は、少女がどんなに反対しても、強気だったのだという。愛は得てして人を盲目にするものだ。

「そう考えていたわたしたちは、愚かだった、と……うっ、ぐすん……い、今では思うのですっ……」

使用人の娘はすんすすん、と鼻をすすって、弱々しげに言葉を続ける。

「やっぱり、その日の夜中に出くわしてしまったんです―――あの白い『おに』に!」

口からタマシイが抜けてしまいそうなほどに怖かった、と彼女は語る。
そいつは無表情で、夜の小道で、あたかも自分たち二人を待ち受けていたかのようにして立っていたそうな。

恐怖の噂の当人―――宵闇から抜け出てきたような細い身体、白い髪のルイズ・フランソワーズ。

『出歩くなって言ったのに……まあ、警告はしたつもりなんだけど……』

不気味な彼女の傍らには、白いヒトダマが浮かんでいたという。
身体全体が薄く青白く発光していた。にやりと口の端を吊り上げて、笑った。ウフフ……ウフフフフ……
立ち尽くす二人に向かって、白い少女はやおら冷たい無表情に戻り、

こう言い放ったのだ―――

『で……死にたいのね?』

うわああああ―――!!


男女は手を取り合い、わき目も振らず逃げ出すほかなかった。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……
その日、恋人を寮へ送り届けた彼は自分の寮へ帰ることもできずに、女性寮の玄関近くのソファで夜を明かしたのだという。
少女は涙をだらだらと流して語る。

「そ、その彼が、『あんな理不尽な恐怖などに屈してはいけない、次も君を迎えに来る』と言っておりまして……」

何度反対しても、彼は聞かなかった。
そして今夜、迎えに来るはずだったのだ。
悪い予感がした通り、いくら待っても待っても来ない―――もう、とても一人じゃ居られないのに。
ここまでの事実から想像しうる可能性は、ただひとつだ。彼女の愛しい人は……もう―――

『ハラワタを』
『ゼロのルイズに』
『食べられた』

五七五である。
かくして恋人の安否が心配になった少女は、英雄シエスタを頼りに部屋までやってきたという次第となった。

「どうかお願いします、お願いします! わたし一人じゃ、心細くてぇ……」


恐怖にうち震え泣き、頭を下げる少女を前に、雪風のタバサはひとつの決意を固めていた―――

「……わかった、一緒に探しに行く」
「ほ、本当ですか! ありがとうございます貴族さま! あなただけが頼りなんです!」

たぶん、酔って気が大きくなっていたのである。

『怖くない、友だちならば、平気だよ』

ずっと前にルイズから言われたそんな言葉を、思い出してみたりもした。



―――

雪風のタバサは、夜中に出歩くことに恐怖は感じれど、そこまでひどい状況なのだとは信じていなかった。
だいいち、ゼロのルイズは肉を食べられない。よって、人のハラワタを食べることなどないはず。

(ルイズは聡明……彼女がそう言うのなら、おそらく『ひと月の間、彼に外を出歩かせてはならない』理由があった、はず)

タバサにとって、ゼロのルイズは大切な友人だ。
向こうもそう思ってくれていると、よく実感することがある。とても喜ばしいことだった。

では、いったい何が起こっているのだろうか?
明日にでも本人に聞けばよかろうなのだが―――依頼人いわく、今は人の命のかかった緊急時だ、そういう訳にもいかなかった。

タバサは不安に思う―――本当に大丈夫なのだろうか?

ゼロのルイズの味覚はころころと変わる。
昔は苦手だったハシバミ草を、一時期の彼女はもりもり食べていたが、今はそう食べられないという。
このあいだ彼女は王宮で、紅茶用の輪切りレモンを「美味しい、美味しい」とぱくぱく食していたのだという。
そのおかげで衛士隊のド・ゼッサール氏より「レモン嬢」なるあだ名をつけられた、今はもうレモンなんて食べられないのだけど、とルイズは恥ずかしそうに笑いながら言っていた。

それはともかく―――彼女の味覚はときに完全にイカレてしまう、これは確かなことだ。

……まさか、今の彼女は、本当に人のハラワタを食べるようになってしまっているのだろうか?
そんな想像をするたびに、タバサはお尻にツララを突っ込まれたような気分になっていたものだ。

だから、ワインの酔いに任せて、こう考えた―――『いい加減、そろそろルイズを怖がることはやめよう』と。

彼女が人を殺して喰らうなど、ありえない、ありえない。
幽霊の正体見たり枯れ尾花。普通、人間が幽霊を見ることはできない。見えるものこそ、すべからく枯れ尾花なのだ。
そう思い込むようにしていれば、怖がる必要もないはずだ。

なので、タバサは半ば前向きに、こう考えていた―――
この一件は、自分がルイズに対して持っている恐怖感を克服するためのチャンスとなるかもしれない。
枯れ尾花的な何かを見つけ出してやればいい。
わたしが探しに行ってやろう。
今までは、逃げてばかりだったから。

あの白髪のメイジの言動はひどく突飛に見えて、いつも何らかの理由のあることが多い。
彼女が夜に出歩いているということにも、何かの大切な理由があってやっていることにちがいない。理由さえ解れば、怖くはなくなるはず―――
かくして、勇気をふりしぼり、こうやって請われるままに付き添ってきたのだ。
ルイズのことを無闇に怖がるのは良くない、と、依頼人の少女に伝えてやりたいという想いもあった。

雪風のタバサは、夜のルイズ・フランソワーズがいかに恐ろしいものであるかを、知っていたはずなのだが……


場面は現在へと戻り―――タバサは再び思い知らされていた。



―――あーっはははははは!

わずかな打算と希望は、なけなしの勇気は、いまや笑い声によって粉々に打ち砕かれていた。
正直、舐めていたと言うほかない。
タバサは戦慄する。夜中に出てきてしまったことを、心の底から後悔する。
コレは悪夢か、狂気の沙汰か。頭の中が真っ白になって、自分の心臓の音が鼓膜と頭をどくどくぐわんぐわんと揺さぶっている。

ああ、夜はルイズの時間なのだ―――

(……何、これ……)

ルイズ・フランソワーズが、ニンゲンの血に服を染めて、笑っている。この情景に、なんと理由を付けよというのか?
花壇からにょきにょき突き出した男性の足は、相変わらず微動だにしていない。
大切な身近な人が、信じていた人が、気づけば理解できぬ一線を越えてしまっていた―――というのは、誰もが恐れるに足る現象だ。
タバサにとっても、これまで騎士として潜ってきたいくつもの修羅場が、霞んでしまうほどの恐怖であった。

「ひ、ひぅあっ……ひいやぁああああああ!」

使用人の少女がとうとう大きな叫び声をあげてしまい、ゼロのルイズはぬぬぬっ、と振り向いた。こちらに気がついたのだろう。
月の光も映さぬ深淵の瞳を二人へと向けて、歩いてきた。花壇を降りて、ぬたり、ぬたりと石畳を踏む音。

「……あら……そこにいるのは、タバサ?」

燃え盛るヒトダマと二つの月の逆光を背負い、彼女の表情は暗くて見えない。
びゅうびゅうと風が吹き、ぞわり、ぞわりと寒気が走る。
人たる道をたがえし夜の眷属がごとき、白い白い虚無の少女が、人の生き血に身を紅く染めて―――


「タバサ……よね? そうだわ、あなたはタバサだわ……ウフ、フフ、フフフ……こんばんは、たあァー……」

歩み寄ってくる。

「ばぁさっ♪ ……ねえ、とっても良い夜だと思わない? ほら月が綺麗よ、星も綺麗よ?」


タバサ、タバサ……と繰り返し名を呼ばれるたびに、青髪の少女の現実感は、がりがりとかき氷のように削られてゆく。

「思うでしょ? ……そう思うわよねタバサ?」

ただ真っ暗な顔の部分のなかで、三日月のように吊り上げられた口だけが―――にたあっ、と笑っていた。
まるで世界に開いた裂け目のようだ、とタバサは思った。
あの向こうは、どこに繋がっているのだろう?


「……何を」

ようやく、タバサは渇ききった喉を振動させ、言葉を搾り出すことができた。

「何を、しているの?」
「ちょっとね、私ね、……むしゃくしゃしてたの……だからね、つい、お散歩ついでにね」

恐ろしい三日月の口からは、最も聞きたくなかった類の、容赦なき答えを返されてしまった。

「……この人は?」
「私のね、警告をね……何度も何度も、もう何度も無視したからね、何度も何度も……」

何度も何度も何度もね、ウフフ……何度も無視したのよ、ほんとひどいわひどいわ、だから……


「……なるべくして、こうなっちゃったのよ」

びゅううう―――
冷たい風が、タバサの心に灯っていたわずかな勇気の炎を、いまや完全に吹き消してしまっていた。
アルビオンで見た大きな悪魔よりも、火竜よりも、地獄の肉屋よりもはるかに、今のゼロのルイズが怖かった。

「たすけっ、たた、たすけてくださいミス・タバサ、わ、わたし、しにたくない……」
「怯えなくてもいいのよ? そこのあなた、今日の私は、あなたに……とっても嬉しいお知らせを、持ってきてあげたんだから」

不吉なる白髪のメイジは、タバサの隣で怯え震える使用人の少女に向けて、告げる―――

「……安心してちょうだい! もう『この人のことを心配する必要は無くなった』わ!」

ああ―――そんなことひと目見れば解るだろうに、とタバサは思った。
腰を抜かしてしまった平民の少女に手を取られ、ここから逃げ出すこともできない。
一歩、二歩、ぬたり、ぬたりと近づいてくる―――

「ねえあなた愛する人とずっと一緒に居たいのよね? ね? そうよね? ……あなた死んでも一緒に居たいのよね? ね?」

なにかの熱に浮かされたように、白髪のメイジは次から次へと言葉をつむいでゆく。
そうなんでしょ? うふふふ……ねえそうなんでしょ?
結局、私、ほんのちょこっとだけ手伝ってあげたけど、別に御礼なんていらないんだからね……
良かったわね、ええ、もう私の知ったことじゃあないけど……

「いい? これはね、別にあなたたちのためにやったとか、そういうんじゃないからね。つい見ちゃって、どうしても気になったから、なんだからね?」

地獄式の照れ隠しのような台詞を聞きながら、タバサは思う。何のために、こんなことをしたのだろう。
いつしかタバサは『吸血鬼』のことを思い出していた。
あれは人に紛れ、人を喰らうバケモノ。ゼロのルイズも、その類になってしまったのだろうか?
いや、別の可能性もある。

以前、ルイズ本人に聞かされたことを思い出す―――『ゾンビとスケルトンの違い』についての話だ。

ラズマ死霊術師は、好んで人や魔物の『骨』を使役する。
死者を生前の姿のまま一時的に蘇らせる秘奥義もあるというのだが、どうして彼らはわざわざ肉を落とし、骨だけを使うのだろうか?
ルイズが言うには、『骨』は生命の根幹、ゼロの基準を安定せしめる文字通りのホネグミであり、聖なるものなのだという。

『半端に肉を残したら、他人の血肉を喰らい求めるゾンビになっちゃうわ……でもスケルトンになれば違うの』

血肉をそぎ落とされたスケルトンは、食欲などよりはるかに高尚な、かつ根源的な欲求に従って動くようになるのだという。
骨には食欲も性欲も睡眠欲も存在しない―――ただひとつ残された、その高尚な欲求とは何か?

『うふふふ……単純なことよ、それはね、―――生者の命を、奪うこと』


殺戮(はぁと)衝動―――!!


『ただそれだけ。食べたいわけでもない純粋な殺戮の衝動、<虚無へと向かう欲求>なの』

よりにもよって、そんなものを高尚と呼ぶか―――!!
知れば知るほど、じわじわと恐怖がやってくる。得体が知れぬにも、限度というものがあるだろうに!

この話を聞いた日の夜、タバサはひどく恐ろしい夢を見たものだった。
その悪夢と同じくらい恐ろしい光景が、現実で、目の前で展開されている。
そうか、ルイズは肉を食べられない、ハラワタを食べないのなら、そう―――
こうやって、彼女いわく高尚なる欲求、ただひたすらに純粋な殺戮衝動に突き動かされて―――

(今すぐ、わたしたちの身体で、殺戮衝動を満たす?)

かつて聞かされた異教ラズマの死生観や宇宙の理の話は、タバサには到底理解できないものであった。
タバサは、この大切な友人のことをもっともっと知りたいと思っていた。
だが今は、生半可に知ってしまった知識が、よけいに恐怖をかきたてる。

「ねえ、なぁにを怯えているのかしら? ……ウフフフ、ねえ喜びなさいよ、笑いなさいよ」
「し、しにたくない、命だけは、命だけはぁ……!」

平民の少女の、命乞いの声がひびく。
用心棒としてついてきたはずのタバサも、ただ怯えるほかない。ゼロのルイズ相手に命乞いなど、意味があるのだろうか?

「『イトシイヒトのところに、さっさとイキナサイ』って言ってんのよ、そして思う存分いちゃいちゃすればいいのよ!」

無い、無いのだ。
うふふふふふ……

「ぃいやあぁぁあーーっ!!」

哀れな使用人の娘が、声を枯らして叫ぶ。涙と鼻水をたらし、必死にタバサへとすがりつく。
真っ青な顔をしたタバサは、依頼人のほうを向く。そして―――

「ごめんなさい」
「……え?」
「無理」

と言ったあと、糸の切れた人形のように、パタリと倒れてしまうのであった。
タバサを頼りにしていた使用人の彼女にとっては、絶望の瞬間に他ならない。

「みきゃあああーーーっ!!」

たちまち使用人の娘はびえんびえん泣きながら、両腕を使ってカサカサと這うように、その場から逃げていってしまった。




一方、ぽかんと口を開けている、ルイズ・フランソワーズ。

「え、あれっ……ちょっと何で逃げるのよ? ねえちょっとー! あーあ、……行っちゃったわ」

引き止めるように宙へとのばした手をおろし、小首をかしげて、ルイズはその後姿を見送る。

「案外薄情なのね……迎えに来たんじゃなかったの? どうすんのよ、この人」

振り返ったルイズの視線の先、花壇より、血まみれのソレはむっくりと起き上がる―――

「うーむ……あれ? おかしいな痛くないぞ、ぼくは確か、そこで転んで、落ちていた鍬で……」

どうやら倒れていた彼は、死体ではなかったようである。
服はまぎれもなく血に染まっているが、今はもう怪我ひとつ無いようだ。不思議そうに、自分の胸の辺りを確かめている。

「おはよう、起きたわね。体の具合はどうかしら?」
「はあ、大丈夫で……ちょ、うっわ出たあッ!」

そこに突然声をかけたルイズを見るなり、彼は目を丸くし、たちまち脱兎のごとく逃げていってしまった。
ルイズは「もうスッ転ぶんじゃないわよーっ」とその後姿に声をかけてから、小さな肩を落とし、大きくため息をついた。
残されたのは、気絶した青い髪の少女がひとり。

「タバサ、タバサ、こんなところで寝たら風邪ひいちゃうわよーっ」

頬をつんつんしても、むにむにとしても、起きない。
なので、ルイズはタバサの大事にしている杖を拾い上げる。
続いて指をぱちんと鳴らして、『土のゴーレム』を召喚し、意識のない友人の身体を抱き上げさせる。

「……もう、仕方ないわね」

かくして、雪風のタバサは怖い怖い『真夜中の幽霊屋敷』へと、お持ち帰りされる羽目になるのであった。


―――


(なんだろう……)

意識を取り戻したタバサは、横向きに寝かされていた。
ここは幽霊屋敷、いつもルイズが着替えに使っている、カーテンで区切られた一角である。
かちゃかちゃ、とベルトを外すような音。ごそごそ、と下半身に違和感を感じた。

「……やっぱり、ついてないのね」

どこか残念そうな声が聞こえる。
目をやると、背中側にはルイズ・フランソワーズが居た。
彼女はなぜかタバサのスカートとシュミーズの内側に手を突っ込み、パンツをぐいぐいと引き下ろしていたのである。

「何をしてるの……?」
「きゃっ! ……お、おはよう、タバサ、お、お、起きたのね」

ルイズはひどく慌てたように、膝の当たりまで引き下ろされていた空色の下着から手を離す。

「こ、これはね、その……えっと……あのね、何というか……」

ばつが悪そうに、もじもじとしながら、言いにくそうにしていた。
まさか、とタバサは思い、問うてみる。

「あなたは、わたしの身体に興味があるの?」
「ち、ちちち違うわよっ! そんな、なっななな何考えてるのよ!」
「……ついているはずがない、わたしは女」
「ち、違っ、ソケッ……じゃなくて、あのっ、えっと……そうそう、尻尾が! こないだね、タバサにうさぎさんの尻尾がついてる夢を見たから!」

顔を真っ赤にしたルイズは手をぶんぶんと振って、断固として否定する。
タバサは自分の下着に手をやって、さらなる違和感に気づいた。ルイズはこほんこほん、と咳払いをする。

「ソレ、……その、濡れたままじゃ気持ち悪いだろうと思ったから……」
「……」
「穿き替えさせたげようと……思ったのよ」
「……わかった」

冷たい夜風と大量のアルコールが、諸悪の根源だったのだ。
今日のタバサは、ひたすらに『ツイてなかった』。
タバサは小さい肩をますます狭くすくめて、襲い来る空虚感と情けなさと羞恥に、ぽろりと涙をこぼした。
なけなしの勇気を振り絞って無茶をした結果が、春先(シエスタの世話になったとき)以来久々の雪解けだったのだ。それはそれは悲しく切なくも、なってしまうものだ。
ルイズは気まずげにタオルを差し出しながら、小声で言う。

「誰にも言わないから、元気だしてよ……私だって、ほら、前にお肉屋さんと戦ったときとか、やっちゃったことあるし」
「……」
「あのね、今、あったかいお風呂焚いてるんだけど、……入っていきなさいよ」
「……」

タバサは与えられたタオルを腰に巻きながら、こくんと頷いた。
いまだ混乱している彼女は、『とうとう今夜がわたしの最期なのだ』と、ひとり静かに死を覚悟していた。


―――

真夜中の幽霊屋敷の室内には、ふたつの棺おけがある。
ひとつは大司教の遺体の収められている石棺、もうひとつは木製……フタがされていなかった。
タバサがカーテンで仕切られた場所から恐る恐る顔を出すと、ぬうっ―――と『棺おけの中の人』が起き上がった。
またもや気を失いかけ、タバサは顔をぶんぶんと振って堪える。

「……んん……」
「ごめんなさいリュリュ、起こしちゃったわ」
「はうー……」

棺おけの中の人、ガリアから来た居候少女が、むにゃむにゃと呟きつつ目をこすっていた。
こんな恐ろしい部屋で良くもまあ泊まれるものだ、とタバサは呆れるほかなかった。
自分は今すぐにでも、ここから逃げ出してしまいたいというのに―――

「よう、真夜中の『幽霊屋敷』にようこそ、頑張ってるなぁ嬢ちゃん」
「!!―――」

背後から男性の声が聞こえ、タバサは本日何度目だろうか、またしても気を失いかけた。
デルフリンガーだった。

「ふわあ……いま何時ですかあ、ルイズさん」
「夜中の二時くらいかしら」

タバサの来訪に気づいたようで、リュリュはぺこりと「こんばんは、こんな時間に珍しいですね」と挨拶をした。
たたたたっ……と天井裏を走り回るナニカも、物言わぬ火竜の頭蓋骨も、タバサを歓迎しているようであった。
明日には自分も、ここの『物言わぬ置物』の仲間入りを果たしているのだろうか、とタバサはぼんやりと考えていた。

「リュリュ、あなたもお風呂入るかしら?」
「すいません寝ますう……おやすみなしゃ、ふわわ……」

リュリュが再び横になって寝息を立て始めたので、二人は着替えとタオルの入ったカゴを持って裏庭へと出た。
裏庭には湯をたたえた古い大釜が鎮座しており、ぐらぐらと火にかけられていた。かなり猛烈な勢いで煮立っていた。

「見て見てタバサ、マルトーさんから使わなくなった釜をいただいたのよ、それでお風呂を作ってみたの」

ルイズが得意げに胸を張ってそう言ったので、タバサは驚く。まさか、これにニンゲンを放り込むつもりなのだろうか。
自分の最期が『釜茹で』とは、あまりに予想外―――と考えたタバサは青ざめた顔で、大釜を指差して、言った。

「沸騰している」
「……ちょっと湯加減の調整が難しいのよ、こうすれば……あれ? ……えいっ、このっ!」

ルイズは頬を膨らませて、ああでもないこうでもないと、しばらく額のルーンを光らせながら制御装置をいじくっていた。
どうやら時々暴走するそれは、ミスタ・コルベールと共同開発した一品らしい。
まったく情熱的すぎだわ、などと言っていたが、やがてがっくりと肩を落とし、湯わかし装置のスイッチを切る。
そして、タバサに向かって両手を合わせた。

「お願いタバサ、……魔法で冷やして」

タバサは杖を構えて呪文を唱え、人が入れる温度にまで慎重に湯加減を調節してやる。
ルイズはお湯に手を突っ込んで確認し、満足げに微笑んだ。

「ありがとう、さあ、あなた先に入っていいわよ」

タバサは、ふるふると首を横に振った。
茹で殺されてはかなわない。もうすこしだけ、生ある時間を堪能していたかったのである。
少なくとも一緒に入れば、まさか自身もろとも茹で殺すことはありえまい、と踏んでいたからだ。



―――

二人は暖かいお湯で血糊やなにやらを洗い流したあと、湯船とは名ばかりの大釜に浸かる。
細く小柄な二人が入っても、まだ余裕のある広さだ。香草を入れた湯が、ここちよい香りを立てていた。
底には一枚の板が取り付けられており、中には椅子がひとつ沈められていた。

「どうかしら? 気持ちいいでしょ? けっこう自信作のつもりなんだけど」
「……あたたかい」

そこにはだかのお尻を半分ずつ、仲良くちょこんと腰掛ける。ちょびっと気恥ずかしいのはご愛嬌。
熱せられた部分に肌が触れぬよう、快適に入浴できるよう、ルイズなりの工夫がそこかしこになされているのが解る。
目の前には木製のスケルトン・アヒルのおもちゃが、ぷかぷかと浮いていた。
タバサはこの時になって、ようやく緊張を緩めることができていた。

「殺さないの? わたしを」
「? ……ねえ、あなたさっきから何を言ってるの、私がそんなことするわけないじゃない」

近くの林で、ほう、ほうとフクロウが鳴いていた。
コロサレルとばかり思っていたらほのぼのお風呂タイムが訪れていた―――何が起きているのかは解らなかったが、これはこれで落ち着くものだ。
なので、さっきから気になっていたことを、ようやく訊ねる余裕が出来たのである。

「それなら、どうしてあの男の人を殺したの?」

それを聞いたルイズは、「私がぁ!?」と、一瞬信じられないといった表情をした。
いやいやいや、と顔の前で手のひらをふる。

「まさかあ……殺してなんていないわ。逆よっ、ぜんっぜん逆。助けたのよ、私がね、あの男の人の命を助けたの!」

月明かりの下、薄いはだかの胸を精一杯張って、頬をぷんぷんふくらませつつ、ルイズは言った。
やがて目を閉じて、はふうと息をついたあと、説明を始める。

「すぐに傷は治したし、気絶してただけだから、さっきむっくりと起き上がって帰って行ったわよ」

血まみれで倒れていたあの男性は、ただ事故で怪我をして気を失っていただけという話だ。
もちろん、ルイズが彼の身を害したわけでもない。
暗い夜道で転んだところに、刃を上に向けて落ちていた園芸用の鍬(くわ)―――胸を貫かれ瀕死だった彼に、紫色のポーションを飲ませて助けたのだという。
さて、ルイズはどうやって、そんな事故の現場に居合わせることができたのだろうか?

「さっき見たときは、もう『ほつれ』が消えてたから、……たぶんあのバカップル、今後はどんなに夜にデートしていても大丈夫なはずよ」

先日よりルイズには、あのカップルの片割れの男性使用人の運命のうちに、確定ぎりぎりの死相が見えてしまっていたらしい。
気になって占ってみたところ、『ひと月以内にいちど、夜の外出中に致命的な災厄あり』と出たものだ。

見たままに放っておくのは、どうにも寝覚めが悪い。
他人の死の運命が勝手に見えてしまうというのも、相当に難儀なことのようだ。
愛の前に盲目となった本人たちに対し、何度警告しても効果が無かったので、わざわざルイズが出かけて毎晩見張ってやることとなったのだという。

「……ねえ、もしかしてタバサたちには、私があの男の人を殺したように見えてた?」
「そうとしか見えなかった」
「ふへえ……なんでそんなぁ……死体かそうじゃないかなんて、ひと目見ればすぐわかるじゃないのよお……」

それが解るのはルイズだけである。
全くもっていつものように彼女は、自分が他人を不必要なまでに怖がらせているという自覚を持っていなかったらしい。
ルイズの顔は、みるみる疲れと困惑に染まってゆく。

「たぶん今ごろ、おお騒ぎ」
「……そうよね、……まあほっといていいわよね、ガイシャは生きてるし、私はもう疲れたしぃ……明日よっ、明日!」

タバサの指摘で、ルイズは心底疲れきったように大きく息をつく。
「もう知らない」と言って、「んんーっ」と痩せた白い裸身をさらし背伸びをしたあと、全身を湯の中にふにゃりと弛緩させた。

(よかった……やっぱり、きちんとした理由があった……)

一方でタバサの心は、安堵と喜びに満たされていた。あれほどあった深い恐怖感は、見事に薄れつつもあった。
枯れ尾花を探していたはずが、美しい純白の花を見つけてしまったような気分だった。

この薄気味の悪い友人は、大きな誤解を受けつつも、ひとり人知れず頑張っていたのだ。
ラズマ秘術について、ルイズは信頼の置ける仲間や友人以外に明かすことはしない。
だからどんなに苦労して人一人の命を救ったとしても、たとえ本人たちにすら、そうと知られることはないというのに。

(ほら、ルイズは優しい……わたしを命の危機から助けてくれたときと同じ……)

ルイズはやはりルイズで、とてつもなく怖いけれど優しい、タバサにとって大切な、どうしようもない友人だった。
そんな風に、どこか誇らしい気持ちまでもが浮かんできていた。

「あーあ、慣れないおせっかいなんて……するもんじゃないわね、……はあ、けっこうな苦労しちゃったし」

綺麗な月夜と、難易度の高い死相の回避に成功した喜びで、ちょっぴりテンションが高まって笑い出してしまったのだという。
つい先ほどタバサが目撃した場面が、まさにそれなのであった。
こうして文句を言ってはいるが、人間一人の命を助けられたことであれほど喜んでいたあたり、ルイズも本心ではけっこう満足しているのかもしれない。

「おかげで……なんか……いろいろ、す、すすすごいの……みちゃったしぃ……うーう……」

少し頬を染め、顔を半分お湯の中に沈めて、ルイズはぶくぶくぶくと行儀悪く水面にアワをたてはじめた。
先ほどのあの場面での照れ隠しらしき台詞は、いろいろ見せ付けられた故の複雑な心持ちから来ていたものらしい。
そこで、タバサはふと、ひとつの疑問を覚える。

他人の死の運命を見るたび、タバサ自身のときや今回のように力いっぱい奔走していたら、いずれ背負いきれなくなることも、あるのかもしれない。
それは、ルイズにとっては解りきっていることなのかもしれない。
彼女が誇り高き貴族の卵だからこそ、『そんなときは放っておけばいい』などと言えないことなのだとも理解できるが―――

どうして彼女は今回、忙しい中で沢山の時間を割いて、あの自分たちとほとんど関わりもないカップルのために、人知れぬ苦労を引き受けたのだろうか?

さて―――

図らずもちょっとばかり濃ゆい、大人の世界を覗き見してしまう羽目になったルイズである。
毒物マスターの彼女でさえ、『目の毒』を相手にしては相当に手こずったらしい。

「<生命の神秘>とはいえ、アレは手ごわかったわ……こっちの気も知らないで、いちゃいちゃいちゃ……」

何度爆破してやろうと思ったかしら……、とツヤの消えた目でぶつぶつ文句を言っている。
なんとなく思うところのあるタバサは、多少いじわるな質問を投げかけてみたくなる。

もしかすると―――



「幸せそうで、羨ましかった?」

だから、何としてでも助けてあげようと思ったのだろうか?

「はあ!? え、えっと……」
「わたしは、……話を聞いて、少しだけ羨ましいと、思った」

青い髪の少女は、酒の入った体で暖かい風呂に入ったせいか、再び酔いが回り始めているようだった。
ただ、いつもと変わらぬ無表情、澄んだ青い目で、近い顔と顔の距離から、じっとルイズを見つめていた。
ルイズは驚いたように目を見開いた。タバサは静かに続ける―――

「あなたは……」
「待って! ……その、ううっ……」
「……」

ルイズは少し顔をひきつらせて、タバサの言葉を遮った。
おそらく、以前の自分たち二人の間にあったいろいろなことを、思い出しているのだろう。

「……まま、ままさかタバサ、あ、あなた、その」
「?」
「い、いやっ、いいわ言わないで! 何でもない、何でもないからっ!」

ルイズはしばらく戸惑っていたようだが、その顔はやがて再び沸騰するように真っ赤に染まる。
彼女が心の中で何を思ったのか、タバサには解らない。あのときの話については、ルイズは触れようとしないものだ。
ぷいっとそっぽを向いて、骨アヒルのおもちゃを指先でつついて揺らしながら―――

「こ、これっぽっちも……うらやましくなんて、無かったわよ……」

やがて小さな小さな声で、タバサの質問にたいする答えを返してきた。
それが、かつて婚約者に裏切られ深く傷ついた経験をもつ彼女の本心なのかどうかも、タバサには解らない。
ときどき、ギーシュとモンモランシーの二人を見るルイズの表情が、優しさだけでなく憧憬や寂しさのようなものを含んでいるように、タバサには思われていたからだ。

(わたしは……どんな答えを期待していたのだろう? ……解らない)

タバサは戸惑いつつ、考える。
ひょっとすると、ルイズの心のうちでも『恋愛』というものに対し整理しきれていない、複雑な感情があるのかもしれないと思う。
タバサ自身が『初恋の相手』に対して、ときどき自分でも把握しきれない不思議な気持ちを抱いてしまうのと、似たようにして。

(わたしは、まだ彼女に未練がある? ……まさか、そんなはずは、ない……)

空には双月と、金銀の針で突いたようにまたたく美しい星々。
かくして、微妙に互いとの距離をとりかねる二人は、どこか気まずげながらに、ぽつりぽつりと会話を続け―――
夜空を見上げながら、はあ……と、どちらからともなく息をつくのであった。



―――

お風呂から上がって清潔な服に着替えたあと、タバサは自分の部屋へと帰る。

「また明日ね、おやすみなさい」

と手を振ってくれたルイズに、手を振り返しながら。
どこか名残惜しい気持ちと、ほんのりと暖まった心と、ほんの少しだけ寂しくも切ない気持ちを抱きつつ……

(ちょっとだけ、歩み寄ることは出来た)

少なくともそこに冒険した甲斐はあった、と思うことにするタバサであった。

そして……


翌日にはもうケンカを始めてしまうあたり、この二人の少女の間柄は、とうてい一筋縄ではいかぬもののようである。


―――


九死に一生を得た男性使用人は、『ゾンビ君』というあだ名をつけられ、周囲から一歩距離を置かれるようになったとか。
生き延びることが必ずしもすべて幸に繋がるとは言えない、というひとつの実例である。
恋人の少女が離れていかなかったことが、不幸中の幸いだったそうな。

ルイズ・フランソワーズという災い、および周囲とのあれこれを乗り越えたことで、ますます燃え上がる恋……
その後の男女がどうなったのかについては、『禍福はあざなえる縄(なわ)のごとく』、といった話のようである。





//// 21-3:【風、おいしいです】

ある日の午後、ルイズの住居『幽霊屋敷』へと、風の授業の教授、疾風のギトーがやってきた。
彼はいつもこうやってあらゆる場所へと突風のように現れては、場をかき乱すだけ乱してゆくのだ。

「はい……あの、どちらさまでしょうか」
「君こそ誰だ? ……見ない顔だ、この学院の生徒ではないな」

ギトーが呼び鈴を鳴らし、応対に玄関まで出てきたのは、最近ここに逗留しているガリア貴族の少女リュリュである。
リュリュは、目つきの悪い不気味な男性ギトーにじろりと上から下まで眺められ、ひっ、と息を呑んだ。

「まあどうでもよい、この部屋の主かミス・タバサは居るか」
「今、ルイズさんは地下におります、なにか手の離せない作業中だとか……タバサさんは今は居ないようですが」

だが、ギトーはすぐに興味なさそうに視線を外し、リュリュはほっと息をつく。

「ふむ、ならば出てくるまで待とう」
「へ?」

勝手知ったる他人の家、とばかりにギトーはずかずかと上がりこみ、部屋の中のテーブル脇の椅子に腰を下ろす。

「疾風のギトーだ、この魔法学院で風の授業を受け持っている」
「は……あっ、ガリアから来た土メイジのリュリュです、よろしくお願いします」

変なタイミングでいきなり自己紹介をしてリュリュを戸惑わせたあと、ギトーはノートを一冊取り出してなにやらかりかりとやりだすのであった。
落ち着かないのはリュリュだ、彼女は地上で『錬金』の作業中だったのだが、初対面の男性が突如やってきて近くに堂々と居座っているのである。

「あ、あの、もしルイズさんに御用事でしたら、そこの呼び鈴を四回鳴らせば作業を切り上げて出てくるはずですが」
「とくに風雲急を告ぐ用事というわけでもなし、ならば急かす必要もない」

ギトーはノートに集中しているようで、視線を動かさず、そう答えた。
リュリュはますます落ち着かない―――テーブルの位置はリュリュの作業台の背後……この男、ずっとそこに居るつもりか!
おそるおそるギトーへとそんな視線を向けていたとき、彼は気づいたようだ。

「失礼、私が居ると落ち着かぬようだな……『サイレント(静寂)』」

学院でいちばん空気の読める男を目指しているらしい彼は、杖をかまえ呪文を唱え、自分の周囲の音を消すのであった。
さて、音だけが消えたせいで、なおさら背後にぞわぞわと高まる不気味このうえない存在感。
リュリュはますます落ち着かなくなり、どうしたものかと思う。

(トリステインには変わった方が多いのですね……)

なので彼女は修理を終えた物品を片付けて、材料を持って外へ出る。
実はもともと追求していた『極上の肉を錬金する』という目標を、いまだ果たせていないのである。
いちど三日間の断食に耐えたときに想像した美味しいお肉、それを食べたいという強い強い欲求を思い出して呪文を唱えてみたのだが……

「はあ……よく考えたら、おなかが空いていれば極上だろうがなんだろうが、どんな食べ物でも美味しく食べられてしまうようです……」

魔法の改良は、そうそう上手くいかないようだ。
台の上に置かれた材料たる大豆は肉っぽいナニカに変わるが、本物の肉にはまだまだ遠いものとなる。
匂いと味は多少焼き肉っぽく、そこそこ美味しくもあるのだが、食感はもそもそとスポンジのよう。これは彼女の作ろうと望んでいる肉ではない。
空腹は極上のスパイスとは言うが、行き過ぎると極上の料理さえがつがつと貪らせ、味など二の次とさせてしまうこともよくある。

「マルトーさんの調理した火竜の肉のほうが、ずっと美味しかったなあ……」

大味も許容し、質よりも量や手軽さを選ぶ―――人それをB級グルメと呼ぶ。

平民も貴族も、純粋な食材や料理の味そのものよりも、雰囲気や見た目、値段などで食べるものを決めることのほうがずっと多い。
また、そういった他の沢山の要素のほうが、ときに料理の味そのものの感じ方を大きく変えてしまうことだってある。
そこにはきっと、『シナジー(Synergy:相互作用、相乗効果)』と呼ばれるたぐいのものが、複雑にはたらいているのであろう。

トリステイン魔法学院の厨房の主、マルトーはリュリュに言ったものだ―――貴族はたいてい、こってりとした味付けや見た目の豪華さだけで満足しやがる、と。

「ミスタ、ミスタ・ギトー、ご相談に乗っていただけませんか」

人見知りをしない少女リュリュは、疾風のギトーを連れ出して教えを請うてみる。
先日コルベールに相談したときは、食材を黒こげにされたあげく『食えないほどまずくなければよい』という結論になってしまったので、今度こそはと思ったのだ。
ギトーは「私の風の知識が入り用か、何でも聞くがいい」と言った。風の話ではなく『錬金』の話なのだと知っても、彼はまったく気にした風もない。

「なるほど君にこそ、私の風の授業が必要のようだな」

いえ、私は土のメイジなので風は関係ありません……というリュリュの主張は、たちまち風のようにスルーされてしまった。
ギトーは懐から愛用のフォークとナイフをひょいっと取り出して、リュリュの作った数種類の合成代用肉を涼しい顔でいくつも味見する。
ふむ、とか、ほうほう、とか、これはこれは、とか呟いている。

「はっきり言って、まずい」
「ひぐっ!」
「これをあくまで肉なのだと主張するのなら、落第点を覚悟するがいい」
「う、う、う……」

歯に衣着せぬギトーの言葉が、リュリュの心の弱いところに容赦なくクリティカル・ストライク(Critical Strike)する。
そして、ギトーは続ける―――

「だが、ミス・リュリュ―――風味(ふうみ)という言葉を知っているか」
「へ? ……はあ、風味、ですか」
「そう、風の味、と書いて風味(ふうみ)と読むものだ、かように風はときに実体のないものを指して呼ぶ言葉としても使われる」

ギトーは語る。
私が思うに、君は実体のないところにいきなり肉そのものを作り出そうとするから、失敗しているのだろう―――
ならば風のように実体のないまま自由に加工し、風の味すなわち風味を作り出すほうが、ずっと実りが多いのではないか―――

「すいません、意味がわかりません」
「解らんか、ではこれを私の結論としよう―――『肉の味のするものが必ずしも肉である必要はない』、と」
「? ……ですから、大豆からこうやってお肉を作ろうとしているんです……いつも失敗していますけれど」

しゅんと落ち込むリュリュに向かって、ギトーは続ける。

「何を指して失敗と言うミス・リュリュ、君はこれほどまでに実に見事な『焼き肉風味のもの』を作ることに成功しているではないか!」

この風味に合う食感を探したほうが数多くのものが見つかると思うがな―――それを聞いた少女はただ、目の前に開かれた自由な可能性の大きさに震えるほかなかった。


のちに、ガリア貴族の娘リュリュはハルケギニア版『合成調味料』の発明者として、歴史に名を残すこととなる。
多くの魅力的な商品とともにリュリュの名が売れはじめたとき、「大元のアイデア提供者のきみは悔しくないのかね」と問われたギトーは、こう答えたという。

「料理など平民や女子どものすることだ、どうしてこの私が悔しがる必要があるというのかね?」


―――

さて、ようやくルイズが地下から出てきたので、立ち尽くし震えているリュリュを放置し、疾風のギトーは部屋の主へと声をかける。

「こらお前、最近授業をサボって一体どこへ行っている」
「わっ、ミスタ・ギトー……えっと、私たちの『公欠』の届けは、オスマン氏へと提出しているはずですが」

ルイズは慌てて、王宮に用事があったり、どうしても資金が必要なので『宝探し』をしたりしている、という理由を話した。
ギトーはたちまち不機嫌そうな表情になった。彼は教師、子供たちの学院におけるすこやかな育成を第一に考える者である。

「ふん、学び盛りの時というものは風の流れのように一期一会だ、……あとで後悔しても知らんぞ」

確かに彼の言うとおり、ルイズの『薬の費用を稼ぐ』という用事は、貴族としての授業を休んでよい理由にはならないのである。
学校をフケてダチとつるみ、オーク鬼どもからのカツアゲ(Hack and Slash)に精を出している不良娘ルイズは反省して、「申し訳在りません」と頭を下げる。
ときどき顧問としてコルベールに付いてきてもらって、『火』の特別授業としての体裁も取っているのだが、実質はただの怪物退治と宝探しだ。

「……まあ解ればよい、子供は風の子自由の子である……で、ミス・タバサは来て居ないのか」

ギトーの一言で、ルイズは顔をひきつらせた。青い髪の友人は、そばに居ない。
一緒に風呂に入った日の翌日から、とある理由でルイズとタバサは喧嘩中であり、宝探しのときでさえ、ここしばらく会話をしていない。

「た、タバサは居ませんが……何のご用でしょう、承っておきましょうか」
「以前私の書いた本は、思いのほか彼女に役立ったようだ……なので、もうそろそろ新しい本を書こうと思ってな」

彼いわくの『優秀な生徒たち』に触発されたらしく、彼自身アクティヴな気持ちになっているようであった。

「そのために少々フィールドワークが必要だ、助手を探している」

雪風のタバサは、疾風のギトーがいちばん目をつけて可愛がっている生徒である。
タバサは、ギトーが『昨年度の新入生は不作だ』と思っていたところに隠れていた逸材、それも風のトライアングルメイジだ。
使い魔として立派な風竜シルフィードまで召喚してしまい、ギトーのタバサへの評価はもう成層圏を突き抜けんばかりだそうな。
本日のタバサは予備の眼鏡を買いに行くとかで、キュルケとともに街へ出て行っている。

「あの……ミスタ、失礼ですがそこは先に男子生徒を当たるべきでは?」
「風のメイジの男子どもはみな、体調が悪いと断ってきたのだ……なんと軟弱な、トリステイン貴族が情けない」

ギトーは嘆かわしい、実に嘆かわしい、と拳を握り締め、震えている。
たぶん男子生徒たちは体調が悪いのではなく、こんなギトーについてゆくのが面倒なだけなのだろう、とルイズは思うが口に出さない。

(でも、いつもお世話になっているギトー先生の頼みなのよね……それまでにタバサと仲直り、出来るのかしら?)

開始は一週間後、期間は3日ほど。トリステインで浮遊大陸アルビオンに近い土地の、風の流れを調べるのだという。
ちょうど霊薬の材料の仕込みが終わり、時間を置いて熟成させなければいけない段階だ、そのくらいの暇なら出来ないこともない。
なによりギトーは、授業を休みがちになっているルイズにも、手伝いをしてくれるのなら実技を補って単位を取れるだけの点をくれるという。

(聞いた事のある名前の村だわ、確か『火竜の皮衣』とかいうマジックアイテムがあるって、キュルケの持ってきた『宝の地図』に書いてあったわね……)

ちょうどギトーの挙げた行き先候補地のひとつが、幽霊屋敷の愉快な宝探しパーティの行き先候補のひとつと、かぶっているようでもあった。
『火竜の皮衣』とは、身につけた者が火竜のブレスのごとき炎の力を得る……という噂の宝らしい。それの真偽もとても気になるルイズである。
なので行き先をそこに決めたうえで、快く了承することにした。


そしてギトーについていった先の村で、思わぬ出来事に遭遇することとなるのであるが、それはもう少し先の話だ。



…………

ルイズとタバサが喧嘩したのにも、少し複雑な理由がある。
「解毒ポーションの味を改善して欲しい」と、以前申し訳なさそうに、タバサが願い出てきたのだ。
そもそも当初よりルイズは、必ずしも『黄金の霊薬』だけがオルレアン夫人を救う手なのではない、と思っていた。

ラズマの徒は、霊薬のみならず、強力なポーションを製作する技術に長けている。
<サンクチュアリ>の薬学研究者やヒーラーたちも、ネクロマンサーの技術にたいし大いに興味をそそられ、また実際に目にしては驚嘆するのだという。
ラズマの徒はあらゆる『毒』を扱うことにかけてのエキスパートであり、したがってルイズも解毒薬精製の腕に関しては自信を持っていた。

魔法の毒、魔物の毒、虫の毒、キノコや植物の毒、鉱物の毒、カエルの毒、ヘビの毒、魚やイモガイの毒―――
サンクチュアリの薬学では、多種多様なそれらを何でもひとからげに『人の身体を害する毒』という概念で扱ってしまうものだ。
なので、これは心を壊す毒にも効くはずだ、とルイズは特製の『解毒ポーション(Antidote Potion)』を処方した。
いずれにせよ霊薬が出来るまでの夫人にとって、対症療法が必要なことも確かだからである。

ルイズの自信のとおり、解毒ポーションはある程度の効果を見せ、一定の時間、患者の心に多少の落ち着きを与えることに成功した。
飲ませたあとのしばらくの間、タバサの母は本を読めたり、少しだけだが他人と会話が成立したり、普段より安らかに生活することが出来る。

未だタバサのことを娘だと認識するには至らなかったが、それでも数年ぶりに母と会話をしたタバサは、涙を流すほどに喜んだものである。
毎日続けてゆくことで身体に耐性がつき、効果の時間も少しずつ延びていくようにも思われた。

だが、『良薬口に苦し』の例にもれず、味は壊滅的だった。
鉄の塊と称された女傑アニエスを泣かせた、あの舌の痺れる薬である。

<始祖のルーン>をフル活用して劇的な改善を見せた結果が『ミミズ汁よりひどい味』だというのが、どうにも救われない。
身体に吸収させるための特殊な溶液を使っている関係上、錠剤にするという選択肢も閉ざされている。

オルレアン公邸に勤める老僕ペルスランからの便りによると、薬を飲ませる途中、夫人は、調子の悪いときにはひどく暴れてしまうのだという。
薬の効果が切れるたびに、彼女は効果があったうちの心の安らぎを忘れてしまう。
夫人の立場からしてみれば、『信頼しているペルスランから、味のひどい、わけのわからない薬を無理矢理飲ませられる恐怖』が襲ってくるのだ。
むろん、母親を愛する娘タバサもまた、それが心苦しくてならない。

どうすればいいのだろう。むしろ徹頭徹尾壊れ続けていたほうが、かあさまにとっては幸いなのではないか。
余計な苦しみを負わせるくらいなら、いっそ解毒ポーションの使用は取り止めに……

などと言われてしまっては、ルイズはいたく自信を傷つけられ、ことさらに頑張って対策を見つけようとするほかなかった。
そうして得たいくつかの解決策を採用するか否かをめぐって、タバサとルイズは喧嘩をしたのである。


……

ルイズはタバサのことを思い出し、寂しく思い、不安にかられていた。
ふたたび、『自分にとって何がいちばん大切なのか』という心の軸が、ゆすぶられつつもあった。
というのも、どんなに泣いても笑っても自分の姉とタバサの母親、二人の人間を同時に霊薬で治療することはできないからだ。
だいいち、資金が圧倒的に足りない。
司教の遺体のことも、騎士のことも、なにひとつ役目を果たせていない現状である、はやる気持ちばかりが生まれてくる。

(自分でも解るわ、また余裕がなくなってきてるのよ……)

だから、せめて解毒薬の味の改善に成功しないと、仲直りしてもらえる資格がないと考えていたのである。
あのアニエスを泣かせた強烈な味である、ミョズニトニルンも涙目だ、相当な大仕事になるだろうと思われた。
しかし、現在の『幽霊屋敷』には、二人の救世主が―――!!

「ミスタ・ギトー!!」
「何かね、ミス・リュリュ」
「あ、あ、あなたの『風味』というアイデアは、すすす素晴らしいものです、風、マジすごい!!」

リュリュが硬直から復活し、部屋に飛び込んできたのである。
この頼もしい二人が、ルイズのクエストに大きなヒントを与えてくれる―――







//// 21-4:【THE薬のおはなし】

白い髪の少女ルイズと、青い髪の少女タバサは、たまに喧嘩をしている。
タバサは同年代の少女よりはずっと忍耐強いほうである。
それでもひどく怒らせてしまうルイズは、最近とみに他人の心の地雷を踏んでしまうのが上手になってきているようだ。
ルイズが『正しいのは自分』と意地を張ったときには、たいてい仲はこじれてしまう。

「良く考えたら、最近はあたしとヴァリエールが喧嘩するよりも、あなたがしてることのほうが多いのよね」

タバサの部屋のベッドの上を占領し、新品のジグソーパズルを弄りながら、寝転がったままのキュルケが少し感慨深げに問う。

「結局、今回は何が原因なのよ?」

街で買ってきたばかりの本を読みながら、喧嘩した当日のことをタバサは思い出す。

―――……

……

「あなたのお母さまを楽にする方法が見つかったのよ」

とルイズがタバサの部屋を訪問してきて、最初は喜んだものである。
もしかして、以前頼んでいた『解毒ポーション』の味の改良に成功したのかと思ったのだ。

ルイズの作った黒い『解毒ポーション』では、母の心を蝕む『心を壊す毒』を根治させることはできない。
だが、そこそこの精神的安定を与えることには成功していた。
だから霊薬が完成するまで、それで対症療法を行うことになっていたのだが、味が壊滅的にひどいという重大な問題を抱えていた。
それが改善されたなら、タバサは母親の苦しみを減らしてあげることができるのだ。

「見てちょうだいタバサ、秘密兵器を手にいれたの! これさえあればもう大丈夫!」

ところが友人の白髪の少女が嬉しそうに取り出してきたのは、一本の波打つ刃、禍々しい拵えの短剣だった。
いつしかデルフリンガーを購入したのと同じ店で手にいれた、『翡翠のタンドゥ(The Jade Tan Do)』という名の短剣らしい。

「この短剣に込められた<毒の力>を発動させて、身体のどこかに『ぷすっ』とつき刺したら……人ひとり四秒で死ねるの! ウフフフフ」
「!!―――」

ルイズは嬉々として説明という名の自慢話をはじめる。
『翡翠』は死体の新鮮さを保つという効果をもつ石であり、太古より死と復活の象徴とされ、副葬品としてもよく用いられるものだ。
つまり、ネクロマンサーに好まれがちな石なのであった。

- - -
翡翠のタンドゥ(The Jade Tan Do)
ユニークアイテム:クリスナイフ
片手ダメージ:2-11
装備必要レベル:19 必要DEX:45 耐久値:24
+150 命中値
四秒間に180の毒ダメージ
+95% 毒耐性
+20% 毒耐性の限界値アップ
凍結無効
- - -

『毒』とはラズマの僧にとって、『聖なる力』でもある。
ラズマ僧が短剣に毒を塗る技術『ポイズン・ダガー(Poison Dagger)』は、短剣に天の祝福を与えることと同義である。

不思議なことに、毒を短剣に塗布するだけで、命中率までもが上がったりもする。
それは運命論者たるラズマ教徒ならではの技術である。
俗に言う『誤ってトーストを落としたとき、バターを塗った面から着地する法則』と同じようなものらしい。
つまりただの短剣よりも、猛毒の塗られた短剣のほうが敵の急所に当たってしまう確率が高くなる―――と信じられており、事実そうなっているのだから恐ろしい。

キュルケの持っていた『ヒスイのフィギュア』には欠片の興味すら示さなかったルイズも、この『猛毒的な意味で正しく加工をされたヒスイ』の短剣は心底気に入ったようである。
抜き身のこれを振り振りしながら王宮に入ろうとして、衛兵(Guard!)に「ここは通さぬ(You may not pass)」と拘束されたという、心あたたまるエピソードもあったそうな。

「という訳なのよ、どう?」

タバサは喉をごくりと鳴らす。顔色は、たちまち真っ青になっていった。
「母さまの心は助からない、だからルイズは命を奪う選択をした」と勘違いし、静かに絶望していたのである。
もちろん、ルイズの自慢げな説明が本筋より脱線しまくって、あらぬ方向へ行ってしまったせいだ。

「殺すの? ……母さまを」
「違うわよ! これはね……」

ルイズが慌てて補足説明するに―――
この短剣には、手にした人間の『あらゆる毒』への抵抗力を、通常の人間がもつ限界を超えて大きく引き上げる特殊効果があるのだという。
これを装備させるだけで、あの味のひどい『解毒ポーション』を飲ませなくてもよくなるというのだ。
『解毒ポーション』を85%程度の効き目とすれば、これは95%もの効果があるという。
自信満々に語るルイズを、タバサは疲れたように肩と眉を落として見ていた。

「使えない」
「はあ……どうして?」

即座に却下するほか選択肢はなかった。
心の壊れた人間に、猛毒の短剣などを持たせたらどうなるのだろう、少し考えれば解りそうなものだ。

母親は他人に会うとヒステリーのような発作を起こす。
いつも抱きしめている人形を娘だと思い込み、悪人から守ろうとしている。
だから、暴れる。毒の短剣で自分の手でも傷つけてしまえば、母さまはコロリと死んでしまうかもしれない。
万が一、誤って他人を……たとえば老僕ペルスランを殺してしまうかもしれない。
この不思議そうに口をぽかんと開けて自分を見ている白髪の友人は、それが解らないとでもいうのだろうか。

「頑丈な鞘にいれて渡せばいいだけよ!」
「駄目、万が一のこともある……何があっても、母さまに刃物は持たせられない」
「ほら、金属の板で何重にもくるんで、ぜったいに抜けない鞘を作るから!」
「それでも駄目、危険」

ああだこうだと言い合った結果―――

「私のワザと始祖の<ルーン>を信じてくれないの?」
「信じていないことはない、それでもリスクが高すぎる」

大きな自信のあった案を何度も冷たく却下され、とうとうルイズは凹みに凹んでしまう。

「わかった、わかったわ……もうひとつ案があるんだけど、そっちで行くしかないわね」
「何?」
「濃縮したお薬をね、おしりから注入するのよ。ちょっとおなかがゆるくなるかも知れないけど、効くと思う」

タバサは怒った。

「誰が入れるの」
「えっ……」
「わたしは近づけない……母さまに近づける人は、ペルスランただ一人……彼は男性」

心を病んでも貴族であり女である母さまに、これ以上の屈辱を与えるわけにはいかない……と、タバサは譲らなかった。
ハルケギニアに坐薬の概念はないわけではないが、水魔法を病気治療の柱としている貴族にとっては、馴染み深いものではない。
毎日ひどくまずい薬を飲まされるのと、毎日お尻を狙われるのでは、まだ前者のほうがマシというものである。

「もし私のちい姉さまにそういう治療が必要だったら、私は迷わずブチ込むわよっ!」
「わたしの母さまは、あなたの姉ではない……それに、病気の種類が異なるから、比べても無意味」

このような問題は患者当人が了承するべき問題であり、ルイズは専門の医者ではないので、客観的な判断を下すノウハウも権利も無い。
そして、頼んだほうのタバサと、頼まれたほうのルイズでは、決定的な立場の相違がある。

「なによ何よっ! タバサってば、本気で良くしようというつもりがないんだわ!」
「……それはない……経口が望ましいと言っているだけ」

一足飛びにでも早々に結果を出してしまいたいルイズと、母の気持ちを考えてなるべく手段を選びたいタバサである。
結果、またもや話は平行線をたどらざるを得ない。
タバサの頑なさに、とうとうルイズは怒りだして、部屋を出て行ってしまう。

「も、もういいわよッ! 私が解毒薬の味を改善できないのが悪いって言うんでしょ! やってやるわよ!」
「誰も悪いとは言っていない……わたしも、もういい。解毒ポーションは使わない。味の件についても、頼みを取り下げる」

かくして、しばし顔をあわせても会話をしない状態が続くことになった。

―――……

……

回想を終え、ぽつぽつとキュルケへと語る。
キュルケはあごの下に指をあてて、しばし考えていたが、やがてはあっとため息をついて、感想をのべた。

「難しいわね……あなたの気持ちも解るけど、だからって、あの子の逸(はや)る気持ちも理解できないわけじゃないのよね」

タバサの目が、少し見開かれる。

「……どういうこと?」
「知りたい?」

タバサは頷き、キュルケは手にしたパズルの欠片をくるくるともてあそびながら、続ける。

「ケンカの初日あたりかしら? あの子がひどく落ちこんでたから、……揺さぶってみたら出てきたのよ、やり場のない弱音がたっぷり」

救うべき人が沢山居る中で先の見えぬ霊薬精製を続けていることで、そのときのルイズは、また精神的に参りつつあったようにも見えたという。

『ひょっとすると、私の姉さまの症状よりも、タバサのお母さまの症状のほうが優先されるべきなんじゃないか、って……』

事実、二人の女性の置かれた状況を比べてみれば、まだカトレアのほうが恵まれていると言えなくも無いのである。
というのも、カトレアの場合は紫色の『上級ポーション』がある。
ならびに、その後に送られた『体力自動回復促進(Replenish Life)』の効果をもつマジック指輪によって、以前と比べて僅かながら状況が改善されたとも言える。
効果を確かめたとき、あのきつい性格のエレオノールが、ルイズを抱きしめてほお擦りして喜んだという話だ。

『だけどタバサのお母さまは、四六時中ひどい苦しみの中にいるのよ?』

でもお薬はひとつしか出来ないし、ちい姉さまよりもタバサのお母さまを優先するわけにはいかないし……

「なあんてうじうじ無いものねだりなこと言ってたから、……あたしの方から聞き出しておいてなんだけど、ちょっと腹が立ったから、言ってやったの」

ヴァリエール、そんなのあなたのお姉さまに直接「あなたの分を他人のために使って良いか」って尋ねてみたらいいだけなのよ。
あなたの大好きな優しいお姉さまなら、きっと許してくれるんじゃないの?

いやよ!
―――と、何故かルイズは怒りだしたという。

私を含めて、ちい姉さまのお身体を心配する人だって、沢山いるんだから。
タバサのお母さまについても同じといえば同じだけれど……
トリステインの貴族でありヴァリエール家の娘である私が優先しなければいけないのは、お姉さまのお身体なの!

―――と言われ、キュルケは確かに筋が通っているとは思ったが、漠然と「それだけではないわよね」と思ったのだという。

「だからずばり、何でそんなに追い詰められてるの? って聞いてみたのよ、そしたらね……」

長姉エレオノールが、一度実家に帰って家族に顔を見せなさい、と何度もルイズに言ってきている。
だが、何度姉に叱られてもルイズはそれを断り、ひたすらに無視し続けている。
その真の理由とは―――


『もし実家に帰ったとき、カトレア姉さまのお顔に確定した死相が見えてしまったら、怖い』


そうなれば、ルイズは愛する姉の命を救うことを諦め、救おうとする努力を放棄しなければならない。
一般人には想像もできぬ、死人の占い師として生きる上での、いちがいに杞憂とも言い切れない懸念である。

何かしらの高い才能をもち、かつ不治の病にかかった人間には、通常よりもずっと死相が出てしまいやすいものなのだという。
かように『生まれたときから若くして死ぬことを運命付けられた人物』というものが、世の中には僅かながらも居るそうな。

あるかどうかもわからぬ、まだ見ぬその可能性を想像してみるだけで、ルイズは胸が張り裂けそうになるのだという。
『箱の中の猫』の寓話のように、あいまいなままにしておきたい気にも、なってしまうことだろう。

『結局私ってば、それから逃げ続けているだけなのかも……、笑いなさいよツェルプストー』とルイズは消え入りそうな声で言ったそうな。

「いけない、『タバサには絶対に言わないで』って言われてたけど、忘れてたわ……今のナシってことにしといてね、タバサ」

もし言ったと知られたら、赤い髪の少女は、お腹のなかでペットの毒虫を飼うことになるかもしれないそうな。
キュルケは「信じてるわよタバサ」とわざとらしくウインクひとつして、二、三度、形の良い大きなお尻を振る。
そして、鼻歌を歌いつつジグソーパズルの製作に戻った。余裕ぶってはいるが、微妙にその手が震えていた。
どうやら、言ってしまったことを後悔しているらしい。

(……キュルケは遠慮なく大笑いしたのだろうか、それとも……)

タバサはその場面を想像してみる。すると、笑ってハッパをかける様子が思い浮かんだ。
翌日のルイズには、少なくとも落ち込んでいる様子は見られなかったからだ。

(わたしは謝らなくてはいけない……ルイズはわたしの母さまのことを、とても真剣に捉えてくれているのに)

心苦しさが増してゆく。
ルイズにそれほどまでに大きな心労を負わせることは、タバサの望むところではなかったからだ。
でも、胸の中の落としどころのないわだかまりも、まだまだ残っている。

(何度も、わたしのほうは焦らなくてもいいと言っているのに……どうして彼女は)

血のゴーレム事件の時と同じように焦って、その結果、失敗やアクシデントでルイズ自身の身や母の身を犠牲にされてはかなわないのだ。


やがて―――

ノックの音。
ドアの向こうに、ルイズ・フランソワーズがやってきた。

「タバサ!」

タバサがドアを少しだけ開けると、どこか興奮した様子の喧嘩相手が、喜びの表情を浮かべて立っていた。
ルイズはぎゅっと握った拳をつきあげて―――

「ミスタ・ギトーが言ってたの! 『静かなること風の如し』よ!」
「……??」

いつものように意味が解らなかったので、とりあえず読書の邪魔をされたくなかったタバサは、静かにドアを閉めた―――ばたん。
そのような標語など聞いたことも無かった。大昔のチェザーレ大王時代の軍師の名言『疾(はや)きこと風の如し』の間違いなのだろうか。
たぶんギトーがその場のノリで言っただけだろう。

『疾きこと風の如く、静かなること風の如く、侵掠すること風の如く、動かざること風の如し』
『風林火山』ならぬ『風風風風』になってしまうではないか。

どんどんどん―――と、ドアが叩かれる。

喧嘩中のはずの友人は、扉の向こうでとてもとても嬉しそうに、「タバサ、タバサ!」と叫んでいた。
集中力を乱されたキュルケが髪をかきあげつつ、視線で「いいの?」と問うていた。
タバサは眉をひそめ、読書に戻った。
相変わらず、ルイズは興奮すると周囲のいろいろなことが見えなくなってしまうようだ。喧嘩していることすら、忘れているのではなかろうか。
<サイレント>をかけようと杖を取り出し……

「開けてくんないの? ……ウフフフ、盛大にドカーンと行くわよ!」

思いとどまる。どうやら、聞き捨てならない話題のようだった。

「あのねあのねっ―――風の味、すなわち『風味』は自由自在! だからお薬も、風魔法の<サイレント>と同じ要領でやればいいのよ!」

再びドアを開けると、ルイズはがしっ、と素早くドアの隙間に靴を突っ込んで閉じられなくしてから、そう言った。

「はちみつ飴玉とかと同じようにあの薬もね、ぎゅうっと限界まで濃縮してから、味のしない皮で包みこんでしまえば良かったんだわ!」

なんとまあ―――
白髪の友人は宣言どおり、解毒ポーションの味の問題を解決する方法を発見してしまったらしい。
ギトーのアイデアをもとに、リュリュに大豆を『錬金』してもらって、試作品がいくつか出来たのだという。
ハルケギニア版『カプセル剤』である。

あれほど苦心惨憺したあげく、なんとあっけない解決であることか。どうして今までそこに気づかなかったのだろうか、と思えるほどだった。
タバサは脱力し、大きくため息をついた。
わたしも現金なものだ、とも思うが、もはやここで意地を張り続ける理由はなくなってしまっていた。
やがてタバサは素直に、ルイズへと謝罪と感謝の言葉を口にする。ルイズはタバサの手を取って、笑顔でそれを迎え入れ……

「あれ? ……タバサ、今かけてるのって、新しい眼鏡なの?」
「そう……変?」
「ううん、そんなことない! 似合ってるわ! その、と、とっても可愛いと思うわよ!」

あたかもここ数日の空白を取り返すかのように、いっそう和気藹々と、仲良しこよしの様相を呈しはじめるのであった。




(あーあ、あたしってば……これ以上この子たちを仲良くさせて、一体どうするつもりなのかしら……)

一方、パズルのピースをぱちりとはめ込みながら、キュルケは頬杖をついて、ひたすらに心の中でやきもきとしていたという。

(あれ、ちょっと待って? 結局ルイズの方から強引に仲直りするんだったら、これってあたし……なんか、バラしただけ損……じゃない、わよね?)

たちまち背筋に滝のような汗が噴き出す。
ああ、いったいどうなってしまうのか―――!!






//// 21-5:【しかしシエスタに逃げ場は無かった】

「休みを……とうとう休みをもらえることになりました!」

黒髪のメイドのシエスタは、思わず見ほれるような明るい笑顔で、貴族の友人モンモランシーに向かってそう言った。

「へえ、良かったじゃない……どうして急に?」
「ほら、今度王女殿下がご結婚なさるので、私たち使用人も交代で、まとまった休みを貰えることになったんです」

ある日のことだ、モンモランシーの部屋で、二人はいつものようにまったりとお茶を飲んでいる。
シエスタの話によると『幽霊屋敷担当』は替えが効かないので、なかなか休みの目処がたっていなかったのだという。
今回ようやくお休みを貰えることになり、これを機に、実家のあるタルブ村へと久々に帰省するそうだ。

「ところで、ルイズの世話はどうするの?」
「王女殿下と学院長がじきじきにミス・ヴァリエールの生活態度を注意してくださったので、私が休みの間はご自分で、出来ることはなさるそうです」
「その……ねえ? えっと、大丈夫かしら?」

モンモランシーは、けっこう心配になってきた。
春先までのルイズは、自分の部屋の片付けや掃除なども自分で行っていたようだが……

今のルイズは物品収集が趣味のようで、どこからともなくたくさんの物をあつめてくる。
そして普段から薬やら干し首やら、何やら怪しすぎるアイテムを作ることにひどく忙しいらしく、片付けやら掃除はあとまわし。
生活面はシエスタにかなり、依存しているのだ。
食事を運んでくるシエスタが居なくなれば、食事も忘れてキューブいじりやらなにやらに没頭し、来ない親鳥を待つヒナのように衰弱しかねない。
いつか『幽霊屋敷』地下ダンジョンの奥深くで、片付けきれなかったモノに埋もれた少女の白骨死体が発掘されないことを、祈るしかない。

(いえ、樽を蹴り壊したら、中から出てくるのかしら……白く乾いた長い髪の、細く小さなスケルトンがケタケタと……)

そんな光景を想像し、すこし震えるモンモランシー。
一方シエスタは、あの恐ろしいルイズ・フランソワーズから離れることのできる休暇を、心底喜んでいるようであった。

「きっと私が居なくなっても大丈夫です……ミス・ヴァリエールは誇り高きトリステインの鬼族さまですから」

シエスタは、ぎゅっと拳をにぎりしめて、そう言った。ぼそっと、いっぺんに十二回殺さないと死なないでしょうし、と続ける。
とたんモンモランシーは、あら奇族じゃないのね、と思うのと同時に、何かひどく嫌な予感がしたものである。

「はっ……!!」

とたん、シエスタの目か光が失われ、みるみる死んだような目になってゆく。
気づいてしまったのだ、その可能性に……

「ど、どうしましょうミス……ああっ、どうしましょう」
「ちょっと、シエスタ……」
「もし、わ、わ、私が居なくなっても、大丈夫になってしまったら……」

シエスタは生気のない目をぐるぐるとさせ、モンモランシーへとひっしとすがりついた。
モンモランシーは、飲んでいた紅茶のカップが揺れたので、慌てておっとっと、と持ち直す。

「かか価値のなくなった私は、どうなるんでしょう、きっと地下牢に監禁されてあんなことや、こんなことを……!」

いえ、それでも命があるだけマシなんでしょうか、おにがみ様への生け贄にされたり、おなかを裂かれて直接(ピー:判別不能)とか……
そんなシエスタの話を聞いているのは、いちど実際にルイズにまっぷたつにされかかった経験のあるモンモランシーである。
「お茶が美味しくなくなるからやめて」としごく冷静に、穏やかにシエスタをなだめる。

「シエスタの手伝いが必要なくなったら、ただあなたが『幽霊屋敷担当』からはずれるだけじゃないの?」
「あっ……」

とたんシエスタは、恥ずかしそうに頬を染め、そそくさと席に戻った。
そういえばそうですね、と言って、そうであって欲しいです、と始祖に祈り始める彼女であった。

「でも私……『いつもありがとう、これからもわたしのおともだちをよろしくね』と、アンリエッタ王女殿下じきじきに言われてしまっていたんでした……!」
「あなた、大変なのね」

モンモランシーは、もはやシエスタにこの国中のどこにも逃げ場がないことを悟り、大きくため息をついた。

「ねえシエスタ、ルイズだってあんなのでも一応人間なんだから……死ぬときは死ぬし、苦手なものや怖いものだってあるのよ」

と、優しく説得しつつ、モンモランシーはルイズとそういう話をしたときのことを思い出す。
あの白髪の少女も、周囲から全く人間扱いされていないことを、多少は気に病むようになったらしい。

『いくら私だって、頭をブレスト・ハンマー(Blessed Hammer)で殴り続けられたら死ぬわよ!』

と、ほっぺをぷんすか膨らませながら言っていたものだ。

『私のスケルトン軍団も、聖域のオーラ(Sanctuary Aura)を張られたら手も足も出ないし、贖罪のオーラ(Redemption Aura)で死体を消されたら、もう目も当てられないわ!』

と、ガクガクブルブル震えながら語っていたルイズ。モンモランシーにとっては、ほとんど飲み込めない内容の話であったが……
それでも、ルイズにとっては『ザカラムの聖騎士(Zakarum Paladin Order)』とやらが大の苦手らしいことは理解できた。

『その聖騎士って、こっちの世界に居るの?』
『わ、わかんない……ただ、居たらヤダなぁって』
『何よそれ……そういえば、あなた幽霊も火竜も怖くないんだもんね。じゃあこの世界に居る存在で、あなたの怖いものって何なのよ?』

昔は少女らしく、カエルが苦手だったルイズである。
それでも最近は彼女自身毒ガエルを飼っているし、モンモランシーの使い魔『ロビン』とも仲良くやっているようだ。
ルイズはしばらくもじもじとしていたが、小さな声で答えてくれた。

『……牛』
『え? あなた牛が怖いの?』
『っく、わ、悪い? わわっ、わかんないけどなんか怖いのよ牛が! ちょっとでも油断したら即殺られる気がするの!』

その怯える仕草は、モンモランシーの母性本能を刺激して止まなかったらしい。
とまあ、ルイズにも怖いものやトラウマの三つや四つは存在するという話である。

「では、普段から牛を連れて歩けば……もうミス・ヴァリエールを怖がる必要はなくなるんですね!」
「止してシエスタ! そんなことしたら、あなたどうなるか……」

ああ、いったいどうなってしまうのだろう―――!!
シエスタは、モンモランシーと二人で鬱々とした午後のティータイムを過ごすのであった。

(そういえば、ルイズってただおなかを裂くどころじゃなかったのよね……すごい勢いで破裂させるのよね、パーンって……)

嫌な想像がますます嫌な想像を呼び、モンモランシーは気分転換をしようと窓の外を眺めていた。

「シエスタ、私もあなたの故郷に行ってみたいわ」
「是非遊びにきて欲しいですミス・モンモランシ、私の家族も、きっと喜びますから!」
「ギーシュも連れて行っていいかしら?」
「もちろんです! ……でも、授業はどうなされるのですか」

そんなシエスタの問いにモンモランシーは、ちっちっとひとさし指を振る。

「それがね、タルブまで日帰りでゆける方法があるのよ……いえ、休日を計算に入れてゆっくりと二泊くらいしても大丈夫ね」

タルブまではけっこう遠いのだが―――実は、授業を休まずに行ける裏ワザがあるのだ。
ルイズに貰ったアイテム<タウン・ポータル>の巻き物のおかげで、モンモランシーは行きも帰りも一瞬である。
パーティを組む(招待、受諾の言葉、あるいは同行の意思を確認しておく)ことで、あのポータルを8人を上限に共同で使用できるようになる。
タルブの村でシエスタにゲートを開いてもらえば、モンモランシーは『幽霊屋敷』からタルブへとワープできるのだ。

「あっ、アルビオンのときの便利なあれですね!」
「そう、本当に便利なアイテムよ……だから世間にばれないように秘密にしておかなきゃいけないみたいだけれど」

希望があると解り、二人はたちまち明るい表情になってゆく。
もう嫌な想像などは、カケラも浮かんでこなかった。

「私の故郷のおいしいワインとブドウ畑と、あの綺麗な草原を……ずっとミス・モンモランシに楽しんでもらいたかったんです!」
「あはっ、私も楽しみにしてるわよ、シエスタ」

二人はシエスタの休憩時間が終わるまで、タルブの村について、嬉々として語り合うのであった。
しかしたとえタルブまで行ったとしても二人に逃げ場はないのだということは、この時の誰もが知る由もないことである。


無情にも炎上する生家を見て二人が『らめぇええ!!』と叫ぶまでのカウントダウンが、いま静かに始まっているということも―――

//// 【次回、タルブ編:侵略者ルイズ……の巻】


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