//// 20-1:【真夜中に背中のほうからだんだんと騎士になっていく恐怖と比べたら……ど、どうってことないんだからね!】
剣士アニエスは、王女じきじきに開いてもらったポータルで、いったん王宮へと帰還していった。
巨大な肉切り包丁は、「もう勘弁してくれ」と置いていった。
あの最中ずっとでっかい包丁を背負っていたのに、リュリュに一度たりとも「包丁でけえ!」と突っ込んで貰えていなかったことが、かなり堪えたらしい。
きっといままでの常識というものが、ぐらぐらと崩れそうになっているにちがいない。
「よく『類はともを』なんとやらと言います、……ひょっとすると私も、その『とも』なのではないかと思うと、恐ろしくて……」
アンリエッタ王女は、今回の一件の出来事をすべて正直に報告するアニエスを見て、彼女のことを心底気に入ったらしい。
「うくくくっ、あ、あなたって……ほ、本当に愉快な方ですのね」
「で、殿下、お言葉ながら言わせていただきますが、私は断じてヘンタイなどではありません!」
竜退治、魔道師退治をしたとはいえ、他国に無断入国したうえでの話―――
今回は秘密任務なので功績の大きさにたいし爵位も与えられないが、友達を助けてくれたお礼です、とお給金をかなりアップしてくれたのだという。
今後ますます彼女の忠実な剣士は、国のため王女のため騎士(シュヴァリエ)とならんがために、困難かつ死体一歩手前の任務へと果敢に励むことであろう。
……
ガリアの騎士(シュヴァリエ)、雪風のタバサは、上司の食べたがっていた『極楽鳥のタマゴ』をプチ・トロワへと運んだのだという。
季節外れの『極楽鳥のタマゴ』は、タバサやシルフィードが自分たちで食べてみた結果、採取に苦労した割にちっとも美味しくなかったのだそうな。
シルフィードは、「ざまあみるのねイジワル姫」と喜んでいた。
魔道師『狂人ザール』の遺体は、『幽霊屋敷』にたくさん置いてある棺おけが本来の用途で活かされ、タバサから役人へと引き渡された。
タバサはそこそこ高額の賞金を受け取り、四人で分配したあと、自分の分の金貨を「薬代の足しに」と言って、ゼロのルイズへと渡したのだという。
……
少女リュリュは現在、魔法学院に無許可滞在しており、『幽霊屋敷』でルイズたちの今回の一件で壊れた物品の修復作業を、手伝ってくれている。
「棺おけに寝るなんて、トリステインには変わった風習があるのですね」と言いつつ、本当に棺おけで寝泊りしているのだそうだ。
幼い頃より偉い役人の娘として何不自由なく育てられたことによる、多少天然の入った性格もあるだろうが……今回の一件で、彼女の順応力はかなり成長したようだ。
教師コルベールとの面識を得て、とても充実した日々を送っているようだ。
「ミスタ、ミスタ・コルベール、さっそくあなたの新しい発明を見せてください!」
「おおミス・リュリュか、待っておったぞ、さっそくこちらへ……」
彼女は、例の『安価で普通のものよりちょっとだけよく効く薬』の販売ルートを、かの『代用肉』発明時に培った商人たちの人脈で、目下どんどん開拓中なのだという。
美食を求めて火竜の群生地に飛び込むだけあって、それはそれはなんともすさまじい行動力だったそうな。
「本格的な製薬企業を作るのです! 社名はミス・ヴァリエールとミスタ・コルベール、頭文字を取って『V&C』などいかがでしょうか!」
どうやら彼女は今回何度も死にそうな目に会ったせいか、「せめて美味しいものを」といった目標にくわえ、「貧しい病人、怪我人の命を救う」という新しい目標にも目覚めたらしい。
……
そしてあのとき出かけていた微熱のキュルケは、翌々日あたりにコルベールとともに<タウン・ポータル>で帰還してきたのである。
実家のツェルプストー家の人たちとコルベールを会わせ、研究のバックアップを家の者に約束させてきたのだそうだ。
ゲルマニア国内に薬の販売を行うためのコネも得て、コルベールの『世のため人のために尽くす夢』のための研究資金は、今後ますます情熱的に大きくなってゆくことだろう。
「たぶん火のメイジのあたしが火竜を退治しに行っても、なんにもできなかったのでしょうね……」
キュルケは、またルイズとタバサの二人に自分だけ置いていかれていたことに、当初憤っていたが……
『幽霊屋敷』のそこらじゅうに巨大な火竜の残骸を見つけたとたん、冷や汗をだらだらと滝のように流したのだそうな。
でも、さあこれから一緒に宝探しだ、と気合を入れなおしているのだという。
……
シエスタは、『幽霊屋敷』に置いてあった、綺麗に磨き上げられた野生種ファイアドラゴンの頭蓋骨にむかって、ずっと微動だにせず笑顔を向けていたのである。
そう、笑顔だったのだが……やはり、目だけが完全に死んでいた。
(それでもナイトさんなら、ナイトさんなら強いから、ちょこっと修行すればきっと火竜だって……!!)
さて、シエスタにお土産よ、と容赦なくずしんと山のように渡されたホンモノの火竜の肉は、興味津々のリュリュとともにちょっとマルトーが調理に工夫をすれば、驚くほどに美味しい料理に化けたのだそうな。
ルイズ自身は、そのドラゴンを自分で狩ったとは言わず、『親切なおじさまに貰ったのよ』とにやにやしながら言っていたのだが……
『ハルケギニア中の貴族を敵に回しても、ゼロのルイズだけは敵に回すな』
という噂が学院内に流れるのも、もうすぐのことだろう。
……
一方、ゼロのメイジ、ルイズ・フランソワーズは、自分には使えない<黙示録の杖>を直そうと四苦八苦している。
瞑想や秘術のトレーニングや研究、霊薬の精製などにくわえ、またルイズの日課が増えたのだ。ずいぶんと忙しい毎日を送っているようだ。
「しくしくしく……娘っ子お、さっさと俺っちをあの箱で直してくれよう」
「ごめんねデルりん、『オート・ルーン(Ort Rune)』があればこの杖の修理やリチャージも可能だって解ったから、ついついもったいなくなっちゃって……」
デルフリンガーは、ひび割れた刀身を修復するために、またマナ・ポーションの満たされた洗濯桶で漬物になっているのだ。
ときどきギーシュの使い魔のモグラ、ヴェルダンデが発掘し、拾ってきて売ってくれる魔力の込められた小石<ルーン石>には、等級がある。
低い等級のものは、三つ合成すれば、ひとつ上の等級のものとなる。なので『低の上』の等級の石を作るには、低級の石が沢山必要になる。
武器の即時修復、および杖の魔法の使用回数リチャージが可能な『オート(Ort)』の石は、ルイズが手に入れられるもののなかでは、けっこう希少品なのであった。
「あの小石一個で平民が三年は暮らせる額を払ってるのよ、あなたを購入した金額よりもはるかに高いわ」
「お、おでれーた、そんなにするのかよ!」
だからこそルイズは、便利で貴重な石を節約しなければならないと、なるべく自力での修復を試み、自身の技術を向上させようとしているのであった。
デルフリンガーはカタカタと震え、洗濯桶の青い液体がちゃぷちゃぷと波紋をたてる。
「そう、だからあまり贅沢を言ったら毎日頑張ってるシエスタとか、貧しい人のために必死でニセお肉の『錬金』を研究してるリュリュにだって、申し訳ないじゃない」
「でもよう、だってよう……」
「それに姫さまや私の国トリステインが危機に陥ったら、きっとこの杖が役に立つと思うの……だから『オート・ルーン』は国の弾薬、無駄づかい出来ないわ」
以前の所持者であった狂人ザールは、自力で何度もその杖に、無理な魔力のリチャージを行っていたらしい。
なので杖には負荷がかかってしまい、チャージ可能な使用回数の上限がたったの3回にまで減ってしまっているようだ―――
それでも修理を終えて使用可能なメイジに渡して、<ホラドリック・キューブ>とルーン石で大事にチャージしながら細々と使えば、一個の石で三回は使用できる貴重で凶悪な兵器となるだろうことに、変わりはないのであった。
「だけど私が今こうして生きているのって、あなたのおかげなのよね。デルフリンガー、あなたはとってもステキな、私のナイトだわ」
「その口説き文句は嬉しいがよう、そう思うならもっと労わってくれっつの……杖なんかに浮気すんなよ、ヴァリエールは浮気しねぇんじゃなかったか」
そんな言葉を聞いたルイズの白い髪のひとふさが、ぴょこん、と震えた。
「あらいやだ、うふふ……そこまで言うなら、……今夜、あなたを抱っこして寝たげるわ」
「よせやい、あんたに触れられてると、ときどき暗くて気味の悪い、深いところに引きずりこまれちまうみてえなおっとろしい感じがするんだっつうの!」
相手が人間ではなく物体であるせいか、どこか遠慮のないルイズである。
いっぽう古き剣デルフリンガーも、自分が確実にこの少女の役に立っているという実感があるせいか、満更でもなさそうであった。
「ま、最近は多少も慣れて、落っこちねえコツもつかんできたけどよう……まったく今度の<虚無>はブリミル・ヴァルトリの一万二千五百倍は怖ええやな」
さて―――
デルフリンガーは、かつて伝説と呼ばれたこともある、古い古い剣である。
六千年の長き歴史のあいだ、彼は何故自分が剣のくせに意識を持たせられたのだろう、と何度も考えたことが、やはりあったらしい。
そんな疑問は、長い長い剣としての歴史のなかで記憶の忘却やら封印とともに、もう磨り減ったり掠れたりして消えていてしまっていたのだそうな。
さて、知性感性を持った人間は、通常、長く生きることができない。
あまりに長く生きすぎたとき、それはもう人では無くなるのである。天使も悪魔も、竜も剣も英霊も、人ではないので長く生きる。
デルフリンガーは、人にあまりにもよく似た知性と感性を持っていた。
そして彼は六千年の時のなかで、『過去を忘れ、封印すること』によって、自分の理性と感性とを守ってきたのであった。
だからデルフリンガーは、『俺っちは剣だ誰も守らない、俺っちを握った奴が誰かを守るのさ』と考え、それだけで納得していた。
それが動けないから仕方の無い『剣の本分』というものだ、とあきらめていたのである。
ときどき、それでは寂しいのではないかと、ずっと封印されていた何かの記憶が彼自身に問いかけるのだという。
なので、どうしてこんな人に似すぎた感性が自分に与えられる必要があったのだろうか、と考えたこともあったという。
いっぽうラズマの宇宙観において、あらゆる存在は<偉大なる円環>につらなっている。それは剣すらも例外ではない。
その自然なる秩序と混沌とのバランスというものは、あらゆるものを、あるべき場所へと運ぶのだという。ラズマの秘術は、そのためのスキルだ。
それは、剣であるには過ぎた感性をもつ剣を、ときに物体としての剣の限界を超えた存在の高みへと―――運ぶことも、あるのかもしれない。
そして、剣が動けるようになる方法が見つかってしまえば、もう今までの『剣の本分』だけで納得することはできないのである。
「デルりん、あなたは私の剣、そして私の騎士……いつも私を守ってくれてありがとう、とっても感謝してるわ」
「感謝してるなら、頼むから修理してくれよう!!」
「だぁめ、うふふふ……」
かつて始祖の使い魔『ガンダールヴ』が、象徴的な呼び名で<始祖の盾>と称されたように―――
ときに、姫を守り敵をうつ、忠実なる騎士というものは、人間であろうとなかろうと―――それこそが<剣>や<盾>と呼ばれ、称えられるものである。
俺っちは剣だ、とよく言う剣は、作られてから六千年たってようやく新しい意味での剣となりうる可能性を、見つけたのかもしれない。
―――
トリステイン魔法学院の夜。
青い髪の少女、ガリアの騎士、雪風のタバサは、おふとんにくるまってすやすやとベッドの中。
就寝中の彼女は今、夢を見ている―――
「だめ、それを食べちゃだめ」
「うふふ、大丈夫よタバサ……毒物マスターの私に毒なんて効かないの、見ていてちょうだい」
幼いころ、母の心を壊されたときの情景が、浮かんでいる。
タバサの大切な人が、タバサの身代わりに、毒入りの食事を食べさせられようとしているのだ。
危険な食べものを口に運ぶ人物は……史実では母だったのに、この夢では何故か、白い髪のルイズ・フランソワーズである。
「……う、うううっ、ごめん、私にも、無理だった……」
「ルイ、ズ……」
夢の中でも、母のときの事実のとおり、ルイズの心は悪い薬によって壊れてしまうのであった。
場面は変わって、ここは廃墟のようにぼろぼろのお城のなか。
怖い怖い幽霊や、『血まみれ肉お化け』、そして何百何千のスケルトンたちが、この城からどこかの街や村を滅ぼすために出陣してゆく。
心の壊れたルイズは絶大なる力を持った死者の軍団(The Scorge)の主、闇の王女となり、いまやハルケギニア全土に君臨しているのだった。
「タバサ、あなただけが真の私の騎士……いつまでも私を守って」
今のタバサは、悪いお化けに取り憑かれて、ルイズとおそろいの白い髪になっている。
恐怖と憎悪と破壊でハルケギニアを支配する『ゼロ死霊騎士団』の団長であり、そしてこの城のナンバー2として邪僧アコライトどもを統括し、主に仕えている。
狂ったルイズも、この城のお化けたちも、とても怖いけれど……ルイズは自分だけには優しくしてくれるのだ。
なにより彼女は母を治してくれたし、父を蘇らせてくれたし、祖国にいる憎い仇だってたちまち討ち滅ぼさせてくれた。
「ああっ面倒だわ、またキュルケたちが来たみたい」
死霊の姫(Lich Princess)、ゼロのルイズを倒さんと、この城へは沢山の勇者たちがやってくる。
それはかつてのルイズの友や恩師、知り合いだった人たちだ。城を守るゴーレムやスケルトンの軍団は、たちまち倒されてしまった。
キュルケ、ギーシュ、コルベール、ギトー、アニエス……そのほかに、ひとり見慣れぬ少年がいる。
「ヴァリエール! 今日こそあなたを……あたしの炎で焼いてあげる!」
「ほんと懲りないわねツェルプストー、……私が出るまでもないわ、タバサ、あいつらを皆殺しにしなさい」
白い髪のタバサはルイズを守るため、<思い出の杖>ではなく大きな剣を手に、無言で勇者たちの前に進み出る。
「タバサ! あなたどうしちゃったのよ、お願いだから戻ってきて!」
そんな風に叫んでいるキュルケを、タバサは氷のように冷徹な無表情で眺めている。
「ゼロのルイズめ……モンモランシーの仇!」
「ゼロのルイズ、アンリエッタ王女殿下の仇、貴様を討ち果たす!」
ギーシュが、アニエスが、杖や剣をかまえる。家族を失ったギトーも教え子と弟子を失ったコルベールも、臨戦態勢を取っている。
そして死の騎士(Death Knight)タバサは、キュルケたちに向かって、巨大な剣をかまえ、振り下ろす―――
「あなたたちを、殺す―――『エア・ブレイド・フューリー(Air Blade Fury:空手裏剣)』」
ゴオウッ―――!!
タバサの持つ剣から、廃墟の城のホールを埋め尽くさんばかりの、無数の真空の刃が放たれる。
この剣『氷の慟哭(Frostmourne)』は、ルイズにもらった強力な魔剣だ、そして三柱の魔神すら使役するルイズの力を得た今のタバサに、敵はいない。
何よりも大切なルイズ、主君を狙う敵をヒキニクにするのだ。
「よくやったわ、タバサ……ご褒美に、今日一日は手をつないでいてあげる」
白い髪のタバサは、敵をやっつけた。
タバサは氷のように冷たい主の手を握る。
「でも、まだ生き残りがいるようね」
その黒い髪の少年はデルフリンガーを握っており、タバサの魔法攻撃に耐えたようだった。
全身傷だらけになりながら―――このやろう、よくもみんなを、よくもシエスタを、と叫んでいる。
彼はたしかシエスタの騎士であった。持ち主の黒髪の少女の強い願いを受けて、人形が主人を守るために人になったのだ。
タバサが彼を殺そうと剣を向けるが、それはルイズによって止められる。
「うふふふふ……気に入ったわ、私がじきじきに相手をしてあげる」
ゼロのルイズは、怪しく笑うとタバサから手を離し、とつぜんもりもりと巨大化するのであった。
大きな城のホールの中はもう、全長50メイルはありそうな巨人となったゼロのルイズで、いっぱいだ。
タバサの位置からは、ルイズのスカートの中、でっかいパンツのおしりも見える。
―――あはっ、あはははっ、アーッハッハッハッハ!!
ルイズは城じゅうに響くような、地獄の底から聞こえてくるような大声で、笑った。
そして瞳孔の開いた目から不思議な光線を放ち、黒髪の少年とデルフリンガーを、一撃で焼き払うのであった。
敵を倒したあと、体が縮んでもとの大きさにまで戻ったルイズは、再び手をつないだタバサへと冷たく妖しく美しい微笑みをむける。
「ねえタバサ、あなたにお願いがあるの」
何だろう、と白い髪のタバサは思う。
「この薬を飲んで、死体になって……永遠に私と一緒にいてちょうだい」
差し出されたのは、キラキラと澄んだ黄金色に輝く、薬の入った小瓶だった。
これを飲んで死ねば、これ以上年を取ることも死体が腐ったり乾いたりすることもなくなり、ずっと一緒に居られるのだ。
タバサは迷うことなく頷き、それを受け取って、口元へ―――
「―――だめ、それを飲んじゃだめ!」
―――……
……
「はっ、はっ、はっ、はっ……」
自分の叫び声で、タバサはがばりと飛び起きた。
とても息が落ち着かない。体中にじっとりと、ひどい汗をかいている。タバサは混乱していた。
顔は真っ青、胸のうちで心臓がばくばくばくばく、と鳴っている。もう口から飛び出してしまいそうだ。
「はっ……はっ、……はぁっ……」
就寝時だ、ここは暗闇の部屋。タバサは自分が自室のベッドの上にいることに、しばらく気づけなかった。
今の今まで自分が眠っており、夢を見ていたことにまで、しばらく気づけなかった。
「……ゆめ」
ようやく事態を把握したようである。
タバサは夢の中の自分の行動にたいし、叫んでいたのだ。
「何て、ひどい、ゆめ……」
つくづく思い返してみるに、なんと恐るべき悪夢であったろうか。
夢にルイズが出演してタバサを怖がらせることは、これまでにもあったのだが……
今回は、輪をかけてひどい内容であった。自分までもがおかしくなって他人に手を下したのは初めてだ。体中がぶるぶると震える―――
(どうしよう、眠るのが怖い……)
しだいに夢の内容は、記憶のなかから薄れてゆく。
夢にルイズが出てきた、キュルケたちと敵対してタバサが殺した、ということだけが残り、他の内容は消えてゆく。
でも、またあの怖い夢を見るのではないか……と、タバサは心配で仕方が無い。
あんな夢をみるなんて、わたしはいったい、どうしてしまったんだろう―――とてもとても一人では居られそうにない。
(そうだ、キュルケの部屋に……)
ゼロのルイズは、タバサにとって大切な友人である。
しかし白髪の彼女は、いまだに雪風の少女にとって、この上なく恐ろしい存在でもあるようだった。
タバサは一人で眠れなくなってしまい、杖の先に煌々と魔法の明かりをともし、部屋を出て廊下を歩いていった。
//// 20-2:【なんとなく夢を】
さて、タバサは、階下のキュルケの部屋で一夜を明かす。
殺風景なタバサの部屋とは異なり、気移りしやすく飽きやすいキュルケらしく、雑多な調度品のある温かみに溢れた部屋だ。
「タバサ、あなたって最近、ルイズのことばっかりよね」
キュルケは、となりで横になって静かに目をつぶっている青い髪の少女に、心配そうに問いかけた。
「あのルイズがいろんな意味で心配なのは解るけど……あたしはあなたのことも心配だわ」
あの惚れ薬の一件以来、タバサの心の中でルイズの占める割合が以前よりはるかに大きくなっているらしいことは、キュルケにも解る。
いちどルイズが死に掛けたときも、タバサの取り乱しようはひどかったものだ。
それに、もしかすると―――
「タバサ……本当に大丈夫なのかしら? もう、ルイズと恋はできないのよ」
キュルケは思う。
恋愛に慣れていないタバサは、あの薬の効いていたときと同じ幸福感を得ようと、無意識にまたルイズを求めているのではないか。
でも、今後どんなにルイズにべったりとしても、それはたぶんもう、得られることはないだろう。
そして失ったものの大切さ―――恋愛、家族もそうだが―――というものは、ときに人を追い詰めるほどに大きく膨らむのだという。
この静かな少女タバサはキュルケと違って、熱しやすく冷めやすい性分なのではない。
「それはないと、何度も言ったはず……あなたはしつこい」
「でも……」
少し気に触ったようだが、赤い髪の友人が本気で心配してくれていることは、青い髪の彼女にも伝わったらしい。
「大丈夫……解っている、困っているのは別のこと」
タバサはすこしだけ目を開けて、ぼーっと天井を見つめていた。何を考えているのかは、キュルケにも解らない。
「ならいいんだけど、その……別のことっていうのは、あたしも聞いていい話かしら?」
先日キュルケがタバサと一緒に、王都トリスタニアの町に出かけたとき……
二人は本屋へと、寄ったのである。
そのときタバサはぼんやりと、一冊の本を眺めていた。それは―――
『恋愛の実践論―――女の子のハートを射止めるためには』
という衝撃のタイトルの本であった。たちまちキュルケは顔面蒼白になって、絶句したものだ。
(タバサ! あなたどうしちゃったのよ、お願いだから戻ってきて!)
キュルケは滂沱たる涙を流して、タバサに別の本を買い与えた。それは―――
『恋愛の方程式―――男の子に好かれるためには』
でも今になって思えば、あれが恋に恋する火種へと燃料を与えてしまったのではないか……ともキュルケは心配する。
恋を欲しているのなら、どうかタバサには自分ほどまでとは言わないが、男の子の一人や二人と恋愛でもして欲しい……と思わざるを得ない。
さてタバサはもう黙ってしまい、目をつぶっている。今の彼女に必要なのは、恋の話よりも、暖かい手だ。
「聞かれたくない話なのね、まあいいわ……話せるときに、話してね」
キュルケは、宝探しが終わったら、せめて誰かいい男の子でも紹介してあげようか、と思う。
最近友人となったあの眼鏡の誠実な男の子なら、タバサとも性格や趣味なども合うのではないか……そんなことを考えながら―――
タバサの小さな手を、そっと握り―――
「おやすみ、タバサ」
キュルケは目を閉じた。
―――
赤い髪の少女、ゲルマニアからの留学生、微熱のキュルケは、タバサと一緒におふとんにくるまってすやすやとベッドの中。
就寝中の彼女は今、夢を見ている―――
夢の中、キュルケは小さな教会にいる。
そこで雪風のタバサは、これからルイズと結婚式をあげるのだ。
ごーんごーんと鐘が鳴って、紙ふぶきが舞っている。白いハトの群れが、ばさばさと飛んでいった。
「おめでとう、タバサ」
「おめでとう」
タバサの家族―――心の病気の治った母親と、顔ははっきりしないが、優しそうな父親。
そして、執事のペルスランに使い魔のシルフィード。
友人や恩師たち……シエスタにモンモランシー、ギーシュ、ギトーにコルベール。
オールド・オスマン、アンリエッタ王女にウェールズ王子、アニエスに、リュリュも居る。
トリステイン魔法学院の生徒たちも居る。キュルケが留学前に通っていた、ゲルマニアのヴィンドボナ魔法学院の生徒たちもいる。
みんながわいわいと楽しそうに騒ぎながらも、タバサのことを祝福していた。
「雪風のタバサ、うらやましいぞ!」
風上のマリコルヌが、男泣きをしている。
「ギーシュ、次はお前たちか」
「はは、そろそろご両親に挨拶をしに行かないとね」
男子生徒たちがギーシュを冷やかしていた。
タバサが投げたブーケを受け取ったのは、モンモランシーだったのだ。
「みんな、本気なのかな」
「そうみたいね……本気みたいだわ」
そしてキュルケと眼鏡の少年レイナールだけが、少し離れたところで呆然と、その光景を見ている。
「女の子同士だよ、ありえないよ」
「たぶん、これは夢なのよレイナール」
「……うん、そうみたいだね、じゃあ僕もきみの夢の中の存在なんだろうね」
現実の常識人二人は、夢の中でもかなりの常識人であったようだ。
賢明にもキュルケは、これが夢だということに気づいたようである。
目の前で展開されているそれは、あまりに儚く、まぶしく、現実感のない光景なのだった。
「祝って」
純白のウェディングドレスを着たタバサが、キュルケたちのところへやってきた。
タバサは、キュルケさえも見たことのないほどの穏やかな笑顔で、すこし頬を染めており、とてもとても幸せそうだ。
「ねえ、同性なのよ」
「解ってる、でも父さまがガリアの、アンリエッタ王女がこの国の法律を変えてくれた……だから、結婚できる」
キュルケは思う―――自分は解っている、これは夢だ。自分は今レイナールと手を繋いでいるが、現実でこの手の先にいるのはタバサのはずだ。
目の前のタバサは、自分の想像の中のタバサなのだ。
「わたしに、祝福を」
解っている、自分の知る限り夢の中でも現実でも、世界中で誰よりもいちばん祝福が与えられなければならないのは、タバサだ。
間違いなく、彼女には幸せになって欲しいと思う。でもこれがその答えでは、ないはずだ。
とうとうキュルケは切なくて切なくて、あふれる涙を抑えきれなくなった。隣のレイナールが、そっとハンケチを渡してくれた。
「ねえ、ルイズ……」
「なによツェルプストー……今日からタバサは私のもの、あなたにも渡さないわよ」
ピンクブロンドの長い髪の毛の少女が、そこに居た。彼女も、けがれの無い白いドレス姿だった。
「私にはもう、死体もお化けも毒も、ヒトダマもガイコツも要らないの……だって、タバサが居るんだもん」
自慢げに笑う彼女は、心の底から幸せそうな、太陽のように明るい笑顔だった。
現実の彼女のよくやるにやにやとした薄気味悪い笑みではない、満ち足りた笑みだ。
そばにいてくれる人がいる限り、彼女はゼロではないのだ。
場面は変わる―――
そこは、ラグドリアン湖のほとりだ。
ルイズとタバサがいる。このときキュルケと手を繋いでいたのは、あのときと同じモンモランシーだった。
「永遠の愛を誓うわ」
「わたしも、誓う」
寄り添って手をつなぎあい幸せそうな二人の少女を、キュルケは見ている。
水の精霊―――全裸の幼女モンモランシーに愛を誓っている光景は、やはりどことなくシュールでもあった。
「あのね、レイナール」
「何だい、ミス・ツェルプストー」
「……こんなのがあたしの答えだとは、言えないわよね」
「そりゃそうだよ、たぶんこの夢はきみの願望ってわけでも無いんだろうから」
いつのまにか、となりにいたはずのモンモランシーは、レイナールの姿に変わっている。
彼はおだやかに言葉を続ける。
「きみはきっとミス・ヴァリエールにあの子を取られたって思って、悔しがってるんだろうね」
「そうなのかしら」
「こんなしょうもない夢でも、きみの心なんだよ……だから、探せば答えのかけらくらいは、あるはずさ」
レイナールが指差したところには、笑顔のルイズのとなりに、笑顔のタバサがいる。
視線を戻せば、キュルケと手を繋いでいた眼鏡の少年の姿は既に、金髪の少女モンモランシーの姿に戻っていた。
「私とも誓ったじゃない……ほら、みんな一緒に、ずっと、笑顔で、って」
モンモランシーは、そう言って底抜けに明るい笑顔で、笑った。
「キュルケ、あなたの手は、とっても暖かいのよ」
そして、つないだ手をちょっとだけ持ち上げて、キュルケへと見せるのであった。
―――……
……
……
キュルケは、夢から覚める。
(そう、あたしの杖を、振る意味……)
ぼんやりとした頭で、キュルケは考える。
ジグソーパズルの最後のピースがこつぜんとどこかへ消えていってしまったような、切ない気分であった。
でも、自分にだって、タバサにだって、ロウソクの炎のように一度きりの人生だ。迷うことも笑うことも泣くことも、沢山あるだろう。
タバサが自分の人生でどんな選択をしようと、自分は精一杯それを助けることしかできないのだろう、とも思う。
(この子のために、せめて笑顔のあふれる人生を……)
そっと、安らかそうに眠るタバサの小さな手をにぎり、ふたたび眠りの中へと落ちてゆくのであった。
あのときタバサが見ていたのは実はとなりのホラー小説で、ただ怖くなって目を逸らした先に例の本があっただけということを彼女は知らない。
赤い髪の苦労人少女の心配性と気苦労は、青い髪と白い髪の友人がいるかぎり、手を変え品を変え呪いのように張り付いて、終わらないのかもしれない。
//// 20-3:【タフになれ、おまえ】
ある日の魔法学院、学院長室には、ルイズを連れてアンリエッタ王女がやってきている。
「氷の杖を貸して欲しい、ですかな」
「ええ、偉大なるオールド・オスマン、あなたの所蔵する氷の杖が私たちには必要なのです」
お忍びの訪問だということで、歓迎の式典などは行われていない。
突然の王女来訪にオスマンは驚いたが、それでもいつものペースを崩さないのはさすがである。
「まあ仕舞っておるばかりで、使い道もないことじゃし……お貸しいたしましょうぞ」
「感謝いたします」
コルベールやらルイズやらが、学院で何かをこそこそとやっていることが、オスマンには気になっている。
有能な秘書が居なくなってから仕事が忙しいうえに、もともと面倒くさがりの自分は、とくにそれに参加するつもりはないのだが―――
覗き見が趣味な彼は彼で、好奇心旺盛なのである。
そしてなんと、一国の王女まで引っ張り出してくるとは、と驚くばかりだ。
「そして、『始祖の祈祷書』なのですが」
「うむ、確かにあずかっておりますぞい……そしてこれはヴァリエール嬢に、でいいんじゃの」
コルベールやらルイズやらがたまに忍び込んでいる、学院図書館の禁書ライブラリーの使用状況をチェックしたオスマンは、ルイズの額のルーンが『始祖の使い魔』のものなのではないかと、正しくも当たりをつけていた。
齢を重ねた彼には解る、この国もふくめ、ハルケギニアで大きな何かが動き出しているようだ。
そんなときに、伝説の『虚無』の系統が蘇るのかもしれない……
始祖の祈祷書は、きっと『虚無』に関係するものなのだろう。
「ほれ、これじゃ……おぬしは巫女ではないからの、ここで試すだけじゃぞ」
「ありがとうございます、オールド・オスマン」
うやうやしく受け取るルイズを見て、調子がいいのう、とオスマンは呆れるほかない。
「で、何かこのおいぼれめに話はしてくれんのですかな」
「では、正直にお話いたしましょう」
アンリエッタ王女は、<サモナー>のことについて、話した。
アルビオン王国を裏切り、王を殺し滅ぼした、危険な魔道士であること。
強大なる悪魔を召喚する技をもち、いずれトリステインやハルケギニアに災厄をもたらすであろうこと。
「……ルイズ、よいかしら」
「ええ、こうなったら仕方ありません」
ルイズが<ミョズニトニルン>であり、そのルーンでトリステイン秘宝<水のルビー>を調べたところ、<虚無>に関連するものだと判明したこと。
もしルイズ・フランソワーズが<虚無>のメイジであるなら、その力で強大な悪魔や、あの<サモナー>にだって対抗できるかもしれない……
「もうすでに、私の所持している『風のルビー』と『風のオルゴール』も試してみたのですが……」
しかしルイズに『虚無』のスペルは身につかなかった。
ならば、祖国であるトリステインの『始祖の祈祷書』はどうなのか……という話になったのである。
そして、この古い白紙の本がホンモノである可能性は、ほとんどない。始祖の祈祷書には、ニセモノが図書館を作れるほどに多く存在するからだ。
かくして―――
「姫さま、オールド・オスマン、これ……本物です、間違いなく六千年前に作られた、本物です」
<水のルビー>をはめて祈祷書を手にし、ルーンを発光させたルイズの一言に、二人は緊張することになる。
「読めますの?」
「どうかね、読めるかね」
「……いえ、やっぱり白紙のままです」
身を乗り出した二人に、ルイズは力なくそう答えた。
秘宝は、『虚無の呪文が必要なとき』でないと、使えないのだという。
二人は落胆した。
ルイズはショックを受けたのか、焦点の合わぬ目で、ただぼんやりとしている。みな期待は大きかったようで、空気は重たい。
アンリエッタ王女が慌てて空気を軽くしようと、話しはじめた。
「……そうでした、感謝のしるしに、オールド・オスマンにお渡ししたい宝物があるのです」
「ほほう、なんですかの」
アンリエッタがルイズを促す。それは、ニューカッスル宝物庫からルイズがせしめてきたアイテムのうちのひとつである。
我に返ったルイズが取り出して、うやうやしくオスマンへと差し出したのは、緑色の布切れ。
誰が見ても全くその価値を理解できないであろう、あまりに不恰好な、緑色に染めあげられた頭巾だった。
「これを、わしに、くださるので」
「ルイズが言うには、氷の杖よりもずっと高い価値のあるアイテムだそうです……ええと、『とれはん野郎の最終装備』の帽子、ですとか」
オスマンは笑顔をひきつらせた。
アンリエッタの表情も、ひきつっている。
(な、何じゃこりゃ、ダサイのう……)
(何度みても、ダサイですわ……)
おほんとひとつ咳払いをしてから、オスマンはルイズに問いかける。
「その、だな、ヴァリエール嬢よ、これは……頭巾、……でよいのかの?」
「いいえシャコー帽(Shako:目庇と飾りのついた高い円筒状の軍帽)ですわ、オールド・オスマン」
- - -
ハーレクイン・クレスト(Harlequin Crest)
シャコー(Shako)
防御力:135
装備必要条件:レベル62 :必要筋力50
耐久値:12
+2 全スキルレベル
+ キャラレベル1につきライフ1.5(最大148まで)
+ キャラレベル1につきマナ1.5(最大148まで)
ダメージ軽減 10%
+50% マジックアイテム入手の確率アップ
+2 筋力
+2 敏捷性
+2 体力
+2 エナジー
- - -
「……一応聞いておくがのう、この頭巾のどこが、……その、『シャコー帽』なのじゃね」
「始祖の与えたもうた私の額のルーンが、その頭巾を『シャコー帽』なのだと主張しているのです」
さて、始祖の名のもとに白いものも黒となってしまう、ままならない世の中である。ルイズもオスマンもそれで納得するほかない。
オスマンはひきつった笑顔のまま、おそるおそる、それを被ってみた。
「おおっ……お、おおおお? おおっ!」
緑色の頭巾をかぶった老人オスマンは、驚く。
なるほど、体中に力が満ち溢れるようだ。魔法の技術もあがり、生命力と精神力がレベルに比例してとても強くなるのだ。
これを被っていれば、オスマンは女性にセクハラをして魔法攻撃を受けても、そう簡単にはくたばらないにちがいない。
きっとこれからは彼の怪しいアイテムのコレクションも、もっと充実するようになるにちがいない。
「に、似合うかのう」
何と言ってよいのか、アンリエッタは心底困っていた。だが、先に返事をしたのはルイズだ。
「わあっ、素敵! とってもシャコー帽がお似合いですかっこいいです、偉大なるオールド・オスマン!!」
「……お、お似合いですわ、っく、し、シャコー帽……っ!」
ルイズにつられて、つい似合っていると言ってしまったのは、アンリエッタ王女。もう、顔は真っ赤で、笑いを必死にこらえている。
このダサすぎる頭巾がオスマンに妙に似合ってしまっているからこそ、何も言えなかったのであった。
「……そ、そうかのう、おっほっほ、これは良いものをいただけて光栄ですな、大事にしますぞい」
怪しすぎる緑色の頭巾をかぶった自分の姿を鏡に映して、オスマンはひきつった笑顔で、額にびきびきと青筋をたてて乾いた笑い声を発するほかない。
このアイテムを『とても便利だけど、自分には装備できない』と譲渡することにした元凶は、ルイズである。
もし見た目も本気で良いと思っているのなら、ルイズはいずれ装備できるようになったら、きっとオスマンから取り返すに違いない。
「ところでオールド・オスマン、偉大なるメイジであるあなたに、お願いしたいことがあるのですが……」
やがてアンリエッタは姿勢をただして、オスマンへと話をはじめた。
それは<虚無>よりもずっと現実的な、この魔法学院とトリステインの国を守るための方法の話であった。
オスマンはその話をきいて、みるみる真顔になる。
そんなオスマンに、ルイズがまた何か、うやうやしく白い布切れを差し出している。
アンリエッタは耳から蒸気を噴出せんばかりに真っ赤になって、両手で顔をおおっている。
オスマンは、ひどく慌てる。
「……ひ、ひとまず、今日のところは考えさせてくだされ……このおいぼれの骨には、すこし堪(こた)える話ですのじゃ」
長い長い間トリステインという国に尽くし、やがて一線を退き魔法学院の長という席で、おだやかに余生を過ごすつもりだったオスマン。
アンリエッタとルイズが退室したあとも、彼は長いひげをなでながら、じっと考え込むのであった。
「しかし、このわしも、トリステイン貴族のはしくれじゃからのう……」
大きくため息をつき、手の中のものを見る―――それは、この国でも類をみないほどの至高の宝、壮絶なる破壊力の純白のナニカ。
彼はそんな恐るべき贈賄の証拠物件を、真顔でそっと、机の引き出しへと仕舞いこむのであった。
(……せっかくじゃし、サイン入れて貰っておけばよかったかのう……おっと、いかんいかん)
真剣そうな表情の老人の鼻から、真っ赤な液体が一筋たらりたらりと、白く長いあごひげを伝っていった。
//// 20-4:【触れてはならぬものもある】
ルイズ、タバサ、アニエス、キュルケの四人が、ウェイ・ポイントを通じて学院へと帰ってきた。
今回、宝探しも兼ねていた火竜山脈の『魔道師ザールの隠れ家』の調査探索を、いったん打ち切ったのだ。
<ミョズニトニルン>で壁に触れたり、ディテクトで隅から隅まで調べたりもしたのである。
「結局、収穫はあんまりなかったわね」
疲れ果てたように、ルイズが言った。一同もけっこう落胆している。
あの洞窟に魔道師ザールと<サモナー>との関連を証拠だてるようなものは、何一つ見つからなかった。
サンクチュアリへの道の手がかりも、無かった。
彼がどうやってハルケギニアに来たのかも、他のウェイポイントや隠れ家がどこにあるのかも、結局解らないままだ。
いくつか解ったことは、次のとおり。
狂人ザールは、タバサがガリア国内で<サモナー>の噂を聞くようになるよりも以前から、ハルケギニアに居たようであった。
そして彼はヴィジュズレイ魔道氏族(現在の精霊魔術研究機関としての)にも属さぬ一匹狼、サンクチュアリでも相当に異端の研究者だったようである。
ルイズたちが探索の結果手に入れられたのは、何冊かの本、いくつかの巻き物だった。
魔術組成も単純で作成にあまり手間のかからない<タウン・ポータル>の巻き物とちがい、ルイズにも複製がきわめて困難なアイテムばかりだ。
ハルケギニアにどの系統にも属さない『コモン・マジック』が存在するように、サンクチュアリにもそのようなものが存在する。
それらを封じた『識別(Identify)』や『タウン・ポータル(Town Potal)』の巻き物は、どのサンクチュアリの街にだって安価で売っているアイテムだ。
他方、高度な魔術や古代魔術の封じられた巻き物や本は、専門の高位魔道師でもなければ作成できないものなのだという。
「……隠し部屋も見つけられなかったな」
「こんどはギーシュとヴェルダンデに来てもらって、手伝ってもらおうかしら」
「ちょっとルイズ、それは危険よ! ヘンなところに穴を開けたらそれこそ焼け死んじゃうわよ」
アニエスとルイズのやりとりに、キュルケが慌てて割り込んだ。
あの洞窟のなかは魔法の結界でも張ってあるのか、そこまで暑くもなかったのだが、一歩外に出れば灼熱地獄の火竜山脈である。
下手にそこらに穴を開ければ、溶岩流が噴出してきてウェルダンな蒸し焼きになってしまうにちがいない。
リュリュが閉じ込められた部屋から脱出するときも、慎重に慎重に、三日かけて通路に向けて穴を掘ったのだった。
「ほんとやっかいよね、転移魔術って……ラズマの技に不可能はないけれど、テレポートは専門外なのよ」
ルイズの言うとおり、サンクチュアリ転移魔術は下位のものだとしても、異常なほどに便利なものである。
高名な魔道氏族ザン・エス(Zan-Esu)やヴィジュズレイでも、多くの魔道師が短距離転移魔術を使う。
なので、絶対に見つけられたくない隠し部屋は、『空気の通る穴だけをつけて出入り口を作らない』、なんてこともできる。
サンクチュアリの異端魔道師たちは、きっとそうやって工夫しつつ、今日も細々と生き延びているのだろう。
「それにしても、これ、どうしようかしら……」
「なによそれ、魔法の本?」
「そんなようなものよ、とってもとおーっても危険な本なのよ」
ザールの隠れ家より持ち帰った、わずかなアイテム類の仕分けを終えたルイズの手には、一冊の古い本。
ひとつだけの本棚の、ダミーだらけのなかに巧妙に隠されていたそれは、なんと悪魔使役の技……古代ヴィジュズレイのものと題されている。
悪魔そのものを直接使役する<ホラゾン>の系統ではなく、悪魔の力を人間に取り込む<バータック>の系統の術が記されているようだ。
兄<ホラゾン>はずっと正気を保っていたようだが、やがて他人に迷惑をかけぬため、追っ手から逃げるため<秘密の聖域>を作り、ひとりそこへと隠れ去ったのだという。
弟<バータック>は完全に発狂して死亡し、死後に恐るべきモンスター『鮮血の将軍』となり、魔神どもの手先として今も地獄を彷徨うのだという。
ルイズが触れて調べたところ、このバータックの術法の本は、贋作の可能性のほうがずっと高い。
だが、本物の可能性も少しだけ、なくはない……そして、偽者の開発した術が成果を得ることも、あるのだ。
しかし、いずれにせよ禁書もよいところである。サンクチュアリでは、許可無く所持しているだけで暗殺されかねない。
(リュリュ、良かったわね……あの子ってば努力と才能と天運をフル活用して生き延びたんだわ)
こうして魔道師ザールの研究内容というものが、ほんの少しだけ明らかになった。
あの少女リュリュが暗い部屋に閉じ込められたというのは……
やはり、これらの禁術の実験のために、少女を衰弱させてじわじわと恐怖やら絶望やらを感じさせる必要が、あったようである。
人間はその生のうちで、どんなきっかけで心のタガが外れるのか、なかなか解らないものだ。
想像してみるだけで、ルイズは身震いがする。
「うん、焼いてちょうだいキュルケ」
「いいの? 貴重な本なんでしょう」
「……仕方ないわ、どうしても私の手にあまっちゃうんだもの」
「本当にいいのか? 異世界の術の情報は少しでも必要だろう……きちんと読み終えてからでも、遅くはないのではないか」
杖を取り出し本を焼こうとしたキュルケを、アニエスが止めた。
この本は証拠物件でもあり、ハルケギニアという世界にとっても貴重な書物でもあるのだった。
それを聞いたルイズは、心底嫌そうな顔をした。
この本に書かれている術は<サモナー>の使う<ホラゾン>系統の術というわけでもないし、ルイズがその術を使うようになるわけでもない。
かといって―――
「そうよね、読めるのは私だけなのよね……でも、きっとじっくり読んだら晩御飯を食べられなくなるくらい、具合が悪くなると思うのよ……」
だが、ルイズは情報が必要なのはもっともだとも思う。
おそらく二度と手に入らないであろう、この本を読まずに焼いてしまえば、もしそのような術への対策が必要になったときに、後悔することであろう。
ルイズはしぶしぶと、キュルケから返された本を受け取り、うつろな目をしつつ、本を抱えて『幽霊屋敷』の中へと入っていった。
他の三人も、ルイズについて部屋の中へと入る。
「ただいま司教さま……、おそばを失礼します、どうか私に勇気をください……」
ルイズは大司教トラン=オウルの遺体の入っている棺おけに寄りかかって座り、震える手で本を開く。その顔は少し青い。
「平気?」
「ちょっと怖いわ……この本から、なにかヘンな強い悪意を感じるのよ」
心配そうにルイズへと問いかける雪風のタバサも、少し青い顔をしている。
彼女はなんとなく、あの夢の内容を思い出していたのであった。喉がからからに渇き、背筋が冷たくなる。
この本に書いてある術は、悪魔の力を得て、人の心を堕落させるものなのだという―――この世界に決して存在してはならない本だ。
もしルイズ・フランソワーズが悪魔の力を得て人の心を失えば、先日見たおそろしい夢の中で起きたような悲劇が―――
「駄目」
「えっ、タバサ?」
思わずタバサは、ルイズの手からその本をひったくっていた。
誰もがぽかんとした表情で、タバサを見ていた。タバサは、キュルケへとその本をぐいっ、と突きつけた。
「焼いて、今すぐ」
「えっ、どうして?」
「それは……」
タバサは、言葉に詰まった。キュルケの問いに答えられるような理由など、ない。
ただルイズのことが、とても心配になっただけだった。
『幽霊屋敷』のなかに静寂が満ちる。近くの林でカラスが鳴いていた。裏庭の毒蛇が、しゃかしゃかと尻尾を鳴らした。
しばらくの静寂の、後に―――
「危険な……罠の、可能性も……ある、から」
ようやくタバサは、とぎれとぎれにそう言った。口をついて出た、ただのでまかせの理由だった。
だが、それを聞いたルイズの顔は―――みるみるうちに真っ青になっていった。
「あ……あ、……わきゃああっ!」
ルイズが飛び上がり、上ずった叫び声を上げた。ばっ、と司教の棺おけにすがりついた。
「そ、そうだわ、そうなのよ、その可能性もあった……あ、あ、危なかったわ、ど、どうして、わたわた私、それに、気づかなかったのかしら……」
とうとうルイズは顔面蒼白でがたがたと、その細い体を大きく震わせ始めた。
悪魔使役を求めるものへの地獄の軍勢からのカウンターとして、そのような書物に心を堕落させる何かが仕掛けられていることも、あるのだという。
贋作らしき書物で、何かの悪意のかたまりともなれば―――そっちの可能性のほうがずっと高い。
この系統の始祖バータックしかり、闇に堕ちたサンクチュアリ魔道師たちのどれほど多いことか……かの狂人ザールも、その一人だったのかもしれない。
多くのメイジが貴族としての誇りを持っているこの世界、ハルケギニアに生きてきた少女には、まず想像もできないことだった。
「お、お願い、キュルケ、や、焼いて」
「いいのね?」
「うん、うん……早く……」
ルイズは完全にツヤの消えた目で、棺おけにすがりついて顔を埋めて、ただがくがくと震えつづけていた。
彼女にとって心を堕とされることは、火竜や<魔王の炎>に焼かれるよりも、死するよりも、はるかに恐ろしいことだったに違いない。
今度はもちろん、アニエスも反対しなかった。
彼女も事情を聞いて、みるみる顔を青くして申し訳ないと謝り、即座に焼くべきだと判断したのだった。
『ウル・カーノ(炎よ)』
キュルケは窓を開けて、本に魔法でたっぷりと火をつけて裏庭に放り投げた。毒へびたちが怒って、ますますしゃかしゃかと音をたてた。
ひどく怯えて震え歯をがちがちと鳴らし呼吸を乱しているルイズの背中に、タバサはそっと手を置いてやった。
恐ろしい本はみるみるうちに灰になり―――誰もが知らぬまにこの場で形をなしつつあった悪意も、たちまち霧散してゆくのであった。
「異世界サンクチュアリとは……なんとも恐ろしい場所なのだな……死すらなまぬるい地獄(HELL)とは」
アニエスも真っ青な表情で、怯えるルイズを眺めながらぽつりと、そう言うほかなかった。
ルイズは以前、彼女に向かってこんな恐るべき台詞を言い放ったものだ―――
『<サンクチュアリ>ではね……死体や棺おけは、夢と希望のいっぱい詰まった宝箱なのよ!』
もはや殺伐とかいうレベルではない、まごうことなき地獄だ。
魔王の居る世界ではどうやら、人として大切な何かが、簡単に崩壊してしまうものらしい。
一方、平民という身分の彼女は、『命よりも誇りを』との貴族の精神というものに、これまでほとんど馴染みがなかった。
(やっと理解した、……人が人でありつづけるためにも、あのようによく効く薬やらいんちきな技やらが生まれざるを得ないわけだ)
今の今までずっと平民によくある、ただ日々を生き抜くことが精一杯の幸せなのだ、という環境のなかで生きてきたものである。
彼女が忠実に国へと仕えて騎士という身分になりたいのも、誇りだけでなく別の大きな目的があるからだ。
そして彼女はこのとき、『死ぬよりも恐ろしいことが存在する』ということを、初めて心の底から実感したのであった。
(人として誇りたかくあることは、貴族だけではない……深い混沌のなかで自らを見失わないために、私のようなものにも必要なのだろうな)
誰にも平等に訪れる死―――それよりもはるかに恐ろしい、平民にも貴族にも女子供にも容赦しない『魂の堕落』というものがある。
悪魔どもは、人の心を闇に食わせ、心を狂わせ、魂を地獄の底に捕らえ(Trapped Soul)、魔の手先とし、ねじまげて変質させ、永遠の苦しみを与える―――
それは恐怖心や憎悪や破壊衝動、苦悶や苦痛、欺瞞や罪悪感、強欲や嫉妬心などの人間の負の感情を扉とし、現世へとやってくるのだという。
一方、このときルイズの心の中には、召喚の儀式のときに見た恐ろしい夢がフラッシュバックしている……
ひれ伏すがよい、死さえ救いとならぬ恐怖を与えてやろう―――と恐怖の王(Lord Of Terror)ディアブロは吼える。
かの邪悪の前では、小さなルイズ・フランソワーズは無力な少女だ。
ねじ伏せられ、焼き焦がされ、貪り食われ、未来永劫心を囚われ、悲しい偽りの力を他人にたいし振るうようになるのだ。
これまで彼女が必死にラズマの秘技を学び身につけんとしていたのは、あのときの恐怖に抗えるだけの強い心が欲しかったから、ということもあるのかもしれない。
「司教さま、司教さま、司教さま」
「大丈夫、怖くない……大丈夫、わたしたちがいる」
「ルイズ、大丈夫よ、もうあの本は灰になったわ、あたしがちゃんと焼いたのよ」
タバサとキュルケが、怯えて取り乱すルイズを、どうにかなだめようとしていた。
アニエスは呆然と壁を背に頭をかかえ、ずるずる床へと力なく座り込んだ。
「姉ちゃん、こんなときは俺っちにまかせろ、あっちに連れていってくれ」
背負っていたデルフリンガーがそう言ったので、アニエスはふらりと立ち上がり、言われたとおりデルフリンガーを運ぶ。
ルイズの同居人の剣である彼は、キュルケとタバサにルイズを落ち着かせるための助言を、あれこれと行った。
「怖い、怖いよう」
「ルイズ、ほらこれ、あなたの大好きな毒ガスよ」
「ほら、骨もある」
とりあえずデルフリンガーに言われたとおりにしてみる友人二人の図。
「うーっ……」
「よしよし、いい子ね、これを持ってなさいルイズ、あなたの作った猛毒よ、これさえあればもう怖くないわ」
「なにかの骨」
赤い髪と青い髪の友人たちは、ルイズの小さな手に毒ガスの小瓶やら怪しいなにかの骨やらを握らせ、あやす。
そのおかげか、白髪の少女、ルイズはしだいに落ち着いてゆくのであった。
やがて―――
「……ん、ありがとう二人とも、とっても助かったわ」
ルイズは毒ガスの小瓶と骨とを大切そうにきゅっと胸に抱きしめて、恥ずかしそうに頬を染め、にこにこと笑顔を見せるのであった。
二人の友人は、ほっと安堵の息をついた。
一方アニエスはそんなルイズを見て、いったん安堵しかけたあと笑顔をひきつらせ、そっと壁のほうを向いて、体育すわりを始めたのだそうな。
「姉ちゃん……いろんな意味でショックなのは解るけどよ、そんないちいち落ち込んでたら体が持たねえぜ」
「……おまえは本当に良い剣だな、だが私は今、毒やら骨やらで心安らぐ人間が実在することを認めたくないんだ、放っておいてくれ」
剣と勇気だけが友達なのさ、と現実逃避しながら、遠い遠い目をしはじめるのであった。
「……そんなの今さらだろ」
「言うな」
しかし彼女にとってのさらなるショックは、やがて愛用の剣が改造を終え返却されたときにやってくる……!
―――
キュルケとタバサが『幽霊屋敷』から出て、それぞれの自室へと帰る途中の話である。
「ねえ、タバサ……その、あたしたちって、さ……」
「そこまで」
「あの子にとって、毒ガスより……」
「言わないで、それは違うから」
タバサには、ルイズがそんなつもりもないことも解っている。
キュルケにも教えていないことだが、以前、ルイズは怖くてどうしょうもないとき、タバサを頼ってきてくれたものだ。
人の心を癒すために、他人の存在が必要なときもあれば、ときに人だけで十分ではないこともある―――
たとえば、愛用の毛布や、自分にとっての小さな宝箱、シエスタにとっての剣士の人形、ルイズにとっては毒ガスや骨など……
アンリエッタ王女は、いつも指に、かつて愛した人の形見の指輪をはめている。
心の壊れた母は、『タバサ』という名の人形をいつも抱いている。
そして人の心を癒すものには、本や歌や美味しい食べ物や、楽しい思い出なども含まれる。
剣士にとっては剣、貴族にとっては杖など、つらい運命へと立ち向かうための自分の力のときもある。
「あれはルイズ自身の力と、誇りの象徴……わたしたちがその代わりにはなれないものだから」
「そ、そう……そうよね、なら良いのよね」
話を聞いたキュルケは思わずそう言ってしまった自分に、直後に絶望する。
「ま、待って、もっと良くないわ、毒ガスや骨が……」
「言わない」
青い髪と赤い髪、二人の肩はとても力なく、へなへなと下がっている。制服のマントももう、しわしわだ。
「タバサ、ワインを飲みましょう……シエスタのつてで手にいれた、タルブ産の良いのがあるのよ」
「飲む」
「二人で飲むのもいいけど、ちょっと寂しいわね……あとでアニエスとシエスタ、モンモランシーも誘ってみましょうか」
「シエスタは危険」
「えっ?」
キュルケとタバサは、おしゃべりをしながら、寮へと歩く。
今夜は長い夜になりそうだ、とキュルケは登ってきたふたつの月を、遠い目で眺めるのであった。
//// 20-5:【それはまさに電光石火】
ある日のトリステイン魔法学院の夜―――
白い髪の少女、見習いネクロマンサーであるゼロのルイズは、毛布にくるまってベッドから落ち、死体のように床に転がっている。
うんうん呻きながら就寝中の彼女は今、夢を見ている―――
「ルイズ、ルイズどこへ行ったの! ルイズ、まだお説教は終わっていませんよ!」
トリステイン魔法学院から馬で三日ほど行ったところにある、ラ・ヴァリエールの領地、生まれ育った屋敷にいる夢だ。
夢の中の幼いルイズは屋敷の中を逃げ回っていた―――必死に赤と青のポーションを飲み傷を癒し精神力を回復し、『骨の鎧』を張りなおしながら。
騒いでいるのは母親カリーヌ―――だった生き物の成れの果て、今は恐るべきモンスター『公爵夫人(The Duchess)』である。
「ルイズお嬢様は難儀だねえ」
「まったくだ、上のお二人のお嬢様はあんなに魔法がお出来になるっていうのに―――」
雑魚モンスター、『堕落した使用人(Corrupted Employee)』たちがルイズの噂話をしている。
ルイズは悔しくて、悲しくて、歯噛みをした。ルイズは中庭の『秘密の場所』、血の池のそばの朽ちた東屋へと向かう。
そこは人のよりつかない、ルイズが唯一安心できる場所だ。
「うふふふ、これで……これで勝てるわ!」
中庭の血の池、東屋のよこに湧き出る清浄な水(Well)は、なぜかちょっと飲むだけで体力精神力が大幅に回復するのだ。
あたりには都合の良いことに、新鮮な死体もごろごろと、たくさんたくさん転がっている。
死体の中にはあの魔道士<サモナー>にザール、アニエスやマリコルヌ、かつて婚約者であったイケメン子爵の姿も混ざっている。
幼女ルイズはにやりと微笑む―――さあここからは反撃タイム、あの恐ろしい母親を迎え撃つのだ。
「レイズ・スケルトン!」
ルイズの導きにしたがって、白銀に輝く骨たちがぞくぞくと立ち上がってゆく。
サイキョーに強まった彼らは、地獄の魔王だってきっと集団リンチにかけてブチ殺してくれるにちがいない。
使い魔のヒトダマ『タマちゃん』もたくさんの仲間を連れて、ルイズの周囲をふよふよ旋回している。
「俺っちもいるぜ」
「デルりん!」
白銀に輝くゴーレム、デルフリンガーがルイズを助けに来た。その他のルイズの友人たちも、ぞくぞくと集まって来てくれたようだ。
「あなただけに、いいカッコはさせなくてよ」
「キュルケ……」
「正義の騎士は、あなただけではない」
「きゅいきゅい」
「みんな……」
ルイズは目をうるませた。『公爵夫人(The Duchess)』は「こ、これが友情パワーか」と驚いていた。
相手は立派なマンティコアに乗っているのだが、ルイズはもっと立派なモンモランシーに乗っている。乗騎という点でもルイズの勝利は揺るがない。
そして、幼いルイズは不敵に笑い、相手へと杖を振って『呪い(Curse)』をかける。
「よーし行くわよ、『デクレピファイ(Decrepify:老衰)!!』」
相手を一時的にみるみる老け込ませる、女性にとって最も嫌な呪いである。
動きもとってもスロウリィ、呪文詠唱さえおぼつかなくなったボスモンスターへと、幼女ルイズは骨の精霊軍団とスケルトンの軍団を突撃させた。
スケルトン軍団は全部で百体、もはや集団リンチとかいうレベルではなかった。暴動、革命……いや―――お祭りだ!!
「やったあ、みんなのおかげで勝ったわ! 今日から私は自由なの、もう血のお風呂に入らなくてもいいのよ!」
ルイズは小さな拳を振り上げて、勝利を喜んだ。みながにこにこ笑顔の幼女ルイズを胴上げして、おめでとうと祝福の言葉を述べていた。
白い霧とともに、大量のエキュー金貨が中庭を埋め尽くすかのように降りそそぐ。トレジャーハントは大成功である。みんなで山分けだ。
さて、『公爵夫人(The Duchess)』は、模様の掘り込まれた小石―――ルイズが喉から手が出るほど欲しがっている貴重な<ルーン石>を、いくつも落としたようだ。
忍者のようにこそこそと石を拾ったルイズの表情は、みるみるうちに驚愕に染まってゆく。
「『カニ・ルーン(Kani Rune)』……こんな貴重な石、見たことないわ」
むろんそのような石はサンクチュアリ世界にだって実在しない、ルイズの想像のなかだけのものである。
デフォルメされた甲殻類らしき模様のついた、そんな小石を、ルイズはこっそりとポケットのなかに放り込んだ。ネコババである。
場面は変わる―――
そこは現在の『幽霊屋敷』の地下、ルイズの実験室である。
あやしい薬やら実験器具やら、立派な拷問器具やらがひととおり揃っている素敵な部屋だ。
「な、何をするの」
「うふふふ、タバサ、頼みがあるわ」
青い髪の少女、タバサはもう髪の毛と同じくらい真っ青な顔をしており、ぶるぶると震えている。
ルイズは彼女を捕まえて地下実験室の診察台へところがし、両手両足を縛り付けているのだ。
「あなたを、改造させて」
ゼロのルイズは深い深い目でにやにやと笑い、手をわきわきとさせて、そんな怯えるタバサへと―――迫る!!
もうタバサは涙を流し、じたばたと暴れはじめた。
「だ、駄目」
「お願い!」
「嫌」
「強くなるわ!」
ルイズはタバサを押さえつけて、ぐいっとスカートをパンツごとずりさげ、背中と小さなおしりをぷりんと露出させる。
可哀想にタバサはぐったりとして、しくしくと泣いてふるふると震え、もう悪い悪いにやにやルイズのなすがままだ。
「ほら、あったわ……これを探してたのよ」
タバサの背中の白くすべすべとしたお肌、腰骨のあたりに、三つのくぼみを発見する―――『ソケット』だ。
ルイズはミョズニトニルンの導きに従って、魔力の順番を間違えないように、三つの小石を、タバサのくぼみ(ソケット)へとはめ込んでいく。
――Ral + Kani + Ith
タバサが発光する。火の文字が彼女にルーンを刻みつける。
「伝説のルーンワード『ラカニシュ(RW Rakanishu)』、完成よ! さあタバサ、世界を縮めなさい!」
部屋の中がまばゆい光に包まれ、<ルーンワード>が完成する―――
- - -
ヘルラカニシュのタバサ(Hell Rakanishu Tabasa)
RalKaniIth (ラル + カニ + イス)<ラカニシュ>
敵の電撃攻撃を無効化(Lightning Immune)
敵の火炎攻撃を無効化、耐毒物レジスト
自分の攻撃に同じダメージ量の66%から100%ダメージの電撃が付属、二回命中する
攻撃を受けた際にレベルと等量のチャージド・ボルト(電撃)を投射
相手の電撃耐性を基準値より100%下方修正(HELLレジストペナルティ効果)
超高速歩行・走行(エクストラ・ファスト:Extra Fast)
超硬防御力(ストーン・スキン:Stone Skin)
レベル10『ファナティシズム・オーラ(Fanaticism)』装備(ダメージと命中率と攻撃速度があがる)
ソケット3使用
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さて、もともと速さに定評のあったタバサは、この日からますます電光のように速くなるのであった。
青い髪で背の小さな少女はあらゆるところへと瞬時にあらわれ、ところかまわず大量の電撃をばりばりばりと振りまいてゆく―――
この力さえあれば、ルイズの大切な友人である雪風の少女は、どんな悲しくきびしい運命だって楽々と乗り越えてゆくにちがいない。
「タバサ、調子はどうかしら?」
「超ユニーク(Super Unique)」
タバサは体中からバチバチと稲光を放出しながら、無表情でそう答える。
「よかったわね、タバサ」
「とっても嬉しい、ファンタスティック」
向かうところ敵なしの雷帝タバサはほんの少しだけ頬をゆるめ、超高速の電撃の力で、破壊の限りを尽くすのであった。
本日の標的は、今までの無力だった彼女がさんざんいじめられてきた相手だ―――
ルイズが「ミュージック!」とコールすると、スケルトン軍団が楽器を手にし、緊迫感のあるBGMを演奏しはじめる。ママ(The Duchess)より怖いおしおきタイムの始まりだ。
「あなたに足りないもの、それは情熱、思想、理念、頭脳、気品、優雅さ、勤勉さ……そして何よりも」
タバサの上司である従姉、青い髪でブスでふとっちょのお姫様(ルイズによる想像図)は、突然の部下の反逆に、ひいっと息を呑む。
「―――速さ(IAS)と、電撃レジストが足りない」
おデブ姫様はビリビリと感電させられて、体中から煙を出しながら「ごめんなさいブー」と、タバサへと謝罪する。
そんな光景を見ながらルイズは「本当に良い仕事をしたわ」と、満面の笑みであった。
―――……
……
「んん……タバサ、とっても素敵……うーん、骨の髄までしびれちゃうぅ……」
デルフリンガーがアニエスのもとへ出張中で、リュリュの睡眠も深かったので、『幽霊屋敷』の床に転がる白髪の少女のそんな幸せそうな寝言を聞いていたものは居なかったそうな。
翌日の朝になって夢の内容を思い出し、「……あれは無いわ」とルイズは恥ずかしそうにつぶやく。
自分があんな夢を見たことを、もしタバサに話したら、彼女には軽蔑されてしまうのだろうか……
「私ってば、夢だからといって……」
現実には『カニ・ルーン』や『RWラカニシュ』など存在しないし、人間にソケットがついているはずもない、あまりに荒唐無稽な夢だ。
そしてルイズは寝ぼけまなこをこすりつつ、反省する……夢の中の自分の所業を―――
「やっぱり無理矢理は良くないのよ、もしあんな改造が出来るとしても……タバサ本人の承諾を得てからするべきなんだわ、うん」
しかし反省の内容がどこかずれているようでもあるのは、大切な友人に明るい未来を、という強い想いのせいにちがいない―――たぶん、きっと。
ひょっとすると、その友人は明るい未来のためにも、改造される前に……いや、ただちにトリステイン魔法学院から逃げるべきなのかもしれない。
//// 【次回、剣士さんは大人でござる……の巻へと続く】